2012年11月18日

湖畔のヴァカンス - ANNECY

大統領選に負けたサルコジ大統領がキャンペーンを開始したのはスイスに近い湖畔の町、アヌシーだった。パリに次いで地価が高いと言われる、ブルジョワな香り漂う魅力的な町だ。アヌシーの街は大きく2つに分かれ、ティウー運河 le Thiou 沿いの迷宮のような旧市街と、北に広がる整然とした新市街が対照を成している。観光名所として、アヌシーの写真で必ず登場するシンボル的なスポットがある。運河に浮かんだパレ・ド・リル Palais de l'Ile だ。12世紀にアヌシーの領主の邸宅として築かれ、その後、役所や牢獄や裁判所として使われた。今は歴史博物館になっている(写真@は定番のアングルではなく、運河の反対側のレストランの2階の窓からの眺め、写真Aは運河の向こうに見える遊覧船)。

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ブルジョワな香りはアヌシー湖の奥に向かうとさらに強くなる。1週間ばかり滞在したタロワールはアヌシーから車で30分の別荘地で、美しい膝を持つ少女と膝フェチ外交官が出会う物語、エリック・ロメールの『クレールの膝』のロケに使われた場所でもある。小さな中心街は相変わらず中世の雰囲気を残しつつ、夏の花にあふれていたが、手入れの行き届いた街の清潔さは税収の潤いそのものだ。写真はタロワールの街のレストランで食べたボリュームたっぷりの子牛料理。特産のルブロション reblochon というチーズのスティック状のフライがのっている(写真B)。

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アヌシー湖はスイスにまたがるレマン湖を除けば、フランスではブルジェ湖に次いで大きな湖。1960年代に始まる環境規制により保全され、かつ世界屈指の透明度を誇るアヌシー湖の周辺は、様々な水上スポーツのメッカであり、一方山の方に目を向けると無数のパラグライダー parapont が飛び交っている。ときどき墜落事故も起こり、木にひっかかったパラグライダーが目撃される。その際は消防車が出動する。タロワールの山中にはトレッキングコースもあり、半日くらいのハイキングに最適だ(写真Cは山道からの湖の眺め)。

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タロワールでお世話になったマダムはもう70歳を越えているのに、いまだに健脚を誇る。はるか高台に見える別荘までほとんど駆け上がるように帰る。ときには自転車で山あり谷ありの道路を自動車と一緒に走る。10年前はちょっと泳いでくると言ってアヌシー湖の対岸まで泳いで往復していた。「最近は船の往来が多くなって危ないからやらないけどね」。へたれな私の家族はムッシュが車で帰るのに合わせて便乗する。それに間に合わなければシャトルバスを待つ。最近タロワールを巡回する無料のシャトルバスが走り始め、買い物や泳ぎに降りていくのにとても便利だった。これも豊かな税収のなせる業だろう。

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アヌシーに話を戻そう。アヌシーは2018年の冬季五輪の候補地になっていたが、結局、ドイツのミュンヘンとともに韓国の平昌に負けてしまった。サルコジ氏の大統領選とともに落選にからむ話ばかりでさびしい限りだ。他には毎年6月に『アヌシー国際アニメーション映画祭』が行われることでも知られている。1960年にカンヌ映画祭からアニメーション部門が独立した、由緒正しい映画祭である。もちろん毎年、多くの日本の作品が出品されており、1993年には、宮崎駿監督『紅の豚』長編部門グランプリ、1995年には、高畑勲監督『平成狸合戦ぽんぽこ』長編部門グランプリ、2007年には、細田守監督『時をかける少女』長編部門特別賞をそれぞれ受賞している。

http://www.lac-annecy.com/



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2011年02月14日

黒カナリアのぶらり一人旅 ベトナム編

なんか最近一人旅が板につきすぎて二度とラブラブ二人旅とかできないんじゃないのという若干悲しい予感を抱きつつ、いまだ寒さ厳しい日本を後にして向かった先はベトナムーホーチミンシティ。しかし誰ひとりその名前で呼ぶ人もなく、スーツケースにつけられたタグでさえも昔のままのSGN(サイゴン)なのだった。なんだろう。これも長年の内戦の賜物かも。あくまでもここはアメリカの傀儡政権のあった南部戦線側の首都だったわけだし。そう思うと人々が新しい名を拒否している気さえしてくる。

サイゴン風物詩

やる気のなさそうな入国審査を通りぬけ、いきなり出たとこでchange moneyと叫ぶ声。すでに国内でドルに換金してきたのでタクシー代や食事代に備えて1万円だけ換えてみる。現在100円=21122ドンということで一気に財布が分厚くなる。しかしなんでこうもゼロが多いかね。だって2112200ドンですよ。ミリオンですよ。なんか逆上しそうなゼロの多さである。わたしゃ鳩山首相か!!

今回はホテルとエア&空港までの送迎付きというご気楽旅。ホテルも王道のサイゴンの銀座?ドンコイ通りに面した五つ星。

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ベトナムでプチパリを探してきてねー(確かにかつてのフランス領だけどさ)ーなどとcyberbloomさんに言われたものの、そうねえ。排ガスを浴びながら嬉しげにコーヒーなぞ飲んでいる暇人(わたしを含む)があふれたカフェ(写真@)などはまさにプチパリって感じかしら。パリのカフェだって値段の高いテラス席は一昔前までは乾燥した犬のフンを被ってるようなものと言われたくらいだし。でもさすがにテラス席で飲んでいるのは観光客ばかり。お金持ちのベトナム人たちは空調の効いた室内でお茶してました。

その排ガスというのが現在のベトナムを語る上でどうしても外せない側面のように思われる。ほとんどが道路に、否、時折歩道にまで進出する切れ目のないバイクの群れから吐き出された排気ガスなのだ。誰しも中国の自転車部隊を見たことおありでしょう。あれをすべてバイクに置き換えてください。しかも誰ひとり交通ルールを守らないーと。信号もほとんどないとーはい、現在のベトナムの出来上がり(写真A)。

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この無法地帯の道を横断するのに慣れるのにしばらくかかったが、おそらく大抵の関西人は大丈夫かも。要は渡れるか渡れないか自分で判断しなさいよーと「わたし渡ってんねんから」と目と全身で威嚇しなさいよーってことらしい。

最初にバイクにまたがったベトナム女性を見たときは「あんたら集団銀行強盗か!!」と度肝を抜かれた。

サングラスにヘルメット、鼻と口をすっぽり覆う布のマスク。そこはベトナムのお洒落ギャルたちはそのマスクもかわいらしくアップリケ付きとか花柄とか乙女心も忘れない。しかしなんでまたそこまでの重装備??

聞いてみると排ガスときつい日差しで顔が黒くなるのを避けているとのこと。色白がベトナム美人の条件らしく日焼けはご法度らしい。

確かに湿度は思ったより低く木陰に入ると意外に涼しい乾季のサイゴンではありますが日差しはうっかり日焼け止めなし、ノースリなどで歩いたものならたちまち真っ黒になりそうな強さではある。とはいえ相変わらず白人たちはまさにそんな格好で出歩いてたけど…

このベトナムの女の子たちがマスクとサングラスを外した姿はまあかなりのハイレベル!!小柄かつメリハリボディに情熱的な顔立ち。茶髪の横行する日本と違い、サラサラの長い黒髪。お好きな方にはたまらない感じです。なんか私も今回悲しいかなほとんどイケメンに出会う機会に恵まれずー途中から「オヤジ目線」を導入してみたところ(なんで?)大変幸せ地帯でした。行きあう子行きあう子がみんな可愛い!!

日本にいてもややデカめなわたしなんぞは大抵のベトナム人男性を優に上回り、女の子に至ってはかなり首を曲げて見下ろす感じでなんか女ガリバーになった気すらしてきた。平均身長は150センチないのではないか?

しかしこの小柄な体で彼らには巨人に見えたはずのアメリカ兵と、大量化学兵器を敵に回してベトナム戦争を戦い抜いた強靭さは恐るべし。小柄なのを逆手にとって長い長いトンネルを掘って身を潜め、ゲリラ攻撃を仕掛けーとまあ何ともタフでクレバーな戦術である。アメリカ人にあのトンネルに入れと言ったとこで窮屈さと圧迫感に10分ともたないでしょう。第一お腹がつかえて入れない人続出かも。


グルメ天国

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他にプチパリらしいところといえば、観光客は必ず写真を撮る聖マリア大聖堂(写真@)。おフランスからレンガを運ばせて建てたそうですが、まあ、普通に教会ですね。でも郵便局(写真A)の方が可愛くて好き。だってピンクですよ、郵便局が。このように街に並ぶ建物がカラフルで楽しい。南国の日差しにはよくマッチしている。ただ街全体が現在工事中みたいな感じであちこちほっくり返しているのが現状。まさに発展真っただ中の街なのだ。

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ついでプチパリらしいところ、これはやはり食でしょうねえ。まったく何を食べても美味しいこと!

もっと若くて無茶ならば道端のオバちゃんのやっている屋台フードにトライしたかったのだがなにせ寝付いたとて誰も面倒見てくれる人のない一人旅。食あたりで医者を呼んでもらうのもいい大人としてはかなりみっともない。そこはぐっとこらえて一応屋根&空調付きのお店限定で食べ歩き。

これがおいしーい!!のだ。

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もともとベトナム料理は好きだが、本当になんでも美味しい。ことにわたしのお気に入りはソフトシェルクラブのフライ(写真B)。殻ごとパリパリ食べられる。ガーリックとネギなどが絡み合ったソースがまたうまい!!

揚げものでも中華ほどしつこくなく胃にもたれない。ビールに氷を入れてくるのにはちょっと閉口するが、自分で薬味や野菜を調節できるフォーも日本人の口にはよく合います。

ご飯がそんなに恋しい人ではない私などは三度も米飯が続くと胃もたれしてくる。しかしここベトナムではがっつり米の飯を食べる人が多くてどーんとボウルに山盛り御飯にぶすりとしゃもじ代わりのスプーンを突き立てて持ってくる。

もしもしー、仏さんじゃないですよー。

三日も過ぎるとこれに飽きてパスタを食べたくなった。そこで出かけたカフェがポイント高かった。

ベトナムのサイトでも、カフェならここと人気だったHideaway café。確かに隠れ家的でちょっと奥まったところにあり、タクシーのおっちゃんはわからなかったのか(英語が読めない人が多い)適当に近くで下ろされてしまい、ちょっと歩く羽目になったのだが、それでも満足なくらいお素敵でした。

ボーイは小柄だけどジャニーズ系のイケメン揃いで英語も上手。こちらの気配を読んですっと必要時に現れるさり気なさはとっても優秀。

なんか空調が変にそこだけ暑かったけどトイレも清潔だ。

ここで食べたベジタリアン向けのパスタが思わず目を見開くくらい美味しかった。

シイタケに似たくせのないキノコがメインの具材なのだが味付けがイタリアンとアジアの見事な融合。普通イタリアンに生姜は使わないが、その生姜ともう一つ酸味の効いたハーブが使われていてそれが物凄くオリーブオイルとニョクマム(漁醤)とマッチしている。パスタのゆで具合も絶妙で思わず「お宅のシェフはイタリア人?それともイタリアで学んだベトナム人?」と聞きたくなるくらいの美味しさ。

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小さなテラス席で優雅に読書にいそしむ白人のマダムと、店内にはお金持ちらしきベトナム人の若者たちがまったりと流れていく時間を楽しんでおりました(写真C)。

いやあ素晴らしかった。オススメです。


一体どっちが正しいのよー裸? 水着

買い物にグルメに観光にとあっという間のベトナム滞在だったのだが、最後は絶対スパに行くんだもんねーと決めていた。大体日本に帰る便は夜中発。ホテルは延長しなきゃ12時には追い出される。それなら一泊分の半額払って延長するのと、出てしまってからスパで最長五時間プランでも大して額は変わらない。荷物も貴重品もホテルで預かってくれることだし。じゃあスパの方がいいじゃない。

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というわけでスパを予約していたのだが、戦争証跡博物館の昼休みを計算に入れるのを忘れて、ランチを食べた店で電話を借りて予約変更をするなどちょっとしたごたごたはあったものの、無事間に合った。

ところで戦争証跡博物館はみなさん行きましょう。直視できないような写真もたくさんあるがあれは行くべきだと思う。日本人ジャーナリストたちも取材中命を落としているだけに日本コーナーもありますし(写真@)。

で、スパなのだがのっけから謎なことが。裸or水着?

わたしも水着はいるのかどうか悩んだ。通常海外の場合、ジャグジーも、スペインのハマムも男女混浴なので、要水着。が、ここは女性限定だし、案内係のお姉ちゃんはにっこりしながら下着も脱いでねーというのだ。あら、そうーとバスローブだけ羽織ったものの、確かにジャグジーには当然のように素裸で入るベトナム人女性が一人。あ、じゃあ裸でいいのかーとわたしもスチームバスにサウナを経て一人ジャグジーを楽しんでいたのだが、白人女性が現れてなんだか困った様子でうろうろしている。バスローブを脱いだ下は赤いビキニ。そのままジャグジーに入ってこられた。

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うううーん。どうなんでしょうねえ。日本でこれをやられたらかなり嫌な感じかも。温泉の中に手ぬぐいはつけないよね。サウナで水着なんて着てたら追い出されるよね。しかしここはベトナム。一体どっちのルールが適応されるんだ。わからん。でも先ほどのベトナム女性は裸だったし。ええい、わたしの方が正しいということで堂々と裸で入っておくことにした。

ジャグジーの後は肩こりがひどくて普通のオイルマッサージでは効きそうにないので、ベトナムなのにタイマッサージの名手Qさんの手で揉みほぐされ、夢のような五時間は過ぎ、かくして帰路に就いたのだった。いや、楽しかった(写真A)。

まあ店やタクシーでぼられるという話はよく聞きますが、別段イヤな目には遭わなかった。みんな道を聞くときちんと教えてくれ、中にはわざわざ外まで出てきて見送ってくれる親切な人も。基本的に女性の方がちゃんとしてる感はあったけど。道端で寝てるおじさんを多数目撃。まあ暑いからね。

唯一「まあなにこのアジアの小娘。なんでこんなところに泊ってるの」とホテルのエレベーターで白人のバアさんにじろじろ見られたのにむかついたくらい。まあこちらも、「若く見えてもこちとらマダムなんだよ。口ひげ生やしてたるたるの体でノースリとか着てんじゃないよ、はた迷惑やっつーの」と負けないくらい見返しておいたからいいんだけど。

そのばあさまとは逆に、日本の女の子たちが超ミニのワンピや短パンにハイヒール姿で五つ星で記念撮影にいそしんでいたが、こちらは夜の商売の人にしか見えないのが残念でした。変に生白い日本人が妙な肌の見せ方をすると自分で思っている以上になんかイヤラしいんだよね。なんだろうー全身に漂う日本人特有の湿り気のせいか??

ほぼ日本人に遭遇しない普段の旅と違って、今回は初海外や二回目あたりの初々しい学生さんたちにもよく遭遇した。みなさん礼儀正しく好感のもてる若者でした。きっとベトナムって距離的に行きやすいし、時差も二時間と初海外にはもってこいなのかも。なかなか外に出たがらない現代っ子の中では、たとえ送迎付きにガイド付きのオプショナルツアーに参加しても外に出てみようという意やよし。できればそんなツアーに参加せずにたとえば男三人とかなら少しくらい無茶してほしいところですが・・・ま、そんなの余計なお世話よね。


黒カナリア

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2010年04月09日

マヨルカ島とショパンとデヴィッド・アレン

Chopin: 24 Preludes Op.28世界中で愛される作曲家&ピアニスト、フレデリック・ショパン Frédéric Chopin が生まれてから今年で200年。ピアノの魅力を余すところなく追求した美しい旋律は、私たちの日常生活に溶け込んでさえいる。今年は生誕200年を記念したCDが発売され、地中海に浮かぶショパンゆかりのマヨルカ島 Mallorca(ス) Majorque(仏)にはファンがひっきりなしに訪れているという。

ショパンは1810年にポーランドで生まれ、ショパンは Chopin と綴る(フランス語に特徴的な ch の音と鼻母音が含まれる)。祖国をあとにしてウィーンやパリを転々とするが、1849年に39歳の若さで亡くなるまでポーランドの地を再び踏むことはなかった。ショパンは当時のパリの社交界の人気者で、ジョルジュ・サンド George Sand との逃避行など、ドラマティックな恋愛に身を投じたことでも知られる。

サンドとの逃避先がスペインのマヨルカ島だった。島の北西部にあるバルデモーサ村の日当たりの良い斜面にショパンとサンドが暮らしたカルトゥハ修道院が立っている。二人が暮らした眺めの良い部屋は現在資料館になっている。私は10年ほど前にそこを訪れたのだが、9月の地中海のまだ強い陽光が部屋の前に生い茂った蔦の葉のあいだからキラキラと漏れていたのを思い出す。

マヨルカの冬男爵夫人でパリの社交界の花形だったサンドは、若く才能豊かな作曲家に惹かれる。ショパンもまたはっきりと自己主張する政治的な女性作家に興味を抱く。社交界はふたりのうわさで持ちきりとなり、醜聞から逃げるようにサンドの子供2人とともにマヨルカ島に向かったのだった。本来の目的は結核の療養だったが、折りしも季節は雨季でショパンの体調を悪化させることになる。しかし、ショパンはサンドの看護に支えられ、創作に励み、そのときに完成したのが「雨だれ」を含む前奏曲集である。サンドも後年マヨルカ島での体験をもとに「Un hiver à Majorque」(「マジョルカの冬」1842年)を著している。

Vladimir Horowitz plays "Raindrop"

今のマヨルカ島はどうかというと、空港に降り立ったときからスペイン語表記と同じくらいのドイツ語表記であふれていた。意外なことに、そこはドイツ人バカンス客の植民地と化していた。ドイツにはバカンスの海がないからだろう。日本人にとってのハワイのようなものなのかもしれない。マジョルカ島のマジョリティーは「不凍港」ならぬ「不凍海水浴場」を求めるドイツの南下政策の結果なのだった。

ところで私はショパン好きが高じて、はるばるマヨルカ島というマイナーな観光地まで足を運んだわけではない。パリの旅行会社(Nouvelle Frontiere だったかな)で安いチャーター便のチケットを買ったが、今にも墜落しそうなボロボロの飛行機だった。隣にあるハウスミュージックの聖地、イビサ島にも行きたかったんだけど、それは断念。

Good Morning私の永遠のヒッピーアイドルである、デヴィッド・アレン Daevid Allen というミュージシャンがいる。そのうち「英仏プログレ対決」シリーズでも書くつもりだが、アレンはまずソフト・マシーン Soft Machine というイギリスのバンドのメンバーとして活動していた。しかしビザが切れていてツアー先のフランスからイギリスに再入国できず、フランスで新たにゴング Gong というプログレ&サイケなプロジェクトを立ち上げた。1968年、フランスで五月革命が勃発した際にアレンは学生側に加担するパフォーマンスを行い、このことで警察に追われる身となった。警官にテディベアを配り、ピジンのフランス語で詩を朗読しただけなのだが、影響力のある危険人物とみなされたようだ。そのときの潜伏先がスペインのマヨルカ島のデヤ Deià(ス) Deya(英)という村だった。ショパンと同じようにパリに居られなくなって逃れてきたわけである。

アレンが1976年に出したソロアルバム「Good Morning」のジャケットの裏側に、山道を歩いているアレンの写真がある。そこには「マヨルカ島のデヤにて」と書かれていて、その牧歌的な風景とアレンのヒッピーな姿に私は一瞬にして魅了された。そしていつか必ずそこに行ってみようと心に決めたのだった。高校生のころである。それは20年後に実現した。人生なんてそういう適当な思い込みで方向が決まるものだ。

アルバムの曲が youtube で見つかったので紹介しておく。ユング的なタイトルだが、ミニマルなマリンバが心地よいスピリチュアルな曲である。

Daevid Allen - Wise man in your heart(from Good Morning)

同じように、ピンク・フロイド Pink Floyd にサントロペ San Tropez (仏 Saint Tropez)という曲(Meddle 収録)があって、そのお気楽な詩に何となく惹かれて、いつかサントロペに行こうと思っていた。それはマヨルカ島の数年後、21世紀に入って実現した。サントロペは地中海に面したフランスの超高級リゾート地で、フランスの芸能人も集ってくるような場所だ。そこはヨーロッパの階級社会の彼岸のような場所だった。港に巨大なクルーザーが軒を連ねていて、デッキでは金持ちの一家が、「下々の皆さん」(笑)って感じで観光客を見下ろしながらシャンパンを飲んでいた。ピンク・フロイドの曲をバックに流した下のスライドはサントロペの観光案内になっていて、街の魅力が十分に伝わってくる。

Pink Floyd - San Tropez





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2008年12月23日

ノエル Noël

12月である。
12月といえばノエル、すなわちクリスマスである。

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フランスのクリスマスというと、日本のお盆やお正月のようなもので家族で過ごすもの。
しかしクリスマスの前に、頭を悩ませるのがプレゼントである。
フランスでは、集まる家族それぞれにプレゼントを用意するものらしく、毎年のことだけにそれを選ぶのが大変だというわけだ。

というわけで街は買い物をする人々で賑わい、どこか慌ただしい。
日曜日はお店は基本的にお休みのフランスでも、この時期だけはお店を開ける。

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とはいえ、そういった落ち着かない街の雰囲気も夜になると一転する。
12月になると、街のいたる所でクリスマスのためのイルミネーションが灯るが、人気のなくなった夜の通りを飾る明かりは実に落ち着き払っている。

12月のフランスのイルミネーション、当たり前といえば当たり前だし意外といえば意外だが、毎年飾り付けは異なる。
前年、見応えのあった照明が施されていた場所を再び訪れてみても、何の飾り付けもなく真っ暗闇ということもある。
精神的にも物理的にも寒々しいことである。

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とはいえ、この時期、夜の街を散歩していて思いかもかけぬ場所に簡素ながらもなかなか魅力的な照明に行き当たることもある。
写真は周囲には観光名所も何もない14区の住宅街。
同じ場所に、今年はどのような照明が施されているのだろうか。




キャベツ頭の男

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2008年12月12日

アルザスのクリスマス市 Marché de Noël

colmar001.jpg何年か前にクリスマスにストラスブールとコルマールを回ったが、アルザス地方はクリスマスの発祥の地とも言われる。もみの木の飾り付けを最初に始めたとか。この地方は歴史的にドイツとも結びつきが強いが、19世紀のドイツには青や緑の服を着たサンタクロースがいた。今のサンタの衣装が赤いのは、コカコーラのトレードカラーの赤い服を着たサンタが1930年代にコカコーラのポスターに登場したのが始まり。何か歴史的に意味のある色かと思えば、実はあからさまなコマーシャリズムの産物だったのだと以前、bird dog さんが(「コカコーラレッスン」で書いてくれた。

ストラスブール Strasbourg ではひたすらシュークルート choucroute (写真中)を食べるしかない。ベーコンの塊に、ジャガイモ、酢漬けのキャベツ…。アルザスの白ワインも美味しいが、どう見てもビールに合わないわけはない。しかし、季節柄ビールをガンガン飲むには寒すぎる。

食事のあとはクリスマス市へ。屋台が何軒も軒を連ね、クリスマスに色を添える品々が所狭しと並んでいる。オレンジを浮かべたホットワイン、GROG(もとはラム酒がベース)を飲みながらブラブラ見て回る。木組みの家が建ち並ぶ町自体が箱庭のようにかわいらしい。確かにクリスマスの町って感じがする。この木組みの家は16世紀から17世紀のアルザス地方の典型的な建築。

choucroute01.jpg夜中の12時を目指してストラスブールの大聖堂へ。クリスマスのミサの見学。このゴシック建築の大聖堂の尖塔は142メートルもある。からくり時計が動く天文時計も有名。雪もうっすらと積もり、雰囲気満点だったが、夜中の大聖堂の寒さときたら尋常ではなかった。

ストラスブールから電車で数十分でコルマール Colmar (写真上)に着く。旧市街の中心には「プチット・ヴニーズ」(Petite Venise 小さなベニス)と呼ばれる地区がある。かつて農産物の運搬に利用された狭い運河沿いや、粉雪の舞う中世の石畳の通りは、暖かい光に包まれて、まるで御伽噺の世界。コルマールでは Hôtel Les Têtes という割と由緒あるホテルに泊まってみた。

ところでストラスブールから国境を越えドイツに入ると、バーデンバーデン Baden Baden (温泉×2)という温泉保養地がある。コルマールからバスに乗って行けた。ちょっと敷居の高いブルジョワな街。夏競馬(バーデンバーデン大賞)でも有名だ。

バーデンバーデンのfriedrichsbad01.jpg町のはずれに石造りの風格漂う温泉施設がある。水温の違う温泉やサウナの部屋を順々に巡るシステム。途中には大理石のプールみたいなのもある。最後は大きな毛布に包んでもらってベッドで仮眠。至福のひと時。とにかく寒かったので温泉の温もりが身にしみた。屋外プールのような露天風呂もあった。古城の上に月が昇るゴシックな風景を眺めながらの温泉もまた格別。中心街の老舗カフェ(「クーニッヒ=王様」という名前だったような)で食べた「シュヴァルツ・ヴァルト」(黒い森)は絶品で、あれを超えるものはまだない。

ちょうど国境を越えたあたりで、その年ヨーロッパを襲った大暴風雨に遭遇。風速100メートルとか言ってたかもしれない。直径数メートルある巨木がなぎ倒されていた。そのときは何が起こったのか全くわからず、途中の駅で数時間足止めを食らった。帰りのストラスブール駅は戦後の引き上げのシーンを思わせるような混乱の極み。お土産に買っておいた「黒い森」で飢えをしのぎ、何とかパリにたどり着いた。

【動画】Visite du marché de Noël de Colmar
週刊情報でも紹介した去年のコルマールのクリスマス市の様子   

【画像】コルマールのクリスマス市
http://www.noel-colmar.com/
http://www.alsace-nature.net/marche-noel-photos.php

【画像】ストラスブール、ノエルの都 
http://rpeyre.free.fr/capitaledenoel/

□バーデンバーデンのサイト
http://www.baden-baden.de/en/index.html



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2008年09月12日

パリに蝉は不在である

8月も終わりである。
つい1週間ほど前には、まだ大きく聞こえていた蝉の声も、すっかり弱々しいものになり、あと数日のうちに消えていくことだろう。
はかないものである。

Wikipediaで「蝉」の項をみてみると、いくつか「トリビアの泉」的なトリビアルな情報が記されていたので、ここに紹介したい。

summer01.jpgまず、地上に現れてからの生存期間について。
子供の頃、「蝉は成虫してから1週間しか生きられないのだ」と周囲の大人たちから言われ、子供心に「もののあはれ」を感じたものだが、ウィキによると、成虫となった後の生育期間は、野外でおよそ1ヶ月ということらしい。
意外と長い。

また、イソップ童話の「アリとキリギリス」の物語は、ギリシアで編纂された原話では「アリとセミ」の物語であったとのことである。
緯度の高いヨーロッパでは、地中海沿岸を除き、セミは生息しておらず、物語が伝播する過程において、北方でも生息する「キリギリス」に置き換えられたそうだ。
確かにテレビも写真もない時代、知らない昆虫が物語に登場しても、今ひとつピンとこないだろう。

さらにウィキには、次のようなことも書かれていた。
書き直すのが面倒なので、以下カッコ内は直接引用である。

「明治維新の時、日本にやってきたヨーロッパ人はイタリアや南仏などの地中海沿岸地域出身者を除くとセミを知らないものが多く、「なぜ木が鳴くのか」と尋ねたものもいたという。現在でも、日本のドラマを欧米に出すとき、夏の場面ではセミの声を消して送るという。日本ではいかにも暑い盛りのBGMと感じられるが、あちらでは妙なノイズが乗っていると思われる場合が多いという。」

「なぜ木が鳴くのか?」

なかなか微笑ましい台詞である。

そういえば、かつて留学していた頃、夏のパリで何か物足りないと感じていたら、セミが全く鳴いていないことに気が付いた。
空気も乾き、ヴァカンスで人口が著しく減少した8月の街は快適である。
しかし、幼少の頃より聞いていたセミの声が全く聞こえてこないことに、物足りなさを感じたのも事実である。

ちなみにフランスでは、「アリとキリギリス」の物語は、原話の通り「アリとセミ」の物語として伝えられている。
ラ・フォンテーヌの寓話集に収められており、この物語を知らないフランス人は皆無と言ってよいくらいに有名な話らしい。

地中海に接するフランスでは、「セミ」という昆虫の認知が古くよりあったようだ。

古代ギリシア・ローマでは、「セミ」は「無頓着さ」や「のんきさ」の象徴であったらしく、イソップ童話での「セミ・キリギリス」のお気楽な様子は、この昆虫の持つ文化的イメージに即している。

所変われば品変わる。

文化的な差異に関するエピソードは、いつも興味深い。



キャベツ頭の男(2007年8月29日-main blog)

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2008年05月29日

モン・サン=ミシェルとランス潮汐発電所

ひょんなことから、全く別々に手に入れた知識が結びつくことがある。これは高校時代、地理の知識を得たことによって2つの知識がひとつになった例である。

MontSaintMichel01.jpg世界遺産でもあるモン・サン=ミシェル(Mont Saint-Michel)は、ブルターニュとの境に程近いノルマンディー地方にある。海の上に浮かぶ修道院として私たちに記憶され、海上要塞のようなその姿は見るものを驚愕させる。しかし、時には大陸と陸続きになった姿も見せる。…とこれはテレビか何かからの知識で、「すごいなー行ってみたいなー」程度のものだ。そしてまったく別に地理で習ったのが、ブルターニュ地方のランス川河口にあるランス潮汐発電所(L'usine marémotrice de la Rance)。

ここであれっ?と思った。絶海の孤島になったり、大陸と地続きになったりと、様々な表情を見せるモン・サン=ミシェル。そして、その近くで行われている潮汐発電。この2つに共通するのは何なのか。それは………「干満の差が激しい」ということである。ここで2つの知識が見事に頭の中で結びついた!

モン・サン=ミシェルのあるサン・マロ湾はヨーロッパでも潮の干満の差が最も激しい所として知られる。かつては満ち潮の時には海に浮かび、引き潮の時には自然に現れる陸橋で陸と繋がっており、文字通り「海上のピラミッド」の様相を呈しているが、1877年に対岸との間に地続きの道路が作られ、潮の干満に関係なく島へと渡れるようになった。しかし現在も、島の入口には潮の干満時刻を示した表示があり、満潮時には浜に降りないようにと記されている。最も大きい潮が押し寄せるのは、満月と新月の28-36時間後といわれており、引き潮により沖合18kmまで引いた潮が、猛烈な速度で押し寄せる。中世、巡礼者は、広大な干潟を歩いてモン・サン=ミシェルを目指したが、潮の干潮のタイミングを読み誤れば、あっという間に干潟は波に飲み込まれてしまった。そのため人々は、巡礼の前に遺書まで書いていたという。

Rance01.jpgランス潮汐発電所は、世界初の潮汐発電所として1996年シャルル・ド・ゴール政権時に完成した。この地域は潮の満ち引きの差が15メートル以上、平均でも8メートルあり、発電に適している。潮汐発電とは、地球の自転や月の好転に伴う潮汐力による海水の移動エネルギーを電力に変えるもので、発電時に二酸化炭素の排出がないという点で環境にやさしい発電方法である。
 
確かに、この2つの事柄が結びついてどうにかなるわけではないし、ただ結びつくべくして結びついている。しかし、自分の中で、別々の知識が1つになってすっきりと物事のつじつまが合うとき、私は無性に「知的興奮」を覚えるのである。知識を得たときに、常に他の分野との関わりにまで気を配り、自分の持っている知識と照らし合わせることで新しい発見がある。それがたまたま今回はフランス北西部のブルターニュで起ったのである。

何か自分にプラスになるというのでもない。ただの自己満足かもしれない。でも、いつかまたこのような経験をするために、私はこれからも学び続ける。




tac

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2007年12月27日

モントリオールのベーグル

「北米のパリ」と呼ばれる、カナダのフランス語圏ケベック州の都市、モントリオール。ここでの代表的な食べ物のひとつに、ドーナツ状のパン「ベーグル」がある。フランスとは直接関わりがないけれど、ケベックで「パリ風のクロワッサン」と肩を並べているのが「モントリオールのベーグル」。市内には、年中無休、24時間営業の、家族でやっている店が多くある。中でも人気の店は、”St.-Viateur” と”Fairmount” 。どちらも1957年の創業。写真はSt.-Viateurにて今年8月下旬の午後11時すぎ。煌々と電気が灯り、作業はフル回転で、お客が途切れなかった。

St.Viateur2_edited.jpg

「ベーグル」は、もともとは中央ヨーロッパ、おそらくはポーランドが発祥の地といわれ、東欧系ユダヤの人々に受け継がれてきた。北米大陸には、1880年代に移民によって伝わり、大きく分けて2つに進化した。十分膨れて張りのある硬い表面で、ぷっくり可愛いニューヨーク・ベーグルと、不揃いな、ごつごつした素朴な外形だけど、もっちり感のあるモントリオール・ベーグル。

St.Viateur3.jpg

ニューヨーク・ベーグルのほうは、麦芽と塩を使った生地で、茹でた後、オーブンで焼く。モントリオール・ベーグルは、麦芽と卵の生地で、塩は使わない。成形し、蜂蜜を入れた湯の中で茹でてから、薪の窯で焼いている。ニューヨーク・ベーグルは、レーズン、ブルーベリー、クランベリー、玉ねぎ、カボチャなど混ぜ込む材料のヴァリエーションで種類は多く、味とともに色の違いが楽しい。日本のベーグルのほとんどは、ニューヨークタイプのようだ。モントリオール・ベーグルの9割がたを占めているのは、プレーンな中身に、炒っていない艶やかな白ゴマかケシの実を表面にびっしりとまぶしたもの。焼きたての、その香ばしさが、たまらない。焼き上がりのベーグルから剥がれたゴマとケシの実でいっぱいの台は、私には幸せな眺め。店頭売りは12個、1ダースが単位。

St.Viateur4_edited.jpg

モントリオール郊外に住む友人宅では、大量に買って冷凍保存している。半分だけ食べたい時のために、また子供たちがナイフを使わなくていいように、2枚におろしてから冷凍している。別の友人は、そのまま冷凍したものを、食べる時に電子レンジで1分間解凍後に2枚におろしている。2枚おろしは食パン用トースターで焼ける。ゴマとケシの実の香ばしさが戻る。クリームチーズを塗るのが定番だけど、ベリー類のジャム、ピーナツバター、チョコレートペースト、メープルシロップ、何でもOK。スーパーで売ってるクリームチーズにスモークサーモン、レッドピーマン、ブルーベリーなどを、それぞれ混ぜたカラフルなスプレッドはサンドイッチ用や甘いのが苦手な人に。真っ白の山羊のチーズかモッツァレラチーズと、トマトとバジルをオリーブオイル・バルサミコで和えたもののイタリアンのトッピングは、色も香りも食欲をそそる。(食べてる途中の写真で失礼!)

Gananoque2 087.jpg

ケベックシティに住んでいた時は、車で3時間のモントリオールからベーグルを仕入れている”Epicerie J.A.Moisan” が私のお気に入りだった。1871年J.A.Moisan によって北米最初の食料雑貨店が見いだされ、同じ場所で当時の面影を残しながらリニューアルされて続く店。アンティックの食器棚や引き出しにパッケージを並べたクラシックな店内に、飾らない外見のモントリオール・ベーグルが、しっくりきていた。


Sophie

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2007年11月28日

セーヌ河のアメリ

amelie001.jpg何かいいパリの写真がないかと、ネットを巡っていたときに、この写真に遭遇した。

これは、都築清さんという雑誌や広告で活躍なさっているフリーランスのカメラマンの作品だ。今や 「パリ Paris-カメラマン都築清の写真ブログ」もフランス系の有名ブログになっている。タイトルは、あの有名な映画と関係があるのかと思ったが、モデルさんの名前のようだ。

この写真はセーヌ河に架かる橋のひとつ、ポン・デ・ザール(Pont des arts 芸術橋)が背景になっている。セーヌ河の他の重厚な橋に比べ、この橋は鉄製で、床は板張りになっている、歩行者専用の橋だ。若者たちが座り込んで憩う場にもなっている。日本の CM のロケにもよく使われる。

モデルに焦点が合い、背景の橋がぼやけ、影のように写っているが、私が個人的にポン・デ・ザールに抱いている印象と、この構図がピッタリ一致した。瞬間的に現れ、通り過ぎていく、はかない虚像を、辛うじて支え、自分も消えそうになっている橋。この橋、鉄製とは言え、実は繊細で、もろい。過去に何度も水害で流され、ふたつの世界大戦では爆撃を受け、破壊されている。

ポン・デ・ザールは、その名前の由来であるルーブル美術館と、フランス学士院を結んでいる。両側にそびえ立っている石造りの歴史的建築物が時間の重力の中に沈みこんでいるのに比べると、そこはパリの中心に生まれた無重力地帯のようだ。重く垂れこめ、鈍く光る金属のように見える冬の空気も、そこだけ気化しているように軽い。

ポン・デ・ザールが映画「アメリ」にも登場することに気がついている人も多いだろう。ジュネ監督もこの橋を「軽やかさ」と結び付けている。アメリがブルトドーさんに幼少期の思い出が詰まった箱を返したあと、ポン・デ・ザールを軽ろやかな足取りで歩きながら、「世界と調和の取れた自分」を感じる。そして目の見えない老人の手を引き、道案内を申し出る。ポン・デ・ザールの浮遊感から、道案内のシーンのめくるめく速度への展開は感動的だ。

かつてシラク大統領が、ポン・デ・ザールのレプリカを京都の鴨川に架けてはどうかと提案したことがあった。当時の京都市長は喜んで提案を受け入れ、準備を始めたが、世論の激しいブーイングに合い、計画は頓挫。京都の景観論議にも一石を投じることになった。印象的だったのは、日本人よりも、京都在住の外国人やフランスから反対の声が強かったことだ。


cyberbloom

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2007年10月07日

カナダ・ケベック州の郷土料理はフランスの味

カナダのフランス語圏であるケベック州の家庭に伝わる料理の多くは、17世紀にフランスからの入植者によって持ち込まれた。シュゼット・クイヤール著の『忘れられたケベックの伝統料理』(ISBN:2-920368-00-1)には、それら数々のレシピが紹介されている。「忘れられた」という表現は一種のユーモアで、ケベック州のフランス系の家庭では静かに受け継がれている。ケベックの人々は、家族や知人の誕生日や記念日に集って、ワインとともに料理をじっくりと味わい、遅くまでお喋りに興じ、ケベックの古い民謡を合唱する。家庭に代々伝わる食器が出され、先祖に思いをはせる貴重なひと時である。この本は、伝統料理によって、「おじいさんへの敬意」を忘れず、「おばあさんの料理の匂い」を守ろうと、今の時代の人に語りかけている。

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フランス語のsouper(夜食)が英語のsupper(夜食)の語源であるように、かつてフランスでは、具沢山のスープとフスマ入りのパン(全粒粉のパン)が、仕事の後の遅い食事であった。この本には穀類、野菜、根菜、豆類に、塩蔵の鱈や焼いた肉の残りを入れたスープなどが紹介されている。そして、田舎風のパンには、イチジク、アンズなどのドライフルーツや木の実を入れたものなどがある。バター、クリームなど乳製品を使ったソースのかかった料理は、今のフランス料理でもよく見られる(写真1)。焼き菓子の項には、ガレット(クレープの原型)、タルト、ビスケットなどがある。乳製品、りんごなどの材料は、移民の人々の出身地、フランス北部のノルマンディー地方の特産物である。さらに、牛や豚の脳みそが、懐かしい祖国フランスのチーズの味に似て代用品にしていたゆえか、日本の鯛の兜煮、マグロの兜焼きにあたるような、tête fromagée(豚の頭肉のゼリー寄せ)、tête de veau(子牛の頭の焼き物)がある。他には新鮮な内臓を固めて作る黒いboudin(ソーセージ)など。開拓農民の暮らしを支えてきた食生活がわかる。

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伝統料理の中でも、今もケベックでよく食べられているのは、tartière(タルト)。牛肉、豚肉、チキン、サーモンなどの種類があり、それぞれ相性のいい野菜やソースと一緒にパイ生地の中に詰めて焼いたものである。家庭でも作られるが、春にリンゴの花が咲く酪農の盛んなオルレアン島のものは特に人気がある。フランスのブルターニュ地方のサン・マロは、16世紀に探検者ジャック・カルチエが北米への船を漕ぎ出した港だが、そこを旅した折、近くの惣菜店で食べた上面に編目の飾りのあるサーモンパイはこの原型であるかも知れない。魚料理は、そんなに多くは紹介されていない。それは、セントローレンス河に面したケベックの近くでは、川を遡る鱒や鮭が主で、鱈など大西洋の魚は冷蔵技術の導入前には塩蔵や干物、燻製などの加工品のみだったから。また、ケベックを代表する農作物ジャガイモは、厳冬の地で保存可能な命の綱の主食材で、各家庭では種芋を何よりも大事に保管した。しかし、アンデス原産のジャガイモがフランスで食べられるようになったのはルイ16世以降の時代。17世紀のケベック植民地時代にはなく、19世紀初めにアイルランドからの移民によって伝わったものである(写真2は農家の直営市場にて)。

quebecC071007.JPG

ちなみに、ケベックシティの旧市街にある、伝統のレシピで郷土料理を出すレストラン「Aux Anciens Canadiens」の建物は1675年に建てられた(写真3)。17世紀の衣装のウェイトレスが給仕してくれる。豆の煮込み、ミートパイ、茹でたジャガイモ、豚の脂身の塩漬けなどの盛り合わせの一皿は、圧巻(写真4)。

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Sophie
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2007年07月24日

セザンヌのエクス=アン=プロヴァンス

19世紀後半から20世紀初頭にかけフランスが芸術の首都であったことは疑いのない事実である。
レアリスム、アンプレッショニスム、フォービスム、キュビスム、シュールレアリスム。
フランスから発信された芸術運動を思いつくままに挙げてみても、この時期がフランスがのみならず世界の美術史においても特権的な時間であったことを確認するに充分だ。
今日、オルセー美術館やポンピドゥー・センターを訪れると、この輝かしい歴史を膨大なコレクションと共に追体験することができる。

もちろんこの美術史の足跡は、美術館の中だけに記されているわけではない。
パリ郊外オーベル・シュー・ワーズでは、ゴッホが自ら命を絶ったホテルの一室がほぼそのままの姿で保存され、またそこから遠くないジベルニーにはモネが日本庭園をイメージして作った庭が、今日においてもその姿をとどめている。

DSC00129.jpg

そして、このように美術史の周縁を確認できる場所はパリ近郊に限られるわけではない。
マルセイユの北に位置する街エクス=アン=プロヴァンスもセザンヌの絵画と共に確実に美術史にその名を残すことになる。

セザンヌが1901年に建て死ぬまで6年間用いたアトリエ(写真↑)はエクス=アン=プロヴァンスを見下ろす丘の上にある。
そしてこのアトリエで最後に完成させた作品は、セザンヌが80点以上の作品で描いたサント=ヴィクトワール山を対象としたものだった。

DSC00130.jpg

アトリエの付近からもこの山を見ることができるが、観光案内所で貰った地図を片手に山の方へ向かって歩いてみた。
日曜日でバスもなかったのだ。
夏の南仏の強い日差しの下をずっと歩く。
なかなか山は見えてこない。

それでも何人か観光客らしい人とすれ違った。
ドイツ人、オランダ人、アメリカ人。
皆、一様にこれ以上先に行っても何もないと言う。
だがそう言われても、もう1時間も炎天下の下歩いて来たのにここで引き返すのもくやしい。
さらにすすむと脇道があった。
そこを入って行くと、なだらかな斜面の向こうにようやくはっきりと山塊は見えた。
当たり前かもしれないが、それは101年前にセザンヌが描いたものと同じものだった。



キャベツ頭の男

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2007年06月15日

セーヌ岸の13区

6月6日の main blog の投稿でも13区のBNF(フランス国立図書館)近辺の写真を見ることができますが、わたしも週に何度かセーヌ川沿いにあるBNFに行きます。以前は、このあたりはなにもないなあ〜とおもっていたのですが、最近少しずつ印象が変わってきました。パリ第七大学もBNFのすぐそばに新しい校舎を建てて、Jussieuの旧校舎から一部引越したばかり。旧校舎はポンピドゥーセンターが廃墟になったような荒れ具合(そこがまた好き)でしたが、新しい校舎はなんだか日本の新しい大学校舎みたいなかしこまった建築でこぎれいです。

大学からBNFのほうへと川沿いに歩いていると、あたらしいカフェや、お寿司やさん、カイザーなどの有名パン屋がならんでいます。フランス大通りにはスターバックスがこのとおり。スタバはもうパリのいたるところにありますね。

starbucksparis01.jpg

図書館や大学に行く時は、すこし地味な気分で通りを歩いているわけですが、なにもない「はずれ」地帯と思っていただけに、近未来なインテリアのカフェスペースもあるカイザーの店構えにはちょっとびっくり。5区にある本店とは全然イメージが違います。


ubucoucou

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2007年06月09日

カナダ・ケベック州の早春 メープルシロップの里を訪ねて

北米最大のフランス語圏であるカナダのケベック州は、世界のメープルシロップ(仏語:Sirop d’érable)の80%を出荷している。州都ケベックシティ(正式名はケベックであるが州の名前との混同を避ける意味で、こう呼ばれることが多い。)周辺は、サトウカエデの豊かな森が広がり、「砂糖小屋」(仏語:Cabine à sucre)と呼ばれるメープルシロップの作業所が点在している。マイナス35℃という厳しい寒さを越して色鮮やかなカエデなどの紅葉の雄大な景色は、ケベックの秋の風物詩で日本人観光客もツアーに多く訪れる。先ごろ3月末から2週間この地に滞在した私は、プレシスビルにある砂糖小屋に遠足に出かけた。


quebec01neige.jpg今季のケベック州は2月になってから大雪が続いて、ケベックシティの旧市街周辺も、まだまだ雪国の佇まいだった(写真、上)。前日のボタン雪の嵐が止んで一転、澄み切った青空が広がり、風は冷たいものの、春を思わせる陽光の射す朝を迎え、車に食料を積み込み出発した。1時間あまりの後、アスファルトの高速道を降り、雪解けでぬかるんだ小道を進むと、木立の中に、煙突から蒸気が空に向かって勢いよく上がる緑の屋根、白い壁の建物が現れた(写真、下)。2年前に電気系統の故障から火災にあって、その後に新築されたという、友人の実家の真新しい砂糖小屋である。

この辺りのメープルシロップ農家は、毎年1月末から準備を始める。夜は氷点下で、昼の気温が、ようやく0℃を上回る2月下旬に、冬の眠りから覚めたサトウカエデの樹液は、芽吹きに向けて活発になる。そして、昼間の気温が3〜5℃の日が数日続く3月中旬から4月中旬に繁忙期を迎え、5月14日に仕事納めとなる。気温が上昇し、新芽が出てからは、味の良い樹液は採れない。友人の実家では、28000本のサトウカエデから樹液を採取している。自然林で、幹の太さ、高さも様々で、樹齢は150年から200年のものが多い。樹液が取れるまでに約40〜60年かかっている。春の雪解けの頃、成長期に幹に蓄えられた澱粉が酵素の働きによって糖分に変わる。そして、糖分は根元から吸収された水分に溶けて樹液となり、成長エネルギーとして導管内を流れる。それを採取して濃縮したものがメープルシロップである。色や品質によって5段階3等級がある。


quebec02maple.jpgサトウカエデは、カナダと合衆国の一部に生育する。昔、この地の先住民であるアメリカインディアンは、サトウカエデの樹液をリスが吸っていたのを見た。さらに、戦闘用の斧でサトウカエデの木を伐った時、樹液がしたたり落ちたので、それを容器に集め、焚き火にかけた鍋で煮詰め、メープルシロップを作った。1534年フランスの探検家ジャック・カルチエがセントローレンス河をたどって上陸以来、フランスの植民地内で先住民とフランス人は毛皮貿易などを通して友好関係を保ちながら暮らしてきた。メープルシロップの製法も先住民から伝えられた。

19世紀後半になって道具の改良、牛から馬車へと運搬手段の変化、さらに1970年代初めの技術の大幅な革新によってカナダのメープルシロップ産業は活性化した。しかし、シロップを煮詰めて作る基本の工程は今も同じである。ケベックのフランス系の人々にとっては、まだ雪の残る砂糖小屋に友人親戚が集って、メープルシロップの収穫を祝い楽しむのは早春の風物詩であり、恒例の伝統行事となっている。

quebec04.jpgメープルシロップには、まず、サトウカエデの幹にドリルで穴を開け、5センチ長さの差込口のある直径1センチの透明な青色のチューブを差込む。チューブは、落葉樹の森を縦横に縫い、太陽の光を透かしている。樹液は重力によって連結した太いチューブに流れ、運搬用樽に収穫される。また、砂糖小屋に直結しているチューブもある。この方法には傾斜が必要なため、砂糖小屋は森の低い場所に建っている。採取されるのは1本の木の糖分の10分の1で、寿命を縮めたり、成長を妨げる量ではなく、幹の穴の数も制限している。シーズンが終われば、穴は、ゆっくりと自然の力で塞がる。

平均的に、1シーズンに1本から35〜50リットルの樹液が採取され、1〜1.5リットルのメープルシロップが出来上がる。この砂糖小屋の1日の収穫量は、少ない日で600リットル、通常は1200リットルで、4000リットルまで対応できる。集められた樹液は、まず浸透膜によってシロップと純水が50%対50%に分けられる。かすかに黄色味を帯びたシロップは、口に含むとうすい砂糖水のよう。ステンレス水槽の中で青く澄む水は、瓶詰めにして酒類を割る水として出荷される。

そして砂糖水は104℃で時間をかけて煮詰められ、最終的に、水分の95%が除かれ、糖度は66%以上になる。煮詰めることで独特の風味と色が加わり、琥珀色の液がドラム缶に溜まっていく。辺りはカラメルの様な香ばしさに包まれる。テイスティングと称して木のヘラをかざし、熱いシロップを受けて口に運ぶ。大人も子供も、その場所から離れられない。


quebec03.jpg外のテーブルでは昼食の準備。持参したサラダ、マリネ、何種類ものチーズ、ハム、フランス風のパン、ワインが並べられた。出発前に生地を仕込んだ、そば粉のクレープを交代で焼く。17世紀フランスからケベックに渡来した移民のふるさとブルターニュ風。半量が焼きあがったころ、メープルシロップの出来立てが中央に置かれた。熱々を贅沢にかけたクレープは、ケベックの味。

作業場の端では、このメープルシロップを、さらに別の電気鍋で111〜117℃に上昇するまで、かき混ぜないで煮詰めている。そして、きれいな雪を固めて敷いた台(仏語:Palette)に窪みをつけて、この濃いメープルシロップを落とす。鼈甲飴のようなトフィー(仏語:Bonbon au caramel dur)である。ガイドブックで見たのは、観光客が横に並び、アイスキャンデーの棒状のもので巻き取っている写真だった。ここでは、ご飯しゃもじ大のサイズ。わんこそばのように次々に落としてもらい、豪快に巻き取って口に運ぶ。皆の幸せな笑い声が森に響く。

そして、その濃い液を急速に冷やしながら撹拌すると、クリーム状のメープルバターの出来上がり。メープルシロップは糖分、カリウム、ナトリウム、カルシウム、ビタミンB1・B2を含み、脂肪を含まない。「バター」という言葉は、アップルバター(ジャムより濃いもの)と同じく、単に濃縮されたものを指す言葉でもあるようだ。最近はメープルスプレッドとも表示されている。


お腹が満たされると、アイヌの楽器ムックリに似た口琴、縦笛、ミニのシンバル、蛙の形の打楽器が取り出され、即興の合奏。楽器を手にしない人は踊る。友人達は、腰にサッシュを巻いていたり、帽子を被っていたり、どこか民族衣装っぽい格好に見える。長い冬を抜けて、春を迎える祭事を心から楽しんでいる、ケベックのフランス系の人達。彼らケベコワの合言葉 ”Joie de vivre”(生きる喜び…人生を楽しく!)は、ここにも健在である。



Sophie

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2007年05月24日

rien

rien01.jpg4月某日。
サンジェルマン・デ・プレ。
映画館の地下トイレ。

手を洗おうと洗面台の前に立つと、 rien(無)という一言が俺の顔と重なり合った。
存在を否定されたようで軽い目眩を感じるが、なかなか見事な字体ではある。

こういう落書きって、日本では見かけませんよね。


キャベツ頭の男

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2007年05月19日

フランス人は傘をささない

フランスにも雨は降る。
しかし、傘をさすフランス人は非常に少ない。
何故か。
夏の間は雨が降ってもすぐに止むから。

fujiwara4-2.jpg

5月某日午後4時。
バスを待ちながらバス停で雨宿り。
ガラス張りの屋根に大粒の雨が叩きつける。

fjiwara4-1.jpg

同日午後5時。
バスを降りるとこの青空。


雨宿りをすれば、雨は止む。
パリとはそういう街である。



キャベツ頭の男

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2007年04月27日

パリの初夏、それはマロニエ



marronier01.jpg


4月末から5月初旬にかけてパリを彩る花、それはマロニエである。

大きいものになると高さ30メートルを超えるこの木、街のいたる所で花を咲かせている。

白い花をつける木が多い中、ときおり見かけるのがこのピンクの花。

青い空に乾いた空気。

風に花が揺れると初夏。



キャベツ頭の男

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2006年11月08日

エッフェル塔

DSC00007.jpg

「昨日は夏だった、今は秋!」
かつてボードレールが言ったように、フランスにおいて季節は何の前触れもなく変化する。
10月の間は連日20度を超える日が続き夏の名残りが強く感じられたが、11月に入ると急に寒くなった。
秋というより冬である。
最低気温は零下、最高気温は10度と急に10度近く気温が下がってしまった。

写真はべルトリッチのラスト・タンゴ・イン・パリの冒頭で、マーロン・ブランドがふらふらと歩いていたビル・アケム橋より撮影したもの。
至近距離にもかかわらずエッフェル塔も霞んでいる。
街はすでに灰色の世界に沈みこんでしまった。


CHANT D’AUTOMNE I par Charles Baudelaire(「秋の歌」 シャルル・ボードレール)

Bientôt nous plongerons dans les froides ténèbres ;
Adieu, vive clarté de nos étés trop courts !
J’entends déjà tomber avec des chocs funèbres
Le bois retentissant sur le pavé des cours.

Tout l’hiver va rentrer dans mon être : colère,
Haine, frissons, horreur, labeur dur et forcé,
Et, comme le soleil dans son enfer polaire,
Mon cœur ne sera plus qu’un bloc rouge et glacé.

J’écoute en frémissant chaque bûche qui tombe ;
L’échafaud qu’on bâtit n’a pas d’écho plus sourd.
Mon esprit est pareil à la tour qui succombe
Sous les coups du bélier infatigable et lourd.

Il me semble, bercé par ce choc monotone,
Qu’on cloue en grande hâte un cercueil quelque part.
Pour qui ? − C’était hier l’été ; voici l’automne !
Ce bruit mystérieux sonne comme un départ.



キャベツ頭の男

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2006年10月11日

ボルドーぶらり一人旅 サンテ・ミリオン

ボルドーまで来たからにはサンテ・ミリオン行きたいよーと騒いだのにも関わらず、学校からの遠足は八月末の人数不足であえなくキャンセルに。仕方ないので観光局からのツアーに参加。英語・フランス語両方での解説とデギュスタションあり。かなり強い赤で、香りは素晴らしいが通好みな大人味。

bordeaux001.jpg

町はこぢんまりして1、2時間で回れるくらい。通りのあちこちからクレープやカヌレの甘い匂いが漂ってくる。しかもあれほどボルドーでは目立った犬のふんがここにはない。町をあげての努力か、はたまた飼い主へのしつけか。

bordeaux002.jpg

あちこちに花やちいさな水をはった池などがある可愛らしい町。かなり観光化されてるが、冬に行けば普段の顔が見られるかも。でもブドウ畑の美しさは今が盛り。


黒カナリア

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2006年09月29日

ノワゼットのおフランス便り(2) ベジタリアン機内食

IMG_0641.JPG最近狂牛病が怖くて肉絶ちしようかと(貧乏人には高いし)真剣に考えてたところへ、渡航直前に見つけたサイトで残酷な屠殺映像を見つけ、さらにこのサイトで、エコロジー的にも水だの穀物だの大層無駄に使うこと、そしてそれが世界の砂漠化と世界の飢餓を招いていることを知ってしまい、なんちゃってベジタリアンになることを決心。ただでさえ日本の一日に廃棄する食べ物で世界の飢餓が解消する(「食卓の向こう側」)というのに、これ以上贅沢を言うのは申し訳ない。

ちょうど同サイトで、航空会社はどこでも簡単に「ベジタリアン食」(宗教用とか完全ベジタリアン食とかいろいろ種類があるらしい)が頼めることを知り、ちょうどフランスに行く用事があってチケットを頼んでいた旅行代理店に早速オファー。また変わり者とか言われるんじゃ、と思ってどきどきしたものの、にこやかに「航空会社に言っておきます」。まあ種類は聞かれませんでしたが、あんまり簡単だったのでほんとに出てくるんかな?と思ったくらいですが大丈夫ですた。

またそのサイトで、他の人より先に持ってこられてちょっと恥ずかしいけど内容は普通のよりいいって書いてあったのですが、本当にそうだったのです。フルーツもコンポートじゃなくってスイカだのメロンだの大きめに切ったやつだったしサラダもイタリアンのアンチパスタみたいのやきのこサラダだったのに、他の人ただのもやしサラダだったのを見てしまった。

敢えていえば植物オイルとチーズとパスタというメニューに代わり映えがあまりないこと。帰りのパリ・香港間のメニューがきのこサラダにフレッシュフルーツにラビオリパスタにもきのこの具が入っててほうれん草の茹でたのも付け合せになってたやつが一番良かったけど、他のは3回同じメニューだったのとけっこう油っこいので最後の香港−関空間は時差の関係もあって胃が重くちょっと残しました(ちゃんともって帰って食べたよ)。でも機内食っていつも結構肉が不味かったので満足ですた。ま、所詮はエコノミークラス内での差異なんですけどね…

そのサイトでは、「ベジタリアン」を頼むと外国の人にはちょっと尊敬されるかも、って書いてあったけど(でもパリでビオ(=オーガニック)レストランに一緒に行った友達に聞いたらフランスでもちょっと変て思われることもあるって言ってたよー)、尊敬は別として、毎回乗り込むなり「ベジタリアン食になさいましたよね、お飲み物は?」と真っ先に英語で聞かれ、真っ先にサーヴされる。特に行きが日本人の団体様の年配の人たちが多く、時間的にもお腹が減ってるのに、さらに準備がもたついて他の人の食事がなかなか運ばれてこない中、冷たい視線を浴びつつ一人で食べてるのはかなり肩身が狭かった。着陸時刻が迫り(3時間ちょっとだからね)最後はパンを放り投げるように配っていた頃には私はもうとっくに食べ終わってしまっていたのですた。

今度は他の航空会社でも試してみます。皆さんもどうぞやってみてね♪ご報告お待ちしてま〜す。

■紹介したサイトにも「ベジタブル機内食」情報が集まっています!



NOISETTE

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2006年08月17日

ヨーロッパの長い一日

言うまでもなくヨーロッパの夏は1日が長い。日本よりも緯度が高いうえに、夏時間を採用していることから日没時間 はぐっと遅くなる。

hujiwarapaybas01.jpg

例えば、6月22日のパリの日没時刻は21時58分。ちなみに大阪は19時15分で、およそ2時間日の入りが遅いことになる。

日が暮れるのが遅いだけといえばそれだけだが、それ以上の何かがあるような気がするのは私だけだろうか。そろそろヴァカンスも近づき、街全体が浮き足立つのもこの時期の特徴 だ。

fujiwarapaybas02.jpg

写真はパリではなくオランダのハーグへ足をのばしたときのもの。午後10時とは思えない空の青さ。ベルギーのマグリットには青空の下に明かりを灯した家を描いた「光の帝国」という有名な絵があるが、その絵もそれほど現実とかけ離れてはいなかったわけである。



キャベツ頭の男

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2006年07月15日

フランスの建築(2)−ノルマンディー橋

pontnormandie01.jpg以前、ドーヴィルに競馬を見にいったあと、オンフルール経由でパリに戻った。その際に、セーヌ川河口にかかる「ノルマンディー橋」を渡った。これもまた空に向かって羽ばたくような美しいデザインの橋だった。ノルマンディー橋は、無中継の支間長が856mあり、斜張橋の世界記録を更新した。その後、1998年に日本のしまなみ海道「多々羅大橋」(全長1480m)が完成し、2位に転落してしまったが、多田羅大橋とノルマンディー橋は世界第一、第二の斜張橋ということで、姉妹橋となった。めでたし、めでたし。

pontnormandie02.jpgこの橋が架かる周辺は「印象派発祥の地」と言われ、18世紀以来多くの芸術家たちが、オンフルールやノルマンディー地方に集った。「空の巨匠」と呼ばれたブーダンをはじめ、モネ、コローらが、光の効果と、刻々と変化する自然をカンヴァスに捕らえようとした。「印象派」の名を世に知らしめることになったモネの「印象、日の出」は、現在、ノルマンディー橋で結ばれたル・アーヴル港の朝焼けを描いたもの。印象派の画家たちの目には、自然を切り裂くようなデザインのノルマンディー橋はどう映るだろうか。

印象派の画家たちは当時の先端技術であった機関車や、先端建築であった駅、鉄橋、列車の発着場なんかもよく描いていた。エッフェル塔も、新しい絵画を切り開いていこうとした画家たちにインスピレーションを与えた。駅や鉄橋は自然の一部として風景に溶け込んだり、光の具合によって姿を変える自然の反映として描けるが、ノルマンディ橋やミヨー高架橋のデジタルなデザインは反自然というか、むしろ宇宙的。だから何もない空がいちばん似合うのだ。




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2006年07月12日

フランスの建築(1)−ミヨー高架橋

maillau01.jpg2004年12月、フランス南部のタルン渓谷に、世界で一番高い橋「ミヨー高架橋」が完成した。高さはパリのエッフェル塔をはるかに凌ぐ343メートル。デザインや施工方法も周囲の環境に十分配慮され、地域住民も納得。全長は2460m。資金は民間から調達され、総事業費は3億1000万ユーロ(418億5000万円)。38カ月という短い工期で建設された。コンペで選ばれた英国の建築家、ノーマン・フォスター卿によるデザイン。

ギュスターブ・エッフェルは橋の建築家でもあった。誰もが知っているパリのエッフェル塔を建てる5年前に、南フランスの谷にガラビ橋という長い橋を架けている。それをぐいっと垂直にしたのがエッフェル塔だったのだ。つまりエッフェル塔は天と地に架けられた橋というわけだが、そうだとすると、基本的にはゴシック建築なんかと同じ欲望を持つことになる。しかし、ミヨー高架橋は私たちの上昇志向をなぞらない、ひたすら天上に架かる、天上の建築だ。

millau02.jpg早朝に雲海が発生したときは橋脚部が隠れ、まるで雲の上をドライブしているよう。この光景と浮遊感にはデジャヴュを覚える。雲の上の建築−おそらく小さいころに読んだ御伽噺(あるいはサイケ文化)が頻繁に取り上げたモチーフだ。この現実化のインパクトは大きい。

ミヨーはタルン渓谷の美しさと中世を思わせる風景で知られるが、その厳しい地形ゆえに、パリから地中海へ南下する途中の交通の難所だった。橋の完成によってバカンス・シーズンの渋滞が緩和され、パリ〜バルセロナ間は45分短縮された。通行料金は夏のシーズン中が普通車6.5ユーロ(約900円)、二輪車が3.2ユーロ(約450円)。日本で同じものを造ったらいくら徴収されるだろう。




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2006年06月12日

「ダヴィンチ・コード」の穴場(2)−サン・シュルピス教会

「ダ・ヴィンチ・コード」の舞台といえば、まずルーブル美術館だろう。パリのルーブル美術館は先月の19日から、小説と映画の「ダ・ヴィンチ・コード」を追体験しながら同美術館の芸術作品を鑑賞する音声ガイドの貸し出しを始めた。音声ガイドは、映画で警部役を演じるジャン・レノが犯罪現場を案内する形式になっており、「おれの指示がない限り動いちゃいけない」と話し掛ける。ルーブル美術館は入場者数の増加(2005年は750万人に達した!)を「ダ・ヴィンチ・コード」のおかげと認めたくなかったようだが、結局は趨勢に逆らえなかったようだ。経済合理性がすべてに優先するということか。「ダ・ヴィンチ・コード」の人気は周到なマーケティングによるという意見も多い。これもかつての普遍=カトリックに対する、グローバリゼーションの勝利なのかしら。

stsulpice01.jpgところで、「ダ・ヴィンチ・コード」の中で、サン・シュルピス教会−Eglise St-Sulpice−も忘れられない舞台のひとつだ。キーストーンを求めて、修道僧シラスが訪れる場所のひとつになっている。サン・シュルピス教会はブリュージュの大司教、聖シュルピスに捧げるために建てられた教会で、17世紀から断続的に建設が進められてきた。幅58m、奥行き115mと、パリのノートルダムにも匹敵する大きさだが、地味な印象はぬぐえず、私の頭の中では、南スペインの豪華絢爛の大聖堂とは対極にある(ヨーロッパ中の教会やカテドラルを網羅したわけではないが)。

教会の内部がひんやりとしているので、暑い夏の日とか、よく涼みに立ち寄ったものだが、いつも教会の中は閑散としていて、観光客はほとんどいなかった(まだ「ダ・ヴィンチ・コード」が話題になる以前だったので)。あるとき、いきなり大音量のオルガンが響き渡ってびっくりしたことがある。この教会のオルガンは18世紀に作られたヨーロッパでも最大級のもので、数々の有名なレコーディングが行われている。

ローズ・ラインの話にはあまり触れないようにしよう。教会側も「ダ・ヴィンチ・コード」は迷惑だったようで「そんなものありません」と張り紙がしてあったらしい。問題はオベリスクの形をしたグノモン(gnomon)。天文観測器として使用され、日時計の役割も果たす。その足元を走る真鍮でできた子午線は、ローズ・ラインと称するほどの特別なものではないようだ。またローズ・ラインは、19世紀の天文学者、フランソワ・アラゴ(Arago)の名を冠したアラゴ子午線とも無関係。グリニッジ子午線は1884年に世界標準として採択されたが、フランスはずっとアラゴ子午線こそ、世界標準だと反対してきたもの。いかにもフランスらしいエピソードだ。

サン・シュルピスの周辺といえば、フレカジ青少年御用達のアニエス・ベー(本店は右岸)やAPC(リュクサンブール公園の東側の入り口)がある。あと、エルベ・シャプリエとか、思い出すのは、何だか一昔前にもてはやされた感じの店ばかり。教会の広場に面してロラン・バルトが入り浸っていたというカフェがあるが、名前は忘れた。その少し奥、カネット通りに入ると、「のだめカンタービレ」にも登場した、パリで最もピザが美味しいイタリアン・レストラン「サンタ・ルチア」がある。オデオンの方向には、最近、日本にも進出している惣菜・ケーキ屋の「ジェラール・ミュロ」があり、よく買い食いした。無印良品(MUJI)もそこらへんを歩いていたとき、見つけてびっくりして、無意味に買い物してしまった。クレモンティーヌが「EVASION(逃避行)」(LONG COURRIERに収録)という曲の中で「いいお天気、冬は終わったのね、中庭のマロニエが花をつけたわ、サン・シュルピスの鐘の音が聞こえる、ああ、なんて気持ちがいいんでしょう」と歌っていた。彼女は16区にあるアールデコ調の高級アパルトマンで育ったというが、16区までサンシュルピスの鐘の音は聞こえるのかな。

サン・シュルピス教会はドラクロワの壁画があることでも有名だ。ドラクロワの壁画(フレスコ画)は向かって右にある礼拝堂にある。12年の歳月をかけて描いた「ヤコブと天使の戦い」(「出エジプト記」からの題材)。旧約聖書の中でも面白いエピソードのひとつだ。今はすっかり文学から足を洗ってしまったが、かつてボードレールという19世紀の詩人の研究をしていた時期があり、特に絵画論に興味があって、彼と親交のあったドラクロワの作品を一時期集中して見て歩いた。少し離れたサンジェルマン・デ・プレ教会の裏手にドラクロワ美術館がある。ここもパリの穴場的なスポットだ。





cyberbloom

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2006年06月08日

「ダ・ヴィンチ・コード」の穴場(1)−サント・マリー・ド・ラ・メール

もう何日前になるのだろう。私はパソコンに向かいつつ、『ダ・ヴィンチ・コード』の特番を聞いていた。そこへ突然聞こえてきた聞こえてきた「マリーの複数形」。

サント・マリー・ドゥ・ラ・メール−Saintes Maries de la Mer−海の聖マリアたち。

mariedelamer01.jpg

あれは2005年3月15日(火)のこと。モンペリエ郊外リュネルに着いて4日目。ず〜っといい天気(どのくらい雨が降っていなかったのだろう…)。セーターしか持っていなかった私には暑かったくらい。友人に誘われてドライブへ。私はどこへ行くのかも知らぬまま、助手席へ。平原を通り抜けて着いたのは、とある小さな町。潮風が心地いい。海岸沿いに進んでいくと、小さな闘牛場が見える。ジプシーの信仰の地とあって、アクセサリー店があちらこちらに。観光地名物、土産物店もあちらこちらに。土産用Tシャツの柄も、カマルグの白馬とジプシーの金の輪。街中を抜けて教会に着く。屋根の上のテラスに上がってみる。海と湖に挟まれた町。どちら側を向いても水面が見える。風があって、髪はくしゃくしゃだけれど、気持ちよくて、のほほ〜んとした気分。教会の中も訪れたかったのだけれど、あいにく教会は葬儀中。運び込まれる棺に物陰からそっと手を合わせる…。

電車の駅どころか、バス停さえ気づかなかった小さな町。祭りの時以外はきっと静かな町なのだろう。映画のせいで、あのほっとする町が、観光客で年中騒がしい町になってしまったら…と思うと、ちょっと悲しい気分。いつまでもあの日のままでいて欲しいっていうのは、我侭すぎる願いだろうか…。

■サント・マリー・ド・ラ・メール(Les Saintes-Maries-de-La-Mer )…伝説では紀元40年頃、キリスト教の迫害によって、エルサレムを追われた3人のマリア(マグダラのマリア、聖母マリアの妹のマリア、使徒ヨハネの母のマリア)は異教徒に捕らえられ、帆も櫂もない船に投げ込まれた。地中海を漂流した果てにたどり着いたのが、この南フランスの町。そこに聖母マリアをまつる礼拝堂が建てられた。また、召し使いのサラが黒人であったことから、とりわけジプシーの信仰を集め、5月24、25日の巡礼にはヨーロッパ中からジプシーたちが集まってくる。マグダラのマリアの遺品が納められている教会には、ジプシーの守護神サラの像がある。




joueusedetaichi

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2006年04月10日

ドーヴィル競馬場

Deauville01.jpg夏競馬、といえば日本では小倉や札幌だが、フランスでは、ドーヴィル。ドーヴィルはノルマンディー地方の高級リゾート地で、バカンス・シーズンには、パリの社交界のセレブな人々がドーヴィルに集まってくる。「ダバダバダ」の音楽が印象的なクロード・ルルーシュ監督の「男と女」の舞台としても知られている。

競馬場も、日本のようなギラギラした熱気はなく、上品で、のどかな雰囲気。レースというより、お金持ちが自分の馬のお披露目をしている感じ。

ちょっと古い話だが、1998年の夏休み、友人3人とパリでレンタカーを借りて、ドーヴィル競馬場に向かった。日本からフランスに遠征に来ていたタイキシャトルのレースを見るためだ。パリからドーヴィルまで高速を飛ばして、約3時間。「日本道路公団ふざけるな」と叫びたくなるほど、フランスの高速道路は安い!途中の料金所で数回、コインで払ったように記憶している。

タイキシャトルはその年に引退しているが、ウインクリューガー(03年GTNHKマイルカップ1着)やメイショウボーラー(05年GTフェブラリーステークス1着)など、今は子供たちが競馬界をにぎわせている。(最近はあまりパッとしないようだが)。

タイキシャトルが走ったのは、フランスのGTレース、ジャック・ル・マロワ賞。芝の直線レース。芝の直線レースと言えば、日本では新潟競馬場の名物だが、ドーヴィルの直線コースは1600メートルもある。

すでに前の週、武豊の騎乗でシーキング・ザ・パールがフランスのGTを制し、日本の馬の凄さを見せつけていたこともあり、タイキシャトルは1番人気で単勝1・3倍。そういえば、車を止める場所を探しながら、ドーヴィルの街をノロノロ走っていると、レストランから出てきた武豊夫妻に遭遇。奥様は元アイドルの佐野量子さん。ところで、肝心のレースはというと、残り2Fあたりでタイキシャトルが抜け出し、そのまま押し切る、強い勝ち方だった。

LE PRIX DE JACQUES LE MAROIS(16 AOUT 1998 A DEAUVILLE)

フランスの競馬場では日本との違いに驚きっぱなし。耳に赤鉛筆を挟み、競馬新聞を手にしたオッチャンは皆無で、みんなこぎれいな格好。馬の状態を下見するパドックもいいかげんで、パドックに来ない馬もいる。パドックというより、馬がそこらへんを散歩している感じ。出走馬にも触り放題で、タイキシャトルにもタッチできそうだった。それに、全く自動化されていない、昔ながらの馬券売りや払い戻しのシステム。

日本の競馬の、きちんとした段取りを踏んだレースまでの流れや、ハイテクが駆使された馬券システムに比べると、フランスの競馬のすべてが、いいかげんに見えてしまう。ギャンブルという認識があまりないのかもしれない。ギャンブルに打ち込む人々とって何よりも重要なのは、それがいかに公正に行われているか、ということ。レースまでの儀式化された段取りは、いわば、公正さの演出だ。フランスの競馬のいい加減さは、お金持ちの余裕なんだろうな。セレブな人々は、切羽詰ったギャンブルなんてしないからね。

全レースが終わったあとは、車で30分くらいの場所にあるシャトーホテル Château Les Bruyères に赴き、プールサイドで一休み。シャトーホテルは、お城や貴族の館をホテルに改造したもの。1日のレースでけっこう稼いだ私たちは、いつもより高めのワインを選び、地元の美味しい料理を味わいながら、セレブなソワレを満喫したのだった。

その後、パリ郊外のヴァンセンヌ競馬場も体験した。これは関西で言うと園田競馬場って感じ。何かタイムがかかりすぎてるなあ、と思って見てたら、実はトロット(速足)で走るレースだということに気がついた。つまり馬は駆けて(ギャロップ)はいけないのだ。勢い余って駆け出す馬が続出し、みんな失格になっていた。競馬の競歩なんて!最初はストレスの溜まるレースだなと思ってたが、慣れてくると、ジワジワくるスリルもいい。車(chariot)を引っ張って走るレースもあったが、これもトロット。競馬新聞を見てもピンと来ないので、常連っぽいオッチャンの話に耳をそばだてて情報収集してたらそれなりに当たった。



cyberbloom

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posted by cyberbloom at 23:07 | パリ ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | バーチャル・バカンス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする