2016年03月10日

『「ポッキー」はなぜフランス人に愛されるのか?』

あまりにも身近にありすぎて、私たち日本人が当たり前だと思っている日本のスナック菓子の味のクオリティー。パッケージなどに凝らされている様々な工夫。これらは世界のマーケットでも十分通用するもので、すでに多くの国のスーパーで売り上げをのばしています。台湾のコンビニなどは、日本のスナック菓子で席巻されているといいます。先日、フランスからやってきた若い友人たちはお土産に抹茶味のキットカットを買い求めていました。ピンポイントな好みに対応できる多様性と、買ってみたくなる意外性も日本のスナック菓子の魅力につけ加えることができるでしょう。




副題の「海外で成功するローカライズ・マーケティングの秘訣」にあるように、スナック菓子の開発の担当者たちは、進出した国に最適化するためにどのような努力をしているのでしょうか。本書は業界関係者向けではないので、海外と日本の食品関連規制の違いが生む問題や、流通ルートなど専門的な知識には踏み込んでいませんが、海外市場開拓に活路を見出す日本のお菓子業界の勢いを目の当たりにすることができます。

「ポッキーはなぜフランス人に愛されるのか?」というタイトルが付いていますが、この本ではフランスだけでなく世界各国のスナック菓子事情が扱われています。しかしマーケッティング的には、ポッキーは他ならぬ文化国フランスで愛されていることが重要なのでしょう。

フランスにおける「ポッキー」にフォーカスしてみましょう。フランスで「ポッキー」がヒットした理由は、まずその形状にあります。ポッキーの特徴は、手で持つところがあり、食べているときに手が汚れないこと。食べながらおしゃべりできることです。忙しい日本では「電話で人としゃべりながら」「原稿を書きながら」ということになるのですが、時間のゆとりを好むフランスでは別の楽しみ方はあるような気がします。フランスではしばしば自宅に友人を招いて食事をしますが、食事の前のアペリティフにちょっとしたスナックを供し、それを食べながらおしゃべりに興じます。このようなニーズにも、ポッキーの特徴がはまったのでしょう。同じ「ながら食べ」でもその国の文化や習慣に寄り添う形で浸透するのです。

実はフランスのポッキーはミカドという名前で売られています。私はずっと、「日本といえば帝=ミカド」という安易な連想で名前が付いたのだと思っていました。しかし、ヨーロッパにミカドという中国発祥のポピュラーなゲームがあり、細い棒を使って遊ぶのですが、ポッキーの形態はそれに酷似しています。おそらくこちらが名前の由来なのでしょうが、ミカドのパッケージの日の丸っぽいイメージを考慮すると前者の線も捨てきれません。

そして著者が言うには、「フランス版ポッキー=ミカドは、成熟した大人の味」だそうです。そう言われて思い出すのが、フランスでよく見たミカドの CM です。ミカドの初期の CM はオフィスを舞台にしており、日本人らしき上司と OL が淫靡な雰囲気を漂わせる「コピーする女 copieuse 」や、ディスクワーク中の男女がミカドを使ってエッチなやりとりをするシーンなど、子供には決して見せられない、今ではセクハラでアウトなレベルに達しています(youtube にいくつかアップされているので探してみてください)。これもフランスの恋愛文化をなぞっているのでしょうか(笑)。

Mikado-Copieuse(R18)
Mikado(R18)

もちろん「ポッキー」はフランスだけでなく、グローバルに展開しています。「ポッキー」をグローバルブランドに育成するのに、まず攻略すべき地域であったという ASEAN では、ネーミングは「ポッキー」に統一されたそうですが、当初マレーシアでは「ポッキー」の音がイスラム教の禁忌である豚肉「ポーク」に聞こえるという理由から「ロッキー」にしていたそうです。

このようにネーミングひとつとっても、その国の人が想起する独特のイメージがあり、それが直接売り上げに影響します。ただ良いものを造れば売れる訳ではないところが世界展開の興味深いところであり、難しいところでもあります。商売を成功させるためには、その国の商習慣といった経済面だけなく、その国の言語や文化(生活習慣)を学ぶ事が重要だということでしょう。そのためには自分の国の文化とは異なる文化を尊重する気持ちが必要なのでしょう。

日本とは違って、働く世代の割合が増え、人口ボーナス期に入る新興国は海外にまだまだあります。これは食品の分野に限りませんが、日本企業はこうした戦略によって、日本の縮小していく国内市場の売り上げをカバーしようとしているわけです。日本企業が海外に直接投資し、多国籍化せざるを得ない事情も見えてくるでしょう。だから日本企業に就職する場合でも、もはやそのような問題意識と無縁でいられないのです。

まさに『セカ就!』(=世界で就職)のこの一節を思い起こさせました。

「同じことを伝えるのでも、国ごとに伝え方は全然違う。アメリカ留学のときに苦労して身につけた「グローバルスタンダード」は、実はただの「アメリカ流」でしかないことに気がついたのは大きな収穫だった。世界には無数の「○○流」があり、相手の作法に合わせて伝え方をちょっと変えるだけで、話はスムーズに運ぶし、相手から信頼もされる。」


cyberbloom


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2015年05月06日

浅野素女著 『同性婚、あなたは賛成?反対?−フランスのメディアから考える』

『フランス家族事情―男と女と子どもの風景』など、浅野素女氏はフランスの家族の変容をテーマにした著書で知られるが、本書では「すべての人に開かれた結婚 mariage pour tous」をめぐる議論がフランスを分断するまでに至った背景を、保守・革新・中道を問わないフランスのジャーナリズムを丹念に追うことで、解明しようとしている。

同性婚、あなたは賛成?反対? フランスのメディアから考えるそもそも、結婚の枠を同性同士のふたりに広げることは、オランド大統領の公約のひとつだった。2012年の秋に、この法案が形になって以来、フランスはまっぷたつに割れ、賛成派と反対派が交互に数十万人規模のデモを繰り広げ、フランス議会は議員たちが乱闘寸前に なるまで過熱した。忘れていけないのは、まさに国を二分する騒動が、政教分離の原則を推進し、私生活に関する問題に寛容な態度を示すフランスで起こったことだ。

両者の主張を単純化して言えば、反対派は、家族が父、母、子供という生物学的に自然なモデルになるべく近い形であって欲しいと願う人たち。一方、賛成派は、たとえ生物学的なつながりから切断されようとも、自らの欲望に準じた新しい家族形態を生み出すためには、人工生殖技術の活用も容認されると考える人たちであった。

フランスでは事実婚・パクスなどの選択肢が用意されているのに、ゲイ・レ ズビアンたちがあえて制度としての結婚にこだわるのは、彼らの社会的な権利を認めて欲しいと願うからだ。賛成派は「家族願望」を持つ人たちが、彼らの切実な望みを実現し、国家から法的保護と権利を与えられるべきと考える。社会全体の意志の問題として考えるなら、社会の構成員である国民の意思は最大限に社会の制度に反映されなければならないのだ。私たちはそこに民主主義を徹底的に機能させることの執念を垣間見ずにはいられない。

フランスで同性親家庭の権利を主張する土壌を準備したのは、離婚や再婚が珍しいものでなくなり、血縁を超えたさまざまな家族形態(複合家族と呼ばれる)が出現し、血縁が家族の必要条件でなくなったことだ。またフランス人たちは「標準的な家族」という外見的な形式よりも、どんな形であれ、本人たちが幸せになれる関係を築こうと内実を重視する人々である。また「男と女」を生物的性差ではなく、文化的、社会的につくられたものと考えるジェンダー教育が浸透したこと も大きい。

結婚するということは、何よりも子供の誕生を視野に入れ、親子関係を確立することだ。それゆえ同性婚は、子供を持つ権利はどこまで拡大できるのか、という問いを投げかけた。とはいえ、人工生殖技術の発達なくしては、同性婚によって子供をもうけるという選択肢は切り開かれなかった。本来、医学的な理由で子供を持てない男女のカップルのための技術が、単独で子供を作るために利用されるようになり、さらに新たな欲望を喚 起している。フランスでは不妊治療のために限定されているが、ベルギーやデンマークに行けば、無名提供の精子を使って人工的に子供を作ることが可能なのだ。

事実、年齢的に妊娠の限界を感じたフランスの女性が近隣国に渡って精子提供を受け、とりあえず適齢期中に子供を作っておく「妊娠ツアー」も増えている。子供は今しか産めないが、パートナー探しは後からでもできるというわけだ。また以前読んだ、精子提供によって子供をもうける「選択的シングルマザー」の記事も衝撃的だった。この場合、父親の存在が問題にすらなっていない。男は要らない。まさに種に過ぎないのだ。

「受胎行為は、濃密な身体性と関係性を伴う行為であったが、いまや身体の外で知覚され、思考され得るものとなった。そのため、男女のカップルと同性のカップルは同じ地平で捉えられるようになった」(p.151)

一 方で、元首相で社会党第一書記でもあったリオネル・ジョスパン氏の妻である、哲学者のシルヴィアンヌ・アガサンスキーは、左派でありながら「子どもを持つ 権利」は時に「子どもの権利」と矛盾することを指摘した。同性婚の問題は、権利云々ではなく、共同体が共同体として生命を継承する人間社会の規範に関わることであり、彼女は「少数派の権利要求に反対したというよりも、この社会規範が覆されることに抵抗」したのだった。

当時の世論調査では、フランス人の過半数が同性婚を支持しているが、同性愛者カップルによる養子縁組の権利については、反対派がわずかながら半数を上回っていたことが繰り返し示されていた。ここに問題の核心があるのだろう。つまり同性婚は認めるが、養子縁組はやりすぎというわけだ。養子をとって育てたい、家族を 作りたいという同性カップルの願いの果てには、人工生殖と代理母の合法化がある。しかし政府は同性婚の先にある人工生殖の議論では右往左往し、国民の合意が醸成されていないとして、結局法案には盛り込まなかった。

しかし、そういう先走った議論に全くリアリティを持てない「普通の」人々もいる。私たち日本人にしても大半は同性婚に関しては想像も及ばないというのが本音だろう。本書で引用されていた社会学者の発言が印象深かった。彼によれば、同性婚の議論において、一部のフランス人たちは、自分たちが全く無視されていると感じ、そのうんざりした気持ちの表明として反対のデモに加わったのだという。

その多くは地方の中流階級の人たちだ。自分たちの価値観こそがフランスの中心的な価値観だと思い込んでいる、社会党の市長をトップに持つパリの「進歩的な」人々に対して違和感と反発を感じたのだ。もちろん民主主義を徹底することは立派なことだが、オランド政権が全く切り込めていない、もっと切羽詰まった問題(経済とか雇用とか)があるだろう、と言いたいのだ。近年の極右政党、国民戦線の躍進ぶりを見ても、フランスにおいてこの分断が意外に根が深いのかもしれない。


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2015年03月08日

『アグリゲーター 5年後に主役になる働き方』を読む

アグリゲーター 知られざる職種 5年後に主役になる働き方ノマド論の先駆者であるジャック・アタリは裕福な勝ち組ノマドを「ハイパーノマド les hypernomades 」と呼んでいる。彼らは自営業者、広義のフリーランスであるが、世界を見渡してもせいぜい数千万人しかいないエリートたちだ。具体的に言えば、金融業や企業の戦略家、保険会社や娯楽産業の経営者、ソフトウェアの開発者、法律家、作家、デザイナー、アーティスト、オブジェノマド(モバイルの類)の開発者たちである。一方、定住民でありながら超ノマドに憧れ、ヴァーチャルに模倣する40億人の「ヴァーチャルノマド les nomades virtuels 」と呼ばれる人々がいる。彼らは国境を越えた企業の移転や労働者の移動という世界のノマド化の中で賃金が減らされ、下層ノマドに転落する危機にさらされている。

アグリゲーター 知られざる職種 5年後に主役になる働き方このようなアタリの世界的な分類は、日本国内の状況と重なり合うものではないが、『アグリゲーター』の著者は、いろんな分野に出現する象徴的な1:6:3の比率を強調する。今の日本の現状を端的に指し示す最も重要な1:6:3の比は
「すでにクローバルな競争に巻き込まれているグループ」=1:
「遅かれ早かれそれに巻き込まれるグループ」=6:
「クローバルな競争に巻き込まれにくいグループ」=3
であろう。最初の1割は、先に述べたハイパーノマドやグローバルエリートと呼ばれる、どんな仕事も一人でこなし、組織には依存しない、どこでも生きていける人々である。経済的にも能力的にも完全武装していて、グローバル化の波をものともせず、むしろそれを利用して稼いでいる。一方、最後の3割は、ジャック・アタリの言う仕事を求めて移動(移民や出稼ぎ)せざるを得ない下層のノマドに相当するのではなく、20世紀的な生き方を維持できる、日本社会の変わらない部分で生きて行ける人たちだ。「日本人相手に日本語で仕事を続けられる人々」とも言えるだろう。具体的に言うならば、高齢者向けのサービス、パブリックサービスに従事する、公務員や介護士や看護師などだ。増え続ける高齢者をもっぱら相手にするとすれば、医者の多くもこれに含まれるかもしれない。

問題は残りの6割の人たちだ。彼らは遅かれ早かれグローバルな競争に巻き込まれざるを得ない。彼らは1割の人たちのように独立はしていないが、自立した個人として、会社組織と社会という器をうまく活用してサバイバルしていく必要がある。プロフェッショナルな力を身につけ、それを会社や社会に提供し、自分に足りない部分はそこから援助を受ける生き方と著者は説明している。グローバルな競争に巻き込まれるということは、様々な局面で外国語を駆使する必要も出てくる。最近、英語がどこまで必要なのかという議論があるが、この6割には外国語が必要ということになる。163の比は日本における大学院卒:大学卒:高卒の比率でもあるのだが、多くの大卒の人間がこの生き方を選ばなくてはならなくなる。そしてグローバル化が生み出す3つの層へ収斂するスピードが確実に早まっている。

問題の6割の人たちは「人材」ではなく、「人財」として生きなければならなくなる。著者は人材に対して、人財を対比させるが、この違いはなんだろうか。まず人材はコストであるのに対し、人財はアセット=資産である。人件費の圧縮というとき、社員は人材として扱われ、削減の対象になる。

社員を人材と考えるのが、ニュートン型組織である。精巧に組み立てられた機械は決まった働きかたをする。一定の操作をすれば、それだけの働きをする。この操作と物体の動きの関係は物理学的にはニュートン力学で、ニュートン型組織は決められた指示に対して決められた動き方をする集団と定義できる。仕事をするのが誰であっても、確実に一定の成果を生み出せるように業務プロセスとそれを支える仕組みができあがっている。

工場でもコンビニでもファーストフード店でも基本的には誰がやっても大きくサービス品質に差がでない。そうなるようにマニュアル化やプロセス化が施されている。このモデルの組織においては規模と効率によっていかに利益を出すかが最大のテーマになる。先ほど述べたように、この組織では誰がやっても同じなので人件費は安いに超したことはない。

そこで働く人はコスト、つまり人材になる。人材が構成する組織では、プロセスの改善、効率化が重要である。そして、ある決まった商品やサービスを安価に大量かつ安定的に提供するのに強烈なパワーを発揮する。

一方、ダーウイン型組織は真逆の動き方をする。これは機械というよりは、適応力の高い生き物のようだ。この組織では確立されたプロセスの改善=効率化によって業績を向上させるのではなく、事業の開発および運営の過程で、市場に密着したトライ&エラー=試行錯誤を徹底的に行うことによって継続的に進化を目指す。近年のIT業界、ウエブ業界、電機業界がそうだ。

ニュートン型との決定的な違いは、業務プロセスそのものを維持し、改善することが事業の主軸に位置づけられていないことだ。業務プロセスは柔軟に形を変え、別のものに置き換えられて行く。つまり、どんなにプロセス化してしても、結局は人の力に依存しなければ突破できない分野こそが重要になる。そこに焦点があてられるとき、人財が最も力を発揮する。既成の枠組みや制約にとらわれることなく、新しい価値を生み出し、それを駆動する仕組みをデザインするのに適した能力を持つのが人財なのだ。そして社員の人財としての成長は企業の発展に直結する。

人材は管理されるものだが、人財は活用の対象である。これが決定的な差異だ。著者はどちらが良いと言っているわけではなく、ふたつの異なった性質の組織があり、その特徴をきちんと理解することが企業の運営にとって重要だと主張している。しかし、これからの時代にはダーウイン的な組織を全面に出して行くことが必要になることは言うまでもない。事実、日本には過去の成功モデルにしがみついて身動きが取れないニュートン型企業が多い。そして個人もルーティンの仕事を管理されることに慣れきっている。これが日本企業が変われない大きな理由のひとつだ。

この本のタイトルでもあるアグリゲーターとは、6割の人々の目指すべき自立的な新しい働き方を実践している人たちのことである。そして企業の成功の鍵を握っているのも彼らである。これからの企業モデルは機械的に導入できるものではなく、主役は個人で、いかに彼らの能力を引き出すかに企業の命運がかかる。短期間に社内外の多様な能力を集め、それらを掛け合わせて、徹底的に差別化した商品やサービスを作り上げる。これがアグリゲートだ。

有能なアグリゲーターは情報力と技術力を駆使し、全体を俯瞰できる上位の次元でものを考える。ゴールを把握し、そこに向かって今の自分は何ができて、何ができないか理解できるビジョンニング力がある。しかしどんな有能なアグリゲーターであっても、変化し続ける情報や技術の交差点に立ち続けなければ、その価値はあっという間に失われてしまう。それゆえ彼らは継続的に学び続けることを怠らない。

彼らのようなプロフェッショナルは代替不可能という意味で「コスト」ではない。人財として、アセットとして認識される。もちろん、誰もが人財になれるわけではない。これから人材の価値はどんどん下がり、人材の給料は安くなるか、不要になる。6割の人々は人財になれなければ、仮想ならぬ下層ノマドに転落することになる。人財として活躍するには尋常ではない努力が必要であり、熾烈な競争が待ち受けていることも事実だ。

もちろん、アグリゲーター的な働き方は、決して新しいものではないし、近年の労働形態の変化として常に論じられてきたものだ。その背景には、企業が永続的な組織でなくなり、終身雇用制や年功序列制を保証できなくなったことがある。経営環境が変化すると企業も変わらざるをえない。めまぐるしく移り変わる世の中の価値観に企業が継続的に対応しなければならない。企業がグローバルな競争を生き抜くためには看板を自在に取り換え、目標やシステムを柔軟に変化させることが重要になる。だから、アップルやグーグルのような企業ですら、10年後に何を作っているのか、どんなサービスを提供しているのか、どの部門が成長し、どの部門が切り捨てられるのか誰にもわからない。

それゆえ、企業が柔軟に世の中の変化に対応するには、プロジェクトごとに人を集めるのが合理的なやり方だ。まさに終身雇用制度や年功序列制度によって人材=コストを抱え込むことは企業にとってはあまりにリスキーなことなのだ。これを雇われる側から見るならば、『ノマドと社畜』の著者、谷本真由美氏も述べているように、これからはサラリーマンであっても、自分を「自分商店」や「外人部隊の傭兵」と考え、つねにスキルを磨いていれば、突然訪れる現実に対処できる。ノマド的に働くには、専門知識やスキルを持ちつつ、ひとりで回すラーメン屋台のように、営業、事務処理、対人能力も必要とされるのだ。

これまで企業は個人に手放しで任せられないから管理し、個人も任されても責任が取れないと考えてきた。つまり企業と個人の関係は不安と不信の上に成り立っていたと言える。管理によって向上するモチベーションは、せいぜい工場のような画一的なプロセスにおいてのみである。企業は、そのような消極的な相互依存を脱却し、個人の自発性に働きかけ、成果を出せる環境を整える必要が出てくる。

企業が人財を活用するには、さらに能力を伸ばすような機会を与え、仕事を正しく評価することが必要になる。それは報酬の額ではない。リチャード・フロリダが『グレート・リセット』の中でも書いていることだが、リーマンショック以降、最も敬遠されているのが金融業で、経営コンサルタントの仕事も減少した。これらの職業は高額の報酬を得られる職業の最たるものだったが、今日のアメリカの高学歴の若者たちはお金よりも、やりがいを選ぶようだ(最近のアメリカの株高で多少事情が変わっているかもしれないが)。リーマンショックから学び、官僚や高額報酬の金融の仕事を蹴って、NPO に入る学生が増えているという。

能力が高く優秀な人間は自己をモチベートできる。そういう人を組織の中にとどめるのは困難だが、それでも企業が企業の利益のためにモチベーションを上げさせるのではなく、個人がモチベーションをあげる環境を整えることで、結果的に企業の成果を生み出すスタイルに変えて行く。その方向に時代は確実に動いている。今最も足りていないのは金融資本や実行力ではなく、何よりもアイデアだという。新しい価値と言い換えることもできるだろう。アイデアを資本として組み込むために、アグリゲーターと企業は新しい共存関係を結ぶのだ。

「人財育成」のためには教育も変わらざるをえないだろう。またこれまでの大学受験に収斂する受験勉強において、何が育まれたかと言えば、与えられた課題を着実にこなす勤勉さと事務処理能力である。つまりテストの点数や偏差値という共通の尺度によって測られる均質な能力は、ニュートン型組織の「人材育成」には大いに役立ったのである。しかし人財を育てるには別の教育システムが必要になるだろう。


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2014年06月28日

『希望論 ‐ 2010年代の文化と社会』 宇野常寛&濱野智史

梅田望夫が『ウェブ進化論』で「ブログが社会を変える」と主張して注目を集めたのが2006年のことだ。その2年前からブログを始めていた私にとって、誰もが自由に情報発信できる「総表現社会」がやってくるという彼の主張は天啓のように思えた。日本が本当に変わる気がした。まさにそこに希望を見出したのだ。匿名の2ちゃんねるではなく、顕名のブログで発言するようになれば、インターネットが討議の場になりうると、『ウェブ進化論』を全面的に肯定する書評も書いた。停滞を続ける日本経済、変わらない政治と変わらない日本の企業。そういう日本を根本的に変えてくれるはずだった。

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

改めて梅田望夫とは何だったかというと、アメリカのハッカー的なものを理想とし、アメリカ的なものを正統視することだった。しかし日本とアメリカでは社会的な背景が違っていた。アメリカでは国家対市民という対立構造が情報を動かすエンジンになっているのに対して、日本では繋がりの社会性の無内容なコミュニケーションが起点になってネットワークが広がる。梅田望夫はアメリカの、とりわけリベラルな西海岸、シリコンバレーに理想を見出した。グーグルが生まれ、フェイスブックが生まれた場所だ。インターネットという広大なフロンティアに、アメリカ建国以来のフロンティア精神が重ね合わせられた。またその高邁な理念は一発当てれば大儲けできる投資環境に裏付けられていた。さらにシリコンバレーが希望になりえたのはアメリカ的な理念を代表する政治的象徴としても機能したからだ。

希望論―2010年代の文化と社会 (NHKブックス No.1171)しかしニューアカデミズムがヨーロッパ(特にフランス)に依拠したように、梅田望夫がアメリカに依拠したところで、日本の外部に視点を置いて日本を批判する点では同じだ、と宇野常寛は指摘する。結局、日本のネット受容がもたらしたのは「市民の個としての確立」ではなく、2ちゃんねる的(開設者の名前から、ひろゆき的とも言われている)な「自己目的化したコミュニケーションの連鎖」にすぎなかった。そこにはハーバーマス的な公共圏のベースになる「マジでガチな」討議も、応答責任を引き受ける覚悟を持った主体も成立しえない。匿名的な「2ちゃんねらー」たちがネタ的な会話に終始して、炎上ばかり起こしているだけだ。

そういう日本には希望がないのだろうか。宇野と濱野は「実名と匿名」「市民と大衆」「マジとネタ」という2項対立そのものを疑ってかかる。これがふたりの対談の重要なポイントだ。日本ではネタ的なモードにおいて大衆的なパワーが発揮されるとすれば、ネタがそのままマジにつながるような回路を考えた方が良いのではないかと。実際、チュニジアやエジプトで相次いで起こった民主化革命、大学の授業料値上げをきっかけに起こったロンドンの大規模暴動、ニューヨークで起こったウォール街占拠はどうだったのか。そんなに理想的な出来事だったのだろうか。

それらの結末を見ると、左翼的知識人が言いたがるような「グローバル資本主義に対する違和感、異議申し立て」とは手放しでは言えない。ウォール街占拠デモに集まってきた人たちはイデオロギー的なまとまりがあるわけではなく、彼らの主張が矛盾に満ちているだらけの場合も多かった。これらの事件に共通しているのはツイッターやFacebookやスマートフォンを通して、若者たちの参加行動が芋づる式に連鎖し、拡大したことにある。事件の本質はいわば巨大なオフ会が街を埋め尽くしたことにあったのだ。今や「ネットを通じて街に出よう」が当たり前になった。インターネットの本質は理性的な討議の場というよりは、むしろ2ちゃんねる的なものであり、自己目的化したコミュニケーションが連鎖し、まさに「祭り」になっていく過程なのである。

このように、世界各地で勃興したネット初の社会運動の内容だけに注目していても、日本の希望を引き出す作業にはならない。例えば、ジャスミン革命は独裁政権を倒すと言う明確な理念があるから評価される。ロンドン暴動は単なる暴力だから評価されない。ウォール街占拠デモは反資本主義的な運動だから左翼的に評価される…というふうに、ただ内容の次元だけを見て、イデオロギーによるレッテル貼りをするだけでは事件の本質は見えない。実はそれを支える形式、つまりアーキテクチャーのレベルで見ればどれも同じ現象とさえ言える。何が原因で、中東では非暴力な革命になり、ロンドンで暴力の連鎖につながってしまったのか、どういう参加のルールがあればそれを抑制できたのか。このような形式面での比較分こそ析が必要になってくる。

ニューヨークやロンドンや中東には、仕事がなくて暇な若者が一定数いて、彼らがSNSの呼びかけに答え、それが次々と連鎖した。一方、爛熟した日本の消費社会には膨大なコンテンツがあり、暇な若者たちはそこから好きなものを選んで、つっこみを入れて楽しんでいると何となく時間がつぶせてしまう。なぜ日本では格差が拡大した深刻な状況にありながら、若者の運動が起こらないのかとよく問われるが、これが日本の状況と他国のそれとの大きな違いだ。日本で社会運動を起こすなら、若い人たちがはまっているような文化運動なり、娯楽現象なりの形式を十分に研究して、運動に取り入れる必要がある。日本の特殊性を考慮すると、暇つぶしをしている暇があったら社会改革に参画せよと訴えるよりは、暇つぶしの延長で参画できるプログラムを設計すべきなのだと。実際、日本で311以降、日本で起こっている運動、あるいは(若者に限らず)人々と政治との結びつき方は1970年代とは様変わりしているようだ。


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2013年08月17日

谷本真由美 @May_Roma 『ノマドと社畜』

日本でのノマド議論の火付け役のひとつに佐々木俊尚さんの『仕事するのにオフィスはいらない―ノマドワーキングのすすめ』が挙げられる。佐々木さんが「ノマド批判」に応えたインタビューで、最初に「カフェなどで仕事やミーティングや商談をする機会が増え、オフィスは必ずしも要らないのでは」と書いたのが、いつのまにか「ノマド=フリーランス」と誤解されるようになったと言っている。佐々木さんの主張の核心は、新しいテクノロジーとインフラのサポートによって、ある分野の仕事はオフィスを持つ必要性が薄れ、「フリーランスの仕事がやりやすくなった」ということだった。

一方で佐々木さんのノマド論には、モバイルフォンやラップトップPCを通して恒常的にネットにつながっているノマド生活の到来を楽観的に描き出した「ついにノマドがやってきた Nomad at last 」(英『エコノミスト』誌2007年掲載)という記事が引用されていた。その記事はこんな調子だ。

ノマドと社畜 〜ポスト3.11の働き方を真剣に考えるカリフォルニア、オークランドの「ノマドカフェ」で、バークレーの近くの大学で法律を学ぶ学生ティア・カトリーナ・カンタスはダブルのアメリカンコーヒーを彼女のモバイルフォンとiPadのそばに置き、ラップトップのMacBookを開き、勉強するためにカフェの無線のインターネットにつなぐ。彼女がここの常連だが、彼女は現金を持っていない。彼女のクレジットカードの明細にはノマド、ノマド、ノマド、ノマドと書かれている。常にインターネットにつながり、彼女は一日中、文章、写真、ビデオ、声によって友達や家族とつながっている。同時に彼女はそれらを仕事仲間にしている。彼女は町を歩き回るが、しばしばノマド向けのサービスを提供するオアシスに降り立つ…。

さらに佐々木さんは、「正規雇用が当たり前だった時代は過去のものとなり、すべての人間が契約社員やフリーランスとなる社会へ移行しつつある」と述べている。ノマド化の背景には決定的な産業構造や労働環境の変化があるのだ。かつては終身雇用制と年功序列制に守られ、会社に依存していれば何とかなった。しかし今は自分自身で人生を切り開き、この変化に否応なしについていかなければならない。そのための知恵と戦術が「新しいノマド」の生き方なのだ。これは福音のように聞こえるが、すべての人間がそのままノマドなフリーランスになれるわけではない。その多くの人たちは非正規雇用のまま、厳しく不安定な条件で働き続ける「仕事を選べないノマドワーカー」になるか、そうでなければ仕事を失うことになる。

ノマド概念の紹介者であるフランスの思想家、ジャック・アタリはノマドを「超ノマド、ヴァーチャル・ノマド、下層ノマド」の3つに分類する。「超ノマド」と呼ばれるのは、金融業や企業の戦略家、保険会社や娯楽産業の経営者、ソフトウェアの開発者、法律家、作家、デザイナー、アーティスト、オブジェノマドの開発者たちである。彼らは自営業者、広義のフリーランスであるが、世界を見渡してもせいぜい数千万人しかいないエリートたちである。一方でヴァーチャル・ノマドと呼ばれる、定住民でありながら、超ノマドに憧れ、ヴァーチャルに模倣する人々がいる。世界の40億の人々が、下層ノマドに転落する不安に駆られつつ、ラップトップPCやスマホを持って、その気になっている。それにはインターネットが与える平等幻想や万能感も影響しているのだろう。確かにインターネットへのアクセスは万人に開かれているが、誰もが「超ノマド」の仕事やコネクションにアクセスできるわけではない。

そういう安易なノマドへのあこがれに警鐘を鳴らしたのが谷本真由美さん(ネット上ではツィッターのアカウント @May_Roma で知られる)の『ノマドと社畜 〜ポスト3.11の働き方を真剣に考える』である。メイロマさんはまず、ノマドはデジタルな香りがする一種の自己啓発的な貧困ビジネスに成り下がってしまったと指摘する。ノマドという言葉に踊らされた若者が、ノマドワーキングをテーマにしたセミナーに勧誘され、ノマドなノウハウを伝授するマニュアルや、ノマドの体裁を整える機器を売りつけられる。それらの値段も半端ではない。メイロマさんが実際に対面したケースでは、ノマドを夢見る若者には自分で勉強や努力をぜず、人に要求ばかりする「クレクレ君」が多く、ノマドアイテムをそろえれば仕事が天から降ってくると思っているようだ。耳の痛いことには、具体的なスキルを持たない、そして現実を知らない、頭でっかちの文系学生にノマド君が多いようだ。

メイロマさんが強調するように、ノマドワーキングの到来は、産業構造の変化がもたらす恐ろしい格差社会の反映だということを忘れてはいけない。これまで日本で支配的だった年功序列や終身雇用制度は行き詰りつつあり、スキルや成果ベースの働き方に移っている。クローバル化した世界ではスキルのある人間はまさに国境も時間も関係なく、金を稼ぐことが可能になる。ノマドは最初からその道のプロとして働くことを要求されるので、経験の少ない若者や付加価値の高いスキルを持たない人々は労働市場から疎外されることになる。 2011年のイギリスで起こった暴動の引き金には、このような労働市場の地殻変動から取り残されていく苛立ちが原因と言われているようだ。イギリスでもインドやバングラディシュのエンジニアが高い年収を得る一方で、スキルがないイギリスの若者は仕事がない。EUの通貨統合後のイギリスで労働市場が自由化されると、南欧や東欧から外国人労働者が働きに来るようになった。彼らは何か国語も話す上に自分の国より稼げるので熱心に働く。さらに金融の専門家や技術者、研究者の領域にも外国人労働者が入り込んでいる。英語しか使えず、技術も知識もないイギリスの若者には勝ち目がないのだ。

このようにノマド的な働き方が広がると、技能のある一部のプロに仕事が集中し、彼らはさらに稼げるようになる。一方、能力のない正社員は切り捨てられるか、労働の付加価値が低いためにどんどん給料が下がる。日本のケースで考えてみると、日本のサラリーマンは新卒で会社に入り、様々な部署を経験するゼネラリストが多い。

しかし日本でも景気が悪くなれば(それ以前に先進国は低成長のフェーズにある)、企業はノマド的な人材を使うようになる。グローバル化にともないビジネスのスピードが加速し、価値の急速な変化に柔軟な適応が求められる今、企業にとってコストが高く知識が陳腐化しやすい正社員を抱え込むことは著しいリスクになる。企業はプロジェクト単位でチームを組織し、その道のプロを雇うようになる。現在の中心的な産業である「ITやエンジニアリングやクリエイティブ産業」においてそれは顕著だ。これは日本のサラリーマンにとっては恐ろしい事態になるだろう。なぜなら彼らには専門的な売りがないからだ。ノマド的な働き方が広まっていくと、ゼネラリスト的な働き方はその役割や需要はなくなっていく。つまり従来の日本的なサラリーマンは要らなくなるのだ。

トウキョウソナタ [DVD]黒沢清監督の『トウキョウソナタ』(香川照之&小泉今日子主演)に象徴的なシーンがあった。主人公の男は前の会社で総務課長まで務めた自分がなぜ他の会社に雇ってもらえないのか、理解できない。リストラされた会社でも、別の会社の面接でも「あなたは会社のために何ができますか」と問われても何も答えられない。質問の意味すらわからない。新しいアメリカ流の人事担当者に「すぐここであなたの能力を示してください」とまで言われ、男は苦し紛れに「人間関係を円滑にできます」と言うが、日本のサラリーマンの能力は、ある会社のある部署で培われるローカルな能力にすぎないのだ。

「ノマドな社畜になれ!」とメイロマさんは言う。サラリーマンであっても、自分を「自分商店」や「外人部隊の傭兵」と考え、つねにスキルを磨いていれば、突然訪れる現実に対処できる。ノマドに必要なのは専門知識やスキルだけではない。ひとりで回すラーメン屋台のようなものだから、営業、事務処理、対人能力(まさにコミュニケーション能力)も必要とされる。会社に雇われていても、常に意識的に創意工夫を積み重ねることで、自分らしい付加価値を見つけていくことができる。副業をしてみるのもお奨めだ。ネットのおかげでちょっとした仕事を立ち上げる敷居が格段に下がったし、自分の創意工夫を実際に試すことができる。ノマドを夢見る若者に文系学生が多いと先ほど書いたが、メイロマさんはさらにキツイことをおっしゃっている。

「景気の悪化と学費の値上げにより、イギリスでは文系学部の人気がどんどん下がっており、哲学や史学、語学系の学部は廃止または統合されて、国立大学でも教員は解雇されています。その一方で、食べていける知識が身につく理系や経営系は大人気で、志願者が増えている」(P.108)

「ノマドになりたいと言っている学生さんの専攻の多くが、リベラルアーツ(一般教養課程)や、社会学や、キャリアデザイン(意味不明)とか、「国際なんとか」とか、「文化なんとか」という名称なのですが、それではノマドになる技能は身につきません。本当に自立して働きたいのなら、専攻を変えるか何かして、理系や医療系などの「食える」技術を身につけないといけません」(P.160)

人文系の大学生だけでなく大学の教師にも厳しい現実が突きつけられているわけだが、つい先月25日の英エコノミストの記事仕事と若者:失業世代 Work and the young : Generation joblessにも、「英国と米国では、高い学費をかけてリベラルアーツの学位を取得した多くの人が、まともな仕事にありつけない」、「世界的に教育と労働市場のミスマッチが問題」という記述があった。日本の大学はつい最近までサラリーマン予備軍のプールとして存在し、企業のための人材教育の役割を期待されていなかった。高度成長の波に乗って雨後の竹の子のように大学が増えたが、その多くはコストのかからない文系大学であった。

そして学生たちは大学時代を自由に過ごし(私の学生時代、大学はレジャーランドと呼ばれていた)、タブラ・ラサ状態で採用された。それは新人研修によって企業文化を徹底的に叩き込み、定年までひとつの企業と添い遂げる従順なサラリーマンに仕立て上げるのに好都合だったからだ。しかしグローバル化した熾烈な競争によってコストカットを強いられる企業は、新卒を囲い込んで教育する余裕がなくなり、即戦力となるノマドを雇うようになる。そして何のスキルもない文系学生が仕事にあぶれることになるが、つまりは「教育と労働市場のミスマッチ」が起こっているのだ。

もちろん人文系の知識はクリエイティブ産業が花盛りの時代においてアイデアの宝庫であるはずだ。ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズに代表される新しい経営者たちは真面目腐った人たちではなく、ボヘミアンな遊び心にあふれ、それを仕事に生かしている。しかしそれらはタコツボ的で柔軟性のない現在の形で制度化されている文系の学問からは汲み取れないものかもしれない。またアップル製品が象徴するように、工学部の学生にもデザインセンスが求められる時代であるが、技術的なスキルがベースにあってこそのデザインなのだ。もちろん文系大学では語学力や教養が身につくかもしれない。しかし、語学は何か伝えるべきものがあってこその語学だし(だから語学のニーズはむしろ理系にある)、教養はノマド的な働き方をする人間のコミュニケーションスキルとして生かせるものだ。つまり語学力や教養はもはや単独では意味がないということになる。もはや学問の分業体制は終わったのだ。

とりわけ能力の高いノマドたちは大学で学ばなくとも自分で語学力を身に着けるだろうし、教わらなくても読むべき本を自分で探し当てるだろう。それこそインターネットが最大限に活用されうる分野だ。それに語学力や教養は大学で学ぶよりも、小さいころから親などから受け継ぐ文化資本としての側面が大きい。日本の文系大学や文系学部は、英国のように「教育と労働市場のミスマッチ」として早急に淘汰されてくのか、それとも若い世代に対して説得的な存在意義を改めてアピールできるのか注目されるところだ。


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2013年04月09日

『宮台教授の就活原論

小4の息子の周囲ではすでに「お受験」に向けて塾通いを始める友だちがぽつぽつ出始めている。友だちのT君は電車で20分かかる遠くの塾まで通い、帰宅は午後10時を過ぎるのだという。中学受験は「いい学校、いい企業、いい人生」の重要な関門である。しかし、宮台先生は「いい学校、いい企業、いい人生というレールはもうない。せめて学歴だけはつけてあげたいとして「お受験」にいそしむ親たちは、その意味で単なる馬鹿である」と手厳しい。「その意味で」とは、「お受験」コースを歩んできたような人間はこれからの企業では使いものにならないし、「いい学校、いい企業、いい人生」が前提としてきた社会が大きく変わってしまったからである。

宮台教授の就活原論それは同時に、親と子供のあいだに決定的な世代ギャップがあり、親が子供にアドバイスすることが難しくなったことを意味する。日本の年長世代が当然のものとしてきた生き方を、若い世代が選ぶことは絶望的に困難だし、昔の人が良く言う「コツコツと真面目に働けば報われる」可能性はかなり低い。昔の価値観をひきずる親のアドバイスは逆に学生を崖のある方向に導きかねない。そのギャップを認識するためにむしろ親が読むべき本かもしれない。

その大きな要因は、親の時代とは企業のあり方が大きく変わってしまったことだ。企業が永続的な組織でなくなり、終身雇用制や年功序列制を保証できなくなった。経営環境が変化すると企業も変わらざるをえない。企業がグローバルな競争を生き抜くためには看板を自在に取り換え、目標やシステムを柔軟に変化させることが重要になる。だから企業が10年後に何を作っているのか、どんなサービスを提供しているのか、どの部門が成長し、どの部門が切り捨てられるのか誰にもわからない。高度成長下では変わらない企業文化を維持しながら、余計な選択コストを考えずに企業は邁進することができた。背後に迫るような新興国は存在せず、敵は欧米企業だけだったからだ。数年前、シャープやパナソニックがこんなに苦戦し、大規模なリストラを迫られることを誰が予想しただろう。絶好調のグーグルやアップルだって10年後、どんな形で生き残っているか誰も予想できない。そんな状況下で終身雇用や年功序列はもはや不合理極まりないシステムになりつつある。

宮台先生がこの本を書いた動機として、大半の就活本が、自己啓発本で「癒しを提供しつつ、デタラメな企業社会に適応を促すもの」で、それに著しい違和感を覚えたからだと言う。また、社会全体がどうなっているのか、どういう方向に動いているか意識せずに行動することが、いかに無意味であり危険であるか警鐘を鳴らす。

この本の重要なポイントは、就活において「適応」ではなく、「適応力」が推奨されていることだ。「適応」とは変わらない社風に自分を合わせる一回きりの適応であり、終身雇用制度に対応する構えだ。それは社畜の構えということもできる。宮台先生は雑誌のインタビューで社畜とは「社会性が存在せず、会社の威信やステータスを、自分自身の威信やステータスだと勘違いし、その分、会社を放り出された途端に、すべてが終わるタイプの人たち」と定義している。一方、「適応力」は変化する企業に柔軟に対応しながら、潜在力をその都度顕在化させる能力だ。ひとつのことしかできない、ひとつのことしかする気がない人間を雇うことは、企業にとって雇用リスクを上昇させることになる。

これまでの受験勉強もまた「適応」のための勉強ということになる。小中高大という教育シリーズにおいて学歴競争に勝ちあがってきた事実が保証するのは、ある種の事務能力、つまりは与えられた課題をそつなくこなす能力だ。大学もまた「適応」のための人材のプールであった。かつて学生たちは大学時代を遊んで過ごし、タブラ・ラサ状態で採用された。そして、あの悪名高い新人研修によって企業文化を徹底的に叩き込まれ、企業という共同体の中に生まれ直したのである。

一方、就職に際して評価の対象となる最も重要な能力と言われるコミュニケーション能力は「適応力」にかかわることだ。コミュニケーション能力とは、他者の視座を持ち、他者の意図を理解する能力、自分と相手との違い、相手の欲求と自分の欲求の違いを瞬時に見抜く能力だ。それゆえ、採用面接でどうふるまうべきかは「相手と状況」に依存し、状況によって引き出せる適切なロールモデルを用意しておく必要がある。就活には何よりも「適応力」に基づく戦略的なコミュニケーションが必要になる。悪く言えば、今の仕事には一貫性にこだわらない解離的な人格が要求されているわけだが、そういう意味においても、仕事での自己実現を目指すことは危険なことなのだ。

むしろ仕事とは別の場所に「帰還場所」を作ることだ。市場を自己決定=自己責任的な諸個人が丸腰で戦う場所だと思っているのは日本人だけだ。いつでも帰還できる癒しの場所があるからこそ、「状況に応じてうまく生きろ」と過酷な要求をされても耐えられる。北欧の国々が働きやすく、幸福度が高いのは帰還基地作りをフォローアップするための制度設計がうまくできているからだ。したがって「ライフワークバランス」とは「仕事と家庭の相補的な関係、仕事に依存しすぎた人生の安全保障上のリスクを考えること」であって、趣味の時間を確保しようなどという浅はかな話ではない。お受験の弊害は帰還場所作りに関しても言える。小中高の大事な時期に人を蹴落とし、人の足を引っ張ることに明け暮れていると、信頼できる友達や性愛のパートナーを作る修行がないがしろにされてしまうのだ。それでは仕事への成功も、幸せな人生も望めなくなる。安心できる場所を持たず、不安ベースで生きている人間は環境(つまり会社)に過剰に「適応」してしまう。帰還場所を持ち、信頼ベースで動く人間は、逆にどんな環境においても柔軟に「適応力」を発揮する。宮台先生は目標とされる人間像を「セコくない人間」、「リスペクトされる人間」、「一人さびしく死なない人間」と的確に設定する。これらは帰還場所を育むためには不可欠な属性であり、帰還場所を獲得した結果でもある。

一方で、経験値を上げ、「適応力」をつけるために「衝撃的な師匠に出会え」とか、「上には上があると打ちのめされろ」とか、宮台先生のアドバイスは普通の学生にはかなり敷居が高い。そう簡単にスゴイ師匠に出会えれば誰も苦労しない。しかもスゴイやつとの出会いは親から受け継いだ文化資本(親の人脈など)のひとつだったりして、これまた格差の再生産の本丸だったりする。

新しい価値を自ら創造し、変化に対応し、変化を生み出していく人材。組織的、対人的には、柔軟にネットワークを作り、必要性に応じて人を使いこなすスキル。これらの能力は勉強で詰め込めるものでもないし、マニュアルも存在しない。また要求されるものに決まった形がないし、要求に際限がない。それらは個人の生まれつきの資質か、成長する過程での日常的、持続的な環境条件によって多くの部分が決まる。つまり、親から受け継ぐ文化資本を含め、家庭環境の及ぼす影響も大きい。このような考え方を本田由紀氏は「ハイパーメリトクラシー」=超業績主義と呼ぶが、成功する学生とは勉強もできてかつ教養もあり、遊びもスポーツも得意なマルチ&ハイスペックな人間で、最初から下駄を履いて生きてきた人間が活躍しやすいのである。そういうハンデがまるで存在しないかのように、ハイパーメリトクラシーは、柔軟な能力をあらゆる局面において常に発揮することを要求し、さらに不断にそれを評価する。自分の「柔らかい」部分まで差し出し、それを活用して生きていかざるをえない過酷な時代がすでに到来している。


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2012年09月05日

書評 『さよなら、もんじゅ君』

いまや9万人がフォローする、ツイッターから生まれたアイドルもんじゅ君。長らく反原発運動というものは、それに関わると何か危険であるかのようなイメージがまとわりついてきたが、私たちが次第にこの問題に関心を持たないようになり、最終的に原発そのものの存在を忘れていったのは、このことが大きな一因だろう。その点、福島の原子力発電所事故を受けて誕生したもんじゅ君というキャラクターは、その「ゆるキャラ」によって、反原発を表明することの敷居を下げ、原発推進派VS反原発派の対立を(ある程度)相対化することに成功した。

さようなら、もんじゅ君---高速増殖炉がかたる原発のホントのおはなしおしえて! もんじゅ君―これだけは知っておこう 原発と放射能もんじゅ君とみる! よむ! わかる!  みんなの未来のエネルギー

しかしながら、もんじゅ君の功績はそれだけではない。もんじゅ君は、ただ単に反原発・脱原発を訴えているのではなく、原発の問題が私たちの生活に深く根ざし、影響を与える問題であるにも関わらず、原発について学校や会社といった地域社会で回りの人と話すことがタブーであるという今までの何だか気持ち悪い状態、ひいてはそれが日本において、言論の自由を前提とする民主主義を阻害してきた事実を何よりも悲しんでいる。

そう、もんじゅ君が「ボクのすんでいる日本海側の福井県敦賀市って、冬のあいだはしめった冷たい風に吹かれながら、どんよりくもった空と、にぶい群青色の海を、まいにちながめてくらすまちなの」(『さようなら、もんじゅ君−高速増殖炉がかたる原発のホントのおはなし』13ページ)と言うことばの中には、あえて言えば都会(「日本」に集中する)からの差別を受ける屈辱感、それにもかかわらず電力を供給している都会への憧れや嫉み、でも原発を引き受けることで少しは都会に近づける、もしくは対等になれる(かも)、などなどの、原発を受け入れた地域住民の様々な複雑な感情が表現され尽くされているが、そうしたコンプレックスを言語化することは住民の間でタブー化されていったのだろう。もんじゅに限らず原発は、そういうところに建ってるわけで、都会の人はそこに住むことのリアリティを想像できない。おそらく原発は、そういうところに住まざるを得ない人々が、郷土に対する誇りを保つことを可能にしてくれる一筋の光、希望のようなものだったのだ。田舎モノだらけのこの狭い日本で、細かな差異化と差別は強固にあったし、今だってある。その意味で、原発とは、都会・田舎を問わず、すべての人間の心の中にある差別心の生んだモンスターだったともいえる。

という私も富山出身で、幼い頃から、長い長い冬中続くどんよりと曇った灰色の空、肺に堪える重く冷たい湿気がいやでいやでならなかった。何としても一刻も早くこんな土地から出たかった。そのチャンスは、地元進学校に行き、都会の良い大学を目指すことによって掴み取ることができる。良い大学に入った高校生たちは将来誰もこの土地に舞い戻ることはないだろう。冬の最中、電車で「日本」から「日本」に出たとたん、突然青い空が開けるのを初めて目にしたときの衝撃は未だに忘れられない。

都会の先端情報を価値の頂点として成り立つライフスタイルが何よりも貴重だった時代の価値観は、おそらく311を境として大きく転換した。長く続いた旧価値観(競争とお金儲け)に未だに縛られたままの人々もまだまだ、特にネット情報の入らない年配の方には多いが、そうした価値観は明らかにイケテナイものになった。イケテナイことは自明でも、この価値観に支えられたライフスタイルをどう変わればいいかわからないから怠惰にしがみ続けているだけの人も多い。311で露になったのは、この真っ向から反する2つの価値観のせめぎ合いだ。きれいな海、土、風、持続的に生物が生きていける環境、こういったものが「正しい」価値観として改めて見直された。しかし、それでも、あまりに長く続いた旧価値観をベースとしたシステムが一気に変わるには時間が必要だろう。都会でしか手に入らない先端情報と、そこでの人的交流による恩恵に代替する価値観(例えば農業をベースとする持続可能な生活)をリアルに支える共同体・インフラを見出せない限り、やはりあの土地に舞い戻ることを私は躊躇するだろう。

しかし、そうではあっても、311が、今までの議論すら不可能であった原発の、ひいては自分の生活の基盤となるエネルギーやライフスタイルの問題を、一度立ち止まって、私たち一人ひとりが自分の頭で考え、その自明性を問い直すきっかけになったことは事実だ。不幸な事故、今も全く収束せず、もしかしたら私たちはカタストロフに向かっているのかもしれないけれど、こうした疑問を表立って(多少とも)声に出せるようになったことだけは、誰が何といおうと良かった。それは、抑鬱された者たちの声だからだ。不謹慎かもしれないが、本質的なことは何一つ語ってはいけないという言葉を奪われた思考停止状態が長く続いた日本の状態が少しでも変わるなら、次の瞬間この国が滅亡してしまったとしても、それは私たちにとって本質的に不幸なことではないように思える。

一方で、もんじゅ君が巻末で夢見ているような2050年は果たして来るのだろうか、と思わせる日常も相変わらずある。(夢と悪夢は容易に入れ替わる。もんじゅ君の見る2050年の現実が悪夢ではありませんように。)新幹線や電車の中は、まだ5月にもかかわらずすでにクーラーで冷やしまくられていて、それに誰も異を唱える様子もなく、皆羊のように黙りこくっている。耳が痛くなるような車内放送を眉一つ動かさずやり過ごせるようにその身体が訓化された人たちは、冷房の温度を一度上げただけで文句を言いに怒鳴り込んでくるという人たちと本当に同一の人たちなのだろうか。もっとも、そうした理不尽な幼児性に対し毅然とした言葉で対応できない、交渉どころかコミュニケーションすら不能である状態が、日本中に蔓延しているという事実がそもそも問題なのであるが。

「おまかせ」は結局高くつく。自分の命すら対価として支払うことになる(電車の冷房は分厚いセーターを持ち歩くことで対処できるけど、忘れたらこれも命取りだ)。自分の命すら差し出す事態になっても、目の前の「便利」「気持ちよさ」が手放せないのは、ただ怠惰なだけではないのだろう。生き延びるための情報やノウハウ、そしてそうしたものを探し当てる能力を、人生の中で獲得する機会がなかったのだ。そしてそれは多分に日本の教育システムの問題だ。「だってお金なかったら生きていけないでしょ」で思考停止しなくてすむような、新しい価値観を皆が受け入れられる社会システムを再構築できるかどうかは、日本人が総体的に賢くなれるかどうかにかかっている。

小出裕章さんが今多くの人々に支持されているのは、彼の価値観が一貫してブレていないからだ。日本人の大半が、幻想でしかない、しかも多くの犠牲の上に成り立つ「豊かさ」に惑わされた日本の高度成長期にあっても、小出さんの「豊かさ」の定義は変わらなかった(『原発のない世界へ』27ページ)。祝島で30年間反原発運動をブレることなく続けている住民の方々もしかり。我々は今、幻想から目を覚まし、本当の「豊かさ」を取り戻すための賢さと知恵が試されているのだ。

この5月23日内閣府原子力委員会の新大綱策定会議において、日本原子力研究開発機構の高速増殖炉「もんじゅ」の廃炉の可能性が文部科学省によって示されたが、これまでのように「お上」から押し頂いた既成の決定事項でなく、この意志が私たちの総体的な意識に下支えされたものでない限り、それは実現することはないだろう。



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2012年07月20日

R・フロリダ著 『グレート・リセット』 ― 持ち家と金融の時代の終焉

1920年代の大恐慌や、それに先立つ1870年代の長期不況(マルクスの『資本論』がこの時期に書かれた)から回復するのに30年はかかった。そのような歴史的な端境期を著者は「グレート・リセット」と呼ぶ。そして現在もリーマンショックが引き金になった「グレート・リセット」の時期で、まだ先が見えない初期段階だという。

グレート・リセット―新しい経済と社会は大不況から生まれる1929年の株価大暴落前夜『華麗なるギャッピー』の主人公がタキシードを着て、海辺の豪華な邸宅で、流行のぜいたく品をみせびらかした。多くの財産がリスクの大きな投資に振り向けられ、不動産への投機も過熱した。中間階級と富裕層の格差が広がり、富は少数の特権階級に集中した。まさにどこかで聞いた話、いつか来た道なのである。今回はそれが「われわれは99%である」や「ウォールストリートを占拠せよ」をスローガンに、世界中を席巻した運動につながった。

「グレート・リセット」は経済社会の根本的な変革で、従来のイノベーションや生産手段だけでなく、経済全体の様相、さらには人々の価値観やライフスタイルまでも一変させるだろう。

実際、これまでのアメリカ人の固定観念であった「郊外の大きな家と2台のクルマ」は若い世代で魅力を失っているようだ。Facebook や Twitter で交わされた何万件にも及ぶ内容を分析すると、10代から20代前半の若者はクルマを所有する必要性や所有願望にますますネガティブな感覚を持っているという結果が出た。クルマを持っていたとしても、運転機会も走行距離も減り、買い替えもあまりしない。彼らはできるだけ公共交通機関を利用し、歩ける範囲で何でも済ませようとする。若い世代はもはや、所有しているもの(=家やクルマや家電製品)で自分を定義づけたりしない。これは価値観のリセットの表れのひとつである。もはや車や家を持ちたいと思わないし、郊外生活にも憧れない。かつてのステータスシンボルにもお金を投じない。

アメリカではリーマンショック前までずっと住宅に対する過剰投資が続いてきた。一戸建て住宅を持つことは富の誇示であり、時間が経てば値段が上がったからである。ジョージ・W・ブッシュ前大統領は「所有権社会 ownership society」をよく口にしたが、それが彼の政権下で極限にまで達した。しかし家を所有し、さらにそれを元手に甘い汁を吸おうとした何百万人もの人々が、サブプライムローンの焦げ付きで逆に家を失ってしまった。

サブプライムローン問題と住宅バブルの崩壊に至った「持ち家願望」は郊外居住を推し進め、アメリカ人は家の中でも、クルマでも膨大なエネルギーを消費した。それを人生の夢に据えた社会は、非常にエネルギー効率の悪い社会でもあった。また人々が家を所有することで特定の地域に縛り付けられ、経済的に繁栄している場所に移動できなかった(もちろんこう言える前提にはアメリカの雇用の流動性の高さがある)。リーマンショックは、サブプライムローンという金融商品の問題だったと同時に、家が人間を縛り、人的資源が必要な場所に振り分けられないという弊害も生んだ。今回のリセット後の世界は、適切な仕事を得るために可動性が求められ、実際、それに見合った住宅システムの構築が進み、アメリカでは賃貸住宅ビジネスに将来性があるようだ。

リーマンショック前夜と同じく、金融ブームに沸いた1920年代、金融の専門家たちへの給与やボーナスは大盤振る舞いされていた。大恐慌のあと彼らの報酬は規制を受け、激減した。これもデジャヴュな光景である。金融部門はあくまで仲介的な役割を果たし、経済の潤滑油であるはずが、それ自体が目標になってしまった。数学・科学・技術系の優秀な学生が高額な報酬に惹かれてウォールストリートに就職し、金融モデル作りに精を出し、あこぎな商売のとりこになってしまった。それはモラル的に適切なことではなかったと同時に、大きな社会的な損失だった。持ち家願望の肥大が人々の柔軟な移動と人的資源の適切な配分を妨げたように、金融部門に人材と資源が奪われ、イノベーションと重要産業のアップグレードに血液が回らなくなっていたのである。

そのようなミスマッチもリセットの際に修正される。危機が起こったとき、うまく機能している部分と、していない部分が明らかになり、うまく機能しない古いシステムや習慣は淘汰される。また創造性や企業家精神、イノベーションやインベンションのタネが突然花開いて、経済や社会を立て直し、よみがえらせる好機もよく起こる。新たなインフラが整備され、新しい交通システムが発達し、居住のパターンも変わる。欲求やニーズ、消費性向も変化し、新しい仕事も創出される。

19世紀末の長期不況は第1次産業革命の余波として生まれた。1920年代の大恐慌は第2次産業革命(フォーディズム)を受けて発生した。そして現在の危機は「モノ作り」から「知識と想像力」に移り変わる第3次産業革命の結果としてもたらされた。

今回のリセットのキーワードは知識と想像力である。今回の危機に立ち会った人間が恩恵を受けられるとすれば、それは人生に真の意味を与えてくれる仕事が見直され、人類史上初めてクリエイティブな才能が評価される時代になったことだ。これまで仕事と余暇は分離していた。楽しみや気晴らしは余暇の管轄だった。今はそれが一体となり、幸福への鍵は仕事を通して手に入れられるようになった。

アートがその象徴だ。これまでアートに関わり、仕事においてクリエイティブな才能を発揮できたのは一部の特権的な人々だった。それが多くの分野に広がり、「グレート・リセット」後のクリエイティブ経済を動かすエンジンの重要な一部になっている。優れたアートやデザインはテクノロジーのノウハウと結びつくとシナジーが生まれ、革新的な製品やサービスを生み、経済は恩恵を受けるという好循環を生む。これまでアートとテクノロジーの交差点に生まれた優れものと言えば、iPod & iPad に代表されるアップル製品、ビデオゲーム、ブログ、SNS、電子書籍、オンライン大学などが挙げられる。この種の製品はこからも先鋭化していくだろう。



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2012年03月09日

榊原英資『フレンチ・パラドックス』

フレンチ・パラドックス2010年に話題になったフランス関連本のひとつに榊原英資の『フレンチ・パラドックス』が挙げられる。「フレンチ・パラドックス」はもともとフランス人が肉や脂肪をたくさんとっている割には肥満が少なく健康的である医学上の不思議のことを言うらしい。この言葉が最近使われたのは2001年にITバブルが弾けたとき、ほとんどその影響を受けなかったフランスを評するために米『フォーチュン』誌が「フレンチ・パラドックス」というタイトルで特集を組んだ。当時のジョスパン首相は「フランスは今や世界経済の機関車になった」と息巻いていた。

一方榊原氏の「フレンチ・パラドックス」は大きな政府で、公費負担が大きいのに(さらにあれだけの大規模なデモやストをやってw)なぜ文化的にも経済的にもうまくいっているのか、という経済上の不思議だ。折りしも米の中間選挙で共和党が躍進したが、我々日本人の「小さな政府」信仰は本当に正しいのだろうかと問うている。「ミスター円」と呼ばれた元財務官の「大きな政府」礼賛論なので、多少は割り引く必要があるのかもしれないが、日本とフランスを比較した興味深いデータや指摘も多い。例えば、国が再分配する前の相対貧困率はフランスが24%、日本は16%。市場段階では仏の方が格差が大きい。しかし日本の所得再分配後の貧困率は13%だが、フランスは6%と半分以下になる。日本は市場ベースで欧州の国々よりも貧困率が低いにも関わらず、再配分後にはアメリカに次ぐ最低の貧困国家になる。経営者や金融機関のトレーダーが莫大な報酬を受け取る一方で、その日の食事にも事欠く人々が数千万人もいる国に追随しているわけだ。

フランスではGDPの3分の1に相当する4000億ユーロの年間売上高が仏の上位50の大企業に集中している。つまり再編で大型化した企業が国の経済を牽引しているわけだが、政府が出資して発言権を確保しているからこそ、男女差別の禁止や産休制度、企業の保険料の大きな負担など、様々な規制がスムーズに実施できた。そういう大企業は国際競争力が弱いのかと思いきや、最近、日本の高速道路の建設や運営に仏建設最大手ブイグ Bouygues や仏高速道会社エジス Egis が進出しようとしているニュースがあったし、すでに千葉県・手賀沼の浄水事業を水メジャー、ヴェオリア Veolia が受注したり(これに対し石原都知事が「フランスごときが」と発言)、「親方トリコール」企業は国際競争にも強いことが証明されている。

COURRiER Japon (クーリエ ジャポン) 2011年 01月号 [雑誌]社会保障が整備されていない状態で雇用を流動化している日本は、一旦解雇されると裸で放り出されることになり、個人にかかるストレスが非常に大きい。それを見てビビりあがった既得権益者は、既得権益にいっそうしがみつくようになってしまった。それが今の状態で、そうなるとますます変化に対応できなくなる。競争によって効率性を高めるためにも、スムーズな産業転換と人材の再配置のためにも社会保障は必要なのだ。フランス社会は低所得者の比率が高く、少し前に森永卓郎氏が言っていた年収300万円時代がとっくに到来している。それでも生活に豊かさが感じられるのは社会保障が充実しているからだ(この豊かさをフランス人の具体的な生活において実証すべく Courrier Japon も11年1月号で特集を組んでいた)。フランスの「やや大きな政府を持ちつつ、子育てと教育に予算を傾斜配分し出生率を高め、国力を伸ばすという戦略」は日本でも可能だと榊原氏は言うのだが。

榊原氏は今年『日本人はなぜ国際人になれないのか』も上梓。明治以来の翻訳文化が日本人を内向きにしているという議論である。翻訳文化は欧米に追いつけという段階では合理的なシステムだったが、外国に情報発信していくという観点からは弊害になると。




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2010年02月27日

勝間和代『目立つ力』を読んでみた

目立つ力 (小学館101新書 49)勝間和代は2009年に最も注目を集めた人物のひとりと言えるだろう。管直人副総理に「リフレ政策」を提言し、「がんばらなくていい」と主張する香山リカとの論争も話題になった。勝間を目標にひたすら自分を磨く熱烈なファンは「カツマー」と呼ばれ、2009年度流行語大賞の候補にも挙げられた。外資系で働く友人は、これまで勝間のような働く女性のモデルがなかったと言っていたが、彼女の功績は自身の成功体験を徹底的にマニュアル化したことなのだろう。

去年10月に出たカツマ本のひとつ、『目立つ力』を読んでみた(2009年の1冊に挙げようと思っていたが間に合わなかった)。要は「ブログのススメ」である。ブログは単なる日記を書くツールではない。ブログを書くことはそのまま思考することにつながり、ブログを作るプロセスそのものが自分との対話になる。そのプロセスがブログを通して自分にも、他者にもわかるように可視化される。ブログは思考の公開訓練場というわけだ。

また人とつながるためには自分を開示して自分のことを理解してもらうことが必要だ。そうやって「応援団を集め、自分営業(=自分の売り込み)のコストを徹底的に下げる」のだ。注意しなければならないのは、コストを下げるというからには、応援団をダシに使うという意味でもある。応援団は仲間ではなく上下関係を示唆しており、成功者を支える存在でしかない。そして応援団は「もしかしたら次は私が成功者に…」と可能性を信じている人たちだ。ネオリベラリズムは意図的にであれ、結果的にであれ、いつもこの「可能性という餌」を巧みに使って、搾取する。当然のことながらみんなが成功できるわけではない。成功者はいつも少数なのだ。ある意味、情報の「ネズミ講」と言えるかもしれない。

確かに「目立つこと」は重要である。黙っていたら、無視されてしまうシビアな時代に私たちが生きていることは間違いない。声に出すこと、手を挙げること、メッセージを発すること。自分の能力を開示しなければ、それがあるのか自分でも確認できないし、他人にわかってもらえない。一方で「目立つ作法」は日本人の最も苦手な、最も教えられてこなかったことでもある。勝間は「目立つことは目的ではなく、手段」というが、最終目的は経済的な成功ということなのだろうか。しかし、この本には何をすればいいのか具体的なことは書いていない。「あなたにもひとつくらい得意なことがあるでしょう」「コンテンツはあなた次第」というが、これが素人には最大の問題なのだ。

勝間はブログやツイッターをもてはやすが、それらのツールを生かせるのは彼女が外資系金融で、あるいはネットの黎明期にいち早く培ったキャリアがあるからだ。ブログやツイッターそのものに力があるわけではない。勝間の言っていることは、コンテンツなんてどうにでもなる。試行錯誤に耐えられるような地力、潜在力をつけろ、ということなのかもしれない。忘れていけないのは、ブログやツイッターはあくまで潜在力を具体化、顕在化させるためのツールだということだ。またブログにおいて「続けること」は何よりも重要な指標だが、ブログを続けられる確信は自分の潜在力に対する手応え以外何からも得られない。

潜在力をつけることは気の利いたブログのテーマを見つけることより、はるかに難しい。それは途方もない努力を要することだ。ブログを続けることは、日常生活のすべてをネタにしながら、日々リテラシーを鍛え、潜在力を高めることだ。ブログを薦める「目立つ力」のベースにあるメッセージは、「他者のプレゼンスを前提にし、対人的なコミュニケーション能力に基礎を置け」ということだ。それは勝間が活躍してきた金融の世界を支配するイデオロギーであり、厳しいリストラを促すコンサルタントの論理だ。そしてコミュニケーション能力とは、予期せぬ事態にピンポイントで対処できる、つまりその都度顕在化する臨機応変な力であり、潜在力のことなのだ。就職戦線は今年も厳しいようだが、就職が厳しくなり、賃金が削られる一方で、現代の労働にはこのような潜在力がますます要求されるようになっている。いくら香山リカが「がんばらなくていい」(所詮本人はがんばらなくても何とかなる恵まれた人間なのだ)と言ったって、勝間がもてはやされてしまう理由はここにある。




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2009年05月06日

『ポスト消費社会のゆくえ』 辻井喬×上野千鶴子

ポスト消費社会のゆくえ (文春新書)「書評−フランス小説」のコーナーでエミール・ゾラの『ボヌール・デ・ダム百貨店』(1883年)の書評を書いた。この作品は黎明期のデパートを舞台にしているが、パリやロンドンで始まったデパート文化の現状を知るには辻井喬と上野千鶴子の対談『ポスト消費社会のゆくえ』が興味深い。作家・詩人の辻井喬は西武グループを率いた堤清二の分身であり、最近では『おひとりさまの老後』で知られる社会学者の上野千鶴子は西武百貨店の社史編纂に参加した経歴がある。西武百貨店は70年代から80年代に脚光を浴び、文化を先導していた印象すらあるが、それがピークに達するのはウッディ・アレンを起用した広告「おいしい生活」(1982年)を打ったときだった。

上野千鶴子は「セゾンとパルコが領導したこの時期の広告は世界史的にみても空前絶後」と評価しているが、それを記号論的に解釈すると、広告のメッセージ性がなくなって記号の指示対象物=商品が消えてしまったということになる。つまりそれはシニフィアンだけの商品を訴求しない広告、商品の宣伝をしない非常識な広告で、商品の代わりに企業イメージや空間イメージを演出するのである。

広告イメージ戦略と同時に進められたのが、西武の文化事業活動である。西武のとんがった文化事業はデパートの顧客と重ならず、販売促進の役にはたっていなかったと堤清二=辻井喬は懐古するが、その象徴が西武美術館であり、実験的な音楽や映画、映像、ダンス、演劇を上演するスタジオ200だった。このような西武百貨店の盛衰については本書を読んでもらうことにして、最近、新聞社や出版社と同様、凋落傾向にある(再編や閉店を余儀なくされている)としばしばニュースになっているデパートの現在に焦点を当ててみたい。

話を今からそんなにも遠くない1990年代くらいから始めよう。90年代後半になると「薄利多売」で突き進んできたスーパーマーケット最大手のダイエーが流通戦争に負ける。デフレスパイラルでさらに急速に価格破壊が進む。ポスト・ダイエーの象徴的な企業がユニクロなのだが、その価格破壊を可能にしたのはグローバル化、つまりは生産拠点を中国などの海外に移転したことである。グローバル化の恐ろしいのは市場が国内完結しなくなったこと。60年代からの高度成長期と大きく異なるのはこの点だ。「内需の拡大が所得分配につながる」、つまりは「景気が良くなると仕事が増え、給料が上がる」という日本の成長経済のメカニズムは完全に崩れたのである。たとえ内需が拡大しても雇用にはあまり波及しない。そして雇用調整のしわ寄せがもっぱら若い世代に向いているのが今の状態である。

量販店やユニクロの価格破壊が進んでいく一方で、高級ブランドは専門店化していく(ヴィトンのメガストアやエルメスの「メゾン・エルメス」)。そのあいだに位置する百貨店は中途半端な存在になる。そうするとパルコのような場所貸し業にならざるをえないが、今の百貨店すべてにパルコのようなプロデュース能力があるわけではない。ところで、パルコ的な店舗観とは何だったかと言えば、空間それ自体が物販の媒体となるという考え方、つまりステージとしての百貨店である。百貨店に行くのは匿名性の高い集団に着飾った自分を見てもらうためなのだ。私もパルコのバーゲンには繁く通ったのでそれは実感として良くわかる。

しかし、今やハレのステージは必ずしも百貨店である必要がなくなったし、最大の問題はコミュニケーションが島宇宙化してしまったことである。とりわけ若い世代は匿名性の高い集団を求めず、内輪の気心の知れた人たちのあいだでコードを共有したコミュニケーションしか望まなくなっている。コミュニケーション自体のセグメンテーションが起こっているのだ。それを推し進めたのがネット&モバイル社会である。ネットショッピングも出現し、WEB上のHPさえ維持すれば在庫を持たなくても良いという、省コスト、省リスクの商売を実現し、またサイトに広告を載せれば手数料収入が入るシステムも確立されている。この面においても、ショッピングはハレの行為ではなく、日常化(=ケ)しつつある。

ユニクロのデザイン (SEIBUNDO Mook)つまり、百貨店が成り立たなくなっているのは、新聞や総合雑誌の凋落現象と同じである(とうとう朝日、毎日、産経が赤字転落した)。新聞や雑誌は19世紀のフランス文化史の中で最も注目されたメディアであったが、21世紀に入ってからの本格的なネット&モバイルの到来によって息の根を止められつつある。その背景にあるのは、「万人のための」とか「総中流社会」という社会的基盤そのものの急速な消滅である。もはや少数の特権者が描くモデルに誰も従わなくなっている。資本主義という巨大なブルドーザーによって均質に地ならしされ、「階級の混交やブルジョワ層の底辺の飛躍的な拡大」が起こり、大衆社会が成立したが、そこには次の時代の新たなセグメンテーションが確実に起こっている。

一方で経済格差や世代間格差がもたらすものも無視できない。日本では高度な消費文化が発達してきたが、その特徴は多様性ということである。日本の消費文化に多様性があったのは、高度成長期の総中流化が背景にあって消費生活が階層化していなかったからである。ひとりの消費者がスーパーと百貨店を使い分け、分不相応な買い物もする。ふだんカップラーメンで済ませている若者が、高級フレンチにも行く。エルメスも買うし、ユニクロにも行くのだ。このライフスタイルは総中流社会のひとつの指標である。その総中流化が崩れ始めている。80年代には自分のことを中流に帰属すると思っていた日本人は9割もいたが、今は6割台まで落ちている。

ユニクロは安いだけでなく、商品の種類も多様だが、これはポストフォーディズムの特徴である。すでに大量生産・大量消費モデルのフォーディズム(現在、フォードを含むビッグ3が危機に瀕している)から、多様な趣味嗜好に応じた微細な差異化に対応する少量生産・少量消費モデルのポスト・フォーディズムへと移行している。例えば、音楽産業においてもジャンルの細分化、世代や趣味、性別や文化背景に応じてターゲットを細かくセグメンテーションする。

これは労働や雇用の問題と表裏一体である。ポストフォーディズムを支える生産過程はフレキシブルなものである。これもグローバル化のひとつの側面であり、グローバル化した市場の急激な変化に対応するために、組み換え可能なシステムへと再編された。そうやって採算の悪い部門を切り捨てやすくするのである。この再編が非正規雇用社員、派遣社員、パートタイム、フリーターという労働形態を要請し、現在のような不況時においては真っ先に調整の対象になる。それを隠すように自己責任論が横行しているが、3分の1以上に達する非正規労働者の割合(2006年で35・5%)をそれだけで説明できない。

関連エントリー「『ボヌールデダム百貨店』エミール・ゾラ」



ポスト消費社会のゆくえ (文春新書)
辻井 喬 上野 千鶴子
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おすすめ度の平均: 4.5
5 中高年にとって大変に面白い「読み物」
4 我々はどこへゆくのか?
3 上野千鶴子と堤清二の関係が面白い
5 セゾンを通して何が見えるか?
3 セゾンの蹉跌から今学べることって、
それほど多くないような気がする




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2006年04月15日

誰がブログで表現するのか?−「ウェブ進化論」を読む2

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まるニュース番組のコメンテーターにある日、大学教授の肩書きがついているのに気がつく。大学もメディア露出度の高い人間を欲しがるのだろう。肩書きがあろうがなかろうが、発言している内容は同じなのに、みんな虎の威を借りて発言したいらしい。大学とメディアは同じ既得権益者として相互に権威を調達し合いながら、権威を補強する関係にある。そうやって自己演出している。

アメリカは自己アピールの強い国なので、本名でブログをやる人間が多いという。一方で日本はハンドルネームを使うケースが多い。それは日本ではアイデンティティーを特定させないことが逆に武器になるからだ。先進国の中で日本ほど男女差別、年齢差別、社会的地位による差別がひどい国はない。対面的に自分の立場をさらしてしまった場合、「女のくせに」「若造のくせに」「下っ端のくせに」というあからさまな態度をとられる。もうそこで発言する気が失せる、言葉を奪われるのだ。「語っていいのは俺たちだけだ」と言わんばかりに、だいたいどの組織でも年配のオッサンたちが言論サロンを作り、表現の独占をしている。リベラルな議論を売りにしているトーク番組でも構成はほとんど変わらない。

いくらプロフィールが書かれていても、ブログの書き手の立場を判断することはできない。対面的な関係のように、相手をカテゴライズする情報が少なく、自分と相手との関係を明確にできない。偽装することだって可能だ。そういう相手との関係が宙吊りになる不透明さもブログの楽しみのひとつなのだ。ブログに関してもフレーミングや誹謗中傷の問題がなくならないのは、相変わらずそこに上下関係を見出そうとする人たちがいるからだろう。相手に付け込むスキを見つけ、自分より格下だと判断したとたんに、徹底攻撃を開始する。そういう行為に走る人間は同じような攻撃にさらされている人間だったりする。

既成メディアは「ブログの情報はカスばかりで、信用できない」と言う。それは書き手の立場が明確でない、つまりは権威の保証がないということだろう。それこそ、オマエが言うなって感じだ。権威を傘に来た報道ほど信用できないことを、私たちは様々なケースにおいて見せつけられている。そもそもアメリカでブログ・ジャーナリズムが開花したのは、9・11後のメディア規制下においてだ。あのとき、「アメリカ国民はメディア・コングロマリットの一方的な報道に騙されてかわいそうに」と日本から見て思っていたが、「郵政選挙」の過程などを見るにつけ、日本のメディア環境もアメリカと大して差はない。結局は、発言する相手の立場ではなく、複数の発言の内容を突き合わせて判断しなければならない、というメディアリテラシーの基本に私たちは立ち返るだけなのだ。

ブロガーの母集団が増えれば、質の高い議論も高い頻度で現れる。著者によれば、「ネット上で議論された成果が、専門家の業績をしのいでしまう」ことも実際に起こっている。日常的現実を解釈している一般人の実践的知識(日常生活の中で様々な問題にぶつかり、それを考え、解決しながら学んだこと)と、専門家の科学的知識(特に人文系の学問)にはほとんど差がない。そういうことをブログは暴露してしまう可能性がある。これは恐るべきことだ。専門家が話すことを、「そんなこと偉そうに言わなくても、考えればわかることじゃないか」と思った経験は誰にでもあるだろう。ネットによって横がつながることで、「王様はやっぱり裸だったんだ」とバレてしまうのだ。専門家よりも素人の方が優れていると言っているわけではない。偉そうにしゃべるとか、専門用語や勿体ぶった言い回しを使うとか、専門家になるための手続きや、専門家としての振る舞いが疑問に付される。つまりは素人と専門家の定義、そのカテゴリーの境界がずらされてしまうということなのだ。それに私たちが日々直面する問題は、ある専門分野にきちんと収まるものではない。カテゴライズ不能な、様々な分野に足を突っ込んでいる問題であったり、個人の置かれている条件によって特殊化されていたりする。そのような問題を考える場合、専門家の知識は使い勝手が悪い。様々な立場の人間がネット上に積み上げた議論や、そこから導き出された成果の方がはるかにタメになる。何よりも、そのプロセスに参加できることが楽しいのである。


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2006年03月24日

ブログが大学を解体する!?−『ウェブ進化論』を読む

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まるこの本、売れてますね。近くの本屋をのぞいたら売り上げ5位でした。サンデープロジェクトで田原総一郎もこの本に触れていました。実はそれで知ったのですが。

大学の年配の先生方の多くは相変わらず「今の学生はものを知らん」とおっしゃる。あなたの知っていることを知らないだけでしょ。それじゃ、あなたは一体何を知っているんですか、と聞き返したくなる。学生から教えてもらうことってけっこう多いと思うけどなあ。先生たちにとって「学生がものを知っている」という意味は、先生たちが生きてきた価値体系を尊重するということなのだ。しかし、そんなものはとっくに崩壊している。そんな裸の王様たちには『ウェブ進化論』が描き出す現実なんて想像もつかないだろう。

既成メディアはブログを嫌悪し、「コンテンツの大半はクズだ」と決め付ける。それは自分たちの既得権が侵されるという危機意識からだ。おそらく堀江バッシングも無意識にそういう欲望を含んでいる。同じように既得権を持った大学の先生たちもブログを嫌悪するだろう。「どうせくだらないことを書ているんだろう」とタカをくくる。

大学は文化の選別をやってきた。こちらは大学で学ぶに値する高尚な文化、こちらは学ぶに値しない低俗な文化。ところが、学生の大半は文化産業が作り出す低俗な文化に染まってしまって困ったものだ、というわけだ。高尚な文化を吸収するにしろ、低級な文化に汚染されるにしろ、学生はいつも無知で受動的な存在とみなされてきた。

しかし、「総表現社会」がやってきた。技術革新によって個人が創造性を発揮するITインフラが整備され、それを安価で、あるいは無料で使えるようになったのだ。それによって発信者と受信者、生産者と消費者の差がなくなる。むしろ立場が固定されないと言った方がいい。大学はもはや「無知な学生に、確立された知識をトップダウンで注入する」という「啓蒙モデル」を前提にできないのだ。

それに文化は確立された体系を持ち、個人に注入されるようなものではない。文化は個人が様々な情報と関わり、意味を与えていくことで生まれる。つまり個人が作り出していくものだ。情報には高尚も低俗もないし、優劣も、貴賎もない。権威のお墨付きではなく、個人のニーズや意味づけによって価値が決まるのだ。そういう意味で、ブログという形式は非常に示唆的である。ブログとは個人が情報を収集し、それを再編集する行為だが、まさに文化は個人の手によって無限に「再構築」されていくのだ。

新しい技術が、新しい現実を出現させ、新しい批判の視点を生じさせる。私たちは絶えず学びながら、その都度生き方を組み替えていかなければならない。ブログ的行為はこういう現代の自己のあり方とパラレルな関係にある。現代の教養というものがあるとすれば、それは従来の教養よりも緊急性の高いサバイバル能力と言える。ブログ的行為の試行錯誤の中で鍛えられるメディアリテラシー−「情報読解能力」と「情報生産能力」の両面の能力−だ。「文化を議論する公衆」から「文化を消費する大衆」へ移行してしまったとハーバーマスは言うが、嘆くなかれ、次に訪れるのは「文化を生産する個人」だ。ハーバーマスが規範とした「文化を議論した時代」が、さらに民主的な形で到来する可能性を秘めている。

ブログを始めた友人たちは異口同音に現実が変わったと言う。世界はネタに満ちている。先ほど述べたように、情報には「玉」も「石」もない。「石」を「玉」に変えるのも個人の腕次第だ。


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2006年03月04日

『中村屋のボース』中島 岳志(後篇)

中村屋のボース―インド独立運動と近代日本のアジア主義当時、仏領であったシャンデルナゴル(現、チャンダンナガル)では、イギリス権力の手が及びにくく、反英抵抗運動の拠点のひとつだった。その街で育ったボースは、頑固で熱血的な少年であったらしいが、歴史の本にふれることで、反英意識を高めていくことになる。

血気盛んのあまり学校を中退したボースは、父親のコネで、政府刊行物の出版関連の職につき、ついで20歳頃(1906年)、森林研究所の職員に転ずる。そこで、有能ぶりを発揮、営林署長に出世した。そのころ、シャンデルナゴルを拠点としていた急進的独立運動家のローイ、ゴーシュと知りあったボースは、イギリス支配のトップであるインド総督ハーディング暗殺を計画、営林署長としての立場を利用して爆薬の材料を集めると、みずから爆弾テロの実行者となることを決める。

1912年12月23日、イギリス植民地政府は、首都をカルカッタ(現、コルカタ)からデリーに移したことを記念して、一大パレードを催した。このパレードで、象に乗って行進するハーディングめがけ、ボースは爆弾を投ずる。結果、従者1名が死亡、ハーディングは重傷を負ったものの、死には到らなかった。

事件後、ボースは何食わぬ顔をして、営林署長の職を続けていたが、1913年5月、別の爆弾テロが未遂に終わった結果、急進派のアジトが捜索を受け、ついにボースが急進派のリーダーのひとりであることが判明してしまう。そのことを知ったボースは長い逃亡生活にはいった。

イギリス軍内のインド人兵に叛乱を起こさせるという作戦が失敗したのち、やはり民衆決起による革命しかないと感じたボースは、武器を調達すべく国外逃亡を決意、当時、日露戦争に勝って、頓(とみ)に国威のあがる日本に狙いを定めた。そして、1913年にアジア人で初のノーベル文学賞受賞者となったベンガルの詩人タゴール(Rabindranath Tagore)が渡日することを知り、その親戚のプレオ・ナース・タゴールの名を騙ってチケットを購入、1915年6月、まんまと日本潜入に成功する。

日英同盟を締結していた日本政府は、反英インド人活動家の日本における行動を監視していた。当時の日本には、すでに、アメリカを拠点とするインド独立運動グループが潜伏していたのである。日本上陸後、さっそくその仲間に加わったボースは、辛亥革命を成功させ中華民国を建てたのち、権力闘争に敗れて日本に亡命していた孫文の知遇を得る。そして、イギリス政府に日本潜伏がバレたのち、孫文から、国家主義者の大物・頭山満(とうやま・みつる)を紹介される。頭山は尊皇主義者であったが、大アジア主義をとなえ、孫文らアジアの革命家をバックアップしていたのだ。

そして、1915年11月、ボースともうひとりのインド人活動ヘーランバ・ラール・グプターにたいし、日本政府からの国外退去命令が下される。ボースらがこのことを世論に訴えた結果、野党を中心に反対運動がわきあがるが、政府は強硬であった。ついに頭山らは、ボースとグプター逃亡を計画、当時クリーム・パンで有名だった新宿の中村屋店主である相馬愛蔵・黒光夫妻に隠匿を依頼する。義憤に燃えた夫妻はそれを承諾、同年11月30日、ふたりのインド人は忽然と姿を消したのである。

当時、中村屋には、相馬夫妻の長女・俊子とわかれさせられて出ていった若き天才画家・中村彝(なかむら・つね)の使用していたアトリエがあり(彝は、同じく同居人であったロシアの盲目の詩人エロシェンコの肖像画や裸体の少女像を描いているが、後者のモデルは俊子である)、以後、3ヶ月あまり、ボースはこのアトリエに逼塞することになる。もっぱら世話をしたのは俊子であった。その間、気晴らしに本場インドのカレーを作り、その調理法を相馬家のひとびとに伝授することになったが、これが、12年後の1927年、中村屋の正式メニュー「インドカリー」としてデビューし、こんにちではレトルト・パック化までされている「中村屋のカリー」のルーツであった。

やがて、1918年、頭山の懇願によって、相馬俊子はボースと結婚し、1923年、ボースは日本に帰化、さらに、さまざまな著作を発表、インド独立運動家であるとともにアジア主義者として、広く日本に知られるようになった。

だが、インド独立への道はとおく、ボースが頼みとした日本政府は、1931年の柳条湖事件をきっかけに満州侵略、1937年の蘆溝橋事件から日中戦争へ、1941年12月に太平洋戦争へと、戦乱の道を突き進んでいた。日本軍のアジア侵攻を機にインド独立の悲願を果たそうとしたボースは、しかし、「もうひとりのボース」スバース・チャンドラ・ボース率いるインド国民軍と日本軍の連合軍がインドに侵攻したインパール作戦のゆくえを気にしつつ、病の床につく……。

爆弾テロを指導しながらも、テロルではひとびとの心はついてこないことを論じていたボースは、常に手段と目的の乖離を自覚しつつ、なお、目的のためにはその手段を用いねばならないという信念をいだいていたという。インド独立のために、日本のアジア侵攻や、イギリスの敵としてのナチス・ドイツを容認した背後には、そのような信念があったというわけだ。「中村屋のカリー」は「恋と革命の味」だが、それは文字どおり「辛(から/つら)い」血の出るような苦悩の味だったのである。

フランスは共和主義を国是とするが、アメリカのグローバリズムに対抗して「多様性」を主張している。しかし「民族主義」の擡頭は、各地で摩擦をひきおこす。1947年にインドとパキスタンが独立するが、ヒンドゥー教徒が多数派のインドとイスラム教徒が多数派のパキスタンの争いは3次におよび、ついに1971年の第3次印パ戦争では、イスラム教圏ながらベンガル語を主言語とするボースの故郷ベンガル地方が、バングラディッシュとして独立するに到る。ボースならどう行動したであろうか。「アイデンティティ」は大変重要なものであるが、それが「本質主義」と結託するとき、たいそう危険な爆薬ができあがる。

若き研究者である著者は大阪生まれ。大阪外大でヒンディー語を専攻したことからボースの世界にハマったようだが、そもそも外大でヒンディー語をやるに到ったきっかけはある種の出会いであったという。もちろん、本書を読んでもそのへんの事情が書いてあるわけではないが、人生、ヒョンな出会いからヒョンなことになるのはよくあることだ。本書にも数々の「出会い」が記されている。本書の読後は、アジアとナショナリズムと(もちろんカリーと)、そして出会いについて考えることになるであろう。

【黒猫亭主人】

中村屋のサイト
中村屋サイト内のボースの記事

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2006年03月03日

『中村屋のボース』中島 岳志(前篇)

中村屋のボース―インド独立運動と近代日本のアジア主義かつてフランスはあちこちに植民地を持っていたが、たいていイギリスとの喧嘩に負けてとりあげられている――もちろん、本来は、フランスでもイギリスでもない、その現地のひとびとのものだが――。

紅茶といえばインドかイギリスかということになるだろうが、このイメージは、イギリスが、1688 年、名誉革命によって、オランダからメアリ 2 世女王と旦那のオレンジ公ウィリアム 3 世(オラニエ公ウィレム――ちなみに、オラニエ/オレンジとは南仏 Orange [オランジュ] のことで、ここに領土があった。今でもオランジュの博物館にゆくと、ウィレム――仏名は Guillaume [ギヨーム] の肖像画なんかを見ることができる)を迎えたことに端を発する。当時、日本との交流によって「茶」に親しんでいたオランダから、メアリが「お茶する」習慣を持ち込み、上流階級に流行ったのが、イギリスの「ティー・タイム」の起源というわけだ。

その後、喫茶の風習はあまねく全英にひろまり、中国――当時は清の時代だ――の広州から――ちなみに tea とは、仏語の thé 同様、広州周辺のことば te を、17 世紀にオランダ語経由で借用したもの――貿易によってお茶を輸入しまっくったイギリスは、そこからくる貿易赤字を、インドのベンガル地方に作らせたアヘンの対清輸出によって補填することになる。これが、のちのアヘン戦争(1840-42)の原因になるのはいうまでもない。

すでに 1757 年、ベンガル地方のプラッシーにおいて、わずか 3000 の兵をもって、7 万のフランス・ベンガル太守連合軍を破ったイギリスは、ベンガル地方をほぼ手中にしていた。このインド植民地に、大英帝国は、自前のお茶の製産をもくろんだが、最初の企ては、あっさり失敗した。その後、アッサム地方で野生の茶が発見されたことで、インドにおける茶栽培への道が拓けたのは、ようやく 1823 年になってからのことだ。とまれ、現在の「インド紅茶」は、イギリスの自国における紅茶消費の悩みがあったればこそなのである。

その後、1857-59 におこった「セポイ(傭兵)の反乱」を機に、ムガール帝国は廃され、ヴィクトリア女王がインド皇帝を兼任、ついにインドは大英帝国の直接支配を受けることになったが、このイギリス占領下のインドにあって、フランスは、ベンガルのシャンデルナゴル Chandernagor 他数カ所を支配下においていた。ちなみに、シャンデルナゴルがインドに返還され、呼び名もベンガル風に「チャンダンナガル」Chandannagore となるのは 20 世紀なかばの 1952 年、1673 年にフランス東インド会社が支配下において以来、じつに 300 年後のことである。

さて、1886年、ベンガルの農村に生まれ、この仏領シャンデルナゴルにおいて成長したのが、のちに日本に亡命、数奇な人生を歩むことになる、インド独立革命の志士、ラース・ビハーリ・ボース Rash Behari Bose であった。(続く)

【黒猫亭主人】

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5 ラース・ビハリ・ボースへのおおいなる愛情
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2006年02月20日

BBCルポ班『サッカーてんやわんや-欧州サッカー新事情』

スター選手の華々しい活躍や代表チームの死闘など、ピッチ上での緊張と興奮がサッカーの「表舞台」であるとすれば、本書はその「裏舞台」を扱ったものとなります。イギリスBBC放送のスポーツドキュメンタリー・チームのスタッフによって書かれた本書はピッチ外のサッカー界の裏事情を12のテーマに分けて紹介しています。「あとがき」において訳者が、「イスラム世界まで巻き込んだスポーツというのはサッカーくらいしかないのでは」と述べるように、サッカーは全世界的規模で行われるスポーツとなりましたが、それは同時に全世界の人々の利害や思惑が錯綜することにもつながるわけですね。

たとえば、第1章「スターウォーズ」は電波ジャックの話。イングランド・プレミアリーグの試合は国内でTVの生中継が放送されることはなく、その一方で国外、たとえばノルウェーなどではこれを生で観ることができるそうです。プレミアリーグとしては、観客が減るのを恐れて国内の生中継は禁止し、逆に諸外国にたいしてはそれを認め、放映権料を得ようという思惑があるのですね。そして外国で試合が生放送されていることに目をつけたイングランドのパブのオーナーたちが、ノルウェーを経由して届く衛星放送を電波ジャック。これをパブで放映して、客を呼びこむのですが、もちろんプレミアリーグや衛星放送会社も黙って見過ごすわけにはいかない…。宇宙空間に浮かぶ放送衛星を軸に展開する、ドタバタ劇が紹介されています。

また、第11章「アジスアベバ、ローマ経由、ラバト行き」は、この章のサブタイトルにもあるように、国の代表になって祖国を逃れる選手たちの話。1994年に開幕したフランスワールドカップ予選に参加したエチオピア代表チームは、初戦をモロッコとアウェイで戦うことになりました。そして、飛行機でアジスアベバを発ち、中継地のローマに降り立ち、当地のホテルで一泊したのですが、朝になってみると何人かの選手がいなくなっていた…。このように内戦や貧困にあえぐエチオピアを逃れようとする選手たちの話題を中心に、「パスポートのためのスポーツ」、すなわち政治亡命の手段にされたサッカーなどのスポーツの話題が紹介されています。

ほかにも、ヘディングとアルツハイマーの関係、ヨーロッパサッカーシーンを劇的に買えた1995年のボスマン判決、1998年フランスワールドカップのチケット問題など、テーマは多岐にわたっています。
 
サッカーの醍醐味は、表舞台の華やかな部分であることは間違いありませんが、こうした裏事情を知ると、サッカーという世界の奥行きがぐっと広がると思います。あるいは、サッカーを通じて世界を知るということにもつながりますね。また裏表紙には「きみたちの態度は気に入らない」(イングランド・サッカー協会スポークスマン)と、本書に対するコメント(賛辞?)が載せられていますが、こういう権威ある団体から非難されるような本は、社会の核心部分をえぐっている可能性大。読み応え充分でオススメです。

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サッカーてんやわんや―欧州サッカー新事情
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