2020年11月08日

Dig Deeper―『枯葉』を聴きなおす

フランスの歌、といえば誰もがその名前をあげるだろう『枯葉』。シャンソンの代名詞であるばかりでなく、国境もジャンルも軽く超え様々な言語の衣装をまとって歌われ、無数のアレンジで演奏されている。特にジャズの世界では、カッコいいフレーズが湧き出てくるインプロビゼーションの泉としてスタンダードナンバーとなり、フランスを脱ぎ捨てた旋律は幾世代ものジェネレーションに引継がれ今も美しい変容を続けている。 あまりにも身近で、あまりにも使い倒されていて…だからこそ、その素顔を知りたくなる。ほんとうはどんな歌だった?



そもそも、歌うために作られたものではない。踊るためのものだった。作曲家ジョゼフ・コスマがコリオグラファーのローラン・プティのためにつくったバレエ音楽『ランデヴー』に組み込まれた旋律にすぎなかった(ルグリとゲランが踊ったパ・ド・ドゥの中で流れていたのを耳にとめられた方も多いかと思う)。

歌としてお披露目されたのは、第2次世界大戦後の人間模様を描いたマルセル・カルネ監督の映画『夜の門』。(この曲をヒットさせたイヴ・モンタンの主演作であるものの、映画の中で歌ったのは女性歌手。)脚本に携わった詩人ジャック・プレヴェールが後づけした詞はどんなものだったのか。最近岩波文庫の一冊に加わった『ジャック・プレヴェール詩集』に特別待遇で収録されているので読んでみる。

まず、季節についてことさらふれていないのに驚く。(アメリカの名作詞家ジョニー・マーサーによる英語詞や日本語詞を彩っていた感傷的な晩秋の印象や移り変わる季節の情景への言及は、タイトルやあの旋律から喚起された詩的創作だ。)プレヴェールの詞にあるのは、飾りを排したビタースウィートな嘆息。あれだけ幸せな豊かな時間を共にした二人だったのに、それでも別れてしまったというなんとも言えなさをまだ抱えている。時が経っても私の中につもっている「あの頃」の残滓の象徴として登場するのが、掃き捨てられる枯葉の山(ひらひら舞い落ちはしない)。この歌が使われた映画自体ハッピーとはとてもいえない作品であったことも影響はしているのだろうが、想像していた以上に噛み締める詞があった。

が、いざ歌われると、歌は顔つきを変える。多くの歌い手たちはのあの強い旋律に引きずられうっとりし、いかに美しく歌うかに腐心するところで止まってしまう。旋律への思い入れのおかげで、詞までなんだかこってり化粧されてしまったようだ。素顔の歌を感じさせてくれるものはないかとyoutubeに相談してみたら、見つけたのがこの2曲。

フランソワーズ・アルディ



この歌と相容れない個性の人であると思う。歌った時はまだお若かったご本人もそれを意識しているのか、あっさり、そっけなく歌っている。その思いの薄さ加減が、歌の持つ微妙なニュアンスが息をする場を作ってくれているような気がする。ラテンの香りのする音にシフトするアレンジもお洒落。

アンネ・ソフィ・フォン・オッター
https://youtu.be/b5RlYr2ejHM

スウェーデンの名メゾソプラノの、フランスの歌を集めた2枚組アルバムより。母語ではない言葉で歌う緊張感と、声楽家ならではの音や言葉への繊細で精緻な目配り、楽曲を読み解く感受性、そして徹底したヴォーカル・コントロールでもってこの歌を洗いにかけ、見事に蘇らせてしまった。メロディの美しさはそのままに、詞が孕んでいたいわく言いがたいほろ苦さがすみずみににじんでいる。

また、この曲が多くのジャズの名演により歌の枠を超えて愛されてきたことをさりげなくしのばせる作りにもなってる。一カ所だけ、オッターはメロディを崩してみせるのだが、原曲から離れふっと身軽に浮かんでみせる身のこなしに、歌手とは違うアプローチでこの歌を愛した数知れないジャズミュージシャンへのオマージュを感じる。


GOYYAKOD


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2012年10月17日

ドビュッシー生誕150年を記念する様々な催し

近代フランス音楽を代表する作曲家クロード・ドビュッシー Claude Debussy は1862年に誕生し、1918年に逝去する。その才能は「あらゆる時代のあらゆる伝統から隔絶するほど独創的」(ブーレーズ)とまで言われ、その後の20世紀音楽の原型を形作ったと言えるほど他に先んじるものだった。2012年はそのドビュッシーの生誕150年目に当たる。世界中でドビュッシーを振り返る試みが行われているが、ここでは日本で行われるいくつかの催しを紹介しよう。

ドビュッシー:前奏曲集(2)現在、既に始まっているものとしては『ドビュッシー、音楽と美術―印象派と象徴派のあいだで』という展覧会がある(7月14日から10月14日、ブリジストン美術館)。これはこの春にパリのオランジュリー美術館で開催され大きな反響を呼んだ展覧会の東京版で、オランジュリーとオルセーという二つの美術館の協力で実現したものである。この展覧会はその表題からも明らかなように、ドビュッシーという作曲家がいかにジャンルを超えた芸術家であったのかということに焦点が当てられる。また、「総合芸術」といえばワーグナーのものと見做されがちであるが、ドビュッシーもまた「フランス式」のやり方でそれを実現したということがこの展覧会に行けば明らかになるだろう。

そのようなドビュッシーの多彩な姿を捉えようとする学術的な試みが『ドビュッシー・フェスティバル2012』の名のもとに一週間に亘って行われる(10月20日から26日、カワイ表参道コンサートサロン「パウゼ」)。これはカワイ音楽振興会などが企画したもので、日本を代表するドビュッシー演奏家や研究者が集結し、作品の演奏、講演を次々に行うという意欲的なものだ。ピアノ演奏と講師を兼ねるのは青柳いづみこ、野平一郎、学術講演は船山信子、西原稔など、錚々たる面々が顔を揃える。講演題目は「ドビュッシーの新しい世界を求めて」、「革命家ドビュッシーの肖像」、「ドビュッシーと美術」などがあり、それに6部に分かれたコンサートが開かれる。ドビュッシー愛好家は必ず駆けつけなければならないだろう。

当然ながら純然たる演奏会でもドビュッシーの楽曲が多くのコンサートで採り上げられているが、今年後半の呼び物は以下の二つではないだろうか。いずれも場所はすみだトリフォニーホールで、「ドビュッシー生誕150年記念演奏会」の名のもとに行われる。一つ目がアルド・チッコリーニによる『ドビュッシーとセヴラック』(12月1日)で、ここでは『前奏曲集第一巻』がメインプログラムとなる。チッコリー二といえば、『前奏曲集第二巻』の名盤を録音しているが、その彼が『第一巻』の方をいかに弾くのかというところがポイントとなるだろう。他方、クリスチャン・ツィメルマンは『オール・ドビュッシー・プログラム』と題するコンサートを予定し(12月12日)、『12の練習曲』などを弾くらしい。すでにヴェテランの域に達したツィメルマンがいかにドビュッシーを弾くのか、こちらも楽しみである(ツィメルマンのコンサートは同じプログラムで兵庫県立芸術文化センターでも開かれる。11月25日。関西圏の方は是非にも足を運んでいただきたい)。

ドビュッシーに魅せられた日本人―フランス印象派音楽と近代日本メーテルランクとドビュッシー――『ペレアスとメリザンド』テクスト分析から見たメリザンドの多義性ドビュッシーをめぐる変奏―― 印象主義から遠く離れて

書籍の方でも興味深いものが近年いくつか出版されている。佐野仁美による『ドビュッシーに魅せられた日本人』(昭和堂、2010年)は神戸大学に提出された博士論文を基にしたものだが、近代日本における西洋音楽の受容においてドビュッシーがいかに大きな役割を果たしたのかを入念に調べ上げた意欲的な著作である。他方、村山則子による『メーテルランクとドビュッシー』(作品社、2011年)は、別個に論じられることが多かったメーテルランクの戯曲『ペレアスとメリザンド』とドビュッシーによるそのオペラ作品を丹念に比較検討し、その性格の違いを明らかにしたものである。また、今年はアンドレ・シェフネルによる『ドビュッシーをめぐる変奏―印象主義から遠く離れて』(みすず書房、2012年)が翻訳出版されたが、これも従来のドビュッシー像を一新しようとした試みである。

こうしてみるとドビュッシーという作曲家の奥深さ、幅広さ、日本への浸透具合の大きさが改めてよく分かる。ドビュッシーが活躍した時代からもう既に100年以上が過ぎ、社会は比較不可能なほど変貌してしまった。にもかかわらず、いまだにその音楽が人々の心に何かを訴えかけてくるというのは一体どういうことなのだろうか。この機会に、ドビュッシー自身の音楽を振り返るのはもちろんこと、「音楽が持っている意味」というものをもういちど考え直すのも良いかもしれない。



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2012年09月23日

世武裕子 『アデュー世界戦争』

佐々木俊尚は SNS の出現によって音楽の聴き方も大きく変わったと言う。それは「モノからつながりへ」という変化だ。音楽は CD やライブという形でパッケージ化され、決まった形式で消費される商品ではなく、具体的な作者=他者を想定しながら、その関係の中で聴かれるようになった。新しい音楽が到来するとすれば、それは社会が根本から変わるときだと、誰かが言っていたが(村上龍だったかな)、SNS の出現で社会関係がドラスティックに変わった今がそのときなのかもしれない。

アデュー 世界戦争ツイッターを通して、アーティストの日常やキャラクターと接していると、確かにその人の作品に対する距離感や姿勢も変わる。例えば、ツィッターでときどき辻仁成さんからリプライをいただくが、ツィッターからは辻さんのミュージシャンや小説家とは全く違った多様な顔が見える。とりわけ共感を覚えるのはパリ在住の子育てパパとしての一面だ。また Instagram を通してアップされるフランスの写真もなかなか素敵だ。そういう関係の中で改めて作品に触れてみたいという思いが募る。

またツィッターでやりとりのあった井上春夫監督の『遠くの空』(内山理名主演)も見に行く機会にも恵まれた。重みのある歴史的な問題をスタイリッシュに仕上げた秀作だったが、顔の見える監督さんの作品を見に映画館に足を運ぶことは、応援しているというサポーター感を生む。最近は映画館に足を運ぶ習慣がほとんどなかったので、身体性も絡む特別なことをしている実感があった。岡田斗司夫も『評価経済社会』の中で、これからの消費行動はサポーター的要素が強くなり、モノを買う、お金を払う行為が、自分が応援する企業、グループ、個人を応援するためになされることが多くなる、と指摘している。おそらくアーティストも総合的なキャラの魅力が問われるようになるのだろう。Tweet や ReTweet を通して、ある人が発した情報が蓄積されていくあいだに、その人のセンスや思想信条のようなものが浮かび上がる。それは演出やブランディングの対象として操作できるものでありながら、同時に無意識に素が出てしまうようなものだ。

ところで「週刊フランス情報」のためにフランスの音楽情報を集めていたら、パリのエコールノルマルで映画音楽を学んでいるという日本の女性アーティストの記事に遭遇した。見覚えのある名前だなと思ったら、ツィッターで相互フォローしている女性だった。早速、ツイッターで話かけてみた。何度かやりとりしているうちに、彼女の新しいアルバムのサンプルが自宅に届いたのである。

個人的にもフランスに音楽留学していた友人が何人かいるので、どういう文化圏に属する人なのか、なんとなくわかる。パリのコスモポリタンな雰囲気とか、日本の淀んだ日常を突き抜ける感じを、彼女の音楽や歌詞に聴き取ることができる。そしてルサンチマンとコンプレックスにまみれた昔の仏文学者みたいな辛気臭いノリとはもはや無縁な若い世代だ。

アーティストの名前は世武裕子。パリ・エコールノルマルの映画音楽作曲科在学中で、新しいタイプのフランス系アーティスと言えるだろう(全然違うタイプだが、レ・ロマネスクなどとともに)。「グーグル・クロームでストリートライブ」(本人出演&音楽) など、TVCM の音楽も手掛ける。また「くるり」のサポートメンバーだったり、最近では乙武洋匡原作、国分太一主演の映画『だいじょうぶ3組』の音楽を担当するというニュースも伝えられていた。

そして先月初めに新しいアルバム『アデュー世界戦争』が上梓されている(筆が遅くてごめんなさい!)。 パリで撮影されたシングルカット的な ’75002’の PV が同時発表。タイトルの数字は何だろうと思っていたが、パリの2区の郵便番号だと、あるとき忽然と気が付いた(ツィッターでご本人にも確認)。ある朝、この曲を聴いているとき、ちょうど電車が海岸に差し掛かり、モーターボートと並走を始めたが、その光景と彼女の軽快なピアノが絶妙にシンクロした。歌の中で、お友達らしい名前が次々と呼ばれ、パリの2区から世界に突き抜けていくカタルシスにひきさらわれる。PV が今の夏の季節にぴったりなファーストシングル「Good Morning World!」(PV の小さな男の子が昔の息子を彷彿させてうるうる)もそうだが、ボーカル入りの曲が良いので、もっと聴いてみたい。紅白出場なんかも、全然ありじゃないかな。

もちろん、独特のタイトルがついたインストの曲も、まさに良質なサントラのように想像力をかきたてる。とりわけ、タキシードムーン的なリリシズムにあふれた「君に」、ミニマルなマリンバが浮遊感へといざなう「台湾人と一杯のお茶」、そしてストリングスが不穏な空気を漂わせるなかに、ひとつの光明が見え、それが広がっていくようなタイトル曲「アデュー世界戦争」が素晴らしい。





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2011年02月24日

クラシック音楽、究極の一枚を探せ!(3)−マーラーは何を聴くべきか(前篇)

2010年はマーラー生誕150年、2011年は没後100年ということで、この2年間は再びマーラー・ブームのようなものが巷で沸き起こっている。来日オーケストラもマーラーをプログラムに採り上げることが多くなっているようだ。もちろん、今回のブームは1980−90年代のような狂騒的なものではないが、人々は再び静かにマーラーの音楽に耳を傾け始めたという印象である。それではマーラーの交響曲を聴くとしたら何を選べば良いのか。今回も独断と偏見で幾つかの録音を紹介して行こう。

マーラー:交響曲第1番ニ長調「巨人」まずは「交響曲第1番『巨人』」。この曲は恐らくマーラー初心者に最も薦められる作品であろう。とにかく曲の完成度が高く、軽快で颯爽とした展開は聴いている者を飽きさせることがない。恐らく、指揮者にとっても演奏者にとっても最も演奏しやすい曲だろう。聴く側にとっても、指揮者、オーケストラを選ばない曲と言える。もちろん、人によって好みはあるだろうが、私はバーンスタインの指揮するニューヨーク・フィルの演奏をよく聴いていた。バーンスタインは最晩年のシューマンの演奏が白眉であって、得意としていたベートーヴェンなどは「やりすぎ」という印象が私にはあるが、このマーラーの『巨人』は比較的バランスが取れていると思う。

続いて「交響曲第2番『復活』」。マーラーは既に第2交響曲で途方もない長さと楽器編成を持つ曲を作曲することになる。私は20年ほど前、プロのオーケストラの裏方でコンサートの準備(楽器のセッティング)をするアルバイトをしていたが、『復活』をやる時は時間がかかって仕様がなかった。ベートーヴェンの時は30分で終わる仕事が、マーラーの『復活』の時は3時間以上かかるという有様である。使用楽器が多いのはもちろんだが、とりわけ、第5楽章でステージ袖から吹くトランペットの位置を決めるのに時間が取られるのである。それほど壮大な規模を持つ曲の録音として、今は亡きジュゼッペ・シノーポリ指揮フィルハーモニア管弦楽団の『復活』を挙げておこう。確か、1986年ごろの録音で今と比べれば録音技術には確かに問題があった。だが、演奏はそのような困難を凌駕するほどの精度を実現していると思う。特に第4楽章のブリギッテ・ファスベンダーによるメゾ・ソプラノの部分、終楽章の合唱の導入部などは鳥肌ものである。こういう演奏を聴くと、シノーポリの急逝が本当に惜しまれる。

マーラー:交響曲全集そして「交響曲第3番」。この曲はマーラーの交響曲の中で最長の作品として知られる(ほぼ1時間40分)。規模も相当なものだ。しかし、全体として聴いてみると『復活』や『千人の交響曲』ほどの重々しさ、一種の「くどさ」は感じられない。ここにはまだマーラーの持つ明るさ、軽快さのようなものが感じられる。特に第5楽章で児童合唱が入る辺りに、この曲の不可思議な魅力があるように感じられる。そのような曲を見事に統括した例として、小澤征爾指揮ボストン交響楽団の録音を挙げておきたい。小澤はボストンと組んでマーラーの全集を録音しているが、この曲の演奏は素晴らしい水準ではないだろうか。第4〜6楽章の完成度は極めて高く、小澤という指揮者の驚異的な集中力を堪能することができる。ジェシー・ノーマンのソプラノもこの頃が絶頂期であった。

マーラー:交響曲第4番さて、「交響曲第4番」は、マーラーの交響曲の中で最も明るく、軽快で伸びやかな作風の仕上がりで知られている。実際、初めて聴く人は「これがマーラー?」と思ってしまうほど、他の作品とは異なった雰囲気を醸し出している。そのような「明るいマーラー」の演奏として、ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウの録音を挙げておきたい。ハイティンクはこの曲を4回録音しているようだが、ここでは1967年の最初の録音を推したい。マーラーの場合、合唱や独唱が当然ながら重要となるが、この曲の有名な終楽章のエリー・アメリンクのソプラノ独唱はお見事と言うほかない。(ハイティンクといえば、1995年の第二次世界大戦終結50周年の際、ドレスデンの教会で『復活』を指揮し、その模様がヨーロッパのラジオで中継されたことがあった。廃墟と化したドレスデンの街の「復活」を祝う式典である。私はパリの狭い部屋でその演奏を聴いていたが、演奏終了後、拍手はなく、人々が静かに立ち去って行く音がかすかにラジオから聴こえて来たのが印象的であった…。)

マーラー:交響曲第5番今回の最期は「交響曲第5番」である。第4楽章「アダージェット」のおかげで、すっかり有名になった曲であるが、他の楽章も素晴らしい出来であり、また、長さ的にも適度なもので、1番と並んで最も薦められるマーラーの交響曲と言えるだろう。名演が多い中で、私が推したいのはジェームズ・レヴァイン指揮フィラデルフィア管弦楽団の演奏である。これもレヴァインの若い頃の録音ではあるが、オーケストラを完璧に統御し、隙というものを全く感じさせない、超高精度の演奏を実現している。この時点で既にこの指揮者が大物であるということが如実に窺える演奏であった。特に第5楽章の仕上がりは見事なものであり、これだけでも聴く価値があると言える。

今回はここまでにしておこう。もちろん、アバドやブーレーズの指揮するマーラーがお好みの方もあろうし、サイモン・ラトルなどの最近の指揮者の名前が入っていないことに不満もおありとは思うが、飽くまで筆者の好みなのでご勘弁願いたい。この続きは来年掲載する予定である。




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2010年12月04日

クラシック音楽、究極の一枚を探せ!(2)チッコリーニの『前奏曲集第二巻』

ドビュッシーといえば、言わずと知れたフランスを代表する作曲家だ。それでは、彼の音楽を演奏するピアニストといえば、誰の名前が挙がるだろうか。

ドビュッシー:前奏曲集 第1巻、映像第1集、第2集まず、最初に来るのは『前奏曲集第一巻』の不滅の演奏を残したアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(1920-1995)であろう。イタリアが生んだ世界最高峰のピアニストによる演奏は、細部の「ぶれ」というものが全くなく、機械のように完璧なものだ。この完璧さは弟子のポリーニを越えているのではないだろうか。ミケランジェリの精緻なドビュッシーは確かに素晴らしい。しかしながら、そこに深い味わいがあるかと尋ねられるといさかか疑問に思う。それは彼のベートーヴェンの演奏でも同じであった。

他方、私は長いことサンソン・フランソワ(1924-1970)の演奏するドビュッシーを好んで聴いていた。これはミケランジェロの対極にあるかのような演奏で、まさにフランス風の優美な演奏。技術的には間違いだらけともいえる。しかし、彼はそんなものは気にせず、全く自分の気分で音楽を押し進めてしまう。「雰囲気」というものをこれほど大切にしたピアニストはいないだろう。そして、彼はフランス音楽を演奏する時に最良の能力を発揮した。ラヴェルの『ピアノ協奏曲第一番』(クリュイタンス指揮パリ音楽院管弦楽団)はそんな彼の真骨頂ではないだろうか(そういえば、この曲は映画版『のだめカンタービレ』の主人公も弾いていましたね)。

ドビュッシー:ピアノ曲集第1集~前奏曲集ミシェル・ベロフ(1950-)というピアニストも、ドビュッシー演奏家として一時代を築いた人だった。彼の人気が高かったのは、1980〜90年代だから、ミケランジェリやフランソワの黄金時代と比べてみれば、比較的最近の出来事である。貴公子然としたその風貌から人気が高く、日本ではピアノ・レッスン番組の先生もしていたこともあるようだ。彼の演奏はフランソワよりも一層、繊細な雰囲気を醸し出すドビュッシーと言える。技術的には何の遜色もないのだが、特徴と呼べるものがあまりないのが難点と言える。

ベロフと同世代のドビュッシー演奏家としては、他にパスカル・ロジェ(1951)、ジャン=フィリップ・コラール(1948-)がいる。二人とも世界的に知られ、活躍を続けているが、いずれもベロフと似たような傾向であり、独自の境地を築き上げるという所にまでは辿りついていないようだ。

となれば、残るはヴァルター・ギーゼキング(1895-1956)を措いて他はあるまい。これは文字通り「天才」と呼べる数少ないピアニストの一人であり、本来、ここに挙げたピアニストたちとは比べるべきではないのかもしれない。実際、EMIから出された『ドビュッシー/ピアノ曲全集』などのCDを初めて聴いた人は、その余りの素晴らしさのために腰を抜かすのではないだろうか。

ドビュッシー:前奏曲集『前奏曲集第一巻』の一曲目「デルフの舞姫」の出だしから、聴く者はその夢幻の世界の中に完璧に引き込まれ、虜にさせられる。数分後にはもうその世界から抜け出すことは絶望的に困難になる。「西風の見たもの」の強烈さ。「亜麻色の髪の乙女」の艶やかさ。そして「沈める寺」が呼び起こす荘厳なる光景…。我々はギーゼキングの醸し出す妖しく、そして煌めきわたるドビュッシーの世界に浸りきる他ないのだ。これほど完全に、有無を言わさぬ形でドビュッシーの音楽世界を築き上げたピアニストは後にも先にもいないであろう。

名前からも分るように、ギーゼキングはパリ生まれではあるが、両親はれっきとしたドイツ人である。しかし、フランス音楽の精髄がドイツの血を受けた「天才」によってこのように演奏されるのを聴くと、芸術というものは容易に国境を超えてしまうということを改めて確認させられる。ギーゼキングが亡くなって既に50年を超える歳月が過ぎたが、いまだに彼を越えるドビュッシー演奏家が現れないのは、ギーゼキングが余りに素晴らし過ぎ、また、ドビュッシーの音楽が余りにも深いからなのだろう。

しかし、いま、そのあり得ない事態を生み出しているピアニストが一人だけいる。アルド・チッコリーニ(1925-)である。彼が日本で行った演奏のライブ盤『ドビュッシー:前奏曲集第二巻』(2003)は驚異的な名演であった。この曲は2005年秋の来日公演(於:兵庫県立芸術文化センター)でも演奏されたが、恐ろしいほどの水準の高さに聴衆は圧倒させられた。まさに輝き渡る音が雪の結晶と化し、天から降ってくるかのような感覚…。齢80歳を超えるこの老巨匠は2010年春にも来日を果たし、東京でシューベルトのソナタを演奏したが(於:すみだトリフォニーホール)、これもまたとてつもなく美しく激しい演奏であった。チッコリーニの信じがたい点は、彼がますます進化を続けているということだ。

ギーゼキングを越えられる演奏家はチッコリーニだけかもしれない、とふと思ったりする今日この頃である。




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2010年10月07日

ロック温故知新−日仏プログレ対決(4) MAGMA マグマ

Atthakフランスのプログレといえば外せないのがマグマ Magma。ちょうど今週末、夏の音楽の祭典 FUJI ROCK に出演する。それに合わせて記事を書いていたら、フジロックが始まってしまい、さらにマグマの演奏開始まであと1時間に迫っている。

リーダーのクリスチャン・ヴァンデ Christian Vander がマグマを結成したのは、ジョン・コルトレーンが亡くなった2年後の1969年だった。コルトレーンの死はクリスチャンによると人生の中で最も大きなショックだった。コルトレーンのあとでジャズは不可能と考え、クリスチャンは独自の音楽を創出することを決意する。もっともクリスチャンのドラムはコルトレーンのドラマーだったエルヴィン・ジョーンズの強い影響下にあり続けるわけだが。音楽全体の影響に関しては、ストラヴィンスキー、ソウル、現代音楽、フリージャズ、オペラ。ロックの分野では、ソフト・マシーン、フランク・ザッパ、ヘンリー・カウなどが挙げられる。プッチーニの「トゥーラン・ドット」なんかを聴いているとマグマに聞こえることがあるが、ジャズとロックとコーラスを融合させたマグマの音楽はズール zeuhl と呼ばれ、ひとつのスタイルを確立しているほどオリジナルなものだ。



私がマグマにハマっていた時期はマグマの活動休止(1983年)の直前だったが、当時は来日公演どころか、ライブ映像を見ることさえかなわぬ夢だった。今や初期のレア映像が youtube にもたくさんアップされている。今見ると怪しげな新興宗教の集会にしか見えないが、不思議な響きを放つマグマの歌は(ドイツ語かスラブ系言語のように聞こえる)、彼らが考案した想像上の言語、コバイア語によって歌われている。彼らはコバイア星からやってきたコバイア星人で、コバイア語によってコバイア神話を歌い継ぐ。これも70年代のサイケカルチャーの産物と言えるが、ヒッピーのような奔放さやトリップ感はなく、あのロゴとともにむしろ強迫的でファッショな印象を受ける。まあ、ここまで奇妙奇天烈さや変態ぶりを徹底できるのはフランスならでは。マグマは初期3部作が傑作として知られているが、個人的に好きなのはグナーに引けをとらない映画「トリスタンとイゾルデ」のサントラ
(マグマではなくヴァンデ名義によるアルバム)。ドラム、ベース、ピアノ、ボーカルというマグマのミニマム構成だが、徐々に高まっていくテンションに引き込まれていく。

□動画はParis 1977 - De Futura, ツインドラム編成
Magma Discorama, French TV, June 29th 1970(これも黎明期の貴重映像)
□上のアルバムは"Atthak"で、ファンク色が強い。ジャケットのデザインは H.R.ギーガーによる。

マグマは1996年に活動を再開したが、近年はいっそう精力的だ。去年は約5年ぶりとなるスタジオ・アルバム『エメンテト・レ(Emehntehtt-Re)』を発表し、去年の5月には来日公演を果たしている。そして今年のフジロックだ。1998年の初来日のときには「マグマを見に行きました」という学生がいて驚いたが、今も若い世代によってプログレの定番として昔の作品も聴き継がれているのだろう。

ところで、日本のマグマと言えば、ドラマーの吉田達也の Ruins だろうか。ベース&ドラムによる二人マグマ。吉田は Fool’s Mate の編集長だった北村昌士の YBO2 のメンバーとしても知られているが、この2つのバンドは平行してよく聴いた。Ruins の音はハイテンションで荒々しい演奏が特徴的。マグマとは全く別のオリジナリティーを持つが、吉田のオペラチックなヴォ−カルがマグマを連想させる。吉田にはもうひとつズール系のプロジェクト、高円寺百景がある。youtube に Rock In Oppositon 09 (この企画まだやってんだ)に出演したときのライブの模様がアップされている。



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2010年04月30日

クラシック音楽、究極の一枚を探せ!(1)ミュンシュの『幻想交響曲』

ベルリオーズ:幻想交響曲いまやダウンロードの時代でCDも売れないようであり、クラシック音楽などはむしろ、コンサートを聴きに行く人の数の方が増加しているらしい。確かにどれほどオーディオ機器の性能が向上したとしても、生(なま)の音楽は(それも弦楽器や木管楽器などのマイクを通さない音は)再現のしようがない。コンサートで直に聴かなければその演奏の本当の価値を知ることは出来ないのだ。

しかしながら、世を去ってしまった指揮者や演奏家、もはやかつてのようには演奏していない管弦楽団の音に少しでも近づくためには、やはりCDというものを聴くしかないであろう。そして、クラシック音楽の世界にもジャズやロックと同じように「伝説的名盤」というものが数多く存在していることもまた確かなのだ。これは、これからクラシック音楽を聴き始める人の為にそのような名盤を紹介して行くコーナーである。

その第一弾がベルリオーズ作曲『幻想交響曲』。演奏はシャルル・ミュンシュ指揮パリ管弦楽団。録音は1967年、EMIレーベル。

1967年、フランスの文化大臣アンドレ・マルローはある決定を下した。それは、フランス音楽の伝統を後世に伝えるために、世界的水準の演奏能力を持つ管弦楽団を設立するという決定である。こうして既に存在していたパリ音楽院管弦楽団が解散され、新たにパリ管弦楽団Orchestre deParisが誕生する。問題はこのオーケストラを統率する指揮者だ。そこで白羽の矢が立ったのが、当時、ボストン交響楽団を率いてアメリカで華々しい活躍をしていたシャルル・ミュンシュCharles Munch (1891-1968)である。

アルザス地方のストラスブール生まれのこの指揮者は、ドイツの名門オーケストラであるライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団でヴァイオリンの首席奏者まで務めた経験を持つ、独仏双方の音楽に通じた音楽家であった。既にボストン交響楽団と共にブラームスの『交響曲第一番』の名演を録音し、破竹の勢いで活躍を続けるミュンシュに目を付けたマルローの審美眼に狂いはなかったと言えよう。ミュンシュは急遽、アメリカからフランスに呼び戻される。

そのミュンシュが誕生したばかりのパリ管弦楽団と共に録音したのがベルリオーズの『幻想交響曲』である。1830年に作曲されたフランス・ロマン主義音楽を代表するこの曲は五楽章構成。「夢、情熱」、「舞踏会」、「野の風景」、「断頭台への行進」、「ワルプルギスの夜の夢」という具合に、各章に標題が付いていることでも知られている。また、のちにワーグナーが多用するライトモチーフの先駆けとも言うべき「固定観念」(ある一定のメロディを曲中に何度も登場させる方法)を使用するなど、当時としては極めて斬新な方法が取られた管弦楽曲の傑作であった。

ミュンシュによって演奏、録音された『幻想交響曲』は類い稀なる精度を持つ仕上がりとなった。それから40年以上が過ぎた現在、例えパリやベルリンやロンドンに行っても、これほど高度な水準の演奏でこの曲を聴くことは殆ど出来ないといっても過言ではない。細部に至るまで精緻に演奏され、一切の揺らぎがなく、それでいて、最初から最後まで煌めき渡り、迸るような音楽の流れ…。これほど鮮やかな水準でこの曲を演奏することが出来た発足当初のパリ管弦楽団とミュンシュの能力は、演奏家・指揮者が望みうる最高の地点に到達していたと言うべきであろう。

『幻想』と同時に、ミュンシュはブラームスの『交響曲第一番』もパリ管と録音し直し、これもボストン版に勝るとも劣らない名演となる。しかし翌年、アメリカへの演奏旅行に向かったミュンシュは何とその地で急死してしまう。享年77歳。というわけで、ミュンシュがパリ管弦楽団の音楽監督をしていたのは1967年から68年のたった一年限りということになる。その後、このオーケストラはカラヤンの暫定的在任を挟み、ショルティ、バレンボイムといった錚々たる面々を首席指揮者として運営されていくのだが、やはり、発足当初の輝かしい一年には例えどれほどの指揮者が登場しても、まだ、敵わないのではないだろうか。それほどミュンシュの仕事は巨大なものに思えるのである。

現在、ボストン時代のミュンシュの録音が続々とCD化されている。『幻想交響曲』と合わせて、それらを聴いてみるのも面白いのではないだろうか。


ベルリオーズ:幻想交響曲
ミュンシュ(シャルル)
TOSHIBA-EMI LIMITED (2007-06-20)
売り上げランキング: 2086
おすすめ度の平均: 4.0
5 幻想・幻覚・妄想交響曲
ミュンシュの熱い演奏
5 異様な熱気溢れる名演
4 幻想交響曲と言えば
まずこの盤でしょう
5 ゴッホの絵を思わせる、
強烈な色彩が渦巻く演奏




不知火検校

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2010年04月23日

ANGE 'Le bois travaille même le dimanche'

木は日曜日も働いている(直輸入盤・帯・ライナー付き)
アンジュ(Ange)
DUレーベル(ディスクユニオン)原盤
French/ Art disto (2010-02-13)
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フランスのアンジュ(Ange 天使の意)といっても知らない人がほとんどだろう。70年代にデビューし、これまで600万枚のアルバムを売り、6枚のゴールドディスクを取り、3000のコンサートをこなしてきたバンドである。そのアンジュが今年バンド結成40周年を迎え、その節目の年に奇しくも40枚目のアルバムが発売された。その記念すべきアルバムのライナーノーツ=解説を書く光栄に預からせていただいた(DISK UNION さんとのコラボで、上記の「ライナー」を FRENCH BLOOM NET 名義で書きました)。フランスのロックの情報がほとんどない時代、奇特なレコード会社が3枚のアルバムを出していたが、そのライナーノーツだけがアンジュの輪郭をなぞる唯一の手がかりだった。時代は移り、今やアンジュのアルバムはアマゾンで買えるし、昔の貴重なライブ映像もyoutubeで見れるし、2ちゃんねるではアンジュのスレッドまで立っている。

DISK UNION ONLINE SHOP(プログレの在庫も豊富!)

1970年に始まった音楽の冒険の生存者は68年=団塊世代のクリスチャン・デカンだけだ。90年代半ばから彼の息子のトリスタン(キーボード)が加わり、親子2世代バンドになっている。40周年を祝うためにアンジュは「40回目の雄たけび―Ange: la 40ème rugissante」と銘打ったツアーを2009年11月から始めている。極めつけは1月31日にパリのオランピア劇場(日本で言うと武道館かな)で行われたライブで、アンジュの最初のコンサートからちょうど40年目の日にあたる。フランスでは相変わらず人気バンドのようで、チケットは10月に売り出されてすぐに完売し、追加のコンサートも予定されている。



新しいアルバムの中身だが、プログレ(Progressive Rock)というよりは、それをベースにしつつ、新しい音楽の要素を吸収した洗練されたロックになっている。そこが評価が分かれるところだろうが、アルバムは実に多彩な曲で構成されている。ビデオクリップ(↑)になっている2曲目の「Hors-la-loi 無法者」では、ハードなギターにのせて、革命家のチェ・ゲバラへの憧れを歌っている。頻繁に聞こえる Allez loups y a というリフレインは Alléluia (ハレルヤ)と音が重っていることに気がつくだろう。オーディションを模したPVだが、最後にタコ(poulpe)を投げつけられて身震いしている表情が笑える。

マッシブ・アタックを思わせるイントロで始まる@「蝶と凧 Des Papillon, Des Cerfs Volants」。タイトル通り、スペーシーな広がりと飛翔感を感じさせる。フランス語もメロディにきれいに乗っていて、思わず口ずさんでしまう曲。D「アウタルキーの旅 Voyage en Autarcie」では自給自足の国を夢見る。アウタルキーはフランス語で「オタルシー」と発音され、自給自足の経済ブロックを指すが、詞の中では一種のユートピアのように歌われている。E「孤ならず Jamais Seul」では、「昔は孤独が好きで、人と話すことをバカげたことだと思っていた。しかし今は孤独ではない。自分の心のうちを打ち明ける相手がいる」、そういう成熟した大人の境地が素直に告白される。いずれも団塊オヤジのロマン炸裂といったところだろうか。

やはり目玉はアルバムのタイトル曲でもあるB「木は日曜日も働いている Le bois travaille même le dimanche」だろう。いかにもプログレ的な展開を見せる12分半の大作だ。超越的な存在が人間に語りかけるという形式はプログレではときどき試みられるパターンである。ここでは「私は風」と言っている存在が、Je pense, donc je souffle…(私は考える、ゆえに私は吹く)と言う。これを聞くと、ムーディ・ブールスの『夢幻』(On the threshold of a dream, 1969)の導入部なんかを思い出す。そこでもデカルトの Je pense, donc je suis.(=I think therefore I am.) が引用されているが、『夢幻』ではヒッピー・ムーブメントの文脈で自然破壊や機械化がテーマになっている。今はそれがエコロジーの文脈で再登場しているわけである。歌詞の前半は口頭弁論 Plaidoyer、後半は論告求刑 Réquisitoire となっていて、人間が法廷に立たされ、告発されるという設定なのだろう。最後に、「人間よ、おまえの種を救え。人間よ、おまえは去らなければならない。ここはもうお前の場所ではない」と宣告される。それを機に曲調が急転回する。

The Moody Blues - In The Beginning / Lovely To See You (from On The Threshold Of A Dream)
The Moody Blues - Have You Heard / The Voyage(同アルバムの白眉)
Genesis - The Musical Box
ロック温故知新−英仏プログレ対決(1) ジェネシスVSアンジュ

アンジュはデビュー当時から「フランスのジェネシス」と呼ばれてきた。しかし、アンジュはプログレの世界全体ではマージナルな存在とは言え、ジェネシスと対等に扱うべきオリジナルなグループなのだ。クリスチャンの独特の言葉使いとボーカルのスタイルには、同時代のフランスのグループと一線を画すオリジナリティーがある。それをピーター・ガブリエルに比するのもいいが、同時にドラマティックに歌い上げるシャンソン歌手の巨匠、ジャック・ブレルやレオ・フェレの系譜を見ることもできる。またアンジュがベルフォールというドイツ国境の田舎町の出身で、ジェネシスがマザーグースを引用したり、英国色を色濃く打ち出していたように、初期の彼らも民話や童話のような土着的な世界を作り上げていた。アンジュはルーツ回帰から出発したという意味でも、(フランスでしか売れない?)国産バンドという意味でも、ロマン主義的なバンドなのであった。

Ange - Sur la trace des fées(live 77)

DISK UNION のプログレ担当のYさんによると、プログレに限らずCDを購入する世代が若年層に広がらず、CDの購入層は30代半ば〜50代が中心になっているようだ。youtube や iPod(ネット配信)で音楽を聴くデジタル・ネイティブにはプログレは馴染まないのだろうか。プログレはコンセプトアルバムであることが多いので、CD全体を通して聴かないと良さがわからないかもしれない。とはいえ、アンジュは貴重なフランスの文化遺産であることには間違いはないし、フランス語の勉強になるような良質なロックを見つけるのは意外に難しい。アンジュの70年代の名盤もぜひ聴いてみて(↓)。

Au Dela Du DelireEmile Jacotey



cyberbloom

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2010年01月19日

パトリシア・プティボンがまたやってきた!

 昨年の初来日に引き続き、パトリシア・プティボン Patricia Petibon がまたやってきた。今年はなぜか大阪に来てくれないので、しかたなく山積する雑用を放ったらかしにしたまま、のこのこ東京まで聴きに行ってきた。私が観たのは、10月31日の東京オペラシティコンサートホールでの公演。

恋人たち この日のプログラムは、東京フィルハーモニー交響楽団(デイヴィッド・レヴィ指揮)との共演。歌なしのオーケストラ曲とプティボンの歌唱がほぼ交互に並ぶ構成である。前半はモーツァルトとハイドン。もちろん悪かろうはずはないが、お茶目なプティボンが好きなミーハーファンの私から見ると、少々正統派的におすまし気味という感じ。見どころはむしろ、圧倒的に後半だったように思う。バーバーとバクリでしんみりとさせておいて、バーンスタインの「着飾ってきらびやかに」(「キャンディード」)で大爆発! こういう、いろんな感情が高速度で切り替わっていくようなタイプの曲が、やはり彼女の魅力を一番引き立てるようだ。フロラン・パニー Florent Pagny のライブDVD(Baryton(2005))でのパフォーマンスをはじめて見たとき、この曲はまさに彼女のためにある!と強く感じたものだが、今回目の前でいっそうパワーアップした名演を見せられ、その感をさらに強くした。最後の曲はハロルド・アーレンの「虹の彼方に」。とてもよかったが、オーケストラの音がほんのちょっぴり大きすぎ、彼女の声がその中に埋もれ気味だったのが少々残念。アンコールの Everytime we say goodbye(コール・ポーター)は洒脱で自然体でいうことなし。プティボンの間口の広さを改めて認識させられた。

 この日はサイン会もあり、アンコールが終わるやすぐにロビーに出て行列に並ぶ。サインをしてもらうとき至近距離で見た私服姿のプティボンは、思っていたよりも小柄な、可憐な感じのひとだった。

■以前当ブログで書いたプティボン関連の記事はここ

■上記フロラン・パニーのライブDVD Baryton(PAL盤)には、プティボンのソロ(「着飾ってきらびやかにGlitter and Be Gay」を含む)が2曲、パニーとのデュエットが3曲収録されている。

L'Integrale Du Spectacle Baryton [DVD] [Import]
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MANCHOT AUBERGINE

(この記事は09年11月3日に main blog にて掲載)

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2010年01月12日

ロック温故知新−英仏プログレ対決(3) キング・クリムゾンVSエルドン

プログレッシブ・ロック(進歩的ロック、略してプログレ)が文学と親和性があると書いたが、今回は文学と同じく時代に取り残された感のある現代思想と、プログレの関係を扱ってみる。音楽の方も現代思想の音楽的実践って感じである。

今回スポットを当てるのは、リシャール・ピナス Richard Pinhas という人物。今から40年ほどさかのぼる五月革命の1968年前後、当時高校生のピナスはブルースに興味を持ち、ブルース・コンヴェンションというグループに参加していた。グループには後にマグマ Magma (そのうち紹介!)のメンバーになる、クラウス・ブラスキーズがいた。その後、ピナスはソルボンヌ(パリ第4大学)に登録し、哲学の勉強を始める。それと平行してスキゾ Schizo というグループを結成。スキゾは72年にシングルを録音するが、自身の博士論文が忙しくなって同年に解消する。その« Le Voyageur/Torcol » (写真のアルバム「SINGLE COLLECTION 1972-1980」に収録)という45回転シングルでは、ニーチェのテクストを朗読するジル・ドゥルーズ Gilles Deleuze の肉声を聴くことができる。68年のモノクロ映像を背景にこのレアチューンを聴けるなんて粋な演出である。



ピナスはドゥルーズの講義を受け、思想的に大きな影響を受けている。リゾスフィア組曲 Rhizosphere suite など、彼の曲のタイトルにもそれが伺える。一方、彼の博士論文の指導をしたのは『ポスト・モダンの条件』で知られるジャン=フランソワ・リオタールJean-François Lyotard で、彼の指導のもと「スキゾ分析と SF の関係」というタイトルの博士論文を書き上げている。

Stand By博士論文のタイトルからも察せられるように、SFに深い関心を抱いていたピナスは73年にロサンジェルスでノーマン・スピンラッド Norman Spinrad と初めて会う。彼にフィリップ・K ・ディック Philip K. Dick を紹介され、「マガジン・アクチュエル magazine Actuel」にディックのインタビューを掲載する。74年、ピナスはエルドン Heldon を結成。グループの名前はスピンラッドの小説『鉄の夢 The Iron Dream』に出てくる都市にちなんでつけられた。

HELDON - STAND BY

ピナスの論文の中身はわからないが(ソルボンヌの図書館に行けば読めるだろう)、ディックはまずフランスで評価されたという経緯がある。また、東浩紀が「サイバースペース」(in『情報環境論集』)の中で、ディックが小説の中で描いていた分裂症的コミュニケーションがドゥルーズ&ガタリと共鳴していることを指摘している。

1968年に端を発した政治運動の世界的行き詰まりによって、社会という大きな物語と政治的なものの力は著しく弱体化してしまう。68年のもうひとつの拠点であったカリフォルニアでSFを書いていたディックはまさにその変化の真っ只中にいた。「ディックにとっての政治的な希望は、失われた調和や全体性の回復ではなく、分散状態の主体と不気味なものに満ちたポストモダニズムの肯定、つまり分裂病的な世界の肯定として構想されていた」(東)。

1968年以後の世界では、自分が生きている世界と分裂病患者の空想の世界の違いを示す根拠が失われてしまった。それは、1968年の『アンドロイドは電気羊の夢を見るか? 』に登場する擬似動物への感情移入という徹底的な表面性に現れている。不気味な存在に向けられるその感情は内面性とは無縁で、感情はつねに外に現れているもので測られる。それは、近代の主体モデルである「背後の見えない他者への参照」なしに、コミュニケーションの表面をそのまま他者として容認する感性である。それはスクリーン上の文字列やイメージを額面通り受け取るインターフェイス的主体につながっていく。つまり日常的にPCの前にいる私たちのことである。

ところで、ピナスは www.webdeleuze.com というドゥルーズのサイトも運営していて、ドゥルーズの講義のいくつかをダウンロードできる。『アンチ・オイディプス』や『千のプラトー』で知られるドゥルーズであるが、21世紀に入ってからは『記号と事件』で新たな管理社会に言及していたことで再び注目されている。

そしてリシャール・ピナスが音楽の師と仰いでいたのが、キング・クリムゾンの超絶技巧のギタリスト、ロバート・フリップである。キング・クリムゾンは『クリムゾン・キングの宮殿』で1969年に衝撃的なデビューを果たし、ビートルズの『アビイ・ロード』をチャートから引き摺り下ろしたと言われている。赤い顔のジャケットに見覚えのある人もいるだろう。それ以降、フリップはバンドのメンバーを次々と交代させ、グループのカラーも時代によって大きく異なる。個人的にはファースト・アルバムや『アイランド』も捨てがたいが、1972年以降のビル・ブラッフォード Bill Bruford 、ジョン・ウェットン John Wetton 、デヴィッド・クロス David Cross 、ジェイミー・ミューア Jamy Muir らが集結した時期、アルバムで言えば、『太陽と戦慄 Lark’s tongues in aspic 』『暗黒の世界Starless and Bible Black』『レッド Red 』が一押しである。クリムゾンは1974年に解散し、1981年に再結成する。そして去年は、キング・クリムゾン(King Crimson)のデビュー40周年で、それを記念したスペシャル・アイテムが発売されていた。

キング・クリムゾンは一言でいえば、「ロックがここまでやるか」ってバンドだった。ライブ映像を見ればわかるが、どうみてもロックバンドの域を越え出ている。とりわけこの時期は「Bitches Brew」あたりのマイルス・デイビスを髣髴させるジャズ・インプロビゼーション(即興演奏)を繰り広げるのが特徴だ。超絶的なテクニックのギターとリズム陣がまるで織物を織るような正確さによって緻密な時間を積み上げ、徐々にテンションを高めていく。その先には全身の汗腺を一挙に開花させるカタルシスが待つが、それは時空を歪ませるようなヘビーメタリックなギターが先導する。

一方で、ヴァイオリンやメロトロンが醸し出すヨーロッパ的な夢幻と哀愁も忘れがたい魅力のひとつだ。『暗黒の世界』に収められた Night Watch と Trio は美しさの極みである。

また専属の詩人が歌詞を書いていて、文学的な曲のタイトルと象徴的なジャケットの絵柄もいかにもプログレのバンドらしい。Lark’s tongues in aspicを『太陽と戦慄』と訳している邦題の意図もよくわからないが、『暗黒の世界』の原題 Starless and Bible Black は20世紀前半に活躍したウェールズの詩人、ディラン・トーマスの劇作品「Under Milk Wood.」の一節から引用されている。

いかにも一般受けしそうにない音楽ではあるが、クリムゾンはCMと無縁だったわけではない。最も有名な曲「21世紀の精神異常者 21st century schizoid man 」がときどき思い出したようにCMに使われるし、08年にオダギリジョーをフィーチャーしたトヨタのCMに「Easy Money」が使われていた。

ところでリシャール・ピナスに話題を戻すと、彼の場合、キング・クリムゾンというよりはギタリストのロバート・フリップからの影響が大きい。エルドンのサウンドはグループによるジャズロックというよりは、ギターとシンセサイザーを使った実験性の高い音楽だった。フリップはかつてフィリッパートロニクスというオープンリールテープレコーダーを使った独自のディレイ・システムを使っていたが(最近では Windows Vista のサウンドを担当した)、ピナスのギターはフリップのギター奏法やサウンド・エフェクトの影響を受け、とりわけフリップの音楽のヘビーメタリックな質感を受け継いでいる。

さらにマニア向けの情報も書いておこう。日本にもリシャール・ピナスに引けを取らない素晴らしいフリップ・フリークがいる。美狂乱の須磨邦雄である。美狂乱がレコードデビューしたのは80年代だが、2000年に入ってからは「魁!!クロマティ高校」のエンディング曲に使われたりしている。個人的にはエルドンよりも、こちらの方が圧倒的に好きだった。

美狂乱-Double



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2009年08月18日

ロック温故知新−英仏プログレ対決(2) イエスVSアトール

今回紹介するのは、「フランスのイエス」と呼ばれたアトール Atoll(=環礁の意)。彼らのセカンド・アルバム『夢魔 L'araignée-Mal 』はフレンチ・ロックの傑作として今も語り継がれている。アルバムの聴きどころは、タイトルにもなっている組曲「夢魔」。4楽章(?)構成で21分に及ぶ。タイトルの原義は「悪の蜘蛛」。ボードレール Charles Baudelaire あたりからインスパイアされたのだろうか。ロックバンドの構成にバイオリンが加わり、サウンドに決定的な色合いを与えている。ちょっとオカルティックな始まり。美しくも不安をかきたてるようなバイオリンの先導によって徐々にテンションが高まっていき、やがて視界が開け、高原状態に至るような曲の展開がなかなか良い。フランス語のボーカルも違和感はない。



アルバムには Cazotte No.1 というフュージョンの傑作も収められている。前のアルバムからメンバー・チェンジがあり、テクニック的にも格段に向上し、高度なアンサンブルと白熱したインタープレイが可能になった。タイトルは、幻想小説の先駆者と言われ、「悪魔の恋」(学研M文庫『変身のロマン』に収録)という作品で知られるフランスの18世紀の作家、ジャック・カゾット Jacques Cazotte から来ているのだろうか?ボードレールといい、カゾットといい、プログレは文学ネタにも事欠かない。

組曲「夢魔」
組曲「夢魔」
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アトール
ディスク・ユニオン (2002-12-24)
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おすすめ度の平均: 5.0
5ユーロプログレを代表する名盤
5ユーロロックのひとつの到達点
5驚愕の1枚
5聞き応えのあるフレンチプログレ


一方、イエスというイギリスのバンドの名を初めて聞く人もいると思うが、イエスは Yes であって、Jesus ではない。彼らの代表作といえば『こわれもの Fragile 』(1972年)と『危機 Close to the edge 』(1973年)が挙げられるだろうが、『こわれもの』は「ラウンド・アバウト」や「燃える朝焼け」という名曲を含みながらも、各パートの色をそれぞれ出した実験的な曲が半分を占めている。一方、メンバーの個性が衝突しながらも見事に融合した、精巧な建築物さながらの2つの組曲+1曲で構成される『危機』の完成度の著しい高さをみれば、やはりイエスの最高傑作と呼びたくなる。個人的にはパトリック・モラーツ(key)が参加した『リレイヤー Relayer 』も捨てがたい。下のライブはこのアルバムが出た1975年のライブ。曲は「危機 Close to the edge 」。同ライブで演奏された『リレイヤー』の名曲「錯乱の扉 The gates of delirium 」も必聴!(しかし両曲とも肝心なところで途切れている。続きはCDかDVDを買ってくださいってことか)



先ほど建築物の比喩を出したが、イエスのスタイルは構築型のプログレシッブ・ロック。曲は長いが、インプロビゼーション=即興演奏によって展開するのではなく、曲の細部まで作りこんであり、構成としてはクラッシックに近い。ライブでも曲をアルバムのままに再現する感じだが、あれだけの曲を一糸乱れぬ形で再現できる演奏力があってこそだ。ジョン・アンダーソンの歌詞には、普通のロックが扱うような恋愛とかセックスとか車などという下世話で具象性が高いネタは一切出てこない(そういえば、反捕鯨の歌があったな)。ひたすら抽象度が高く、安易に消化されない硬質な言葉を積み上げ、イエスの音楽にさらなる至高性を上塗りするのだ。

youtube にはイエスの最近の映像もたくさんアップされている。脱退した初期メンバーたちも一堂に会して、臆面もなく過去の名曲を披露しまくる Unionツアーをしょっちゅうやっているようだが、アクションやコスチュームがあまりにダサくてトホホな気分にさせられる。それにオヤジバンドを通り越し、すでにジジバンドの領域である。全くプログレッシブ(=進歩的)ではないプログレッシブ・ロックとはまさにこのことだ。

「燃える朝焼け Heart of the sunrise」なんて盛り上がりまくっている。この曲はヴィンセント・ギャロの映画「バッファロー66」の意外な場面で使われたり、日本のドラマで流れたりしていたので(おそらくギャロの使い方をパクったのだろう)、若い人も聴いたことがあるかもしれない。

FragileClose to the EdgeRelayer

アトールの『夢魔』のジャケットがちょっとグロくて、インパクトはあるが、個人的には苦手なタイプの絵。もしかしたらロジャー・ディーンを意識しているのかもしれないが、あのイラストの洗練度には遠く及ばない。イエスといえばロジャー・ディーンのジャケット(↑)が真っ先に思い浮かぶ人も多いだろうが、それはイエスのイメージの一部を確実に担っていた。

初めにアトールを「フランスのイエス」と紹介したが、フランスでそう言われていたわけではなく、日本で紹介されたときの便宜的な呼称だったのだろう。実際、アトールとイエスは似ても似つかない。イエスは、聴けばイエスだとすぐにわかる、誰も真似ができない孤高の音世界を作り出してきたし、アトールに関して言えば、セカンド・アルバムの時点で理想的なメンバーとアイデアが偶発的に結集され、一瞬のひらめきのような作品を生み出したのだ。


Close to the Edge
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5ボーナストラックが楽しい
5おいおい勘弁な
5親しみやすさと高尚さと
5イエスらしい作品ですね?
5やはりこのアルバムが最高






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2009年08月07日

ロック温故知新−英仏プログレ対決(1) ジェネシスVSアンジュ

こういう記事を書くときはネタが煮詰まったときかなと、このブログをはじめたときに漠然と思っていたが、とうとう切り札を出すべきときが来たようだ。しかし、ネタが煮詰まったというわけではなく、10本くらい同時並行で記事を書いているが、どれもあと一歩のところで仕上がらない。こういう記事ならば、手軽にかける。というわけで、70年代のフランスのロックを発掘してみよう。どれもブリティッシュロックの二番煎じという印象を拭えないが、それなりのオリジナリティーもある。

Guet Apens
Guet Apens
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Ange
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おすすめ度の平均: 5.0
5ドラマチックな楽曲を、
演劇的ボーカル&プレイで楽しめる
5フレンチプログレの傑作

私がこのアルバム GUET-APENS(邦題:「異次元への罠」、原義は「急襲」、ジャケットでは棍棒を持った原始人が酔っ払ったオッサンを待ち構えている)を聴いていたのは中3か高1のときだった。当時キングレコードが「ユーロロック・スーパーコレクション」というアルバム・シリーズを出していて、その中の一枚だった気がする。



バンドの名前はANGE アンジュ。天使という意味。フランシス&クリスチャン・デカン兄弟を中心に70年代に結成され、現在はクリスチャンの息子が加わり、親子でやっているらしい。当初は「フランスのジェネシス」と言われていたが、音よりもボーカルのスタイルによるのだろう。初期のジェネシスはピーター・ガブリエルの演劇的なパフォーマンスで知られているが、アンジュのボーカルはより激しく、ドラマティックである(JE T'AAAIIIME!!!と絶叫している)。こうして20年ぶりに聴いてみるとそれなりにかっこいいではないか。フランス語の歌詞が吹き出しで画面に出てくるので、それを目で追いながら聴くとヒアリングや綴りと発音の勉強にもなるだろう。

一方、イギリスのジェネシス(Genesis)と言えば、ピンク・フロイド、キング・クリムゾン、イエス、エマーソン・レイク&パーマーとともに、プログレッシブ・ロックの5大バンドのひとつ。まずは「プログレッシブ・ロックって何?」って話からはじめなくてはならないが、それは次回以降に譲ることにして、ただひとつ言えるのは曲がやたらと長いことだ。アンジュの曲は5分少々だが、下のジェネシスの Musical Box は10分近くある。若い人たちにとっては曲の長いロックは逆に新鮮ではないだろうか。



ビデオクリップでは若い頃のピーター・ガブリエルやフィル・コリンズの姿が拝める。ピタガブはかつてこんなに神経質そうな雰囲気を醸していたとは。途中で、人間の首でクリケットをしている少女のジャケットが映るが、この曲が入っているアルバムのタイトルは Nursery Rhyme(複数形で「マザー・グース」の別名) をもじった NURSERY CRYME(邦題は「怪奇骨董音楽箱」)。子供の歌をホラーに反転させているわけだ。もっとも、子供の歌や童話はつねにそういうスプラッターな要素を含んでいるのだが。このように、プログレッシブ・ロックは文学とも親和性が高く、アルバムがひとつの文学作品のように統一されたコンセプトで作られることが多い。

Play me, Old King Cole…とピタガブは歌い始めるが、Old King Cole はマザー・グーズでお馴染みの人物である(♪Old King Cole was a merry old soul and a merry old soul was he...♪)。波間を漂うような12弦ギターのアルペジオと浮遊感のあるフルートの組み合わせが幻想の世界へといざなう。桜はとっくに散ってしまったが、春霞の向こうから聞こえてきそうな音だ。後半のドラマティックな展開も聴き逃さぬよう。はやり、軍配はこちらにあがりますな。

Musical Box を気に入っていただいた方には、次作の FOXTROT もオススメ。このアルバムにはLPの片面を使った23分の名曲、Supper's Ready (youtubeの動画はフランスのテレビで1973年に放映されたライブ、10分の短縮バージョン)が収録。

英仏プログレ対決の第2弾は、イエスVSアトール。乞うご期待!

Nursery Cryme
Nursery Cryme
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Genesis
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おすすめ度の平均: 5.0
5助けてください
570年代ロックが残した傑作の一枚
5一粒300米!いあ、それ以上w
5文学小説のようなロック
5飛躍的に演奏・作曲技能が進化





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2008年10月15日

エレーヌ・グリモー HELENE GRIMAUD

2008年の関西地方は春から初夏にかけ、興味深い演奏会が数多く開かれた。そのうちの幾つかをリポートしてみよう。

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」(初回生産限定盤)(DVD付)まず、何といっても圧倒的だったのはパーヴォ・ヤルヴィ指揮フランクフルト放送交響楽団演奏会である(5月31日、フェスティヴァル・ホール、大阪)。このコンサートは1958年から始まった大阪国際フェスティヴァルの第50回目を彩る20ほどのプログラムの一つであり、後半のメインといえるものだった。フェスティヴァル・ホールは本年12月から改装されるため、この音楽祭自体も休止されるという。最期にもう一度、このホールの音響を確かめておきたかったという聴衆も多かったのではないだろうか。実際、数多くの熱い音楽ファンが詰め掛けているように感じられた。

プログラムはベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番変ホ長調op.73「皇帝」とブラームスの交響曲第2番ニ長調op.73というオーソドックスな組み合わせ。いずれも心地よい、溌剌とした演奏であったが、特に今をときめくエレーヌ・グリモーをソリストに迎えた前者は極めて水準の高いものであった。それはひとえにソリストの実力ゆえとも言えるが、それを引き出した指揮と管弦楽の演奏にも端倪すべからざるものを感じる。

エレーヌ・グリモーはいまや飛ぶ鳥を落とす勢いのピアニストである。エクサン・プロヴァンス生まれのフランス人であるが、ドイツ音楽を好み、ベートーヴェンやブラームスの協奏曲をプログラムに選ぶことが多い。実はこういうフランス人はかつてもいた。ブラームスのヴァイオリン協奏曲の伝説的ライブ録音(伴奏はハンス=シュミット・イッセルシュテット指揮北ドイツ放送交響楽団)を残したのち、不慮の事故のため僅か30歳で帰らぬ人となった天才ヴァイオリニスト、ジネット・ヌブーである。楽器の違いがあるとはいえ、私はグリモーの現在の活躍ぶりに往年のヌブーの姿を重ねてしまうのである。

野生のしらべグリモーはまた、狼と共に暮らすという生活ぶりでも話題になっている。幼い頃から周囲と溶け込めず、自閉症に近い性格を持っていた彼女を変えたのが狼との出会いであった。20歳からアメリカに移り住んで動物生態学を学び始めた彼女は、狼との交流を通して世界に向かって心を開き始める。と同時に、彼女の音楽家としての魂は目覚しく成長を遂げたという。詳しくは翻訳も出ている彼女の自伝『野生のしらべ』(ランダムハウス講談社)を参照されたい。

実際、グリモーの奏でるピアノの音は素晴らしかった。弱音から強音まで、迷いのあるタッチは一切なく、曲を完全に手中に収めている。「皇帝」は数々の名演があるピアノ協奏曲であるが、グリモーはその演奏史に新たな一ページを付け加えるのではないだろうか。煌びやかでありながら、決して派手ではない。そして、その軽やかな音には紛れもなく揺るぎのない芯のようなものがある。これは本物のベートーヴェン弾きである。ありふれた言い方で恐縮だが、私は「皇帝」が世界で始めて演奏される瞬間に立ち会ったかのような新鮮さを感じた。何はともあれ、これからもグリモーの演奏会には必ず駆けつけなければならないと心に決めた演奏会であった。

その他、アンサンブル・ウイーン=ベルリンの演奏会も素晴らしいものだった(5月18日、兵庫県立芸術文化センター、西宮)。これはウィーン・フィル、ベルリン・フィルの首席奏者を中心に25年ほど前に結成された管楽器だけの5人編成のグループ。憂慮されたのはリーダー格のフルート奏者ウォルフガング・シュルツが急病で来日不可能になり、プログラムが大幅に変更されたことだった。しかし、代わりに演奏に加わったピアニストの菊池洋子が素晴らしい演奏を披露し、メンバーとも抜群の相性の良さを見せてくれた。特にモーツァルト作曲ピアノと木管のための五重奏曲変ホ長調K.452はそのまま録音しても良いと思えるほどの高度な演奏であったのではないだろうか。観客も大満足であったようだ。

特に創立メンバーの二人、ハンス=イエルク・シェレンベルガー(オーボエ)とミラン・トゥルコヴィッチ(ファゴット)の演奏は神業とも言える水準。かねてから一度は生で聴いておきたいと思っていた二人の演奏であるが、期待を裏切らなかった。既にオーケストラの首席奏者の位置からは退き、後進を指導する立場にいる二人だが、その演奏の質は現役バリバリで他の追随を全く許さない。彼らの黄金時代は恐らくあとしばらくは続くのではないだろうか。その様なことを感じてしまうほど、その日の彼らの演奏には圧倒されてしまった。

さて、この夏は一体どのような音楽が聴けるだろうか。


□初出 main blog 2008年7月4日




不知火検校

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2008年07月23日

村治佳織

Viva!RodrigoJR神戸駅から歩いて10分ほどのところに神戸文化ホールという音楽ホールがある。財団法人神戸市演奏家協会の運営する建物で、クラシックのみならず伝統芸能やポピュラー音楽のコンサートなど様々な出し物を催す市民会館である。

しかし市民向けホールといっても決して侮ってはいけない。ここは時折、海外の演奏家を招いた質の高いコンサートを企画する。例えば、昨年(2007年)1月8日に開かれたベルリン・フィル八重奏団のコンサートは秀逸なものだった。ベルリン・フィルの管弦楽器の首席クラスのメンバーにて構成されるこの楽団の演奏が、東京や大阪の大ホールではないところで鑑賞できるというのは素晴らしいことである。このクラスの楽団は場所がどこであろうと手を抜いた演奏はしない。上原彩子をピアノ独奏に招いたシューベルト作曲ピアノ五重奏曲イ長調『ます』も優れた出来であったが、やはりフルメンバーによる演奏は出色のものであった(シューベルト作曲八重奏曲ヘ長調D803)。この演奏家たちによる類い稀なる音色は確実に観客の心に刻み付けられたと思う。このコンサートは、同年の5月17日、大阪のシンフォニー・ホールで「ストラディヴァリウス・サミット」と銘打たれたベルリン・フィル弦楽合奏団(ヴィヴァルディ作曲『四季』など)の演奏をも超える鮮やかな出来栄えであったと思う。

今年はこのホールは春から秋にかけて海外の歌劇場によるオペラ作品を三本上演するという(ロッシーニ作曲『シンデレラ』[6月、スポレート歌劇場]、『リゴレット』[9月、ウィーンの森バーデン私立歌劇場]、プッチーニ作曲『トゥーランドット』[10月、ウクライナ国立歌劇場])。もちろん、これらに兵庫県立芸術文化センターの企画するプログラム(メトロポリタン歌劇場、パリオペラ座)ほどの豪華さはない。だが、それでもこうした大胆かつ多彩な企画を実現してしまうこのホールの熱意とそれを支える市民の音楽熱には感動させられる。神戸とはこういうことが許される街なのだ。

さて、そんな神戸文化ホールであるが、この3月は注目すべきリサイタルが数多く開催される。まず、3月9日(日)は森麻季(ソプラノ)と横山幸雄(ピアノ)のデュオ・コンサート。曲はドニゼッティ、プッチーニの歌劇からアリアなど。森は近年最も注目を浴びるソプラノ歌手で、その透き通った、そして伸び上がるような歌声は一度聞いたら忘れることは出来ないだろう。最近はテレビなどでも彼女の歌声を使ったメロディが流れることもあるので、それと知らずに聞かれた方も多いのではないだろうか。その彼女が横山という手練のピアノの弾き手を伴奏者に得てリサイタルを開くのだから、聞きに行かない手はないだろう。恐らく、素晴らしいコンサートになるのではないだろうか。

加えて、3月20日(木)は村治佳織のギター・リサイタルが開かれる。曲はロドリーゴ、タレガなど。神戸では10年ぶりのコンサートだとのこと。情緒的なアンドレス・セゴヴィア風ではなく、理知的なジョン・ウイリアムスの系譜に属すると思われる彼女のギターは、それでいて端正できらめくような音を響かせる。また、彼女の演奏会スケジュールは大変なもので、海外のオーケストラとの共演を何度も挟みながら、日本全国を巡るコンサート活動も留まる事を知らない。それだけでも大変なものだが、同時に彼女は常に新たな可能性を追い求めて演奏を続けているという印象を与える。

あれは10年ほど前だったろうか。当時、パリに留学中だった村治が作曲家ロドリーゴを訪ねるというドキュメンタリーがテレビで放送されたことがある(下に動画あり)。ギター音楽の珠玉の一品、『アランフェス協奏曲』の作曲者もこのとき既に90歳を越えていて、コミュニケーションも容易ではない状態であったのだが、カメラはこの作曲家から何かを感じ取る村治の姿をはっきりと捉えていた。この撮影の数ヶ月後に亡くなったロドリーゴから村治が何を受け取ったのか、それは演奏を聴いてみれば分かるであろう。村治はそれ以来、ロドリーゴを重要なレパートリーにしている。

これ以外にも3月の神戸文化ホールは熊本マリのピアノ・リサイタル、山形由美のフルート・リサイタルなど、中堅、ベテランの女性演奏家によるリサイタルが数多く開かれる。多彩で魅力的な演奏会を次から次へと開くこの音楽ホールは、神戸市民のみならず関西の音楽愛好家には極めて重要なホールの一つと言えるのではないだろうか。このような市民ホールも決して侮ってはならないのだ。


□神戸文化ホール http://www.kobe-bunka.jp/hall/

KAORI MURAJI REND VISITE A J.RODRIGO(TV documentary)


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不知火検校(2008年3月9日)

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2008年07月21日

パトリシア・プティボン

Airs Baroques Français パトリシア・プティボン(Patricia Petibon)は、近年高い評価を得ているフランス人ソプラノ歌手である。1970年生まれの彼女は、トゥール大学やパリ国立高等音楽院で学んだあと、ウィリアム・クリスティやニコラウス・アルノンクールの薫陶を受けつつ、バロックオペラを中心とした、メインストリームからはいくぶん離れたレパートリー群で少しずつ評価を高めてきた。ここ数年はヨーロッパ各地の大劇場のオペラ公演に重要な役どころで出演するようになっている。だがこのプティボン、たんに歌や演技がうまいオペラ歌手というのとはわけが違う。実は彼女、かなり規格外のパフォーマーなのだ。

 私は6年前、F2のニュースで彼女を初めて見た。フランスのある地方都市で開催された音楽祭についてのルポの中で、髪を中華風シニョン(いわゆるおだんご頭)に結った、少女めいてはいるが年齢不詳の女性歌手が、安っぽいサングラスをおでこにのせ、亀を模した子供用の浮き輪を首にかけ、ものすごい形相で、しかもどたどたはね回りながら歌っていた(あとからわかったことだが、そのとき彼女が歌っていたのは「プラテー」(ジャン=フィリップ・ラモー)のフォリーのアリアだった)。一度見たら決して忘れられない衝撃的なパフォーマンスで、歌の場面はほんの数十秒だったが、その短い時間に、私はその女性歌手――パトリシア・プティボンの圧倒的な魅力にすっかりまいってしまった。

petibon01.jpg CDを探していろいろ聞いてみると、彼女が思いのほか筋の通った、そしてまた幅広い音楽性を身につけた非常に優れた歌手であることがわかってきた。だが音を聴いているだけでは、最初の衝撃に比べやはりなにか物足りなかったことも事実である。その後、パリのサル・ガヴォーでのリサイタルを収録したDVD「French Touch」(2004)を見るに及んで、私はプティボンの歌手としての実力を、またコメディエンヌとしての並々ならぬ才能を再確認した。いろんな小道具を使い、数々の楽しい演出を施したステージは、クラシックの歌手のリサイタルとしてはずいぶん型破りのものであったが、くすくす笑いとともに、大いなる芸術的感興とカタルシスを私に与えてくれた。

 そのパトリシア・プティボンの初来日公演に行って来た(4月6日、大阪、ザ・シンフォニーホール)。ピアニストとふたりだけの簡素な構成で、DVD「French Touch」に比べれば地味な舞台であったが、それでもステージに様々な小道具・小楽器類を持ち込み、あるときは情感をこめて、あるときは茶目っ気たっぷりに、またあるときはベタなギャグ(それも日本語で!)を披露しつつ、ほんとうに楽しいステージを展開してくれた。コープランドの何曲かや「フィガロの結婚」のアリアなど見どころはたくさんあったが、白眉はやはり、彼女の十八番といっていいアブルケルの「愛してる」とアンコールで歌われた「ホフマン物語」のオランピアのアリアだろう。プティボンの最大の魅力は、天上の聖性と地上の下世話さのあいだを一瞬にして往還する表現の自在さにあると思う。この二曲にはそんな彼女の一番素晴らしい部分が十全に現れていて、鳥肌が立つほどの感動を覚えた。

今度はぜひオペラの舞台に立つ彼女の姿を見てみたいものである。


■プティボンのCDはオペラの全曲盤を含めればかなりの数が出ているが、まず一枚といわれれば、彼女の多様な魅力が堪能できる「フレンチ・タッチ」(国内盤あり)だろうか。また、彼女の出発点を示す「AIRS BAROQUES FRANCAIS」(フランスバロックアリア集。国内盤なし)の明るく親しみやすい世界もすばらしい。

■プティボンの姿を見ることのできる映像作品はさほど多くない。比較的簡単に手にはいるのはジャン=フィリップ・ラモーの「優雅なインドの国々」のDVD(日本国内対応のNTSC盤)。酋長の娘ジマに扮するプティボンの最高にキュートな姿を堪能できる。仏盤DVD(PAL盤)では、上記「French Touch」が絶対のオススメ。ほかにはフロラン・パニー(フランスの超人気男性歌手)のライブDVD「BARYTON」中の数曲で彼女の姿を見ることができる。フレディ・マーキュリーの名曲「Guide me home」をパニーとデュエットしているほか、「キャンディード」(バーンスタイン)の"Glitter and Be Gay"(名演!)やオランピアのアリアをソロで歌っている。彼女が出演している「オルフェオとエウリディーチェ」(グルック)の仏盤DVDも存在するが、現在は品切。

■ちなみにフランスも日本もDVDの地域コードは「2」。したがって仏盤DVDを日本国内で視聴しようとするとき、地域コードがネックになることはない。ただ、仏盤DVDはカラー方式が日本のNTSCとは違うPALなので、国内用の普通のDVDプレイヤでは再生できない(NTSC/PAL両方式対応のプレイヤなら再生可)。パソコンなら、DVD再生環境(DVDドライブ+再生ソフト)が整っていれば、ふつうはPAL盤も再生可(保証は出来ませんが)。





MANCHOT AUBERGINE

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2006年03月30日

素人名人会談(5) CLIFFORD BROWN

Clifford Brown Quartet in Parisフレンチとジャズ、それは人類に残された最後の開拓地である…そこには人類の想像を絶する新しい文明新しい生命が待ち受けているに違いない…これは人類最初の試みとして5年間の調査飛行に飛び立ったポンポン船『FBNエンタープライズ木魚号』の脅威に満ちた物語である…

木魚です。せんどぶり、ごぶさたさん。素人名人会談第5回。みなさまの体感時間では一月半ぐらいにしかすぎないでしょうが、じつは難しい理屈によれば5年の調査飛行に出てたのですよ。おかげで、木魚もすぽっくもかーくも日焼けしましたね。

で、調査結果です。たとえばこんなんどうかな。

あるご婦人がいました。彼女は愛する恋人と結婚する日が近づいてこころウキウキときめきビーチです。そうだわ、あたしのはたちの誕生日、6月26日に結婚しましょう。ジューンブライドだし、幸福になれるわ。晴れて結婚し、ふたりは蜜月でハニーでムーンな2年間を過ごしました。2年目の結婚記念日、しかも誕生日を迎えるという、その6月26日…愛する夫は自動車事故に巻きこまれ死んでしまいました。夫の名はクリフォード・ブラウン、いつもニコニコ顔の天才トランペッター。ブラウニーは木魚も大好きで、何枚もアルバムもってます。お気に入りはアート・ブレイキーの『バードランドの夜』というアルバムでの演奏その他枚挙にいとま無し、なんやけど、フレンチとのからみだと、

CLIFFORD BROWN QUARTET IN PARIS

てのがあります。パリものでは6人組と4人組の音源があるんやけど、ワンホーン(他に金管木管楽器がない)4人組、カルテットが秀逸ですな。高音のヒットがあつく、しかもなめらかにうたうジャズの花形楽器の一端を聴いちゃってみて。

ほひたら、また5年ほどしたら。

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木魚
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2006年03月26日

素人名人会談(4) BARNEY WILEN

 トゥールル、トゥールルトゥールル、トゥルル、
 トゥールルルルルゥルー、パーパヤ、パパヤ、パパヤ〜
 黒柳木魚:こんにちわ、「モクギョの部屋」です。
      今回のお客さまは、フランスジャズ界の第一人者、
      バルネ・ウィランさんです、どうも初めまして。
 バルネ:ボンジュール(通訳:こんにちわ)。
 黒柳木魚:ウオーヴァ(通訳:ほなさいなら)。
 終わるなよ、コクヤナギ(決してクロヤナギではない)。

と、たまには会談させてやらんといけません、素人名人会談第4回目。驚くなかれ愛国の志士よ、なんとこのコーナーはフレンチとジャズを結びつけるという蛮勇行為以外のなにものでもない、恐るべき血みどろホラースプラッタ企画。会談は怪談なのか???暑いから納涼なのか???

パッショーネバルネ・ウィラン。90年代、その道では流行りましたねー。いや、適当に年とってそこそこのルックス、しかもテナーとソプラノサックスという見た目にシンボリックな楽器をあやつるとくれば、世の女性はイチコロ、おぼこい木魚は大人の世界ってあるんだなぁと思いましたね。PASSIONE(管理人さん、試聴リンクないねん、写真だけでも貼っつけといて)なんて、どうよ、このジャケ。ラストアルバム。そやけど、そやけど、である。それもいいんやけど、やっぱ、このおっさんの青い頃も聴いてみたい。そやから、これも試聴リンクないんとちゃうやろか、

JAZZ SUR SEINE BY BARNEY WILEN(写真、下)

この初っぱな、"SWING 39"、これがいい。口につけるリードがこなれず、青臭く乾いたところ、パーカッションの勢いにまかせて、伸びる伸びるテナーの音粒、ウブなあちきはこっち好き。恋に恋して鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす。泣かんでもいい、わめいて。

1958年録音。21歳。木魚とタメか(という時もあった)。ま、中古で出会ったら、ほんでたまたまお財布にセンエン札あったら、買っちゃってもいいかも。

ほひたらまた。

セーヌ川のジャズ
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バルネ・ウィラン ミルト・ジャクソン…
ユニバーサルクラシック (2005/12/14)


木魚

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2006年03月23日

素人名人会談(3) MICHEL PETRUCCIANI

 いそうろう 3杯目は そっと出し
 とうしろー 3回目は ぱっとせず
 
Pianismはい、素人名人会談3回目のお時間です。フレンチとジャズというかなり強引な企画です。1回目はマイルス、2回目はデックス、では3回目は?そろそろフランス人出さないといけん。マイルス、デックスと、「ス」の押韻で固めたいけど、スで終わるフランス人、誰かいてはるかなあ。いませんな、却下。それはあきらめて、ミッシェル・ペトルチアーニ(フランス生まれ)なんてどうかな。熱いのもジャズ、繊細なのもジャズ、どッちが好きとなると、木魚はお熱いのが好き。あとカレーライスも好きかな。ホーンこそジャズ、いやいやピアノがジャズ、どっちが好きとなれば、木魚はトランペットやサックスといったホーン好き。それにホルモン、とくにアカセンが好き。好みは好み、ひとそれぞれですが、担当者の嗜好とは裏腹に、ペトルチーアーニは繊細な演奏をするピアニスト。べースやドラムはこれまでリズムを奏でるサポート的立場だったのに、そんなふうにおさまっとらんと、まっこっちきて皆でわいわいやろうな、ピアノのわいがこう弾くから、あんさん方は好きなようにトコトコやって。ほひたら、こっちもそれ聴きながら、こんなふうにポロロンするわ、ほひたら、そっちも好きなようにトコトコやって、ほひたらこっちも…という対話というか鼎談的演奏をしたのがビル・エヴァンスのトリオでしたが、ペトルチーアーニもその流れを汲んでいます。それに力強さもあります。死んでもう5年以上経つかな。37歳。あっち行くにはまだまだはやかったね。身長は1メートルもなかったらしいけど、手はごつかった、そんな印象があるね。フットペダルには足が届かんと思うけどどうしてたんやろ。ま、そんな前知識は不要です。いろいろ名作あるけど、
 
PIANISM BY MICHEL PETRUCCIANI

なかでもオープニングチューン "THE PRAYER" と2曲目 "OUR TUNE" は、たまに無性に聴きたくなるんよね。
 
ほな、あんばいよろしゅう。

□2011年にマイケル・ラドフォード監督によるドキュメンタリー映画『情熱のピアニズム』が製作、日本では2012年10月に公開。


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2006年03月20日

素人名人会談(2) DEXTER GORDON

アワ・マン・イン・パリ次回を待たれい、わっぱっ、と捨て台詞を吐きながら先回を中途でうっちゃった感のある素人名人会談、第2回の季節がめぐってきました。100回記念号まで残りあと98回を数えるのみ、ようやく20人の片手で足りるぐらいにまで漕ぎつけることができました。管理人さんのはからいで ROUND MIDNIGHT への試聴リンクもアクセスでき、マイルスもスマイル(今日のあたし冴えてるわ、いや実際こんなアルバムあるんです)。ところでアルバムタイトルがROUND ABOUT MIDNIGHT、曲のタイトルがROUND MIDNIGHTと微妙に変えているのはわけがあるのかなあ。版権なんかな。ルイ・ヴィトンがルイ・ヴュイトンなんかな。この曲、セロニアス・モンクって変な名前の変なリズムを奏でる、有名なジャズピアニストの作品なんだけど、いやっ、この人、スーツ着てるのにトルコ人がかぶるような帽子かぶってはるわ、なんでってところが最強に変。そんなんいうたらあかん。うちはうち、人は人。ともかく、試聴してくれました?まだの人、曲名どおりに、深夜みんなが寝静まった頃しずしずと聴いてみて。

雰囲気たっぷりです。やっぱ、帝王マイルス。ミュートトランペット(らっぱの朝顔部分にお椀をつけて音を弱めたもの)が、五臓六腑まで「マイルス寒いよ」BY谷川俊太郎です。ヅラかぶらんでも、マイルス、ええもんはええ、髪の毛気にせんとき。ちなみにモンクはこれに参加してません。それについておもしろいエピソードがあって…こらっエエ加減にせいスッポンの腐ったの、フレンチはどこいったんじゃ。尻子玉抜くぞ。アンパーンチするぞ。すわ、一大事。おとろし。じつはこれにあやかった同名のフランス映画があるんですよ、兄さん。

往年のアメリカ黒人ジャズプレイヤーと、このおっさんを敬愛するフランス人青年との交流を軸にストーリーが展開されていくんです。でもこの映画、伝記映画でもあるんです。お話では主人公はじいさんのサックス奏者になっています。この人、デクスター・ゴードンといって、ものほんのジャズプレイヤーでその道では大御所です。おまけにデカい。ついでにあだ名がデックス。デカいデックス。デラックスデックス。もう没しています。このじいさんのモデルのひとりが、神経病みのバド・パウエルっていうピアニスト。やっぱりとうの昔に鬼籍に入ってこの世にいません。なんかややこしい。モデルも役者もジャズメンやったら、一緒にでればよかったのにね。サックスとピアノやし、なんかジャズできたんやろうね。よういうてくれはった、もう一人の私、おおきに、やっぱべっぴんさんやな。ほなら、それを叶えてくれるこの一枚。

OUR MAN IN PARIS BY DEXTER GORDON で、どや。おまけにパリでのものなんで、フレンチ満開ネットになんとか貢献できます。これ、1960年代の録音です。その当時ですら、斜陽がかったヴェテランの二人。さぞ「枯葉散る白いテラスの午後3時」みたいにしんみりしてるんでしょうねとなると、ちっちっちっ、そいつは早合点だぜマドモアゼル。ぜんぜん。熱い熱い。パウエルはソロでわーわー叫んでるし、デックスは音が太いし。なにしろテナーサックスは音域が広く低音部分の懐の深さが魅力のひとつなんですが、テクニック重視だと、高音に偏って煮込みの足らんスジ肉のようにゴリゴリする。それやったらひとつ高域のアルトにすればええねん。その点、デックスはのほほんしながら軽く熱燗2合ほどひっかけた調子で、酔いを楽しむかのようにちょっとリズムとずれているところがかわいい。よくも悪くもこんな音色だすのは他にいません。よろしゅう試聴してみて。

ということで最後に今回の一句、「音色も聴いてください」(すんごい字足らず、って季語は?)。では十月十日後に。

Our Man in Paris
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2006年03月18日

素人名人会談(1) MILES DAVIS

'Round About Midnight素人評者による名人の演奏を紹介しようという会、略して、素人名人会談というものを今、適当に発足しました。パクリになるので談という字をつけてバッタモン風にスパイスを効かせました!(わからん人は無視無視)

このコーナーは、主にフランスとジャズとのからみで、表の名曲、隠れた名演、たまには毒にも薬にもならない珍品などを、あくまで、極私的判断を選考基準に、といいながらライナノーツやら、雑誌情報をいろいろ拝借しながら押しつけようという企画。さあ、いつまで続くのか、そもそも続ける気はあるのか、このあたりはいきあたりばったりで、まずは第一回、いきましょう。

でも、ジャズってあんまり知らんけども、アメリカじゃろ、ニューオリンズやん、フランスとなんの関係あんの、あかんがなわれという疑問とダメだしをお持ちのあなた、それにはただただ、ごもっともとこうべと涙を垂れるだけなんですが…。だが…しかし…。

うーん、そのへんよくわかんないっすね、素人だから楽譜読めないし、楽器もできないし。ゲスト投稿やし。

まぁ、そもそもジャズって何?という質問すら簡単に答えられません。確かにルーツはアメリカ南部の黒人たちによる音楽なんでしょうが、結局、イメージ的にはオシャレ、ということはBGMなんでしょうね。CD買わなくても、カフェやらバーやらで流れてるし、クラシックでもないしロックでもないしッていうかんじ。あと、大人っぽいとかむずかしそうってのもありそう。

何でもそうなんですが、定義するとはみ出るモンがあるもんで、ジャンル分けはタワレコあたりでやってくれてます。ジャズコーナーがあるじゃないですか、そこにおいてあるのがジャズ、その後二人は幸せに暮らしましたとさ、はい、おしまい。

で済めば都なんですけど、それでもたくさんありすぎます。コーナー担当者も素人ですから、好み偏見、ひが目ひいき目はもちろんあります。けれど、上に書いたイメージからほんの一歩でも半歩でも近づいてもらって、ジャズを親しく感じていただけることを目指していくのであります。けれども当然押しつけ気味のところもあるでしょう。

その意味で担当者は、おせっかいにもお見合い話を持ちかける、母方の5つ上の伯母さんです。

イメージというものは近くて、じつは本来の姿からは遠いもんです。まあまあとりあえず会ってみてちょうだい、意外といい人なのよって伯母さんはいってたけど、出会った時はなんやようわからん、気難しいやっちゃな、こんな人とつきあえるんやろか、あれれ、でも一緒におると心地ええなあ、となれば伯母さんとしてはしめたもの。

「素人名人会談」の「会談」は、後は若いもん同士で語り合ってもらいましょう、という遠謀深慮のなせるタイトルだったのだ!!    

ウソです。

ここで断っておきますが、伯母さんは、すでにジャズと結婚されていたり、おつきあいをされている方々、つまり自分なりにジャズを知っている人びとに対しては、おせっかいを焼きません。これはどういうことかというと、お前ジャズをバカにしとんじゃ、頭から尻までプスーと青竹刺して両面こんがり焼いたろか、と突っ込まれるのが恐いんです。堪忍して、うちをそっとしといて。

すみません。まあ、ジャズのことよくわかりませんというビギナーに、プチビギナー(って、もっとビギナーのこと?)の担当者が、こんな曲あるよ、とお知らせするだけなんです。ふーん、そうなんだぐらいの感じで接していただけたら、これにまさる喜びはありません。イメージから入って親しみ、ちょっとイメージを抜ける、それがその人なりのマイ・ジャズになればいいなぁ。

あんまり書くとあれなんで、今回の一枚を紹介。王道中の王道、

ROUND ABOUT MIDNIGHT by MILES DAVIS

ではまた、お体ご自愛ください。かしこ。
え、フレンチは?次回を待たれい。

'Round About Midnight
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5 卵の殻の上を歩く男

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