2020年03月03日

『ルイーズ・ブルジョワ 糸とクモの彫刻家』 エイミー・ノヴェスキー

子供向けの伝記、というのは立派な業績の持ち主についてのものだとばかり思っていた。遠い昔買い与えられたその手の本は野口英世にリンカーン(おぼろげながら記憶に残っているのはたわいもないことばかり―結婚前は毎日同じメニューを外食していたとか木の葉を詰めたおふとんとか)。だから、ルイーズ・ブルジョワの人生についての絵本があると知ってたいそうびっくりした。



現代アートの人である。その作品の多くはわかりやすい美とかけ離れている。どう見ても男性のナニであるオブジェを小脇に抱え、婉然と微笑むメープルソープ撮影のポートレートで知られるあのアーティストがどんな風に描かれるのだろうか。

第一次世界大戦が勃発する数年前、1911年のクリスマスにルイーズ・ブルジョワは生まれた(戦前の古き良きフランス文化を知る世代の人なのである)。タペストリーの修復を手がける工房の娘として、時代を超えて生き残った精緻な手仕事をごく身近なものとして育った。パリ郊外の川辺のみずみずしい自然と芸術的な空気が共存する世界で過ごした子供時代を描いた頁は、とても魅力的だ。こういう色鮮やかな記憶があのアーティストの深奥にあったのかと少なからず驚いた。

自分とその周囲の世界への探求が創造と深く結びついているブルジョワにとって、その作品の背景として欠かすことのできない存在である両親も登場する。優しくもの静かで、休むことなく手を動かしすり減ったタペストリーを蘇らせていた、心の友でもあるお母さん。工房と顧客とをつなぐ仕事のため不在がちでどこか遠い人だったお父さん。ブルジョワの70年を超える活動において常に影響を与え続けたこの二人のことも、対称的なトーンできちんと描きわけられている(若きルイーズの自殺未遂の原因ともなった、父と身近な女性との不貞についてはさすがに言及がないが)。 

ブルジョワの代表作である金属と石でできたいかつい巨大なクモの彫刻がなぜ「ママン」と名付けられるようになったのかという種明かしもされていて、それはそれで興味深い。が、作品の読み解きよりもルイーズ・ブルジョワのクリエイターとしてのあり方にひきつけられた。この本が焦点を当てた晩年の作品群、ファブリック・ワークスについての頁では、製作の様子がはずむようにいきいきと描かれている。子供の頃から捨てられなくて手元に置いてきた服、ハンカチ、リネンといった雑多な布の山を素材とし、様々なコンセプト、形態の作品が誕生するのだが、布に触れ切り刻み縫い合わせる、忙しく動くブルジョワの手のイメージが浮かんでくる。

広く知られた「功成り遂げた老アーティスト」のブルジョワを描いた絵はこの本には一枚もない。本の創り手たちが伝えたかったのは有名芸術家のストーリーではなく、90才を超えた晩年まで活発であり続けたブルジョワの芸術家のたましいとでもいうべきものなのかもしれない。自分の中へと分け入り、見つけたものを他人の目にも見える表現へと昇華させてきた、真摯なエネルギー。手が止まる日は確実にやってくるが、私の中で鳴りひびくものを止めることはできない。ひたすら糸をはき、思いがけない所に予期せぬ形の巣を作り続けるクモにも通じるところがある。

ブルジョワの作品の他の側面、例えば生理を逆撫でするような感覚、怪しいエロティシズムや凝縮したナイトメアのような怖さ、は登場しない。評伝としては正しくない本かもしれない。しかし創り手が共感したに違いないブルジョワのアーティストとしての「美しい」存在感は確かに読む側に伝わる。晩年のブルジョワの作品のモチーフや「かわいい」色彩感覚を巧みにアレンジして絵の中に忍ばせた、透明感あふれる水彩によるイラストレーションの果たした役割はとても大きいと思う。

子供のための本ではあるけれど、むしろ大人にこそ多くのものが届くのではないだろうか。今年のしめくくる一冊として、自分のために選びたい本だ。


posted by GOYAAKOD




posted by cyberbloom at 14:27 | パリ ☁ | Comment(0) | 書評−文学・芸術・思想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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