2008年01月29日

「マダム・ビザール マリー=ロール・ド・ノアイユのパトロン人生」

MLN001.jpg芸術の陰に芸術家たちの苦闘ありとは申しますが、アトリエで、書斎 で芸術家がじたばたすれば芸術作品が生まれるかというと必ずしもそうではない。絵を描くにも絵具が、キャンバスがいるように、芸術作品の完成にはおカネが必要。美術館で観る事ができる作品の大半は、パトロンが気前よく解いた財布のヒモのおかげでこの世に存在しているのです。 

20世紀を代表する芸術様式、シュールレアリズムの陰にもやはりパトロンの存在がありました。スキャンダラスで挑発的な若い芸術家たちの試みを支えたのは、マルキ・ド・サドの血を引くフランスのマダム、マリー=ロール・ド・ノアイユです。

由緒正しきフランス貴族の母と、裕福なドイツ系銀行家一族の父との間に生まれたマリー=ロールは、生後18ヶ月で父を、7歳にして父方の祖父を失いヨーロッパでも指折りの資産を相続します。家庭教師と修道院付属の学校で教育を受けた、ボードレールを暗唱する青白い文系箱入り娘が社交界へのお披露目後に嫁いだのは、フランス社交界きってのダンディ、ノアイユ子爵でした。
 
結婚当時、・ド・ノアイユ子爵は2つのことに情熱を注いでいました。一つはスポーツ。南仏の別荘にフランス初の全天候型プールを設置。専属のスポーツインストラクターを雇い入れ、男性の招待客の部屋には水着と運動着が用意されていました。(60を超えてお招きを受けたアンドレ・ジイドも、もろ肌脱いで汗まみれでバレーボールに興じたとか。)
 
もう一つは前衛芸術。独身時代にも既にピカソの絵を購入していた子爵は、結婚後積極的に当時の前衛芸術家達の作品を買い求め、活動を援助します。ダリ、マックス・エルンスト、コクトー、マン・レイ(マリー=ロールのポートレイトも手がけました)、ピカビア、モンドリアン、ブランクーシにジャコメッティ。別荘の設計をル・コルビジュエに打診したり、プーランク等作曲家達にも作品を委嘱したりもしました。ジャン・ミシェル・フランクによる、装飾性を徹底的にはぎとったモダンデザインの室内に、遺産相続した古典芸術の至宝と新たに買い求めた前衛芸術が一緒くたに展示された子爵夫妻のパリの邸宅は、前衛芸術家のサロンとなります。
 
洒脱な夫に付き従い、プーランクを”Poupoule”と戯れに呼んでみたりする無邪気で幸せな若奥様、マリー=ロールにやがて転機が訪れます。夫が出資したダリとブニュエルの映画「黄金時代」のスキャンダルです。カソリックを徹底的にからかった、シュールレアリズムを代表する映像作品は法王はもちろん社会の轟々たる非難を浴び、子爵夫妻の名誉と評判は泥にまみれてしまいます。傷心の子爵は別荘で庭いじりに没頭し、社交の場に現れる事はありませんでした。

そして更なる「事件」が彼女を見舞います。夫がインストラクターと同衾しているのを目撃してしまったのです。頼りとしていた夫に裏切られ、世間からも手ひどい仕打ちを受けたマリー=ロール。自分の足で歩き始めることを余儀なくされた彼女は、見事な変貌を遂げます。自らの意志でパトロネスとしての人生を選び取るのです。おカネを出すだけにとどまらず、これと見込んだ芸術家の衣食住全ての面倒を見、時に愛人にしました。指揮者・作曲家でディアギレフともゆかりの深いイゴール・マルケヴィッチとの関係は特に有名で、病に倒れたマルケヴィッチを転地療養させ、自ら看護婦役を買って出たといいます。

また、歯に絹着せぬ物言いで有名だった母方の祖母の血を受け継いだのか(Merdeという言葉を人前で口にしたフランス初の社交界のマダムとして有名)、言動も大胆不敵、過激になってゆきます。シャネルのシンプルなスーツを制服のように身にまとい、きわどい会話を楽しみ(晩餐の席で大人のおもちゃの話を公然と口にしたといいます)、美男にはとことん甘く、女達にはとてつもなく厳しい。これがマリー=ロールのスタイルでした。晩年、ルイ・マル(Louis Malle)と恋人関係にあった話題の女優、ジャンヌ・モローがナポレオン家の末裔と連れ立って歩くのを観て、こんなことをいったそうです。”Elle va de mal en pire”(「彼女はひどくなる一方だね」・・・マル(mal=Malle)と皇帝(empire=en pire)をひっかけたマリー=ロール流の皮肉です)。遠い先祖であるマルキ・ド・サドの事を誇りにし、シュールレアリストの友人達に、『ソドムの120日』を音読させては楽しんだそうです。
 
気に入ったものには節操なくのめり込むひとでもありました。愛人が左翼であれば、「赤い子爵夫人」とあだ名されるほど熱心に左翼の集会に出席する一方、占領下のパリでナチの将校とも関係を持ちました(「彼はオーストリア人なんだから」というのがマリー=ロールの弁明だったそうですが)。世間は世間、私は私、という超然とした貴族的な態度が彼女の魅力であったと身近な人々は語っています。
 
戦後はでっぷりと太り、シャネルをあきらめお腹を隠すために農婦の着るようなスカートに籠というお洒落とは言い難いスタイルに落ち着いたマリー=ロール。服装倒錯趣味のルイ14世みたいと評され、「きれいになるには十数回手術しなくちゃね」と我が身を茶化す一方で、1970年に68歳で生涯を閉じるまで生き方は変えませんでした。最晩年に観た500人の若者からなる軍のパレードに「見て!目の保養が500人も通り過ぎて行くわ!」と歓声をあげたという逸話が残っています。彼女の愛したパリの邸宅はイタリアのクリスタルメーカー、バカラの美術館として一般に公開されています。室内はフィリップ・スタルクによってすっかり改装されてしまったものの、当時の面影をしのぶことができます。



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2007年08月13日

ファッションの王様 ポール・ポアレ再び

poiret02.jpg20世紀の初めに彗星のように現れ、第一次世界大戦まで一世を風靡したファッションデザイナー、ポール・ポアレに今、再び熱い視線が注がれています。女達をコルセットから解き放った立役者、オリエンタリズムの代名詞。これまでファッションの歴史を飾る「大物」としてのみ語られてきたポアレを多面的に捉え直そう。この5月からニューヨークのメトロポリタン美術館で開催されている展覧会はそんな風潮の顕著な例と言えます(スポンサーはバレンシアガ。ポアレへの業界内の関心の高さが伺えます。)
 

スポットがあたっているのは、現代のファッションデザイナーのひな形とでも呼べそうな、ポアレその人の多面性です。野心家であったポアレは「淑女のための仕立て屋」に甘んじず、生活全てについて素晴らしいデザインを提供することを理念に掲げた企業家でもありました。娘の名を冠した香水からインテリアデザイン、学校経営まで、手がけたビジネスは多岐にわたります。
 

またPRマンとしても手腕を発揮します。史上初のファッションショーを仕掛けたのみならず、トレンドセッターとして様々なイベントを企画、ミューズである妻のドニースに最新作を着せ送り込んだのです。最も有名なのが、千夜一夜物語の向こうをはって開催した「千夜二夜の宴」で、スルタンの寵妃に扮したドニースを初めポアレのデザインの特徴であるオリエンタル調の豪奢な服に身を包んだ人々で、会場は溢れかえりました。(ドニースは、単なるアイコン以上の存在、ポアレを解き明かすキーパーソンとして高く評価されています。)
 

芸術家と呼ばれることを望んだ最初のデザイナー。それもポアレでした。同時代のきら星のごとき芸術家と交わりパトロンとなることに飽き足らず、美の追求のために自らも世の常識に挑戦しました。足を見せること、は彼が手がけた挑戦の最たるものです。色鮮やかなストッキングに包まれた足がスリットからちらちら見えるドレスをデザインしたポアレは、モデルにこのドレスを着せ社交場であるロンシャン競馬場へ出向きます。身の危険を感じるほど観客の怒声罵声を浴び、モデルと我が身を守るために杖を振り回し這々の体で退散したそうです。


poiret01.jpgレ・アールの生地商人の子として1789年に生まれ、洋傘商の奉公人から身を立て若くして時代の寵児となったポアレ。その後半生は、過酷なものでした。第一次世界大戦後、軍服作りにかまけてファッションの現場を離れていた彼を待っていたのは「時代遅れ」の烙印でした。戦中に女性のライフスタイルは劇的な変化を遂げ、活動的な美しさ、実用の美が求められるようになっていたのです。ビジネス上の失敗もあり店を閉めたポアレは忘れ去られ、困窮のうちにドイツ占領下のパリで世を去ります。生活のためバーテンダーとなり、布巾で自分の服を拵えていたと伝えられています。


徒弟時代の唯一の楽しみは、作業場に打ち捨てられた絹の端切れで妹にもらった木の人形のドレスを拵えることだった、とポアレは語っています。夢の衣装をまとった人形を相手にきらびやかな世界を夢想した孤独な少年は、ついに夢幻を現実のものとしました。自らあだ名したように、ポアレは、恐れを知らぬ「ファッションの王様」としてあの時代に君臨したのです。


最新号のヴォーグUS版は、彼のデザインにインスピレーションを受けた現代のデザイナーの作品をトップモデル、ナターリアに着せて「ポアレの時代」を蘇らせようと試みています。服自体はポアレのオリジナルではありませんが、展覧会でみる美術品としてのドレスからは想像し難い、ベル・エポックの活きた雰囲気が濃厚に感じ取れる好企画です。

http://www.style.com/vogue/feature/050107

Paul Poiret (Metropolitan Museum of Art Publications)また、同誌のウェブサイトでは、ポアレの特集を組んでいます。当時の写真、イラストもふんだんに盛り込まれポアレの全体像を知るには最適です。20世紀初頭のフランス、ヨーロッパ文化に関心のある方は、ぜひチェックしてみてください。

http://www.style.com/trends/stylenotes/043007

ニューヨークのメトロポリタン美術館で開催されているポワレの展覧会の図録も近々発売されるようです。

Paul Poiret (Metropolitan Museum of Art Publications)


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2007年07月27日

C DE C ファッショニスタが手がけるフランス発おしゃれ子供服

aquagirl01.jpg低下する一方の出生率と裏腹に加熱する一方の子供服市場。某国産モード誌ではお洒落ママのための子供服のページが設けられ、かのヴォーグでさえキッズ特集を組むご時世。有名デザイナーが子供服を手がけるのももはや珍しいことではなくなりましたが、フランス発の新たな子供服のブランドが注目を集めています。

仕掛人は、二人の子供のママであるコーディリア・ド・カステラーヌ。まだ20代後半ですが、ハイティーンの頃からエマニュエル・ウンガロのもとでプレスとして働いてきた筋金入りの業界人です。酒造メーカー、バカルディー社会長を父に、オナシス家のインテリアを手がけたデザイナーを母に持ち、叔父はデザイナーのジル・デフュールという恵まれた環境に生まれた彼女。

ほんの子供の頃から、当時シャネルでカール・ラガーフェルドの右腕として働いていた叔父の仕事場に出入りし、華やかな世界の舞台裏を遊び場にして育ちました。(「叔父さんとこのスーパーモデルみたいになりたい!」とメイクした上ハイヒールで小学校へ登校、シスターから大目玉を食らったこともあるとか。)

贅沢な衣装を日々楽しめる身であるけれども、ファーストファッションチェーンのラインナップにもチェックを入れずにはいられない。クローゼットにはディオールのヴィンテージのファーコートが何枚もあるけれど、チープな服で有名なアパレル大手H&Mの大物デザイナーとのコラボ商品は行列してでも手に入れる。

そんなファッションの申し子であるカステラーヌが、これまで培ってきた美意識と哲学を活かす場として、従姉達と立ち上げたのが、自身の名を冠した子供服のブランド、C DE Cです。

“C DE C”のコレクションは、いわゆる普通の子供服とは一線を画しています。

ひらひらフリフリとは無縁なすっきりしたラインに、繊細で遊び心のある細部。コドモらしい元気な色を避けた、独特の甘い色使い。大人の間でトレンドになっているバレーシューズも数種類取り揃えるなど、ツボを押さえたラインナップも見逃せません。しかもお値段は、上質の素材で仕立てられているにも関わらず50ユーロ以下、とお手頃。「子供の服って破れたり汚れたりするもの。すぐに大きくなって着れなくなるものだし」というデザイナーの実体験に即した値段設定だそう。ただし、フランチャイズ化する計画は毛頭ないのだとか。

ママのベンチャー企業として立ち上げられたばかりの“C DE C”は、販売経路もウェブサイトと委託した個人によるトランクショーに限定されるなど、ブランドが世界のママたちの間に浸透していくにはまだまだ時間がかかりそうですが、コレクションはますます充実していく模様。ニットのデザインを叔父さんに、従姉であるヴィクトワール・ド・カステラーヌ(ディオールのアクセサリーデザイナー)におもちゃのアクセサリーのデザインを任せることも検討中だとか。今後の展開に目が離せません。


□C DE C:http://www.cordeliadecastellane.com



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2007年07月05日

カール・ラガーフェルドが語る、シャネル07/08年オートクチュールコレクション


★パリで3日、シャネル(Chanel)の07/08年オートクチュールコレクションが発表された。動画を見ると、カール・ラガーフェルドが新作についてフランス語でまくし立てている。初めて動いている姿を見たが、やはりけったいなオッサンだ。デヴィッド・リンチも登場し、悪天候が逆にショーを引き立てていると絶賛。この動画を見たあと、改めて GOYAAKOD さんのエントリー「Mr. Lagarfeld, Who are you? 知っているよで意外に知らないあの方のこと」を読むとエキセントリックなキャラにも親近感が湧いてくる。


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2007年06月27日

DETAIL JAPAN 7月号 全冊特集:ル・コルビュジエ 開かれた建築

DETAIL JAPAN (ディーテイル・ジャパン) 2007年 07月号 [雑誌]「DETAIL JAPAN ディーテイル・ジャパン」 2007年 07月号 [雑誌]
“全冊特集:ル・コルビュジエ 開かれた建築”

この特集では、創造者=表現者はまず感化されることから始めるといういつ変わることのない真実を生涯を通して体現したル・コルビュジエの教えに忠実に、彼自身の建築や住宅から新たに「感化される」ことを目指しています。

そのために、カラー写真と図版など、豊富なヴィジュアル資料とともに、第一線で活躍する建築家などによるル・コルビュジエの建築および住宅の再読を通して、いまだ汲み尽くされていないその建築の潜在可能性を多方向から探っていきます。(紹介文より)

取り上げられる主な作品(カラー写真あるいはカラー図版付き):
オザンファン邸、カップ・マルタンのキャバノン、カルタゴの家、クック邸、クルチェット邸、サヴォワ邸、ジャウル邸、シュオブ邸、スイス学生会館、スタイン邸、ナンジェセール・エ・コリ通りのアパート、ペサックの集合住宅、ベステギのアパート、マルセイユのユニテ・ダビタシオン、ラ・トゥーレット修道院、ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸、ロンシャンの教会堂、ワイゼンホフのジードルンク

★ル・コルビュジエ Le Corbusier はスイスで生まれ、主にフランスで活躍した建築家。かつて「パリ国際大学都市スイス学生会館」の住人であった「キャベツ頭」さんが main blog の方にコルビュジエの建築について2本エントリーを書いてくれています。雑誌の方は明日発売!

ル・コルビュジエの建物(1)−パリ国際大学都市スイス学生会館
ル・コルビュジエの建物(2)−パリ国際大学都市ブラジル学生会館

ル・コルビュジエ(Wikipadia)


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2007年06月19日

Vogue en beauté, 1920-2007

vogueBNF.jpg数日前のことですが、BNF(フランス国立図書館)のロビーで「Vogue en beauté, 1920-2007」というBNF主催の写真展(6月12日〜9月2日)のヴェルニサージュ(オープニングパーティ)が準備中でした。ショッキングピンクと濃紺の組み合わせでテーブルや花やグラスがセッティングされていて、スタッフのコスチュームもこの色でデザインされたものだったのですが、さすがファッション関係の展覧会、その華やかさとこれから向かう図書館の閲覧室という地味な空間のギャップに目がくらみました。ちなみに翌日には夢の跡形も無くパーティ会場は消えていました・・・。

通りすがりに展示をちら見してきましたが、リバイバル効果か、モードの初期写真は現在のものと比べても区別がつかないくらい、完成度も高いですね。ちなみに、シュルレアリスム写真家として有名なマン・レイ Man Ray も、1920年代には「ヴォーグ」誌のために写真を撮ったりしていました。実は、同じ写真が商業写真とはちがう文脈でシュルレアリスムの機関誌で使われていたりしてなかなか興味ぶかいのです。

VOGUE S'EXPOSE EN BEAUTE


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2007年04月28日

Zadig & Voltaire ザディグ エ ヴォルテール

voltaire02.jpgFRENCH BLOOM NETの人気キャラ、「ふらんせ&じゃぽね」が紹介してくれた、Zadig & Voltaire。フランス18世紀の啓蒙思想家&作家、ヴォルテールの名前と彼の小説のタイトルからとられたフランスの注目ブランド。

まずは「日経WOMEN」の記事からの抜粋。

「日本第1号店となる直営店が3月9日、東京・南青山にオープンしました。パリっ子には日常着として親しまれていて、フランスを代表する女優エマニュエル・ベアールもファンだそうです。カンヌ国際映画祭の興奮もさめやらぬところですが、フランスの映画女優も普段着として着ているという大人のリアルクローズ・ブランドが日本上陸を果たしました。フランス生まれの「Zadig & Voltaire」(ザディグ エ ヴォルテール)はシルクやカシミヤといった上質の天然素材を使った、ラグジュアリーなリアルクローズを提案するブランドです」(日経WOMEN‐「ビューティー」東京ショップめぐり)

Zadig & Voltaire printemps/été 2007(2007年春夏コレクションのスライドショー)

★公式サイト
http://www.zadig-et-voltaire.com/

ブランド辞典による Zadig & Voltaire

関心空間による Zadig & Voltaire

サザビー・リーグ:Zadig & Voltaireを日本で展開する会社。スターバックスコーヒー・ジャパンの親会社でもある
「ザディグ エ ヴォルテールは、1989年にフランスのティエリー・ジリエにより高級婦人服専門ブランドとして誕生。独自にアフォーダブル・ラグジュアリーのブランドコンセプトを構築し、お洒落なパリの雰囲気の薫る新感覚の贅沢を提案しています。すでにヨーロッパ各国において成功を収め、現在アジア及びアメリカに事業展開を進めています」


SHOP INFO : Zadig & Voltaire en France
- 15, rue du Jour - 75001 Paris
Tél:01 42 21 88 70
- 42, rue des Francs Bourgeois - 75003 Paris
Tél:01 44 54 00 60
- 1, rue du Vieux Colombier - 75006 Paris
Tél:01 43 29 18 29

SHOP INFO : Zadig & Voltaire au Japon
Japan / TOKYO / AOYAMA / Femme - Enfant - Homme
5-5-4 Minami-aoyama, Minato-ku 107-0062 TOKYO
Tel:03-5778-0351

Japan / TOKYO / GINZA / Femme - Enfant - Homme
5-1-7 Ginza, Chuo-ku 104-0061 TOKYO
Tel:03-5537-3700

SHOP IN SHOP(関西)
Japan / KYOTO / JR KYOTO ISETAN / Femme
JR Kyoto Isetan 3F
Tel:075-352-7302


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2007年04月25日

フランツ・フェルディナンドとロシア構成主義

このところのイギリス・ロック界は、若いパワーが方々で炸裂して、なかなか盛り上がっています。なかでもフランツ・フェルディナンド(Franz Ferdinand)という名の4人組は、細身のスタイルでまとめた端正なルックスに、80年代のニューウェイヴを彷彿とさせる音で一昨年大型新人として注目を集め、去年出た新アルバムも評価が高く(その中にも入っている "Do you want to" は今ソニーのCMに流れています)、ノリにノッているバンドです。音だけでなく、彼らのヴィジュアル戦略も面白い。アルバムのジャケットや、公式サイト、そしてヒット曲 "Take me out" のプロモーション・ヴィデオ(以下PV)はどこかで見たような・・とよくよく考えてみたら、ロシア構成主義の作風をまんま取り入れているのでした。

ロシア構成主義って実際のところ何なんだろう、と調べてみると、ロシア・アヴァンギャルドと呼ばれた美術運動のひとつで、このロシア・アヴァンギャルドというのは、19世紀末からロシアでフランス近代絵画を始めとする西欧美術が次々紹介されたことで、20世紀初頭に突如生まれた芸術現象を包括したもの。ウィキペディアには、ロシア構成主義の「特徴は、抽象性(非対象性・幾何学的形態)、革新性、象徴性等である。平面作品にとどまらず、立体的な作品が多い」とあります。

franz_ferdinand1.jpg

"Take me out"のPVは、コラージュ (collage) 技法によるアニメです。コラージュというのは、もともとピカソやブラックといったキュビスムの画家たちが実践していた、カンバスに絵の具以外の要素を貼付けるパピエ・コレ (papier collé) をさらに発展させたもので、ドイツのダダ、フランスのシュルレアリスムといった芸術運動においても、さかんに行われました。現実の断片を作品に直に取り込みながら、イメージとイメージがぶつかりあい、さらには思いも寄らぬ新しいイメージが生み出される・・という効果を狙ったものでした。立体的な要素を使った3次元的なものはアッサンブラージュ (assemblage) 、写真を取り入れたものはフォトモンタージュ (photomontage) と呼ばれ、ロシアではアレクサンドル・ロトチェンコなどがコラージュやフォトモンタージュの作品を多く残していますが、彼の作風はまさにフランツのPVに激似です。

ロシア構成主義の精神はその後ドイツの造形大学バウハウスの理念に影響を与え、そのバウハウスの理念はアメリカや日本など受け継がれていきます。20世紀初めのヨーロッパは、ロシア・アヴァンギャルドのほか、ダダイスム、シュルレアリスム、未来派などといった前衛的な芸術運動が次々と生まれ、それぞれが互いに影響し、影響されあいながら発展し、さらに世界へと発信されていくという、活気ある状況だったんですね。そして、それが時代を経てイギリスのロックバンドのPVに使われるなんて、感慨深いじゃありませんか。

今回はフランスとあんまり関係ない内容でしたが、そこはまあご愛嬌。一応技法名は全部フランス語だ、ということで。

(2006年3月25日のエントリーを再掲)


Take me out / Franz Ferdinand (PV From Youtube)


フランツ・フェルディナンド
フランツ・フェルディナンド
ソニーミュージックエンタテインメント (2004/08/04)
売り上げランキング: 22535
おすすめ度の平均: 4.5
5 最高のデビュー作!
4 「Take Me Out」にやられてねぇ
5 踊れるロックの定番。




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2007年04月10日

フランスの広告

たまごパックにも遂に広告が登場するようになって、巷に雨が降るように、ぼくたちの視界には広告がたえず飛び込んできます。街を移動するぼくらの眼に映るものといえば、人の背中と広告ばかり? 電柱にこっそり貼られた手書きの広告に始まり、車内広告、新聞・雑誌・本にも、ビルには看板が掲げられ、夜には電飾が輝く。大都市から村まで、どんなところにも広告が進出しています。

もう少しなんとかならんもんかいなとは思うのですが...

で、フランスの広告。フランスに広告がないわけではありません。結構、目につきます。メトロの駅には巨大な広告ポスターが貼られています。けれども、決して「なんとかならんもんかいな」とは思わないのですね。なかなか面白いものが多くて、感心してみてしまいます。そういえば、むかし、「フランスの広告戦略」なんて授業を聴いたなと記憶が甦ってきました。キャッチコピーの作られ方とか、イメージの提示の仕方なんかの上手さ、フランスらしさを教えていただいたような、ちがったような。
 
まあ、なんにせよ、たとえば、メトロの駅のあの巨大ポスターを貼る作業はなかなかの見物です。技です。機会あれば、ぜひご覧あれ。

今日は「おっ」と思ったフランスの広告を2点紹介。

pause02.jpg

上下はHSBCのもの。シャルル・ドゴール空港のあちこちに、いろんなヴァージョンで貼られていました。Etre ouvert sur le monde, c'est comprendre les différences de points de vue. というコピー(下)はありふれたものですが、空港という多様な人々が行き交う場で、日常的なものを並べてみせる、並べて読ませる、並べて考えさせるというのは「視点の多様さを理解する」ことを可能にするかもしれません。アメリカ型グローバリゼーションという「閉じた」世界化ではなく、「開かれた」世界化を心がけたいものです。

HSBC01.jpg

最後に、こちらはパリ市のごみ収集車の車体横に見つけた広告。公共広告ですが、インパクトあります。Pas de ça chez vous ? Paris c'est chez vous ! (家ではそんなことしませんね? パリはあなたの家なのですよ!)。声に出して読むと、音の響きもいいですね。

chezvous03.jpg


Pst

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2007年02月20日

RHESUS & COMPTOIR DES COTONNIERS

cotonniers01.jpg去年アクセスの多かったエントリーのひとつが、「コントワー・デ・コトニエ COMPTOIR DES COTONNIERS 」(コントワールが正しい読みのはず)。フランスの産業新聞に載っていた記事を紹介したのだが、母娘の組み合わせにターゲットを絞ったマーケティングを展開するブランドだ。

コントワー・デ・コトニエの2007年春夏コレクション printemps/été 2007 は50-60年代のヒロインたちにインスパイアされ、「レトロ=グラマー rétro-glamour」なエスプリが反映されていると言う。それを披露したファッションショーは去年の12月11日に、パリ16区のトロカデロ広場にある Musée de l’homme で開催された。そのショーでは各国で選ばれた母娘モデルがプロのモデルに混じって出演。その模様を公式サイトで見ることができる。ページの下のDEFILE(=ファッションショー)をクリック。バンドの生演奏によって演出されたショーが始まる。

cotonniers02.jpg赤地に白というブランドのロゴは無印良品やユニクロを思わせるが、見たところコントワーもシンプルなカジュアル路線のようだ。実際、ファーストリテイリング(ユニクロを展開する会社)はコントワーの大株主で、子会社化も検討されている。

ところで、コントワーとコラボしている気になるバンドは RHESUS(レジュス)。サイトの最初のページから流れてくるのも、このバンドの SAD DISCO という曲。バンドの名を広く知らしめたメロディーとハーモニーの美しい曲。RHESUS はすべて英語で歌っているようだ。よく見たら、コントワーのサイトでアルバムがそのまま聴けるではないか。

saddisco.jpgバンドの名前の rhésus は「アカゲザル(動物)」もしくは「血液のRh(リーサス)因子」を意味する。レジュスは2001年にグルノーブルで結成されたバンド。ギター&ボーカルのオレリアンがドラムのシモンが最初に出会い、そしてベースのローラと出会った。最初のシングルを出した後、雑誌 Les Inrock が主催する「CEUX QU’IL FAUT DECOUVRIR」(=発掘しなければならないヤツら)というコンクールに出てレジュスは広く知られるようになった。2005年10月にファースト・アルバム SAD DISCO が発表され、フランスのロックシーンを刷新するアルバムとして雑誌やラジオの満場一致で迎えられた。このトリオ編成のバンドは激しい、ロックンロールなライブが評判で、フランスや国外で行われた何百回ものライブがそれを証明している。今年の4月に2枚目のアルバムが出る。AUTOUR DE LUCIE 以来の、注目のオルタナ系のバンドだ。日本盤はまだ出ていない(FRENCH BLOOM NETというレーベルでも立ち上げて、フランスのバンドの発掘でもしようかな)。

COMPTOIR DES COTONNIERS -公式サイト

Sad Disco / RHESUS(PV)


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2006年11月14日

ルイ・ヴィトンの現在

COURRiER Japon (クーリエ ジャポン) 2006年 11/16号 [雑誌]かつてヴィトンのバッグは20-30人の職人によって作られていた。各工程に専門の職人が待機していて、皮を縫い合わせる職人、内張りを縫いつける職人、取っ手を取り付ける職人が、順々に作業を進めていた。ひとつのバッグを作るのに8日かかった。

今は6-12人がチームを組んで680ドルのトートバック、リードを1日で作り上げる。劇的な変化だ。以前ヴィトンのバッグといえば、品切れが当たり前だった。そういう頑固な職人気質によって作られ、フランスのブルジョワの伝統の中で愛用されてきた。だから品切れになっても仕方がない。むしろ品切れであることがひとつの価値だった。

しかしヴィトンは最近になってようやく生産性に目覚めたらしい。それまでは品質やイメージが優先されていたが、今は品切れにならないように増産体制を敷き、一般の消費者のニーズに応えている。世界名高いトヨタ方式を参考にしているらしい。ヴィトンの年商は90年が7・6億ドルだったのが、00年には32億ドルに達している。

関西の某女子大(ファッションをリードする大学として知られている)には制服があって、新入生は4月のあいだは制服を着ることが義務付けられている。3、4年前のことだったと思う。4月の最初の授業に行ってみると、みんな制服を着て、ほぼ全員がヴィトンのモノグラムのバッグを机の上に置いていた。まるで大学指定の通学バッグのように。統一された見事な光景だったが、今思えばそれは臨界的な光景でもあった。

山田登世子氏は「ファッションの技法」の中で、ヴィトンを持っている学生に対して、「ヴィトンのバッグは召使に持たせるバッグなんですよ」と言い放ってやったら、彼女たちは呆気にとられていたと自慢げに書いている。山田先生は自分がヴィトンを持たないのは教養が邪魔するからだと書いているが、それは19世紀の文化史を専門に研究して培われた教養だという。つまり自分がモードを語る立場をフランスについての教養によって権威付け、何も知らずにヴィトンを持っている学生とは違うのだと言いたいようだ。

しかし、今やヴィトンが渋谷にメガストアを出す時代であり、フランスの古き良きブルジョワ文化という起源から切り離されたグローバルなアイテムとして流通している。ヴィトンが召使に持たせるバッグであったことを言っても今さら言っても意味がない。危機感を抱くべきはむしろ山田先生の方だろう。似たような話を、教わったフランス語の先生たちが言っていたのを思い出す。自分こそがフランス文化の伝達者であり、フランス文化(とくに文学)を研究している私はフランスから権威を授かっているんだ、という主張だ。

グローバル化はそういう国民国家的な権威をすり抜けていく。ヴィトンのグローバル化と同時に、そういう権威も失墜してしまったわけだ。ヴィトンは何も知らずに持つのが正しい。フランスが起源だということすら知っている必要はない。

ヴィトンはすでにグローバル企業体LVMH(モエヘネシー・ルイヴィトン)として、いくつものヨーロッパやアメリカの企業を傘下に収めている。ヴィトンもフランスの血統や伝統を守ることには関心がなく、その人脈は国際的に入り乱れている。ヴィトンのプレタポルテを始めたデザイナーのマーク・ジェイコブスはアメリカ人だし、傘下のディオールで活躍するのもイギリス人のジョン・ガリアーノ(ジブラルタル生まれ)だったり。

今日(13日)からヴィトンの全製品のうち約半分が平均で2.5%値上げされた。今年の4月にも平均4%の値上げをしている。日本での小売品価格は最初からフランスの1.4倍の水準に設定されているが、ユーロ高のせいでさらに価格の調整を強いられている。

一方で、ルイ・ヴィトン・グループ=LVMH(モエヘネシー・ルイヴィトン)の企業業績は絶好調。1-9月期(3Q)の売上高は前期比11%増の106億2600万ユーロ(約1兆6000億円)に達し、通期決算が大幅な増益になるとの見通しも改めて示している。

ヴィトンは相変わらず人気だが、日本人の平均収入は下がる一方で、ユーロ高の進行でヴィトンは高くなっている。さっきの女子大みたいに、「1億総ヴィトン」な時期もあったが、それは「1億総中流」の象徴みたいなものだった。それを支えていたのは「分厚い中流層」と「強い円」だった。格差社会とユーロ高の進行で、ヴィトンは再び昔のように誰でも持てるわけではないレアなアイテムになってしまうのだろうか。そのうち日本人の手から完全に消え、中国人やロシア人やインド人やブラジル人の手に渡ってしまうのかもしれない。


■「COURRiER Japon (クーリエ ジャポン) 2006年 11/16号
…特集「ファッション業界の内幕−有名ブランドを動かす権力者たち」
★エントリーはこの特集を参照しました。

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2006年11月11日

浪花の凱旋門

IMG_0698.JPG週末、義母とその姉が法事で京都にやってきた。さすがに京都は秋の観光シーズンでホテルはどこもいっぱい。仕方なくウェスティン大阪に宿を取った。このホテルは大阪の新しいランドマークとなって久しい梅田スカイビルの隣に建っている。朝食のあと庭を散歩しながらスカイビルを至近距離から撮ってみた。

梅田スカイビルといえば、タワーイーストとタワーウエストの2棟を最頂部で結んだ空中庭園展望台が有名だが、そのフューチュリスティックな姿はいやおうなしにパリ郊外のラ・デファンスにある新凱旋門を想起させる。恥ずかしながら、スカイビルが「浪花の凱旋門」と呼ばれていることを初めて知りました(知ってた?)

かつてシラク大統領が日仏友好のシンボルとして京都の鴨川に「ポン・デ・ザール=芸術橋 Pont des Arts」と同じものをかけたらどうだと提案し、それは良いアイデアだと計画が進められそうになったが、市民の反対にあって頓挫したことがある。反対の先頭に立ったのは京都在住の外国人たちだった。

IMG_0699.JPG梅田スカイビルを設計したのは東京の有名大学の先生らしいが、ビルの竣工式を取材した方が、パーティで「先生、なぜ北向きにしたのですか?西向きにして、アルシエ・ジャポネーズとされていたら、フランス人は吃驚し、日仏親善になったのでは?」と尋ねたエピソードがサイトに記されている。その設計者の先生は絶句し、「それは考えなかった」とおっしゃったそうだ。確かにセンセーショナルな日仏友好ネタになったかもしれないが、いつまでもフランス本家のコピーをいただくという発想も寂しい。

しかし、大阪にはすでに浪花のエッフェル党、通天閣が存在していた。通天閣の初期の姿は「エッフェル塔+凱旋門」であり、そのあまりの訳のわからなさはコピーという概念を凌駕している。さすが大阪である。北朝鮮の首都平壌にも金日成の帰還を記念して造られた「凱旋門」があり、これはエトワール凱旋門を意識して造られたといわれている。パリのものより高さが10m高く、世界一とされているが、これも何だか北朝鮮らしい発想だ。

フランスの新凱旋門(la Grande Arche または l'Arche de la Défense)はシャンゼリゼ通りとこのエトワール凱旋門の延長線上にあるが、その名称に関して、Wikipedia にコンパクトな解説があったので紹介する。

シャンゼリゼ通りとこのエトワール凱旋門の延長線上のラ・デファンスには「新凱旋門 グランダルシュ」があるが、これは戦勝記念碑ではないので、正式名称に "triomphe" が付いていない。すなわち「凱旋門」ではない。しかし、シャンゼリゼ通りの都市軸上にある、カルーゼル凱旋門・エトワール凱旋門に続く第3番目の「門(arc, arche)」であるとの認識があるため、フランスの国の標語である「Liberté, Égalité, Fraternité」(自由、平等、友愛)から、「La Grande Arche de la Fraternité 直訳:友愛の大アーチ」との正式名称を持つ。なお、戦争の勝利を記念して「凱旋門」を造る風習のない日本では、「凱旋門」が「エトワール凱旋門」を示す固有名詞と化してしまったため、実際は凱旋門ではないグランダルシュにまで「新凱旋門」と名づけてしまった。(Wikipediaより抜粋)


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2006年10月25日

カフェ&ホテル・コスト CAFE COSTES & HOTEL COSTES

パリの老舗のカフェには固有の歴史がある。有名なカフェのひとつに、サンジェルマン・デプレの「カフェ・ド・フロール」がある。50年前にそこへ行ったら、サルトルとボーヴォワールに会えたはずだ。すぐそばにあるもうひとつの老舗カフェ、「ドゥ・マゴ」はキュビズムの誕生を目撃した生き証人である。ブラックとピカソが常連で、ヘミングウェイも頻繁に訪れていた。

coste01.jpgふたつの老舗カフェは現在、ほとんど観光地と化しているが、パリでもテラスに座って通りを眺めるという昔ながらのカフェ体験を味わうのが難しくなってきた。ファーストフード店やセルフサービス型のカフェが進出し、何よりカフェ1杯の値段を引き下げた。スタバも大人気だし、ネットカフェも増えた。それらのしわ寄せを食い、採算が取れなくなっているのは、おそらく「アメリ」に出てきた「ドゥ・ムーラン」のような街角のカフェなのだろう。

そういう街角の熾烈なサバイバルとは別格に、仕掛けられたデザイン系のカフェがある。その代表的なものが、「カフェ・コスト」(写真上)だ。88年にレ・アールにオープンしたジルベール&ジャン=ルイ・コスト兄弟の出世「カフェ」だ。オープン当時、いそいそと見に行ったが、さすがに敷居が高そうで入る気がしなかった。店のデザインを担当したのがフィリップ・スタルク。コスト兄弟は、その後、伝統的なスタイルとは一線を画した、新しいコンセプトのカフェを次々とオープンさせ、branché なパリを演出した。そして「ホテル・コスト」の開業で日本でも兄弟の名が知られることになった。

コスト兄弟はフランス南部のアヴェロン(Aveyron)県の出身。アヴェロン県は「アヴェロンの野生児」とか「昆虫記」を書いたファーブルの出身地として知られているくらいだが、隣接するオーヴェルニュ地方とともにパリのカフェ文化の成立と大きな関わりがある。

17世紀末からすでに、この地方からのパリへの出稼ぎが始まっていたが、19世紀の前半の出稼ぎ労働者の主な仕事は「水運び」だった。オスマンのパリ大改造以前のパリの水道設備はひどく、そんな状況が要請した仕事だった。公共の水汲み場から15リットルの水を満たした樽を2つ天秤棒で担いでパリのアパートの上の階の住民へ運ぶのだ。パリ改造によって水道設備が整備されたあとは、今度は部屋にお湯とバスタブを運ぶ、お風呂のサービスまでやっていたようだ。

彼らの転機になったのは炭屋を開いたこと。炭屋の店舗で、地元のワインなど、飲みものを出すようになった。この炭屋兼(居)酒屋がカフェの原型になったと言われている。水運びの時代は男連中だけで出稼ぎに来てたのが、店舗という拠点を構えることで、地元から家族を呼び寄せ、家族経営ができるようになった。簡単な食事を出すなど、商売のアイデアも広がった。それが綿々と受け継がれるなかで、同郷のネットワークを確立し、飲料の流通も取り仕切るなどして、カフェ文化の基盤が作り上げられていった。そしてカフェは政治や文学の議論の場になり、芸術運動の母体となり、小金を持った若者がスノッブに振る舞う場所になった。これらをカフェ文化のソフトの部分とすると、ハードの部分は地方からの出稼ぎ労働者の地道な努力の積み上げなのだ。まずはフランスの地理的な中心から、文化的な中心であるパリへの700キロ以上の道のりを歩くことから始まった。

ホテル・コスト(1) ホテル・コスト(2) Hotel Costes, Vol. 10


ところで、コスト兄弟がプロデュースしたホテル・コストの方は、パリのヴァンドーム広場の近くにある。アーティスト、モデル、映画業界人などのセレブが集うホテルとして有名だ。このホテルのラウンジ&レストランをイメージしたコンピレーションCDがある。ホテルの専属DJ 、Stéphane Pompougnac(ステファヌ・ポンプニャック)が手がけている。「ホテル・コスト」とホテルの名前がそのままついた第1弾が1999年に出たが、今や10集目を数えるラウンジ系の人気シリーズとなっている。2枚目は「スイートルームで行なわれるプライヴェートなパーティがテーマ」と書いてある。そういえば、うちの近くのバカ高い輸入家具ばかり扱っている高級家具屋さんでも、このCDシリーズが紹介されていた。アマゾンの評で誰かが「むせかえるほどオシャレ」と書いていたが、音楽分野でのフランスの得意技はこんな感じでとことんスタイリッシュに、スノッブに磨き上げることなんだろう。もちろんスィートルームで聴かなくても、普通のコンピとして十分楽しめる。ベスト盤が出ているので、まずはこれからいかがだろう。


HOTEL COSTES−公式サイト

■CD-HOTEL COSTES
ホテル・コスト(1)
ホテル・コスト(2)
ホテル・コスト(10)



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2006年10月24日

CONCORDE コンコルド

Concorde
Concorde
posted with amazlet on 06.09.02
Wolfgang Tillmans
(1997/10/01)
売り上げランキング: 57,411
おすすめ度の平均: 5
5 コンコルド

コンコルドはパリ−ニューヨーク間を3時間半で結んだ。パリを朝の10時に発てば、ニューヨークには朝の8時半に着く(時差は6時間)。マッハ2(音速の2倍)の速度で飛び、「太陽よりも早い」と言われた。それは太陽が同じ行程を移動する場合、5時間かかるからだ。

仏英共同開発のコンコルドが実用化に漕ぎ着けたのが1976年。1986年の東京サミットの際には、ミッテラン大統領がコンコルドに乗って颯爽と来日した。それは当然、コンコルドのプロモーションを兼ねていた。しかし、製造コストが高すぎるとか、燃費が悪いとか、騒音がひどいとか、特にアメリカの航空業界からのクレームが多く、プロモーションに水を差した。

2000年7月、コンコルドがシャルル・ド・ゴール空港を離陸直後にパリ郊外で墜落するという事故が起きた。死者は120人を数えた。これはコンコルドの最初で最後の事故だった。これを機に、エール・フランスはコンコルドの運行を中止する決断を下し、2003年、英国航空もそれに追随した。今、コンコルドはどこの空も飛んでいない。

つまり経済合理性の前にコンコルドは敗れ去ったわけだが、その機能美は誰もが認めるところだった。

このティルマンスによる写真集はひたすらコンコルドが飛ぶ空を写している。


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2006年08月31日

COMPTOIR DES COTONNIERS −フランスの母娘ブランド

cotonniers01.gif8月27日付けのYAHOO!ニュース(ファッションサイト) にフランスのブランド「COMPTOIR DES COTONNIERS」が日本で新しいショップをオープンさせることが報じられていた。内容は以下の通り。

「デイリーに着られるコレクションブランド」としてフランスで大人気の「COMPTOIR DES COTONNIERS(コントワー・デ・コトニエ)」。母と娘の間柄で感じる暖かさをコンセプトに、ナチュラルな素材を使ったエイジレスな魅力を感じさせるスタイルを展開しています。この秋、青山の路面店をはじめニューショップが続々オープン!8月31日(木)の池袋東武を皮切りに、9月2日(土)名古屋松坂屋、9月7日(木)青山に路面店、9月28日(木)には町田モディに新しいショップがオープンします。ベーシックなデザインに程よくトレンドをプラスしたコレクションは今すぐワードローブに加えたいものばかり。新ショップに足を運んで、パリのエスプリを堪能してみては(…)

「コントワー」ではなく「コントワール」だと思うが。「綿紡績工のカウンター」って意味なんだろうか。

「コントワー(ル)」は、革新的なマーケティングによって2000年以来、女性向けのプレタポルテの旗手として毎年35%の売り上げ増加を続けている。プランタンやギャルリー・ラファイエットという老舗デパートでもトップの売り上げで、近年まれに見るフランスのプレタポルテ界のサクセスストリーを演じている。

「コントワー(ル)」の離陸は慎重だった。1995年にトニ・エリシャによって創業されたが、2年後の1997年にはパリとトゥルーズの2つの店しかなかった。しかし、その年、大掛かりなスタートを切ることになる。ゴーサインが出たのは「母娘が一緒に買物をする」ということに気がついたときだった。それ以来、「コントワー(ル)」は母娘をターゲットにした戦略を展開し、母娘がデュエットしたレコード、母娘のテニス・トーナメント、母娘をテーマにした文学賞などを企画し、「コントワー(ル)・デ・コトニエ」というブランドのコンセプトを広く認知させた。サイトを見ると8組の親子モデルが紹介されている。サイトでかかる曲がやけにかっこいいが、これも母娘のデュエットなんだろうか。

販売戦略のひとつとして、ショッピングセンターにあまり行かず、歩いて買物をする上流の客を想定した、街中の小さなブティックを重視している。そのような客はブランドと結びつきが強くなる。メガストアに店舗を構えるよりも、人間的な関係を築くことができ、小さな店舗面積で効率よく売上を計上できるようだ。

創業者のエリシャ一族は経営から手を引き始めている。そして「コントワー(ル)」の31%の株を持ち、51%の議決権を持つのは何と日本の「ファースト・リテイリング」(「ユニクロ」を展開する会社)だ。社長のフレデリック・ビウス氏は「近いうちに100%に達するのは当然の成り行きだろう」と言っている。つまり、「ファースト・リテイリング」の子会社になるってこと?「ファースト・リテイリング」の世界戦略も着々と進んでいるようだ(詳細はコチラ)。

母娘をマーケティングのターゲットにすることは日本でも常套手段になっているが、確かに母と娘は最強の消費タッグだ。日本では「友達親子」と称して互いに同一化するベッタリした関係だが、フランスの母娘関係はもっとクールな感じがする。少なくともペアルックはありえないだろう。それぞれ個別の存在を主張しながら、反発や嫉妬の感情なんかが介在して…と、サイトの母娘写真を見ているといろいろ想像してしまうが、消費主義のグローバルな進行によって日本とあまりかわらない状況になっているのかも。

それにしても母娘の関係は見るからに楽しそうで、うらやましい。私は息子とそういうことを時々やってみるが、何だか乗り切れない。

サイトも一見の価値あり。日本語版もある。生バンドを使ったカジュアルな演出のショー(défilé)も見れる。


■サイトhttp://www.comptoirdescotonniers.com/
■問合せ03-5410-1231(COMPTOIR DES COTONNIERS-JAPAN)
■参考資料Le journal du management(06年3月10日付)


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2006年07月28日

「オリーブ」世代

olive01.jpgFBNを読んでおられる学生の方々は「オリーブ」という雑誌のことを知って、あるいは覚えておられるのでしょうか。この雑誌はマガジンハウスから、当初同出版社から刊行されていた「ポパイ」の妹版という名目で、おそらく10代後半の女の子たちをターゲットに1982年に創刊されました。翌83年に大幅リニューアルされ、その後展開された独自の世界観は一部の少女たちに熱烈に受け入れられました。

正直言うと私は友人が買う「オリーブ」を借りて読んだり、興味のある号だけ買ったりする程度で熱心な読者とはいえませんでしたが、それでも「ティーン」とは言えない世代になってもよく手に取って読んでいたし、お気に入りの号は今でも捨てきれずに置いてあったりするのを考えると、やっぱり特別な雑誌だったのかなあと思います。

「オリーブ」を読み解くキーワードのひとつに「リセエンヌ」というのがあります。これはフランス語の lycéenne つまり「女子高生」のこと。センスのいいインテリアや雑貨に囲まれて、おしゃれを楽しみ、素敵な男の子と恋をする。だけどそれだけじゃなくて、映画を見たり本を読んだり美術館へ行ったり自分を知的に磨くのも忘れない。そんなフランスの女子高生のライフスタイルをお手本に!というメッセージは雑誌のいたる所から発せられているのでした。もちろんこの女子高生のイメージは虚構のものだと言ってしまえばそれまでですが、「オリーブ」製のリセエンヌ像をしっかりと刷り込まれ、あこがれの国フランスに思いを馳せていた「オリーブ少女」たちは少なくなかったでしょう。

例えば今手元にある「オリーブ」355号(1997年11月3日号)を開いてみると、「ときめく! ロンドン」や「コートの季節がやってきた」などはまだしも、「自分を見つける本の旅 太宰治と三島由紀夫のすすめ」だの、カジ・ヒデキ、サニーデイ・サービス、中村一義、山崎まさよしなどを取りあげた「おれたちゃ天才? ミュージシャン」だのといった特集のタイトルを見れば、他のティーン向け雑誌とは一線を画していたことは歴然としていますね。

その特異性のため発行部数が伸びなかったのでしょうか、再々度リニューアルされたもののこの雑誌は2003年に休刊することになりました。もはや定期刊行物として見られないのは残念ですが、それでも「オリーブ」は時おり「特別編集」という形で本屋に姿を現していて、さすがに「リセエンヌ」という言葉は見られませんが、相変わらずのマイペースぶりを披露してくれています。そのほか「オリーブ」の精神は少々形を変えて、同じマガジンハウスから出版されている「クウネル」などの雑誌に受け継がれているように思います。

「オリーブ」全盛期の80-90年代の読者たちは、おそらく今では20代後半から30代ぐらいでしょう。彼女たちはちょうど今ブログ活動の中心世代にあたるのではないかと思われます。実際かつて「オリーブ少女」だったと思われる女性たちは高感度なウェブサイトやブログを運営していることも多く、彼女たちの視点のするどさや知的好奇心の旺盛さに私もしばしば発奮させられます。


exquise@extra ordinary #2

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2006年07月21日

横尾忠則 パリ絵画個展と22面体ジャケット

横尾忠則ポスタア芸術パリのカルティエ現代美術財団で横尾忠則の個展が5月末まで開催されていた。グラフィック作品の個展は過去にあったが、ヨーロッパで絵画の個展を開くのは初めて。すでにヨーロッパで評価の高そうな感じがするが、批評とかを見ると、パリの人々は横尾忠則の独特の色使い(特に赤)に衝撃を受けていた。確かに、テーマといい、図柄といい、色調といい、これでもかというくらい、ヨーロッパの人たちに受けそうな気がする。フランス人の解説によると、「昇る太陽と北斎の波を背景に、芸者や金髪のピンナップガールやバロック絵画の小さな天使たちが交錯する、ポップなイメージのクリエーター」。日本では80年代にさんざんもてはやされていたが、横尾の作品群に初めて接したヨーロッパの人々にはきっと新鮮に映ったことだろう。気の利いた友人から横尾のイラストのポストカードをよくもらったが、昔の作品を改めて見るとやはり面白い。

ロータスの伝説(紙ジャケット仕様) (22面体ジャケット仕様)ところで、最近、横尾忠則がジャケットのデザインを手がけたサンタナの「ロータスの伝説」のCDが紙ジャケット仕様で復刻した。サンタナ絶頂期(1974年)の日本でのライブ盤(3枚組み)で、何とジャケットが22面体で構成されている。この22面体ジャケットはギネス級に大きく展開できるが、畳めばもちろんCDジャケットの大きさに戻る。美術評論家(いつのまにか多摩美の先生)の椹木野衣によれば、そこに風呂敷や折り紙に通じる和の精神が見出されるという。美術館で作品と距離をおいて鑑賞するのとは違う、22面体という法外で精巧な複製物を自分の手で触れながら楽しむというポップな体験が用意されているのだ。サンタナの音楽も、横尾忠則のグローバルなスタイルとも重なり合う。サンタナも息の長いアーチストだしね。

ちょっと高いマニア価格ですが、限定版なのでお早めに。

YOKOO DADANORI OFFICIAL SITE

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French Bloom Net 最新記事 「ミッシェル・ポルナレフ」(07/21)
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2006年06月28日

アンリ=カルティエ・ブレッソン

bresson01.jpg■04年に他界したブレッソンというフランスの写真家が今年になって注目を集めている。ちょうど、今年の3月から4月にかけてサントリーミュージアム(天保山)で「アンリ=カルティエ・ブレッソン展」が開催され、そして最近、ハインツ・バトラー監督によるドキュメンタリー映画、「アンリ=カルティエ・ブレッソン−瞬間の記憶」が公開された(まだ上映中のところもあります)。

「決定的瞬間」などの作品で知られる巨匠の生涯が、本人や友人たちのコメントを通して、ひも解かれていく。人前に姿を出すことを徹底して避けていた写真家が、パリ近郊の自宅で、自らの生涯や彼の作品について語る貴重なフィルムだ。写真家でもある婦人のマルティーヌ・フランクによると「彼は目の中に測量器を持っていた。絵画を鑑賞することきでも、黄金分割を探していた。それが写真にも現れている。彼の場合は本能ですが」(5月18日、読売新聞)。流動する現実から完全な構図を写しとる能力は、精神をオープンな状態にしつつ集中力を保つところから発揮されるという。日本の弓道や禅に関する本も読んでいたとか。決定的瞬間を待ち、十分ひきつけて対象を射るという弓道との共通点はわかる気がする。

上の少女の写真は昔からのお気に入りなのだが、老舗のカフェ(おそらくフロールかドゥ・マゴ)にそぐわない若い女の子(何か今風)を常連のブルジョワおばさんが「何、この娘」って感じで見てる。その一瞥がまさに決定的で、それが少女の存在を瞬間的に際立たせている。

■サントリーミュージアム(天保山)での「アンリ=カルティエ・ブレッソン展」のレビューをtkさんが書いてくれています。

bresson02.jpg「決定的瞬間」−彼の写真集のタイトルです。今更で恐縮ですが、この展覧会で初めて知りました。なんやらインパクトのある言葉ですが、ブレッソンの写真の題材そのも のは、事件でも事故でもなく、人々の日常です。2年ほど前、小さな広告のカットに衝撃を受けて名前を覚え、気が向い た時に書店の洋書のコーナーで立ち見をしていただけだったの で…。ちょっと間抜けすぎるかも…。

町の風景、人の佇まいなど、何気ないのに、完璧に作り込まれたような感じがするのが不思議です。そして、この1秒後にこの風景はみんな動いてなくなってしまうんだろうなぁと。

展覧会の解説もうろ覚えなのですが、フランス語の原題は「決定的瞬間」ではなく、「逃げ去るイメージ」というニュアンスだったようです。でも、それに該当する英語がなかったため、アメリカ出版する際の英語版タイトルでは「決定的瞬間」になったようです。フランス語の原題のほうがやはりイメージがしっくりくるなぁと思いました。もっとも、この解説を読んだから、いまにも消えてしまいそうだと思ったのかもしれません。

以前、日本画を勉強したことがありますが、構図や配置の点でどこか似た部分があると思います。日本画は一点透視やらの遠近法もないし、陰影もあまりないのです。ですが、配置の妙というか、惹き付けられる絵は、主題と無地の背景というシンプルな構成なのに、広がりや奥行き、空気を感じるというものがあります。徹底的な引き算の美なんだろうなぁと思います。個人的にはブレッソンの写真にもそんなものを感じました。

reported by "tk"

□写真集「逃げ去るイメージ−アンリ・カルティエ=ブレッソン」(和書)

□写真集:City and landscapes(洋書)

Henri Cartier Bresson: City and Landscapes
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2006年06月23日

FLOWER BY KENZO

flowerbykenzo01.jpg美は芸術作品の中にあるだけでなく、日常的な光景の中にも散らばっている。それは広告やCMであったり、商品のパッケージだったりする。それは消費へと駆り立てるものにすぎないという批判はあるにせよ、現代都市の殺伐としたハイテクな日常から、一瞬の非日常性へといざなってくれる。過酷な現実があるからこそ、それは鮮烈で深い瞬間になる。咲き乱れる赤い花は、現代の都市空間にうがたれた夢のようだ。まさにそういうイベントが行われた。

2001年5月。パリのポンピドゥーセンター前広場とヴァンドーム広場を2万本のひなげしが埋め尽くした。このイベント、「フラワー・イン・ザ・シティ」の最後には、通行人が一本一本ひなげしを摘み取って持ち帰った。同じイベントがロンドンミラノ、モスクワ、香港で行われた。

flowerbykenzo.jpg実は、ひなげしは香水を飾るにはふさわしくない花なのだ。なぜなら、咲き乱れる赤い花から感じる情熱とは裏腹に、ひなげしにはほとんど香りがない。だから、この花から香水の香りをイメージできない。逆に香水によって花は香りを吹き込まれる。そういう手の込んだコンセプチュアルな仕掛けはフランス人の得意技だ。こういう複雑で、矛盾をはらんだイメージ操作を楽しむ感性と余裕が欲しいものだ。

FLOWER BY KENZOのサイトも洗練度が高く、手も込んでいて一見の価値あり。つかみどころのない、不安定で、エフェメラな構成は、香りがなくても楽しめる、視覚化された香りのようだ。

花の成長によりそうような、このシリーズのボトルの形も印象的だが、ひなげしの成長に合わせた3つのサイズがある。そして今回、このコンセプトに触発された3人のアーチストがパッケージのために絵を描き、限定商品として発売中。サイトでも紹介されている。

FLOWER BY KENZO 公式サイト

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