ドイツのフランクフルト(Frankfurt)は、欧州中央銀行があるようにドイツの商業、金融の中心として有名だが、その歴史は対ゲルマン人(ドイツ人)の古代のローマ軍の駐屯地から始まった。フランク王国メロヴィング朝を開き、498年にはカトリック教に改宗したクローヴィス1世は500年頃アレマン族に戦いを挑み、マイン川の浅瀬を渡り、彼らをその地から追い出した。「フランク族の渡渉点」を意味するフランクフルトという地名は、その戦闘に由来する。フランクフルトは現在、ドイツ・ヘッセン州最大の都市。ドイツ最大のハブ空港があることから、旅行者にとってはドイツ、あるいはヨーロッパの玄関口となる。 フランクフルトで日本語教師をしていた友人によると、工業都市として日本企業が多く進出し、ドイツの中でも日本人が多く住む町のようだ。「アルプスの少女ハイジ」に出て来る裕福な商人の娘、クララはこの町に住んでいる設定になっている。
ところで、この町の出身の歴史的な有名人と言えば、文豪ゲーテである。さらに挙げるとすれば、ユダヤ人のロートシルト(ロスチャイルド)家だろう。日本でも江戸時代から続く財閥は両替商(当時は西日本、東日本で銀貨、金貨の流通通貨が異なっていた)出身が多いが、フランクフルトでヘッセン選帝侯と結びながら両替商、古銭商によって財を成したのがロスチャイルド家のマイヤー・アムシェル。そして彼の5人の息子がヨーロッパ各地の主要都市に支店を設け、現在のロスチャイルド家の基盤を築くことになる。ユダヤ人はユダヤ教を信仰し、住み着いた国に同化しようとせず、独自の文化や教育を堅持するので欧米では歴史的に反感を買ってきたが、金融や商業の分野では一目置かれる存在だった。
ロンドンに渡った三男のネイサン・ロスチャイルドは、ナポレオンが欧州を蹂躙する混乱期に金融取引で活躍し、各国に戦争の資金を融通した。ネイサンは産業革命の黎明期からマンチェスターの繊維産業に投資を始めていたが、ナポレオンの大陸封鎖令で乱高下する商品相場と、兄弟間のネットワークを利用して商品をさばいた。またナポレオン戦争の戦費調達に奔走するイギリスの背後で、敵のナポレオンの統治下のパリにいた五男ジェームスと手を組む。
ネイサン&ジェームス兄弟が自ら築いたネットワークを通して、ナポレオンがワーテルローの戦いで敗退したことをいち早く知った翌日、債権の取引で一斉に売りを仕掛けた。債券相場はナポレオンの勝利(=ロンドンの債権市場の暴落)、ナポレオンの敗北(=ロンドンの債券市場の高騰)という緊張状態にあり、ネイサン・ロスチャイルドはナポレオン情報に精通していることだけは知られていたので、彼が何か情報を得たに違いないと(つまりナポレオンが勝ったに違いないと)、みんな雪崩をうって売りに向かい、債券は大暴落。その裏でネイサンは紙くずに等しいほどの債券をこっそり買い集めたのだった。
翌日の新聞にはナポレオンの敗北のニュース。一転して債券は大暴騰した。その投機的な取引で巨額の利益を上げ、「ナポレオン戦争の真の勝者はロスチャイルド」と言われるようになる。その1日の情報格差で後の繁栄の礎を築いたのである。ネイサンの機転は債券暴騰につながる情報を得た際にまず売りから仕掛けたことにあるだろう。いきなり買いから始めたとしたら儲けはそれほどでもなかったはずだ。一旦債券を売りたたいて紙くず同然にしてから買い戻す。それによって天文学的な利益を手にしたのであった。
ネイサンがナポレオンの敗北の情報を得たのは伝書鳩によるという伝説もあるが、実際はオランダの新聞をロスチャイルド家の使者が英仏海峡をボートで渡ってネイサンに渡したようだ。今のような債券や株の価格の情報がデジタルネットワークを通してリアルタイムで共有される時代ではなく、情報格差が著しいがゆえに起こりえた歴史的インサイダー事件だ。とはいえ、当時は電信技術の黎明期で、ナポレオンはすでにパリを中心に軍事用としてテレグラフ網を敷いていた。それが産業用に活用されるのは19世紀半ばからである。また、フランス銀行や証券取引所を設立したこともナポレオンの大きな功績として知られている。
ところで、日本が日露戦争を仕掛ける際、膨大な戦費をまかなうため高橋是清が外貨建て国債を発行した。日本の国力に疑問を持つ向きが多い中で、ニューヨークの銀行家でユダヤ人のジェイコブ・シフが支援を申し出た。実はシフのバックにはロンドンのロスチャイルド家がいて、彼は日露戦争の勝利の影の立役者でもあった。ロスチャイルド家はその後、ロシアの油田をちゃっかり押さえたが、ロシア革命が起こり、撤退を余儀なくされている。
ようやくワインの話題に入るが、ボルドーの赤ワイン生産者として、最高の格付けを得ている「5大シャトー」と呼ばれるブドウ畑のうち、シャトー・ムートン・ロートシルトとシャトー・ラフィット・ロートシルトが、名前が表す通り、ロスチャイルド家の所有となっている。
ムートンの方は1853年にイギリスのネイサンの三男ナサニエルが取得。ムートンは1855年にワインの格付けで二級を取得し、同じく1855年に一級の格付けを取得したラフィットの方を1868年にフランスの叔父、ジェームズが買い取った。1855年の格付けではラフィットが1級の評価を得たとき、ムートンは2級に甘んじた。しかし、ナサニエルの曾孫のフィリップの努力により、1973年、異例の格付け見直しによりムートンも1級の地位を獲得する。 その後もフィリップとその一族は、カリフォルニアの「オーパス・ワン」、チリの「アルマヴィーヴァ」などのワインを手がけ、高い評価を得ている。こうしてみると、フランスの最高級ワインの経営に携わっているのは、ナポレオンを利用して儲けたロスチャイルド家の2人の兄弟の子孫であることがわかる。
「シャトー・ムートン」は有名なアーティストが手がけるラベルでも有名で、ボルドーワインの中でもコレクション・アイテムになっている。過去にラベルのデザインを任されたアーティストにはシャガール(1970)、ピカソ(1973)、アンディ・ウォーホル(1975)、キース・ヘリング(1988、写真)などがいる。
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オードレー・トトゥーが中性的な魅力を惜しみなくふりまいた『アメリー』は、フランス人によるフランス人のためのディテールに満ちた(ディテールだけでできた?)映画ではないだろうか。フランス人なら知っている仕掛けがさまざまあった中で、今はさえない中年男になってしまったブルトドーが、アメリーから返してもらった子供時代の宝箱のエピソードを憶えているだろうか。往年の自転車選手のブロマイドやベーゴマといった中身もさることながら、オレンジ色をした金属製の小さな小箱そのものが持ち主の記憶を掻きたてているはずだ。それはフランス北東部の都市、ナンシーの名産である
サントリーローヤルのCM「ランボー編」は、使われていた音楽とともに、当時の視聴者に強いインパクトを与えたようで、記憶に残るアーティスティックなCMとして挙げられることが多い。時代を象徴するようなCMだったのだ。このCMと一緒に思い出す、様々な事柄…。
パリのカフェやビストロだけでなく、日本でも色々なお店で活躍しているちょっとぷっくりとした白い食器が1826年設立の老舗メーカーが作っている「APILCO」。カフェ・レストラン・高級ホテル向けの食器で、フランス本国はもとより世界中で支持されているブランドです。 その優れた耐久性と収納性(スタッキングが可能)で業務用としてプロに愛されているだけでなく、シンプルなデザインやちょっとした温かみを持った食器は家でも使いたいな、と思う人も多いのではないでしょうか?こちらもオーブン、電子レンジ、食器洗浄器が使えるタフな食器です。
私が初めて出会ったフランスの食器はデュラレックスのタンブラーだと思います。業務用とはいえ、まずそのお洒落なデザインでしたから、雑貨好き少女?の私にとって、当時なんだか特別なグラスでした。(今ではごく当たり前ですけれど・・・)DURALEXは、1939年フランスの国営ガラス工場が強化ガラスのタンブラーを作ったのが始まり。民営化の後、今ではイタリアのガラスメーカー、ボルミオリ・ロッコ グループのブランドとして世界中に愛用されています。私は定番デザインのピカルディーの大きなタンブラーをアイスティーに愛用しています。強化ガラスなので熱い紅茶を注いでも安心です。
プジョーといえば、ライオン・エンブレムの自動車をまず思い浮かべる。日本でもずいぶん見かけるようになった。しかし、プジョーはそれだけではない。シェフや料理好きのあいだでプジョーはペッパーミルの会社でもある。プジョー製のペッパーミルは一種の芸術品として160年ものあいだ愛用されてきた。1882年に第一号が生産された自動車よりもペッパーミルのほうがはるかに歴史が古い。
マルセイユと言えば、サッカー選手のジダンの故郷だったり、人気映画の「タクシー」シリーズの舞台だったり、今やパリ以上に注目されている街だ。このマルセイユで生まれたアイ・ウエア(眼鏡)のデザインメーカーがある。Eye'DCだ。とりわけ独創的なフォルムが目を惹く。

フランスのワインではなく、フランスとゆかりの深い日本酒の話をひとつ。
去年の12月我が家の愛車が壊れた。10年来乗り続けたので、愛着はあったのだが、さすがにこれは寿命だという結論に至った。それからというもの、我が家は後継車選びに東奔西走している。日産、トヨタ、マツダ等の後継車上位候補のメーカーの販売店に父親と足を運んでいたとき、ふと思い出したのがこのブログのことである。せっかくの機会だと思うとフランス車を見てみたくなった。
ソレックス、と聞いて、あれだなって思い浮かぶ方は、フランスのとある街で軽快に走り抜けていくそのシルエットを見送ったことがあるか、フランス映画にしばしば「脇役」として登場するその姿を好ましく思っている方でしょう。
一時期、野郎3人で神戸と大阪のケーキ屋巡りをしていた過去を持つ甘党の私にとって、パリの幸せな場所のひとつだった、ジェラール・ミュロ。店の前を通るときはいつも、子供のように色とりどりのケーキが並ぶショーウインドウに魅入ったものだった。クリスマス(Noël)の時期にはビュッシュ・ド・ノエル(bûche de Noël)が、復活祭(Pâques)にはチョコレートの卵が、公現祭(Epiphanie)には、陶製の人形が入ったパイ、ガレット・デ・ロワ(galette des Rois)が並んだ。店の奥に小さなカウンターがあり、コーヒーも出してくれるので、そこでケーキの他にサンドイッチなんかをよく食べた。
数年前、通販のカタログをパラパラめくっていたら、風変わりなバッグが目に飛び込んできた。形自体はふつうだけど、どう見てもおじさんとおばさんの顔が一面にプリントされているそのバッグ‥思わず申し込んでしまいました。
パリのカフェの写真があるとすると、テーブルの上には、十中八九、緑のボトルの炭酸水がさりげなく置かれているはず。80年代のカフェバー・ブームの際には、ペリエはお洒落な飲み物として脚光を浴び、日本人が始めて水に対して金を払ったと言われた。
フランスの国会議員のオフィシャル・バッグとして日本でも知名度が上がってきた「ル・タヌア」。日本では英語読みしているみたい。

カフェオレボウル、写真も素敵、内容もかわいい!
今回はプレミアものの、ミネラル・ウォーターの紹介。その名もCHATELDON−シャテルドン。何か怪獣のような名前だが、ルイ14世の寵愛を受け、「太陽王の水」と言う異名を持つ。「水のドンペリ」と呼ぶ人もいる。シャテルドンはフランス中部オーベルニュにある













