2009年12月03日

世界初のエコでサステナブルなダンスクラブ

オランダのロッテルダムのダンス・クラブ WATT はサステナビリティ sustainability (持続可能性)を考えたエコなクラブだ。エコなクラブというと、リサイクルの食器を使ったり、オーガニックのドリンクやフードを出すのかな、と安易に想像してしまうが、WATTが画期的なのは、ダンスフロアに特殊なパネルが敷いてあり、そこを誰かが歩いたり、踊ったりすると発電されるシステムが導入されていることだ。さらに外壁の原料にはペットボトルが使われているし、自転車で来た客は入場無料ときている。



WATT の目的は、クラビング clubbing とサステナビリティとビジネスをうまくブレンドすることだが、それが可能であることをすでに証明している。WATT はクラブをひとつの実験の場として、いかにクリエイティビティ creativity (創造性)とサステナビリティを結びつけるかに焦点を当てている。それもビジネス活動を通して、いかに人々の関心をひきつけるかを考える。WATTによると、サステナビリティは次の3つのキーワード、People+Planet+Profit に要約されるという。人々に地球のことを考えてもらいつつ利益がもたらされるってことだろうか。

これはアーティストと観客との間を仲介し、社会の中で作品の発信や受容がスムーズに行われるためのシステムを構築する「アートマネージメント」に近い側面がある。しかしそれはどちらかというと、美術、音楽、舞台芸術、映画などの大文字のアートを対象にしている。そういう伝統的な形式を持ったアートだけが人間のクリエイティビティのすべてではない。クラビングは音楽に関わってはいるが、人が集まる空間や、そこで踊ったり、おしゃべりしたりする行動までを含んでいるし、そういう場のあり方自体が、ひとつのアーティスティックなメッセージ=作品になりうるのだ。

また WATT はサステナビリティという環境問題を中心に据えているので「社会的企業」(Social Entrepreneurship)としての側面もある。社会的企業は、環境、医療、教育、マイノリティーの問題への取り組みをボランティアではなく、新しいビジネスモデルとして展開する。1980年代以降、レーガン政権下やサッチャー政権下で(つまりネオリベ的な政策のもとで)社会保障費が大幅に削減され、公的な助成金・補助金に大きく依存して運営されてきた英米の NPO が深刻な資金不足に陥ったが、それが契機になって考案されたモデルである。有名な社会的企業と言えば、広範囲の地球上の問題への支援を訴えることを企業価値の核にしている「ザ・ボディショップ The Body Shop 」や、雑誌の販売によってホームレスの社会的排除を食い止めようとする「ザ・ビッグ・イシュー The Big Issue 」などがある。社会的企業の重要性は何よりも、そのモデルが模倣されたり、ヒントを与えたりして、それまで市場から排除されていたり、市場への参入を考えたこともなかった個人やグループに市場の活用を促すことにある。

エコロジーとかサステナビリティとか言うと、何か自由が制限されるようなイメージを抱いてしまう。そんなことやっている場合かと。音楽やダンスなど、人間の根源的な自由や楽しみに関わることにまで、そういう息苦しさを感じてしまっては、自由の表現やクリエイティビティの感覚まで萎縮してしまう。それは空気と同じように人間になくてはならないものだ。つまり、資本主義とアートの両立に加えて、資本主義と環境の両立の問題が持ち上がり、「三立」の問題になっているということだが、クリエイティビティとサステナビリティの両立の部分を考える上で、WATTの試みは非常に興味深い。それに若者のありあまったエネルギーを電気エネルギーに変えるなんて、本当に無駄がないって感じがするじゃない(笑)。

http://www.watt-rotterdam.nl/



WATT ではライブもやっていて、プログラムを見てたら、23日にスウェーデンの Little Dragon が出演するではないか(※この記事の初出は9月22日)。見に行きたいなあ。Little Dragon は、Koop に参加して北欧を代表するボーカリストとして成長したユキミ・ナガノ Yukimi Nagano のプロジェクト(Koop は以前「スウェーデンの New Jazz 」で紹介)。Twice という曲を聴いてみて(↑)。ユキミのボーカルとピアノの音が秋の夜の静けさに染み入るようだ。PVの影絵の人形劇も物悲しい。


LITTLE DRAGON
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2008年09月03日

いのちの食べかた OUR DAILY BREAD

以前、ブログ(infobase)で紹介されていた「いのちの食べかた」を観てきました。世界中の映画祭で大反響を呼んだドキュメンタリーで、監督はオーストリア出身のニコラウス・ゲイハルター。

our daily bread.jpg野菜、果物、お肉、お魚。いつも食卓に並ぶ食品がどうやってつくられてるのか。

延々と繰り返しの光景が、淡々と綴られていく。
ベルトコンベアに乗せられ、これでもかと詰め込まれるひよこの群れ。
逆さ吊りにされ、チェーンソーで解体される豚や牛。
ハウスのなかで整然と、たわわに実ったトマトが、ただ機械的に収穫されていく。
ぷかぷかとプールのコースのような水に浮く大量のリンゴたち。
ホースで大量に吸い上げられ、ベルトコンベアであっさり解体されて行く魚たち。
そして、そこで働く人たちの機械的で無機質なこと。会話のシーンはすこしあるけれど、セリフらしいセリフはない。音楽もない。

家畜や野菜果物にしろ、人間にしろ、「生き物」はたくさん出てくるのに、すでに単なる「モノ」にしか見えず、ありがたみのかけらもない(ように見える)。
生産の営みは、単なるルーティン・ワーク。食肉解体や、まるで破壊行為のような収穫現場は凄惨で残酷なはずの光景なのに、あまりの単調さに、時々眠気が襲って来るほどだった。(寝不足で観たせいもある・・・)

ourdailybread02.jpg最初にこのタイトルを見たとき、観賞後は食の安全とか自給率とか食料問題、生命の大切さとか考えたりするのかなと思っていたら、ちょっと脱線してしまった。
確かに生命について考えた。けれど、「生命の尊さ、重さ」そんな言葉が、何て陳腐に響くのか。尊い命。だけど、ありふれていて、軽い…。何とも言えない切なさ。
ふと、この食料生産のドキュメンタリーを通して、現代の何かと問題になってる労働現場や戦場に置き換えて考えてみると、どこかそら恐ろしい比喩にも思える。

食べて、生きる。死ぬまで延々と続く繰り返し。宗教に造詣は深くないけれど、何やら生命の「業」を感じた。

映像は、パンフレットやチラシに書いてる通り、画面が絵画的で綺麗でした。特に色が美しかったです。


□公式サイト http://www.espace-sarou.co.jp/inochi/
□公式サイト(英語版 OUR DAILY BREAD)
予告編

□森達也による「いのちの食べかた」(パンセシリーズ)




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2008年07月01日

フランスの鰻釣り

アメリカの鱒釣り (新潮文庫)かつてリチャード・ブローディガンという作家に「アメリカの鱒釣り」という本があった.
60年代のアメリカ文学である.
(それにしてもこの本の表紙は60年代末から70年代のボブ・ディランのアルバム・ジャケットのようでカッコ良い)

今回のエントリータイトルは,言うまでもなくそこからの転用である.
とはいえ,ふと「魚からダイオキシン!! 」という映画があったことも思い出した.
そちらの方がタイトルとしては良かったのかもしれない.

昨年8月,ローヌ川で収穫された魚より猛毒のポリ塩化ビフェニール(PCB)が見つかり,同川の魚の食用が全面的に禁止された.
そして今回,問題になっているのはセーヌ川.
それもうなぎである.

うなぎを食するのは日本人だけではなく,イタリアやイギリス,さらにフランス南西部からスペイン北東部のバスク地方など,ヨーロッパでも地方によってそれぞれ調理法がある.

かくいう筆者も,マルシェでうなぎを買い,蒲焼きを作ろうと奮闘したことがあった.
結果は散々であったが.

また,セーヌ川のうなぎ釣りをかつて目撃したこともある.
パリ市の西端,グルネル橋の近くで,中国人が竿を投げていたのでバケツの中を覗けば,そこには立派なうなぎがうねうねと2匹.
いるんです,セーヌ川にうなぎが.

そのセーヌ川のうなぎから,基準値の2倍から3倍のPCBが検出されたとのこと.
未だ法的措置はとられてはいないものの,それも時間の問題らしい.

食の安全.
万国共通の話題である.




キャベツ頭の男

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2008年05月02日

ビオトープ(2) メディアとビオトープ

以前、フランスで行われた「蝶の国勢調査」の記事を書いたときに、ビオトープについて少し触れた。恥ずかしながらそのとき初めてビオトープという言葉を知った。それから、子供の通う保育園にビオトープがすでに存在すること、近くの公園の濁った池のようなものがビオトープであること(ビオトープについて解説するパネルがあった)に気がついた。今や多くの日本の小学校や中学校にビオトープがあり、若い世代はそれなりのエコ教育を受けているようだ。

私は田舎育ちなので小さい頃はまだ自然が残っていた。「となりのトトロ」的な里山の風景は辛うじて記憶の片隅にある(トトロはむしろ大人の方がリアルに楽しめるのだ)。それがどんどん破壊され、何か対策を講じなければという危機感からドイツ生まれのビオトープという概念が導入されたようだ。その破壊は加速度的で、数世代の時間が流れたにすぎない。自然の征服=破壊が近代の産物ならばビオトープは近代の修正ということだが、日本にとってはどちらも輸入品だ。

ビオトープは「生物の生息に適した小さな場所」という理解で良いと思うが、maimai さんが書いてくれたように、本来ビオトープという概念は池や水辺に限定されない。しかし、日本ではとりあえず池から始まる。それは日本では多くの家が庭に池を作っていたという習慣も影響しているかもしれない。それなら昔から日本にもあったとわかりやすい。それぞれの国に適したビオトープがあるということだが、それぞれの国の人がビオトープを理解し、受け入れやすいモデルもあると言えるのだろう。ビオトープは日本では里山保全運動とも深く結びついているが、里山はスタジオ・ジブリもよく利用するノスタルジックな風景で、これも日本人にはわかりやすいイメージだ。里山は生活空間であると同時に、生物の棲息圏でもある複合的な空間だったのだ。

トンボは2キロくらいしか飛べないが、2キロメートル以内に複数のビオトープがあれば、トンボが行き交い、産卵もできる。地域の中の点が結ばれることで生態系が交わり、循環する。個々の生態系は小さいが、それをつなげて面にしていく。つまり点をネットワークとして地域環境を面として覆っていく戦略なのである。ビオトープのある公園の周りでは、住宅地のど真ん中にもかかわらず、夏には珍しいトンボや蝶をよく見かけた。

ビオトープ活動の特徴は、日常的な身近さにある。観光目的で行くような大自然も、世界遺産に指定されるような場所もフィールドにならない。また、流行のガーデニングやアクアグリーンのように、身近ではあるが、品種改良された植物を化学肥料や農薬を使って管理するような都合の良い自然も対象にならない。自分の日常生活の場所で、お金をかけず、身近にあるありあわせのものを工夫して造るのだ。

ビオトープ好きのメディア学者、水越伸氏によると、ビオトープは特定の大きな目標を持つ自然保護運動とは違って、普通に暮らす空間に、昔からいたような虫や動物が帰って来ればいいという、一種の「あきらめ」から出発しているという。大きな運動を一挙に進めるのではなく、個々が小さな活動から始め、それぞれの点を結んでいけばいいという発想だ。重要なのは、誰もが無理なく参加できる敷居の低さ、そして、すべて上から設計&デザインしてしまうのではなく、個人に自発性や工夫を求めるところにある。ここが重要なポイントだ。

水越氏はビオトープとメディア空間を重ね合わせ、メディア・ビオトープという考え方を打ち出している。水越氏は、小さなメディアの活動がネットワーク化されることでウェブ状のメディア・ビオトープを形成する動きに注目している。それは一方通行で、中央集権的なマスメディアとは全く違った、個人の日常に根ざしたメディアのあり方だ。そう言われると、ブログもまた一種のビオトープ状のメディアではないかと思えてくる。このブログも手作りの文化の雑居ビルみたいなものだ。リンクやTBによって情報が行き交い、コメントによって様々な意見=生物が棲み着く。グリュイエルチーズのように多孔的で、どこからも自由に出入りできて、出ていくときには自分が組み変わっているような空間だ(なかなかうまくはいかないが、一応、こういうのが目標)。


メディア・ビオトープ―メディアの生態系をデザインする
水越 伸
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2008年05月01日

ビオトープ(1) ビオトープ発祥の地、ドイツの場合

ビオトープとは、ギリシャ語の「Bios(生命)」と「Topos(場所、空間)」を組み合わせた造語で、100年以上も前にドイツで生まれた言葉である。つまりは「生き物の棲むところ」で、地域の自然環境に適した動植物が特定の生態系を持つ空間である。具体的には、学校の庭に造られた池、化学肥料・農薬を用いないエコロジー農業の畑、街路樹の並木道、教会の老木、壁面緑化などが挙げられる。

ビオトープ発祥の地、ドイツにおける取り組みを見てみよう。ビオトープは、もともとドイツの「黒い森」が酸性雨で被害を受けたときに、自分たちで森を再生する試みとして市民のあいだから生まれたが、ドイツのビオトープ作りはすでに法律(ドイツ連邦自然保護法)によって義務付けられている。ドイツでは、かつての冷戦の象徴で、ドイツを東西に分け隔ていたベルリンの壁が、緑の帯として最大のビオトープネットワークになっている。それは1989年ベルリンの壁崩壊に至るまで、東西ドイツを分け隔ててきた、長さ1400qの境界線沿いの幅50〜200mの帯状の地域である。人々が壁に近づくことができなかったため、ここには手つかずの自然が自由に、豊かに繁殖することができた。そのため、多様な生息空間(ビオトープ)が帯状に連なり、付近に散在するビオトープをつなぐ回廊の役割を果たしている。

ベルリンの壁崩壊後すぐに、自然保護団体は「緑の帯プロジェクト」を発足し、「緑の帯」の重要性を訴え、自ら保護に乗り出した。1996年に施行された「壁地域法」によって緑の帯地帯を東ドイツ政府に没収される前の元の地主が買い戻せることが決まると、環境・自然保護団体は、環境省、財務省に働きかけて、保護すべき重要な地域は各州と保護団体が購入優先権を持つという合意を取り付けた。プロジェクトチームは、土地購入のために、一口65ユーロの「グリーン株」を売り出し、寄付金集めキャンペーンを開始。これまでに総額30万ユーロの寄付金が集まり、緑の帯のうち140ヘクタールが購入され、保護されているが、一方では全区間の15%では重要なビオトープが失われ、65%は民間に売り出されている。

日本でもいくつかの取り組みがある。ひとつは企業が行っている例として、キリンビールの神戸工場がある。そこは池と草地からなるビオトープがあり、ビールの製造過程の最後のすすぎなどに使った比較的きれいな水(中水)を再利用しているが、絶滅危惧種のカワバタモロコ(体長3〜6pのコイ科の魚)が大繁殖していると地元新聞に取り上げられた。

自治体の例として、豊岡市には、コウノトリの棲む環境全体を保護するというビオトープ運動がある。コウノトリは現在コウノトリ保護センターで飼育されているが、将来的には野生復帰を目指している。教育委員会が先頭に立ち、市民に環境保護を呼び掛け、コウノトリの住める環境づくりを行っている。農薬を使わない「あいがも農法」を取り入れる農家も出てきており、この運動が住民の理解を得られ始めている。

ドイツと日本の比較してみると、ドイツでは市民からの働きかけが強いこと、広範囲で、保護対象を限定しないこと、法律の整備が充実していることが挙げられる。日本では学校や企業や地方自治体が中心で、小規模なものが多く、自然再生推進法が2003年から施行されているが、義務化はされていない。もっと環境省が切り込むべき分野であろう。

また日本では、ビオトープという言葉が誤用されることが多い。日本でも「ビオトープ」と言えば、池や流水を作り、そこに生物を住まわせるものとの認識が広がり始めたが、本来のビオトープの概念には、池とか水辺などといった意味は含まれない。また、学校においても、他の地方の水草を持ち込んだり、外来種を導入したりと、本来の意味とかけ離れたものが見られる。難しい概念ではあるが、まずはビオトープの意味を正確に把握することが必要である。またビオトープ保護活動と称して、ホタルやトンボ、ツバメ、メダカ、アユなど、特定の象徴種を守ろうとする生物保護が見られるが、ビオトープは本来、その種が生息する環境、生息空間全てを保護する必要があると考える。

ドイツの「緑の帯」の自然が、かなりの程度まで救われたのは、市民による政治家への働きかけ、そして自ら資金を支払ってまでも自然を守ろうとする熱意によるものであった。やはり環境に対する市民の意識が日本に比べて高いことは見習うべきことだろう。とはいえ、ビオトープはその国の気候・土壌・社会・歴史・伝統の中で育てられるものなので、それぞれの国にはその国に適したビオトープがある。ドイツの事例をそのまま日本に適用することはできない。ただし、どの国でも言えることは、ビオトープの視点を持つことで、住み慣れた街の自然を再発見できる。そしてビオトープを作り、守っていくことで、昆虫や野鳥などを呼び戻し、貴重な生態系を後世に残していくこともできるのだ。



maimai

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2008年01月31日

RE DESIGN 

RE DESIGN―日常の21世紀年末になると、要らなくなった大量の紙ゴミを処分する。授業で使った資料や、数年寝かせておいた10クラス以上の期末テストの答案。最近は個人情報保護法があるので、そのままうっかり捨てられない。うちにはシュレッダーがないので、鉄バサミで細かく切り刻む。すぐに指が痛くなってきて、紙の意外な強靭さと格闘することになる。捨てられる紙が抵抗しているように思える。毎年切り刻む紙ゴミはゴミ袋5袋分にもなる。

銀行やカード会社からの明細書には倍以上量の広告が同封されている。ダイレクトメールやチラシで郵便受けはすぐに一杯になり、それを捨てるためのマンションのゴミ箱も常にあふれかえっている。紙ゴミの多さにうんざりして、DMやチラシを力任せにビリビリ破いてしまった経験は誰にもあるだろう。それは情報過多に対するいらだちでもある。氾濫する情報と自分との関係のなさにいらだつのだ。加えて、要らなくなった紙を再利用しようといくら努力しても、大半は捨てるしかないシステムにもいらだつ。

私たちは膨大な情報のなかから取捨選択しながら生きている。大半の情報は自分にとって無意味であり、捨てるしかない。そうしなければ生きていられない。紙はそういう現代人の日常的な行為の被害者なのだ。

紙ほど私たちの中に複雑な感情を沸き立たせる素材はない。リサイクルの象徴的な素材であるがゆえに、捨てるときには躊躇したり、後ろめたさを感じたりする。つまり紙はそれ自体が強力な批評性を持っている。紙は私たちにつねに問いかける。おまえはそれでいいのかと。そこには反省と思考への入り口がある。

一昔前にペーパーレス社会という言葉が流行り、これから紙を使うことは少なくなるだろうと言われた。コンピュータが従来の複製技術を超えたと言われるのは、情報をモノから独立させて処理できるからだ。モノへの依存から多少は脱却できるはずだった。しかし、相変わらず私たちは紙を手放せない。紙は単に情報を乗せて運ぶメディアであるだけでなく、人間はいつもその軽やかな素材を手に取り、それは人間の日常的な感覚によりそってきた長い歴史がある。とりわけ、日本文化は紙という素材の多様な質感を生活の中にうまく取り入れ、生かしてきた文化である。また子供が最初にモノを自分の手で加工することを覚えるのも紙を通してだろう。

ところで、紹介する本は、紙とデザインの近未来を展望する「リ・デザイン-日常の21世紀」という展覧会に基づいて書かれている。著者は、日本で生まれ世界に広がった独創的な商品コンセプト「無印良品」のアート・ディレクターとしても有名であるが、その著者が仕掛けたのは、建築、プロダクト・グラフィック、照明、インテリア、広告、写真、文筆など、様々なクリエイティブ分野で活躍している人たちに、身近にある物品を新しくデザインし直してもらうというプロジェクトである。日用品が題材になり、デザインそのものが日常に深く関わる技能であるので、素材の大半が紙になることは容易に想像できる。建築家では、ポンピドゥーセンターの分館を設計した坂茂がトイレットペーパーを、また隈研吾はゴキブリホイホイをリ・デザインしている。

先ほど、紙自体が批評性を持つと書いたが、優れたデザインはそれをさらに先鋭化するのだ。著者によると、デザインとアートと違いは、アートが個人の自己表出が動機であるのに対して、デザインの出発点は社会の側にあるという。社会の人々と共有できる問題を発見し、それを解釈していくプロセスにデザインの本質があると。

最近、アートや芸術と言われると、相変わらずな「目的なき合目的性」の主張が逆に胡散臭く感じられてしまうのだが、世界全体を合理的でサステナブルな均衡へと誘導しなければやっていけないことが明らかになってきた今、むしろデザインの果たす役割の重要性が増しているように思われる。デザインは人々にそれを気づかせ、それを支えるような価値観やものの感じ方を引き出すことができるからだ。

それに加え、倫理や道徳を声高に主張することが、成熟した社会を動かすにはあまり効果的ではないということだ。むしろアーキテクチャーをデザインしていくことで、人々がそれをカッコいいと思い、ものの見方を変えてくれることに感動しながら、またそれに誘導されつつも自発的に行動していると実感しながら、社会が変わっていく。

そのような大きなパースペクティブに関わるのはモノのデザインではなく、街のデザインである。例えば、RE-DESIGN によって再生されたヨーロッパの地方都市。そのアーキテクチャーのデザインは若者を惹きつけ、人々の自発的な行動を促し、新たな公共性を構築している。もちろん、ヨーロッパを美化するつもりは全くないが、その成功例から学ぶことは多いだろう。


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5 新鮮な驚きが満載
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5 おもしろい
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2007年09月09日

アメリカの環境ファシズム

kfc01.jpgちょっと古い「NEWSWEEK日本版」7月4日号から、アメリカの話を。CRS(企業の社会的責任)がグローバル企業の重要な評価基準となっていることをちょうど1年前に紹介したが、アメリカではCSR分野での圧力がさらに高まっているようだ。禁煙運動もそうだが、禁煙ファシズムと呼ばれるくらいに、アメリカの倫理的な潔癖さには驚かされる。社会派活動家のやり方も年々過激になっている。例えば、ケンタッキー・フライドチキンによるニワトリ虐待を主張するPETA(動物の倫理的待遇を求める人々)が抗議キャンペーンとして殺人鬼姿のカーネル・サンダースを描いたバケツを作った。ペプシコ(ケンタの親会社)は標的になることを恐れ、動物実験の中止を訴えるPETAの要求を受け入れた。

PETAの反ケンタ・キャンペーン

活動家たちの中にはCSRに無頓着な企業の株を購入し、ものを言う株主になる人々もいる。社会的投資家としてグレードアップするのだ。最重要テーマは何といっても環境問題だ。泣く子も黙るアップル社とて社会派投資家のターゲットから免れることはできない。「廃棄品の受け取りは新しい製品の購入に限る」という、アップル社のやる気のないリサイクル制度が、多くの消費者&環境団体、社会的投資家の槍玉にあがり、CEOのスティーブ・ジョブズは「地球上で最も環境に優しい企業をめざす」ことを約束させられた。実はゴア前副大統領はアップル社の役員をやっていて、意外にも環境保護的な株主提案に反対票を投じた。社会的投資家はその「不都合な真実」に突っ込みをいれたらしい。

さらに驚いたのは、アメリカにはINCRという「気候リスクに関する投資家ネットワーク」が存在していることだ。INCRは総額4兆ドルもの運用資産を持ち、大手の投資銀行のメリルリンチや、アメリカ最大の年金基金のカールパースなどの公的機関も加盟している。INCRの影響力のカギは正論を押し付けるのではなく、優れたビジネス感覚にあるようだ。企業が倫理的に正しい行いをすべきなのは、それが儲かるからだと主張する。例えば、フォードが低燃費車の開発に注力しなければ、厳しい競争リスクに直面すると綿密なデータを出して説得するのだ。

しかし、すべてがうまくいくわけではない。利潤追求とCSRは相容れないという考えは根強い。著名な経済学者ミルトン・フリードマンなんかは企業の社会的な責任とは「自社の利益を増やす活動に専念することであり」、CSRなんて社会主義だと断言している。エクソン・モービルなんかは温暖化の事実さえ認めてない。INCRはエクソン・モービルに対して、温暖化を認めないと競争力を損なうと主張したが、株主たちには全く聞き入れられなかった。そりゃそうだろうな、会社の存亡に関わることだから。

最終手段は「空売り攻撃」だ。環境問題を理解しない悪徳企業には、株価で罰する。金融アナキスト、カイザーという投資家がいて、悪徳企業に空売りを仕掛けることをヘッジファンドに呼びかける。それに賛同し、新たな金脈と考えるヘッジファンドも増えているようだ。空売りとは株を借りて売却し、値下がり後に買い戻して利益を得る方法だが、これを仕手的に仕掛けると、株価は著しく下がる。やり方としてどうなのかという疑問は残るが、少なくともアメリカでは企業の利益至上主義を望まず、企業が社会的な問題に取り組むべきだと思っている消費者や投資家が多いことの証なのだろう。82%がCSRに賛成しているという世論調査結も出ており、さらに法律で義務づけるべきだという意見も多い。

アメリカは宗教的な背景なしには理解できないと言われる。アメリカを思想的に支えるのはプロテスタンティズムである。それは金儲けを悪だとしないが、あくまで「善き行い」の結果もたらされたものでなくてはならない。そういう倫理観がいつも潔癖なやり方で現れるのがアメリカらしい。京都議定書を無視していたくせに、今や環境ファシズム(?)が席巻しつつある。これもブッシュ政権弱体化の表れか。


□「NEWSWEEK日本語版」2007年7月4日号を参照



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2007年08月03日

公園で夏休み(2) vacances dans le parc

BRUTUS には、exquise さんが以前レポートしてくれた岐阜県養老町の「養老天命反転地」も紹介されていた。荒川修作がマドリン・ギンズと共同で設計した摩訶不思議な公園だ。

yoro01.jpg

「さて圧巻はこちら。楕円形にくりぬかれた土地に木々が植わり、日本地図だの屋根瓦だのが埋め込まれ、私たちはほとんどすべての部分を通ることができます。決まった順路も無いので、歩き方は自由。外側を、英語、中国語、フランス語、ドイツ語で表記された街路図が覆い、その外壁づたいに行けば、周囲の山並みも含めて壮大な風景を一望できます。

この施設には平らな部分はほとんどといって無く、気をつけていないとよろめくし、転ぶし、不自然な姿勢を取らされるし、頭をぶつけることもあるし、全く「人にやさしくない」作りになっています。けれども、地を踏みしめて進んでいくうちに、普段使っていない筋肉の存在を感じたり、目や耳を使って周囲に注意を払ったりすることになり、生きている自分の肉体を実感することになります」

ところで、BRUTUS ではエコ先進国として知られるスウェーデンやドイツの公園も紹介されていた。それらは製鉄所や造船所の跡地に、それらの遺物をリサイクルする形で作られている。その風景自体が新しい時代の変化を象徴している。

ヨーロッパでは公園は「脱クルマ社会」の新しいライフスタイルと結びついている。クルマは個人消費主義の象徴で、クルマに乗って郊外にショッピングに出かけ、遊園地やテーマパークに遊びにいくとすれば、公園は歩いて、あるいは自転車に乗って行く場所だ(いちおう都市型の公園を念頭に置いている)。路面電車とも親和性が高い(今やパリのモンスーリ公園の前を路面電車-T3が走っている)。

公園の楽しみは、ショッピングや遊園地のように、消費欲とはあまり関係がない。また楽しみ方があらかじめ決められていない。公園は自由に楽しめる場所だ。消費的なパッケージに乗ることに慣れきった私たちにとって自分で楽しむことは逆に難しいことではある。しかし、一元的な流行に乗り、ブランド物を買いまくる高度成長期の消費生活が難しくなった今、自分で楽しむことは低所得時代の合理的な生き方でもあるのだ。

「公」という字がついている通り、公園は本来パブリックな場所であることも忘れてはいけない(仏 jardin public)。そこでは消費するより、人のとのつながりを作っていくことが重要なのだ。だから新しい公園は、野外コンサート、フリースタイルのアート、あるいはフリーマーケットなどと相性がいい。

鑑賞や消費の対象でしかなかったアートや音楽のあり方も変わりつつある。「公園自体がアート」だというコンセプトが物語るように、人と人とを結びつけたり、それを後押しするアートの社会的な機能がだんだんと注目されるようになっている(過去の個別作品しか問題にできない文学より、多様なアートのアクチュアルな社会的機能を問題にする社会学が魅力的なのもそのせいだ)。

エコロジーに関していつも書いていることだが、新しい考え方を広めるには、強制することは逆効果になるし、排他的な宗教のようになってもまずい。重要なことは「日常生活」と接点を求めていくことなのだ。優れたデザインは人々の日常性に切り込んでいく。人を惹きつけ、誘導するだけでなく、考え方やライフスタイルも自然な形で変えてしまうものだ。

exquise さんが養老天命反転地についていみじくも、「私たちはほとんどすべての部分を通ることができます。決まった順路も無いので、歩き方は自由」とか、「地を踏みしめて進んでいくうちに、普段使っていない筋肉の存在を感じたり、目や耳を使って周囲に注意を払ったりすることになり、生きている自分の肉体を実感することになります」と書いているように、優れたデザインは私たちの身体と精神に自由を与え、今まで気づかなかったことを気づかせ、自分の深い部分からの呼びかけに対する感度を高める。何よりもこっちの生き方、楽しみ方が断然カッコいいと思わせる。

地球温暖化の危機を声高に叫ぶことも確かに必要なのだろうが、一方で脱クルマ社会を促す新しい都市デザインが世界中で確実に進行している。

養老天命反転地
Duisbug-Landscape Park(ドイツ:製鉄所跡に作られた公園)
Malmoe-Vastra Hamnen(スウェーデン:造船所跡に作られた公園)



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公園で夏休み(1) vacances dans le parc

「一昨年完成した札幌のモエレ沼公園。イサム・ノグチのデザインによるアート感覚あふれる大人の公園として人気です。それに続き、最近は話題の大型公園が続々完成。伊藤豊雄デザインによる公園が福岡に、イスラエルの環境造形作家ダニ・カラヴァンによる公園が奈良に。斬新なコンセプト、デザインが提案され、公園も新時代到来です。国内外、今行くべき公園が登場。今号特集は公園で夏休み!」

今週のBRUTUSは「公園で夏休み」特集。なかなか魅力的で深みのあるテーマだ。キャベツ頭さんが、去年、パリ南端にあるモンスーリ公園(写真)について書いてくれた。

「芝生の上で本を読む。というと出版社の「夏の100冊」的なコピーのようではあるが、果たしてこの極東の島国にて、そのようなシチュエーションは存在するのだろうか?…日本では外で読書をしようという気分になることはほとんどない。公園のベンチに座ってみてもどうしても人の目が気になりすぐに退散ということになってしまう。…そういう私がようやく公園デビューを果たしたのはパリの南端のモンスーリ公園にて。夏の間は、夕方から出かけて薄暗くなるまで芝生の上で本を読んだ」

DSC00580.jpg

モンスーリ公園は、各国の留学生会館のある大学都市 cité universitaire に近いので、留学生たちの憩いの場所になっている。私も夏、夕方になるとバスタオルを持参してモンスーリ公園によく昼寝や読書をしに行った。芝生の上にバスタオルを敷いて横になると涼しい風が時折吹いてくる。そこに本や音楽があるだけで贅沢な時間を過ごせた。

最近日本でも次々と新しいタイプの公園が作られているようだ。BRUTUS で紹介されてた札幌のモエレ沼公園だが、ゴミ処理場として土地を利用した後、1982年から公園造成が始まった。1988年から彫刻家イサム・ノグチが計画に参画し、「公園をひとつの彫刻」にするという構想のもと2005年にオープンした。5月には「サクラの森」のサクラが咲き、6月から9月にかけてはモエレビーチが開放され、冬になるとクロスカントリースキーやスノーボードにソリ遊びもでき、一年を通して遊べる。その他、イサム・ノグチがデザインした合計120基以上の遊具が設置された7ヶ所の遊具エリアや、石狩平野を囲む山脈を一望できる高さ50mのモエレ山や30mのプレイマウンテンがあり、スポーツ施設や音楽施設も併設されている。

もうひとつ興味を惹かれたのは、奈良県の室生山上公園。関西在住なので、札幌はちょっと遠いが、奈良県ならば足をのばしてみようかという気になる。この公園は宇陀市の室生寺をさらに上った場所に位置する。公園内の「彫刻の森」はイスラエルの彫刻家:ダニ・カラヴァンによって設計・監修されたアート施設。地すべり対策も兼ねているという。起伏ある山中には、エントランスを兼ねた二つの建物(ビジターセンターと施設棟)と二つの人工湖、幾つかの屋外立体作品が点在している。(続く)

BRUTUS(ブルータス)2007年 8/15号[雑誌]

モエレ沼公園
室生山上公園


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2007年07月04日

自転車でパリはより美しくなる!-La ville est plus belle à vélo!

velib01.jpg自転車のペダルが発明されたのはフランス。初めて自転車クラブが出来たのも19世紀後半のフランス。1903年に始まったツール・ド・フランスは自転車ロードレースの代名詞だ。フランス人の自転車好きは有名。日本に来ていた知り合いのフランス人が急な坂の多い街に住めて嬉しいとか言ってて、何でって聞いたら自転車できつい坂を上るのが何よりも楽しいんだそうだ。ありえない(笑)。

パリの渋滞は年々ひどくなり、ノロノロ運転の車のガソリン消費と、排気ガスによる大気汚染が深刻になっている。確かにパリの空気は汚い(大都市はどこもそうだが)。とりわけ高い建物もあいだを走る道路は排気ガスが溜まりやすく、余計に空気の汚れを感じる。それでもフランス人は満員の電車やバスよりも車の中で時間を過ごす方が好きなようだ。

その解決策のひとつが自転車だ。2001年にパリ市は300kmにも及ぶ自転車専用レーンを作り、4年間で通行量が47%増えた。そして今度は、自転車を自由に使えるシステムを整備する予定と、去年のニュースで読んだ。それがついに完成し、7月15日から稼動するようだ。

それは「ヴェリブ(Vélib)」と呼ばれるシステムだ。Vélo Libre(自由に使える自転車)の略と思われる。鉄道やメトロの駅の近くに自転車を据え付けたレンタル機があり、カードを使って自転車を取り外し、使ったあとは再び戻す。もちろん、どこに戻してもいい。

「ヴェリブ」の主な目的は自動車の使用を控え、できるだけ自転車に乗ってもらうことだ。このシステムはフランスの他の都市でもすでに試され、実績を上げている。リヨンでは2005年の11月と12月で、1日1万5千台がレンタルされた。1000台分の自動車の代わりになり、219トンのCO2が削減された。

1年間有効のパスを買えば、1回の使用が30分以内で、何度でも使える。もし、1回の使用で30分を超える場合は、追加料金が必要になる。最初の延長の30分は1ユーロ、次は2ユーロ、以降の延長は4ユーロづつ加算される。パリ市はこのシステムが観光にも使えると考えている。確かにパリは自転車で動くのに最適な規模と言える(モンマルトルのような坂の多い地区もあるが)。

このシステムの情報がまだ行き届いていないこともあり、市民に不安を巻き起こしている。まずは確実に借りられるだけ自転車の数が十分確保されているのかという不安だ。通勤に使うとしても、行ってみたら自転車がすべて出払っていたということもありえる。また自転車を戻そうとしたときに、レンタル機がいっぱいだったら自転車を戻せない。その場合は確かに途方に暮れるだろう(急いでいるときに限ってそういうことが起こる)。このような不確実性が通勤用として普及させる際のネックになるだろう。

サイトの「よくある質問コーナー」を見てみたら、自転車を返す空きがない場合、最寄の別のレンタル機の空き状況を教えてくれると書いてあった。15分の猶予の時間も一緒に。

自転車は3万キロの走行に耐えうるように頑丈に作られている。そのため重量が22kgあり、見た目にもかなり重く見える。モーター付の電動自転車のような外観だが、ふつうにペダルをこいで走る。クレジットカードのデータが最初に借りたときに記録され、24時間以内に自転車が戻されない場合は、容赦なく罰金150ユーロが引き落とされる。

とはいえ、このシステムがヨーロッパの各都市でもモデルになればと期待が高まっている。「人口集中と自由な移動」という矛盾する欲望を調停するためには、これが最良の方法なのだろう。さらに重要なのは、このシステムによって、市民の公共性が問われるということだ。これは公共性や環境問題への問いかけであり、どのような社会を選択するのかという問題提起なのだ。日本では路面電車の導入と同様、むしろ地方都市が見習うべき政策かもしれない。


VELIB-site officiel


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2007年06月23日

蝶の国勢調査

papillon01.jp すでに記憶の中にしかいない動物や昆虫が多々存在する。「月に雁」よりは格が落ちるが、かつてアジサイにはカタツムリがいた。今はアジサイは咲いていても、カタツムリはいない。私は比較的自然の多い場所に住んでいる。近くにはホタルの幼虫を放流して、ホタルを観賞できる川が流れている。それでもカタツムリは見かけない。

小さいころ、何を思ったか庭のカタツムリを全部つかまえて集めてみようと思い立った。カタツムリの人口調査だ。ちょうど今頃の梅雨の季節だった。アジサイの茂みの中に入っていくと、大きいのやら小さいのやら、無数のカタツムリが見つかった。このアジサイの茂みは深く、隣の家の庭にまで連なっていた。大きなタライの中に捕まえたカタツムリを次から次へと放り込んだ。全部数えると112匹いた。この数字だけはしっかりと覚えている。梅雨空に向かって伸びた456の目玉とヤリがゆらゆら揺れていた。記憶の中でカタツムリはわがもの顔に増殖していたが、今から思えば、環境に敏感な生物だったんだなあと思う。

カタツムリといえば、数年前、スペインのアンダルシアで出会った。それは煮込み料理として出来てきた。スペインのカタツムリは日本のものと全く同じ風貌で、殻がついたまま小鍋の中でひしめいていた。小麦粉を食べさせて胃腸をきれいしてから料理するのだというが、私は食べ物に関してはイメージ先行型で、とうとう手をつけれなかった。

カタツムリといえば、フランスではエスカルゴ。フランス料理を代表する食材のひとつだが、ブドウの葉につくブルゴーニュ産のエスカルゴは乱獲のために絶滅の危機に瀕していて、今はほとんどが輸入ものらしい。

本題はカタツムリの話ではない。蝶の話だ。ちょっと古い、去年の3月23日の「ル・モンド紙」に出ていた記事から。「1,2,3…庭に出て蝶の数を数えましょう!」。自然科学博物館の後援で、「ノエ・コンセルヴァシヨン」というエコロージー団体が蝶の数の調査を始めた。日本と同じようにフランスも環境破壊によって、野原に生息する蝶の数が激減し、絶滅の危機に瀕している種も多い。そこでまず蝶の国勢調査をしようというわけだ。フランスの全土に共通して生息する28種が選別され、「ノエ・コンセルヴァシヨン」のサイトに写真と特徴などが掲載されている。サイトに登録した調査者は、自分の庭にどの蝶が何匹いたかをオンラインのフォーマットに記入して、サイトに報告する。そうやって集められたデータを自然科学博物館の専門家が収集・分析する。そしてデータは調査者にフィードバックされるというシステムになっている。

注目すべき点は、ネットが「個々の庭」をつなぎ、フランスの自然という「ひとつの大きな庭」にまとめあげていることだ。「自分の家の庭」という身近なフィールドが「フランスの自然」全体と意識の中でつながる。エコロジーの意識が高まるのは、何よりも自分の日常と世界がつながっていると実感する瞬間なのだから。

ノエ・コンセルヴァシヨン


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2007年05月02日

STOP RADIOACTIVITY!

Radioactivity01.jpgまず先日行われた日米首脳会談の数少ない成果のひとつがコレだ。

「米エネルギー省のスパージョン次官補は27日、毎日新聞などと電話会見し、日米首脳会談の共同声明に盛り込まれた原子力エネルギー共同行動計画を通じ、日本がリードする高速増殖炉技術などでの協力拡大の意向を示した。また、中国やインドなど海外市場への原子炉や関連技術の供給で、日米の連携強化に期待を表明した」
(4月28日、毎日新聞)

Yahoo!のトップページで見つけた「月刊チャージャー」で、現在の原発の問題をわかりやく解説している。全文に目を通すことをお薦めしたいが、重要な部分をいくつか抜き出してみる。

「原子炉のメンテナンス、掃除はどうやるか知ってますか? 発電所の原子炉は1年に1回程度運転を停止して定期点検や補修をします。停止直後の炉内は放射能汚染がすごいから、重装備でも被曝する。だから、電力会社や発電機メーカーの人間が最初に入るんじゃなくて、日雇いのようなシステムで肉体労働者が中に入って、雑巾で放射能を拭き取ることから始まるんです。労働者の「ノルマ」は被曝量。つまり、被曝量が一定レベルに達すると解雇される。原発問題は、安全や電力需要という以前に、人間の尊厳に関わる問題なんですよ」

「岸信介(安倍首相の祖父)は、原子力開発が自動的に核武装する力を保持することになると自伝の中で明記してます。佐藤栄作も外務省の内部文書で、原子力利用を推進して核武装へのポテンシャルを高めることや、エネルギー利用の真意が国民に悟られないように細心の注意を払うべきだということを主張しています」

「六ヶ所村の再処理施設は、事故が起きなくても1日で日本中の原発が1年間で出すのとほぼ同量の放射能(いわゆる死の灰など)を排出するといわれています。半分は空気中、半分は海に捨てられるんですね。私は定年まで1年を残して大学の職を辞して、今住んでいる三浦半島から長崎へ引っ越すことを決めたんですが、六ヶ所村から少しでも離れたいというのも理由のひとつなんです」

「もし、六カ所村で事故が起きたら? 六ヶ所村の工場のモデルでもあるフランスのラ・アーグ再処理工場で、一度大事故一歩手前の事故がありました。冷却水を送るためのモーターの電源が落ちて、バックアップもできない状態になってしまった。工場の従業員たちは大急ぎで自宅に逃げ帰ったそうです。せめて、家族と一緒に死にたいってね。その時は奇跡的に電源車が間に合って大惨事にはならずに済みましたけど、もし大事故になっていたらヨーロッパのほぼ全域が壊滅していただろうというシミュレーションもあります」

★「月間チャージャー:原発問題研究者に聞いてみました−北朝鮮の核開発も脅威だが、日本の原子力発電も大丈夫なのか?

日本と同じ原発推進国のフランスでは上記のようなとんでもない事故が起こっている。フランスは中央集権的な国なので、ラ・アーグ(La Hague:ノルマンディー地方、映画で有名なシェルブール Cherbourg の近く)に関しては政府が調べた資料はほとんど公開されない。1980年代、ラ・アーグ周辺地域が周囲の町に比べて、放射能の汚染による子供のガンや白血病の出現率が10倍も高いという新聞記事が出たことがある。しかし、国としては徹底的な調査というものを決してやらない。それをやると再処理工場を止めることになってしまうから。それゆえいつまでも環境や人体への影響が全く不明なまま放置されている。

日本とフランスは核をめぐって付き合いが深く、95年以来、フランスから相互の契約によって高レベル廃棄物ガラス固化体が、青森県の六ヶ所村にある再処理施設に続々搬入されている。

「月刊チャージャー」でも触れられていたが、最近「地球温暖化には原子力しかない」というディスクールがまことしやかに流通しているのが気にかかる。三菱重工(アメリカで原発を受注)や東芝などの原子力関連企業が脚光を浴びている。

一方でマスコミとは違うルートで「六ヶ所村」に関する情報が目につくようになった。


■音楽家・坂本龍一が運営する stop-rokkasho.org
http://stop-rokkasho.org/

■「ストップロッカショ.jp」:stop-rokkasho.org に賛同し、六ヶ所再処理工場をとめるため「ストップロッカショムーブメント」を全国的に盛り上げる情報・交流・発信センター
http://stop-rokkasho.jp/


■「六ヶ所村ラプソディー」:「核のゴミ」とともに暮らす六ヶ所村の人々のまわりに暮らす六ヶ所村の人々のドキュメンタリー映画。日本全国で自主上映が行われている。
http://www.rokkasho-rhapsody.com/

*ストーリー*
rokka01.jpg☆2004年、六ヶ所村に原発で使った燃料からプルトニウムを取り出す再処理工場が完成した。
☆この工場の風下には豊かな農業地帯が広がっている。菊川さんは12年前からチューリップ祭りを開催し、再処理計画に反対し、くらしに根ざした運動を実践している。
☆隣接した村々で農業を営む人々、特に有機や無農薬で安心、安全な作物を作ってきた農家もまたこの計画を止めたいと活動している。
☆一方、六ヶ所村の漁村、泊では職を失った漁師の雇用問題が深刻だ。村はすでに再処理を受け入れ、経済的にも雇用の面でも必要だという考えが行き渡っている。
☆2005年、イギリスの再処理工場で事故が起きた。取材で見えてきたのは事故の影響よりも、44年間日常的に放出されてきた放射性物質の行方だった。
☆圧倒的な力と経済力に、普通の人々はどうやって立ち向かっていけばいいのだろうか。その取り組みを、人々の営みをそしてそれぞれの選択を見つめてゆく。

鎌仲ひとみ監督のコメント


Radioactivity / Kraftwerk (Live Video from Youtube) ←Click!

STOP RADIOACTIVITY(=放射能)!と歌う クラフトワーク Kraftwerk のメッセージソング(?)。曲自体もカッコいい(個人的には流麗でグルーヴィーなウイリアム・オービットのリミックスがお気に入り→トップのジャケ)。クラフトワークはYMOにも影響を与えたドイツの元祖テクノポップグループ。坂本龍一のサイトにクラフトワークから曲が提供されたそうだ(サイトでダウンロード可)。曲の中では放射能汚染にまつわる4つの都市、チェルノブイリ、セラフィールド、ハリスバーグ、ヒロシマが歌われている。

チェルノブイリ(Tschernobyl):ウクライナの北部に位置するゴーストタウンで、1986年に発生したチェルノブイリ原子力発電所の爆発事故により、放射性物質に汚染され廃墟と化した。日本で降った雨にも放射能が確認されたという当時のニュースをよく覚えている。詳細はコチラ

*セラフィールド(Cellafield):イギリスはイングランド、カンブリア州のアイリッシュ海沿いにある村。イギリス核燃料公社 (BNFL) 所有の工場の名でもある。30年前はウィンズケールと呼ばれていたが、放射能汚染であまりに悪名が高くなったので、セラフィールドに改称された。1957年のウィンズケール時代には「ウィンズケール・ファイアー」として知られる軍事用プルトニウム生産炉の火災事故が起こっているが、2年前の2005年にソープ Thorpと名を変えた再処理工場で、使用済み核燃料の溶解液が配管から漏えいする大事故が起こった。日本ではほとんど知られていない。83立方メートルの放射性廃液は施設内に溜まったままで、外部に対する安全性は問題になっていないが、全く手をつけられない状態で、会社は潰れるだろうと言われている。またセラフィールドの地に降りたカモメは放射能を拡散させる恐れがあるので、射撃の名手によって撃ち落とされ、核廃棄物として冷凍庫に保管されているという話もある。しかし、これらは決してヨーロッパでは隠された話ではない。セラフィールドは自らが引き起こしている海洋汚染(海への汚染物質の排出)に対してノルウェーやアイルランドに訴えられている。ノルウェーの首相がテレビ放送を使って、イギリスの放射能放出に抗議するためにベルゲン市民に市街に出るように呼びかけるという信じられない出来事(2002年3月)も起こっている。その日、ベルゲン市では北海をとりまく10カ国の環境大臣会議が行われており、市民は首相の呼びかけに応じてその会場に押しかけた。六ヶ所村で起こりうることも、推して知るべし。(セラフィールドに関しては下のリンクにある「放射能がクラゲとやってくる」を参照。読みやすい小冊子です)。

ハリスバーグ(Harrisburg):米国ペンシルバニア州の首都。1979年3月28日にそこに位置するスリーマイル・アイランド原子力発電所の2号炉(TMI-2)で大きな事故が起こった。この原発事故は通常「スリーマイル・アイランド」という言葉によって語られるので、ハリスバーグという名前には馴染みがないかもしれない。

ヒロシマ:広島は長崎とともに第二次世界大戦末期にアメリカ軍によって原爆を投下された。原爆投下を経験した唯一の被爆国である日本は広島・長崎を通して世界に平和と核廃絶を訴えてきたが、近年、自民党政治家による核保有発言が飛び出している。またつい先日、長崎市長選挙の真っ最中に現職候補の射殺事件が起こった。


放射能がクラゲとやってくる―放射能を海に捨てるってほんと?
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おすすめ度の平均: 5.0
5 おねがい、 間にあって!!
5 海に放射能を捨てないで!六カ所村の再処理施設を稼働させないで!


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posted by cyberbloom at 12:39 | パリ | Comment(0) | TrackBack(2) | エコロジー+スローフード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2006年04月06日

『ファストフードが世界を食いつくす』−BSE問題の背景

ファストフードが世界を食いつくす税関で食用牛の危険部位が見つかった事件を受けて、体たらくな日本のマスコミですら、アメリカの食肉事情の内幕を暴露し始めた。アメリカ政府が食肉の業界団体と癒着していること、すでにアメリカで発症したBSEをもみ消していること…。アメリカの要人が次々と日本にプレッシャーをかけるが、BSE問題がどのように決着するのか目が離せない。

以前、エリック・シュローサーの著作、『ファストフードが世界を食いつくす』と『ファストフードと狂牛病』を取り上げたが、とりわけ前者が赤裸々にリポートするアメリカの食肉産業の実態はスプラッター映画を思わせる。食肉加工工場の光景は凄まじく、「アメリカの解体方法では、本来安全な部分にも危険部位が混ざる可能性がある」ことをリアルに伝えている。アメリカでの視察から帰ってきた議員さんや業界の人たちも「解体方法が雑だ」と口々に言っている。

ファストフードと狂牛病アメリカのファーストフード業界が「スピードと効率」を果てしなく追求した結果、極端な合理化が非合理へと反転してしまった。そういうシステムの最大の被害者はジャンクフードの消費者であるアメリカ国民自身だ。過剰な脂肪と添加物で健康を脅かされ、自国の食文化は破壊されてしまっている。

この「スピードと効率」は産業自体の構造でもある。mcjob(マックジョブ)という言葉がある。要するにマックのバイトの仕事だが、「夢も希望もない低賃金の仕事」を意味するらしい。さらに「裏マックジョブ」と呼ぶべき仕事がある。現場は先ほど述べた食肉加工工場だ。そこでは不法移民など、アメリカの最底辺の人々が劣悪な労働に従事させられている。次から次へと送り出されてくる肉の塊を休みなくチェンソーや電動ナイフで切り刻む。誤って隣の同僚や自分の身体の一部を切り落とす事故が頻発するが、もちろん怪我をすれば即刻解雇。確かにこれじゃ、危険部位もへったくれもない。あまりにひどい労働環境に覚醒剤まで支給されているのだとか。ファーストフード・マシーンはあらゆるレベルで人間の尊厳と文化(つまりは人間と自然の関係のあり方)を破壊し、世界に拡散しているわけだ。

地球は売り物じゃない!―ジャンクフードと闘う農民たちフランスにもマクドナルドが多いが(実はフランス人は無二のアメリカ文化好き)、マクドナルドを「多国籍企業による文化破壊の象徴」として解体してしまったジョゼ・ボヴェという戦う農民がいる。彼は遺伝子組み換え作物の刈取活動にも取り組んでいて、一見過激に見える反グローバリゼーション活動だが、フランスでは一定の支持を得、地方の主張や国の行動に確実に影響を与えている。

長寿県として知られる沖縄で平均寿命がどんどん下がっていると聞く。沖縄はアメリカ軍の基地のおかげで、マクドナルドが日本に初上陸した場所。歴史が長い分だけ、他県よりも影響が深刻なようだ。1ヶ月マクドナルドのみを食べ続けるという、モーガン・スパーロック監督が自ら実験台となった恐怖の人体実験ドキュメンタリー「スーパーサイズ・ミー」のDVDも出てるので要チェック!。

さらにリチャード・リンクレーター監督が新作『ファースト・フード・ネイション』を撮った。これは『ファーストフードが世界を食い尽くす』をベースにしており、著者のシュローサーも脚本に参加。こちらは『スーパーサイズ・ミー』と違って、あくまでフィクションの作品だが、食肉加工工場の凄まじい実態が克明に描かれている。ファーストフード業界からの反発を避けるために別のタイトルで製作が進められ、店の名前もマクドでなく、「ミッキーズ」になっている。歌手のアヴリル・ラヴィーンも出演。アメリカの内部からこのような自己批判の表現が出てくることはとても頼もしいことだ。それでこそアメリカだ。

「ファストフード・ネイション」を見る前に(08/02/10)
★最近、このエントリーへのアクセスが急増しているので、同じテーマで新しくエントリーを書きました。こちらもご覧ください。





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