2011年12月03日

長崎県立美術館

「清々しい」「爽快な」「晴れ晴れとした」・・・

その印象を一言で表現しようとしながらも、ボキャブラリー不足を痛感しつつ。
東日本大震災から1ヶ月半が過ぎ、どうにも晴れない気持ちと楽しむことへの若干の後ろめたさを引きずりつつもGW休暇で訪れた長崎。
そこでふと訪れた県立美術館があまりに居心地よかったので、少しここでレポートをば。

長崎駅から路面電車で15分ほど、港に面した公園と一体化した立地にそびえる長崎県立美術館。
小さな運河を橋でまたぐ形の2つの館で構成されたこの建物、ガラスの壁面とそれを囲む細長い石版の層(まるで縦向きのブラインドのよう)がその躯体の大きさにしては意外なほどの軽やかさと、ガラス張りの建築物にありがちな刺々しさ、冷たさを打ち消す落ち着きを併せ持たせていて、なんとも不思議な「軽快な壮大感」を醸し出しています。





エントランスの吹き抜け部分は3方がガラス壁面。
空を背景に見上げる高い天井からすっと地に伸びる企画展のフラッグは色彩も軽やか。



(以下写真は伏せ顔にて失礼)
ああ、もう建物だけでもだいぶ満足と思いつつ2階の企画展エリアへ向かいます。

各階の天井が相当高い館内は展示室以外のほとんどが天井までガラスの外壁のため、通路という通路が光にあふれていながらもすぐ目の前が公園と海(そして驚くほどモダンで巨大なアリコジャパン長崎)。
少し繁華街からも離れているため全ての視界がとても開けていて、2階の通路は特に浮遊感が漂う気持ち良い空間となっています。



現在の展示は「スウィンギン・ロンドン50'sー60's」(5/22まで)。
イギリスだけに限らない今でも垂涎、のフューチャリスティックレトロな名デザイン満載。
ケースに入れられないで間近で全方向から眺めることのできる展示品も多く、広々とした空間使いの妙に歩く疲れを忘れます。

他にもいくつかのコレクション展が開催されていましたが、自然光の入る展示室に飾られた様々な色のモザイクはテレビや本では絶対に伝えることのできない、無数の色と質感・空気感に包まれる感覚。長崎のアーティスト、井川惺亮の作品もとても良かったです。

あと展示エリアの他にこの美術館を好印象づけているのがカフェと屋上庭園。
運河を見下ろすガラス張りのカフェは日本の名シェフの1人、上柿元勝がプロデュース。
メニューのバリエーションは多くないけれど、スープがかなり美味しかったので他のメニューも期待できそう。(空腹でなくてスープしか頼めなかったのが残念。写真も忘れてました・・・)

屋上に上がるエレベーターは扉が開くと、一気に目前に広がる展望に驚かされます。
背景には山と住宅、そして街。それにつながる港と海、向かいの島。そして船。



・・・この位置に船?

ここでふと気がつくのが長崎でずっと感じていた何かの違和感。
自分は神戸在住なので海と山と街というのは全く見慣れているのですが、この屋上から見渡すと、長崎では全てが他にありえない近さで共存しているのが一目でわかります。

神社・お寺・古民家、異国情緒たっぷりの洋館と庭園、レトロな路面電車、繁華街、ビジネスホテル、近代的建造物、大型船、漁港・・・
何もかもが近くて妙にしっくりなじんでいるような、そんな魅力が長崎にはあります。
悲劇の歴史が残したものは排他主義や憎しみではなく、優しい寛容さに昇華されているのかもしれない、というとかっこつけてまとめ過ぎかもしれませんが・・・

どうしてこの街をこんなに面白いと思ってしまうのか、その理由が1つ見つかったのはこのシチュエーションならではの気がして、あらためてこの美術館をスゴイと思ってしまった次第でした。

ちなみにここ、展示エリア以外は無料で散策できるのでカフェ利用、屋上庭園でまったり過ごすという普段使いができるのがうらやましい。屋上ライブなどのイベントも開催されているようです。
長崎探索の際にはぜひ、おすすめです。



あちこちに見られる館内のサインも洗練されてます。

→長崎県立美術館
http://www.nagasaki-museum.jp/

がんばれ東北号

街中を走る路面電車は様々なデザイン。こちらは東北応援号。

□初出2011年5月6日(main blog)




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2009年07月14日

金沢21世紀美術館

ronmueck.jpg室生犀星や泉鏡花も暮らした金沢はしっとりとした情緒があり、落ち着いた雰囲気が素敵な街で、親戚がいることもあってこれまで何度か遊びに行きました。数年前に金沢21世紀美術館がオープンしてからは、ますますその魅力を増したように思います。今回も刺激的な展覧会「ロン・ミュエック展」が開かれているので見に行ってきました。


ロン・ミュエックは1958年オーストラリア生まれで現在はロンドンで活動するアーティストです。もともとテレビや映画用の模型やパペットを作っていた彼は90年代後半から人間の身体を扱った彫刻作品制作を始めました。


展示室に入って実際に見てみると、その驚くべきリアルな表現に目が釘付けに。静脈が透けて見える皮膚、髪の毛や体毛や爪ひとつひとつが、シリコンやファイバーグラスを用いて克明に再現された彫像たちは、今すぐにでも動き出しそうです。モデルになっているのは若さやエネルギーがあふれた青年や娘ではなく、くたびれて皮膚もたるんだ中年の男女や生まれたての赤ん坊であるのも特徴的で、彫刻のモデルになりそうもない人びとが、本物そっくりにほとんど一糸まとわぬ姿で人の目にさらされているわけですから、彼らのプライベートな部分を覗き見しているような困惑を感じました。


ronmueck5.jpg


人体の緻密な再現とは対照的に、彫像の大きさはいわゆる「等身大」のものはひとつもなく、5メートル近い赤ちゃんや普通の人の半分の大きさの男女のように、極端に大きかったり小さかったりします。また上半身と比べて下半身が小さいとか、頭部が妙に大きかったりとか、身体全体のバランスも意識的にゆがめてあるようです。その点で「これは本物の人間ではない」という感覚を与えられるためか、これだけリアルなわりには作品自体はそれほどグロテスクではありません。そういったリアルな部分と非リアルな部分が同時に感じられる彫像は、これまで見たことのないものばかりで、気持ちがよいとは決して言えないけれど、不思議な気分にさせられる展覧会でした。


pool.jpgこの美術館はガラス張りの円筒形の建物そのものも面白い施設で、夏休み期間ということもあってか、平日とはいえ大勢の人でにぎわっていました。レアンドロ・エルリッヒの「スイミング・プール」やジェームズ・タレルの「ブルー・プラネット・スカイ」といった、直接そのなかに入り込める常設の作品はいつ見ても新鮮です。ミュエック展のほかにも見学者が参加できる日比野克彦のアート・プロジェクトや、地元のアーティストの作品展などが並行して催されていて、創設からまだ5年も経っていないうちにすでにこの由緒ある街の中に溶け込んでしまっているのだなあという印象を受けました。残念ながらミュエック展は今月末までですが、今後も新鮮な企画を楽しみにしています。

★この記事は200年8月31日にmain blogに掲載


妹島和世+西沢立衛/SANAA 金沢21世紀美術館

金沢21世紀美術館
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2008年09月30日

河鍋暁斎

 京都国立博物館で河鍋暁斎展を見てきました。

暁斎妖怪百景 「泣きたくなるほどおもしろい」というコピーのとおり、泣きと笑い、その他に恐怖やおどろき、やさしさなど、あらゆる感情を存分に堪能できました。

 幽界・冥界、俗世界。森羅万象。物語に鳥獣戯画。地獄の閻魔と美しい仏。
 技術面では、ごちゃごちゃ言わずとも、圧倒的に上手い。タッチだけでなく、画面の大きさも構成も意図的、効果的に使い分けられていて、表現世界の広さがすごい。なにより観察眼の鋭さが桁違いだと思いました。
 
 幽霊といえば、円山応挙が有名ですが、応挙の幽霊がどこか幽玄なのに対し、暁斎の幽霊は、本気で怖かったです。これ以上ないくらい恨めしげな目つきは忘れられません。
 蟹や、踊る猫、蛙、お茶目な妖怪は現代でもマンガとして通じるんでは?微笑ましいです。よく観察されているせいか、戯画化しても嘘くさくない。
 骸骨のモチーフが結構出てきます。「九相図」(死んでから土に還るまでの過程)のリアルなものから、踊ったり三味線弾いたりしてるものも。
 お弟子さんのために描いた手本もありました。コンドル(お雇い外国人。鹿鳴館の建築家)も弟子だったので、お手本もいろいろ試行錯誤の跡がありました。
 
 閻魔大王は、地獄で審判を下す、こわーい絵ばかりではなく、「こんなはずでは」とうろたえる閻魔さまもありました。今は、子どもを叱る時に閻魔大王は引き合いに出されるんだろうか?(私は祖母に閻魔さまを引き合いに出され、よく叱られました。)
 パンフレットなどに一休さんが載っていますが、とても高僧とは思えないおどけた(そして何気にエロ爺な)一休さんです。
 若くして死んだ少女のために描いた絵は、絵本のように優しくて愛らしい、繊細な感じ。
 インパクト大だったのは「放屁合戦」。…なんか凄まじい光景です。後ろにいたおじいちゃんが笑ってました。

 同じ会場で見ていた外国人の二人組が「crazy painter」とか、「amazing」とか何度も呟いてました。
 
 めちゃくちゃ精巧なのに、飄々としてる。目一杯勉強してるけど、ガリ勉に見えない。
 作品を見てると、豪気で粋な、遊んでるけどまじめなのか、まじめに遊んでるのか、そんな感じのおじさんを想像してしまいました。
 今年は没後120年だそうですが、120年経ってもこの迫力と存在感。
 芸術に限らないですが、物理的な意味ではなく、今あるもので120年の時間に耐えられるものって何だろう?
 

□京都国立博物館「絵画の冒険者 暁斎」(注:2008年4月月8日〜5月11日、すでに終了しています)

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5 綺麗でかっこいいし、、
5 一番恐ろしいのは暁斎の顔!




tk(2008年4月16日)

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2008年07月15日

室生山上公園 芸術の森

IMG_1969.jpgにわかに春めいて気持ちのよい気候になってきたので、前から気になっていた奈良の「室生山上公園 芸術の森」へ行ってきました。のどかな山道を車で上っていくと、「え、こんなところに?」という感じの場所に入口が見えてきます。私たちは南入口から入りましたが、そこには「ビジターセンター」と称する非常に現代的な建物がありました。最初そこには人の姿が見当たらず、おやと周囲を見渡すと横手から作業着姿の管理員さんが「このごろシカの害がひどくて、植え込みを全部刈ってたんですよ」という言葉とともに現れました。「草のなかにうっすらとすじになって見えるのがけものみちですよ」という言葉に、もしかしたら野生のシカにもお目にかかれるのかなと思いつつ入場。


小道を下ると湖と橋でつながった3つの島が見えてきました。まんなかの島にはピラミッドのようなモニュメントがそびえています。橋を渡って島に立ってみると、円形のステージのまわりに細かな石がびっしり敷き詰めてあります。島の縁のエッジをきかせた始末といい、とても綿密な指示のもとで作られているようです。ピラミッドの島を囲むように湖岸には階段状の観覧席が配置され、ここでコンサートやファッションショーを行ったらいいだろうなあという設計でした。


IMG_1972.jpg湖を通り過ぎて小さな棚田を横に見ながら道を下って行くと、今度は小さな湖が見えてきました。ここにも「天文の塔」と呼ばれるモニュメントを備えた島があり、四角いアーチが連続する「太陽の道」に貫かれています。塔の上まで登ってみると意外と高く、春の陽気のもと公園全体が見渡せて気持ちがいい。



IMG_1997.jpg湖の向こうに螺旋状の白い道がありました。道の一端は渦巻き状になっており、もう一端には美しい木がそびえています。道の途中には日時計があり、正確な時間を教えてくれます。道の向こうには竹が螺旋状に植えられていて、モニュメントやアーチの直線や強調されたエッジに対して円や螺旋の曲線がやわらかみを添えていることがわかります。



もう一方の入口である北入口もガラス張りのロッジのような美しい建物で一休み。置いてあった資料から、この公園は、イスラエル生まれの彫刻家、ダニ・カラヴァンが設計したもので、芸術作品である一方で、地滑り対策のための施設でもあることなどを知りました。しばらくしてから再出発。この日は少々肌寒かったのですが、晴れわたった空の下景色を見ながらてくてく歩いていくと大変心地よく申し分のない気候でした。思いっきり全身に花粉も浴びた気もするけれど。


再びビジターセンターに戻ると先ほどの管理員さんが「いかがでしたか」と出迎えてくれ、「太陽の道」は北緯34度32分の軸線上にあり、この線は何と室生寺、長谷寺、伊勢斎宮跡といった歴史的な建築物を結んでいるということ、棚田は昔の原風景を表現したものであること、など公園について丁寧に説明してくださいました。「夏の季節には植物の様々な緑の色にモニュメントの赤が映えてきれいですよ」とも教えてくださったので、また違う季節に訪れてみたくなりました。


ところで公園は年末から2月末まで閉められており、私たちは再び開園してまもない頃に行ったことがわかりました。そのためか散策中公園にいたのは私たちだけで、貸し切り状態の贅沢な気分をぞんぶんに味わうことができたのでした。残念ながら野生のシカにはお目にかかれなかったけれど、彼らの「置きみやげ」はいたるところに発見できました・・・





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2008年07月08日

丸亀市猪熊弦一郎現代美術館

IMG_1747.jpg香川県は、私にとって大変魅力的な県です。まわりに広がる美しい海の景色や壮大な瀬戸大橋、のんびりしてちょっとひなびた感じの山道、いたる所にある安くておいしい讃岐うどんの店・・・すべてがツボです。それに加えて、香川県は現代アート作品の宝庫でもあります。公立の美術館をはじめ、イサム・ノグチ庭園美術館、瀬戸内海に浮かぶベネッセアートサイト直島など見どころがたくさん。おまけに県庁舎は丹下健三設計です。先日もまた行きたい病に取り憑かれ、今年いちばんの寒波のなか早起きして行ってきました。これまで4回訪れたのですが、行くと必ず足を運ぶのが丸亀市猪熊弦一郎現代美術館です。


この美術館はその名の通り、香川県出身の画家猪熊弦一郎の協力で作られたもので、ニューヨーク近代美術館(MoMA)の新館も担当した谷口吉生による設計です。JR丸亀駅の前にそびえたつスタイリッシュな建物の入り口には猪熊氏の壁画やオブジェが配置されていて、建物自体がひとつの作品のようです。駅前にこんなカッコイイ美術館があるなんて、本当にうらやましい。


IMG_1772.jpg内部の空間設計もすばらしく、それほど大きな美術館ではないのにゆったり落ち着いた気分になれます。もちろん猪熊氏の作品は常設展示で見ることができ、おそらくマティスやピカソに影響を受けた若かりし頃の作品から、抽象絵画へ移行した円熟期、シンプルで素朴なタッチが何だか愛らしい晩年の作品までじっくり見ることができます。作品は定期的に入れ替えているようで、行くたびに新鮮な気分で鑑賞することができました。


並行して行われている企画展も見逃せません。今回はフィンランド出身の女性アーティストで、写真やヴィデオ・アートを中心に表現活動しているエイヤ=リーサ・アハティラの個展が催されていました。2つの写真を並列させて、見る側にそれらの関係性を探らせる「セノグラファーズ・マインド Scenographer's Mind 」シリーズがまず興味深かったです。おしゃべりをしている2人の少女とターミナルに横付けされた飛行機、という言ってみればそれぞれ何でもないような写真が、ひとたび並べられると、私たちはどうしてもその2つを関連づけてひとつの「物語」を考え出そうとしてしまいますし、それが作品のねらいでもあるように思えます。


eija-liisa A.jpg

彼女の特徴であるという「物語性」を最も感じることができるのは、今回いちばん大きな作品である「祈りのとき The Hour of Prayer 」で、4つのスクリーンに映し出される映像と彼女自身によるナレーションによるものです。最愛の犬をガンで亡くした体験と、遠く離れた地で早朝に聞いた犬の合唱の話が、彼女の口から語られてひとつになることで高揚感が生まれ、そして最後に高らかに歌う彼女が何と力強く美しいことか。静かに心を揺さぶられる作品でした。


残念なことに、このアハティラ展で目にすることができるのは5作品のみ。彼女に興味をもって調べてみたところ、何と今パリのジュ・ドゥ・ポムで大きな回顧展が開かれているそうで、こちらでは彼女の作品の大半を鑑賞することができるようです(この情報はこの記事が main blog に掲載された2008年2月27日のものです)。パリへひとっ飛びして、という希望はとうていかないそうにないので、せめてこの展覧会のカタログをアマゾンで取り寄せてその雰囲気を少しでも味わいたいと思っています。





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2008年03月19日

モエレ沼公園

moere1.jpgこの夏休みの終わりに、初めて北海道を旅する機会を得て、念願のモエレ沼公園へ行くことができました。


住宅街を抜けるとすぐに巨大な駐車場に到着。そこへレンタカーを止め入場です。広大な敷地だということで、今度は自転車を借りていざ公園へ。


東側の入口から入ったので、右手にガラスのピラミッドが見えてきました。ここはレストランや展望台などのある休憩施設なので、最後に寄ることにして、まずはちょうど運転中の「海の噴水」へ。円形に湧き出る噴水はどことなくSFチックだなあと思っていたら、今度は垂直に水が吹き上がりました。壮大な眺めに見惚れていると、強い雨が降りだし、急遽ガラスのピラミッドへ避難。


moere2.jpgピラミッド内部はまるでモダンな美術館のように白で統一された空間でした。上階には小さなギャラリーもあって公園の概要やイサム・ノグチの活動が紹介されています。偶然ファッション雑誌の撮影場面に出くわしましたが、どこにモデルさんが立っても絵になるような建物でした。


雨もどうやら止んだので、再び自転車で出発です。「サクラの森」と呼ばれる方へ進んで行くと、ところどころで小さな遊び場を通過することになるのですが、そこに設置してあるブランコだのすべり台だののひとつひとつがえらくカッコいい。どこぞで見たイサム・ノグチの彫刻の縮小版も置かれているのだけれど、それがまた子供用の遊具としても見事に成立しているのです。

 
「サクラの森」を抜けると、美しく刈り込まれた芝生が目の前にぱあっと開け、幾何学的な山々や、モニュメントが見えてきます。「公園をひとつの彫刻にする」というイサム・ノグチの構想どおり、ここでは自然の素材と金属やガラスといった無機物を組み合わせた巨大な芸術作品が実現されていました。一方でそれらの造形がピラミッドや古墳をイメージさせるので、遺跡に入り込んだような不思議な気分にもなりました。


moere3.jpg「プレイマウンテン」と呼ばれる山に登ってみました。頂上まで行けるのかと最初は不安でしたが、意外とすんなりとたどりつきました(最初に思いっきりこけたけど・・)。雨が降ったときはどうなることやらと思っていましたが、最後には美しい青空のもとで公園を一望することができました。虹のおまけまでついて。


「芸術作品」というととても敷居が高い感じがするけれど、モエレ沼公園は入場料は無料で、ペットも連れていけるし、夏にはビーチで水遊び、冬は山でスキーやソリ遊びが楽しめ、野球場、陸上競技場やテニスコートでスポーツをすることもできます。各施設でさまざまなイベントも企画されていて、10月の予定表には「結婚式」というのもあり、観光客だけでなく地元の人々にも親しまれているんだなあと思いました。


あとで調べてみたら、ガラスのピラミッドの夏の冷房の一部には、冬に蓄えられた雪を用いるなど、環境への配慮も見られ、見てくれだけでなく見えないところでも「がんばってる」公園なのでした。また違う季節に行ってみたいです。


モエレ沼公園 公式ページ




exquise(2007年10月5日)

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2008年03月11日

豊田市美術館

surrealismto.jpg私の名付け親は絵の先生で、幼い頃、アトリエに遊びに行っては山積みにしてある色々な画集をひっぱりだして眺めているのが好きでした。子供心に惹かれたのは、印象派のような色彩の美しい絵よりも、ミロやダリやエルンストといった「何だかわけのわからない」絵でした。落書きのような奔放なミロの作品を見ていると愉快になってくるし、写真のようにリアルで、しかも人の手足が伸びたり縮んだり、トラだの蟻だの溶けたような時計だの出てくるダリの絵は、怖くて仕方がないけれど、しばらくするとまた見たくなってそーっと本を開いてしまうのでした。


今でもシュルレアリスムの絵画を見ると、その頃に覚えたのと同じ気持ちになります。何を言いたいのか意味が探し出せない不安と、同時に心の奥底を覗かれたかのような当惑、そしてあまりにもの突拍子の無さに逆にこみ上げてくるおかしさ・・ この芸術運動が芽生えてから80年以上が経過しているのに、その作品は今なお新鮮です。


普段見慣れたものも、思いも寄らぬ状況下に集められると、我々はとまどってそれらの関係を理解しようとします。そのように何でも合理的に解釈しようとする我々を笑い飛ばすかのように、シュルレアリスムは次から次へと不思議な作品を提供してきました。そして合理性や「こうでなければならぬ」といった偏見から解き放たれた自由な想像力が存在することを、教えてくれたのです。


今年はシュルレアリスムに関する展覧会が日本各地の美術館で多く開催されています。現在は愛知県の豊田市美術館「シュルレアリスムと美術ーイメージとリアリティーをめぐって」と題された企画展が催されていて、先日見学してきました。


決して大規模ではありませんが、シュルレアリスム、およびその周辺の芸術家たちの作品がまんべんなく集められ、この芸術運動の流れがコンパクトにまとめられています。なかでもルネ・マグリットの作品は、有名な「大家族」をはじめ、注目すべき絵画が多く見られました。ダリの3点からなる大きな連作には圧倒されましたし、メレット・オッペンハイム(写真中)やジョゼフ・コーネルのオブジェは小さいながらも印象的でした。


toyotam.jpg豊田市美術館は、ニューヨーク近代美術館の新館を設計した谷口吉生による建築自体をも楽しめる美術館です。緑と水に囲まれて静かにそびえている建物の外観、そして開放的で繊細な内部空間の設計を、展示作品とともにぜひ味わっていただきたいです。現代美術を中心とした常設展示もなかなか面白いので、この夏休みにちょっと遠くまで足を伸ばしてみてはいかがでしょうか。


「シュルレアリスムと美術」展は9月17日までの開催です。9月15日からは、姫路市立美術館「シュルレアリスム展 謎をめぐる不思議な旅」展が始まります。こちらはまた別の企画展で、違った観点でまた他の作品が集められています。この美術館も、れんが造りの素敵な建物なので、建築ともども展示作品を楽しんできたいと思っています。




exquise(2007年8月24日)

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2008年02月29日

養老天命反転地

yoro1.jpg家から日帰りで行ける範囲内には、面白い美術館や施設がいろいろあることを発見し、休みを利用して美術館に行く機会がこのごろ増えました。先日は、荒川修作がマドリン・ギンズと共同で設計した養老天命反転地(岐阜県養老郡養老町)へ行ってきました。


入り口ではヘルメットが貸し出され、「今日は風が強いので、足下にお気をつけ下さい」と注意書きがあるのに少々ビビりながら中へ入ってみると、カラフルな建物がまず現れます。「オフィス」とされているものの、内部は迷路のように区切られ、起伏が激しくデコボコした通路が広がっていて、いわゆる「オフィス」のイメージとはほど遠い作りになっています(写真上)。天井も同じような仕様になっているので、上下が逆さまになったかのような錯覚に陥ります。



yoro2.jpg「オフィス」を抜けると、またもや異様な光景が(写真中)。「極限で似るものの家」と名付けられたこの建物の内部は、人ひとりが入れるくらいの通路が交錯し、その通路を仕切る壁が、ところどころに置かれたソファーやガスレンジといった家具を分断しています。



さて圧巻はこちら(写真下)。楕円形にくりぬかれた土地に木々が植わり、日本地図だの屋根瓦だのが埋め込まれ、私たちはほとんどすべての部分を通ることができます。決まった順路も無いので、歩き方は自由。外側を、英語、中国語、フランス語、ドイツ語で表記された街路図が覆い、その外壁づたいに行けば、周囲の山並みも含めて壮大な風景を一望できます。



yoro3.jpgこの施設には平らな部分はほとんどといって無く、気をつけていないとよろめくし、転ぶし、不自然な姿勢を取らされるし、頭をぶつけることもあるし、全く「人にやさしくない」作りになっています。けれども、地を踏みしめて進んでいくうちに、普段使っていない筋肉の存在を感じたり、目や耳を使って周囲に注意を払ったりすることになり、生きている自分の肉体を実感することになります。


桜の花びら舞う心地よい天気のもとで、芸術作品を身をもって存分に体験することができた一日でした。自分の体力の無さも同時に痛感したけれど・・



exquise(2007年4月12日)

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2007年03月28日

「レオナルド・ダ・ヴィンチ−天才の実像」展

3月20日から「レオナルド・ダ・ヴィンチ — 天才の実像 The Mind of Leonardo - The Universal Genius at Work 」が上野の東京国立博物館で始まっている。6月17日までの開催。この展覧会は2007年1月までイタリア・フィレンツェのウフィツィ美術館で開催されていた企画展を日本向けに再構成したもので、イタリアが誇る至宝「受胎告知」が本邦初公開。また、手稿をもとに制作した模型や映像などを用いて、芸術から科学にわたる広範な試みの全てを紹介している。

公式サイト(日本)
公式サイト(伊・英)

ダヴィンチはもちろんイタリア出身だが、フランスとも縁が深い。晩年、フランソワ1世の保護を受け、アンボワーズ城(ロワール川流域)近くにあるクルーの館と年金を与えられて余生を過ごし、そこで亡くなった。

Leonardo Da Vinci: The Complete Paintings And Drawings
Frank Zollner Johannes, Dr. Nathan
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東京国立博物館が遠い、行く暇がないという方は、この画集はいかがだろうか。「ダ・ヴィンチ・コード」が大ヒットして以来、この画集が売れ続けているのだそうだ。入荷してもすぐに品切れ状態になるらしい。現在、アマゾンで日本語版はマーケットプレイス(中古)で出品されているのみ(英語版は在庫豊富)。確かに高価だが、高度な印刷技術による最高の画集のようだ。ダ・ヴィンチの筆のタッチの微妙な凹凸まで再現され、さらにはダ・ヴィンチ研究の最新の成果も反映され、盛り込まれている。

英語版の解説を要約すると…

画集は全3部構成となっている。第1部では10章にわたり、手紙、契約書、日記、書類などを通してダ・ヴィンチの生涯と仕事を詳説。すべての絵画もここに紹介され、「受胎告知」や「最後の晩餐」は折り込みページで収録。第2部はダ゙・ヴィンチの絵画を分類したカタログになっている。彼の現存する、あるいは失われた絵画が網羅され、残っているものはその保存状態が記されている。掲載されたそれぞれの作品は、新しい発見や科学的な調査によって最終的にダ・ヴィンチのものと確定した作品であり、それらが画集として始めて出版されたことになる。第3部はダヴィンチのデッサンを包括的に集めている。彼のデッサンは無数にあり、一冊の本にまとめることは不可能だが、それでも663のデッサンを、建築、科学技術、解剖学、人物像、比例、地図製作などのカテゴリーに分けて掲載している。

確かに一家に一冊のアイテム、完全保存版だ。

Leonardo Da Vinci:The Complete Paintings And Drawings
レオナルド・ダ・ヴィンチ−全絵画作品・素描集(日本語版)


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2006年11月29日

オルセー美術館展(3) 預言者リブザ

鳴り物入りで始まったオルセー美術館展(神戸市立博物館)だが、あと1ヶ月を残すだけとなった。評判は上々のようです。まだの方はお早めに。



ところで、生まれて初めてパリのオルセー美術館に足を踏み入れたのは80年代の終わりごろだった。そして、「預言者リブザ」と「再会」したのはオルセー美術館の「象徴主義の間」だった。

そこには国際的に展開した象徴主義の作品が展示されていて、目が眩むばかりの絢爛豪華なジャン・デルヴィル(ベルギー)の絵が高い位置に飾られていた。個人的にも絵画の流れの中では象徴主義がいちばん好きだ。絵画が最後の充実を見せ、最後の輝きを放った時期だと思う。フランスのルドンやモローに加えて、象徴主義からシュルレアリスムにかけてのベルギー絵画が断然面白い。その流れを追えるベルギー王立美術館(ブリュッセル)も印象深い美術館だった(現在、国立西洋美術館で「ベルギー王立美術館展」やってます。12月10日まで)。

象徴主義とは1880年代後半のフランスで起こった反写実主義、反科学主義的な文芸・美術傾向だ。文学的な運動としては、詩人のジャン・モレアスが「ル・サンボリスム」(象徴主義)と題する宣言を掲載し、詩の目的は「理念に感覚的形態を纏わせること」であると述べた。美術における象徴主義は1880年代から1910年代にかけてのアカデミズムとポスト印象派に対する新傾向。印象派は目に見える外の世界しか描かないと批判はしているが、印象派を始めとする新しい絵画の流れの中で試みられた手法の成果がふんだんに盛り込まれている。

象徴派絵画にはおおまかに二つの潮流がある。ひとつはポール・ゴーギャンとポン・タヴァン派からモーリス・ドニを通じてナビ派に至る総合主義、あるいはクロワニズムと呼ばれる反印象主義的色彩表現法の系譜。

もうひとつは過去の宗教や神話に主題を採ることで、絵画に象徴的・暗示的な物語性を獲得しようとする反現実主義的な表現傾向であり、オディロン・ルドンやピュヴィス・ド・シャヴァンヌからフェルナン・クノップフ(ベルギー)、グスタフ・クリムト(オーストリア)らの世紀末絵画へと展開する。

「預言者リブザ」は後者の系統だろう。

「預言者リブザ」は、チェコの画家、マチェック(Masek, Vitezlav Karel 1865-1927)の作品。この絵が今回のオルセー美術館展に参加している。展覧会の感想を書いたブログに目を通してみると、有名な作品が目白押しの中で、この絵に感銘を受けたという方々がけっこう多い。そこそこ大きなサイズの絵(193×193)で見たときのインパクトも大きいようだ。

ここからは少々マニアックな話になる。かつてこの絵をジャケットに使っていたバンドがいた。上の写真はタイトルがついていることからもわかるように、レコードジャケットである。デザインのためか、実際の絵と右左逆の鏡像になっている。そのバンドはアイン・ソフ(Ain Soph)という神戸のバンドだ。

私のオルセー初体験での最大の驚きは、「何でこんなとことろにアイン・ソフのジャケットがあるの?」ってことだった。このアルバムはジャケ買いした。レコードレビューの大推薦もあったが、この絵が使われていなかったら買わなかっただろう。アルバムを購入した中学3年当時は、マチェックなんて画家は知るわけもなかった。しかし、暗い青と緑のトーンに彩られた、点描画のような緻密な作品に魅せられた。神秘的ではあるが、衣装や宝飾品が描きこんであって、装飾性も強調されている。

神戸のバンドのジャケットに使われたオルセー所蔵のチェコの画家の絵が今、神戸の美術展に来ているわけだ。何かすごくないですか?(笑)

アイン・ソフはジャズロック系のプログレッシブ・ロック・バンド。ロックが文学やアートに最も接近した時代のロックで、ジャケットに凝るのも重要な特徴のひとつだった。当時(1980年代初頭)、アイン・ソフと双璧を成していたNOVELAというグループ(これも関西系)がいたが、そちらは Sulamith Wulfing よるジャケ「魅惑劇」、漫画家の内田善美によるジャケ「青の肖像」が美しかった。こちらはプログレ・ハードって音で、今から見れば、X-JAPAN とかマリス・ミゼルにつながる元祖ビジュアル系でもある。

一方、アイン・ソフはボーカルなしのジャズ・ロック系。「預言者リブザ」を使ったアルバムのタイトルは、「妖精の森−A Story Of Mysterious Forest」。1980年の作品。B面(LP盤)を全部使った18分あまりの組曲「妖精の森」が素晴らしく、ジャケットのイメージともぴったりだ。当時は日本にもこんなテクニックと構成力のあるバンドがいたのかと驚愕したものだ。とりわけ、メロトロンをバックにむせび泣くギターには未だ鳥肌がたつ。

■関連エントリー
オルセー美術館展(1)
オルセー美術館展(2)


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2006年10月23日

オルセー美術館展(2) ベルト・モリゾーの肖像

オルセー美術館展~19世紀芸術家たちの楽園~のすべてを楽しむ公式ガイドブック (ぴあMOOK)今回のオルセー美術館展のポスターには「ベルト・モリゾーの肖像」が使われている。あちこちの駅の構内でほとんど毎日のように彼女の微笑みに出くわす。最寄り駅の構内では開催日の1ヶ月以上も前から彼女の数十人の分身が微笑んでいた。確かにハッとさせられる美しい肖像画である。美しいというより、「かわいい」感じだ。

駅構内の人ごみの中から突然彼女が現れる。この瞬間的な出会いは近代的な体験だ。

ベルト・モリゾーは印象派の画家で、マネの弟子でもあった。一時マネは彼女の影響を受けて印象派の様式に限りなく接近したこともある。ベルト・モリゾーという実在の女性がいて、マネはそれをモデルに描いたのだが、マネはそこに単なる肖像画以上の何かを託している。

まずこれは瞬間を捕らえた絵である。構図としては右側から光が差しこむ瞬間をとらえ、また当時の流行色である黒を効果的に使っている。つまり時代の先端を切り取っている。白い光と黒い服のコントラストは、彼女のイメージ以上に強烈だ。

この時代の絵画において重要な舞台は、都市である。マネは「画家は自分の時代に生きて、自分の眼で見たものを描かなければならないと信じるレアリストであり、当時登場したばかりの汽車のダイナミミックな動きや、第2帝政時代のパリの華やかさに惹かれる近代主義者だった。いくらモデルがいて、描いた場所がアトリエの中だとしても、それを捉えるのは、ブールヴァールのカフェを好む典型的なパリジャン=都会人の視線である。

都市における決定的な体験とは何だろうか。都市体験の瞬時性を最も際立たせる体験とは。

それは、群集の中から美しい女性が現れ、その中に再び消えていく瞬間ではないだろうか。街角ですれちがった通りすがりの女。美しさと同時にはかなさを具え、見失ったあとでは、もはや女性の姿ではなく、光と影の効果でしかなかったように思われるイメージだ。

この絵とイメージが重なり合うひとつのソネットがある。

耳を聾する通りがわたしのまわりでうなり声をあげていた。
背の高い痩せた女が、喪服に身をつつみ
威厳に満ちた悲しみそのもののように、通り過ぎた、
派手な手で縁飾りのついた裾をもちあげ、ゆすりながら

彫像のような脚で、すばやく、気高い様子で。
わたしは狂った男のように身をひきつらせ
嵐をはらんだ鉛色の空のような彼女の眼から、飲んだ、
魅惑する甘美さと、生命を奪う快楽とを

稲妻の一瞬…あとは闇−美しい人よ、(…)

これはマネとも親交が深かったボードレールの「通りすがりの女に」という詩である。見知らぬ女性であっても、それは十分関心の対象になる。むしろ見知らぬ女性だからこそ、激しい関心の対象になる。詩はスローモーションのようにその出会いの瞬間を捉えているが、その瞬間に彼女の情報をひとつ残らず読み取ろうと欲するために相対的に時間の流れが遅くなるのだ。誰にも憶えのある経験だろう。前のエントリーで、この時代の絵画は「神話や歴史への参照がなく、アレゴリー的表出体系からの脱却を始めた」と書いたが、この欠如は「現在の瞬間の異常な深化」によって補償されることになる。

ヴァルター・ベンヤミンはこの詩について「肉体を痙攣的に収縮させるものは、あるイメージに心の隅々まで引きさらわれてしまった男の惑乱というよりは、むしろ、うむをいわさぬある激しい欲望に孤独者がふいに襲われたとき、ショックに似ている」(「パサージュ論」)と書いている。まさに「稲妻の一瞬−あとは闇」という、出会いのあまりの衝撃に、その衝撃しか残らない痙攣的な体験だ。

ベルト・モリゾーのポスターを見るたびに、衝撃とは言わないまでも、軽いショックを覚える(さすがに回数を重ねると反応は弱くなってくるが)。黒は当時の流行色だと書いたが、ファッションもまったく古臭い感じがしない。ルネサンス以降の絵画の伝統というよりは、確実に私たちの側にある絵だ。

また私たちがショックを受けるのは生身の女性だけではない。街角に張られた広告であったり、ネットサーフィンをしていて遭遇する広告に対してもこういう体験はある。まさに「ベルト・モリゾーのポスター」の限りない反復は、絵画そのものとは全く別の経験に私たちを誘っている。


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近代絵画入門の古典的著作。上巻で印象派&ゴッホまでフォローしてます。



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2006年10月22日

オルセー美術館展(1)

Paintings in the Musee D'Orsay神戸市立博物館で「オルセー美術館展」が催されている。オルセー美術館はフランス19世紀の美術館なのだが、19世紀といえば絵画において決定的な変革が起こった時期(とりわけ19世紀中葉)である。今回作品が展示される印象派の画家たちも、その変革の時期を生きた。なぜ日本で印象派が好まれるのかというと、その変革が絵画を私たちにより近いものにしたからである。

何か意味ありげな絵を見て、何か意味があるんだろうなと思いながら、消化不良のままその絵の前を通り過ぎる。でも、美術館に行く前に予習をしたり、美術館で解説を読むのはめんどくさい。印象派の絵画の多くにはこういうもどかしさがない。何が描いてあるのかわかる、美しい絵だと直感的にわかる。これは重要なことである。

しかし、絵画の楽しみは、本来、見て楽しむことであり、絵を見た瞬間の感嘆ではなかったのだろうか。印象派の絵画に関して、なぜこういうことが可能なのかというと、私たちの近代的な日常や感受性がある程度共有されていて、それを通して絵がわかるからだ。

この時代の絵画の最大の特徴は、アレゴリー的表出体系からの脱却を始めたことだ。つまれそれ以前の絵画を理解するには、絵画の中の情報を「神話や聖書や歴史」に照らし合わせる必要があった。そういうものに馴染みのない私たちは、まずそれを知る必要がある。しかし、この時代の絵画は過去=歴史=参照を切り捨て、「現在の瞬間」に向かう。印象派が同時代の人々に非難されたのは、まさにその点にあるのだ。

それに加えて、画面の明るさが決定的である。画面の明るさに関しても、技法上の大きな変化がある。「伝統的画法の金科玉条である半濃淡(※)を廃して」、例えばマネなどは「画面の各部分をそれぞれ平らな光を当てられた色の広がり」として把握している。(※中間色からなる色階によって暗い部分から明るい部分への移行が無理なく徐々におこなわれ、これらの色調は主調色に合わせるという方法)

明るさに加え、さらに楽しさがある。印象派の絵画は単なる風景画ではなく、バカンス感覚に満ちている。印象派の画家たちは都市の風景もよく描いたが、田園風景画の領分は、都市風景画から侵食される。つまり都市生活者の視線が田園に持ち込まれる。それは従来の風景画とは異なり、新興ブルジョワが遊びに興じる気楽な風景、そういう遊び人の視線によって捕らえられた田園風景なのだ。イル・ド・フランス(風光明媚なパリ盆地を中心とする地方)の風景も、ワイルドな自然そのものや、農民の労働や生活の場ではなく、次第に都市の小金持ちの遊楽の場として描かれるようになる。そして遊楽の中でも最も重要なのが「舟遊びや水浴び」で、遊びの場としての「河や池」が、絵の題材として次第に重要な位置を占めるようになった。

彼らの視線は、新しさやモード(今何がいちばんイケてて、楽しいのか)への強い関心に満ちている。そういう視線と欲望が私たちと重なり合うのかもしれない。

■「オルセー美術館展」神戸市立博物館 06.9.29-07.1.8

■「群衆の中の芸術家―ボードレールと十九世紀フランス絵画」阿部良雄(中公文庫)
★エントリーはこの著作を参照。「一部の有閑階級の独占物だった絵画を、広くブルジョワ公衆のものに転化させようという、19世紀中葉の美術革新期にあって、その最も先鋭的なイニシアチブをとった」のが、詩人&美術批評家ボードレールだった。彼の美術批評を、ドラクロワやマネとの親交を通して読み解いている。



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posted by cyberbloom at 21:36 | パリ ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 美術館&美術展 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2006年08月16日

アルベルト・ジャコメッティ展

hommetraversant01.jpg兵庫県立美術館で「アルベルト・ジャコメッティ展」が開催されている。去年の目玉は同美術館での「ギュスターブ・モロー展」で、学生も大勢見に行ってレポートを書いてくれた。このあと、神戸市立博物館では「オルセー美術館展」(9月29日から)が控えている。関西だけでも、毎年、フランス系の充実した美術展をいくつも見ることができる。

ジャコメッティ。スイス生まれの彫刻家で、フランスで主に活躍した。戦前のキュビスムやシュルレアリスムの芸術家たちと親交があり、影響を受ける。しかし、何よりも、主として戦後に制作された、限界にまで肉をそぎ落とした細長い立像が印象的である。

展覧会では、1956年から1961年にかけてパリで過ごし、ジャコメッティのモデルをつとめた日本人の哲学者、矢内原伊作にもスポットが当てられている。矢内原をモデルにした作品や、彼の手許に残された作品、手紙や写真などの資料も展示されている。

フランスの実存主義の哲学者、サルトルは、ジャコメッティの人物像を「現代における人間の実存を表現した」として高く評価した。矢内原の顔を「物であることを拒否している」と言ったジャコメッティのコメントもサルトルっぽい。私はこういう芸術が何かの反映だという話がめっきり苦手になってしまって、むしろ、プリミティブ・アートの影響とか、古代イタリアのエトルリア文明の細長く引き伸ばされた人物彫刻との関連とか、そういう造形や模倣レベルの話の方に興味がある。ジャコメッティは何よりも造形と質感のインパクトだと思う。

しかし、ジャコメッティの場合、サルトルの評価や矢内原との交流を初めとして、彼の周囲には様々なストーリーが交錯している。それらを紐解く楽しみについては、PSTさんが書いてくれるものと勝手に期待しているのだが。

とりあえずは関連本を2冊。展覧会に行く前に読んでおきたい。

■「ジャコメッティ」矢内原伊作:矢内原とジャコメッティとの対話の忠実な記録。
■「エクリ」ジャコメッティ:ジャコメッティの言葉を集めた決定版。テクスト30篇、未発表断片90篇、対話7篇。ミシェル・レリスとジャック・デュパンの序文つき。

□EXPOSITION INFO:「アルベルト・ジャコメッティ展」
兵庫県立美術館 2006年8月8日−10月1日
詳細はコチラ


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posted by cyberbloom at 00:01 | パリ ☀ | Comment(1) | TrackBack(0) | 美術館&美術展 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする