2023年10月01日

『シュヴァル 夢の宮殿をたてた郵便配達夫』 

子供の頃の裏読書、といえばチープな図鑑・事典類。世界の不思議、怪奇、妖怪、UFOとうさんくささ丸出しの見出し、荒い粒子の写真と挿絵、大げさな文章。でも、ページを開くたびにわくわく感は高まり、「ほんの少しはみ出すこと」の快感に酔いしれたものです。



そんな読書で出会ったのがシュヴァルの宮殿。フランスの文化遺産であるとは知る由もなく、謎めいた建物と、それをたった独りで建てたというガイジンのおっちゃんのつぶれたようなモノクロの写真は思いっきりあやしげで、イエティやらツタンカーメンの呪いといっしょに、頭の中の“Belileve It or Not”の箱にしまいこまれてしまったのでした。

月日は流れ、「あれ」が立派な芸術作品であり、アウトサイダー・アートの文脈からも語られるべきものらしい、とオトナな見方で捉え始めた今になって、この一冊に巡り会いました。実にありがたい。

まず、「何でこんなものを作る気になったのか?」という謎に答えてくれました。19世紀半ばのフランスに渦巻いたアフリカ・アジアへのあこがれが、字もろくにかけない田舎の郵便配達夫だったシュヴァルおじさんの心にまず火をつけたんですね。配達していた絵入り新聞や雑誌を彩っていた未知の国々についての詳細なイラストや、パリ万国博覧会で人々を驚かせたエキゾチックな展示についての絵はがきに、胸ときめかせていたとは。

宮殿ができるまでのいきさつも丁寧に教えてくれています。雨の日も風の日も、何もない田舎の道をてくてくてくてく歩いて郵便を届ける。そんなしんどくて色数の少ない日々の行き帰りに、シュヴァルおじさんが頭の中で思い描いたのは、華麗な彫刻で埋め尽くされたエキゾチックな宮殿でした。現実逃避の夢想で終わるはずだったのに、たまたま不思議な形状の石ころに蹴つまずいたおかげで、土地で取れる天然石や化石を使えば彫刻に負けない装飾が作れるんじゃないか、ピンときてからは一直線。配達するかたわら石を拾い集めることからスタートし、困惑する家族、白い目で見る隣人達をものともせず、建築について何の知識もないまま、時には人目を避けて夜闇の中で膨大な数の石とセメントを相手に30年以上こつこつ働いた結果だったんですね!年をくった今だからこそ、この事業がいかに大変であったか骨身にしみます。

一世紀後の世を生きる者の目で見てもやっぱりぶっとんでいるシュヴァルおじさんの人生を、平易なことばであえて淡々と語ってみせた専門家の先生の文章にもぐっときますが、添えられたイラストもいい働きをしています。輪郭を感じさせない点描っぽいタッチに押さえた色合いと、絵本にしては地味な印象。が、主張せずにおじさんにぴったり寄り添ってくれているおかげで、彼のくそ真面目な情熱がひしひしと伝わってくるのです。

絵本の中のおじさんの顔はどれも無愛想でがんこ。一見同じに見えますが、だからこそその裏に隠された、ただただ自分が心から「おもしろい」と思うことに邁進することの素直な喜びがじわじわ染みてきて、なんだかこちらもうれしくなったりします。

肝心の宮殿についてもたくさんの写真で紹介されており、謎の解消に大いに役立ちました。こどもの本としても立派なものですが、お子達をダシにして大人も読みたくなる一冊です。

宮殿ツアーの短い動画がここで見れます。

https://youtu.be/PORBy6-whWY


GOYAAKOD


□『シュヴァルの理想宮 ある郵便配達員の夢』(DVD)
 ☞2018年に映画化。ジャック・ガンブラン&レティシア・カスタ主演、ニルス・タヴェルニエ監督



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2022年09月24日

『ポムポムプリンの「パンセ」』

古典は読みにくい。言葉遣いが古いし、いいことを言っていても、言い方が難しかったりする。でも、古典とはいろんな読み方に耐える書物である、ともよく言われる。確かに、本当に大事なことは、原稿に番号を振って読んでいる学者だけに理解できるものではないはずだ。古典は誰にでも開かられている。だから、2016年度のサンリオ・キャラクター人気投票で第1位に輝いたポムポムプリンが、フランスの思想家パスカルの名作『パンセ』を読んでみても、かまわない。なので、読んでみたら、こうなりました、というのが本書である。



一応解説しておくと、パスカルの基本的な態度は、神がいなければ、人間の生きる意味を保証するものがなくなる、だから、神を信じるべきだ、というもので、その反証として「神なき人間の惨めさ」を書き留めた。『パンセ』には次のような一節がある。

「人間は、死と不幸と無知とを癒すことができなかったので、幸福になるために、それらのことについて考えないことにした。」

これは前田陽一・由木康によるスタンダードな訳文(中公文庫版)で、ポイントを落として、本書にも転載されている。ここは大事なところで、パスカルの「原文」もできれば読んでね、という編集サイドの謙虚な気持ちが表れている。さて、ポムポムプリンは、パスカルのこの言葉をこう解釈している。

「耐えられないときは逃げたっていい。
大きな悲しみに直面すると、無力感にさいなまれる。乗り越えようとするほど、より悲しみが深くなってしまう。無理に向き合おうとせず、毎日を過ごそう。嫌なことを考え過ぎなくてもいいんだよ。」

な、なんとポジティブな。神様抜きでは癒せないものを無視することで幸福になろうとする人間を批判するのではなく、惨めになる前に逃げようね、と優しく諭してくれるとは。さすがサンリオきっての癒し系だ。

「クレオパトラの鼻。それがもっと短かったなら、大地の全表面は変わっていたことだろう。」(パスカル)
→「小さな行動が、未来を変える。」(ポムポムプリン)

「われわれが他人から愛される値うちがあると思うのは誤りであり、それを望むのは不正である。」(パスカル)
→「愛されたいから、愛してみる。」(ポムポムプリン)

ひょっとして意味が反対では? などと批判するのは、野暮というものだろう。どんな言葉もポジティブにしか理解できない人もいるのだ。サンリオのキャラクターたちは、ほかにもこんなものを読んでいる。

 『ハローキティのニーチェ』
 『キキ&ララの「幸福論」』
 『マイメロディの「論語」』
 『けろけろけろっぴの「徒然草」』
 『みんなのたあ坊の「菜根譚」』
 『シナモロールの「エチカ」』
 『バッドばつ丸の「君主論」』

異なる文脈に置かれると、言葉の意味はいくらでも変化する、とかつてボルヘスも書いたことがあったが、彼の短篇「『ドン・キホーテの著者、ピエール・メナール」は、結局は作者名を入れ替えただけの知的遊戯にすぎない。このサンリオ古典シリーズは、もっと過激だ。実際、キティちゃんがニーチェの超人思想について考えている図を想像するだけで、かつてないアートを感じてしまう。

あらゆる古典が、ひたすらポジティブ・メッセージの書へと変換されてしまうのでは、という危惧もなくはない。それは、現代日本に底流する問題である。今後は、思想誌としての『いちご新聞』から目が離せない。


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2020年03月18日

『収容所のプルースト』ジョゼフ・チャプスキー

外国人が多く住むパリには、外国語(つまりフランス語以外)の本を専門にした書店がいくつかある。そんななかでも、僕が好きなのが、サン=ジェルマン大通り123番の「ポーランド書店」だ。重い扉を押して、細長い店内に入ると、ポーランド関連のフランス語書籍が、背の高い本棚にぎっしりと並べられている。鉄製の狭い螺旋階段を上ると、ポーランド語の書籍を並べた隠し部屋のような二階に上がれる。僕はポーランド語は読めないが、ものすごく「文化」を感じる場所で、つい訪れたくなる。



この書店の母体は、帝政ロシアに対する11月蜂起(1830年)に失敗した亡命知識人が、1833年に創立したポーランド文芸協会である。フレデリック・ショパンは、同協会の初代運営委員だった。書店の方は、当初はヴォルテール河畔に店を構え、ショパンはよく立ち寄っては、ミツキェヴィッチなど、同郷の文学者と議論したという。1925年に、書店は現在の住所に移転。ここでかつて入手した『プルースト、堕落に抗してProust contre la déchéance』という本を、今回紹介したい。

著者のジョゼフ・チャプスキー(Joseph Czapski, 1896-1993. ポーランド語読みではユゼフJózef)は貴族出身で、1920年代に「カピスト派」の画家として出発した。パリに出てきた彼らは、幸運にも、同郷のミシア・セールMisia Sertの庇護を受けた。その美貌と教養で、マラルメからフォーレまで、パリの芸術家たちを虜にしたミシアは、ミューズとして名高い人物である。彼女の援助のおかげで、チャプスキーはパリの画壇へ入ることができた。

しかし、1939年に、独ソ不可侵条約の秘密条項に基づいて両国による東西からのポーランド侵攻が始まると、ポーランド軍の将校に任じられていたチャプスキーはソ連軍に捕えられ、グリャゾヴェツ捕虜収容所に送られてしまう。同房者の大半は後に、ソ連軍による将校の処刑、いわゆる「カティンの虐殺」の犠牲者となった(詳しくはアンジェイ・ワイダ監督の映画『カティンの森』をご覧いただきたい)。

チャプスキーは、同房の仲間たちと「連続講演会」を企画した。すなわち、自分が得意な分野について、毎晩誰かが話すというものだ。そこで彼が選んだのが、1924年の入院中に読んだプルーストだった。彼の「講義」は、まず『失われた時を求めて』の文学史的背景である自然主義と象徴主義の並行関係を指摘し、その代表として画家ドガを挙げる。プルーストは科学的なまでに正確な描写と分析を展開する一方、連想と比喩による喚起力において象徴主義的な作風をもつ作家であり、ドガとの接点がある、とチャプスキーは考えた。

また、『失われた時を求めて』をポーランド語に訳したボイ=ツェレンスキーが、「読み易いプルースト」を作り上げたことを批判した。パスティッシュの得意なプルーストが、あらゆる文体を駆使できるにもかかわらず、あのような文体を選んだことには、作家としての責任を見るべきである、と言うのだ。また、『失われた時を求めて』は、社交界や美や恋愛の空しさを語る点において、パスカルに比すべき作品と見なされる。さらに、フェルメールの絵の前でのベルゴットの死は、晩年のプルーストが「死に対してもはや無関心」な芸術家の境地に至ったことを示している、と考えた。

こうした評価は、通常のプルースト批評からは大きく外れている。しかし、これは収容所にあって、チャプスキーがプルーストのなかに見出した慰めだったに違いない。いつ殺されるか分からない状況にあって、画家は、生の空しさを直視し、死を間近に感じながらも仕事に没頭した作家像を、半ば理想化しつつ、描き出す。本書に見出されるのは、プルーストの「快楽」を語りがちな平和な批評家には見えない、死を前にした厳しいモラリストとしてのプルースト像である。

チャプスキーは、生き残った。しかし、終戦後は共産主義に転じた祖国を離れ、フランスに定住し、亡命ポーランド人の仲間とともに『クルトゥーラKultura』という雑誌を創刊した。この雑誌は、2000年までに637巻が刊行され、ユネスコの「世界の記憶」に登録されている。もちろん、パリのポーランド書店でも販売された。パリ郊外にあるメゾン・ラフィットのチャプスキー邸は、雑誌の編集部でもあった。彼の厳しくも温かい人柄は、ジル・シルヴァーシュタインの感動的な回想に詳しい。

『プルースト、堕落に抗して』は、獄中のメモと記憶をもとに、1943年にフランス語でタイプ原稿が作られ、1948年にポーランド語訳が『クルトゥーラ』に発表された。僕が入手したフランス語版は、1987年にNoir sur blanc社から刊行された。この出版社は、ポーランド語やロシア語の書籍のフランス語訳と、各国語の書籍のポーランド語訳の両方を刊行しており、パリのポーランド書店も拠点の一つである。本書はその後、文庫版も刊行されている。

晩年のチャプスキーの姿は、デヴィッド・リンチやゴダールなど、5人の監督が参加したオムニバス映画『パリ・ストーリー』(1988)に収録されている短篇映画「プルースト、わが救い」(アンジェイ・ワイダ監督)で見ることができる。この本の刊行の翌年に取材したもので、陰影のある室内の風景のなかで、しわがれた声の老人が、プルーストに支えられた捕虜収容所での生活を振り返っている。極限状態にあって、外国文学が精神の「堕落」への抵抗の根拠となったことは、驚くべきことである。しかし、あり得ないことでもない。外国語の読書が、それほどまでに深く受容されることもあるのだということを、この「戦場のプルースト」のエピソードは示唆している。

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2020年03月03日

『ルイーズ・ブルジョワ 糸とクモの彫刻家』 エイミー・ノヴェスキー

子供向けの伝記、というのは立派な業績の持ち主についてのものだとばかり思っていた。遠い昔買い与えられたその手の本は野口英世にリンカーン(おぼろげながら記憶に残っているのはたわいもないことばかり―結婚前は毎日同じメニューを外食していたとか木の葉を詰めたおふとんとか)。だから、ルイーズ・ブルジョワの人生についての絵本があると知ってたいそうびっくりした。



現代アートの人である。その作品の多くはわかりやすい美とかけ離れている。どう見ても男性のナニであるオブジェを小脇に抱え、婉然と微笑むメープルソープ撮影のポートレートで知られるあのアーティストがどんな風に描かれるのだろうか。

第一次世界大戦が勃発する数年前、1911年のクリスマスにルイーズ・ブルジョワは生まれた(戦前の古き良きフランス文化を知る世代の人なのである)。タペストリーの修復を手がける工房の娘として、時代を超えて生き残った精緻な手仕事をごく身近なものとして育った。パリ郊外の川辺のみずみずしい自然と芸術的な空気が共存する世界で過ごした子供時代を描いた頁は、とても魅力的だ。こういう色鮮やかな記憶があのアーティストの深奥にあったのかと少なからず驚いた。

自分とその周囲の世界への探求が創造と深く結びついているブルジョワにとって、その作品の背景として欠かすことのできない存在である両親も登場する。優しくもの静かで、休むことなく手を動かしすり減ったタペストリーを蘇らせていた、心の友でもあるお母さん。工房と顧客とをつなぐ仕事のため不在がちでどこか遠い人だったお父さん。ブルジョワの70年を超える活動において常に影響を与え続けたこの二人のことも、対称的なトーンできちんと描きわけられている(若きルイーズの自殺未遂の原因ともなった、父と身近な女性との不貞についてはさすがに言及がないが)。 

ブルジョワの代表作である金属と石でできたいかつい巨大なクモの彫刻がなぜ「ママン」と名付けられるようになったのかという種明かしもされていて、それはそれで興味深い。が、作品の読み解きよりもルイーズ・ブルジョワのクリエイターとしてのあり方にひきつけられた。この本が焦点を当てた晩年の作品群、ファブリック・ワークスについての頁では、製作の様子がはずむようにいきいきと描かれている。子供の頃から捨てられなくて手元に置いてきた服、ハンカチ、リネンといった雑多な布の山を素材とし、様々なコンセプト、形態の作品が誕生するのだが、布に触れ切り刻み縫い合わせる、忙しく動くブルジョワの手のイメージが浮かんでくる。

広く知られた「功成り遂げた老アーティスト」のブルジョワを描いた絵はこの本には一枚もない。本の創り手たちが伝えたかったのは有名芸術家のストーリーではなく、90才を超えた晩年まで活発であり続けたブルジョワの芸術家のたましいとでもいうべきものなのかもしれない。自分の中へと分け入り、見つけたものを他人の目にも見える表現へと昇華させてきた、真摯なエネルギー。手が止まる日は確実にやってくるが、私の中で鳴りひびくものを止めることはできない。ひたすら糸をはき、思いがけない所に予期せぬ形の巣を作り続けるクモにも通じるところがある。

ブルジョワの作品の他の側面、例えば生理を逆撫でするような感覚、怪しいエロティシズムや凝縮したナイトメアのような怖さ、は登場しない。評伝としては正しくない本かもしれない。しかし創り手が共感したに違いないブルジョワのアーティストとしての「美しい」存在感は確かに読む側に伝わる。晩年のブルジョワの作品のモチーフや「かわいい」色彩感覚を巧みにアレンジして絵の中に忍ばせた、透明感あふれる水彩によるイラストレーションの果たした役割はとても大きいと思う。

子供のための本ではあるけれど、むしろ大人にこそ多くのものが届くのではないだろうか。今年のしめくくる一冊として、自分のために選びたい本だ。


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2016年08月08日

追悼・津島佑子の描いたパリ

2016年2月18日、津島佑子が亡くなった。享年68歳。僕は熱心な読者とは到底言えないが、「生き残った者」をめぐる真摯な作品には、感銘を受けてきた。追悼の意をこめて、パリを舞台にした連作集『かがやく水の時代』(1994)を紹介したい。津島自身が1991年にイナルコ(フランス国立東洋言語文化研究所)で客員教授を勤めた経験を活かした小説である。



主人公で語り手の美佐子は、6歳の息子を亡くしてから8年後、パリで生活を始める。そこでアメリカ生まれの従妹朝子と再会する。また、マリー・エレーヌという老婦人と知り合い、彼女の息子の子供を産んだ日本人のイズミを見舞う。その直後にマリー・エレーヌは亡くなり、美佐子は葬儀に参列する。やがてパリを引き払い、母の若い頃のことを叔父に聞こうと思って、従妹の故郷へ立ち寄ってから、母が入院している東京へ戻る。というのが、おもな筋書きだが、時系列に沿って書かれてはおらず、読み進めるにしたがって、しだいに事態の全容が明らかになってくる仕掛けになっている。

男たちは、およそ頼れる存在としては出てこない。日本へもはや帰れないがゆえに郷愁に囚われる朝子の父親も、すでに新しい恋人と同居していて、前の彼女のイズミが生んだ赤ん坊と同居できない日仏ハーフのオリヴィエも、悪人ではないが、助けにならない。かといって、女たちが逞しいというわけでもない。みんな傷つき、いらだち、人生を持て余しながら、それでも人生を意味あるものにするために、懸命になっている。

この小説で興味深いのは、外国語がいつも、主人公と他者の間の不透明な壁として現れることだ。たとえば、「あとのほうは、フランス語に切りかわってしまった」とか、「おじの言葉は日本語に変わった」、「アサコが自分の言葉、英語で言った」、という風に、会話がどの言語でなされたか、いちいち注釈が入る。英語やフランス語のセリフは、生硬で直截的な直訳調で表現され、しばしば早口についていけず、会話ができなく場面も出てくる。にもかかわらず、亡児への思いが、不自由な外国語の向こうにある人々の痛みまでをも、美佐子に分からせてしまう。

「私がそのもとに帰りたがっているむかしの母に、母自身帰ることができない。姉も帰れない。私の死んだ子どももどうしたって、どこにも帰れない。私はとにかく、その都会を引きあげることにした。失われたものを失われたものとしてはっきり見届けるという、いちばん小さな責任を、まだ私は果たしていないのだった。」死者を、死者として受け入れること。過去を、過去として受け入れること。それが現在を生きることなのだということは、誰でも分かっているが、ほとんど誰も、正面から向き合うことができない。それが、なぜパリでは可能なのか。

同じ街を舞台にした高橋たか子の『装いせよ、わが魂よ』を読んだときも感じたことだが、パリという街は、人を孤独にするがゆえに、人と人との繋がりについて、深く考えさせるところがある。子供の死から逃れるようにパリまで来た美佐子は、かえってそこで出会った人々を通じて、生きているものの儚い繋がりの愛おしさに気づく。そして、、美佐子はついに東京へ戻る決心をする。

『かがやく水の時代』を構成する四つの小説には、石、火、水という神話的要素が題名に入っている。神話的な風景の原点に立ち戻ることも、津島佑子の文学の重要な要素なようだが、これについては、今後よく考えてみなければならない。今日はただ、とくに受賞もなく、あまり有名ではないこの連作集に、彼女がパリで見て考えたことが、見事に語り出されていることを述べて、ささやかな誄としたい。


birddog


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2015年11月01日

『永遠のピアノ』―奇跡の中国人ピアニストの自叙伝

バッハの『ゴルトベルク変奏曲』といえば、数々の名だたるピアニストが卓抜した演奏を披露してきたバロック音楽の傑作中の傑作として知られている。とりわけグレン・グールドの名演が知られているが、本来の楽器チェンバロで演奏したグスタフ・レオンハルトの味わい深い名演も捨てがたい。そして、パリ在住の中国人ピアニスト、シュ・シャオメイもまた、この曲の演奏史に必ず名前を残すことになるピアニストであろう。一体、なぜ中国人女性がこれほどの演奏をすることができるのか?その謎を解くには、このたび翻訳刊行された彼女の自叙伝『永遠のピアノ』を読まなければならない。



シュ・シャオメイは中国の上海の裕福な家庭に生まれ、幼いころからピアノの才能を開花させる。しかし、彼女が北京中央音楽院に在学中に文化大革命が起こり、状況は一変する。ブルジョワゆえに出自が「不良」とされた彼女は、侮蔑の言葉を投げかけられるだけならばまだしも、ピアノ演奏という彼女にとって生きるに等しい行為が当局によって禁じられたあげく、「再教育」の名のもとに5年に亘って収容所での生活を余儀なくされる。文革の嵐が吹き荒れるなかを過ごさねばならない部分の記述は凄まじく、彼女の周囲の多くの者が希望を失い、自殺を強いられ、精神的な廃人になるまでが悲壮なタッチで描かれる。

我々もそのような場面を映画では観たことがある。ベルナルド・ベルトルッチの『ラストエンペラー』で、清朝最後の皇帝愛新覚羅溥儀が政権崩壊後に自己批判を強要される場面だ。あの映画のなかで、溥儀に自己批判を強要していた政府の役人が、文化大革命では自己批判させられる側になっていた。あれは元皇帝の身の上話と思っていたが、『永遠のピアノ』を読めば、そのような状況が日曜茶飯事であったことが改めて理解される。「他の者の欠点を見つけて批判を続けなければ、自分が生きて行くことが出来ない」という世界。この無間地獄のような状況がいつまで続くのか、と読む者は誰もが戦慄させられるであろう。しかし、これはSFでも何でもなく、数十年前に起こった紛れもない事実なのだ。

しかし、この本の著者は希望を捨てることはなかった。何度も脱走を繰り返し、家族に会うことを果敢に試みるばかりか、演奏することを許されていないピアノを住居の近くにまで運び込むことに成功する。そして、革命の終盤になり、あまりにも過酷であった状況が徐々に崩れて行き、自由への萌芽が人々のあいだに少しずつ吹き出していく様は、まるでカミュの『ペスト』の最後の場面を読んでいるかのような気分に読者に誘う。限界状況、狂気的な世界をようやく逃れたシュ・シャオメイが、彼女の唯一の希望であるピアノを弾くために自由な土地を求めて、アメリカへ、そしてフランスへと渡っていく姿を、読者は彼女と同じ気持ちになって読み進めていくことになるだろう。

シュ・シャオメイの弾くバッハがこれだけ人を惹きつけるのは、彼女に本来の才能が備わっているのはもちろんのこと、過酷な体験の積み重ねから醸成された「生への希望」がそこに紛れもなく感じ取れるからだろう。彼女が奏でるピアノの音色は、アメリカやフランスの名門音楽学校を卒業し、世界的音楽コンクールを制覇したエリートが技巧をひけらかすために演奏するような音楽の「対極」にあるものだ。音楽はそれが音楽であるということを忘れさせるかのような空前絶後の境地にまで達しており、聴く者の心の奥底にいつのまにか忍び込み、深さと優しさを刻みつけて行く。およそ、この水準で演奏を続けるピアニストというのは、現在、他にはいないのではないだろうか。

2007年にロベール・ラフォン社から出版されたこの本は、フランス語で執筆されたその年の最も優れた音楽関連書に贈られる「グランプリ・デ・ミューズ」を受賞したという。大抵の場合このような賞に大きな意味はないが、『永遠のピアノ』を読んでみればその受賞は当然と誰もが思うだろう。ショッキングな内容を抜きにしても、常に自省し続ける稀有なる演奏家の自叙伝として、類書と比べても相当な高い水準に到達していることは明らかだ。しばしば著者によって引用される老子の言葉は、この奇跡的な自叙伝をいっそう味わい深いものにしている。

最後にこの本が日本語で読めることに感謝を述べたい。翻訳に携わった面々の努力は並大抵のものではないだろう。著者の感情の機微を見事に再現した翻訳は、信じられないほど読みやすい。一読する価値はある高い水準の翻訳書であることは間違いない(日本語監修:槌賀七代、訳:大湾宗定、後藤直樹、坂口勝弘、釣馨、芸術新聞社刊、2015年)。

不知火検校


解説(by superlight)

『永遠のピアノ』の背景を解説−−文化大革命の時代とは?

@そもそも文化大革命とは?
1960年中頃〜1970年中頃の中国国内の政治、文化、権力闘争。名目上は、毛沢東Aが独自の共産主義思想を貫徹させるためになされたといわれるが、実質的には自らの内政の失敗(「大躍進政策」など)で失った権力の座をとりもどすための政治闘争。学生を中心とした「紅衛兵」と呼ばれる若者を全国レベルで扇動し、中国の伝統文化や西洋文化などの排斥を目論むB。この混乱のさなかに乗じて、毛沢東は政敵の排除に成功。中国政府の公式発表では死者数は40万人といわれているものの、内外の研究者の主張によるとその数は数千万人規模までばらつきがあり、さらに毛沢東への評価も共産党政権下で明確に定まっているとはいいがたく、全貌はいまだ不明な点が多い。

Aでは、毛沢東って?
現代中国において、総人口14億ともいわれる自国の礎を築いた国父と位置づけられており、毀誉褒貶が渦巻く人物であるものの、20世紀世界に多大な影響を与えた政治家、思想家といわれている。第二次大戦で日本が敗戦して中国大陸から撤退した後、蒋介石率いる国民党との内戦に勝利して、中華人民共和国を建国。当時の中国人民の大多数を占めた「農民」の立場を重視した独自の政治思想により、一時期までは国内からも大きく評価され、現在においても国内外でその思想を高く評価する人々が存在する。けれどもその一方で、建国して間もなく、独裁者的な顔を見せはじめ、大躍進政策や文化大革命によって中国全土を大混乱に陥れることになる。現在の中国共産党は、自らの正統性の機微に触れる問題であるため(すくなくとも国父である毛沢東を否定することは、自らの政権基盤がゆらぐことになりかねない)、彼の功績を「七分功、三分過(7割の功績があり、3割の失敗があった)」としているが、これからも国内外の議論の対象となる20世紀の重要人物であることは間違いない。

Bどうして中国の伝統文化や西洋文化を排斥したのか?
一般的に共産主義Cにおいては、過去の文化や経済システム、伝統を全否定するわけではないものの、自らの目指す理想に合致しない「過去のしがらみ」を極力排除しようとする傾向が見受けられる。文化大革命では、「革命的ではない」という理由で体制側が旧来的な人間関係――家族関係や学校の師弟関係まで否定しようとし、それと格闘するシャオメイの苦悩が随所に描かれている。

C共産主義って?
19世紀後半におもにK・マルクスが体系化した理論に基づいた政治、思想、経済理論。資本(資産、財産)を共有化することによって、平等な理想的社会を目指そうとした。旧ソ連、中国、北朝鮮、キューバなどが、この理論に基づいて国家運営を試みたが、いずれも崩壊するかなんらかの軌道修正を迫られていて、現時点でこの制度を取り入れて持続的に成功した事例はないといわれる。「資本(資産、財産)を共有化する」という理想が逆説的にも諸刃の刃となり、「どれだけがんばっても、労働の成果が自分自身のものにならない」=「私有財産の保有になんらかの制限がかかる」ため、共同体間の各個人の労働意欲が減退するのが原因といわれることがおおい。

Dでは現代の中国は?
毛沢東の死後、1980年ころになって中国政府は大幅な路線変更を試みる。あらたな指導者となったケ小平は経済の「改革開放路線」に乗り出す。「資本(資産、財産)を共有化する」という共産主義の理念をある程度緩和し、さらには政府(党)を直接批判することにつながらなければある一定の言論の自由も認められるようになった。そして、近年日本を追い抜き世界第2位の経済大国の地位を占めるようになる。ところが、1989年に起きた天安門事件(民主化を求める知識人や学生への政権による弾圧)をはじめとして、ウイグル・チベットへの弾圧、格差に不満を抱く民衆への締め付け、共産党員・官僚の腐敗など、いまだ国内に大きな矛盾を抱えたままであることにはかわりない。

まとめ―
中国という国は非常に長い歴史があるといわれますが、「中華人民共和国」すなわち中国共産党が率いる現政治体制が確立したのは1949年のこと。現体制下においては70年弱ほどの歴史しかありません。2015年現在の中東情勢やウクライナ問題をみればわかるように、「国づくり」とは一般的な日本人が考える以上にさまざまな困難がともないます。中国建国後、立て続けに中国国民を襲った大躍進政策や文化大革命も、こうした大きな視点で考えてみれば、どの国や地域においてもいつでも同じことが起こるかもしれない悲しい出来事としてとらえられることもできるでしょう。

そんな激動の時代に生きたシャオメイさんは、時代の一証人としてもがき苦しみつつも同時に屈することなく自らの人生に立ち向かいます。自らのアイデンティティの拠りどころである中国の伝統文化(芸術、哲学、生活様式)を大切にしつつ、同時に西洋発祥のクラシック音楽に魅了された、素朴で実直な飾らない女性。国や宗教、郷里・家族といった枠組みが大切なことはいうまでもありませんが、一人の人間が生きるということはどういうことなのかを考えさせてくれるならば、そういった枠組みを超えて耳を傾けたくなるのではないでしょうか?



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2015年08月02日

『木村伊兵衛のパリ ポケット版』 朝日新聞出版

1950年代の中頃、渡航は夢のまた夢という時にパリに足を踏み入れた木村伊兵衛がカラーフィルムで撮影した街の姿。外遊の気負いも興奮もどこかにうっちゃって、東京の下町を着流しで歩くように街を歩き回り出会い頭に切り取った、お、という瞬間は、静かでおだやかな明るさに満ちている。パリ祭のようなハレの日の写真もあるものの、大半は街のいつもの暮らしのひとこま。屋台の店先。商家のおかみさん。若くない、逢い引きする二人。路上の子供たち。しかし一枚一枚ながめているとなんとなく心和むのである。古き良き時代へのノスタルジアのせいではない。前向きにいい気持ちになるのだ。

1月7日のパリでのあの事件以来怒濤のように押し寄せた一連の出来事が、この写真のかもし出す雰囲気を求めさせているのかもしれない。信じるものがちがっても、この一冊が記録した街と人々のおだやかさ、明るさは誰しもが大事にしたいのではないだろうか。夕暮れのパリの空の美しい色には何年も前にギャラリーで見た時もときめかされたけれど、この2015年2月に、手に載るサイズの本で見ると、なおいっそう心がふるえる。

GOYAAKOD

木村伊兵衛のパリ ポケット版
木村伊兵衛
朝日新聞出版 (2014-12-19)
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2014年11月16日

哲学者が語る象徴主義詩人―ランシエール『マラルメ−セイレーンの政治学』を読む

現代フランスで最も旺盛な執筆活動を繰り広げている哲学者の一人、ジャック・ランシエール(1940−)が1996年に発表した詩人論が、このたび『マラルメ―セイレーンの政治学』として翻訳刊行された(坂巻康司・森本淳生訳、水声社、2014年)。ランシエールと言えば、哲学者アルチュセールの初期の弟子として知られているが、パリ第8大学教授として教壇に立つ傍ら、政治哲学に関する重要な著作を次々に出版し、特に近年は日本でもその主要な著作が毎年のように翻訳されるような存在である。そのような彼が、なぜ象徴主義の詩人マラルメを語るのだろうか。



マラルメ―セイレーンの政治学 (批評の小径)ランシエールは何よりも、「政治」を語る哲学者である。もちろん、アリストテレス以来、哲学者は常に政治を語り続けてきたわけだが、ランシエールにとって政治は数多ある哲学的対象の一つではなく、最も重要な考察の対象であり続けている。恐らく、マルクス主義を根底に持つアルチュセール派から出発したランシエールには、労働者の生活形態を規定する政治のありかたこそが、人間存在の根源的な部分を形成するファクターであるという揺るぎない確信があるのだろう。そのような観点から、初期の『プロレタリアの夜』(1981年)から2005年刊行の『民主主義への憎悪』(松葉祥一訳、インスクリプト、2008年)に至るまで、民主主義、デモクラシー、合意形成といった政治哲学の主要テーマを次々に議論の俎上に乗せ、現代社会における政治の可能性・不可能性を徹底的に吟味しようとしているようだ。

と同時に、ランシエールは「美学」を語る哲学者でもある。様々な著作における文学についての言及もさることながら、例えば2003年に出された『イメージの運命』(堀潤之訳、平凡社、2010年)では、絵画・デザイン・劇場・映画と、表象芸術の領域を自在に渡り歩きながら、ミメーシスが危機に瀕した近現代におけるイメージの意味について考察を繰り広げている。ランシエールは映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』の常連寄稿者でもあるように、とりわけ映画に対して並々ならぬ博識・偏愛ぶりを見せているようだが、いずれにしてもそこで展開される議論は「表象の不可能性」の問題へと収斂していくものと言えるだろう。

このように、「政治」と「美学」という二つの柱を持つランシエールにとって、マラルメという詩人は彼の哲学の興味深い対象ということになるだろう。なぜならば、マラルメ自身が同様なことを言っているからである。「この世には美学と経済学しかない」とマラルメは書いたが、ここでの「経済学」には「政治学」の意味が少なからず含まれている。一般的には19世紀末を生きたこの象徴主義詩人は、詩的言語を限界まで洗練することを試みた「美学」の探求者と思われているように思う。実際、ランシエールもまずマラルメの韻文詩の美学的考察から『セイレーンの政治学』を始めているように見える。しかし、ランシエールの眼には、マラルメはその「美学」の実践において「政治」的な射程を持った詩人と映っており、章が進むにつれてそのことは明白になっていく。マラルメの散文詩はときに芸術家と労働者の関係を論じ、ときにワーグナーと祝祭の可能性を考察し、ときにバレエに対する綿密な批評を展開することもあるが、そこにあるのは常に「政治」的な射程から逸脱することのない、彼固有の「美学」であった、というのがランシエールの主張なのである。

マラルメは「ただ美しいものがあればそれで良い」と考えていたように思われがちだが、実はそこには様々な戦略的な意図があったとランシエールは推察する。それを一言で表現するならば“「とるにたらぬもの」の称揚”ということになるが、それこそがランシエールが見出したマラルメ美学の核心であった。詩や文学のような「とるにたらぬもの」(マラルメはそれをrienと呼んでいる)が称揚されるような世界は、当然ながら特権や位階が君臨し、豪奢や蕩尽が許容される世界の対極にある。しかしながら、マラルメという人物はペンという唯一の手段を用いることによって、そのような「不可能な世界」を実現しようと試みた前代未聞の詩人だったのではないか、とランシエールは考えるのである。

およそここまで「政治」という観点に注目したマラルメ論は珍しい。しかし、そればかりではなく、この本において、ランシエールはマラルメの「政治学=詩学」を「セイレーン」という言葉に託しながら鮮やかに語っている点が印象的だ。ホメーロスの『オデュッセイア』においてオデュッセウスを惑わすセイレーンの歌声が、2000年の時を超えてマラルメの幾つかの韻文詩(「挨拶」、〔垂れこむ雲に沈黙し…〕)、そして最晩年の傑作『賽の一振り』と絶妙な仕方で反響し、この象徴派の詩人の戦略が古代から現代に至る芸術家の意図の集大成のように捉えられている様を読書は知ることになろう。このような点がランシエール哲学の最大の魅力と言えるのではないだろうか。

マラルメの専門家からすれば異論もあるだろう。「細部を捨象している」、「抽象的過ぎる」、「歴史的厳密さに欠けている」などなど。しかしながら、ランシエールの思想はそのような批判を弾き返すほどの力強さと粘り強さを持っているように思う。『マラルメ―セイレーンの政治学』は数多あるマラルメ論の中で疑いなく確固たる位置を占めるものと言うことが出来るだろう。


不知火検校


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2013年08月31日

河盛 好蔵『エスプリとユーモア』

文化=親の本棚、だった子供の頃偶然であった一冊。標題に掲げられたテーマを、フランス文学者・文筆家としてしられた御大が、豊かな見識とひょうひょうとした語り口で解き明かす名著ですが、この本を推す理由は、実は本文ではなくおまけとして添えられた小文、「あるユモリストの話」にあります。
 
エスプリとユーモア (岩波新書)ベルエポックの頃に活躍、ムーラン・ルージュの踊り子を追っかけ回す青春時代を経て、フランス庶民のお腹をよじらせる事に人生を捧げ、死後綺麗さっぱり忘れ去られた後アンドレ・ブルトン等に見いだされた作家、アルフォンス・アレ。ユニークなその仕事と人生について、作者は程よい距離をたもちつつも限りない愛情と敬意を込めていきいきと描いています。アレの小粋な肖像も掲載されていますが、線であっさりまとめた絵とこのこじんまりとした評伝、簡潔だけれども見事に対象を捉え、互いに響き合っているかのようです。
 
この小品はまた、アレという一フランス人の人生を辿ることで、はからずもフランスという国の文化の芳醇さをもさりげなく伝えてくれます。コドモ時代の寝そべりながらの読書では、出てくる固有名詞はチンプンカンプンながら、今自分がいる畳の部屋とは時間も距離もかけ離れた、オンフール生まれの“アルフィ”がいた世界に胸をときめかせたものです。初めて嗅いだ赤ワインの香り、といったぐあいでしょうか。オトナのみなさまにはその芳醇さ、馥郁たる香りがもっと堪能できるのでは。
 
先頃岩波新書復刊フェアの一冊として再び本屋で手に入るようになりました。この評伝のためだけでも、買い、の一冊です。

□初出は2007年8月3日(「夏のなげやりブックガイド」より)


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2012年06月08日

橋爪大三郎×大澤真幸 『ふしぎなキリスト教』

私の両親は厳格なクリスチャンで、小学生の頃、学校に行く前に、写経ならぬ、聖書を毎日一章ずつ書き写す課題を私に課していた。半ば苦行のように聖書に慣れ親しんでいたが、その中で素朴な疑問が幾度となく沸き起こった。この対談本で大澤氏は質問役に徹しているが、彼が橋爪氏にぶつける質問は、そうそうそう、って感じで小さいころの疑問を鮮やかに思い起こさせてくれた。確かにキリスト教はつっこみどころ満載なのである。




「キリスト教に限らず、どんな知的な主題に関しても言えることだが、ある意味で最も素朴で基本的な質問が一番重要である。そういう質問は、初学者にとっての最初の質問であると同時に最後まで残る最もしぶとい質問であるからだ」(大澤)

この大澤氏の質問力が問題のパースペクティブを開く重要な鍵になる。

「創世記」の初めから、「なぜ神は禁断の木の実を人間のそばにおいて罪へと誘導し、厳しく罰するのか。アダムとイブの過失をなぜ後世の人間がすべて引き受けなければならないのか」という疑問にぶつかる。私も親に何度も訊いたテーマである。また「ヨブ記」のヨブ、大きな魚に飲まれたヨナ、カイン&アベル兄弟のカイン。彼らはなぜあんなに理不尽な目に会わなければならなかったのか。また「不可解なたとえ話」という章があり、不正な管理人、ぶどう園の労働者、放蕩息子、99匹の羊と1匹などのたとえ話の論理的な不可解さがクローズアップされている。

ところで、キリスト教はユダヤ教の上に成立しているわけだが、いわば2段ロケット構造をなしている。ゆえにまずユダヤ教を知らなければならないが、ユダヤ教の真髄に迫るほど、その計算し尽くされた制度設計に驚かざるをえない。「2000年のあいだ世界に離散(ディアスポラ)しながら、イスラエルを再建できたのか」。このユダヤ人最大のなぞを解く鍵は、ユダヤ教の律法にあった。

ユダヤ教の律法は、ユダヤ民族のルールをひとつ残らず列挙してそれをヤハウェの命令だとしたもので、厳密ルール主義にのっとっている。ユダヤ教では、衣食住、生活暦、刑法・民法・商法・家族法、日常生活の一切合財が法律になっている。もし自分の国がどこかの国に占領され、全く別の土地に連れ去られ、そこで生活しなければならなくなったとき、100年後にまで自分の民族のアイデンティティを維持するにはどうすればよいか。民族固有の生活習慣を列挙して、法律にすればいい。実際ユダヤ人は歴史的にそういう辛酸を幾度となく舐めてきたのだ。日本人だったら正月に雑煮とおせちを食べ、春には花見、夏は花火、秋には月見をするとか…。それを天照大神との契約にする。律法はそういう考え方に基づいている。デンマーク人の友だちが、「日常言語の英語化の中(テレビは英語で放送され、デンマーク語の字幕がつく)でデンマーク人としてのアイデンティティを保つためにクリスマスなどの年中行事を友人や家族でしっかりと行う」と言っていたことを思い出したが、民族的なアイデンティティを保持するためには、年中行事だけでなく、生活の細部にまでコントロールする必要があるのだ。

ユダヤ教は戦争に負けてばかりいた負け組みの一神教だ。防衛的な動機で一神教の原型を作った。律法はユダヤ人が歴史から消えないためのプログラミングだったのだ。国家はあてにならない。あてになるのは神だけ。国家が滅んでも神との民族のあいだの契約があれば再建できる。そうやって2千年のあいだユダヤ人たちは自分たちの生活と社会を守り、とうとう20世紀半ばにイスラエルを再建した。ユダヤ教の戦略の正しさは歴史が証明している。近年、以前にも増して「ユダヤ陰謀論」を目にするが、ユダヤ人が恐れられてきた理由はこういうところにあるのかもしれない。

もうひとつの重要なユダヤ教の特徴は、人間が権力をもつことを警戒し、権力を肯定しないことだ。古代の王国や帝国が権力を肯定し、絶対化していたのと全く逆のベクトルを持つ。まず神の意思を体現する預言者がいて(預言者は予言者ではない。神の言葉を預かる者)、彼が王になる者に油を注ぎ、王に任ずる。神が王にその地位を与えるので、王は自分で王になれない。次に部族社会のリーダーである長老たちが同意していることが正統な王権の根拠になる。そして王がヤハウェにそむいた政治を行うと預言者が現れて、王を糾弾する。このような三段構えの権力コントロールになっている。これほど権力に懐疑的な宗教はどこにもないが、このコントロールはヤハウェという絶対神を想定するから可能になった。基本的に王のやることは信用されないし、神に比べるとちっぽけな存在なのだ。このような神と人間の絶対的な差異が民主主義的な平等を可能にした。この発明は後世に大きな影響力を残し、有力な政治哲学として人類の財産になったのである。

ヤハウェとの契約には弱者や低所得者への配慮もてんこ盛りだ。マックス・ウェーバーが「カリテート」と呼ぶ社会福祉的な規定のことで、イエスの教えの根底にも流れている。安息日に休み、奴隷や牛馬の消耗を防ぐ。7年目の安息年には畑の耕作を休む。50年目には債務を帳消しにして奴隷を解放する。畑に残る落穂を拾うのは誰も侵害できない寡婦や孤児の権利。外国人労働者にも一定の保護があった。これらのカリテートは一種の社会保障として機能していた。それは古代奴隷制社会とは相容れない、原始的な部族共同体の態度の名残なのだという。

続きはこちら
橋爪大三郎×大澤真幸 『ふしぎなキリスト教』(2)―キリスト教と言葉
橋爪大三郎×大澤真幸 『ふしぎなキリスト教』(3)―宗教と科学の両立


cyberbloom


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2012年02月08日

ベルグソン『意識に直接与えられているものについての試論』

今年、本当に驚かされた一冊は竹内信夫訳ベルグソン『意識に直接与えられているものについての試論』(白水社)である。何と個人全訳による『新訳ベルグソン全集』の第1巻だそうで、全7巻+別刊1の構成になるとのこと。これから恐らく10年くらいに亘って続々と新訳が刊行されることになるのだろう。竹内氏は東京大学教授を務められたフランス文学者であり、マラルメ研究の泰斗として、長く後進の指導に当たって来られた。と同時に、仏教・インド哲学の研究者としても知られ、空海に関する著書もある。その竹内氏が、今度はベルグソンの個人全訳に挑むというから驚かされない訳には行かない。実は竹内氏は遥か昔からベルグソンを愛読していたそうで、この仕事は彼の集大成になるのかもしれない。まさに彼ならではの翻訳が生み出されて行くと思われ、いまから全集の完成が期待される。
(不知火検校)

意識に直接与えられているものについての試論 (新訳ベルクソン全集(第1巻))物質と記憶 ― 身体と精神の関係についての試論 (新訳ベルクソン全集(第2巻))笑い ─ 喜劇的なものが指し示すものについての試論 (新訳ベルクソン全集・第3巻)

と不知火さんが書いてくれたのが2010年。そして今日送られてきた白水社の新刊案内に3巻目の『笑い―喜劇的なものが指し示すものについての試論』 Le Rire. Essai sur la signification du comique (1900) が載っていた。ベルグソンが試みた初めての社会学的考察。ベルグソンは、笑いを社会から乖離した存在に対する社会の罰とみなしている。時間の空間化を批判した時間論はデフォだが、この「笑い論」も面白かった。鷲田清一氏の解題の他、しりあがり寿氏の漫画入りの月報がついているのが今風。
(cyberbloom)


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2011年01月07日

ドゥルーズはなぜ今でも読まれるのか?

このところ、フランスの哲学者ジル・ドゥルーズGilles Deleuse(1925-1995)関連の邦訳書、研究書の出版が相次いでいる。2008年に『シネマ』の邦訳(法政大学出版局、原著は1983-85年)が2巻本で完結したと思ったら、2009年から2010年にかけて檜垣立哉『ドゥルーズ入門 』(筑摩書房)、ライダー・デュー『ドゥルーズ哲学のエッセンス』(新曜社)、フランスワ・ドス『ドゥルーズとガタリ 交差的評伝』(河出書房新社)、澤野雅樹『ドゥルーズを「活用」する!』(彩流社)、ピーター・ホルワード『ドゥルーズと創造の哲学』(青土社)など、研究書、評伝、入門書の類いの出版はとどまるところを知らない。極めつけはステファヌ・ナドー編フェリックス・ガタリ『アンチ・オイディプス草稿』(みすず書房)の刊行だろう(もっともこれはガタリ本だが)。すでに15年も前にこの世を去ったフランスの哲学者に関する本がこれだけの勢いで刊行されているのは不思議な気がする。

アンチ・オイディプス(上)資本主義と分裂症 (河出文庫)シネマ2*時間イメージ (叢書・ウニベルシタス)アンチ・オイディプス草稿

20世紀の日本が、フランス思想を一つの流行として捉えてきたということは改めて言うまでもない。確かに、1960年台に一世を風靡したサルトルの実存主義哲学は、その読者を哲学の専門家に限定せず、あらゆる文化の領域に多大な影響を及ぼした。また、それに続く70年台から80年代にかけて、レヴィ=ストロース、フーコー、デリダらの思想も一時的ながら大きな勢力を持つことになったことも間違いない。ただ、日本のフランス思想研究者がそれらの思想を貪欲に摂取して行ったことが確かだとしても、これらが現代社会に持つ意味・意義が真に吟味されたことは一部を除けばなかったように思う。それらは余りにも速く「吸収」され、「消化」され、またたく間に忘れ去られていったのである。ドゥルーズもまたこのような流れのなか「消費」されていった哲学者の一人であるかのように思われた。

実際、ドゥルーズが自ら命を絶った1995年、「ポスト構造主義」とひと括りで呼ばれたこれらの思想は完全にその勢いを失い、人文科学の世界はそのような英雄的哲学者を追い求める時代ではなくなっていた。その年に起きた阪神大震災や地下鉄サリン事件といった未曾有の大惨事も、人々の心の在り処を完全に変えてしまう。世紀を越えても状況は変わらず、9.11やイラク戦争といった明日をも見えぬ混沌状態に直面した人々は、もはや個人の思想に心の拠り所を見出そうとはしなくなった。人文科学は実証主義だけが生き残り、事実だけを追い求めようとする動きの中でディシプリンとして社会学が隆盛を極め、「公共性」がキーワードの一つとなる。そこに個人の解放を説こうとする哲学にもはや居場所はないはずだった。

しかし、にもかかわらず、ドゥルーズは読まれ続けている。かつての流行を知らない新しい読者を生み出し、研究者も世代交代をしながら、彼について語る者、聞く者は後を絶たないようだ。一体、ドゥルーズ哲学の何が現代の人々を引きつけるのだろうか。

ドゥルーズを「活用」するドゥルーズ哲学のエッセンス―思考の逃走線を求めてドゥルーズと創造の哲学 この世界を抜け出て

まず、何よりも魅力的なのはドゥルーズ哲学に漂う「根拠不明の明るさ」だ。ドゥルーズはどのような局面を前にしても、ペシミスティックな思考に陥ることはない。そこにあるのは「運動」であり、「生成変化」であって、「静止」したもの、「同一」なものは決して取り上げられない。重視されるのは「創造」であり、「想像」であって、「内省」や「沈思黙考」ではない。つまり、過去の歴史的災厄がトラウマになって先に進めなくなるということが彼の思想には全くないのだ。彼の哲学にあるのは常に未来という時間だけなのだといっても良い。あらゆる状況が停滞している現代には、このようなドゥルーズの思想が魅力的に見えるのかもしれない。

また、どうみても「学者的」哲学ではないところもドゥルーズの魅力かもしれない。哲学史への膨大なる引用(カント、スピノザ、ヒューム、ニーチェ、ベルグソン、ハイデガーなどなど)は確かにあるのだけれども、自分自身の哲学的出自は巧妙に曖昧にし、体系化を徹底的に拒絶する。加えて、これら過去の思想を直接知らなくても読めるように書かれていることも魅力の一つではないだろうか。実際、ドゥルーズの著作はどこからでも読めるように書かれている。彼の本は一冊まるまる読まれることを必ずしも望んでいないようだ。誰かがあるページをめくり、そこに綴られた言葉から何らかのインスピレーションを得てくれればそれだけで構わない、という風に。

加えて、文学(『カフカ』、『プルーストとシーニュ』、『マゾッホとサド』)は言うに及ばず、映画(『シネマI 、II』)、絵画(『感覚の論理―フランシス・ベーコン』)、演劇(『重合』)など、彼が哲学的思索の対象とするものの幅の広さも魅力の一つであろう。メルロ・ポンティにおける絵画のような例が過去にあったとはいえ、これほど様々なジャンルに対し、専門家をも瞠目させるような該博な知識を駆使して、それぞれの対象の本質に肉迫して行った哲学者はこれまで存在しなかったのではないだろうか。哲学に関心のない人までをも惹きつけてしまうドゥルーズの魅力の一端はそこにあるのだろう。

しかし、こんなことは昔から言われていたことではないか。ドゥルーズの不思議なところは、いざ、その哲学の特徴を説明しようと思うと言葉に窮し、似たりよったりの貧弱な表現しか出てこないところだ。これは今も昔も全く変わっていない。ドゥルーズの思想は安易な要約を拒み続ける。にもかかわらず、いやだからこそ、ドゥルーズは現在でも読まれ続けているのかもしれない。

「20世紀はドゥルーズ的なものになるであろう」とはフーコーの言葉であったが、これだけドゥルーズが読まれている現状を察すれば、彼の予言は「21世紀は〜」と修正されなければならないかもしれない。しかし、いま人々がドゥルーズの思想から何を掴みだそうとしているのか。そして、そのことによって世界の何が変わろうとしているのかは相変わらず曖昧なままだ。それでも確かなことは、存命中の話題や流行とは関係なしに、時代を越えて「読まれ得る思想家」が20世紀後半にもいたということだ。そのことの意味が今後問われていくことになるだろう。




不知火検校

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2009年01月07日

「西洋音楽史 - クラシックの黄昏」(2)

先回、フランツ・リストが三拍子そろった音楽家だったと書いたが、3つの要素のバランスが崩れ、いずれかが突出するようになると、たちまち批判の対象になる。前衛作曲家のように作曲上の実験にこだわりすぎると、「公衆を置き去りにしたひとりよがり」と言われ、クラシックのレパートリーばかり演奏していると、「過去にしがみつくだけの聖遺物崇拝」と言われる。そして一般受けを狙い、人気が出ると「公衆との妥協」とか「商品としての音楽」と言われる。しかし、これらは19世紀になって花開いた音楽の可能性がもたらした結果なのである。音楽家はパトロンの好みに束縛されることなく、自分の好きなように音楽を書き、過去の音楽を次々に発掘することでレパートリーが著しく拡大し、楽譜の普及や演奏会制度の発達によって多くの人々が音楽を自由に演奏し、音楽と接点を持つことができるようになったのである。



「現代(前衛)音楽がサブカルチャーに徹すること」のは難しいだろうが、いわゆる「過去のレパートリーを再演するクラッシク」も一種のサブカルチャー化によって生き延びようとしている。「のだめカンタービレ」もJ-Classicも、サブカルチャー化による生き残り戦術である。J-Classicは、日本人演奏家によるクラシック音楽、特に伝統的な枠を超えた新しい試みに積極的な若手アーティストたちによるクラシック音楽のことだが、まさに「名曲のレパートリーの決定版がほとんど出尽くし、巨匠の時代も去り、ネタ枯れの気配が濃厚」な状況で、レコード会社が仕掛けたものだった。J-Classicはアイドル歌手のように演奏家のヴィジュアルを前面に出す戦術で知られているが、それは明らかにポピュラー音楽からの流用である。

しかし、すでに20世紀の前半にすでにテオドール・アドルノが「クラシックをヒット曲のように、指揮者をスターのように扱う」と商品化したクラシックの堕落を嘆いている。著者は、ポピュラー音楽の大半は、特に旋律構造や和声や楽器の点において19世紀ロマン派の音楽を踏襲し、宗教なき時代に「市民に夢と感動を与える」というロマン派的美学を引き継いでいるというが、一方でクラシックは明らかにポピュラー音楽の資本主義との親和的な側面を取り込んできたのである。従来のクラシックを聴く重々しい身振りは失われていくかもしれないが、それによって新しい聴衆にとっかかりを与えてきたのも事実である。

この問題を文学で考えるとき、ハーバーマスが公共性のモデルと考えた「文芸的公共圏」が思い出される。印刷技術と資本主義の発達によって、文学作品のラインアップが廉価版でそろい、多くの人々が文学に親しめるようになった。そして文学は議論を通して、より多くの人々をつなぐ重要な媒体として機能していたのである。一方で音楽家がパトロンから自立できたように、小説家は、新聞や雑誌などのメディアを利用し、自分の小説を売ることで自活できるようにもなった。

20世紀に入ると、そういうモダンな公共性に反旗を翻す形で小説的な実験が進む。そしてヌーボー・ロマンやメタ文学のようにひとりよがりな表現の隘路にはまり、ごく一部の言論空間でしか理解されないものになる。現状はどうだろう。大学の文学研究は相変わらず「過去の聖遺物」だけを対象にしているし、若い小説家たちは新しいかもしれないが、多くの人には共有されない個別的な状況を描く。一方でケータイを活用したケータイ小説や、アニメから派生した萌え系の新しい文学が生まれている。それらには相互的な接点や関心の共有もなく、島宇宙化している印象を受ける。幅広い関心の共有や共通感覚の媒体になりうるのは、今は文学よりも映画なのかもしれない。

「生活世界の再帰的構成に必要な価値合意は、ハーバーマスの考えるような理性的な討議によってあたえられるのではなく、芸術やサブカルチャーなどの表現を通じて滋養されるコモンセンス=共通感覚に基づく。そのことは未だに古典的主題を反復するフランスやイタリアの小説や映画を見ているとよくわかる」(宮台真司、「ネット社会の未来像」より)

宮台真司は「芸術やサブカルチャー」と言っているが、とりわけそれは映画である。宮台は古典的主題を反復する映画監督として、フランスのフランソワ・オゾン監督を持ち上げる。彼の作品は「表層的な見せかけに右往左往せずに、真の心を見極めろという伝統的なモチーフ」の変奏だと言うが、不知火検校さんが偶然にもクリント・イーストウッドについて、こんなことを書いてくれている。

「決して一作でそのテーマを解決させることはなく、飽きることなく繰り返しながら、イーストウッドはその問題に挑み続けているのではないだろうか。「本質的な思想家は唯一つの問題にだけ立ち向かう」とはハイデガーの言葉だが、まさにイーストウッドの新作映画は常に一つの「思想」として観客の前に到来してくる。このような映画が商業映画として大劇場で上映されているという事態は、100年を超える映画史の上でも奇跡的なことではないだろうか」(「パリで観るクリント・イーストウッド」)

まさにクリント・イーストウッドはフランツ・リストのような3拍子揃った映画監督なのである。古典的なモチーフを反復しながらも、新しい映画であり続け、同時に商業映画として多くの人々を動員するという離れ業をやってのけているのだ。

再び音楽の話に戻るが、「現代音楽(前衛音楽)がサブカルチャーに徹する」以前に、すでにロックが現代音楽のサブカル化の役割を果たしてきた。「ロックはスポンジのようなものだ」と言ったのは、現代音楽と接点を持つ環境音楽の創始者、ブライアン・イーノだった。ロックは表現として柔軟性を持つと同時に、メディアとの親和性が高く、特に若い世代への伝染力が大きい。音楽テクノロジーの進歩を真っ先に取り込んでしまうのもこの分野である。ロックが現代音楽的な実験を取り込みながら、ポピュラリティーを獲得することに成功した例として、70年代のプログレッシブ・ロック、80年代のノイズ・ミュージック、90年代の音響派が挙げられる。ミニマル・ミュージックの大御所、スティーブ・ライヒなんかは、ダンス・ミュージックのコンテクストで再評価されている。

以前、「サントリーローヤルCM-ランボー編」でセゾングループが果たした80年代の文化的な役割について触れた。80年代のパルコ=セゾン文化は企業家=詩人であった堤清二によって仕掛けられたわけだが、「大衆消費社会を批判する前衛文化を、大衆消費社会の担い手である流通産業が積極的にフィーチャーしてみせる」という「矛盾を孕んだ文化戦略」と浅田彰がセゾングループの功罪を評している。浅田は矛盾と言っているが、企業家と詩人は共存しえたのである。

それと併走していた音楽シーンを挙げるなら、80年代には豊穣なインディーズシーンがあり、メジャーシーンでは「BGM」をリリースし、実験色を強めたYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)だろうか。何よりも坂本龍一が象徴的な存在だった。YMOが共振させたものは音楽にとどまらず、ファッションやアート、そしてマイナー文学や現代思想にまで及ぶ。音楽の前衛的な実験が、資本主義と決して矛盾することなく、むしろそれを逆手にとるように親和的に進められ、他のジャンルに波及しながら多くの若者の支持を集めたのである。先回言及したモダン・ジャズには及ばないが、これも3つの要素が奇跡的にかみ合った時代の偶発事と言えるかもしれない。浅田の言う「大衆消費社会を批判する前衛文化」とは先のアドルノの思想そのものだが、堤清二は「消費を通じての啓蒙」を実践した。同じ左翼系でも全くベクトルが逆だったのである。

□関連エントリー「西洋音楽史 - クラシックの黄昏(1)


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2008年12月27日

「西洋音楽史‐クラシックの黄昏」 (1)

中公新書の古色蒼然とした表紙に、「西洋音楽史」というタイトルがつけられていると、これだけでも読む気が失せるという人もいるかもしれないが、副題の「クラシックの黄昏」に注目しよう。



これまでの「西洋音楽史」と銘打った本の多くは例外なく、各時代の専門家による分担執筆だった。これらは専門家に対して正しい専門的な知識を万遍なく提供するだろう。しかし、様々な関心やつながりからクラシックについて知りたいと思っている普通の人、例えば、「のだめカンタービレ」を読んでクラシックに興味を持った人が、それを理解できるだろうか。理解できる、できない以前の問題として、そういう「使えない」音楽史に意味があるのだろうか。ある種の正しさはあるかもしれないが、ナンセンスな専門知識ではないのか。そういう問いが著者をしてこの本を書かせたようだ。

「事実に意味を与えるのは、結局のところ、<私>の主観以外ではありえず」、「歴史を語ることは常に<私>との対話なのである」と著者は言う。つまり、絶対的なクラシックのあり方、正しいクラシックの聴き方などありえない。聴く人それぞれの関心があり、それぞれのクラシックがあるということだ。この本の形式は「私はこういうふうに考えました。あなたはどうですか」という問いかけである。もちろん著者のような研究者が書くのと、素人が書くのとでは情報量や正確さに差があるだろう。しかし、それは「正しい西洋音楽史」を読者に注入しようという態度ではなく、「私が提示した情報や考え方をもとに、あなたなりにクラシックを楽しみ、考えてください」と読者にボールが投げられている。そして読者はそのボールをどこかに投げ返すことが期待されているのだ。

これまでの「西洋音楽史」は、クラシック以外の音楽ジャンルに言及することはなかった。なぜなら、他の「低俗な音楽」を排除し、それと区別することで権威のある高尚な音楽として自らを位置づけていたからだ。それゆえに、クラシックが現在どのような形で聴かれているのか、他のジャンルとはどのような関係にあるのか、というクラシックの置かれている社会的な、同時代的な条件が全く無視されていたのである。この本が興味深いのは、クラッシク以外の音楽に触れていること、そしてクラシックの現在に対するシビアな認識と、いかにクラシックが生き残るかという未来について言及されていることである。これまでの西洋音楽史においてクラシックは不朽のものであり、「黄昏」や「危機」とは無縁だったのだ。

今日のクラシックのレパートリーのほとんどは19世紀後半から20世紀初頭にかけて確立されたものだが、20世紀後半に入ると、人々の関心は誰が何を作るか(つまり現代音楽への関心)から、誰が何を演奏するかに関心が決定的に移ってしまった。しかし、今では名曲のレパートリーの決定版はほとんど出尽くしており、巨匠の時代も去り、ネタ枯れの気配が濃厚だ。またクラシックの進化形である前衛音楽(=現代音楽)を支持する公衆はもはや存在しない。100年前に作られたシェーンベルクの作品から、戦後の前衛音楽に至るまで演奏会のレパートリーに定着した作品は皆無で、現代音楽は公式文化から一種のサブカルチャーと化している。しかし、著者はそれをことさら嘆かない。それどころか「もし前衛音楽にまだ可能性があるとすれば、それはサブカルチャーに徹することを通してのみ可能かもしれない」とまで言う。これは文学などのハイカルチャー全般にも通じる本書の最も重要な指摘である。



私たちはクラシックと他の音楽の同時代性についてあまり注意を向けないが、確かにそれらは明らかに同じ時代の空気を吸った産物なのだ。例えば、フルトベングラーが没した1954年に、エルヴィス・プレスリーがデビュー。翌、1955年にはグレン・グールドが「ゴルトベルク変奏曲」で鮮烈なレコードデビューを果たし、ジョン・コルトレーンがマイルス・デイヴィス・クインテットに参加する。ジョン・ケージが初来日した1962年にはビートルズがレコードデビューしている。

クラシック以外では、著者はとりわけモダン・ジャズを評価する。モダン・ジャズは娯楽音楽の域を超え、一種の芸術音楽の路線を歩んだ。前述のマイルス・デイヴィスやジョン・コルトレーン、そしてMJQにおいて即興は見せかけにすぎず、演奏はその細部まで緻密に計算されている。マイルスのモード・ジャズにはフランス印象派を連想させる旋律が現れるし、コルトレーンのポリリズムはストラヴィンスキー並の複雑さなのだ。それだけではない。モダン・ジャズは、20世紀後半において、「作曲上の様々な実験」と「過去の伝統の継承」と「公衆との接点」との間の媒介に文句なしに成功した唯一のジャンルなのである。公的な支援を受けず、独自の力であれほどの表現に到達し、あれほどの支持を集めたことは、クラシック以上の成果であり、ほとんど奇跡に近い現象とも言える。この事実に先ほどの「サブカルチャーに徹するしかない」という提言が反響するのである。

Glenn Gould ‐ Goldberg Variations
John Coltrane - My Favourite Things

かつて「作曲上の様々な実験を試みること」、「過去の名作を立派に演奏すること」、「公衆にアピールする曲を書くこと」は決して分離した活動ではなかった。例えば、フランツ・リストは時代の最先端を行く作曲家であり、ベートーベンを演奏する巨匠ピアニストであり、現代のロックスターに比されるような人気アーティストだった。
(続く)


cyberbloom


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2008年09月25日

「フランス-アメリカ この危険な関係」

フランス-アメリカ-この〈危険な関係〉「イラク戦争反対を表明して以来、フランスはアメリカに対するアンチテーゼを体現しているようなイメージが定着しつつあるが、じつはこれほどアメリカと縁の深い国も少ない。イラク戦争に反対され、アメリカ人がヒステリックにフランス産のワインボトルを割っていた頃も、フランス人は黙々とビッグマックを頬張っていた」

これはbird dog さんが書いてくれた「コカコーラ・レッスン」の一節である。さらに戦後の1946年にフランスが、莫大な借金を帳消しにしてもらう代わりに、ハリウッド映画の全面的受け入れを認めた ブルム‐バーンズ Blum-Byrnes 協定についても触れている。文化的降伏と揶揄され、フランス映画を緩慢な死へと追いやったと張本人と呼ばれる協定のおかげで、戦後のフランス人は浴びるように黄金期のハリウッド映画を見ることになった。

「ブルジョワ的教養によるのではない、即物的な豊かさが、当時はかっこよかった。カウボーイが履いているジーンズは機能的だし、ボトルからラッパ飲みするコーラは、カフェテラスのエスプレッソよりも軽快な飲み物だった」

それらはマーシャル・プラン(トルーマン大統領下の国務長官ジョージ・マーシャルの名に因む)と呼ばれた第2次世界大戦後のヨーロッパ復興計画によってもたらされたのだった。大戦で甚大な被害を受けたヨーロッパ諸国をアメリカが経済的に支援したのである。フランスは総額28億ドルの援助を受け、そのうちの85%は無償供与だった。

マーシャル・プランの目的は疲弊した各国の経済振興だけでなく、 made in USA 製品の新市場獲得のためでもあり、さらには american way of life を輸出することでもあった。フランスにはチョコレートやタバコ、コンビーフの缶詰が流れ込み、ル・アーブル港(セーヌ川の河口に位置する)にはトラクター、ミシン、冷蔵庫、掃除機などが次々と到着した。それ以来、フランス人の生活も次第にアメリカ化されていく。中でもやはり、コカコーラは象徴的で、1944年のパリ解放時にシャンゼリゼを凱旋行進したアメリカ軍の戦車にはすでにコカコーラの瓶用のケースも装備されていたという。

そんなアメリカの文化と経済が一体となった攻勢の中でフランスの知識人たちは必死に抵抗の論陣を張るのである。

「こと精神、文明、文化に対しては、フランスは誰からも忠告を受けない。こちらがそれを施すものなのだ!」(当時のパリのオペラ座の舞台監督の発言)

「ラブレー、モンテーニュ、ヴォルテール、ディドロ、ユゴー、ランボー、アナトール・フランスの国であるフランスが、今や人間の中の最も卑しいものをあおる輸入文学や、その愚かさが人間精神の侮辱となるいくつかのアメリカの雑誌によって埋没されている」

Boris Vian 死刑台のエレベーター[完全版]

いくらアメリカからの文化流入が著しかったとはいえ、こちらも十分に傲慢な発言である。このような妄想を主導していたのは、傘下に多数の知識人や芸術家を集めていたフランス共産党だった。伝統的にフランスのインテリはアメリカ嫌いだが、彼らはイデオロギー闘争の意味からもフランス文化の擁護者を名乗り出たのだった。1949年に共産党はコカコーラの禁止法案まで提出している!しかし、そのような危機感は一般の人々とはあまり共有されていなかったようだ。

第2次大戦直後の混乱したフランスでは、まずは生きることが最優先で、多くのフランス人は経済的な恩恵をもたらしたアメリカに好意的だった。フランスは戦勝国側に属していたにもかかわらず、ナチスドイツに踏みにじられ、実は戦後の日本と同じような立場にあったのである。アメリカの進駐軍によって日本に大量のチョコレートがもたらされたように、フランス人もGIのチョコレートやチューインガムに憧れた。

もちろん物質的なものだけではなかった。フランス文学者たちはスタインベックやフォークナーに魅了され、大きな影響を受ける。さらにパリジャンたちは、自分たちの街の解放とともにやってきた軽快なジャズのリズムに酔いしれ、パリはニューオーリンズ(もとはといえばフランス統治下のヌベル・オルレアン)に並ぶジャズの聖地となるのである。ボリス・ヴィアンがコルネットを吹いていたアバディ楽団は、パリにやってきた本場のジャスを知るアメリカのGIたちを踊らせることに成功する。1949年、弱冠23歳のマイルス・デイヴィスがパリで開かれた国際ジャズ祭に招かれ、ジャズが芸術音楽として高く評価されていることを実感する。そしてジュリエット・グレコと恋に落ち、アメリカに帰りたくなくなるのだ。

フランスの知識人たちのあいだで「フランス精神はアメリカに占領され、植民地化されつつある」という危機意識が生まれたのは、フランスが経済的に衰退し、外交の舞台でも脇役に追いやられ、自らのアイデンティティーの最後の砦を自国の文化に求めるしかなかったからである。しかし、フランス人の文化的な自尊心とアメリカの文化的な貧困という対立もひとつの神話にすぎないし、最高の芸術は常にヨーロッパにあり、アメリカ人は金を持っているが、文化と歴史を持たないというのも、ねじれたヨーロッパ的な優越感の現われにすぎない。

何よりも、津波のように押し寄せたアメリカの大衆文化をフランスの知識人は理解できなかった。ブルジョワ的な教養という枠組みしか知らなかった彼らは、それが俗悪なサーカスか、あるいは帝国主義的なプロパガンダにしか見えなかったのである。フランクフルト学派のホルクハイマーとアドルノは第2次世界大戦中にアメリカに亡命しているが、それを目の当たりにしたことが、彼らの「文化産業論」に決定的な影響を与えている。そのベースには文化領域に市場価値が浸透することへの憤慨があり、「その結果人々も商品のように画一化してしまう」と今ではクリシェになってしまったエリート主義的な嘆きがある。

いまだにフランス人は「自分たちと最も似ていない国民」としてアメリカ人を挙げる。ほとんど同じ諸制度の中を生き、政治的、道徳的価値観が近く、物質的生活様式が共有されていても、そう言うのである。とりわけフランスの若者はヒップホップを聴き、ナイキのシューズを履きながら、その55%が「アメリカの文化的影響は過大だ」と答える。内面化された「文化のマジノ線」は簡単に消えない。ナイキのシューズを履くことと、アメリカをバカにすることは別のことなのだ。フランスでのマクドナルドの売上はアメリカ以上に好調である。シャンゼリゼのマクドナルド(写真)で、トレイにビッグマックをいくつも積み上げ、まるでそれがステータスであるかのように誇らしげに食べているフランス人をよく見かけたが。

そして今度はアメリカの大衆文化の先鋭形とも言える日本のサブカルチャーがフランスを席巻し、一方、新しいフランスの大統領はイラク戦争で入った亀裂を修復するために「アメリカを愛している」とまで言った。


□このエントリーは宇京頼三著「フランス-アメリカ-この〈危険な関係〉」を参照した。コロンブスのアメリカ大陸発見から現在に至るフランスとアメリカの関係を検証している。著者は仏文学者だが、フランスに肩入れすることもなく公正な視線が感じられる。ありそうでなかった視点だ。それこそ多くの仏文学者はアメリカ嫌いを内面化しているので(イラク戦争反対でフランスは正義を貫いたという声もよく聞いた)、論じる必要もないと思われていたのかもしれない。




cyberbloom

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2008年07月03日

漱石俳句集,そして夢の中へ

漱石文明論集 (岩波文庫)当たり前の話だが,商品は流通する.
数日前,或は数ヶ月前に店頭で見かけた商品をいざ購入しようと店舗へ向かったものの,いつのまにか在庫切れになっていたという経験は誰にでもあるだろう.
当然,「あのとき買っておけば」と落胆する.
消費社会における喜怒哀楽.

出版において,古典と位置づけられる著作も,そうした流通サイクルと決して無関係に存在するわけではない.
もちろん,岩波文庫や新潮文庫の刊行リストから夏目漱石の「こころ」や「我輩は猫である」といった作品が外れることはないだろう.
しかし,一般的に代表作とみなされるタイトル以外は,常時,増刷されるわけではなく,在庫切れとなる場合も多い.

というわけでクラシックなものでさえ,うたかたな消費社会と無縁ではないわけだが,先日書店に立ち寄ると,夏目漱石のマイナーなタイトルが充実していることに気が付いた.

岩波文庫で,文学論(上,下)文明論集日記書簡集漱石俳句集と並ぶ.

そこで以前より気になっていた俳句集を購入する.

滑稽な句もあれば叙情的なものもある.

例えば,いささか時候にそぐわぬが「貧といえど酒飲みやすし君が春」

同感である.

また「春の夜の雲に濡らすや洗ひ髪」

色っぽい.

私事になるが,寝る前に俳句を読むと,眠りへの入りが極めてスムーズであることを発見した.
基本的に眠れなくて困るということはほとんどないのだが,枕許で俳句を読むと,まさに「落ちる」という感覚と共に眠ってしまうのだ.
リズムのせいだろうか.
いずれにせよ,寝る前に小説を読む場合とは,感覚は全く異質である.




キャベツ頭の男

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2008年03月26日

エリー・フォール「美術史」

elie01.jpgエリー・フォールの文章に初めて触れたのは、ゴダールの映画『気狂いピエロ』の冒頭においてである。

処女作『勝手にしやがれ』以来、再びゴダール映画のヒーローとなったベルモンドが、『美術史第4巻・近代美術(1)』に収録されたヴェラスケス論を読み上げる。その間、画面では、原色のアルファベットが黒地にゆっくりと浮かび上がるタイトル・バックが完成し、初夏の眩い光に照らされたコートの上でテニスに興じる娘の動き、書店の前で本を物色するベルモンドの姿、さらに夕闇に包まれたセーヌ河の情景が映し出される。バスタブの中に座り込み、くわえ煙草でヴェラスケス論を読み上げるベルモンドの姿が画面に現れるのは、これから展開する物語と特に関係があるとも思えない、こうした一連のショットの後である。

当時、エリー・フォールという批評家のことは全く知らなかったが、その後、ゴダールの映画についていろいろと読んでいるうちに、その名前に行き当たった。そして、このゴダールの代表作ともいえる作品の冒頭を飾る著作を読んでみようと、大学の図書館へ足を運んでみたが、その名前が検索に引っかかることはなかった。翻訳がなかったのだ。

ゴダールは或るインタヴューで次のように語る。

「私の感じでいうと、芸術批評という点で最初にくるのがディドロでしょう。それにボードレールが続く。芸術をめぐって深い知識を持った研究者や学者はたくさんいるでしょう。だが、ある作品をめぐってそれを誉め、その悪口を言う技術というものは、ごくわずかな人によって担われていたにすぎません。ボードレールのあとに来るのがエリー・フォール。(…)フォールのあとにいささか創造性には欠けるが、アンドレ・マルローが来ます。そして、アンドレ・バザンとフランソワ・トリュフォーがそうした芸術批評の最後に位置することになります。」

ディドロ、ボードレールに続く批評家。そしてマルローより、上に置かれる批評家。その著作が、発刊後、数十年を経た後も未訳であったことに、正直、驚いた。(原著は、1909-1927の出版)

その著作が、2003年、ようやく国書刊行会より出版が開始され、現在、全7巻のうち、残すところ上記のヴェラスケス論を含む『近代美術(1)』とそれに続く『近代美術(2)』の2冊のみとなった。

このフォールの『美術史』は、英米圏では早くから受容されていたようで、あのチャップリンも、インタヴュアーの教養度を測るために「エリー・フォールは読んだかね」と聞くのが慣例であったらしい。

また、ヘンリー・ミラーが、フォールの『美術史』の大ファンであったことも有名で、邦訳の『古代美術』にはミラーの緒言が付けられている。それについては、安原のこちらの書評を参照していただきたい。

「ぼくはこの作品を偉大な音楽を聴くように読んだ……」
ミラーが言うように、この『美術史』の魅力は、その比類なき文体にある。

以下、映画『気狂いピエロ』でベルモンドが読み上げる箇所を少し前から訳してみた。

「これらの画家には、荒々しさと細やかさがあった。作品は陰鬱かつ露骨であり、顔の醜さ、身体の奇形、魂の歪み、全てが臆面なく曝け出される。画家が選択をすることはない。死、恐怖、不都合なものは何もなく、すべてが彼等の仕事に寄与した。だが、我々がひとたび形体と形体との間に目を向けると、悪夢は消え、何か予期していなかった未知のものが姿を現す。大気中の原子の流れ、つつましやかに包みこまれ、透明で微かに色づけられた陰が形体の周りを浮遊し、その形体を変貌させる。50歳を過ぎ、ヴェラスケスはもはや形ある事物を描こうとはしなかった。彼は空気と黄昏と共に事物の周りを彷徨い、奥底の透明と陰のなかに色めく震動を捉え、沈黙の交響曲の見えざる中心とした。彼は、この世界における神秘的な交換、形体と色調が互いに浸透する交換のみを捉えた。それは目に見えることなく持続して進む。いかなる衝突、いかなる飛躍もこの歩みを暴き、止めることはない。空間が支配する。」

残る2冊の翻訳の完成が待ち望まれる。


古代美術―美術史〈1〉
エリー フォール
国書刊行会
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5 やばい、圧倒的。




キャベツ頭の男

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2008年01月16日

宮下規久朗 『食べる西洋美術史―「最後の晩餐」から読む』

食べる西洋美術史  「最後の晩餐」から読む (光文社新書)この新書を手にとり、最初に思い浮かべたイメージはギュスターヴ・ドレ描く「ガルガンチュワの食事」だった。フランス・ルネサンス期の巨人フランソワ・ラブレーがその知力と想像力を爆発させて創造した『ガルガンチュワ』『パンタグリュエル』という小説に附された19世紀の挿絵のひとつである。

美術館に足を運び、展示室を、回廊をのんびり歩きながら、絵を観てまわっていると、楽しそうに飲み食いする人々に出逢い、腹時計が不意になってしまうような食材を見つけたりする。
 
そう。西欧の絵画にはなんと食事の風景が多いことか。なんと美味しそうな食べ物が画布のうえに並べられていることか。
 
絵画表現の誕生から、アンディ・ウォーホルの有名な「キャンベル・スープ缶」を経て、現代アートそして未来の美術の主要なモチーフとして、「食」は絵の描き手たちを刺激してきたし、これからも刺激しつづけるにちがいない。

とはいえ、なぜ西洋美術には「食」をテーマとした作品がそれほどたくさん描かれてきたのか。そもそも、食事風景というのはあまりにも日常的な光景なので、それが絵の題材になる特別な理由や意味を考えることはないのではないか。少なくとも、ぼくは、宮下規久朗氏のこの本を読むまではあまり気にしてはいなかった。
 
美術の歴史を「食べる」というテーマから照らし出してみせたこの小さな美術展を訪れるなら、とても愉しいひと時を過ごすことができる。すばらしい話術の宮下ガイドの解説を聴きながら、本の扉を閉じたあとは、冷蔵庫のドアを開けて、なにか食べるもの・飲むものを探し、ぼくらもまた『食べる西洋美術史』の饗宴のご相伴にあずかりたいと思うことでしょう。

しかし独り食事をするだけではやはり寂しいかもしれません。『食べる西洋美術史』の副題が示すように、画布のうえに描かれる食事風景、食材はキリスト教(その世俗化、あるいは脱宗教化)というもうひとつの光源からも照らされることで、より一層、食欲をそそるものになっているのですから。「最後の晩餐」、ダ・ヴィンチが描いたキリスト教的主題のなかにすでに、ポップ・アートの巨匠ウォーホルの「最後の晩餐」に至るなにものかが描き込まれていることを本書はぼくたちに教えてくれています。

皆で食べること、それがコミュニケーションの最もすばらしい手段であるならば、事実そのとおりであるのだから、ぼくたちもまた、『食べる西洋美術史』を肴に、皆で飲み、食べ,お喋りをしにいこうではありませんか。


食べる西洋美術史  「最後の晩餐」から読む
宮下 規久朗
光文社 (2007/01/17)
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5このような講義が聴ける神戸大学の学生は
恵まれていますね



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2007年11月09日

『百科全書』 ディドロ&ダランベール

encyclopedie.jpgYoutube を活用するブログが増えてきたが、Youtube にリンクを貼る際のリスクはやはりリンク切れの可能性が高いこと。違法コンテンツのアップとその削除を依頼のイタチゴッコは相変わらず続いている。

いまさらだが、資本主義経済理論の原理はモノの希少性にある。電子情報は、商品の希少性という限界を超え出るので、その原理に基づいている著作権を揺るがしてしまう。電子情報は商品化に激しく抵抗し、モノの希少性の中に捕らえておくことはできない。電子情報は簡単に自らを複製し、それをばら撒く。そして空間を瞬時に移動してしまう。

情報を流通させる力は、モノの私的所有権を保護しようとする力を凌ぎつつある。それゆえ、大手の既成メディア会社も youtube のようなサイトのあり方を容認せざるをえなくなった。著作権を主張し、不毛なイタチゴッコを繰り返すよりも、ネット広告などの別の形で収益を確保するほうが賢明だと思い始めている。

かつて情報の伝達にはメディアの媒介が必要だった。文字は本によって、音楽はレコードによって、映像はビデオテープによって媒介された。しかし、今は文書であれ、音楽であれ、画像や動画であれ、あらゆる情報がバイナリー・コードに変換できる。情報は特定のメディアに依存する必要はなくなり、どのような形で保存可能で、複製したり、転送したりすることもできる。

情報に関する大きな転換は18世紀フランスでも起こっている(少々話が強引だが)。『百科全書』の編集だ。『百科全書』は、1751年から1772年まで20年以上かけて完成した大規模な百科事典で、最初は一足先にイギリスで編集されたチェインバーズの『百科事典』の翻訳として構想されたが、最終的には本文17巻、図版11巻の大型の百科事典にまで発展した。

『百科全書』の編集作業は、直接フランス革命に結びついていく思想運動でもあり、ルソー、モンテスキュー、ヴォルテールら、啓蒙思想家のスーパーチームが携わっていた。彼らは、科学的、技術的な情報は自由に公開され、一般にも普及することが民主国家の繁栄につながると考えていた。それまでの知識は古い徒弟制度による、師匠と弟子のあいだの秘められた関係によって伝達されてきた。

『百科全書』は、それまで蓄積された知識を、網羅的かつ体系的に収載することで情報化したと言えるだろう。書物という媒体を介しているとはいえ、歴史的な情報化のブレイクスルーだったのだ。『百科全書』にはクロス・レファレンスがついている。これは現代の事典にも見られ、項目の末尾で参照語句を示す。まるで検索機能の先駆けのようだ。18世紀はルネッサンスの後、生産力がめざましい発展を遂げた時代で、人々は科学技術に強い関心を示すだけでなく、それらを実際に使いこなすことを望んだ。『百科全書』の技術関係の項目および図版は、そのような要請に応えてディドロが最も力を入れた部分である。

情報は知識を与えるが、その結果受け手に何らかの影響を及ぼし、最終的には何らかの行動に向かわせる。情報の意味と価値はその作用力にある。情報はそれ自体では意味や価値はない。情報に意味や価値が生じるのは、それがある目的に結び付けられるときだ。『百科全書』のクロス・レファレンスには当時の厳しい検閲の目をかいくぐりながら、読者の学習を遠隔操作するという目論見もあったようだ。検閲の目には情報はニュートラルなものにしか映らない。これこそ、受け手が目的を持って情報と情報を結びつけることで初めて意味や価値が生じるということを物語っている。技術もまた『百科全書』によって狭いギルド的な枠組みから解き放たれ、他の技術と有機的な関連を結ぶことでさらなる発展を促されることになる。

『百科全書』が徒弟制度のヒエラルキーの解体を目論んでいたように、情報化は大学のような知識の独占と権威付けをしてきた場所にも確実に影響を及ぼすだろう。知識が上から下へと排他的な形で受け継がれるものとすれば、情報はすべての人に開かれ、アクセスしやすく、使い勝手が良いメディアに乗(=載)って水平に広がっていく。そして個人は自由にそれを意味づけ、「編集」することができるのだ。

□「百科全書―序論および代表項目」(序論だけでも読む価値あり)


「編集知」の世紀―一八世紀フランスにおける「市民的公共圏」と『百科全書』
寺田 元一
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4 クロス・レファレンスの世界
5 今だからこそ学生や
ジャーナリストにお勧めの一冊
5 18世紀フランスにおける知の集大成





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2007年09月12日

新しいゴシック世代(3) ゴシック必読文献

最近ご無沙汰の木魚さんにゴシックついて、聞いてみました。

cyberbloom:木魚さん、ゴシック関連で、何かお薦めの本はありますか?

木魚:ゴシック建築なら、ユイスマンスの『大伽藍―神秘と崇厳の聖堂讃歌』、パノフスキーの『ゴシック建築とスコラ学』なんかマストでしょうが、手に入りやすいものなら馬杉宗夫『大聖堂のコスモロジー―中世の聖なる空間を読む』がお勧め。あとはサントリー学芸賞受賞の酒井健『ゴシックとは何か―大聖堂の精神史』。ゴシック・リバイバルに関してはラスキン…


大伽藍―神秘と崇厳の聖堂讃歌 (平凡社ライブラリー) ゴシック建築とスコラ学 (ちくま学芸文庫) ゴシックとは何か―大聖堂の精神史 (ちくま学芸文庫)

cyberbloom:リアルタイムのゴシックに関してはどうですか…

木魚:とうてい実用化できないファッションでも、マンガの中で描くのなからオッケーで、日本のゴシックの場合、やはり少女マンガの影響もあるんじゃないでしょうか。パッと思いつくかぎりでも、三原ミツカズ、矢沢あい、由貴香織里の『天使禁猟区』なんか。男性マンガなら『BASTARD!!―暗黒の破壊神』、まあ、耽美な人たちご用達です。

cyberbloom:確かに、ビジュアル系の隆盛のベースにも少女マンガあるとよく言われます。少女マンガ体験というベースがあるから、あの耽美的な世界が受け入れられたと。 

木魚:音楽でいえば、最近流行ったマイ・ケミカル・ロマンスのクリップなんてゴシックですね。音もクィーンが入っていて、こいつら真面目なんやろかと思ってしまいます。個人的におもしろかったのは、SF大賞を獲った牧野修の『傀儡后』(ハヤカワJA)の冒頭にゴスロリの進化系とも言えるデスロリが登場します。

My Chemical Romance - Vampires Will Never Hurt You
My Chemical Romance-Helena




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2007年07月18日

サン=テグジュペリの星の王子さま展

1942年のある日、サンテグジュペリはアメリカ人の編集者と昼食を取っていた。サンテグジュペリはなにげなくナプキンの上に長いスカーフを巻いた少年の絵を描いた。サンテグジュペリはカフェや、汽車の中や、散歩中などに浮かんだアイデアを絵や文章で紙片に書き留める癖があったらしい。それを見た編集者は、子供の向けの物語の素晴らしい主人公になると思い、それを書いてくれるように頼んだ。そして1943年に、作者のイラストつきの、英語による初版 The Little Prince が出版された。それ以来、「星の王子さま」は149の言語に翻訳され、4500万部が売れた。しかし、初版以外は本人のものではない、偽のイラストが使われている。

星の王子さま (岩波少年文庫 (001)) 星の王子さま (集英社文庫) (集英社文庫) 星の王子さま (RONSO fantasy collection)

サンテグジュペリは1944年の7月31日、ライトニングP38型機に乗ったまま、海に消えた。彼のすべての著作を出版していたパリのガリマール社は「星の王子さま」のフランス語版を出したいと思ったが、オリジナルの水彩画が見つからなかった。そこでガリマール社はイラストレーターにアメリカ版のイラストを模写するように依頼した。彼はトレース紙を使ってそれをコピーしたが、いくつかの間違いを犯してしまった。星の王子さまの緑のマントが青になっていて、夕日が消えてしまって。しかし、1946年にそのままの絵で「星の王子さま」のフランス語の初版が出版される。

それから50年以上のあいだ、サンテグジュペリ自身によって描かれたオリジナルのイラストは見つからなかった。しかし1994年に、あるパリの本屋がイギリス人の収集家の家でそれを見つけた。1979年に亡くなったサンテグジュペリの未亡人、コンシュエロ・ド・サンテグジュペリがすべての財産を彼に譲ったのだった。サンテグジュペリの思い出の品を含むトランクの中に貴重な水彩画が見つかったのだ。不幸にも、ガリマール社はそれを買い取ることができず、「星の王子さま」は偽のイラストで出版され続けている。

2004年4月に「行方不明になった飛行機の残骸が、仏南部マルセイユ沖の地中海の海底で発見された」とニュースが報じた。潜水員が海底から回収した機体の一部に製造番号が残っていて、この番号を調べた結果、サンテグジュペリの搭乗機だと確認できたという。機体は高速でほぼ垂直に墜落したとみられるが、プロペラに損傷もなく、敵の攻撃を受けたことを示す弾痕も残っていないため(1981年にドイツ人パイロットが自分が撃墜したと名乗り出ている)、墜落原因は特定できなかった。マルセイユ沖に墜落したことは公式に確認できたが、墜落原因は「恐らく永久に分からないだろう」ということだ。

2005年1月、日本での著作権保護の期限が切れたのを機に、10種類以上の新訳が一挙に登場。ファンのあいだでは、タイトルや訳し方をめぐってちょっとした論争になっていたようだ。「星の王子さま」というタイトルは故内藤濯(あろう)が付けたものだが(原題は Le Petit Prince で、「小さい」とか「かわいい」の意味)、新しい訳で同じタイトルを使用する場合は、「内藤氏の考案した題名」と明記する必要があったようだ。

星の王子さまが訪れる6つの星で出会う人物たちは、近代社会(=大人の世界)の論理と価値観を支える典型的な欲望が戯画化されたものだ。それらは、「心で見なければ、物事はちゃんと見えてこない。大切なものは目には見えない」という有名な一節に収斂する、子供の純粋な論理と感性に対照させられている。

個人的に印象に残っている解説本は塚崎幹夫氏の「星の王子さまの世界―読み方くらべへの招待 」(中公新書)。星に生えた3本の大きなバオバブの木は日独伊三国軍事同盟を表しているなど、「星の王子さま」を歴史的な具体性において解釈している。サンテグジュペリの作品全体を見通し、彼の作品と人生の中に「星の王子さま」を位置づける稲垣直樹氏の「サン・テグジュペリ−人と思想」(清水書院)も参考になる(両先生にはかつてお世話になったが、それだけの理由で薦めているわけではない。アマゾンでも評判は上々)。写真はフランス文学研究者による新訳(そのうちこのブログにも寄稿していただけると嬉しいのだが)。

「星の王子さま」公式HP
Le Petit Prince 読み比べ(FRENCH BLOOM STORE)


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2006年06月14日

『水声通信』

水声通信〈no.1(2005年11月号)〉特集 荒川修作の“死に抗う建築”去年の冬、ぶらぶらと散策していた書店の棚で一冊の新しい雑誌と出会いました。『ユリイカ』『現代思想』などといった文芸・思想系の老舗雑誌に張り合うように、ちょっと背伸びしつつも、意気込みを感じさせる立ち姿(つまり、面出し)でぼくを待っていたのです。

その雑誌の名前は 『水声通信』

水声社というかなりよい本を出している出版社の雑誌だから、『水声通信』。その後、月いちの逢瀬は8度を重ね、そのつど楽しく刺激的なひと時を過ごしてきました。「通信」というところが愛らしい。小学生のころ、担任の先生が一生懸命ガリ版で作って手渡してくれたクラス通信を思い出させる親密さを感じます。ですが、中味にはかなりしっかりした論考・エッセイを揃えていて、読みごたえがあり、毎回楽しみにしています。毎号150ページ前後とはいえ、毎月これだけ充実した雑誌を出し続けるのは大変なことです。通信がこの先もずっと手元に届くことを願わずにいられません。
さて、特集の内容をちょっとご紹介すると、

 第1号 荒川修作の << 死に抗う建築 >>
 第2号 小島信夫を再読する
 第3号 村山知義とマヴォイストたち
 第4号 ロシア・アヴァンギャルド芸術
 第5号 野村喜和夫 詩の未来に賭ける
 第6号 ジョルジュ・ペレック
 第7号 ダダ 1916-1924
 第8号 加納光於の芸術

第9号の特集は「軽井沢という記号」と予告されています。関係のなさそうなものがこう並んでいると、ただそれだけで、なにかそこに秘かな関係が生まれてくるようではないですか。雑誌の講読は、気に入った連載を読むためという以上に、新しい出会い、不意打ち、関係の捏造を楽しむことにあるとさえ言えるかもしれません。これからも、こだわりのある雑誌作りをお願いいたします。

個人的には第6号のペレック特集が一番面白かったです。これはぼくの関心の在処を突かれたから。『眠る男』『人生使用法』『Wあるいは子供の頃の思い出』などが日本語でも読めるペレック作品。その最大の特徴は「言語遊戯」ということになるでしょうか。なかでも、フランス語で最も使用頻度の高いアルファべ e を一切使用せずに書かれた『失踪』La Disparition や、逆に使える母音文字を e だけに制限した『戻ってきた女たち』Les Revenentes が有名です。ペレックの諸作品は翻訳の不可能性を喧伝されることが多いのですが、『水声通信』第6号に寄せられた塩塚秀一郎氏の論考は、もしかしたら日本語で『失踪』が読める日が来るかもしれないという期待を抱かせてくれます。そのとき、翻訳の不可能性を克服した英雄的行為ではなく、翻訳という行為の臨界、もしくはその問題性が、まさにひとつの「遊び」として提示されるでしょうし、なによりもペレック流の「言語遊戯」を日本語で楽しむことができるはずなのです。

なんという幸せ。



PST

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2006年02月15日

ブランショ『政治論集 1958-1993』

ブランショ政治論集 1958-1993』が月曜社から翻訳刊行されました。

フランス国民による欧州憲法批准拒否という歴史的出来事を予告し、またそれと呼応するかのように、この訳書が日本で出版されたのはもちろん偶然にすぎないわけですが、「共同体」をさまざまな角度から思考し、思考し直すべき今日、ブランショが書き綴った政治論集を手にとり、じっくりと読み込む意義は大きいのではないでしょうか。

2003年2月20日、95歳で亡くなったモーリス・ブランショ。現在なお続くフランス第五共和制に生きながら、アルジェリア独立戦争、68年5月といった大きな政治的問題、あるいは80年代以降の「記憶」をめぐる問いに対し、文学という場を保持しつつ、いや、まさにそれを保持するために –、さまざまな政治的な状況を自身の問題、そして文学の問いそれ自体として生きぬいた批評家の姿がここに初めてかいま見ることができます。

訳者あとがきに書かれているように、ブランショ30年代の政治時評は残念ながら収録されていないとはいえ、『ブランショ政治論集 1958-1993』翻訳が今この時代に持ち、今後未来において持ち得るその価値に変わりはありません。

それどころか、その30年代ブランショの政治的言説の欠落を補うかのように、若い3人の訳者たちはこの日本語版のために、ブランショの「政治論集」として収められるべき重要な二つの論文「忘れないでください!」と「沈黙に捧げられたエクリチュール」を追録してくれています。
 
安原氏、西山氏、郷原氏がそれぞれの立場からこの書物に与えたいと考える重要性は、3人の共通理解というオブラートで包みながら解説をひとつ巻末に掲げるのではなく、それぞれが執筆した訳者改題に、訳者の、そして研究者としての意気とともに表れているように思えました。『ブランショ政治論集 1958-1993』はフランスの出版社 Galilée の本作りを意識しているのではないでしょうか。穏やかなクリーム色のこの本の肌触りを楽しみながら、ブランショの思考の跡を留めたページにまなざしを注ぎながら、ブランショが時代と共に歩んだ透徹した思考を追体験したいと思わせてくれる本に仕上がっています。

僕は『踏みはずし』『火の部分』といったブランショ40年代の著作、『文学空間』『来るべき書物』という50年代の仕事を中心に齧り読みしたあと、ブランショからは離れてしまっていたのですが、僕自身の問題とともに、この訳書を脇に抱え、あらためてブランショを読みなおす機が熟しつつあるのを感じています。

ブランショの名前をはじめて聞いたという方に。

多様な輝きを発するまでになったひとつの思考を理解しようとするとき、ただ忍耐強くその言葉に耳を傾け、また自身も他の多くの声に耳を澄ます必要があるかもしれません。

ブランショの名前をすでに知っておられる方に。

言わずもがなのことですが、彼の著作のなかにすでに仄見えていた「政治的な」表情を真摯に受け止めましょう。適切な引用かどうかはわかりませんが、ブランショの言葉を。

「文学が政治的ないし社会的活動に真摯に結びつくことによっておのれの無償性を忘れさせようとする際、この参加は、離脱という形で成就される。そしてこの活動が文学となるのだ」

最後に、ここに、唐突に、「友愛」amitié という言葉を書きつけておきたいと思います。

ブランショの、つい先ごろやはり亡くなった哲学者ジャック・デリダの、そして『ブランショ政治論集 1958-1993』訳者のひとり、友人である彼の... さまざまな「友愛」。


Pst@フランス文学・思想
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ブランショ政治論集―1958‐1993
モーリス ブランショ Maurice Blanchot
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posted by cyberbloom at 11:02 | パリ ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 書評−文学・芸術・思想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする