2008年03月26日

エリー・フォール「美術史」

elie01.jpgエリー・フォールの文章に初めて触れたのは、ゴダールの映画『気狂いピエロ』の冒頭においてである。

処女作『勝手にしやがれ』以来、再びゴダール映画のヒーローとなったベルモンドが、『美術史第4巻・近代美術(1)』に収録されたヴェラスケス論を読み上げる。その間、画面では、原色のアルファベットが黒地にゆっくりと浮かび上がるタイトル・バックが完成し、初夏の眩い光に照らされたコートの上でテニスに興じる娘の動き、書店の前で本を物色するベルモンドの姿、さらに夕闇に包まれたセーヌ河の情景が映し出される。バスタブの中に座り込み、くわえ煙草でヴェラスケス論を読み上げるベルモンドの姿が画面に現れるのは、これから展開する物語と特に関係があるとも思えない、こうした一連のショットの後である。

当時、エリー・フォールという批評家のことは全く知らなかったが、その後、ゴダールの映画についていろいろと読んでいるうちに、その名前に行き当たった。そして、このゴダールの代表作ともいえる作品の冒頭を飾る著作を読んでみようと、大学の図書館へ足を運んでみたが、その名前が検索に引っかかることはなかった。翻訳がなかったのだ。

ゴダールは或るインタヴューで次のように語る。

「私の感じでいうと、芸術批評という点で最初にくるのがディドロでしょう。それにボードレールが続く。芸術をめぐって深い知識を持った研究者や学者はたくさんいるでしょう。だが、ある作品をめぐってそれを誉め、その悪口を言う技術というものは、ごくわずかな人によって担われていたにすぎません。ボードレールのあとに来るのがエリー・フォール。(…)フォールのあとにいささか創造性には欠けるが、アンドレ・マルローが来ます。そして、アンドレ・バザンとフランソワ・トリュフォーがそうした芸術批評の最後に位置することになります。」

ディドロ、ボードレールに続く批評家。そしてマルローより、上に置かれる批評家。その著作が、発刊後、数十年を経た後も未訳であったことに、正直、驚いた。(原著は、1909-1927の出版)

その著作が、2003年、ようやく国書刊行会より出版が開始され、現在、全7巻のうち、残すところ上記のヴェラスケス論を含む『近代美術(1)』とそれに続く『近代美術(2)』の2冊のみとなった。

このフォールの『美術史』は、英米圏では早くから受容されていたようで、あのチャップリンも、インタヴュアーの教養度を測るために「エリー・フォールは読んだかね」と聞くのが慣例であったらしい。

また、ヘンリー・ミラーが、フォールの『美術史』の大ファンであったことも有名で、邦訳の『古代美術』にはミラーの緒言が付けられている。それについては、安原のこちらの書評を参照していただきたい。

「ぼくはこの作品を偉大な音楽を聴くように読んだ……」
ミラーが言うように、この『美術史』の魅力は、その比類なき文体にある。

以下、映画『気狂いピエロ』でベルモンドが読み上げる箇所を少し前から訳してみた。

「これらの画家には、荒々しさと細やかさがあった。作品は陰鬱かつ露骨であり、顔の醜さ、身体の奇形、魂の歪み、全てが臆面なく曝け出される。画家が選択をすることはない。死、恐怖、不都合なものは何もなく、すべてが彼等の仕事に寄与した。だが、我々がひとたび形体と形体との間に目を向けると、悪夢は消え、何か予期していなかった未知のものが姿を現す。大気中の原子の流れ、つつましやかに包みこまれ、透明で微かに色づけられた陰が形体の周りを浮遊し、その形体を変貌させる。50歳を過ぎ、ヴェラスケスはもはや形ある事物を描こうとはしなかった。彼は空気と黄昏と共に事物の周りを彷徨い、奥底の透明と陰のなかに色めく震動を捉え、沈黙の交響曲の見えざる中心とした。彼は、この世界における神秘的な交換、形体と色調が互いに浸透する交換のみを捉えた。それは目に見えることなく持続して進む。いかなる衝突、いかなる飛躍もこの歩みを暴き、止めることはない。空間が支配する。」

残る2冊の翻訳の完成が待ち望まれる。


古代美術―美術史〈1〉
エリー フォール ´Elie Faure 篠塚 千恵子
国書刊行会 (2002/11)
売り上げランキング: 234843
おすすめ度の平均: 5.0
5 やばい、圧倒的。


キャベツ頭の男

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2008年02月07日

エリー・フォール、その比類なき文体

気狂いピエロエリー・フォールの文章に初めて触れたのは、ゴダールの映画『気狂いピエロ』の冒頭においてである。

処女作『勝手にしやがれ』以来、再びゴダール映画のヒーローとなったベルモンドが、『美術史第4巻・近代美術(1)』に収録されたヴェラスケス論を読み上げる。その間、画面では、原色のアルファベットが黒地にゆっくりと浮かび上がるタイトル・バックが完成し、初夏の眩い光に照らされたコートの上でテニスに興じる娘の動き、書店の前で本を物色するベルモンドの姿、さらに夕闇に包まれたセーヌ河の情景が映し出される。バスタブの中に座り込み、くわえ煙草でヴェラスケス論を読み上げるベルモンドの姿が画面に現れるのは、これから展開する物語と特に関係があるとも思えない、こうした一連のショットの後である。

当時、エリー・フォールという批評家のことは全く知らなかったが、その後、ゴダールの映画についていろいろと読んでいるうちに、その名前に行き当たった。そして、このゴダールの代表作ともいえる作品の冒頭を飾る著作を読んでみようと、大学の図書館へ足を運んでみたが、その名前が検索に引っかかることはなかった。翻訳がなかったのだ。

ゴダールは或るインタヴューで次のように語る。

「私の感じでいうと、芸術批評という点で最初にくるのがディドロでしょう。それにボードレールが続く。芸術をめぐって深い知識を持った研究者や学者はたくさんいるでしょう。だが、ある作品をめぐってそれを誉め、その悪口を言う技術というものは、ごくわずかな人によって担われていたにすぎません。ボードレールのあとに来るのがエリー・フォール。(…)フォールのあとにいささか創造性には欠けるが、アンドレ・マルローが来ます。そして、アンドレ・バザンとフランソワ・トリュフォーがそうした芸術批評の最後に位置することになります。」

ディドロ、ボードレールに続く批評家。そしてマルローより、上に置かれる批評家。その著作が、発刊後、数十年を経た後も未訳であったことに、正直、驚いた。(原著は、1909-1927の出版)

その著作が、2003年、ようやく国書刊行会より出版が開始され、現在、全7巻のうち、残すところ上記のヴェラスケス論を含む『近代美術(1)』とそれに続く『近代美術(2)』の2冊のみとなった。

このフォールの『美術史』は、英米圏では早くから受容されていたようで、あのチャップリンも、インタヴュアーの教養度を測るために「エリー・フォールは読んだかね」と聞くのが慣例であったらしい。

また、ヘンリー・ミラーが、フォールの『美術史』の大ファンであったことも有名で、邦訳の『古代美術』にはミラーの緒言が付けられている。それについては、安原のこちらの書評を参照していただきたい。

「ぼくはこの作品を偉大な音楽を聴くように読んだ……」
ミラーが言うように、この『美術史』の魅力は、その比類なき文体にある。

以下、映画『気狂いピエロ』でベルモンドが読み上げる箇所を少し前から訳してみた。

「これらの画家には、荒々しさと細やかさがあった。作品は陰鬱かつ露骨であり、顔の醜さ、身体の奇形、魂の歪み、全てが臆面なく曝け出される。画家が選択をすることはない。死、恐怖、不都合なものは何もなく、すべてが彼等の仕事に寄与した。だが、我々がひとたび形体と形体との間に目を向けると、悪夢は消え、何か予期していなかった未知のものが姿を現す。大気中の原子の流れ、つつましやかに包みこまれ、透明で微かに色づけられた陰が形体の周りを浮遊し、その形体を変貌させる。50歳を過ぎ、ヴェラスケスはもはや形ある事物を描こうとはしなかった。彼は空気と黄昏と共に事物の周りを彷徨い、奥底の透明と陰のなかに色めく震動を捉え、沈黙の交響曲の見えざる中心とした。彼は、この世界における神秘的な交換、形体と色調が互いに浸透する交換のみを捉えた。それは目に見えることなく持続して進む。いかなる衝突、いかなる飛躍もこの歩みを暴き、止めることはない。空間が支配する。」

残る2冊の翻訳の完成が待ち望まれる。


古代美術―美術史〈1〉
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5 やばい、圧倒的。


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2008年01月16日

宮下規久朗 『食べる西洋美術史―「最後の晩餐」から読む』

食べる西洋美術史  「最後の晩餐」から読む (光文社新書)この新書を手にとり、最初に思い浮かべたイメージはギュスターヴ・ドレ描く「ガルガンチュワの食事」だった。フランス・ルネサンス期の巨人フランソワ・ラブレーがその知力と想像力を爆発させて創造した『ガルガンチュワ』『パンタグリュエル』という小説に附された19世紀の挿絵のひとつである。

美術館に足を運び、展示室を、回廊をのんびり歩きながら、絵を観てまわっていると、楽しそうに飲み食いする人々に出逢い、腹時計が不意になってしまうような食材を見つけたりする。
 
そう。西欧の絵画にはなんと食事の風景が多いことか。なんと美味しそうな食べ物が画布のうえに並べられていることか。
 
絵画表現の誕生から、アンディ・ウォーホルの有名な「キャンベル・スープ缶」を経て、現代アートそして未来の美術の主要なモチーフとして、「食」は絵の描き手たちを刺激してきたし、これからも刺激しつづけるにちがいない。

とはいえ、なぜ西洋美術には「食」をテーマとした作品がそれほどたくさん描かれてきたのか。そもそも、食事風景というのはあまりにも日常的な光景なので、それが絵の題材になる特別な理由や意味を考えることはないのではないか。少なくとも、ぼくは、宮下規久朗氏のこの本を読むまではあまり気にしてはいなかった。
 
美術の歴史を「食べる」というテーマから照らし出してみせたこの小さな美術展を訪れるなら、とても愉しいひと時を過ごすことができる。すばらしい話術の宮下ガイドの解説を聴きながら、本の扉を閉じたあとは、冷蔵庫のドアを開けて、なにか食べるもの・飲むものを探し、ぼくらもまた『食べる西洋美術史』の饗宴のご相伴にあずかりたいと思うことでしょう。

しかし独り食事をするだけではやはり寂しいかもしれません。『食べる西洋美術史』の副題が示すように、画布のうえに描かれる食事風景、食材はキリスト教(その世俗化、あるいは脱宗教化)というもうひとつの光源からも照らされることで、より一層、食欲をそそるものになっているのですから。「最後の晩餐」、ダ・ヴィンチが描いたキリスト教的主題のなかにすでに、ポップ・アートの巨匠ウォーホルの「最後の晩餐」に至るなにものかが描き込まれていることを本書はぼくたちに教えてくれています。

皆で食べること、それがコミュニケーションの最もすばらしい手段であるならば、事実そのとおりであるのだから、ぼくたちもまた、『食べる西洋美術史』を肴に、皆で飲み、食べ,お喋りをしにいこうではありませんか。


食べる西洋美術史  「最後の晩餐」から読む
宮下 規久朗
光文社 (2007/01/17)
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5 2回目がおもしろい。
5 知的満腹感が得られる!
5このような講義が聴ける神戸大学の学生は
恵まれていますね



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2007年11月09日

『百科全書』 ディドロ&ダランベール

encyclopedie.jpgYoutubeを活用するブログが増えてきたが、Youtubeにリンクを貼る際のリスクはやはりリンク切れの可能性が高いこと。違法コンテンツのアップとその削除を依頼のイタチゴッコは相変わらず続いている。

いまさらだが、資本主義経済理論の原理はモノの希少性にある。電子情報は、商品の希少性という限界を超え出るので、その原理に基づいている著作権を揺るがしてしまう。電子情報は商品化に激しく抵抗し、モノの希少性の中に捕らえておくことはできない。電子情報は簡単に自らを複製し、それをばら撒く。そして空間を瞬時に移動してしまう。

情報を流通させる力は、モノの私的所有権を保護しようとする力を凌ぎつつある。それゆえ、大手の既成メディア会社も youtube のようなサイトのあり方を容認せざるをえなくなった。著作権を主張し、不毛なイタチゴッコを繰り返すよりも、ネット広告などの別の形で収益を確保するほうが賢明だと思い始めている。おそらく日本はこんな会社の存在を許さないだろう。そこがアメリカの懐の広さである。

かつて情報の伝達にはメディアの媒介が必要だった。文字は本によって、音楽はレコードによって、映像はビデオテープによって媒介された。しかし、今は文書であれ、音楽であれ、画像や動画であれ、あらゆる情報がバイナリー・コードに変換できる。情報は特定のメディアに依存する必要はなくなり、どのような形で保存可能で、複製したり、転送したりすることもできる。

情報に関する大きな転換は18世紀フランスでも起こっている(少々話が強引だが)。『百科全書』の編集だ。『百科全書』は、1751年から1772年まで20年以上かけて完成した大規模な百科事典で、最初は一足先にイギリスで編集されたチェインバーズの『百科事典』の翻訳として構想されたが、最終的には本文17巻、図版11巻の大型の百科事典にまで発展した。

『百科全書』の編集作業は、直接フランス革命に結びついていく思想運動でもあり、ルソー、モンテスキュー、ヴォルテールら、啓蒙思想家のスーパーチームが携わっていた。彼らは、科学的、技術的な情報は自由に公開され、一般にも普及することが民主国家の繁栄につながると考えていた。それまでの知識は古い徒弟制度による、師匠と弟子のあいだの秘められた関係によって伝達されてきた。

『百科全書』は、それまで蓄積された知識を、網羅的かつ体系的に収載することで情報化したと言えるだろう。書物という媒体を介しているとはいえ、歴史的な情報化のブレイクアウトだったのだ。『百科全書』にはクロス・レファレンスがついている。これは現代の事典にも見られ、項目の末尾で参照語句を示す。まるで検索機能の先駆けのようだ。18世紀はルネッサンスの後、生産力がめざましい発展を遂げた時代で、人々は科学技術に強い関心を示すだけでなく、それらを実際に使いこなすことを望んだ。『百科全書』の技術関係の項目および図版は、そのような要請に応えてディドロが最も力を入れた部分である。

情報は知識を与えるが、その結果受け手に何らかの影響を及ぼし、最終的には何らかの行動に向かわせる。情報の意味と価値はその作用力にある。情報はそれ自体では意味や価値はない。情報に意味や価値が生じるのは、それがある目的に結び付けられるときだ。『百科全書』のクロス・レファレンスには当時の厳しい検閲の目をかいくぐりながら、読者の学習を遠隔操作するという目論見もあったようだ。検閲の目には情報はニュートラルなものにしか映らない。これこそ、受け手が目的を持って情報と情報を結びつけることで初めて意味や価値が生じるということを物語っている。技術もまた『百科全書』によって狭いギルド的な枠組みから解き放たれ、他の技術と有機的な関連を結ぶことでさらなる発展を促されることになる。

「編集知」の世紀―一八世紀フランスにおける「市民的公共圏」と『百科全書』『百科全書』が徒弟制度のヒエラルキーの解体を目論んでいたように、情報は大学のような知識の独占と権威付けをしてきた場所にも確実に影響を及ぼすだろう。知識が上から下へと排他的な形で受け継がれるものとすれば、情報はすべての人に開かれ、アクセスしやすく、使い勝手が良いメディアに乗(=載)って水平に広がっていく。そして個人は自由にそれを意味づけ、「編集」することができるのだ。

□「百科全書―序論および代表項目」(序論だけでも読む価値あり)

□「「編集知」の世紀―一八世紀フランスにおける「市民的公共圏」と『百科全書』」



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2007年07月18日

サン=テグジュペリの星の王子さま展

今日(7月18日)から、神戸の大丸ミュージアムで「サン=テグジュペリの星の王子さま展」で開催されている。4月に銀座、5月に京都、神戸の後は、札幌(8月8日→8月20日、大丸札幌店)、名古屋(8月29日→9月9日、三越名古屋栄店)と移動する。

神戸の大丸ミュージアムでの開催期間は、2007年7月18日(水)→30日(月) 。会期中無休。

詳しくはコチラ

星の王子さま (RONSO fantasy collection) 星の王子さま ちいさな王子

ついでにちょっと「星の王子さま」の話を。

1942年のある日、サンテグジュペリはアメリカ人の編集者と昼食を取っていた。サンテグジュペリはなにげなくナプキンの上に長いスカーフを巻いた少年の絵を描いた。サンテグジュペリはカフェや、汽車の中や、散歩中などに浮かんだアイデアを絵や文章で紙片に書き留める癖があったらしい。それを見た編集者は、子供の向けの物語の素晴らしい主人公になると思い、それを書いてくれるように頼んだ。そして1943年に、作者のイラストつきの、英語による初版 The Little Prince が出版された。それ以来、「星の王子さま」は149の言語に翻訳され、4500万部が売れた。しかし、初版以外は本人のものではない、偽のイラストが使われている。

サンテグジュペリは1944年の7月31日、ライトニングP38型機に乗ったまま、海に消えた。彼のすべての著作を出版していたパリのガリマール社は「星の王子さま」のフランス語版を出したいと思ったが、オリジナルの水彩画が見つからなかった。そこでガリマール社はイラストレーターにアメリカ版のイラストを模写するように依頼した。彼はトレース紙を使ってそれをコピーしたが、いくつかの間違いを犯してしまった。星の王子さまの緑のマントが青になっていて、夕日が消えてしまって。しかし、1946年にそのままの絵で「星の王子さま」のフランス語の初版が出版される。

それから50年以上のあいだ、サンテグジュペリ自身によって描かれたオリジナルのイラストは見つからなかった。しかし1994年に、あるパリの本屋がイギリス人の収集家の家でそれを見つけた。1979年に亡くなったサンテグジュペリの未亡人、コンシュエロ・ド・サンテグジュペリがすべての財産を彼に譲ったのだった。サンテグジュペリの思い出の品を含むトランクの中に貴重な水彩画が見つかったのだ。不幸にも、ガリマール社はそれを買い取ることができず、「星の王子さま」は偽のイラストで出版され続けている。

2004年4月に「行方不明になった飛行機の残骸が、仏南部マルセイユ沖の地中海の海底で発見された」とニュースが報じた。潜水員が海底から回収した機体の一部に製造番号が残っていて、この番号を調べた結果、サンテグジュペリの搭乗機だと確認できたという。機体は高速でほぼ垂直に墜落したとみられるが、プロペラに損傷もなく、敵の攻撃を受けたことを示す弾痕も残っていないため(1981年にドイツ人パイロットが自分が撃墜したと名乗り出ている)、墜落原因は特定できなかった。マルセイユ沖に墜落したことは公式に確認できたが、墜落原因は「恐らく永久に分からないだろう」ということだ。

2005年1月、日本での著作権保護の期限が切れたのを機に、10種類以上の新訳が一挙に登場。ファンのあいだでは、タイトルや訳し方をめぐってちょっとした論争になっていたようだ。「星の王子さま」というタイトルは故内藤濯(あろう)が付けたものだが(原題は Le Petit Prince で、「小さい」とか「かわいい」の意味)、新しい訳で同じタイトルを使用する場合は、「内藤氏の考案した題名」と明記する必要があったようだ。

星の王子さまが訪れる6つの星で出会う人物たちは、近代社会(=大人の世界)の論理と価値観を支える典型的な欲望が戯画化されたものだ。それらは、「心で見なければ、物事はちゃんと見えてこない。大切なものは目には見えない」という有名な一節に収斂する、子供の純粋な論理と感性に対照させられている。

個人的に印象に残っている解説本は塚崎幹夫氏の「星の王子さまの世界―読み方くらべへの招待 」(中公新書)。星に生えた3本の大きなバオバブの木は日独伊三国軍事同盟を表しているなど、「星の王子さま」を歴史的な具体性において解釈している。サンテグジュペリの作品全体を見通し、彼の作品と人生の中に「星の王子さま」を位置づける稲垣直樹氏の「サン・テグジュペリ−人と思想」(清水書院)も参考になる(両先生にはかつてお世話になったが、それだけの理由で薦めているわけではない。アマゾンでも評判は上々)。写真はフランス文学研究者による新訳(そのうちこのブログにも寄稿していただけると嬉しいのだが)。

「星の王子さま」公式HP
Le Petit Prince 読み比べ(FRENCH BLOOM STORE)


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2006年06月14日

『水声通信』

水声通信〈no.1(2005年11月号)〉特集 荒川修作の“死に抗う建築”去年の冬、ぶらぶらと散策していた書店の棚で一冊の新しい雑誌と出会いました。『ユリイカ』『現代思想』などといった文芸・思想系の老舗雑誌に張り合うように、ちょっと背伸びしつつも、意気込みを感じさせる立ち姿(つまり、面出し)でぼくを待っていたのです。

その雑誌の名前は 『水声通信』

水声社というかなりよい本を出している出版社の雑誌だから、『水声通信』。その後、月いちの逢瀬は8度を重ね、そのつど楽しく刺激的なひと時を過ごしてきました。「通信」というところが愛らしい。小学生のころ、担任の先生が一生懸命ガリ版で作って手渡してくれたクラス通信を思い出させる親密さを感じます。ですが、中味にはかなりしっかりした論考・エッセイを揃えていて、読みごたえがあり、毎回楽しみにしています。毎号150ページ前後とはいえ、毎月これだけ充実した雑誌を出し続けるのは大変なことです。通信がこの先もずっと手元に届くことを願わずにいられません。
さて、特集の内容をちょっとご紹介すると、

 第1号 荒川修作の << 死に抗う建築 >>
 第2号 小島信夫を再読する
 第3号 村山知義とマヴォイストたち
 第4号 ロシア・アヴァンギャルド芸術
 第5号 野村喜和夫 詩の未来に賭ける
 第6号 ジョルジュ・ペレック
 第7号 ダダ 1916-1924
 第8号 加納光於の芸術

第9号の特集は「軽井沢という記号」と予告されています。関係のなさそうなものがこう並んでいると、ただそれだけで、なにかそこに秘かな関係が生まれてくるようではないですか。雑誌の講読は、気に入った連載を読むためという以上に、新しい出会い、不意打ち、関係の捏造を楽しむことにあるとさえ言えるかもしれません。これからも、こだわりのある雑誌作りをお願いいたします。

個人的には第6号のペレック特集が一番面白かったです。これはぼくの関心の在処を突かれたから。『眠る男』『人生使用法』『Wあるいは子供の頃の思い出』などが日本語でも読めるペレック作品。その最大の特徴は「言語遊戯」ということになるでしょうか。なかでも、フランス語で最も使用頻度の高いアルファべ e を一切使用せずに書かれた『失踪』La Disparition や、逆に使える母音文字を e だけに制限した『戻ってきた女たち』Les Revenentes が有名です。ペレックの諸作品は翻訳の不可能性を喧伝されることが多いのですが、『水声通信』第6号に寄せられた塩塚秀一郎氏の論考は、もしかしたら日本語で『失踪』が読める日が来るかもしれないという期待を抱かせてくれます。そのとき、翻訳の不可能性を克服した英雄的行為ではなく、翻訳という行為の臨界、もしくはその問題性が、まさにひとつの「遊び」として提示されるでしょうし、なによりもペレック流の「言語遊戯」を日本語で楽しむことができるはずなのです。

なんという幸せ。

PST
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2006年02月15日

ブランショ『政治論集 1958-1993』

ブランショ政治論集 1958-1993』が月曜社から翻訳刊行されました。

フランス国民による欧州憲法批准拒否という歴史的出来事を予告し、またそれと呼応するかのように、この訳書が日本で出版されたのはもちろん偶然にすぎないわけですが、「共同体」をさまざまな角度から思考し、思考し直すべき今日、ブランショが書き綴った政治論集を手にとり、じっくりと読み込む意義は大きいのではないでしょうか。

2003年2月20日、95歳で亡くなったモーリス・ブランショ。現在なお続くフランス第五共和制に生きながら、アルジェリア独立戦争、68年5月といった大きな政治的問題、あるいは80年代以降の「記憶」をめぐる問いに対し、文学という場を保持しつつ、いや、まさにそれを保持するために 、さまざまな政治的な状況を自身の問題、そして文学の問いそれ自体として生きぬいた批評家の姿がここに初めてかいま見ることができます。

訳者あとがきに書かれているように、ブランショ30年代の政治時評は残念ながら収録されていないとはいえ、『ブランショ政治論集 1958-1993』翻訳が今この時代に持ち、今後未来において持ち得るその価値に変わりはありません。

それどころか、その30年代ブランショの政治的言説の欠落を補うかのように、若い3人の訳者たちはこの日本語版のために、ブランショの「政治論集」として収められるべき重要な二つの論文「忘れないでください!」と「沈黙に捧げられたエクリチュール」を追録してくれています。
 
安原氏、西山氏、郷原氏がそれぞれの立場からこの書物に与えたいと考える重要性は、3人の共通理解というオブラートで包みながら解説をひとつ巻末に掲げるのではなく、それぞれが執筆した訳者改題に、訳者の、そして研究者としての意気とともに表れているように思えました。『ブランショ政治論集 1958-1993』はフランスの出版社 Galilée の本作りを意識しているのではないでしょうか。穏やかなクリーム色のこの本の肌触りを楽しみながら、ブランショの思考の跡を留めたページにまなざしを注ぎながら、ブランショが時代と共に歩んだ透徹した思考を追体験したいと思わせてくれる本に仕上がっています。

僕は『踏みはずし』『火の部分』といったブランショ40年代の著作、『文学空間』『来るべき書物』という50年代の仕事を中心に齧り読みしたあと、ブランショからは離れてしまっていたのですが、僕自身の問題とともに、この訳書を脇に抱え、あらためてブランショを読みなおす機が熟しつつあるのを感じています。

ブランショの名前をはじめて聞いたという方に。

多様な輝きを発するまでになったひとつの思考を理解しようとするとき、ただ忍耐強くその言葉に耳を傾け、また自身も他の多くの声に耳を澄ます必要があるかもしれません。

ブランショの名前をすでに知っておられる方に。

言わずもがなのことですが、彼の著作のなかにすでに仄見えていた「政治的な」表情を真摯に受け止めましょう。適切な引用かどうかはわかりませんが、ブランショの言葉を。

「文学が政治的ないし社会的活動に真摯に結びつくことによっておのれの無償性を忘れさせようとする際、この参加は、離脱という形で成就される。そしてこの活動が文学となるのだ」

最後に、ここに、唐突に、「友愛」amitié という言葉を書きつけておきたいと思います。

ブランショの、つい先ごろやはり亡くなった哲学者ジャック・デリダの、そして『ブランショ政治論集 1958-1993』訳者のひとり、友人である彼の... さまざまな「友愛」。


Pst@フランス文学・思想
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ブランショ政治論集―1958‐1993
モーリス ブランショ Maurice Blanchot
安原 伸一朗 郷原 佳以 西山 雄二
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