2021年08月21日

『水曜日のアニメが待ち遠しい』 – アニメと移民の意外な関係

よくあるアニメ本かと思っていたが、読んでみたら意外に骨のある内容だった。特に面白かったのは、フランスに日本のアニメが浸透していった時期と、フランスにもともと住む中間層と他国からやってきた移民を混ぜ合わせるような都市政策が一種の社会実験としてフランスで進められていた時期が重なり合っていたという、日本からは見えにくい事実だ。



著者のトリスタン・ブルネは日本のアニメのことを思い出すと、当時住んでいたトルシーという郊外の町(Torcy パリの東約30キロ、RER A線上にある)の風景が一緒に思い出されるという。トルシーは1970年代に造られた、パリに働きに行く人々のベッドタウンで、『未来世紀ブラジル』のロケ地になったほど人工的に作りこまれたポスモダンな外観を持っていた。トルシーにはフランスとは文化圏が大きく異なるアフリカ系と東南アジア系の移民が多く、文化的な軋轢を生みやすかった。この軋轢が日本のサブカルチャーの受容を考える上で重要で、それが文化の異なる子供たちの軋轢を緩和する重要な媒介になっていた、という指摘は目からウロコ だった。

しかし、トルシーの社会実験は次第に行き詰っていった。プチブルたちは犯罪率が高いという差別的な意識によって、その町を離れていき、移民系の人々だけが残された。トルシーは街の未来的な佇まいとは裏腹に、経済的に貧しくなっていった。町は左翼的な政策によって造られたにもかかわらず、左翼的な人間に限って自分の子供たちを地元の公立ではなく私立の学校に通わせていたと、著者はその偽善性を暴いている。

トルシーの話を読んで思い出したのが、マチュー・カソヴィッツの『憎しみ』(1995年)のワンシーンだ。団地のコンクリートの壁に、19世紀の詩人、ボードレールの肖像がグラフィック調に描かれていて、それを背景にアラブ系の青年サイードがアメリカのコミック・ヒーロー、バットマンの話をしている。この組み合わせは「解剖台の上のミシンとこうもり傘の出会い」どころではない。パリという国際的な観光都市が、凱旋門やエッフェル塔などのように、歴史と密接に結びついたモニュメントに彩られているのは対照的に、移民の若者たちの現実は世界の大都市にどこにでもあるようなスラム化した高層住宅団地で、娯楽としてアクセスしやすいのは、バットマンが象徴するグローバルなポップカルチャーなのだろう。彼らのルーツ(イスラムやアフリカ)から来るものでもない、彼らのホスト国、フランスの伝統でもない、彼らの第3の文化的な選択だ。

「水曜日が待ち遠しい」のは、フランスの小学校は水曜日が休みで、その日に日本のアニメが集中して放送されていたからだ。そして、日本のアニメは移民の子供たちとのギスギスした関係の緩衝材になっていた。出身や人種の差異が否応なしに意識される状況で、国営放送で流されていたアニメだけがそれを意識せずに友だちと語り合える話題になった。フランスは昔からのフランス人と移民の人々を都市計画によって融合することには失敗したが、図らずも子供たちのレベルでは、日本のアニメが文化的な差異を問わない関係を作る、第3者的な共有物の役割を果たしていたわけだ。

さらに、著者の遮断機の体験が興味深い。初めて日本に来て、町を歩いていたとき、遮断機の音が耳に飛び込んできて、その瞬間、とても懐かしい感覚に襲われ、頭が混乱したと書いている。フランスに遮断機が存在するわけがなく、それは日本のアニメを通して植えつけられた記憶だった。1980年代にテレビで浴びるようにアニメを見た、いわゆる80年代世代 Generation 80 は、友だちとの会話もアニメが中心で、日常がアニメ化し、アニメを通して世界を見ていたと言っても過言ではなかったようだ。日本で遮断機に反応したことも、特別な体験ではなく、著者の同世代の多くのフランス人が経験しうることだった。

フランスで初めて放映された日本のアニメが「Goldorak=UFOロボ・グレンダイザー」であることは有名だが、SF的な作品は共感も抽象的だった。しかし、日本の日常生活が舞台の作品が入って来るようになって、現代日本の都市風景にだけでなく、制服、部活、先輩など、日本の独特な学校文化にもフランスの子供たちは親しみを感じ、それらはまるで自分自身のリアルな経験のように意識に浸透していった。部活の帰りの夕暮れどきにメランコリックに響く遮断機もその中に含まれていたわけだ。

2001年に松本零士とのコラボで『ディスカバリー』を発表したダフトパンクのふたり(彼らもまた著者と同じく1970年代生まれで、「キャプテン・ハーロック」を見て育ったことが松本とのコラボにつながった)がインタビューで「日本は第二の故郷だ」とまで言っていたが、彼らの発言は決してリップサービスではなく、このような執拗に反復された経験と深い実感に裏打ちされたものだと、個人的にもようやく納得できた。

このアニメ論には、個人的な経験が常に反映されている。フランスの日本のアニメ受容という大きな文脈も必要だが、そこにある個人的な側面を捨てないで、むしろ強調しようというのが、著者の方針だ。その視点を捨てないことは、文化を受容することの本質をあぶりだすことにもなるからだ。それは、個人と社会のあいだに生まれる揺らぎと想像力、識別が難しい微妙なあり方や可能性を丁寧に描き出すことによってしか得られないのだから。


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2014年02月10日

『お父さん、フランス外人部隊に入隊します』

『お父さん、フランス外人部隊に入隊します』は、地方の国立大学を中退し、「就職も決まったので、卒業旅行でアメリカに行く」と身内に告げたまま、フランスに渡り、そのままフランス外人部隊に志願した日本の若者、森本雄一郎のドキュメンタリーである。本の構成は、「おれの育て方がまちがっていたのか」と自問し続ける父親と、雄一郎が兵役中に交わした手紙を骨子にして、著者の駒村吉重が自らの取材で肉付けしたものだ。ちょうど『クーリエ・ジャポン』(2013年6月号)にフランス外人部隊に同行取材したアメリカ人ジャーナリストの最新レポートが載っていたので、それと読み比べてみた。

お父さん、フランス外人部隊に入隊します。 (廣済堂文庫)主人公の森本雄一郎がフランスの外人部隊に所属したのは1994年から1999年までの5年間で、そのレポートとは10年くらいの時差があるが、新兵訓練の内容など、外人部隊に関する記述はそんなに変わらない。ジャーナリストが取材したのも偶然、雄一郎が勤務した仏領ギアナの基地だった。

フランス外人部隊の歴史はルイ・フィリップの時代の1831年にまでさかのぼる。それは多くの戦争に関わり、最も危険な場所に送られてきた。戦死した兵士の数は3万5千人にのぼるが、そのほとんどが、使い捨てられるように無名のまま亡くなっている。そこでは、「無意味な死も悲劇的であれば武勇と証し」という独特のニヒリズムが、高度な規律と忠誠心を保つ世界最強の部隊を作り上げている。

雄一郎本人がフランス外人部隊の存在を始めて知ったのは湾岸戦争のときだ。1991年1月、クウェートを武力制圧したイラク軍に対し、アメリカを中心とした多国籍軍が攻撃を開始した。2月に地上戦が始まろうとしていた。そのとき、日本の一部のメディアがフランスから派遣された1000人ばかりの部隊に注目した。サウジアラビアとクウェートの国境に配置されたフランス陸軍の主力は、フランス外人部隊の第1、第2騎兵隊で、中に多くの日本人青年が混じっていたからだ。そのとき雄一郎はテレビで「外人部隊」という言葉を聞いたのだった。1991年はちょうど雄一郎が大学に入る年で、それが大学3年のとき再び彼の脳裏にひらめいた。そして大学4年の春にはっきりした目標になった。

「いや、ぱっとひらめいたんですよ。本当にそれだけのことです」

COURRiER Japon (クーリエ ジャポン) 2013年 06月号 [雑誌]雄一郎はフランス大使館から具体的な情報を得た。当時、大使館には月に15本くらい問い合わせがあり、入隊手続きにはフランスの募集事務所に直接行く必要があることを知ると半数が躊躇する。それでも半数がパンフレットの郵送を希望するが、実際フランスに渡るのはほんの少数だった。最近ネット上で話題になっていたが、今やフランス外人部隊の隊員を募集する日本語のサイトが存在する。そこには給料を含めた雇用条件まで書かれている。つまり日本人もターゲットにされているのだ。湾岸戦争の際にクローズアップされたように、活躍する優秀な日本人兵士が少なからず存在してきたからだろう。それは同時にひとつの情報の網の目の中に世界が捉えられたことを実感させるものだ。

この本で最も引き込まれるのは新兵訓練の壮絶なメニューであるが、その最後にはferme (農家)という訓練が待っている。農村のあばら家で寝泊まりしながらの訓練で、メインメニューはフル装備を背負っての行軍だ。銃を含めた30キロの装備を背負って50キロも歩き続ける。それも夕方から始まり、10時間歩き続け、終わるのは明け方近くなる。それが2日に1度行われる。足にまめができ、それが潰れると皮がむけ、傷は肉にまで達するが、傷が回復する暇もなく、痛みをこらえたまま次の行軍が再開する。毎回靴下が真っ赤に染まり、足の裏がえぐられるように傷が深くなる。最終日には丸2日かけての150キロの行軍が待っている。荷物はさらに10キロ増しだ。しかし行軍の終わりには不思議に足の痛みが消えていく。意識が陶酔状態になり、風景が鮮やかさを帯び、輝いて見えてくる。つまりラリった状態になる。睡眠不足と苦痛と疲労が極限にまで達すると、それを麻痺させようと脳内物質が放出されるのだ。

雄一郎の勤務地は南米の仏領ギアナだった。そこにはヨーロッパ諸国が共有するアリアン衛星打ち上げ基地があり、その護衛が重要任務のひとつだ。また『クーリエ』掲載のレポートによると、不法に金を採掘する密入国者たちの取り締まりの仕事もあるという。仏領ギアナは国土のほとんどはジャングルで、マラリアが猛威を振るい、毒ヘビやサソリがうろつく場所でもある。ベトナム戦争を想定するような、大規模なジャングル戦の訓練センターもある。射撃の腕を買われた雄一郎は、そこで狙撃兵養成の訓練も受けている。200メートルで直径3センチの的、300メートルで直径15センチの的と、まるで『ゴルゴ13』の世界だ。著者が兵役を終えて日本に帰ってきた雄一郎に会ったとき、強く印象に残ったのはデューク東郷のような「猛禽類の目」だった。

「おれの育て方がまちがっていたのか」。雄一郎の父親は、息子がフランス外人部隊に志願したのは自分のせいだと思い込んだ。しかしどれだけ考えても、どれだけ内面をつきつめてもわかることではない。答えは彼の中にはないからだ。この本の主人公は雄一郎ではなく、むしろ父親である。彼の息子を理解しようとする誠実な努力、そして彼の中で引き起こされる内面的な変化こそが、非常に文学的な題材である。とめどない言葉は内省の産物だとすれば、軍隊にはそんなものは必要がない。外人部隊の上官は、「質問するな、意見を言うな、意味など考えずに戦え」と命令する。雄一郎はあまり多くを語らない。手紙の中でも正確に事実や欲求を伝えるだけだ。彼に関して印象付けられるのは、淡々としているが、揺るぎない冷徹な意志のようなものだ。

雄一郎が外人部隊に志願したのは、それは若気の至りとかチャレンジ精神としか言いようがないものだ。彼は中学のときソフトボール部で活躍したが、高校では、家が遠くて通学に時間がかかり、部活動ができず、不完全燃焼な感じが自分の中に残っていたという(雄一郎が入学した南宇和高校はサッカーの強豪校で、体格の良かった雄一郎はサッカー部にゴールキーパーとして勧誘されたようだ)。それが実際の感触なのだろう。最近、体罰指導が問題になっている日本の「体育会的、部活動的」現実は、軍隊的な現実と、そうかけ離れていないのかもしれない。

父親は「家族を持たず、自分のためだけに生きる」と言う息子に対して「刹那主義」と書き、息子は「家族のささやかな幸せを願う」父親に対して小市民的と書いた。外人部隊では、ゲリラや密入国者たちが潜む危険な場所に送られ、過酷な訓練の中で多くの仲間が事故死したり自殺したりする。常に死と隣り合わせの現実の中で、殺人マシーンとしての訓練を受けているのだから、日本の日常を生きる父親と世界観や考え方が乖離していくのも当然のことだ。『クーリエ』のレポートでは、アフガニスタンでいつ殺されるかわからない状況で稼いだ6か月分の給料をはたいてアムステルダムで酒と女の1か月間を過ごしたアルゼンチン人兵士のエピソードが語られているが、雄一郎の父親がそんな生活を刹那的というのも理解できる。

黒沢清監督の『トウキョウソナタ』でも、アメリカ軍に志願する若者が世代間の断絶の象徴として登場する。この映画に登場する父親は、ここ10年くらいの雇用流動化の中でリストラに遭い、次の仕事を探そうとするが、専門的なスキルのない「単なるサラリーマン」が不要になっていく状況を理解できず右往左往している。一方で「昭和的価値観」に染まった父親は、自分の子供たちに対しては父親の権威(「ダメなものはダメだ」)を振りかざすだけで、アドバイスするどころか、生きる指針として伝えるものが何もない。アメリカの軍隊に志願する子供に対しても、頭ごなしにダメだと言うだけで、なぜそれがいけないことなのか説得力のあることが言えない。だから子供たちは上の世代が生きたのとは別のルールが支配する世界に、自分自身の選択によって歩き出さなくてはならない。

軍隊のシビアな現実は、しばしば「アメリカの核の傘の下で平和ボケし、思考停止した日本」の現実にぶつけられる。それはちょうど1994年に出版され、「アンダーグラウンド」という日本のパラレルワールド描いた村上龍の『5分後の世界』を思い起こさせる。そこでは強靭な意志と鍛えられた肉体を持つ日本の兵士たちが連合軍と闘い続けている。村上龍は、私腹を肥やす官僚と何も変えられない政治家と前例を踏襲するばかりの無能な経営者がのさばる日本に、5分遅れたパラレルな日本をカウンターとして対置した。

また『フィジカル・インテンシティ』というサッカーエッセイで村上龍は、当時の「集団に逃げ込むようにパスを出す」日本代表チームと、個人の力で世界へと突き抜けて行った中田英寿の「肉体的強度」を鮮やかに対比して見せた。それも1990年代後半のことだ。終わらないダラダラした日常に対して、パラレルワールドの兵士たちや中田英寿のような、強度の象徴であるサムライたちが希求されたのである。

トウキョウソナタ [DVD]五分後の世界 (幻冬舎文庫)アウェーで戦うために―フィジカル・インテンシティ III

「お父さん、フランス外人部隊に入隊します」の著者は、雄一郎が外人部隊に入った理由を家族関係に求め、とくに父子関係にその理由を求めようとしている。たとえ父子関係が歪んでいたからといって誰もが外人部隊を志願するわけではない。父親がしっかりしていなかったとか、寛容でなかったという問題では全くないのだ。雄一郎はただ単に自分で人生の選択をし、その結果を引き受けた。それ以上でも、それ以下でもない。考えてみれば、それは近代の根本的な原理なのだ。

外人部隊を就職先に選ぶことは、普通とは違う人生の選択をすると言う意味で、最近、フランスを二分する議論を巻き起こした同性婚も同じだ。自分の息子が帰郷して、同性と結婚すると言われたら、田舎に住む親ならば著しく取り乱すだろう。この本のひとつの教訓は、情報があふれ、人生の選択が多様化している現在、身内がどんな選択をしようともびびってはいけないということだ。雄一郎の父親は、次第に息子の行動に理解を示し始めるが、それは息子と自分の関係を見つめ直したからではない。彼が「箱の外の世界」について真摯に学び始めたからだ。

これはまた、世界がひとつに包摂され、これまで世界のつながらなかった部分がつながるという、グローバリゼーションのひとつの効果とも言えるだろう。簡単に国境が越えられ、メディアを通してこれまで知ることもなかった現実を目の当たりにし、インターネットによってあらゆる情報が検索可能になった。そこでは世界がひとつの網の目の中に捉えられたおかげで、これまで出会うことのなかった習慣や制度や文化が、個人の中で交通事故のように確率的に衝突するのだ。同じような力学で、穏健なイスラム系の若者がサイトを通じて原理主義グループにはまり、テロリストに仕立てあげられたりする。

加えて、雄一郎がフランス外人部隊に入ることにリアリティを感じられたのは、彼が大学時代にフランス語を熱心に勉強したからではないだろうか。日本人の志願者の多くは直接フランスに渡らなければならないことを聴いて躊躇するようだ。受付の際、Je suis volontaire. と言わなければならないだけでなく、部隊内の意思疎通のためにもフランス語は必要だ。訓練の中でもフランスの授業があり、罰の腕立て伏せ=ポンプ (pompe) もフランス語で数えなければならない。やはり語学がネックになるのだ。グローバリゼーションの時代にあっても、言語は適応力を試される重要な環境であり、行動を起こすべく異国の現実をリアルにイメージできるかも語学能力にかかっている。

フランス外人部隊に入るための条件は至ってシンプルだ。パスポートを所持していて、17歳から40歳までの男性で、「いかなる地域においても働ける」肉体があればよい。フランスに愛国心を持つ必要はない。モットーは「レジオ・パトリア・ノストラ=部隊こそが我が祖国」。家族もナショナリズムもねじ切るような、ある意味人工的で純粋な選択だ。何の縁もゆかりもない組織に忠誠を誓い、命をささげるのだから。また身体能力だけが資本の究極のノマド商売ともいえる。もちろん除隊後は、他国の傭兵やVIPのボディガード、あるいはデューク東郷のようになるにしても、人脈作りやコミュニケーション能力は不可欠であるのだけど。

もうひとつのグローバリゼーションの効果は、先進国の雇用を減らし、若者の失業率を上げ、給与水準を押し下げることだ。バブルの余韻の残っていた90年代ならともかく、格差社会に向かう今の日本ならば外人部隊に志願する正当な理由があるかもしれない。就職難の時代の現実的な就職先のひとつになりつつあるのだろう。雄一郎は兵士仲間から彼らの国の現実を聞き、日本の豊かさを実感するのだが、実際東欧からの若者の多くは貧困層出身で、家族に仕送りするために外人部隊に志願するのだ。

外人部隊の募集サイトによると、初任給は月1043ユーロ(現在のレートで約13万円)、勤続年数3年の伍長クラスで月1226〜1452ユーロ(約16〜19万円)。先進国の給与水準からすると安く思えるが、東欧の若者たちにとってはそうではないのだろう。ちなみに、日本人の場合は、自衛隊勤務のあと、より高度でプロフェッショナルな領域を求め、世界最強と言われる部隊に志願するケースが多いようだ。韓国人はフランス外人部隊で最も優秀なのだそうだが、韓国では男性に24から28カ月の兵役義務がある。

□仏テレビM6のドキュメンタリー(5:00にコンコルド仏和辞典を抱えた日本人兵士が登場)




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2012年09月01日

結婚を奨励すべく、イケメン独身に課税を−「フランスソワール」紙より

ある日本の経済学者が結婚数と出生率を向上させるために、容姿にかかわる税の創出を提案した。

イケメンに課税を? 独身率の増加と結婚の減少に日本が苦しむなかで、経済学者の森永卓郎が容姿の優れている独身男性にかぎって特別税を課してはどうかと提言した。この新税のおかげで、容姿が醜いとされる男たちはほかの男たちより税金が安くてすむようになり、森永によると、彼らは女たちにとってより魅力的になるだろうとし、これによって結婚数と出生率が上がるという。おなじく、イケメンとされる男たちは税負担が重くなるので、それから逃れるために家族を持とうとするのだという。

女性5人で構成されるイケメン審査会

すくなくとも独創的といえるこの課税制度にくわえて、森永はその容姿に応じて男たちをクラス分けすることを提案している。男たちは、イケメンから普通、まぁまぁブサメン、ブサメンの4つに分類されることになる。自国メディアから取材を受けた森永の説明によると、クジで選ばれた女性5人で構成される「イケメン審査会」がこのデリケートな作業をこなし、彼女らによって男たちはどのカテゴリーに分類されるのか決められるという。

Le Point 紙によると、日本では30〜35才の男性のうち、ほぼ半数が独身であり、その原因は経済危機による給料の低下であるという。さらに同紙によれば、日本人女性はあいかわらず理想の伴侶を求めており、自分たちの収入のすくなくとも2倍を稼ぐ男性を求めている。留意しておかねばならないのは、日本人女性の70%は一人目の子どもが生まれたときに仕事を辞めてしまうということだ。

この話題はフランスではきっと論争をまきおこすだろうが、日本ではそうでもないようだ。1941年、すでに日本政府は独身税を検討していたのだ。

Japon : Taxer les beaux célibataires pour augmenter le nombre de mariages
France-Soir
30/04/12


(訳者後記:翻訳元は『フランスソワール』ですが、そもそもこの話題を最初に目にしたのはフィガロ紙においてでした。日本で「イケメン税」なんて聞いたことないわいと、現地の報道を探していてみつけたのが今回の記事でした。『フランスソワール』は大衆紙なので、なかば真面目なかばエンターテインメントというトーンで話題にしているのでしょうが、とはいえ、少子晩婚化というのはどの先進国も抱えている共通の課題であるぶん、フランス側でもこの手の話題に敏感にならざるをえないのかな、と思います。この話題の表層面は多少は冗談っぽいかもしれませんが、深層面では重大な課題であることに変わりないでしょう。しかし、森永氏の発想は奇想天外ですね。さらに…。このひとの普段の言動を考慮に入れると、どうも個人的な思いを政策に反映させているだけにみえてしかたないんですが…)


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2012年01月28日

「日本では今も原子力が信仰されている―ラドン温泉の効能とキュリー夫人祭で知られる三朝温泉を訪ねて」

以下は、2011年8月11日「ル・モンド」に掲載された「日本では今も原子力が信仰され続けている―ラドン温泉の効能とキュリー夫人祭で知られる三朝温泉を訪ねて」の全訳である。

鳥取県の三朝は日本の大半の温泉町と同じように、緑の山に囲まれた谷の中心に位置し、国宝である仏教の寺、三佛寺を誇りにし、静かな川が流れている。温泉地での滞在を真に文化的な事柄と考えている日本人に、とても貴重な安らぎの時間を提供している。800年以上前から人々が頻繁に訪れている三朝は「3つの朝」という意味である。伝説によれば、三日間この温泉を利用すれば、すべての病が治るということだ。

この村の温泉の他の温泉と違いは泉質にある。極度に放射性の強い物質であるラジウムが世界で最も多く含まれているという。その珍しさによって、2010年には37万人の観光客が訪れ、この地方出身でユネスコの日本代表のサワダレンゾウが、1950年代にこの村に対して、1898年にラジウムを発見したマリー・キュリー(1867-1934)と関係を結ぶように提案することになる。

このようにして1955年以来三朝は「キュリー祭 Festival - Marie Curie 」を開催している。8月7日、日曜日に行われたこのイベントのおかげで、フランスとの関係をさらに深めることができた。1990年には Lamalou-les-Bains (Herault県)と姉妹都市になり、毎回キュリー祭にフランス代表を迎えるほどになった。今年は大使館のビジネス担当のフランソワ・グザヴィエ・レジェだった。伝統はそういうことを望むものだが、キュリー祭はポーランド出身のフランス人科学者に対する敬意を表す祝いと儀式の機会である。儀式は川のほとりに建てられた像の足元に花束を置くことから始まり、祭式の様相を伴った祝賀がそれに続く。

少しキッチュなシックさのあるブランアール・ホテルのサロン。そこにはマリー・キュリーの威厳のあるポートレートがあるのだが、そこで執り行われる儀式には選ばれた人々が集まった。地方代議士であり元大臣で保守派野党の大物である石破茂、町や地方の議員、原子力関係者。とりわけJAEA (日本原子力研究開発機構)の代表者たちは、このイベントのパートナーである。

子供たちもマリー・キュリーに敬意を表すために招待されており、そのうちの何人かはノーベル賞を2回受賞したマリー・キュリーの作文コンクールに参加する。今年この祭りは日本人に強い反原発の感情を育てた3月11日のカタストロフと福島の原発事故の文脈の中でおこなわれた。ただしキュリー祭の参加者たちは福島の問題と三朝が生み出しているラジウムとガス(ラドン)の放射能の問題を注意深く区別した。「混同してはいけない」と放射能に対するマリ・キュリーの情熱を呼び覚ました後にレジェ氏は言った。これは「原子力、しかしより安全な原子力」に賛同する石破氏よっても確認された点である。

鳥取県知事の平井伸治は「この地方の発ガン率は低い」と、三朝町の助役の森脇光洋は「私たちのラドン温泉は血行に良いし、リウマチにも効く。それは細胞を若返らせる。岡山大学の研究によれば、放射線は健康に害はない」と言う。村の中心にあるポスターにも同じことが書かれ、その近くには有名な源泉のひとつがある。

この美しい全員の意見の一致はここから数キロメートルのところ、鳥取と岡山の県境にある、人形峠でも確認される。看板には「1955年11月12日ここで日本で唯一のウラン鉱脈が発見された」と書かれている。今日その場所にはウランの研究所と濃縮プラントがあり、自衛隊によって高度に警備されている(※1)。

またそこには JAEA によって運営されている、放射能や原子力のすべての秘密を学べる博物館がある(※2)。その博物館は福島の事故も、鉱山労働者たちの健康問題にも言及しない。京都大学の研究によれば鉱山労働者の7%が肺がんを発症したと言われている。それは国際基準の1万倍高い濃縮されたラドンに長期間さらされたことによる。しかしながら博物館には緑がかった光を放つウランが混ざったガラスのオブジェが展示されている。

人形峠は日本の原子力の歴史の重要な節目になっている。そのひとつの歴史は第2次大戦前、ニシナヨシオという物理学者の仕事から始まった。とりわけ彼は、原子力の業績でノーベル賞を受賞したニエル・ボウという人のもとでヨーロッパで何年も過ごしたあと、1931年に東京の原子力研究センターを設立した。1941年4月に東条英機首相が原子力兵器を開発することを命令した。今日北朝鮮に位置する港町、興南(フンナム)には日本の原子力研究所があったが、それは戦争の終わりごろにソビエトの手に落ちた。ある人々が主張するにはある原子力兵器が戦争の終わりの数日間にかけてテストされたらしい。この間日本は自分の国内や、自分たちが支配した領土、マレーシアにまでウラン鉱山を探していた。

人形峠の鉱山の開発は日本列島における原子力の発展を伴ったが、それは1955年に原子力エネルギーに関する重要な法案の採択とともに本格的に始まった。それは原子力エネルギーの平和利用に関する国連の最初の会議の後である。日本政府にとって当時重要であったのは「人間の社会の幸福と国民生活の向上」であった。それは「原子力の研究と開発と使用を奨励すること」によってである。広島と長崎の原爆投下の生存者たちのためらいにもかかわらず、そこから民間によって原子力は開発されることが可能になった。1963年に最初の電気の実験的な生産が行われ、1971年には福島に最初の商業炉ができ、それが今の危機の中心になった。

平行して強力なロビーが形成された。その強力なロビーとは、高級官僚、電力会社、研究者たちを結集させたものであるが、そのおかげで、沈黙のうちに多くの問題を表面化させず、最小限にすることができた。その中には、1988年の人形峠で活動家たちが発見した鉱山開発の非常に放射線の高い3000トンに及ぶ残土の問題がある。その法的訴訟は続き、2005年に JAEA の有罪によってようやく収束した。今、三朝は何も心配していない。森脇によれば、福島の事故が起こったあとも三朝の観光客の数は減っていない。しかしながらこの間、菅直人首相は8月9日長崎の原爆投下の66年の記念式典を利用して、もはや原子力に頼らない社会に移行するという彼の意思を確認した。

Au Japon, le culte de l'atome se pratique toujours
Le Monde
Jeudi 11 aout 2011/08/28
Philippe Mesmer

※1) 鳥取県側には1955年に発見されたウラン鉱床がある。一時はウラン濃縮原型プラントも建設され、盛んに国産資源活用の道も探られた。しかし、品質が低く採算に合わないため、採掘は中止。2001年にはウラン濃縮原型プラントも閉鎖。閉山までに採掘された鉱石は約9万トンで、濃縮され取り出されたウランは84トンであった。それらは燃料に加工され純国産燃料として昭和54年の出荷を手始めに日本各地に出荷され、主に実験などに利用された。現在は日本原子力研究開発機構人形峠環境技術センターが開設され、研究が行われている。(wikipedia より)
※2) 人形峠展示館、人形峠アトムサイエンス館などの施設がある。
http://www.jaea.go.jp/09/xningyo/
http://www.pref.okayama.jp/seikatsu/kansei/atom/atomscience/




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2012年01月14日

「ナショナリズムと日本のテレビ」、そして韓国のグローバル戦略

2011年9月3日付ルモンド紙に掲載されたフィリップ・マスメル記者によるコラム「ナショナリズムと日本のテレビ」の一部が日本でも紹介され、話題になった。コラムの前半部でマスメル記者は、8月21日に東京・お台場のフジテレビ本社前で行われた抗議デモを紹介し、デモが起こったのは俳優・高岡蒼甫のツィッターでの発言がきっかけだったと説明している。彼の発言に netto uyoku (ネット右翼)や元横浜市長の中田宏氏が賛同したことから騒動が広がったという。日本の紹介記事はこの部分にのみ焦点をあてていたが、後半は次のように展開している。訳出してみた。

JAPAN FIRST TOUR GIRLS’ GENERATION(豪華初回限定盤) [DVD]この表出したルサンチマンは、ナショナリズムの熱狂の圧力が定期的に高まる、隣り合った2つの国の関係の難しさを部分的に示している。それに加え、近年韓国のテレビ番組が日本で多くのオーディエンスを獲得している。それは偶然ではない。「韓流」は2004年の「冬のソナタ」の成功以来、日本では崇拝の対象になっている。韓国のロケ地は、日本で「ヨン様」と呼ばれる主演俳優ペ・ヨンジュンのファンたちの巡礼地になっている。それ以来内容は多様化し、今日ではフジテレビが平日の午後に韓国のテレビシリーズを放送している。TBS、テレビ東京、公共放送であるNHKまでも比率は少ないがそれに習っている。それに伴って韓国スターたちが日本に進出してきた。テレビドラマのあとには K-pop という韓国のポップスターたちがやってきた。Kara、少女時代、あるいは SHINee がファンを増やし続け、メンバーのルックスは日本の若者たちの流行に影響を与え始めている。

冬のソナタ 韓国KBSノーカット完全版 DVD BOX(初回限定 豪華フォトブックレット&スペシャル特典ディスク付)これらの韓国のポップカルチャーの成功は、自国の娯楽産業をプロモートするための韓国の断行的な政策によって説明される。1997年のアジア危機のあとキム・デジュン大統領によって始められ、最初は映画に集中していたが、今は SM エンターテイメントのような企業に受け継がれている。非常にプロフェッショナルな仕事によって、彼らは製品の品質に配慮しつつ、それらを狙った市場に適応させる。韓国政府は2013年までそれらの輸出をサポートすることにしているが、2010年には約2億ユーロを支出している。この戦略は結果を出している。なぜなら2005年には韓国の娯楽作品の輸出が日本のそれを越えたからだ。日本や中国の他でも、韓流はアジアのほとんどの市場で地位を確立しており、南アメリカでもファンを見つけ、ヨーロッパにも進出している。

日本で韓国製の番組が空白を埋めている。日本経済新聞は8月23日付の紙面で「日本で作られる番組には質の良いものがない」と嘆いている。これは音楽と同様にテレビ連続ドラマに関わる問題で、制作費の高騰と広告の売上が減少していることに由来している。1969年から放映されてきた『水戸黄門』が12月で終わる。メインのスポンサーであったパナソニックがスポンサーを降りると知らせてきたからだ。番組表を埋めるために、日本のテレビ局は品質が良く、コストがかからず、人気のある韓国産の番組をあてにしている。童謡にテレビ局はコストと品質を両立させるために新しいモデルを練り上げようとしている。日本の8つのテレビ制作会社が韓国の同業社とファンドを立ち上げ、3年以内に15本のテレビドラマを制作するという(終)。

Nationalisme et télévision au Japon
Le Monde 02.09.11
Philippe Mesmer

以上が後半部の訳である。

日本のテレビの番組表の空白を韓流が埋めたという話は、国営テレビが民営化された直後のフランスの状況と似ている。TF1が民営化によって生まれた番組表の空白を埋めるために安くて品揃えが豊富な日本のアニメを使い、それがフランスの子供たちの心をまたたくまに捉え、爆発的なアニメ普及につながった。もちろん、日本は今の韓国のように戦略的にアニメを輸出したわけではない。日本のアニメはあくまで国内市場向けで、それが外国で売れる輸出品になろうとは想像もしなかった。それに気がつき、COOL JAPAN を世界に売り込もうと画策を始めたのはずっとあとになってからである。

2018年の冬季オリンピックの開催地が韓国の平昌に決定したことは記憶に新しい(フランスの候補地、アヌシーは落選)。フィギュアスケート選手のキム・ヨナのプレゼン、企業や政府の招致活動や開催に対する国民の圧倒的な支持が成功の勝因と言われている。韓国の政府や企業のオリンピック誘致の真の目的は、オリンピックがもたらす具体的な経済効果ではないようだ。過去の開催地の状況を見ると、地域のへの経済効果も過度には期待できない。それはむしろ韓国のグローバル戦略と深く関わっている。

韓国の市場規模は小さい。GDP は日本の5分の1にすぎない。日本と同じように少子高齢化が進み先細りするのが明らかで、出生率に至っては1・15 (2009年)と日本より低く、世界最低レベルだ。将来、国内市場をあてにできない韓国の企業にとって、新興市場の開拓は不可欠だ。そのために韓国製品のブランド力を高めなくてはらない。企業イメージとブランド認知度を高める上で最も効果的なのが、世界的なスポーツイベントやオリンピックでスポンサーを引き受けること。例えば、サムスン電子は公式スポンサーとしてオリンピックと積極的に関わってきた。キム・ヨナにも資金援助し、彼女は企業キャラクターとして活躍している。ブランド力を高めるための韓国のグローバル戦略の具体策とは、品質の改善、デザインの向上、現地ニーズに合う製品開発、グローバル人材の育成、広告宣伝だという。これは上の記事で K-Pop に関して言われていることであり、「韓流」というソフトコンテンツのブランド戦略にもそのままあてはまる。

一方、韓国の市場規模の5倍ある日本は内需でまかなえるので、ソフトコンテンツを輸出しようというインセンティブがあまり働かない。日本がガラパゴス化するのも、語学のモチベーションが上がりにくいのも、ガチガチのシステムが維持され続けるのも、この微妙なサイズ=市場規模にある。そしてテレビの問題の根本は何よりもテレビ離れにあるのだろう。社員の高給とスポンサーの撤退と制作費の削減についてよく話題になるが、独自で質の良い番組が作れなくなり、韓国製に依存しなければならない事実は、テレビというビジネスモデルが回らなくなったということを示している。所詮テレビは終わりつつあるメディアで、情報やソフトコンテンツの供給も広告市場も、ネットの方に移りつつある。そういう状況で韓国と共同でテレビ番組を作る動きは経営の合理化とコスト削減につながるだろう。賢明な選択のひとつと言える。

最近、いろんな国と人たちと話す機会があったが、そこで裏付けられたのは市場規模と語学に対するモチベーションと翻訳の関係だ。例えば、ブラジル、スペインは市場規模が大きいので、日本と同じように翻訳文化が発達している。市場規模が翻訳コストに見合うのだ。そういう国は語学へのモチベーションが相対的に低くなる。実際、そういう国は英語教育の開始時期が遅いようだ。一方、デンマークは小さい国(人口500万人)で英語が普及している。テレビも英語で放送され、デンマーク語の字幕がつくと言う。そして仕事を探すには外国語を磨いてグローバル市場に打って出るしかない。

□「韓国-内需より輸出:経済規模の小ささを自覚した政府と企業のグローバル戦略」(向山英彦『エコノミスト9/6』)を参照



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2010年09月23日

ハローキティーの対照的な運命 Les destins contrastes de Hello Kitty

ここ10年、国内ではうまくいっていないが、サンリオの有名キャラクターは世界的名声を謳歌している。

HELLO KITTY HAPPY LOVE DIARYキティーは36歳の誕生日をむかえた。お菓子から婚約指輪をはじめとしたダイヤの装飾品など、あらゆる分野に商品化された「キティーちゃん」という日本のキャラクターは―そのボーイフレンドであるクールな性格の「ディア・ダニエル」にとってはどこ吹く風であるが―、最高と最悪の時を味わった。もはや年の衰えを無視できなくなったキティーは1974年にサンリオという会社が生みだしたキャラクターであるが、先日そのサンリオは10年連続して日本での売上げが減少しつつも取引高は6億5000万ユーロに達したと発表した。

キティは10年前から様変わりした。その関連商品は子どものみならず大人も対象としている。さらに真の「世界を股にかける人」となったが、これは人口問題に悩む日本にとって必要なことである。「海外での売上げは日本国内での売上げを越えています。もはや、日本のというよりは世界的なキャラクターになっているのです」と、CLSA社のアナリストであるナイジェル・マストンは指摘する。サンリオは成長をあてこんで、中東やインド、ロシアなどへの進出を目論んでいる。

ところが国内においては、キティは過去の栄光の上にあぐらをかいている。キティは「リロ&スティッチ」といった新しいキャラクターに水をあけられるようになってしまった。株式市場では、サンリオの創業者・社長である辻 信太郎が社の資産運用に失敗してしまったのを期に、アナリストたちの恐怖の的となっている。「辻信太郎は自らをウォーレン・バフェット(訳注:アメリカの著名な投資家)とみなしていた。彼は最高値のときに株を買い、最安値のときに売ってしまうのです」と、あるアナリストは皮肉っている。

2002年、東京でITバブルがはじけたときにサンリオは倒産寸前までいってしまった。いまや機関投資家からは見向きもされなったが、その銘柄は小口株式保有者(たいていはサンリオのファンである)にかこまれて輝きを取りもどし、またその彼らがグループの筆頭株主となった。

キティーは、任天堂のマリオやセガのソニック、ポケモンといった現代日本ポップカルチャーが生みだしたキャラクターたちの系譜の草分けである。

商社の丸紅は、ここ10年間での日本文化の輸出は3倍になったと見積もった。これは180億ドルにものぼり、その一方で工業製品の輸出は20%の伸びにとどまっている。日本は依然としてアメリカと並び、そのポップカルチャーが世界的影響力をもつ唯一の国でありつづける。


Les destins contrastés de Hello Kitty
Par régis arnaud
24/05/2010
Le Figaro



ガラパゴス化する日本 (講談社現代新書)訳者付記:いま『ガラパゴス化する日本』(吉川尚宏 講談社現代新書)という本を読んでいる最中なのですが、当記事とこの本をあわせて読むと、いまの日本の産業構造の一端が垣間見えるように思います(「ガラパゴス化」ってのはwikipediaの項目にもなっていて、それによると「生物の世界でいうガラパゴス諸島における現象のように、技術やサービスなどが日本市場で独自の進化を遂げて世界標準から掛け離れてしまう現象のことである」とあります)。いま現在の日本はアニメ、キャラクターグッズといったソフトコンテンツ産業は海外市場にも進出し順調に成長を遂げているようですが、その一方で『ガラパゴス化する日本』にあるように携帯電話や地デジなどいくつかの分野において「自閉」してしまっていることが問題視されています。また同書でも指摘されているように、最近の日本人の若い人たちの間では「ガラパコス化=海外離れ」が目立つようになったといわれますが、大学生のみなさん、国内で自足するのではなく、キティちゃんに負けずにどんどん海外にも目を向けて視野を広げてくださいね…。




superlight

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2010年01月07日

ふたたび掃除をするようになった生徒たち

繁栄とともに失われてしまった掃除当番が学校に帰ってきた。

日本の夜明けである。まだ始業時間前であるが、生徒たちはトイレにいる。掃除をするためだ。ブラシをあてがわれ体操服を着て、みんなで熱心に磨き掃除をしている。そのうちの何人かはひざまずき、真面目に熱心に洗面台などにブラシをかけている。「隠れた汚れがないか手で触ってたしかめなさい」と先生が指示している。

これは、朝日新聞に掲載された東京近郊の公立中学での光景である。ところがこの光景は日本のほとんどどこででもみられるものである。トイレも含めて生徒による学校の掃除がふたたび脚光を浴びるようになった。

ほとんどすべての児童や生徒がかかわっているのである。トイレ関連メーカーや清掃会社などが合同でおこなった調査によると、95%の小学生と97%の中学生がトイレ掃除に参加している。

謙虚さを学ぶ

目的はなによりも精神的なものである。謙虚さやイジメ問題、日本文化の特徴である集団精神を学ぶことだ。「他人の多くが嫌がる仕事をやることによって、私たちは謙虚であることを学ぶのです」と鍵山秀三郎さん(76)は説明する。日本を美しくする会の創設者で、その目的はしっかりした掃除の方法を教えることであり、さきほど紹介した中学校の生徒にも掃除の指導をしていた。「トイレを掃除することで精神が磨かれるのです」と、この元中小企業の社長はつづける。彼は、自動車部品の流通をする会社を経営していたが、そこのトイレも自らの手で掃除していた。

こうした行為は、軍国主義的であった戦前の日本においてよくみられたものであり、1980年代、日本経済が大繁栄した時代に失われてしまった。学校の管理は用務員や民間企業に委ねられていた。これらは時代の風潮をあらわしているのだろうか? 伝統的美徳への回帰は、昨年、日本人が戦後はじめて民主主義的な政権交代を実現させ、中道左派政党の民主党に投票したときと重なる。格差の広がりやより団結した社会への郷愁にたいする反応をあらわす、政治的大転換のことである。子どもにトイレ掃除という仕事を課すことはこうした平等への強い願いをあらわしているように思われる。子をもつ親を対象とした世論調査によると、100%のひとびとがこれを好ましく思っている。そのうちの何人かは質問自身にたいして驚いた様子をみせる。「あなたはなににショックを受けているのですか? 子どもたちが掃除をすることか、それともトイレ掃除に従事していることでしょうか?」と、銀行で管理職のしている夫をもち、母親でもあるヨウコさんはたずねてきた。西洋の精神の不可解さを読みとろうとするかのようだった。

(訳者註:唐突に学校の掃除と戦時中の日本が結びつけられるなど、とくに後半部はツッコミどころ満載で、理解に苦しむ箇所も多々ありますが(あと、学校の掃除の伝統が80年代になくなり、最近復活したなんて聞いたことがない)、まぁこれも文化の違いってところでしょうか。なお欧米では、生徒が学校の掃除をするというのは当たり前のことではないようです)





★日本各地及びスリランカとパリにチーム拠点を置き、街の清掃活動を行う原宿表参道発信の非営利組織グリーンバードが去年エッフェル塔周辺で掃除活動をして話題になった。それがフランスのテレビ局TF1のサイト上で紹介されたところ、様々なコメントが寄せられた。その中で多かったのは、グリーンバードの活動に敬意を表するものの、パリに住む人たちは、清掃は行政が中心に行うサービスなので掃除のボランティアはあまり意味がないと思っていると。つまり、フランス人の多くは街の清掃はある一部の人たちに割り当てられる仕事だと考えている。ボランティアで清掃をするとその人たちの仕事が奪われてしまうと考えるかもしれない。失業率を下げるために清掃の仕事を一時的に増やすという話もよく耳にする。そういう意味でフランスでは街の清掃は政治の問題なのだ。しかし、そういう分業は階級社会的な発想が根底にある。みんなが清掃のボランティアにいそしめる社会の方がいいに決まっている。
★しかし、街の清掃とトイレ掃除ではちょっと事情が違ってくる。日本には新入社員に素手でトイレ掃除をさせる会社があるらしいが、それはある種人間の尊厳を剥ぎ取り、社畜にする意味があるのだろう。学校でトイレ掃除をすることには別に異論はないが(身の回りのことは自分でやれるようにするという意味で)、精神論にまで落とし込む必要はないだろう。
(cyberbloom)




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2009年11月10日

「シルバーショック」に見舞われる日本(後半)―Le Figaro より

老人たちを手助けする老人たち

いくつかのタブーがなくなりはしたが、日本固有の和の習慣も消えてしまった。さきほど挙げた施設の責任者が1つの解決策を考えた。「あなたがたの国フランスには隣人祭りがありますが、それは人々のつながりを作りだすよい方法です」。おなじ町に住む住民同士でやるバーベキューの伝統は日本においてまだ根強いと思われていた。「残念ながら、それももう頻繁にはおこなわれなくなりました」とため息を吐く。またべつのボランティアで、髪の毛を短く刈り、入念に手入れをしたあごひげをたくわえたヤマザキさんは笑いながら冗談を口にする。「私は70歳で一人暮らしをしています。私自身が助けを必要とする前に、他人の手助けをするのは当然のことだと思います」。日本では、老人たちが老人たちを手助けしているのである…。同年代の多くの人々とおなじく、ヤマザキさんもまた仕事を続け、毎晩、銀座にある彼のレストランの厨房に立ちつづけている。日本大使館の契約料理人として世界中を飛びまわったキャリアがあるのに、退職年金を受けとる権利を得られなかったとヤマザキさんはいう。高齢労働者は東京の至るところでみられる。守衛、ビラ配り、職人、さらに企業幹部。多くの会社が65歳の定年を迎えたあとも、給料を下げてより負担の少ない仕事をあてがいつつ従業員の一部を雇用している。

東京に隣接する蕨市は社会福祉事業センターに施設を提供している。これは日本に多くみられる団体で、「シルバー労働者」を雇用している。シルバー労働者たちはみな給料をもらい、仕事を続けたいと思っている。「手薄な年金を埋めあわせるために職を求める人たちもいれば、孤独を避けるためにという人たちもいます」と所長はいう。関心のある高齢者たちが会費を払い、リストに登録してもらうというシステムになっていて、給料はこの団体を通じて雇用主から支払われることになっている。実際の仕事は、高齢者たちの現役時代の職業とはかならずしも関係しない。元事務職員は近くのネットカフェの清掃をすることになった。最高齢者はパートタイムで庭師をしている82才の男性である。未来へのイメージ? 年金財政を管理するためには、受給年齢を70歳まで引きあげねばならないかもしれない。2025年には労働人口の4割が50歳以上になるのである…。

女性一人につき1,37人の子ども

若者たちは子どもを作らない。現状のまま世代交代するとしたら2,07人生む必要があるが、2008年度で女性一人につき1,37人である。短期的にはこの傾向は変えられない。1億2700万人いるいまの人口が、2025年には10%減少する。その理由はさまざまだ。非正規雇用の30%を占める男性たちは配偶者をみつけるのに苦労している。べつの生き方を模索する男たちもいる。彼らのことをジャーナリストの深澤真紀は「草食系」と名づけた。「肉食系」とは対照的に、彼らは性や結婚、消費にほとんど関心を示さない。これは疑問が投げかけられているように思われる日本の生活様式そのものである。家族が個性を成熟させる媒介とはみなされていない生活様式である。あいかわらず多くの男性は、「組織の団結」のために同僚と外で飲んでから、夜遅く帰宅する。彼らは平日、子どもたちの顔をみないこともあるし、休日は休日で多くの子どもたちは受験競争に踏みとどまるために塾に通っている。

公務員はべつの障害に直面する。2年ごとに転勤させられ、子どもを転校させないために単身赴任を迫られることもある。これらのことが原因となってどんどん晩婚化が進んでいる。30歳から35歳までの男女の3分の1以上が独身で、婚外子もめったにいない。対応策はほとんどない。つねに外国人を警戒する閉鎖的な社会では、移民のことを口にするのはタブーとなっている。まもなく在留外国人はみな、警察に身元を明らかにするための在留カードをもたされることになる…。外国人労働力の輸入は制限されたままだ。老人ホームの人員不足を穴埋めするインド人看護婦たちは、3年間のうちに日本語をマスターしなければ帰国せねばならない。彼女らにとってほぼ不可能だろう。新政権は出産を奨励するために、子ども一人につき月額2万6000円を中学卒業まで支給する政策を打ちだしている。日本列島の高齢化を好転させるには十分でないと思われる対策である。





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2009年11月03日

「シルバーショック」に見舞われる日本(前半)―Le Figaro より

日本列島では急速に高齢化が進んでいる。65歳以上が人口の21%を占める日本は、世界一の高齢化水準にある。孤独と小額年金によってつぎつぎに悲劇が生みだされている。

81歳の夫が85歳の妻を殺害した。自殺を企てた夫は逮捕され、「妻が不憫に思えて殺害した。私が死んだあと、妻の世話をする人がいなくなるのです」と捜査官に供述している。妻は老人性痴呆症を患っていた。状況を踏まえ、新聞は名前を掲載しなかった。日本人はこの事件にあまり驚かなかったが、それほどありふれた出来事でしかない。最新の警察当局の統計によると、2008年1月から11月の一年未満の間に、相手の面倒をもうみられなくなった、そしてそれができなくなるのではないかとの懸念から、21人が配偶者を殺害したと供述しているという。

これは日本の高齢化のもたらす悲劇の最たるものである。日本では急速に高齢化が進んでおり、65歳以上が人口の21%を占めるなど、世界最高水準の老人国家である。敬老の日(2009年は9月21日)は、年を追うごとにますます多くの人々がかかわっていくことになる。先日9月12日、政府は100歳以上の高齢者人口が4万人台を突破し、4万399人になると発表。2025年には、65歳以上年齢が人口の30パーセントを占めるという。日本は「シルバー」ショックに意識を向けはじめたのみである。ここで「シルバー」という語は、年配者に関することを指すために使われている(※)。「シルバー」などと表向きは敬意を表しているようにみえるが、現実はそれを否定している。1945年以来、日本自由党政権によってはじめられた政策は、社会より経済を優先するものだった。その結果、世界第二位の経済大国は老人たちを隅に追いやった。6万6000円の基礎年金と老人ホームの不足のせいで、高齢者たちは病院に頼らざるをえなくなった。彼らは他の日本人たちとおなじように苛立ちをあらわにし、8月の総選挙では、年金の増額を約束する民主党に投票した。(※訳者註:日本語でいう「シルバー=年配者」という概念はフランス語にはありません。原語の[argente]は「銀色の/お金にまつわる」という意味の形容詞です。さらにここから、記事執筆者は「シルバーショック=le choc argente」に「年配者=お金にまつわる」「ショック」というニュアンスをもたせようとしていると考えられます)

さしあたり、年配者の孤独は増していっている。65歳以上の高齢者の面倒をみる人々の48パーセントがまさにその65歳以上の高齢者たちなのである。冒頭に挙げたような例は避けがたいことなのだ。日本の社会的規範ではなにも解決できない。もちろんすでに『楢山節考』の時代ではなくなった。これはカンヌ国際映画祭においてパルムドールを受賞した映画(1983)で、70歳になった老人が村の負担にならないようにと山の頂上で孤独に死にゆく姿を扱った19世紀の日本を舞台としている。しかし、妻が年老いた夫の面倒をみるという考え方や、自らの不幸は口外しないということが悲劇を生みだしているのである。

「私たちの文化に根ざしたものなのです」

東京近郊の鶴ヶ島に、30年間にわたり夫婦で経営していた有名な焼鳥店があった。ある日、それが閉店した。78歳の夫が大動脈瘤を患ったのである。夫婦は近くに娘が住むアパートに引っ越した。72歳の妻は緑内障を患って片目を失い、視力は下がる一方だった。2008年12月25日、彼女は夫の首をスカーフで絞めて殺害し、自らも手首を切り自殺を図った。今年5月、妻に対し(日本の殺人罪の法定刑で)もっとも軽い懲役5年の判決が下った。法廷において、どうして市に援助を頼まなかったのか、と問われた被告人である妻は「そんなものがあることを知りませんでした」と答えた。けれども、妻は娘に対しても自分の問題を打ち明けておらず、娘は娘で差し出がましいことをしたくないと考えていた…。

「これは私たちの文化に根ざしたものなのです。近所に助けを求めたり、さらには行政に問い合わせることも恥だと考えているのです。もっとも困っているのは一人暮らしをしている人々です。私たちは自宅で孤独死をしている老人の方々を何度もみてきました」と、新宿にある社会福祉事業協議会の責任者である、マルヤマ・ユミコさんはいう。この団体は東京の高齢者たちの介護を仕事としている。新宿には100歳以上の高齢者が729人住んでいて、その大部分が自宅介護支援を受けている。けれども問題はそれ以外の人々である。この協議会の支援を受けられる最低年齢は75歳からであり、申込者は後を絶たない。基本サービスはつぎのようになる。月二回の自宅訪問、これはただ生きているかどうかを確かめるためのものである。大半は年配者たちが住む、色あせた公共マンションで配られているビラは、ボランティアたちの直面する問題を雄弁に物語る。「私どものメンバーが玄関先までうかがい、問題がないかどうかお訊ねします」。ところが、ボランティアの一人、定年退職した元公務員の妻であるイゴジさんによると、「私たちの支援が必要な人はほかにもたくさんいますが、その人たちがどこにいるのかわからないのです」






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2009年10月14日

「お笑い日本の実態」または「どうせ分からないフランス語」

いよいよ衆議院選挙です(注:このエントリーは09年8月20日に main blog に掲載されたものです)。どの党の誰に投票しようか、「普通選挙」の定義の一つが「秘密選挙」である以上、ここでは言わないでおきましょう。たいていの人と同じように、僕も選挙前になって、どの政党がどんな主張をしているのか、あらためて確認しようと思い、ネットを眺めてみました。あいかわらずの中傷合戦が繰り広げられていて、うんざりします。

ところで、そんななかから「フランス国営テレビ お笑い日本の実態!」という動画を発見しました。題名と裏腹に、日本のお笑いブームについてではなく、この時期に合わせて作られた民主党批判、というか、説得的な根拠を示さないデマゴギーの類いですが、面白いのは、それをフランスのニュース画像に合わせて、字幕とハメコミ合成で編集してみせた点です。いわゆる「MADムービー」と呼ばれるものですね。



面白いと言ったのは、内容がよく出来ているからではありません。内容は、どちらかというと、趣味の悪い冗談にすぎない。同じような批判動画は、たぶんどの政党を取り上げても、作ることはできます。僕が興味を惹かれるのは、ここでフランス語がどのような言語として機能しているか、という点です。フランス語を聞き取れる人には、内容が日本の政党に一切関係ない話であることはすぐ分かるでしょうし、フランスのニュース番組を多少なりとも知っている人なら、そもそもZone interditeを放送しているM6は国営放送ではないことに、すぐ察しがつくでしょう。このような動画を編集しようと思うためには、日本人のほとんどはフランス語を理解できないという前提に立たなければなりません。英語で同じことをやったら、デタラメすぎる、と非難されるでしょう。たぶん。

動画に付けられたコメントで興味深いのは、「翻訳は正確ではなくても、内容は真実だ」というもの。翻訳とは、ここでは字幕を指すと思われますが、上に述べたように、一行たりともキャスターの言葉と字幕は対応していません。このコメントは、そんなことはどうでもよくて、政党批判の字幕が正しければよいのだ、と言っているようです。どうせ分からないフランス語だから何でもいい。逆にフランス語がちょっと分かるからと言ってこの動画を批判するのは野暮な奴、ということになるのかもしれません。

どうせ分からないフランス語。しかし、これがフランス語であるのは、偶然ではないでしょう。作成者が誰かは知りませんが、この言語に何らかのオーソリティーを認めているような気がします。アル=ジャジーラのアラビア語のニュース画像や、フィンランド国営放送の画像を使って同じ編集をすることだって可能でしょうが、それではジョークの意味が変わってしまう。日本人が気になる「世界の大国」の報道である必要があります。しかも、アメリカや中国のように日本の政治的利害に直接関係がある国では、さすがにリアリティがなさすぎる。そこでフランス、ということになったのではないでしょうか。もしそうだとすれば、やはりフランスはいまだに「遠い国」なんだな、と思います。

ところで、メリッサさんが、本当は何を言っているか、みなさん分かりますか。ルポルタージュの紹介部分を切り貼りしているので、全体を通じた話題はありませんが、字幕やハメコミ動画をあえて見ないで、じっと聞いてみるのも、フランス語の練習としては面白いかもしれません。





bird dog


★ちなみに冒頭の部分では、バカンスを楽しく過ごすにはパートナーが不可欠だが、相手をどうやって見つけるか、その方法にタブーはないとかいう話をしている(cyberbloom)。

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2009年09月27日

ユニクロがパリに旗艦店、日本一の億万長者、柳井正インタビュー

10月1日のパリ店開店のときにも、彼はやってくるだろう

フランスの首都はもちろん重要なステップになる。「パリはヨーロッパの中心であり、世界の中心でもある」と、ユニクロのオーナーであるファーストリテイリングの設立者、柳井正はいう。柳井はすでにプランセス・タム・タムやコントワール・デ・コトニエという2つのフランス系ブランドを手中におさめている。



柳井にすれば、不況の風は望ましいものである。日本の経済成長は息切れしているが、ユニクロの売り上げは急成長をとげていて、中国でつぎつぎに店舗を展開している。イギリスで一度失敗した経験はあるが、柳井は戦略を練りなおした。「イギリスで事業を続けたいと思っていましたが」(訳者註:ユニクロは以前、現地法人の経営は現地人に任せる方針を採っていた)とフィガロ誌に対し柳井はいう「結局、日本のやり方を採用し、それがスタートしたのです」。これはスタートでしかない。「2020年までに売り上げを現在の7倍、5兆円に伸ばしたいと考えています」

ファーストリテイリングは、そもそも柳井の父によって設立された広島の中小小売店だった。「よその日本の大手繊維企業は自社の利益にばかりこだわったため、消えてしまいました。私はといえば、人々の日常生活に注意を払っています」と日本一の長者はいいきる。

1984年に初店舗を出店したユニクロは、現在では創造性やテクノロジーの分野にまで手を広げるブランドに生まれ変わった。柳井はデザイナーのジル・サンダースに庶民向けの服を作るよう依頼し、同時に化学製品大手の東レと協働し、ヒートッテックを開発した:繊維にミルクプロテインを練りこんだ保温性のある肌着、運動エネルギーを再利用した発熱するTシャツなどである。

彼がすべてを左右する(写真は開店目前の UNIQLO A PARIS)

uniqloaparis01.jpg「ニューヨークでは、ユニクロの販売員自身が流行らないといって、ヒートテックを売るのを拒んでいました。けれども私の新しい広告キャンペーンをみてください!」と柳井はいう。彼は日本の日刊紙の2面にわたって掲載された広告を机のうえに広げた:山奥にいるのに軽装をしているモデルたちである。「ヒートテックはデザインも洗練されていて、モードとテクノロジーが申し分なく調和しています。とても着心地がよく、山でも軽装でいられるのです!」

チームを国際化し、ユニクロ帝国を民主化する仕事が残っている。組織はまだ中央集権的であり、外国人から要職を遠ざけてきた、とグループの古参はいう。パリでの開店をまえにして、幹部の刷新でフランスの子会社がどんどん活気づいている。

「柳井正がすべてを決めている:Tシャツの仕立て方からブランドの獲得まで」と側近の仕事仲間は語る。「外国人がほとんどいないのは当然です」と彼は弁明する。「我々は日本を飛び出してから間がないのです」。今年60才をむかえた柳井正は5年後には引退するというが、こう認めてもいる「これからもずっと電話でユニクロにかかわるつもりですよ」




★上の動画(blogparts)は、時報のリズムに合わせ、ユニクロの服を着た女の子たちが無表情で踊り続けるファーストリテイリングのウェブ広告「UNIQLOCK(ユニクロック)」。2007年に登場し、クオリティの高さと、延々と見続けてしまう麻薬性が話題になったが、去年「カンヌ国際広告祭」など世界の3大広告祭すべてのインターネット部門でグランプリを勝ち取った。今配信されているのはパリ旗艦店開店を記念した第6弾で、エッフェル塔や凱旋門などパリの有名スポットを舞台にし、音楽は Fantastic Plastic Machine が担当。

http://www.uniqlo.jp/uniqlock/

★ユニクロのテレビCMも定評がある。松山ケンイチと佐藤恵利子をフィーチャーした思わせぶりな短編ドラマが面白い。

UNIQLO CM kenichi Matsuyama × Eriko Sato




★commented by cyberbloom

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2009年09月19日

フランスの雑誌がレポートする日本の「草食系男子」の実態

9月11日掲載の「どうして日本女性は子供をつくらないのか」がブログを始めて以来、最大のアクセスを記録した。今回も「フィガロ」からの記事で、日本の若者世代に関するレポートである。すでに「草食系」«herbivores» (⇔「肉食系」«carnivores» )という言葉はヨーロッパに伝わっているようである。

■「草食系」から「ニート」まで、日本の若者世代は自分の生き方を模索している。

草食男子世代―平成男子図鑑 (光文社知恵の森文庫)ユキオ(25才)は両親と同居している。東京の名門大学を卒業したものの就職活動はしなかった。ユニクロのTシャツとジーンズを身につけるユキオは、母親と買い物をするのが好きだ。車にも高価な時計にも興味はなく、女の子にもさほど関心はない。「いまのところ彼女はいないけど、べつにかまわないんです…」。本屋の店員の仕事をみつけた彼は幸いにも本が好きで、日本社会に批判の目をむける村上春樹を好んでいる。ユキオは「草食系」である。「草食系」とはジャーナリストの深澤真紀がネーミングしたものである。「日本語では、性行為が肉を食べることと似ているので、こういう言い方をするのです」と彼女は説明する。「私は、おおくの若い日本人男子が「肉食系」でないことに気がついたのです」 

深澤は日経新聞にこのテーマについての連載記事をもっており、自分たちの子どもに困惑している親たちに、こうしたあたらしい若者像を解説している。「彼らは同性愛者ではなく、たんに自分たちの父親のようになりたくないのです。マッチョではなく、仕事に命を賭けなければ消費もせず、自分の好みでアルバイトを選んでいます」

深澤によると、「草食系」たちは変化を期待しつつ民主党寄りの投票をしたというが、問題はもっと根深いものである。「アイデンティティの危機の要素もまたあります。彼らは日本的価値、たとえば連帯、共生といった価値観を取りもどそうとし、欧米に距離を置いています。彼らはややナショナリスト的といえるでしょう。彼らは、数年前に流行ったようにフランス映画をみるよりは、日本映画の古典的名作を選んでいます」。「草食系」の傾向はさらに広がっていると深澤はいう。「銀行家や実業家の間でも、高価なものに手を出さず、家族を大事にする人々をみかけるようになっています」。

この「ポップ社会学者」によると、「草食系」は日本の出生率の低下に加担しているという。では、女の子たちはどうだろうか?「彼女らは自分に自信をもつようになり、主婦の役割に順応しないようになってきています」。30歳以下の日本人女性のうち60%が結婚をしておらず、結婚せずに子どもを儲けることもほとんどしない。東京大学のアヤカ(23才)は自分もそうであると認めている。哲学科で卒業年度をむかえており、日本の大手銀行の内定を得ている。大学でなにを専攻しようが、大学の名前だけで職を得られることがしばしばある。「草食系?」。「そうですね、私の周りにもたくさんいます。彼らは手持ちのもので満足し、若い女性のことを攻撃的だといいます」。アヤカは自分の思うように人生を送ることを決心している。「私はたぶんこの会社で一生を過ごすことにならないと思います。外国で、たとえばアメリカで働きたいです」

アヤカとその友人のヨウコは、日本人女性のあたらしいあり方を象徴している。結婚、子ども? それもあるかもしれない。「いつかはしたいと思いますが、すぐの話ではありません」とヨウコはいう。彼女は半年前から銀行に勤めているが、さっそく仕事への愚痴を口にするようになっている。「私が若いからといって、責任のある仕事を任せてもらえないんです」。彼女は留学経験のあるアメリカに戻れたらと願い、またいつかはいったん仕事を中断し、アフリカで人道支援の仕事をしたいという確固たる意志をもっている。

アヤカやヨウコが変わってほしいと思うものはなんなのか? 「腐敗が減って、もっと効率よくなること」と口をそろえていう。とはいえ、2人とも選挙には行かなかった。この若い銀行家たちが心配していることといえば「GDPの1,8倍に相当する赤字を抱えていて、総理は自分の主張を実行する手段があるのだろうか」。

ヒロユキとユウジの願いは生きのびることだ。冴えない雰囲気の、NPO法人「育て上げ」で知り合いになったこの2人の若者は、急速に増えているもうひとつのカテゴリー、「ニート(学生でなく、仕事をせず、社会へ出るための準備をしていない人)」を象徴している。体格がいいもののおどおどした様子のヒロユキと、何度も天井を見上げるユギは、ここ20年の日本の危機の犠牲者たちである。一億総中流と終身雇用制は1990年代初頭に終わった。「35才以下の3分の1は定職をもっていません」と同法人の副所長、井村良英はいう。ニートはその最たるものなのである。

■礼儀正しい日本人

ヒロユキはすっかり自信をなくしている。30才の彼は2003年に法学部を卒業したが、いままで働いたことがなく、いまでは「仕事はなんでもいいです。工場で働くのもかまいません」といい職探しをしている。同法人で彼はなにを学んでいるのか? 「とくに、マナーについてです」。この若者は、大げさにお辞儀をするが、彼はすでに日本的な礼儀正しさは身につけているようである。「日本では、人々はかつてないほど礼儀正しくなっています」と彼はいう。

けれども、極端に礼儀正しくなったからといって職を得られるわけではないだろう。今年日本は、前年同月比にして20%の工業生産の落ちこみがあり、トヨタのような大手自動車メーカーでさえ、3割の非正規雇用を抱えている。

天井を見上げていたユウジ(34才)は、「元(もと)引きこもり」だと自己紹介した。彼は、社会との関わりを拒み、部屋に引きこもって親に用意してもらった食事を受け取るときにしかドアを開けない若者たちのひとりだった。日本で広がっている現象である。「なにもかもが辛かった」と彼はため息を吐く。工業高校を卒業し、絵を描くのが好きなのでマンガ業界に入ろうとしたがうまくいかなかった。アルバイトでパン屋をしたが、そののち辞めてしまい自分自身にとじこもった。「甥が助けてくれて、ここに連れてきてくれたんです」。同法人は彼に清掃の仕事を斡旋した。アルバイトである。高校生には正規雇用の職がなくなってしまっている。彼らには大学生とおなじく、最終学年で採用されるという習慣があった。今年は10人に対し7つしか求人がなかった。

日本の5.7%という失業率は、ヨーロッパ諸国からすれば羨望の的である。けれども、若者の一部の動揺が選挙の結果に重くのしかかった。たしかに日本のいくつかの風習は消え去るには長い時間がかかるだろう:会社のロビーでは、45度に身をかがめ笑顔をみせるのだけが仕事の受付嬢が、いつでももてなしてくれる。おなじくデパートの入り口では着飾った女性が、ひたすら「アリガトウゴザイマス!」といい続けている。おそらく時代遅れになった、職を守るためのひとつの流儀である。




関連記事:草食系男子と孤独死を増殖させる共同体なき「底抜けの世界」=宮台真司
関連エントリー「やきもちやきの男」



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2009年09月17日

フランス人はとんかつがお好き?

COURRiER Japon (クーリエ ジャポン) 2009年 07月号 [雑誌]先月、「近所の大学生が日本に旅行に行くので、ちょっと相手をしてやってくれないか」とフランス人の友だちから連絡があった。やってきたのはいまどきの大学生、ヴァンサン君。バカンスのことしか話題にしないとTF1をバカにしているが(こういう身振りは若い学生にも受け継がれているようだ)、バーゲンで買ったというアルマーニのサングラスをいとおしそうに大事に扱ったり、中華街に連れて行くと、嬉しそうに春巻を頬張ったり、子供な一面も。京都にフランス人バックパッカー御用達の旅館があって、そこに2週間逗留していた。とにかく日本では外国人がじろじろ見られるのがイヤだと言っていた。若いから自意識過剰なところもあるのだろう。そして、日本食の中でいちばん美味しかったのは何?って聞いたら、迷わず、「とんかつ!」と答えた。

イギリスの「モノクル」(Monocle)という雑誌に「私の最後の晩餐」(my last meal)というコーナーがあって、そこにA.P.C.のデザイナー、ジャン・トゥイトゥ Jean Touitou が出ていた。彼が最後の晩餐に指定したのは、東京にある「とんかつ まい泉」。そこで黒豚ヒレかつ膳を食べるのだ。家族で東京に来たときにたまたま入って、それ以来のお気に入りとか。パリにもとんかつ屋はあるが、質の悪い肉をソースでごまかしている場合が多いと言う。最後の晩餐の理想の相手は、彼の娘さん。彼女は哲学と歴史を専攻していて、食事のときにニーチェやロシア革命について質問されるのだそうだ。「私はファッション界の人間だが、人生には試されたり、じっくり考えたりすることだって必要じゃないかな。ファッションの世界で働くと、痩せることが強迫観念になる。ピーナッツで食事を済ませる人もいるが、私は最期まで食事を楽しみたいね」

□「COURRiER Japon 2009年 07月号」を参照。ちょっと古い号だが、村上春樹がスペインのメディアに応えたインタビューが掲載されている。特集の「新聞の終焉」も興味深い内容。





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2009年07月11日

Japan Expo 2009 開催!追加情報!

フランスでいま、日本アニメ・マンガがアツい理由を直撃!―Japan Expo の創始者&代表、ジャン=フランソワ・デュフール氏インタビュー
japanexpo09-01.JPG■2009年7月2日〜5日の4日間にわたって、フランスはパリ・ノールヴィルパント展示会場において「ジャパンエキスポ 2009」(JAPAN EXPO)が開催された。今年で10周年を迎えるジャパンエキスポは、日本のアニメ、マンガ、ゲーム、ファッションから日本の伝統文化までを、広く扱うファン・イベントとして注目されている。
■今回から5回の予定で、このジャパンエキスポの参加企業や来場者に行ったインタビューをお届けする。『オタクジャポニカ』の著者エチエンヌ・バラール氏の同行のもと、出版社や日本のマンガをフランスに広げたキーマン、パリ市内の関連企業への取材も含まれる。第1回は、同イベントの創設者であり、代表を務めるジャン=フランソワ・デュフール氏に、ジャパンエキスポとフランスでの日本文化についてうかがうお話である。(続きはタイトルをクリック、エキスポの画像が多数あり)
(7月17日、ascii.jp、写真は会場の入り口)

分島花音<JAPAN EXPO'09>最大の動員数とCD売り上げを記録
japanexpo09-02.JPG■日本のアニメ・漫画・音楽などを紹介する、ヨーロッパ最大のジャパニーズ・カルチャーの祭典<JAPAN EXPO'09>が、7月2日〜5日にかけてフランス・パリ郊外で開催された。回を重ねるごとに動員数を延ばし、第10回目となる今回はなんと過去最大の15万人を動員した。
■この<JAPAN EXPO'09>のライヴ・ステージに、チェロ・ヴォーカリスト/分島花音(わけしまかのん)が出演。すでにワールド・ワイドに活躍している彼女だが、中でもフランスでの人気は群を抜いており、2009年2月にフランス最大の音楽ショップチェーン店の“Fnac”にてライヴを行なった際には、マドンナを越える動員を記録している。
■そんな分島花音は今回の渡仏で、まず7月2日にパリ日本文化会館で行なわれた、ラフォーレ原宿と外務省が連携するファッションショー<Laforet KAWAII Collection in Paris>に出演。翌日3日には、マンガ『神の雫』の作画オキモト・シュウらとともに、<JAPAN国際コンテンツフェスティバル>の記者会見に出席。4日には、パリ・ノール ヴィルパント展示会会場での<Laforet HARAJUKU Collection'09 In Paris>にも出演。オープニング・アクトとして登場し、15,000人の観客を熱狂させた。
■そしていよいよ7月5日。<JAPAN EXPO'09>ライヴハウス・ステージのオオトリでの出演には、ファン7,000人以上が集結。フランスのレーベルが用意したCD及びDVD、合計1,000枚が即完売する盛況ぶり。
■ライヴでは、デビュー曲「still doll」、フランスでも大人気のアニメ「ヴァンパイア騎士」のEDテーマ「砂のお城」など全7曲を披露。フランス語での挨拶やジョークも交えた長尺のMCでは観客を大いに沸かせ、「最高!」「カワイイ」など日本語での声援が飛び交うい、感動のあまり涙を流すファンの姿もあった。ライヴ終了後も、アンコールの声がしばらく鳴り止まないほどの盛り上がりとなった。
■今回の<JAPAN EXPO'09>ライヴハウス・ステージには、PUFFYやAKB48なども出演したが、<JAPAN EXPO>を主催するSEFAによると、今回の分島花音が過去最大のライヴ動員数ならびにCD実売数を記録したという。
■分島花音は今後、日本での初ワンマン・ライヴを予定しているが、チケットは即完売となっている。全米でのCDリリースと西海岸ツアー、そしてUSA最大のアニメコンベンション<オタコン>への出演も決定しており、日本、フランスのみならず全世界での活躍に注目だ。
(7月10日、BARKS、写真は Naruto のコスプレ大会)



10周年を迎えるジャパンエキスポをフランス人はどう感じたか
(7月7日、サーチナ)
Aoi、フランス・パリ〈JAPAN EXPO 09〉でのライヴをレポート!
(7月7日、CDジャーナル)
PUFFY、パリで熱唱!!大トリ飾る
(7月7日、サンケイスポーツ)

AKB48 パリジャンの前でやるじゃん!
japanexpo09.jpg■人気アイドルユニット「AKB48」が3日、フランス・パリ郊外で初の欧州ライブを行った。2日にヴィルパント展示会会場で開幕した日本文化フェスティバル「ジャパンエキスポ2009」にゲスト参加。姉妹ユニット「SKE48」の松井玲奈(17)を含む16人で構成された遠征メンバーは、新曲「ダイヤモンド」「10年桜」など計10曲を熱唱。ヨーロッパ各地から集まった7000人の観客のハートをつかんだ。AKB48としては、07年9月の北京以来2度目となる海外公演。9月に米ニューヨーク、10月に仏カンヌでそれぞれライブを予定している。
(7月4日、スポニチアネックス)
★JAPAN EXPO 2009の公式サイトはこちら(www.japan-expo.com)。毎年7月の第1週末に行われる、漫画とアニメを中心に日本の文化をテーマとしたフェスティバル。1999年に第1回が開催され、今年で10周年。去年の2008年は13万4千人以上の来場を記録し、ヨーロッパ最大の日本専門イベントに成長。今年は15万人を見込んでいる。観客数の増加により、会場の規模は大きくなり、テーマも多様化。漫画やアニメ以外に、日本の音楽、ファッション、ビデオゲーム、スポーツ、そして伝統文化なども加わっている。会場では買い物、アーティストのライブ、ファッションショー、アニメや実写映画の上映会またはプレビュー、ゲスト作家のサイン会やトークショー、コスプレコンテスト、展示会、ゲーム、格闘技のデモ、バッティングセンターなど、日本の文化を楽しく実体験できるお祭りだ。
★ラルク・アン・シエルの2008年のヨーロッパ&アジア・ツアーのフィルムコンサートも行われるようだ。
★また新しい情報が入ったら、この記事に付け加えていきます。

関連エントリー:週刊フランス情報 22 - 28 JUIN 前編 パリで Japan Expo 2009 開催

AKB48パリ参上日本代表アイドルで〜す(7月4日、日刊スポーツ)
AKB48 - Japan Expo Presentation of the AKB48(AKB48を英語で紹介)
AKB48 devant la tour Eiffel(AKB48、エッフェル塔に到着)
Les 14 artistes à Japan Expo 2009 en 10 minutes!(エキスポに出演の14アーティストを10分で)
AKBINGO! -フランス語講座(かなり高度!)
Groupe phare de la scène japonaise musicale, l'Arc-en-Ciel vous propose de visionner un film exclusif retraçant leur grande tournée en 2008 en Asie et en Europe !(ラルク・アン・シエルのフィルムコンサートの予告)

★去年のJAPAN EXPOはこんな感じ。日本のテレビが紹介。




JAPAN EXPO AWARDS発表!

2009 Japan Expo Awards
▼マンガ
・Best Shonen :Fairy Tail
・Best Shojo :Vampire Knight
・Best Seinen :Detroit Metal City
・Best Edition :Blackjack-Deluxe Edition
▼アニメ
・Best Series Adopted from a Manga :Death Note
・Best Original Series :Elfen Lied
・Best Edition :Death Note Limited Integral Edition
▼音楽
・Best Group/Artist :Anna Tsuchiya
・Best Alubum :GIMMICAL☆IMPACT!!
・Best Original Soudtrack :Nana Best

■JAPAN EXPOの会場では2日、日本のマンガや音楽、アニメなどの作品から各賞を決める「2009 Japan Expo Awards」が発表された。主な受賞作品は下記の通り。
■ノミネート作品の中からメディア関係者ら8人の審査員が候補作品を決定。一般からのネット投票などで受賞作品を決めた。CDやマンガ本などはフランス企業が日本の権利者とライセンス契約をして発売しているものだ。
■会場ではJAPAN EXPOに出展している「コ・フェスタ」(JAPAN国際コンテンツフェスティバル)の石川知春実行本部長が登壇。コ・フェスタの概要も説明して、日本のコンテンツの魅力をアピールした。
(日経トレンディ、7月3日)

関連エントリー「フランスに根付くオタク文化−子供の発見」
関連エントリー「オタク文化、フランスで大人気」
関連エントリー「フランスのアニメ」





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posted by cyberbloom at 20:04 | パリ | Comment(0) | TrackBack(0) | フランスから見た日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2008年05月11日

FRANCE 2 がL'arc-en-ciel のパリ公演をレポート(動画&プチ解説)

L'arc~en~ciel concert zenith paris reportage France 2
フランスのテレビ、FRANCE2がラルク・アン・シエルのパリ公演をレポートしていた。貴重な現地情報。



Je suis content de rencontrer les parisiennes.(パリジェンヌたちに会えて嬉しいです)

昨夜、日本からやってきたラルク・アン・シエルというバンドが、ゼニットを一杯にし、それは日本にも中継された。コンサートをひとつたりとも見逃さないように、日本からも何百人もの日本の女の子たちが来ていたようだ。フランスのファンの少女たちは、日本のテレビゲームとマンガで育った世代だ。「ずっと前から見たかったの。夢のようだわ」。彼女たちは歌を全部暗記していて、意味がわからないけれど、みんなで一緒に歌っている。それを日本人の女の子たちが微笑ましく見ている。ヨーロッパで初めてのコンサートにパリを選んだことは偶然ではない。バンドのメンバーたちが知っているフランス語は少ないけれど、彼らはフランスの若者たちの日本文化への夢中な気持ちの目に見える証なのである。

最初の方で、「彼ら(=ラルク)はTOKYO HOTELの名声を夢見ている」と言っている。TOKYO HOTEL はフランスで人気のドイツのパンクバンド(このバンドのおかげでフランスでは学生のドイツ語履修者が増えている)。他の新聞でもそうだったが、フランスで人気がある外国のバンドということと、東京つながりで引き合いに出されているのだろう。こういうふうに日本とフランスの若者が文化を共有することは素晴らしいことだし、かつてありえなかったことだ。これはコミュニケーションを載せる重要な媒体になりえるはずだ。これが日本の若い人たちがフランス語を始める強力なモチベーションになれば嬉しい。

「ラルク、その後」(←フランスのラルク人気についての詳しい解説あり)

追加情報(5月13日):ラルクのパリ公演に参加した flower さんがコメント欄に現地レポートを寄せてくれました!

youtubeにはいくつかの動画がアップされている。
hyde のフランス語MC
「On est "l'arc-en-ciel", mais on n'etait jamais venu en France. 私たちはラルク・アン・シエルと言いますが、(フランス語のバンド名にもかかわらず)フランスに来たことがありませんでした」…最後何て言ったんだろ?

ラルクの現地でのインタビュー Nolife - Reportage sur L'Arc~En~Ciel

□左派系の「リベラシオン」にライブ当日に紹介記事が載った。「日本現象が今夜ゼニットをいっぱいにする」(リンク切れ)
L’Arc-en-Ciel étend son spectre sur Paris
Pop. Le phénomène japonais fait salle comble ce soir au Zénith.
GILLES RENAULT
QUOTIDIEN : vendredi 9 mai 2008

□ついでにフランスのテレビ、M6で紹介された、パリの日本マニアの少女たちのレポートも。これも面白い。日本語の字幕付き。
フランスのジャパン・マニア1
フランスのジャパン・マニア2

□関連エントリー
新しいゴシック世代
フランスのオタク文化-子供の発見



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