2009年12月17日

フランス・モデルの再評価(2) フランス・テレコムの自殺騒動が語ること

フランス・モデルの最大の特徴は、必要最低限の生活に不可欠なものを国家が提供するという点にある。国家は、いざというときの備えを提供し、富を再分配し、景気が悪いときは需要を下支えする。しかし、フランスの場合、必要なものを国民に提供するのはもちろんのこと、さらに計画と規制と言う二つの役割まで担っている。

フランスは第2次世界大戦後、経済復興のためにコルベール時代のような国家計画を実施した。それが栄光の30年と呼ばれる、1945年から75年までの経済的な繁栄をもたらした。そのような成功体験のおかげで、コルベールの精神が今も生きているのである。

コルベール的な計画経済が最も機能するのは公共インフラを整備する長期計画であろう。最近、サルコジ大統領は新しい地下鉄を作る10年計画を発表した。自動運転される新しい路線は、パリの郊外を経由し、主要な空港を結ぶ環状線になるようだ。さらにTGVの鉄道網も拡大を続けている。

フランス政府が原子力発電に力を入れることを決めたのは1970年代のことだ。オイルショックと石油不足に対応するためだった。フランスは現在電力の78%を原子力でまかない、電力の純輸出国になっている。フランス電力公社(EDF)とアレバ(Areva)という世界屈指の原子力関連会社を擁するフランスは、耐ミサイル、耐震の最新世代の原子力発電所 EPR を開発し、他国も同じデザインに倣おうとしている。

管理への衝動は、フランス国家の3つ目の役割にまで及んでいる。それは規制である。フランスはルール作りのチャンピオンである。ひとりの薬剤師が持てる薬局の数(一軒)も、パリ市内を走るタクシーの台数(1万5300台)も規制で決められている。大型トラックが高速道路の走行を許される時間帯(日曜日以外の)だけでなく、店がセールをできる期間(1年に2回、期間も役所が決める)も規制で決められている。2週間自由にセール期間を選んでよいという新しいルールが出来たとき、それは革命的な出来事として迎えられたほどだ。

それでも金融部門の規制は、現在の金融危機に対処するにあたって、役立ったと言える。フランスの大手銀行は多額の損失を出しているが、業績は確実に英米の銀行を上回っている。フランスでも不動産価格が急上昇したが、それは投機的な売買のせいではなく、人口の増加や、可処分所得の増加、住宅の供給が少なかったことが原因なのだ。

もっとも、規制の効果を算定することは難しい。フランスのある高官によると、半分は融資に慎重な伝統のおかげ、半分は規制が厳しいおかげだそうだ。フランス政府は自国の銀行に国際基準よりも厳しい自己資本規制を課している。金利負担が借りての所得の3分の1を越えるローンは組まないように推奨され、返済可能な額を超える債務を借り手に負わせてはならない法的な義務がある。制度が融資を慎重にさせる仕組みになっている。

フランス・モデルのおかげで、フランス人はクレジットカードで無駄遣いをすることもなかった。需要は支えられ、不平等はそれほどひどくはない。大聖堂は修復され、花壇にはきれいに花が咲いている。これらはフランス・モデルがうまく機能していることを意味しているのだろうか。落とし穴はないのだろうか。

その答えは、成長率の低さや失業率の高さという、失望的なマクロ指標にある。それはフランス・モデルが国家に割り当てている先の3つの役割から説明できる。

医療と福祉を支えるためには雇用主に重い社会保障の負担をかけることが避けられない。そのため、フランスの企業は雇用の創出に消極的で、インターンや派遣社員を使いまわすことも多い。フランスの失業率は現在8・6%で、アメリカとほぼ並んでいる。フランスがアメリカと違うのは好景気でも8%を切らないことだ。

つまり、フランスの労働市場は二分されている。一方は十分な給料をもらっている正規雇用の市場。正規雇用者は労働組合が交渉によって作り上げた業界慣習によって保護される。もう一方は保護されていない短期雇用者の市場。仕事に全くありつけない場合もある。とくに若者は労働市場から締め出されており、25歳以下の失業率は21%という驚異的な高さだ。イスラム系の多い郊外ではその倍にまで跳ね上がる。

コルベール流の国家計画は大規模な計画の立案や実行には有効だが、現場からアイデアを取り入れたり不安定な市場の動きに対応するのには向かない。それにフランスはベンチャー企業が少なく、中小企業も成長できない。パリ証券取引所に上場している企業の多くは創業50年以上だ。

確かに国家による規制はフランス経済を金融危機から守ったのかもしれないが、裏を返せば好景気になっても経済が活性化しないことを意味する。不況時に安定している経済は、好況でも活力がなく、ダイナミズムに欠ける。弾力性のないフランス・モデルは社会の連帯を守ることはできるが、活力ある経済成長ももたらすことはないのである。


以上が「フランス・モデル」(英「エコノミスト」掲載)の後半である。このレポートを読んでいて、フランス・テレコムの自殺騒動(結局24人が自殺)を思い出した。情報通信技術が時代の主役に躍り出て以来、企業において研究開発やイノベーションが重要になった。レポートの中に「コルベール流の国家計画は、現場からアイデアを取り入れたり不安定な市場の動きに対応するのには向かない…それにフランスはベンチャー企業が少ない」と書かれているが、今の時代のイノベーションは事前に計画できるものではない。公共インフラの整備や製造業においては、目的は最初から決まっているが、情報通信産業では目的を試行錯誤によって探すしかないし、たとえ見つかったとしても、目的は次々と刷新されていく。この変化は産業構造だけでなく、その中に編成される人間のあり方まで変えてしまった。

フランス・テレコムの事件は、正社員が制度的に保護されているせいで、逆に精神的に追い詰められてしまうこと、つまり、新しい産業構造が流動性を求めているのに、国の方が古い制度を維持しているせいで、正社員の意識がそのあいだで引き裂かれていることを示している。しかし、日本のように、それが企業に過剰な雇用の流動化の口実を与えてしまいかねないことが難しい問題である。

フランスといえばバカンスだが、バカンス制度を維持できるのもそういう保護主義があるからだろう。人間が人間らしく生きること。それは若者や移民など、一部の国民さえも排除しつつ維持されているのだ。グローバリゼーションの観点からすれば、フランスは既得権益の砦のように見えてしまう。フランスの友人がタイミングよく「フランスで出回っているジャガイモの多くはイスラエル産だ、と共産党系の新聞に書いてあった」とメールしてきた。農業国の象徴的な生産物であるジャガイモでさえ、とっくに競争に勝てていない。

コルベール流の計画経済なんて、ポストフォーディズムの資本主義と真っ向から対立するものである。後者は安いジャガイモとは違うやり方で、従来の組織と人間のあり方をずらしながら内側から突き崩していく。フランス・モデルは次の不況まで持ち堪えられるのか。こちらの方が気がかりである。

「フランス・モデルの再評価(1)」





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2009年12月15日

フランス・モデルの再評価(1) The French Model

フランスでは地上50メートルの高い場所で景気刺激策が行われる。13世紀に立てられたゴシック大聖堂の大掃除である。職人たちがブラシを使って屋根の汚れを落とすのである。フランス政府は現在、景気対策の一環として総額260億ユーロのプロジェクトに取り組んでいるが、大聖堂の修復工事もそのひとつ。アメリカから景気刺激策をやるようにうるさく言われたが、フランス政府の対策はインフラの整備を前倒しで実施するだけであった。いかにも国家主導主義の伝統を持つフランスらしいやり方だ。

フランスは弱者には優しいが、その分、税が重く、規制も多く、保護主義色が濃い。このような国はヨーロッパでは珍しくないが、フランスは際立っている。なにしろルイ14世の財務総監を務めたコルベール Jean-Baptiste Colbertの時代から国家主導で、道路や運河や大工場が建設されていたのだから。

フランスの経済・社会モデルは漠然と「フランス・モデル The French model 」と称されている。このフランス・モデルは近年、経済成長や雇用創出も満足にできない制度として厳しい批判にさらされてきた。

批判していたのはイギリスやアメリカだけではない。フランスの大統領ニコラ・サルコジも批判者のひとりだった。サルコジ大統領はいまでこそ自由放任型の資本主義は終焉したと主張しているが、彼が大統領選で勝利できたのは、停滞するフランスモデルに代わるものとして、アングロサクソンモデルを賞賛していたからだ。今でこそ、カーラ夫人のせいで左傾化しているとさえ言われているが。

フランスは他国と同じように世界的な景気後退の大打撃を受けている。今年2月の失業率は8・6%に達していた。とはいえ、フランス経済が受けた打撃は他国に比べて弱かった。これまで何かと財政浪費で非難されてきたフランスだが、財政赤字もかなり低く抑えられている(フランス6・2%、イギリス9・8%、アメリカ13・6%)

フランス人は貯蓄に励む傾向が強く、無理な住宅ローンを組んだり、クレジットカードを使って散財したりしない。フランスでは政府が銀行を救済する状況に陥る気配すらない。最近イギリス人やアメリカ人はフランス的な言動をするようになっており、それをフランス人は面白がっている。例えば、オバマ大統領はアメリカ国民に対して節約や貯蓄、モノつくりを奨励し、富の再配分と医療サービスの充実を訴えている。金融立国として名を馳せたイギリスはサブプライムのダメージも大きく、ブラウン首相が「自由放任主義型経済の時代は幕を閉じた」と宣言。財界人は「金融の蜃気楼」に頼るのではなく、まともな産業政策を実施するよう政府に要求している。ル・モンド紙は「かつて酷評されたフランスモデルが、危機の到来で再び脚光を集めている」と書きたてた。

確かに失業への不安は感じられる。その一方で景気がさらに悪化しても公共部門と社会福祉システムが下支えしてくれるだろうという安心感がある。公共部門で働く雇用者はフランス全体で520万人いて、就労者全体の21%にあたる。景気後退の影響をわずかに受けるだけで済む就労者と定年退職者は50%近くにまで達する。フランス・モデルは不況の衝撃を緩和する役割を果たしている。加えて、フランスには手厚い社会保障制度がある。失業手当は前職の給与の70%ももらえることもある。子供手当てなど、家庭を支援する各種手当ても充実している。フランスの医療制度は官民の双方が負担し、誰でも医療サービスが受けられる。民間の医療保険に加入できず、医療費を払えない人には、資産調査をしたうえで国家が医療費を負担する。

ラガルド財務省は、こうした安定装置が需要を下支えする効果を発揮しており、景気刺激策のひとつとみなせるという。「フランスではもともとショックへの緩衝材が備わっていたので、それを利用するだけで充分でした。私たちは雇用制度や医療・福祉制度を作り直す必要がなかったのです」



以上は、「フランス・モデルの再評価」(英『エコノミスト』掲載)の前半部の抄訳である(ちょっと補足も加えた)。それまで評価の低かったことが金融危機の際に再評価されるという論調は、日本に対してもあった。例えば、日本はバブルの崩壊の教訓を生かして、いくら欧米の金融機関に金融デリバティブを買えと言われても、金融危機の引き金になった悪魔の商品に手を出さなかった(「サムライの復讐」in『ル・モンド』紙)。つまり日本の金融鎖国的な態度(それは規制の産物にすぎなかった)によってサブプライムの直撃をまぬがれたというわけだ。その後、三菱UFJがモルガンスタンレーに出資したり、野村がリーマンの欧州・中東部門を買収したり、日本の金融機関は余裕があるかのように見えていたが。

日本とフランスの大きな違いと言えば、フランスが国家主導で社会インフラを整備してきたのに対し、日本の福祉に対する公的支出は先進国の最低の水準にとどまり、その代わりに企業が従業員の福利厚生を丸抱えしてきたことである。終身雇用、年功序列型賃金制度に支えられた日本型雇用は、経済成長が続く限りはうまく回っていたが、そのシステムが崩壊して、従業員が外に放り出されたとき、それを受け止めるセイフティネットが何も用意されていないことをさらけ出してしまった。もちろんフランス・モデルにも負の側面がある。それは次回に。




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2009年11月04日

フランス文化の死(3) 復活への処方箋

「フランス文化の死」の訳は今回で最終回。予想以上に長くなってしまったので、だいぶ端折りました。タイトルがセンセーショナルなせいか、アクセスも多いです。今回は内容を補足するための注釈をつけてみました。


サルコジ大統領(※1)は去年の夏、文化の民主化を訴えて、フランスのインテリたちをゾッとさせた。多くの人々は文化政策を専門家の判断ではなく、市場の力に委ねることを意味すると理解した。サルコジは他にも戦うべき敵がいるので、今も広く支持されている文化助成に戦いを挑むことはないだろう。

しかし、フランス政府は税制を見直すことで民間の参加を促せる。もっと民間が参入し、文化機関がもっと自律性を持てば、フランスは大きな文化復興を経験することになるだろう。サルコジのクリスチーヌ・アルベネルとの約束は、彼が個人の指導力を支援しているように見える。彼女はベルサイユ宮殿の館長として、個人の寄付を掘り起こし、ビジネスの協力を取り付けた。またルーブル美術館はアトランタとアブダビの分館にライセンスを与えることを決めている。

最も難しい仕事はフランス流の考え方を変えることだろう。6000万人のフランス人を同じように変えてしまうことは危険だろうが、商業的な成功を信用しないというフランス人に染み付いた考え方には一定の傾向がある。世論調査によると、フランスの若者たちはビジネスでキャリアを積むよりも、公務員になることを望んでいる。アメリカ人はアーティストたちが成功すれば、それは良いことと考える。しかし、フランス人は成功をあまりに商業的すぎると考える。成功は悪趣味なことなのだ。

TAXi2 スペシャル・エディション [DVD]また他の国々は最新の情報を使いたがる。特に、イギリス、ドイツ、アメリカは自国の膨大な文化生産物に目が向くあまり、フランスにかまっていられない。「私が素晴らしいフランスの新しい小説の話をしても、ニューヨークの出版者はそれはあまりにもフランス的だと言う。しかし、アメリカ人はフランス語が読めない。だから彼らは本当にフランスの小説がどんなものか知らないのだ」。リヨンにある文化センターの所長は言う。

しかし、外国人が見落としていることは、実はフランス文化は驚くくらい元気なことである。フランス映画はより想像力に満ち、よりとっつきやすくなっている。リュック・ベッソンとジェラール・クラヴジック(※2)を見るだけでよい。それらは陽気な香港スタイルのアクション・コメディー・シリーズである。あるいは知的だが一般受けもするセドリック・クラピッシュの「スパニッシュ・アパートメント」やジャック・オディアールの「真夜中のピアニスト」のような作品もある。両方とも外国映画のロードショーでヒットしている。

スパニッシュ・アパートメント [DVD]フランスの小説も次第に「今とここ」に焦点を当て始めている。ヤスミナ・レザの「L'aube Le Soir Ou La Nuit」は最近のサルコジの大統領選挙について書かれている。もうひとつ注目を集めているオリビエ・アダンの「A l'abri de rien」は悪名高いサンガットの難民キャンプ(※3)に関わる話である。日本の影響を受けたフランスのバンド・デシネ作家たちのおかげで、フランスはグラフィック・ノベルという文学の最もホットなジャンルを先導している。カミーユ、バンジャマン・ビオレ、ヴァンサン・ドゥレルムはシャンソンを復活させ、セネガル生まれのMCソラー、キプロス生まれのディアムス、コンゴ移民の子のアブダル・マリクのようなアーティストはストリートのスラング(=verlan:ひっくり返し言葉)を使い、アメリカ産のラップを先鋭的で詩的なラップに作り変えている。

真夜中のピアニスト DTSスペシャル・エディション [DVD]そこにフランスが世界的な栄光を取り戻す鍵がある。フランスの怒れる、野心的なマイノリティーはあらゆる分野で文化にコミットしている。フランスは多民族的な文化の市場になっており、そこには、バンリュー(パリ郊外)や白人世界とは全く異質な一角からアートや音楽や文学作品がもたらされている。アフリカやアジアやラテンアメリカの音楽はおそらく他の国よりはフランスの方が売れる余地があるだろう(→ワールドミュージック※4)。またフランスの映画館ではアフガニスタン、アルゼンチン、ハンガリーや他の遠い国々からの作品が常に上映されている。あらゆる国の作家たちがフランス語に訳され、それは必然的に次の世代のフランスの作家たちに影響を与える。割り当てや助成金にもかかわらず、フランスは外国文化に目の利く人々にとってのパラダイスである。「フランスは、他のいろんな国からやってきた人々が、すぐに絵を描いたり、フランス語や別の言葉で物を書きを始めることができる国だ」とグラフィック・ノベルをもとにした「ペルセポリス」の作者であるマルジャヌ・サトラピは言う。「フランス文化の豊かさはそのような特色の上に成り立っている」。

Rose Kennedyもし周辺からの新しいエネルギーの注入がなかったら、どうやって文化大国のままでいられるのだろうか。ちょっと文化の定義を広げるだけで、フランスが影響力によって他を凌駕できる3つの分野を見出せる。まず、フランスは、コスモポリタンなデザイナーたち(※5)の鋭敏なアンテナのおかげで、ファッションの世界的なリーダーである。ふたつ目は、フランス料理で、それはイタリア料理やアジア料理の伝統とともに、世界標準であり続けている。三つ目は、フランスのワイン生産者たちだ。彼らは新しいワイン産地との競争に直面しながらも、優れた品質の評判を維持するために、外国で改良された技術を取り入れている。多くのフランスのブドウの木はかつて、病気に強いアメリカからの台木に接木されたのは明白な事実なのだ(※6)。「私たちはグローバリゼーションのリスクをとらなければならない。外の世界を迎え入れなければならない」と先述のリヨンの文化センターの館長は言う。

戦後のフランス文学の巨人であるジャンポール・サルトルは、1946年に当時のフランス文学に影響を与えたヘミングウエイ、フォークナーなどの作家に感謝すると書いた。それはアメリカ人たちがフランスからの影響を当たり前のものと思い始めていたときだった。「私たちはあなたがたが借してくれたこれらのテクニックをあなたがたに返すつもりだ」とサルトルは約束した。「ひとつの国民が創り出し、そのあと拒否したものを、他の国民の中に再発見させる、この絶え間ない交流によって、あなたはこれらの新しいフランスの本の中に古いフォークナーの永遠の若々しさを発見するでしょう」

このようにして世界は、フランスの永遠の若々しさを発見することになるだろう。フランスは、長い栄光の追求のあいだに、借用の芸術に対する洗練された鑑賞力を磨いてきたのだ。フランスの文化制度の慣習的な考え方によって、フランス文化の凋落に対していらだつのをやめ、周辺的な文化の盛り上がりを支持するとき、フランスは文化的な力として再び評価され、文化的な実りの多い国になるだろう。


※1)サルコジ大統領 
■サルコジ大統領も就任以来、折に触れ、文化特例を擁護する発言をしている。
■例えば、去年のカンヌ映画祭の祝賀式典のスピーチで、映画祭の継続的な成功はフランスの文化遺産保護につながっていると語り、自国の文化特例政策を称賛している。フランスでは、国産映画の支援だけでなく、海外作品のテレビ放映制限が行われ、また全興行収入の何割かを新作制作の資金に充てている。「現代のクリエイティブな活動を活性化する文化特例政策を具体化し、擁護するフランスに誇りを感じる。フランスはこの映画の財政支援方法を守らねばならず、単なる助成金としてはならない。文化特例政策は興行収入の好循環を生んでおり、この財源が制作活動を活性化している」とつけ加えた。欧州各国の映画市場でアメリカ映画は軒並み90%のシェアを占めるが、フランスでは2006年時点で45.8%にとどまっている。
■今月、シラク前大統領がフランスの声を世界に発信する「仏版CNN」にしたいと力説し、2006年末から放送が始まったFRANCE24 について、「フランスの納税者の金を使うのだから、フランス語を話さないテレビのチャンネルには賛成できない」と、海外向け英語放送を打ち切る方針を発表し、関係者を困惑させている。

※2)ジェラール・クラヴィジック
■リュック・ベッソン・プロデュースの「TAXi」シリーズの2作目以降を監督。またジャン・レノと広末涼子をフィーチャーし、東京を舞台に撮った「WASABI」もある。これらは娯楽色の非常に強いB級アクションだが、マルセイユを舞台にした「TAXi」にはフランスの多民族的な背景があり(音楽にも IAM やDJ Kore & Skalp を起用)、また「WASABI」はテクノオリエンタリズムの作品として「ブレードランナー」の延長線上にある。
□関連エントリー:「WASABI

※3)サンガット収容所
■サンガット収容所は、英国を目指し、英仏海峡を渡るためにフランス北西部カレー付近に待機していた主として中東からの不法移民を収容していた。サンガット収容所は赤十字が運営していたが、もともとユーロスター建設のために設けられた倉庫で、そこには当時2000人以上の不法移民が収容されていた。収容所の多数を占めるアフガニスタン人とクルド人の対立から、騒動が何度も起こり、死者も出て、付近住民からも不満の声が上がっていた。 サルコジ大統領が内相時代にサンガットを訪問して、閉鎖を要求する英国内相とも協議を重ね、その結果、2002年11月5日から、同施設への不法移民受け入れを禁止し、翌年4月には閉鎖することを決定。人道団体などが閉鎖に反対し、難民保護を訴えて抗議行動を起こしたが、治安悪化への対処のしようもなく、英国も閉鎖を強く望んでいた。
■先回、フランスは「ヌーヴォー・ロマン・コンプレックス」にとらわれているという話があったが、過剰な自己耽溺や、メタ文学(文学そのものをネタにした文学)など、ひとりよがりな表現にこだわり、オタクな内輪ノリで完結するよりも、グローバリゼーションのもたらす多様な現実や問題に目を向けていく方がはるかに重要だし、実りが多いだろう。文学は本来コミュニケーションや公共性に大きく関わることなのだから。

※4)ワールド・ミュージック
■「ワールド・ミュージック」という言葉は、1982年6月にフランスで開催された音楽フェスティバルの名称「Fête de la Musique」の訳語として使われた。これを契機にフランスは1980年代以降、パリはワールド・ミュージックの発信地となった。とりわけ、当時は欧米のポップミュージックの影響を受けた新しいアフリカの音楽が興っていて、フランスは旧宗主国という立場もあり、パリはそれらの欧米進出の足がかりになった。マリの王家出身のサリフ・ケイタ Salif Keita はパリ郊外に移り住み、セネガル出身のユッスー・ンデュールYoussou N'Dour (日本ではホンダのCMで使われた「オブラディ・オブラダ」のカバーが有名)がしばしば演奏に訪れた。彼らと一緒にキング・サニー・アデ King Sunny Ade の名前も思い出される。他には、パリ在住のマルチニーク系ミュージシャンが80~90年代に創り出したフレンチ・カリビアン・ミュージック、「ズーク・サウンド」の代表、カッサヴ Kassav や、ストリングスを取り入れた曲が特徴的なマルチニークの現地グループ、マラヴォワ Malavoi が活躍していた。アイドル女優、ブリジッド・バルドーが、ジプシー・キングスを発見し、世界に紹介したエピソードも知られている。アルジェリア発のアラビアン・ポップであるライ raï もフランス経由で世界的に支持されている音楽のひとつだ。ライはすでに多様な展開を見せているが、シェブ・マミとスティングのデュオ「デザート・ローズ」(1999年)によって世界的な認知を獲得し、2004年にはフランスでDJコールとスカルプ(DJ Kore & Skalp) プロデュースによるアルバム「Rai'n'b Fever」が大ヒットした。ライに関しては、raidaisuki さんのブログ「フランス語系人のBO-YA-KI」が詳しい(FBNにもライの記事「ライ RAI!」を寄稿していただいている)。

※5)コスモポリタンなデザイナーたち
■ルイ・ヴィトンはすでにグローバル企業体LVMH(モエヘネシー・ルイヴィトン)として、いくつものヨーロッパやアメリカの企業を傘下に収めている。フランスの血統や伝統を守ることにもあまり関心がないようで、その人脈は国際的に入り乱れている。ヴィトンのプレタポルテを始めたデザイナーのマーク・ジェイコブスはアメリカ人だし、傘下のディオールで活躍するのもイギリス人のジョン・ガリアーノ(ジブラルタル生まれ)だったり。昔はヴィトンのバッグを作るのに1週間以上かかり、品切れ状態が当たり前だった。そういう頑固な職人気質によって作られ、フランスのブルジョワの伝統の中で愛用されてきた。しかし、今はチーム体制で1日で作り上げられる。東京にもメガストアが進出し、グローバルなアイテムとして流通している。
■バッグだけではない。マーク・ジェイコブスのクリエイティヴ・ディレクター就任後、ルイ・ヴィトンはグローバルな「冒険」を続けている。例えば、村上隆を初めとする現代美術のアーティストとのコラボレーション、話題の女優を国籍を問わず起用する広告キャンペーン(「ヴェルサーチのきわどいドレス」で有名になったジェニファー・ロペス)、ゴルバチョフなど非ファッション界の有名人を使った広告も記憶に新しいところ。これまでの保守的でハイソなイメージに揺さぶりをかけている。そして、最新のファレル・ウイリアムズとのコラボは、本流のファッション業界の旗頭である老舗が、亜流とみなされてきたアメリカのヒップホップ・ファッションと手を組んだことが注目を浴びている。
□関連エントリー「ヒップ・ホップのスターと手を組むルイ・ヴィトン

※6)フランスのぶどう
■19世紀後半には害虫フィロキセラによりフランス全土の葡萄が壊滅的な被害を受けるが、これに耐性のあるアメリカ産ぶどう品種の台木に、フランス産ぶどう品種の穂木を接木することで克服した。文化は借り物であり、ミクスチャーであることをこの事実に象徴させている。


フランス文化の死(2) 過去の遺産と現代の文化




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2009年10月28日

フランス文化の死(2) 過去の遺産と現代の文化

アメリカの雑誌「タイム」のヨーロッパ版に掲載された「フランス文化の死」の続き。



time1107.jpg文化的な衰退は評価しにくい問題である。一部の保守的なフランス人は伝統的に19世紀と20世紀初めの厳密な階級社会に対してノスタルジアを抱く。逆説的に、その堅苦しい時代が反動的にその後のフランスの文化に活力を与えたのである。多くのフランスの芸術家たちは教育制度に反抗することによって生まれた。ロマン主義、印象派、モダニストの芸術家たちは当時のアカデミックな基準に対する反逆者だった。しかし、その基準は極めて高く、それに反抗する芸術家たちの質をも高めることに貢献した。

もちろん、文化の質はそれを見るもの視点にかかっている。まさにそれが文化の意味なのだ。文化(=culture)はもともと農業などでモノが育つことを指していた。その後、現代になって、文化人類学者や社会学者が、大衆が熱狂する低級な文化を含む言葉として文化の意味を広げたのである。

フランス政府は幅広い文化活動をサポートするのにGDPの1・5%を支出している(ドイツは0・7%、イギリス0・5%、アメリカ0・3%)。文化省は11200人の公務員を擁し、美術館、オペラ座、演劇祭などの主要なハイカルチャーに気前良く金を出す。しかし、文化省はまた1980年代にアングロサクソンに対する競争力を高めるためにロックンロール大臣を任命したこともある(成功しなかったが)。同じように国会は2005年にフォワグラを国の文化的な遺産に指定することを決めた。

文化助成金はフランスに偏在している。映画の制作者は非ポルノ映画であれば前払いで受け取ることができる。フランスの主要な有料チャンネルであるCANAL PLUS(カナル・プリュス)は収入の20%をフランス映画の権利を買い取るのに使わなければならない。40%のテレビのショーとラジオの音楽はフランス語であることが法律で決まっている。時間帯の割り当ても決まっていて、フランスの番組が深夜に追いやられることはない。またフリーランスのパフォーミング・アーティストとして働く場合は、政府から特別の手当が支給される。画家や彫刻家は補助を受けたスタジオが与えられる。また外務省も他の主要国の文化活動までも援助している。フランスは飛行機一杯分のアーティストやパフォーマーを外国に送り出し、148の文化グループ、26の研究所、176の海外の発掘調査に助成金を出している。

これらの有利な条件にも関わらず、なぜフランス文化は外国で成功しないのだろうか。ひとつの問題は多くのものがフランス語で書かれているからである。しかし、フランス語は今や世界で12番目の言語にすぎない(1番は中国語、2番は英語)。1940年代50年代フランスは芸術シーンの中心で、「注目されたかったらフランスに行け」だったが、今はニューヨークに行かなければならない。

もうひとつの問題は助成金だろう。アメリカは政府の助成金なしで多くの質の高いハイカルチャーを生み出している。助成金は個人や民間(そして個人や民間のお金)が文化的な空間に参入するのを妨げていると批判する者もいる。

他の批評家は次のように警告する。文化産業を保護することはそれらの魅力を狭めることになると。割り当てと言語の壁に守られた国内市場では、フランスの制作者は海外で売らなくても繁盛できる。フランスの映画は5本のうち1本しかアメリカに輸出されない。もしフランス人が何がアートで何がアートでないかを決めることができる唯一の国民だとすれば、フランスのアーティストたちはうまくやっていけるだろう。しかし、プレイヤーはフランス人だけではない。フランス人も外を見なければならない。

フランスの国民性もその原因のひとつだろう。抽象と理論が長い間フランスの知的な生活で称揚され、フランスの学派で強調されてきた。その傾向はフランスの小説に顕著である。フランスの小説は、内省的な1950年代のヌーボーロマンの運動の影響に今も苦しんでいる。今日最も批評家に崇拝される小説家の多くは優雅だがどうでもよい小説を書き、それはあまり売れない。オートフィクション autofiction と呼ばれる小説を書く小説家もいるが、それは深い自己耽溺の中で表現することを前面に出した自叙伝のようなものである。アメリカの作家はハードに仕事をし、成功することを望む。しかし、フランスの作家は知的でなくてはと考えるのだ。

逆に当のフランスでは外国の小説、特に時事的な、リアリズムの小説がよく売れている。フランスでは文学は依然まじめなものとみなされている。しかし、アメリカの小説を見ると、それは何らかの方法でアメリカの状況を描いている。フランスの作家たちも面白いものを書いてはいるが、彼らはフランス自身を見ていない。

フランス映画もヌーボーロマン・コンプレックスに苛まれてきたが、今では「アメリ」のような巧みで、商業的にも成功する映画を作ることができるようになった。しかし、多くの外国人にとってフランス映画の冗長さの汚名は消えていない。

(翻訳部分はここまで。長いのでまだまだ続く)



相変わらずパリは世界の旅行者が最も訪れたい都市のナンバー1の地位をキープしている。パリは今年の日本の卒業旅行の目的地のNo.1にもなり、その魅力は美術館が充実していることにあるようだ。中央集権国家であるフランスは、昔から文化に対しても国家的にコントロールしようという欲望が強く、文化は国家的な権威と密接に結びついてきた。それはパリの都市計画にも反映されていて、文化の殿堂や歴史的なモニュメントが主要ポイントに配置されている。今のパリの街並みの土台は19世紀の半ばにオスマンが築いたものだが、1980年代にも大規模な都市改造があり、ルーブルのピラミッド、オルセー美術館、アラブ世界研究所、新凱旋門(郊外のデファンス地区)などが付け加えられた。パリほど文化を国家の威信と重ね合わせて感じることができる場所はない。

一方で、フランス文化の担い手は誰なのかということを考える場合、少なくともアーティストたちがフランス文化の振興ということを絶えず自覚しながら活動することなんてありえない。彼らは自分のやりたいことを、やりたいようにやるだけだ。自分の作品を多くの人々に知らしめるために言語や表現方法を選ぶだけだ。今ではフランス絵画の重要な流派とみなされている印象派は、タイムの記者が書いているように、当時のアカデミズムに対する反逆者であり、マネもルノワールも最初のうちは全く理解されず、酷評されていた。しかし、今や国立美術館という国家の文化制度に不可欠なものになっている。国はいつもあとから囲い込むのである。

インターステラ5555-The 5tory of the 5ecret 5tar 5ystem- [DVD]しかし、過去の遺産をうまくコントロールできても、今の文化に対してはさすがに分が悪いようだ。ダフト・パンク Daft Punk の「ディスカヴァリー」が世界的にヒットしたとき、ル・モンド紙が文化蘭一面を使って彼らをフランス発の世界的な成功者として紹介した。しかし、彼らは英語で歌っていたし、そのアルバムで日本のアニメクリエーター、松本零士と、CDのジャケットやビデオをクリップ(「インターステラ5555-The 5tory of the 5ecret 5tar 5ystem-」として結実し、カンヌにも出品)を共同で制作した。彼らは日本のアニメを見て育った世代で、「日本は第2の故郷だ」とまで言っている(実はフランスは日本やアメリカに対抗するために国内産アニメの育成にも助成を惜しまない)。それは全くフランスの伝統文化の痕跡を見つけようがない、グローバリゼーションの象徴的な産物だった。この傾向はフレンチ・タッチ(エレクトロ)と呼ばれるジャンルに顕著で、今年、「D.A.N.C.E.」が流行ったジャスティス Justice はフランス発だと全く意識されずに聴かれている(FRANCE 24も2007年の回顧の中で最も若者に支持された音楽として取り上げていた)。

また、1994年に当時の文化大臣、ジャック・トゥーボンが国民議会の演説でMCソラーの名を挙げたのは有名なエピソードだ。「みなさん、MC Solaarをお聞きください。以前にはボビー・ラポワントやボリス・ヴィアンがやろうとしていたことを、今度は彼がフランス語でやるのを聴くことになるでしょう!」と、伝統的なフランスの詩人と同じくらい巧みにフランス語を操るセネガル生まれのフレンチ・ラッパーを褒め称えた。移民系のミュージシャンによって、フランス語の顕揚とナショナリズムが担われるというのも全く皮肉な話である。

Qui Seme le Vent Recolte le Tempoまた「フランスのラジオで流す曲の40%をフランス語にしなければならない」という法律が、フレンチ・ラップの隆盛に寄与したという話がある。ラジオを聴くのは(つまりCDを買えない)移民の若者が多かったからだ。いくらフランス語で歌われているとはいえ、ヒップホップというニューヨークのダウンタウン発祥の音楽形式を移民の若者が支持するという構図は政府がこの法律によって望んだことなのだろうか。

タイムの記事によると、フランス政府はロックロール大臣を任命したことがあるようだが、これはジャック・ラングのことだろうか。元文化相のジャック・ラングと言えば、ロック大好き大臣として知られ、ロック・フェスティバルをよく企画していた。しかし、彼が理解できなかったテクノは冷遇されたようだ。その後のフレンチ・エレクトロの盛り上がりを見ると、彼には全く見る目(=聴く耳)がなかったということになる。

しかし、国家がロックとかテクノとか言い出すことほど胡散臭いことはない。とりあえず、影響力のありそうなものに片っ端からフランス国家のお墨付きを与える、文化を国家の名のもとに取り込もうとする行為にしか見えない。結局は、フランス文化という実体があるのではなく、国家と文化を結びつけるディスクール(=語り、物語)があるだけなのだ。それに説得力がなくなり、信用されなくなってきたということなのだろう。時代遅れの文化保護はフレンチラップの盛り上がりのように、望んだものとは違う結果をもたらす。またジャック・トゥーボンのように意識せずに矛盾したことを言う羽目になる。今の文化は国家がコントロールするにはあまりに狡猾で、したたかなのだ。

それに加え、インターネットの到来によって文化は新しい局面に入っている。何よりも人と文化の関わり方が大きく変わってしまった。文化は既成の作品や価値として上から与えられるのではなく、個人が編集し、加工するものに変わりつつある。
(続く)

「フランス文化の死(3) 復活への処方箋」

★このエントリーは main blog で2007年12月16日に掲載






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2009年10月23日

フランス文化の死(1) THE DEATH OF FRENCH CULTURE

frenchculture01.jpgフランス文化の死。アメリカの雑誌「タイム」(※2007年12月)によるこのセンセーショナルな記事は、「フランス24」で話題になっていて知った。この手の議論は今に始まったことではないが、かなりの衝撃をフランスにもたらしたようだ。それに対して、アカデミー会員が4日付の「フィガロ紙」で、Non, la culture francaise n'est pas morte!(いや、フランス文化は死んでない!)と題した反論記事を書いている。アカデミー会員が出てきて反論するところなんか、さすがフランスだ。こんな人たちがまだいたのかって感じだが、確かにこういうときに活躍しなければ40人もの終身会員を囲っておく意味がない。

かつての文化大国に仕掛けられるこの手のセンセーショナリズムは昔からよくあるし、「タイム」の記事なんて読むに値しないという人もいるかもしれない。しかし、この記事はよく読むとそれなりにリーズナブルなことも言っている。「タイム」の記事に対しては各紙が反応していて、「ル・モンド紙」にコレージュ・ド・フランスの先生が合衆国の友人たちの忠告にも一理あるので、謙虚に耳を傾けようと書いていたのが印象的だった。

なぜフランス文化は死んだのか。あるいは死んでいるように見えるのか。この議論は今の文化のあり方や国と文化の関係を考える上で非常に興味深い。さらには、それじゃ、フランス文化を死んだと言っているアメリカ文化って何なの?、とか、英語で歌っていて、日本のアニメまで取り込んでいるダフト・パンクってフランス文化って言えるの?っていう問いにつながっていく。今年(※2007年)流行った Justice がフランスのグループだということに誰も気がつかないことにコレージュ・ド・フランスの先生も指摘していた。

記事ではフランスが文化保護のために補助金を惜しまないことが問題視されている。今もフランスのそういう政策に対して、何て素晴らしい、さすが伝統的な文化国と賞賛の声が上がり、それに引き換え日本ときたら…、という展開になる。しかし、フランスがそのような政策をとっているにもかかわらず、現在の文化的影響力に関しては日本の方が上なのだ。フランスの文学や芸術に魅了された私たちと同じように、今はフランスの若者が日本のサブカルチャーの虜になっている。文学とマンガを一緒にするなという声も聞えそうだが、フランス文化の危機はハイカルチャー(高級文化)の危機としても考えられる。「タイム」の記事が言うように、フランスが売りにできるものは過去の遺産ばかりで、もちろん保護する価値のあるものだが(一方で、過去の遺産だからこそ、国家的な管理や演出が可能だと言える)、現在、文化的なバイタリティーに満ちているのは明らかに市場原理の世界をしたたかに生き抜くサブカルチャーなのである。

それでは、まず前半部を。これは全訳ではなく、ところどころ適当に端折り、わかりにくい部分は適当に補足している。この記事には「失われた時を求めて In search of lost time 」という副題がついているが、いうまでもなくプルーストの小説のタイトルである。


「失われた時を求めて」

フランス人ほど文化を真面目に考える人々はいない。彼らは寛大にも文化に補助金を出す。フランスのメディアは文化に多くの放送時間を割き、多くのコラムを書く。フランスのファッション雑誌には真面目な書評欄があり、さらに11月5日のゴンクール賞(900以上あるフランスの文学賞のひとつ)の発表は全国ニュースのトップを飾る。どのフランスの町にも年間を通してのオペラ上演や演劇祭があり、ほとんどの教会では週末にオルガンや室内楽のコンサートが開かれる。

しかし、フランスの文化にかげりがみえている。かつて作家や芸術家や音楽家の卓越した素晴らしさによって賞賛されたフランスも今やグローバルな文化市場では力を失っている。サルコジはフランスの復興に乗り出しているが、文化に関しても、彼のできる仕事に着手するだろう。

フランスの新刊本の中でフランス国外で出版されるはわずかしかない。多い年でも10冊にも満たない。一方でフランスで売れるフィクションの約30%は英語から翻訳されている。この数字はドイツと同じだが、ドイツではここ10年で英語からの翻訳が半分に減ったのに対して、フランスでは増え続けている。前世代のフランスの作家、モリエール、ユゴー、バルザック、フロベールからプルースト、サルトル、カミュ、マルローまで、外国での読者を欠かしたことがなく、またフランスの作家はノーベル文学賞の常連で、他の国よりも受賞者が多いが、最後の受賞者は、2000年の高行健(Gao Xingjian中国江西省出身だが、パリ在住でフランス国籍を持つ)で、彼の作品は中国語で書かれている。

一世紀前は世界最大を誇っていたフランスの映画業界も、トリュフォーやゴダールのような監督が映画のルールを塗り替えた1960年代のヌーベル・ヴァーグの輝きを取り戻していない。フランスは今も年間約200の映画を生み出し、ヨーロッパの他のどの国よりも多いが、国内マーケットのための低予算の小作品である。一方、フランスの映画館で売れるチケットの半分はアメリカ映画である。

フランスはドビュッシー、サティ、ラヴェル、ミヨーのような20世紀の巨匠に匹敵する作曲家や指揮者を今は輩出していない。ポピュラー音楽においては、エディト・ピアフのような歌手が世界中で聴かれたこともあったが、ポップシーンを席巻するのはアメリカとイギリスだ。ジョニー・アリディ以外のフランスのポップスターの名前を挙げることがきるだろうか?(ジョニー・アリディは日本の矢沢永吉的存在)

もし、フランスがフランスでなくなってしまったら、だんだんと薄れていくフランスの文化的な輪郭は、イタリアの低出生率やロシアのウオッカ好きのような奇想天外なものになってしまうだろう。フランスでは長い間、文化的な影響力を行使することが国家的な政策だった。その中で論争好きな哲学者たち(おそらくフランスの現代思想の論客のこと)や人目を引く美術館(80年代のルーブル美術館のピラミッドやオルセー美術館、最近ではケ・ブランリー美術館など)がプライドと愛国心の象徴になっていた。

さらにフランスは「文化特例」を主導してきた国だ。フランス政府は外国のエンターテイメント製品を排除し、自国の文化に対しては補助金を与える。フランス政府はこのような文化の保護主義はハリウッドの絶対的な力から文化的な多様性を守るのに不可欠だと信じている。スピルバーグの「ジュラシック・パーク」をフランスのアイデンティティーに対する脅威だと非難し、そして文化特例を2005年のユネスコの合意として正式に認めさせることに成功した。

加えてフランスは同盟国や植民地を同じように文明化するミッションを引き受けてきた。2005年にフランス政府は高校にフランスの植民地主義のポジティブな役割を教えるように通達した。つまり、植民地主義は現地の人々の生活を向上させたというわけだ。この通達はあとで撤回された。サルコジ大統領は最近、「フランスとアメリカは世界を啓蒙するように運命づけられている」と述べた。サルコジはこの運命を実行することに熱心だ。新しい大統領はフランスの経済を補強するだけでなく、倫理的、外交的な地位を高めることを誓った。彼はまたフランスの文化的な活動を今の時代にふさわしいものにし、深化させることを約束している。詳細は明らかではないが、政府はすでに美術館の入場を無料することを提案しており、他の予算は減らしている一方で、文化省の予算を引き上げている。

このような努力が外国の認識を変えるインパクトがあるかは別の問題である。9月にフィガロが1310人のアメリカ人を対象に行った調査では、フランスが文化的に優位にあると考えられる分野は2割だけだった。国内で行った調査も同じ結果であった。多くのフランス人は、フランスとフランスの文化は衰退の一途をたどっていると思っている。衰退の節目となる年を拾ってみると、1940年の屈辱のドイツによる占領、1954年のアルジェリア戦争、そして1968年の5月革命。それはサルコジのような保守主義者が、フランスが教育とふるまいのレベルを下げたカジュアルな世代の影響下に入ってしまったと非難する革命的な年である。

どんな政治的な立場にあるフランス人にとっても「デクリニスム(déclinisme =文化的、地政学的、また経済的にフランスが衰退していることをフランス人が認める傾向を意味する軽蔑的な言い方)」は最近、ホットな話題である。書店では「フランスの衰退」という嘆き節が書かれた本でいっぱいだ。トークショーのゲストもコラムニストも、落ちぶれていくフランスをけなす。フランスのラグビーチームの敗退もそれに結び付けられる。しかし、その多くの嘆きは経済問題であり、サルコジの台頭は彼がその建て直しに専心することを約束したことが大きい。
(続く)

「フランス文化の死(2) 過去の遺産と現代の文化」

★この記事は2007年12月1日、main blog に掲載されたものです。



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タグ:フランス
posted by cyberbloom at 11:49 | パリ | Comment(2) | TrackBack(0) | フランスの現在 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする