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「フランス語の綴りが変わる」というニュースが飛び込んできた。実はこの綴り改革は1990年にすでに承認されていたのものだというが、仏紙リベラシオンの記事「Réforme de l'orthographe : ce qui change vraiment 綴り改革:本当に変わるもの」に沿い、改めて一体に何が変わるのか見てみよう。
この改革によってまず変わるのは、しばしば私たちの言語が進化する過程で消えた「S」の名残であるアクサン・シルコンフレクスである。CP(cours préparatoire、小学校の準備科、小学校1年生)たちを悩ませているこの「帽子」はもう i や u の文字の上に載せる必要がなくなる。ただしそれが動詞の語尾(「qu’il fût」単純過去)を示していたり、固有名詞だったり、意味の区別をもたらす時を除いて。例えば「mûr 熟した」は、「mur 壁」と混同しないようにアクサンを残す。一方動詞「s’entraîner」はアクサンなしのただの i だけで書かれ、もう誤りとは見なされない。
他に変わる点として:いくつかのアクサン(「cèleri」「crèmerie」「règlementaire」「sècheresse」)、さらに動詞「laisser」に不定詞が続く場合、過去分詞が不変化になりうる(elle s’est laissé mourir、ils se sont laissé faire)。
RFI(Radio France Internationale)は2007年にナイジェリアでハウサ語、2010年にはタンザニアでスワヒリ語での放送を開始した。まずは現地語で視聴者と接し、次にフランス語を学んでもらうという戦略である。フランス24(France 24)はフランス語だけでなく、英語とアラビア語でも放送しているが、そこに五大陸に分布するフランス語圏の視点が加わることは、ニュースの意味や議論を深めることになるだろうと主張する。またかつて日本では文学や思想や映画がフランス語を学ぶ動機や媒介になったように、フランスの文化の浸透も欠かせないだろう。実際、RFIやFrance24を運営する公共企業「フランス・メディアモンド」は公共メディアの使命はフランス語の普及とフランス語教育者の養成と考え、経済的な利益よりは文化外交の一翼を担うという自覚があるようだ。
CCTVはいち早くビジネス情報などアフリカの積極的な側面を取り上げ、アフリカの人々に別の選択肢を与えた。そのおかげで英 BBC と肩を並べるくらいの知名度があるのだという。フランス語圏は決してフランスに属しているわけではなく、戦略的に投資を行い、影響力を保持しなければ、優位な立場にいるフランスとて好機を逃すことになる。中国は言語の重要性をよく理解している。これは言語を巡る戦争なのだ。日本に関して言えば、非英語圏の国がグローバリゼーションを考慮するなら自ら英語化を進めるよりも、世界に日本語学習者を増やす戦略があってもいいはずだ。日本語ブームが何度かあったにもかかわらず、日本はどんどん予算を削り、外国の日本語学習拠点(大学の日本語学科など)も減る一方のようだ。
最近、フランス語教育に関する重要なニュースがあった。それはカーン・アカデミー Karn Academy のフランス語版が完成したことだ。「質のよい教育を、すべての人々のために」をうたい文句に、カーン・アカデミーのサイトには数学や科学、物理学などを中心に3000本を超えるビデオがアップロードされている。利用はすべて無料。ビデオをクリックすると、黒板のようなものが現れ、講義が始まる。十分な教育環境のない発展途上国の子どもでも、自分に適した速度で学習することができるようになっている。またゲイツ財団やグーグル、有名なシリコンバレーのベンチャーキャピタリストなどが支援し、数百万ドルの寄付を行っていることでも知られている。
カーン・アカデミーのフランス語版は Bibliothèques Sans Frontières という組織の助力が大きいようだ。この組織の動向を見てもわかるように、これはアフリカに対する言語戦略なのだろう。まさにアフリカの子供たちにうってつけの教育インフラだからだ。アフリカの人口が増え、フランス語話者が増えると言われているとはいえ、ネット教育という形でフランス語が教育の媒介となれば、言語基盤をより強固なものにできるだろう。
1 bête:普通は「愚か」を意味するが、若者言葉では「欲しくなる」という意味。日本語の「やばい」に似てる? 用例 : Il a un bête de moto !「あいつ、やばい自転車に乗ってるな!」
2 genre:「たとえば」。副詞的に用いる。 用例 : T’es foncedé, t’as pris quoi, genre de la weed ?「ラリってんのか、何吸ったんだ、ハッパか何かか?」(foncedéはdéfonceの反転語[verlan])
3 prendre cher:「身体的、心理的に苦しむ」。 用例 : Wah j’ai pris trop cher au contrôle, j’me suis fait tricard quand j’ai essayé de tricher !「試験きつすぎた、カンニングしようとしたら、(見つかって)追い出された!」
4 test:何かを理解したり実行したりするのに十分な能力がないこと。 用例 : Tu peux pas test, boloss !「おれにかなうと思うな、あほが!」
ただ、新しい表現を創り出す母体が若者である、ということだけは、日本とフランスに共通している。ネットスラングにしても、おそらく40代以上の人間による発案はごく少ないのではないか、という気がする。道具が変わっても、人間の創造性に関する法則に、さほど変化はない。ということは、僕もそろそろ創造性が枯渇する頃か? Ma mère !
フランスにだってグラミー賞に相当する賞がある。それはレ・ヴィクトワール・ド・ラ・ミュージック Les victoires de la musique だ。数週間前、ノミネートされたミュージシャンたちのリストが発表されたとき、主催者側はノミネートされたダフト・パンクが受賞を拒否したことを明らかにした。グラミー賞を受賞したあと、主催者はあきらめきれずにセレモニーに出てくれないかともう一度頼んでいる。「レ・ヴィクトワールは終わっている。みんな飽き飽きしている。彼らが本当にフランスを外国に紹介する気があるんだか」とダフト・パンクの元マネージャーは言う。
今年の5月にフランスの社会党下院議員、ジルベール・ル=ブリ氏 Gilbert Le Bris を中心にフランスの議員たちによる「日本酒友の議員協会」l'Association parlementaire des amis du saké japonais が結成され、ル=ブリ氏は共同会長への就任をツイッターで報告した。フランスの議員のあいだには、「タンタンの冒険」のファンクラブや「シガレット愛好会」などがすでに存在するが、「日本酒友の会」には社会党だけでなく、UMP の議員も名を連ねる。
"Nous avons découvert cette tradition il y a deux ans, à l'occasion d'un voyage au Japon, explique Gilbert Le Bris. Après la catastrophe de Fukushima, la production de saké était sinistrée et nous voulons, aujourd'hui, par notre initiative, non seulement donner un coup de pouce à nos amis nippons, mais aussi améliorer l'image de cet alcool dans notre pays." 「私たちが2年前に、日本を旅行したときに、この伝統を発見しました。福島の原発事故のあと、日本酒の醸造元も被災しました。今は私たちが率先して日本の友人たちを助けたいだけでなく、フランスにおける日本酒のイメージも改善したいのです」(ル=ブリ氏)
去年の9月には、フランスで日本酒の魅力をアピールするために、大七酒造(福島県二本松市)や剣菱酒造(神戸市灘区)など、日本の酒造メーカー約30社がパリ市内で合同試飲会を開いた。会場は何と、フランスを代表する俳優、ジェラール・ドパルデューの邸宅だった。ドパルデューは日本酒愛好家団体 Becs Fins de Sakés の会長を務める大の日本酒好きで、自宅を会場として提供し、日本酒の普及に一肌脱いだのだった。
フランス政府が、高等教育機関でのフランス語の使用義務を緩和し、英語による授業を事実上解禁する法案制定に乗り出した。フランスでは1994年の「トゥーボン法 loi Toubon」=「仏語使用法」で、国内で開かれる国際会議や放送、広告など公共の場でのフランス語の使用を原則義務付けた。教育の場も同様で、外国語による授業は語学学校や外国人向け学校、外国人教員の授業などの例外に限定していた。
一方、フランス語擁護派は激しく反発している。フランス文化圏で尊敬を集めているジャーナリストのベルナール・ピヴォ Bernard Pivot 氏は、「モリエール Molière の言葉」と呼ばれるフランス語にとって、この法案は弔いの鐘になりかねないと危機感をあらわにした。「わが国の大学に英語の導入を許し、(英語で)科学や現代世界を教えれば、フランス語は破壊され、貧しいものになってしまうだろう。フランス語がありきたりな言語か、最悪の場合は死語になってしまうかもしれない」と。
フランスを代表するニュース番組 France2 には、これまたフランス語擁護派の先鋒、コレージュ・ド・フランスのクロード・アジェージュ Claude Hagège 氏が登場して、「大学の問題は授業の英語化ではなく、教育の質の問題だ。質が良ければ外国人は自らフランス語を勉強してフランスの大学に来るだろう」と主張し、「なぜ伝統あるフランスの大学が英語に合わせなくてはいけないのか」と怒り心頭の様子だった。また英語の授業導入は他のフランス語圏の国々に対する裏切り行為になるという指摘も忘れなかった。フランス語の保存と純化を目的とし、大きな影響力を持つ国立学術団体アカデミー・フランセーズ Académie française (1635年創設)はもちろん反対の立場だ。
英語の問題は学生だけでなく研究者にも及んでいる。フランスの大学にはすでに10%の外国人の研究者がいて、フランス語が不得意な研究者は母国語か英語で授業をしている。つまりもう少し法律の余白がないとフランスに優秀な研究者を呼べない事態になる。特に理系の分野が顕著だ。5月22日に発表された世論調査では、フランスの科学者の大多数が現在、研究や教育を英語で行っているとの結果が出た。2007〜09年の間に研究機関の所長約2000人、研究者約9000人を対象に調査を行ったフランソワ・エラン François Héran 氏は「現在交わされている議論は現実をまったく考慮していない」と批判する。「現実には、フランス語は国際的な科学の全域ですでに周縁へ追いやられている」。
フランスは文化機関やフランス語圏諸国を通じ、数十年間にわたって国内外で熱心にフランス語の使用を広めてきた。それにもかかわらず、むしろ逆に英語は急速にフランス社会を侵食している。若者の多くは電話口で「アロー allo 」や「ウィ oui 」の代わりに、「イエス」と言い、パリ市街の落書きにも英語が増え、話すときに英単語を混ぜる franglais (francais+anglais) も定着しつつあるのが実態だ。
左派系のリベラシオン(Liberation)は5月21日の1面に英語で「Teaching in English - Let's do it」との見出しを掲げ、「包囲されたガリア人の最後の村の代議員のように振る舞うことは止めよう Cessons de nous comporter comme les derniers représentants d’un village gaulois assiégé.」と書いていた。本当の問題は「大学に英語が侵入してくること」ではなくて、「フランス人の英語が許せないほど下手」ということなのだ。今日のグローバル化した世界で、かなりの数のフランスの学生が英語ができないという理由で労働市場から締め出されている現状を見ても、屁理屈を言うつもりか、とリベラシオンは厳しく批判する。「フランスの大学に外国人が増えること」だけでなく「フランス人学生の英語力を高めること」はフランス語圏の強化につながるだろう。なぜなら、それは彼らが外国に旅行したり、留学したりすることを促し、英語も得意なフランス語話者を、外国に送り込むことになるからだ。ドメドメな内輪の論理ではなく、リベラシオンの言う「箱の外で考える=penser ≪en dehors de la boîte≫ 」は日本の英語事情を考える上でも非常に示唆的である。
フランスでは高校3年の時点で哲学が必修科目になる。文科系の生徒は週8時間、経済社会学系は週4時間、理科系は週3時間、技能系でも週2時間の受講が義務付けられる。その成果がバカロレアで問われるのだ。ヨーロッパ全体を見てもフランスほど徹底的に哲学教育をやっている国はない。映画だけでなく、哲学もまた「フランス的例外 exception française 」なのである。
この哲学の試験を創設したのは他でもないナポレオンである。それは1808年にまでさかのぼる。哲学を深く学ぶことで人はより自由に思考することができる。そして自由な思考こそが人間をより自由な存在する、とナポレオンは考えた。こうした哲学教育こそが理想のフランスを築くのだ。またテレビである哲学者が、フランスの哲学教育が目指すのは知的親権解除=自立 une émancipation intellectuelle による未来の市民の養成であり、これが民主主義の基盤となると断言していた。
この対極にあるのが、自分でものを考えずにお上にすべてお任せする日本のパターナリズムだろう。日本では哲学者の名前と思想の要約を丸暗記し、それをマークシートで答えることになるだろうが(私の世代の「倫理社会」はそうだった)、フランスでは哲学は学ぶものではなく、「哲学することを学ぶ apprendre à philosopher 」のだ。試験では、哲学史上の議論を踏まえながら「自分の議論」を展開することになる。
もちろん問題を解く型はあるわけで、学生向けの雑誌には問題の論じ方が紹介されている。例えば「働くことで、私たちが得ているものは何か Que gagnons nous à travailler? 」という問題に対しては、「働く」ことを3つの言葉に置き換える。「生計を立てる」「経済活動に参加することで社会に居場所ができる」「社会的価値観を形成する一員になれる」。つまり「仕事をしているからこそ人は社会に対して意見を言える」とか「働くことで自由を得ることができる」といった解答が、この問題の模範解答になる。そのうえでニーチェやマルクスを織り込みながら持論を展開するのが高得点の秘訣のようだ。
加害者の少年たちは、授業中、教師に気づかれないように、主人公の少年に紙くずを投げている。よくある光景だ。しかし加害行為はエスカレートし、恐怖は徐々に高まっていく。最後は彼をキリストのように十字架に磔にしてしまう。子供たちはスマートフォンでそれを撮影し、大人たちは目隠しをしている。フランスのバンド、アンドシーヌ Indochine の最新シングル曲「カレッジ・ボーイ College Boy 」( 'Black City Parade' に収録)のクリップだ。6分の白黒の短編を製作したのは弱冠24歳のカナダ人監督、グザヴィエ・ドラン Xavier Dolan ― 彼は2009年のカンヌ映画祭で「僕は母を殺した J'ai tué ma mère 」という作品で注目を浴びた(2013年9月20日現在『私はロランス』が絶賛上映中である)。
アンドシーヌのリーダー、ニコラ・シルキス Nicolas Sirkis は自分のやり方を次のように説明する。「これは根拠のないことではない。これは教育的な方法だ。それはちょうど交通事故に注意を払うようにショッキングな事故の映像を見せるのと同じだ。これは厳然たる事実なのだから」。実際、フランスの教育省の調査によるとフランスの学校では20人にひとりは酷いやり方でハラスメントを受けている。日本式に「イジメ」と呼んで構わないだろう。辛い気持ちに苛まれ、自殺に追い込まれることもある。不登校の20から25%がハラスメントを恐れて、学校に行かない。彼らが自殺する可能性は通常よりも4倍も高まる。ニコラはさらにつけ加える。「スキャンダルを追求したわけじゃない、このクリップが昼間のあいだテレビで流されないことはよく理解できる。検閲に反対すると声高に叫ぶつもりもない。しかし少年たちは不幸なことにこのクリップよりもさらにひどい現実を見ていると思う」。
「カレッジ・ボーイ」の中で ‘Je serais trop différent pour leur vie si tranquille’ (僕は彼らの平穏な生活にとってあまりに違い過ぎる)と歌われている。いくつかの記事にはビデオの少年は同性愛によってハラスメントを受けているとはっきり書かれている。実はグザヴィエ・ドラン自身がゲイで、「僕は母を殺した」は彼のそういう半生を自伝的に描いている。彼の具体的な発言があったのかもしれないし、ビデオの中にそれを暗示するシーンがあるのかもしれない(歌詞の中の ouvrir tes jambs や le goût de lait sur ta peau などは性的な暗示なのだろうか)。またニコラ・シルキスは、法案成立後も勢いを増している「反同性婚デモ」を意識していたとも言っている。アンドシーヌは80年代に同性愛嫌悪をテーマにした「第三の性」という曲を発表していて、ニコラはテレビに出演した際に「あれから何も変わっていない」というコメントもあった。しかし今回は焦点を的確に絞り、全く質の異なる緊張感を生み出している。
パリは政治的、学問的、文化的首都としてクローズアップされることが多いが、経済的な中心であることも忘れてはいけない。パリはフランスの GDP の約30パーセントを占め、国際投資の魅力に関しては、ニューヨーク、上海、ムンバイ、北京、ロンドンに次いで6番目の地位につけている。そんなパリでどのような仕事の求人があるのだろうか。ちょうど「パリで最もリクルートされる10の職業 Les dix métiers qui recrutent le plus à Paris 」という記事を見つけたので、紹介してみよう。この求人の傾向はリチャード・フロリダが『グレート・リセット』で描くリーマン・ショック後のアメリカの新しい就職先と見事に合致している。先進国に共通する傾向なのだろう。
対面的なサービス業に広げれば、CFIも含まれる。サービス分野は人と人の関係なのでアウトソーシングされにくく、国際競争にさらされにくい。また人を相手にする仕事なのでやりがいを感じたり、感情面で報われることも多い。細やかなコミュニケーション・スキルが問われるので、女性が活躍できる分野でもある。アメリカではリーマンショックの際に女性の失業率は男性の失業率ほど下がらず、NY Times の女性記者はリーマンショックを「男性不況」と呼んだほどだった。「これは女性の仕事だ」と忌避する者は新たな成功を逃すのと同じで、新たな職業訓練を受けるよりは従来の「男らしさ」を忘れるべきだとフロリダは書いている。少なくとも言えることは、製造業の凋落と、それに続く知識産業とサービス業の勃興で、労働市場では男性よりも女性が好まれるようになっている。日本のように、男女の役割に関して固定観念のある社会は変化になかなか対応できないことになるだろう。イノベーションが生まれるのはハイテク分野だけではない。サービス分野も様々なアイデアを生かせる分野だ。新しいサービスのアイデアは男女の垣根を取り払うことによっても生まれるだろう。
仏メディアTF1で「若者を苦悩させる未来」(Cet avenir qui angoisse les jeunes)という特集があった。INSEE(フランス国立統計経済研究所)によると、彼らは親の世代よりも生活水準が悪くなる初めての世代である。セゴレーヌ・ロワイヤルが彼らを煽ったと批判されたが、彼らは政治家や組合に命令されて声を上げたわけではない。若者のあいだには危機意識が広がり、怒りと不安にかられて叫んでいたのだ。「教育費は無料だが、教科書代を払うためにテレビの中の18歳の女子高生は週末にアルバイトをしている」と言っていた。
今や国家の制度の破綻に、先進国の若者が共通して大きな影響を受ける。それは国境を越えた共感やつながりの可能性も示唆している。先日もロンドンで、大学の授業料の上限を3倍に引き上げようとする政府・与党に抗議する学生デモがあり、約5万人が集結した。デモの一部が暴徒化し、政府与党の本部を壊して一時占拠する騒ぎになった。戦後最大といわれるイギリスの歳出削減策では、各省庁の予算を平均で19%カットし、このうち大学教育の支出は40%減らそうとしている。一方で先進各国の若者の反応の違いも対照的だ。「UK students protest, US students apathetic イギリスの学生は抗議し、アメリカの学生は無関心」というアメリカの動画ニュースもあった。「彼らはフーリガンではありません、授業料値上げに反対するイギリスの学生たちです!」という驚きとともにアメリカの人々に紹介している。
2年前、「ドゥルオのサヴォワ人たち(Les Savoyard à Drouot)」というタイトルで彼らの仕事がTV番組で取り上げられ、脚光を浴びることになった。彼らは競売人の同業者組合 L'Union des commissionnaires de l'Hôtel des Ventes (UCHV) を築き上げ、1世紀半にもわたり、父から子へ、子から孫へと、世襲によって継承されてきた。競売人には110人の定員がある。それぞれに通し番号がついていて、その番号は制服の赤い襟に記される。欠番が出ると無記名投票によって新しいメンバーが選ばれるが、新しいメンバーはその役職を番号と番号に割り当てられた「あだ名」とともに買い取る。TV番組ではそれが伝統を守る美談となっていた。
もちろん最大の悲劇は亡くなった人の家族や友人に訪れる。しかし電車の運転士にとっても悪夢の始まりなのだ。日本ではこの視点から事件が伝えられえることはほとんどない。『リベラシオン』の記事「Suicides en tête de train」に登場する運転士、ダニエル・ルクレルクは、その日、遠くに線路を横切ろうとするシルエットに気がついた。彼は軽率な若い男がふざけているのだろうと思った。しかし突然、若い男は140キロで走る電車の前に立ちはだかった。「私は彼と目が合い、それは2秒のあいだ続きました。それは2004年10月、私が42歳のときでした」。実はルクレルクはそれより7ヶ月前に別の自殺に遭遇していた。「それは昼過ぎのことで、線路の両側に電車を待つ人たちがいました。ひとりの女性が前に進み出るのが見えました。彼女が地面に落ちたのが早かったのか、電車に跳ね飛ばされたのが早かったのか、わかりません。鈍い音が聞こえました」。
先回の記事「フランスの弁当ブーム!(1)」でガー・レイノルズ Garr Reynolds が弁当に言及していることに関してIsaoさんという方からコメントをいただいた。ガー・レイノルズはプレゼンテーション、デザイン、話し方のオーソリティとして知られているが、彼の著作『プレゼンテーション Zen 』はレイノルズが新幹線で駅弁を食べるシーンから始まる。そして彼の隣で文字のぎっしり詰まったプレゼンの資料を用意しているサラリーマンを前にして次のように問うている。なぜこの弁当の精神をプレゼンに発揮しないのか。なぜコンパクトかつワクワク感に満ちた日本の伝統をモデルにしないのかと。ネットでもレイノルズの講演がアップされていて、そこでも弁当に言及されている(23分20秒)。
And the first chapter of the book, I talk about Obento. How many people eat Obentos. Sometimes Obentos are poplular ,very healthy. I sort of use that as an analogy. Obento beautifully, simply packaged. All the content is delicious and nutritious and it’s just enough. How much? Not too much. Not too little. But it’s designed beautifully but nothing goes to waste, right? It’s just all right there, and I thought “Why can’t presentations be like that?” Right, nothing superfluous, everything has a reason and beauty matters but it’s also the content, especially the content that matters.(00:23:20)
レイノルズが奨励するプレゼンは、文字や数字を極力少なくして、質の良い画像を使い、視覚的に伝えていくというスタイルだ。確かに細かい文字や数字を目で追うよりも、写真やイラストなどで視覚的に訴える方がメッセージが伝わりやすい。情報の詳細は配布資料に載せておけば、興味を持った人々があとで確実に読んでくれる。見た目よりも、中身が大事だと反論する人もいるかもしれないが、それは正しくない。中身が良ければわかってもらえるというのはコミュニケーションのレベルを考えない傲慢な考えだ。見た目と中身を適切に結びつけることが重要なのだ。それが、’everything has a reason and beauty matters but it’s also the content, especially the content that matters.’の意味するところだろう。
弁当はまさに日本のイメージにぴったりなのだろう。弁当は一種のスノビズムであり、個人の創造性が発揮される盆栽のような小宇宙なのだ。重要なイベントにはおかずを豪華にして、漆器の弁当箱を使うとか、弁当なら栄養のバランスやダイエットやアレルギーにも配慮できるとか、弁当の利点が多面的に紹介されている。とはいえ、弁当は何よりも節約のアイテムであることを忘れてはいけない。弁当が評価されるのは不況が恒常化した時代との親和性にある。弁当のおかずには前の日の残り物や冷蔵庫の余り物をうまく使うべきで、その点にこそ創造力が発揮されるべきなのだ。下に紹介した Bento Blog には J'ai plein de restes dans mon congélateur c'est parfait pour un bento ! (私の冷凍庫は残り物がいっぱいで、弁当作りに完璧!)と書かれていて、弁当の本質をきちんと捉えている。
企業文化の変化は根本的なものであると同時に急激である。「金融の論理が組織全体を支配してしまった」と『ストレスにさらされたオレンジOrange stressé 』(写真上↑Orange はフランス・テレコムの携帯ブランド)の著者、イヴァン・デュ・ロワ Ivan du Roy は分析する。それぞれの従業員は定められた目的を持ち、常に評価され、同僚との競合関係に置かれる。販売員は多くの使用契約を取らなければならないが、マネージャーは管轄の人員を減らさなければならない。
7月14日、自殺したのは、移動体通信網の専門家で、マルセイユ出身のミシェル・ドゥパリ Michel Deparis だった。自分の行動をはっきりと示すために、彼は手紙を残した。「私は、フランス・テレコムの仕事が原因で自殺する。(・・・)多くの人がこう言うだろう。仕事以外に原因があると。しかし、違う。仕事が唯一の原因なのだ」。ミシェル・ドゥパリはマラソン選手だった。歯を食いしばることには慣れていたが、何よりも困難なレースが存在するのだ。
下に訳出した記事はフランスの雑誌 Nouvel Observateur に掲載された「フランス・テレコムの自殺の波−オンラインの苦しみ Vague de suicides à France Télécom − Souffrances en ligne 」である。フランス・テレコムで相次いだ自殺(1年半のあいだに25人)は、今年フランスで起こった重大ニュースのひとつであることは間違いない。9月17日掲載のちょっと古い記事だが、アメリカ流の金融の論理のもとでリストラが進行するフランス・テレコム社内の重苦しい空気をリアルにリポートしている。フランス・テレコムで起こったことは、日本でとっくに起こっていることなのだろう。日本ではひとつの企業から何人の自殺者と数えられることはなく、年間3万人という自殺者のなかにひとくくりにされている。
2009年12月3日付の「ル・モンド」紙 'L'image de la France aux Etats-Unis progresse considérablement' によると、アメリカのフランスに対するイメージが著しく改善したようだ。10月と11月に行われた2000人対する調査の結果、62%のアメリカ人がフランスに対して好意的だった。2003年の調査では29%だったが、その年は、フランスがイラク戦争に関してアメリカを厳しく批判していた時期である。その後、2005年46%、2007年48%と上昇していた。また民主党支持者(71%)の方が共和党支持者(53%)よりも、フランスに対して好意的という結果も出た。
ところで、前回の動画ニュースのデモの参加者たちは Je lis la Princesse de Clève.(私はクレーブの奥方を読む)と書かれたバッジを身につけていたが、それは反サルコジ・キャンペーンのキャッチフレーズになった。下の動画にも同じバッジをつけた人々が登場して、それぞれ J’ai lu la Princesse de Clève.(クレーブの奥方を読んだわ) とか Il faut le lire tout le temps. (いつもそれを読まなくちゃいけない)とか言っている。場所は Salon du livre (毎年春に porte de Versailles で催される本の見本市)。そこでゲリラ的にバッジを配ったのだろう。
Je lis la Princesse de Clève ― この言表において「読むという行為」に重点が置かれていることに注意しよう。普段、私たちは文学作品を前にするとき、当然のようにテキストの意味内容に関心が向く。その場合、私たちはそれを誰にも邪魔されない隠れた場所で読む。自分の部屋や図書館、あるいは「群集の中の孤独」を保障してくれるカフェや電車の中で。静かな読書はテキストの意味内容に従属する行為だ。
儀式の本質とは何か。それは沈黙を破って、声を発することである。同時に他者の視線の中に立ちはだかることでもある。動画に登場する女性が message politique と言っているように、それは何よりも政治的な行為である。話すこと、声に出すこと、メッセージを発すること。その行為が表面化するのは、私たちが何らかの困難や危機的な状況にあって、目の前が不透明で、不確かなときであり、それを乗り越えようとするときだ。それは必然的に、あるコンテクストに介入し、それを変えようとする政治的な行為につながる。『クレーヴの奥方』事件の本質はここにある。
バッジが Salon du Livre (本の見本市)に集まった人々の共感とリアクションをもたらし、そのやり取りによって一時的であれ、その場を占拠したように、「声に出して読むという行為」(=教師と学生が参加した6時間にわたる『クレーヴの奥方』のリレー朗読)はデモと連動し、まさに「都市の占拠」という直接的な戦術とつながっていた。その場で声を出すこと、人の注意をひきつけることは、「いまとここ」のリアリティーを求める。そのリアリティーは普段研究室に閉じこもっている人たちには最も縁遠いものだったはずだ。
サルコジ政権は発足とともに「大学の自由と責任法」(通称ペクレス法 la loi Pécresse)などの法律を成立させ、フランスの大学の効率化に努めている。これは伝統的な大学の独立と自由を侵害するとして当初から大学関係者や学生の反対が強かった。さらに「教員兼研究者」の地位・労働条件の決定権を学長にゆだねる政令を教育相が発布したことをきっかけに、今年の2月2日、ソルボンヌで全国の大学教員の集会が開かれ、無期限のストライキに入った。教育相のグザビエ・ダルコスは改革を1年延期すると譲歩を示したが、大学はその後マヒ状態に陥った。ダルコスは密かに7月、教育相を辞任している。
情熱に関して、フランス女性たちは感情のニュアンスとうまく付き合っている。フランスの少女たちはこの微妙な差異を「彼は私を愛している―少し、とても、情熱的に、狂ったように il m'aime, un peu, beaucoup, passionnément, à la folie 」と、花びらをちぎりながら花占いをするときに学ぶのだ。一方アメリカの少女たちは「彼は私を愛している、彼は私を愛していない」というふたつの選択に自分たちを閉じ込めている。
■定年退職前の厳しくも優しいロペス先生のもとで、勉強したり遊んだりする13人の子供たちの姿を追った、心温まるドキュメンタリー映画。Etre et Avoir―タイトルにもなっているこの二つの動詞から見ても、フランス人にとってのフランス語の始まりも、日本人がフランス語を始めるときと全く同じなんだな、と分かります。フランス語をやっている人なら、まるで自分も小学生になったような気分になり、子供たちと一緒に「うぃぃ〜!」「ぼんじゅ〜る、むっしゅ〜」と言ってしまいそう。