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フランス人とアメリカ人の恋愛観の違いについて、フランス人は恋人と別れたあとも友人として関係を継続するけれど、アメリカ人は別れたらそれで終わりになる、とよく言われる。アメリカ人の男女関係は基本的に They lived happily ever after (ふたりは末永く幸せに暮らしましたとさ)で、もし別れてしまったらそこでリセットされる。彼らにとっては形が大事なのだ。アメリカ人男性とフランス人女性のカップルの物語、『パリ 恋人たちの二日間』(ジュリー・デルピー監督)でも、この違いがコミカルに描かれていた。ちなみに、「ふたりは末永く幸せに暮らしましたとさ」はフランス語で Ils vécurent heureux pour toujours. (vécurent は vivre の単純過去形)
『スパニッシュ・アパートメント』(青春3部作の1作目)で別れたフランス人のカップルが、『ロシアン・ドールズ』(2作目)では良き相談相手になり、『ニューヨークの巴里夫』(3作目)では最後にはお互いの子供を連れて合流という話になる。今のフランスでは、そうやってできた「複合家族 famille recomposée 」が当たり前になってきている。あるフランスの社会学者が「家族を作るのは結婚ではなく、子供になりつつある」と言っているが、子供ができると、子供を中心に生活を組み立てざるを得ない。そして子供の方も両親のあいだを行き来して生活することになる。2006年の時点で、フランスでは120万人の子供が複合家族のもとで暮らしているようだ。
大晦日、友達の家で開かれたパーティで飲んで踊って昏倒したカミーユは、病院のベットで目を覚ます。新しい年はもう来たらしい。様子を見に来たナースが真顔でとんでもないことを言う。「ご両親が迎えにくる」って、どういうこと!!そして15才の頃の New Year’s Day にタイムスリップしてしまったことに気がつくのだ。
80年代の学生生活が映画の大半を占めるだけあって、部屋の壁に貼られた切り抜きから流れる音楽までそのころのアイテムが満載だが、特に印象に残ったのが当時世界中でヒットした、Katrina & The Waves の “Walking on Sunshine”。恋に夢中なキラキラした女の子の気持をストレートに歌ったアッパーなポップ・ソング。21世紀の大晦日では元気なあの頃を思い出させ、オバ達を踊り狂わせる懐かしのダンスチューンとしてパーティでかかっていた。タイムスリップ先では、今のアタシ達の気分を代弁してくれる、流行の曲として流れていた。
映画の終盤、New Year’s Day の朝に友人の家を出たカミーユを捉えた映像が挟み込まれる。降り注ぐ朝の光を浴びて誰もいない雪の積もった街路をひとりゆく彼女の後ろ姿を見ていると、この曲が頭の中で流れてしようがなかった。何もいいことなんかないんだけれど、「ね、いい気分じゃない!」と自分を奮い立たせ口角上げて前を向ける大人の底力を感じたのかもしれない。
年を重ねるにつれ、惰性としがらみとなあなあの中で身動き取れなくなっている自分に気付かされる。少々のことと目をつぶって腰が上がらない情けなさを噛みしめる身だからこそ、自分に真摯に向き合い自分を大事にすることを最優先にして新たな人生を歩み出したマルグリットに、敬意を表したい。ジミー・クリフの歌ではありませんが、this little girl is moving on! なのだ。
≪ Le bébé est mort. Il a suffi de quelques secondes. ≫「赤ん坊は死んだ。ほんの数秒で事足りた」で始まるレイラ・スリマニの第二作目は、性依存症に続き嬰児殺しのテーマを扱う。2016年ゴンクール賞を受賞。その年に独創的な散文作品を書いた新進気鋭の作家に贈られるこの文学賞は、1903年の創設以来すでに100人以上の受賞者がいるわけだが、彼女はシモーヌ・ド・ボーヴォワール、マルグリット・デュラスなどに続き12番目の女性受賞者となる。彼女がある講演会で「男ばっかりね」とコメントしたのも宜なるかな。
昨年彼女は男女平等も優先課題に掲げるフランコフォニー担当大統領個人代表に任命されているが、ハーヴェイ・ワインスタイン事件からの一連の出来事の中で改めて彼女の名前を知った人も多いのではなかろうか。アラン・ロブ=グリエの未亡人カトリーヌ・ロブ=グリエ、世界的大女優カトリーヌ・ドヌーヴを始めとする100人の女性たちが賛同署名したル・モンド紙の寄稿記事『私たちは性の自由に不可欠な ≪ importuner ≫「女性にしつこく言い寄る」の自由を擁護する』(2018年1月9日付)に対し、レイラ・スリマニは、≪ importuner ≫ と同じ音の ≪ un porc, tu nais ? ≫「あなたは豚に生まれるの?」というタイトルの記事を1月12日のリベラシオン紙に投稿し「私は ≪ importuner ≫ されない権利を求める」と主張した。
作品に戻ろう。簡潔でテンポの良い文章は、あまりにも有名な ≪ Aujourd’hui, maman est morte. Ou peut-être hier, je ne sais pas. ≫「きょう、ママンが死んだ。もしかすると、昨日かもしれないが、私にはわからない」という文章で始まる『異邦人』を想起させる。またニューヨークで働くプエルトリコ人のベビーシッターが長年世話をしていた子供たちを惨殺したという、2012年に起きた事件の三面記事からインスピレーションを受けたという点では、『ボヴァリー夫人』との類似性が指摘されている。
しかしそれらの作品と異なるのは、事件のすべての「結末」が最初に書かれてしまっていることだ。そもそもヌヌの日常はルーチンな作業(子供の世話や家事)の繰り返しなので、時系列で書いても平凡なストーリーになってしまう。スリマニは、嬰児殺しの犯人であるルイーズがなぜこのような凶行に及んだかを読者が解き明かすべく、淡々と ≪ indices ≫「手がかり」を提示していく。書き手の現在の内面意識が語られる『異邦人』とは異なり、ルイーズの感情的内面が語られることはほぼ、ない。少なくとも彼女に関しては、雇用主とのボタンのかけ違いのような誤解の積み重なり、経済的困窮、そして何よりも周囲の人間の彼女に対する無関心によって、彼女が精神的に徐々に追い詰められていく過程だけが解剖学のような冷徹な筆致で語られていく。
映画『パリ、ジュテーム』の ≪ loin du 16e ≫「16区から遠く離れて」では、まだ夜も明けぬうちから生まれて間もない自分の子供を、ベビーベッドがひしめく託児所に預け、住んでいるパリ郊外の団地から電車とバスを乗り継いで通う16区のブルジョワ家庭で、本来自分の子供に注ぐはずだった愛情をお金に換えて、≪ chanson douce ≫「優しい子守唄」を歌う移民女性の姿が描かれていた。
この書店の母体は、帝政ロシアに対する11月蜂起(1830年)に失敗した亡命知識人が、1833年に創立したポーランド文芸協会である。フレデリック・ショパンは、同協会の初代運営委員だった。書店の方は、当初はヴォルテール河畔に店を構え、ショパンはよく立ち寄っては、ミツキェヴィッチなど、同郷の文学者と議論したという。1925年に、書店は現在の住所に移転。ここでかつて入手した『プルースト、堕落に抗してProust contre la déchéance』という本を、今回紹介したい。
『プルースト、堕落に抗して』は、獄中のメモと記憶をもとに、1943年にフランス語でタイプ原稿が作られ、1948年にポーランド語訳が『クルトゥーラ』に発表された。僕が入手したフランス語版は、1987年にNoir sur blanc社から刊行された。この出版社は、ポーランド語やロシア語の書籍のフランス語訳と、各国語の書籍のポーランド語訳の両方を刊行しており、パリのポーランド書店も拠点の一つである。本書はその後、文庫版も刊行されている。
■定年退職前の厳しくも優しいロペス先生のもとで、勉強したり遊んだりする13人の子供たちの姿を追った、心温まるドキュメンタリー映画。Etre et Avoir―タイトルにもなっているこの二つの動詞から見ても、フランス人にとってのフランス語の始まりも、日本人がフランス語を始めるときと全く同じなんだな、と分かります。フランス語をやっている人なら、まるで自分も小学生になったような気分になり、子供たちと一緒に「うぃぃ〜!」「ぼんじゅ〜る、むっしゅ〜」と言ってしまいそう。