2008年07月09日

イザベル・マラン Isabel Marant

marant01.jpgセレクトショップでおなじみのフランスのデザイナー、イザベル・マラン。アメリカでも、あこがれの French Girls のリアルクローズ、としてクリスティン・ダンスト、レイチェル・ビルソン(ドラマ「The O.C.」に出てるヒト)とハリウッドにもファンを獲得。トレンドを追わず本当に気に入った服しか着ないといわれるファッションモデル達のお気に入りとして、遅ればせながら注目を浴びつつあるマランを、アメリカの雑誌「W」2月号が取り上げています。
 
40歳になるマランは、パリ育ち。母はドイツ人、ステップマザーはカリビアン。ティーンエイジャーの頃からデザインを始め、クリストフ・ルメール(現ラコステのデザイナー)とのコラボレーション作品をブティックに持ち込み買い上げられたことからファッションを仕事にする事を決意。ミッシェル・クランのアシスタント等を経て若くして独立、1994年にフルコレクションを発表して以来、独自の路を歩んできました。
 
自分が着たいと思うものを形にするだけ、映画から引用したり、わかりやすいテーマを掲げてデザインする事は「ちょっとお勉強っぽくって」いやだというマラン。ただ、インスピレーションを与えてくれる存在がない訳ではありません。例えばセルジュ・ゲンズブール、イヴ・サンローラン(「私の内なるフランスらしさかしら」)。ポール・ポアレ(「エキゾチックな素材から新しいものを引き出す才能に惹かれます」)。子供のころに訪れたインド、アフリカ、アジア、カリブ諸国での思い出も、創作の源になっているとか。
 
フランスのファッション界の一翼を担うビッグメゾンの賑々しさ、華やかさとは一線を画し、デザインもビジネスも地道に我が道を歩んできたマランらしく、プライベートはいたって静か。週末には、パートナーであるバッグデザイナーのジェローム・ドレフュスと4歳になる息子とともに、パリから30マイル離れたログキャビン(水道も電気も引いていない!)で過ごすそう。世界中を自分の服で溢れかえらせたいとは思わない、といたって謙虚なヒトですが、叶わなかった望みもあるそうです。「シャネルで一年、サンローランで一年、アシスタントとして働く事ができていたらなあと思うわ。」


□Isabelle Marant
http://www.isabelmarant.tm.fr/



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2008年06月25日

ヒップホップ界のスターと手を組むルイ・ヴィトン

vuitton-hiphop1.jpgルイ・ヴィトンは今月、ヒップホップ界の売れっ子プロデューサーチーム、ネプチューンズの片割れ、ファレル・ウィリアムズのデザインによるジュエリー”Blason”(「紋章」)を発表しました。アフリカ美術、アール・ヌーボーからデザイナー本人の刺青まで様々なインスピレーションから作り上げた26点は、まだ一部しか公開されていませんが、石座がリバーシブルになるしかけの指輪など、ゴージャスかつ凝った仕上がりです。
 
音楽以外にもジュエリーやカジュアルウェアのデザインを手がけ、多彩なスタートして知られるファレル。ルイ・ヴィトンとは、パーティで演奏したり、日本のファッションデザイナーNIGOと共同でアイウェアをデザインするなど関わりはありましたが、最低2000ドルは下らない最高級のアクセサリーを発表するとは。驚天動地、とまではいきませんが衝撃的なニュースです。
 
マーク・ジェイコブスのクリエイティヴ・ディレクター就任後、ルイ・ヴィトンは確かに「冒険」を続けてきました。例えば、村上隆を初めとする現代美術のアーティストとのコラボレーション。今話題の女優を国籍を問わず起用する広告キャンペーン(「ヴェルサーチのきわどいドレス」で有名になったジェニファー・ロペス含む)。ゴルバチョフ等非ファッション界の有名人を使った広告も記憶に新しいところです。これまでの保守的なおハイソイメージに揺さぶりをかけ、ポップでリアルな「今」のブランドへ世間の抱くブランドイメージを改めさせる、有効な戦略といえます。しかし、今回の「冒険」は、これまでのチャレンジに比較して格段の重みがあります。本流のファッション業界の旗頭である老舗が、亜流とみなされてきたアメリカのヒップホップ・ファッションを公に認めたことになるからです。
 
ラップが世界のヒットチャートに食い込むようになってから、ビデオクリップに登場するラッパー達のファッションは時に音楽以上に世間の注目を集めてきました。スポーツブランドのアイテム等、デザインが主張しない出来合いのアイテムを組み合わせたストリート流の着こなしと、成功の証として誂えたbling-bling(ギンギラ)なアクセサリーの悪趣味寸前なコンビネーションは、従来のファッション業界にとって思いもつかない、インパクトのあるものでした。また、「人と違う常識破りのスタイル」をラッパー達が競ったおかげで、ヒップホップ界のファッションから、これまでの常識やトレンドをひっくり返す発想も生まれました。例えば、毛皮への執着。動物愛護の観点から野暮の象徴とされていた毛皮を着倒し、ティファニーのギフトボックスのような青やスニーカーとお揃いの赤に染めてみたり、スリーブレスのフーデッドパーカなど毛皮である必然性がないものわざわざ毛皮であつらえたり。ヒップホップ界のスター達が立ち上げたファッション・レーベル(パフ・ディディのSean John、ジェイ・ZのRocawear等)は、業界も無視できないほどの売り上げと人気を誇っています。
 
今や世界レベルのトレンドでヒップホップの要素は欠かせないものとなっており、程度に差こそあれ、ファッションブランドは何らかの形で意識し、また取り入れざるを得ない状況にあります。スポーツウェアブランドの格上げや、それを意識したデザインの登場はもちろんのこと、ヒップホップ・ファッションを表面的にいただいたりつまみ食いしたようなデザインは今やそう珍しい物でなくなりました。しかし、ヒップホップ界のファッションと本流のファッションとは依然として住み分けされています。地位と名誉を手にしそれなりの洗練を求められるようになったヒップホップ界のスターたちも、オーダーメイドで自分のテイストを誇示するか、自分好みのビッグ・メゾンの商品を取り入れる程度で、ファッション業界とヒップホップの世界との表立った提携はありませんでした。そうした状況で、ファレル・ウィリアムズのデザインによるジュエリーが、フランスを代表するビッグ・メゾンであるルイ・ヴィトンから発表されることはいろいろな意味で大きな一歩と言えます。

vuitton-hiphop2.jpgただし、ルイ・ヴィトンがヒップホップ・ファッションをそっくり受け入れたかというとそうでもありません。マーク・ジェイコブスのアーティスティック・コンサルタント、カミーユ・ミチェリもデザイナーとしてプロジェクトに参加しており、マーク自身もお目付役になるなど、ファレルがこれまで志向してきたポップなデザインがそのまま持ち込まれる事は回避されています。

また、ファレル自身も、映画になるようなタフな出自とは縁のない、クリーンでスマートなイメージの持ち主。、フランス版ヴォーグでのインタヴューでも、ラッパー=下品な車にビキニの女の子を侍らせたギンギン野郎という世間のイメージと一緒くたにされる事を嘆き、自分のデザインについて、「古くはキンキラ衣装で有名だったエンタメ系ピアニストのリベラーチェ、エルヴィスに、ヒップホップグループのN.W.A.と定期的に出現しては人々に愛されるキンキラ人脈の流れに組するもので、70年代のテレビスターの金ピカファッション(例えばドラマ『特攻野郎チーム』のモヒカン男、ミスターTのアクセサリー)や黎明期のラッパーから影響を受けた宝石・貴金属オタク(NERD)である自分の好みを出したもの」と説明しています。確かに、今回発表されたジュエリーは、「洗練された派手さ」が印象に残るデザインで、ルイ・ヴィトンの名を冠しても何ら問題はないように見えます。
 
しかし、18金のブラックベリー用ケースを自慢する、ヒップホップ的bling-blingを体現する存在であるファレルを、デザイナーとして未知数であることを承知の上でわざわざ指名し、数年間もの準備期間を経て商品を発表したルイ・ヴィトンの経営陣には、ヒップホップ・ファッションを取り込んだという自負だけでなく、ヒップホップで育った消費者をターゲットにしようとするしたたかさが感じられます。フランス文化を、ヨーロッパ発ファッションを代表する老舗が、恐れを知らないヒップホップ・ファッションにひざまづいたというより、手なずけてしまったとでもいいましょうか。

ファッションブランドからグローバル企業へと進化したルイ・ヴィトンの「次の一歩」であることを実感するとともに、ヒップホップ・カルチャーの変節を感じずにはおられません。ニューヨークの5番街にSean Johnのショップがオープンする等、「洗練と高級化」が進んでいる事は報じられてきましたが、ビッグ・メゾンが接点を見いだせるほどに落ち着きつつあるのかと思うと、複雑な思いにかられます。70年代に数多く制作された、『スーパーフライ』を初めとするブラックエクスプロージョン映画のヒーロー達が、その独自な着こなしもひっくるめてキワもの扱いされていたことを思うと、とうとうここまできたのか、と感慨ひとしおです。
 
ジュエリーのCMにいつもの緩いカジュアルスタイルではなくヴィトンのメンズウェアを着て登場し、自らデザインした作品をお披露目するファレル・ウィリアムズの姿には、わかりやすいヒップホップの気配は感じられません。アメリカのヒップホップ界が、そしてヒップホップ文化を消費する世界中の人々が、共感とともに身につけるのか、それとも反発するのか。商品が店頭に並ぶ春には、どんな反響を呼ぶのでしょうか。

Louis Vuitton 公式サイト
Pharrell Williams×Louis Vuitton =“Blason”Jewelry
(CM from youtube)
□ファレルが着ているのは、本人がデザインするカジュアル・ファッションブランド「ICE CREAM」と「Billionaire Boys Club」の製品です。ウェブサイトはこちら


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2008年01月29日

「マダム・ビザール マリー=ロール・ド・ノアイユのパトロン人生」

MLN001.jpg芸術の陰に芸術家たちの苦闘ありとは申しますが、アトリエで、書斎 で芸術家がじたばたすれば芸術作品が生まれるかというと必ずしもそうではない。絵を描くにも絵具が、キャンバスがいるように、芸術作品の完成にはおカネが必要。美術館で観る事ができる作品の大半は、パトロンが気前よく解いた財布のヒモのおかげでこの世に存在しているのです。 

20世紀を代表する芸術様式、シュールレアリズムの陰にもやはりパトロンの存在がありました。スキャンダラスで挑発的な若い芸術家たちの試みを支えたのは、マルキ・ド・サドの血を引くフランスのマダム、マリー=ロール・ド・ノアイユです。

由緒正しきフランス貴族の母と、裕福なドイツ系銀行家一族の父との間に生まれたマリー=ロールは、生後18ヶ月で父を、7歳にして父方の祖父を失いヨーロッパでも指折りの資産を相続します。家庭教師と修道院付属の学校で教育を受けた、ボードレールを暗唱する青白い文系箱入り娘が社交界へのお披露目後に嫁いだのは、フランス社交界きってのダンディ、ノアイユ子爵でした。
 
結婚当時、・ド・ノアイユ子爵は2つのことに情熱を注いでいました。一つはスポーツ。南仏の別荘にフランス初の全天候型プールを設置。専属のスポーツインストラクターを雇い入れ、男性の招待客の部屋には水着と運動着が用意されていました。(60を超えてお招きを受けたアンドレ・ジイドも、もろ肌脱いで汗まみれでバレーボールに興じたとか。)
 
もう一つは前衛芸術。独身時代にも既にピカソの絵を購入していた子爵は、結婚後積極的に当時の前衛芸術家達の作品を買い求め、活動を援助します。ダリ、マックス・エルンスト、コクトー、マン・レイ(マリー=ロールのポートレイトも手がけました)、ピカビア、モンドリアン、ブランクーシにジャコメッティ。別荘の設計をル・コルビジュエに打診したり、プーランク等作曲家達にも作品を委嘱したりもしました。ジャン・ミシェル・フランクによる、装飾性を徹底的にはぎとったモダンデザインの室内に、遺産相続した古典芸術の至宝と新たに買い求めた前衛芸術が一緒くたに展示された子爵夫妻のパリの邸宅は、前衛芸術家のサロンとなります。
 
洒脱な夫に付き従い、プーランクを”Poupoule”と戯れに呼んでみたりする無邪気で幸せな若奥様、マリー=ロールにやがて転機が訪れます。夫が出資したダリとブニュエルの映画「黄金時代」のスキャンダルです。カソリックを徹底的にからかった、シュールレアリズムを代表する映像作品は法王はもちろん社会の轟々たる非難を浴び、子爵夫妻の名誉と評判は泥にまみれてしまいます。傷心の子爵は別荘で庭いじりに没頭し、社交の場に現れる事はありませんでした。

そして更なる「事件」が彼女を見舞います。夫がインストラクターと同衾しているのを目撃してしまったのです。頼りとしていた夫に裏切られ、世間からも手ひどい仕打ちを受けたマリー=ロール。自分の足で歩き始めることを余儀なくされた彼女は、見事な変貌を遂げます。自らの意志でパトロネスとしての人生を選び取るのです。おカネを出すだけにとどまらず、これと見込んだ芸術家の衣食住全ての面倒を見、時に愛人にしました。指揮者・作曲家でディアギレフともゆかりの深いイゴール・マルケヴィッチとの関係は特に有名で、病に倒れたマルケヴィッチを転地療養させ、自ら看護婦役を買って出たといいます。

また、歯に絹着せぬ物言いで有名だった母方の祖母の血を受け継いだのか(Merdeという言葉を人前で口にしたフランス初の社交界のマダムとして有名)、言動も大胆不敵、過激になってゆきます。シャネルのシンプルなスーツを制服のように身にまとい、きわどい会話を楽しみ(晩餐の席で大人のおもちゃの話を公然と口にしたといいます)、美男にはとことん甘く、女達にはとてつもなく厳しい。これがマリー=ロールのスタイルでした。晩年、ルイ・マル(Louis Malle)と恋人関係にあった話題の女優、ジャンヌ・モローがナポレオン家の末裔と連れ立って歩くのを観て、こんなことをいったそうです。”Elle va de mal en pire”(「彼女はひどくなる一方だね」・・・マル(mal=Malle)と皇帝(empire=en pire)をひっかけたマリー=ロール流の皮肉です)。遠い先祖であるマルキ・ド・サドの事を誇りにし、シュールレアリストの友人達に、『ソドムの120日』を音読させては楽しんだそうです。
 
気に入ったものには節操なくのめり込むひとでもありました。愛人が左翼であれば、「赤い子爵夫人」とあだ名されるほど熱心に左翼の集会に出席する一方、占領下のパリでナチの将校とも関係を持ちました(「彼はオーストリア人なんだから」というのがマリー=ロールの弁明だったそうですが)。世間は世間、私は私、という超然とした貴族的な態度が彼女の魅力であったと身近な人々は語っています。
 
戦後はでっぷりと太り、シャネルをあきらめお腹を隠すために農婦の着るようなスカートに籠というお洒落とは言い難いスタイルに落ち着いたマリー=ロール。服装倒錯趣味のルイ14世みたいと評され、「きれいになるには十数回手術しなくちゃね」と我が身を茶化す一方で、1970年に68歳で生涯を閉じるまで生き方は変えませんでした。最晩年に観た500人の若者からなる軍のパレードに「見て!目の保養が500人も通り過ぎて行くわ!」と歓声をあげたという逸話が残っています。彼女の愛したパリの邸宅はイタリアのクリスタルメーカー、バカラの美術館として一般に公開されています。室内はフィリップ・スタルクによってすっかり改装されてしまったものの、当時の面影をしのぶことができます。



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2007年08月13日

ファッションの王様 ポール・ポアレ再び

poiret02.jpg20世紀の初めに彗星のように現れ、第一次世界大戦まで一世を風靡したファッションデザイナー、ポール・ポアレに今、再び熱い視線が注がれています。女達をコルセットから解き放った立役者、オリエンタリズムの代名詞。これまでファッションの歴史を飾る「大物」としてのみ語られてきたポアレを多面的に捉え直そう。この5月からニューヨークのメトロポリタン美術館で開催されている展覧会はそんな風潮の顕著な例と言えます(スポンサーはバレンシアガ。ポアレへの業界内の関心の高さが伺えます。)
 

スポットがあたっているのは、現代のファッションデザイナーのひな形とでも呼べそうな、ポアレその人の多面性です。野心家であったポアレは「淑女のための仕立て屋」に甘んじず、生活全てについて素晴らしいデザインを提供することを理念に掲げた企業家でもありました。娘の名を冠した香水からインテリアデザイン、学校経営まで、手がけたビジネスは多岐にわたります。
 

またPRマンとしても手腕を発揮します。史上初のファッションショーを仕掛けたのみならず、トレンドセッターとして様々なイベントを企画、ミューズである妻のドニースに最新作を着せ送り込んだのです。最も有名なのが、千夜一夜物語の向こうをはって開催した「千夜二夜の宴」で、スルタンの寵妃に扮したドニースを初めポアレのデザインの特徴であるオリエンタル調の豪奢な服に身を包んだ人々で、会場は溢れかえりました。(ドニースは、単なるアイコン以上の存在、ポアレを解き明かすキーパーソンとして高く評価されています。)
 

芸術家と呼ばれることを望んだ最初のデザイナー。それもポアレでした。同時代のきら星のごとき芸術家と交わりパトロンとなることに飽き足らず、美の追求のために自らも世の常識に挑戦しました。足を見せること、は彼が手がけた挑戦の最たるものです。色鮮やかなストッキングに包まれた足がスリットからちらちら見えるドレスをデザインしたポアレは、モデルにこのドレスを着せ社交場であるロンシャン競馬場へ出向きます。身の危険を感じるほど観客の怒声罵声を浴び、モデルと我が身を守るために杖を振り回し這々の体で退散したそうです。


poiret01.jpgレ・アールの生地商人の子として1789年に生まれ、洋傘商の奉公人から身を立て若くして時代の寵児となったポアレ。その後半生は、過酷なものでした。第一次世界大戦後、軍服作りにかまけてファッションの現場を離れていた彼を待っていたのは「時代遅れ」の烙印でした。戦中に女性のライフスタイルは劇的な変化を遂げ、活動的な美しさ、実用の美が求められるようになっていたのです。ビジネス上の失敗もあり店を閉めたポアレは忘れ去られ、困窮のうちにドイツ占領下のパリで世を去ります。生活のためバーテンダーとなり、布巾で自分の服を拵えていたと伝えられています。


徒弟時代の唯一の楽しみは、作業場に打ち捨てられた絹の端切れで妹にもらった木の人形のドレスを拵えることだった、とポアレは語っています。夢の衣装をまとった人形を相手にきらびやかな世界を夢想した孤独な少年は、ついに夢幻を現実のものとしました。自らあだ名したように、ポアレは、恐れを知らぬ「ファッションの王様」としてあの時代に君臨したのです。


最新号のヴォーグUS版は、彼のデザインにインスピレーションを受けた現代のデザイナーの作品をトップモデル、ナターリアに着せて「ポアレの時代」を蘇らせようと試みています。服自体はポアレのオリジナルではありませんが、展覧会でみる美術品としてのドレスからは想像し難い、ベル・エポックの活きた雰囲気が濃厚に感じ取れる好企画です。

http://www.style.com/vogue/feature/050107

また、同誌のウェブサイトでは、ポアレの特集を組んでいます。当時の写真、イラストもふんだんに盛り込まれポアレの全体像を知るには最適です。20世紀初頭のフランス、ヨーロッパ文化に関心のある方は、ぜひチェックしてみてください。

http://www.style.com/trends/stylenotes/043007

ニューヨークのメトロポリタン美術館で開催されているポワレの展覧会の図録も近々発売されるようです。

Paul Poiret (Metropolitan Museum of Art Publications)



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2007年07月27日

C DE C ファッショニスタが手がけるフランス発おしゃれ子供服

aquagirl01.jpg低下する一方の出生率と裏腹に加熱する一方の子供服市場。某国産モード誌ではお洒落ママのための子供服のページが設けられ、かのヴォーグでさえキッズ特集を組むご時世。有名デザイナーが子供服を手がけるのももはや珍しいことではなくなりましたが、フランス発の新たな子供服のブランドが注目を集めています。

仕掛人は、二人の子供のママであるコーディリア・ド・カステラーヌ。まだ20代後半ですが、ハイティーンの頃からエマニュエル・ウンガロのもとでプレスとして働いてきた筋金入りの業界人です。酒造メーカー、バカルディー社会長を父に、オナシス家のインテリアを手がけたデザイナーを母に持ち、叔父はデザイナーのジル・デフュールという恵まれた環境に生まれた彼女。

ほんの子供の頃から、当時シャネルでカール・ラガーフェルドの右腕として働いていた叔父の仕事場に出入りし、華やかな世界の舞台裏を遊び場にして育ちました。(「叔父さんとこのスーパーモデルみたいになりたい!」とメイクした上ハイヒールで小学校へ登校、シスターから大目玉を食らったこともあるとか。)

贅沢な衣装を日々楽しめる身であるけれども、ファーストファッションチェーンのラインナップにもチェックを入れずにはいられない。クローゼットにはディオールのヴィンテージのファーコートが何枚もあるけれど、チープな服で有名なアパレル大手H&Mの大物デザイナーとのコラボ商品は行列してでも手に入れる。

そんなファッションの申し子であるカステラーヌが、これまで培ってきた美意識と哲学を活かす場として、従姉達と立ち上げたのが、自身の名を冠した子供服のブランド、C DE Cです。

“C DE C”のコレクションは、いわゆる普通の子供服とは一線を画しています。

ひらひらフリフリとは無縁なすっきりしたラインに、繊細で遊び心のある細部。コドモらしい元気な色を避けた、独特の甘い色使い。大人の間でトレンドになっているバレーシューズも数種類取り揃えるなど、ツボを押さえたラインナップも見逃せません。しかもお値段は、上質の素材で仕立てられているにも関わらず50ユーロ以下、とお手頃。「子供の服って破れたり汚れたりするもの。すぐに大きくなって着れなくなるものだし」というデザイナーの実体験に即した値段設定だそう。ただし、フランチャイズ化する計画は毛頭ないのだとか。

ママのベンチャー企業として立ち上げられたばかりの“C DE C”は、販売経路もウェブサイトと委託した個人によるトランクショーに限定されるなど、ブランドが世界のママたちの間に浸透していくにはまだまだ時間がかかりそうですが、コレクションはますます充実していく模様。ニットのデザインを叔父さんに、従姉であるヴィクトワール・ド・カステラーヌ(ディオールのアクセサリーデザイナー)におもちゃのアクセサリーのデザインを任せることも検討中だとか。今後の展開に目が離せません。


□C DE C:http://www.cordeliadecastellane.com



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2007年06月19日

Vogue en beauté, 1920-2007

vogueBNF.jpg数日前のことですが、BNF(フランス国立図書館)のロビーで「Vogue en beauté, 1920-2007」というBNF主催の写真展(6月12日〜9月2日)のヴェルニサージュ(オープニングパーティ)が準備中でした。ショッキングピンクと濃紺の組み合わせでテーブルや花やグラスがセッティングされていて、スタッフのコスチュームもこの色でデザインされたものだったのですが、さすがファッション関係の展覧会、その華やかさとこれから向かう図書館の閲覧室という地味な空間のギャップに目がくらみました。ちなみに翌日には夢の跡形も無くパーティ会場は消えていました・・・。

通りすがりに展示をちら見してきましたが、リバイバル効果か、モードの初期写真は現在のものと比べても区別がつかないくらい、完成度も高いですね。ちなみに、シュルレアリスム写真家として有名なマン・レイ Man Ray も、1920年代には「ヴォーグ」誌のために写真を撮ったりしていました。実は、同じ写真が商業写真とはちがう文脈でシュルレアリスムの機関誌で使われていたりしてなかなか興味ぶかいのです。

VOGUE S'EXPOSE EN BEAUTE


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2007年04月28日

Zadig & Voltaire ザディグ エ ヴォルテール

voltaire02.jpgFRENCH BLOOM NETの人気キャラ、「ふらんせ&じゃぽね」が紹介してくれた、Zadig & Voltaire。フランス18世紀の啓蒙思想家&作家、ヴォルテールの名前と彼の小説のタイトルからとられたフランスの注目ブランド。

まずは「日経WOMEN」の記事からの抜粋。

「日本第1号店となる直営店が3月9日、東京・南青山にオープンしました。パリっ子には日常着として親しまれていて、フランスを代表する女優エマニュエル・ベアールもファンだそうです。カンヌ国際映画祭の興奮もさめやらぬところですが、フランスの映画女優も普段着として着ているという大人のリアルクローズ・ブランドが日本上陸を果たしました。フランス生まれの「Zadig & Voltaire」(ザディグ エ ヴォルテール)はシルクやカシミヤといった上質の天然素材を使った、ラグジュアリーなリアルクローズを提案するブランドです」(日経WOMEN‐「ビューティー」東京ショップめぐり)

Zadig & Voltaire printemps/été 2007(2007年春夏コレクションのスライドショー)
□公式サイト http://www.zadig-et-voltaire.com/
ブランド辞典による Zadig & Voltaire
関心空間による Zadig & Voltaire




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2007年02月20日

RHESUS & COMPTOIR DES COTONNIERS

cotonniers01.jpg去年アクセスの多かったエントリーのひとつが、「コントワー・デ・コトニエ COMPTOIR DES COTONNIERS 」(コントワールが正しい読みのはず)。フランスの産業新聞に載っていた記事を紹介したのだが、母娘の組み合わせにターゲットを絞ったマーケティングを展開するブランドだ。

コントワー・デ・コトニエの2007年春夏コレクション printemps/été 2007 は50-60年代のヒロインたちにインスパイアされ、「レトロ=グラマー rétro-glamour」なエスプリが反映されていると言う。それを披露したファッションショーは去年の12月11日に、パリ16区のトロカデロ広場にある Musée de l’homme で開催された。そのショーでは各国で選ばれた母娘モデルがプロのモデルに混じって出演。その模様を公式サイトで見ることができる。ページの下のDEFILE(=ファッションショー)をクリック。バンドの生演奏によって演出されたショーが始まる。

cotonniers02.jpg赤地に白というブランドのロゴは無印良品やユニクロを思わせるが、見たところコントワーもシンプルなカジュアル路線のようだ。実際、ファーストリテイリング(ユニクロを展開する会社)はコントワーの大株主で、子会社化も検討されている。

ところで、コントワーとコラボしている気になるバンドは RHESUS(レジュス)。サイトの最初のページから流れてくるのも、このバンドの SAD DISCO という曲。バンドの名を広く知らしめたメロディーとハーモニーの美しい曲。RHESUS はすべて英語で歌っているようだ。よく見たら、コントワーのサイトでアルバムがそのまま聴けるではないか。

saddisco.jpgバンドの名前の rhésus は「アカゲザル(動物)」もしくは「血液のRh(リーサス)因子」を意味する。レジュスは2001年にグルノーブルで結成されたバンド。ギター&ボーカルのオレリアンがドラムのシモンが最初に出会い、そしてベースのローラと出会った。最初のシングルを出した後、雑誌 Les Inrock が主催する「CEUX QU’IL FAUT DECOUVRIR」(=発掘しなければならないヤツら)というコンクールに出てレジュスは広く知られるようになった。2005年10月にファースト・アルバム SAD DISCO が発表され、フランスのロックシーンを刷新するアルバムとして雑誌やラジオの満場一致で迎えられた。このトリオ編成のバンドは激しい、ロックンロールなライブが評判で、フランスや国外で行われた何百回ものライブがそれを証明している。今年の4月に2枚目のアルバムが出る。AUTOUR DE LUCIE 以来の、注目のオルタナ系のバンドだ。日本盤はまだ出ていない(FRENCH BLOOM NETというレーベルでも立ち上げて、フランスのバンドの発掘でもしようかな)。

COMPTOIR DES COTONNIERS -公式サイト

Sad Disco / RHESUS(PV)


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2006年11月14日

ルイ・ヴィトンの現在

COURRiER Japon (クーリエ ジャポン) 2006年 11/16号 [雑誌]かつてヴィトンのバッグは20-30人の職人によって作られていた。各工程に専門の職人が待機していて、皮を縫い合わせる職人、内張りを縫いつける職人、取っ手を取り付ける職人が、順々に作業を進めていた。ひとつのバッグを作るのに8日かかった。

今は6-12人がチームを組んで680ドルのトートバック、リードを1日で作り上げる。劇的な変化だ。以前ヴィトンのバッグといえば、品切れが当たり前だった。そういう頑固な職人気質によって作られ、フランスのブルジョワの伝統の中で愛用されてきた。だから品切れになっても仕方がない。むしろ品切れであることがひとつの価値だった。

しかしヴィトンは最近になってようやく生産性に目覚めたらしい。それまでは品質やイメージが優先されていたが、今は品切れにならないように増産体制を敷き、一般の消費者のニーズに応えている。世界名高いトヨタ方式を参考にしているらしい。ヴィトンの年商は90年が7・6億ドルだったのが、00年には32億ドルに達している。

関西の某女子大(ファッションをリードする大学として知られている)には制服があって、新入生は4月のあいだは制服を着ることが義務付けられている。3、4年前のことだったと思う。4月の最初の授業に行ってみると、みんな制服を着て、ほぼ全員がヴィトンのモノグラムのバッグを机の上に置いていた。まるで大学指定の通学バッグのように。統一された見事な光景だったが、今思えばそれは臨界的な光景でもあった。

山田登世子氏は「ファッションの技法」の中で、ヴィトンを持っている学生に対して、「ヴィトンのバッグは召使に持たせるバッグなんですよ」と言い放ってやったら、彼女たちは呆気にとられていたと自慢げに書いている。山田先生は自分がヴィトンを持たないのは教養が邪魔するからだと書いているが、それは19世紀の文化史を専門に研究して培われた教養だという。つまり自分がモードを語る立場をフランスについての教養によって権威付け、何も知らずにヴィトンを持っている学生とは違うのだと言いたいようだ。

しかし、今やヴィトンが渋谷にメガストアを出す時代であり、フランスの古き良きブルジョワ文化という起源から切り離されたグローバルなアイテムとして流通している。ヴィトンが召使に持たせるバッグであったことを言っても今さら言っても意味がない。危機感を抱くべきはむしろ山田先生の方だろう。似たような話を、教わったフランス語の先生たちが言っていたのを思い出す。自分こそがフランス文化の伝達者であり、フランス文化(とくに文学)を研究している私はフランスから権威を授かっているんだ、という主張だ。

グローバル化はそういう国民国家的な権威をすり抜けていく。ヴィトンのグローバル化と同時に、そういう権威も失墜してしまったわけだ。ヴィトンは何も知らずに持つのが正しい。フランスが起源だということすら知っている必要はない。

ヴィトンはすでにグローバル企業体LVMH(モエヘネシー・ルイヴィトン)として、いくつものヨーロッパやアメリカの企業を傘下に収めている。ヴィトンもフランスの血統や伝統を守ることには関心がなく、その人脈は国際的に入り乱れている。ヴィトンのプレタポルテを始めたデザイナーのマーク・ジェイコブスはアメリカ人だし、傘下のディオールで活躍するのもイギリス人のジョン・ガリアーノ(ジブラルタル生まれ)だったり。

今日(13日)からヴィトンの全製品のうち約半分が平均で2.5%値上げされた。今年の4月にも平均4%の値上げをしている。日本での小売品価格は最初からフランスの1.4倍の水準に設定されているが、ユーロ高のせいでさらに価格の調整を強いられている。

一方で、ルイ・ヴィトン・グループ=LVMH(モエヘネシー・ルイヴィトン)の企業業績は絶好調。1-9月期(3Q)の売上高は前期比11%増の106億2600万ユーロ(約1兆6000億円)に達し、通期決算が大幅な増益になるとの見通しも改めて示している。

ヴィトンは相変わらず人気だが、日本人の平均収入は下がる一方で、ユーロ高の進行でヴィトンは高くなっている。さっきの女子大みたいに、「1億総ヴィトン」な時期もあったが、それは「1億総中流」の象徴みたいなものだった。それを支えていたのは「分厚い中流層」と「強い円」だった。格差社会とユーロ高の進行で、ヴィトンは再び昔のように誰でも持てるわけではないレアなアイテムになってしまうのだろうか。そのうち日本人の手から完全に消え、中国人やロシア人やインド人やブラジル人の手に渡ってしまうのかもしれない。


■「COURRiER Japon (クーリエ ジャポン) 2006年 11/16号
…特集「ファッション業界の内幕−有名ブランドを動かす権力者たち」
★エントリーはこの特集を参照しました。




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2006年08月31日

COMPTOIR DES COTONNIERS −フランスの母娘ブランド

cotonniers01.gif8月27日付けのYAHOO!ニュース(ファッションサイト) にフランスのブランド「COMPTOIR DES COTONNIERS」が日本で新しいショップをオープンさせることが報じられていた。内容は以下の通り。

「デイリーに着られるコレクションブランド」としてフランスで大人気の「COMPTOIR DES COTONNIERS(コントワー・デ・コトニエ)」。母と娘の間柄で感じる暖かさをコンセプトに、ナチュラルな素材を使ったエイジレスな魅力を感じさせるスタイルを展開しています。この秋、青山の路面店をはじめニューショップが続々オープン!8月31日(木)の池袋東武を皮切りに、9月2日(土)名古屋松坂屋、9月7日(木)青山に路面店、9月28日(木)には町田モディに新しいショップがオープンします。ベーシックなデザインに程よくトレンドをプラスしたコレクションは今すぐワードローブに加えたいものばかり。新ショップに足を運んで、パリのエスプリを堪能してみては(…)

「コントワー」ではなく「コントワール」だと思うが。「綿紡績工のカウンター」って意味なんだろうか。

「コントワー(ル)」は、革新的なマーケティングによって2000年以来、女性向けのプレタポルテの旗手として毎年35%の売り上げ増加を続けている。プランタンやギャルリー・ラファイエットという老舗デパートでもトップの売り上げで、近年まれに見るフランスのプレタポルテ界のサクセスストリーを演じている。

「コントワー(ル)」の離陸は慎重だった。1995年にトニ・エリシャによって創業されたが、2年後の1997年にはパリとトゥルーズの2つの店しかなかった。しかし、その年、大掛かりなスタートを切ることになる。ゴーサインが出たのは「母娘が一緒に買物をする」ということに気がついたときだった。それ以来、「コントワー(ル)」は母娘をターゲットにした戦略を展開し、母娘がデュエットしたレコード、母娘のテニス・トーナメント、母娘をテーマにした文学賞などを企画し、「コントワー(ル)・デ・コトニエ」というブランドのコンセプトを広く認知させた。サイトを見ると8組の親子モデルが紹介されている。サイトでかかる曲がやけにかっこいいが、これも母娘のデュエットなんだろうか。

販売戦略のひとつとして、ショッピングセンターにあまり行かず、歩いて買物をする上流の客を想定した、街中の小さなブティックを重視している。そのような客はブランドと結びつきが強くなる。メガストアに店舗を構えるよりも、人間的な関係を築くことができ、小さな店舗面積で効率よく売上を計上できるようだ。

創業者のエリシャ一族は経営から手を引き始めている。そして「コントワー(ル)」の31%の株を持ち、51%の議決権を持つのは何と日本の「ファースト・リテイリング」(「ユニクロ」を展開する会社)だ。社長のフレデリック・ビウス氏は「近いうちに100%に達するのは当然の成り行きだろう」と言っている。つまり、「ファースト・リテイリング」の子会社になるってこと?「ファースト・リテイリング」の世界戦略も着々と進んでいるようだ(詳細はコチラ)。

母娘をマーケティングのターゲットにすることは日本でも常套手段になっているが、確かに母と娘は最強の消費タッグだ。日本では「友達親子」と称して互いに同一化するベッタリした関係だが、フランスの母娘関係はもっとクールな感じがする。少なくともペアルックはありえないだろう。それぞれ個別の存在を主張しながら、反発や嫉妬の感情なんかが介在して…と、サイトの母娘写真を見ているといろいろ想像してしまうが、消費主義のグローバルな進行によって日本とあまりかわらない状況になっているのかも。

それにしても母娘の関係は見るからに楽しそうで、うらやましい。私は息子とそういうことを時々やってみるが、何だか乗り切れない。

サイトも一見の価値あり。日本語版もある。生バンドを使ったカジュアルな演出のショー(défilé)も見れる。


■サイトhttp://www.comptoirdescotonniers.com/
■問合せ03-5410-1231(COMPTOIR DES COTONNIERS-JAPAN)
■参考資料Le journal du management(06年3月10日付)


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2006年07月28日

「オリーブ」世代

olive01.jpgFBNを読んでおられる学生の方々は「オリーブ」という雑誌のことを知って、あるいは覚えておられるのでしょうか。この雑誌はマガジンハウスから、当初同出版社から刊行されていた「ポパイ」の妹版という名目で、おそらく10代後半の女の子たちをターゲットに1982年に創刊されました。翌83年に大幅リニューアルされ、その後展開された独自の世界観は一部の少女たちに熱烈に受け入れられました。

正直言うと私は友人が買う「オリーブ」を借りて読んだり、興味のある号だけ買ったりする程度で熱心な読者とはいえませんでしたが、それでも「ティーン」とは言えない世代になってもよく手に取って読んでいたし、お気に入りの号は今でも捨てきれずに置いてあったりするのを考えると、やっぱり特別な雑誌だったのかなあと思います。

「オリーブ」を読み解くキーワードのひとつに「リセエンヌ」というのがあります。これはフランス語の lycéenne つまり「女子高生」のこと。センスのいいインテリアや雑貨に囲まれて、おしゃれを楽しみ、素敵な男の子と恋をする。だけどそれだけじゃなくて、映画を見たり本を読んだり美術館へ行ったり自分を知的に磨くのも忘れない。そんなフランスの女子高生のライフスタイルをお手本に!というメッセージは雑誌のいたる所から発せられているのでした。もちろんこの女子高生のイメージは虚構のものだと言ってしまえばそれまでですが、「オリーブ」製のリセエンヌ像をしっかりと刷り込まれ、あこがれの国フランスに思いを馳せていた「オリーブ少女」たちは少なくなかったでしょう。

例えば今手元にある「オリーブ」355号(1997年11月3日号)を開いてみると、「ときめく! ロンドン」や「コートの季節がやってきた」などはまだしも、「自分を見つける本の旅 太宰治と三島由紀夫のすすめ」だの、カジ・ヒデキ、サニーデイ・サービス、中村一義、山崎まさよしなどを取りあげた「おれたちゃ天才? ミュージシャン」だのといった特集のタイトルを見れば、他のティーン向け雑誌とは一線を画していたことは歴然としていますね。

その特異性のため発行部数が伸びなかったのでしょうか、再々度リニューアルされたもののこの雑誌は2003年に休刊することになりました。もはや定期刊行物として見られないのは残念ですが、それでも「オリーブ」は時おり「特別編集」という形で本屋に姿を現していて、さすがに「リセエンヌ」という言葉は見られませんが、相変わらずのマイペースぶりを披露してくれています。そのほか「オリーブ」の精神は少々形を変えて、同じマガジンハウスから出版されている「クウネル」などの雑誌に受け継がれているように思います。

「オリーブ」全盛期の80-90年代の読者たちは、おそらく今では20代後半から30代ぐらいでしょう。彼女たちはちょうど今ブログ活動の中心世代にあたるのではないかと思われます。実際かつて「オリーブ少女」だったと思われる女性たちは高感度なウェブサイトやブログを運営していることも多く、彼女たちの視点のするどさや知的好奇心の旺盛さに私もしばしば発奮させられます。


exquise@extra ordinary #2

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2006年06月23日

FLOWER BY KENZO

flowerbykenzo01.jpg美は芸術作品の中にあるだけでなく、日常的な光景の中にも散らばっている。それは広告やCMであったり、商品のパッケージだったりする。それは消費へと駆り立てるものにすぎないという批判はあるにせよ、現代都市の殺伐としたハイテクな日常から、一瞬の非日常性へといざなってくれる。過酷な現実があるからこそ、それは鮮烈で深い瞬間になる。咲き乱れる赤い花は、現代の都市空間にうがたれた夢のようだ。まさにそういうイベントが行われた。

2001年5月。パリのポンピドゥーセンター前広場とヴァンドーム広場を2万本のひなげしが埋め尽くした。このイベント、「フラワー・イン・ザ・シティ」の最後には、通行人が一本一本ひなげしを摘み取って持ち帰った。同じイベントがロンドン、ミラノ、モスクワ、香港で行われた。

flowerbykenzo.jpg実は、ひなげしは香水を飾るにはふさわしくない花なのだ。なぜなら、咲き乱れる赤い花から感じる情熱とは裏腹に、ひなげしにはほとんど香りがない。だから、この花から香水の香りをイメージできない。逆に香水によって花は香りを吹き込まれる。そういう手の込んだコンセプチュアルな仕掛けはフランス人の得意技だ。こういう複雑で、矛盾をはらんだイメージ操作を楽しむ感性と余裕が欲しいものだ。

FLOWER BY KENZOのサイトも洗練度が高く、手も込んでいて一見の価値あり。つかみどころのない、不安定で、エフェメラな構成は、香りがなくても楽しめる、視覚化された香りのようだ。

花の成長によりそうような、このシリーズのボトルの形も印象的だが、ひなげしの成長に合わせた3つのサイズがある。そして今回、このコンセプトに触発された3人のアーチストがパッケージのために絵を描き、限定商品として発売中。サイトでも紹介されている。

FLOWER BY KENZO 公式サイト

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FRENCH BLOOM NET 最新記事「ブロークバック・マウンテン」(06/23)
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2006年02月27日

ISSEY MIYAKE 2001 PRINTEMPS-ETE

IMG_0218.JPG学生さんからパリコレのことを書いて欲しいとよく言われるのだが、パリコレはファッションの国フランスの象徴として漠然とイメージされているのだろう。個人的にはパリコレってあまりチェックしてないのだが、イッセイ・ミヤケ、2001年春夏コレクションだけは別だった。

ファッションショーというよりはパフォーマンス・アートといった趣きで、パリにある ECOLE DES BEAUX-ARTS(国立の美術学校)が舞台として使われた。

伝統のある美術学校の重厚な空間を、モデルたちが軽やかに行き来する。柔らかい素材を細かく折り畳んだプリーツがゆらゆらと戯れ、トライバルなモチーフがプリントされたワンピースの裾にはワイヤーが入っていて、帆のように空気をはらみ、女性たちをいっそう軽やかに見せる…

IMG_0222.JPGSILENT POETS という日本のアーティストがこのコレクションのために音楽を提供している。サウンド・エフェクトを駆使した美しいダブ。艶やかなストリングスもドラマティックな色合いを添えている。SILENT POETS は1枚目から聴いているが、3枚目のアルバム「WORDS AND SILENCE」では MENELIK というフランスのラッパーも起用し、フランスとも縁が深いアーティストだ。アルバム「TO COME」など、最近の洗練されたサウンドには圧倒されるばかり。ISSEY MIYAKE のために使われた音楽は RED EYES TRIBE というタイトルで「ファッション音楽」のコンセプト・アルバムとして発表されている。

SILENT POETS にはアンビエント的な試みもあり、BEAMS が手がけたプロジェクト hotel id+ (第一ホテル東京の全室をプロデュース)に、ホテルの客室のための音楽を提供している。これも愛聴しているが、身体も意識も心地よくクールダウンしてくれる音だ。

ISSEY MIYAKE は99年春夏ミラノ・コレクションでは同系のアーティスト、竹村延和とタイアップ。こちらも、今の季節にもぴったりの、癒し&クールダウン系アンビエント。竹村も SILENT POETS も、どちらかというと、世界的に知られ、活躍しているアーティストと言えるだろう。要チェック、といいたいところだが、アルバムは入手が少々困難かも。いちおう、リストアップしておく。

□Silent Poets / For Issey Miyake 2001 Sring&Summer Collection Red Eyes Tribe
□竹村延和 / Milano for Issey Miyake Men By Naoki Takizawa
□Michiharu Simoda(Silent Poets)/Soundtrack For Hotel id+ (この中の曲がIt’s my style“barefoot”に収録。シップスやビームス、HAKKAといった人気セレクト・ショップのスタッフたちが、それぞれ選曲したコンピ)




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