2014年11月07日

フランス語は役に立つのか?―アフリカと直接投資

今やどこの大学もグローバル人材の養成を看板に掲げるようになりましたが、ところで「グローバル人材って、一体どんな人材?」と問われたときに端的に答えられる方は意外と少ないのではないでしょうか。

答えのひとつを得るために、労働経済学の視点から考えてみましょう。この分野の専門家である大阪大学の松繁寿和さんはグローバリゼーションを「直接投資の増加という経済の質的変化」と定義されています。2000年に入ってからの日本経済の変化のひとつに貿易依存度が高まったことが挙げられますが、それ以上に「資本や人が直接移動する」ようになったことが問題だと主張しておられます。

「直接投資は、他国に工場を移転したり支店を開設したり、工場を移転したり支店を開設したりすることである。生産活動を他国に移し、そこでの生産活動に直接関わることになる。貿易にくらべれば、人と人とが接触する機会が多く、共同で作業をする現場を多く生み出す」


エコノミスト 2014年 1/14号 [雑誌]日本では、海外直接投資は1990年代後半から上昇率が上がりましたが、大きな変動率が特徴で、それは「リスクが大きい」ことを意味します。「直接投資を、いつどのような水準で行うかを決定するためには、世界の経済情勢を十分に把握しておくことが企業経営上極めて重要な条件となっている。必要な情報の収集と、正確かつ大胆な経営判断が必要とされる」ということです。松繁さんは、こうした直接投資が拡大する時代において、対面あるいはインターネットを介したコミュニケーションを見据えた語学教育が必要になること、さらに英語以外の語学学習も重要になることを説いておられます。

直接投資と関連することですが、海外採用比率を上げている日本企業も増えています。つまり国内企業においても外国人と日本人が競合関係に置かれるということです。2013年度新卒採用において、パナソニックは国内採用350人に対し海外採用1100人、ユニクロを傘下に持つファーストリテイリングは国内採用500人に対し海外採用950人だったそうです。最近読んだ経済誌の記事では、「シンガポールや上海あたりには、3か国語を話し、トップ大学を卒業して、米国系企業で修行した人材がかなりいるので、(日本人ではなく)そういう人を雇ったほうが手っ取り早い。中国やシンガポールでのオペレーションにおいて、何もわからない日本人を(現地に)派遣するのは時代遅れになるだろう」という記述がありました(「増加中「海外赴任嫌いの若者」に、意識改革を促す必要がない理由」)。

ようやくフランス語の話に入りますが、実は世界規模においてフランス語の話者は増えています。2010年現在、世界でフランス語を話す人は2億2000万人いますが、今後、アフリカの人口増加で2050年にはフランス語話者は7億人に達し、アフリカ諸国が85パーセントを占める見込みです(⇒資料参照)。現在の2億2000万人のうち、60%が30歳以下の若い人たちが占めていることがフランス語の将来性を物語っています。ノマド論で知られるフランスの経済学者、ジャック・アタリ氏も「仏語を話す人が増えれば遠隔医療・教育など仏語サービス市場が広がる。仏語はフランスにとって重要な道具だ」と述べています(※)。すでに多くの中国人がアフリカの資源を求めて進出しており、中国の大学においてもフランス語学習者が増えています。

2013年1月にアルジェリアの天然ガス精製プラントを舞台にした痛ましい人質拘束事件が起こり、日本人も犠牲になりましたが、多くの日本企業がすでにプラント建設やインフラ整備のためにアフリカに進出していることが改めて認識されました。イスラム武装勢力の暗躍や長引く内戦など、アフリカはまだまだ多くの問題を抱えていますが、一方で、びしっとスーツできめ、高級腕時計を身に着けたアフリカ系のビジネスマンたちをパリでよく見かけるようになりました。

1990年代に2050年の英語の未来を予測した英国の言語学者、デイビッド・グラッドル氏は著書『英語の未来』の中で、一定規模以上の広がりを見せている英語の強さを認めながらも、他の言語が台頭してくると予測しています。日本で、英語以外の外国語教育を実践する高校が減り続けていることは、日本政府の言語政策の疎さを露呈するもので、先の松繁さんは「アメリカ人が手を広げないところにビジネスを拡げるため、習得する言語を戦略的に選択」すべきであり、「例えばアフリカを巨大新興市場ととらえれば、フランス語、アラビア語の習得者を増やす意味を理解できるはずだ」と述べています。

こうした世界の経済状況を踏まえ、EU諸国でも、「英語+複数の外国語」学習が重要だと認識されるようになってきており、日本のような語学学習者の多様性のなさはグローバル進出にとってもはや致命的とさえ言えます。また複数の外国語を同時に学習するわけですから、外国語を効率よく習得する学習ストラテジーも不可欠です。今やそのためのノウハウも十分蓄積されており、日本の高等教育でも活用すべきでしょう。

※推計とジャック・アタリの発言は『エコノミスト』2014年1月14日号「英語と経済」特集から引用。

noisette

□初出2014年4月20日

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2012年04月21日

How to fake French, または民族ジョークについて

最近、Facebookで友人がある動画を紹介していた。題して「フランス人のふりをするには」。方法は次の4つ。

ステップ1:ワインが大好きなふりをする
ステップ2:賛意を示すために口で変な音を出す
ステップ3:もし可能なら、喋らないですむように食べ続ける
ステップ4:賛意を示すために罵り言葉を使う

実際にフランス人と話したことがある人には、かなり笑えるはずだ。



身振りやアクセントには、確かに民族性が出る。そこからステレオタイプも生まれる。日本人の真似をするならやたらにお辞儀すればいいし、アメリカ人を演じるなら「ヒャッホー!」と叫べばいい。こうした民族性を誇張した民族ジョークというものもあり、僕は結構好きなのだが、現代日本ではあまり流行しないようだ。僕の友人がみな育ちがいいのか、少なくとも個人的に聞かされたことが殆どない。授業で紹介しても、学生は笑うのは不謹慎だと自己規制をするのか、無表情に聞いていて、こちらの間が悪くなってしまう。昔の日本人は、藩や地方間で悪口の応酬を繰り返していたことを思うと、なんだか窮屈な感じだ。

言葉摘みの盛んな昨今では、他人を笑うことは、とんでもない人権侵害のように扱われる。だが、ステレオタイプを信じることと、ステレオタイプと戯れることは、別の次元に属する。民族ジョークには、もちろん悪意がある。しかし、それが誇張だからこそくすっと笑えるのであって、笑った瞬間に、自分のなかにどれだけ偏見が残っているかを測る目安にもなる。笑わない学生を見ると、逆に彼らには批評性が欠如しているのではないかと心配になってしまう。

たとえば次のようなジョーク。「真のアジア人とは、中国人のように清潔好きで、韓国人のように温厚で、日本人のように信心深く、フィリピン人のように知的なことである。」もちろん皮肉なのだが、日本人も入っているだけに、自尊心を傷つけられたような気分になるかもしれない。そこがユーモアの度量を試されるところでもある。

ロンドンを旅したとき、郵便局にイギリスの国民性を馬鹿にする絵葉書が何種類も売っていたのにびっくりしたことがある。たとえば、こんな感じの四コマ漫画。各国民は食事の前に何と言うか。

フランス人はワインとエスカルゴを前に Bon appétit !
ドイツ人はビールとソーセージを前に Guten Appetit !
イタリア人はキャンティとスパゲティを前に Buon appetito !
さて、イギリス人は? 
ベイクドビーンズの缶詰と缶切りを前に Never mind !

僕はイギリス人のこうした余裕を好ましく思う。外国人にどう思われているかをよく知っていて、それと戯れてみせる。確かにイギリスの食事は、有名な朝食も含めて、かなりひどかったけれど(ギッシングがむきになって弁護している一文を読んだことがあるが、やはり無理だ)、「それでも我が国には最高の紅茶がある!」と居直ってみせる別の絵葉書のオチは、これまたそれが英国産でも何でもないところに、ほとんど哀愁さえ感じさせて面白い。

フランス人はこんな風には自分を笑わない。自尊心が高すぎるのだろう。フランス人は他人を嘲って楽しむ方が好きだ。嘲笑の的を意味する慣用句に「トルコ人の頭 tête de Turc 」という恐ろしい表現があるが、これは辞書によると「縁日でトルコ人の人形を殴る力比べゲーム」に由来する。おそらくクロワッサンと同じく、オスマントルコ時代に遡る話なのだろうけれど、それが今に残っているのは、さすがにちょっと、という気になる。

さて、そんなフランス人が最も情熱をこめて馬鹿にするのが、ベルギー人だ。彼らはベルギー・ジョークのレパートリーを豊富に持っていて、僕もいろいろ聞かされたものだ。ファックスに切手を貼って出すだの、故障したエスカレーターから救助されるのを待つだの、どうやら機転が利かない田舎者というのが、基本的なイメージらしい。エスカレーターを故障させるのは君たちの方が得意だろう、と僕がやり返すと、笑わなかった。余裕のない人たちである。「blagues belges」のキーワードでネット検索すると、たくさん引っかかるので、興味のある人はどうぞ。ちなみに冒頭で紹介した動画の投稿者はベルギー人らしい。ちょっとした復讐かな。

人種差別、民族差別に寛大になれ、と言っているわけではない。だが、差別があたかも存在しないように振る舞うことでは、差別はなくならない。差別された相手が傷つくから差別発言は止めるべきだ、という論法は、相手の聞こえないところでは言いたい放題を認める、ということにつながりかねない。問題は言葉よりも、ステレオタイプを真実と信じ込むところにある。韓国人はみな盗人で、中国人は金のことしか頭にない、と本気で思い込むこと自体が、すでに差別の始まりである。その背後には、無知に由来する恐怖心と、個人的な経験の極度の重視があることは、指摘するまでもない。

民族ジョークの利点は、笑いを機に、他人の偏見を観察し、自分の偏見の度合いを診断することができるところだ。特定の集団に関する差別は、すべて単純化から始まる。ジョークは、その単純化の危うさと戯れる。たとえそこに幾ばくかの真実があるように見えても、それがしょせん粗雑なイメージにすぎないことを忘れなければ、民族ジョークは有用でさえある。もちろん、「冗談では済まない」場面があることを分かってのうえの話だけど。


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2010年04月27日

フランスの英語教育事情

2月14日の FRANCE 2 にフランスの英語教育事情が紹介されていた。フランスには新しい英語教育をやるための設備を整える予算が不足しているらしい。大学改革をやろうとして教師や学生に総スカンを食らい教育相を辞めたグザビエ・ダルコス Xavier Darcos がフランスの子供たちを英語&仏語のバイリンガルにすると宣言していたが、外国語教育にはお金がかかるのだ。内容の一部を紹介すると、

■コンピュータの設備が学校で非常に遅れている。(ニュースで紹介されていた)この学校では毎週木曜にいつもと違った授業が行われる。ネット中継でふたり目のラシェル先生が授業をしてくれる。NYから直接話しかけてくれるのだ。ウェブカムによるインタラクティブな授業だ。去年から実験的に行われている。会話がとても弾み、手を挙げ発言することに誰も躊躇しない。楽しみながら英語を学んでいる。最初は半信半疑だった。確かに今では反論しようのない効果的なツールだが、まだこれから学習効果を明らかにしなければいけない。まだ揺籃期の段階だが、早く進むし、楽しくやれる。何よりも生徒の注意力をひきつけることができる。
■英語だけでなく、歴史や数学などの他の科目にも使えるが、導入するにはまだ十分な予算がない。コンピュータの部屋は7つに1つの学校にしか備わっていない。郊外の大規模校ではもっとひどい。600人の小学生が2つの小学校に分かれて通う地区で、ひとつのコンピュータの部屋をシェアしている。ネットの接続は気まぐれなのに、ネット回線が60人でひとつしかない。フランス全体では100人の生徒につき12・5台のPCしかない。PC の数が EU の27国中8番目、先生たちの PC の使いこなし度に至っては24番目と遅れている。イギリスでは学校がほぼ100%デジタル回線化されている。フランスは6%のみ。
■電車は出てしまったのだから、乗り遅れるわけにはいかない。まず先生を養成することが重要だ。イル・ド・フランスでは2400万ユーロを投資し、すべての高校がネット回線につながれる。出席や成績や宿題をそれで一括管理する。親たちもそれを見ることができる。まず先生たちがそれを使いこなさなければいけないのだが、それをいやがる教師たちもいる。

ところで、去年の夏、パリ第1大学(第1、3、4がソルボンヌ大学と呼ばれる)で法律を学んでいるいまどきのフランスの若者、ヴァンサン君がうちに遊びに来た。日本の大学を見てみたいというので、仕事先の大学に連れて行った。図書館に入って彼が驚いたのは、最新の mac が並んでいて、それを学生が自由に使っていることだった。フランスの大学はとんでもなくお金がないらしい。液晶なんてありえないよ。うちの大学なんてこれだよ。傍らにうち捨てられていた古い変色した PC を指さして言った。こういうのが数台あるだけだよ。

日本の小学校(5&6年)でも英語が導入されようとしているが、中学になる前に英語に親しんでおこうということらしい。しかしうまくやらないと中学に入る前に英語嫌いを生みかねない。英語の先生はときどき1年生のクラスにも遊びに来るらしいのだが、みんな黙って聞いているだけ(KIDS英会話をやっている小学生も少なくないはずだ)。日本の学校のように同調圧力が強い場所で英語をやる効果はあまり期待できない。

日本の大学では相変わらず多人数クラスで教師が一方的に文法を教えたり、みんなで訳読するという形式が踏襲されているケースが多い。一方で英語を中心に語学学習のツールは飛躍的に進歩している。ネットを見ても様々な学習ツールが無料で公開されているが、語学はオープンソース的に展開できる数少ない文系のリソースと言えるかもしれない。

大学においてとりわけそうなのだが、語学はこれまで文学や思想の管轄下にあった。しかし今は脳科学や認知科学の領域になりつつある。辞書をひきながらダラダラと文学書を読んでいればいい時代は終わってしまった(私はその最後の世代だ)。もちろん文法や訳読は不要なわけではない。西洋に追いつくこと(=西洋の文献を翻訳すること)が目標だった明治時代から、それがとりあえず達成された1970年代あたりまでは最優先事項だった。しかし今となっては言語能力の一部(基本的には孤独に座して黙読というスタイル)に過ぎないし、むしろ今は「聞く、話す、書く」というコミュニカティブかつパフォーマティブなアウトプット技能が要請されている。

何よりも語学はツールであり、それをいかに効率的に習得するかが問われている。そして伝達のツールとして、まず自分の専門や関心があり、それを発信しようという意志をともなって初めて意味を持つ。だから語学はむしろ最新の技術を創出し、発信している理系の学問と親和性が高い。最近、理系の側からの語学本もよく目にする(それは文系の語学教師に対する不信でもあるのだろう)。

また語学はどんな事態にも対処できる潜在的なコミュニケーション能力を底上げするものでもある。大学が産業界からの要請に応える機関だとすれば(つい最近まではサラリーマン予備軍をプールする場所だった)、対人的なサービス業が主流であるポストフォーディズム的な労働形態が要求する能力でもある。ネット広告では「いかに楽をして英語を学ぶか」というコピーがいまだに花盛りであるが、いかに語学習得が完成型のない、継続的な努力が必要な難しいことなのかもようやく言われ始めている。




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2009年06月02日

日本語が亡びるとき、英語が亡びるとき

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で昨年出版されて、周りでも話題にする人が多かった『日本語が亡びるとき』を、ようやく手に入れて読んだ。著者は水村美苗。副題は「英語の世紀の中で」。その論旨は明快で、ほとんど戯画的である。

曰く、日本語は「叡智を求める人」(要するに学術研究者をはじめとする知識人)が発する「読まれるべき言葉」(要するに論文や研究発表に用いる言語)としての資格を失いつつある。日本語だけでなく、フランス語もドイツ語も、英語以外のすべての言葉は、どの学界でも流通しなくなりつつある。英語だけが「普遍語」としての地位を占め、日本語はせいぜい「国語」、悪くすると「現地語」に成り下がってしまうだろう。

この指摘自体は正しい。学問の世界では、英語を読めないということを言い訳にすることができない。たとえば日本文学研究でさえも、英語で書かれた研究書をまったく無視することはできない。なぜなら、それは現在、世界中の高等教育を受けた人が共通に読める唯一の言語だからだ。日本文学研究者は日本語が読めるはずなのだから、論文は日本語で書けばいいのに、と思うが、そうはいかない。日本語を読めることと日本語を書けることは、別の能力である。だから、日本語が書けなくても読める人が、日本に関わりのあることを世界に向けて発信したいと思うなら、英語で書くのが最も効率がよいのである。また世界はそのように英語で発信されたものを中心にして、自らの像を定義していくことになる。

水村美苗自身は、英語と日本語のバイリンガルである。家庭の都合で12歳で渡米し、英語で高等教育を受けたが、英語嫌いで、少女時代に日本の近代文学を耽読し、大学でフランス文学を専攻した。漱石の『明暗』の続編パスティッシュでデビューした彼女にとって、日本近代文学こそは「読まれるべき言葉」だった。彼女が日本語が亡びると言うとき、それは近代日本文学の言語が亡びるということである。「自分がその一部であった文化がしだいに失われていくのを知りつつ生きる一人の人間の寂しさ」(p.224)が、彼女にこの本を書かせた。

加藤周一が夙に指摘したように、『浮雲』以降の言文一致とは、誰もが小説を書けるようになった時代の到来を意味する。それまでは、書き手になるためには、特別な訓練が必要だったのだ。具体的には漢籍の教養である。漢語の知識なしには、手紙さえ書くことはできなかった。読めることと書けることの落差は、江戸時代の方がはるかに大きかった。

そう考えると、日本近代文学の日本語自体が、じつはそれ以前の「読まれるべき言葉」を犠牲にして成立したものであることに思い至る。明治の懐古的な読者にとっては、漱石の近代的な日本語さえもが読むに耐えぬものだったことを想像するのは難しくない。しかし、日本人は漱石の日本語を選び、それをスタンダードにしてきた。だから、ここ数年の「日本文学」の日本語が、漱石の日本語と似ても似つかぬものだとしても、それは知的エリートが英語に吸い取られ、英語のできない残余者が貧しい日本語を書いているからではなく、文学的言語のスタンダードが改編されつつあるということを意味していると考えた方がよい。

漱石が専門家以外には読まれなくなるのではないか、と水村美苗が危惧する気持ちは分かるが、すでに私たちのほとんどは、上田秋成の『雨月物語』さえ注釈なしには満足に読めない。まして秋成のような日本語を書くことは、もはや専門家にも無理だろう。言語は、大衆化すれば、それだけ平易に、あるいは貧しくなる。中国の簡体字の導入や、韓国の漢字廃止は、確かに識字率を上げただろうが、同時に読める中国語や朝鮮語は、同時代のものやリライト版にほぼ限られることになった。言語の大衆化とは、言語の歴史を剥奪することである。

だから、英語の覇権を憂いて、シェークスピアは読まれ続けるだろうが、ラシーヌは忘れ去られるだろう、と水村美苗が言うとき、私は首をかしげてしまうのだ。ラシーヌが忘れられることについてではなく、シェークスピアが読まれ続けることについてである。彼女の言う「普遍語」となった英語は、そんなに高級なものにとどまってはいないだろう。”O Romeo, wherefore art thou Romeo ?”などという台詞を理解できることが、これからも教養として求められていくだろうか。別の言い方をすれば、シェークスピアの読解が「文化資本」として機能し続けるかどうか。私は多分に疑わしいと思う。

普遍語としての英語の時代、それはまさに日本語ネイティブの知識人が日本語の存亡に直面しているのと同じように、英語ネイティブの知識人にとっては、貧しい英語がのさばり、それまで英語圏で「読まれるべき言葉」だった文学作品さえ読まれなくなる時代なのではないか。英語圏が拡大するにつれて、英語は簡単にならざるを得なくなるからだ。ここでcyberbloomさんが書いていたユゴーの『ノートルダム・ド・パリ』のエピソードを思い出す。司教補佐クロード・フロロは、印刷術が建築を殺すだろう、と言った。そのときユゴーがイメージしていたのは、単に聖書の内容が民衆に直接行き渡ったという史実だけでなく、書物によって思想が蓄積されて出来上がる、「未来という深い霧の中にその巨大な頂を隠した」「人類の生んだ第二のバベルの塔」の姿だった。だが、それはまさに高い頂をもつ塔であり、特別な訓練なしには最上階への登り方さえ判らないような塔である。

英語の普及によって、確かに漱石のような「近代日本文学の日本語」は衰退するかもしれない。だが、英語もまた亡びるだろう。グローバルな流通は、かえって英語を殺すだろう。もし日本語の破壊を憂うならば、英語の破壊も憂えなければならない。なぜなら、グローバル化によって本当に亡びつつあるのは、情報伝達以外を目的とする言語の使用そのものだからだ。一読して即座に内容が理解できるようなテクストしか、もはや存在価値がない。そうでなければ、消費効率が悪いという話になる。

シェークスピアが「読まれるべき言葉」であり続けられるならば、漱石もまたそうなるだろう。それは社会の価値観の問題であって、英語が学術やビジネスの現場で「普遍語」になっていることと密接な繋がりがある。誰も英語以外の言語を骨折って、不自由ながら使ってみようとしないということは、理解の精度とスピードを上げることが至上命令だということだからだ。バベルの塔は、単一言語で建てられたとされる。だが、それは英語のような普遍語による世界の建設を意味するのではない。私は、バベルとは無数の言語が同じ未来を目指している状態、と定義したい。そうでなければ、私たちは限られた言語で、世界に向かって何かを言うことはできないだろう。語を超えて分け合えるものがあると信じていなければ、私たちは本当のグローバリゼーションを生き抜くことができないだろう。



日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で
水村 美苗
筑摩書房
売り上げランキング: 244
おすすめ度の平均: 4.0
1 読む必要はない
3 主張に至る論理展開がいまいち
5 なるほど、戦に敗れるといふことは
かういふことだったのか‥。
5 読み出したら止まらなくなる
4 グローバルな世界に生きているということ




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2006年11月21日

フランス語を話せれば

「何年くらい勉強したら、フランス語がペラペラになりますか」という質問をよく受ける。「ペラペラ」という漫画の擬態語みたいな表現がおかしくて、僕はいつも笑い出しそうになるが、相手はいたって真剣だ。ただ流暢に暗誦するだけなら、数ヶ月あれば十分だ。言いたいことをすぐに言える能力となると、話は違ってくる。外国語で話す際に必要なのは、むしろ手持ちの語彙でやりくりする力だと思う。最低限の表現を覚えた後は、どれだけそれを使いこなすかだ。その場合、何年という期間が問題なのではなく、フランス語とどれだけ頻繁に接するかが大事なんだと思うよ、と答えることにしている。

さらに留学中の日本人からは、「フランスに何年いたらペラペラになりますか」と訊かれることがある。それで思い出したのが、最近読んだ新聞記事。サルコジ内相は移民政策の一環として、不法滞在者でも就学児童のいる家庭については、6万人程度の正規化(régularisation)の措置を考えている、という情報が、先月パリ市内に流れた。これがなぜか「先着6万人に滞在許可証が与えられる」というデマに変わり、大量の不法滞在者が警察署に押し寄せた。
 
押し掛けた移民は、ほとんどが中華系だった。これには理由がある。サルコジの新しい移民法には、「フランス語会話能力をもたない移民」を狙い撃ちにしている。フランス語を話せない外国人はフランス社会に参画する気がない者と看做し排除する、というのだが、これに反応したのが華僑だった。イベリア半島出身者や北アフリカの旧植民地出身者は、訛りはきつくても、それなりにフランス語を操ることができる(ペラペラ喋ると言ってもいい)。だが、中国人には難しい。母語との隔たりが絶望的に大きいことに加えて、彼らは中国人コミュニティの中で暮らす傾向がある。だから、何十年フランスにいても、フランス語がまったく話せないというケースは稀ではないのだ。

もちろん、年齢によって学習能力は異なる。中華系でも、フランス育ちの子供たちは、ネイティブとしてフランス語を使いこなす。そこに目をつけて、バイリンガル教育というものが登場する。母語もろくに確立していない頃から外国語(おもに英語)を教えて、将来「ペラペラ」と話せるように育てるのだ。父親がラテン語で話しかけてきたモンテーニュや、家族が四カ国語で会話していたチャールズ・ベルリッツのような極端な例を引くまでもなく、家庭が多言後環境であれば、子供が複数言語の使用者(polyglotte)になる可能性は高い。

パリの学生寮で、隣りの部屋にアルメニア人の女の子が住んでいた。ソ連領だった小学校では、ロシア語が必修だった。11歳のときに彼女の家族はドイツに移住し、ドイツの学校では英語が必修になった。それからギムナジウムでフランス語を勉強したので、今は五カ国語が話せるという。また別のアルゼンチン人の友人は、中学時代をオランダのアメリカンスクールで過ごしたため、スペイン語と英語とオランダ語に堪能なうえ、フランス語も流暢で、ルーヴル美術館で学芸員の研修を受けていた。

こういう人たちに会うと、ようやくフランス語で話が通じるようになった程度の自分が情けなく思えてくるときがある。しかし、何も恥じることはないのだ。それこそ育ちが違うのである。僕たちは、日本にいるのが当然だという前提で生きている。だが、母国で一生を全う出来るというのは、じつはそんなに自明のことではないのだ。

そのことを、先日『アルメニアへの旅』という映画を見て、あらためて思い知らされた。アルメニア出身でマルセイユに住む老人が、癌の告知を受ける直前に祖国へ逃亡する。フランス育ちで主治医でもある彼の娘アンナは、治療を受けさせるため、父を捜しにアルメニアの首都エレヴァンへ飛ぶ。そこで彼女は、共産主義崩壊後のアナーキーな拝金社会を目の当たりにする。医薬品の密売で財産を築くヤクザがいるかと思えば、たまたま入った美容院の少女までが、たどたどしいフランス語でアンナに国外脱出の便宜を図るよう持ちかける。この少女はナイトクラブで裸踊りをしてバイト代を稼いでいたが、麻薬取引の手伝いをしたことからマフィアに誘拐されそうになり、偶然居合わせたアンナまでがトラブルに巻き込まれてしまう。その後は、善玉マフィアと悪玉マフィアの間で手打ちがあり、少女も古い教会やアララト山の威容を眺めているうちに改悛し、最後はアルメニアにとどまる決意をする。一方、アンナの父親は、故郷で死ぬことを選ぶ。アルメニア人の心に触れた娘は、父の選択を尊重し、故郷の村に父のかつての盟友を集めてパーティーを開く。
 
以上が、映画の粗筋である。アルメニアは、隣国トルコによる1915年の大虐殺以来、世界中に亡命者が散らばっている。アメリカの作家ウィリアム・サローヤンや、フランスの歌手シャルル・アズナブールなどは、そうした移民の子として生まれ育ったのである。短編集『わが名はアラム』や、アズナブールの『彼らは倒れたIls sont tombés』といった歌は、彼らが出自を忘れていなかったことを証して余りあるだろう。現在のアルメニア人は、そうしたディアスポラの同郷人を頼って、荒廃した祖国を捨てて新天地を求めようとする。そのためには、たどたどしくても外国語ができるに越したことはない。アルファベットさえ異なるアルメニア語だけでは、世界のどこにも行けない。
 
国を捨てるとは、どういうことか。1940年代のアメリカによる空爆下においても、日本国民は田舎に疎開するだけで、列島を捨てて大陸に逃げようとはしなかった。単純に、海を越えるのは難しい。それに大陸も戦火に包まれていて、逃げ場所として意味をなさなかっただろう。とまれ、日本人は常に日本に留まってきた。国を捨てるということは、言葉を捨てることでもある。どこに逃げるにせよ、日本語は通じない。しかし、日本語の通じない場所に逃げなければ、生命の保証はない。そんな境遇に未だかつて日本人がほとんど陥ったことがないということ自体が、奇跡的な幸運であると言うべきなのかもしれない。

だが、国を捨て、言葉を捨てることは、世界で現に起こっている。イスラエルによる無差別爆撃を受けて、ベイルート市民のなかには、国を捨ててフランスに亡命することを真剣に考えている人がいる。レバノンは、第一次大戦後、フランスの委任統治を受けた(その際にシリアと分断されたことが悲劇の始まりでもあるのだが)歴史があるため、フランス語を解するレバノン人は今でも少なくない。祖国にとどまって生存の危機にさらされるよりは、国外脱出したほうがよい。しかし、一度捨てた祖国に戻って再び生活の基盤を築くのは難しいだろう。国を去るということは、国を捨てることに限りなく近くなる。
 
外国語を話せるのは素晴らしい。それは言葉の分だけ、生きていける場所を広げることができるからだ。どんな外国語学習も、潜在的には生存空間の拡大なのだということを、ときどきは心に留めておいてもいいのではないだろうか。フランス語がペラペラ話せれば、旅行に困らないだけでなく、いつか必要が迫れば(そんなことがなければよいが)、亡命だってできるかもしれないのだ。




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2006年09月06日

メトロの中の日本語

metro01.jpgある日、パリのメトロに乗っていたら、日本語が聞こえてきた。「じゃあ、駅に着いたらまた電話してね。」女性が携帯で話しているようだ。口調からすると、まだ若い女の子だろう。とくに興味を惹かれたわけではないが、なんとなく振り返ってしまった。ところが、日本人の姿は見当たらない。車内に必ず数人はいるアジア人の顔も、声が聞こえてきそうな範囲には一つもない。

日本語を話していたのは、フランス人の女の子だった。いや、フランス人かどうか、国籍までは分からない。少なくとも、容姿は完全な白人の女の子だった。僕はびっくりした。彼女が完璧な日本語を話していることにではなく、自分が日本語は日本人が話すものといまだに思い込んでいたことにである。

英語を勉強する日本人にとって、「ネイティブ」のように話すことは、無条件の到達目標である。無数の「英会話教室」では、日本人特有のアクセントを矯正することに、誰もが情熱を傾ける。フランス語を勉強する日本人も、たいていはフランス人のように話したいと思う。僕自身、「日本人っぽいアクセントがないね」などと言われて嬉しくなった経験はある。ならば、なぜ日本語を勉強する外国人が、日本人のように日本語を話せただけで、そんなに驚かなければならないのか。事態はまったく同じではないか。

僕たちには、日本語が国際語になり得るという考え方が乏しい。戦時期の植民地における横暴な言語政策に対する反省からか、日本語を称揚することは、国粋的で恥ずかしいことのように感じている。かつて言語学者の鈴木孝夫が、国際語としての日本語を推進する戦略について語ったことがあったが、それは1980年代、経済大国だった時期の日本を背景にした議論だった。

メトロのなかで日本語を聞いて僕が思ったのは、そういうことではない。日本語が外国人をつなぐ言葉として機能するのは、あたりまえのことなのだ、という感想である。ある言語は、それを共有する人のためのものであって、何らかの民族にのみ属しているわけではない。

この考え方を突き詰めていくと、英語だって同じことだと言える。グローバリゼーションが進むなか、英語一辺倒になるのは文化的によろしくない、他の外国語も勉強しましょう、という反論がある。確かに、グローバリゼーションの流れにあって、英語以外の言語はないがしろにされがちだ。だが、そもそも僕たちが外国語を学ぶのは、アメリカ人をはじめとする日本語を知らない外国人とコミュニケーションを図るための手段を手に入れるためであって、英語やフランス語をネイティブのように話すためではない。「ネイティブのように」とは、言語のスタンダードとしての役割しかない。スタンダードから外れたところでも、言語活動は成立するのだ。

英語教育に対する反論として、よく「一つの文化しか知らないと視野が狭くなる」というものがある。だが、僕は日本料理店の隣り合わせたテーブルで、アラブ人とフランス人のビジネスマンが、英語で互いの国の習慣を話し合っているのを聞いたことがある。外国語として英語を操るものは、必然的に自国文化+英語圏の発想を身につけている。だから、英語を自分の表現手段として使っている時点で、一つの文化しか知らないなどということにはなり得ないのだ。

むしろ深刻な問題は、何語にせよ、日本人がいかに自らの考えを発信することができるかどうかということではないだろうか。もしフランス人が日本語で見事にフランスのことを語ったとしたら、「流暢ですね」などと感心しているだけでは済まされない。あなたは、日本語で、同じように日本について語れるだろうか。別にフランスや日本という国に関してでなくてもいい。ある特定の話題について、なれ鮨の作り方や風力発電やグルジアの教会音楽について、外国語で話すためには、まず日本語で話せなければならないという、当たり前すぎることを、今一度考えてみる必要がありそうだ。



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posted by cyberbloom at 10:40 | パリ | Comment(0) | TrackBack(1) | 外国語を学ぶということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2006年06月22日

村上龍『アウェーで戦うために』

アウェーで戦うために―フィジカル・インテンシティ III「ホーム&アウェー」はサッカーがもたらした新しい対概念である。「島国根性とは、世界のどんな環境におかれてもビビらないタフさと対極にある、アウェー精神の欠落に他ならない。アウェーとは物理的な移動を意味するのではなく、内なる精神の問題なのだ」(あとがきより)。さらに付け加えれば、アウェーは内輪の論理や甘えや馴れ合いが通用しない場所なのだ。このサッカー・エッセイは中田選手がペルージャからローマに移った2000年前後の話が中心になっている。彼が最も輝いていた時期だ(決して過去の選手という意味ではない)。すでに5年以上が経過しているが、村上龍がサッカーを通して指摘している日本の問題はいまだにアクチュアルだ。つまり何も変わっていないということだ。

「みんなと同じ−を旨とする共同体の庇護は、もはや存在しない。中田英寿は世間の力を借りずに世界的になった」と村上龍は言う。中田英寿という人間の強度はそういう部分にある。そして今回のW杯ほど彼の勝利への意志が際立ったことはない。外国のプレスに対して自分の意志をあれだけ明確にアピールした日本選手はかつていただろうか?

「国家の品格」というホーム根性丸出しの本がバカ売れしたり、アンケートをとったら「サザエさん」が理想の家族の1位だったり、日本人は相変わらず「ホーム」という概念と決別できないでいる。いや、そんな悠長なことを言っている場合ではない。ホーム根性がしみついた日本人をすでにグローバル化の波が脅かしている。グローバル化した世界とは、日本に居ながらにしてアウェー状態にさらされることだ。否応無しにグローバル・スタンダードによって組み替えられていく国境のない世界で戦わなければならない。それが日本人が直面している最大の危機だ。すでにアウェー状態になっていることに気が付かずに、まだホームにいるつもりでいる人々が実に多い。そして薄々気が付き始めた人たちは、不安におののき、「ホーム」で何が悪いと居直る始末だ。もっともそうなるのも無理はない。閉じた共同体の中で庇護されてきた日本人は、アウェー精神とはもっとも縁遠いところにいたからだ。

例えば、日本のスポーツ界においてホーム根性が発揮された象徴的な出来事として思い出されるのが、2001年に近鉄のローズが王監督の年間ホームラン記録(55本)に並び、それを抜こうとしたとき、対戦したダイエーのピッチャーがローズを敬遠し続けた(それ以前にも54本を打った阪神のバースが同じような目にあった)。それを指示したコーチが、ローズはいずれアメリカに帰る選手。そんな選手に王監督の記録を抜かせたくない、と言った。アメリカに渡ったイチロー選手が、それから3年後の2004年、メジャーリーグで年間最多安打を記録したとき、いずれ日本に帰る選手だと言って、相手のピッチャーが敬遠しただろうか。あのローズの敬遠を機に、若い選手のメジャーリーグ志向が強まったとも聞く。ホリエモンが近鉄の買収を試み(日本の球団を買おうという発想からすでにライブドアは終わっていたのかもしれない)、古田選手会長がストライキを決行した際には、様々な提言がなされ、議論が交わされた。セパ交流戦は実現したが、基本的な体質は温存された。

海外に移籍することは常に「アウェイで戦う」ことだ。サッカーは選手間のコミュニケーションが重要なスポーツのひとつだが、中田選手は最初から語学に意識的な選手のひとりだった。一時、よくフェイエノールトの試合をよく見ていたが、試合後のインタビューで小野選手が、フランクな英語だが、自分の言葉で語っていたのには、とても好感がもてた。アウェイでは言葉が武器になる。日本にいると少なくとも言葉が武器だという認識は生まれない。日本人が外国語が苦手な原因もおそらくそこにある。ホーム根性がしみついてる人間は、他者とコミュニケーションをとりたいとも思わないし、切羽詰った必要にもかられることもない。アウェー精神を伴ってこそ外国語は力を発揮するのだ。

相変わらず日本代表チームのFWの決定力不足が言われるが、まさにアウェーで経験を積み重ねていくしかないのだろう。リトバルスキーがクロアチア戦に関して「日本の選手は1対1の局面で突破しようとしない。リスクを犯さなければチャンスは生まれない」と言っていた。村上龍も2000年時点の日本代表チームについても同じことを言っていて、「1対1の局面から逃げ、集団に逃げ込むようにパスを出す」という表現をしている。クロアチア戦でゴールを外し、ドイツの新聞でも叩かれていた柳沢選手は同郷で、彼が高校生のときから応援しているが、私としては同郷人ということをあまり意識させられたくない。それは共同体的な内輪の喜びにすぎないのだから。彼にも強烈な「フィジカル・インテンシティ」によって向こう側に突き抜けて行って欲しい。

「アウェーで戦うために」は「フィジカル・インテンシティ」(身体的強度)と題された村上龍のサッカー・エッセイ集の第3集。現在第5集「熱狂、幻滅、そして希望2002FIFA World Cupレポート―フィジカル・インテンシティV」まで出ています。文庫版は下の2冊。

■「アウェーで戦うために―フィジカル・インテンシティIII」知恵の森文庫
■「奇跡的なカタルシス―フィジカル・インテンシティ II」 知恵の森文庫



cyberbloom

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