2013年05月30日

ルーブル美術館ランス分館オープン−大美術館と炭鉱の町のマリアージュ

12が3つ並んだ2012年12月12日、ルーブル美術館ランス分館 Le Louvre-Lens がオープンした。3週間で10万人が来場し、上々の滑り出しとなった。美術館の地方分権の先輩であるポンピドゥーセンター・メッス分館はすでに開館から2年が経ち、年間150万人が訪れる地方分館の最も成功した例になっている。ルーブル美術館はアラブ首長国連邦のアブダビにも新たな別館の建設を進めている(工事は予定より遅れているようだ)。フランスは中央主権国家であり、フランス革命以来、地方の経済的、文化的な衰退が著しかった。アヤゴン元文化相・ヴェルサイユ宮殿前館長は「文化の脱-中央集権化」の柱のひとつとしてルーブルの分館計画を位置づけている。

http://www.louvrelens.fr/

ルーブル美術館が分館を開いたのはフランス北部の都市ランス Lens。シャンパーニュ地方の中心都市 Reims ではない(カタカナ表記では同じになる)。ランスは炭鉱の町として知られていたが、90年に最後の炭鉱が閉じてからは売りになるような産業もなく、町は慢性的な高失業状態にあった。それだけに、2004年11月にルーブル美術館の分館の誘致が決まると市民は熱狂状態になったという。それ以降、この町の観光と雇用を発展させる重要なターニングポイントにあたって、地方議員、住民、商店主や企業が一体となってランス分館を盛り立てている。

有名美術館も今や国際競争にさらされ、また緊縮財政下で補助金も削減され、財政的にも厳しい状態に置かれている。独自のアイデアで財源を確保しなければならい時代になったのだ。実際、オランド新政権は文化予算の漸次的な削減を打ち出し、いくつかの文化事業が廃止・凍結された。大統領もまた「文化は国が補助するのではなく、経済的に魅力的な投資分野であり、雇用を生み、フランスに競争力があると思わせる分野だ」と発言し、悪名高いフランスの文化補助金への依存からの脱皮を促している。分館の誘致には美術館側の利点も大きい。分館の敷地や建物は経済効果を当てにする地方自治体が用意してくれるからだ。

ランス分館もまたランスのあるパ・ド・カレ県 Pas-de-Calais と緊密な関係を持ち、県は工事費の10%と美術館の運営予算の10%を負担している。2012年の時点で県はすでに130万ユーロを出資しているが、それはランス分館がもたらす経済効果に賭けているからだ。年50万人と見込まれる入場者には大々的にパ・ド・カレ観光をプロモートする。

しかしランスは単なる地方都市というわけではなく、実はイギリスとベルギーとオランダの旅行者の避けては通れない交通の要に位置する。車でパリから2時間、ベルギーのブリュッセルから1時間半、イギリスからの玄関口であるカレーからは1時間。リールで乗り換えれば、3つの国の各都市を結ぶユーロスターやタリスも活用できる。

開館を祝して、パリのルーブル美術館から有名な作品が1年間の期限付きで貸し出されている。その中にはパリの本館の顔のひとつとも言える有名なドラクロワの『民衆を導く自由の女神』が含まれる。またレオナルド・ダ・ヴィンチの『聖アンナと聖母子』が3か月限定で貸し出されるが、それはパリのルーブル美術館に所蔵されて2世紀のあいだパリを離れたことがなかった。

ランス分館はユネスコの世界遺産に指定され、かつて栄えた産業の象徴でもあった「鉱業盆地」 Bassin minier の真ん中に位置する。一方、そのデザインは日本人の妹島和世と西沢立衛による設計ユニット、SAANA によって構想された。ガラスやアルミニウムなど反射性のある外装を使った壁面がゆるやかなカーブを描き、そこに周囲の森が外壁に映り、低層の建物全体が自然の中に溶け込むデザインになっている。5つのメインの建物は長さ125メートル幅25メートルの「時間のギャラリー」でつながれ、そこには古代初期から19世紀までの200の作品が年代順に展示されている。そしてランス分館の最初のテーマはルネッサンス、1400年から1530年のあいだに起こった芸術の革命だ。

Kazuyo Sejima + Ryue Nishizawa / S A N A A
ランス分館の美しい建築写真(designboom)


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2012年12月09日

有名美術館の分館ラッシュ(2) 日本人建築家の活躍

フランスの有名国立美術館の分館プロジェクトに日本人が関わっている。ポンピドゥーセンター・メッス分館の設計コンペを射止めたのは、坂茂(ばんしげる)氏、ルーブル美術館ランス分館の設計は、妹島和世氏と西沢立衛氏の共同事務所 SANAA が関わる。彼らは世界中からラブコールを受ける売れっ子建築家だ。

SHIGERU BAN紙の建築行動する―震災の神戸からルワンダ難民キャンプまでVoluntary Architects' Network──建築をつくる。人をつくる。

坂茂氏が手掛けたメッス分館の建築は、中国の伝統的な竹の帽子にヒントを得て、6角形の大屋根は木材を編んだような構造になっている。その下にピクチャーウインドウを持つ、3つのギャラリーチューブが上下に並んでいる。パイプの骨格が外にむき出しになっているパリの本館の革新的な発想を受け継ぐのだという。

一方で坂氏は紙管を使う建築家として知られている。5年前にフランスの川に紙製の橋を架けて話題になっていた(→APF動画ニュース)。紙は一見、脆弱な素材に見えるが、恒久建築の構造材としても十分な強度を持つ。また紙はローコストで、入手しやすいという利点がある。その利点は緊急時に生かされる。坂氏は紙の建築を携えて支援活動に出かける行動する建築家でもある。阪神大震災やルワンダ難民キャンプの現場で仮設住宅を作り、同震災で消失した地元(神戸市鷹取)の教会の代わりに紙製の教会も建てている(建設にはボランティアが携わった)。そして 311 の東日本大震災では、女川町に輸送用コンテナを使った仮設住宅(画像あり)を建設し、ネットでも凄いと評判になっていた。コンテナを市松模様に積み、比較的狭いコンテナの中に子供部屋とバス・トイレを入れ、コンテナとコンテナの間のオープンな空間に全面ガラスを入れ、開放的な LDK を実現したのだった。

阪神淡路大震災のとき、建築物の下敷きになってたくさんの人がなくなり、自分の設計した建築でないにせよ、建築家として責任を感じ、何かできないかと純粋な気持ちが坂氏にはあったと言う。難民や地震でも、最初のうちは医療や食料が問題になるが、その後必ず住宅の問題が起こる。住宅問題であるにも関わらず、全く建築家が携わっていない。それを改善しようという建築家がいないと坂氏は指摘する。建築家と言えば、コストに糸目をつけない高価な建築物ばかりを作っている、エスタブリッシュのための、エスタブリッシュな人々というイメージがある。金持ちのための建築か、予算を惜しまない自治体のハコモノ(公共的な建築物ではあるが)という感じで、ローコストで美しい建築という発想はあまり見かけない気がする。坂氏は、被災地や難民キャンプの建物こそが美しくなくてはならないのだと主張する。被災者の惨めな気持ちを晴らすような建築、あるいは、被災者の人々を蔑むような気持ちが起こらないような建築が必要になる。このような倫理的な視点には共感させられる。

Kazuyo Sejima + Ryue Nishizawa: SANAA妹島和世+西沢立衛/SANAA―WORKS1995‐2003美術館をめぐる対話 (集英社新書)

一方、SANAA によるルーブルの分館は、反射性のある外装を使った壁面がゆるやかなカーブを描き、そこに周囲の森が外壁に映り、建物が自然の中に溶け込むデザインになっている。パリの石造りの本館が歴史的な時間の蓄積を主張する重厚な建築物(ガラスのピラミッドで多少中和されているとはいえ)であるのとは対照的だ。

SANAA は国内外に注目される作品を提供している。Dior 表参道金沢21世紀美術館トレド美術館ガラスパビリオンなどが、世界的に高い評価を受けている。最近では「NEW ミュージアム」が、歴史的に有名な建築物の多いマンハッタンの新しいランドマークとして完成した。「 NY で現在、これほど未来への確信をインスパイアするような建築プロジェクトは他にはない」と NY タイムズから賞賛された。こちらは白い箱型の階層を重ね合わせ、自然光を取り入れる作りになっている。



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2012年12月05日

有名美術館の分館ラッシュ(1) ルーブルもポンピドゥーも

有名な美術館が地方都市に分館を建てる動きが世界的に活発になっている。フランスではポンピドゥーセンターのメッス分館に続き、今週オランド大統領を迎えてルーブル美術館のランス館がオープンした(一般公開は2012年12月12日)。



ルーブル美術館が分館を開いたのはフランス北部の都市ランス Lens。シャンパーニュ地方の中心都市 Reims ではない(カタカナ表記では同じになる)。ランスは炭鉱の町として知られていたが、90年に最後の炭鉱が閉じてからは売りになるような産業もなく、町は慢性的な高失業状態にあった。それだけに、2004年11月にルーブル美術館の分館の誘致が決まると市民は熱狂状態になったという。ルーブルの分館の目的は本館の豊富な所蔵品の一部、つまり本館の余り物をいただいて展示するだけではない。パリの本館ではジャンル、地域、時代によって8つの部門に分かれているが、ランスではそのような展示形態とは違った、横断的で斬新な切り口で作品を見せる実験的なアンテナ美術館を目指す。

http://www.louvrelens.fr/

一方、リールやボルドーを押しのけてポンピドゥーの分館を誘致したメッスは、ドイツとの国境に近い人口12万人の都市。このフランス東部の地域には工場が林立する殺風景なイメージしかなかった。しかし、2008年に国鉄(SNCF)の駅の東に広がる寂れた操車場跡にエキゾチックなデザインの美術館が完成した。パリのポンピドゥーセンター内の現代美術館はピカソ、マティス、シャガールなど20世紀の芸術作品5万6千点を所蔵するが、スペースの制約があり、その中で展示できるのはわずか1500点にすぎない。ルーブルと同じく、眠っている宝の山をいかに有効活用するかが長年の課題だった。メッスの分館ではパリの本館の作品を定期的に入れ替えて展示し、また独自で企画した展覧会を開催する。

http://www.centrepompidou-metz.fr/

有名美術館の分館ブームはフランスだけにはとどまらない。イギリスのテートギャラリーはリバプールなどの国内3ヶ所に分館を開き、ロシアのエルミタージュ美術館は国境を越え、アメリカのラスベガスとオランダのアムステルダムに進出した。分館の成功例として象徴的なのは97年にスペインのバスク地方に誕生したアメリカのグッゲンハイム美術館のビルバオ分館(写真)である。人口35万人の都市に年間100万人が美術館目当てに訪れ、その60%が外国人観光客だという。ビルバオ分館は停滞した鉄鋼都市、バスク紛争の暗いイメージを一掃し、芸術が地域再生の切り札になることを証明してみせた。チタニウムの板で作られ、平らな面が一切ない、うねるような奇抜な外観も話題になっている(設計者は神戸のメリケンパークの巨大な魚を作ったフランク・ゲーリー)。

http://www.guggenheim-bilbao.es/

グッゲンハイム美術館は現在アラブ首長国連邦にも分館を計画している。他にもアジア進出を狙っている有名美術館もあるようで、そのうち日本の地方都市にも館誘致のチャンスがめぐってくるかもしれない。分館の誘致には美術館側の利点も大きい。分館の敷地や建物は経済効果を当てにする地方自治体が用意してくれる。有名美術館は今や厳しい国際競争にさらされ、政府の補助金も削減されたりして、財政的に厳しい状態に置かれている。独自のアイデアで財源を確保しなければならい時代になったのだ。何よりも増して数多くの所蔵品が展示されずに眠っているのがもったいない。

フランスは中央主権国家であり、フランス革命以来、地方の経済的、文化的な衰退が著しかった(例えば、革命のときには地方文化を支える地方語や方言が弾圧された)。アヤゴン元文化相・ヴェルサイユ宮殿前館長は「文化の脱-中央集権化」の柱としてルーブルとポンピドゥーの分館計画を位置づけているが、一方でいくつか疑問も生じる。有名美術館を誘致することは、既成文化の移植であり、地方文化と有機的なつながりはない。確かにブランド美術館の威を借りるのが手っ取り早いのだろうが、それでは本当の地方文化の再生にならないのではないのか。

例えば、地元の人々の手による演劇祭や音楽祭などが地域文化の復興や再発見につながるケースがある。フランス の地方都市でも実際そういう動きがあった。しかし、昔ながらの共同体も、それが支えてきた伝統文化も衰退してしまい、単に何もない町(それこそ日本で言うなら、コンビニとファミレスとショッピングモールしかない町)になっている場合は、行政や企業が工夫を凝らして、人々が集う核となるようなプラットフォームを打ち込み、新たな伝統を作っていくしかない。ランスやメッスはそういうケースだったのだろう。

一方で、美術鑑賞のあり方も、美術そのもののあり方も変わりつつある。作品−鑑賞者という固定的な関係を切り崩す新しいコミュニケーションが模索されている。分館にはそういうラディカルな試みも可能だ。美術館は近代社会の公共性をはぐくむ場でもあったが、昔のままにハコモノを建て、外からコンテンツを持ってくるだけでは地域のコミュニケーションをバックアップすることは難しいだろう。観光客だけでなく、地元の人々を巻き込みながらアートの新しいあり方や体験を提示していく工夫も必要だろう。これは日本の地方再生にとっても重要なヒントになるはずだ。



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2012年05月12日

世界中で美術館人気 フランスとスペインの場合

2011年は、世界中の美術館が記録的な入場者を迎えた。フランス全体で2011年は前年比で5%増加した。個別に見てみよう。

フランスで最も人気のある美術館は、もちろんルーブル美術館。年平均850万の人々を迎える。次いでヴェルサイユ宮殿が600万人で、2010年は村上隆が貢献した。そしてポンピドゥーセンターが360万人、オルセー美術館が290万人、ケ・ブランリー美術館が130万人と続く。アンヴァリッドの軍事博物館、パリ市のカルナヴァレ美術館、ノートルダム大聖堂の地下聖堂やカタコンベも人気がある。

中でもポンピドゥーセンター(写真)の360万人という数字は2000年の改装以降の最高記録である(前年比15%増)。館長が夏に計画的に特別展を催したことが功を奏したと言われている。そのひとつ、去年の夏に訪れたときに偶然やっていた「Paris-Delhi-Bombay 展」は新興国インドを対象にした全く新しいタイプの大規模展だった。ロレーヌ地方もポンピドゥーセンター・メッス分館 Centre Pompidou-Metz (設計は日本人建築家、坂茂)のおかげで良い結果を出した。この美術館は2010年5月にオープンしたばかりだが、去年の9月にオープンから16ヶ月で100万人に到達した。イル・ド・フランスの外では最高の集客だ。

フランスの美術館人気には次のような要因が挙げられるという。

@まずは、近年、文化的な観光が盛んなこと、家族で訪れる人々が多くなったこと、国の政策で美術館の料金が下がったこと。とりわけ常設展の18歳から25歳の料金が無料になったことが大きい。大掛かりな特別展は別として、美術館の料金は映画館やテーマパークの料金よりもはるかに安い。しかし訪れる家族の50%は、子供は無料で、18歳から25歳は2年前から無料になったことを相変わらず知らない。

Aこれまで美術館に足を運ばなかった人たち向けた努力もなされている。地域と連携したり、経済的に困難な人たちや障害者への割引制度を設けたりしている。また地方の町は美術館の料金の決定権を持つが、その多くが入場無料を選択し、1200の美術館で無料入場者が42%に上った。

Bそれと平行して、美術館は新しくアトリエを催したり、戦略的な賭けとしてデジタル機器を開発している。ルーブル美術館のアンリ・ロワレット館長によると、3月から音声ガイドに代わって Nintendo 3DS のコントローラーを導入する予定である。



フランスだけではない。とりわけスペインの美術館の集客力の向上は著しい。経済危機にもかかわらず、マドリッドの3大美術館、プラド美術館、ソフィア王妃美術センター、ティッセン・ボルネミッサ美術館の2011年入場者数が記録を達成。12年もさらなる集客が期待されている。

ティッセン・ボルネミッサ美術館はグレコからピカソまでの多くの絵を所蔵しているが、2011年の入場者数は前年比で30.4%も跳ね上がった。去年の110万人の入場者のうち、半分は外国人だ(主にドイツ、フランス、イギリスから)。1992年の開館以来、なかったことだ。館長は「経済危機の1年を通して入場者が増えたことは、私たちが提供したものの質の良さと、開館時間を長くしたことの反映でしょう。ティッセン・ボルネミッサ美術館はマドリッドの観光アトラクションとして認められたのです」と喜ぶ。

すぐ近くにあるソフィア王妃美術センターはモダンアートの美術館であるが、ピカソの「ゲルニカ」という逸品を擁している。ここは2011年、270万人の訪問者を迎えた。前年比17%増である。館長は「この数字はすべての人々に開かれた美術館の方策に負っています。このモデルがうまく行けば、入場者はさらに増えるでしょう。経済危機はスペインの成長モデルには影響を与えていますが、文化に対する関心には影響していません。」

ゴヤやベラスケスの絵が豊富なプラド美術館は3つの中で最も人気があり、2011年の入場者は290万人、前年よりも6.6%増えた。そのうち59%は外国人で、特にイタリア、アメリカ、フランスからの客が多い。2011年は特別展の「エルミタージュ美術館展」が成功を収め、それは今年の3月まで行われる。ロシアは遠いが、スペインは近いと、イタリア人からも好評だった。7月からはルーブル美術館の協力によって、イタリア・ルネッサンスの画家、ラファエロの晩年の作品を展示する。

アメリカでもメトロポリタン美術館が2011年、560万人の記録を達成。デザイナーのアレクサンダー・マックイーンのワイルドな服とアクセサリーが浮揚させた。一方、近代美術館 Museum of modern art は前年よりも15%減らした。


以下の記事を参照した
Les musées de France font le plein malgré la crise économique
Les musées phares de Madrid défient la crise et font le plein de visiteurs


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2011年02月02日

ヴェルサイユ宮殿の現在と自活する美術館

ヴェルサイユ宮殿での村上隆の作品展をめぐり、ルイ14世の末裔シクストアンリ・ド・ブルボン公らが記者会見し、「美少女フィギュア」などの展示は祖先への冒とくとして、作品展の中止を求め、主催者の宮殿当局に法的措置を取る考えを表明した。こちらが記者会見の模様だが、さすがに優雅な物腰。このような事態に、東京の在日フランス大使館には「ヴェルサイユ宮殿での村上隆氏の展覧会が、フランス国民に迷惑を掛けているのではないか。それなら日本人として謝罪したい」と繰り返し電話がかかって来ているという(笑)。



とはいえ、村上隆展に対する批判勢力のニュースはトーンダウンしている。反対派は2年前に同じ場所で行われたアメリカ人作家、ジェフ・クーン Jeff Koons の美術展の際も、作品の展示を禁ずることを求めたが、ヴェルサイユの裁判所と国務院 Conseil d'Etat に却下されている。一方で、村上展のようなイベントがないと宮殿の維持管理費をまかなえないのも現実なのだ。ヴェルサイユ宮殿は今のところ財政的に潤っていて、随時修繕が行われている。今年はすでに宮殿に600万人が訪れ、去年より50万人増えている。 とりわけ新興国からの訪問が増え、中国だけでなくロシアやインドネシアからも客がやってくる。入場料は宮殿の収入の3分の2に達するほどだ。

最近、ルーブル美術館とポンピドゥーセンターがそれぞれランス Lens とメッス metz に分館を作ったが、分館の誘致には美術館側の財政的な利点がある。分館の敷地や建物は経済効果を当てにする地方自治体が用意してくれる。国内だけではない、ルーブルは2013年に中東のアブダビにも分館を開くのだ。有名美術館も今や厳しい国際競争にさらされる時代だ。政府からの補助金も削減され、財政的に厳しい状態に置かれている。それゆえ独自のアイデアで財源を確保しなければならない。ヴェルサイユ宮殿も例外ではない。

マリー・アントワネット (通常版) [DVD]ソフィア・コッポラの「マリー・アントワネット」がヒットしている時期に、ヴェルサイユ宮殿がマリー・アントワネットにちなんだ「女王の残り香」という香水を売り出していたのが思い出される。高級バージョンはバカラのクリスタルのボトル入り(25cl)で、8000ユーロもしていた(手頃なものは350ユーロ)。香水の売上はマリー・アントワネットが使っていたセクターの修繕に使われていた。

ヴェルサイユ宮殿では企業の資金による修復も行われていて、例えば、あるコニャックのブランド会社によって天井の壁画が修復された。それを見て資金提供しようという個人もいる。「これは私の寄付で直したのよ」と庭園の彫像を指差すマダムが France 2 に登場し、小さなパネルには彼女の名前が記されていた。このようなスポンサーに応えるためにも、目をひく美術展やイベントが必要になる。古典的な作品とともに、村上隆のような現代的な作品が新しいお客を引き寄せている。古今東西の文化を混ぜ合わせ、多くのお客を楽しませるのが今のヴェルサイユの姿だ。アヤゴン館長のしたたかな戦略なのだろう。宮殿はとっくにブルボン王家のものではない。国が財政を切り詰める中、独自の収入がなければ巨大な文化遺産の維持もままならないのだ。

ヴェルサイユ宮殿ではまだ公開されていない部屋の修復が進められている。宮殿のすべての部屋を公開し、音楽のための部屋とか、夕食のための部屋とか、宮殿全体における各部屋の機能を訪れる人々に知ってもらうという大きな計画があるようだ。




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2009年03月27日

豪華絢爛、エリゼ宮

9月20日は Journées du Patrimoine といって、エリゼ宮を始めとするフランスの1500にのぼる公的な建物が一般公開される。公的な建物の多くは歴史的建造物。その中でもエリゼ宮(=フランス共和国大統領官邸)は目玉中の目玉である。その日、長蛇の列をものともせず、エリゼ宮探索に挑んでくれたKちゃんのリポートです。

「宮殿の中は、本当にすばらしいですよ。どの部屋も趣きが違って、見ごたえがあります。中はゆったり自分のペースで見れ、ほとんどのところが混んでいません。急かされることなく、聞けば説明もしてもらえます。報道陣も多くいて、行列で私の前の、先に来ていた妻と娘のところに横入りしたお父さんは、大食堂のところで質問した後、報道陣にインタビューされてました。私もどこかのニュースに体半分くらい出ているかも。大食堂は Table Setting がちゃんとしてあって、あの広さと天井のデコレーションは圧巻です」

以下は「祝宴の間‐SALON DES FETES」の写真。もちろんKちゃんから提供していただきました。

Salle des fetes01.JPG

Salle des fetes02.JPG

Salle des fetes03.JPG

「祝宴の間」はパリ万博の1889年に完成し、万博の行事が行われました。現在は共和国大統領の就任式や、公式晩餐会などの公式行事がここで行われています。先日初めてベネディクト16世がフランスを公式訪問したのですが、そのときのセレモニーにもこの部屋が使われていました。有名なエリゼ宮のクリスマスツリーもこの部屋に飾られます。天井のデコレーション(1896年に完成)はギヨーム・デュビュフによるもの。

次は大統領の執務室、つまり仕事場。

「サルコジの私用の書斎とか、大使に会う部屋とか、20部屋ほど公開されてました。何しろ今使われているところですからね、興味深いです。もらった冊子の中に、Le directeur de cabinetからのメッセージが挟まれていて、そこには、'例年のように今年も多くの人に見学まで長い間待ってもらうことになると思い、私達はこの機会が皆さんにとって快適で興味深いものになるよう、できるだけのことを準備しました…。もし何か来年のためにコメントや提案等あれば、こちらへ送ってください…などと書かれています。どうも開門も予定より早かったみたいだし、待っている間も人間らしく過ごせるようになっていたし、去年の提案が実現したのでしょうか」(Kちゃん)

Salon des Ambassadeurs01.JPG

↑大使の間 Salon Des Ambassadeurs −共和国大統領が各国大使から信任状を受け取ります。

Salon des portraits01.JPG

↑肖像画の間 Salon Des Portraits −元はといえば、ナポレオン1世の執務室だったのが、ナポレオン3世(第2帝政期)が当時の8人の国家元首の肖像画を飾ることに決め、この名がつきました。現在は共和国大統領の私用の書斎として使われています。

Salon Dore01.JPG

↑黄金の間 Salon Doré −共和国大統領の執務室。エリゼ宮のちょうど中心に位置しています。ジスカールデスタン大統領を除く、すべての第5共和国の大統領がこの部屋を仕事部屋にしてきました。部屋にはゴブラン織りの「ミューズたち」というタピスリーが飾られ、金色のブロンズとクリスタルで作られたシャンデリアはナポレオン3世の時代のもの。

Salon Dore_le bureau le plus precieux01.JPG

↑ルイ15世様式の執務机は18世紀に家具職人シャルル・クレサンによって作られ、ドゴール将軍の要請によってこの部屋に置かれました。この机はフランス家具の傑作とされ、エリゼ宮の中でも最も貴重な家具です。

各部屋の解説はKちゃんから送られてきたパンフレットを参照しましたが、そこにはサルコジ夫妻の濃〜いツーショット写真が。




noisette

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2007年09月19日

ケ・ブランリー美術館(2)

branly01.JPGケ・ブランリー美術館の外観を決定付けているのは、建築家ジャン・ヌーヴェルのデザインだけではない。もうひとつ忘れてならないのは、植物学者パトリック・ブランによる垂直庭園だ。彼は1953年パリ生まれで、熱帯の下生え植物の専門家である。ケ・ブランリー美術館はとてもエコな美術館でもあり、建物の壁面を様々な植物がびっしりと覆っている。

植物を育てるのは実は土ではない。水とミネラル塩なのだ。温帯や熱帯の山々では岩や切り立った崖、木の幹に植物が繁殖している。薄い腐植土の膜があれば、十分な栄養を取れるのだ。私たちは植物は水平に植えるものだと思っているが、植物にとって水平面は必ずしも必要なものではない。

この観察からパトリック・ブランは垂直庭園のシステムを作ることを思いついた。垂直栽培という方法は前からあるが、植物を土に植えるために鉢や吊り下げた容器を使う。それゆえにかなりの重量がかかってしまう。パトリック・ブランの技術は土なしで済ませること、そして前代未聞の高さでの垂直庭園を可能にした。またシステムは驚くほど簡素で低コスト。年2回の刈り込みで何十年も持つらしい。

植物は共生能力に応じて選ばれ、風量、温度、光度に関して、それぞれの植物に適した高さに配置されている。厚さ3ミリのフェルト生地が建物の外壁に表面張力と毛管現象で貼り付つき、岩の表面の腐植土の膜の役割をしている。植物は窒素化合物とカリウム入りの水がしみこんだフェルト生地に根を張るのだ。

植物の壁は都市の緑の空間を増やす革新的なアプローチである。それは都市の概念を変える。都市はもはや鉱物の空間ではなく、植物の空間なのである。都市に失われた緑を再導入し、都市に住むことと植物を楽しむことを巧みに混ぜ合わせる。

branly02.JPG

「垂直庭園」という言葉はロマンティックに響く。実際、この発想は多くのパリの業界人たちを魅了している。ブティックやホテルなどでこのシステムが採用されている。ケ・ブランリー美術館以外で、パトリック・ブランの植物の壁を見れる建物は次の通り。

En France,

- Boutique "Marithé et Francois Girbaud", Paris 75006, 7 rue du Cherche Midi, réalisé en 2002.
(マルテ・エ・フランソワ・ジルボーのブティックの内装)
- Hotel "Pershing Hall", Paris 75008, 49 rue Pierre Charron, réalisé en 2001.
(ホテル・パーシング・ホールの中庭の壁面)
- Fondation Cartier, Paris 75014, 261 boulevard Raspail.
(カルチエ財団のエントランス)
- Square Vinet, Bordeaux 33000, réalisé en 2005.

Ailleurs(フランス以外)

- Centre commercial "Siam Paragon", Bangkok, Thaïlande, réalisé en 2005.
- Aquarium de Gênes, Italie.

ケ・ブランリー美術館訪問(動画:建築家と植物学者が登場)
パトリック・ブランのインタビュー


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2007年09月14日

ケ・ブランリー美術館(1)

quaibranly.jpg昨年の6月にケ・ブランリー美術館がオープンした。アフリカ、オセアニア、アジア、アメリカからの品々を集めた、新しいタイプの民族美術ミュージアム。場所はエッフェル塔の足元、ブランリー河岸(= quai du Branly)。名前はそこから来ている。設計したのはアラブ世界研究所で知られるジャン・ヌーベルだ。新しい国立の美術館としてはポンピドゥーセンター以来、30年ぶり。トロカデロの人類博物館(musee de l’homme)とヴァンセンヌの森にあった、アフリカ・オセアニア美術館の所蔵品を引き継ぎ、新規購入品を加えた総数27万点におよぶコレクションの中から精選。仮面、彫刻、モニュメント、楽器、武器、装身具、テキスタイルが展示されている。

大英博物館やルーブル美術館(古代の博物館でもある)を訪れるとき、よくもまあこんなものを世界各地から運んできたものだ、という印象を誰もが抱くだろう。西洋人の、自分たちとは異質な、あるいは未知の文化に対する情熱と執着心には驚くばかり。もちろん名声や金儲けもからんでいたのだろうが。

ところでケ・ブランリー美術館には二重の意味で政治性が見え隠れしている。

まずは具体的な政治。ケ・ブランリー美術館のオープンは今期限りの引退を表明したシラク大統領の念願だった。大統領に就任するとすぐに、シラクはこの美術館の構想に着手した。ミッテラン前大統領が古風な図書館を一掃して、自分の名前を冠した「ミッテラン国立図書館」を作ったように、自分のモニュメントをパリに残そうと目論んだのだった。加えて、現職大統領と原始美術商の主導による美術館の建造は、原始美術市場に大きな経済効果をもたらしたらしい。

もうひとつは西洋で作られた非西洋の美術館それ自体がはらむ政治性。西洋が非西洋に向けるまなざしの問題だ(エドワード・サイードの「オリエンタリズム」が参考になる)。シラク大統領は去年の6月20日のオープニング・セレモニーで「世界の芸術と文化に優劣は存在しない」、「文化を超えた対話の場となる」と述べたというが、明らかにヨーロッパ芸術と区別され、非ヨーロッパは展示対象で、ヨーロッパ人から見られる関係にある。この関係は必然的に優劣を含み、このような展示形式からは文化を超えた対話は生まれないと言われそうだ。この美術館は世界中から観客を集め、当然、見られる側の文化の側の人々も見に来るはずで、その中に違和感を感じる人もいるだろう。ヨーロッパにとっての美的な観点(日本人もそれを内面化していることだろう)によるのではなく、その文化を生きている人たちの生活意識や価値観の中に位置づけ直して展示することが大切という意見もあったが、そこまで行くなら美術館というコミュニケーション形式自体を批判する必要が出てくる。

こういう議論に忘れてならないのは文化人類学者のクロード・レビ=ストロース。まだ健在のようで、オープンニング・セレモニーにも出席。この美術館には「文化人類学的アプローチだけではなく、多様な現代の視点があっていい。コンテンポラリーアートやデザインソースとして若いアーティストを触発するだろう」とインタビューで発言している。

ケ・ブランリー美術館 公式サイト



cyberbloom

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2007年08月14日

ポンピドゥー・センターも30歳

少し古い話になるが、今年の1月31日、ポンピドゥー・センターでは開館30周年の式典が行われた。前大統領のジャック・シラク氏が式典に参列し、30本のロウソクを自ら吹き消した。

1977年に開館したこの美術館、というより総合的文化施設の詳細については、各種ガイドに書かれているのでここでは省こう。

イタリア人レンゾ・ピアノとイギリス人リチャード・ロジャースによる設計であるが、30年を経た今日においてもその建築は魅力的だ。と思い、写真のストックを開いてみたが、全体的な外観を撮影した写真は皆無であった。(ちなみに大阪湾に浮かぶ関西国際空港もレンゾ・ピアノによる。)

ということで全体図は、センターのホームページを参照していただくことにし、ここでは断片的な内部の写真を4点掲載しておこう。

DSC00237pom2.jpg
DSC00236pom3.jpg
DSC00450pm4.jpg

何故ゆえにエッフェル塔が、と思われるかもしれないが、これはポンピドゥー・センターの最上階より撮影したもの。周囲の他の建物より一回りは大きいこの建物からは、街が一望できるのだ。サクレ・クール寺院、ノートルダム寺院、オペラ座など、すでに訪れ、また、これから訪れるかもしれない名所を、高い位置より確認できるのは、何となく嬉しい。

俯瞰的な視線により街を眺めると、それまで距離感を感じていた街が急に近づいたような気のするものだ。平面的な世界に、立体的なイメージが重なることで、認識が変化するのであろうか。

okabe-pompidou01.jpgポンピドゥー・センターについては、随分と昔にとても「熱い」本も読んだ。フランスで美術関係の人材を多く輩出するエコール・ドゥ・ルーブルを経て、ポンピドゥー・センターに勤務する岡部あおみさんの著書である。学芸員に要求される視覚的な記憶を、エコール・ドゥ・ルーブルでひたすら鍛え上げたというエピソードには、とても強いインパクトがあった。留学経験や海外での生活を題材にした著書は、星の数ほどあるだろうが、この本はこれまでの僕のナンバーワンである。

『ポンピドゥー・センター物語』岡部あおみ



キャベツ頭の男

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2007年01月15日

オランジュリー美術館

オランジュリー美術館、新装オープン!
といってもネタ的には少し古いです。

CIMG0913.JPG 1999年秋以来、改修工事が延期に次ぐ延期のため、なんど訪れても観ることのできなかった美術館。
 拡張のため、地下を掘っていたら16世紀の城壁の遺跡が出たり、工事が伸びて予算が苦しくなったり、なかなか再オープンにたどり着けなかったのですが、ようやく完成・公開されました。7年ぶりにモネの『睡蓮』、あるいはギョーム・コレクションと再開できるとあって、オランジュリー美術館は長蛇の列かと思いきや、ぼくが訪れた秋のある日はこんなもんでした。

 入場制限をしていて、それなりに待たされましたが、人の群れるところ音楽ありというわけで、奏でられる音楽を楽しんだり、周りの風景に目をやったりしているうちに入り口に。待つことも楽しめるのは、旅先だからか、フランスだからか? しかもその日は、たまたま入場無料の日でした。嬉しかったですね。

CIMG0907.JPG さて、改修でどう変わったかというと、写真をみていただければ一目瞭然。
 個人的好みを言わせてもらえば、昔のオランジュリーの展示空間の方が趣があったと断言します。
 この改修に関しては、絶対的に、だれがなんと言おうと、「昔のオランジュリーはよかった」と過去を懐かしむ爺になります。
巨匠たちの絵を模写する画家の卵、素人画家たちの幻影とともに、この新しいオランジュリーの空間になんとなく居心地の悪さを感じてしまいます。
 絵画展示・保管・鑑賞といった機能面では申し分ない造作になってはいるのでしょうけれども。

CIMG0900.JPG 最後に、モネ『睡蓮』の間はどんな感じになったかというと、こんな雰囲気。ここは以前とそれほど変わらない空気が漂っていました。うえの薄ぼんやり明るいのは照明ではなく、外光をやんわりと遮っている幕。そう、この自然光の下でモネの『睡蓮』を観れるようにしようというのが今回、あまりにも長期間に渡ってしまった改修の目的だったわけです。果たしてこれが成功したのか、どうか。なんにせよ、オランジュリー美術館をふたたび訪れることができるようになったことは嬉しいですね。

CIMG0902.JPG フランス語では「睡蓮」を nymphéa(学名)と nénuphar(通称)の二つの呼び方をするのですが、モネは自分の『睡蓮』をすべて Nymphéas と呼んでいました。Nymphéas の語源であるニンフ(水の妖精)たちが、自然の光のしたで、いっそう美しく咲き、戯れる姿を、あるいは光を避けて暗く蹲る姿をも、ぜひいちど観ていただきたいものです。


PST

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