2020年02月22日

是枝裕和監督、『万引き家族』でカンヌ映画祭パルム・ドール受賞

是枝裕和がついにカンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞した。2004年の『誰も知らない』では柳楽優弥が史上最年少で主演男優賞、2013年の『そして父になる』が審査員賞と来ているので、いつかは受賞してもおかしくないと思っていたが、ついに2018年に栄冠を手にした。

1995年に『幻の光』で長篇映画の監督としてデビューから23年。是枝はついに日本を代表する映画監督の地位に登り詰めたと言っても過言ではない。だが、その道は必ずしも平坦だったわけではない。

是枝が『幻の光』でデビューした際、多くのシネフィルはほとんど黙殺したのではないかと記憶する。その理由は、この作品が宮本輝の小説を原作としていることにあったのかもしれないが、何かその朴訥な映像を俄かには信じることが出来なかったように思われる。『誰も知らない』がカンヌで大変な話題になっても、我々はまだ懐疑的だった。「これは柳楽の演技力の賜物ではないのか?是枝の演出がここにあるのか?」という具合に自問し、是枝を映画作家として認めることを留保し続けたのである。



少なくとも私が是枝を意識せざるを得ないと感じたのは、2008年の『歩いても 歩いても』を見たときからである。医者であった父(原田芳雄)と、その父の期待を裏切って家を出た息子(阿部寛)が妻(夏川結衣)を連れ、久々に実家に戻る。当然ながら生じる父との葛藤。母(樹木希林)、姉(YOU)との穏やかな語らい。そして、家族の中で封印された過去…。ここには間違いなく「家族」をテーマにして現代の人間の姿を描き出す映画作家がいた。作品を見るものは、一瞬でも画面から目を逸らすことが出来ないほど、登場人物の一挙手一投足に夢中にさせられたはずだ。

あまりにも話題になった『そして父になる』が「家族」の問題と言うよりも「親子」の問題に収斂したのに対し、『海街diary』(2015)は原作ものとはいえ、再び「家族」に焦点を当てる。普通に考えれば、綾瀬はるか、長澤まさみ、夏帆の三姉妹が暮らす家に異母妹の広瀬すずがやって来るという物語など、商業映画以外の何物でもないだろう。だが、この作品で四人は間違いなく「家族」としての在り方を模索する姉妹として存在しており、そこに母(大竹しのぶ)や大叔母(樹木希林)も加わることで、常に不安定なままの彼女たちの行く末を我々も思いやらずにはいられなくなる。やはり是枝の作品が光輝くのは「家族」をテーマとする時なのだ。



そして、再び阿部寛を主演に据えた『海よりもまだ深く』(2016)では、是枝のオリジナル脚本によって、崩壊した「家族」のつながりを取り戻そうと苦悶する男の姿が描かれる。売れない小説家(阿部)が別れた妻(真木よう子)と息子との関係を振り返る中で、失ったものの大きさをようやくにして悟るという物語であった。普通ならば悲哀を感じさせる主人公を演じる阿部寛は、持ち前の喜劇性を持ちこむことで崇高なまでの域に達している。だが、これは「家族」(とその崩壊した姿)をアンサンブルで造形する是枝の奇跡的な演出力があるからこそ成り立っているに違いない。

そして、最新作は『万引き家族』。仏語タイトルは ≪ Une affaire de famille ≫。ついにタイトルに「家族(famille)」の文字を入れ、正面から「家族」とは何か?という問いに向かおうとしている。この作品にパルム・ドールをもたらした審査員、女優ケイト・ブランシェットが「圧倒させられた」と言い、映画監督ドゥニ・ヴィルヌーヴが「魂を鷲づかみにされた」とまで言う映画は一体どういう映画なのか、それは見るまでは分からないが、我々の期待を裏切ることはないであろう。そして、「対立する人と人、隔てられている世界と世界を映画によって繋ぐことが出来るのではないか」と受賞時のコメントで語る映画作家の真摯な姿勢を疑うことはもはや誰にも出来ないだろう。



小津安二郎、そして木下恵介。日本映画には「家族」をテーマに作品を撮る系譜が確実に存在していたが、そこに是枝を加えることが出来るだろう。彼らは東洋の島国だけの小さな世界を撮っていたはずだったが、いつのまにか普遍的なテーマに辿り着いていたのかもしれない。是枝の映画は、家族を求め続けたトリュフォー、そしてそのテーマに周期的に回帰するヴェンダースのような大作家たちと同次元にあり、そして一層現代的であろうとしている。世界のシネフィルたちは今後も是枝の作品から目が離せないであろう。


posted by 不知火検校


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2020年02月19日

『ファントム・スレッド』

映画『ファントム・スレッド』が公開されるとすぐ、いそいそと映画館へ出かけた。監督のポール・トーマス・アンダーソンもご贔屓だし、主演のダニエル・デイ・ルイスもその演技を見届けたい数少ない俳優の一人。が、ここまで心待ちにしたのは、伝説のクチュリエ、クリストバル・バレンシアガを垣間見せてくれるという前評判を読んだからだ。



主人公はモード界の帝王と讃えられる英国人デザイナー、レイノルズ・ウッドコック。時は1950年代。彼の「城」であるロンドンのアトリエには世界中から金と時間を持て余した女達、成金のヘアレスから貴族階級のマダム、某国の王女様といった方々が押し寄せる。ミュージアム・ピースの域に達した工芸品とでもいうべき彼のドレス―デザイナー自ら針を持ち仕立てた夢のような一着−を自分のものにするために。彼の生活はほぼ100%仕事のために捧げられている。上品な美男ながら華やかな顧客達とは距離を置き、浮いた噂ひとつない。ひたすらデザインし、創作に打ち込む人生に彼が本当に満足しているかは誰にもわからない。

このキャラクターは、脚本を手がけたアンダーソン監督が一から造り上げたものではない。場所をはじめ細かな設定は変えてはいるけれど、そこから透けて見えるのは、1930年代にパリ、ジョルジュV通りにブティックをオープンしてから1968年に突然引退するまでモード界に君臨したクリストバル・バレンシアガだ。今やカジュアルなコットンのバッグのロゴとしてしか認知されていないけれど、モード界を去るまでバレンシアガは「絶対的」な存在だった。

新しいシルエットを提案した等、モード史を眺めてバレンシアガの功績を箇条書きすることはたやすい。しかし、それは「退位」後にまとめられた栄光の残り香に過ぎない。人々をひざまづかせたのは、彼の服の圧倒的な存在感に他ならない。

服は着る人があってこそ輝くもの、美術館に展示されたドレス達は名品といえど何やら寂しげで、影の薄さを感じさせる。が、バレンシアガのドレスは違う。顔のないトルソに着せかけられた状態でもそれはただ、美しい。

しかも、バレンシアガの服を着た人はもう他のメゾンの服が着れなくなる、と言われるほど着心地がいいのである。空気のように身体を包み、鏡に映せば体型の七難をきれいに消してあなたを美しい人に変える。

当然のことながらお値段も立派だ。手の込んだドレスを一着オーダーすれば、当時の平均的な男性の年収に匹敵する額が請求された。しかし、そんな請求書を眉一つ動かさず受け取れる身分の選ばれた大人の女達が、絶えることなくメゾンを訪れた。また、欧米の高級百貨店は、2倍の金額を払って服のデザインを買い、モード誌の読者である顧客にぐっとお求めやすいコピー商品を販売した。社交界から都会の片隅までその名が知れ渡った、パリ・モードの代名詞−バレンシアガ。しかしデザイナー本人は、その名声にも関わらずその姿をメディアの前に曝すことはほとんどなかった。

正式なインタビューの依頼に応えたのは引退後の一度きり。エキゾチックな美しい容姿に恵まれたにも関わらず写真に取られるのも、マスコミに取り巻かれるのも嫌い。心を許した少数の人々としか付き合わず(法外な金を落とす「太い」お客様でも親しく接するとは限らない)、生涯独身を通す。「バレンシアガは実在しない」というデマがまことしやかに囁かれた程、謎めいた人物だった。

両腕ともに利き腕という驚異的なドレスメーキングの才能にも恵まれ、デザインを描くだけでなく腕利きの仕立て職人やお針子達に混じって白衣姿で針を持ち続けた。寡黙で、己に厳しい人だった。拍手喝采で終わったコレクションの後、スタジオでお披露目したばかりの作品を引き裂いていたという逸話も残っている。それまでの人生を振り返って、「犬の生活だった」と後年語っているが、その表現には自嘲を超えた重さがある。

映画は、そうしたバレンシアガの仕事の現場を、メゾンのインテリアや顧客のために用意された椅子に至るまで「ウッドコックのブティック」として再現している。モノクロ写真でしか知らない伝説の場所、そして固唾をのむ顧客達の沈黙が支配したというサロンでのコレクションの発表―デザイナーが選び抜いた無表情のハウスモデル達が、番号札を掲げて室内を一回りするだけの簡素きわまりないもの―も見せてくれた(覗き穴から客の様子を伺うデザイナーの姿も含めて)。伝え聞いて妄想してはみたものの、実際にスクリーンで見たそれは胸を躍らせるものがあった。ダニエル・デイ・ルイスも、バレンシアガが漂わせていただろう厳しさと情熱を体現して見せてくれた。(バレンシアガの上客だった、満たされない人生を送ったアメリカのビリオネアの女性もしっかり登場していた)。バレンシアガのものとは違うけれども、ドレスの美しさも堪能できた。

しかし、監督自ら語っているように、バレンシアガはあくまでインスピレーションを授けてくれた素材でしかない。レイノルズ・ウッドコックとクリストバル・バレンシアガは似て非なる存在だ。その違いを通して眺めると、また興味深い。

ウッドコックの美への献身は、ごくプライベートな欠落感が原動力になっている。美しいものに魅了されていて、それを我が手で創り出すことに執着はしているものの、どれだけ仕事をしても欠落感は深まるばかり。塞がることのない穴をどうにかしようというあがきが、デザイナーとしてのウッドコックを突き動かしていたように見える。

バレンシアガは、生活してゆくために針を持った。スペイン、バスク地方の漁村に生まれ、12才で船乗りだった父を亡くし、お針子として兄妹を養う母を助ける立場にあった。雇われの身から起業しついにパリで成功してからも、スペインに残る妹達とその家族がバレンシアガ・ブランドに携わり立派に生活できるよう取りはからった。数多い従業員のことを考え、税金に頭を悩ませる経営者でもあった。

一方で、美しい服を作ることは幼いころからの望みだった。避暑のためにバレンシアガの村を訪れるカサ・トレス侯爵夫人のドレスの補修を母がしていたため、最新のパリ・モードのドレスに接していたせいもある。12才のバレンシアガはある日、高貴で洗練された美しさで名高い奥様の前に進み出る。「パリでお作りになったそのドレスと同じものを作ってみせます。」出入りのお針子の息子からの唐突な申し出に驚きつつも、侯爵夫人は必要な材料と道具を与えてみた。そして、立派に仕立てられたドレスを手に入れたのだ。侯爵夫人の口添えもあって、バレンシアガは都会に出て仕立て職人の見習いになる。美を探求することを許されたもの、アーティストであることの誇りが、彼を奮い立たせ続けたのかもしれない。

ウッドコックはついに欠落感を埋めてくれる、彼の追い求める美とはほど遠い女性と巡り会い、「幸せ」になる。しかし、欠落感が埋まり彼を縛ってきたものから解放されたことで、デザイナーとしてのウッドコックは緩やかに、確実に凋落してゆく(沢田研二の名曲の一節「男と女が漂いながら/落ちてゆくのも幸せだよと」が思い出されて仕方なかった)。この落ちてゆくめくるめく陶酔感が、この映画の本当の狙いであり美味なところだ。

バレンシアガは、引退後隠者のような生活を送り、ほどなく他界する。世間で言うところのわかりやすい幸せとは縁のない人だったかもしれない。しかし彼はウッドコックのような欠落感を味わうことはなかった。まず、心から愛したパートナーがいた。フランスとロシアの血を引くウラジオ・ダタンヴィルだ。貴族の出でバレンシアガが志した洗練された美を体現する人でもあり、スペイン時代からパリで名声を得るまで数十年の日々を一緒に過ごした。バレンシアガのデザインをより素晴らしいものにする帽子のデザイナーとして、ビジネスパートナーとして、バレンシアガを支えるとともに、思うような袖が作れないと煩悶するバレンシアガの苦しみ、クリエイターとしての才能と情熱を理解し慰めてくれる人だった。49才の若さでダタンヴィルが他界した時、バレンシアガは本気でメゾンを閉めることを考えたという。

また、愛する人を失ってからの人生も、光が射さないわけではなかった。息子のような年齢の若いデザイナー、ユベール・ド・ジバンシーとの出会いは少なからぬ意味を持ったと思われる。弟子ではなく商売敵であるにも関わらず、バレンシアガは自分のことを心から尊敬するジバンシーを見守り、手の内を披露し、仕事について親しく対話することを楽しんだ。美しいものの探求とそれを実現する技について語るに足る相手を得たことは、バレンシアガのデザイナーとしての晩年を潤いのあるものにしたに違いない。そのデザインはますます冴え渡った。当時発表された装飾的な要素を削ぎ落としたシンプリシティを極めたドレスは、時の移ろいをものともしない強い美しさを放っている。そして1968年、バレンシアガはメゾンを閉める。人生を彼の服で彩ってきた忠実な顧客達を心から信頼するジバンシーに託して。

人生いろいろ、である。どちらがいいということを言い出すだけ野暮だとは思う。しかし、厳しい道を歩んだバレンシアガが晩年に作り得た作品は、彼の献身に応えて天から投げられた花束のようなものではないか、と思うのだ。

この映画は音楽も素晴らしく、ドレスが放つうっとり感に見合う音が用意されている。トレイラーを見るよりまずこの音楽に接して頂ければ、映画の雰囲気がしっかり伝わると思う。
https://youtu.be/bT_XjcdgT6g

故郷ゲタリアにあるクリストバル・バレンシアガ美術館の所蔵品の映像。圧巻です。
https://youtu.be/VGrwn24aN_A


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2020年02月16日

『BPM ビート・パー・ミニット』

『BPM ビート・パー・ミニット』を見た。2017年のカンヌ映画祭グランプリ受賞作。1990年代初頭のフランスでエイズ患者の権利拡大やエイズを巡る諸問題の解決を目指し行動するグループ、「アクト・アップ・パリ」に参加した人々とその戦いを描いた映画だ。 グループには、HIVポジティブと判定された当事者やその家族もいる。そしてゲイ、レズビアンであるとカミングアウトしている人々も多数関わっていた。



その活動はけたたましく、過激だ。啓発ポスターを貼る、会議で発言する、デモをしビラを配布するといった世の理解が得られやすいこともする。が、そこで終わらない。きれいごとばかりの公的シンポジウムや患者への配慮のない製薬会社に殴り込みをかけ、ホイッスルを吹き手製の血糊をまき散らす。授業中のリセのクラスに乱入、生徒にコンドームを配り超実用的なエイズ予防のゲリラレクチャーをする。祭りの屋台の水ヨーヨーが顔にダイレクトヒットしたような、そんな衝撃を受けた。

なぜそこまでやるのか?それは、黙っていては誰も何もしてくれないことがはっきりしているからだ。当時、エイズのことを「社会の鼻つまみ―宗教的なタブーを犯しているペデやら売春婦、ジャンキー(注射器の使い回しで罹患していた)やら−を一掃してくれる恩寵」とのたまう輩も決して少数派ではなかった。「悪癖」のない自分達には関係ない、というスタンスを社会が取り続ければ、エイズは病気の知識のない人々を巻き込み、蔓延する。

またHIVポジティブの告知から一足飛びに死に向かうわけではない。感染後も人生は続く。だからこそ社会に対し感染者の存在を主張しなければいけない。今現在も続くあからさまなヘイトを恐れ性的志向を隠してきた人も、「エイズ患者であり同性愛者でもある私」の存在を世間に認めさせなければならなかった。普通、私は病気ですと外に向かって大声でアナウンスすることなんかしない。しかし声をあげなければ、戦わなければ、いないも同然に扱われ、日陰の身として生きてゆかなければならない。どうしてそんな目にあわなければならない?確実な治療法もない状況で、グループの若いメンバーや身近な友人がT細胞の数を減らし、発症し一人また一人と命を落としてゆく。やるしかないのだ。

当時、グループのメンバーだった監督ロバン・カンピヨが、かつて自分がいた場所についての映像作品を撮るにあたりドキュメンタリーではなくフィクションを選択したのはとても自然なことだったのだなと思う。過激な活動を記録した当時のニュース映像やインタビューをつないでも、仲間達の「熱」は伝わらない。感情の暴発と取られかねない行動の一つ一つが、メンバー間の激論の末採択され実行されたものだったのであれば尚更だろう。

この映画の見せ場の一つはミーティングの再現場面だ。政府や製薬会社に対する要求といった活動方針の決定からポスターに使うキャッチコピー選びまで、手話も交え全てをみんなで話し合って決める。ディスカッションはルールに乗っ取って進行する。例えば、賛意を示すときは拍手ではなく指を鳴らす(やかましくならないようにという配慮らしい)。大学の大教室とおぼしき会場いっぱいの人々が一斉に指を鳴らす場面は壮観だ。


議題はシリアスだが、しかめっつらした人の集いとはほど遠く、軽口や陽気なやりとりも飛び出す。ミーティングは「出会い」の場でもあった。ただ、参加者は遠慮なく意見をぶつけあう(これは俳優達が演じるお芝居なのだというお約束を忘れそうになる程だ)。言葉とその裏にある思いの応酬に煮詰まり、みんなが疲弊しどんよりすることもある。でも会場の外で一服ふかして、また戻ってくる。逃げるわけにはいかないことをわかっているから。

みんな知っているのだ。この病気は普通に暮らしてきたす誰の身にも起きることを。ティーンエイジャーの頃初恋の人と思いを遂げた結果感染し、青春時代を「未来のエイズ患者」として生きなければならない人もいる。彼に非があるとするなら、それは病気のことを知らなかった、それだけだ。検査をクリアできた人も、それまでたまたまラッキーだっただけ。

しかも、エイズは愛をひどく複雑にする。相手に対しどれだけ誠実でいられるのか。感染の事実を伏せておくのか、それともきちんと伝えるのか。感染していることも「込み」で相手を愛せるのか、踏み込まずにおくのか。そして互いにあきらめるのか。人を好きになれば、自分が相手とどう関係していくのかをいやでも考えなければならない。でも、恋に落ちてしまうものなのだ。

激しいアクト・アップの活動と隣り合わせに日常があり、メンバー達もそれぞれの毎日を生きていることも映画はしっかり描いている。フツーの若者としてアメリカ発の最新の音楽をチェックし、お気に入りの曲を集めたテープを交換したり、みんなでクラブにも踊りにいく。この映画でたくさん流れるのは、踊りの場でかかっている当時のハウス・ミュージックだ。映画の原題“120 battements par minuite”も、ハウス・ミュージックの典型的なテンポだったりする。まさに時代の音だ。

照明を落としたクラブで規則正しいビートに身体をゆらして、私を消して踊る姿を見ていると、いろいろと考えてしまった。「踊るならファンク」派で、刺激的でどうにもたまらん音に踊らされ巻き込まれる楽しさが気持いいと思う人間だ。だから、ハウス・ミュージックは詰めが甘く単調に感じられて積極的に聞いてはこなかった。しかし、この淡々としたパッシブな感じこそがこの音楽のキーなのかと思う。他人の視線を意識しなくていい、踊る人本位のダンス・ミュージックなのだと。踊りながら私の中にもどんどん沈み込んでゆけるし、互いの心音を聞くように相手の中へも入ってゆける。それはある意味とても自由で、踊る人を開放してくれる音楽だったのだなと。踊る「アクト・アップ・パリ」のメンバーの背景で流れていた、当時のハウス・ミュージックを代表するこのトラックは、映画を見てしまった今まったく違った顔で耳に届く。

聞いてみたい方はこちらでどうそ。
https://youtu.be/ZUsE5Rx-emk


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2019年04月02日

『新世紀 パリ・オペラ座』

パリ・国立オペラ座。17世紀に設立されてから世界中の才能を招き寄せ、延々とオペラとバレエの公演を続けてきた。ロッシーニやヴェルディの名作、バレエの古典『ジゼル』や『ラ・シルフィード』を初演している。1875年開場の豪華絢爛なネオ・バロック形式の劇場、ガルニエ宮と1989年に建てられたオペラを主に上演するモダンな第2劇場オペラ・バスティーユで年間400回近く公演の幕を開け、のべ約8万人もの観客が押し寄せる。擁するバレエ団は世界でも屈指のバレエ団として有名。



以上がネットでさっくり調べた情報。が、取りこぼしているもののほうがずっと大きいのではないか。フランスの威信がかかった芸術の発信地であり、シーズン初日には大統領もやってくる内外国の要人が集う社交の場であり、300年もの歴史を背負いながらも新演出、新作を舞台にかけて攻める姿勢も失わない、数知れぬ人を巻き込んで生き続ける巨大な生きもののような組織。個人的にそんなイメージがあるが、それでもまだつかみどころがない。音楽・バレエに関心のある方には特別な存在、誰も名前ぐらいは知っている、けれど本当のことはよく知らない―そんなオペラ座を、ノーナレーションで追っかけたのがこの映画だ。

カメラが入り込んだ時期は、何事にも動じないように見えるオペラ座にとってもタフな時期だった。フランスの歴史にも、文化史にも名を刻んだシャルリー・エブド事件とパリ同時多発テロ事件が起こった。オペラ座の内部も大荒れだった。新たな一章の始まりと期待されたバレエ団の新芸術監督バンジャマン・ミルピエが一年半であっさり退任してしまったのだ(奇しくも就任時の華やぎと退団時の冷ややかな空気をカメラは捉えることになった)。職員のストライキ、開演間近の出演アーティストに絡むごたごた(実はどの大劇場も経験する災難)はまだ小さなトラブルのレベルだ。

身震いするオペラ座を内側から眺めるにあたり、視点を提供してくれる二人の人物が選ばれた。一人はオペラ座総裁ステファン・リスナー。一番偉い人である。どんなハイソでシックな人物かと思いきや、親しみやすい笑顔を振りまく恰幅のよいビジネスマン然としたおじさん。10代で小劇場を立ち上げたのを振り出しに裏方仕事から舞台監督まで幅広く経験を積み、パリ管弦楽団のマネジメントやシャトレ座などの有名劇場の運営、国際音楽フェスティバルの総監督と音楽・舞台の仕事にずっと携わってきた業界の大ベテランだ。2014年にオペラ座のポストを引き受ける前は、イタリアのミラノ・スカラ座を取り仕切っていたというというから、その手腕の程がうかがえる。

が、そんな辣腕をもってしてもさばききれないほど、やるべきことは押し寄せる。上演演目についての議論といった「本来の」お仕事から1000人を超える職員の処遇の問題、コアなファン以外の人々も呼び込めるようなチケットの値段設定といった今後の展望、おカネに絡む問題にも取り組まなければならない。観劇に来た大統領のお相手だって務める。大統領のボックス席のどこに座ればその夜の業務をこなす上でベストなのか、なんてことまで自分で考え、決めなければならない。

ここまで公にしてしまっていいいのかとびっくりするような言動もカメラは収めている。特にミルピエ退任までのやりとりはスリリングだ。(噂される退任の原因が見えてくるようなミルピエ本人のショットがちらりと出てきたのも興味深い。)将来を預けたアーティストの意向を最大限尊重したくもあるが、とにかく舞台の幕を開けなければならない。アーティストと一緒に立ち止まるわけにはいかない。難題を前にしたときのリスナーのしたたかさと行動力は見物だ。8階にある総裁の部屋の壁面はガラス張りになっていて、オペラ座前の風景が一望できる。まさに下界を睥睨する部屋なのだが、その場所に陣取る男の立場で眺めるオペラ座は人間くさくておもしろい。

もう一人は駆け出しのバリトン歌手、ミハイル・ティモシェンコ。ロシアはウラル地方の片隅から声を頼りにドイツへ留学(事実耳に残るいい声なんである)。将来のスターを育てる人材育成プログラムのオーディションに受かって、オペラ座へやってきた。ドイツ語はまあまあ、英語はナントカ、フランス語は大丈夫?というレベルの純朴そのものの黒髪の青年は、新参者としてオペラ上演の現場を歩き回る。カメラが捉える彼の視点から見た世界はわくわくすることばかり。(有名オペラ歌手の素顔だけでなく、オペラ上演の裏側もたっぷり見せてくれ、オペラファンにはお楽しみが多い。)尊敬するあの歌手が僕に声をかけてくれた、ファンではなく歌手の一人として!まだ20才そこそこ、舞い上がったり落ち込んだりと忙しいミーシャ君が成長してゆく姿もカメラは追う。借りものの上着を着ているようだった彼のフランス語の歌がどうなってゆくかは注目だ。

そしてこの映画は、さらにもう一つ視点からオペラ座を眺めている。オペラ座を支える裏方仕事への眼差しだ。細かいショットを積み重ねて紹介されるのは、併設のレストランの調理場のスタッフから舞台裏の人々のためのアナウンス係まで実に様々。衣装を洗う、アイロン掛けするといった数えきれないほどの細かい仕事があり、それだけをこなす人がいて、なんとか回っているのである。奇抜なオペラ演出のために特別に投入した「あるもの」を世話する人も登場する(何であるかは見てのお楽しみ)。どんな職場でもある対個人レベルでの細かい気配りやフォローが公演を支えているのがよくわかる。スマートフォンがスタッフの仕事を増大させているのも興味深い。時代とともに内容に多少の変化はあってもなくなりはしない舞台裏の細かな雑用を、人対人の細やかなやりとりでこなし続けてきたからこそ、オペラ座は生きながらえてきたのだ。

立場が違い、職場が違い、歩む道が違う。直接顔を合わせることすらないかもしれない。しかし、巨大な劇場のあちこちで働く人々が最終的に目指しているのはただ一つ。舞台の幕を開け、高揚した観客を送り出すこと。このベクトルが「巨体」を動かし続けてきたのだと実感する。2017年9月に今シーズンの幕は開いた。オペラ座はまた一年を生きながらえる。


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2019年03月24日

『ロダン カミーユと永遠のアトリエ』

実在の人物を描いた劇映画は、大なり小なりヒーロー、ヒロインの映画になる。映画のおもしろさは、ヒーロー、ヒロインの側へ観客をひきこめるかにかかっている。だからこそ、映画の作り手は前へ進むヒーロー、ヒロインの傍らにいて、その人生のアップダウンに半ば巻き込まれてもいる。



芸術家として名を為した後のロダンの人生についての映画を作るにあたり、ドワイヨン監督は逆にヒーローであるロダンから距離を置いた―画家とイーゼルの向うがわにいるモデルのような位置関係に。

映画そのものはバイオピクチャーの王道から外れてはいない。写真で目にした数々の代表作が完成してゆくプロセスが見られるなど興味をそそるエピソードがたくさん盛り込まれ、歴史に名を残したあの人この人がちりばめられてもいる。しかし、ロダンの人生をよりおもしろく見せ観客を高揚させるような積極的なしかけはない。ロダンのことを世間がどう思っているかすらも伝え聞き程度にしか明かされない(ロダンの作品を見た当時の人々の生なリアクションはほぼ排除されている)。演出を支えるオーダーメイドの映画音楽も控えめだ。耳につくのは窓の外から漏れ聞こえる鳥の声や生活音。映画全体が、ある種の静謐さに包まれている。

そして、観客に自然の光の存在をおおいに意識させるような画面作りが随所に見られる。同時代の印象派の画家達がおもわず筆を取りたくなるような光線の濃淡の中で、ロダンの人生は展開してゆく。スクリーンのこちら側にいる者は、のめり込むどころかそれこそ「ロダンの一生」という絵本を眺めているかのような気にさせられる。

しかしこの距離感こそが、とっちらかったロダンの人生を語るのに必要だったといえる。40才過ぎまで世間から顧みられなかったことから生じたコンプレックスと屈折、彫刻家としてともに美しいものを目指す理想的な若い恋人カミーユ・クローデルにめろめろになる一方、苦しい日々を支えてくれた内妻ローズがもたらす平穏を捨てきれず、優柔不断で非力な立場につい甘んじてしまう。いい女達には手を出さずにおられないし、こんこんと湧き出るエネルギーに身をゆだね、ひたすら描いて作って―なんともぐちゃぐちゃ。が、ぐっと引いた視点から眺めると、「芸術家だからしかたがないか」と見ない事にしていた「裏」ロダンとも向き合える。ヴァンサン・ランドンが演じる権威を感じさせないロダンを見ていると、この人なりにせいいっぱいやってきたのだななどと思ってしまう。とても肯定できないけれど。

ウィキペディアに列記される類の大きな出来事とおなじぐらいの熱意をもってロダンの日常がていねいに描かれていることも、ロダンへの眼差しを変えてくれた。倉庫のような粗末な空間に粘土と石膏の大バケツ、作りかけの作品、手足のパーツがあちこちごろごろしているアトリエ。そこらへんで奇抜なポーズを取る、きれいなはだかの娘たち。華やかな場所とは縁遠い、汚れた仕事着姿。天才と呼ばれた芸術家も、私たちと変わらず何の飾り気もない日々を積み重ねている。遠いのだけれど、私とは違わない人がそこにいる。

静かなトーンの映画の中に強い色を持ち込んでいるのが、カミーユ・クローデルとの物語だ。『サンバ』で勝ち気なボランティア嬢を好演したイジア・イジュラン(元々はシンガーで兄はアルチュール・H、女優のキャリアは浅く本格的な映画出演はまだ数作目というからはびっくり)がスクリーンに登場させたクローデルは、伝説の麗しきアーティストではなく今のおっさんも惚れてしまうような活力と内面からの魅力に溢れた娘(こんな感じではななかったのかしらんと想像していた通りのクローデル像で、個人的に大いに納得)。ロダンが恋に落ちるのは当たり前―。

だから、彫刻家同士という特殊な立場ではあるものの、今も世のあちこちにいるだろう、同じ理想を目指して歩む惚れた同士の男と女としてロダンとクローデルは描かれている。甘いささやきから身を切るような言葉の応酬まで、二人の間の愛憎は実在の有名人という断り書きをはずしてもLoversの物語として見応えがある。

この映画の中で最も密度の濃い瞬間も、二人の物語の中にある。ピュアな蜜月から少しづつ醒めてゆく前のロダンとクローデルが、クローデルの新しい作品、男女の踊る姿をモチーフにした「ワルツ」を前にしてぎこちなく踊る。踊れないくせにとからかわれつつも手を取り腰を抱くロダンと、相手に身を委ねおぼつかなくメロディを口ずさむクローデル。数分もない短い場面だが、あからさまな「愛する二人」のショットをどんなに重ねても作り得ない、言葉にできない万感の想いが凝縮されている。こういう瞬間に会えるからこそ、映画はやめられない。

細部の美しさにもふれておきたい。室内の調度やろうそくの灯り、風になびくカーテン、といった何気ないものにも目がいく作りになっている。時代物映画にありがちな、今とは違う世界だったのねと認識させるだけの時代風俗のリアルな再現とは趣向を異にする。ロダンの生きた時代に今の観客を自然に溶け込ませる配慮のようにも感じる。

映画は最後の最後に観客を思わぬ所へ連れて行く。びっくりされる方も多いかと思う。そしてこうも思われるかもしれない。これまで劇場の暗闇でひとときをともにした、100年前にこの世を去った男と私とはつながっているのだと。

映画館に行く前に、ちらりとウィキペディアなぞ眺めておかれることをおすすめします。よりすんなり映画が入ってきて、深く楽しめるかと。


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2019年03月20日

『ルージュの手紙』カトリーヌ・ドヌーヴ&フロ主演

原題の Sage femme は「助産婦」の意味だが、邦題は『ルージュの手紙』である。ダブル・カトリーヌ主演なのに「助産婦」なんてあまりに地味なタイトルだからだろうか。確かに「ルージュの手紙」が登場するのだが、ユーミンの「ルージュの伝言」に似せて潜在意識に訴えようという作戦なのだろうか。



カトリーヌ・フロが演じる助産婦のクレールは49歳という設定だ。自分と同じ世代なので、とても身につまされる話でもある。アラフィフと言えば、これまでの人生を振り返り、人生の決算にとりかかりつつ、まだしばらくのあいだ残された人生を、しかしいつ中断されてもおかしくない人生を見つめざるをえない時期である。

助産婦のクレールは、確実に経験と実績を積み上げてきた。それが自分の仕事に対する自信と誇りにもなっている。20年以上も前に取り上げた赤ん坊が大きくなり、自分の出産のときに再び同じ病院に来るエピソードがある。あなたは命の恩人だと感謝されるが、それは母親が危険な状態になったとき、血液型が一致したクレールが自分の血液を提供したからだ。クレールには息子もひとりいて、やがて孫が生まれる。使命感を持って仕事をして、愚直に生きた。悪くない人生だ。しかしひとつだけ心にひっかかっていることがあった。その当人、継母のベアトリスが突然彼女の前に現れる。

再会したベアトリスは自由奔放に生きてきたツケを払っている。ベアトリスはカトリーヌ・ドヌーヴが演じているのだが、あまりにエレガントで重病人には見えない。役柄においても自分のスタイルを決して崩さないドヌーヴならではの演技は、醜態をさらすくらいなら死を選ぶんだろうなと自然に思わせる。クレールが「キスだけで人を幸せにできる」とその点については評価するように、ベアトリスの華やかな魅力は天性のもので、地道な努力によって人生を積み上げてきたクレールとは対照的だ。しかしクレールはベアトリスに少しづつ影響され、人生を楽しむことを学ぼうとする。

この映画が時代を反映しているとすれば、新しい生命の誕生を通して、経験と先端技術を対比させているところだろうか。クレールは最終的に「赤ん坊工場」で働くことではなく、自分が蓄積した経験を伝えることを選ぶ。映画で「赤ん坊工場」と揶揄される新しい病院のマネージャーは、「ここでは sage femme という言葉は使わず、新しく maïeuticienne (助産師の女性形)という言葉を使う」と宣言している。つまり経験に基づく昔ながらの「助産婦」と、最先端のテクノロジーによって高度に管理された医療システㇺで働く「助産師」が対比されている。前者の経験を支えるのが助産婦たちの手だ。

私自身、助産所で子供の出産に立ち会い、自分の手でへその緒を切った経験があるが、陣痛の波がやってくるたび、どこからともなく伸びてくる千手観音のような助産婦さんたちの手が印象的だった。出産の苦痛と孤独を癒すのは機械ではなく、「手厚い」ケアなのだ。かつての助産婦さんたちが介在する出産は、男尊女卑の伝統がベースにあり、女性によって囲い込まれたものだったが、近年は、カップルの関係性と選択において男が出産に関わるようになっている。クレールも出産に立ち会う際には積極的に男に出産に関わらせている。さらに外科医を目指して医学部に在籍しているクレールのひとり息子、シモンは助産師になりたいとさえ言い出す。クレールは女の仕事だと反対はするものの、シモンの意志は固い。こうやって医療側の意識も環境も変わっていくのだ。

時代の反映と言えば、複合家族的な関係もそうだ。クレールとベアトリスは、1970年代にオリンピックの水泳選手だったクレールの父親(=ベアトリスの夫)に生き写しのシモンを通して、共有する男の記憶を鮮明に蘇らせる。ベアトリスはシモンと別れるとき、死んだ夫を思い出すように彼の唇にキスをする。血がつながっていないからこそ、ある種人工的で倒錯的な絆を作る必要があるのだ。さらに彼らの関係を「水」が媒介する。それはパリを横切り、蛇行しながらクレールの住む郊外のイヴリーヌ県を巡るセーヌ川だ。水泳選手の祖父から水との親和性を受け継いだシモンがセーヌ川で泳ぐ姿を遠景で撮ったシーンが印象的だ。1923年に遊泳禁止になったセーヌ川も今や水質が改善し、泳げるようになっている。まさに2024年開催のパリ五輪ではセーヌ川で水泳競技が行われる予定だ。失踪したベアトリスは、シモンと水の中で出会えたのだろうか。


cyberbloom


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2019年03月16日

『ブレードランナー2049』ードゥニ・ヴィルヌーヴは電気羊の夢を見たか?

近年、映画業界ではフランス系カナダ人が熱い。その筆頭とも言うべきドゥニ・ヴィルヌーヴが、SF映画の金字塔として名高い『ブレードランナー』の続編を監督するというニュースが流れたとき、いかに今を時めくヴィルヌーヴとはいえ、そんなことが可能なのかと誰もが思ったに違いない。 だが、『ブレードランナー2049』は大方の予想を裏切り、一定程度の水準を維持したとは言えよう。



1982年にリドリー・スコットが監督した『ブレードランナー』の原作はフィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(朝倉久志訳、ハヤカワ文庫、1977年)。ディックの原作はSFの設定を借りたセリ・ノワール(探偵小説)であり、彼の多くの作品がそうであるように、すべての展開が迅速に進む為、読者が深い感情を寄せるような暇もないまま終わってしまう淡々とした小説だった。その「軽快なノワール」の部分に大幅に加味された叙情性(リックとレイチェルの恋)、そして、シド・ミードの美術とヴァンゲリスの音楽が相俟って、何度観ても魅力の尽きぬ傑作が完成する(この作品に関しては、加藤幹朗『「ブレードランナー」論序説 映画学特別講義』筑摩書房、2004年の詳細な解説が役に立つ)。

2019年を舞台にした前作に対し、今回はその30年後の2049年が舞台。作品そのものは35年後の映画化となる。リックを演じたハリソン・フォードは前作では40歳だったが、本作では75歳。まず、ハリソンが出ているだけで前作ファンが泣いてしまうのは当然かもしれない(それにしても、1970年代でも2010年代でも現役バリバリのハリソン・フォードとは、一体何という俳優なのだ!)。しかし、彼が現れるのは後半の1時間ほどであり、そこには確かに前作との繫がりを窺わせる興味深いシーンが多々あるのだが、メインとなるのはむしろ今回の主人公Kが活躍する前半部分であろう。

主人公のK(ライアン・ゴスリング)がブレードランナーであり、彼がネクサス型のレプリカントを始末するという設定は前作と同様だが、何よりも違うのは彼自身もレプリカントであるということだ。観客は「レプリカントがレプリカントを倒す」、つまりは「ロボット同士の戦い」を見るということになる為、そこに感情移入するのはどうしても難しい。さらにまた、Kと相思相愛の関係にある恋人ジョイ(アナ・デ・アルマス)はホログラムの「商品」であり、実体としては存在していない。主要登場人物がこのように実体を欠いた存在であるという設定は珍しく、その意味では「希薄」な作品である。

しかし、この「希薄」さが今回の『ブレードランナー2049』の特徴であろう。ここには前作のようなリックとレイチェルの情熱的な愛もなければ、名優ルトガー・ハウアーが圧倒的な強度で演じ切った「レプリカントの最後」のような強烈な場面は全くない。前作が闇の中で蠢く未来の人類・非人類の「生命力」を沸々と感じさせる作品だとしたら、今作ではそのような「ややこしいもの」はきれいさっぱり洗い流されているように見える。

ヴィルヌーヴ自身は「前作が「黒のブレードランナー」だとしたら、これは「白のブレードランナー」だ」と語っていたが、それは単に色彩の点のみならず、映画の本質的な部分に関わる発言だと言って良いだろう。つまり、様々な部分が多くの意味作用を生み出し、多層化・重層化された作品であったの前作に対し、今作は「レプリカントの謎(物語中では「奇跡」と呼ばれる)」の解明に一直線に進んでいくため、極めてシンプルな構造になっている。

その為、ハリソン・フォードが登場して「謎」が一気に解決する後半部分は、物語のテンポは良く、映画としては確かに楽しめるかもしれないが、あの『ブレードランナー』の続編としてはいささか楽観的過ぎる展開だったかもしれない。レイチェル(ショーン・ヤング)の登場には前作のファンならば間違いなく狂喜してしまうけれども、ややサーヴィス過剰と言えなくもない。

しかし、最大の驚きは、にもかかわらず、163分というこの映画の上映時間が、全く長く感じられなかったことだった。それは、ヴィルヌーヴがこの『ブレードランナー2049』という作品の世界を完全に統御し、自家薬籠中のものにした結果、すべての出来事をごく「自然なもの」として提示していたからではないだろうか。「驚くべき世界」であるにも拘らず「当たり前の世界」のように2049年の未来を作り上げてみせたヴィルヌーヴには、やはり一定の評価をしてみて良いと思う。凡人にはこれは出来ない。

そもそも『ブレードランナー』のような傑作の続編を作ること自体が無理な話なのだ。そのようなどう考えても不利な状況で、一定の整合性を構築し、前作が持っていた雰囲気を壊すことなく、映画としての「味」を確かに感じさせる作品を生み出したことは、むしろ驚嘆すべきことかもしれない。大傑作ではないが、興味深い作品であるとは言えると思う。


不知火検校




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2019年03月15日

ティエリー・フレモー 『リュミエール!』

映画が誕生してすでに120年。映画技術はますます発達する一方、上映技術も3D、4D、IMAXなどますます多種多様化している。そのような中、始原の映画の姿を映し出す一本の映画が公開されている。『リュミエール!』と題されたその作品は、「映画の父」とも呼んでも良いリュミエール兄弟が発明したシネマトグラフで撮影された作品108本で構成されている。



我々はリュミエール兄弟によって作られた作品をほぼ無意識的に見て来たと言って良い。『工場の出口』や『ラ・シオタ駅への列車の到着』などについては映画史を語るドキュメンタリーではほぼ間違いなく紹介されるし、『水をかけられた散水夫』などは何度そのパロディーを見せられたかというぐらいであろう(有名なところでは、若きトリュフォーが長篇デビュー前に撮った短篇『あこがれ』の中で、その忠実な再現シーンが映画に対するオマージュであるかのように現れる)。

だが、これだけの作品を一挙に見られる機会は、筆者の知る限り、近年では聞いたことはない。20年、30年以上前ならば、無声映画の上映会などはかなり頻繁に都内でも開かれていたけれども、最近では国立近代美術館フィルムセンターの特集上映にでも行かない限り、このような作品を見ることはほぼ不可能であろう。その意味では、『リュミエール!』を見ることは、映画史の重要な部分を知る貴重な機会であることは間違いない。映画ファンにとっては垂涎の企画と言って良いだろう。

非常に驚いたのは、リュミエールとそのカメラマンたちが撮った作品の撮影場所が、フランスのみならず世界各地であったことだ。近隣のイギリスはもちろんのこと、トルコやエジプト、日本までがこの初期映画の舞台になっているという事実に、今回、この映画を見ることで初めて気づかされた。これらの映像を見た当時の人たちの驚きは相当なものだったのではないか。映画というものを見ること自体が初めての人たちが、自分が行ったこともなく、写真ですら見たこともないような国の人々の姿を動く映像で見せられるのであるから。

1400本以上はあるという作品の中から選ばれた108本だけあって、どれも興味深いものばかりだ。もちろん、撮影技術などないに等しい時代の作品だから、クロースアップもなければ、パンフォーカスもない。ほとんどの作品が固定カメラで遠方にいる人物を写し出すという映像であるから、映像そのものに興奮させられるということはなかなか難しいだろう。しかし、そのような画面にわずかにトラヴェリングらしきものが現れるとき、映像が一挙に映画的な色彩を帯びる瞬間を我々はまさしく感じることになる。

つまり、ここに集められた映像は、まさに産まれたばかりの映画が最初の一歩を踏み出そうとしている瞬間なのだ(それは、この映画の中で映し出された幼い子供たちのよちよち歩きの映像と瓜二つのように思える)。映画はまだ自分が何者なのかを知らない。自分がまだどこへ向かっているのかもしれない。ただ、自分の可能性だけを探し求めようとしながら、フィルムが回っているだけなのだ。映画のその後の歩みを知る者には、この萌芽状態の初々しさは眩しく感じられてならない。

そして、驚くべきことは、ここにはその後の映画を予見させるものが詰まっているように感じられる点だ。それは、キートンやチャップリンのドタバタ喜劇の先駆けというだけではない。ロッセリーニの荒々しい映像も、ブレッソンの静謐な映像も、ゴダールの過激な映像もあり、また、ムルナウやウェルズの暗闇のみならず、溝口健二やタルコフスキーの光までもがその片鱗のようなものを覗かせているのだ。「始まりには全てがある」というが、まさにリュミエールの作品には映画のあらゆる要素の原石が含まれているということを見るものは感じるだろう。

派手な映画に飽き飽きしている人は、『リュミエール!』を見て、映画の過去と現在、そして未来に思いを馳せてみてはいかがだろうか。



不知火検校


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2018年11月16日

エルヴェ・ギベール『ぼくの命を救ってくれなかった友へ』(1992)

今回課題本となった『ぼくの命を救ってくれなかった友へ』の翻訳原本は、1990年に発表されたエルヴェ・ギベールの自伝的作品 A l’ami qui ne m’a pas sauvé la vie である。自らのエイズ患者としての体験、自分にエイズの最新の治療法を受けさせてやると約束していたのにそれを反故にした「友人」ビルの裏切り、やはり「友人」であったミシェル・フーコーのエイズによる死、イザベル・アジャーニの気まぐれな心変わりによって頓挫した映画の企画話などが主に語られている。これらのスキャンダル的要素と自らの病気の進行を詳細に書き記したドキュメンタリー的価値によって、本書は世界各国の言語に翻訳され一躍ギベールの名は知られるようになった。



エイズという言葉を初めて耳にしたのは、石橋楽器のポスターで日本でも有名になった宇宙人のような風貌のクラウス・ノミが、1983年に「エイズで真っ先に亡くなった有名人」として亡くなった時であったと記憶している。そして次の年1984年にミシェル・フーコーが亡くなった時も表立ってそうとは言われなかったがエイズによる死と囁かれていた。しかし1986年に公開された『汚れた血』で「愛の無いセックスで感染する病」という明らかにエイズに触発されたモチーフが描かれ、そしてそのモチーフに若かった私がロマンティシズムを感じていたことを鑑みるに、「エイズ」という言葉にはまだ物語が介在する余地があったのだと思う。

さて『ぼくの命を救ってくれなかった友へ』では、映画製作を巡ってのアジャーニとのいざこざが大きく扱われている。若い頃よりギベールは映画監督になるという志望を一貫して持ち続けていたそうなので、アジャーニの裏切りは許し難いものであったのであろう。彼はすでにジャーナリストとして映画・写真に関する記事を書き、同時に写真家としても活動しており、ミニュイ社、ガリマール社を中心にコンスタントに文学作品を発表し続けてもいたが、本格的に彼が注目されたのはやはりこの作品によるところが大きい。その証拠に『ぼくの命を救ってくれなかった友へ』の出版後、1990年3月に彼はベルナール・ピボが司会を務め、認められた作家だけが出演することのできる書評番組『アポストロフ』に出演することになるのだから*。

https://youtu.be/en9OWEvf_Cw

ギベールの作品はもともとどれも自伝的要素が強いようだが、この番組の中で彼が強調していたのは、『ぼくの命を救ってくれなかった友へ』はエイズをテーマとした文学作品であるということである。フーコーが自分の死因について秘密にしていたにも関わらずそれを暴露したことを非難されていることに関しても、フーコーの死と苦しみは誰のものでもなく、自分は多くのエイズによる死の証人であり、「いまや、ぼくたちが友情のほかに共通の死の運命によって結ばれている」のだから、結局は自分自身の死がモチーフなのだと語っている。彼にとって体験は「フィクションを生みだすためのベース」であって、「書くという行為は悪魔祓いの試みと祈り」であり(*)、「書いてあることは全て真実であるが、同時に入念に構築されたロマン(小説)」なのである。

*スーザン・ソンタグは『エイズとその隠喩』の中で「病人にとって、書くこととは、想像力をかきたてることではなく、鎮めることだ」と述べている。

また彼は番組内で、この作品が自分を裏切った友人を「象徴的に」殺す道具なのだとも言っている。「針をもっていって、ビルが席を立ったすきに、傷つけた指を赤ワインのグラスのうえでぎゅっとしぼって」やればよかったのに、と友人のジュールに言わせている場面について、ガリマール社の校正係のマダムが、「ギベールさん、意地悪かもしれませんが、私だったらやってましたよ」と言っていたと、笑いながら語っているギベールを見ていると、彼がエイズで番組出演後、91年末に亡くなるのだという事実が不思議に思えてくる。

時間がない差し迫った状況の中での、かつて愛した、そして今も愛する友人たちとの「愛」の物語。少なくともエイズという病がそうした関係性を描かせたことは確かである。自分の「仲間」がエイズで次々と亡くなっていき、そして自分もまたこの病に侵されていく中で、助かるかもしれないという希望と絶望の間を描き出したこと、初めてエイズを文学的題材にしたという意義は大きい。ギベールは、次作『哀れみの処方箋』において、書くことを通じて、衰弱し朽ち果てていく肉体に美を見出していく。

ところで今回の読書会で、是枝裕和が映画監督デビューする前年の1994年に、平田豊さんというエイズ患者のドキュメンタリー『彼のいない八月が』を撮っていたことをExquiseさんに教えてもらった。作品の終わりの方で、病状が悪化し、目が見えなくなり、寝たきりで酸素吸入を受けながら、支援者の人に平田さんは言う。「もう来なくていい、もう来なくていいよ、恐ろしいから」「二日前にね、前の人がなくなったの、そいでその声が夜中に聞こえるの、その亡くなるまでの・・・怖かった・・・それでね、とても怖かった、全部聞こえるの・・・」「・・・あそこまでね、苦しまないで人が死ねないのか」

『彼のいない八月が』も、エイズという特殊性を離れて、すべての人の死という普遍性を獲得しているのだが、ただ『ぼくの命を救ってくれなかった友へ』と異なり、映像はあまりに生々しすぎて、もはや物語を介在させる余地を奪ってしまうのではないだろうか。

ギベールは自らの肉体が衰えていく様を映像化(*)しているのだが、私たちはここから何を読み取るのだろう?

*例えば、『慎み、あるいは慎みのなさ』La Pudeur ou l’Impudeur (1991)




noisette


posted by cyberbloom at 00:05 | パリ 🌁 | Comment(0) | 書評−フランス小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2018年06月16日

異色の伝記映画『ザ・ダンサー』

伝記映画をつい見てしまうのはどうしてだろう。絵になる逸話がつまっている、取り上げられた人物がすこぶる魅力的、等あるけれど、知識のレベルで知っている栄光、栄華が追体験できるからかもしれない。

ただヒーロー、ヒロインが歌舞音曲の世界の人であると、栄光を可視化するのはなかなか難しい。スポーツ選手なら記録を達成する過程や、伝説の試合の再現でその人に対する世間の熱狂を無理なく説明することができる。しかし歌や踊りのすばらしさや衝撃は、観客のリアクションを描くことでしか表現できない。だから見ていてもやもやした気分に陥ることも少なくなかったりする。なぜそのパフォーマンスにそんなにまで感激するのか、自分の五感では納得できなかったからだ。



そんな高いハードルに挑む伝記映画が登場した。取り上げたのは19世紀末のパリでユニークなサーベンタイン・ダンスを披露し一世を風靡したアメリカ人女性、ロイ・フラー。残されたモノクロの映像や写真からはその凄さがわからない有名人でもある。個人的にはロートレックの絵でその名に馴染みはあるものの、彼が好んで描いた踊り子達と違って、彼女の何が絵描きのアンリさんの筆を取らせたのか謎だった。存在したのは明らかなのだがそれがどんなものかわからない、ジグソーパズルから欠け落ちたピースの穴のような存在。

この映画の作り手は、思い切った手に打って出た。興味深い枝葉(舞台照明に関係する化学薬品系発明を行ったりキュリー夫妻とも交流したリケ女の一面、ルーマニア王室との親密な交際など)はばっさり落とし、花形文化人との華麗な交遊もカット。一点だけに焦点を絞った。まずダンス・パフォーマンスありき。ヒロイン像は踊ることを巡るストーリーでのみ描けばよい。結果として、浮かび上がったのが己が信じる美に奉じるストイックで不器用な「アート女子」としてのロイ・フラーだ。

女優を夢見る山出しで変わり者のヤンキー・ガールは、舞台での失敗をヒントに誰も思いつかなかった「ダンス」を創作し、彼女の美をわかってくれる場を求めて盗んだ金で大西洋を渡る。このとき25才。パリの興行主の目から見ればとうが経ちすぎた新人芸人。しかもその出し物はこれをダンスと呼べるのかという代物だ。

真っ白なシーツから顔を出したような衣装に身を包み、腕に仕込んだ竹の棒で袖がずりおちないようしっかり固定し、色を変えてゆく投光器の光を全身に浴びながら音楽にあわせて旋回する。上下左右斜めと両腕を振り回し長い袖の長いドレープをはためかせ、ひたすらぐるぐるぐるぐる。踊りというより体操のようだ。尻込む回りをよそに、ロイは寝食を忘れ初演を目指しひたすら手直しにいそしむ。衣装の色を微妙に染め直し、体の動きを試行錯誤し、練習に励む。全ては、舞台の上で最高の効果を上げるため。私の思い描いた美しいヴィジョンを観客の前に現すため―。この成功一歩手前の場面が全篇の中で特にわくわくさせられるところだ。初舞台を終え、暑さと体力の消耗で衣装の襞に埋まるように倒れ込むロイの横顔は美しい。

名声と金を手にし、したいことができる身となったロイは、望みを次々かなえてゆく。稽古場を手に入れ、後のモダンダンスに通じるような自由な動きで舞う女性舞踊団を設立、彼女の考える美を共に探求する仲間を育てようとする。孤独に生きてきた彼女がとうとう手に入れた「私の居場所」だった。しかし、成功は激しい消耗と肉体の酷使が続くことを意味した。ステージをこなす度に腕も腰も、熱と強烈な光に曝される目も痛めつけられる。痛みをごまかすために氷の塊を抱き、黒眼鏡で過ごす生活を余儀なくされ、美の殿堂オペラ座からオファーが来たときには体の悲鳴は押し殺すことができないほど大きくなっていた。

そして満足に踊れなくなったロイと入れ替わるように、洗練された容姿とギミックなしのナチュラルなダンスを売り物にする踊る若いアメリカ人が登場し、世間の関心は新しいスターへ移って行く。その人、イサドラ・ダンカンは、ロイの庇護を受けていたダンサーだった。新しいスターを見守るかわいそうなヒロイン―伝記映画ではよくあるパターンはここでも描かれている。

が、それだけでおわらせないのがこの映画。最大の見せ場はなんといっても完全に再現されたロイ・フラーの舞台だ。闇の中から様々な色の光を浴びて浮かび上がる彼女の舞は、息を飲むほどに美しい。ゆらめくドレープの波はまさに変幻自在、CGの派手な人工ファンタジーに食傷した目もこれにはびっくり。当時の人が賞賛した通り、まさに「夢の花」なんである。100年以上前の観客と同じ興奮をわかちあい、本気でロイ・フラーに拍手すことができるなんて!まさに、映画ならではのモーメント。この数分間にだけでも大人一枚のお金を払う価値あり。

今回の再現が実現できたのは、ロイ・フラーがこの夢のひとときのからくりの一部を明確な文章にし、特許を取っていたからだ。裸足の舞姫イサドラ・ダンカンの踊りがモノクロの写真やフィルムでしか拝むことができず、何が人々を熱狂させたのかおぼつかないのと対称的だ。自分一代だけのものとして仕舞い込まず、後の世の人とも美の体験を分かち合おうとしたロイ・フラーのユニークさに敬服する。

全体にヨーロッパ調耽美趣味に流れ過ぎ、わけがわからなくなってしまうのがこの映画の泣き所。タフなダンス・パフォーマンスも込みで揺れ動くロイ・フラーを骨太に演じきったソーコ(綴りはSoko、本名ステファニー・ソコリンスキ。シンガーが本業)の存在なしには成立しえなかったのではないか。ギャスパー・ウリエル演じる没落貴族のねっちょりとした存在感も好き嫌いがわかれるところ。イサドラ・ダンカンを演じたリリー・ローズ・デップはご愛嬌という感じだ。

意外な拾い物は、駆け出しのころからロイを支えた女性、ガブリエルを演じたメラニー・ティエリー。演技もさることながら、当時の男前な女性の魅力を物腰やしぐさのレベルでも見せてくれる(煙草のくわえ方なぞかっこいい)。長いスカートとコルセットの時代の働く女の衣装を颯爽と着こなし、ファッションに関心のある向きも満足されるのでは。久しぶりにフランス女性の繊細な美しさを堪能した。

トレイラーはこちらで見れます。
https://youtu.be/D2Io9hEl7TA




GOYAAKOD


posted by cyberbloom at 01:04 | パリ | Comment(0) | 日本と世界の映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする