2012年10月11日

フォントの快楽

ヨーロッパの文化的伝統が育んだカリグラフィは、アルファベットを美しく書くアートである。それはコンピュータ文化の中で改めて注目されている。スティーブ・ジョブズが中退したリード大学では、アメリカ国内で最高のカリグラフィ教育を行っていて、彼は中退したあとになって同大学のカリグラフィのクラスにもぐりこみ、それが美しいタイポグラフィを持つ最初のコンピュータの誕生につながったというエピソードは有名である。ジョブズは「あのクラスに出なかったら、Mac に複数のフォントやプロポーショナル・フォントは入らなかった」と発言しているほどだ。

フォントのふしぎ  ブランドのロゴはなぜ高そうに見えるのか?文字情報の多いサイトの場合、フォントが全体の印象を決定するといっても過言ではない。ブログをカスタマイズするときなど、デザインに合ったフォントを的確に選ぶのは難しい。特に素人は頭の中にフォントの選択肢自体がちゃんと定着していないし、それを周囲のデザインと組み合わせるセンスも持ち合わせていない。それを非常に歯がゆく感じることの多いこの頃である。

最近、小林章氏の『フォントのふしぎ』という本を読んだのだが、フォントの美しい写真を眺めているだけでも楽しい。その中で紹介されているフランスのブランドのロゴをいくつか挙げてみよう。ブランディングにおいて、フォントが重要な役割を果たしていることは一目瞭然だ。

Louis Vuitton のロゴは Futura というフォントで組まれているが、特徴は 'O' がほぼ真ん丸なこと。一方で微妙な工夫がされていて、文字と文字のあいだが開いている。

Chrstian Dior のロゴのベースになっているのは Nicolas Cochin で、これは100年前にデザインされ、今もなお最前線で使われる銅版印刷系フォント。18世紀以降、招待状や名刺などの社交界の印刷物は銅版印刷で行われていたが、そのフォントは銅版印刷の様式文字に起源を持つ。老舗の紅茶屋 Mariage Frères のティバッグのお茶の名前の表示に使われる Copperplate Gothic も同じ伝統に属している。Copperplate はまさに銅版のことだ。

metier01.JPG

パリの初期のメトロの有名な看板は、アール・ヌーヴォーの建築家、エクトール・ギマールがフォントまで考案したものだ。現在のメトロのプラットホームの大きな駅名の表示は Parisine で、ジャンフランソワ・ポルシェのデザインによるもの。しかし全部がこれで統一されているわけではなく、昔からの手作り風のものも残っている(写真はプラットホームが銅板で覆われた ARTS ET METIERS 駅)。

ルーブル美術館のショップで見かける案内表示は Optima Nova Titling というフォントによるもの。小林章氏と、フォントデザインとカリグラフィー界の巨匠、ヘルマン・ツァップ氏のコラボなんだそうだ。

一方、ツィッターで 「フォントの歴史を考えて選んだと言うのはシロウトを説得するのに最も有効です。フォントの歴史はうんちく以上ではなく、このデザインにはこのフォントという定形思考こそクリエイティブの墓場です」というご意見を、あるグラフィックデザイナーの方からいただいたことがある。このクリエイティビティの原理はどの分野でも言えることなのだろう。

ちょうど『クーリエ・ジャポン』の7月号「北欧特集」にデンマークのコペンハーゲンに拠点を構えるブランディング・デザイン会社、e-Types のことが記事になっていた。宝飾ブランドのジョージ・ジェンセンやビール会社のカールスバーグなど、北欧の一流企業をクライアントに持つ。とりわけデザインのなかでもタイポグラフィにこだわる。やはりフォントはブランディング・デザインの要になるのだという。e-Types はフォントへのこだわりが高じて、世界初のフォントとフォントデザインの雑貨専門店 ”the Playtype shop” まで設立している。

https://www.e-types.com/
https://playtype.com/index.php?q=store

こんな本も見つけました↓↓これも眺めて楽しい、刺激的な本!

タイポグラフィマニアックス

グラフィック社
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2010年11月27日

村上隆のヴェルサイユ展

18世紀の巨匠ダヴィッドの絵画を背景に小さな王冠を載せたかわいいポップな王様のフィギュアがたたずむ。この光景を許せない人々がフランスには存在する。現代アートで最も値のつくスターのひとり、村上隆の作品が9月14日から12月12日までヴェルサイユ宮殿で展示されることが公表されたとき、「ベルサイユ、モナムール Versailles mon amour 」と「マンガにノン Non aux mangas 」というふたつの保守系の団体がそれに真っ向から反対した。マンガやアニメにインスピレーションを受けた、村上の22点のフィギュアと絵画が―そのうちの11点はこの美術展のために特別に製作された―宮殿の大居室群、鏡の間、そして庭園に展示される。反対者たちは2008年のアメリカ人作家、ジェフ・クーン Jeff Koons の宮殿での展示に反対したメンバーと同じで、彼らはクーンの作品の展示を禁ずることを求めたが、ヴェルサイユの裁判所と国務院 Conseil d'Etat に却下された。しかし2009年のグザヴィエ・ヴェラン Xavier Veilhan ときには彼らは動かなかった。彼がフランス人だったからだろうか。ヴェルサイユ宮殿の館長、ジャン=ジャック・アヤゴンは「彼らは単に外国人が嫌いなだけだ」と切り捨てる。

murakami01.JPG

「ヴェルサイユ、モナムール」は3000人分の署名の入った手紙をアヤゴン館長とフレデリック・ミッテラン文化相に送り、デモも行う予定だ。スポークスマンは「ヴェルサイユの館長は、金を儲けたいなら村上の作品をオランジュリー美術館に展示すればいい。スペースがたくさんあるのだから。王家の居室に展示する必要はない」。また村上のセックスを暗示するいくつかの作品を槍玉に挙げる。今回は展示されないが、例えば射精している少年のフィギュア「ロンサム・カウボーイ」という作品だ。それもアヤゴン館長は極右の典型的な性の妄想だと退ける。

murakami02.JPG

「マンガにノン」はフランス作家国民連合のアルノー=アーロン・ユパンスキ Arnaud-Aaron Upinsky が中心になって結成されたが、ルイ14世の子孫であるシクスト=アンリ・ブルボン=パルム公 prince Sixte-Henri de Bourbon-Parme の支持を受けている。村上隆は何か大変な人たちを敵に回している感じだが、彼らには保守らしい言い分もある。「私たちは文化的な遺産を外国人の利益のために使うべきではない。フランスには4万人の恵まれないアーティストたちがいる。それなのに、宮殿はニューヨークの公認アートのプロモートをしている」とユパンスキは告発する。「ニューヨーク、今度は日本の村上だって?」

彼らはかつてのヴェルサイユの城主のことも気にかけている。「ヴェルサイユの傑作はルイ14世が理解できるものでなくてはならない。宮殿を村上の引き立て役のように使うことはルイ14世に対する冒涜だ」と反発する。これに対してアヤゴン館長は France 2 のインタビューで次のように反論していた。「ルイ14世は彼の時代のすべての革新と創造を見てきて、欧州全体で起こっていたこと全てを知りたがっていました。だから私はルイ14世が村上氏の作品により的確に心を動かされると思います。なぜならこれらのアプローチは何よりも適切で楽しいものだからです」

しかし興味深いことにアヤゴン館長は次の現代アート展を大居室群で行わないことを告知した。「小さな勝利」を歓迎する反対者たちをよそに館長はそっけなく答える。「私は彼らを喜ばせようとしているわけではありません。マンネリを避けるために宮殿のオペラ座のような別の場所が考えられるでしょう」。論争を避けるためじゃなくて?

この記事は下記の記事を参照した




スーパーフラット芸術起業論


ガーディアン(英)に掲載された美術展の様子(写真がキレイ)

村上隆、フランスのラジオ、France Cuture に出演
★なぜかメアリー・ノートンも出演していて村上を絶賛していた。「私は何より彼のサイケデリックなところが好きで、特にキノコのイメージが大好き」。それに対して村上氏は「自分はドラックをやらないけど、ドラッグがもたらしたサイケデリック・アートは大好き」と。フランス人のインタビュアが村上氏に「今回の作品は、あの日本のカルト漫画『ベルサイユのばら』の幻想や記憶に呼応したものなのですか?」と聞いていた。フランスで「ベルばら」は「レディ・オスカル」というアニメによって知られているようだ。
★興味深かったのは「私はヨーロッパのアーティストたちとアイデンティティの在り処が違う」という発言。彼の場合、クライアントの依頼が最初にあり、それにいかに答えるか、いかにそれを超えるものを出していくかが問題なのだと。また村上氏のチームは100人くらいいて、彼らのコミュニケーションをとりながら作品を作ると。「芸術企業家」ならではの発想だ。また竹熊健太郎氏のツィート「今回のベルサイユ宮殿での村上アートに対する反発は、オタクの村上批判と真逆の立場からの反発だが、構造がまるで同じなのが興味深い。オタクはアートだから村上隆に反発し、フランス右翼はアートではないから反発している」も印象的だった。





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2010年03月13日

ビート北野武が仏芸術文化勲章の最高章コマンドゥールを授与



★ビート北野武が仏芸術文化勲章の最高章コマンドゥールを授与された。動画はカルティエ財団での北野展を紹介した短いフィルム。カルティエ財団のサイトには北野武からの短いメッセージも。彼の映画もそうだけど、徹底したジャポニスムっていうか、フランス人が喜びそうなツボを突いてますね。

Kitano "Gosse de peintre" à la Fondation Cartier
kitano Takeshi - Fondation Cartier(Diaporama.mov)
Takeshi Kitano, l'iconoclaste(au Centre Georges Pompidou)

北野武監督に仏芸術文化勲章
kitanocartier01.jpg■フランス文化省は9日、映画監督でタレントの北野武さん(63)に、ミッテラン文化相が芸術文化勲章の最高章コマンドゥールを授与すると発表した。北野監督は映画「HANA−BI」で1997年にベネチア映画祭金獅子賞を受賞。フランスではパリのポンピドー芸術文化センターで今月11日から3カ月にわたり「反逆児、北野武」と題した同監督の全作品上映会が開かれる。 
(3月9日、時事通信)
北野武監督、仏芸術文化勲章の最高章コマンドゥールを授与
■北野武監督がフランスの芸術文化勲章の最高章コマンドゥールをフランス文化省のミッテラン文化相からから授与された。授賞式はパリのカルティエ現代美術財団で行われ、この美術館では、北野監督の描いた絵画約50点のほか、オブジェなども展示される。またポンピドゥー芸術文化センターでは11日から3か月にわたって北野武監督の映画が連続上映が行われるほか、フランスでは北野監督が監督主演を務めた『アキレスと亀』も上映されるなどして、ちょっとした北野ブームが起きている。
■ミッテラン文化相からから同章を授与された北野監督は「まさか、大臣から表彰をいただくとは思わなかった。イリュージョンといえばイリュージョン、夢のよう」と感激を表し、「この賞に値するよう努力する」と謙虚な言葉を述べた。
■フランスの芸術文化勲章はフランス国内や世界で文化活動に大きく貢献した人物に授与されるもので、等級には、シュヴァリエ、オフィシエ、コマンドゥールがあり、今回北野監督が授与されたコマンドゥールは最高章。コマンドゥールは日本では過去に、シャンソン歌手の石井好子が授与されており、 オフィシエは音楽家の坂本龍一にも授与されている。
(3月10日、シネマトゥデイ)





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2009年01月10日

パリの Cabinet des Curiosités その消失と再生

2008年2月。パリ。ブティックや花・雑貨を扱う上品な店が立ち並ぶバック通りで、電気系統の故障による失火により、一軒の店が焼け落ちました。19世紀から続く老舗を襲った災難のニュースを聞きつけ、多くの人が焼け跡を訪れましたが、火事見舞いの人々に混じって、一風変わった顔ぶれがいました。現代美術のアンセルム・キーファー、ミゲル・バルセロ、ホアン・ヨン・ピン。写真家のナン・ゴールディン、ソフィー・コール。一体何がこのそうそうたるメンバーを火事の現場に引き寄せたのでしょう。それは、店が扱う「商品」のせいでした。
  
Deyrolle.jpgその店、デロール Deyrolle は、世界最大の剥製・標本専門店。昆虫学者として有名だったデロール氏が剥製の製作・販売する店をオープンしたのは1831年。象のような大型動物の剥製を作り高い技術で名を成す一方、教育用の動植物の精緻な図版(理科室によく飾ってある例のポスターですね)や理科の実験用具の製作・販売でも財をなしました。自然の素晴らしさを世に伝えたいという創業者の精神から、お子様を始め一見の客も歓迎する姿勢を貫き、自然科学愛好家だけでなくクリエイターのインスピレーションをくすぐる、みんなの Cabinet des Curiosités として長年愛されてきました。

2000年12月にフランスの名門貴族の一員で、ガーデニング愛好家としても有名なルイ・アルベール・ド・ブロジー公(自邸で栽培する600種を超えるトマトについての著作もあり)がオーナーになってからは、デロールはよい意味で変わりました。まず大胆に手が加えられたのが店の内装。重厚な木のキャビネットを設置、創業当時のインテリアが再現されました。らしからぬ瀟洒な室内に剥製や標本が並べられた光景は、商店というより個人の密かな楽しみの部屋に迷い込んだような演出効果を生みました。商売柄、互いに相容れない関係にある自然保護運動にも歩み寄ったのも変化の一つ。希少動物保護を目的とするワシントン条約の遵守はもちろん、剥製にする生物の死亡状況に問題がないか確認するなど、剥製につきまとう「アンチ自然保護」のイメージ払拭のために、地道な取り組みが行われました。また、ショーウインドウのデコレーションに剥製を貸し出すなどのレンタルするなど、新しいビジネスの模索も始まっていました。現代と共存する剥製商を目指し努力が重ねられていた、そんな矢先に、悲劇は起こったのです。
 
剥製の製作用に可燃性の薬品を扱っていたことも災いし、火は内装の90パーセントを焼き尽くしました。焼失を免れた標本や剥製は、軍の協力を得て軍の倉庫に一時保管されることになりましたが、焼け残った剥製を運び出す作業は、ちょっとした見物となりました。古き良き時代の面影を残す街路に面した焼け跡から、エスニックそのものな野生動物の剥製がパリ石畳の街路をしずしずと運びだされる光景は、「ノアの箱船」めいた風変わりなページェント。芸術家にとって、目撃せずにはおられない、刺激的なスペクタルだったのです。
 
パリの隠れ名所を襲った悲劇は世界中に伝えられ、再建のために各方面から手が差し伸べられました。フランス政府はもちろんのこと、エルメスは限定版のスカーフを売り出し、売り上げをデロールのために寄付するプロジェクトを始めました。また、クリスティーは、再建資金集めのためこの11月に特別オークションを行うことを決定。デロールからインスピレーションを得てきたアーティストが作品を提供するそうです。
 
deyrolle1.jpgデロールの魅力は、博物館の学術的展示とは縁のない、無茶な展示方法にあります。淡いエメラルドグリーンや赤に塗られた壁の室内、古めかしい木製キャビネットの中と、いたるところに実に無造作に並べられた、大小さまざまな元生き物達。大きな熊の前に愛らしい子羊達がちょこんと座っていたり、ホッキョクグマの横にニワトリがいたり。ライオンの横で、トラが飛びかかる寸前の状態でフリーズしていたり。まさに、シュールレアリストの夢そのもの。住む場所も生態も全く異なる元生物が、上品な居間を思わせる室内で、今にも動き出しそうな様子でごっちゃに共存しているこの不思議は、デロールでしか味わえないものといえるでしょう。剥製・標本を一緒に商うため必然的にこういう空間が生まれたのかもしれませんが、学問や自然保護の視点から解き放たれ、生き物のフォルムの見事さや美しさを素直に楽しみ、自然界ではありえない取り合わせの妙とむき出しのエキゾティズムを愛でることを許される場所は、ここにしかないのではないでしょうか。人が抱く、美しいもの、愛らしいものへのピュアな愛情と静かな情熱が、ネガティブな要素を全て排除し静かに形になったもの、それがデロールの部屋なのかもしれません。
 
完全復旧したとはいえませんが、既に店の一部は営業を始めています。機会があれば、立ち寄られては?


□「Vanity Fair 2008年9月号」を参照。

デロールのウェブサイト:店内の美麗な写真が満載。わくわくすること間違いなし。エルメスのチャリティ・スカーフもチェックできます。

□デロールを紹介した本としては、「月刊たくさんのふしぎ 2003年12月号好奇心の部屋 デロール」(今森光彦著、福音館書店刊)がおすすめ。自然科学系写真家の視点で捉えたデロールの魅力が、多数の図版とともに紹介されています。品切れのようですので、図書館でご覧ください。





GOYAAKOD

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2008年08月26日

森山大道,圧倒的な速度

犬の記憶 (河出文庫)東京都写真美術館において,5月13日(火)より大規模な森山大道展が開催される.
展示は2部構成となっており3階展示室では1965年から2005年まで,40年間の撮影活動を総括するレトロスペクティブが,2階展示室では2004年より撮影が開始され,昨年ようやく出版された「ハワイ」からの作品が展示される.

森山大道がそのエッセイで自らを示す際,しばし停滞したイメージを付与する.
例えば「犬の記憶 終章」の巻頭「パリ」で次のように語る.

「ぼくは東京に居ても普段,べつに映画館に入ることもなく,芝居や演劇を観にいくこともなく,コンサートなどを聴きにいくこともなく,評判の展覧会を観ることもないといった風で,およそそうしたことに関心がない.
こんな感じは,パリに居ても変わることがなく,見物らしきことや鑑賞らしきことなどなにひとつしなかった.
それはぼくにしても,ルーブルのごく一部とオルセーぐらい覗いたことはあるけれど,まあどうってこともなかった.
(…)
では毎日何をしていたのかといえば,結局街なかをふらふらとあてどなく歩いて街角にカメラを向けているか,どこかのカフェでぼんやりと煙草を吹かしているか,さもなくば駅へ遊びにいっていた.
(…)
いくつかの駅は,ヨーロッパ各国からの国際列車が到着するので,さまざまな国から来た乗客たちが駅にひしめく.
ごったがえすコンコースやプラットホームの人群れのさなかに,ぼくもそっとまぎれこんでみる.
スナップ撮影をするときもあるが,ただなんとなく一緒に歩いているだけのことが多かった」

それにしても,ここで描かれている滞留感とその作品が内包する圧倒的な速度との対比には,ただただ驚かされる.
写真とは,1/60秒であれ1/4000秒であれ,刻々と流れていく時間をフィルム上に静止させることによって成立するが,森山大道の作品を前にしたとき人が感じるのは,その作品が含む疾走感ではないだろうか.

写真よさようなら1972年に出版された中平卓馬との「写真よさようなら」など30年以上経過した今日でも圧巻だが,90年代,特にヒステリック・グラマーからの写真集を契機に表舞台へ復帰した後の作品でも速度は全く落ちていない.

年齢を重ねても鋭利であり続けるその創作は,まるでゴダールの映画のようだ.

大阪では,梅田 HEP FIVE 8F HEP HALL にて,5月16日(金)より「凶区」展開催.

□森山大道 HP
http://www.moriyamadaido.com/top.html
□写真美術館インタヴュー
http://www.syabi.com/topics/t_daido.html
□写真美術館詳細
http://www.syabi.com/details/daido.html

*エントリーの初出は2008年4月30日(main blog)。写真展は6月29日に終了。





キャベツ頭の男

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2007年09月05日

新しいゴシック(2) マリリン・マンソンとバウハウス

アンチクライスト・スーパースター「もともと70年代のパンクロックから派生したゴシックは80年代後半のヨーロッパやアメリカで一種のサブカルチャーに発展」と Wikipedia にあったが、「死体や吸血鬼を思わせる白塗りの化粧を施した欧米人風の彫りの深い顔立ちに、目の周囲に黒く濃いアイシャドーを塗」ったマリリン・マンソン Marilyn Manson が、アメリカのゴシック文化の代表のようだ。

マリリン・マンソンと言えば、1999年に起こったコロンバイン高校銃乱射事件の際、犯人が愛聴していた悪しき音楽として槍玉にあがり、「おまえが事件の根本原因だ」と言わんばかりの激しいバッシングを受けた。次々と異形のイメージを繰り出すヴィジュアルは決して一般受けしないだろうし、格好のスケープゴートになるのもよくわかる。しかし、ヴィジュアル自体を評価すれば、良く作りこまれていて、洗練度も高い。同じくらい面白かったのが、「ボーリング・フォー・コロンバイン」(事件を題材にしたドキュメンタリー映画)でマイケル・ムーアのインタビューに答えるマリリン・マンソンの発言だった。

「なぜオレが攻撃されるのかわかるよ。オレを犯人すれば簡単だからだ。つまりオレは恐怖のシンボルってことさ。皆が恐れるものの象徴なんだ」

そして、コロンバイン高校の事件が起こった同じ日に、米軍がコソボで最大の爆撃を行ったことを「全くの皮肉だ」と指摘し、それなのに「大統領のせいで事件が起きたとは誰も言わない。メディアの望む恐怖の生産法と違うからだ」と言う。つまり、アメリカ人は恐怖を向ける方向をメディアによって誘導され(それは銃を向けるべき日常的な敵である)、アメリカ政府が対外的にやっている恐ろしい行為に全く関心が向かないのである。

マリリン・マンソンのような非合理なイメージを徹底的に引き受ける人間には、一見合理的に動いているように見える社会の虚偽や欺瞞が透けて見えるのだろう。非合理なものを突き詰め、突き抜けていく先にしか、みんなが疑念も抱かずにドップリと浸かっている見せかけの合理性を批判できる場所はない。これが現代のゴシックの構えのひとつなのだろう。

マリリン・マンソンのゴシックなクリップを選んでみた。ハロウィンなんてそのままだ。ユーリズミックスのカバーもしているが、こういう解釈を通してみると、元の歌詞も別の味わいを帯びて聞える。

Marilyn Manson - Sweet Dream

クラックル:ベスト・オブ・バウハウスそして、ゴシックを語る際に避けて通れないのが、80年代前半の英国。そしてバウハウスBAUHAUSだ。バウハウスといっても、ドイツの建築&美術学校ではなく、イギリスのゴシック・バンドのことだ。本当にかっこよかった。サウンド的にも、ヴィジュアル的にも80年代のベストバンドのひとつだ。70年代のグラム・ロックの流れを汲み(Ziggy Stardust とTelegram Sam のカバーあり)、Luna Sea や Back-Tick など、日本のビジュアル系の代表的なバンドにも多大な影響を与えたバンドだ。

バウハウスのクリップ集、「シャドウ・オブ・ライト Shadow Of Light 」(ArchiveとカップリングでDVDが出ている)は必見だ。タイトルが示すように陰影の美学に基づいたシアトリカルなライブ・パフォーマンスが堪能できる。曲のタイトルにもゴシックな香りが匂い立つ。Rosegarden Funeral Of Sores とか、St Vitus Dance とか、Spirits とか(そういえば、Antonin Artaud って曲もある)。極めつけは、Bela Lugosi's Dead。ライブシーンではドラキュラのような風貌のピーター・マーフィー(Vocal)が、棺を覗き込んでいるようなナルシスティックな立ち振る舞いを見せる。

ベラ・ルゴシ(Bela Lugosi, 1882-1956)とは、ハンガリー出身の俳優で、ドラキュラ役で名高い怪奇映画の大スターだ。ニューヨークで人気を博した舞台をトッド・ブラウニング監督が映画化した『魔人ドラキュラ』(1931年)に主演した。この映画で彼は「黒いスーツに黒マント」という典型的ドラキュラ像と、トランシルヴァニア出身のドラキュラ俳優という強烈なイメージを人々に強烈に植え付け、伝説的なゴシック・アイドルとなった。

Bauhaus - Bela Lugosi's Dead
Bauhaus - In The Flat Field
Bauhaus - Spirits


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2007年09月01日

新しいゴシック(1) ゴシック建築からゴスロリまで

7月にパリで行われた「JAPAN EXPO(ジャパンエキスポ)2007」で、ラフォーレ原宿が大規模なファッションショーを行い、「HARAJUKU」発の東京ファッションを披露した。ラフォーレ原宿が打ち出したのは、フリルやレース、リボンで飾った「ロリータ」や、黒ずくめの「ゴシック」スタイルなど、「原宿発祥」とされる独特なファッション。これが今、日本が世界に向けて売り出しているスタイルだ。とりわけ、ゴシックとロリータの組み合わせは「ゴスロリ」と呼ばれている。

黒ずくめのゴシック専門のブティックはパリにもあるらしいが、今年の2月に、日本発のロリータ専門店、Baby, the stars shine bright がバスチーユにお目見えした。こちらはゴスロリというよりは、「甘ロリ」。「カミカゼ・ガール」(=深キョン&土屋アンナの「下妻物語」、映画の中でこのブランドが紹介された)のような格好をしたくない?と、アニメ・マンガ、J-POPやビジュアル系に夢中のパリジェンヌたちを誘惑している。思い起こせば、パリはロリータが初めて様式化されたフレンチ・ロリータ発祥の地だ。しかし、日本のロリータはナボコフの「ロリータ」のイメージはなく、むしろルイス・キャロルだ。

Baby, the stars shine bright
バスチーユの直営店を動画で紹介

また、8月29日から8日間の日程で東京ミッドタウンをメイン会場に第5回「東京発 日本ファッション・ウィーク」(経済産業省後援)が行われていたが、31日のショーで廣岡直人が手掛けるエイチナオト(h.NAOTO)が、完成度の高いゴシックロリータスタイルを披露し、国内外のジャーナリストや熱心なファンたちが見守った。

というふうに、好き嫌いがはっきり分かれる領域とはいえ、「ゴシック」という言葉を最近頻繁に耳にするようになった。

ところで、「ゴシック」(gothic 英 gothique 仏)っていうと、真っ先に思い出すのがパリのシテ島にある大聖堂。観光地として絶対外せないノートルダム・ド・パリだが、こちらはゴシック建築だ。その建築様式誕生の記念碑的なサンドゥニ修道院付属聖堂もパリ近郊にある。モネの題材にもなったアミアンの大聖堂や、青いステンドグラスが美しいシャルトルの大聖堂もゴシック建築として有名だ。

宙を突き刺す高い尖塔、ガーゴイルなどの過剰な突起状装飾、濃密なステンドグラスなど、派手かつグロテスクなデザインを特徴としている。古典ギリシアの美的基準としてプロポーション(均整さ)が挙げられるが、ゴシック建築に関して言えば、「光と高さ」に美と崇高を求める点にあるだろう。

「ゴシック」の原意は、ルネサンス期の15-16世紀に、イタリアの美術家たちが中世時代の美術を粗野で野蛮なものとみなして、「ドイツ風の」あるいは「ゴート風の」と呼んだことに由来する蔑称で、ゴート人が創出した美術様式ではない。

そして18世紀半ばから19世紀にかけ、イギリスでゴシック・リバイバルとして再びゴシック建築は人気が高まる。これはロマン主義の一形態(中世回帰)と位置づけられるが、鬱蒼とした樹木に囲まれたゴシック的庭園や廃墟散策趣味が再評価される。それは文学の世界にも大きな影響を及ぼし、中世風の建物を舞台にした幻想的な時代小説(=ゴシック小説)が出版され、人々の間に中世趣味が広がることになる。

「ストローベリ・ヒル」と呼ばれる別荘を中世ゴシック風に改築して、ゴシック・リバイバルの立役者となったホレス・ウォルポール(1717-1797)は自ら『オトラント城奇譚』というゴシック小説の先駆となる作品を書いた。さらにはゴシック小説の象徴的な主人公を登場させたブラム・ストーカーの『ドラキュラ』。すでにSF的なテーマと心理的葛藤を描いているメアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』。アメリカのエドガー・アラン・ポーの『アッシャー家の崩壊』もゴシック色の強い小説である。これらの作品が物語るように、ゴシック小説定番のモチーフと言えば、怪奇現象、宿命、古い館、廃墟、幽霊などがまず挙げられ、今日のSF小説や、ホラー小説にも活用されている。

吸血鬼ドラキュラ (創元推理文庫) フランケンシュタイン ゴシック名訳集成西洋伝奇物語―伝奇ノ匣〈7〉 (学研M文庫)

ゴシックは小説の中だけではなく、あらゆるジャンルやスタイルの中に浸透しつつある。フランスでは、黒装束に身を包み、十字架をつけて墓地にピクニックにいく若者たちが密かに増えているようだ。彼らは、ポーやロートレアモンなどの、19世紀の異端文学者の末裔を自認している。そこまで行かないとすれば、少しとんがった「ハリー・ポッター」シリーズの愛読者あたりだろうか。しかし、この動向は多くの場合、日本のサブカルチャー経由であり、ゴシックは日本を通して再発見されたのだ。

普段から本物のゴシック様式を目の当たりにしている彼らが、新しい形で様式化されたゴシック・スタイルに憧れるのも奇妙な現象だ。自分たちの価値ある文化遺産であるだけに、それをあるがままに尊重し、現在の自分に結びつけようなんて思いつかいないのかもしれない。逆に西洋をモノやイメージとして輸入し、何の抵抗もなく素材としてそれらを加工できるのが日本の強みなのだろうか。それが日本のポップカルチャーの力であり、一時は世界を席巻した資本力がめくるめく商品化と消費のスパイラルを支えてきた。

フランスの若者たちが、ゴスロリやVISUAL KEI(ビジュアル系)に驚き、憧れるのは、西洋的な倫理から自由な「何でもあり」の原理と、途方もないポップ化、商品化の力なのだろう。フランスでは文学的な裏づけを取ることで外見のイメージとバランスをとったり、ゴシックを保守的な社会に反旗を翻す象徴的なスタイルとして再発見するのだろうが、それらはあまりにも古典的な振舞いだ。ゴシックはこれまで欧米のサブカルチャーの中にも取り入れられてきたが、それらは趣味性が高く、一部のファンに止まるものだった。日常的に使え、気軽に消費できるものではなかった。日本のゴシック・スタイルは、最初のうちは過剰な自意識の産物だったとしても、思想的な背景は薄められ、単に服装や音楽の趣味にすぎないと言えるレベルまでパッケージ化され、まさに日常仕様(使用)なのだ。これが爛熟した消費社会のラディカルさと言えるだろう。さらには政府までもバックについて重要な輸出品として売り出そうとしている。


□関連エントリー「新しいゴシック(2)マリリン・マンソンとバウハウス
□関連エントリー「新しいゴシック(3)ゴシック必読文献


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2007年04月25日

フランツ・フェルディナンドとロシア構成主義

このところのイギリス・ロック界は、若いパワーが方々で炸裂して、なかなか盛り上がっています。なかでもフランツ・フェルディナンド(Franz Ferdinand)という名の4人組は、細身のスタイルでまとめた端正なルックスに、80年代のニューウェイヴを彷彿とさせる音で一昨年大型新人として注目を集め、去年出た新アルバムも評価が高く(その中にも入っている "Do you want to" は今ソニーのCMに流れています)、ノリにノッているバンドです。音だけでなく、彼らのヴィジュアル戦略も面白い。アルバムのジャケットや、公式サイト、そしてヒット曲 "Take me out" のプロモーション・ヴィデオ(以下PV)はどこかで見たような・・とよくよく考えてみたら、ロシア構成主義の作風をまんま取り入れているのでした。

ロシア構成主義って実際のところ何なんだろう、と調べてみると、ロシア・アヴァンギャルドと呼ばれた美術運動のひとつで、このロシア・アヴァンギャルドというのは、19世紀末からロシアでフランス近代絵画を始めとする西欧美術が次々紹介されたことで、20世紀初頭に突如生まれた芸術現象を包括したもの。ウィキペディアには、ロシア構成主義の「特徴は、抽象性(非対象性・幾何学的形態)、革新性、象徴性等である。平面作品にとどまらず、立体的な作品が多い」とあります。

franz_ferdinand1.jpg

"Take me out"のPVは、コラージュ (collage) 技法によるアニメです。コラージュというのは、もともとピカソやブラックといったキュビスムの画家たちが実践していた、カンバスに絵の具以外の要素を貼付けるパピエ・コレ (papier collé) をさらに発展させたもので、ドイツのダダ、フランスのシュルレアリスムといった芸術運動においても、さかんに行われました。現実の断片を作品に直に取り込みながら、イメージとイメージがぶつかりあい、さらには思いも寄らぬ新しいイメージが生み出される・・という効果を狙ったものでした。立体的な要素を使った3次元的なものはアッサンブラージュ (assemblage) 、写真を取り入れたものはフォトモンタージュ (photomontage) と呼ばれ、ロシアではアレクサンドル・ロトチェンコなどがコラージュやフォトモンタージュの作品を多く残していますが、彼の作風はまさにフランツのPVに激似です。

ロシア構成主義の精神はその後ドイツの造形大学バウハウスの理念に影響を与え、そのバウハウスの理念はアメリカや日本など受け継がれていきます。20世紀初めのヨーロッパは、ロシア・アヴァンギャルドのほか、ダダイスム、シュルレアリスム、未来派などといった前衛的な芸術運動が次々と生まれ、それぞれが互いに影響し、影響されあいながら発展し、さらに世界へと発信されていくという、活気ある状況だったんですね〜。そして、それが時代を経てイギリスのロックバンドのPVに使われるなんて、感慨深いじゃありませんか。

今回はフランスとあんまり関係ない内容でしたが、そこはまあご愛嬌。一応技法名は全部フランス語だ、ということで〜。

(2006年3月25日のエントリーを再掲)


Take me out / Franz Ferdinand (PV From Youtube)


フランツ・フェルディナンド
フランツ・フェルディナンド
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4 「Take Me Out」にやられてねぇ
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2006年11月11日

浪花の凱旋門

IMG_0698.JPG週末、義母とその姉が法事で京都にやってきた。さすがに京都は秋の観光シーズンでホテルはどこもいっぱい。仕方なくウェスティン大阪に宿を取った。このホテルは大阪の新しいランドマークとなって久しい梅田スカイビルの隣に建っている。朝食のあと庭を散歩しながらスカイビルを至近距離から撮ってみた。

梅田スカイビルといえば、タワーイーストとタワーウエストの2棟を最頂部で結んだ空中庭園展望台が有名だが、そのフューチュリスティックな姿はいやおうなしにパリ郊外のラ・デファンスにある新凱旋門を想起させる。恥ずかしながら、スカイビルが「浪花の凱旋門」と呼ばれていることを初めて知りました(知ってた?)

かつてシラク大統領が日仏友好のシンボルとして京都の鴨川に「ポン・デ・ザール=芸術橋 Pont des Arts」と同じものをかけたらどうだと提案し、それは良いアイデアだと計画が進められそうになったが、市民の反対にあって頓挫したことがある。反対の先頭に立ったのは京都在住の外国人たちだった。

IMG_0699.JPG梅田スカイビルを設計したのは東京の有名大学の先生らしいが、ビルの竣工式を取材した方が、パーティで「先生、なぜ北向きにしたのですか?西向きにして、アルシエ・ジャポネーズとされていたら、フランス人は吃驚し、日仏親善になったのでは?」と尋ねたエピソードがサイトに記されている。その設計者の先生は絶句し、「それは考えなかった」とおっしゃったそうだ。確かにセンセーショナルな日仏友好ネタになったかもしれないが、いつまでもフランス本家のコピーをいただくという発想も寂しい。

しかし、大阪にはすでに浪花のエッフェル党、通天閣が存在していた。通天閣の初期の姿は「エッフェル塔+凱旋門」であり、そのあまりの訳のわからなさはコピーという概念を凌駕している。さすが大阪である。北朝鮮の首都平壌にも金日成の帰還を記念して造られた「凱旋門」があり、これはエトワール凱旋門を意識して造られたといわれている。パリのものより高さが10m高く、世界一とされているが、これも何だか北朝鮮らしい発想だ。

フランスの新凱旋門(la Grande Arche または l'Arche de la Défense)はシャンゼリゼ通りとこのエトワール凱旋門の延長線上にあるが、その名称に関して、Wikipedia にコンパクトな解説があったので紹介する。

シャンゼリゼ通りとこのエトワール凱旋門の延長線上のラ・デファンスには「新凱旋門 グランダルシュ」があるが、これは戦勝記念碑ではないので、正式名称に "triomphe" が付いていない。すなわち「凱旋門」ではない。しかし、シャンゼリゼ通りの都市軸上にある、カルーゼル凱旋門・エトワール凱旋門に続く第3番目の「門(arc, arche)」であるとの認識があるため、フランスの国の標語である「Liberté, Égalité, Fraternité」(自由、平等、友愛)から、「La Grande Arche de la Fraternité 直訳:友愛の大アーチ」との正式名称を持つ。なお、戦争の勝利を記念して「凱旋門」を造る風習のない日本では、「凱旋門」が「エトワール凱旋門」を示す固有名詞と化してしまったため、実際は凱旋門ではないグランダルシュにまで「新凱旋門」と名づけてしまった。(Wikipediaより抜粋)


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2006年10月25日

カフェ&ホテル・コスト CAFE COSTES & HOTEL COSTES

パリの老舗のカフェには固有の歴史がある。有名なカフェのひとつに、サンジェルマン・デプレの「カフェ・ド・フロール」がある。50年前にそこへ行ったら、サルトルとボーヴォワールに会えたはずだ。すぐそばにあるもうひとつの老舗カフェ、「ドゥ・マゴ」はキュビズムの誕生を目撃した生き証人である。ブラックとピカソが常連で、ヘミングウェイも頻繁に訪れていた。

coste01.jpgふたつの老舗カフェは現在、ほとんど観光地と化しているが、パリでもテラスに座って通りを眺めるという昔ながらのカフェ体験を味わうのが難しくなってきた。ファーストフード店やセルフサービス型のカフェが進出し、何よりカフェ1杯の値段を引き下げた。スタバも大人気だし、ネットカフェも増えた。それらのしわ寄せを食い、採算が取れなくなっているのは、おそらく「アメリ」に出てきた「ドゥ・ムーラン」のような街角のカフェなのだろう。

そういう街角の熾烈なサバイバルとは別格に、仕掛けられたデザイン系のカフェがある。その代表的なものが、「カフェ・コスト」(写真上)だ。88年にレ・アールにオープンしたジルベール&ジャン=ルイ・コスト兄弟の出世「カフェ」だ。オープン当時、いそいそと見に行ったが、さすがに敷居が高そうで入る気がしなかった。店のデザインを担当したのがフィリップ・スタルク。コスト兄弟は、その後、伝統的なスタイルとは一線を画した、新しいコンセプトのカフェを次々とオープンさせ、branché なパリを演出した。そして「ホテル・コスト」の開業で日本でも兄弟の名が知られることになった。

コスト兄弟はフランス南部のアヴェロン(Aveyron)県の出身。アヴェロン県は「アヴェロンの野生児」とか「昆虫記」を書いたファーブルの出身地として知られているくらいだが、隣接するオーヴェルニュ地方とともにパリのカフェ文化の成立と大きな関わりがある。

17世紀末からすでに、この地方からのパリへの出稼ぎが始まっていたが、19世紀の前半の出稼ぎ労働者の主な仕事は「水運び」だった。オスマンのパリ大改造以前のパリの水道設備はひどく、そんな状況が要請した仕事だった。公共の水汲み場から15リットルの水を満たした樽を2つ天秤棒で担いでパリのアパートの上の階の住民へ運ぶのだ。パリ改造によって水道設備が整備されたあとは、今度は部屋にお湯とバスタブを運ぶ、お風呂のサービスまでやっていたようだ。

彼らの転機になったのは炭屋を開いたこと。炭屋の店舗で、地元のワインなど、飲みものを出すようになった。この炭屋兼(居)酒屋がカフェの原型になったと言われている。水運びの時代は男連中だけで出稼ぎに来てたのが、店舗という拠点を構えることで、地元から家族を呼び寄せ、家族経営ができるようになった。簡単な食事を出すなど、商売のアイデアも広がった。それが綿々と受け継がれるなかで、同郷のネットワークを確立し、飲料の流通も取り仕切るなどして、カフェ文化の基盤が作り上げられていった。そしてカフェは政治や文学の議論の場になり、芸術運動の母体となり、小金を持った若者がスノッブに振る舞う場所になった。これらをカフェ文化のソフトの部分とすると、ハードの部分は地方からの出稼ぎ労働者の地道な努力の積み上げなのだ。まずはフランスの地理的な中心から、文化的な中心であるパリへの700キロ以上の道のりを歩くことから始まった。

ホテル・コスト(1) ホテル・コスト(2) Hotel Costes, Vol. 11

ところで、コスト兄弟がプロデュースしたホテル・コストの方は、パリのヴァンドーム広場の近くにある。アーティスト、モデル、映画業界人などのセレブが集うホテルとして有名だ。このホテルのラウンジ&レストランをイメージしたコンピレーションCDがある。ホテルの専属DJ 、Stéphane Pompougnac(ステファヌ・ポンプニャック)が手がけている。「ホテル・コスト」とホテルの名前がそのままついた第1弾が1999年に出たが、今や10集目を数えるラウンジ系の人気シリーズとなっている。2枚目は「スイートルームで行なわれるプライヴェートなパーティがテーマ」と書いてある。そういえば、うちの近くのバカ高い輸入家具ばかり扱っている高級家具屋さんでも、このCDシリーズが紹介されていた。アマゾンの評で誰かが「むせかえるほどオシャレ」と書いていたが、音楽分野でのフランスの得意技はこんな感じでとことんスタイリッシュに、スノッブに磨き上げることなんだろう。もちろんスィートルームで聴かなくても、普通のコンピとして十分楽しめる。ベスト盤が出ているので、まずはこれからいかがだろう。


HOTEL COSTES−公式サイト

★一時、このエントリーにアクセスが急増したことがあったが、沢尻エリカがあるテレビ番組で「ホテル・コストで働きたい」と発言したことが原因だった。



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2006年10月24日

CONCORDE コンコルド

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Wolfgang Tillmans
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5 コンコルド

コンコルドはパリ−ニューヨーク間を3時間半で結んだ。パリを朝の10時に発てば、ニューヨークには朝の8時半に着く(時差は6時間)。マッハ2(音速の2倍)の速度で飛び、「太陽よりも早い」と言われた。それは太陽が同じ行程を移動する場合、5時間かかるからだ。

仏英共同開発のコンコルドが実用化に漕ぎ着けたのが1976年。1986年の東京サミットの際には、ミッテラン大統領がコンコルドに乗って颯爽と来日した。それは当然、コンコルドのプロモーションを兼ねていた。しかし、製造コストが高すぎるとか、燃費が悪いとか、騒音がひどいとか、特にアメリカの航空業界からのクレームが多く、プロモーションに水を差した。

2000年7月、コンコルドがシャルル・ド・ゴール空港を離陸直後にパリ郊外で墜落するという事故が起きた。死者は120人を数えた。これはコンコルドの最初で最後の事故だった。これを機に、エール・フランスはコンコルドの運行を中止する決断を下し、2003年、英国航空もそれに追随した。今、コンコルドはどこの空も飛んでいない。

つまり経済合理性の前にコンコルドは敗れ去ったわけだが、その機能美は誰もが認めるところだった。

このティルマンスによる写真集はひたすらコンコルドが飛ぶ空を写している。


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2006年06月28日

アンリ=カルティエ・ブレッソン

bresson01.jpg■04年に他界したブレッソンというフランスの写真家が今年になって注目を集めている。ちょうど、今年の3月から4月にかけてサントリーミュージアム(天保山)で「アンリ=カルティエ・ブレッソン展」が開催され、そして最近、ハインツ・バトラー監督によるドキュメンタリー映画、「アンリ=カルティエ・ブレッソン−瞬間の記憶」が公開された(まだ上映中のところもあります)。

「決定的瞬間」などの作品で知られる巨匠の生涯が、本人や友人たちのコメントを通して、ひも解かれていく。人前に姿を出すことを徹底して避けていた写真家が、パリ近郊の自宅で、自らの生涯や彼の作品について語る貴重なフィルムだ。写真家でもある婦人のマルティーヌ・フランクによると「彼は目の中に測量器を持っていた。絵画を鑑賞することきでも、黄金分割を探していた。それが写真にも現れている。彼の場合は本能ですが」(5月18日、読売新聞)。流動する現実から完全な構図を写しとる能力は、精神をオープンな状態にしつつ集中力を保つところから発揮されるという。日本の弓道や禅に関する本も読んでいたとか。決定的瞬間を待ち、十分ひきつけて対象を射るという弓道との共通点はわかる気がする。

上の少女の写真は昔からのお気に入りなのだが、老舗のカフェ(おそらくフロールかドゥ・マゴ)にそぐわない若い女の子(何か今風)を常連のブルジョワおばさんが「何、この娘」って感じで見てる。その一瞥がまさに決定的で、それが少女の存在を瞬間的に際立たせている。

■サントリーミュージアム(天保山)での「アンリ=カルティエ・ブレッソン展」のレビューをtkさんが書いてくれています。

bresson02.jpg「決定的瞬間」−彼の写真集のタイトルです。今更で恐縮ですが、この展覧会で初めて知りました。なんやらインパクトのある言葉ですが、ブレッソンの写真の題材そのも のは、事件でも事故でもなく、人々の日常です。2年ほど前、小さな広告のカットに衝撃を受けて名前を覚え、気が向い た時に書店の洋書のコーナーで立ち見をしていただけだったの で…。ちょっと間抜けすぎるかも…。

町の風景、人の佇まいなど、何気ないのに、完璧に作り込まれたような感じがするのが不思議です。そして、この1秒後にこの風景はみんな動いてなくなってしまうんだろうなぁと。

展覧会の解説もうろ覚えなのですが、フランス語の原題は「決定的瞬間」ではなく、「逃げ去るイメージ」というニュアンスだったようです。でも、それに該当する英語がなかったため、アメリカで出版する際の英語版タイトルでは「決定的瞬間」になったようです。フランス語の原題のほうがやはりイメージがしっくりくるなぁと思いました。もっとも、この解説を読んだから、いまにも消えてしまいそうだと思ったのかもしれません。

以前、日本画を勉強したことがありますが、構図や配置の点でどこか似た部分があると思います。日本画は一点透視やらの遠近法もないし、陰影もあまりないのです。ですが、配置の妙というか、惹き付けられる絵は、主題と無地の背景というシンプルな構成なのに、広がりや奥行き、空気を感じるというものがあります。徹底的な引き算の美なんだろうなぁと思います。個人的にはブレッソンの写真にもそんなものを感じました。

reported by "tk"

□写真集「逃げ去るイメージ−アンリ・カルティエ=ブレッソン」(和書)

□写真集:City and landscapes(洋書)

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2006年06月01日

STARFLYER

STARFLYER が、2006年3月16日、新北九州空港のオープンにあわせ就航した。スターフライヤーは北九州市に拠点を置く新しい航空会社。現在の航路は新北九州空港と東京羽田空港の往復のみとしている。何よりも目をひくのは、黒と白というコンセプトカラー。ANA は青、JAL は赤をトレードカラーにしているが、実は白と黒のコントラストほど鮮やかなものはないことを思い知らされる。今のところ世界中どこを探しても、黒を前面に出した航空会社はないようだ。

starflyer01.jpg

白と黒を基調にした機体と内装のデザインは、Posy や Pino(宇多田ヒカルのプロモーションビデオにも使われていた二足歩行のヒューマノイドロボット)などのロボットデザインなどを手掛ける松井龍哉氏が担当。機体デザインだけでなく、会社案内やスターフライヤーのWebサイト構築などのブランド戦略から、チケットセンターやラウンジのデザイン、スタッフの接客態度、果ては社内で使われる文房具や名刺まで、トータルな形で行われている。

機体そのものが、すでにスタイリッシュなデザインの「エアバス A320」が使われている。エアバスといえば、最近、最新鋭機 A380 がお目見えしたところだが、もともとはアメリカのボーイング社やロッキード社に対抗するために、仏独の共同出資で作られた会社。それに英、西も加わり、4カ国体制で運営されている。

エアバスはともかく、フランスと何の関係が?と思われるかもしれないが、松井氏は96年から、フランスに留学し、Ecole nationale supérieure de création industrielle(フランス国立高等工業大学大学院?)で3年間学んだ経験を持つ。フランスのデザイン業界のことはよく知らないのだが、彼のインタビューが面白かったので紹介する。2001年9月1日付けの少し古いものだが。

「フランスに留学されてたんですか?」
「96年から3年間です」
「大きな影響を受けましたか?」
「ええ。若い内にああいうところで本物を見ると、後の作品作りや人生観が全然変わりますね」
「アートに関してパリという街ほど、エキサイティングな所はないですからね。恐らくアーティストが一番偉そうに出来る街じゃないかな(笑)」
「日本で“デザイナー”とか言うと、この人、霞食べて生きてるのかな、なんて思われるでしょ(笑)。でもそんな馬鹿げた話はなくて、人間にとって最も重要な感性や、感じること、美しいものを追い求めるという気持ち、は生命力が強いという証明なんですよ。最も人間らしい行為なんです。それを堂々と言える場所がパリです。自分はアーティストだと言うと、この人は人として正しいんだ、というインタラクションが出来るんです。それは伝統とも言えるけど、そこに流れているミームですよね」
「ところでパリでは何を勉強したんですか?」
「コンピューターと芸術の関わり合いです」
「インタラクティブ・アートというものですね。かみ砕いて言うと、相互性ということだから、何かモチーフをコンピューターに与えて、それと他者とがどう関わっていくかということですか?」
「はい。インタラクティブ・アートを研究できる大学院があるんです。パリって凄く面白くて、マルチメディアが出てきた時にいち早く国立でアートとして勉強させる学校を作ったんですよ。僕がいた国立の工業大学もそうです。国が文化としてコンピューターを認めてるんです。アメリカはビジネスとして利用しようとするんですけど、フランスはアートの為に積極的でした。あとはアートの保存ですね。すぐにルーブル美術館のCD-ROMやwebサイトを作るとか。文化的な遺産が山のようにあるから、そういうものをきちんとデジタライズしてアーカイブしておくということを、国が先導してやってるんです」

posy01.jpgこれから留学しようと思っているアート系や工学系の人は参考になるかもしれない。アメリカではウェブをビジネスに結び付けようとし、フランスではアートに結び付けようとする、という話は納得できる。フランスは蓄積されたアート作品のアーカイブ化にも熱心で、「ダ・ヴィンチ・コード」でも注目を集めているルーブル美術館のサイトなんて目を見張るものがある。今月掲載された最新のインタビューで松井氏はロボット Posy に関して、こんなことも言ってます。

「Posyは一つの役割を明確にしていて、2030年くらいでできたらいいと思ってるんですが、パリのオペラ座で、世界最高峰のバレリーナと一緒に踊ると」
「2030年にオペラ座で!」
「目標にしていますね。夢というのは、期間限定でなければリアリティを増さないと思うんですね。僕は60歳くらいになってるので、デザイナーとしてはそこまでに一つ傑作みたいなものを作りたいな、と」

SKYFLYER にも乗ってみたいけど、ロボットとプリマドンナの共演も見てみたい。目が離せないデザイナーです。今月の「ELLE DECO」でも特集が組まれていました。SKYFLYER の写真がきれいでしたよ。

■STARFLYERのオフィシャルサイトはこちら




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2006年05月30日

通天閣=凱旋門+エッフェル塔

木魚さん

tour-arc01.jpgこれは初代「通天閣」の写真ですが、凱旋門とエッフェル塔をくっつけたものだそうです。展望台にまでロープウエイが伸びていたそうです。1911年に建造され、43年に下に入っていた映画館が焼け、解体。今の通天閣は56年に再建されたもの。日仏交流ネタとして最高だと思うのですが、大阪人でない私は、これをうまく語れそうにないので、木魚さんにこの写真にいつものノリで文章をつけていただきたいのですが。一杯ビールをあおって一気に書いちゃってください。ふんじゃま、よろぴく。
                                   cyberbloom

こんなメールに気付いたのが今朝。ほんで今はひとりイワシのつみれ鍋をつついてビールをあおっている。困るんやけどなー、仕事選ぶ質なんやけどな。

ここんとこ大阪の凱旋門の下は結構くぐってるんやけど、実は一度も登ったことない。ほんでも新世界やジャンジャン横町は知らへんことはないっていうか、あの近辺は高校時代は雰囲気あったな。新今宮駅は高架になっててね、車窓から下のほう眺めると、血まみれのおいちゃんが倒れてたり、「しんいまみやー、しんいまみやー」って駅に着けば、ニッカポッカがワンカップ片手にごろごろなだれ込んできて、くわえタバコにおいちょかぶやりはじめてね、なんちゅうかね、カジノ構想を地で行くその気概に若かかりし木魚は目頭が熱くなったもんやった。くらくらきたね。タバコもあっこは安かった、パクったやつさばいてたからね、庶民の味方やってん。車内の換気は、安焼酎をひっかけたオッチャン連の息でアルコール殺菌、ファブリーズなんか勿体無いね、今はなんでも金取りよる。

「関西で塔ちゅうたら、あんた、京都タワー、神戸のポートタワー、ほんで大阪のエッフェル塔ちゅうのが相場やンか」

そやった。京都はんとこはロウソク、神戸さんは鼓がモデルで、和の世界やね、幽玄わびさびやね、そこいくと通天閣、「天に通じる」か、名前は漢字でもモデルがおフランスとはハイパーやん、負けてなるかい釡ヶ崎騒動なんてパリ・コミューンや、いやいや、第二インターナチュラルハイやで、もうし。もうごちゃごちゃ、なんで近鉄「阿部野橋」って切符に印字されてんのに、駅の掲示板は「あべの橋」で、阿倍野区は「倍」の字使って、その近くの神社は「安倍清明神社」って「あ」と「べ」の字が違いますよあなた、ほんでもっと西にある別の神社が「阿部野神社」、こんどは「べ」違いですよ、あんた巡査が来る前にわてをどうにでもして、ちゅうくらいエッフェルも凱旋門もやたけたでこさえたろ、がハイブリッドでほんま最先端。長崎チャンポン建築。「歴史は繰り返すもんや、初めは悲しく、次はお笑いやで」とのたもうたお偉い人の声に、耳が切なくなるし愛しさもおぼえる。

「天に通じる」のと「雲を凌ぐ」、どっちが格が上なんやろ。いやね、東京には「凌雲閣」って浅草にあったからね、ぽろろんと思っちゃった。「凌雲閣」はバベルの塔よろしく東京大震災でおわってもうた。東京対大阪っていう構図は気に入らんとこいっぱいあんねんけど、「阪人巨神戦」みたいで、ぽろろんとね。「雲」のほうは50メートル、本場のエッフェルの翌年、1890年にでけた。初代の「天」はそれより高く64メートルらしい。14メートルちゅう、なんか微妙な差が、こう、これくらいで許したろと相手に突っ張りながらも、コストあんまりかけるのもあれやしな、それより余った金でなんかもうけたろ、こっちは閣が上やしみたいな、あきんど的なとこを勘ぐってしまうのは人のさがか嵐山か。

フランス土台にビリケンさんが鎮座する。ビリケンさんは、たしかアメリカ大統領が起源とか。シラクさん、もちっと体養生して、ビリケンさんまで登っておいでぇな、そしたらてっぺん、英語でいうとサミットかな、首脳会談できますがな。




木魚@無縁仏

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2006年05月19日

KUBE−ROOMS AND BARS

kube05.jpg昔、パリのマレ地区にあるバーに入り、トイレに行くと、びっくり。便器から内装まですべてステンレス製だった。ワインで酔っ払った目には眩いばかりで、まるでUFOのトイレのようだった。

パリではこういう突拍子もないデザイン空間にしばしば遭遇するが、こちらのホテルのバー(写真、上)は何と氷でできている。その名もThe Ice Cube。室温はマイナス5度で、防寒着を着て、Greygoose というウオッカをあおる。たぶん防寒着は貸し出してくれるのだろう。非日常性と異空間の演出には違いないが、寒い分だけウオッカが胃にしみるのだろうか。ロシア人にとっては単なる日常だろうけど(マイナス5度どころじゃないね)、それがパリの最もディープな、モンマルトルにほど近い18区にある。

kube03.jpgバーは時間制で、30分38ユーロ(約5000円)。この氷のバーのあるホテル、Kube の方は、部屋は41室あり、シングルが250ユーロ、ダブルが300ユーロから。ホテルのフロントは中庭のガラスのキューブ。そこを通ってホテルの中に入るという趣向。ホテルの部屋も氷を模したナイトテーブルなど、キューブと素材を調和させた造りになっている。ホテルのサイトも面白い。ホテルの内部の様子がCGで再現され、クールなクラブ系サウンドに合わせて小さなキャラクターが動き回っている。


□Kube Rooms and Bars




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2006年04月29日

グローバルブランド「RED」

4月に予定されていたU2の来日が延期されてしまったようだ。今年の後半になるとか。U2のデビュー当時は本当にかっこよかった。Sunday Bloody Sunday と New Years Day は鮮烈だった。あのギターの音を出してみたいと思った。オヤジバンドと化した今はつまらないと言っているわけでなく、最近は音楽的には全くフォローしていないだけ。今日のお題は音楽ではなく、U2のボノが関わったブランド「RED」。
redglass.jpg redconverse.jpg
89カ国から政財界の指導者が集まる世界経済フォーラム、いわゆるダボス会議が1月に行われ、中国とインドの経済成長が話題の中心だったが、もうひとつ関心を集めたのが、新プロジェクト「RED」。 REDとは、アフリカにおけるエイズおよびマラリア対策をより効果的に進めるために、U2のボノが中心になって考案されたブランド構築プロジェクト。実際にREDという新ブランドから商品を発表し、販売することによって世界基金支援(The Global Fund)に直接義援金が集まる仕組み。つまり、世界的なブランド企業がREDブランドの付いた商品を売り、その収益の一部を世界基金支援に支払う。この基金は、アフリカのエイズ、結核、マラリアなど、恵まれない女性や子供たちを援助する組織として2001年発足し、各国政府、様々な市民運動団体、企業などが参加している。

今のところ、REDに関わっているのはアメリカン・エクスプレス、ギャップ、コンバーズ、ジョルジョ・アルマーニ。アメックスはREDアメックスカードを発足し、使用額の1%がREDへ。ギャップはアフリカ製の赤いTシャツを販売。コンバースはシューズ(写真、右)を。ボノが「ヴァーティゴ・ツアー」でかけていたサングラス(写真、左)は、アルマーニの「レッド・カプセル・コレクション」の第1号商品で、4月から入手可能になっている。フランス企業の名前はないけど、ルイ・ヴィトンとか参加すれば良いのに。

「敵と対立するのではなく、敵の中に入りこんで、敵を変える。ワールドブランドと敵対するのではなく協同する、したたかな戦略」とCUT(4月号)のライターは評価していた。しかし、ロックにとってビジネスが敵だというのはあまりにもロマンティックな考え。ロック・アーティストがビジネス(=金)の世界を汚いと歌い、ファンの共感を得ながら、がっぽり儲ける。昔からよくある構図だ。アーティストは80年代のあたりから、身の回りのことだけじゃなく、世界の平和や貧困のことを気にかけ始めた。アーティストはメッセージを歌うだけでは信用が得られず、自ら実践しなければならなくなった。そうしないと倫理と実践のバランスがとれなくなってきたのだ。ボノ自身もREDを慈善事業じゃなくビジネスだと語ってるが、ロックはすでにチャリティーコンサートを活用することを含めたビジネスだったと言える。ボノはこのような開き直り戦略に加え、自分の知名度を徹底的に活用する。何よりも話題になることが重要だからだ。Ipodのコマーシャルにノーギャラで出たらしいが、話題の製品と話題の人物の相乗効果を狙う。

エイズに関して言えば、エイズ治療薬は特許の壁によって値段がつりあがっていて、本当にそれが必要な人々の手になかなか渡らない現実がある。製薬会社も慈善事業をやっているわけではない。あくまでエイズ治療薬は利益をあげる手段なのだ。

ボノの今回の役割はコーディネーターだ。今までつながらなかったところをつなげる。そして重要な顧客である若者たちが自然に参加できるように、彼ら彼女らの欲望の方向にシステムを構築する。レコードを買い、カフェやクラブに行き、服やアクセサリーを買う。そういう日常のライフスタイルをなぞるように、その中に組み込む。それが特別な行為になってはいけない。ファッションと倫理を結びつける戦略も最近よく使われ、エコロジーの分野では常套手段。ヒップホップを聴いているなら、ゴミを分別しよう、みたいなCM。

ネットを使って「できるだけ多くの人々に少しづつ」負担してもらう。ホワイトバンドを売るのも手だが、ネットショップの方が効率的だ。『ウェブ進化論』にも書かれていたが、そういう効率的な富の再分配のシステムを構築することが重要になってくる。いちばんコストがかかるのが流通の過程だったりするから。資本のグローバル化が世界規模の搾取構造を可能にしているとすれば、もうひとつのグローバル化の象徴であるネットがそれを逆流させ、再分配するのだ。

■SHOP INFO:RED

グローバルブランド「RED」(2)-世界エイズデーとU2の来日




cyberbloom

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posted by cyberbloom at 23:22 | パリ ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | ART+DESIGN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする