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手前味噌だが、FRENCH BLOOM NET もフランス文化のキュレーション・サイトとして運営している。これまでフランス文化と言えば、文学や思想と相場が決まっていた。それはグローバリゼーション1.0時代の、欧米と日本の権力関係を背景にしていた。しかし、今はフランスから届く情報も、学生のフランスに対する関心も多様としか言いようがない。INFOBASE の左サイドバーの多岐にわたる「カテゴリー」がそれを物語っている。それはフラットな世界のプラットフォーム上で、欧米人だけではない、多種多様なプレーヤーによって文化が動かされていることの反映でもある。フランスの若者が日本のサブカルチャーに強い関心を持ったり、さらにそこに韓流文化が入り込んで来たり、文化的なヘゲモニーも刻々と変化し、その都度、フォーカスされるテーマも移り変わるのだ。
これは2008年4月10日付けの英誌『エコノミスト』に掲載された「ついにノマドがやってきた Nomad at last 」の導入部である。そこにはモバイルが切り開く新しいライフスタイルが楽観的に描かれている。そしてジャーナリストの佐々木俊尚は『仕事するのに オフィスはいらない―ノマドワーキングのすすめ』の中で、「正規雇用が当たり前だった時代は過去のものとなり、すべての人間が契約社員やフリーランスとなる社会へ移行しつつある」と言う。かつては会社に頼れば何とかなったが、今は自分自身で人生を切り開かなければならない。この変化には否応なしについていかなければならない。そのための知恵と術が「新しいノマド」の生き方であると、ノマドと新しい働き方を重ね合わせる。この働き方は正規雇用から脱落することを意味していない。自らそれを選択するのだから。正規雇用でないことこそがチャンスとなり、これからの時代に適応できるのだという価値転換を宣言する。
もちろんノマドにはモバイルが欠かせない。佐々木の言うノマドとはとりわけ IT テクノロジーで武装したフリーランスのことだ。新しいノマドの仕事のやり方は、オフィスを借りずに、まずはスマートフォンを購入することに象徴される。常にメールやサイトをチェックし、G メールや G カレンダーを同期しながらスケジュールを管理する。誰かに命令されるのではなく、積極的に仕事に取り組み、仕事と生活のバランスを自在にデザインする。遊びと仕事の区別がつかない、それらが併存するがゆえに、自分を律する能力も必要になる。上司の監視の目もないのだから。
また「すべての人間が契約社員やフリーランスとなる社会へ移行しつつある」と佐々木は言うが、日本の非正規の労働者がそのままノマドなフリーランスになれるわけではない。非正規の仕事の多くはノマドという牧歌的なイメージからは程遠く、その労働条件は厳しく不安定だ。自分から仕事を選んだり、仕事を作り出せる状況にはないだろう。「ノマドワーキングは特権的なフリーランスができることで、誰でもできることじゃない」とツィッター上でも安易なノマド論に対する批判があったが、ノマドという言葉にみんなが飛びついたのは、雇用が流動化し、まさに根無し草の労働者になってしまった不安を反転させた自己肯定的な願望なのだろうか。ノマド論の先駆者であるジャック・アタリは世界に1000万人しかいない裕福な勝ち組ノマドを「超ノマド les hypernomades 」と呼び、定住民でありながら超ノマドに憧れ、ヴァーチャルに模倣する40億人の「ヴァーチャルノマド les nomades virtuels 」と区別する。スマホをいじりながらその気になっている人々もそれに含まれるのだろうか。彼らは国境を越えた企業の移転や労働者の移動という世界のノマド化の中で賃金が減らされていく人々でもある。
「iTunes U」には東大を初めとする日本の大学も加わっている。東大は「東大 Podcasts」で公開してきた講義を配信し、話題のマイケル・サンデル教授の東大特別講義「ハーバード白熱教室 in Japan」も配信予定だという。明大は森川嘉一郎准教授による秋葉原とオタクに関する講義、慶応SFCは村井純教授などによる講義「インターネット2010」。各大学が特色ある講義を配信している。多様なコンテンツが集積され、使い勝手が良くなれば、個々の大学の枠組みを超えた別の学びの形や場が形成されることになるだろう。
"When I was young, there was an amazing publication called The Whole Earth Catalog, which was one of the bibles of my generation.... It was sort of like Google in paperback form, 35 years before Google came along. It was idealistic and overflowing with neat tools and great notions."
The counterculture's scorn for centralized authority provided the philosophical foundations of not only the leaderless Internet but also the entire personal-computer revolution. カウンターカルチャーは中央集権化された権力に軽蔑心を示し、それが、リーダー不在のインターネットの世界だけでなく、PC革命に対しても哲学的な基盤を与えた。
Forget antiwar protests, Woodstock, even long hair. The real legacy of the sixties generation is the computer revolution. 反戦の抗議活動、ウッドストック、そして長髪も忘れてしまっていい。60年代の真の遺産は、コンピュータ革命だ。
梅田望夫はブラントの2つの発言を引用し、彼は60年代カウンターカルチャーと PC 革命のつながりを象徴する人物だと述べている(『ウェブ時代 5つの定理』)。アメリカのコンピュータ産業は軍事目的(砲弾の軌道計算)で始まり、第二次世界大戦後は政府や大企業が管理の道具としてコンピュータを利用し始めた。このような「コンピュータ=情報の集中化・管理」というイメージの担い手は IBM のような東海岸の大企業だった。一方西海岸では、1975年ごろハッカーたちを中心に手作りでコンピュータを作ろうという気運が高まり、集結した若者たちが誰でも安く買える PC を作り出そうとした。PC は最初から個人の能力を底上げする道具として、個人が権威と対抗しうる革命的な道具として作られた。70年代の PC 革命から現在未だなお続いているウェブの進化の背景には、テクノロジーこそが反中央、反権威、アンチ・エスタブリッシュメントの力になり、同時にそれによって個をエンパワーし、フロンティアを切り開こうという思想的な背景がある。
ある人々はこのような事態に対して、街で迷い不安を感じる権利、音楽をアナログに楽しむ権利を主張するかもしれない。このような権利を確保すること、つまりリスクが計算できないものに対する寛容さが自由の空間を保証するからだ。それは人間が老いて、死にゆく存在であることと大きく関係している(「不死の機械の身体を拒否する人間」はよくある SF 的なテーマだ)。自由は計算不可能だから自由なのだし、音楽も計算不可能だから音楽なのだ。それは生活のあらゆる場面がデータ化され、解析され、リスク管理の資源としてシステムへとフィードバックされる新しい管理社会に抵抗しようという議論につながっていく。
GPS はアートにもインスピレーションを与えている。砂漠や砂浜に巨大な絵を描くジム・デネヴァン Jim Denevan というアーティストがいる。その作品はまるでナスカの地上絵か、ミステリーサークルだ。スケッチを元にGPSで距離を測りながら、トラックを走らせて巨大な絵を描く(写真↑)。その壮大なアートは飛行機に乗って空から確認するしかない。
ブライアン・イーノはときどきブログの記事で紹介しているが、環境音楽 ambient music の創始者として知られている。環境音楽と言っても、イーノの場合は「音楽が周囲の雰囲気を積極的に定義付ける」と言う点で、単なるBGMでもないし、エリック・サティ Erik Satie の「家具の音楽」ともコンセプトが違う。イーノの音楽は、人の感受性を研ぎ澄ませ、人から想像力を引き出し、周囲の風景に新しい意味を与えるような音楽だ。
あまり知られていないが、Windows 95 の起動音 The Microsoft Sound はイーノの作曲によるもので、それは彼の音楽作品よりもはるかに多くの人に、はるかに頻繁に聞かれたことになる。イーノとよくコラボしている盟友、ロバート・フリップ Robert Fripp も Windows Vista のサウンドを担当している。彼らが密かにネットの世界で活躍しているとは意外だった。
Téléphonie mobile : Faut-il avoir peur des antennes-relais ? ■Enquête du 20h - La fronde contre les antennes-relais de téléphonie mobile se généralise. Le mois dernier, deux opérateurs, SFR et Bouygues Telecom, ont été condamnés au nom du principe de précaution à démonter leurs équipements à la suite de plaintes. Pour l'Académie de médecine, le risque n'est pourtant pas démontré.
Comment éviter les ondes électromagnétiques ■Internet sans fil, micro-ondes, portables, les ondes électromagnétiques sont de plus en plus nombreuses dans notre quotidien. Et alors que des études sanitaires sont en cours, voici nos conseils pour réduire les risques.
グーグルの野望は世界中に眠る情報をすべてインデックス化することらしいが、それは空間の情報化=征服にも向かっている。最近公開された「Google Earth」の新機能「Ocean in Google Earth」を使えば、鮮明な画像で海洋探索を楽しめる。さらには、Google Mars 3Dを利用すれば、高解像度画像を通じて火星にある巨大なビクトリア・クレーターを探検することも可能だ。
フランスの社会学者、ジャック・エリュール Jacques Ellul はテクノロジック la technologique という言葉を使い、ラディカルなテクノロジー批判を展開した。エリュールはエコロジー的な思想の先駆けともなった人物で、イヴァン・イリイチやジョゼ・ボヴェにも影響を与えた。テクノロジーを社会に組み込み、テクノロジーが不可欠な社会的世界を構築する。それがテクノロジックである。本来テクノロジーは手段であるはずなのに、それが自己目的化し、自動的に、自己拡大的に動き始めるのだ。それは最適な作動様態を執拗に探し求め、それを操作する人間までも侵食する。人間のための最適化ではなく、テクノロジーはそのものへの最適化を追求するのだ。まさにグーグル・アースの問題そのものである。
指の感覚とともに、昔の青臭い思い出もよみがえってきて、思わずギターを弾きながらピンク・フロイドの「Wish You Were Here」を歌ったりなんかして。フロイドの歌詞って今の歳になって聴き直すといっそう味わい深く、若いときとは違った感慨がある。この歌詞なんて齢を重ねないと実感がわかないだろう。
How I wish, how I wish you were here We're just two lost souls swimming in a fish bowl, year after year Running over the same old ground What have you found? The same old fears Wish you were here
さらにすごいのは、ライブラリにない曲からおすすめの曲を探し出してくる、という機能だ。それらの曲は少しの間だけだが試聴することもでき、気になったアーティストはそこから iTunes Store へ移動してアーティストの情報を得たり他の曲を聴いたりすることもできる。さらに気に入ればダウンロードで曲を購入することもできるのだ。もちろん今までも iTunes Store は存在して曲単位でのダウンロード販売をしていたのだが、今回 Genius が登場したことで、個人のライブラリと無数に存在する世界中の音楽がより接近したといえるだろう。
しかし、シャッフルが本当にランダムだと信じているユーザーは少なかった。あるユーザーはビートルズを全曲入れているのに、Get Back ばかりかけると言い、別のユーザーは夏なのにクリスマスソングしかかけないと不平をもらす。最も興味深いのは、iPodには状況に合わせて曲を選ぶ神秘的な力があると信じている多くのユーザーがいたことだ。
多彩なギターの織り成すツェッペリンの The Song Remains the Same のあとに、ブラームスの交響曲が第2楽章から始まり、コルトレーンのスピリチュアルなサックスがそれを切り裂く。シャッフルが絶え間なく生み出す音楽のコラージュを私たちは違和感なく受け入れている。私たちは日常的に「雑種的」な音楽を「雑食的」に聴いている。音楽がLPやCDのような物理的なメディアパッケージの制約から離れ、アルバムという形式はおろか、「ジャンル分けにしたがって音楽を聴く」という行為も過去のものにしてしまった。ある意味、シャッフルはジャンルや国境を横断する(ワープする?)文化の旅でもある。膨大な音楽データベースはグローバリゼーションの産物であり、世界中の音楽のコレクションとネットワーク化によってもたらされた。シャッフルを通して、私たちは拡大し混乱を極めている世界そのものを聴いているのだ。
■定年退職前の厳しくも優しいロペス先生のもとで、勉強したり遊んだりする13人の子供たちの姿を追った、心温まるドキュメンタリー映画。Etre et Avoir―タイトルにもなっているこの二つの動詞から見ても、フランス人にとってのフランス語の始まりも、日本人がフランス語を始めるときと全く同じなんだな、と分かります。フランス語をやっている人なら、まるで自分も小学生になったような気分になり、子供たちと一緒に「うぃぃ〜!」「ぼんじゅ〜る、むっしゅ〜」と言ってしまいそう。