2008年07月29日

「ぼくの伯父さんの休暇」 -映画の中の夏休み(2)

ぼくの伯父さんの休暇先回、「映画の中の夏休み」と題し、エリック・ロメールの「獅子座」を紹介した。
そこでは、今ひとつぱっとしない雰囲気の中年男のある夏の物語が描かれていたが、今回も、やはり中年、というより初老の男性のサマー・ストーリーである。

映画は、ヴァカンスの始まり(いざ海辺へ!)から、その終わりまでを描く。
特に物語らしきものはない、コメディー映画である。

とはいえ、そのユーモアはモンティ・パイソンなどに代表される英国人のブラックな「笑い」とも、ウッディ・アレンの映画で描かれるアメリカ東海岸のスノッブな「笑い」とも確実に異なる独特のものだ。

それは、実にゆったりとした「笑い」であり、爆笑が起こるような「笑い」では決してない。
否定的に語るならば「のろくて退屈な映画」と形容することもできるだろう。

しかし、その緩慢なリズムのなか、主人公ユロ氏のパントマイムを思わせる機械的な身振りは、おかしい。

ビーチで、数年前に日本でもかすかに流行したトルコアイスらしきものがねりねりと作られる。
ねりねりとしたトルコアイスはねりねりと延び、砂の上に落ちてしまいそうだ。
ユロ氏は、それが気になって仕方がない。
そこで機械的な動きで、トルコアイスがねりねりと落下してしまうの
を、なんとか阻止しようとする。

そこがおかしいのである。
言葉にしてもおかしくはないが、それは筆者の文才の欠如に由来することで、映画とは無関係だと考えていただきたい。

またユロ氏がなかなか紳士であるところも良い。
中年、或は初老の男性、というと人はそれぞれイメージするところのものがあるだろう。
しかし、このユロ氏は、おそらく多くの人の中年像を覆すのではないかと思われる。

それは、あらゆる文脈から逸脱しており、それが「笑い」を生むわけだ。

ひょっとすると、次回最終回を迎えるTBSのドラマ「パパと娘の7日間」の中の館ひろしの仕草に、くすっと笑ってしまうような感覚に近いかもしれない。
もちろん、映画にはテレビドラマの中のようにはっきりとしたドラマは不在ではあるが。

大笑いしたいという気分の時に観る映画ではない。
しかし、くすっと笑いたいときや、緩慢に時間を過ごしたいときには
うってつけの映画である。

映画は、ヴァカンスの終わりと共に結末を迎えるが、そこには夏休みが終わるときに感じる独特の切なさがある。
そうした切なさを、子供が主人公の映画ではなく、初老の男性を主人公とした映画で描いていることが、この映画のオリジナリティーの高さかもしれない。

ちなみにサウンドトラックも、お洒落である。


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2008年07月24日

「獅子座」-映画の中の夏休み(1)

獅子座 [DVD]数年前、「動物占い」なるものが一世を風靡した。
しかし、わざわざ生年月日や性別を材料に、新たに自分を動物に当てはめなくても、人は誰しもある動物と運命を分かち合っている。
東洋人たる我々にとって、自らの生まれた年の干支から逃れることはできない。
さらに星座。
こちらは血液型と同じく、恋人を、さらには生涯の伴侶を選択する上でも決して無視することのできない重要な指標の一つである。

さそり座の星の下に生まれ落ちた者は、その星の支配圏から逃れ出ることはできない。
たとえ、あなたの性格が草食動物のように穏やかなものであっても。
おとめ座の星の下に生まれ落ちた者は、その星の支配圏から逃れ出ることはできない。
たとえ、あなたが格闘家のような強さを備えていたとしても。

というわけで、星座とは時に残酷に、時に優しく人に微笑む。
エリック・ロメールの「獅子座」もそういう映画である。

映画の主人公は「獅子座」の中年男。
さえない感じで、いささかメタボリックだ。
獅子然とした雰囲気は、当然、皆無である。

舞台は、夏のパリ。
ヴァカンス中のパリである。

8月2日、40歳を目前とした主人公は一通の電報を受け取る。
伯母の遺産が相続できることになったらしい。

ところが、その相続の話、水泡に帰し、主人公は金策に迫られ、人気のないパリを彷徨うことになる。

エリック・ロメールの処女長編。
理屈っぽい話を長々と続けるロメール映画の登場人物が苦手という人にも、この映画は受け入れられるのではないだろうか。

他人の不幸の話は、常に笑いを誘うものであるが、この映画も実に独特のユーモアを備えている。
やれやれといった感じで、主人公は次第にみずぼらしくなっていくが、悲壮感はなく、むしろ滑稽である。
そして最後には、予期せぬ結末が見る者を驚かせるだろう。

8月2日から8月22日までの20日間。
獅子座の男は、緩慢ではあるが確実に運気に翻弄される。

1959年のフランス映画。
さえない中年男を主人公にしながら、映像はとてもみずみずしい。


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2008年06月19日

大いなる休暇 LA GRANDE SEDUCTION

大いなる休暇これはフランス映画ではなくカナダ映画なのですが、言語がフランス語なので…。

とある高齢者だらけのほんわかした離れ小島。
みんな支給で生活してるんだけど、もうそろそろそれも底をつき、
とうとうケベック州が打ち切りを出してきた!

高齢とは言え、気が若いみんなは大慌て。
打ち切り撤回の条件は、その島にお医者さんを1ヶ月定住させること。

そんな島に、一人の「何か人生バカンスだよね」な若医者がやってくることになった。
島のみんなは大喜び!でも、彼を定住させるには…

みんな、おじいちゃんおばあちゃんが孫を喜ばせようとしてやったことって、
たいてい す べ る よ ね 。 かわいいけどね。
そうです、スベりまくりです。でもみんな必死なのです。
お医者さんがいてくれるためなら、つまんないクリケットだって実践!観戦!
盗聴器を仕掛けてでも、釣り針に魚を仕込んででも気に入ってもらうため大奮闘。

そしたら今度はケベック州から「島民200人を越えなければ打ち切り」、
とか言われるの。

島民がちょっとしかいないからみんな大慌て。
大慌て…な中、「なんだかいい島だなぁ」とほのぼのするお医者さん。

島をあげての大嘘大会、仲良くなったらうそなんてつきたくない。
さて、その結末は…。


□「大いなる休暇」(予告編 en francais)
□公式サイト「大いなる休暇



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2008年05月16日

「恋愛睡眠のすすめ」

映画のなかでは、夢の世界の表現はさまざまなかたちで行われてきましたが、最近観たミシェル・ゴンドリーの「恋愛睡眠のすすめ」は、そのなかでもかなりユニークな作品でした。




メキシコから母親(ミュウ=ミュウ)の住むパリへやってきたステファン(ガエル・ガルシア・ベルナル)は、ときどき夢と現実の区別がつかなくなる青年。母親が大家をしているアパルトマンに落ち着き、これまた母親が探してきた職場で、つまらぬ仕事を始めた彼は、隣に越してきたステファニー(シャルロット・ゲンズブール)が次第に気になり、夢の世界で彼女との恋を楽しむが、現実ではそううまくいかない・・


シックなパリの街並、いかにもパリジャンたちの生活に登場しそうなアパルトマンやカフェの映像と交互に描かれるステファンの夢は、ダンボール、色紙、セロファン、布や毛糸などを用いた「手作り」感あふれる装飾にかこまれた世界。それらがアニメーションで動くなかを、ヒーローとなったステファンが繰り広げるドラマチックな恋愛劇がとても楽しい。

しかしながら、正直言ってこの映画は万人におすすめできるものではありません。ステファンの夢はとりとめなく続く、しだいに現実との境界があいまいになってよくわからなくなる、だらだらした物語の先がまったく読めない、そしてステファンその人の性格がウジウジして情けない。これはガエル・ガルシア・ベルナルが演じているからキュートに見えるのであって、実際にこんな人がいたらアブナすぎる・・ 好きな人と嫌いな人とにはっきりと分かれる作品だと思います。最初このウダウダ感に戸惑ったものの、もともと脱力系が好きなものですから、私は結構面白く観ました。

ガエル&シャルロット、というありそうでなかったキャスティングもナイスで、とにかく2人が楽しそうに演じているのが、観ていて気持ちがよかったです。やたらエロトークを連発する上司役のアラン・シャバをはじめ、彼らをとりまく一風変わった人々もいい味出してました。

監督のミシェル・ゴンドリーは、もともとビヨークなどのミュージック・ヴィデオを手がけ、映画監督としては、これまで「ヒューマン・ネイチュア」や「エターナル・サンシャイン」などヘンテコでユーモアあふれる映画をハリウッドで発表してきました。今回母国フランスへ戻って制作した「恋愛睡眠・・」は、前2作品をさらに純化させ、コンパクトにしたような作品で、いろいろなアイディアを好き放題に詰め込んだという感じです。それを象徴するのがステファンのさまざまな珍発明で、極めつけは「1秒タイムマシン」。名前の通り1秒だけ未来と過去に移動できる、というものでその実際の効果はぜひ映画でご覧ください。


MTV畑出身ということもあるのか、サウンドトラックも秀逸で、映像と音楽が重なるシーンはどれも見事にマッチしていました。ステファンが夢のなかでステファニーに捧げる曲も、彼の着ぐるみ姿ともどもチャーミングで好きなシーンのひとつです。


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2008年04月18日

「パリ、ジュテーム」、私も見ました

オスマンは19世紀半ば、大規模な都市改造で混沌としたパリを一望監視できる均質な空間に変貌させることに成功した。相変わらずパリは歴史的モニュメントが絶妙に配置された小さな箱庭のように見える。また、高級住宅街、労働者街、ゲイの街、学生街、中華街など、それぞれの区は昔ながらの色を保持しているように見えるが、今やその中をかつてありえなかった様々な人々が行き来し、そこで生まれる多様な関係性が、パリを近代とは別の次元へと導いている。



「パリ、ジュテーム」は18の作品が相乗りするオムニバス形式で構成されているが、そういうパリを多面的にうまく捉えている。最後にそれを結びつける仕掛けも用意されている。

■5区、セーヌ河岸
イスラム女性の口から語られることに青年は新鮮な驚きを覚える。ジーンズをはき、へジャブ(スカーフ)をかぶる今風のイスラム女性だが、これほどミステリアスな存在はない。彼女たちがどのように現代の神なき資本主義社会と折り合いをつけているのか、非常に気になるところだが、青年や彼の友達のように、常に男性の支配下にあり、強制的にヘジャブを被らされているという偏見を抱きがちだ。また彼女たちは常に慎ましく、何よりも「語る主体」ではないと思いがちだ。しかし、彼女はヘジャブついて次のように力強く語る。美しさの定義についても。

Si je veux être jolie, c'est pour moi. Quand je les(=hijjab) porte, j'ai un sentiment d'avoir une foi, une identité. Je me sens bien, et je pense que c’est ça, la beauté…

それにしても主人公の爽やかな好青年ぶりと、女性の美しさと芯の強さが、ちょっと出来すぎかなという印象を与える。どちらかというとこの先の展開が重要だろう。このテーマで1時間半とか2時間の映画が撮れるだろうか。

■10区、フォブール・サン・ドニ
「パリ、ジュテーム」の各監督の持ち時間は5分。そこで、どのように濃密な5分を演出するかが問題になる。ひとつの方法として時間を早回しにする、時間の速度を上げるという方法が考えられる。ちょうど死ぬ間際に見るという人生の走馬灯のように。あるいはハードなドラッグをやったときのイメージの怒涛の湧出のように(ケミカルに起こっていることは前者も後者も同じなのだろうが)。これを映画でやる場合、巧みに速度を操作しつつ、同時に個々のイメージをいかに鮮烈に紡ぎだすかが腕の見せどころになるだろうか。

Tu as été admise bien sûr. T'as quitté Boston pour démenager à Paris. Un petit apartement dans la rue de la faubourg de Saint Denis. Je t'ai montré mon quartier, mon bar, mon école. Je t'ai présenté à mes amis, aux parents. Tu m'écoutais les texts que tu répétais, tes chants, tes espoirs, tes désirs, ta musique…

あまりの衝撃に急停止してしまったトマの感情に反して、本能が無理やり駆動させているかような高速のフラシュバック(このモノローグは、複合過去と半過去のオンパレードなので、早速起こして授業で使ってみた)。ごめん、フランシーヌ…これは目が見えないことの負い目と読むべきなのか。それにしても、シャレがきついよ、フランシーヌ。

この作品を撮ったのはトム・ティクヴァ。映像のスピード感が新鮮で、当時「バンディッツ」(これもロケンロールなお薦め映画)とともに、「ドイツもやるな」と思ったポップな映画「ラン・ローラ・ラン」の監督だったことを思い出し、納得。

■12区、バスティーユ
まさか、赤いコートのポスターがこんな話だとは思わなかった。夫は妻の特異性に惹かれた。変な女は妙に気になるのだ。女の妙な仕草や癖は思い切りツボにはまり、離れられなくなる。最初それが最も許せない部分であったなら、なおさらのことだ。それは理屈ではない。死の病はきっかけでしかなかった。それにハマってしまったら、美しくて若い客室乗務員の愛人さえ問題にならないのだ。

女の好きな小説はハルキ・ムラカミ(それも「スプートニクの恋人」)、好きなブランドはアニエス・べー。それもバーゲンで買う。つまり、赤いコートはアニエス・べーで、こういう外見に無頓着な女が、何とかのひとつ覚えで着るようなブランドになってしまったのね。

妻は自分ではデザートを注文しないのに、夫の分を食べてしまう。それで夫は妻の好みのデザートを注文するようになり、自分の好みがわからなくなってしまった。デザートに何を選ぶかというのはフランス人でなくとも、アイデンティティーを賭けた重要な選択なのだ。個人的にもこういう苦々しい思いを知らないわけではない。そう、それは十分に離婚の理由になりえるのだ。

また別れを決めるときのように、感情が絶対的に高まっているときは、どちらの方向にも簡単に振れやすい。感情は容易く反転する。憎しみや嫌悪、愛情や親密さ。対立し、矛盾する感情も結局は絶対値で計られる。別れ話をするつもりで会ったのに、なぜかそこで結婚を決めてしまったという友人の話を思い出した。

こういう男の哀愁が身にしみる歳になってしまった。バックに流れる音楽も哀愁たっぷりだ。日本だと寺尾聡の「ルビーの指輪」(古い!)なんかが流れてきそう。

■14区
アメリカのデンバーで郵便配達をしている中年女性のパリの一人旅。ひどい英語なまりの簡素なフランス語がいい味を出している。それが幻想にすぎないにしても、パリは今も多くの人々にとって憧れの場所なのだ。しかしパリに行っても自分が変わるわけでもないし、パリはパリで自分とは全く関係のない街なのだ。その現実がもたらす絶対的な断絶と孤独が、深い部分まで自分を省みる時間を与えてくれる。デンバーで郵便配達をしている日常からは決して見えない自分が見えるのだ。この断絶感と表裏一体の幸福感は個人的にも覚えがあるし、多くの人の共感を呼ぶに違いない。

それにしても、昔は英語で話しかけると相手にしてくれなかったパリの人たちも、今は英語で親切に道を教えてくれる。フランス語を使ってみたくてしょうがないのに、話させてくれないのだ。

■最もスタイリッシュで、映像として気に入ったのが、アメリカ人女優とヤクの売人のストーリー、オリビエ・アサイヤスの「3区、デ・ザンファン・ルージュ地区」(写真、上)。ラリったマギー・ギレンホールがいい。パントマイム(ベレー帽とボーダーシャツというスタイル)のオジさんの、時代に取り残された寒い笑いで押しまくる「7区、エッフェル塔」。「こんなヘンテコリンなやつらと一緒にするなー」という叫びが切実で、寒い笑いが恐怖にまで突き抜ける。パントマイムはもともとコミュニケーションのちょっとしたズレを笑いにしていたのだと思うが、ここではコミュニケーションが完全にブレークダウンしている。開店したころに個人的によく行ったカフェ「ル・ロスタン」(リュクサンブール公園に面する)が舞台の「6区、カルチエ・ラタン」。ジェラール・ドパルデューがギャルソンを演じる。日本から参加した諏訪敦彦監督(マルグリット・デュラスのリメイク「H STORY」で知られる)の「2区、ヴィクトワール広場」。この映画のアイデアは監督の息子との会話の中から生まれたという。彼にはヴィクトワール広場のルイ14世の騎馬像がカウボーイにしか見えなかったらしい。小さい息子がいて、よくこんな映画撮れるよなあ。私にはあまりにリアルすぎて直視できなかった。


cyberbloom


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2008年04月07日

「パリ、ジュテーム」 Paris, je t'aime

parisjetaime7.jpg気鋭の監督たちがパリを舞台にして制作した18本の短編映画から成り、昨年のカンヌ映画祭でも話題を呼んだ「パリ、ジュテーム」。


タイトルからもわかるように、パリの街角で繰り広げられる「愛」の物語がテーマになっていますが、それは恋愛に限らず、親子の愛であったり、さらには街そのものへの愛であったりして、いろいろな「愛」のかたちが描かれ、登場する人々もそこに暮らす人々だけでなく、旅行者、移民、留学生などさまざまです。背景に登場するパリの姿も変化に富んでいて、場所や時間帯でこうも違うものかとあらためてこの街の奥の深さを実感します。


ジュリエット・ビノシュ、リュディヴィーヌ・サニエ、ファニー・アルダン、監督も務めたジェラール・ドパルデューといったフランスの俳優たち、さらにはウィレム・デフォー、ニック・ノルティ、イライジャ・ウッド、ジーナ・ローランズといったハリウッドの有名俳優たちなど、豪華な出演陣も魅力のひとつとなっています。


parisjetaime4.jpgこのオムニバス映画には、フランスはもちろんのこと世界の若手〜中堅どころの監督たちが参加しており、日本でもおなじみの名前も多く見られます。1人あたり約5分という少ない持ち時間ながら、彼らそれぞれの持ち味を発揮した作品がそろっています。移民の少女の現実を淡々と追うウォルター・サレス(「モーターサイクル・ダイアリーズ」の監督)とダニエラ・トマスによる「16区から遠く離れて」、何だかよくわからないがオリエンタルなムードいっぱいのクリストファー・ドイル(ウォン・カーウァイ作品の撮影で有名)の「ショワジー門」、夜の街に突如出現する吸血鬼を描いたヴィンチェンゾ・ナタリ(「CUBE」の監督)の「マドレーヌ界隈」などがその好例といえるでしょう。


日本からは諏訪敦彦監督が参加していて、幼い子供を亡くした母親を扱った彼の作品「ヴィクトワール広場」は、母親役のジュリエット・ビノシュの熱演と美しい夜のヴィクトワール広場の光景、そして物語の意外な展開も含めて、全体の中でも印象深い1本です。


parisjetaime6.jpg個人的に好きだったのは、やはりもともと好きな監督のものが多いのですが、不幸な目に遭う旅行者(演じるのはそういう役がぴったりのスティーヴ・ブシェミ)を皮肉たっぷりに描くコーエン兄弟の「チュイルリー」、「ハンニバル」のギャスパー・ウリエルと「エレファント」のイライアス・マッコネルといううっとりとするような美貌の青年たちの運命の出会いを描いたガス・ヴァン・サントの「マレ地区」、スピード感あふれる凝縮された映像に女優志望の少女(ナタリー・ポートマン)と盲目の青年(メルキオール・ベスロン)の美しいカップルが映える、トム・ティクヴァ(「ラン・ローラ・ラン」の監督)の「フォブール・サン・ドニ」などです。


そして、のほほんとした空気の中に乾いたペーソスが漂うアレクサンダー・ペイン(「サイドウェイ」の監督)の「14区」は、彼らしい気負いのない「パリ讃歌」で、最後にふさわしい作品といえるでしょう。英語なまりのきついフランス語で語られるアメリカ人女性のパリ滞在記は、どうということもないのに、じーんとさせる内容で、いいところもあれば悪いところもあるけれども、また訪れてみたい、と思わせるこの街の魅力をじゅうぶんに伝えてくれています。


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2008年02月06日

「ナイト・オン・ザ・プラネット」パリ編

ナイト・オン・ザ・プラネット世界の5つの都市を走るタクシードライバーをそれぞれ主人公にしたオムニバス映画、「ナイト・オン・ザ・プラネット」。そのパリ編は、パリが舞台で、フランス語を媒介にしているが、いわゆる伝統的なフランス映画として期待されるような映画ではない。非フランス人監督、ジム・ジャームッシュが撮った、パリのマイノリティーの映画である(注:これから先はネタばらしになるので、映画をご覧になてからお読みになることをお勧めします)

タクシーはパリのチャイナタウン、ベルヴィルのあたりを走っていて、黒人の運転手が乗せているのは同じアフリカ出身者たちである。乗客はカメルーン大使に面会するような VIP だと自慢し、運転手を「兄弟」と呼びながらコートジボワール出身と聞いてバカにする。そのときに言うシャレが、”C’est un ivoirien ! (こいつはコートジボワール人だ!) Y voit rien ! (何も見えない!)”である(つまり「イヴォワリヤン」という音が重なるわけだが、これを字幕で理解するのは難しい)。このシャレがストーリーに通底するテーマになっており、最後のオチにもつながっている。

「兄弟たち」は自分の出自に誇りと劣等感がないまぜになったアンビヴァレントな感情を抱いている。同じアフリカ出身でも出身や立場で多様なアイデンティティーが構成されているのがわかる。ブチ切れた運転手は騒々しい「兄弟たち」をタクシーから追い出したあと、「あの客は面倒がなさそうだ」と言って、盲目の女を乗せる。ここで生じている関係を図式的に表すならば、「移民/健常者/男」「フランス人/障害者/女」となる。この複雑なアイデンティティーの絡み合いが、20分足らずの物語に奥行きを与えている。

ところで「コートジヴォワール人は目が見えない」というシャレは「見ているけれど見えていない」ということを示唆している。運転手は彼女の日常生活について「知らないから聞いているんだ」と真摯な態度で接してはいるが、彼女の方は障害者にぶつけられる偏見に満ちた質問にいらだっている。自分が感じ、考えているのと同じように、相手も感じ、考えているだろう。運転手の語りかけは常に健常者からの視点から出ており、同時にそれが保証される返答を期待している。つまりは障害者は哀れみを受ける対象だという前提に立ち、さらに悪いことは、それが善意の証だと思っていることだ。おそらく運転手も移民として、同じような立場に立たされたことがあるはずだ。しかし、そういう自分が「見えない」のだ。

しかし、彼女の答えは運転手の期待を裏切るものばかりで、ふたりのあいだにはコミュニケーション不全が起き、それが独特の緊張感とユーモアを醸し出している。彼女は哀れみや施しを受けることを断固拒否し、目が見えない代わりに別の能力を発達させてしたたかに生きている。そして運転手の方も、何度も拒絶され、傷つくことで、ようやく他者の輪郭を掴み始めるのだ。

同作品の NY 編も興味深い。マイホームのあるダウンタウンに帰ろうとしてタクシーを拾おうとするが、ことごとく乗車拒否される黒人の男、ヨーヨー。乗車拒否の理由は、行き先が黒人の多く住むブルックリンだからだ。ようやく捕まえたタクシーは旧東ドイツのドレスデンからニューヨークに着たばかりのヘルムートが運転している。ヘルムートの英語はタクシーの運転と同様におぼつかなく、すぐにドイツ語が混ざってしまう。またヨーヨーが連発する、cool、fresh などの今風の言い方を理解できないでいる。ドイツ語/英語/黒人の話すスラングという多言語的状況が引き起こすディスコミュニケーションが微笑ましい。

「パリ編」で話されるフランス語は美しくないかもしれないが、フランス語が話される場のリアリティーを生々しく感じさせてくれる。それは教科書による文法の学習の延長線上にイメージされる透明な道具という言語観からは決して見えてこないものだ。よくフランス語は美しい言語と言われるが、そもそも、ある言語を美しいと言うことほどいかがわしいことはない。言葉はそれを使う様々な人々の手垢にまみれ、変質していく。また言葉が感度を高め、しなやかさを増していくのは、様々なディスコミュニケーションを契機にしていることを忘れてはいけない。

ウィノナ・ライダーが粋なお姉ちゃんを演じるロサンゼルス編、ロベルト・ベニーニが下ネタを炸裂させるローマ編も面白い。バックに流れる音楽は、同じモチーフを使いながら、NY 編はジャズ風、パリ編はミュゼット風、LA 編はヘヴィーメタル風にアレンジされている。


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2008年01月29日

その後のGolden Marie - シモーヌ・シニョレ -

DVD発売のおかげで久しぶりに見る事ができた映画『影の軍隊』。圧倒され、沈黙してしまったのはこれまでと同じでしたが、新たな「発見」もありました。女性活動家を演じたシモーヌ・シニョレが何とも魅力的なのです。
 
影の軍隊 [DVD]シニョレが演じたのは、ハイティーンの娘を持つ母親でありながら、家族に知らせずにレジスタンス活動に身を投じた中年女性、マチルド。活動グループの中心的存在として実績を積んできた「驚くべき女性」で仲間からもマダムと呼ばれ一目置かれる存在。しかしその外見はいわゆる女闘士とはほど遠い。細い脚とは対照的な、がっしりと厚みのある上半身。年輪が刻まれた顔。結婚指輪だけが光る、よく働いた手。ソックスを履くような地味で慎ましい服装。無線機を隠した買物用のバッグにカモフラージュのための薪を詰めてアジトを後にする姿は平凡な主婦そのもの。「ジャック・ベッケルの映画”Casque d’or”で匂い立つようなGolden Marieを演じた、あのシニョレもこうなるのか」という感慨がまずあったのは否めません。
 
しかしそれなりの年月を経て再び接したシニョレについての印象は、あきれるほど大きく変わりました。すっくと立った姿勢。無駄のない所作。年期の入った煙草を吸う仕草。お洒落を感じさせるアイテムはゼロに等しいのに、女性らしさと気品を失わない着こなしの良さ。変装して厚化粧の商売女に化ける短いカットでのあだっぽさ(板についている、という点がマチルドという女性の過去をちょっと連想させもします)。こういっちゃ何ですがいちいちが実に「カッコよい」のです。
 
そして極め付きは深みのある瞳の表情。もともと大きな瞳の持ち主ですが、相手をじっと見つめる淡い青のまなざしが、口にする事のできない思いを雄弁に語ります。アクターズスタジオ的ないかにもの演技が大嫌いと公言するメルヴィル監督の、抑制されたミニマムな演出の成果とも言えるのかもしれませんが、この瞳なくしてはこの映画の魅力は半減していたといっても過言ではありません。
 
若いとはいえなくなってからのシニョレの魅力を貫禄、姉御肌と称すひともいますが、個人的にはちょっと違う感じがします。清濁併せ飲む凄みというより、曲折を経てなお残った清々しさとでもいいましょうか。
 
左翼的な映画人であり続け、アルジェリア戦争への発言で夫イヴ・モンタンと共にフランス芸能界から閉め出され、アメリカでの生活を余儀なくされた時代もありました。モンタンとマリリン・モンローの不倫関係に傷つき自殺未遂を起こした過去も。亡くなるまで保ち続けた「発言する女優」のスタンスも、数カ国語をこなす国際派女優でもあった彼女のキャリアに常にプラスに働いたとは言い難いところがあります。しかしそんなあれこれを「私は私」とくぐり抜けてきた人生の姿勢が、女優シモーヌ・シニョレの魅力をつくる助けとなったのではないか、とも思います。
 
豊かな金髪を結い上げ「ルーベンスの絵から抜け出たような」はちきれんばかりの女性美を体現していたGolden Marie としてのシニョレは歳月を経て失われました。しかし、時を刻み変容したシニョレでなければ、平穏な人生を捨て敢えて活動を選んだ、きびしさを抱いた中年女性を造形することはできなかった。過去のイメージを遠くはなれて手にした「美しさ」に、この映画を通じてぜひ触れて頂ければと思います。



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2007年12月13日

クリスマスのための映画 「パリのレストラン」

petitmarguery01.jpg舞台はパリのある有名レストラン。その名も Au Petit Marguery (映画の原タイトル)。フランス国内はもとより、外国からも食べに大勢の客がやってくる。名物は magret de canard (鴨の胸肉)。しかし、レストランは今夜限りで店を閉めてしまう。その最後の晩餐に常連客たちが名残を惜しむために集まってくる。

常連客のあいだには様々な人間模様がある。元カレと対面したり、シャレにならない不倫関係があったり、シェフにも浮気の経験があったり、色恋沙汰も入り乱れる。ホームレスもまぎれこんでいる。「フランス流の一気飲み」(今やアルハラだが)や、ワインの銘柄を当て、そのあとワインの薀蓄を語る余興もある。また兵役逃れのエピソードや68年の五月革命の回想シーンもあり、フランス社会や歴史もしっかり反映されている。

レストランの最後の日は雪の降る寒い日だった。雪が降り始めるシーンに、鴨の胸肉がジュウジュウ焼ける音が重なる。外が寒い分だけ、暖かい屋内にいることの幸福感が際立つ。そして何よりも暖かい食べ物。今はそういう季節だ。

何よりも料理がおいしそう。鴨の胸肉、蛙、仔牛の胸腺、仔羊の腿肉、手長海老、エスカルゴ、フォワグラ…。フランス料理は気取って食べるイメージが強いが、登場人物たちは子供のように料理をむさぼり、そろってお行儀が悪い。しかし料理を口にしたときの恍惚の表情は何ともうらやましい。

スキンヘッドのお兄ちゃん、アガメムノンは解剖した後の死体をバラす仕事をしていて、死体の匂いが身体に染み付いている。日常生活では忘れがちだが、肉を食べることは死体を食べることだ。胎児や堕胎の話も出てくる。自分の肉と食べる肉は同じ肉。肉と肉体の連続性が折にふれて暗示される。キリスト教的にワインと血のイメージが重ねられるシーンもある。この映画でレストランの閉店はそのまま死を意味している。閉店の瞬間に向けて、寂しさと虚しさがいっそう募っていく。食の快楽はいつも死と隣りあわせなのだ。

イヤミな大学教授も登場する。専門は言語学(意味論)。自分が世間ずれしていることに気がつかないという普遍的な大学教師像だが、一緒に見たフランス人は腹をかかえ、椅子から転げ落ちて笑っていた。レストランで女主人の発言に対して逐一揚げ足をとり、専門的な知識をひけらかす。例えば、こんなやりとりがある。

Le Linguiste: Eh, bien…je prendrais un autre chateaubriand s’il vous plaît.
Joséphine: Un autre?
Le Linguiste: Il m’est déjà arrivé de nombreuses reprises de manger du chateaubriand. Celui-ci sera nécessairement un autre, n’est-ce pas?
Joséphine: Certes…
Le Linguiste: Il n’y a qu’enfant, jadis, que j’eusse pu prononcer: “je prendrais un chateaubriand”. La premiere fois. Par la suite, euh, tous les autres sont , d’autres chateaubriands.

※AUTREの使い方を厳密に説明している。例えば、コーヒーの1杯目は un café だが、おかわりは un autre café となる。しかし、厳密には、生まれて初めて飲んだカフェだけが、un café と言え、それ以降飲むカフェはすべて un autre café となるわけだ。

この映画の原作は小説で、小説家が自分の作品を映画化したもの。この映画は以前シナリオを起こして教材に使っていたが、最近はこういう人間味あふれるしみじみしたストーリーは学生にめっきりウケが悪くなってしまった。ひとつは登場人物が多く、人間関係が錯綜しているからだろう。それに加えて回想シーンも多く、時間軸も頻繁に動く。登場人物に対して説明が加えられるわけでもなく、映像と会話によって判断しなければならない。かつての映画の文法では当たり前で、それを読み解くのが何にも優るテクストの快楽だったのだが、若い人たちにはあまり通じなくなってきている。ゲームのように最初から固定したキャラと役割と行動パターンが決まっていないと楽しめないのだろうか。

□Youtube でこの映画の食事のシーンを発見!思わずよだれが出そう。


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2007年12月04日

エコール -Innocence-

innocence01.jpgソフィア・コッポラ監督が『ヴァージン・スーサイズ』において描いたのは、豊かな社会にいる少女のぼんやりとした憂鬱だった。アメリカ郊外の住宅地に住む5人姉妹。レコードだってドレスだってパルファムだって何だって持ってる。だけど、なぜか、自暴自棄になってしまう。何かに対して苛立ってしまう。ついには死を選び、少女のまま完結する…。

同じく「少女」をテーマにしながら、また違った世界を見せているのが、日本では2006年に公開された『エコール』だ。監督はルシール・アザリロヴィックで、本作が『ミミ』に続いて2つめの作品となる。制作国はフランス、ベルギー、イギリス。全編フランス語。

原題が『Innocence』であるように、この作品は純粋な少女性をとらえようとしている。ストーリーの舞台となる環境が、まず特殊だ。深い森の中に、高い塀に囲まれた学校と屋敷がある。6歳から12歳までの少女たちが、そこでバレエと自然の生態だけを学びながら暮らしている。大人は2人の教師と屋敷の使用人だけで、全員が女性。つまり、男性がひとりもおらず外界から完全に遮断された空間のなかで、少女たちが成長していくという、ファンタジーでありながらもミステリアスな物語なのだ。

6歳のイリスが棺に入れられ運ばれてきて、この不思議な世界にデビューすることから話は始まる。しかし、なぜ彼女が選ばれたのか、説明はなされない。それだけではなく、何のために「学校」は作られたのか、「卒業」すればどこへ行くのかも、謎のままである。ただ物語が淡々と進んでいく中で、観客は少しずつ「制度」について知ることとなるが、明確な解答は最後まで得られない。「服従こそが幸せの道」と教えられ、イリスが仕方なく適応していくのと同じように、私たち観客も世界への「適応」を余儀なくされる。不思議な空間での日常がそこにある。戸惑う人もいるかもしれないが、ルシール監督は来日した際のインタビュー*で「私はこの映画について多くを述べたくありません。理屈で突き詰めるよりも、ひたすら感じてほしい映画なんです。」と語っているから、ぜひそういうスタンスで観てもらいたい。

ecole2.jpgストーリーもさることながら、美しいビジュアルも必見である。森の中には学校と屋敷のほかに街灯や公園や湖はあるものの、文明的なものはいっさい出てこず、強いて言えばバレエレッスンの時に使う蓄音機だけで、いつの時代なのかはわからないようになっている。前述と別のインタビュー**では「場所を選ぶのに、どこの国だか分からない場所にしました。撮影はベルギーで行いましたが、何ケ所かで撮影したものを集め、一つの敷地、学校にしました。美しく、ちょっと奇妙な場所、建物も古びていていつの時代のものだか分からないようにしました」と言っていたルシール監督。ひとつの完成された要塞を見事に描ききった。

フランス生まれのデザイナー、アニエスベーもプロデューサーとして共同制作に参加している。そして『エコール』を観てインスピレーションを得たという真っ白な衣装たちは、実際にアニエスベー・ロリータというブランドの中で「エコール・ライン」として販売されることになった。映画そのままではなく、パターンや素材はアレンジされているとのこと。また、アニエスベー・ロリータは、ナブコフ原作の、キューブリック監督による映画『ロリータ』にインスピレーションを受けて作られたものだというからおもしろい。『エコール』はりっぱに少女映画の歴史に名を連ねることになりそうだ。

執拗に登場する蝶々、そして劇場、地下鉄、タバコなど、わかりやすいメタファーもたくさん含まれている。決して、「かわいい、ただきれいなだけの映画」では終わらない。ストーリーを話しただけでは何も伝えられない、実際に観て体験してもらいたい映画である。
 
少女として存在することだけを望まれて生きる彼女たちが、どのような振る舞いを見せ、どのように女性へと成長していくのか。外界とは隔離された世界で、それが露わになる。


□*「エコール」ルシール・アザリロヴィック監督独占インタビュー
□**瑞々しい映像で魅せる『エコール』ルシール・アザリロヴィック監督ティーチイン!


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2007年11月29日

「アメリ」関連本

「アメリ」が公開されてもう5年以上が経ちましたが、それ以来、まだ「アメリ」を超える人気のフランス映画は出ていません。「アメリ」なんてすっかり忘れ去られているわよ、とパリの友人たちは言ってますが、日本では依然根強い「アメリ」人気。オドレ・トトゥはその後「ダ・ヴィンチ・コード」に出演し、最も有名なフランス女優になりました。もちろんフランス映画の新しい古典として、これから「アメリ」に触れる人たちもいるわけです。

ところで、今週、関連エントリーを集中的に再アップしているのは、この時期、複数のクラスで「アメリ」のシナリオを使いまわしているからです。そういうわけでほとんど毎日のように繰り返し見ているのですが、何度見ても味わい深いシーンが多く、またこんな言い回しもあるのかと再発見することも度々あります。例えば、ブルトドーさんが好きな「地鶏の丸焼きの腰骨の肉」を sot-l'y-laisse と言います。意味は「バカはそれを残す」、つまりそれを残すバカはいないほど美味しい部分ということです。確かにあの部分は美味しいです。
 
1)「アメリ」サウンドトラック(東芝EMI 2001年)
アコーデオンが奏でるミュゼット風のテーマ曲や、アメリがサンマルタン運河での水切りや「ガラス男」の部屋のシーンのバックに流れているピアノの曲など、印象的な音楽が多い。特に水切りのシーンでは緑の背景と赤いアメリのワンピースのコントラストと運河の水の流れに重なるような軽やかに響くピアノが美しい。「アメリ」ほど映画のシーンを思い出すとき、一緒に音楽が聞えてくる映画は珍しいのではないでしょうか。もちろん独立した音楽としても楽しめます。胎教に良いとおっしゃる人も。

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2)「アメリのしあわせアルバム」(2001年)
アメリの好きなもの、アメリの住んでいるモンマルトル界隈のマップ、アメリを囲むひとびとの紹介、アメリのしあわせになるワインポイント・レシピ、アメリのサボタージュ講座、スピード写真コレクターになる方法など、「アメリ」の世界が広がるビジュアルブック。
□ジャン=ピエール・ジュネ著 出版社: ソニーマガジンズ

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4 乙女オジさんのエッセンス
3 アメリ(とニノ)のアルバム
3 アメリのしあわせアルバム

3)「アメリ―モンマルトルのアメリとパリの映画たち 」(2001年)
「アメリ」のフィルムブック。ストーリー紹介、出演者のインタビューなどを掲載。人気のポストカード付き。
□出版社: プチグラパブリッシング

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4)「アメリ」(2001年)
映画を小説化したもの。かわいい挿絵が軽いタッチの文章に合っています。映画を思い出すには格好の1冊。
□イポリト・ベルナール著 出版社: リトルモア

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5)「フランス映画史の誘惑 」(2003年)
リュミエール兄弟による映画の発明から、近年の大ヒット作「アメリ」まで、フランス映画百年余りの歴史をコンパクトに紹介。そもそも映画はフランスで始まった。またトリック撮影やアニメーション、犯罪映画など、映画の重要な分野を開拓したのも、映画をひとつの芸術として磨き上げたのもフランス映画だった。「アメリ」の中にもふんだんに練りこまれているフランス映画百年の蓄積を紐解いてみよう。
□中条 省平 集英社新書

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2007年11月26日

「愛してる、愛してない...」

愛してる、愛してない...序盤、特にオープニングあたりは、「あ、アメリの再来…かわいいなぁ」と見惚れてたんですが、「不倫」がテーマになってるところから、ダークな方向に走るんじゃないのか、これ…と思ったら、案の定奥さん流産で喜んだり。でも、フィレンツェへ行ける、とウェディングドレスを着たり、夜に会うからとルンルン気分で化粧するオドレイは、「お前、それ倫理的にアカンねんで…」と思いながらもやっぱり「かわいい…」。表情がくるくる変わるのもあの人のチャームポイントの一つですね。その辺は「愛してる、愛してない…」も、「アメリ」を引っ張ってるなぁと思いました。

でも、中盤から序盤の空気は一掃。

「愛してる、愛してない…」は「アメリ」とパラレルストーリーのようで、とてもおもしろかったというか、「ベイブ」の続編が「ベイブ、都会へ行く」だったように、「アメリ」の続編が「アメリ、現実を見る」になったような映画でした。

オドレイが働いてるのはバーだし、着ている服の色も、アメリを思い出させるビビッドな赤。時々聞こえるオドレイの心音も、ニノに初めて会った時とリンクするような…。川にスーツケースをドボンさせるのも、「クジラちゃんさよなら」を彷彿とさせます。実際この映画ではクジラちゃんではなく猫ちゃんが登場。

写真をビリビリ破るところもアメリとパラレルだけど、その場面はアメリよりも過激。アメリの空想癖はここでは強烈な病的妄想癖に進化。「アメリなんてもう存在しない」とでも言わんばかりでした。

この映画は単体で見たらストーカーのサスペンスだけど、「アメリ」体験者なら、夢想癖のあるアメリが現実に向き会うんだけど、深入りしすぎて狂気じみていく…みたいな映画として見れるんだろうなぁと。オドレイがアメリの時と全く同じように「ニヤリ…」としたり顔をするのですが、その笑顔の理由が二つの映画では全く異なるので、同じ笑顔でもアメリでは無邪気に見えたのが、この映画の中では狂気の笑みになっています。

ちょうど95分で授業1限分にギッシリ色んなギミックがあって、付録の特典映像も見逃せない。「予告編」なんかは、絶対この結末が予想できない作りになってたり…。「アメリ」を先に見せてからこの映画を出すと、「アメリ」の余韻を思いっきり破壊できそうな気がします。

Youtubeで「アメリNG集」を見て、「やっぱり、シャイだとか言いながら結構お茶目なんじゃないの、オドレイ…」

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2007年11月14日

「スパニッシュ・アパートメント」

spanish01.jpg本作の原題は L’auberge espagnol−訳すと「スペインの宿」。「スペインの宿のように、そこには持ち込まれたもののすべてが見つかる」というモーロワの一節が引用されているように、文化的な混沌状態を指す。ちなみに英国での公開タイトルは「ユーロ・プディング」。今のヨーロッパを象徴するような物語だ。

とあるパリの学生が、ヨーロッパの交換留学システム「エラスムス計画」(この映画の公開後、利用者が急増したとか)を使って、バルセロナへ留学し、ヨーロッパ各国から集まった学生たちと共同生活を始める。ヨーロッパ各国から集まった、それぞれの民族的なタイプが典型的に描かれいているのが、この映画の面白さのひとつだ。何事にもルーズなイタリア人、何事にも生真面目なドイツ人、愛をささやくフランス人。民族的な偏見に凝り固まった島国根性丸出しのイギリスの田舎者(=ウェンディの弟)も登場。

しかし、もっと重要なことは、文化や習慣は違ったとしても、共有できるものも同じくらい多いということだ。分かり合えないと違いを確認するより、地道な交渉によってそれを埋めていく作業が肝心なのだ。様々な言語を使い分けながら同居人たちはコミュニケーションを取る。言葉はそういう交渉のためにこそある。中でも英語は多言語の隙間をうめるように機能している。

こっそり部屋でマリファナを吸ったり、クラブではダフト・パンクで踊り、夜明けの近い広場でボブ・マーリーの「No Woman No Cry」を歌う。あんなふうに多国籍の共同生活を一度やってみたいとか、私たちと全然変わらないんだとか、素直に思わせてくれるシーンの数々。結局国籍なんて大した問題ではない。男女のいざこざ、個人的な趣向(レズビアンも登場)の方がはるかに問題を複雑にしているのだ。

所詮はヨーロッパ人の集まりでヨーロッパ中心主義の域を出ていないという批判も出そうだが、こういう言語と文化の複雑な関係は、一言語主義的な思考(ひとつの民族に、ひとつの言語、ひとつの文化が対応する)に陥りがちな日本人が自らの立場を省みるには格好の機会になるだろう。

舞台のバルセロナは、スペインの一部でありながら強烈な文化的アイデンティティーを持つカタルーニャ州の州都。今ではカタルーニャ語は地方公用語として認められているが、フランコ政権下で大幅に使用を制限された歴史的経緯がある。過去にスペイン語(=カスティーリャ語)を強制的に押し付けられた抑圧の歴史が(それもつい最近のことだ)、逆にこの地方のアイデンティティーを強める結果となった。ここら辺の事情がよくわからないと、レアル・マドリッドとFCバルセロナ戦(エル・クラシコ)の異様な盛り上がりも理解できない。ベルギーからの留学生、イザベルが、講義ではスペイン語を使ってほしいと大学の教師に頼むが、「私たちはあなたたちを理解している。あなたたちは私たちを理解すべきだ」という訳のわからない論理で、あっさり拒否される。かといってバルセロナは閉鎖的な都市では全くなく、国際色豊かで、この映画のように世界中から人を集めている。

初めのうちグザビエは「世界はなんでこんなに複雑になったのだろう」と嘆いているが、最後にはそれを受け入れることを宣言する。「私は彼らであり、彼らは私だ」という力強い宣言。もうそれはアイデンティティ(=1対1の関係)とは呼べない。いみじくも、ガンビア(西アフリカの国)出身のカタルーニャ人の学生が言う。「アイデンティティーはひとつではない。いくつもが矛盾しないで存在する」。グローバリゼーションのもたらす混沌を前にして、不安におののき、反動的にナショナリズムや復古主義に走ってしまう日本人だが、もう後戻りはできないのだ。こういう複雑さを引き受ける「強さ」を学びたい。

冒頭のシーンに解説が要るかもしれない。グザビエが父親の友人、ぺラン氏と会った巨大な建物は、ベルシーにあるフランスの財務省。フランスの中央集権的縦割り行政を体現するかのような建築構造だ。グザビエは ENA (多くの政治家を輩出する超エリート校)出身の父親のコネで、たった1年の留学を条件に官僚としての就職をほぼ確約された。そして何かにつけて Ta gueule! とか言って母親に当り散らす、マザコンのボンボンなのだ。映画の最後で新しい旅立ちを宣言したグザビエ君だが、それほど人生は甘くないようだ。続きは続編「ロシアン・ドールズ」にて。


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2007年10月31日

「危険な関係」 Les Liaisons Dangereuses

18世紀、革命前夜の頽廃を極めたパリの貴族社会の社交界に君臨するメルトイユ侯爵夫人は、ある日恋人のバスティード伯爵がヴォランジユ夫人の娘、セシルと結婚するという噂を聞く。そして遊び仲間でかつての愛人でもある、社交界きってのドンファン、ヴァルモン子爵に、セシルの処女を奪うように誘いかける。一方のヴァルモン子爵には、伯母ロズモンド夫人の敷地内に住む貞淑の誉高い美しき未亡人トウールヴエル夫人を篭絡する計画があった。それを聞き面白がったメルトイユは、それに成功したら一夜の愛を与えると約束する…



このように「危険な関係」はメルトイユ公爵夫人とヴァルモン子爵の仕掛ける危険な恋愛ゲームなのだが、それを彼らは明晰な知力によって計画する。それを実行に移し、成功させるためには、いつも理性的で覚醒している必要がある。明晰であり続け、自由に行動するためには、決して相手には恋をしてはいけない。情念にとらわれてはいけないのだ。しかし、「危険な関係」において、明晰な意識によって完璧な知力を行使しているのは前半までである。ヴァルモンが貞淑なトルーヴェル夫人を征服していく過程で、征服者の知力には限界があることが露呈していく。

It’s beyond my control.

後半になると、ヴァルモンの口からこの言葉が何度も吐かれる(動揺した時のヴァルモン=マルコヴィッチの半開きの口が印象的だ。これは英語の台詞だが、フランス語の原作では、"C'est plus fort que moi" となっている。直訳すると、「それは私よりも強い」。恋愛は自分自身を圧倒するような幸福の強烈な感情をもたらす。そして激しい執着心によって自分を相手に縛りつける。明晰さや自由の側に感情の強度は存在しない。恋愛がもたらす至福のときも、それが裏切られたときの絶望の淵も、自分のコントロールを超えた向こうにあるのだ。

このレビューはスティーヴン・フリアーズ監督によってアメリカで映画された「危険な関係」を念頭において書いている。この作品は1989年のアカデミー賞で美術賞、衣裳デザイン賞を受賞しており、18世紀の豪華絢爛な宮廷絵巻が再現されている。

映画の中でも登場人物たちをつなぐコミュニケーション・ツールとして手紙が活用されているが、1782年にラクロによって書かれた原作は1人称の書簡体系式、つまり手紙のやりとりによって小説が構成されており、映画とは全く違った味わいがある。原作がフランスで発表された当時は大センセーションを巻き起こし、マリー・アントワネットを始め、社交界の貴婦人たちがひそかに愛読していたという。

とはいえ、18世紀において小説はまだ低い地位に貶められていた。厳密な規則を要求する古典主義の影響下にあった文学批評からは「何の規則もない空想の産物」と非難され、教会からは「良俗を乱す」と糾弾されていた。例えば、「精神と心の言葉を冒涜する小説」(モンテスキュー)、「真の文学者は小説を軽蔑する」(ヴォルテール)、「貞節な娘は小説を読んでいない」(ルソー)と、自ら小説を書いていた当時の大物たちが小説を蔑視する発言をしている。彼らは小説で真の名声は得られないと考えていたようだ。

「品行方正な人々を堕落させるために悪人が用いる手練手管を暴露することは、少なくとも良俗に貢献する」とか、ひとりの母親が「娘の結婚のときにこの本を与えたら、まことに有益かと存じます」と言ってくれたとか、「危険な関係」の作者も序文でまどろっこしい予防線を張っているのは、18世紀の小説の置かれていた状況を物語っている。

小説が「形式を持たないこと」こそ自らの長所であり、固有の形式だと自覚し、近代という空間とすりあわせをしながら表現形式を練り上げ、文学の代表的なジャンルに成長するには、19世紀を待たなければならなかった。

ところで、映画の配役は、メルトイユ侯爵夫人にグレン・クロース、ヴァルモン子爵にジョン・マルコヴィッチ、トウールヴエル夫人にミシェル・ファイファー。シュヴァリエ・ダンスニーはキアヌ・リーブス、セシルはユマ・サーマンが演じている。マルコヴィッチのその後の活躍は言うまでもないが、「レ・ミゼラブル」の長編TVドラマでジャベール警部を演じていたのが印象的だった。初々しいキアヌ・リーブスはその後の「マトリックス」で超有名。ユマ・サーマンは「キル・ビル」(個人的には「パルプ・フィクション」のヤクザの女の役が好き)など、タランティーノの映画によく出ている。

「危険な関係」に関しては exquise さんが先にエントリーを書かれているので、そちらも参照してください。韓国の宮廷に舞台を移したヨン様ヴァージョンも紹介されています。


cyberbloom


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2007年09月23日

イースト・ウエスト 遥かなる祖国

サンドリーヌ・ボネールは骨美人ではないかと思う。外見はもちろん首から肩にかけてのラインはきっと骨から綺麗なんだろうなあと思わせる美しさだ。フランスで今一番脂ののった女優ではないか。

そのボネールが、「イースト・ウエスト、遥かなる祖国」でフランス女の矜持を確かな演技力と存在感で見せている。

タイトルのイーストはソ連を、ウエストはフランスを指している。「遥かなる祖国」には二重の意味が隠れている。表面的にはボネール演じる妻の故郷フランスを指しているのだが、夫の祖国のソ連も、医者の地位を捨ててまで戻った彼らをスパイ扱いして常に監視の下に置くなど、およそ祖国らしい扱いからは程遠いことから見れば「遠い祖国」なのである。

息子を伴い大戦から間もないソ連に移った彼らを持っていたのは、プライバシーもない、快適からは程遠い貧しい長屋暮らしとスパイ扱い。こんな暮らしに妻子を陥れてしまった夫は当然ながら罪の意識に苦しむ。そんな夫と妻の間には隙間風が吹き始め、夫はアパートの管理人兼監視役の女と関係を持つ。孤独な妻はどうしたか?

環境の激変、辛い暮らし、夫への不信、怒り。でも泣き寝入りなんてことは絶対しないのだ。しっかり、妻は妻で若さにあふれた青年と恋に落ちる。またその一方で彼の才能に賭け、西側に行かせる為に自分のもてる魅力をいかんなく発揮する。

トランクからひっぱりだしたフランス仕立てのドレスをまとい、官僚相手に軽やかに愛想をふりまく。ボネールのすごいところはこの愛想が本当にチャーミングなのだ。やぼったい制服に身を包んだロシア女にはないフランス女の粋。この青年を巡って、息を潜めて生きていた夫婦の運命が大きく動き出す。情熱的な妻に対して何も語らない夫。しかし最後の最後で夫が何を考えていたのか、彼の長い沈黙の訳が明かされる。夫婦の深さというか凄みには正直驚くし、個人にそんな決断を迫る体制の残酷さにも。

後半にはカトリーヌ・ドヌーブが本人そのもののような大女優役で登場する。さすがの貫禄で夫婦を助ける役を演じているが、ドヌーブとボネールの足元に注意して欲しい。山場でのひとつのポイントなのだが、あんなに軽やかにステップを踏んでいたボネールの足元は今や不細工なドカ靴。ドヌーブの足元はカットも美しいハイヒールなのだ。

女にあんなやぼったい靴を履かせるような体制って…やっぱり滅びるんだな。


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2007年09月21日

かげろう LES EGARES

lesagares01.jpgなぜ日本の中年女性はハンカチ王子だの、ちょっと前ならヨン様だのを前にすると見事に少女化するんだろう?

「年下の男にいれあげる」ーというねっとりした欲望など存在していないかのようなー実際はしてるんだろうけどー子供っぽいというか、乙女状態へ突入である。

もちろん実際には乙女になぞなるわけがないので、あくまでも自分たちの頭の中にしか存在しない乙女になっているわけなのだけれど。どうみても大人の女が年下の男を欲するとかって感じじゃないのである。日本文化の若ければ若いほどいいという影響か、若いーといわれる時期を過ぎてから「母」ではなくて、大人の女になっていく人というのはなかなか日本人には少ないような気がする。だから年下―といってもせいぜい松島菜々子か長谷京がタッキーに入れあげるのが精一杯なのだ。その点キョンキョンが一人、気を吐いている…か?

フランスは中年男が若い娘にのぼせるのは当たり前、しかし「年下男にいれあげる」パターンも結構好きな国なのでは。そこにはちゃんと大人の女が存在している。

エマニュエル・ベアールがそんな大人の女を演じた「かげろう」。ちょっとショックだった。ベアールがデビューした頃は本当に「天使降臨」って感じだったのだ。ふわふわの金髪に大きな潤んだブルーアイズ。歩いていても足に羽が生えてるんじゃないのというくらいで、実際天国から落ちてきた天使を演じたことも。

そんなベアールも年をとった。とったけど良い年のとり方で、生身の人間になったというか、人造人間みたいなアジャーニと違って、「かげろう」の中では地に足がついた生身の大人の女になって、人生の岐路に不意に現れた青年(ギャスパー・ウリエル)に戸惑う。

時代が本来は出会うはずのない二人を出会わせる。第二次大戦下、都会から逃れてきた子連れの女は麦畑で空襲に会い、不意に現れた青年に救われ、住人が疎開した家で勝手に暮らし始める。乱暴に振舞うかと思えば女や子供たちのために鶏を盗んできたり、大人ぶってみたかと思えば子供のように甘えてみせる。反発しながらも青年を慕う息子。青年の不意のプロポーズ。静かな田舎にも常に漂う死の気配。

二人の微妙な距離は立ち寄った帰還兵の存在によって急接近する。ついに結ばれる女と青年。

暗い森で青年は何度もマッチをする。
「なにしてるの?」
「女の身体を見てみたいんだ」

この台詞が後で効いてくる。赤い下着、追い詰められたような目つき。謎が解けたとき、女の目に、心に浮かぶのは・・・

生と死は隣りあわせでも、死と性は反対のもののような気がする。この映画でも戦争という「死」が常に存在しているからこそ「性」に惹かれていく人間がいとおしい。

考えてみればそんな緊張感が今のここにはないから、みんな性を感じさせない乙女に戻れるのかもしれない。

かげろう
かげろう
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2007年08月05日

「ヒロシマ、私の恋人」&「二十四時間の情事」 マルグリット・デュラス

■「ヒロシマ、私の恋人」
pluiehiroshima01.jpg日本の映画会社から「ヒロシマ(原爆)」についての映画作成を引き受けたアラン・レネは、シナリオをマルグリット・デュラスに依頼した。少し前に発表されたデュラスの『モデラート・カンタービレ』に深い感銘を受けたからだった。現在ではこのシナリオはデュラス作品のうちの重要な文学テクストとみなされている。そして『ヒロシマ・モナムール』の大成功によってデュラスの名前は一躍世界的なものになった。そもそも初めてのシナリオ作成に戸惑うデュラスにレネがおくったアドバイスは、いつものように「文学をやりなさい」というものであった。

「原爆」という重いテーマにいかに取り組むか。デュラスはレネが日本から持ち帰った膨大な資料や日本人監督によるドキュメンタリー映画に目を通した。その結果彼女は「ヒロシマについて話すことは不可能だ」と思い至る。そして「原爆を描くことはできない、原爆について話すことはできない」ということをテーマにして、デュラスはこのシナリオ作品を書き上げた。

1957年夏、反戦映画に出演するため広島に滞在しているフランス人女性が、帰国前日に広島に住む日本人男性と出会い、彼らはつかの間の愛に身を任す。原爆資料館の映像やドキュメンタリー映画の断片を背景に、彼女は自らも故郷<ヌヴェール>のことを語り始める。そして封印していた記憶、戦時下に敵側のドイツ兵と激しい愛を交わした記憶、そして終戦と共に殺された恋人の冷たくなっていく身体を抱き続けた記憶がよみがえってくる。デュラスは原爆投下という歴史的な出来事を、フランスのある一都市のごくありふれた出来事をとおして、戦争の残酷さを伝えようとする。

余談になるが、『ヒロシマ・モナムール』は『モデラート・カンタービレ』の「殺されたいと願う女性」というテーマを受け継いでいる。デュラスは広島での愛のさなかにいるフランス人女性に、「あなたは私を殺す。あなたは私に幸福をあたえる」と繰り返し言わせる。そしてこのテーマは『ヒロシマ・モナムール』の執筆時期に書かれたハードなポルノグラフィ『廊下ですわっているおとこ』の第一稿でさらに深められている。

「ヒロシマ、私の恋人 かくも長き不在 新装版―シナリオとディアログ」
HIROSHIMA MON AMOUR(FOLIO)


■「二十四時間の情事」
二十四時間の情事マルグリット・デュラスの脚本をアラン・レネが監督した日仏合作映画で、主演はエマニュエル・リヴァと岡田英次。1959年の作品。

反戦映画のために広島を訪れているフランス人女優が日本人の建築家と恋に落ちる。彼女の翌日の帰国ゆえに二人の愛は一層つのる。日本人との愛のさなか彼女の脳裏に戦時中の愛の記憶、ドイツ兵との愛の喜びとその悲劇的な結末がよみがえってくる。

二人の会話と彼女の内面のモノローグ、現在のヒロシマと戦時中の彼女の郷里、フランスの一都市ヌヴェールの交錯画面。それらが彼女の記憶をとおしてフラッシュ・バックで語られ、詩的な映像が戦争、愛、死、記憶と忘却のテーマを伝えてくる。

封切り当時フランスでは長蛇の列ができるほどの注目をあび、アメリカを筆頭に海外でも大いに賞賛された。レネが言うようにこの映画は「日本以外では大成功を得た」。

日本では封切り後三日で配給会社は中止を決定したということだが、それは題名にも問題があったのではないか。『二十四時間の情事』はその二年前に大ヒットした『昼下がりの情事』を連想してつけられた。『二十四時間の情事』はヌーヴェル・ヴァーグの最高傑作として映画史上欠かすことのできない作品だが、現在でも決して古くなっていない。

諏訪敦彦監督は『二十四時間の情事』のリメイクを試みるという映画『H STORY』(2001、ベアトリス・ダル、町田康が出演)を作りカンヌ映画祭に出品しているし、2006年にはデュラスの脚本を舞台化した二人芝居『ヒロシマ、私の恋人』が上演され、日本人建築家役は渡部篤郎が演じている(写真、トップ)。

現在の若いフランス人にとってもそのほとんどが、たとえデュラスの本を読んでいなくても、<ヒロシマ・モナムール>の名を知っている。在日フランス人の間では、広島を訪問したという人には、映画の中で岡田英次がくり返す非常に有名になったフレーズ「きみはヒロシマで何も見なかった。何も」で応じる光景が普通だとか。岡田英次を和製ジャン・マレーとして多くのフランス人が高く評価している。ちなみに彼はフランス語をまったく知らず、セリフはすべて音で覚えたという素晴らしく耳のいい俳優である。

二十四時間の情事
二十四時間の情事
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アイ・ヴィー・シー (2005/06/24)
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おすすめ度の平均: 5.0
5 一人の女の悲劇が問ふ物
5 何もかもが、美しい。
5 燦然と輝く傑作です

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H STORY
「M/OTHER」の諏訪敦彦監督が、ベアトリス・ダル(「ベティ・ブルー」)を主演に迎え「二十四時間の情事」のリメイクを試みた。40年前に書かれた脚本通りに演じることに違和感を覚えるベアトリスは、監督と意思の疎通が図れず次第に追い込まれていく。今や小説家として有名な町田康の好演も光る。

□PLUIE D'ETE A HIROSHIMA(ヒロシマの夏の雨)
去年の5月渡部篤郎が2人芝居「ヒロシマ、モナムール」(「ヒロシマの夏の雨」)の日本人建築士の役でフランスの舞台に立った。マルグリット・デュラスの小説を舞台化したもので、広島に反戦映画のロケに来たフランス人女優との情交を描いている。渡部にとって演劇もフランス語も初挑戦だった。10月からはパリの国立ナンテール・アマンディエ劇場で5週間の公演をこなした。演出家に「東洋の男性特有の色気と声のよさ」を買われ、ブルターニュ地方の都市での初演では「大まかだがわかりやすいフランス語が、彼をはかなげに見せて感動的」と評された。


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2007年07月20日

ジェラール・フィリップと「夜ごとの美女」

Gerard_PHILIPE.jpg今年度ある大学の授業でフランス映画を題材にしたテキストを使っています。そこでは色々な時代の作品が取り上げられていて、毎回その一部を学生さんたちとビデオで観ているのですが、フランス映画にはいわゆる「二枚目」というのが案外少ないなあと思います。美男子よりも印象深いとかアクが強いとかどこか特徴ある顔立ちの男優(そういう男優たちはおのずとキャラクターや演技も個性的なんですが)のほうが受け入れられるのでしょうか。そんななかで、逆に一人異彩を放っているのがジェラール・フィリップ Gérard Philipe でしょう。授業では彼の最も若い頃の出演作である「肉体の悪魔」(1947)を鑑賞したのですが、それから現在に至る60年近くの間にこんなにきれいな顔をしたフランス男優はそう出現していません。


1922年にカンヌに生まれ、40年代前半にスクリーンデビュー、そして59年に36歳の若さで世を去るまでに、彼は常に二枚目スターとしてフランス映画界で活躍していました。とりわけ前出の「肉体の悪魔」をはじめ、「パルムの僧院」「赤と黒」「危険な関係」といった文芸ものの主役や、「モンパルナスの灯」のモディリアニのような芸術家役などは、演技から滲み出るノーブルさも手伝ってはまり役といえます。一方で彼には、陽気でコミカルな役もお似合いで、その代表作はファンファン・ラ・チューリップを演じた「花咲ける騎士道」(1952)でしょう。この作品は近年ヴァンサン・ペレーズ主演でリメイクされましたが、やっぱり元祖ファンファンにはかなわないんじゃないかなあ〜。


yogoto-no-bijo1.jpg私の好きなジェラール・フィリップの出演作は、その明るい一面が見られる「夜ごとの美女」(1952)です。周囲の人々や生徒たちに馬鹿にされる、貧しくてさえない音楽教師クロードが、夜ごとに見る夢のなかではさまざまな時代の美女たちと恋を楽しむ、というストーリーで、下町で暮らしているという設定ながらもどこか育ちのよさを感じさせる青年の役柄が楽しそうに演じられています。ルネ・クレール監督の映像や笑いのセンス(「昔はよかった・・」という老人のセリフとともに時代が逆行していくところなどは秀逸です)も冴えていて、コメディ映画の傑作といえるでしょう。「愛人ジュリエット」(1950)のような不幸な青年役(この映画も泣けます)や、「狂熱の孤独」(1953)のような汚れ役も魅力的ですが、南仏育ちの彼にはやっぱりこういう屈託なく若々しい役がぴったりだと思います。


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2007年03月18日

ルパン ARSENE LUPIN

arsenelupin01.jpg去年はルパン生誕100年記念だった。「ルパン3世」ではなく、本家のアルセーヌ・ルパンの話だ。モーリス・ルブランによる「怪盗ルパン」シリーズは世界で5千万部を売った冒険活劇の大作だが、100周年を記念して、本続的な映像化作品が登場した。

「ルパン3世」ではなく、小さいころに「怪盗ルパン」シリーズを読んで心躍らせた人も多いだろう。シリーズの様々なエピソードを取捨選択して、綻びることなくストーリーを仕立て上げているが、宮崎駿監督の「ルパン3世−カリオストロの城」の元ネタであるカリオストロ伯爵夫人も登場。本家のルパンのキャラは、架空の孫の「ルパン3世」とも重なり合うが、これだけ作りこまれた魅力的なキャラもそうない。

時代的には、ベル・エポック(1900年代)のパリが舞台になっている。オペラを見たあとのセレブな人々が集った「カフェ・ド・ラ・ペ」や、カルティエのブティックが当時のままに再現されている。ダイアモンドやエメラルドなどの高級ジュエリーもシーンの中に散りばめられ、ゴージャスなファッションも一見の価値あり。

ルパン役はロマン・デュリス。「スパニッシュ・アパートメント」のちょとダサめのシャイなお兄ちゃんというイメージが強い。ルパン役と言われてもピンとこなかったが、新たな役柄を開拓している。

ルパン
ルパン
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角川エンタテインメント (2006/04/07)
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5 昔、原作に夢中になった人なら、きっと。
4 “ルパン”だから楽しめる
5 粋な最高級フランス娯楽映画

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2007年01月24日

SUR MES LEVRES (READ MY LIPS)

リード・マイ・リップスフランス語のタイトルよりは、英語版の方がわかりやすい。確かに唇の動きを読むというのがみそだから。

濡れ場などないのに色っぽい映画だ。

男と女の絡みといえば、ただ男の唇をひたすら遠くから読唇術のある女が読む。女の目に映るのは男の濡れた唇のアップ。それだけなのに、ドキドキする。この辺りはとにかく裸が出でくれば良いと思っている某監督とか某作家とかにも見てもらいたい。

この色っぽさは役者の実力に負うところが大きい。とにかく主役のエマニュエル・ドゥボスの見事なブスオーラがすごい。本人は分厚い唇がセクシーな個性派美人なのに、役の上で彼女から漂うこの不幸なブスオーラが本物なのがすごい。猫背気味でいつも不満げに突き出した唇。野暮ったい伸びたカーディガンにイライラ補聴器を直すしぐさ。休み時間といえば、ひがんだ目でよりそうカップルの会話を盗み見(聞き?か)する。あっぱれな不細工女ぶりといえる。どんな役をやっても常に綺麗な○木瞳とかに見せたい「役者魂」である。

でも黙って不幸に甘んじている女ではない。この辺りはフランス女っぽい。上司の弱みに付け込んで、ちゃっかり部下を要求する。その条件が「とにかく若い男にして、背が高くて…」ってちゃっかりしすぎ!

現れた年下男を演じるのはヴァンサン・カッセル。この人の特徴と言えばカマキリにみえなくもない風貌と、妙に薄くて紅い唇(これはこの作品にぴったり!)。そしてキレのある動きが持ち味だと思うのだけれど、この作品ではそのキレを封じ込んで、不器用であまり頭も回らないチンピラを好演している。コピーすらまともにとれず、着たきりすずめでこっそり事務所に隠れて住む。どこか荒っぽい過去を隠した男に惹かれていく女。地味に、身を縮めるようにして生きていた女が次第に男の過去に巻き込まれるうちに解き放たれていく。どんどん自由になっていく女の表情の変化が実に色っぽい。

次第に羽を伸ばしつつあった女がバーで知り合った男に襲われそうになるシーンで、現れた年下男に救われるのだけれど泣き出した女を「もう大丈夫だって。泣くなよ」と実にぶっきらぼうに抱き寄せる。

こういう不器用さにも時にほろりとさせられる。…秋の夜長にはなかなか向いている大人な作品。

フランス映画にしてはわかりやすいところもとっつきがいい一本です。


リード・マイ・リップス
メディアファクトリー (2004/04/23)
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おすすめ度の平均: 4.5
5 男と女の駆け引き
4 設定を見て型通りに
4 なかなかの傑作

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2007年01月11日

「ポネット」ジャック・ドワイヨン

ポネット人の『死』を認識できるようになったのはいつだったろうか?
理解できるようになったのは、いつだっただろうか?
もう、そこにはいないこと。絶対に会えないこと。声も聞けない、手に触れることもできない。

ポネットは4歳。お母さんを交通事故で突然亡くしてしまいます。
でも、彼女は母の死を理解できない。
カラに閉じこもり、周りから変な子だと言われても、彼女はママは復活する、帰ってくると信じている。
父親は突然の妻の死と、それを娘に理解させることに板挟みになって苦悩します。
「お前はパパや従姉弟たちが住む世界へ帰っておいで。みんな生きている、命のある世界だ…(後略)」と。いつまでも母の死に囚われていては、ポネットが生きていけないから。

(多少ネタバレですが)物語のラストには紆余曲折(?)しながら彼女は母の死を受け入れることができました。
物語最後の台詞、「”楽しむ事を学ぶのよ”って…」という、ポネットが母から教わった言葉が、切なく、そして力強く感じました。

映画で、 DVDも出ているそうですが、そちらはまだ観ていません。
派手な展開もなく、淡々として、小雨のような静かな物語ですが、まさに心に染入ります。

自分がちょうど4歳と言えば、幼稚園のクラスメイトが「おばあちゃんが亡くなった」っと言って幼稚園をお休みし、「お墓に入る」とか「お骨をひろう」という言葉と行為の意味が全く分からなかった時期だったように思います。

今は、とっくに成人したけれど、幸いそれほど多くの人の死に立ち会ったわけではありません。
そのせいという訳ではないでしょうが、肉親や近しい人の訃報を聞いたときに感じる、ほんのかすかに、自分の心の一部分が空虚になる感覚は、うまく説明できません。平たくいうと「信じられない」っていう感じでしょうか。
悲しいとか寂しいとかいう感情は、後から押し寄せてくる。
というより、それらの感情は、何とも言えない空虚さの身代わりのようなものかもしれません。

人の『死』は、その人の存在の大きさと同じくらい、「存在しない」ことの意味を思い知るような気がします。


ポネット
ポネット
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ジャック・ ドワイヨン 角川書店
おすすめ度の平均: 4
5 映画と共に
3 子供にとっての親の大切さ
4 少女の強さ

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2006年09月21日

女警部ジュリー・レスコー

女警部ジュリー・レスコー 週末の事件「女警部ジュリー・レスコー」は、フランスの人気TVドラマシリーズ。ミステリー系のドラマの専門チャンネル「ミステリ・チャンネル」の定番になっているので、日本でも見ることができます。

「パリ郊外で警察署長を務めるジュリー・レスコーは、仕事に対して非常に厳しい敏腕警部。女性の身でありながら、臆することなく危険に飛び込んでは事件を解決していく。同時に、離婚を経験し、女手一つで二人の娘サラとバブーを育ててきた慈愛に満ちた母でもあり、部下のプライベートな相談に快く応じる一面も持っている」(「ミステリ・チャンネル」HPより)

ドラマはフランスの現実を色濃く反映しいて、そういう観点からも興味深いドラマだ。例えば、ジュリーは弁護士の夫と離婚したのだが、元夫とふたりの娘との親子関係は継続しているわけで、元夫が新しい恋人を堂々と連れてきて、みんなで一緒に食事をすることになったり。追跡や逮捕のシーンよりも、そういうシーンの方が私たちにとってはスリリングだったりする。

フランスでは、離婚したあとも、子供のために、新しい家族を連れてバカンスなどで合流することがよくあり、複雑な感情を抱きながら、別れた相手の新しい家族と一緒に過ごす羽目になることがよくあるようだ。こういうシチュエーションって、日本のドラマであまり見かけない。やはり個人主義の産物なのだろうか。

字幕の放映なのでフランス語の聴き取りの勉強にも使えるし、何よりも意外にハマってしまうドラマだ。


■ミステリーチャンネルでの放送予定はコチラ
■何と「女警部ジュリー・レスコーDVD-BOX 全5巻」も出ています。
■ハマってしまった方がここにも
★★★★★ハマッテしまった!(アマゾンの商品レビューより)
仏蘭西語を耳になじませたくて、それに仏蘭西のTVドラマなんて滅多におめにかかれないし、しかも仏蘭西では大人気の長寿番組ということで語学勉強のつもりで観たはずなのに…おもしろ〜いっ!気がつけば、仏蘭西語を聞くという当初の目的はどこへいったのやら、すっかりストーリーに夢中だぜっ!離婚して二人の女の子を育てながら、警部として活躍するジュリーと優秀な部下達。いろんな人種の俳優人達が活躍するのも仏蘭西ならではですね!一話からほとんどの役者が変らずでているので、特にジュリーの子供達の成長にはびっくり!今は日本でも人気の女優が有名になる前の子役で出ていたりするし、仏蘭西に興味がない人でも楽しめるよ!こういう家族で楽しめる番組はもっともっといろんな人に観てもらいたい。民放でもやればいいのに…

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メイン・ブログ-FRENCH BLOOM NET を読む 「ショコラの話をチョコっと」(09/20)
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2006年08月26日

「クリムゾン・リバー」 Les Rivieres Pourpres

クリムゾン・リバー デラックス版アルプス山脈の中で、裸で眼をくりぬかれ、手首が切断され、胎児のような形で縛られ傷だらけになっている死体が発見された…

クリムゾン・リバー」の監督はマチュー・カソヴィッツ。「憎しみ」の監督として知られている。「憎しみ」はパリの郊外に住む移民系の若者の鬱屈を描いた作品。フランスの移民の問題はジダンの「頭突き事件」で日本でもクローズアップされたばかりだ。「憎しみ」と「クリムゾン・リバー」は民族の血を巡る問題として対照的と言える。

「憎しみ」はフランス映画でありながら、主人公はアラブ人、黒人、ユダヤ人の若者。大きく言えば、旧植民地から流入した人々(及びその子供たち)とフランスの社会との軋轢の問題をテーマにしている。

一方、「クリムゾン・リバー」は人類の知性と運動能力の純化にとりつかれたフランスの山奥にある大学が舞台になっている。他者の血に染まった都市にノスタルジーを感じられない「生粋の」フランス人が、フランスの田舎にルーツを求めることは十分ありえることだ。大学人たちはナチスまがいの優生学に没頭し、超人間的な人間を作るために人為的な交配実験を繰り返すが、これにはフランス人の純血性への欲望(=血を汚す人々の排除)が投影されているのだろう。

サイボーグならともかく、生身の肉体の裏打ちがあるのならば、「優れた人間」が構想される場合、ナチスがそうであったように特定の民族的な人間像を伴うはずだ。それは、思い出したように騒ぎ出す純血性への欲求を押さえ込もうとしている今のフランスの姿と二重写しにもなる。大学という場は下手をすると民族や文化の純血性やその類の枠組みにとりつかれ、そういう虚構を生産する場所になってしまうのだ。

クリムゾン・リバー (創元推理文庫)実は「クリムゾン・リバー」の原作(小説)では、ヴァンサン・カッセルが演じる若手刑事はドレッドヘアのブール(アラブ系2世)という設定になっている。それによって移民系の若者の内的な葛藤が描かれていて物語に深みを与えている。カッセルを役に当てたためにその部分は切り捨てられているが、純血性の問題が何に対しての純血なのかがもっとクリアになったかもしれない。

ジャン・レノ頼みの映画だとか、サイコ・サスペンスとしてはいまいちとか、中途半端なハリウッド志向とか、評価は分かれるようだが、こういう見方も面白いと思う。カソヴィッツというと、忘れてならないのは、俳優として「アメリ」に出演、アメリの恋人のニノ役を務めている。


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2006年07月18日

新作DVD情報「ナイト・オブ・ザ・スカイ」

ナイト・オブ・ザ・スカイ俳優、ブノワ・マジメルをご存知だろうか。「ピアニスト」で01年のカンヌ主演男優賞を受賞し、柳楽優弥が「誰も知らない」で、最年少記録を大幅に塗り替えるまでの記録保持者だった。彼が「Taxi」で名を馳せたジェラール・ピレス監督の「ナイト・オブ・ザ・スカイ」に出演している。脚本はカーレース映画「ミシェル・ヴァイヨン」を書いたジル・マランソン。内容は「トップガン」(トム・クルーズ主演)を思わせる航空アクションだが、この映画は「ミシェル・ヴァイヨン」同様、フランスのティーンのあいだで絶大な人気を誇っていたコミックが原作。ちなみに原作のタイトルは「タンギーとラヴェルデュールの冒険」。

やはりこの映画の売りは何と言っても、何機もの航空機がアクロバティックに織り成す戦闘シーン。CGの使用は極力排され、「ミラージュ2000」に4台のカメラが持ち込まれた。プロデューサーのエリック・アルトメイヤーは、3D方式による映像やヴァーチャル画面などの技術が「ハリウッド映画を決定的に堕落させた」(公式サイト)と言っている。自ら飛行機を操縦する監督のピレスも、戦闘機映画の代名詞でもあったトップガンを「本当に空を飛んだことのないやつらが作った映画」と一蹴(CUT 2005年3月号)。さらには、911以降の複雑な国際情勢も反映され、エスプリに富んだ台詞や登場人物たちの心理描写の細かさもフランス映画ならではの味わい。

ピレスは、アクション映画はフランスのメディアに長いあいだ冷遇され、とりわけインテリや知識階級に無視されてきた、とインタビューで苦々しく述べている。しかし、「Taxi」がすべてを変えた。メディアや評論家よりも、観客の絶大な支持をとりつけ、フランス映画の制作環境をがらりと変えたと言う。

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2006年06月06日

『バベットの晩餐会』

babette01.jpgバベットの晩餐会』ちゅうのは、小説も映画もあるんやけど、ゆうたら、慎ましく慎ましく、ただただ慎ましく暮らしてるヨーロッパの北の方、そやな、19世紀のプロテスタントの寒村ちゅうの、なんか侘びしい海辺近くが舞台で、出てくる人みな年寄りばっかり。年とったらヘンコになるんかね、結構昔のいざこざでギクシャクしてる。

そこにパリから亡命してきたのがバベット夫人で、この人、村のご老嬢姉妹の世話することなったんけど、富くじ当ててね、お世話になった皆々様へご恩返しってわけで、村のご老体にフレンチのコースを自分の包丁でふるまうって話。ギクシャクがハレルヤ否やってところが見所なんかな。なんかロウソクみたいでぽつんとした映画やった。

ゆうても、うまいもんろくに食ったことないご面々、ウミガメやらウズラのピヨピヨなんかの仕入れ見て、おとろしなって、噛んだろかって勢いのウミガメの悪夢にうなされる。まあ、テンポゆったりやけどね、このテンポがええ塩梅ちゅうかね、ぽつんとしてても後味豊かに残るんで、よろしければごろうじろ。

■映画版「バベットの晩餐会」 デンマーク映画、ガブリエル・アクセル監督、アカデミー賞最優秀外国語映画賞受賞作品
■小説版「バベットの晩餐会」 イサク・ディーネセン著、筑摩書房



木魚

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