2016年06月18日

フランス語の綴りが変わる?

「フランス語の綴りが変わる」というニュースが飛び込んできた。実はこの綴り改革は1990年にすでに承認されていたのものだというが、仏紙リベラシオンの記事「Réforme de l'orthographe : ce qui change vraiment 綴り改革:本当に変わるもの」に沿い、改めて一体に何が変わるのか見てみよう。



1990年にアカデミーフランセーズによって承認された綴り改革は、来学期の教科書でより目に見える形にしなくてはならないだろう。アクサンシルコンフレクスは本当に脅かされているのか?解読してみよう。

この改革は1990年にアカデミーフランセーズによって承認されたが、ほとんど適用されてはいなかった。綴り字改革は、次の新学期から新しくなる、学校の教科書に自動的に採用されるだろう。「綴り字教育は1990年12月6日の官報に記載された、修正された綴り字に準拠する」と2015年12月26日発行の国民教育の官報に示されており、水曜にいくつものメディアに指標とされた。フランス語の上級評議会の勧告はアカデミーフランセーズによって有効とされ、2000以上の単語に関わるもので、今後2種類の綴りを持つことになる。2つ書記法が受け入れられ、現在の綴り字は慣用として残るだろう。5つの質問によって解読してみる。

― どの単語の綴り字が変わることになるかもしれないの?

この改革によってまず変わるのは、しばしば私たちの言語が進化する過程で消えた「S」の名残であるアクサン・シルコンフレクスである。CP(cours préparatoire、小学校の準備科、小学校1年生)たちを悩ませているこの「帽子」はもう i や u の文字の上に載せる必要がなくなる。ただしそれが動詞の語尾(「qu’il fût」単純過去)を示していたり、固有名詞だったり、意味の区別をもたらす時を除いて。例えば「mûr 熟した」は、「mur 壁」と混同しないようにアクサンを残す。一方動詞「s’entraîner」はアクサンなしのただの i だけで書かれ、もう誤りとは見なされない。

さらにアカデミーの照準は、トレデュニオンと「ph」の綴りに向けられる。「chauvesouris」「millepatte」「portemonnaie」「weekend」は一語で書いてよいことになる(week-end → weekend)。アカデミー会員たちがまた、直感的に一致しない綴りを簡素化し(「oignon」の代わりに「ognon」、「nenuphar」よりも「nenufar」)、同族の単語の不規則を修正したり一貫性を持たせる(例えば「souffler」と「boursoufler」では、後者は「f」を二つにしてよい)。

他に変わる点として:いくつかのアクサン(「cèleri」「crèmerie」「règlementaire」「sècheresse」)、さらに動詞「laisser」に不定詞が続く場合、過去分詞が不変化になりうる(elle s’est laissé mourir、ils se sont laissé faire)。

全部で、2400の単語、フランス語の語彙のおよそ4パーセントが刷新(リフティング)される。

― 誰がこの改革の影響を受けるの?

安心してください、基本的にあなたが、見直され、修正されたプルーストの改訂版に出会うということはないはずです。改革の修正は、学校図書にのみ適用されます。この綴りの変更の採用を決めたのは、教科書出版社、特に Belin 社です。来学期から配布される、それらの新しい綴りと文法の図書には、先生や親御さんをあまり驚かさないように、「新しい綴り」と記されたマカロン(=丸い印)がついています。

ー どうして新しい綴りを実際に適用するのに、こんなに長く待たされたの?

改革は2016年の新学期から学校教科書において、より存在感のあるものになるが、実は1990年以来適用されていると見なされている。アカデミーフランセーズの勧告はこの日から有効だったのだが、どちらかといえば注目されてこなかった。というのもこれらは義務では全くないからだ。2種類の綴りは受け入れられているし、教師もすべての公務員もどちらも使ってよいのだ。もっともいくつかの過去に出版された教科書、特に Hatier 社の物は、すでにこの新しい綴りを組み込んできた。

来学期の一般化は文部省とは何の関係もないと大臣ははっきり言っており、出版社によって決定されたものだ。フランスの学校プログラムは、そもそも2008年からこの綴り字の修正を採用したのだが、当時の資料が示すように(ここでオンラインでアクセス可)、もっと目立たない形だった。

― アカデミーフランセーズの言い分は?

修正はフランス語の進化に沿ったもので、生徒たちの習得を容易にするものと見なされている。「17世紀から常になされてきたように、また大多数の近隣諸国でなされているように、その使用をより確実なものとし、一貫性があり熟慮された修正を綴りにもたらし続けること」が重要である、とアカデミーフランセーズは1990年の文面で説明していた。アクサンシルコンフレクスの場合、今見てきたように、特に注意を払う対象となったが、アカデミーはそれが「フランス語の綴り字の大きな障害となっており」、「その一貫性のない恣意的な使用」が、「教育のある人々」にまで問題をもたらしていると見なしている。そしてこのアクサンの使用が見直され得ることが正当化されるいくつかの例を挙げる:同族の単語の中での(icône, iconoclaste ; jeûner, dejeuner ; grâce, gracieux)、あるいは発音の点で(bateau, château ; clone, aumône)、一貫性のない使用。

― どうしてこの綴り字改革が批判の対象になるの?

フランス語の改革とその習得に言及すると、しばしばフランス語が貧弱になり、最低に合わせた均等化が起こるのではという人々がいる。「覚えるのが簡単ではないという口実で、フランスの歴史上の日付をなかったことにするだろうか?いいえ。病人を手当てするより、体温計を壊す方が簡単だ。そこでこの際、今日の生徒たちが認める綴りの難しさを手当てするより、体温計を壊すことにした」、ニュースを知り、TF1 にインタヴューされた古典文学の教授はこのように嘆く。別の教授の説明では、改革のせいで、生徒たちに2種類の綴りを教えなくてはならなくなる、なぜなら新しい書記法は今のところ日常生活にまだ入り込んでおらず、後にフランス語の間違いと解釈される恐れがあるということだ。水曜の晩、ネットユーザーたちは、教授たちがアクサンシルコンフレクスが完全に消えると誤って解釈したことに激しく抗議し、ハッシュタグ#JeSuisCirconflexe を投下するほどだった。

Réforme de l'orthographe : ce qui change vraiment
Par Juliette Deborde
4 février 2016
Libération



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2015年07月19日

藤野敦子著 『不思議フランス』 - 同時に日本の不思議を問う

なぜフランスは「女性が子どもを持っても、いくつになっても愛を語れる国」でいられるのか?これはフランスの最大の不思議のひとつであるが、著者の藤野さんは、この問いを通して、女性が自分らしく生きることのできる社会を模索する。そして、人を愛するとか、子どもを持つという、人間の自然な欲求と思われているものが、いかに経済や社会的な制度に大きく左右されてしまうかを明らかにする。日本とフランスを比較することはそれを両極端の形で浮かび上がらせることになる。

かつてフランスも日本と同じ…


不思議フランス 魅惑の謎藤野さんは労働経済学の専門家として、日本とフランスの社会制度の違いが、幸福度や満足度の差を生んでいることを指摘する。実は現在ヨーロッパで1、2を争う出生率を誇るフランスでも、1960年代半ばから1970年代後半にかけて出生率が低下していた。1975年に人工妊娠中絶が合法化するまで、中絶は犯罪とみなされ、性交渉は生殖目的という色合いを帯びていた。女性たちは自分たちを「生む機械」にすぎないように感じ、夫との性生活にネガティヴな感情を募らせていったという。出生率の低下は「女性の子どもを持つことへのストライキ」だった。それほど女性の立場が弱く、無能な存在とみなされていたわけだが、それゆえに国家の大きな介入が必要になり、ドラスティックな変化をもたらしたとも言える。

フランスはその後、女性自身が出生をコントロールでき、男女が協力しあって仕事も、家事も、恋愛もできるような社会制度を構築したわけだが、それが結果的に出生率の大幅な増加を実現することになる。フランスでは子どもが生まれても、仕事を続けるためのインフラを誰でも利用することができる。失業中であろうとも、どのような雇用形態であろうと問題にならない。しかも家計の負担にならない形で。だからフランス女性は、正社員になり、経済基盤を固めると、ガンガン子どもを産むのだ。現在、子供を持つフランス人女性の就業率は85%にも及ぶ。

日本では「男は会社、女は家庭」という役割分担=分業体制が敷かれている。子どもを持つために、多くの女性は独立した経済基盤を捨て、男性の経済基盤に従属しなくてはならない。著者の行った2013年のアンケートによれば、学卒後に就職した経験があり、子どものいる現在30代既婚女性の66%が完全に無業の専業主婦になっている。日本では1960年代の高度成長期に、「夫、専業主婦、子ども」から成る核家族が一般化したが、1970年代後半に「日本型福祉社会構想」が政策として具現化され、これがさらに核家族という形態と、子育てや介護といったケアを主に家庭に任せていく考えが堅固なものになる。一方、日本男性は会社に依存し、会社を中心にホモソーシャルな人間関係を作り上げ、家庭を顧みない。その結果、夫婦の生活圏が分断され、心理的にも距離ができてしまう。

このような役割分担が亡くならない以上、日本でいくら女性が社会進出しても、女性自身の首を絞めることになる。仕事を持っても主婦業をやめることができない。兼業主婦になるだけだからである。また社会的なプレッシャーも依然として強い。著者がふたりの子どもを連れてフランスの研究所で仕事をすることになったときも、夫や子どもを犠牲にしているのではという、罪悪感にさいなまれたという。

景気が悪いと出生率が上がる


フランスでは景気の悪いときに出生率が上がるという日本では信じられない現象が起こる。日本では景気が悪いと経済的なリスクが増えるので、子どもを作るどころではなくなる。一方フランスでは不景気で仕事がなくなったり、減ったりすると、いろいろな手当をもらえ、所得が減った感じがしない。むしろ時間に余裕ができて、子どもでも作ろうかという気になれる。フランス人に「子どもを持つことは、単に個人やカップルの欲求だ」と言わせているのは、このような社会制度の充実が前提にあり、それが所得の変動リスクからカップルを守っているのである。つまり「産みたいときに産める」ということだ。

フランス人が、子どもがいても、いくつになっても恋愛していられるのは、女性が独立した経済基盤を持ち、子どもがカップルのふたりに平等に属するからだ。何よりも女性が子どもの養育に全面的に責任を負わなくて良い。また女性が仕事を持って所得を得ると、男性にとっても、女性と対等になることで仕事に対する精神的負担が軽くなる。日本男性は、夫と妻は家庭という「重要な会社」を二人で共同経営しているという自覚が何よりも必要なのだろう。これは男性を解放することでもある。雇用の流動性が高い時代には男女が均等に働いた方がリスクヘッジにもなる。またフランスでは非正規雇用あるいは失業中の男性が家庭を持つ場合、多くの子供を持ちたがる。低所得や大家族志向のカップルが実際に多くの子供を持てば、家族手合によって所得配分が行われ、社会の所得格差が縮小される。出生率の安定と所得再配分が同時に達成される何と合理的なシステムだろうか。

日本を「愛の国」に !?


hommefemme01.jpg著者は「とりわけ女性の性生活の満足度を上げることが、少子化の問題を解決する鍵になる」と言うが、日本は2005年の Durex 社による「性交渉の頻度」調査で調査対象国の45か国中「最下位」という不名誉な結果だった。性交渉はカップルの重要なコミュニケーションであり、家庭を共同で運営しているという実感を何よりも高めてくれる。ふたりが日常的に同じ場所と時間を共有していなければ、愛情を育めないし、心も離れてしまう。考えてみれば当たり前のことで、このことが日本において子供を作ることの最大の障壁になってきたのだ。「生殖目的ではない性交渉が逆説的に出生率を上げる」ことを肝に銘じよう。少子化対策のための税制は、配偶者控除や第3号被保険制度のように夫への経済的な依存を高めるような制度ではなく、家事代行やベビーシッター利用時の税控除などを進めて、まさに子どもがいても週末のデートができるような、日本を「愛の国」に変える制度設計が必要だろう。

日本では男女の結びつきが、「カネとカオの交換」(小倉千賀子)になってしまう。日本に初めてきたフランス人は「どうして、日本では、きれいな女性と不細工な(moche)な男性とのカップルが多いの?」と訊くそうだ。フランス人女性は、パートナーの性的魅力に厳しく、常にカッコ良くあるように努力することを求める。フランスではオランド大統領が率先してそれを体現している。当時のパートナー、ヴァレリー・トリエルヴェレールさんと出会い、2006年以降、大好物のチョコレートムースを自らに禁じ、猛烈にダイエットした。大統領選のイメージ戦略もあったのだろうが、痩せてカッコ良くなった大統領が新しい女優の恋人、ジュリー・ガイエさんに走ったのは皮肉な結果であった。男性も女性に厳しい視線を向ける。女性も恋愛・仕事・子育てなどの人生経験を積み、年齢に応じたを美しさエレガンスを身につけていけば、いくらでも新しいチャンスが訪れるのだから、女度をアップさせることを怠らない。

日本では、年齢によって蓄積された深みのある美しさどころか、アイドルの隆盛を見てもわかるように、未熟さと裏腹の若さがもてはやされる。グローバリゼーションの中で日本人男性は日本女性が恋愛偏差値の高い国の男性に流れることをもっと考慮する必要があるのかもしれない。実際、著者は、とりわけフランス人男性と日本人女性がカップルになりやすい理由も、データーを駆使して分析している!

本書のタイトル「不思議フランス」を問うことは、実は私たちにとってあまりにもあたり前で、変るはずがないと思い込んでいる「不思議日本」を問うことでもあり、少子高齢化、地域社会や家族のあり方の変化など、日本が直面している様々な問題の解決の糸口を与えてくれるだろう。


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2015年06月17日

アフリカとフランス ‐ 軍事介入、自動車、言語&メディア戦略

池上彰のアフリカビジネス入門現在、アフリカでエボラ出血熱が猛威をふるい、アフリカ大陸以外にも広がる勢いである。それでなくてもアフリカから届くのは内戦とか虐殺とか、イスラム武装勢力の暗躍とか、ネガティブなニュースが多く、地球の最後のフロンティアと言われるアフリカは大丈夫なのかと心配になってくる。しかし、この心配は後で述べるように、アフリカを貧困と紛争のイメージで描きたがる、欧米メディアのひとつの効果に過ぎないのかもしれないし、エボラ出血熱騒動も、アフリカと世界のつながりが深まってきたことを示しているのかもしれない。

仏語圏の57の国や政府で構成する国際組織「フランコフォニー」が2010年に出した報告書によると、2010年のフランス語を話す人々は、2億2000万人(世界人口70億人の3%)だったが、2050年には7億人(世界人口91億人の8%)に達する。現在、日本の大学の第2外国語においてフランス語のシェアは落ちて行く一方だが(日中関係の悪化によって少しは持ち直している)、これはフランス語学習者にとって直接的なメリットのある朗報なのだろうか。

世界銀行は半期に一度、アフリカ経済を分析した報告書「アフリカの鼓動」を発表している。それによると、サブサハラ・アフリカ(SSA:サハラ砂漠より南の、北アフリカ以外の地域)の経済は、2013年の4.7%から順調に成長し、2014年には5.2%になると予測されている。その背景には、天然資源とインフラへの投資拡大、順調な個人消費が挙げられる。成長が特に著しかったのは、シエラレオネやコンゴ民主共和国などの資源国で、コートジボワールも引き続き堅調で、フランスの軍事介入によって政治が安定し、治安が改善したマリも好転した。

一方、去年12月にフランスが介入した中央アフリカ共和国の1人あたりのGDPは約369ドルで、サブサハラ・アフリカの約992ドルを大きく下回る。またサブサハラ・アフリカの2013年の成長率が4.7%であるのに対し、中央アフリカは約1.2%と明らかに低い。2000年代はアフリカが最後のフロンティアとして域外国からの投資に沸き、急激に成長したのに対し、ボジゼ大統領の任期中の中央アフリカは経済停滞が顕著だった。

つまり政治的な安定と経済成長のあいだいには明らかに相関がある。実際、様々な指標によって生活の質を総合的に数値化する「暮らしやすい国」ランキング2014年版で、中央アフリカは世界最下位(142位)にランキングされ、未だ政情が不安定で宗教間の争いが絶えない中央アフリカは、それらが生活の質に対する最大の脅威であることを証明してしまった。

1. アフリカに介入するフランス
Africa_Sahara_Sahel_SubSaharan中央アフリカのこれまでの経緯を簡単に述べてみよう。ボジゼ大統領は、パタセ大統領の時代、軍の参謀総長だったが、2003年にパセタ大統領親衛隊を倒して、権力を掌握した。しかし大統領となったボジゼも結局はパタセと同じように、独裁化して、恣意的な選挙運営や反政府勢力の強権的な取り締まりを行い、それに反旗を翻す勢力に倒されるというパターンを踏襲することになる。そしてボジゼ退陣を求めたのは、イスラム系の武装勢力が結集した武装勢力、セレカ( Seleka コンゴ語で同盟の意)だった。セレカには内戦後のリビアから武器や兵士が流れ込み、さらに勢力を増し、2012年12月には主要な都市を占拠するに至る。2013年1月、ボジゼ大統領とセレカは一旦停戦合意をしたが、折り合わず、再びセレカが攻撃を開始し、ボジゼ大統領は亡命を余儀なくされる。

そしてセレカが政権を掌握し、セレカのリーダー、ジョトディアが暫定大統領に就任する。セレカはもともと寄り合い所帯で求心力のない武装勢力だったが、賃金未払いなど不満が募り、離反が相次いだ。ジョトディア大統領はセレカの解散を宣言したが、混乱を収拾するにはいたらなかった。首都でも武装勢力同士の武力抗争が、イスラム教とキリスト教の対立へと軸を変化させながら激化していった(中央アフリカはもともと人口の70%がキリスト教徒で、イスラム教徒は少数派という状況)。略奪や虐殺がエスカレートし、多くの避難民も出た。その混乱の中で中央アフリカを視察した国連機関がジェノサイドに発展する恐れがあると警鐘を鳴らし、フランスが去年の12月に軍事介入を決定したのだった。

フランスはアフリカで軍事活動を行うのは稀なことではない。フランスはかつてのヨーロッパの植民地勢力の中で唯一、アフリカに兵力を駐留させている。現在アフリカには約24万人のフランス人が居住しており、これを保護するためにフランス軍は外人部隊も含めて約1万2千人の兵員をアフリカに駐留させている。

フランスは軍事介入に積極的だったわけではないが、介入の大義名分がそろいすぎるほどそろった。ひとつは選挙で選出されたボジゼ大統領がセレカによって亡命を余儀なくされ、民主化の原則に反したこと。セレカがイスラム武装勢力で、しかもリビアからの武器や兵士の流入は反テロの観点からも好ましくないこと。さらには現地からの要請もあった。実際に介入後、実際行く先々でフランス軍が歓迎された事実がある。

当然、介入の背景にはフランスの利益もある。アフリカの政情を安定させることは市場や投資先の確保につながるからだ。先ほどの数字を見ればわかるように、政治的に安定している地域は経済成長の度合いが高い。資源ブームの中でフランス企業はアフリカへの投資を増やしているが、2007年にフランスの原子力産業複合企業、アレヴァ(福島の原発事故でも注目された)は首都バンギから北東600キロにあるバコウマのウラン鉱山開発に25億ドルを投資している。

「中央アフリカにフランスが軍事介入した3つの理由」(THE PAGE 2013.12.17)参照

2. アフリカへの投資
自動車産業は経済発展のひとつの重要なパロメーターである。世界の自動車メーカーにとって欧米以外の主要市場は、中国とインドを除けば、北アフリカが有望なフロンティアとみなされている。しかし、2010年のチュニジア暴動に端を発する「ジャスミン革命」以来、フランスの多国籍企業は革命が飛び火した国々を避け、モロッコのみを投資先とみなしている。その理由はモッロコが外国企業の誘致政策を行い、また北アフリカで最も対外開放が進んでいるからだ。ルノー日産グループはモロッコの北端の町、タンジェに欧州以外では最大の工場を置いている。2013年の世界の全メーカーの国内販売台数(中古車を除く)は165万台であるが、その内訳は、

@アルジェリア26万台(1人あたりの所得5020ドル、2012年)
Aモロッコ12万台(2910ドル)
Bチュニジア5万台(4510ドル)

上位を北アフリカの国が占め、特に石油を産出するアルジェリアの購買力が高いことがわかる。ブラックアフリカに関して言えば、所得水準が低いので、工場を建設する直接投資は行われず、貿易によりフランス車が旧仏領国で購入されている。

ブラックアフリカの主要国のカメルーン、コートジボワール、セネガルの1人当たり所得は1000ドル程度と低水準ではあるが、それでもカメルーンは比較的工業化が進み、自動車の組み立てが主要な産業に育っている。

日本との関連で特筆すべきことは、アフリカの最大の自動車ディーラーであるフランスの総合商社CFAOをトヨタグループの総合商社、豊田通商が公開株買い付けを行い、100%近い株を取得し、親会社になったこと。CFAOの最優先市場はコートジボワール、カメルーン、コンゴであり、その地域全体ではトヨタの車が売れており、特に不整地走行車両ではトヨタがトップである。

参照した記事にはアルジェリアとガボンの各メーカーのシェアが掲載されていたが、韓国のアフリカ進出も日本に引けをとらないことがわかる。アルジェリアでは1位ルノー(20%)、2位現代(17%)、3位プジョー(11%)、4位トヨタ(9%)。ガボンでは1位トヨタ(33%)、2位三菱(13%)、3位フォード(12%)、4位現代である。

□「フランスと旧仏領アフリカとの経済関係」(『ふらんす』2014年9月号)参照

3. アフリカに対するメディア戦略

いくら2050年にフランス語話者が7億人(世界人口91億人の8%)になるとはいえ、そのうちアフリカに属する人口が85%を占め、人口6500万人のフランスは脇に追いやられることになる。フランスとしては、フランス語政策を通じてフランス語圏の主導権を握りたいところだろう。7億人という数字はあくまでフランス語圏で将来もフランス語が使われることが前提になっている。

例えば、コンゴ民主共和国は最大級のフランス語公用国と言われるが、実際には200の現地語があり、フランス語は共通語として機能しているに過ぎない。ちゃんとしたフランス語教育が行われ、ちゃんとしたフランス語メディアが存在し続けなければ、フランス語が重要な地位を維持できるか疑わしいのだ。ネットの普及などによって英語にその地位を奪われる可能性もある。しかし豊かとは言えない国で若者世代の急増に対応したフランス語教育は困難を極めることなのだ。

RFI(Radio France Internationale)は2007年にナイジェリアでハウサ語、2010年にはタンザニアでスワヒリ語での放送を開始した。まずは現地語で視聴者と接し、次にフランス語を学んでもらうという戦略である。フランス24(France 24)はフランス語だけでなく、英語とアラビア語でも放送しているが、そこに五大陸に分布するフランス語圏の視点が加わることは、ニュースの意味や議論を深めることになるだろうと主張する。またかつて日本では文学や思想や映画がフランス語を学ぶ動機や媒介になったように、フランスの文化の浸透も欠かせないだろう。実際、RFIやFrance24を運営する公共企業「フランス・メディアモンド」は公共メディアの使命はフランス語の普及とフランス語教育者の養成と考え、経済的な利益よりは文化外交の一翼を担うという自覚があるようだ。

フランス語を担うフランスのメディアにとって、6500万人のフランス国内市場から7億人の巨大なフランス語市場に目を向ける転換期である。メディアとしてアフリカをどのように伝えるのかも重要な問題だ。最初に述べたような、貧しく紛争が多いアフリカという固定観念にとらわれずに、暴力と貧困を克服しながら発展するアフリカの姿をありのままに伝えなければならない。例えば、スレート・アフリック (http://www.slateafrique.com/) はネット閲覧を無料にし、広告収入に依存する形態だが、現地アフリカの広告業界が未熟で思うように収益が上がっていない上に、リポーター不足で現地情報があまり集まらないという問題を抱えているようだ。一方、ルポワン・アフリック (http://afrique.lepoint.fr/) は経済情報を重視する戦略を取り、起業家、経営幹部、大学への浸透を目指している、という具合だ。

アフリカは中国が積極的に進出していることでも知られている。中国政府が支援する中国語教育機関「孔子学院」がアフリカでは2005年に初めて開校し、現在(2012年)はアフリカ約20か国30校に及ぶ。中国中央テレビ=CCTV (cctv-africa.com) は2012年にケニアのナイロビに大きなスタジオを構え、英語でアフリカのニュースや文化情報の生放送を開始している。またフランス語圏アフリカの地上デジタル放送に投資し、アフリカ各国との協力で中国独自のコンテンツを現地テレビ局に提供している。

CCTVはいち早くビジネス情報などアフリカの積極的な側面を取り上げ、アフリカの人々に別の選択肢を与えた。そのおかげで英 BBC と肩を並べるくらいの知名度があるのだという。フランス語圏は決してフランスに属しているわけではなく、戦略的に投資を行い、影響力を保持しなければ、優位な立場にいるフランスとて好機を逃すことになる。中国は言語の重要性をよく理解している。これは言語を巡る戦争なのだ。日本に関して言えば、非英語圏の国がグローバリゼーションを考慮するなら自ら英語化を進めるよりも、世界に日本語学習者を増やす戦略があってもいいはずだ。日本語ブームが何度かあったにもかかわらず、日本はどんどん予算を削り、外国の日本語学習拠点(大学の日本語学科など)も減る一方のようだ。

最近、フランス語教育に関する重要なニュースがあった。それはカーン・アカデミー Karn Academy のフランス語版が完成したことだ。「質のよい教育を、すべての人々のために」をうたい文句に、カーン・アカデミーのサイトには数学や科学、物理学などを中心に3000本を超えるビデオがアップロードされている。利用はすべて無料。ビデオをクリックすると、黒板のようなものが現れ、講義が始まる。十分な教育環境のない発展途上国の子どもでも、自分に適した速度で学習することができるようになっている。またゲイツ財団やグーグル、有名なシリコンバレーのベンチャーキャピタリストなどが支援し、数百万ドルの寄付を行っていることでも知られている。

カーン・アカデミーのフランス語版は Bibliothèques Sans Frontières という組織の助力が大きいようだ。この組織の動向を見てもわかるように、これはアフリカに対する言語戦略なのだろう。まさにアフリカの子供たちにうってつけの教育インフラだからだ。アフリカの人口が増え、フランス語話者が増えると言われているとはいえ、ネット教育という形でフランス語が教育の媒介となれば、言語基盤をより強固なものにできるだろう。

□「フランスメディア、アフリカに活路 ネット活用 多様な報道」(毎日jp)
□「中国、アフリカを席巻」(朝日新聞、2012年7月19日)参照




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2015年05月16日

若者言葉はどこでも同じ?

先日、最近の新語がニュースで取り上げられていた。「ディスる」(非難する)や「コクる」(告白する)などの造語や、「詰まる」(終わる、ダメになる)などの新用法が紹介されていた。僕自身は使わないものの、だいたいは意味が分かって、ほっとした。若者相手の商売だから、見当もつかないというのは、ちょっと淋しい。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014092502000163.html

言うまでもなく、現代フランス語も造語または新用法にあふれている。とくに英語からの借用語は増大の一途をたどっていて、je like (= j’aime)とか、Tu t’enjailles ?(= tu t’amuses ? <enjoyの変形)とか、動詞にも波及している。

ちょうどフランスの本屋で、レジカウンターに置かれていた無料の小冊子を入手したので、それを参照しながら、いくつか紹介してみよう。題して、「それほど若くない人に説明する若者言葉」、著者はAch!lle Talonとなっている。アシール・タロンとは、Greg作によるバンド・デシネの人気シリーズの主人公だ。

http://www.izneo.com/achille-talon-impetueuses-tribulations-d-langage-jeunes-explique-aux-moins-jeunes--A14324

1 bête:普通は「愚か」を意味するが、若者言葉では「欲しくなる」という意味。日本語の「やばい」に似てる?
用例 : Il a un bête de moto !「あいつ、やばい自転車に乗ってるな!」

2 genre:「たとえば」。副詞的に用いる。
用例 : T’es foncedé, t’as pris quoi, genre de la weed ?「ラリってんのか、何吸ったんだ、ハッパか何かか?」(foncedéはdéfonceの反転語[verlan])

3 prendre cher:「身体的、心理的に苦しむ」。
用例 : Wah j’ai pris trop cher au contrôle, j’me suis fait tricard quand j’ai essayé de tricher !「試験きつすぎた、カンニングしようとしたら、(見つかって)追い出された!」

4 test:何かを理解したり実行したりするのに十分な能力がないこと。
用例 : Tu peux pas test, boloss !「おれにかなうと思うな、あほが!」

いやはや、訳が古臭くて申し訳ない。僕は現代日本語に通じていないので、ぴったりくる表現が分からない。それにしても、こういうのを見聞きすると、僕が教え、かつ使っているようなフランス語は、文化的な奥行きを欠いた標準語であることを痛感させられる。それが外国語というものの姿なのだろう。

ただ、新しい表現を創り出す母体が若者である、ということだけは、日本とフランスに共通している。ネットスラングにしても、おそらく40代以上の人間による発案はごく少ないのではないか、という気がする。道具が変わっても、人間の創造性に関する法則に、さほど変化はない。ということは、僕もそろそろ創造性が枯渇する頃か? Ma mère !


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2014年06月18日

あまりフランスっぽくない二人組 −ダフト・パンクがグラミー賞を制覇

4 枚目のアルバム「Random Access Memories」の世界的な成功のあと、ダフト・パンクに欠けていた唯一のもの。それはグラミー賞の最優秀レコード賞とアルバム賞という主要部門で認められることだ。結果的にダフト・パンクは5つのグラミー賞をかっさらった。フランスのグループとしては前代未聞の快挙だ。ポール・マッカートニーもオノ・ヨーコも、会場のステイプルズ・センターにいる人々は、みんなが立ち上がって踊った。経済の低迷だの、オランド大統領の愛人問題だの、ちょうどフランスに対するバッシングがひどくなっている時期でもあった。

フランコフォニー相のヤミア・ベンギギはこの成功に飛びつき、彼らを「メイド・イン・フランス」の誇りとして仕立てあげた。ジャンマルク・エロ―首相はツィッターで「フランスはあたなたちを誇りに思う」と歓迎の意を表した。またグラミー賞のセレモニーで、ファレル・ウイリアムスはマスクをつけて何もしゃべらない彼らを代弁しながら、「フランス人は彼らのことを誇りに思うべきだ」と発言した。

Random Access Memoriesフランスの新しい世代は、別の文化からもたらされたロック、ポップ、ヒップホップの要素を統合するツールを得た。エールと並んで、ダフト・パンクはフレンチ・タッチの先鋭となり、アングロサクソンのリスナーたちを魅了した。1997年にハウスとテクノにインスパイアされた "Homework" を発表。アルバムに入っている ’Around the world’ のヒットで国際的な知名度を得た。そしてファレル・ウイリアムスと共演したシングル ’Get Lucky’ は2013年の世界的なヒット曲になった。アルバムはナイル・ロジャースやジュリアン・カサブランカスと一緒に本格的なスタジオで録音された最初のアルバムになり、約300万枚を売り上げた。

問題は、ダフト・パンクのメンバーがパリで育ち、イブ・サンローランを着ていたとしても、彼らは今ロサンジェルスで一年の大半を過ごしていることだ。この二人組はフランスからの報酬を拒否し、いつもフランスの国境から遠い場所で活躍してきたのだから。彼らのレコード会社は日本のソニーの系列のアメリカの子会社だ。彼らは英語で歌わせる。そして ’Get Lucky’ のスターたち、ファレル・ウイリアムスとナイル・ロジャースはアメリカ人だ。彼らのマスクですら「ハリウッド製」だ。ダフトは長い間フランスのグループたちとは違った場所で活動してきた。

彼らは最初からマーケッティングを彼らの創造的なプロセスに組み込んでいた。それは希少性と神秘性と言うシンプルな考えだ。ダフト・パンクは決して顔をさらすことがなく、テレビにもほとんど出演しなかった。今回のグラミー賞に出演したのは6年ぶりのことだ。彼らが現れるときは事件になり、彼らのロボットのマスクはすぐにそれとわかるブランドとなった。彼らはスーパースターになっても、そのうまいやりかたのおかげで、普通の生活を送り続けることができるのだ。

フランスにだってグラミー賞に相当する賞がある。それはレ・ヴィクトワール・ド・ラ・ミュージック Les victoires de la musique だ。数週間前、ノミネートされたミュージシャンたちのリストが発表されたとき、主催者側はノミネートされたダフト・パンクが受賞を拒否したことを明らかにした。グラミー賞を受賞したあと、主催者はあきらめきれずにセレモニーに出てくれないかともう一度頼んでいる。「レ・ヴィクトワールは終わっている。みんな飽き飽きしている。彼らが本当にフランスを外国に紹介する気があるんだか」とダフト・パンクの元マネージャーは言う。

去年の5月にパリ・マッチのインタビューで、ダフト・パンクのメンバーのひとり、トマ・バンガルテルは、彼らのうまくコントロールされたマーケッティングについて、インタビュアが彼を責めるような調子にいら立って、フランスについて少ししか話さなかった。「あなたが暗に僕たちがレコードを売るために音楽をやっていると思っていることが受け入れられない」。そんなふうに考えることがフランスのエスプリなのか?フランスから有名になった人々に飛びついて、これはフランス産だとアピールする一方で、フランスには常にそういったシニシズムが存在する。

’Get Lucky’ はアメリカの80年代ファンクの黄金期に対するオマージュだ。それはマイケル・ジャクソンの ’Thriller’ の時代でもある。それは「ザ・アーティスト」(ジャン・デュジャンルダン主演、2012年アカデミー賞の5部門で受賞の仏映画)がハリウッドの無声映画へのオマージュであったように、アメリカ人たちは自分たちの音楽史の重要な部分にオマージュを捧げてくれた彼らをグラミー賞で祝い、報いただけなのだ。

以下の記事を参照した。

Daft Punk, un duo frenchy pas très français
29.01.2014 | France24
Par Stéphane JOURDAIN

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2014年03月20日

フランスで日本酒ブーム!?

フランスで、中国人が経営している安い日本料理店に入ると最後に小さなおちょこに入った正体不明の蒸留酒が出される。おそらくフランス人はそれをずっと日本酒だと思ってきたのだ。フランスの知り合いのおじさんの別荘に呼ばれたとき、何度か富山の「満水泉」をお土産に持っていった。夕食の席で一杯目は美味しいと言ってもらえるが、そのあとはいつも台所の片隅に追いやられてしまうのだった。まだ機は熟していなかったのだ。

満寿泉 大吟醸「寿」 富山県桝田酒造店 1800ml今年の5月にフランスの社会党下院議員、ジルベール・ル=ブリ氏 Gilbert Le Bris を中心にフランスの議員たちによる「日本酒友の議員協会」l'Association parlementaire des amis du saké japonais が結成され、ル=ブリ氏は共同会長への就任をツイッターで報告した。フランスの議員のあいだには、「タンタンの冒険」のファンクラブや「シガレット愛好会」などがすでに存在するが、「日本酒友の会」には社会党だけでなく、UMP の議員も名を連ねる。

"Nous avons découvert cette tradition il y a deux ans, à l'occasion d'un voyage au Japon, explique Gilbert Le Bris. Après la catastrophe de Fukushima, la production de saké était sinistrée et nous voulons, aujourd'hui, par notre initiative, non seulement donner un coup de pouce à nos amis nippons, mais aussi améliorer l'image de cet alcool dans notre pays."
「私たちが2年前に、日本を旅行したときに、この伝統を発見しました。福島の原発事故のあと、日本酒の醸造元も被災しました。今は私たちが率先して日本の友人たちを助けたいだけでなく、フランスにおける日本酒のイメージも改善したいのです」(ル=ブリ氏)

去年の9月には、フランスで日本酒の魅力をアピールするために、大七酒造(福島県二本松市)や剣菱酒造(神戸市灘区)など、日本の酒造メーカー約30社がパリ市内で合同試飲会を開いた。会場は何と、フランスを代表する俳優、ジェラール・ドパルデューの邸宅だった。ドパルデューは日本酒愛好家団体 Becs Fins de Sakés の会長を務める大の日本酒好きで、自宅を会場として提供し、日本酒の普及に一肌脱いだのだった。

食事をする際、ワインに向かない食材や料理でも、日本酒ならばマッチする場合がある。それは寿司に限った話ではない。例えば卵や根菜アスパラガスといった食材だ。これらはワインのタンニンとは合わないが、日本酒とはすばらしくマッチする。パリの高級ホテルジョルジュサンクのシェフを務めるエリック・ブルファールは12銘柄の日本酒をそろえ、よく冷やしたものをクリスタルのガラスで客に出す。きのこ類やバター付マテガイ、カシスとミラベルのデザートといった料理にはワインではなく、あえて日本酒を勧めているという。そして客の反応はといえば、日本酒と知らずに飲んだ彼らの多くは「素晴らしい白ワイン」と混同してしまうのだ。

獺祭【木箱入り】磨き二割三分 純米大吟醸 720ml6月にオランド大統領が来日したが、フランスから17年ぶりに国賓として大統領がやってくるとあって安倍首相主催の午餐会のメニューにも注目が集まった。午餐会で用意された酒は甲州ワインと、日本のロマネコンティと呼ばれることもある、日本酒の瀬祭だった。獺祭は首相の出身地でもある山口県の旭酒造が製造している。酒蔵ではもろみから酒を搾る際に遠心分離機を使い、日本酒本来の味と香りを生かしている。獺祭はパリで1万前後で売られているが、ヨーロッパへの輸出は2010年で生産量の2%にすぎない。これを14年には倍増させ、来春にはパリに販売拠点を設けるという。

そのために、旭酒造は約25億円を投じて生産能力を14年末までに3倍に引き上げようとしているが、思わぬ所から足を引っ張られることになった。獺祭の原料となるコメ、山田錦(「酒造好適米」と呼ばれる)が調達できないのだ。山田錦は、最高級の酒造好適米としてランクされる。その多くは山田錦を生み出した兵庫県の北播地域を中心に生産されているが、これ以上の増産は難しいというのだ。というのも、山田錦をはじめとした酒造好適米は、主食用米と同じく「生産数量目標」の内数となっていて、生産数量に制限がかけられている。主食用米の価格維持のために、需要見通しをもとに生産数量目標を決めるという国策の一環だ。さすがに農水省も制度的な矛盾を認め、やっと重い腰を上げようとしている。「酒造メーカーと農家の契約がある新規の酒造好適米の需要増加分に関しては、来年から生産数量目標の枠外にすることを検討している」ようだ。日本の場合、何か新しいことをしようとすると必ず「規制」にぶちあたる。国が制度的な地ならしをすることは不可欠だろう。

運搬手段など物理的な流通の問題があるため、日本酒の造り手が農家と直接契約することはないが、地元のJA、流通業者を介して、直接訪ねた農家が生産する山田錦を調達することができる。そうすれば、流通経路の透明化にもつながる。ワインを造るときは当然ブドウの品種や産地の情報開示は欠かせないし、それがブランド化につながるが、日本酒の場合も同じようにどんな人が、どんな方法で原料米を生産しているのか、消費者に知らせることができる。

中村酒造 三ツ星レストランアランデュカスとのコラボ アランデュカスセレクション(720ml)限定品以前紹介した『ローマ法王に米を食べさせた男』の著者、羽咋市のスーパー公務員、高野誠鮮氏は、もともと高品質な米であった神子原米(石川県羽咋市神子原村産)をまさにローマ法王に食べさせ、世界に知らしめたあと、さらに神子原米をワイン酵母で発酵させた酒、「客人」(まれびと) を造り、1本3万3600円の値段をつけて東京のデパートで売り出した。高野氏が「客人」を外国人記者クラブで宣伝したら、フランスの有名レストラン、アラン・デュカスのチーフ・ソムリエの知るところとなり、彼自身が参加して、神子原米でフランス料理に合う新しい微発泡酒(写真⇒)をプロデュースし、アラン・デュカスで供されるという連鎖が次々と起こった。3万円以上の値段がつくのは、このようなメディアを使った高野氏の高付加価値作戦が功を奏したからだ。

また同じ能登半島にちょうど今年の3月、フランスのテレビ局TV5が、番組制作の取材のために能登町松波の松波酒造を訪れた。雪がちらつく中、築100年以上の酒蔵で、仕込んであった純米酒を手作業で絞る様子をTVのクルーが撮影し、そこにあった神棚にまで深い関心を示したという。番組はこの秋にフランス全国で放映され、家族経営で守られる日本の地方の伝統文化が紹介される。つまり日本酒そのものだけでなく、それがどうやって作られているのかに関心が向いている。日本酒の味わいと、受け継がれた技術と受け継ぐ人々の立ち振る舞い、そして背景となる自然がセットになって、フランスの人々の興味を掻き立てているのだと、私たちは改めて認識するのだ。

今日は偶然、神戸市長選の投票日だが、先月市長候補の樫野孝人さんと偶然、灘の酒について話す機会があった。パリの試飲会には灘の剣菱酒造も参加していたが、灘の酒は、日本全国の清酒産業を牽引できる力とブランドがあるにも関わらず、神戸市は全く力を入れてこなかった(何を思ったが「神戸ワイン」を立ち上げ失敗している)。樫野さんは、元からあった清酒産業という神戸の強みを生かし、イベントを通して情報発信しつつ、世界の日本食ブームに乗せて海外への市場拡大を後押ししたいと具体的なビジョンを提示されていた。

ローカルに埋もれていた「良いもの」が発掘され、世界的に正当な評価を受ける。そして日本の地方と世界が直接つながる。これもグローバリゼーションの効果のひとつだろう。日本酒が飲まれなかったのは、美味しくなかったからではなく、単に誰も知らなかったからだ。また能登のTV番組の取材からもわかるように、日本酒は単なる商品ではなく、物語を備えた文化コンテンツなのだ。円安のおかげで、新幹線に乗るとすでに外国人旅行者であふれていることに気が付く。去年の同時期に比べると旅行費は20~30%オフなのだから。しかし日本には彼らの興味を惹くものがまだたくさんあるのに、ショーケース化されていないために、その存在を知らずに帰ってしまう。単に「日本に来て下さい」というだけでなく、「日本に来て何を見て、何をするのか」、私たちは外国からの客人たちにわかりやすく示す必要がある。日本人は他者の視線を自覚するのが苦手だ。外国人がどんなものに興味を持つのかを問う以前に、日本はどんなものを外国人に見せることができるのか、まだ日本の自己像さえきちんと捉えられていなのではないだろうか。漠然と意識している自分たちの伝統を文化コンテンツとして捉え直し、世界に向けて発信すること。日本政府観光局の予算は世界でも最低水準(隣の韓国の10分の1)だというが、その作業は新しい雇用生むだろう。そして語学の需要も!

以下の記事を参照
Le saké, nouvel alcool chouchou des Français (12/06/2013 L'Express)
「日本酒ブームなのに酒米・山田錦が足りない」(2013年9月17日、『WEDGE』)

cyberbloom(初出2013年10月27日)

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2014年01月23日

「フランスの大学で英語解禁」は誰のためなのか

フランス政府が、高等教育機関でのフランス語の使用義務を緩和し、英語による授業を事実上解禁する法案制定に乗り出した。フランスでは1994年の「トゥーボン法 loi Toubon」=「仏語使用法」で、国内で開かれる国際会議や放送、広告など公共の場でのフランス語の使用を原則義務付けた。教育の場も同様で、外国語による授業は語学学校や外国人向け学校、外国人教員の授業などの例外に限定していた。

Liberation01.jpg新しい法案はこの「例外規定」を拡大して、欧州関連の教育課程や外国機関との関連で必要な場合、外国語使用を認める内容だ。オランド政権は、英語だけでなく、それ以外の外国語による講義も導入して、インドや中国のような新興国の学生を呼び込み、フランスの大学の留学生率を現在の12%から2020年には15%に増やすことを目指す。また英語力の強化は、フランス人学生の世界での競争力向上につながるだろう。

一方、フランス語擁護派は激しく反発している。フランス文化圏で尊敬を集めているジャーナリストのベルナール・ピヴォ Bernard Pivot 氏は、「モリエール Molière の言葉」と呼ばれるフランス語にとって、この法案は弔いの鐘になりかねないと危機感をあらわにした。「わが国の大学に英語の導入を許し、(英語で)科学や現代世界を教えれば、フランス語は破壊され、貧しいものになってしまうだろう。フランス語がありきたりな言語か、最悪の場合は死語になってしまうかもしれない」と。

フランスを代表するニュース番組 France2 には、これまたフランス語擁護派の先鋒、コレージュ・ド・フランスのクロード・アジェージュ Claude Hagège 氏が登場して、「大学の問題は授業の英語化ではなく、教育の質の問題だ。質が良ければ外国人は自らフランス語を勉強してフランスの大学に来るだろう」と主張し、「なぜ伝統あるフランスの大学が英語に合わせなくてはいけないのか」と怒り心頭の様子だった。また英語の授業導入は他のフランス語圏の国々に対する裏切り行為になるという指摘も忘れなかった。フランス語の保存と純化を目的とし、大きな影響力を持つ国立学術団体アカデミー・フランセーズ Académie française (1635年創設)はもちろん反対の立場だ。

一方、法律を制定する側のジュヌヴィエーヴ・フィオラゾ Genevieve Fioraso 高等教育・研究相は、エリートを養成するフランスの高等機関、グランドゼコールの各校ではすでに広く英語やその他の言語を使用している点を指摘し、この議論は「あきれるほど偽善的」だと憤っている。トゥーボン法はグランゼコールではしばしば破られているが、そのことに何の異論も生じていないのが現状だ。下院の審議の冒頭で、フィオラゾ氏は「新しい法案によって、教育の媒体としてフランス語が最も重要であることや、フランス語圏を守ることが損なわれることは決してない。知識や研究への投資は経済危機と戦う上で私たちの最良の武器なのだ」と口火を切ったのだった。

英語が使われ、人気の高いビジネス系のグランドゼコールは国立でも有償の場合が多く、つまり、お金を払える学生はグローバルな教育を受けることができて、お金をあまり払えない国立大の大学生(仏国立大の授業料は登録料のみ)は英語で学べない、ということも起こる。また根本的な問題として、英語で学びたい学生の要求に答えられないことになる。フランスは恒常的に失業率が高いので、国外で働くことを望む学生も多い。英語を使えたほうが良いに決まっているのだ。

英語の問題は学生だけでなく研究者にも及んでいる。フランスの大学にはすでに10%の外国人の研究者がいて、フランス語が不得意な研究者は母国語か英語で授業をしている。つまりもう少し法律の余白がないとフランスに優秀な研究者を呼べない事態になる。特に理系の分野が顕著だ。5月22日に発表された世論調査では、フランスの科学者の大多数が現在、研究や教育を英語で行っているとの結果が出た。2007〜09年の間に研究機関の所長約2000人、研究者約9000人を対象に調査を行ったフランソワ・エラン François Héran 氏は「現在交わされている議論は現実をまったく考慮していない」と批判する。「現実には、フランス語は国際的な科学の全域ですでに周縁へ追いやられている」。

フランスは文化機関やフランス語圏諸国を通じ、数十年間にわたって国内外で熱心にフランス語の使用を広めてきた。それにもかかわらず、むしろ逆に英語は急速にフランス社会を侵食している。若者の多くは電話口で「アロー allo 」や「ウィ oui 」の代わりに、「イエス」と言い、パリ市街の落書きにも英語が増え、話すときに英単語を混ぜる franglais (francais+anglais) も定着しつつあるのが実態だ。

左派系のリベラシオン(Liberation)は5月21日の1面に英語で「Teaching in English - Let's do it」との見出しを掲げ、「包囲されたガリア人の最後の村の代議員のように振る舞うことは止めよう Cessons de nous comporter comme les derniers représentants d’un village gaulois assiégé.」と書いていた。本当の問題は「大学に英語が侵入してくること」ではなくて、「フランス人の英語が許せないほど下手」ということなのだ。今日のグローバル化した世界で、かなりの数のフランスの学生が英語ができないという理由で労働市場から締め出されている現状を見ても、屁理屈を言うつもりか、とリベラシオンは厳しく批判する。「フランスの大学に外国人が増えること」だけでなく「フランス人学生の英語力を高めること」はフランス語圏の強化につながるだろう。なぜなら、それは彼らが外国に旅行したり、留学したりすることを促し、英語も得意なフランス語話者を、外国に送り込むことになるからだ。ドメドメな内輪の論理ではなく、リベラシオンの言う「箱の外で考える=penser ≪en dehors de la boîte≫ 」は日本の英語事情を考える上でも非常に示唆的である。

以下の記事を参照した。
Médiocrité
LIBERATION 20 mai 2013


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2013年12月15日

フランスの同性婚をめぐる攻防、そしてアンジェリーナ・ジョリーが象徴するもの

2013年に入ってから堰を切ったかのように各国で同性間の結婚を合法とする法案が可決されている。4月10日にウルグアイで「結婚平等法案」が可決、4月17日にはニュージーランドで同性間結婚を認める法改正案が可決された。それがちょうど今月発効され、ニュージーランドはアジア太平洋地域では初めて、世界では13番目に同性婚が認められた国となった(今、同性婚の挙式ラッシュになっているそうだ)。

Mr.&Mrs.スミス プレミアム・エディション [DVD]2012年5月、米国のオバマ大統領は、就任演説で同性婚を支持する発言をした。アメリカでは同性愛は宗教観とも深く関わり、政治的な場ではタブー視されてきた。しかし、大統領はそれを敢えて公的な場で表明することが重要と考えた。一歩間違えば政治生命を失いかねないような発言だったが、まさにそれはこれまでの歴史的な解放、すなわち、黒人解放、女性解放に次ぐ三番目の解放だった。

そして今年6月にはアメリカ連邦最高裁が、結婚は男女間のものとした連邦法の規定を違憲とし、カリフォルニア州での同性婚解禁にも道を開く判断を示した。オバマ大統領もそれを称賛し、レディガガもアメリカの同性愛者の歴史的な勝利に際して、国家を歌って祝った。

それは企業にまで波及した。フェイスブックの社員700人(ザッカーバーグCEOを含む15%以上の社員)がサンフランシスコで行われるゲイパレードに参加するというニュースも伝えられた。同社の今年のパレードへの意気込みは、世界をリードするアメリカのIT大企業が採用面だけでなく、企業の理念として同性愛者の権利を支持していることの表明だった。グーグルも負けじと1400人の社員をパレードに送り込んだ。

一方、フランスでは4月12日にフランスの上院で同性カップルに結婚と養子を持つ権利を与える法案が可決されたが、あまり大きな混乱のなかった他の国とは様子が異なっていた。同性婚の賛成派と反対派がそれぞれ数十万規模のデモを繰り広げ、フランス議会は議員たちが乱闘寸前になるまで過熱した。同性愛者に対する暴力事件が急増し、右派の文筆家が同性婚に対する抗議としてノートルダム寺院の祭壇でピストル自殺をするというショッキングな事件も起こった(三島由紀夫の影響もあったらしい)。忘れていけないのは、まさに国を二分する騒動が、政教分離の原則を推進し、私生活に関する問題に寛容な態度を示すフランスで起こったことだ。

フランスでの同性婚をめぐるこの分裂は、ある面では政治的対立をなぞっている。ニコラ・サルコジ前大統領が再選に失敗し、政界を引退したことで、フランスの主流右派は崩壊状態になったが、同性婚の問題は主流右派が社会党政権に反撃を加え、態勢を立て直す好機になった。加えて経済状況は悪化の一途をたどり、オランド大統領の支持率はどん底ときていた。思えば、サルコジ前政権と、サルコジ氏の再選に向けた選挙運動の中心的なテーマは「国家のアイデンティティー」だった。フランスで過去最大規模の勢力となった極右有権者たちは、この議論を再び俎上に載せようと手ぐすねを引いて待っていた。

一時的な政局にとどまらない面もある。教会と国家の分離は、フランスにおいて2世紀以上も前の共和制の黎明期までにさかのぼる血塗られた歴史だった。同性婚問題は、少数派だがフランス社会に深く根をおろしている、頑固な保守派カトリック教徒たちの存在を浮かび上がらせもした。

しかし、同性婚は歴史の流れに沿ったもので、いずれは全ての欧米諸国で成立することになるだろう。同性婚法案反対デモでは、保守主義者、カトリック原理主義者、極右ナショナリストらと一緒に、家族連れが行進する姿が見られた。これまでの世論調査では、フランス人の過半数が同性婚を支持しているが、同性愛者カップルによる養子縁組の権利については反対派が僅差で半数を上回っていることが繰り返し示されてきた。政府は医療的支援を受けた(同性愛者カップルによる)生殖も合法化することまで示唆しており、少し急ぎ過ぎた感が否めない。

同性婚は抗えない歴史の流れだと言うが、どういう意味で抗えないのだろうか。現代社会では、個人は人生を自分の判断によって主体的に選び取り、その結果を自分で引き受けなければならない。これまで職業が人生の最も重要な選択であり、自己実現とも結びついていたが、現在はそれだけにとどまらない、様々な選択の機会に直面することになる。「結婚する・しない」「子供を産む・産まない」(最近では卵子凍結で産む時期をコントロール)から、自身のセクシャリティー、自身の死期(安楽死やガン治療など)にまでそれは広がっている。そして現代社会は個人の人生の選択のための法整備を粛々と推し進めていくのだ。

ところで、数年前に、デンマークの議会で性倫理に関する新しい法が審議されるというニュースがあり、記事にしたことがある。デンマークは精子提供の最も多い国として知られる。すでに提供者の髪や瞳の色とか学歴などが細かくカタログ化され、選びやすいようになっている。提供者の子供の頃の顔写真まであって、どういう子供が生まれるか想像もできるのだ。もちろん議会ではそれを禁じようというのではなく、現状を的確に把握し、どうやって具体的に法を適応していくかを議論していた。

最も興味深かったのは精子提供を受ける「選択的」シングルマザーの存在だった。つまり子供は欲しいが、男は要らないという女性たちだ。このような男性との関係性の否定は、「男は種にすぎない、男の庇護も、男とのコミュニケーションも要らない」と言っているわけで、男は容姿や学歴などの属性のデータによってのみ測られる。これは同性婚とはまた別の形だが、従来の家族観の対極にあるものだろう。

個人が人生を主体的に選び取り、その選択の責任を負う状況を社会学者のアンソニー・ギデンズは「再帰的近代」と呼んだが、それが政治に及ぼす影響を政治学者の吉田徹氏が次のように述べている。

「これまで選択のガイドを果たしていた宗教も、かつてのように与えられるのではなく、選択される対象にすぎなくなっている。それゆえキリスト教、イスラム教を問わず、個人が宗教に過剰な生きがいを求める結果、原理主義が進行している。つまり個人はアイデンティティを与えられるのではなく、それを能動的に選び取っていかなければならない。その時点で、どのように生きるべきかという規範的な回答を求めて、政治にその実現を要求していくようになる。だから現代政治では同性愛や避妊・中絶、安楽死といった道徳的な問題の求心力がますます重みを増すようになっている。同性婚もこうした潮流の中でとらえられるべきだろう」。

吉田氏によると、その象徴的な存在がアンジェリーナ・ジョリーだ。彼女が世界的なアイコンになっているのは、かつてバイセクシャルだったことを公言し、ブラッド・ピットと事実婚を選び、途上国から3人の養子を引き取り、慈善活動に邁進し、遺伝子検査の結果からガンになる可能性が高いとして乳房切除した。つまり「過剰なまでに主体的に人生を選び取る人生」を彼女自身が体現しているからだ。

これまでは自然の摂理として、あるいは社会的な通念として否応なしに受け入れられていたものが、選択の問題になる。それは個人の人生を大きく左右し、自分だけでなく、家族に対しても重大な責任を負うことになる。私たちはアンジェリーナ・ジョリーのように自分の選択に対して自信たっぷりに振る舞えるだろうか。むしろ判断をめぐって右往左往し、想像もつかない後悔に苛まれることにならないだろうか。選択は多くの場合リスクをともなうものだ。リスクに対しては徹底した情報公開やインフォームド・コンセントが欠かせないが、それを吟味・解釈するにも情報収集や勉強が必要だ。そこにも情報格差が生まれ、選択できない不幸感も醸成されるだろう。またアンジェリーナ・ジョリーがハリウッドで最も稼ぐ女優であることが示すように、選択には破格の対価を伴う場合も多く、万人に開かれているわけではない。お金のある者が優位な生の条件を獲得できるのは世の常だが、それが精子とか遺伝子とかというレベルにまで及ぶと優生学的な効果を生んでしまうだろう。

私たちは情報のグローバル化のおかげで世界の人たちの様々な人生の選択を目の当たりにしているが、日本はどうなのだろうか。自民党は伝統的な家族観から離れるつもりはないようだが、「稼ぎ手の男性と専業主婦に子供2人」という標準世帯とみなされてきたモデルは今や3割にも満たない。同性婚という争点は日本では全く現実味がないように見えるが、自民党ですら同性婚に関する勉強会を立ち上げることにしたと言う。人生が個人の選択にまかされていることに関しては欧州と変わりはないはずだが、日本で人と違った選択をすることに対して今のところ制度的に全くフォローがない。

□吉田徹 「欧米で進む同性婚の合法化」 in 『エコノミスト』(2013年7月9日号)を参照



cyberbloom(この記事は12013年8月20日にメインブログに掲載)

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2013年11月03日

フランスの大学入試=バカロレア:この哲学の問題、解けますか?

今週からフランスでバカロレア (baccalauréat =BAC) が始まった(この記事の初出は2013年6月22日)。大学入学資格を得るための全国統一国家試験のことだ。これを取得することで原則どの大学にも入学することができる。初日の哲学の試験は、どんな問題が出題されたかテレビのトップニュースになるくらい、毎年国民の関心を集めるイベントだ。前日に、Journal du dimanche(日曜日発売の週刊誌)が厚かましくも閣僚たちに成績を尋ねていた。外相のローラン・ファビウスがトップで20点満点。一方、フランソワ・オランドはこの質問に答えなかったが、ハフポストによると、13点。そして前大統領のニコラ・サルコジ氏はは9点。哲学の点数が悪くても大統領になれるということだろうか。

jepense01.jpg今年出題された文科系の問題のひとつは、"Le langage n'est-il qu'un outil ?"(言語は道具に過ぎないのか?)。まさにグローバリゼーションの波に抵抗しきれず大学の授業の英語化に舵を切ったフランスが自問しているかのような問題だ。

テレビのニュースでは日本とは異なる受験風景が映し出されていた。受験室ではカンニングを避けるためにバッグを部屋のすみに置き、筆記用具だけを用意する。なぜか食べ物の持込はOKで、受験生のひとりはオレンジジュース、菓子パン、バナナを持ち込んでいた。朝の7時45分に席につき、8時から試験が始まる。正午までの4時間の長丁場だ。

フランスでは高校3年の時点で哲学が必修科目になる。文科系の生徒は週8時間、経済社会学系は週4時間、理科系は週3時間、技能系でも週2時間の受講が義務付けられる。その成果がバカロレアで問われるのだ。ヨーロッパ全体を見てもフランスほど徹底的に哲学教育をやっている国はない。映画だけでなく、哲学もまた「フランス的例外 exception française 」なのである。

この哲学の試験を創設したのは他でもないナポレオンである。それは1808年にまでさかのぼる。哲学を深く学ぶことで人はより自由に思考することができる。そして自由な思考こそが人間をより自由な存在する、とナポレオンは考えた。こうした哲学教育こそが理想のフランスを築くのだ。またテレビである哲学者が、フランスの哲学教育が目指すのは知的親権解除=自立 une émancipation intellectuelle による未来の市民の養成であり、これが民主主義の基盤となると断言していた。

この対極にあるのが、自分でものを考えずにお上にすべてお任せする日本のパターナリズムだろう。日本では哲学者の名前と思想の要約を丸暗記し、それをマークシートで答えることになるだろうが(私の世代の「倫理社会」はそうだった)、フランスでは哲学は学ぶものではなく、「哲学することを学ぶ apprendre à philosopher 」のだ。試験では、哲学史上の議論を踏まえながら「自分の議論」を展開することになる。

もちろん問題を解く型はあるわけで、学生向けの雑誌には問題の論じ方が紹介されている。例えば「働くことで、私たちが得ているものは何か Que gagnons nous à travailler? 」という問題に対しては、「働く」ことを3つの言葉に置き換える。「生計を立てる」「経済活動に参加することで社会に居場所ができる」「社会的価値観を形成する一員になれる」。つまり「仕事をしているからこそ人は社会に対して意見を言える」とか「働くことで自由を得ることができる」といった解答が、この問題の模範解答になる。そのうえでニーチェやマルクスを織り込みながら持論を展開するのが高得点の秘訣のようだ。

危険な純粋さ批判精神に優れ、街角でマイクを向けられると誰もが理路整然と語る。哲学雑誌が一定数売れ、哲学カフェはいつも盛況だ。これらは哲学教育がベースにあり、哲学が共有されているからこそ可能なことだ。高校でこういう思考訓練を徹底的に受けている国民はさぞかし議論をしたら手強いことだろう。またフランスにはカーラ・ブルーニの元パートナーであり、今は女優のアリエル・ドンバールの夫であるベルナール=アンリ・レヴィという芸能人のようなモテモテの哲学者も存在する。

論理的に矛盾することを平気で言い続け、矛盾しないと安易に思い込める批判力の欠如が、あの原発事故を招いたとすれば、日本にこそ論理的な思考訓練が必要だろうと思うが、一方で国を挙げて哲学しているフランスが原発推進のお友達というのが非常に悩ましい。また今年のバカロレアの英語の試験では、52歳の母親が高校生の娘の身代わり受験を試みて逮捕された。母親は典型的な10代少女のファッションで替え玉受験を試みたようだが、娘の方は今後5年間、公的試験を受けることができないそうだ。「知的親権解除」どころか親が身代わり受験とはシャレになっていない。

Pourquoi la France philosophe? (slate.fr 16/06/2010) を参照


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2013年09月20日

「カレッジ・ボーイ」が暴くフランスのイジメの現実

加害者の少年たちは、授業中、教師に気づかれないように、主人公の少年に紙くずを投げている。よくある光景だ。しかし加害行為はエスカレートし、恐怖は徐々に高まっていく。最後は彼をキリストのように十字架に磔にしてしまう。子供たちはスマートフォンでそれを撮影し、大人たちは目隠しをしている。フランスのバンド、アンドシーヌ Indochine の最新シングル曲「カレッジ・ボーイ College Boy 」( 'Black City Parade' に収録)のクリップだ。6分の白黒の短編を製作したのは弱冠24歳のカナダ人監督、グザヴィエ・ドラン Xavier Dolan ― 彼は2009年のカンヌ映画祭で「僕は母を殺した J'ai tué ma mère 」という作品で注目を浴びた(2013年9月20日現在『私はロランス』が絶賛上映中である)。



College Boy - Indochine(仏語歌詞付、映像を見たくない方はコチラで)

もちろん映像を衝撃的すぎると感じる人たちもいるだろう。フランスの音楽や映像作品の検閲機関である CSA はこれらのイメージは耐えがたい暴力として、昼間の音楽番組では流せないと判断した ― 「精査した結果、16歳以下の禁止、もしかしたら18歳以下の禁止になるかもしれない」。CSA は数年前に同じような判断でマリリン・マンソンのクリップを18歳以下の禁止にした。ドラン監督の出身地、カナダのケベック州では、最大の音楽チャンネルが放映を禁止した。

Black City Paradeアンドシーヌのリーダー、ニコラ・シルキス Nicolas Sirkis は自分のやり方を次のように説明する。「これは根拠のないことではない。これは教育的な方法だ。それはちょうど交通事故に注意を払うようにショッキングな事故の映像を見せるのと同じだ。これは厳然たる事実なのだから」。実際、フランスの教育省の調査によるとフランスの学校では20人にひとりは酷いやり方でハラスメントを受けている。日本式に「イジメ」と呼んで構わないだろう。辛い気持ちに苛まれ、自殺に追い込まれることもある。不登校の20から25%がハラスメントを恐れて、学校に行かない。彼らが自殺する可能性は通常よりも4倍も高まる。ニコラはさらにつけ加える。「スキャンダルを追求したわけじゃない、このクリップが昼間のあいだテレビで流されないことはよく理解できる。検閲に反対すると声高に叫ぶつもりもない。しかし少年たちは不幸なことにこのクリップよりもさらにひどい現実を見ていると思う」。

一方、監督のグザヴィエ・ドランはこのビデオの暴力性を認識している。彼はインタビューで「好きなように撮っていい」と言われたと説明する。彼にとって、暴力反対のメッセージに曖昧さの余地はない。視聴者はビデオの人物に直接感情移入するからだ。「社会は群れの概念によって機能している。群れに属するか、しないか、それしかない。群れに逆らうことはとても難しいことだ。私は若者たちに暴力とはどのようなものか論理的に、具体的に示したかった。誰が犠牲者であり、加害者であり、傍観者であるか。学校でのハラスメントに対する戦いは、誰も見ないような30秒の意見広告よりも、もっとラディカルにやらなければならない」。このクリップは暴力を煽っているのではなく、暴力に反対していることは明らかだ。

学校のハラスメントの専門家は次のように言う。「このクリップはあくまで芸術的な表現で、その意味ではリスペクトされるべきです。重要性と深刻さを喚起するのに十分な芸術作品と評価するし、検閲の必要はありません。しかし残念なのは、このフィルムの極端な性格を強調しなくてはならないことです。それは耐えがたい暴力であることです。このクリップはどんな解決策も示していません。解決策はあります。学校ハラスメントは逃れられない宿命ではありません。このようなハラスメントに対して熱心な政策を講じたフィンランドなどでは3分の1に減少しています」

フランスの校内暴力はしばしばニュースになってきたが、自殺にまで追い込むような陰湿で執拗な日本のイジメのようなものは、フランスには存在しないと自分自身勝手に思っていた。日本は同質圧力が強く、その中でわずかな差異を見つけていじめると言われる。ヨーロッパ的な個人主義は互いに差異を尊重するのではなかったのか。日本とは違って、まだフランスでは学校や教師の権威が信じられているということだろうか。この不都合な真実を暴くと権威に傷がつくからなのだろうか。日本では多くの犠牲者が出て初めて、現実が明るみに出た。何が根本的な問題で、どんな対策を講じるべきなのかようやく議論されるようになった。

最近読んだ雑誌に、思春期が良くも悪くも人生全体に最も大きな影響を及ぼす時期だと書かれていた。思春期は個人のアイデンティティを形成する脳の発達段階にあたり、そのせいで私たちは思春期に聴いた音楽を一生聴き続けるし、思春期に貼られたレッテルを一生引きずり続ける。まさにその時期に、子供たちはいっしょくたにされて中学や高校という大きな箱に放り込まれる。彼らのあいだには必然的なつながりはなく、偶然そこに居合わせたにすぎない。こうした状況では攻撃性が発生しやすいと言う。確立された序列や力関係が存在しないので、彼らは独自の力関係を作り上げる。その決定要因は容姿や服装や運動神経などの単純な要素だ。多様性や複雑性を認め合うなど絶望的にありえない。

「カレッジ・ボーイ」の中で ‘Je serais trop différent pour leur vie si tranquille’ (僕は彼らの平穏な生活にとってあまりに違い過ぎる)と歌われている。いくつかの記事にはビデオの少年は同性愛によってハラスメントを受けているとはっきり書かれている。実はグザヴィエ・ドラン自身がゲイで、「僕は母を殺した」は彼のそういう半生を自伝的に描いている。彼の具体的な発言があったのかもしれないし、ビデオの中にそれを暗示するシーンがあるのかもしれない(歌詞の中の ouvrir tes jambs や le goût de lait sur ta peau などは性的な暗示なのだろうか)。またニコラ・シルキスは、法案成立後も勢いを増している「反同性婚デモ」を意識していたとも言っている。アンドシーヌは80年代に同性愛嫌悪をテーマにした「第三の性」という曲を発表していて、ニコラはテレビに出演した際に「あれから何も変わっていない」というコメントもあった。しかし今回は焦点を的確に絞り、全く質の異なる緊張感を生み出している。

ビデオの中で大人たちは目隠しをしている。それは黙認であり、GO サインだ。機動隊員が加害者の少年たちに発砲しようとすると、首謀者の少年は「あんたたちの敵は俺たちじゃなくて、あいつだろ」とうそぶくような表情で十字架の少年を指さす。自分は大人たちと価値観を共有している、大人の真似をしているだけだと言わんばかりだ。Youtube には「カレッジ・ボーイ」の動画が複数アップされているが、そのひとつに書き込まれたコメントは1カ月間で7000件を超え、若い世代の関心の高さを物語っている。書き込みの中には「自分も人と違うという理由でひどいハラスメントにあった」「学校時代は同じような地獄だった」という告白も多い。それらは同性愛が原因ではなく、むしろ、少し太っているとか、ささいな容姿に関わることで、日本のイジメと何ら変わりはない。学校という近代の象徴的な制度の疲弊が、国を問わないグローバルな問題になりつつあり、その意味でも日本は先進国というわけなのだろうか。

以下の記事を参照
Harcèlement à l'école : la violence du clip d'Indochine choque
Le Monde.fr | 02.05.2013



cyberbloom(初出2013年6月1日)

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2012年08月24日

パリで最もリクルートされる10の職業

パリは政治的、学問的、文化的首都としてクローズアップされることが多いが、経済的な中心であることも忘れてはいけない。パリはフランスの GDP の約30パーセントを占め、国際投資の魅力に関しては、ニューヨーク、上海、ムンバイ、北京、ロンドンに次いで6番目の地位につけている。そんなパリでどのような仕事の求人があるのだろうか。ちょうど「パリで最もリクルートされる10の職業 Les dix métiers qui recrutent le plus à Paris 」という記事を見つけたので、紹介してみよう。この求人の傾向はリチャード・フロリダが『グレート・リセット』で描くリーマン・ショック後のアメリカの新しい就職先と見事に合致している。先進国に共通する傾向なのだろう。

@Ingenieur informatique コンピューター・エンジニア
2011年、パリの企業は、コンピューター・エンジニアをリクルートする16500件の手続きを行った。この職はイル・ド・フランスの雇用において最も好ましいものとして位置づけられている。したがってこれは未来があり、持続性のある職業なのだ。提供されたポストの全体定数に対し、92だけが一時契約だった。今年はさらに良いパフォーマンスを見せるだろう。

Aagent d’entretien メンテナンス、清掃業
オフィス、自治体、道路、他の公共スペースの維持管理。パリにはそのための人員がつねに不足している。

Bcuisinier 料理人
パリは熟練した料理人が大好き。2011年、パリジャンと旅行者たちの舌を満足させようと9200の求人があった。

CAttaché commecial 営業、セールス
苦しい経済状況のせいで、企業は売上高を維持するための努力を強いられている。営業に直接課せられたミッションは、顧客を開発し、逃げられないようにすること。経済危機の影響を受けない職業だ。

DArtiste アーティスト
豊かな文化的供給によって国際的に輝く光の都市、パリ。音楽家、ダンサー、写真家、演劇芸術の教授など。これらのアーティストたちは、パリで有利な雇用条件に恵まれ、最も求められる専門家たちのランキングの4位につけている。

EAide à domicile ホームヘルパー
歳をとったせいで、あるいは仕事に忙しくて、パリジャンはこれまで以上にホームヘルパーたちに頼りきっている。パリ全体で順風満帆の職業で、この12ヶ月に約8500の求人があった。

FSecrétaire 秘書
パリは秘書職と助手職の専門家たちに素晴らしい機会を提供している。

GAgent de sécurité 警備員
セキュリティーの問題は大統領選の中心的テーマでもあった。2011年、イル・ド・フランスの企業で、実に6000人の警備員、準警備員の募集があった。

HServeur ウェイター
彼ら/彼女らは、パリを訪れる旅行者にだけ気に入られるだけでなく、パリの清涼飲料水の好調な売れ行きにも関わっている。ウエイターもウエイトレスも相変わらず同じくらい求人がある。

IAgent d’accueil 受付係
パリでは受付係とインフォーメーション係の求人も多い。去年およそ5300人がこのサービスを提供したが、しばしば彼らの職は永続的に続く。1400の契約が臨時の形で結ばれたが、一方4000近くの期限なしの契約書がサインされた。

Eillel01.JPGリチャード・フロリダの『グレート・リセット』によると、これから求められる職業は、何よりも知識をベースにした専門的でクリエイティブな仕事である。この仕事は高い報酬をともなう。具体的には、ハイテクのエンジニア、ソフトウエアの開発者、管理職、医者、グラフィックデザイナー、芸能関係の弁護士などである。上記の「パリの求人ベスト10」で言えば、@BDの仕事である。クリエイティブな仕事はすでにアメリカで31%を占めているという。このようなトレンドはさらに顕著になることが予想される。

アメリカの労働統計局によると2008年から2018年のあいだに1530万の新規雇用が創出されるが、増加分の大部分の1380万件がクリエイティブな仕事だ。アートがその象徴となる。これまでアートに関わり、仕事においてクリエイティブな才能を発揮できたのは一部の特権的な人々 だった。しかし、アートは従来のような作品の形で表現されるだけではない。アートは多くの分野に広がり、『グレート・リセット』後のクリエイティブ経済を動かすエンジンの重要な一部になっている。優れたアートやデザインはテクノロジーのノウハウと結びつくとシナジーが生まれ、革新的な製品やサービスを生む。これまでアートとテクノロジーの交差点に生まれた優れたものと言えば、iPod & iPad に代表されるアップル製品、ビデオゲーム、ブログ、SNS、電子書籍、オンライン大学などが挙げられる。この種の製品はこれからも先鋭化していくだろう。

ふたつめは、日常的なサービス業だ。飲食店、看護補助、清掃、ホームヘルパーなどの仕事がこれに含まれ、職能別で全体の45%をしめる。パリの求人で言えば、AEGHに相当する。フロリダによれば、非大卒のアメリカ人にとって、今日の新規雇用の職はこのサービス部門に偏り、重要な成長分野ではあるが、これらの職業はミドルクラスになるには給与水準が低い。日本でも介護の人材が足りないが、給与水準が低く、妻子を養えない仕事と言われる(妻子を養うという発想が時代遅れなのだが)。この点、フランスは社会保障が手厚いので、最低レベルの給与でも一定の生活水準は維持できるのだろう。

グレート・リセット―新しい経済と社会は大不況から生まれる対面的なサービス業に広げれば、CFIも含まれる。サービス分野は人と人の関係なのでアウトソーシングされにくく、国際競争にさらされにくい。また人を相手にする仕事なのでやりがいを感じたり、感情面で報われることも多い。細やかなコミュニケーション・スキルが問われるので、女性が活躍できる分野でもある。アメリカではリーマンショックの際に女性の失業率は男性の失業率ほど下がらず、NY Times の女性記者はリーマンショックを「男性不況」と呼んだほどだった。「これは女性の仕事だ」と忌避する者は新たな成功を逃すのと同じで、新たな職業訓練を受けるよりは従来の「男らしさ」を忘れるべきだとフロリダは書いている。少なくとも言えることは、製造業の凋落と、それに続く知識産業とサービス業の勃興で、労働市場では男性よりも女性が好まれるようになっている。日本のように、男女の役割に関して固定観念のある社会は変化になかなか対応できないことになるだろう。イノベーションが生まれるのはハイテク分野だけではない。サービス分野も様々なアイデアを生かせる分野だ。新しいサービスのアイデアは男女の垣根を取り払うことによっても生まれるだろう。

また現代のサービス労働の典型として、スターバックスで働く店員の仕事ぶりを思い出してみると良いだろう。それは伝統的なパリのカフェの個性的なギャルソンのスタイルとはかなり印象が異なる。スターバックスの仕事はプライベートでしか見せないような表情まで動員する感情労働であり、またそのサービスには決まった形がなく、どんな状況にも柔軟に、積極的に対応しなければならない。規範があるとすれば、それは無限に変化し、二度と再現できないようなひとつの偶然な機会にのみ当てはまるような規範だ。

社会の変化によってある種の仕事が変容したり、なくなったりするのは今に始まったことではない。農業から製造業へ、あるいは他の産業に移行するにつれ、農夫は鉄鋼労働者になり、セールスマンや中間管理職になった。これらの変化には給料が上がるとか、社会的な地位が上昇するとか、経済的な恩恵が伴った。しかしここ20年の変化の特徴は、中間レベルの給与を保証していた仕事がコモディティ化して買い叩かれたり、新興国にアウトソーシングされたりして、激減し始めたことにある。野田首相が「日本の中間層を分厚くする」と宣言していたが、日本ではこれまで特別なスキルを持たないサラリーマンが占めていた層である。野田首相の言葉とは裏腹に、そのような中間層がそぎ落とされていくのが先進国に共通して見られる傾向だ。

パリの求人ベスト10に挙がっていない職業は何だろうか。そのひとつは、リーマンショック以降、最も敬遠されているの金融業だ。今もなお金融危機の中にあるので当然と言えるが、アメリカのケースで、2008年で全体の23%を占めていたのが、翌年11・5%に半減している。経営コンサルタントの仕事も、16%から8・5%へと減少した。これらの職業は高額の報酬がもらえる最たるものだったが、今の高学歴の若者たちはお金よりも、やりがいを選んでいるようだ。国家公務員1種の採用試験に合格しながら、震災ボランティアがきっかけとなり、NPO の職員になった東大院生のニュースが日本でも伝えられていたが、アメリカでもリーマンショック後、官僚や高額報酬の金融の仕事を蹴って、NPO に入る学生が増えているという。

参照記事:Les dix métiers qui recrutent le plus à Paris(CareerBuilder.fr)



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タグ:就活
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2012年05月16日

J’irai dormir chez vous ―フランス版「田舎に泊まろう」

おもしろい動画をみつけました。Antoine de Maximy さんが世界中を旅して、現地の人たちとナマの交流をするという内容のTV番組をアップしたもののようです。

今回紹介したのは「日本滞在バージョン」ですが、youtube で検索するとほかの国のバージョンもたくさんみつかります。

この番組のいいところは「演出がない」というところでしょうか(おそらく、ですが)。そのぶん、余計な先入観を排して世界中に住む人々のディープな姿を垣間見ることができます。

ちょっとした海外旅行の気分が味わえ&フランス語の勉強にもなりますよ。


superlight



superlight さんに教えてもらって、私も見てみました。フランス在住のツィ友情報によると、かなりの人気番組だったようです。

日本編の最後でリポーターのアントワーヌさんが「日本は文化が違いすぎる」とこぼしていますが、みんな英語が話せないだけでなく、コミュニケーションの在り方が違うと言いたいのでしょう。日本とフランスは見た目には文化的共有度が高く見えるにもかかわらず、むしろイランなどのイスラム圏の人たちに対して彼が「わかる、わかる」とうなずいていたのが印象的でした。イスラエル編やイラン編では、緊張感や話題の深まり方がまるで違うし、過酷な日常がひりひりと伝わってくるようです。イランの田舎で外国人が泊めてもらうことは常識的に不可能みたい。だけど日本編の最後に出てくるオバちゃんのサバイバル英語は素晴らしい。


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2012年02月01日

ヴェリブの次はオートリブ―車をめぐるフランスのエコな動向

パリ市のベルトラン・ドラノエ市長は2007年、「市内の自動車交通量を2020年までに01年の40%に減らす」と公約した。パリは車の渋滞や排ガスによる大気汚染が深刻だが、まずパリ市は07年に市内各地にある駐輪ステーションに自由に乗り捨てられる自転車レンタル制度を導入。駐輪ステーションは1800 か所にまで増え、利用件数も1億回を超えた。夏のヴァカンス期間には多くの観光客がヴェリブを使っているのを見かけたし、メトロやバスを使わずにヴェリブだけで済ませているという友だちも何人かいる(30分以内に移動すれば料金はかからない)。



そのヴェリブ velo+libre の電気自動車(EV)版「オートリブ auto+libre 」が、パリとその近郊で今年末にもスタートする。自転車で成功したシステムを自動車に応用するために、パリ市と約30キロ圏内にある約40の自治体が共同で計画を進めてきた。路上や地下の約1000か所(パリ市内は約700か所)に、EVへの充電ができるステーションを設け、ヴェリブと同じように好きなステーションで乗り、車を返せるシステム。利用者は月額12ユーロ(約1250円)の会費を払ってユーザー登録し、車を使う際は30分ごとに5ユーロの使用料を払う。最初のうちは数百台を配備し、来年中に3000台に増やす。各ステーションには4から10台分の駐車スペースを作り、車の管理やステーションの運営は民間委託する。レンタカーや賃貸駐車場業者らは営業妨害だとしてオートリブ計画の差し止めを求めたが、パリ市は8月にステーション建設工事を開始し、今秋にシステムの運用試験を行う計画だ。まさに政治的な決断と言える。

http://www.autolib.fr/autolib/

同時にヨーロッパ全体でエコ車優遇の都市政策が進められている。そのひとつに「低排出ゾーン」と呼ばれる政策があり、欧州の排気汚染基準が甘かった97年以前に造られた乗用車の都市の中心部への乗り入れを制限もしくは禁止する。ヨーロッパのどの都市も交通渋滞と大気汚染に悩んでおり、フランスのコシウスコ=モリゼ環境相も「都市中心部の未来は小型自動車と電気自動車にかかっている」と発言している。

またフランスや欧州では covoiturage という相乗りシステムも人気のようだ。一台の車を複数で共有するという話ではない。ヒッチハイクのように他人の車に乗せてもらうのだが、道端に立って車を拾うのではなく、ネット上で出発地と到着地、日時を入力して相手を探す。遠くの町まで出かける予定のある人は、値段を提示して同乗者を募る。ベストマッチのためのネット活用だ。これも経済的で環境にもやさしいと、若者のあいだでブームになっている。アイスランドで火山の噴火があったとき、交通機関が大混乱したことがきっかけで利用者が急増した。90年代後半にパリで大規模なストライキがあったとき、学生たちがよくヒッチハイクで大学に通っていたことを思い出す。ヨーロッパの公共交通機関は当てにならないことが多々あるのだ。フランスの相乗りシステムは今年の5月には登録者が100万人を超え、毎月TGV500本分の利用者があるという。

http://www.covoiturage.fr/



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2011年05月28日

フランスは昔から農業大国だったわけではない

2月8日、クボタや井関農機などの農業機械株が上昇した。農地集約を進めるため、政府が農地の売買や賃貸借を仲介する「農地バンク」の設立検討に入ったと、日本経済新聞朝刊が報道したからだった。今後農地集約化と大規模化にともなって、農機の大型化など、機械需要が高まるとの思惑で農機株が買われたわけだ。日経によると、「農地バンク」は農地に関する情報を一括管理し、規模拡大や新規参入を目指す農家や農業生産法人に提供することで、農地の大規模化を促す公的機関になるとのこと。日本の農業競争力強化は、環太平洋経済連携協定(TPP)との絡みでも避けては通れない道である。

菅首相も1月24日の通常国会冒頭の施政方針演説で、「貿易を自由化したら農業は危うい、そのような二者択一の発想は取らない」と強調している。また過去20年で国内の農業生産が2割減少、若者の農業離れが進んだ点に触れつつ、「商工業と連携し、六次産業化を図る。あるいは農地の集約で大規模化する。こうした取り組みを広げれば、日本でも若い人たちが参加する農業、豊かな農村生活が可能」との認識を示した(2月8日付 Bloomberg 参照)。
 
農地バンクのニュースは去年の12月22日に読売新聞に掲載されたフランスのフィリップ・フォール Philippe Faure 駐日大使のインタビュー記事「農と言える日本へ…自給率120%仏の経験は?」を思い起こさせた。

フランスは「世界のパンかご」と言われるほど農業大国のイメージが強い。実際、穀物、根菜、畜産などすべての農業部門において世界の上位10位の生産高を誇る。しかし驚くべきことに昔からそうだったわけではない。農業改革が始まった1950年代当時は、自給自足さえできていなかったのだ。そのような状況で最初にフランスが重点的に取り組んだのは農家の規模拡大だった。1955年から2000年のあいだに、農業人口を3分の1に減らし、専業農家1戸当たりの平均農地面積を約70ヘクタールと約7倍に広げた。農家の平均年齢も40代半ばと10歳以上若返った。

その際に大きな役割を果たしたのが、農地売買を仲介する公的機関「農村土地整備公社」(SAFER、サフェール)である。これがフランスにおける「農地バンク」である。売りに出された農地を優先的に購入できる権限を持ち、サフェールが買い上げた農地を、規模拡大の意欲を持つ近隣農家に転売する。このシステムにより農地の大規模化が実現し、宅地や商業地への転用も防ぐことができたのだ。

日本は戸別所得補償制度を導入しているが、「農産物を高値に設定し、農家収入を維持する間接的な支援は好ましくない」とフォール大使は主張する。農家への支援は必要だが、農産物に価格差を付ければ、流通を大きくゆがめてしまう。フランスでは価格決定は市場に任せ、政府が直接農家の所得を補償している。またフランスでは、環境に配慮した農業や有機農業に取り組む農家への補償を重点的に行うなど、政策目標を軸に支援にメリハリを付けている。自国農業を守ることは大事だが、最も効率的な農業を目指すべきだと。


2011-02-10

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2011年02月10日

高校生さえもデモをするフランスの現状と将来

サルコジ大統領の強行突破を契機に年金改革に反対するデモは収束しつつあるとはいえ、昨日22日(※2010年11月22日)も5つの組合が依然としてデモを呼びかけていた。今回のデモでは高校生が参加したことが話題になっていたが、それは今に始まったことではない。高校生たちは2006年のCPE(若者雇用促進策「初期雇用契約」)に「企業が若者を使い捨てにすることになるだけだ」法案に反対するデモにおいても重要な構成メンバーだった。

仏メディアTF1で「若者を苦悩させる未来」(Cet avenir qui angoisse les jeunes)という特集があった。INSEE(フランス国立統計経済研究所)によると、彼らは親の世代よりも生活水準が悪くなる初めての世代である。セゴレーヌ・ロワイヤルが彼らを煽ったと批判されたが、彼らは政治家や組合に命令されて声を上げたわけではない。若者のあいだには危機意識が広がり、怒りと不安にかられて叫んでいたのだ。「教育費は無料だが、教科書代を払うためにテレビの中の18歳の女子高生は週末にアルバイトをしている」と言っていた。

1968年のときのように若者たちは「革命」をスローガンにしていたわけではない。多くを望んでいるわけでもないし、起こっていることに対して幻想を持っていたわけでもない。定年と安全と雇用に関して自分の置かれた不安定な身分について訴えていただけだ。先の女子高生は生き残れるかの問題だと言っていた。

若者の失業率は23%。日本と同じように、学生は既成のルールにしたがい、大学に入り、さらに大学院に上がり、学業を積み重ねても仕事は遠ざかるばかりだ。テレビに映し出されるシューカツの熾烈な光景は日本と同じで、それは中世の騎士の聖杯探しにたとえられていた。つまり果てしのないドラゴンクエストだ。しかし何もやらないわけにはいかない。何の卒業(修了)資格もない場合、失業率は40%に跳ね上がる。

最後に登場した30歳の若者は社会学の博士論文も書き、やることはすべてやったと言う。3年間研修で働き(奴隷のように安くこき使われた)、その後も職を転々としたが、もう仕事に幻想を持つことをやめた。バカバカしいゲームから降りて、マージナルに生きることに決めた。今は週末だけ食料品屋で働き、月600ユーロ(約7万円)稼ぐだけ。残りの膨大な自由時間は小説を書いて過ごしている。フランスにもこうやって社会から退却する若者が出てきている。仕事に就くことの社会的な承認やイニシエーション的意味合いはとっくに失われている。

高校生は学生になったら奨学金か親の援助で生活しなければならないし、その先62歳で年金を満額もらうための十分なお金を払いこめないと知っている。さらに彼らは仕事の世界に入るのが難しくなることを覚悟している。多くの仕事には空きが出ないし、特に公務員に関しては逆に削減が加速する一方だ。それでも年金改革に反対するのは、この改革を見過ごしてしまえば、将来さらにひどいことになり、年金をもらう40年後には彼らの大半が犠牲者になってしまうだろうから。もちろん改革に反対しても決定的な解決にはならない。今のまま年金制度を放置すれば、国家財政に重くのしかかる。しかしそれは国家による今の分配型年金システムを破壊し、純粋に資本主義的な個人年金のシステムに道を開くものでもある。また失業のリスクが高く、競争が熾烈で、税金の負担が大きくなる世界で、仕事を続けなければならない年数がさらに長くなるのだ。

今や国家の制度の破綻に、先進国の若者が共通して大きな影響を受ける。それは国境を越えた共感やつながりの可能性も示唆している。先日もロンドンで、大学の授業料の上限を3倍に引き上げようとする政府・与党に抗議する学生デモがあり、約5万人が集結した。デモの一部が暴徒化し、政府与党の本部を壊して一時占拠する騒ぎになった。戦後最大といわれるイギリスの歳出削減策では、各省庁の予算を平均で19%カットし、このうち大学教育の支出は40%減らそうとしている。一方で先進各国の若者の反応の違いも対照的だ。「UK students protest, US students apathetic イギリスの学生は抗議し、アメリカの学生は無関心」というアメリカの動画ニュースもあった。「彼らはフーリガンではありません、授業料値上げに反対するイギリスの学生たちです!」という驚きとともにアメリカの人々に紹介している。

グローバリゼーションは世界をひとつのマーケットに統合していく。すでに各地域、各国のマーケットはつながっていて、石油、穀物、工業製品の値段が世界規模のマーケットの中でひとつの価格に収斂していく。それが先進国においてデフレという現象に顕著に現れている。モノの値段が上がらず、賃金が上がらない。企業は利益が上がらず、値下げ競争だけを強いられる。これは貨幣供給量や国内需要の問題ではなく、同じモノや労働力に対する対価、つまり価格や賃金が、基本的に世界の同じ額に収斂していく動きだ。これは中国を初めとする新興国が先進国中心の市場に生産基地として組み込まれた結果であり、先進国共通の問題になっている。つまり自分たちとは関係のない遠い国のことだと思っていた貧困問題が、自分たちの現実に入り込んできたことでもある。企業が資金の余裕を得たとしても、賃金水準の高い日本国内で人を雇い、事業を拡大しようとは思わないだろう。海外の投資に振り向けるだけで、国内の雇用の増加と賃金の上昇には結びつかない。すべてはそういう大きな潮流の中にある。





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2010年11月05日

ドゥルオのサヴォワ人たち - 競売独占権の終焉

Marketing Modernism in Fin-De-Siecle Europeその昔パリにいたころ古書好きの大学の先生にドゥルオ Drouot (メトロ8&9号線に駅あり)の競売会場に行ってカタログを手に入れて来いと言われたことがある。そこでは古本や絵画やアンティークが取引されるが、代々サヴォワ地方の出身者が競売を取り仕切る仕事についている。1860年、ナポレオン3世がサヴォワ地方をフランスに併合した際に、パリに移住してきたサヴォワ出身者にその仕事の独占権を与えた。そして赤い詰襟のある制服が栄誉ある仕事の象徴となったのだった。

2年前、「ドゥルオのサヴォワ人たち(Les Savoyard à Drouot)」というタイトルで彼らの仕事がTV番組で取り上げられ、脚光を浴びることになった。彼らは競売人の同業者組合 L'Union des commissionnaires de l'Hôtel des Ventes (UCHV) を築き上げ、1世紀半にもわたり、父から子へ、子から孫へと、世襲によって継承されてきた。競売人には110人の定員がある。それぞれに通し番号がついていて、その番号は制服の赤い襟に記される。欠番が出ると無記名投票によって新しいメンバーが選ばれるが、新しいメンバーはその役職を番号と番号に割り当てられた「あだ名」とともに買い取る。TV番組ではそれが伝統を守る美談となっていた。

しかし伝統につきものの古い閉鎖的な体質が伝統的な同業組合を自壊させることになってしまった。彼らに最初の疑惑の目が向けられたのは、2004年、クールベの盗品がサヴォワにある同業者組合の倉庫から見つかったときだった。さらにシャガールのリトグラフ数枚とピカソの絵1枚といくつかのダイヤモンドが見つかったとき、同業組合のトップを含む20人が取調べを受けた。競売にかけるべき美術品や美術作品を横領したという疑いによってだ。また盗品を隠していたという嫌疑も。伝統と一緒に悪習までもが綿々と引き継がれてしまったわけだ。既得権益内で自浄作用が全く働かなくなった象徴的な例と言えるだろう。

もしこの事件が組織的ではなく、個人の犯罪にすぎなかったとしても、長い伝統に終止符が打たれてしまう。競売人の同業組合(UCHV)が長年にわたる独占権を失った結果、競売業界は大きな変化に見舞われることになった。競売には他の取り扱い業者、流通業者も競売に参加できるようになった。しかしUCHVは完全に閉め出されたわけではなく、かつての名称は使わずにひとつの業者として競売に参加することは許されている。







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2010年10月13日

フランスの鉄道自殺事情 - 運転士のメンタルケア

森巣博が書いていたが、以前、飛び込み自殺が比較的少なかったとき、鉄道会社は2時間以上電車を止めて遺体を回収したそうだ。最近は大まかに回収して15分くらいで運行を再開してしまう。だから沿線のカラスはまるまる太っていると(まるで鳥葬だ)。自殺が増えているにもかかわらず電車がスムーズに動いていると感じるのはそのせいだと言う。

確かに電車が遅れるといらだつし、急いでいるときはいい加減にしろと思う。自殺者は必ずしも社会に抗議しようとしているわけではないにしても、人身事故による電車の遅延は、年間の自殺者が3万人を超える時代を個人が身をもって体感する機会になっている。しかし最近は毎日のように起こるので、ひとつの日常と化し、何か酷いことが起こっているという感覚が麻痺してしまうほどだ。日本の2008年度の鉄道自殺は647件で、遅延や運休が出た列車は3万5300本と、2004年度の1万9700本から1.8倍に増加している。このうち首都圏が2万1100本と、全体の6割を占め、死亡者数が最も多い路線はJR中央線ということだ。 

一方フランスでも2008年のデータで、1日2件のペースで自殺が起こり、年間500人以上というから日本に匹敵する数字だ。しかし人口比を考慮するとフランスの頻度の方が高いことになるだろうか。フランスでも人身事故が起こると、乗客たちはまずその場で足止めを食らい、ときにはバスの代替輸送で予期せぬ場所に連れて行かれることになる。人身事故の増加に見事に適応してしまう日本の鉄道会社とは違って、フランスの鉄道システムはひとたび混乱すると日本の比ではなくなるようだ。SNCFは自殺によって引き起される著しいダイヤの乱れにしびれを切らし、2009年2月、自殺の手段として鉄道を選ばないようにと注意を呼びかけた。自殺を試みた10人に1人は生存し、その場合、麻痺や障害を負い、一生誰かに依存しなければ生活できなくなると。しかしどうみても説得力がない。

もちろん最大の悲劇は亡くなった人の家族や友人に訪れる。しかし電車の運転士にとっても悪夢の始まりなのだ。日本ではこの視点から事件が伝えられえることはほとんどない。『リベラシオン』の記事「Suicides en tête de train」に登場する運転士、ダニエル・ルクレルクは、その日、遠くに線路を横切ろうとするシルエットに気がついた。彼は軽率な若い男がふざけているのだろうと思った。しかし突然、若い男は140キロで走る電車の前に立ちはだかった。「私は彼と目が合い、それは2秒のあいだ続きました。それは2004年10月、私が42歳のときでした」。実はルクレルクはそれより7ヶ月前に別の自殺に遭遇していた。「それは昼過ぎのことで、線路の両側に電車を待つ人たちがいました。ひとりの女性が前に進み出るのが見えました。彼女が地面に落ちたのが早かったのか、電車に跳ね飛ばされたのが早かったのか、わかりません。鈍い音が聞こえました」。

SNCFでは一日かけてこの問題に関する研修が行われるが、運転士の研修の責任者であるファビアン・トゥルシュは「自殺者の数と運転士の数を比較すれば、運転士の誰もがこの悲劇に直面する可能性があることに気がつくでしょう」と言う。彼もまた研修中にRERのC線で同じ悲劇に出会ったが、そのときの状況を事細かに覚えている。バレンタインデーの前日の2月13日で、2000人の乗客が乗った朝の通勤列車で、指導員に付き添われての運転だったという。先頭車両がプラットホームの4分の3の地点でまで来たとき(速度はまだ時速45キロあった)、ひとりの男が走ってプラットホームから飛び降り、電車に轢かれた。同じように彼もそのシーンは「2秒のあいだ」続いたと言う。「死亡事故の当事者になってしまった運転士は自分が悪いことをしたのではと自問することになる。たとえ彼が完璧に仕事をこなし、責められるべきことは何もしていなかったとしても」。罪悪感が沸き起こっては、事故が起こる直前の行動を振り返り、それが運転士の精神をむしばむ。SNCFでは事故の当事者になってしまった運転士は自動的に交代させられる。医師の診察を受け、2日から5日の休養を命じられる。それからメンタルヘルスのサポートを受けながら、医師に復職が可能か判断してもらう。「復職して最初に運転席に座る際には行動や態度が正常かどうか見極める専門家が付き添います。運転席に座ることは再び事故に遭遇する可能性を引き受けることなのです」
 
36歳の運転士、ガブリエル・ルフェーブルは赤いセーターの女性のイメージにとりつかれてしまった。それは彼がパリとアミアンのあいだを走る列車を運転しているときに目撃した女性だ。「遠くからは線路を修理する職員のように見えました。彼らは赤いゼッケンをつけています。警笛を鳴らしましたが、その人は逃げようとしませんでした。私はもう一度警笛を鳴らしましたが、彼女は動きませんでした。彼女は線路上で私に面と向かって立ちました。赤いセーターを着た栗色の長い髪の女性でした。衝撃があり、身体が引き裂かれる音がしました。彼女は私の脳裏に刻み込まれました。家に帰っても何もできませんでした。テレビも見れないし、PCも触れませんでした。頭の中でその出来事が何度も映画のように再現されました」。ガブリエルが事故にあったのは2008年6月のことだったが、普通に仕事ができるようになるまで数ヶ月かかった。彼は妻に、家族に、同僚に、友人に事件のことを何度も話すことで克服したようだ。「その後、初めて事件現場を通過したときブレーキに手をかけてしまいました。その女性の姿が見えた気がしたのです。幻のように」。







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2010年04月14日

フランスで弁当ブーム!(2) 弁当とプレゼンテーション

Presentation Zen: Simple Ideas on Presentation Design and Delivery (Voices That Matter)先回の記事「フランスの弁当ブーム!(1)」でガー・レイノルズ Garr Reynolds が弁当に言及していることに関してIsaoさんという方からコメントをいただいた。ガー・レイノルズはプレゼンテーション、デザイン、話し方のオーソリティとして知られているが、彼の著作『プレゼンテーション Zen 』はレイノルズが新幹線で駅弁を食べるシーンから始まる。そして彼の隣で文字のぎっしり詰まったプレゼンの資料を用意しているサラリーマンを前にして次のように問うている。なぜこの弁当の精神をプレゼンに発揮しないのか。なぜコンパクトかつワクワク感に満ちた日本の伝統をモデルにしないのかと。ネットでもレイノルズの講演がアップされていて、そこでも弁当に言及されている(23分20秒)。

And the first chapter of the book, I talk about Obento. How many people eat Obentos. Sometimes Obentos are poplular ,very healthy. I sort of use that as an analogy. Obento beautifully, simply packaged. All the content is delicious and nutritious and it’s just enough. How much? Not too much. Not too little. But it’s designed beautifully but nothing goes to waste, right? It’s just all right there, and I thought “Why can’t presentations be like that?” Right, nothing superfluous, everything has a reason and beauty matters but it’s also the content, especially the content that matters.(00:23:20)

なぜ今がプレゼンなどが注目されるパフォーマティブな時代なのかというと、共有されている自明な価値(=大きな物語)がもはや存在しないからだ。みんな壁に囲まれた小さな世界に生きているので、その壁を越えることが先決になっていると言えるだろうか。まずは相手の興味を引かないことには何も始まらないのだ。また人にわざわざ割いてもらう時間は貴重であると同時に、限られた時間でそれほど多くのことを人に伝えられるわけではない。

レイノルズが奨励するプレゼンは、文字や数字を極力少なくして、質の良い画像を使い、視覚的に伝えていくというスタイルだ。確かに細かい文字や数字を目で追うよりも、写真やイラストなどで視覚的に訴える方がメッセージが伝わりやすい。情報の詳細は配布資料に載せておけば、興味を持った人々があとで確実に読んでくれる。見た目よりも、中身が大事だと反論する人もいるかもしれないが、それは正しくない。中身が良ければわかってもらえるというのはコミュニケーションのレベルを考えない傲慢な考えだ。見た目と中身を適切に結びつけることが重要なのだ。それが、’everything has a reason and beauty matters but it’s also the content, especially the content that matters.’の意味するところだろう。

ところで、料理や弁当がどうしてブログのテーマになるかというと、それはプレゼンテーションであり、パフォーマティブな行為だからだ。ひと手間をかけるだけで、その分バリエーションが生まれる世界でもある。会社や大学で行われるプレゼンは一般的に時間をかけて準備されるものだが、料理は一発勝負なのでいっそうパフォーマンス度が高い。しかも料理はいつも流動的な状況で行われる。私が問題にしているのは、ありあわせのもので作る毎日の料理のことである。まず献立をはっきり決めて、それから買い物にいくというタイプの料理ではない。しかしその場合ですら、途中で考えが変わったりして状況は流動的である。食料品店は何かと誘惑の多い場所だから。

冷蔵庫にどんなストックがあったとか、食欲はあるかとか、どんなものが食べたい気分だとか、スーパーの安売りは何かとか、どれとどれを組み合わせることができるか。ちょうどスロットマシーンの目がそろうように、流動的な条件の中でチャンスを捉える。頭の中でとっさに思いついたり、ひらめいたことはその場限りのことで形に残らないが、書き留めておくほどのことでもない。しかし情報とパターンは確実に蓄積されていく。それは潜在力として生かされるのだ。料理は有無を言わせない実践である。理屈をこねる前にとりあえず何を作るか決めて、それを形にして出さなくてはならない。お腹を空かせて殺気立っている人たちが目の前にいるのだから(笑)。

残り物をベースにして作る弁当も基本的に同じである。まさにひらめきが物を言う技芸である。それは弁当の食材や美味しさだけの問題ではない。見た目の色合いや、栄養のバランスや、弁当箱との相性まで視野に入っている。さらには、弁当を相手に渡すときの態度とか、かける言葉とか、そこまでの一連の流れを含んでの弁当なわけだ。弁当はひとつの物語を作っている。むしろ弁当は物語を引き寄せ、いろんな要素を内に折りたたむアイテムと言った方がいいかもしれない。それが弁当を広げるときのワクワク感を生むのだ。(先回、弁当をスノビズムの産物と言ったが、それが下の相撲の話題にも通じるし、マンガとの相性がいいのもそのせいだろう)

Holy Bento(マンガの中の弁当!)

レイノルズによると、印象深いプレゼンには次のような法則が見出せるという。それらは、単純明快であること、意外性のあること、具体的であること、信頼感を与えること、感情にアピールすること、物語性があること。弁当の話題ではないが、『クリエ・ジャポン 1月号』に韓国の新聞記者が書いた「日本独自の文化メイクアップ」という記事が面白かった。この記者もまた優れたプレゼンテーションには物語性があることを証明している。

COURRiER Japon (クーリエ ジャポン) 2010年 1月号 [雑誌]韓国には古くから伝わるシルムという朝鮮相撲があるが、なぜ日本の相撲のように国境を越えてアピールしないのか、と記者は問うていた。記者は特派員として東京に住み、日本の相撲を見るようになってシルムに不満を持つようになった。シルムでは水着のようなスパッツをはき、お尻にはスポンサーのロゴまで入る。つまりシルムにはスタイリッシュではないのだ。相撲のイメージは日本相撲協会によって周到に管理されている。お尻は丸見えだが、まわしは独創的な衣装である。髷を結い、土俵入りや四股などの独特な儀式が見所のひとつであり、それによって立会いまでの緊張感を高めていく。こうした立ち振る舞いや形式美のおかげで相撲には格調高い印象がある。相撲のプレゼンテーション効果の高さに比べると、シルムは場末の芝居小屋みたいなものだと。もちろん、どちらが優れているという問題ではないが、世界的な認知度においては相撲がはるかに上である。シルムはスポーツ的要素に重点を起きすぎ、先祖代々継承されてきた豊富な知恵を生かしきれていない、と記者は結論づけていた。

最近マッコリ(韓国のどぶろく)が洗練されてきたのに、相変わらず「安い酒」というイメージから脱却できないのも同じ理由による。日本酒のようにグローバルに成功するためには何かが足らないのだ。日本の酒屋で店頭価格が10万円を越える日本酒がある一方、日本に輸出されるマッコリは500円レベル。安っぽいというレッテルを貼られても仕方がない。日本酒には銘柄それぞれにこだわりがある。何を材料に使い、どのような製造工程で作られるのか。製造過程にこめられたストーリーとパッケージを含めたイメージ作りが付加価値をつけているのだ。

世界のお弁当コミュニティーがすごいことに…




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2010年04月11日

フランスで弁当ブーム!(1)

リーマンショックに端を発した今回の金融危機で高級レストラン以上に打撃を受けているのがフランスの街角のビストロだ。2008年の上半期だけで3000以上のビストロが経営破綻した。破綻の数としては過去最多で、その後も件数は増えている。金融機関の貸し渋りだけでなく、材料費の高騰も追い討ちをかけている。フランス人のランチにかける金額も大幅に減り、定番の食後のエスプレッソを削る人も目に見えて増えているという。


フランスで弁当ブーム Boom du Bento en France 投稿者 TBKy

フランス人は昼休みを2時間たっぷりとり、ビストロで優雅にランチを食べると言われたものだが、ここ数年、企業がグローバル化の影響を受けたり、金融危機に見舞われたりして、そんなことは許されなくなった。古き良きビストロの倒産は残念だが、グローバル化や金融危機はフランスの外食産業を時代に合った形に変える契機になっているようだ。フランス人が子羊のシチューの代わりに口にするようになったひとつが、マクドナルドだ。フランスにあるマクドナルドは1134店舗。マクドナルドはフランスの食文化に近づこうと、2003年から店舗のインテリアを大幅に変え、メニューにサラダやヨーグルト、一口サイズのスナックを取り入れてきた。2008年にはマクドナルドのフランスでの売り上げが大幅に伸び、過去最高の33億ユーロ(4150億円)を記録したが、その後も店舗を増やす計画を立てている。

マクドナルドの盛況とパラレルに、サンドイッチ・ブームも起こっている。サンドイッチ自体は昔からあるが、03年から08年のあいだにサンドイッチ市場は規模にして28%も拡大。バゲットで作る伝統的なものから、イギリス風の食パンで作る三角形のサンドイッチまでバリエーションは豊かになり、ランチはオフィスで席についたままサンドイッチを食べるという光景も珍しくはない。

mespetitsbento01.jpgさらに新たな庶民の味方が加わった。それは日本生まれの「弁当」である。一昨年あたりからフランスで弁当が流行っていて、雑誌のELLEなんかも弁当特集をやっているという噂はボチボチ耳にしていた。弁当はすでにマンガを通して知られていたようだ(学園マンガでは早弁シーンが定番)。リーマンショック後の不景気で会社員の昼食時間が削られ、さらに昼食代を削るために、節約しつつ早く食べられるということ弁当が普及したようだ。bento もすでにフランス語として定着している。「弁当箱」も注目の対象になっていて、その洗練された機能美が賞賛されている。フランス人の友だちができたら、小じゃれた弁当箱をプレゼントするのもいいかもしれない。

弁当はまさに日本のイメージにぴったりなのだろう。弁当は一種のスノビズムであり、個人の創造性が発揮される盆栽のような小宇宙なのだ。重要なイベントにはおかずを豪華にして、漆器の弁当箱を使うとか、弁当なら栄養のバランスやダイエットやアレルギーにも配慮できるとか、弁当の利点が多面的に紹介されている。とはいえ、弁当は何よりも節約のアイテムであることを忘れてはいけない。弁当が評価されるのは不況が恒常化した時代との親和性にある。弁当のおかずには前の日の残り物や冷蔵庫の余り物をうまく使うべきで、その点にこそ創造力が発揮されるべきなのだ。下に紹介した Bento Blog には J'ai plein de restes dans mon congélateur c'est parfait pour un bento ! (私の冷凍庫は残り物がいっぱいで、弁当作りに完璧!)と書かれていて、弁当の本質をきちんと捉えている。



上の動画ではフランスの弁当事情が紹介されている。おにぎりも流行のようで、おにぎりの型も売っているようだ。動画で弁当料理教室をしているシェフは「アンチ残り物派」で「弁当は残り物で作るのではない。私は弁当のためにわざわざ買い物をしてフルコース仕立てにする」と言っている。これは日本のやり方とも一致すると言っているが、なんでデザートがマカロンなわけ?そこまで言うなら、使い捨て紙パックではなく弁当箱にいれなきゃ。

Mes p'tits bento par Audray(フランスのオドレーさんによる弁当ブログ)




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2010年02月25日

フランス・テレコムで何が起こったのか?(2)

フランスの雑誌 Nouvel Observateur に掲載された「フランス・テレコムの自殺の波−オンラインの苦しみVague de suicides à France Télécom − Souffrances en ligne 」の続き。



orangestresse.jpgステファヌは毎週、他の何人かの同僚と同じようにメールで配置換えの提案を受け、それに暗に答えることを強く求められている。ステファヌは43歳。「私は老い始めていることを思い知らされた」。また別の日にはマネージャーが近いうちにリストラがあるかもしれないと言い、万力で締め付けられるように感じた。ある同僚のことが彼の頭から離れない。同僚がバカンスから帰ってきたとき、彼の机には他の誰かがいて、持ち物がダンボールに入れられ、階段の踊り場に放置されているのを見つけた。ステファヌは誰も守られていないことを知っている。フランステレコムにおいて、良い社員とは黙って去っていく社員なのだ。

「精神的な打撃を与えるために、管理職ならMOTに、平社員は店舗か10-14に送ると脅される」と、ティフェーヌは証言する。10-14とは、大量飼育の鶏のように一列に並び、不満な顧客の電話を受けるプラットフォームである。非常に辛いその業務は、販売の研修も、コミュニケーションの研修も受けていない技術者にとって拷問に近い。MOTは、「mission opérationnelle temporaire (一時的作業の任務)」の頭文字であり、最大で6ヶ月間、ときには本人の立派な資格にはそぐわないポストか、することのない暇なポストに割り当てられる。かつて多忙だった上級管理職のセバスチャンもそのようにして「1日3時間」の恥ずかしくて誰にも言えないようなポストに割り当てられた。

フランステレコムの社員たちは雇用の安定と安心のために公的な仕事に就いた。民営化が達成され、今彼らがいるのは柔軟性 flexibility-flexibilité という悪夢の中だ。シャンタルは名の通った部署を経た上級管理職であり、彼女は2年前から「任務」についている。社内での面談をおよそ100回受けたが、無駄に終わった。「彼らはシステム化されたハラスメントを確立した。私たちの間で、それは年長者殺しと呼ばれている」と彼女は言う。「マネージャーは服従させるために選ばれている。彼らを見ると、私は kapos (ナチスの強制収容所の班長)のことを思い出させる。その唯一の目的は人々を解雇することだ。もう一方の鎖の端では、サンディが働いている。今は店舗にいるが、その前はコールセンターにいた。彼女もまたマネージャーの役割がここ10年で変わってしまったと言う。「今、マネージャーは私たちを助けるためにいるのではありません。逆に、私たちに悪い評価を下すために欠点ばかりを洗い出します。そのため恐ろしい雰囲気になっています」。以前は、技術の知識を分け合う「リーダー」がいたと、元社員は言う。今は、人事を支配する「マネージャー」がいる。

企業文化の変化は根本的なものであると同時に急激である。「金融の論理が組織全体を支配してしまった」と『ストレスにさらされたオレンジOrange stressé 』(写真上↑Orange はフランス・テレコムの携帯ブランド)の著者、イヴァン・デュ・ロワ Ivan du Roy は分析する。それぞれの従業員は定められた目的を持ち、常に評価され、同僚との競合関係に置かれる。販売員は多くの使用契約を取らなければならないが、マネージャーは管轄の人員を減らさなければならない。

もちろん、このような雰囲気が直接的に自殺の原因になったとは言えない。しかし、落胆の空気が支配している。オフィスでは、最先端のテーマを扱った博士論文を書いている人間がコピー取りをしたり、ポリテクニシアン(理工科学校出身のエリート)が会議でオレンジジュースを配っているのを目にする。たくさん売るためにちょっと嘘をつくという思いつきに耐えられない無愛想な技術者が販売店に配属されていたりする。RH(ressources humaines 人的資源)の部署が廃止された、51歳のサンドラには、自宅から300キロ離れた職場が提示される。みんな身をかがめ、顔には失望の色が浮かぶ。誰もあえて語らない。なぜなら、サンドラが言うように「誰がマネージャーに告げ口するかわからないから」から。

しかし、みんな目撃している。女性は泣き崩れ、男性は精神的に参ってトイレに逃げ込むか、看護婦のところに行くのを。心筋梗塞を起こす者もいるし、指をコンセントに突っ込んで死んでやると言う者もいる。神経的な発作も起こっている。ある者は抗うつ剤の影響で、会議で一貫性のない発言をする。同僚のあいだで、起こっていることに不安になっている自分を見る不安の瞬間が多々ある。欠勤も相次いでいる。それは従業員一人当たり年間で平均4週間になる。抗うつ薬を飲んで働きに来る人たちもいる。嘱託医でさえ疲れ果てている。組合によると、企業の70人の従業員のうち10人が、苦痛に耐えられずに退職してしまっている。仕事の構造的な組織化によって生み出される被害をケアするのは「カウンセリングルーム」ではないはずだと、彼らは言う。「それはアスベストのようなものだ」と彼らの一人は言う。「これ以上病気にならないためには、それを廃止すべきだ。ここで病気の原因になっているのは、人事管理のやり方だ」。

7月14日、自殺したのは、移動体通信網の専門家で、マルセイユ出身のミシェル・ドゥパリ Michel Deparis だった。自分の行動をはっきりと示すために、彼は手紙を残した。「私は、フランス・テレコムの仕事が原因で自殺する。(・・・)多くの人がこう言うだろう。仕事以外に原因があると。しかし、違う。仕事が唯一の原因なのだ」。ミシェル・ドゥパリはマラソン選手だった。歯を食いしばることには慣れていたが、何よりも困難なレースが存在するのだ。



フランスの大企業は伝統的に経営者と従業員の立場がはっきり分かれている。最近は改善してきているようだが、大企業の経営者の半分近くがエナルク(enarque=ENA出身のエリート)の官僚によって占められていた時期もあり、現場の従業員が出世して経営側に回ることがほとんどない。そのため経営者は従業員のことはあまり考えないし(日本とは逆に福利厚生は国任せ)、従業員は将来経営側に回れると思っていないので、経営に対して無関心になる。確かにちょっと前までフランスといえば、サービスや接客の態度が悪く、見るからに労働生産性が低そうだった。それゆえ中間管理職といった現場とトップとをつなぐポストが存在してないか、あっても機能していないケースが多かった。しかし、国際経済の荒波に巻きこまれたフランス企業もどんどんアメリカ化している。もちろんそのため中間管理職といった会社内の調整役も必要になるのだが、フランスはこの部分が脆弱なので従業員は孤立化する傾向が強いのだろう。一方でアメリカでは雇用が流動化していて、解雇されたとしても次の仕事を見つけやすい。それを前提にリストラが行われるが、そういう受け皿がない状態でリストラだけを行えば、社員に大きなプレッシャーがかかることは想像に難くない。しかしフランスでは雇用の流動化にアレルギーがあることは、2006年のCPEに反対するデモの盛り上がりを見てもわかる。この問題は日本と共通していて、正社員の権利が手厚く保護されているがゆえに、イヤガラセのようなことをして自発的に辞めるようにしむけるのだろう。

アメリカ式の企業運営の最も象徴的な存在がコンサルタントである。上の記事の中でマネージャーと呼ばれている人々である。理論的には企業に対して客観的な助言や戦略を提供する役割を果たすことになっているが、実際は組織活動の再編の中でも不快な業務―つまり退職勧告、部署の廃止、残された業員の新たな任務の分配―を請け負っている。リチャード・セネットによると、経営者にとってのコンサルタントの効用は、何よりも企業内に権力が行使され、重大な変化が起こっているという信号を送ることができる。一方で企業の中枢に居座る重役たちは不快な決断に対する責任を免れる。我々ではなく、コンサルがやったことだと。そしてコンサルタントは企業に入ってきたと思えば、すぐに出て行く人々で最終的には責任を負わない。これだけコンサル業が政治力を発揮しているのは、命令と責任が結びつかないからである。これが最大の柔軟性なのだろう。

新興国を含めた厳しいグローバルな競争にさらされ、いっそうのコスト削減と、技術革新と市場の変化に迅速に対応するためのフレキシブルな組織が必要になった、というのが彼らの考え方のベースになっている。何よりも人件費を削減することが最大の問題としてクローズアップされる。今更だが、企業はもはや個人を支え、人間関係をはぐくむためにあるのではない。フランス・テレコムの内情がそれを赤裸々に語っている。企業はそれ自体のために、企業が存続するためにある。アメリカからもたらされた「金融の論理」とは、従業員のことを考えるよりも、配当を要求する株主に答えることだ。つまりEPS(一株あたりの利益)を上げることが最優先される。

そして現在、人間は労働の担い手というよりも、潜在的な能力を持った人的な資本とみなされている。労働者は新しい事態に対応するために、みずから能力を開発することを怠らない。そのために自己投資を続けなければならない。外資系の銀行に勤めている友人によると、今回の金融危機で多くの社員が解雇されたが、みんなそれをチャンスと捉え、大学院に入り直したり、新しい資格を取ったりして、更なるスキルアップを図るのだという。若い社員だけでなく、40代、50代の同僚さえもそういう自己投資に何百万円もかけることを厭わないようだ。つまり、そのときどきに何ができるかという、スキルのリストアップよりも、自分がどれだけ潜在力を高め続けられるか、それが評価の対象になる。

つまり現代の労働者は自分を事業主としてセルフ・プロデュースしながら、市場で競争し、常に生産力を高めていかなければならない。その手始めが、就職活動の際に求められる「就活力」なのだろう。日本では70年代以降、大学がエリート教育の場であることをやめ、大学新卒者の大量採用によって、大学生はサラリーマン予備軍と化した。その背後には終身雇用制度と年功序列賃金制度の確立があった。その時代の仕事はそんな過大な能力を要求するものではなかったし、むしろ頭を空っぽにして社畜になることが推奨された。そして就職の際には最低限の体裁と身振りを整えるマニュアルがあった。今は全く別の意味で大学と仕事が結びつかなくなっている。つまり、大学(縦割りの学科で構成される現状では)で何かを学んだとしても、それはある知識を詰め込み、ある技術を身につける、限定的な一段階にすぎなくなっている。





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2010年02月22日

フランス・テレコムで何が起こったのか?(1)

下に訳出した記事はフランスの雑誌 Nouvel Observateur に掲載された「フランス・テレコムの自殺の波−オンラインの苦しみ Vague de suicides à France Télécom − Souffrances en ligne 」である。フランス・テレコムで相次いだ自殺(1年半のあいだに25人)は、今年フランスで起こった重大ニュースのひとつであることは間違いない。9月17日掲載のちょっと古い記事だが、アメリカ流の金融の論理のもとでリストラが進行するフランス・テレコム社内の重苦しい空気をリアルにリポートしている。フランス・テレコムで起こったことは、日本でとっくに起こっていることなのだろう。日本ではひとつの企業から何人の自殺者と数えられることはなく、年間3万人という自殺者のなかにひとくくりにされている。

抄訳に簡単な解説をつけて2回に分けての掲載予定だが、まずは第1回。



不安な経済/漂流する個人―新しい資本主義の労働・消費文化私たちの人生はどんな糸によって支えられているのだろうか。セバスチャンにとって、それは家族の写真だ。妻の優しい視線。娘たちの微笑み。彼はその写真を見て、会社の窓の外から飛び降りることを思いとどまり、自分の家に帰る。そこでは、彼はお払い箱にされようとしている厄介者でもないし、お荷物でもない。彼は家で会社の出来事を忘れようとするが、それはその後彼の日常的な運命となる。不安で、方向を見失い、無言の暴力がはびこり、みんなが悲しい顔をして、ストレスによって衰弱した同僚の数を数えながら恐怖におびえている。

フランス・テレコムの不安は、新年度の始まりを襲った新型インフルエンザに次ぐ、ふたつ目の伝染病だった。トロワではひとりの男が腹にナイフを突き立てた。それは彼のポストがなくなったと知らされたときだった。マルセイユ、ブザンソン、ラニヨン、パリで同じ事件が起こった。何人かの男たちは首を吊り、睡眠薬を飲んだ。若い女性は虚空に身を投げた。2008年の2月以来、23人が自殺で亡くなった。伝染することが恐れられている。首脳陣は問題を個人の精神的な脆さのせいにしたあと、国から強い圧力を受け、ようやく重い腰を上げた。

セバスチャンはそれでも、25年前にフランス・テレコムに入社したときの誇らしい気持ちを思い出す。技師の免状をポケットに入れ、素晴らしいキャリアが前途にあり、あらゆるネットワークが構築されようとしていた。彼は多いときで200人の部下を率いていた。技術的な問題に挑み、移動体通信網の構築に参加した。上級管理職だった彼は、いつの日か自分が陰のような存在になるとは思ってもみなかった。彼は全てが一変した瞬間をとてもよく覚えている。それは2006年のこと、管理職向けのセミナーだった。「会社側はいかにして私たちの仲間を緊張状態に置くかを説明しようとしていた。50歳付近が膨れ上がった従業員の年齢構成を示したピラミッドを私たちに見せつけることから始めた」と彼は思い出す。「司会者は言った、『問題がどこにあるかわかりますか?問題、それはあなた方です』」その日集められたおよそ百人の管理職は、その発言に驚いた。熱意のある人間は次のような方法に従うという条件で何とか切り抜けようとするだろう。「あなた方は、自分のチームのメンバーに、できるだけ早く会社を去るように働きかけるべきです。彼らに転職を勧めてください。例えば、家でホームステイを受け入れるとか、ダイビング・クラブを営むように。彼らをスケジュール的に追い詰めるか、彼らがミスを犯す現場を押さえるためにメールと通話を監視することをためらわないでください」。セバスチャンは思い出す、「私たちはあまりにも気分が悪くて、互いに顔を見ようともしなかった」。

自分が最初に追い出されようとしているひとりであることをセバスチャンははっきりと理解した。年齢と地位、そして給与が問題なのである。民間企業の首脳部にとって、方程式は単純である。情報通信の市場は非常に競争が激しい。株主は(フランス・テレコムは国が筆頭株主で27%を保有)配当を要求する。給与の全体を減らすことでコストを下げ、利益を出さなければならない。「私たちはもう、利用者のために働いているのではない。今や顧客を満足させるために闘っているのだ。私たちは全員、この要求に応じなければならない」、グループの最高経営責任者、ディディエ・ロンバールの右腕の一人、ルイ=ピエール・ヴェーヌは説明する。「私たちのうちの1万人は転職して満足している。他の者たちについては、それが困難なのでまだ私たちと一緒にいる。競合他社とは逆に、私たちは誰も解雇しなかったことを今一度申し上げておく」。2006年から2008年までに22000人分のポスト削減につながった「ネクスト計画」のあと、組合はそれでも、新たな人員削減計画があるのではないかと疑っている。ルイ=ピエール・ヴェーヌはそのことを激しく否定する。





現代の労働は際限のないフレキシビリティを特徴としている。ある仕事から別の仕事に移る柔軟性、ひとつのポストで様々な仕事を引き受ける柔軟性。そこで求められている能力は、不安定な状況に慣れ、一時的な変動に適応し、不慮の事態にすばやく反応し、任務を可能な限り遂行することだ。

技術革新のスピードが速く、先端の技術を学んでも、それがすぐに時代遅れになってしまう。同じように、一生使いまわせるような知識の体系などないのだろう。それゆえに、労働者が評価されるためには、そのときに身につけた技術やインプットした知識ではなく、一般的な学習能力を披露しなければならない。スキルとは、すでに習得されたものの活用能力ではなく、新しい状況に常に適応し、新しい何かをつねに習得できる「潜在能力」として再定義されてしまった。

現代の資本主義社会では学ぶことに終わりはない。学びは学校だけでなく、生産活動のあらゆる段階に存在する。労働は再教育の連続であり、人は教育に生涯つきまとわれることになる。生涯教育が行われる原因は、先に述べたようなフレキシビリティだが、それに加え、生産サイクルにおいて知識と情報の役割が増大したこともある。

リチャード・セネットはフレキシブルな組織が個人に及ぼす影響を次のように述べている(「不安な経済/漂流する個人―新しい資本主義の労働・消費文化」を参照)。

―組織がもはや長期的な枠組みを提供しないとすれば、個人は自らの人生を即興で紡ぎだすか、一貫した自己感覚抜きの状態に甘んじなければならない。
―新たに台頭した社会秩序は一芸に秀でるという職人的な理想に否定的な影響を及ぼした。現代の文化は職人芸に変わって過去の業績より潜在能力を高く評価する。
―いかに過去と決別するか。職場では地位を自分のものとして所有している人間はひとりも存在しない。過去のどんな業績も地位の保証にならない。

まさにフランス・テレコムの社員が置かれた状況とぴったりあてはまる。しかし人間は人生の一貫した物語を必要としているし、一芸や特殊なことに秀でていることに誇りを感じる。また過去の経験は自分を作り上げるかけがえのないものだ。この新しい組織の理想は明らかに人間を傷つけている。(続く)

フランス・テレコムで何が起こったのか?(2)



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2010年02月16日

アメリカのフランスに対するイメージが著しく改善 29%から62%へ

2009年12月3日付の「ル・モンド」紙 'L'image de la France aux Etats-Unis progresse considérablement' によると、アメリカのフランスに対するイメージが著しく改善したようだ。10月と11月に行われた2000人対する調査の結果、62%のアメリカ人がフランスに対して好意的だった。2003年の調査では29%だったが、その年は、フランスがイラク戦争に関してアメリカを厳しく批判していた時期である。その後、2005年46%、2007年48%と上昇していた。また民主党支持者(71%)の方が共和党支持者(53%)よりも、フランスに対して好意的という結果も出た。

chirac02.jpgアメリカ人はフランスに対して抱いていたわだかまりを忘れてしまったのだろう。2003年においてフランスはアメリカに極端に反感を持たれたが、それはイラクに関する対立から生まれたものだった。「クリアストーム事件」で株を落としてしまったのドヴィルパン首相(当時はシラク政権下、写真)も国連の演説でイラク開戦に反対を表明したときはカッコよかったし、アメリカ人がフランス産のワインをヒステリックに割っていた光景もつい最近のことのように思えるが、その後のイラク戦争の泥沼化は、どうみてもフランス側に理がある。アメリカ人はフランス人の視点を評価することを学んだのかもしれない。もちろん、フランスが正義を通したとかいうキレイ事では全然ない。イラク戦争はフセインが外貨準備をドルからユーロに切り替えようとしたことが原因とも言われている。今もくすぶり続け、誰が最初に抜けるかチャンスを伺っているようにも見える「ドル離れ=ドル危機」の流れの中の出来事とも言えるのだろう。

アメリカにおけるサルコジ大統領のイメージも世論の建て直しに一役買っている。アメリカでのサルコジ大統領のイメージはすこぶる良く、アメリカと一緒にやっていこうという彼の意志が浸透している。思い出せば、サルコジ大統領は大統領就任直後、真っ先にアメリカに飛び、演説のなかで「アメリカを愛している」とまで言った。当然の巡り会わせとして、フランスのオバマ大統領の人気はヨーロッパのどの国よりも高いのである。

ところで、写真のシラク前大統領であるが、引退後は日本に隠し講座があるとか疑われたり、架空雇用疑惑で公判出廷を命じられたりしている。後者はパリ市長時代に職員を架空雇用し、公金を横領していたのではという疑惑だ。10年も以上も経って司法が動き出したのは遅すぎると言われる一方で、いまさら告発するような事件ではないという同情の声が多い。頑迷な保守主義者、人気取り政治家、縁故主義者、利権の亡者などと、かつて容赦ない批判を浴びせていた人々でさえこの感情を共有している。シラクは引退後は平和を訴え、地球を救おうと戦っている老賢人として迎えられている。「王と王妃をギロチンにかけるべきではない。革命は成功し、権力の委譲も完了したのだから」。フランス革命の時期にフランス人が抱いた悔恨の念をそこに読み取ることができると、イタリアの新聞(「コリエレ・デラ・セラ」)が結んでいた。




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2010年01月30日

『クレーヴの奥方』事件(2) Lisez, surtout lisez!

サルコジの「クレーブ発言」をきっかけとして、研究者や教師たちと学生たちが世代を超えて連帯できたという事実に驚かされる。2006年のCPE(若者雇用促進策「初期雇用契約」)をめぐるデモでは教師たちは学生のために何もしなかったが、今回、学生たちは教師たちを助けようと連帯の精神を示した。それは研究者や教師たちがなりふり構わず必死になった姿を見たからなのだろう。ふだん研究室に閉じこもり、取り澄ましている人たちが、いきなり激しい抗議運動を繰り広げ、教え子たちの目の前でラディカルな活動家に変身した。横断幕を持ち、胸にバッジをつけ、道路の掃除夫のような普段縁のない人々と顔を合わせた。そして不当に侮辱された若者のように、彼らの研究と文化を伝えることの意味について熱く語ったのである。

学生たちもサルコジの「クレーブの奥方」発言に対して自分たちが侮辱されたと感じた。それがサルコジに対する反発だとしても、同時に文化は自分たちの側にあると感じたことは重要だ。日本では決してこうはならない。文化は学生の側にはないし、教師と学生の共有物でもないだろう。学生と教師が連帯できないのも、先回書いた「現実を黙殺する文化主義」のひとつの現れかもしれない。

ところで、前回の動画ニュースのデモの参加者たちは Je lis la Princesse de Clève.(私はクレーブの奥方を読む)と書かれたバッジを身につけていたが、それは反サルコジ・キャンペーンのキャッチフレーズになった。下の動画にも同じバッジをつけた人々が登場して、それぞれ J’ai lu la Princesse de Clève.(クレーブの奥方を読んだわ) とか Il faut le lire tout le temps. (いつもそれを読まなくちゃいけない)とか言っている。場所は Salon du livre (毎年春に porte de Versailles で催される本の見本市)。そこでゲリラ的にバッジを配ったのだろう。


Je lis la Princesse de Clève ― この言表において「読むという行為」に重点が置かれていることに注意しよう。普段、私たちは文学作品を前にするとき、当然のようにテキストの意味内容に関心が向く。その場合、私たちはそれを誰にも邪魔されない隠れた場所で読む。自分の部屋や図書館、あるいは「群集の中の孤独」を保障してくれるカフェや電車の中で。静かな読書はテキストの意味内容に従属する行為だ。

しかし、「クレーブの奥方」事件では、小説の中身についてほとんど言及されることはなかった。テキストはあくまで口実にすぎず、それを読んだと宣言することや、人前で声に出して読むというパフォーマンスが前面に出ていた。つまり、テキストの内容を後ろに押しやって、読むという行為に特権を与えているわけだ。それは儀式的な行為である。

儀式の本質とは何か。それは沈黙を破って、声を発することである。同時に他者の視線の中に立ちはだかることでもある。動画に登場する女性が message politique と言っているように、それは何よりも政治的な行為である。話すこと、声に出すこと、メッセージを発すること。その行為が表面化するのは、私たちが何らかの困難や危機的な状況にあって、目の前が不透明で、不確かなときであり、それを乗り越えようとするときだ。それは必然的に、あるコンテクストに介入し、それを変えようとする政治的な行為につながる。『クレーヴの奥方』事件の本質はここにある。

声に出すことは危機の時代の自己表現だ。今の時代の特徴は危機が恒常化していることにある。私たちを守ってきた様々な文化的、制度的な網の目が次々とほどけ、私たちが剥き出しの状態におかれていることを日常的に実感じざるをえない。そういう時代だからこそ、他者に働きかけるベーシックなコミュニケーション能力、つまりは自身の言語能力を自覚し、声を発することでその都度それを確認するのである。

サルコジの『クレーヴの奥方』発言をめぐる討論番組もあったようだが、上の動画の突き抜け方は痛快だ。かつて文学がこんなふうに扱われたことがあっただろうか。あのポップなバッジがすべてを物語っている。マジで欲しいと思わせる。キャッチフレーズ、グラフィック、ゲリラ的な偶発性。つまりは広告的な戦略を流用している。ポップな戦術は声を発すること、話しかけることの延長線上にある。ポップとは、わかりやすさと目立つことである。ポップなものは、オーディオ・ヴィジュアル(聴く+見る)に訴え、注意をひきつける。孤独に本を読むこととは対照的に、他者のプレゼンスを前提にしている。対人的なコミュニケーション能力を刺激し、それを引き出そうとする。最後に女性がバッジにキスして口紅をつけるが、ポップなものは何よりもセクシーである。

おそらくサルコジも戦略的に『クレーブの奥方』発言をしたのだろうが、学生たちはそれをパロディ化し、アイロニカルなやり方で抵抗のシンボルとして練り上げた。仲間や賛同者たちと共有しつつ、政治的なメッセージとして投げ返したのである。共感を集めたり、連帯を促すためにはアートな政治表現が必要になってくる。インスピレーションを与えるようなカッコ良さが必要なのだ。

バッジが Salon du Livre (本の見本市)に集まった人々の共感とリアクションをもたらし、そのやり取りによって一時的であれ、その場を占拠したように、「声に出して読むという行為」(=教師と学生が参加した6時間にわたる『クレーヴの奥方』のリレー朗読)はデモと連動し、まさに「都市の占拠」という直接的な戦術とつながっていた。その場で声を出すこと、人の注意をひきつけることは、「いまとここ」のリアリティーを求める。そのリアリティーは普段研究室に閉じこもっている人たちには最も縁遠いものだったはずだ。

クレーヴ事件が生んだおびただしいパフォーマンスと、それを演出した動画の数々。動画を通して私たちは他者の行為を見ることができるし、それに呼応した行為を動画共有サイトを通して見せることができる。それは文章を書いたり、黙って読んだりすることとは本質的に異なるパフォーマティブな行為だ。ネット上も新たな占拠の対象になったのだ。おそらくブログや動画共有サイトはクレーヴ事件において大きな役割を果たしたのだろうが、それはメディアを利用することではなく、自らがメディアになることだった。

『クレーヴの奥方』事件(1) Je lis la princesse de Cleve!
□この記事は2009年11月11日にmain blogに掲載されたものです。





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2010年01月28日

『クレーヴの奥方』事件(1) Je lis la princesse de Clèves!

去年、日本でスタンダールの『赤と黒』の翻訳をめぐって論争が勃発かと思われたが、あまり盛り上がらなかった。結局、研究者の内輪の議論の枠を越えられず、外部を巻き込むに至らなかった。一方、フランスでは『クレーヴの奥方』事件が起こった。こちらは同小説に対するサルコジ大統領の侮蔑発言に対して、ニュースのタイトルになっているように抵抗の象徴(une résistante)として祭りあげられたのだった。



サルコジ政権は発足とともに「大学の自由と責任法」(通称ペクレス法 la loi Pécresse)などの法律を成立させ、フランスの大学の効率化に努めている。これは伝統的な大学の独立と自由を侵害するとして当初から大学関係者や学生の反対が強かった。さらに「教員兼研究者」の地位・労働条件の決定権を学長にゆだねる政令を教育相が発布したことをきっかけに、今年の2月2日、ソルボンヌで全国の大学教員の集会が開かれ、無期限のストライキに入った。教育相のグザビエ・ダルコスは改革を1年延期すると譲歩を示したが、大学はその後マヒ状態に陥った。ダルコスは密かに7月、教育相を辞任している。

クレーヴの奥方 他2篇 (岩波文庫 赤 515-1)その一連の動きの中で新しい抵抗の象徴がかつぎだされた。それが17世紀にラファイエット夫人が書いた『クレーヴの奥方』である。具体的な行動として、街角にマイクを立てて『クレーブの奥方』の輪読会が行われた。多くの教師、研究者、学生が参加し、街頭の朗読マラソンは6時間続いた。彼らの反発は、「役所の窓口で『クレーヴの奥方』をどう思うかなんて聞くことがあるだろうか。そんなことがあれば、ちょっとした見物だ」という、サルコジ大統領がまだ大統領ではなかった2007年2月の発言にまでさかのぼる。大統領は公務員試験に出題された無用な知識の例として『クレーヴの奥方』を挙げたのだった。

もちろん『クレーヴの奥方』はサルコジがケチをつけたから脚光を浴びたのであって、その内容が再評価されたということではない。『クレーブの奥方』は抵抗の象徴どころか、17世紀のセレブな文芸サロンの産物である。しかし、思いがけない宣伝効果で、『クレーブの奥方』は書店のスターになった。売上は07年から回復の兆しを見せ、08年は06年の3倍の部数が売れた。

パリ第3大学で教えているオリビエ・ブヴレOlivier Beuvelet氏がブログで興味深いことを書いていた。それはこの事件が知の転換の局面を示すというものだ。

La Princesse De Cleves (Le livre de poche: classiques)「この事件は確実に記憶にとどめられるだろうし、社会の中での知の位置の修正をもたらすだろう。一方が知を所有し、他方が知を求めるという関係は終わり、知はすべての人々の共有物、重要な楽しみとなるだろう。それまで知が届かないとみなされていた時空で、知が共有され、アクセス可能なものになった。ボルドーでは路面電車の中で翻訳の授業が行われ、公園では公開の輪読会が行われた。パリでは歴史的なデモが行われ、大学とは別の形の講義も行われた。最初それらは抗議行動だったが、個々の中にある知識欲を満たす、喜ばしい知の循環へと向かう文化の変化が、どのような条件のもとで起こり、どんな原理を持っているかを示したのである」

「サルコジの発言は文化一般の話だけでなく、窓口の受付係や秘書をしている人たちへの侮蔑にもなる。そういう人たちは良い本を読むのに適していないという意味にもなるから」とニュースの中でデモの参加者が発言している。確かにもっともな意見ではあるが、公務員試験は受験者の人格のすべてを測る必要があるのだろうか。公務員試験は担当する仕事をこなすのに十分な実務能力や適性を問えばいいわけで、その人がどのような文化的な関心や蓄積があるかは別の問題だという考え方もできる。つまり公務員(国家に関わる人材)の採用試験を通して、「あるべき国民の規範」が示されているわけだ。

教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化 (中公新書)日本にも教養試験があるので、「教養のある人間」がひとつの規範になっているのだろう。教養は未だにそれなりの力を持っていて、教養はないよりはあったほうがいいと思われている。それは「読書による人格形成」というモデルに基づいていて、相変わらず読むべき本のリストアップという形を取っている。

日本で文学作品のあらすじをまとめた本が売れているらしい。「あらすじ集」を読む動機を考えてみると、知ったかぶりをするために、あるいは大学入試や公務員試験に合格するためだろうか。もちろん、これから文学作品を読んでみようという人がとっかかりとして利用するケースもあるだろうが、多くの場合作品そのものを楽しむよりは、別の功利的な目的のために読まれていることを意味しているのだろう。「読書による人格形成」の形骸化である。

知ったかぶりや動機のない読書を増やさないためにも、サルコジとは違う意味で試験にそういう問題を出さないほうがいいのかもしれない。しかし、そういう義務をあてにしている人々もいるのだろう。もし、公務員試験に文学の問題を外してしまうと、強制力が働かなくなり、誰も文学作品を読まなくなる。それは文学の危機であると同時に、それで食べている人たちの仕事がなくなるというわけだ。

教養なんて所詮は時代の要請による相対的なもので、その都度組み替えられてしかるべきものなのだ。いつの時代にも増してコミュニケーション能力が問われる時代に「読書による人格形成」(書斎で孤独に書物を紐解く文芸タイプがモデル)を基本に据えることには無理があるだろう。竹内洋の『教養主義の没落』を読むと、教養は新興勢力の文化戦略でもあり、ひとつのイデオロギーにすぎないことがよくわかる(思考停止な大学人に対する竹内氏のいらだちも)。

文学や芸術を見栄のためや道具的に使うという行為と大学人も決して無縁ではない。それは俗物教養主義と呼ばれる。大正以降、教養=文化が新中間層の階級移動(つまり成り上がっていい暮らしをすること)や、都合の良い自己形成の道具として利用されたことはしばしば指摘される。大学の大衆化とともにその傾向はいっそう顕著になったが、学歴による立身出世のメンタリティと教養主義は表裏一体だった。それは、もっぱら無秩序な読書や高踏的な趣味の鑑賞に埋没する一方で、現実の問題に全く目を向けず、それどころかそれらを黙殺するような文化主義として現れた。
(続く)

□この記事は2009年10月15日にmain blogに掲載されたものです




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2010年01月16日

フランス女性はみんなセクシー!?

フランス女性は太らないアメリカでは相変わらずフランス女性たちが話題に上らない日はない。ミレイユ・ジュリアーノの『フランス人女性は太らない』がベストセラーになって以来、彼女たちはアメリカ出版界で追い風を受けている。かつてジェイミー・キャット・キャランの『フランス女性は独りで眠らない』という本もあった。『フランス女性が愛、セックス、その他の心の問題について知っていること』の中で、フランスで10年生活したジャーナリストのデブラ・オリヴィエは、フランス女性たちが情熱について知っていることをアメリカ女性たちに披露した。

「私たちアメリカ女性は、あなた方みんながハイパーセクシーであるという神話を信じています」。デブラは、フランス女性たちを魅力的にしている何かはっきりとは定義できないものがあり、それは下着とか、口紅に結びついているものではなく、文化なのだと言う。

What French Women Know: About Love, Sex, and Other Matters of the Heart and Mind「フランス女性は恋愛に関する規則や縛りがない。これをしろ、これをするなというものが少ない」と現在ロサンゼルスに住んでいるデブラは説明する。「フランス女性はアメリカ女性のように、完璧に愛するか、完全に拒絶するかという選択はしない。物事は白黒つけれないものだから」

情熱に関して、フランス女性たちは感情のニュアンスとうまく付き合っている。フランスの少女たちはこの微妙な差異を「彼は私を愛している―少し、とても、情熱的に、狂ったように il m'aime, un peu, beaucoup, passionnément, à la folie 」と、花びらをちぎりながら花占いをするときに学ぶのだ。一方アメリカの少女たちは「彼は私を愛している、彼は私を愛していない」というふたつの選択に自分たちを閉じ込めている。

French Women Don't Sleep Alone: Pleasurable Secrets to Finding Loveアメリカでハウツー本がたくさん出ているおかげで、恋愛のルールは部分的にアメリカに広がった。それらは恋愛作法のマニュアルを提供していると主張している一方で、アメリカ女性たちを逆に束縛している。デブラはその矛盾を認めていて、『フランス女性が知っていること』も恋愛マニュアルの長いリストに付け加わわることになるだろう。しかしデブラは彼女の最初の意図がフランス女性のこうしたクリシェ(紋切り型)の息の根を止めることだったと断言している。以下がそのクリシェの例である。

@フランス女性はアメリカ女性とは違って戯れの恋をする―これは本当
この違いはフェミニスト運動から来ていて、フランスの運動はアメリカよりもはるかにラディカルだったと説明する。デブラはパリでディナーに招待されたとき、招いた女性の巧妙な席の配置に驚かされた。それは女、男、女というふうに交互に配置されていて、男と女が戯れるように仕向けていた。

Aフランス女性は不倫のプロ―これは誤り
デブラはランセルム(l'Inserm)という研究機関に所属するアラン・ジアミという社会学者の比較研究の成果を仕入れに行った。フランスでもアメリカでも、みんな恋のアヴァンチュールをしていることがわかったが、アメリカの方がフランスよりも愛人関係や一晩だけの関係が多い。一方フランスでは愛人関係が少ないが、その関係は長続きする傾向にある。

Bフランス女性は太らない―これは誤り
デブラはついでに『フランス人女性は太らない』のミレーユ・ジュリアーノの公準を取り入れる。フランス女性がやせているのは、楽しみながら食べるので、食べ過ぎることはないからだ。しかしそれは本当の理由ではなく、フランス女性がやせているのは、太っていることが「政治的に正しくない」からだ。アメリカでは少し偽善的で、直接的な言い方を避け、太った女性に対して“You look great” と言う。フランスでは「太りすぎたんじゃない。気をつけて」とためらわずに言う。

Cフランス女性はレアリストである―これは本当
フランス女性は、規範にとらわれずに自由に行動し、より経験に学ぶ。アメリカ女性のように「死ぬまで幸せに暮らしましたとさ」(“Happily ever after”)という考えを持たない。関係がうまくいっていないとすれば、それは世界の終わりではなく、別の人生に出会うきっかけと考える。


« Vous, les Françaises, êtes toutes sexy » et autres clichés
Par Laure Guilbault
Rue 89
27/10/2009

translated by cyberbloom




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