2015年07月31日

「これ、どう訳しますか?」

フランス語会話や作文の授業を担当していると、ときどき、「これ、どう訳しますか?」という学生の質問に窮することがある。もちろん、僕のフランス語の知識が不足していることが最大の原因だが、それだけではなく、「日本語にはあってもフランス語にはない語彙」があるからだ。それは、日本とフランスの風習の違いによる。いくつか例を挙げてみよう。

1)「兄は社会人です。」
「社会人」とは、「実社会で活動している人」を意味する。では、学生は「実社会」に参加していないのか、という疑問が頭をよぎるが、要するに「社会人」とは、「自分で生計を立てている人」のことだろう。フランス語では、このような包括的な言い方は一般的ではない。そこで授業では、salarié(給料生活者)、fonctionnaire(公務員)、commerçant(自営業者)など、より具体的な職種を述べるように指導している。

2)「先輩の影響で」
フランスに留学して新鮮に感じたことの一つが、「年齢の違う人を ami と呼べる」ということだった。年上でも年下でも、tu で話し、bise をしたりする。日本語では、上級生は「先輩」、下級生は「後輩」となり、会社に入っても、入社年度による区分がある。同じ職階でも、入社年度が早い人は「会社の先輩」と呼び、丁寧語の対象となる。逆に言えば、ami と「友達」の意味範囲は、じつは一致しないということになる。

3)「鍋パーティーやりました」
複数の人間で一つの鍋を囲む、という食べ方をフランス人はあまりしない。似たものとして fondue が挙げられるが、あれはスイスに近いサヴォワ地方の家庭料理で、パーティーの主役になることはなさそうだ。少なくとも、一般的にフランスの学生同士がフォンデュを囲んで集まる、という風景は考えにくい。そういえば、フランス人が好む apéro というのも、日本ではなじみのない習慣で、日本語に訳しにくい。あえて言えば、「ちょっと一杯」?

こうした翻訳の難しさは、もちろん文化的背景の違いによる。外国語を話すということが、どこか窮屈なのは、自分が本来持っている文化をうまく入れることができないところがあるからだ。だからと言って、「社会人」や「先輩」といった概念を知らなかったかのように、つまりフランス人のように話すというのは、どこか芝居がかっている。外国人らしく話す、というのは、まさに僕たちノン=ネイティブの権利なのだから、「先輩と鍋パした」と簡単に言えないもどかしさとともに、フランス語を話していけばいいのだ。そうでなければ、フランス語圏でないところでフランス語を話すことは、ことごとく「本場の模倣」になり、どこまでいっても「ネイティブにかなわない」という話に終始してしまう。それではつまらない。


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タグ:フランス語
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2012年09月14日

夏休みのフランス語講座B ヒップホップでフランス語!

まずは動画を再生して、仏語のナレーションを聴いてみましょう。( )に入る数字を聴き取ってみましょう。



C’est l’histoire d’un homme qui tombe d’un immeuble de (  ) étages. Le mec, au fur et à mesure de sa chute, il se répète sans cesse pour se rassurer : ≪Jusqu’ici tout va bien, jusqu’ici tout va bien, jusqu’ici tout va bien. Mais l’important, c’est pas la chute. C’est l’atterrissage. ≫

■C’est l’histoire d’un homme qui tombe d’un immeuble de cinquante étages.
1)( )に入るのは50=cinquante です。
2)qui は関係代名詞。
3)tomber de …から落ちる
4)文章全体を訳すと、「これは50階の建物から落ちている男の話である」

■Le mec, au fur et à mesure de sa chute, il se répète sans cesse pour se rassurer
1)mec は homme の俗語。
2)au fur et à mesure de(オ・フュール・エタ・ムジュール・ド) につれて
3)se répéter 自分に繰り返し言う、自分に繰り返し言い聞かせる
4)pour+不定詞 するために
5)sans cesse 絶え間なく
6)se rassurer 自分を安心させる
7)文章全体を訳すと「その男は、落ちるにつれて、自分をつねに安心させるために、自分に繰り返し言い聞かせている」

■Jusqu’ici tout va bien.
1)jusque+ici=jusqu'ici ここまで
2)va の不定詞は aller で、この場合は「順調である」の意味。動画は tout vas bien となっていますが、間違いです
3)訳は「ここまではすべて順調」

■Mais l’important, c’est pas la chute. C’est l’atterrissage.
1)l’important は形容詞に定冠詞がついたもの。形容詞に定冠詞をつけると名詞化し、「大切なこと」の意味になります。
2)c'est pas=ce n'est pas 会話ではしばしば ne が落ちます。
3)訳は「しかし大切なことは、落ちていることではない。どう着地するかだ」

これはマチュー・カソヴィッツの『憎しみ la haine 』の冒頭部分。1995年の作品で、同年のカンヌ映画祭の最優秀監督賞を受賞した。1992年に、18歳のザイール出身の若者がパリの交番で殴り殺されるという事件があり、カソヴィッツが『憎しみ』を撮る強い動機になった。カソヴィッツは同年に起こったアメリカのロス暴動を念頭に置いていて、アメリカでは激しい抗議が起こったが、フランスでは何も起こらなかった。映画でそれを埋め合わせたのだ、と言っている。

50階の高さから落ちているのだから、どう着地しようと助かりようがない。とりあえず「ここまでは大丈夫」と確認するしかないのだ。これがパリの郊外に住む移民の若者の現実だと言いたいのだろうか。

2005年には、警官に追いかけられた郊外の少年が変電所に逃げ込み、感電死した事件をきっかけに、暴動がフランス全土に広がった。サルコジ前大統領(当時はド・ビルパン内閣の内相)は「社会のクズ (racaille)」「ゴロツキ (voyou)」発言も彼らの神経をさかなでた。バンリュー(banlieue、郊外)の若者は、高失業率のままに放置され、ホスト国からよそ者として蔑視され、常に犯罪予備軍として警察の監視下に置かれ続けている。そういう状況下で、方向性のない憎しみを鬱積させる若者をヴァンサン・カッセルは見事に演じた。

関連エントリー「憎しみ」(1)
関連エントリー「憎しみ」(2)
関連エントリー「憎しみ」(3)

フランス暴動----移民法とラップ・フランセ
陣野 俊史
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2012年09月12日

夏休みのフランス語講座A Gackt でフランス語!

使い古しのネタですが、かなり前に扱ったネタなので知らない読者も多いと思うので取り上げてみました。「立山酒造」という富山の日本酒メーカーのローカル CM「人魚のカケラ」です。その CM で Gackt と篠原涼子がシュールなフランス語劇を演じています。語学が堪能なことで知られている Gackt ですが、人魚に扮した篠原涼子に向かって、いつもの感じでフランス語をしゃべっています。舞台はガウディ風のプールのある涼しげな庭。バックに流れるのはラヴェルの「クープランの墓」。今回は発音よりも文法の解説に重きを置きましょう。



Regarde.
Ça te plaît?
Heureuse?
Je dois partir.
Au revoir.

■Regarde.(見て)
Tu regardes.→Regarde.
現在形から主語をとって作る命令形です。-er 動詞の場合、tu の活用では語末の s も落とします。

■Ça te plait?(気に入った?)
不定詞は plaire。A plait à B. という形でよく使われ、A は B を喜ばせる= B は A を気に入るという意味になります( A と B の関係に注意)。te は à を介しているので間接目的語。

■Heureuse? (しあわせ?)
Tu es heureuse? ってことですね。相手が女性なので形容詞は女性形になります。heureux(男性) – heureuse(女性)と変化します。youtube のコメントのやりとりを見ると、フランス人はこれが聴き取りにくいようですね。
―I can't catch this one. The Japanese sub says "Are you happy?"
―Il dit "heureuse" non? C'est ca que j'entends en tout cas.(彼は…って言ってるんじゃないの?私にはそう聞こえるよ)

■Je dois partir.(行かなくちゃ)
dois はdevoir で、動詞の不定詞をつけて用いられます。英語の must にあたります。je dois tu dois il doit nous devons vous devez il doivent と変化します。主語を非人称にして、Il faut partir. とも言えます。

■Au revoir.(さようなら)

難易度★☆☆



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☆おまけの仏検式練習問題T(5級レベル)
意味が通るように単語を並べ替え、真ん中に来る番号を答えましょう。

@Ma soeur ( ) ( ) ( ) ans. 
1)avoir 2)vingt 3)va
ANous avons ( ) ( ) ( ).  
1)chat 2)petit 3)un
B( ) ( ) ( ) cet avion.
1)faut 2)il 3) prendre.
COn ( ) ( ) ( ) restaurant.
1)ce 2)dans 3)entre
DJe ne ( ) ( ) ( ) aujourd’hui.
1)pas 2)peux 3)sortir

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2012年09月08日

夏休みのフランス語講座@ ゴダールでフランス語!

夏休み向けのフランス語講座を始めます。といっても、そんなご大層なものではなく、フランス語をとっている学生さんが夏休みのあいだにフランス語を忘れないように、というレベルのゆるい企画です。最近、大学でも IT を使った語学教材をお金をかけて作っていますが、IT が可能にするものの本質は何よりもブリコラージュにあるわけで、ありあわせのもので手っ取り早く、それもタダで作るというのが基本でしょう。



今回はヌヴェル・ヴァーグ期のオシャレ映画「勝手にしやがれ à bout de souffle 」の予告編を使ってみました。味気ない教科書の例文とは違って、ゴダールの映像と一緒だとスリリングだし、含蓄のある言葉に聞こえるでしょう。まずフランス語に耳を傾けながら、[ ] の部分を聴き取ってみましょう(答はいちばん下にあります)。また全体の読み方を確認し、何度も一緒に発音してみましょう。英語がそのまま使われている単語もあります。それと男性の声のナレーションの部分は省いてあります。

la jolie [    ](可愛い○○)
le vilan [    ](聞き分けのない○○)
le revolver(拳銃)
le gentil [    ](やさしい○○)
la méchante [    ](意地悪な○○) ※[ch]はシュ

la mort(死)
la [    ] américaine(○○なアメリカ女) ※女性形の形容詞が入る
le voleur d’autos(自動車泥棒)
le concerto pour clarinette(クラリネットのための協奏曲)
la police(警官)

la pin-up(ピンナップガール)
le romancier(小説家)
la boniche(女中)
Humphrey Bogart(ハンフリー・ボガート、アメリカの俳優)
Marseille(マルセイユ)
mon [    ] Gaby(私の○○のガビー)
Picasso(ピカソ)
le photographe [     ](○○人の写真家)
les anarchistes(アナーキスト) ※冠詞とリエゾン
le magnetophone(テープレコーダー) ※[gn]はニュ

la tendresse(優しさ)
l’aventure(冒険)
le mansonge(嘘)
l’amour(愛)
les Champs-Elysées(シャンゼリゼ)
la peur(恐怖)

le diable au corps(「肉体の悪魔」映画&小説のタイトル)
du rififi chez les hommes(「男の争い」映画のタイトル)
et Dieu créa la femme(「素直な悪女」バルドーが出ててるイタリア映画)
scarface(「スカルフェイス」映画のタイトル)
à bout de souffle(「勝手にしやがれ」

難易度★☆☆


□答)fille, garçon, monsieur, femme, petite, ami, italien



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2011年03月03日

レストランとは何か

初級フランス語を教えるときに、誰でも知っているフランス語の好例として、僕はよく「レストランrestaurant」を引き合いに出す。この単語がいいのは、フランス語の発音に欠かせない規則が三つも含まれていることだ。
1)r は、英語のように舌を巻くのではなく、喉をうがいするときのように鳴らしてください。
2)an は「鼻母音」です。口を閉じてしまわずに鼻から音を抜いてください。
3)語末の子音字tは発音しません。
さあ、これでみなさんもフランスのレストランに入れますね。というような口上をつけて、学生の興味を惹こうと努力するわけである。

CIMG5086.JPG

というわけで、誰でも知っていて、かつ発音も決して簡単ではない「レストラン」だが、この言葉の意味も、よく考えてみると、なかなか興味深い。これは restaurer という動詞の現在分詞形で、本義は「元の状態に戻すこと」。たとえば、明治維新は Restauration du Meiji と訳されるのが普通だ。これは「維新」という言葉にはそぐわないように思われるかもしれないが、「大政奉還」、すなわち「まつりごとをおおもと(天皇)に還す」という意味をうまく訳している。ちなみに19世紀前半のブルボン王朝の王政復古も Restauration と言う。一方、小文字で始まる普通名詞の restauration は「修復」という意味で日常的に用いられるが、restauration rapide といえば、「早い修復作業」ではなく、「ファストフード」のことである。

つまり、レストランには、空腹で活力を失った身体にエネルギーを補填して元の状態に戻す、というニュアンスがあるわけだ。逆に言えば、ガソリンのように「満タン」の状態が「基本状態」と見なされている、とも言える。フランス料理辞典によると、「1765年頃、パリのブーランジェという料理人が、自分の店のスープを『元気を回復させる』という意味でレストランと名づけ、『素敵なレストランを売ります』と看板に書いたこと」が、レストランの語源だという。ホッチキスやキャタピラーみたいに、商標名が一般化したものだったのだ。

CIMG5060.JPG

ミシュランの旅行ガイドには、où se restaurer ? という項目がある。「お薦めレストラン」ということだが、直訳すれば「どこで自分自身を立て直すか」という風になるだろう。これをあえて拡大解釈すれば、フランス人は空腹で倒れそうになるまで食事をしない、ということかもしれない。大量のサラダやスープの後に、肉とポテトを平らげ、チーズでワインの残りを流し込み、クリームのたっぷり詰まったデザートを食べる人たちを見ていると、レストランというのは、美食のためではなく、まずは空腹を徹底的に駆逐する場なのだ、と思わずにはいられない。空腹が満たされるという前提があったうえで、それをいかに愉しく満たすか、という付加価値が成立する。

これを日本の誇る懐石料理、つまり「懐に温かい石を入れた程度に空腹を和らげる料理」と比較したとき、そのコンセプトの違いの対称性に、思わずため息が出てしまう。禅宗を背景にもつ禁欲的な茶席の食事は、そもそも自分自身を立て直すためではなく、自分を忘れるためにある。自分を取り戻すどころか、「自我の放下」が問題であり、茶席という「場」における一期一会の流れに身を委ねるのが、茶の道である。満たされるべき自分を忘れたとき、わずかな舌先の味が場全体と呼応し、自己の輪郭が場の全体へ溶け出すような境地が訪れる。そこには、デカルト的な個人を規定する自意識と、日本の武道にも通じる無我の境地が鮮やかに対比されている…。

CIMG5062.JPG

などというのは、大袈裟な文明論のパロディーでしかない。なぜこんなことを思いついたかというと、フランスに仕事で1ヶ月ほど滞在して、3キロ近く肥ってしまったからだ。「元の状態に戻る」どころか、過剰を抱えて帰国した。その理由は、明らかにレストランにある。自炊設備の貧弱なレジデンスにいたものだから、結局は外食に頼らざるを得なかった。フランス料理ばかり食べていたわけではないが、と言い訳しても仕方ない。この秋はせいぜい運動に励むことにしよう。と決意したところに、フランスから郵送したジャムや菓子類の箱が届いた。レストランから離れても、煩悩の秋は去りそうにない。

□写真は上から「鴨の砂肝のサラダ」「鴨のコンフィのチーズ漬け・フォアグラ添え」「プロフィットロール」



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2009年09月30日

外国語と数(2)

イントロ

今回のテーマは「数詞」についてです。ことばは現実世界を切りとる「色眼鏡」であるといわれますが、「数詞」を眺めてみるとこのことを目に見えやすいかたちでうかがい知ることができます。数そのものは人類普遍の共通概念であるものの(1はひたすら1でしかないという意味で)、その具体的な表記法は言語ごとに異なっており、しかもなかなかユニークなものもたくさんあります。こうした違いを眺めてみると、ある言語がどのように数をとらえ、どのように現実世界に反映させているかがよくわかります。
 
前置きはこれくらいにして、では具体的にみていきましょう。

足したり引いたりかけたり

数年前、東京都の石原知事が「フランス語は数も数えられないことばだ」といった旨の発言をして物議を醸したことがありました。常識的に考えてみただけで、世界有数の先進国の言語が数を数えられない仕組みになっていることなどありえないので(むしろ数を数えられないのにTGVを作ったのだとしたら、「フランス国民=超能力集団」になるんとちゃうか…)、発言にたいしてまともに取りあう必要はないと思いますが、日本人からみるとなかなかユニークな数の数え方をするのはたしかです。

10 :dix / 20 :vingt / 30 :trente / 40 :quarante / 50 :cinquante / 60 :soixante

ここまではいいとして、

70 : soixante-dix(60+10) / 80 :quatre-vingts(4×20) / 90 : quatre-vingt-dix(4×20+10)

と、70から99までは1から60までの数字を組み合わせて表現します。今年はじめてフランス語を履修した大学一年生のひとたちはまだ70以上の大きな数字を習っていないかもしれませんが、フランス語はこのようなちょっとびっくりする数のとらえかたをします。

ただこれはなにもフランス語だけの現象ではなく(くわしくはこちらhttp://www.sf.airnet.ne.jp/~ts/language/numberj.htmlのページをご覧になってください)世界の言語を見渡してみるといろんな表現法があるのがわかります。

たとえば
*バスク語
→「2×20+10」で「50 (berrogei ta hamar)」

*デンマーク語
→「2,5×20」で「50( halvtreds)」、「3,5×20」で「70 (halvfjerds)」

*ブルトン語
→「0,5×100」で「50 (hanter kant)」

*アイヌ語
→「(-10)+3×20」で「50ワンペ・エレ・ホッネプ」

とおなじ「50」にしてもこれだけ数のとらえかたに違いがあるのですね。

また勘のいいひとは気がついたでしょうが、「20」という数がところどころに登場しています。これはどうも世界各地の言語でみられる事例で、モノを数えるとき「20」がキーナンバー、つまり「20」を足したり引いたりかけたりして、いろんな数を表す言語がたくさんあります。

その理由ですが、説明としてつかわれるのは、人間の手足の指が全部で20本になるので、これがキーナンバーになったという説(全部の言語をしらみつぶしで調査した研究成果があるわけではないので、もちろん断定はできませんが)。昔のひとびとは、筆記用具や電卓を持ち歩きませんから、おそらくモノを数えるときなどに指をつかい、そのため「20」が身体感覚をともなったひとまとまりの数になったという考え方です。たとえば「40」という数字なら「人間2人分の指」といったところでしょうか。

そしてその歴史はともかくとして、興味深いのはある一定の数のまとまりを、自分たちの都合のいいようにまとめあげているという点です。考えようによってはこうした数の分析的な表現には便利な側面があります。具体的にいうと、ある程度大きな数のイメージをつかむときに使い勝手がいいという点です。たとえば、目の前に100人くらいの人間がいたとして、これを一見して(一括して)すぐにその数を把握するのはむつかしいと思います。しかし、20人くらいならすぐに選別できますし、これを基準にしてポンポンポンと20きざみで計算すればけっこう手軽に100人前後という数字をはじきだせると思います。また、100人の人間をいま頭に思い浮かべろといわれてもなかなかイメージが湧きませんが、だいたい野球チーム10個分くらいといわれると、ぼくはなんだかリアルさをともなってその数をイメージできます。

実際、フランス語では正規の表現とはべつに「20 (vingt)」を倍数の単位としてつかう用法がありますし、その他、フランス語で「1100 (mille cent)」のかわりに「onze cents(11×100)」といういい方を許容していますが、これは英語でも「one thousand one hundred」のかわりに「eleven hundred」といえますし、こうしてみてくると日本語のように数の概念と表現が一対一対応のように張り付いてしまっているのは、どこか窮屈というか面白みにかけてくるような気がするなぁ…。

うちには一頭の子どもがいます

話はそれますが…。中国語との関連は無視できないものの日本語と数といえば、モノの数え方に特徴があります。

→うどん一玉、本一冊、車一台、紙一枚、新聞一部、靴一足、箪笥一棹、花一輪、花弁一片、騎馬一騎、飛行機一機、船一艘、雫一滴、家一軒、拳銃一丁、詩一編、地球一個、砂一粒…。

数えあげればきりがないものの、発音に注意していくつかピックアップすると、

→「ひと玉」「いっ冊」「いち台」

そもそも「一」の発音自体が一定していない。こんなややこしい言語をぼくもいつの間に覚えたのやら…。






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2009年04月21日

単数と複数

ニホンジンにとって単数複数の概念自体はなくもないけど、これが文法的に重要な価値をもっているかといえば、それは希薄だといえるでしょう。たとえば「わたしは犬が好きです」という表現を英&仏語に変換すると

・I like dogs(英&米語)
・J’aime les chiens(仏語)

日語では犬は単数であるか複数であるかは、ほとんど重要な価値をもちません。「犬が好き」といえば「犬」が好きだということで、それだけのことです。ところが、ニホンジンからみれば、なんでこんなもんがついとるのかと不思議になってしまいますが、英&仏語ではわざわざ複数形をあらわすsがついている。これ、なんぞや?
 
どうも欧米人というのは、とある事物・名詞にたいして特定化、不特定化、ひとつか、それ以上か、という概念整理を暗黙裡におこなっているようです。つまり、日語の「犬が好き」という表現は、「犬」を一個の「集合」概念としてとらえて、ある意味では「犬という動物種が好き」といった感じになっているように思います。ところがI like dogs&J’aime les chiensというとき、犬をいったん複数化することによって1匹2匹3匹…n匹と具体的なイメージを与え、そしてこれらの「集合」としてのdogs& chiensを想起しているようです。強引に日語化すると「あの犬もこの犬も、犬はみんな好き」といった感じなんだろうか。

ちなみに、すくなくともフランス語では定冠詞がつくので、以上のような「複数の犬集合」という考え方でいいんだろうと思います。ただ英語では無冠詞になるのは、なんでなんだろうか。そもそもtheはthatに由来するそうですが、I like the dogsとなると限定的側面が強すぎて、たとえば「(だれかの飼っている)あの数匹の犬が好き」って感じになるのかな。

また、みなさんはポーランドのザメンホフが開発したエスペラント語というのをご存知でしょうか。ヨーロッパの言語を参照しつつ、人称による動詞活用や名詞の性など、文法的にややこしいものをとっぱらった、だれでも手軽に学べる人工言語のことですが、これにも名詞の単数と複数の区別はあるそうです。ザメンホフが、日本語には文法的にこの区別がないと知ったら、いったいどうしただろうか。

さらに、ぼくの高校時代、英語の先生が不可算名詞の説明するときに「チーズは数えられないでしょ。たとえば犬は1匹2匹と数えられるけど、チーズはそうじゃないですよね。だから不可算になる。だから不定冠詞のaや複数形のsがつかないんだ」みたいなニュアンスで教えてくれましたが、ぼくはかなり不信感をもちました。製品一個一個としては数えられるし、そもそも実際上チーズは一個に固まって存在しているのではなく、大なり小なりそれこそ食べこぼしのゴミくずのようになったチーズでさえ、やる気があるなら数えられるはずなのになぁと。その後、チーズというかcheeseは一個のまとまった製品などを考慮に入れれば可算名詞となり、たとえばI bought two cheesesといえることを知り、自分の考えはどうも間違ってなさそうだと推論。さらにその後、名詞の可算と不可算は客観的事実というより、話者(≒言語体系)の心象に依存するというという説明をみて、目から鱗がぽろぽろ落ちるように納得。つまるところ、英米人が「I love cheese.」というときの「cheese」は、日本語でいう「わたしはチーズが好き」というときに日本人のとらえる「チーズ」の数の数え方とおなじような心的状況をもっているのかなぁと。





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2009年04月17日

外国語と数(1)

ある本でこんなエピソードが紹介されていました。留学先のアメリカで、周囲から秀才として一目置かれている中国人数学者(もちろん英語も堪能)が友人たちを前にして「じつは、計算をするときは中国語で考えないとうまくいかないんだ」と告白したそうです。計算というのは足し算引き算程度でもけっこう脳をつかうので、そのぶんある程度外国語に堪能であっても、「母国語」でもって計算処理をしてしまいがちなのだとか。当サイトを訪れる方のなかには、外国語に堪能な方もおおくおられると思いますが、みなさんはどうでしょうか?

さて、きょうから数回にわたって「外国語と数」というテーマで、日本語と外国語の「数」のとらえかたの違いを紹介したいと思います。ぼくもフランス語や英語を勉強してきて、国&言語によって「数」のとらえかたが全然違うもんだなぁと感じてきましたが――いい替えれば、いろんな現実世界の分類法があるんだなぁ、と――これからこういったエピソードを紹介していきたいと思います。

* 建物の階数
日本人にとって2階建ての建物というは…、当たり前ながら2階建ての建物のことですが、これが英&仏語では、

・the second floor—2番目の階(米語)
・the first floor—1番目の階(英語)
・le premier etage—1番目の階(仏語)

米語は日本語とおなじ。ところが英語&仏語では日&米でいう「2」階を「1」階ととらえている。ぼくは言語学者ではないので語源などの知識で説明できませんが、仏語の場合、Il est a l’etage「彼は2階にいる」という表現があり、さらにetageを仏仏辞典で調べてみると「建物の床と床の間の空間」とあるので、etageという単語は、複数階でもって作られた建物の存在&地面から離れた床と床の間にある空間の存在とを暗示していて、rez-de-chaussee(地上階=車道とおなじ目線の階)から数えてひとつ目の階をしてle premier etageといってるんじゃないかな。etageに関して仏人にとってみれば、どーんと複数階をもつ建物があってこれが地面から離れていくまず「1」番目の空間が「2」階になってるんじゃないかな。

ただ、米語&英語の場合はどうなのかな。floorには「床」って意味があるし、そもそも「建物の床と床の間の空間」というのなら英語ではstoryって単語があり、しかもこれでもたとえば「彼の事務所は2階にある」というのが表せて、で、この場合His office is on the second story… このあたり、いったいどうなっとるのだろうか。

さらに米語で「1階」が「2階」になった変化の経緯をぼくは知りませんが(「アメリカ人」のことだから、ground floorのgroundのような一般名詞を排除して、一番目、二番目…n番目の「床」というように序数詞だけですっきり表せるようにしたんじゃないかなぁ…)、ただ、米語ではこのほかにも「本家英語」の「数」を変えている例があります。

たとえば、billionという語は米語で「10億」そして古英語で「1兆」(米語→million100万×1000倍、英→million100万の2乗)、trillionは米語で「1兆」そして古英語で「100京」(米語→billion10億×1000倍、英→millionの3乗)。計算がうっとうしいのでほとんどの方が読み飛ばしたと思いますが、おもに英系移民の国である米式では、million=100万に「000(つまり1000倍)」をくわえてかたちで、billion&trillionをあらわそうとしました。すくなくともこの処理のほうが現実的です。イギリスでこの米式の意味がつかわれるようになったのは、さほど昔の話ではないらしいのですが、まぁ使い勝手がいいからでしょう。とにかく、よほど特殊なケースでなければ近世、中世において兆や京なんて桁をつかう機会なんかまずなかったと思います。漢字圏の「無量大数」みたいに宗教的言説でつかわれてたんじゃないかな。

いちおう以上を図示化してみると、

(米式)
1,000,000→100万(million)
1,000,000,000→10億(billion)
1,000,000,000,000→1兆(trillion)

(古英式)
1,000,000→100万(million)
1,000,000,000,000→1兆(billion)
1,000,000,000,000,000,000,→100京(trillion)

ところで、仏語でもbillion→1兆。trillion→100京。さらに、辞書で確認してみるとbillionは古くは「10億」だったのだとか…。もうなにがなんだか。

最後となりますが、ヨーロッパの他言語でも、さきにあげた英&仏式で階数を表示するらしく、これってヨーロッパ言語に共通した建物の階数のとらえかたなのかなぁ…。




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