2008年04月04日

プチ・ニコラ

プチ・ニコラ〈1〉集まれ、わんぱく! (偕成社文庫)学校ではクラスで記念写真を撮る機会が少なくない。
入学式、学校行事、卒業式…。
そんな風景を思い起こすことはあっても、写真撮影そのものの思い出とか記憶はあまりない。
写真撮影は、あまりにもあっさり通り過ぎていく。

Nicolas たちの学校で記念写真のエピソード。写真一枚撮るのに、まぁ、大変。
Nicolas の目線で進むので、Nicolas がどんなキャラなのか解りにくいけど、たぶん、普通の子。
というか、他の面々(les copains)が「濃い」のである。

Geoffroy: 欲しい物は何でも買ってくれる超お金持ちのパパがいる。
Agnan: クラスのトップ。先生のお気に入りだけど皆からはあまり好かれていないようだ。
Eudes: とても強い。(人に)げんこつしたくて仕方がない。
Alceste: ぽっちゃりしていて、いつも何か食べている。
Rufus: (本文では)バッグを被って「お化けだぞ」と叫んでいる。
la Maîtresse: 担任の先生。優しくてみんな大好き。でも怒ると怖い。

たった一枚の写真を撮るのに、みんなが好き勝手に何かするので、なかなか写真が撮れません。Geoffroy はおもちゃの火星人ヘルメットを被ってきて、どうしてもこの格好じゃなきゃ嫌だとダダをこね、Eudes は Agnan の鼻っ柱に一発お見舞いしたくて仕方がない。Alceste はタルティーヌをシャツに落っことし、そのジャムでシャツを汚す…。

最前列は地面に座り、二列目はそのまま立つ。三列目は椅子を並べてひな壇をつくり、その上に乗る。背の高い子だけだといっているのに、皆最後列の椅子(chaise)に乗りたがったり、カメラマンにカメラについて蘊蓄を垂れたり、列は乱すわ、ケンカは始めるわ、温厚なカメラマンも我慢の限界!?

こんな面々で、今時の感覚で言うところの「学級崩壊!?」かと思いきや、先生も負けていない。ことあるごとに叱り、動詞の活用だの、書き取りだの罰を与えるけれど、最後は「おとなしくできたら罰はナシにしてあげる!」と巧みにアメとムチを使い分ける。「先生を悲しませたくない」と頑張るくらいに皆の信頼も厚い。

さて、「Un souvenir qu'on va chérir」な記念写真の出来映えは…?

児童向けとはいえ、なかなか読み進まず、たった数ページ読むのに時間がかかりすぎました。
ドタバタで「悪ガキ」ばっかりだけど、どこか微笑ましいです。子どもって、やっぱりやんちゃだよなぁ…。


□本のタイトルが「Le petit Nicolas」(プチ・ニコラ)。和訳のものに「プチ・ニコラ」(偕成社)「わんぱくニコラ」(文春文庫:絶版)があります。その中のエピソードの一つが、この「Un souvenir qu'on va cherir」というお話です。

□Sempé-Goscinny は作者で、サンペが絵担当、ゴシニがお話担当。

□公式サイト http://www.petitnicolas.com/
フランス語とドイツ語が選べます。トップページでニコラが走っているのがかわいい。


プチ・ニコラ〈1〉集まれ、わんぱく! (偕成社文庫)
ルネ・ゴシニ&ジャン=ジャック・サンペ
偕成社 (1996/02)
売り上げランキング: 153476
おすすめ度の平均: 4.5
5 フランスのエスプリと子供の本質
4 ニコラとの再会


tk

rankingbanner_03.gif
↑ライターたちの励みになりますので、ぜひ1票=クリックお願いします!

FBN22.png
posted by cyberbloom at 16:22| パリ ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評−フランス小説

2008年03月21日

『なしくずしの死』 ルイ・フェルディナン・セリーヌ

なしくずしの死〈下〉 (河出文庫)生き続けるのは残酷なことだ、他人とともにいるのは不幸の源だ、というのは文学の大きなテーマの一つ。「不思議なのは、どうして誰も自殺しないでいられるのかということです」と、トマス・ベルンハルトの芝居の登場人物は呟きました。セリーヌの『なしくずしの死』は、まさに自殺を回避するための戦いの記録です。人生がくだらないと思っているなら、どうして死んでしまわないんだ、という問いに、神だとか愛だとか家族だとかを持ち出さずに答えようとすると、なかなか大変です。原題は『クレジット払いの死』ですが、本当は「抵当に入った生」というべきです。主人公は子供の頃から失敗ばかりします。それでも、寝転がって星を眺める心はもっています。しかし、不器用な大人の悲惨な死に直面したとき、都会の空は濁って、もう星は見えなくなります。星を見ることに関して、これほど美しく悲しい小説を僕は他に知りません。暗い、とはいえ、笑える場面もたくさんあります。カフカやベケットで笑えるという人に限りますが。


なしくずしの死〈上〉 (河出文庫)
ルイ‐フェルディナン セリーヌ 高坂和彦
河出書房新社 (2002/03)
売り上げランキング: 37274
おすすめ度の平均: 4.5
5 怒りをこめて生き延びる
4 なしくずし



bird dog

rankingbanner_03.gif
↑ライターたちの励みになりますので、ぜひ1票=クリックお願いします!

FBN22.png
posted by cyberbloom at 07:52| パリ ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評−フランス小説

2008年02月15日

森茉莉 『記憶の絵』

kiokunoe.jpg「ふらんすへ行きたしと思へども ふらんすはあまりに遠し・・」と謳ったのは詩人の萩原朔太郎です。この「旅上」という詩が収められた『純情小曲集』が発表されたのは1925年(大正14年)のことですが、当時は今と違ってヨーロッパへ行くのは物理的にも経済的にも大変な時代でした。しかし幸運にも憧れの洋行を実現した日本人たちもいたわけで、ろくなガイドブックもなく、言葉もおぼつかないなかでも、刺激的な滞在を送り、興味深い記録を残している者も少なくありません。今回は森鴎外の長女で稀代の文章家である森茉莉についてご紹介しましょう。


1903年(明治36年)生まれの彼女が、先に留学していた夫に合流すべく渡欧したのは1922年(大正11年)のことで、まだ19歳という若さでした。嫁ぐまで靴のひもを結ぶのも人にやってもらっていた(!)というお嬢育ちの彼女が、夫と二人だけのパリ暮らしをやっていけるのかと思いきや、この花の都に到着すると間もなく「毛虫が蝶になるようにしてなんとも面白い巴里女(パリジェンヌ)に孵化した」というのです。


夫が外へ出ている間はホテルの中にいるだけ(一人きりで外出したのはたった一回だけだったと言います)だったにもかかわらず、彼女はパリでの生活を心の底から満喫し、(滞在中父親である鴎外の死を知らされたときは別として)日本を恋しがることもほとんどありませんでした。百貨店で買い求めたつるしの洋服を嬉々として着こなし、夜な夜なオペラや芝居を見に出かけ、街中のレストランでおいしいものを食べ歩く毎日を楽しみました。ことのほか食いしん坊の彼女にとっては、レストランで味わうビフテキや牡蠣はもちろんのこと、ホテルで出されるカフェとパンという簡素な朝食でさえ、「胸が一杯になるほど楽しいもの」でした。


ソルボンヌ大学近くの安ホテルに下宿した二人を取り囲むのは、若いツバメを連れた婆さんや商売女たち、若い恋人のいるフランス語の先生などどこかいかがわしい人々ばかり。そしていくらぼんやりとした性格の彼女でも、つまらないことで議論したり、浮気っぽかったり、少しのお金でも出すのを惜しみ「貰うものはスリッパ片方でも喜ぶ」(!)くらいケチだったりする、パリジャンたちの様々な側面がわかってくるのですが、それに幻滅するどころか、彼らの自由で、粋で、人生を謳歌する姿に共鳴して「パリが自分のほんとうの国であり、自分のほんとうのいる場所である」と感じるまでになるのです。


滞在を終えて1923年に帰国した彼女が、1987年に84歳の生涯を終えるまで「自分のほんとうの国」に戻ることは二度とありませんでした。しかし、約一年半のパリでの生活はその後彼女の人生に大きな影響を与えたのは間違いありません。彼女がパリでの思い出を『記憶の繪』と題して文章にまとめたのは実に60歳を過ぎてのことですが、40年以上も前の出来事がまるで昨日あったことのように鮮明に語られています。またお金は持っていなくとも、「貴族」的な精神をもち、上等な生活をする術を披露した「贅沢貧乏」など、彼女の珠玉の文章そこここに、パリで培われた感性が花開いています。


記憶の絵 (ちくま文庫)
森 茉莉
筑摩書房 (1992/02)
売り上げランキング: 225621
おすすめ度の平均: 5.0
5 明治・大正時代に思いをはせました



exquise

rankingbanner_03.gif
↑ライターたちの励みになりますので、ぜひ1票=クリックお願いします!

FBN22.png
posted by cyberbloom at 23:24| パリ ??| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評−フランス小説

2008年01月06日

『雪沼とその周辺』

雪沼とその周辺 (新潮文庫 ほ 16-2)仏文学者でもある堀江敏幸さんの短編集『雪沼とその周辺』は、最近読んだ現代日本文学作品のなかで最も記憶に残る小説です。


雪沼という架空の町のまわりで、小さなボーリング場やレコード店、中華食堂、書道教室などをひっそりと営む人々の暮らしが、取り立てて大事件が起きるわけでもなく静かに語られます。しかし淡々とした文章にはしばしば過去の回想が織り交ぜられ、実は彼らは決して平穏とはいえない年月を送ってきたことがわかってきます。仕事上の悩み、肉親との離別、身体的なコンプレックスといった問題を抱えながら、彼らはそれでも自分の仕事に真摯に取り組みつつ、現在に至ったのでした。


人生にはいろいろある、という当たり前のことをしみじみと納得させ、かつそれを変に強調することもなく穏やかに描ききる、堀江さんの文章力が冴え渡っています。堀江さんのそれまでの作品は、静かながら蛇行するような長い文章が特徴的で、以前にご紹介したトゥーサンやオステールのそれを連想させるため、日本語でちょっと前衛的な現代フランス文学を読んでいるような気分になりました。それがこの『雪沼』ではかなりシンプルな文章になり、それだけ親しみやすさが増したように思います。


また職業柄、ということもあるのでしょうか、過去の作品のなかには文学的な脱線がしばしばあり、それが時としてマニアックな内容になっていたりするので、少々取っつきにくいところがありましたが、この作品では、そういった面はほとんど見られません。唯一フランスの作家、アラン・フルニエが話題にのぼる一編がありますが、物語の最後の展開に非常に効果的に使われる小道具となっていて、全く嫌みを感じませんでした。


作品に一貫して感じられるのは、登場人物たちに対する堀江さんの穏やかでやさしい視線です。それは特に主人公が周囲の人々に向ける視線に重なり、彼らの交流の描写は、何がどうというわけではないのに、妙にじんとくるものがあります。冒頭の「スタンス・ドット」や「レンガを積む」「ピラニア」などがそのよい例です。もちろんその他の短編もすばらしく、久しぶりに読み進めるのが惜しく思えるような作品に出会えて嬉しい夏でした。



雪沼とその周辺 (新潮文庫 ほ 16-2)
堀江 敏幸
新潮社 (2007/07)
売り上げランキング: 5322
おすすめ度の平均: 4.5
4 みんな一生懸命生きている!
5 人それぞれに
5 「雪沼」に共に住みたい



exquise

rankingbanner_03.gif
↑ライターたちの励みになりますので、ぜひ1票=クリックお願いします!

FBN22.png
posted by cyberbloom at 23:01| パリ | Comment(0) | TrackBack(0) | 書評−フランス小説

2007年06月06日

「海辺のカフカ」の音楽(2)

シューベルトのピアノソナタ。「のだめ」もコンクールの課題として弾いていた気がする。小説の中でも言われていたが、シューベルトのピアノ曲は長大で、単調すぎると評判が悪かった。シューマンは「天国的に冗長」と言ったらしい。特に録音時間が短い戦前のSP盤(片面4分)では扱いきれず、その評価はLP盤(片面30分)という長時間録音媒体の登場を待たなければならなかった。CDの時代になるとピアニストにとってシューベルトをレパートリーに入れるのが常識になり、その長さと単調さ(反復の多い、漂うような構築性の不在)が逆に現代では評価されるようになった。媒体=メディアが作品の評価を規定する格好の例と言える。現代においては、聴く側に緊張と心の準備を要求するベートーベンの重さと激しさよりも、シューベルトの癒しと慰めに向かうという一面もあるようだ。カフカ少年は大島さんと隠れ家に向かう車の中でこの曲を聴く。この曲が長時間ドライブに合うというのもちゃんと理由があることなのだ。

村上春樹によると、

「ピアニストたちが仕掛けをしたり、メリハリをつけなければ間が持たない曲」

「運転をしながらシューベルトを聴くのは、何らかの意味で不完全な演奏だからだ。質の良い稠密な不完全さは人の意識を刺激し、注意力を喚起してくれる」

曲は二短調と言っているから第17番。小説の中では誰の演奏なのか言及がないが、他の著書で、アンスネス(ノルウェー)とカーゾン(イギリス)の名前を挙げているようだ。ピアノソナタの定番としてはドイツの巨匠ケンプが晩年に全集を完成し、広く知らしめることになったが、内田光子の新しい取り組みも評価が高い。


ベートーヴェン : ピアノ三重奏曲第7番 「大公」&シューベルト : ピアノ三重奏曲第1番 ベートーヴェン:チェロ作品全集


ところで、ホシノ青年がぶらりと入った喫茶店でかかっていたのがベートーベンのピアノトリオ「大公」。「百万ドルトリオ」と呼ばれた、ルービンシュタイン(p)、ハイフェッツ(vn)、フォイアマン(vc)による演奏(1941年)。ルービンシュタインはその下品な呼び方をひどく嫌っていたというが、確かにミーハー心を刺激する組み合わせ。「大公トリオ」もいいが、「百万ドルトリオ」で個人的によく聴くのは、哀愁を帯びたメロディーが美しいチャイコフスキーの「ある芸術家の思い出」。こちらは急死したフォイアマンに代わってピアティゴルスキーが参加している。当時、ルービンシュタインとハイフェッツの二人はベートーベンのクロイツェル・ソナタ(第9番)も演奏したらしいが、残念ながら録音は残っていない。

フランス関係では、フランスのチェロ奏者、ピエール・フルニエが出てきて、喫茶店のマスターはフルニエ先生と呼んでいる。小説ではハイドンのチェロ協奏曲(このアルバムに収録)が取り上げられている。フルニエ先生に関しては、先ほどのケンプと組んだベートーベンの「チェロソナタ」が外せない。

ホシノ青年はマスターにクラシックの手ほどきを受け、とりわけベートーベンにはまる。音楽だけでなく、その人生にも。今にしてみれば「のだめ」以降のクラシックのフラット化の先取りだったのか。


cyberbloom

rankingbanner_03.gif
↑クリックお願いします

FBN22.png
posted by cyberbloom at 22:10| パリ ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評−フランス小説

2007年06月05日

「海辺のカフカ」の音楽(1)

海辺のカフカ (上)今やノーベル賞候補と言われている村上春樹。ある批評家が文壇に村上春樹を批判できない空気があると書いていたが、大作家としての地位を不動のものにした感がある。フランスにもファンは多いし、新興国にも支持を広げている。

田村カフカ君の、ブルジョワ的潔癖さがはぐくむ妙なセクシャリティや、佐伯さんの華奢な美少女イメージのベタ塗りには、「やれやれ」って感じだが、村上春樹の魅力のひとつはモノとライフスタイルの細部に徹底的にこだわる一種のスノビズムなんだろう。それが洗練された消費主義の心地よさ、ナルシシズムへといざなう。おそらく新興国で人気があるのもそのせいだ。新聞の対談だったか、島田雅彦も似たようなことを苦々しく言っていた。

それにしても、父親殺し=オイディプス神話の枠組み持ってくるのが強引というか、不自然。今の時代に、そういうモデルが先行して、個人の行動を規定するなんてありえない気がする。神話や精神分析という使い古された枠組みを解体するパターンを作っていくのが小説じゃないんだろうか。

小森陽一が「村上春樹論 『海辺のカフカ』を精読する」という本を書いている。まだ読んでないが、「女性嫌悪」がキーワードのようで(言いたいことはわかる気がする)、アマゾンの書評で春樹ファンに激しく反撃されている。

いろいろとケチをつけてはみるものの、ふたつの物語が同時進行しながら交錯していく展開は「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を思い出させ、結局は巧みなストリーテリングにまんまと引き込まれ、「世界の終わり」と同じようにスリリングな読書タイムを満喫させてもらった。特に、猫と話せるナカタさんのキャラはなかなか味わい深い。後半のナカタさんとホシノ青年のロードムービーっぽい展開もいい。

ところで、今回のテーマは音楽だった。

My Favorite Thingsカフカ少年はウォークマンにいろんな曲を入れて聴いているが、そのひとつにジョン・コルトレーンの「マイ・フェイバリット・シングス」がある。

「僕は沈黙を埋めるために口笛を吹く。『マイ・フェイバリット・シング』、ジョン・コルトレーンのソプラノ・サックス。もちろん僕のたよりない口笛では、びっしりと音符を敷きつめたその複雑なアドリブをたどることはできない。頭の中に思い出すその音の動きに、ある程度の音を添えるだけだ。でも何もないよりはいい…」(下p.342)

カフカ少年は森の中を進みながら「マイ・フェイバリット・シングス」のソプラノ・サックスのソロの部分を口笛で吹く。コルトレーンなんて明らかに村上春樹の世代の趣味だろう。コルトレーンを聞く15歳の少年というのも不自然だが、カフカ少年は不吉なイメージを喚起させる異質なものとしてコルトレーンを聴いている。そこがミソなのだろう。

「そして今ではマッコイ・ターナーのピアノ・ソロが、耳の奥で鳴り響いている。左手が刻む単調なリズムのパターンと右手が積み重ねる分厚いダークなコード。それは、誰か(名前を持たない誰か、顔を持たない誰か)の薄暗い過去が、臓物みたいにずるずると暗闇の中からひきずりだされていく様子を細部までありありとまるで神話の場面のように描写している…」(下p.345)

確かに私の感覚ではマッコイ・ターナーのピアノ・ソロをカッコいいとは思っても、「臓物ズルズル」なんてイメージとは結びつくことはない。早熟な少年はレディオヘッドあたりがちょうどいい感じ。レディオヘッドに関しては exquise さんのエントリーを参照されたし。

カフカ少年はウォークマンでプリンスのベスト盤も聴いているし、古い蓄音機でビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」も聴いている。音楽に対する耳は確かな人だから、出てくる音楽を拾って聴いてみてるのも「悪くない」だろう。

それにしても、架空のヒットソング「海辺のカフカ」を決定づける「2つの特別なコード」って実際どんなものなんだろう。


John Coltrane / My Favorite Things (Live)


cyberbloom

rankingbanner_03.gif
↑クリックお願いします

FBN22.png
posted by cyberbloom at 21:29| パリ ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評−フランス小説

2007年05月26日

デビッド・セダリス 仏蘭西のアメリカ人

sedarispix.gifフランスに住み始めて6ヶ月。でもフランス語は上達せず、語学学校に通うのもやめてしまった。会話の内容はなんとか理解できるけれど、きちんとわかっているのか心もとない。でも、「何とおっしゃいました?」を連発するのはきまりが悪い。だからついついあの魔法の決まり文句、“D’accord.(=わかりました)”が口を付いてしまう…。“D’accord.”と言ってしまったばかりに我が身に降りかかった思いがけない体験を在フランスのアメリカ人作家、デビッド・セダリス David Sedaris はエッセイ”In The Waiting Room”に綴っています。

病院でナースに「服を脱いで下着だけになってください。」と命じられ、気軽に例のヒトコトで応じたものの、ちょっと待てよと思ったがあとの祭。どこかに去っていったナースは他にも何か言い残したようだが聞き取れず…。かくして、中年、やや長髪ぎみのアメリカ人は、ナースの指示した通りの格好で、普通の身支度の患者とともに待合室で一時を過ごすはめに陥るのです。
 
悪夢のような自身の体験を、クリームのように滑らかに、明るいユーモアをこめて描いた上で、セダリスはこう締めくくります。不完全なフランス語の語学力と“D’accord.”は、こんどはどんな冒険を、お楽しみを用意してくれるのだろう?

Dress Your Family In Corduroy And Denim人気作家として The New Yorker を始めメジャーな雑誌に頻繁に寄稿しているセダリスは、ゲイである自分のアイデンティティーや年下のパートナーとの生活、中流家庭に育った幸せな子供時代の思い出にこだわったエッセイを多数発表しています。フランスに住んでいても、彼の作品は異国の香りをさほど感じさせてくれません。(日本のフランス発のエッセイがいやおうなしにフランスを語るものとなっているのとは対象的、面白いですね。)異邦人であることを強調せず、コスモポリタンであることを自慢せず、誰しもの身にも起こりうる日々の暮しのあれこれから得た思いや意見を軽妙な筆致で描きだす。そんな作風がアメリカでうけている理由なのかもしれません。異国にあってぶしつけに振舞わないけれど、卑屈にもならない、よい意味でアメリカ人らしいフランクな雰囲気がセダリスの作品の魅力となっています。作品中で作り上げられた彼のイメージは、アメリカの読者が楽しみ羨む、理想的な「パリのアメリカ人」のように思います。
 
彼の作品は雑誌やペーパーバックなどで手軽に読むことができます。子供時代の思い出を綴った物も絶品で、特に子供の頃に出くわした「恐怖のベビーシッター」の話は抱腹絶倒ものです。


*David Sedaris
"Dress Your Family in Corduroy and Denim"
"Holidays on Ice"
"Je Parler Francais"

Me Talk Pretty One Day
Me Talk Pretty One Day
posted with amazlet on 07.05.25
David Sedaris
Little Brown & Co (P) (2001/06)
売り上げランキング: 5726
おすすめ度の平均: 4.5
5 Plain hilarious
4 mundane becomes funny,
funny becomes hilarious
4 Laughs galore


GOYAAKOD

rankingbanner_03.gif
↑面白いフランス系ブログを探すなら

FBN22.png
posted by cyberbloom at 00:03| パリ | Comment(0) | TrackBack(0) | 書評−フランス小説

2006年12月28日

『待ち合わせ』クリスチャン・オステール

rendez-vous01.gifミニュイ社 Les Éditions de Minuit は、かつてアラン・ロブ=グリエやミシェル・ビュトールといった「ヌーヴォー・ロマン」の作家たちや、『ゴドーを待ちながら』のサミュエル・ベケット、また最近では日本でもおなじみのジャン=フィリップ・トゥーサンやジャン・エシュノーズなどの、ユニークな作家の作品を世に送り出してきた出版社です。白地に青い星印のシンプルで美しいその装丁の本は、モード写真の小道具としてたまに登場していますから、書店ならずとも、雑誌で目にした人も多いかもしれません。


そのミニュイ社で、ここ数年コンスタントに作品を発表している作家に、クリスチャン・オステール Christian Oster がいます。オステールはさまざまな職業を転々とし、数冊の推理小説を出した後で、1989年にミニュイから本格的デビューを果たしました。それが40歳になろうという年のことですから、遅咲きの人と言えますが、1996年以降はほぼ毎年1冊小説を発表し、1999年の作品『僕の大きなアパルトマン Mon grand appartement 』はメディシス賞(注1)を受賞しました。最近では子供向けの童話も次々出していて、非常に意欲的な活動を続けています。


オステールの小説では、家へ帰ったら鍵がなくて中に入れないだの、家の中にハエがいて気になってしかたがないだの、いかにもありえそうな日常的な事件からスタートします。しかし、物語はだんだんと思わぬ方向へ進み、読者が予想もつかないような結末へ至ります。その思いもよらぬ展開は、話者である主人公の風変わりな性格によるところ大であり、理路整然としているようで、どこか歪んだ彼らの考え方が、新しい局面を導き出していくのです。鍵が入っていたかばんをなくしたことに気がついても、「悲しいのは鍵をなくしたことではなく、それが入っていたかばんをなくしたことだ。だってかばんをとても気に入っていたし、鍵には愛情など持ってなかったから」と話が続いていくのは、やっぱりおかしくないですか? そんな奇妙な語りをユーモラスで楽しく仕立てあげているのが、オステールの発想の豊かさと魅力的な文体なのです。


新作がいつも待ち遠しいオステールですが、日本でも2003年作の『待ち合わせ Les rendez-vous 』が昨年翻訳されました。文字通り、主人公フランシスがカフェで元恋人と「待ち合わせる」場面から始まりますが、彼による「待ち合わせ」の定義がこれまた相当変わっていて、数ページ読んだだけでもフランシスの非常に理屈っぽい性格とどこかずれたものの考え方がすぐに分かっていただけると思います。この部分で辟易してしまう人もいるかもしれませんが、それがツボにはまれば話が次にどう転ぶのか、ワクワクしながらオステールの世界を楽しめることでしょう。そしてめぐりめぐった物語が、最後の段落に行き着いて冒頭のシーンとつながるときに、彼の小説家としての力が否応なく感じられるのです。


注1:ちなみに今年の受賞作はトゥーサンの最新作 Fuir でした。


rendez-vous01.jpg
待ち合わせ
posted with amazlet on 06.09.01
クリスチャン・オステール 宮林 寛
河出書房新社 (2005/04/20)
売り上げランキング: 190,557


exquise@extra ordinary #2

banner_02.gif
↑クリックお願いします!
メイン・ブログ-FRENCH BLOOM NET を読む
posted by cyberbloom at 17:53| パリ ??| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評−フランス小説

2006年08月23日

『おわりの雪』ユベール・マンガレリ

derniere neige.jpg夏休みも半ばが過ぎようとしていますが、時間の余裕があるこのときに、何かフランスの小説を読んでみませんか? 今回の夏休みの期間には、フランスの「今」を感じる現代小説をいくつかご紹介する予定です。まずはユベール・マンガレリの『おわりの雪』を取り上げたいと思います。この小説は FBN が CYBER FRENCH CAFE という名で始動したとき、最初のエントリーで扱ったものですが、依然方々で高い評価を得ており、書店のフランス文学コーナーで目立つ場所に置かれていることが多いので、再度ご紹介しましょう。


母親と病気の父親と3人で貧しい暮らしをしている主人公の少年は、ある日古道具屋の店先でトビが売られているのを見つけ、欲しくてたまらなくなります。その日から少年は、少しずつお金を貯めながら、毎日仕事帰りに古道具屋に立ち寄ってはトビを眺め、夜にはこの鳥の話を父親にするようになります。ある夜、少年は古道具屋で見かけた男がトビをつかまえた人物だと思いこみ、彼とトビとの格闘の物語を自分で作り上げ、「本当の話」として父親に語って聞かせます。その後父親はこの話を気に入って、何度も何度も少年に語らせます・・・


少年の目を通して日常が静かに語られていきますが、そのうちに彼は数々の「死」を体験します。彼が勤めるホスピスの老人の死、小さな動物たちの死、そして自分の父親にも迫りつつある死‥‥それらは突然やってきたり、少年自らがもたらしたり、また自分の力ではどうにもならなかったり、さまざまな形であらわれますが、彼はそれぞれの死をひっそりと受け入れ、人知れず悲しいおもいをしています。だからこそいっそう彼は「生」の象徴であるトビに憧れるのです。


この少年はおそらく十代半ばぐらいだと思いますが、とても大人びていて、まわりの大人たちよりもはるかに老成しているようにすら見えます。特に父親は弱く、息子に対して子どもっぽいふるまいをすることもあります。しかし少年は常に彼にやさしく接し、繰りかえしトビの話を語るときなどは、まるで寝物語をしてやる親のようです。『おわりの雪』はこの父子の物語を中心としていますが、いわゆる「病気もの」にありがちな、感情に走ったところはほとんどなく、実に淡々と語られています。それだけに少年の内面がかいま見られるような、たとえば彼が「誰にも気づかれぬよう」夜中に涙を流している場面などでは深く胸を打たれます。


少年の語りはとてもシンプルで、具体的な説明は極力省かれており、たとえば彼が作ったトビの話や、ホスピスの老女が語るリスの思い出話は、何度も登場するにもかかわらず実際にはどんな話なのかほとんどわかりません。また父親がどんな病気なのか、そして夜中に家を空ける母親が一体何をしているのか、謎めいた部分もあります。その点でパトリック・モディアノや、日本の作家なら小川洋子の作品を連想させますが、彼らの小説にしばしば感じられるような人工的な雰囲気はなく、あくまでも素朴なやり方で私たちの想像力をかきたててくれます。


白水社から出ている翻訳は、田久保麻理さんの訳文も評判がよいようで、その後別作品『しずかに流れるみどりの川』も出版されました。原書にトライしてみたければ、アマゾン・フランスなどを通じて比較的簡単に手に入れることができます。原文はフランス語文法を一通り終えた人ならじゅうぶん読める平易なことばで書かれているので、オリジナルの文章を味わってみるのも楽しいと思いますよ。 

おわりの雪
おわりの雪
posted with amazlet on 06.07.21
ユベール・マンガレリ 田久保 麻理
白水社 (2004/12/10)
売り上げランキング: 25,910


exquise@extra ordinary


banner_02.gif
↑クリックお願いします!
posted by exquise at 01:45| パリ ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評−フランス小説

2006年05月31日

フランス語で学ぶ村上春樹

kafkarivage01.jpg今週発売の『アエラ』第27号で、「昔の『春樹』に会いたい」という特集が組まれてました。ここで言う「昔」ってのは、1987年出版の『ノルウェイの森』以前ということらしいです。この企画のためにアエラ編集部が行ったネット・アンケートのデータなんかもいろいろ出ていて、面白い。たとえば一番好きな作品は『ノルウェイの森』がトップ、そして最初に読んだ作品も『ノルウェイの森』がダントツ・トップ。これは仕方ないですかね。また、村上春樹の小説を読み返したくなる時は「昔のことを思い出した時」で、彼の小説を読んだ後は「一人旅」がしたくなるとか。福田和也と斉藤環両氏の対談や、内田樹氏の語るキーワードなんかもあり、かなり充実した内容。しかも、小森陽一氏の『村上春樹論『海辺のカフカ』を精読する』という本が平凡社新書から出たばかり。村上春樹をめぐる「冒険」はがぜん勢いを増しているようです。

世界的な作家になり、ノーベル文学賞受賞も遠くないと囁かれる村上春樹。フランスでももの凄い人気で、ほとんどすべての作品が高い評価を受けています。ぼくも何冊かフランス語版の春樹小説を持っていますが、それらを買った当時は実はそれほどでもなかったように記憶しています。小川洋子とか、吉本ばなななんかと本屋の棚に静かに並んでいた記憶があります。フランス語版のタイトルはほとんどが直訳なんですが、いくつか挙げてみると、『羊をめぐる冒険』は La course du mouton sauvage 、例の『海辺のカフカ』は Kafka sur le rivage と訳されています。傑作『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』はさらりと La Fin des temps。『ノルウェイの森』は、La Ballade de l’impossible となり、これには異論のある読者もいるようです。   

それにしても、フランスに限らず、アメリカ、韓国、中国でも、国を問わずよく読まれている村上春樹。もちろん僕も熱心に読みふけった読者のひとりですので、彼の小説が世代も国境も越えて読まれ、評価されていくのはうれしい反面、最近の作品には違和感というか、反復感というか、なにかのめり込めないものを感じていて、やはりぼくも「昔の『春樹』に会いたい」ひとりなのかなと思ったりもします。皆さんはどうなんでしょう?

findestemps.jpgで、こんなにもみんなに読まれているのなら、「村上春樹で学ぶフランス語」なんてのはどうだと思いつき、思いつきでこの記事を書き始めたものの、肝心の本が見つからない。やっとのことで見つけた断片で、今回はお茶を濁して、春樹文学の名台詞たちをフランス語で味わうのはまた今度、ということで... La Fin des divagations 。代わりに、ちょっと長いですが、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』からの引用で締めましょう。

En général, je suis quelqu'un de plutôt sincère. Quand je comprends, je le dis clairement et, quand je ne comprends pas, je le dis aussi. Je ne laisse planer aucune ambiguité. Je pense que la plupart des gens dans le monde où nous vivons, qui s'expriment de façon ambigue, cherchent des ennuis inconsciemment, au fond d'eux-mêmes. Je ne peux pas penser autrement...

(私はだいたいが正直な人間である。わかったときにはちゃんとわかったと言うし、わからないときにはちゃんとわからないと言う。曖昧な言い方はしない。トラブルの大部分は曖昧なものの言い方に起因していると私は思う。世の中の多くの人々が曖昧なものの言い方をするのは、彼らが心の底で無意識にトラブルを求めているからなのだと私は信じている。そうとしか私には考えられないのだ。)[新潮文庫、上巻、87頁]

どうでしょう? 村上春樹の文体をフランス語はうまく写し取っているでしょうか?

PST

banner_02.gif
↑クリックお願いします!
Jump to French Bloom Net
posted by cyberbloom at 11:20| パリ | Comment(0) | TrackBack(2) | 書評−フランス小説

2006年04月21日

『危険な関係』ラクロ

「ヨン様」主演の映画スキャンダル」、アメリカの若者たちのあぶない恋愛ゲームを描いた映画「クルーエル・インテンションズ」、そして昨年フジテレビでやっていたお昼の連ドラ‥‥さてこれらの共通点はなんでしょう?もうおわかりですね。すべての原作が、18世紀のフランス小説『危険な関係』だということです。上記3作のみならず、この小説は世界各国で映画化・ドラマ化されてきました。今から200年以上も前に書かれた小説が、なぜこうも繰り返し映像化されるのか?いくつか理由を考えてみました。

1 まず内容がスキャンダラスである、ということ。表向きは貞淑な未亡人メルトイユ夫人が、かつて捨てられた男に復讐するため、過去の恋人ヴァルモン子爵と共謀して男の婚約者を堕落させ、さらに周囲の人物を次々誘惑していく‥‥という物語は、現代でもかなりショッキング。

2 とはいえそれほどいやらしい感じがしないのは、目的の行為そのものよりも、そこに至るまでの経過に語りの重点が置かれているから。2人は誰を使ってどう動くか逐一報告し、戦術の善し悪しを互いに批評し合いますが、次第に相手よりも優位に立とうとする権力争いになり、その成り行きはまるでチェスか将棋の試合でも見ているようです。

3 その報告をはじめ、この小説はすべてが手紙の形式で語られています。「手紙」は、秘め事を述べるに格好の場ですが、一方で語られる内容にどこまで書き手の本心があらわれているのかは謎。なので、映像化する際には色々な解釈が可能になります。

4 中心の2人のほか、清らかで信仰の厚い人妻だとか、幼くて世間知らずの少女だとか、登場人物の個性がはっきりしていて、「あの俳優さんで」とついキャスティングしたくなります。

映画化された作品を3本見てみましたが、原作に匹敵するものは残念ながらありませんでした(その感想はこちらで)。すぐれた作品は映像作家たちの創作意欲を沸き立たせる反面、完全な映像化はやはり難しいのですね。ちなみに私が知るかぎり、最初に映画化した国は意外なことに日本(1957年)です。井上梅次監督のこの作品でヴァルモンを演じたのは、何と金子信雄!「仁義なき戦い」の組長が世紀のプレーボーイ役ですよ!いや実に見てみたい!!

危険な関係〈上〉
危険な関係〈上〉
posted with amazlet on 06.02.10
C.D. ラクロ Choderlos De Laclos 伊吹 武彦
岩波書店 (2000/00)
売り上げランキング: 152,311
おすすめ度の平均: 3.5
4 大人の小説
3 長編書簡体小説

exquise@書評

banner_02.gif
Jump to French Bloom Net
posted by cyberbloom at 21:59| パリ | Comment(0) | TrackBack(0) | 書評−フランス小説

2006年04月09日

『家なき娘』エクトル・マロ

enfamille01.jpgフランスの小説で最初の愛読書は何だったか、ということを考えてみると、私の記憶に浮かんでくるのは『家なき娘』です。『家なき子』なら知ってるけどこっちは知らない、という声が聞こえてきそうですが、アニメ「ペリーヌ物語」の原作だと言ったら、内容を知っている人も多いのでは? 実は『家なき子』と『家なき娘』は著者が同じで、それぞれ"Sans Famille"と"En Famille"という原題の姉妹作なのです。

時代はおそらく19世紀末。インドから父母と馬車でフランスへ向かっていた主人公の少女ペリーヌは、途中で父を、そしてパリで母を亡くします。ひとりぼっちになったペリーヌは母の遺言に従い、祖父の住むマロクールという町(注1)へ向かいますが、この町で大規模な紡績工場を経営している祖父のヴュルフランは、息子の結婚に大反対をしており、絶縁状態の人物でした。そこでマロクールに着いたペリーヌは、オーレリーと名前を変えて工場で働きはじめます。

フランス人の父とインド人の母の間に生まれたペリーヌが、孫娘と名乗ることなく、祖父の信頼と愛情を次第に得て、ついに‥‥という物語はもちろん感動的なのですが、読みごたえがあるのは、ほとんど文無し状態になったペリーヌのパリからのサバイバル生活。『家なき子』のレミには犬のカピがいつも一緒だったのに対して、ペリーヌはたった一人きりで(注2)マロクールまで歩いて(!)行くし、工場で働いているときも、人の住んでいない小屋を見つけてほぼ自給自足生活を送ります。食事はおろか、着るものも、靴も、食器もすべて手作りし、他人の力を借りず何でも自分でやり遂げようとする彼女の姿には、自立する女性像が見られます。このほか、工場のことだけを考えていた祖父に、労働者たちの生活の実態を気づかせ、彼らのことをもっと思いやるよう諭すなど、ペリーヌには先進的な思考も備わっていて、児童文学のなかでも新しいタイプのヒロインと言えるのではないでしょうか。

小さい頃に、少年少女名作全集に入っていたこの物語をぜひもう一度読みたい、と思っていたのが3年前に完訳版で復刊されました。重厚な翻訳は大人でもじゅうぶん楽しめますので、ぜひご一読を。

注1:マロクールは架空の場所ですが、北フランスのアミアン市に近い町として設定されています。

注2:アニメの「ペリーヌ物語」に出てくる犬のバロンは、原作には登場していません。

家なき娘〈上〉
家なき娘〈上〉
posted with amazlet on 06.02.10
エクトール マロ Hector Malot 二宮 フサ
偕成社 (2002/02)
売り上げランキング: 54,068
おすすめ度の平均: 5
5 信じられない名訳
5 『家なき娘[上]』
5 現代語版・家なき娘

exquise

banner_02.gif
↑S'IL VOUS PLAIT!
Jump to French Bloom Net 「ナイト・オブ・ザ・スカイ」(04/09)
posted by cyberbloom at 20:59| パリ ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評−フランス小説

2006年03月29日

『浴室』 ジャン=フィリップ・トゥーサン

sallebain01.jpg 初めてフランスを旅行したとき、パリの街角の所々に風変わりな映画ポスターが貼ってありました。無表情の男がバスタブに横向きに座るそのモノクロのポスターが妙に気になっていたら、本屋にその映画の原作 "La Salle de Bain" が置いてあり、旅みやげにそれを買って帰りました。そのときは全く予測もつきませんでしたが、この作品は後日『浴室』というタイトルで日本で翻訳出版され、著者のトゥーサンは現代のフランス作家(注1)として一躍人気者になったのです(注2)。

『浴室』は文字通りバスルームで暮らそうと思い立った男(今でいえば「ニート」君の部類に入るのかも)の話。だからといって別にどうこうするという訳でもなく、彼は淡々と日々を過ごすだけ。悩み苦しむような大問題も、大きな騒動も起こることはありません。パラグラフに数字がふってあったり、時折小難しいピタゴラスの定理やらがはさまって、なんだかよくわからない。最初に読んだときにはえらく変わった話だなあと思いました。

でも、この小説は読んでいて何となくおかしい。そのおかしさの大部分は、この男が周囲の人々と交わすやりとりから来るものです。彼は浴室にこもっているけれども、彼の恋人や家族や赤の他人までが容赦なくやってきて、彼と接触することになり、男と彼らとの間に生ずる微妙な「ずれ」が、私たちをクスリと笑わせるのです。つまり『浴室』は閉鎖的な空間に身を置く個人そのものというよりも、その個人と他人、個人と外界(男は突然浴室から出てイタリアという異空間へ旅立ったりします)との関わりを描いた小説といえるでしょう。

映画の「浴室」も物語の雰囲気をうまく表していて、おすすめです。簡潔な文体を映像に移したかのようなストイックなモノクロ画面、モンドリアンを意識したショット、そして小説からそのまま抜け出てきたかのような主人公‥‥トゥーサン自身はこの映画がお気に召さなかったのか、その後作品を映画化するにあたって自らメガホンを取ることになりました。しかし「浴室」で主人公を演じたトム・ノヴァンブルは、トゥーサンが監督した映画にもすべて出演し、おなじみの顔になっています。


注1:トゥーサンはベルギー出身ですが、彼の作品はフランスのミニュイ社から出版されています。

注2:トゥーサンの作品はこのデビュー作をはじめ、2002年発表の『愛しあう』まですべて邦訳されました。最新作の Fuir (2005)も、いずれ翻訳されるでしょう。

浴室
浴室
posted with amazlet on 06.02.11
ジャン‐フィリップ トゥーサン
Jean‐Philippe Toussaint
野崎 歓訳
集英社 (1994/11)
売り上げランキング: 241,058

exquise@書評

banner_02.gif
Jump to French Bloom Net
posted by cyberbloom at 17:10| パリ ????| Comment(0) | TrackBack(1) | 書評−フランス小説