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≪ Le bébé est mort. Il a suffi de quelques secondes. ≫「赤ん坊は死んだ。ほんの数秒で事足りた」で始まるレイラ・スリマニの第二作目は、性依存症に続き嬰児殺しのテーマを扱う。2016年ゴンクール賞を受賞。その年に独創的な散文作品を書いた新進気鋭の作家に贈られるこの文学賞は、1903年の創設以来すでに100人以上の受賞者がいるわけだが、彼女はシモーヌ・ド・ボーヴォワール、マルグリット・デュラスなどに続き12番目の女性受賞者となる。彼女がある講演会で「男ばっかりね」とコメントしたのも宜なるかな。
昨年彼女は男女平等も優先課題に掲げるフランコフォニー担当大統領個人代表に任命されているが、ハーヴェイ・ワインスタイン事件からの一連の出来事の中で改めて彼女の名前を知った人も多いのではなかろうか。アラン・ロブ=グリエの未亡人カトリーヌ・ロブ=グリエ、世界的大女優カトリーヌ・ドヌーヴを始めとする100人の女性たちが賛同署名したル・モンド紙の寄稿記事『私たちは性の自由に不可欠な ≪ importuner ≫「女性にしつこく言い寄る」の自由を擁護する』(2018年1月9日付)に対し、レイラ・スリマニは、≪ importuner ≫ と同じ音の ≪ un porc, tu nais ? ≫「あなたは豚に生まれるの?」というタイトルの記事を1月12日のリベラシオン紙に投稿し「私は ≪ importuner ≫ されない権利を求める」と主張した。
作品に戻ろう。簡潔でテンポの良い文章は、あまりにも有名な ≪ Aujourd’hui, maman est morte. Ou peut-être hier, je ne sais pas. ≫「きょう、ママンが死んだ。もしかすると、昨日かもしれないが、私にはわからない」という文章で始まる『異邦人』を想起させる。またニューヨークで働くプエルトリコ人のベビーシッターが長年世話をしていた子供たちを惨殺したという、2012年に起きた事件の三面記事からインスピレーションを受けたという点では、『ボヴァリー夫人』との類似性が指摘されている。
しかしそれらの作品と異なるのは、事件のすべての「結末」が最初に書かれてしまっていることだ。そもそもヌヌの日常はルーチンな作業(子供の世話や家事)の繰り返しなので、時系列で書いても平凡なストーリーになってしまう。スリマニは、嬰児殺しの犯人であるルイーズがなぜこのような凶行に及んだかを読者が解き明かすべく、淡々と ≪ indices ≫「手がかり」を提示していく。書き手の現在の内面意識が語られる『異邦人』とは異なり、ルイーズの感情的内面が語られることはほぼ、ない。少なくとも彼女に関しては、雇用主とのボタンのかけ違いのような誤解の積み重なり、経済的困窮、そして何よりも周囲の人間の彼女に対する無関心によって、彼女が精神的に徐々に追い詰められていく過程だけが解剖学のような冷徹な筆致で語られていく。
映画『パリ、ジュテーム』の ≪ loin du 16e ≫「16区から遠く離れて」では、まだ夜も明けぬうちから生まれて間もない自分の子供を、ベビーベッドがひしめく託児所に預け、住んでいるパリ郊外の団地から電車とバスを乗り継いで通う16区のブルジョワ家庭で、本来自分の子供に注ぐはずだった愛情をお金に換えて、≪ chanson douce ≫「優しい子守唄」を歌う移民女性の姿が描かれていた。
今回課題本となった『ぼくの命を救ってくれなかった友へ』の翻訳原本は、1990年に発表されたエルヴェ・ギベールの自伝的作品 A l’ami qui ne m’a pas sauvé la vie である。自らのエイズ患者としての体験、自分にエイズの最新の治療法を受けさせてやると約束していたのにそれを反故にした「友人」ビルの裏切り、やはり「友人」であったミシェル・フーコーのエイズによる死、イザベル・アジャーニの気まぐれな心変わりによって頓挫した映画の企画話などが主に語られている。これらのスキャンダル的要素と自らの病気の進行を詳細に書き記したドキュメンタリー的価値によって、本書は世界各国の言語に翻訳され一躍ギベールの名は知られるようになった。
ロマン・ガリ(Romain Gary)という作家は、日本では残念ながらほとんど紹介されてこなかった(1980年前後に、後述のアジャール名義の小説が数冊翻訳されたが、とっくに絶版になっている)が、没後34年経った現在でも、フランス人によく読まれている。とりわけ『夜明けの約束 La promesse de l’aube 』(1961)は、母子家庭に育った自分の半生を、強烈な母親の肖像とともに、ユーモラスに、ときに苦く語り、一大ベストセラーとなった。映画や舞台にもなり、14カ国語に訳されたそうだが、日本語版はない(じつはこれを訳して世に出したいというのが、僕の積年の野望である)。「たとえ母親でも、誰か一人だけをあれほどまでに愛するということは許されないのではないか」と言うほどの激しい愛情は、決して無償の愛ではなかった。その強烈な個性は、母親を追慕しがちな優しい日本の小説には見当たらないものである。
さて、ロマン・ガリというと、枕詞のように付いて回るのが、ドゴール主義者、ゴンクール賞、ジーン・セバーグである。空軍パイロットだったガリは、ドゴールの呼びかけに応じてナチスと戦い、勲章を受けた。その功績から外交官のキャリアを得て、最後はロサンジェルス総領事にまでなった。また、『空の根っこLes racines du ciel』(1956)でゴンクール賞を受賞し、さらにエミール・アジャール(Emile Ajar)名義で書いた『これからの人生 La vie devant soi 』(1975)で二度目のゴンクール賞を受賞した。これは一人一回という賞の原則が裏切られた事件として、文学史上有名である。1963年から1970年にかけては、ジーン・セバーグと結婚していた。ちなみに最初の妻レスリー・ブランチ(小説家)もイギリス人だった。ロシア人の母とともにポーランドで幼少期を過ごしたロマン・ガリは、14歳のときにフランスに移住した。その結果、ロシア語・ポーランド語・フランス語・英語に堪能だった(英語では6冊の小説を執筆している)。1980年にピストル自殺。遺書には「ジーン・セバーグとは何の関係もない」、「いっぱい楽しんだ。さようなら、ありがとう」と記されていた。
こうした派手な経歴と、誇張を含んだ虚言の数々で、生前は批評家たちの反感を買った。だが、いまロマン・ガリを読む人は、たぶんこうしたスキャンダルは忘れて、単純に興味深い小説家として接することができるだろう。ロマン・ガリの主題は、一言で言うと、絶対的な価値を追求する者への同情と疑義である。理想がなければ人は生きていけないが、絶対化された理想は、他人に対しては暴力的になり、自分に対しては絶望を植えつける。デビュー作『ヨーロッパの教育 Education européenne 』(1945)では、ポーランドで反ナチスのレジスタンス運動に従事する若者たちを主人公にして、その献身的な態度の美しさと、その先にある凄惨な殺戮の実態とを対比させた。『空の根っこ』では、フランス領チャドを舞台に、象の保護のためにテロ行為に手を染める一人のフランス人を狂言回しに、理想に生きることの意味を問うた。『星を食らう人々 Les mangeurs d’étoiles 』(1966)では、大道芸に熱狂する南米の独裁者を描き、不可能性が麻薬のように人を魅了する恐ろしさを喚起した。
フランスに住み始めて6ヶ月。でもフランス語は上達せず、語学学校に通うのもやめてしまった。会話の内容はなんとか理解できるけれど、きちんとわかっているのか心もとない。でも、「何とおっしゃいました?」を連発するのはきまりが悪い。だからついついあの魔法の決まり文句、“D’accord.(=わかりました)”が口を付いてしまう…。“D’accord.”と言ってしまったばかりに我が身に降りかかった思いがけない体験を在フランスのアメリカ人作家、デビッド・セダリス David Sedaris はエッセイ”In The Waiting Room”に綴っています。
人気作家として The New Yorker を始めメジャーな雑誌に頻繁に寄稿しているセダリスは、ゲイである自分のアイデンティティーや年下のパートナーとの生活、中流家庭に育った幸せな子供時代の思い出にこだわったエッセイを多数発表しています。フランスに住んでいても、彼の作品は異国の香りをさほど感じさせてくれません。(日本のフランス発のエッセイがいやおうなしにフランスを語るものとなっているのとは対象的、面白いですね。)異邦人であることを強調せず、コスモポリタンであることを自慢せず、誰しもの身にも起こりうる日々の暮しのあれこれから得た思いや意見を軽妙な筆致で描きだす。そんな作風がアメリカでうけている理由なのかもしれません。異国にあってぶしつけに振舞わないけれど、卑屈にもならない、よい意味でアメリカ人らしいフランクな雰囲気がセダリスの作品の魅力となっています。作品中で作り上げられた彼のイメージは、アメリカの読者が楽しみ羨む、理想的な「パリのアメリカ人」のように思います。
ミニュイ社 Les Éditions de Minuit は、かつてアラン・ロブ=グリエやミシェル・ビュトールといった「ヌーヴォー・ロマン」の作家たちや、『ゴドーを待ちながら』のサミュエル・ベケット、また最近では日本でもおなじみのジャン=フィリップ・トゥーサンやジャン・エシュノーズなどの、ユニークな作家の作品を世に送り出してきた出版社です。白地に青い星印のシンプルで美しいその装丁の本は、モード写真の小道具としてたまに登場していますから、書店ならずとも、雑誌で目にした人も多いかもしれません。
そのミニュイ社で、ここ数年コンスタントに作品を発表している作家に、クリスチャン・オステール Christian Oster がいます。オステールはさまざまな職業を転々とし、数冊の推理小説を出した後で、1989年にミニュイから本格的デビューを果たしました。それが40歳になろうという年のことですから、遅咲きの人と言えますが、1996年以降はほぼ毎年1冊小説を発表し、1999年の作品『僕の大きなアパルトマン Mon grand appartement 』はメディシス賞(注1)を受賞しました。最近では子供向けの童話も次々出していて、非常に意欲的な活動を続けています。
新作がいつも待ち遠しいオステールですが、日本でも2003年作の『待ち合わせ Les rendez-vous 』が昨年翻訳されました。文字通り、主人公フランシスがカフェで元恋人と「待ち合わせる」場面から始まりますが、彼による「待ち合わせ」の定義がこれまた相当変わっていて、数ページ読んだだけでもフランシスの非常に理屈っぽい性格とどこかずれたものの考え方がすぐに分かっていただけると思います。この部分で辟易してしまう人もいるかもしれませんが、それがツボにはまれば話が次にどう転ぶのか、ワクワクしながらオステールの世界を楽しめることでしょう。そしてめぐりめぐった物語が、最後の段落に行き着いて冒頭のシーンとつながるときに、彼の小説家としての力が否応なく感じられるのです。
世界的な作家になり、ノーベル文学賞受賞も遠くないと囁かれる村上春樹。フランスでももの凄い人気で、ほとんどすべての作品が高い評価を受けています。ぼくも何冊かフランス語版の春樹小説を持っていますが、それらを買った当時は実はそれほどでもなかったように記憶しています。小川洋子とか、吉本ばなななんかと本屋の棚に静かに並んでいた記憶があります。フランス語版のタイトルはほとんどが直訳なんですが、いくつか挙げてみると、『羊をめぐる冒険』は La course du mouton sauvage 、例の『海辺のカフカ』は Kafka sur le rivage と訳されています。傑作『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』はさらりと La Fin des temps。『ノルウェイの森』は、La Ballade de l’impossible となり、これには異論のある読者もいるようです。
で、こんなにもみんなに読まれているのなら、「村上春樹で学ぶフランス語」なんてのはどうだと思いつき、思いつきでこの記事を書き始めたものの、肝心の本が見つからない。やっとのことで見つけた断片で、今回はお茶を濁して、春樹文学の名台詞たちをフランス語で味わうのはまた今度、ということで... La Fin des divagations 。代わりに、ちょっと長いですが、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』からの引用で締めましょう。
En général, je suis quelqu'un de plutôt sincère. Quand je comprends, je le dis clairement et, quand je ne comprends pas, je le dis aussi. Je ne laisse planer aucune ambiguité. Je pense que la plupart des gens dans le monde où nous vivons, qui s'expriment de façon ambigue, cherchent des ennuis inconsciemment, au fond d'eux-mêmes. Je ne peux pas penser autrement...
初めてフランスを旅行したとき、パリの街角の所々に風変わりな映画ポスターが貼ってありました。無表情の男がバスタブに横向きに座るそのモノクロのポスターが妙に気になっていたら、本屋にその映画の原作 "La Salle de Bain" が置いてあり、旅みやげにそれを買って帰りました。そのときは全く予測もつきませんでしたが、この作品は後日『浴室』というタイトルで日本で翻訳出版され、著者のトゥーサンは現代のフランス作家(注1)として一躍人気者になったのです(注2)。
■定年退職前の厳しくも優しいロペス先生のもとで、勉強したり遊んだりする13人の子供たちの姿を追った、心温まるドキュメンタリー映画。Etre et Avoir―タイトルにもなっているこの二つの動詞から見ても、フランス人にとってのフランス語の始まりも、日本人がフランス語を始めるときと全く同じなんだな、と分かります。フランス語をやっている人なら、まるで自分も小学生になったような気分になり、子供たちと一緒に「うぃぃ〜!」「ぼんじゅ〜る、むっしゅ〜」と言ってしまいそう。