2006年05月27日

『ブログ 世界を変える個人メディア』 ダン・ギルモア

ブログ 世界を変える個人メディア先回の郵政解散後の衆議院選挙では、公示後のサイトの更新が公職選挙法違反に当たるという話が出て、サイトを通じた選挙活動の是非が問題になった。トレンドに飛びつくのが意外に得意な自民党は早くもブログに目をつけ、「メルマガおよびブログ作者と自民党幹部との懇談会」を開催した。発案の主は、世耕議員。NTTの広報課長という経歴を持ち、選挙でも自民党のメディア担当として活躍。本人もブログをやっている。そのとき懇談会に呼び出されたブログ作者の方々はあまりにナイーブだった。「ブログが政治家に注目してもらえてウレシイ」みたいな。先回の選挙で自民党が圧勝したのは、若者が大挙して投票所に行ったからと言われている。それはネット上で郵政をめぐる政治論議が盛り上がったからなのだが、それを仕掛けたのが構造改革=規制緩和を望む若いIT企業家たちだった。ホリエモンもそうだったが、彼らの多くが小泉支持だった。

その投票日は、いみじくもアメリカで同時多発テロが起こった日だった。9・11はブログ・ジャーナリズムにとっても重要な日だ。当時は、日本から見ていると、コングロマリット化したメディアがひとつの方向に統制されていて、アメリカ国民はそれを真に受けている。何て国だと思ったものだが、アメリカの主要メディアがイスラム世界への敵対心を煽る一方で、それらが決して報じることのなかった事件の背景を知ろうと、ブログを通して情報交換や意見交換が開始されたのだ。フランスがイラク戦争に反対した際に(CPE撤回で面目丸つぶれのドビルパンだが、このときは輝いて見えた!)、メディアにのせられたアメリカ人がフランス産ワインを叩き割り、フレンチ・フライド・ポテトをボイコットしたときも、その背後で心あるブロガーたちが確実にネットワークを拡大していたのだ。

普段、アメリカの悪口ばかり言っているが、たまにはアメリカ礼賛でいこう。なにせアメリカはブログ発祥の地だし、ブログは西海岸的なリベラルなツールなんだから。この事実は認めなくては。ダン・ギルモアによる「ブログ−世界を変える個人メディア」は、短いけれど波乱に満ちたアメリカのブログの歴史をおさらいすることができる。

本書の重要な指摘は、「ブログによって、ジャーナリズムのトップダウン的、講義的な伝達から、対話的なスタイルへの移行したということ」だ。未来のニュースはますます対話形式やセミナー形式に近づいていくだろう。それまでの歴史の第1稿を決めてきたのは公式な報道機関だった。つまり、権威を付与された既成メディアが一方的に報道し、視聴者がそこに介在する余地はなかった。ところが今は、新しいツールを得た普通の読者がニュース生成のプロセスになっている。

kerryfonda01.bmp先のアメリカの大統領選挙(ブッシュVSケリー)では、ジョン・ケリー民主党候補が女優ジェーン・フォンダとベトナム反戦集会に一緒に参加している合成写真が出回ったり、彼の根も葉もない不倫疑惑がネット上に流れたりした。結局、去年11月のブッシュの再選の原動力となったのは、先回と同じように富裕エリート層からの巨額な献金(お礼に金持ち減税!)で、それを使って派手なTVショーをいくつもぶちかましたのだった。まだまだ理性的な議論の広がりよりは、視覚的なお祭り効果の方が強いのだろう。しかし、ブログ・ジャーナリズムはまだ始まったばかりで、それが成熟するには時間がかかるだろう。『ブログ』によれば、アメリカの共和党はブログを「価値観の共有」のために使い、民主党は「議論のための開かれた場」として使っているようだ。党のカラー、そのまま。

『ブログ』にも取り上げられている、世界の「オンラインと政治」の深い関係を列挙してみると、

☆共和党大統領候補をブッシュと争ったマケインは空前の640万ドルの献金をオンラインで集める。
☆イラク戦争にひとり反対していたディーン民主党大統領候補が、ブロガーたちの支持と活躍によって全米レベルで名声を上げる。奇跡として語り継がれているらしい。
☆イラク人捕虜虐待事件が明るみに出たのも、証拠写真がネット上に流出したのがきっかけ。あの事件も「カトリーナ」級のダメージをブッシュ政権にもたらした。
☆トレント・ロットという共和党上院議員の黒人差別発言を主要メディアは見過ごそうとした。しかし、ブロガーたちがそれを激しく糾弾し、怒りの連鎖がひろがって、ロット議員が失脚。
☆世界が震え上がったSARS(悪性の肺炎)の流行も、中国政府が必死に隠そうとしたのを、ネット上を情報が漏れ出していった。
☆盧泰愚韓国大統領の当選を、読者投稿によるオンライン新聞「オーマイニュース」が大きく後押し。「オーマイニュース」は韓国全土に張り巡らされた世界最先端の通信インフラを最大限に活用した。
☆フィリピンでは「エドサ(通り)に行け、黒を着ろ」というケータイのチェーン・メールが発信され、4日以上に渡って、黒い服を着た100万人を超える市民が通りに集結。腐敗したエストラーダ政権が崩壊する。

ブログを通して読者が生成過程に参加するのはニュースの世界だけではない。「ブログで商売」というと、アフィリエイトやネットショッピングを思い出すが、ブログを通してユーザーが製品の開発や改良の過程に参加することも起こっている。その筋のマニアの英知とユーザーの要求をブログに結集させて新製品の開発や既製品の改良に役立てようという動きだ。消費者が大量生産品を一方的にあてがわれた時代(フォーディズム)から、緻密なマーケティングによる少量多品種生産時代(トヨタイズム)を経て、ユーザーが生産に参加する新しい局面に入っている。もはや個人は消費者という一面的な役割を担わされるのではなく、能動的に、多面的に自己を展開できる。これは大きな変化だ。

この本はホリエモンも推奨しているようで、買ったときは、ホリエモンが本の帯で「脱構築せよ!」とニッコリ笑っていた。今やホリエモン自身が別の方向へ脱構築してしまったが、まだ同じ帯をつけて売られているのだろうか。

ブログ 世界を変える個人メディア
ダン・ギルモア 平 和博
朝日新聞社 (2005/08/05)
売り上げランキング: 4,932
おすすめ度の平均: 4.5
4 テクノロジーの進歩がジャーナリズムに及ぼすインパクト
5 技術論から見た倫理の書

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2006年04月15日

誰がブログで表現するのか?−「ウェブ進化論」を読む2

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まるニュース番組のコメンテーターにある日、大学教授の肩書きがついているのに気がつく。いいこと言うなあと感心してたのに、そんなに権威が欲しかったのかと興ざめする。大学もメディア露出度の高い人間を欲しがるのだろう。肩書きがあろうがなかろうが、発言している内容は同じなのに、みんな虎の威を借りて発言したいらしい。大学とメディアは同じ既得権益者として相互に権威を調達し合いながら、権威を補強する関係にある。そうやって自己演出している。

アメリカは自己アピールの強い国なので、本名でブログをやる人間が多いという。一方で日本はハンドルネームを使うケースが多い。それは日本ではアイデンティティーを特定させないことが逆に武器になるからだ。先進国の中で日本ほど男女差別、年齢差別、社会的地位による差別がひどい国はない。対面的に自分の立場をさらしてしまった場合、「女のくせに」「若造のくせに」「下っ端のくせに」というあからさまな態度をとられる。もうそこで発言する気が失せる、言葉を奪われるのだ。「語っていいのは俺たちだけだ」と言わんばかりに、だいたいどの組織でも年配のオッサンたちが言論サロンを作り、表現の独占をしている。リベラルな議論を売りにしているトーク番組でも構成はほとんど変わらない。

いくらプロフィールが書かれていても、ブログの書き手の立場を判断することはできない。対面的な関係のように、相手をカテゴライズする情報が少なく、自分と相手との関係を明確にできない。偽装することだって可能だ。そういう相手との関係が宙吊りになる不透明さもブログの楽しみのひとつなのだ。ブログに関してもフレーミングや誹謗中傷の問題がなくならないのは、相変わらずそこに上下関係を見出そうとする人たちがいるからだろう。相手に付け込むスキを見つけ、自分より格下だと判断したとたんに、徹底攻撃を開始する。そういう行為に走る人間は同じような攻撃にさらされている人間だったりする。

既成メディアは「ブログの情報はカスばかりで、信用できない」と言う。それは書き手の立場が明確でない、つまりは権威の保証がないということだろう。それこそ、オマエが言うなって感じだ。権威を傘に来た報道ほど信用できないことを、私たちは様々なケースにおいて見せつけられている。そもそもアメリカでブログ・ジャーナリズムが開花したのは、9・11後のメディア規制下においてだ。あのとき、「アメリカ国民はメディア・コングロマリットの一方的な報道に騙されてかわいそうに」と日本から見て思っていたが、「郵政選挙」の過程などを見るにつけ、日本のメディア環境もアメリカと大して差はない。結局は、発言する相手の立場ではなく、複数の発言の内容を突き合わせて判断しなければならない、というメディアリテラシーの基本に私たちは立ち返るだけなのだ。

ブロガーの母集団が増えれば、質の高い議論も高い頻度で現れる。著者によれば、「ネット上で議論された成果が、専門家の業績をしのいでしまう」ことも実際に起こっている。日常的現実を解釈している一般人の実践的知識(日常生活の中で様々な問題にぶつかり、それを考え、解決しながら学んだこと)と、専門家の科学的知識(特に人文系の学問)にはほとんど差がない。そういうことをブログは暴露してしまう可能性がある。これは恐るべきことだ。専門家が話すことを、「そんなこと偉そうに言わなくても、考えればわかることじゃないか」と思った経験は誰にでもあるだろう。ネットによって横がつながることで、「王様はやっぱり裸だったんだ」とバレてしまうのだ。専門家よりも素人の方が優れていると言っているわけではない。偉そうにしゃべるとか、専門用語や勿体ぶった言い回しを使うとか、専門家になるための手続きや、専門家としての振る舞いが疑問に付される。つまりは素人と専門家の定義、そのカテゴリーの境界がずらされてしまうということなのだ。それに私たちが日々直面する問題は、ある専門分野にきちんと収まるものではない。カテゴライズ不能な、様々な分野に足を突っ込んでいる問題であったり、個人の置かれている条件によって特殊化されていたりする。そのような問題を考える場合、専門家の知識は使い勝手が悪い。様々な立場の人間がネット上に積み上げた議論や、そこから導き出された成果の方がはるかにタメになる。何よりも、そのプロセスに参加できることが楽しいのである。


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2006年03月24日

ブログが大学を解体する!?−『ウェブ進化論』を読む

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まるこの本、売れてますね。近くの本屋をのぞいたら売り上げ5位でした。サンデープロジェクトで田原総一郎もこの本に触れていました。実はそれで知ったのですが。

大学の年配の先生方の多くは相変わらず「今の学生はものを知らん」とおっしゃる。あなたの知っていることを知らないだけでしょ。それじゃ、あなたは一体何を知っているんですか、と聞き返したくなる。学生から教えてもらうことってけっこう多いと思うけどなあ。先生たちにとって「学生がものを知っている」という意味は、先生たちが生きてきた価値体系を尊重するということなのだ。しかし、そんなものはとっくに崩壊している。そんな裸の王様たちには『ウェブ進化論』が描き出す現実なんて想像もつかないだろう。

既成メディアはブログを嫌悪し、「コンテンツの大半はクズだ」と決め付ける。それは自分たちの既得権が侵されるという危機意識からだ。おそらく堀江バッシングも無意識にそういう欲望を含んでいる。同じように既得権を持った大学の先生たちもブログを嫌悪するだろう。「どうせくだらないことを書ているんだろう」とタカをくくる。

大学は文化の選別をやってきた。こちらは大学で学ぶに値する高尚な文化、こちらは学ぶに値しない低俗な文化。ところが、学生の大半は文化産業が作り出す低俗な文化に染まってしまって困ったものだ、というわけだ。高尚な文化を吸収するにしろ、低級な文化に汚染されるにしろ、学生はいつも無知で受動的な存在とみなされてきた。

しかし、「総表現社会」がやってきた。技術革新によって個人が創造性を発揮するITインフラが整備され、それを安価で、あるいは無料で使えるようになったのだ。それによって発信者と受信者、生産者と消費者の差がなくなる。むしろ立場が固定されないと言った方がいい。大学はもはや「無知な学生に、確立された知識をトップダウンで注入する」という「啓蒙モデル」を前提にできないのだ。

それに文化は確立された体系を持ち、個人に注入されるようなものではない。文化は個人が様々な情報と関わり、意味を与えていくことで生まれる。つまり個人が作り出していくものだ。情報には高尚も低俗もないし、優劣も、貴賎もない。権威のお墨付きではなく、個人のニーズや意味づけによって価値が決まるのだ。そういう意味で、ブログという形式は非常に示唆的である。ブログとは個人が情報を収集し、それを再編集する行為だが、まさに文化は個人の手によって無限に「再構築」されていくのだ。

新しい技術が、新しい現実を出現させ、新しい批判の視点を生じさせる。私たちは絶えず学びながら、その都度生き方を組み替えていかなければならない。ブログ的行為はこういう現代の自己のあり方とパラレルな関係にある。現代の教養というものがあるとすれば、それは従来の教養よりも緊急性の高いサバイバル能力と言える。ブログ的行為の試行錯誤の中で鍛えられるメディアリテラシー−「情報読解能力」と「情報生産能力」の両面の能力−だ。「文化を議論する公衆」から「文化を消費する大衆」へ移行してしまったとハーバーマスは言うが、嘆くなかれ、次に訪れるのは「文化を生産する個人」だ。ハーバーマスが規範とした「文化を議論した時代」が、さらに民主的な形で到来する可能性を秘めている。

ブログを始めた友人たちは異口同音に現実が変わったと言う。世界はネタに満ちている。先ほど述べたように、情報には「玉」も「石」もない。「石」を「玉」に変えるのも個人の腕次第だ。


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2006年03月04日

『中村屋のボース』中島 岳志(後篇)

中村屋のボース―インド独立運動と近代日本のアジア主義当時、仏領であったシャンデルナゴル(現、チャンダンナガル)では、イギリス権力の手が及びにくく、反英抵抗運動の拠点のひとつだった。その街で育ったボースは、頑固で熱血的な少年であったらしいが、歴史の本にふれることで、反英意識を高めていくことになる。

血気盛んのあまり学校を中退したボースは、父親のコネで、政府刊行物の出版関連の職につき、ついで20歳頃(1906年)、森林研究所の職員に転ずる。そこで、有能ぶりを発揮、営林署長に出世した。そのころ、シャンデルナゴルを拠点としていた急進的独立運動家のローイ、ゴーシュと知りあったボースは、イギリス支配のトップであるインド総督ハーディング暗殺を計画、営林署長としての立場を利用して爆薬の材料を集めると、みずから爆弾テロの実行者となることを決める。

1912年12月23日、イギリス植民地政府は、首都をカルカッタ(現、コルカタ)からデリーに移したことを記念して、一大パレードを催した。このパレードで、象に乗って行進するハーディングめがけ、ボースは爆弾を投ずる。結果、従者1名が死亡、ハーディングは重傷を負ったものの、死には到らなかった。

事件後、ボースは何食わぬ顔をして、営林署長の職を続けていたが、1913年5月、別の爆弾テロが未遂に終わった結果、急進派のアジトが捜索を受け、ついにボースが急進派のリーダーのひとりであることが判明してしまう。そのことを知ったボースは長い逃亡生活にはいった。

イギリス軍内のインド人兵に叛乱を起こさせるという作戦が失敗したのち、やはり民衆決起による革命しかないと感じたボースは、武器を調達すべく国外逃亡を決意、当時、日露戦争に勝って、頓(とみ)に国威のあがる日本に狙いを定めた。そして、1913年にアジア人で初のノーベル文学賞受賞者となったベンガルの詩人タゴール(Rabindranath Tagore)が渡日することを知り、その親戚のプレオ・ナース・タゴールの名を騙ってチケットを購入、1915年6月、まんまと日本潜入に成功する。

日英同盟を締結していた日本政府は、反英インド人活動家の日本における行動を監視していた。当時の日本には、すでに、アメリカを拠点とするインド独立運動グループが潜伏していたのである。日本上陸後、さっそくその仲間に加わったボースは、辛亥革命を成功させ中華民国を建てたのち、権力闘争に敗れて日本に亡命していた孫文の知遇を得る。そして、イギリス政府に日本潜伏がバレたのち、孫文から、国家主義者の大物・頭山満(とうやま・みつる)を紹介される。頭山は尊皇主義者であったが、大アジア主義をとなえ、孫文らアジアの革命家をバックアップしていたのだ。

そして、1915年11月、ボースともうひとりのインド人活動ヘーランバ・ラール・グプターにたいし、日本政府からの国外退去命令が下される。ボースらがこのことを世論に訴えた結果、野党を中心に反対運動がわきあがるが、政府は強硬であった。ついに頭山らは、ボースとグプター逃亡を計画、当時クリーム・パンで有名だった新宿の中村屋店主である相馬愛蔵・黒光夫妻に隠匿を依頼する。義憤に燃えた夫妻はそれを承諾、同年11月30日、ふたりのインド人は忽然と姿を消したのである。

当時、中村屋には、相馬夫妻の長女・俊子とわかれさせられて出ていった若き天才画家・中村彝(なかむら・つね)の使用していたアトリエがあり(彝は、同じく同居人であったロシアの盲目の詩人エロシェンコの肖像画や裸体の少女像を描いているが、後者のモデルは俊子である)、以後、3ヶ月あまり、ボースはこのアトリエに逼塞することになる。もっぱら世話をしたのは俊子であった。その間、気晴らしに本場インドのカレーを作り、その調理法を相馬家のひとびとに伝授することになったが、これが、12年後の1927年、中村屋の正式メニュー「インドカリー」としてデビューし、こんにちではレトルト・パック化までされている「中村屋のカリー」のルーツであった。

やがて、1918年、頭山の懇願によって、相馬俊子はボースと結婚し、1923年、ボースは日本に帰化、さらに、さまざまな著作を発表、インド独立運動家であるとともにアジア主義者として、広く日本に知られるようになった。

だが、インド独立への道はとおく、ボースが頼みとした日本政府は、1931年の柳条湖事件をきっかけに満州侵略、1937年の蘆溝橋事件から日中戦争へ、1941年12月に太平洋戦争へと、戦乱の道を突き進んでいた。日本軍のアジア侵攻を機にインド独立の悲願を果たそうとしたボースは、しかし、「もうひとりのボース」スバース・チャンドラ・ボース率いるインド国民軍と日本軍の連合軍がインドに侵攻したインパール作戦のゆくえを気にしつつ、病の床につく……。

爆弾テロを指導しながらも、テロルではひとびとの心はついてこないことを論じていたボースは、常に手段と目的の乖離を自覚しつつ、なお、目的のためにはその手段を用いねばならないという信念をいだいていたという。インド独立のために、日本のアジア侵攻や、イギリスの敵としてのナチス・ドイツを容認した背後には、そのような信念があったというわけだ。「中村屋のカリー」は「恋と革命の味」だが、それは文字どおり「辛(から/つら)い」血の出るような苦悩の味だったのである。

フランスは共和主義を国是とするが、アメリカのグローバリズムに対抗して「多様性」を主張している。しかし「民族主義」の擡頭は、各地で摩擦をひきおこす。1947年にインドとパキスタンが独立するが、ヒンドゥー教徒が多数派のインドとイスラム教徒が多数派のパキスタンの争いは3次におよび、ついに1971年の第3次印パ戦争では、イスラム教圏ながらベンガル語を主言語とするボースの故郷ベンガル地方が、バングラディッシュとして独立するに到る。ボースならどう行動したであろうか。「アイデンティティ」は大変重要なものであるが、それが「本質主義」と結託するとき、たいそう危険な爆薬ができあがる。

若き研究者である著者は大阪生まれ。大阪外大でヒンディー語を専攻したことからボースの世界にハマったようだが、そもそも外大でヒンディー語をやるに到ったきっかけはある種の出会いであったという。もちろん、本書を読んでもそのへんの事情が書いてあるわけではないが、人生、ヒョンな出会いからヒョンなことになるのはよくあることだ。本書にも数々の「出会い」が記されている。本書の読後は、アジアとナショナリズムと(もちろんカリーと)、そして出会いについて考えることになるであろう。

【黒猫亭主人】

中村屋のサイト
中村屋サイト内のボースの記事

中村屋のボース―インド独立運動と近代日本のアジア主義
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2006年03月03日

『中村屋のボース』中島 岳志(前篇)

中村屋のボース―インド独立運動と近代日本のアジア主義かつてフランスはあちこちに植民地を持っていたが、たいていイギリスとの喧嘩に負けてとりあげられている――もちろん、本来は、フランスでもイギリスでもない、その現地のひとびとのものだが――。

紅茶といえばインドかイギリスかということになるだろうが、このイメージは、イギリスが、1688 年、名誉革命によって、オランダからメアリ 2 世女王と旦那のオレンジ公ウィリアム 3 世(オラニエ公ウィレム――ちなみに、オラニエ/オレンジとは南仏 Orange [オランジュ] のことで、ここに領土があった。今でもオランジュの博物館にゆくと、ウィレム――仏名は Guillaume [ギヨーム] の肖像画なんかを見ることができる)を迎えたことに端を発する。当時、日本との交流によって「茶」に親しんでいたオランダから、メアリが「お茶する」習慣を持ち込み、上流階級に流行ったのが、イギリスの「ティー・タイム」の起源というわけだ。

その後、喫茶の風習はあまねく全英にひろまり、中国――当時は清の時代だ――の広州から――ちなみに tea とは、仏語の thé 同様、広州周辺のことば te を、17 世紀にオランダ語経由で借用したもの――貿易によってお茶を輸入しまっくったイギリスは、そこからくる貿易赤字を、インドのベンガル地方に作らせたアヘンの対清輸出によって補填することになる。これが、のちのアヘン戦争(1840-42)の原因になるのはいうまでもない。

すでに 1757 年、ベンガル地方のプラッシーにおいて、わずか 3000 の兵をもって、7 万のフランス・ベンガル太守連合軍を破ったイギリスは、ベンガル地方をほぼ手中にしていた。このインド植民地に、大英帝国は、自前のお茶の製産をもくろんだが、最初の企ては、あっさり失敗した。その後、アッサム地方で野生の茶が発見されたことで、インドにおける茶栽培への道が拓けたのは、ようやく 1823 年になってからのことだ。とまれ、現在の「インド紅茶」は、イギリスの自国における紅茶消費の悩みがあったればこそなのである。

その後、1857-59 におこった「セポイ(傭兵)の反乱」を機に、ムガール帝国は廃され、ヴィクトリア女王がインド皇帝を兼任、ついにインドは大英帝国の直接支配を受けることになったが、このイギリス占領下のインドにあって、フランスは、ベンガルのシャンデルナゴル Chandernagor 他数カ所を支配下においていた。ちなみに、シャンデルナゴルがインドに返還され、呼び名もベンガル風に「チャンダンナガル」Chandannagore となるのは 20 世紀なかばの 1952 年、1673 年にフランス東インド会社が支配下において以来、じつに 300 年後のことである。

さて、1886年、ベンガルの農村に生まれ、この仏領シャンデルナゴルにおいて成長したのが、のちに日本に亡命、数奇な人生を歩むことになる、インド独立革命の志士、ラース・ビハーリ・ボース Rash Behari Bose であった。(続く)

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5 ラース・ビハリ・ボースへのおおいなる愛情
5 日本にいたインド革命家の生涯
5 インドと日本の深いつながりを知る

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2006年02月20日

BBCルポ班『サッカーてんやわんや-欧州サッカー新事情』

スター選手の華々しい活躍や代表チームの死闘など、ピッチ上での緊張と興奮がサッカーの「表舞台」であるとすれば、本書はその「裏舞台」を扱ったものとなります。イギリスBBC放送のスポーツドキュメンタリー・チームのスタッフによって書かれた本書はピッチ外のサッカー界の裏事情を12のテーマに分けて紹介しています。「あとがき」において訳者が、「イスラム世界まで巻き込んだスポーツというのはサッカーくらいしかないのでは」と述べるように、サッカーは全世界的規模で行われるスポーツとなりましたが、それは同時に全世界の人々の利害や思惑が錯綜することにもつながるわけですね。

たとえば、第1章「スターウォーズ」は電波ジャックの話。イングランド・プレミアリーグの試合は国内でTVの生中継が放送されることはなく、その一方で国外、たとえばノルウェーなどではこれを生で観ることができるそうです。プレミアリーグとしては、観客が減るのを恐れて国内の生中継は禁止し、逆に諸外国にたいしてはそれを認め、放映権料を得ようという思惑があるのですね。そして外国で試合が生放送されていることに目をつけたイングランドのパブのオーナーたちが、ノルウェーを経由して届く衛星放送を電波ジャック。これをパブで放映して、客を呼びこむのですが、もちろんプレミアリーグや衛星放送会社も黙って見過ごすわけにはいかない…。宇宙空間に浮かぶ放送衛星を軸に展開する、ドタバタ劇が紹介されています。

また、第11章「アジスアベバ、ローマ経由、ラバト行き」は、この章のサブタイトルにもあるように、国の代表になって祖国を逃れる選手たちの話。1994年に開幕したフランスワールドカップ予選に参加したエチオピア代表チームは、初戦をモロッコとアウェイで戦うことになりました。そして、飛行機でアジスアベバを発ち、中継地のローマに降り立ち、当地のホテルで一泊したのですが、朝になってみると何人かの選手がいなくなっていた…。このように内戦や貧困にあえぐエチオピアを逃れようとする選手たちの話題を中心に、「パスポートのためのスポーツ」、すなわち政治亡命の手段にされたサッカーなどのスポーツの話題が紹介されています。

ほかにも、ヘディングとアルツハイマーの関係、ヨーロッパサッカーシーンを劇的に買えた1995年のボスマン判決、1998年フランスワールドカップのチケット問題など、テーマは多岐にわたっています。
 
サッカーの醍醐味は、表舞台の華やかな部分であることは間違いありませんが、こうした裏事情を知ると、サッカーという世界の奥行きがぐっと広がると思います。あるいは、サッカーを通じて世界を知るということにもつながりますね。また裏表紙には「きみたちの態度は気に入らない」(イングランド・サッカー協会スポークスマン)と、本書に対するコメント(賛辞?)が載せられていますが、こういう権威ある団体から非難されるような本は、社会の核心部分をえぐっている可能性大。読み応え充分でオススメです。

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サッカーてんやわんや―欧州サッカー新事情
BBCルポ班 大出 健
東京書籍 (2002/04)
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