2014年10月22日

『お菓子でたどるフランス史』

『お菓子でたどるフランス史』本書は『パスタでたどるイタリア史』に続く、食べ物を通して歴史を学ぶシリーズ第2弾である。東大の人気講義がもとになっているようだ。イタリア史、フランス史そのもには食指が動かなくても、パスタやお菓子が絡めば、目の色が変わる人も多いだろう。



著者によると、お菓子がその地の精華になりえたのは、生きるために不可欠な食べ物ではないからだ。社会関係や文化の潤滑油、調整の道具として、余分なものとして付け加わった。つまり、お菓子はより良く生きるために必要なものなのだ。だからお菓子は地位や権力だけでなく、遊びや洒落っ気と結びつく。余分なものであるからこそ、生活に甘美な潤いを与え、幸せな感興をわきおこす不思議な力がある。ケーキが最高のおみやげの地位にあることを思い出せば十分だろう。だからお菓子は政治的・経済的な支配ではなく、文化的な支配の力関係のなかに取り込まれることになった。

フランスは長い歴史を通じ、全精力を傾けてお菓子という宝刀を磨いてきた。もちろんフランス料理全体が世界的なアピールの対象になったのだが、お菓子はそれだけで他の料理と切り離しても使える小道具的な便利さがあった。フランス料理はヨーロッパや世界の宮廷や上流階級の食卓へと広まるが、一般庶民はなかなか手が届かなかった。しかしお菓子ならばフランスの美食神話の尖兵として一般人の手に取らせ、口に運ばせることができた。さらに大事な戦略は、あこがれの対象としてそれを語らせ、優雅に響くフランス風の名前で呼ばせることだった。そうすることで、フランス菓子は、洗練、気ままさ、おしゃれ、都会的、といったイメージを自動的に紡いでいったのだ。

経済的にパッとしないフランスが未だに世界の憧れの文化国で、一定のブランド力を保持しているのは、ラグジュアリー分野をきちんと押さえているからだろう。それは長い伝統の蓄積があってこその分野である。先進国の購買力が落ちたとしても、次々と新興国が現れ、経済成長に乗った成金たちは必然的にフランスに目を向ける。今は中国が最大の顧客だ。かつての日本人のように、中国人はヴィトンやエルメスを買いあさり、ボルドーのシャトーを買収している。日本では久しくじり貧が続くフランス語学習者の数も、中国では増加しているようだ。

このようにフランスの精髄は国土を離れ、世界に拡散しているのだが、フランス菓子に関しては日本が最もそれが根付いた場所になっている。未だに本格的にお菓子作りの修行をするにはパリに行くことになっているが、今や世界で最も美味しいフランス菓子が店に並ぶのは日本(特に東京と神戸)ではないだろうか。日本人のパティシエたちの世界的な活躍も目覚ましい。洗練された懐石料理と和菓子の伝統があり、目と舌が肥えた消費者が跋扈する日本に広がったことは深く納得できる。

フランスのラグジュアリー分野の昔と今を結んだものとして、ソフィア・コッポラの『マリー・アントワネット』が思い出される。絶対王政が終焉を迎える直前のヴェルサイユ宮殿の贅沢と豪奢の極み。つまり文化が過剰に咲き乱れた姿として、音楽、ファッション、お菓子が顕現する。フランス革命期を背景にしながらも、マリー・アントワネットと彼女の取り巻きが、80年代のロックとマカロンに彩られたセレブの女子会のように描かれた。DVDのジャケットのように、指をなめるマリーが前景化したことはかつてなかった。

『お菓子でたどるフランス史』の著者はマリー・アントワネットどころか、ジャンヌ・ダルクの時代にまでさかのぼり、歴史をお菓子と関連付けながら紐解くのだが、最後に現代の新しい食感の象徴としてムースに言及している。ムースの特徴は固めるときに、加熱せずに、冷却する。これは生菓子をまとめて冷凍保存できるショック・フリーザーの開発によって可能になったという。生菓子は温度管理が重要だ。パティスリーで生菓子を買うと、家に帰るまでの時間を尋ねられ、それに見合った保冷剤をつけてくれる。『失恋ショコラティエ』で突然の停電でお店のチョコレートが溶けてしまう危機にさらされるというシーンがあったが、それらが人工的な環境で作られ、保存されていることを思い起こさずにはいられなかった。まるで核燃料のように。

ムース mousse はフランス語で泡のことだが、最近はお菓子の肌理(きめ)=テクスチャーが味や食感を左右するという考えが主流になってきているという。技術の進歩によって、ふわふわ感やねっとり感など、繊細なテクスチャーを作り出せるようになった。マルセル・プルーストのマドレーヌ体験ならぬ、ムース体験は軽く、舌の上で瞬時に溶け、刹那的な至福をもたらす。マドレーヌのように記憶を喚起するよりは、現実とか記憶とかを切断して瞬時の感覚のみが研ぎすまされるようだ。冷たく濃厚なアイスクリームの強度ともまた別のものだ。淡い食感を残して泡のように溶け、舌の上にひろがったひとつの効果に還元されるような、物質性が限りなく希薄な究極のお菓子といえるかもしれない。

この体験は何に比すればよいだろうか。美的な効果(光と色彩)に還元するといえば、印象派の絵画も同じだが、絵画は所詮、身体と対象のあいだに距離がある。身体的な接触によって、あるいは身体の内部で直接感受され、快楽によって意識をかく乱されるといえば、恋愛体験以外にはありえない。両者の共通点は「甘さ、甘美さ」であり、愛はしばしば「うたかた」に例えられる。

「フランス人は恋愛について語るときに食べ物に関する言葉をよく使う。口に入るものは、口から出るものと同じくらいに注意が払われる。フランスでは言葉は正しく、繊細かつ官能的に用いられなければならない」とフランス在住のアメリカ人ジャーナリスト(『フランス人この奇妙な人たち』の著者 )は書いている。つまりフランス人にとって、愛を語ることは、お菓子を語ることと同義であり、恋愛感情とお菓子を味わうことは同種の官能性を持っているということだ。

もちろん恋愛は人間にとって普遍的な感情であるが、それを過剰な作法にまで高め、専売特許にしている国はフランスの他に見当たらない。ちょうど野崎歓氏が最近出た『フランス文学と愛』で「甘い文化装置」について次のように述べている。

愛の言葉をささやきながら独特の甘いムードを醸し出し、それに自ら酔うフランス人はヨーロッパにおいても特異な存在である。フランス語は愛の観念と特別な絆で結ばれ、愛についての特別な表現力を持つかのように考えられてきた。フランス人自身も半ば当然のようにそう考え、ヨーロッパの他の国民もそう思ってきた。それが広く共有されるに至ったのは「アムール amour」のあらゆる相を描き出したフランス文学の力なのだった。

フランス文学の戦略と同じように、フランス菓子もフランス語の甘い響きと結びつき、他国にひとつの洗練された文化と認定させつつ、外見も含めた甘さのあらゆる相を描き出している。ちょうど最近、お菓子と恋愛を結びつけたドラマが話題になった。水城せとな原作の『失恋ショコラティエ』である。主人公の爽太はショコラ好きのサエコを満足させたい一心で、パリで6年の修行を積んでショコラティエになり、彼女好みのショコラを作り続ける。つかみどころのない「妖精さん」である彼女を知りたいという飽くなき欲望と、それが描き出す幻想が、新しいショコラを生み出すインスピレーションを駆動する。爽太にとってショコラはあくまでサエコに食べてもらうためのもの。ピンポイントで彼女に向けられたものだった。しかし彼女が自分の手に入ったと思った瞬間、彼女のイメージに余剰=深みと奥行きがなくなり、新しいショコラが作れなくなる。人間の欲望の仕組みが宝石のように磨き上げられたショコラたちに託されていたのだった。


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2011年12月23日

『エル・ブリの秘密 世界一予約のとれないレストラン』

7月末にフェラン・アドリア Ferran Adria 率いるスペインのレストラン、エル・ブリ El Bulli が閉店したことがニュースになっていた。アドリアは1987年以降、エル・ブリの料理長として毎晩独創的な数十皿のコース料理を準備し、これまで数万件の予約をさばいてきた。そのために新しい料理の創作のための時間を十分に確保できなかったという。

EL Bulliしかし嘆くことなかれ、「エル・ブリ」の裏舞台にカメラが密着したドキュメンタリー映画が関西でも公開される。レストランでは食事の合間に厨房を見学させてもらえたようだが、映画ではメニュー開発の白熱した過程と、創発=ひらめきの瞬間を目の当たりにできるようだ。エル・ブリは閉店したが、料理の研究機関として存続し、2014年にはレストランの隣に新築する建物にエル・ブリ・ファウンデーションをオープンさせる。そこに毎年20人から25人のシェフを招いて、エル・ブリのスタッフたちと新たな料理を共同研究することになる。その成果はオンラインでも公表されるという。

映画公開の前に少し予習をしておこうと、エル・ブリを経験済みと聞いていた友人のソムリエの店を訪ね、インタビューを試みた。@wineNadja の米沢伸介氏である。

―エル・ブリに行かれたのはいつですか。
■2000年です。「45席に年間200万件の予約」と言われていますが、2000年は予約が殺到し始める直前の、ギリギリの年でした。ランチの予約が取れました。2000年はまだランチをやっていましたが、しばらくしてやめてしまいました。労働条件が過酷だからでしょう。ふつうは多くでも10皿くらいの構成ですが、その3倍ですからね。皿数が多いと、それを作ったり、運んだり、洗ったり、一回の営業で3倍の仕事量になるわけで。
■ロサスという小さなビーチから車で一本道を20分走ると、古いスペイン様式のレストランがありました。こんな人里離れたレストランに予約を入れてわざわざやってくることが当たり前のヨーロッパのレストラン文化の懐の大きさにも感銘を受けました。「なぜ先端のレストランがこんな建物なのか」と尋ねたら、「すべてが最先端だと建物くらい古くないと落ち着かないでしょう」と言われました。何を食べさせるかわからない、緊張感を和らげるためにも落ち着く雰囲気が必要ということでした。対照的に厨房はシンプルでモダンなものでした。
■私のときは最初に一本のローズマリーが出てきて、その香りを嗅ぐことから始まりました。エル・ブリの料理ですが、例えば、オマールの料理だったら、見てオマールだとわかるし、オマールの味がする。そういう食材としてのとっかかりがないのです。何が飛び出してくるのだろうというワクワクする期待と緊張感に常にとらわれる感じです。1時から始まって終わったのが5時。厨房を見せてもらって最後はテラスに出てデザートをいただきました。

―ワインはどうでしたか?
■私がソムリエだと知ると、いろんなワインを出してきてくれました。それらは私の知っているワインばかりでした。「全部知っている」と言ったら驚いていました。つまりスペインの先端のレストランで出すようなワインが、日本にすでに輸入されていたんですね。そのとき日本のインポーターの凄さを知りました。

―スペインと言えば小皿料理のタパスですよね。スペインはアンダルシアとマヨルカしか知らないのですが、毎日、バルに入り浸っていました。あれほど魅力的な食文化は他にはありません。
■エル・ブリはタパスに象徴されるバル文化をレストラン形式に昇華したものと言えます。それまでスペイン料理の認知度は全然高くありませんでした。それがエル・ブリによって突然垢抜け始めた。モダン・スパニッシュはエル・ブリに始まり、エル・ブリが牽引しました。やはりそれはスペインだったからでしょう。古びた文化しか残っていないスペインだから可能になったわけです。フランス料理は伝統の重みがありすぎます。イタリア料理もそうです。伝統に足をひっぱられることがないからこそ、できたことだと思います。

―スペインの無敵艦隊が破れたのは15世紀ですからね。確かに日本でもある時期から急にスペイン料理のレストランが注目され始め、意外に思った記憶があります。
■エル・ブリは世界の「レストランベスト50」で2006年からずっと1位だったのが、最近ノルウェーの Noma に1位の座を譲りました。Noma のシェフもエル・ブリで修行をした人です。2011年の「ミシュラン京都・大阪・神戸・奈良」で3つ星を獲得した大阪の Fujiya 1935 もエル・ブジと間接的につながっています。Fujiya 1935 のシェフが修行した「L'Esguard(レスグアルド)」のシェフは現役の脳神経外科医で有名ですが、彼はフェラン・アドリアと親交のあった人物です。弱冠22歳のフェラン・アドリアに才能と将来性を見出したエル・ブリのオーナーのジュリ・ソレールは元音楽プロデューサーです。異業種の人間が関わっていることも興味深い。7月で閉店したのは残念ですが、セビーリャの郊外にはエル・ブリのホテルがあって、レストランではエル・ブリで過去に出された人気メニューを味わえます。また Fast Good というファーストフードチェーンも展開していますよ。そしてエル・ブリは今や世界中から料理人を集める研究機関であり、教育機関でもあります。

以上がインタビューの内容である。

ところで、映画の公式サイト http://www.elbulli-movie.jp/ に書かれているように、フェラン・アドリアとスタッフのあいだのやりとりや、新しいメニューを一緒に作り上げていくときの苦悩や焦燥、そして達成感は映画の時間軸を作る重要な要素なのだろう。しかしアドリアの料理のプレゼンスそのものがすでに映画的なのだ。米沢氏はエル・ブリの皿を前にして、一体これは何だ、食べられるのかと言う、不安と期待が入り混じった感情にとらわれたことを強調していた。料理が出てきて口に入れるまでの揺れ動く感情は、どんな食材で出来ているのか判別不能で、しかもこの世のものとは思えない料理の映像を見ているだけでも共有できるものだ。

人間は動物と同様、食べるものに警戒する。毒に警戒し、見慣れない食べ物を前にすると不安になる。米沢氏によるとエル・ブリでニコチンのデザートが出されたことがあるというが、美食の名の下に毒を食らうのも人間の営みである。しかしその根源的な不安は動物から人間に分岐する以前から遺伝子に深く刻み込まれているものだ。私たちは、食材が示され、何を食べているかわからないと安心できない。アドリアは食材を泡状にしたり、分子構造に還元しながら、料理を抽象的な造形美にまで磨き上げるが、同時にそのような本能的な不安に訴えかけているのかもしれない。それを食する者は、その不安の中からおそるおそる未知なる感覚の旅へ足を踏み出すのだ。

佐々木俊尚氏がフェラン・アドリアの仕事に関して「徹底的に技術を駆使し、構築的に実験を積み重ね、その向こう側に初めてきらめきのような感性が立ち現れてくる。まるで故スティーブ・ジョブズとアップルの技術チームが皆で新しい iPad や iPhone を設計し、デザインする過程を見ているようだ」と言っていた。さらに本質的な問題がある。ジョブズが Think Different ならば、アドリアは Cook Different だ。これから地球上で新たな食材が発見されることは滅多にないが、「組み合わせは無限」なのだ。外にもはやフロンティアはない。私たちは組み替えることによって新しい価値(アドリアの言葉で言えば意外性)を作るしかない、飽和状態の世界に生きているのだから。また料理の本質はありあわせのもので作ること。つまりブリコラージュだということを忘れてはいけない。アドリアはジョブズと並んでそういう世界のクリエイティビティを担う象徴的な存在のひとりだ。

エル・ブリの秘密 世界一予約のとれないレストラン [DVD]


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2010年03月19日

狐野扶実子さんがブラジエ賞を受賞

LA CUISINE DE FUMIKO フミコの120皿すでに去年のことですが、狐野扶実子さんの料理本 La cuisine de Fumiko が2009年のウジェニー・ブラジエ賞 Le Grand Prix Eugénie Brazier を受賞しました。ブラジエ賞は女性が書いた料理本に送られる賞で、2007年に創設されたばかり。この賞はリヨンの有名なお母さん料理人、ウジェニー・ブラジエさんにちなんだ賞です。彼女は2つのレストランで3つ星を獲得した初めての女性です。

この料理本には狐野さんの120のオリジナル・レシピが、写真家による44枚の写真と一緒に掲載されています。『レクスプレス』の記者との対談もあります。狐野さんはアラン・パッサールの「アルページュ」でスー・シェフとして働いたあと、出張料理人になりました。今はアラン・デュカスの料理学校で愛好家の人たちに教えているようです。

翻訳が待たれるところですが、狐野さんの本を見て料理をするフランス人料理ジャーナリストの動画を見つけました。「サーモンのタルタル」のレシピで、本の中身もちょっとのぞけます。

Tartare de Saumon Grany Smith par Fumiko Kono

関連エントリー「料理人-狐野扶実子」

狐野扶実子のビストロ料理 ―フライパンひとつでパリの味狐野扶実子のおいしいパリ


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2010年03月07日

フランスとアメリカのマカロンの違いとは!?

ピエール・エルメ マカロン■ラデュレLadurée 、ピエール・エルメ Pierre Hermé(写真) …高級品のイメージが強いマカロンだが、米国ではホール・フーズ、トレーダージョーといったスーパーやスターバックスでお目にかかることもある。マクドナルドは、本場フランスのマックカフェ(マクドナルドに併設されたコーヒーやパンのコーナー)でミニサイズを販売。広告では、左右の手がハンバーガーの代わりに小さなマカロンを持っている。
■しかし、マカロンファンはブームを喜ぶどころか怒っている。6年前からワシントンでフランス文化に関するブログを書いているパリジェンヌのレティシア・ブロックさんは「マカロンは主流になるためのお菓子ではない」"Macarons are not meant to be mainstream," と一蹴した。スターバックスが休暇シーズンにマカロンを販売していると聞き1箱買ったが、かじってみると、柔らかすぎだったという。ラ・マムことアリソン・ライトワインさんはこのブログへのコメントで、「ラデュレの目と鼻の先にあるシャンゼリゼのマックカフェでマカロンを発見。世も末だ」"I saw them at the McCafé on the Champs-Élysées—just down the street from Ladurée! What is the world coming to?!?" と嘆き、インタビューで、「野球の試合にタキシードで行くような感じ」"It's kind of like if you showed up in a tuxedo to a baseball game, it was so out of place. " と語っている。
■マンハッタンでパティスリーを経営するフランス系パティシエのフランソワ・パイヤールさんはマカロンについて、「クッキーのように思われがちだが、クッキーよりずっとデリケートでエキサイティング。外側はサクサクで真ん中は本当に柔らか。小さなペストリーのようだ」"People think of them like cookies, but they are much more delicate and exciting than a cookie—so crunchy on the outside and so soft in the center, like a little pastry." と語る。完璧なマカロンを作るには時間がかかるが、日持ちしない。泡立て、焼き、クリームをはさんでから冷蔵庫で24時間冷やして味をなじませる。クリームが冷たすぎないよう、取り出してから最低1時間おく。2、3日で売れないものは捨てる。パリで広報責任者を務めるクレメンス・トランカールさんは、友人とのティータイム用に、ロワイヤル通りのラデュレ1号店でバラ、シトロン、ショコラの風味のマカロンを1箱買った。マカロンは「とても洗練されていてエレガント。だから、マクドナルドには買いに行かない」と語る。
■フランスのマックカフェがマカロン販売を始めたのは2007年。マカロンは、ラデュレの親会社グループ・オルデールの子会社シャトーブランから冷凍した状態で出荷される。親会社は同じでも、レシピはラデュレのマカロンとは違う。フランス人セールスマンのオリビエ・カルティエさんは最近、パリのマクドナルドでピスタチオ風味のマカロンとカプチーノを注文した。「それがトレンドだ」と言うカルティエさんは、大手スーパーやパン屋で買ったマカロンを試したこともあるが、マクドナルドのものは割においしいという。
■カルティエさんは高級マカロンには冷たく、「大きな違いがあるかどうかわからない。それに、フォアグラのような変なフレーバーもある」と語っている。マクドナルドによると、マカロンの売れ行きは良好だ。商品は約1.25ドル(約110円)で、同じサイズの高級品の約半額。狙う層が違うという。同社スポークスマンは「マックカフェの商品は、毎日の小さな休憩のためのものだ」"Our McCafé offer is made for everyday small breaks," と述べた。
■一方、フランスが誇るマカロンの巨匠ピエール・エルメ氏は新たな形でのブーム再燃について、賛成でも反対でもないが、マクドナルド版を試したことはないと語る。オンライン雑誌で食の流行に関する記事を書いているスザンナ・チェンさんは「米国でマカロンが人気なのは、カップケーキの要素がすべて詰まっているから。色やフレーバーはさまざまで、甘いが、1日のカロリー制限に大きく影響することはない」"Macarons are gaining traction in the States because they possess all the attributes of a cupcake: They come in different colors and flavors, and they're indulgent, but they won't wreck your calorie count for the day."と分析した。
■ただ、チェンさんは正しいやり方でないなら、大量生産品は見たくないと説明。12月にスターバックスで売られていた箱入りマカロンには、賞味期限が入っていなかった。ぱさぱさしていたし、ピスタチオ風味のものは、フルート・ループス(毒々しい色をした子供向けドーナツ型シリアル)の味がしたという。スターバックスのスポークスマンは「デリケートすぎて大量生産品としての扱いが難しい」"It's hard to do something mass-produced because they're so delicate," と述べた。シャトーブラン社の商品の販売を再開するかどうかは未定としている。
(3月3日、ウォール・ストリート・ジャーナル、日本語版)

★上の動画ではパリの街で道行く人にラデュレとマクドのマカロンを試食してもらっている。パリの人々にとってはマカロンはアッパークラスのお菓子で、マクドやスタバと結びつかないようだ。中には怪しい舌の人もいるし、マクドのマカロンの方があっさりとしていて美味しいと、恥じずにいう人もいる。
★日本でも女性のあいだのちょっと気の利いた贈り物として定着した感のあるマカロン。ラデュレはとっくに日本にも進出している。ラデュレのマカロンはソフィア・コッポラの映画『マリー・アントワネット』のスイーツの洪水の中にも動員されていた。
★WSJは経済金融系のメディアだが、こういうフランスVSアメリカというテーマもよく扱われている。英語とフランス語を分けるのではなく、こうやって複数の言語が混在した形で学び、ベーシックな言語能力を高めるのがこれからのやり方と言えるだろう。

□LADUREE http://www.laduree.fr/
LADUREE GINZA MITSUKOSHI 
□PIERRE HERME http://www.pierreherme.co.jp/


★commented by cyberbloom

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2009年09月03日

分子調理法 gastronomie moléculaire

料理革命分子調理法は、88年に物理学者エルヴェ・ティス氏が中心となって提唱された、レシピを化学の知識で再解釈し、また化学の知識を積極的に料理に応用するという方法だ。例えば、チョコレートムースを分子レベルで解釈すると、必ずしも卵は必要なく、水と空気と脂肪分があればいいということになる。分子レベルで考えることでレシピの常識が覆されるのだ。

フランスのポワティエに子供の向けの科学テーマパーク、「フュチュロスコープ FUTUROSCOPE」があり、その中に分子ガストロノミーのレストランがある。15ユーロの子供用のキットもあり、実験感覚で楽しめるようだ。東京・青山に出店している三ツ星シェフのピエール・ガニエールは分子ガストロノミーを応用した独創的なレシピを公開しており、エルヴェ・ティスも協力している。写真の本は、ガニエールとティスのコラボレーション。物理学者が独創的なテーマを提案し、三つ星シェフが奇抜なレシピで応えるという形式をとっている。

□POITIERS-FUTUROSCOPE http://www.futuroscope.com/
□PIERRE GAGNAIRE A TOKYO http://www.pierre-gagnaire.jp/

スペインでは90年代の初めにフェラン・アドリアが分子調理法で名を馳せた。アドリアは「私は分子料理を作っているのはなく、料理は分子でしかないということ」と言っているが、分子調理法とは食物を加熱する段階で何が起こっているのか理解することである。去年、ミシュランの3つ星を返上したオリヴィエ・ローランジェは元科学者で、調理の際の多くの謎を解き明かした。なぜパンの皮は中身の部分よりも味があるのか、なぜ人間の母乳が牛乳よりも消化されやすいのか、どうして卵一個で24リットルのマヨネーズが作れるのか、なぜスフレを焼くときはすぐにオーブンに入れた方がいいのか、なぜブイヨンには最初ではなく最後に塩を入れたほうがいいのか、化学者は説明することができる。

液体窒素による瞬間凍結法を駆使するシェフ、ティエリー・マルクスは「化学がシェフに仕えることはあっても、逆ではいけない。化学に親しむのは大切なことだが、働きかけるのはシェフの側であるべきだ」と自戒をこめて言う。また「おいしいと感じるために必要なのは上質のセップ茸であり、質の悪いセップ茸に上質のセップ茸の香りをつけることではない」と安易な化学の応用に警鐘を鳴らす。「料理人はアーティストではなく、あくまで家具やオルガンを作ったりする職人と同じ。ベーシックな知をきちんと伝えることが重要になる」。マルクスがそう言うのは、料理には古典的なベースを学ぶことが不可欠であるにもかかわらず、分子調理法は技術や科学の力によってそれを省略して最先端の料理を学べると勘違させ、アーティスト気取りの若いシェフを生み出しがちだからだ。

□「分子調理法は料理の未来をどうかえるのか?」『クーリエ・ジャポン4月号』参照




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2009年06月18日

ミシュラン・ガイド VS 食べログ

Michelin Guide 2009 France (Michelin Red Guide: France)「ミシュランガイド」は、今年で100冊目となる。発売の際にはパリで豪華な記念式典が開催された。ミシュランガイド100号の出版記念式典は、オルセー美術館で行われ、三つ星シェフらが招かれた。今回、新たにサルコジ大統領のお気に入りの店が三つ星を獲得したことで、パリの三つ星店は計10軒となり、東京を逆転。また、日本人シェフでは、新たに伊地知雅さんが経営するフランス南東部の店が一つ星を獲得している。ミシュラン・ガイドは、日本でも東京に次ぐ第二の都市(大阪と京都)の新たなグルメガイドを作成中で、今秋に発売する予定と報じられている。

フランスでミシュラン離れの動きが出ていることを以前紹介したことがある。その先頭に立って公然とミシュラン批判を繰り広げているのがジョエル・ロブションだ。「わたしはミシュランのアンケートに答えない。載せてもらおうとは思わない。判定基準があまりに時代遅れで、新しさを求めるレストランは評価してもらえない」と主張している。ロブションは前菜、メイン、デザートという伝統的なスタイルにとらわれない、カジュアルなカウンターのレストラン「ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブション」を2003年にパリと六本木ヒルズに開いた。こういうレストランはミシュランに評価されないと言っていたが、それでも「ミシュラン・ガイド東京」では星を2つ獲得した。

一握りの特権者が価値を決め、「これに従え」とばかりに上から下へと情報を流す。下々の大多数の人間はそれを正しい価値として信じる。この啓蒙的な刷り込みを権威システムと呼ぶとすれば、新聞、雑誌、テレビなど、近年凋落が著しいと言われるメディアはすべてこのシステムの上に乗っていて、これらは集合知という新しい情報様式にその基盤を揺るがされている。

グルメの「権威システム」の最たるものが「ミシュラン・ガイド」とすれば、グルメと集合知の結びつきとして、グルメ口コミサイト「食べログ http://tabelog.com/ 」がある。カカクコムが運営する「食べログ」は、月間利用者が500万人、口コミ数が33万件に及ぶ。料理や店内の写真を口コミと一緒にサイトにアップロードでき、レビュアー(評価者)は自分自身のデータベースとしても利用できる。ユーザー用のページは本人以外の利用者も見ることができる。それによってユーザーは自分の好みにあったレビュアーを見つけ出し、そのレビュアーの舌を信用するようになる。

料理に対する嗜好は個人的なものなので、マスメディアや権威のある人間の評価よりも自分と共通する好みを持った人間の評価の方がはるかに信頼できるというわけだ。それは自分にとっての有用性や意味を求め、自分にとって必要な情報源、情報網、情報共有圏を構築していく方向性である。これはそういう情報のあり方を媒介にした人間関係とアイデンティティーのモデルでもある。

「ミシュラン・ガイド東京」と食べログでの評価を比較してみると、その結果は著しく異なっている。食べログの「東京」「フレンチレストラン」というジャンルのランキングでは、上位20位にミシュランの三ツ星のレストランは1軒しか入っていなかった。食べログでは自分の舌と似ているレビュアーが見つかれば、そのレビュアーの評価はミシュランよりも価値があることになる。ミシュランの調査委員はプロであり、組織的なレビュー(最終的には合議で判定するようだ)を行うが、それが自分の好みに合わなければミシュランの格付けはあまり意味がない。

確かに絶対的な「美味しさ」は存在するのかもしれないが、私たちは、友だちと、恋人と、家族と、多様な関係性の中で食事をする。それに応じたレストランの使い方や、かけたい費用のレベルも様々なのだ。それぞれのレベルにおいてコストパフォーマンス(フランス語ではカリテ・プリ qualité prix)を追求したり、ちょっと贅沢もしたりする。それに対してミシュランの尺度はあまりに一元的だ。もっともミシュランはすでにそのような使いこなしの一部になっているのだと思うが。

しかし、食べ歩きは所詮バブルの産物という気がしないでもない。「食べログ」にもそういう匂いを感じてしまうが、食をめぐる情報共有圏に、自分で(みんなで)料理をするとか、自分で野菜を作るとか、そういう日常的な実践のサイクルを織り交ぜていくと、単なる消費主義の枠を越えた、より豊かな情報共有圏を作れるだろう。WEB3.0はそういう既成の枠組みを崩していくことにこそ威力を発揮するのだ。

□情報共有圏(=インフォコモンズ)という概念と、食べログに関しては、佐々木俊尚著「インフォコモンズ」を参照。


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2006年10月31日

お菓子の話

名前が語るお菓子の歴史一時期、野郎3人で大阪と神戸のケーキ屋巡りをしていた過去を持つ木魚だが、甘党とも雨風(酒もお菓子も両方ラブ)ともでんでん違ってもっぱら左党(酒好き)で通してた。ラディカルな木魚、かっこええ、シブい。けどね、残りの2人は甘党か雨風で、男前の木魚としては和を乱すこと相成らん矜持がある。2軒目はケーキ屋かいな、とほほ、お菓子屋さんののれんをほっぺ真っ赤にしてくぐっていた。

というわけで、野郎1人とCyberbloomはんへのオマージュとして以下の文を拾ってきました。皆さん、この中でお菓子は何品あると思いますか? では御覧下さい。

雷光のきらめきのように白い山を一瞬でよじ登り、バイエルンの男と出会わずに黒い森を通り過ぎるために、本当に必要なものはなんだろう? 出発はポン=ヌフからでも、サン=トノレ通りからでもいい。左岸のモンパルナス駅にいく。モンパルナスからはいくつものルートが可能だ。パリ=ブレスト線を選んで、サブレの街で停車。あるいはロワール渓谷のシャトーをめぐってシャンポール城に。途中ピティヴィエで一泊。発車は迫り、駅は混雑している。そこでナントの人サントロペの人に道を尋ねることになる…。

答え:エクレール「雷光」/モンブラン「白い山」/バヴァロワ「バイエルンの男」/フォレ・ノワール「黒い森」/ポン=ヌフ/サン=トノレ/パリ=ブレスト/サブレ/シャンポール/ピティヴィエ/ナンテ「ナントの人」/トロペジアン「サントロペの人」

聞いたことないし、絵を書くこともできないものがあります。お魚やったらうんちくうんぬんかませるけど、こん中ではね、

モンブラン:何か手みやげさげて行こかと聞かれれば、本格麦焼酎二階堂の一升瓶と即答、ちゃうちゃうケーキで、そんなんいなんがな、でもみんな食べるンやから、しゃないな、モンブラン。木魚の脳髄はケーキ=モンブランかイチゴのショートケーキで凝り固まってる。

サブレ:それも鳩サブレ、このサブレと鳩サブレは同工?

エクレール:これはエクレアのことなんか?

バヴァロワ:聞いたことあるだけ、どんなんゆわれたらよわからん

くらいしか知りまへん、まいった白旗、降参、36計逃げるに如かず。

詳しくはこの本の7ページへ。




木魚

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2006年09月23日

「パリ物語―グルメの都市をつくった人々」玉村豊男

冬から春は貝がうんごい。

ホッキ貝アカ貝トリ貝ツブ貝バイ貝ミル貝ナガレコホタテタイラギハマグリアサリetc.、はしりも名残もいま旬も、来年までさいならもこれからよろしゅうもいろとりどり。磯臭さやぬめりが放つ貝の香りと甘味苦味に歯ごたえ、それぞれ個性があって甲乙丙丁戊己庚辛壬癸がつけがたい。

今挙げたなかでハマグリアサリは火を通さなちょいやばこいけど、それ以外はナマでいける。もっともナマでいく部位は貝によるんやけど、この地はほんまナマを珍重するな。しょうゆがなかったら寿司も刺身もどうなってたんやろ。

フランスでは、ハマグリムール貝ホタテにカキといったところが先発スタメン級、個人的にはCyberbloomはんに連れてってもうた愛と追憶の日々として、小ぶりのバケツにテンコ盛りのムール貝、これのセロリや香草入りのワイン蒸しが豪儀でええもん、なにしろ安かった。国産もんのムールは味けのうてもの足らん、なんでやろ、調理の差か持ち味の違いか。-1)

ナマは野蛮という文化圏でもカキだけはわっしゃかわっしゃかいただく。特産は「緑のカキ」ことオレロン島のもんやけど、今から35年ほど前にあっちで赤潮が発生しカキがわやになりかけた。これを救ったんが日本のカキで、大湖石みたいなゴツゴツしたむこうのカキは日仏交流の産物やったとは調べてみるもんやね。-2)

あとデンデンムシ食べるんが、あっぱれおみそれしやした。マイマイちゅるって山伏ぐらいやで。レストランでは魚料理にカテゴリーされてて、タマゴはホワイトキャヴィアって呼ばれてるんやて。木魚も試したけど虫と貝の違いってなかったな。区分けが舌をつくるんやな。

木魚

BOOK INFO:「パリ物語―グルメの都市をつくった人々
玉村豊男(中央公論社1992/11)

1)緑の看板が目印のムール貝料理のチェーン店、LEON のこと。パリにたくさん展開している。小ぶりのバケツ一杯のムール貝の白ワイン蒸しに山盛りのフライドポテトがつく。ベルギーのブリュッセル発。

2)「パリ物語―グルメの都市をつくった人々」の前半には、以前cyberbloomが「カフェ・コスト&ホテル」で紹介したオーベルニュ地方とパリのカフェの関係について書かれている。後半は「パリにクレープと生ガキをもたらした辺境の国」と題して、ブルターニュ地方がテーマになっている。ブルターニュ地方はパリの先端を行く料理を提供してきたのだが、そこは昔から貧しい地方だった。肉が食べれなかったので、仕方なく沿岸部では魚を食べた。フランス的には魚は「腹持ちが悪い」と嫌われ、魚食は貧しさの象徴だったようだ。また小麦がとれなかったので、仕方なくソバをクレープにして食べた。しかし、ダイエットの時代にはそれらが逆転した。「腹持ちが悪い」ということは脂が少ないということであり、ソバは今や自然食でヘルシーな食品のひとつである。


notes by cyberbloom


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2006年08月09日

記憶のなかのワイン 2006

最近、いろんな理由がいっぺんに重なって、ワインを全然飲んでいないので、今回は「記憶のなかのワイン」という昔の話題をひっぱり出してきて、少し埃を払ってからご賞味いただこうと思います。時間が経っているので、話の中味が熟成、もしくは変質しているかもしれません。

【記憶のなかのワイン】
フランス国内に限っても「女王」ボルドー、「王様」ブルゴーニュだけではもちろんなく、ほんとうにいろんな産地で美酒が今まさに生まれていて、また「赤」と「白」、そして「ロゼ」の区別もあるなかで、まったく個人的な好みでボルドーやエルミタージュの赤が好き、ブルゴーニュはどうも好きになれない。白はどうしてか外れることが多いので、あまり飲まないという偏った好みではあるのですが、フランスって奴に関わって、いたずらに歳をとっていくと、むやみに飲んだワインの数も増えていくわけで、これまでに1000本を超える酒瓶を転がしてきました。そのなかで、一番美味しかったワインは何か。

たとえば、ボルドーのワインはブドウの品種をいくつか混ぜて醸造しています。主要な品種だけでも6種類。「シャトー」の個性によって、それぞれの「アッサンブラージュ」(ブレンドの仕方)を持っていますから、たとえ畑が隣り合っていても、全然違う味・香りのワインが育ち、個性を主張し合っているというわけです。収穫年によってもブドウの出来が変わるので、一口にボルドーといっても、値段だけでなく、味も千差万別。それこそ無限の楽しみがぼく達を待っています。自分の好みのワインに出会ったときは、この上なく幸せな気分になります。Le bon vin rejouit le cœur de l’homme (美味しいお酒は人の心を楽しませる)、まさにこれです。

さて、ぼくが出会ったワインのなかで、最高にすばらしかったと断言できるワインがひとつだけあります。Haut-Medoc 地区の Château d’Arcins の 96年もの。このシャトーのワインはその後も毎年、欠かさず飲んでいるのですが、96年の味は忘れることができません。というか、記憶のなかで何度も味わい直すしかないワインなので、いまでは幻想も混じっているかもしれません。でもこれがぼくにとっての最高のワインです。飲めないほどに、思いは募るのですね。

フランスには「ニコラ」 Nicolas という名前のワインのチェーン店がたいていの街にあります。それぞれの店主は自分なりのこだわりでワインを仕入れ、売っているようです。96年の Château d’Arcins ともクレルモン・フェラン近くの小さな街の「ニコラ」で出会いました。試飲会 dégustation があると友人に連れていってもらったのですが、そこの主人がほんとうに愛おしそうに << Ma mignonne >> といいながら紹介してくれたのでした。彼にとってはまさに愛娘。ぼくはその陽気なワイン屋のおやじが大事にしてきたかわいい娘に一口で恋をしたようなものでした。初恋がそうであるように、きっとぼくのなかではいつまでも何ものにも変えがたいワインなのかもしれません。

ワインを飲むことが周期的にブームになって、びっくりするほど売れたりするのは、とっても日本的な現象だと思いますが、そういった流行廃りをくり返しつつも、ワインを楽しむ習慣が日本でも広まっていくのは歓迎です。自分の気に入ったワインを、ちょっとした料理といっしょに味わう。こんな素敵なひと時がほかにあるでしょうか。

ちなみに、ぼくの恋焦がれる d'Arcins 96年のお値段は1500円ほど。高値の華のように美く高貴なワインを飲んだこともあるけれど、自分としっくりくるワインが一番だと思うのです。ということは、ワインを飲むことは自分のことと他者のこととを知ることでもあるのか? 人間模索の日々は続く。

いつの日か、記憶のなかのワインと同じ、あるいはそれ以上のワインと再び出会うまで。


P.S.−先日ニュースで「ワイン王国」フランスの低迷が報じられていました。国際ワイン機関 (OIV) の統計によると、2005年のワイン輸出量・生産量共にイタリアに首位を奪われ、輸出量はスペインにも抜かれてしまったというのです。生産量は天候に、輸出量は市場に左右されるので、2005年の結果だけでどうこう言う必要はないように思うのですが、王者の転落はいつも大げさに報じられるものですね。曇りや雨の日もあれば、晴れる日もある。きちんとした誠実なワイン造りを続けていけばなんら問題はないはず。

ところで、気になったのは、「関係者は銘柄が多すぎて消費者に混乱を招いているなどの問題を指摘している」という低迷の理由づけ。もちろんそういう側面はあるかもしれませんが、いかにも消費者を馬鹿にした言葉じゃないですか? 自分の飲むものは、宣伝や説明を参考にしたとしても、少なくとも瓶を手にした瞬間から「自分で」選んだという気概を持ちたいものです。美味しいワインを飲みたければ、失敗も重ねなくっちゃいけません。




PST

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2006年07月09日

ジョニー・デップのワイン

ジョニー・デップが「パイレーツ・オブ・カリビアン」のプロモーションで来日中。ジョニー・デップで思い出すのが「カロン・セギュール」。今年のバレンタインデーの時期に、ジョニー・デップがインタビューで一番好きなワインは「カロン・セギュール」と発言。今年の「カロン・セギュール」はよく売れたのだろう。今や、バレンタインデーの定番ワインになりつつある。

ラフィット、ラトゥール、そしてムートンという素晴らしいワイン畑を所有しながら、「我が心にカロンあり」と言ったセギュール候。あのハートマークのラベルを見せつつ、「ぼくの心に…」と今年も多くの男たちがささやいたのか?バレンタイン・シーズンだけでなく、一年中、いつもなにかが「売る」ために利用されている日本ですが、「カロン」の値段ではなく、いつも「我が心」で勝負したいものです。とはいえ、「我が心」で「カロン・セギュール」を選んでも、なんとなく「定番」に乗っかったような気がしてしまう、そう思われてしまうのが辛い。「毎日飲んでも飽きのこない素晴らしいワインで、値段も手ごろなんだ」とはジョニー・デップのお言葉。毎日は無理でも(絶対に無理)、たまには奮発して美味しいワインをというときにどうぞ。カロン・セギュール、けっしてバレンタイン用ワインではありませんから。

まあ他人の恋路と好みはどうでもいいとはいえ、もし「カロン・セギュール」を買おうと思っているのなら、2000年か2002年のものが美味しいと思います。



PST

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2006年06月29日

美味しいワインのラベル

haringwine02.gifワインを選ぶとき、なにを基準に選びますか?

味?値段?名前?…

こんなラベルが貼られたワイン、手にとって、買い物かごに入れたくなりませんか?

それなりのお金を払って飲むのですから、おいしいということが最も重要なポイントとなるわけですが、実際のところ、ラベルに惹かれたワインにふと手を伸ばしていることもしばしばなのです。

おいしいかどうかは飲むまでわからない。でも、見た目は見たまま。表面的なこととはいえ、個人的な志向をかなり左右するように思います。ボルドー、ブルゴーニュなどなどそれぞれの産地ごとに違うボトルのフォルムにまでこだわりを持つマニアは少ないでしょうが、ワインのラベルにはコレクターがいるように、そのデザインの美しさに惹かれるときも多いのです。

どのワインにしようか迷ったとき、最終的にはラベルの好みで決めてしまうことがあります。「かわいい」ラベル、デザインがいいラベル、すっきりと簡潔なラベル etc. ずらっと並んだワインたちのなかから「第一印象」で選ぶとき、そのボトルの美しいフォルムが身に纏っているラベルに目がいくのですね。

それでたいてい外れないのは不思議です。というか、買う前にさんざん迷って迷って迷っているのですから、美味しくなかったときのショックはとても大きいわけなのですけれども、それでも、「かわいい」ラベルのワイン、あなどるなかれということなのかしら。それとも、それとも…もちろんここでいう「かわいい」はまったく個人的な好みなので、ええっ〜!と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが…

ワインのラベルというとムートン・ロトシルトのものが有名ですよね。毎年、有名人にラベルデザインを依頼し、趣のある、ときに奇抜な衣装をワインのボトルに着せて、世に送りだしています。

たとえば、古くは1947年ジャン・コクトー、48年にマリー・ローランサン、以後55年ジョルジュ・ブラック、57年アンドレ・マッソン、58年ダリ、69年ミロ、70年シャガール、71年カンディンスキー、73年ピカソ、75年アンディ・ウォーホル、88年キース・ヘリング(写真、上)、90年フランシス・ベーコン、93年バルテュスなどなど錚々たる名前が連なっています。これまで、日本人では2人、1979年の堂本尚郎と1991年のクロソフスキー・ド・ローラ・セツコ(出田節子:93年の図案を描くバルテュスの奥様)がムートン・ロトシルトの「アーティスト・ラベル」を手がけました。

切手みたいに図案の好みでワインのラベルをコレクションしている人もいるのでしょうね、きっと。

winetombo01.jpgBaronne du Chatelard の Beaujolais Nouveau 2003 のラベルのように、その年の新酒をみんなでわいわい騒いで飲もうという楽しさが伝わってくるような図案もいいのですが、僕自身はとてもシンプルなデザインがほんとうは好きなんです。たとえば La Demoiselle de Sociando-Mallet のような。これは「蜻蛉=トンボ」をラベルにあしらった、飲み心地のよいワインです。網を持って駆け回った空き地のさわやかな風が、干しわらのかすかな匂いが思い出される…わけではないですが。かなり美味いワインだと思います。

ワインのラベルには「ムートン」mouton の羊だけでなく、多くの動物たちが登場します。意外な生き物がデザイン化されて、ワインのボトルにぴったり貼りついて、こちらをこっそり窺っています。ぜひ探してみてください。

ワインラベルで動物園を作ってらっしゃる Yuji さんのサイトはこちらから



Pst

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2006年06月07日

フランスのお魚料理

meuniere01.jpgフランスのお魚料理といえば、白身が多いと考えてます。

干す、漬ける、熟らす、練るといった加工もんはさておき、鮮魚をいただくんなら、焼く、煮る、揚げる、蒸すといったところやろか。ゆうてもここんとこ世界的に寿司が認知されてるから生んままも八面六臂の活躍やけど、フレンチで青魚を結びつけるってことはあんまない。

マグロやカタクチイワシ(ヒシコ)は食べるやろうけど、これはツナやオイルサーディンやアンチョビなどと、加工もんでいただきマストドンが相場やと思います。ソースに凝りはるかの地では青もんは味が濃いんやろうと思ってるところ。

青魚は赤身ともいう。だいたい回遊魚やね。ほんで血合い(ハマチのお造りでいうと、赤黒いところ)が育ってるやつたち。そやからシャケはピンクがかってるけど、血合いが未発達なんでじつんとこ赤身じゃない。青もん嫌う人多いんは、時間経つと血合いから生臭みが出てくるとこもあるんやろね。

体内の水分量が多いんでお魚はお肉より足が早く、ことに青もんは「サバの生き腐れ」ちゅう言葉があるぐらいやし、ピチピチわんさかの回遊期とガチンコすると、需要と供給のつろく(バランスのこと)が取れんようになって、ゲス扱いされたりする。ほんにもっちきない。輸送の向上で各地に散らばるからそうでもなくなったけど。

反対に、養殖技術が進んでるから目方換算で養殖タイの方がイワシより安価という珍現象もとり沙汰されてたなぁ。イワシ減ってるんやてなぁ、イカナゴの新子も捕りすぎやなぁ。名物にうまいもんなしっていうと言いすぎやけど、わーわー言うほど釘煮って、もぎゅもぎゅ食べれるんかなー。特産とうたって全国展開するとしっぺ返しくらうんちゃうかな。

フランスの魚もんっていうと、木魚なんかはブイヤベースを思い出す。ブイヤベースは要するに鍋やから、ホウボウやコチやガシラなんかのコロッと身離れのいい白身が合う。こっちでもウオちりやウオすきに、サンマやアジは入れへんのとおんなじかな。でもヒラゴイワシのつみれは得難いうまさがある。

だしは青もんやろね。その証拠にカツ節やアジ節や煮干し(ヒシコ)やアゴ(トビウオ)はあっても、タイ節やヒラメ節ってのは聞いたことない。でもだしガラは捨てるからな。わざわざだしとるためにタイやヒラメをカチカチにするよりそんままがええ、お口にもふところにもね。

白身にこの手のだしは喧嘩する気がする。しょうゆやみりんで煮付けるんでなければ昆布だしやろな。ブイヤベースは何からだしとってんねやろ、Fench Bloom Data Baseで「かんたんフレンチレシピ」を紹介してくれてはるmandolineさん、よろしければ教えてくれろ。

ソテーとムニエルってフランス語やったっけ。雰囲気で言わしてもらうとソテーはお肉でムニエルはお魚かな。ムニエルはフィレ(切り身)に小麦粉まぶして、バターで焼くというか、揚げる。身のやわさを小麦粉で固め旨味を外にのがさない。やっぱり白身が合う。ま、フィレオフィッシュっていうのも白身がおおかたやし。

バターはオイルより頃合の温度がうんとこさ低いんで焦げにくい分、バターのブクブクをさじですくって身にかけてさじですくって身にかけてと「これでも言うこと聞かんのか」「堪忍して」ってぐらいまで何度も何度もいじめるとうまくいく、ってのが個人的体験やけど、ま、咳をしても独りで食うだけやから、適当適当、てめえでてめえを始末するだけやからええかげん。

ムニエルの代表がシタビラメでやっぱり白身(☞写真、上)。こっちでは大衆的なお魚やけど、むこうはセレブな響きかあるな。「左ヒラメに右カレイ」、左の「ひ」とヒラメの「ひ」で頭韻ふんでるから覚えやすい。シタビラメもヒラメ型でふつうは目のある方を左にむけると口が下にくる。

そのシタビラメ、ソールと現地で呼ばれてるけど、ゴム底靴をラバーソールっていうぐらいやから足の形にたとえてんやろう。ドーバーソールはそん名のとおりドーバー海峡産の肉厚で、フランスでは「ドーバー」をつけへんところに対イギリスの態度をそれとなく示してる。このソールはカレイ型で右向きなんで例外なんやけど、ヒラメ型のヌマガレイもあるから鷹揚に、理由知りたい向きはコメント放りこんどいて。

足の形でソール、ところがこっちはベロに見立てて舌平目。ただし、人間様のベロではない。牛のベロ。ウシノシタが通り名。というわけで、牛タン食べたなったら、これがいいっすよ、国産のクロウシノシタなら、黒毛和牛のタンでっからね。



木魚

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2006年04月24日

フランス紅茶への招待(後編)

このような話をすると「フレーバーティーって難しいんだ。」という結論に陥ってしまうでしょう。しかし私が思うのは、フルーツ系ミックスフレーバーの方がフラワー系ミックスフレーバーに比べ選びやすいということです。実はこれはフラワー系のほとんどが、そのドライフラワーを茶葉の中に混ぜ込んであることから生じます。それに比べ多くのフルーツ系は香料のみで仕上げてあります(もちろんドライフルーツが入れてあるものあるのですが)。つまりドライフラワーあるいはドライフルーツが入れてあるものの方が強い香りを放ちやすいということで、それはドライフラワーやドライフルーツに直接お湯を加えることで温度を上げるからに他なりません。

このように考えると、単一のフルーツ系からはじめ、徐々にフラワー系やミックスに挑戦していくというのがよいという結論になります。ちなみにお菓子系はフルーツ系同様スタートにはうってつけといえます。フレーバーティーの最終段階としては、フラワー系とフルーツ系を多重にミックスしたものとなるのでしょうが、私はあまりの臭気にどうも手が出せずにいます。こういうものは、温度と香りの原理を逆手にとって、水出しのアイスティーにするといいともいえます。

フレーバーティーはドライフラワーやドライフルーツで茶葉の見た目の華やかなものが多く存在します。しかしながら、見た目のあまりつい手を出して失敗することは十分に想定されうることです。これを防ぐためには、必ず自分で乾燥状態の茶葉を嗅いで、ある程度の想像をすることです。そうすることにより大きな失敗は激減します。できることなら試飲までして決するべきでしょう(なかなか難しいとは思いますが)。そうして慣れていくと段々とフレーバーティーの素晴らしさに近づけ、その華やかさに目も、鼻も、心も奪われることでしょう。
 
最後に少し、フレーバーティーに関するナチュラルティーのお話を。フレーバーティーを作る紅茶は当然ナチュラルティーですが、その多くはセイロン(現在のスリランカ)で、その他にはアッサム、ケニヤ、インドネシア、場合によってはチャイニーズということもあります。実はこれらの紅茶にはある共通項があって、それは紅茶の「コク」、いわゆる「ボディー」が強いことにあります。着香をしたときに紅茶の味や香りが消えないように強いものを選ぶわけです。しかしながら、ダージリンが利用されることもあり、その際の香料は控えられることが多いといえます。なぜなら、ダージリンはボディーよりも香りや渋みにその魅力があり、それははっきりとしていながらも優雅なものです。つまり、そのダージリンの特徴を香料は簡単に殺してしまうため着香は軽くなされるのです。

フレーバーティーを楽しむためには考えることも多くあります。しかしながら、完成され、また自分に合ったものはまさに芸術というべきものです。それに気づくと、紅茶のための思考はいつしか楽しみへと変わります。そして段々ととりこにされ、魅了されていきます。これを執筆している私も今、先輩から頂いたブルーベリーのシングルフレーバーティーを楽しんでいるところです。(了)


LOAD TEA

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2006年04月23日

フランス紅茶への招待(前編)

以前イギリス紅茶とフランス紅茶の比較という観点から、フランス紅茶のお話をさせていただきました。仮にそれを概論とするならば、今回は本論といったところです。

フランス紅茶の特質がよくわかるのは、フレーバーティーであるということを前回のエントリーでお話いたしました。これを前提に、フランス紅茶を楽しむ一歩として、フレーバーティーの楽しみ方を少しご紹介いたします。いかなる選び方がよいのか、どのように楽しむべきか、ということに視点をおきますので、いかなる入れ方で、どのような器財でというようなことは割愛したいと思います。

さて、フレーバーティーの選択を始める前に簡単なフレーバーティーの分類についてお話いたします。フレーバーティーはその香料の違いからまず3つに分けることができます。それは花の香り、フルーツの香り、あるいはチョコレートなどのようなお菓子の香りという分類です。そして次に問題になるのは単一の香料のものなのか、それともミックスされているのかという点です。実はこれが大きな点で、ミックスされた香料の数が多ければ多いほど、お湯を加えて抽出した後の香りが想定しにくいのです。恥ずかしい話、私はこれで一度失敗を犯しています。
 
単一香料のお茶というものは割合どのような香りで仕上がるのかが容易に想像できます。当然それは香りが単一であり、且つ私たちが普段から慣れ親しんでいるものであるからです。では香料が2種類、ないし3種類程度の少ない種類でミックスされたお茶は香りの想像が可能かということが疑問点として浮上します。確かに数多くの香料を使用したものに比べ想像は容易ですが、やはり難しいといえるでしょう。その理由はお湯を加えたときに香りのバランスが変わる点にあります。どういうことかといいますと、お店に並んでいる紅茶の葉の香りを確認させてもらっても、お湯を加えれば香りは変わるというわけです。香りというものは温度が高いと強く香ります。つまり、乾燥状態の茶葉に100℃のお湯を加えれば当然に香りは強さを増すわけです。
 
どのような茶葉にもベースとなる香りがあり、それを装飾していく形で他の香料が加えられていきます。しかしながら、装飾用の香料は乾燥状態では香りがあまり感じられずに、お湯を加えたときに真価を発揮することもありうるのです。つまりベースとなる香りを把握しても、それがはじめから全面的に押し出される、いわゆるトップノートなのか、あるいは最後に余韻として残るラストノートなのかはその紅茶の個性とも言うべきであり、一概に言うことはできません。(後編に続く)


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2006年04月04日

春のボジョレ、お花見のワイン

ボジョレー・ヌーボーと言えば、秋も深まった11月の第3木曜日に解禁になるが、次にフランス政府が売りこもうとしているのは、春のボジョレ。クリュ・ボジョレー(Cru Beaujolais)という。日本ではワイン輸入業者が「お花見ワイン」として女性のあいだで定着させようと目論んでいるようだ。さわやかな酸味と華やかな香りはヌーボーと変わらないが、5ヶ月間熟成している分だけ、深みが増している。春のボジョレにあわせて、「クイーンアリス」の石鍋シェフが2万円の豪華なお花見弁当(ハーフボトル付)を用意した。 (4月3日、テレビ東京-Closing Bell)

crubeaujolais01.jpgボジョレは、フランス南東部、リヨンの北に位置するワインの産地だが、一般に北部の方が優れたワインを産出すると言われている。ワイン法で定められている格上のヴィラージュ(Village)地域や、いわゆる特級に相当する10の村の名前がそれぞれついたボジョレー(クリュ・デュ・ボジョレ)は、すべてこの北部に属している。写真のラベルはフルリ村のワイン。

お花見はこれからという方は、いかがですか。

□SHOP INFO:サントリーが数年前からすでに「春のボジョレ」を売り出してたんですね。今年は「花のボジョレ2005」と銘打って帝王ジョルジュ・デュブッフのワインを扱っています。ちょっと花が違いますが。詳しい種類の説明はこちら



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2006年03月21日

「ミシュランガイド仏国内編」06年版

Michelin Red Guide 2006 France (Michelin Red Guide: France)フランスのグルメ案内書「ミシュランガイド仏国内編」06年版が3月1日に発売(写真は英語版)。かつては三つ星の代名詞で、96年から二つ星に降格していたパリの有名店「トゥール・ダルジャン」の星がついに一つになった。 ワインなしで1人平均300ユーロのディナーを提供するトゥール・ダルジャンを「質がちぐはぐ」とバッサリ。三つ星に昇格したのは北西部カンカルの「メゾン・ド・ブリクール」だけ。

「サンドランス」(旧ルカ・カルトン)は今回二つ星を獲得。昨年夏、シェフのアラン・サンドランは三ツ星を自ら返上し、今よりも庶民的なレストランに全面改装すると宣言した。エゴと贅沢にとらわれすぎていたことを反省し、400ユーロ(5万6千円)なんていうバカ高いコースは排して、若い人たちも気軽に食べれるようにと、100ユーロ(1万4千円)前後に値段を設定。アジアの食材やダイエットメニューを取り入れるとも言ってた。

このように最近、ミシュラン離れの動きが出ているが、その先頭に立って公然とミシュラン批判を繰り広げているのがジョエル・ロブション。「わたしはミシュランのアンケートに答えない。載せてもらおうとは思わない。判定基準があまりに時代遅れで、新しさを求めるレストランは評価してもらえない」との主張。ロブションは前菜、メイン、デザートという伝統的なスタイルにとらわれない、カジュアルなカウンターのレストラン「ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブション」を2003年にパリと六本木ヒルズに開いた。こういうレストランはミシュランに評価されないと言う。

100ユーロでも十分高いと思うけど。気軽というなら、2000円くらいでランチを食べさせて欲しいなあ。ロブションのカウンターの店は一杯600円のグラスワインでもOKなようだ。フランス料理も伝統的な重々しさから逃れて、カジュアルで、自由なスタイルを目指しているということか。こういう流れは個人的には大歓迎。しかし、こういうフレンチの話が、ネオリベラリズムの勝ち組、ヒルズ族なんかと容易にシンクロしてしまうのが面白くない。ITの若い実業家たちは自宅に有名フレンチシェフを呼んで料理を作らせてるらしいしね。フレンチを気取って嗜むなんて、ブルジョワ文化の最たるものだが、ロブションさんには、FUJIROCKフェスとかに出店するような、さらなる心意気が欲しいな。貧乏な若者にもフレンチを!

ところで、日本人シェフ吉野建さんが経営するパリの「ステラ・マリス」、松嶋啓介さんが経営するニースの「ケイズ・パッション」がそれぞれ初の一つ星を獲得し、日本人経営の星付き店はパリの「ヒラマツ」に続き3店となった。「ケイズ・パッション」はテレビでレポートしてたのを見たが、ほとんどアドリブで作る、かなり独創的な料理に見えた。ニースの有閑マダムたちにウケているようだ。重ねた薄切りの牛肉のあいだに山葵を練りこんで、焼いた「牛肉のミルフィーユ」が美味しそうだった。

Michelin Red Guide 2006 France (Michelin Red Guide: France)

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2006年03月08日

フランスの紅茶

mariage01.gif「紅茶」と聞けばまず思い浮かべるのは「イギリス」でしょう。確かに紅茶の本場イギリスでは朝起きてから夜寝るまで何回も紅茶を飲んで生活し、紅茶無しの生活は考えられないとまで言われています。しかしそんなイギリスでも最近では昔のようにティーポットにフルリーフの茶葉(茶葉の形が完全に残った状態の茶葉)を入れてお茶を飲むことは少なくなり、ティーバッグ入りの紅茶を飲むことが多いそうです。もちろん、休日など時間にゆとりのある日やパーティーなど特別な場合などはティーポットにフルリーフ、あるいはブロークンリーフ(茶葉を刻んで抽出時間を早めた茶葉)を入れてきちんとした作法で淹れることもあります。

大きなデパートの紅茶売り場を見てみましょう。なるほど、パッケージの文字は英語が多く、さすが本場はイギリスです。ですが、紅茶専門店を探してみましょう。そうすると案外フランス語の店名が多いことに気づくはずです。「え!?フランスの紅茶?フランスってカフェっていうイメージが強いけど…」カフェのオープンテラスでカフェ・オ・レを頂く…確かにイメージの中のフランスでしょうが、今フランスでも紅茶は愛飲されているのです。厳密に言えば、かなり以前から好まれていました。

日本で出回っているフランス紅茶には少し特徴があります。それは「フレーバーティー」です。つまり紅茶に花やフルーツなどで香り付けがしてあり、紅茶を淹れたときにその香りの感じられるものです。フランス系の紅茶のお店には数多くのフレーバーティーが並んでいます。イギリスのフレーバーティーといえばアールグレイぐらいのものでしょう。

一方イギリス紅茶の場合は、産地は統一してあっても産地内でのブレンド、あるいは産地を越えたブレンドティーがほとんどです。例えば、ダージリンだったらインド・ダージリン地方のさまざまな農園のブレンドで、ブレックファーストティーだったら、朝の目覚めに合うように、セイロン(今のスリランカ)やインド・アッサムなどをベースにしてブレンドがしてあります。逆にフランス系の場合、もちろんブレンドもありますが、ナチュラルティー(香り付けのしていない紅茶)ですら農園別や産地を細かく分類して、その特徴を楽しめるようになっています。

イギリスとフランスの紅茶文化の違いは、紅茶の用途が違うことから生じていると考えられます。つまり、イギリスの場合紅茶は、私たちの緑茶みたいなもので、何杯も飲むものだからそんなに手の凝ったものである必要はないのです。逆にフランスの場合はお昼時のゆっくりとした時間を過ごすための嗜好品の性格が強いわけです。そういうこともあってか、イギリス紅茶は味がしっかりしていて、水色もはっきりしているのに比べ、フランス紅茶は比較的香りに重きがあり、水色も明るめのものが多い感じがします。価格を比べるとイギリス紅茶よりもフランス紅茶のほうが平均的に高価であることも見受けられます。ここにも用途の違いが出ているといえるでしょう。

ではどちらの紅茶が優れているのでしょうか?私の考えでは、どちらが優れているとはいえません。お茶も農産物で飲み物ですから好みがあります。いかにも紅茶というのが好きな方はイギリス系でしょうし、紅茶の優雅なイメージが好きな方、あるいはフレーバーティーが好きな方はフランス系でしょう。私は、繊細な紅茶が好きなこともあり、最近ではフランス系の紅茶を選ぶ傾向があります。しかし忘れてはならないのは、茶葉の産地はどちらも基本的には同じだということです。茶葉を生産しているのはイギリスでもフランスでもなく、インド、スリランカ、中国、ケニア、インドネシアなど、高温多湿な土地です(インド・アッサム地方は世界最多雨地域としても有名です)。あくまでそのような土地で生産された紅茶をイギリスやフランスで分類やブレンド、あるいは香り付けをしているだけです。

「フランスの紅茶が飲んでみたい」という方もいらっしゃるかもしれません。そこで、フランス系紅茶店をいくつか紹介します。すべて専門店ですが、マリアージュ・フレール(Mariage Frères)やル・パレデ・テ(Le Palais des Thés)はどちらも本店はパリにあります。フランス系に分類される、日本の会社のレピシエ(L’Epicier)は全国にお店を持っています。また、ここに挙げたフランス系紅茶店はすべて通信販売を行っています。

今回はフランスとイギリスの紅茶文化を比較してみましたが、その違いを自分の目で、鼻で、舌でそれを体感していただけると嬉しいです。

Load Tea (K大学法学部3年生)
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posted by cyberbloom at 22:20 | パリ ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | CAFE+WINE+GOURMET | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする