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そんなムリスを世界は放っておいてはくれない。警察は24時間警護という刑務所同然の暮らしを彼女に強いる。“Je suis Charlie”のスローガンに代表される、シャルリ・エブド襲撃犯が抱えていた憎しみとは真逆の、世間の強い感情の波をまともに被る。生き残りというそれだけの理由で、拍手の嵐の真ん中に立たされる。マスコミは彼女を追い回し、「虐殺」現場は観光名所になってしまった。もはや元の暮らしは望めない。男だって言い寄ってこない(SPに取り押さえられるのがオチ)。そして、11月19日の同時多発テロが彼女にダメを押す。
年を重ねるにつれ、惰性としがらみとなあなあの中で身動き取れなくなっている自分に気付かされる。少々のことと目をつぶって腰が上がらない情けなさを噛みしめる身だからこそ、自分に真摯に向き合い自分を大事にすることを最優先にして新たな人生を歩み出したマルグリットに、敬意を表したい。ジミー・クリフの歌ではありませんが、this little girl is moving on! なのだ。
エコロジーは、動物に関わることにとどまらない。『バーバパパのいえさがし』では、バーバパパ一家が古い家を改築して住み始めた矢先に、集合住宅建設のため立ち退きを迫られる。しかし、団地暮らしに馴染めない彼らは退去し、工場の立ち並ぶ川沿いを川上に向かって歩き続け、とある野原に自分たちの家を建てる。そこに再び解体用のクレーン車がやって来る。バーバパパ一家は溶かしたプラスチックを使ってこれを追い払い、勝利のダンスを踊り出す。1970年代に揺曳していたヒッピー思想が見え隠れする内容だ。また、暴力には暴力で対抗するあたりは、いかにも68年以降のフランスらしい。ちなみに、バーバリブ(Barbotine)の部屋には、アフロヘアで腕を突き上げている彼女のイラストが飾られている。メキシコ五輪陸上男子200mの表彰台で黒い手袋を填めた手を挙げて黒人差別に抗議した、二人のアメリカ人選手を思い出さずにはいられない。いわゆる Black Power Salute の史上最も有名なパフォーマンスだ。
資本主義社会とは、大量のゴミを出す仕組みになっている社会である。バーバパパは、そのようなゴミ=資本主義へのアンチテーゼであり、資源の再利用・再分配を要求する。考えてみれば、ネーミングの由来である綿菓子 barbe à papa (「パパのあごひげ」)は、跡にゴミを残さず口のなかに溶けていく――虫歯は残すかもしれないけれど。エネルギー問題が深刻になる時代に、エコロジー絵本として、「バーバパパ」を読み返してみるのも面白いかもしれない。
日本在住のフランス人カメラマン David Michaud 氏のブログが面白い。フランス語が読めなくても、写真を見ているだけで、フランス人が日本の何に注目し、どんな側面に興味を持っているのか、よくわかる。日本は観光国としても売り出したいようだが、日本人の見せたいものと、外国人が見たいものにはつねにズレがある。そういうズレをこのブログはうまく見せてくれている。今年フランスで彼の写真集も発売されたようだ。
2006年には「JAPON―Japan×France manga collection」というマンガ本も出ている。内と外の両側から見た日本を舞台にした16篇の物語で構成され、フランスの漫画家たちは実際に日本に滞在した体験をもとに現代の日本の姿を描き、一方で日本在住の作家たちはイメージ豊かに自分の国の姿をつむぎだしている。
『神の雫』はフランス語にも翻訳されている。写真はフランス版の表紙であるが、フランス語で Les gouttes de dieu という。どのように評価されているか気になるところであるが、由緒あるテレビ雑誌「テレラマ」(2008年7月22日)がこのマンガを紹介している。実はこのマンガ、ワインの本場の専門家の眉をひそめさせるどころか、ワインを語る硬直した言語を根本的に変えてしまうほどの影響力があるようだ。記事に登場する『神の雫』の序文を書いたというパリのワイン大学の教授は非常に時代の変化に敏感な人のようだ。これぞグローバリゼーションという事例であり、絵によって言語の壁を低くするマンガはその媒体として適役であることの証明でもある。また専門家によって権威付けられ、囲い込まれていた領域が一般の人々に解放されるという側面も興味深い。専門家の言葉よりも、より多くの共感を呼び、より多くの人を説得できる言葉の方が価値があるってことだ。
イギリスから半世紀遅れた1830年代にようやくフランスでも産業革命が進展する。それと平行して新聞や雑誌といったジャーナリズムも整備されつつあった。時の新聞王、エミール・ド・ジラルダンは新聞の発行部数を伸ばすために新聞小説を連載することを考案。ジラルダンは新聞の購読料を下げるために、その埋め合わせとして紙面の広告を増やしたが、広告を出してくれるスポンサーを獲得するために、何よりも発行部数を増やさなければならなかった。新聞小説は、多くの読者をあてにする多くのスポンサーを引き寄せる切り札のコンテンツだったのである。広告とメディアとコンテンツの結びつきはここに端を発し、今の Google の戦略へと進化している。
Voici venir les Barbapapas♪ Ils se transforment à volonté courts longs carrés♪
バーバーパパは barbe à papa というフランス語がもとになっているのだが、スライムみたいに自分の形を自在に変える謎の生き物。地中から生まれ、伴侶を見つけ、子供を儲け、家族を作る。バルビビュール(Barbibule)だの、バルビデュール(Barbidur)だの、バルビドゥ(Barbidou)だの、バルブーユ(Barbouille)だの、7人の子供たちの名前が紛らわしい。今列挙したのは原作のオリジナルな名前。日本語訳の名前とは異なっている。
■定年退職前の厳しくも優しいロペス先生のもとで、勉強したり遊んだりする13人の子供たちの姿を追った、心温まるドキュメンタリー映画。Etre et Avoir―タイトルにもなっているこの二つの動詞から見ても、フランス人にとってのフランス語の始まりも、日本人がフランス語を始めるときと全く同じなんだな、と分かります。フランス語をやっている人なら、まるで自分も小学生になったような気分になり、子供たちと一緒に「うぃぃ〜!」「ぼんじゅ〜る、むっしゅ〜」と言ってしまいそう。