2012年03月23日

フランス映画の現在の傾向

第2次大戦後、ヨーロッパの多くの国々は、ハリウッド映画の猛威を受けて自国の映画産業に壊滅的打撃を被りました。そんな中、早くから国産映画の保護に力を入れたフランスだけは、アメリカ映画に対抗して生き残り続けることができたのです。2000年代に入ってもフランスで制作される映画数は増加傾向にあり、観客数も好調を維持。「映画大国」の名を今も保っていると言えるのですが、果たしてその実情はどうなのでしょう?

フランス映画どこへ行く―ヌーヴェル・ヴァーグから遠く離れて30年代の「詩的リアリズム」、60年代の「ヌーヴェル・ヴァーグ」、80年代にはBBC(ベッソン、ベネックス、カラックス)に代表される新世代の活躍と、華々しい過去を持つフランス映画ですが、90年代からこちら、最近の動向についてはどうもよく分からない。フランスに、あるいは映画に関心のある方の中にはそんな印象を持たれている方もおられるのではないでしょうか。「ひょっとして今のフランス映画は駄目なのかも」という印象を、薄々と、あるいははっきりと感じておられる方も、実は少なくないかもしれません。

林瑞絵、『フランス映画どこへ行く ヌーヴェル・ヴァーグから遠く離れて』、花伝社、2011年は、「古く寂れた豪華客船」にも喩えるべき、このフランス映画の現在の(見かけとは裏腹の)凋落ぶりを憂い、その理由を分析して示すものです。著者によれば、現在のフランス映画の抱える課題は次の5点に集約されます。
1 テレビと映画のお見合い結婚の破綻
2 シネコンが後押しする数の論理
3 自己チュ〜な作家主義の蔓延
4 真のプロデューサーの不在
5 批評性の消滅

「ムッシュ・シネマ」と「マドモアゼル・テレビ」との力関係の推移など、語り口も親しみや浮く、論旨は明快ながら、話を単純化しすぎることはなく、映画制作の現場の苦労が具体的・多面的に理解できる構成になっています。

あえて一言で要約してしまえば「商業主義の蔓延」が、テレビ受けのする「プチ・ハリウッド映画」の量産を生む一方、作家性の強い作品は資金難に喘いでいる、ということになるでしょうか。それに加えてヌーヴェル・ヴァーグ時代の悪しき影響として、「自己表現」こそが映画だといわんばかりのナルシズムの肯定が若い監督の間に見られ、結果として、作品の描く世界の小ささや社会との乖離を生んでいるのではないか、という著者の指摘には、個人的に強く納得させられるものがありました。

もっとも、著者はフランス映画の現状を厳しく批判するだけではありません。近年、映画人自身が改革の声を上げるに至っている事情を取り上げ、フランス映画の復活に期待を寄せています。

著者はフランス在住12年。プロデューサーや映画監督といった関係者へのインタビューを交えた、大変丁寧で良心的な仕事である点も高く評価したい好著です。「今のフランス映画」に少しでも興味のある方なら、「なるほど、こういうことになっていたのか」と納得されることが多いでしょう。

今の日本では「フランス映画は儲からない」と映画館からも敬遠される状況のようですが、今一度、フランス映画が栄光を取り戻すことを願いつつ、この本を多くの方にお勧めしたいと思います。



えとるた

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2011年09月24日

『パリ、恋人たちの2日間』(2) フランス的誠実さとは

ジャックはパリに来て街のいたるところでマリオンの元カレに出会い、マリオンが今も彼らと友人関係にあることが信じられない。元カレと親しげに振る舞う彼女の姿を見て嫉妬心と猜疑心にさいなまれ、ふたりの関係がギクシャクし始める。奔放なのは彼女だけではない。マリオンの母親もドアーズのジム・モリソンと関係を持った過去があり、343人のあばずれ(343 salopes)のひとりだったと告白する(中絶を経験した343人の女性たちが1971年4月5日付の『ヌヴェル・オプセルヴァトゥール』に中絶の自由を訴える嘆願書を掲載)。彼女たちは本当に「あばずれ」なのだろうか。

SEX:EL [DVD]フランス父親事情

宮台真司がジャン=マルク・バール監督の『SEX:EL』でアメリカ的性愛とフランス的性愛を対比させているが、この図式が『パリ、恋人たちの2日間』にもそっくり当てはまる。

浅野素女『フランス家族事情』が描くように、フランス的性愛の外見的な緩さは、非倫理性を表さない。流動的な関係の中で、にもかかわらず揺らぐことのない「代替不可能なもの」「取替え不可能なもの」を倫理的に模索していると見られるからである。自堕落どころかむしろ求道的に見えるブシェーズの佇まいは、こうしたモチーフを具現しよう。対照的に、映画に描かれた「米国人たち」は、米国人たちがフランス人たちに馬鹿にされがちな点なのだが、関係の流動性という外形を、短絡的に非倫理性の兆候と見なそうとする。

ジャックは百戦錬磨のフランス人からはあまりにナイーブに見え、常にからかわれる。いたって真面目なジャックは混乱する分だけ見る者の笑いを誘う。マリオンの小さな嘘はすべて裏目に出て、嘘の上塗りになり、さらなるドツボにはまる。マリオンは相手を傷つけないための小さな嘘は許されると思っている。その嘘は見かけであって、真実や本当の気持ちはその奥にあるとわかって欲しいのだ。

しかし外見的な形にこだわるアメリカ人にとって、それはとんでもないことで、付き合っている以上は「外見的に誠実」であることを要求する。彼らにとって男女が別れたら、それで終わりだ。昔の彼女とは会わないし、もう一度ゼロからやり直すのが基本だ。しかし形や外見にこだわるのは、相手に浮気され、捨てられるのではないか、という不安がつねに心の奥底にあるからだ。

二人がすれ違っていくのはそれぞれの倫理が宿る場所が決定的に違うからだということがわかる。フランス人は「恋愛の中身をもとめる誠実さ」ゆえに、よりよい相手に巡り会うために多くの相手と付き合って経験を積むのだ。先ほど引用した宮台氏は「別の異性と比較してくれ。それで揺らがぬ愛でなくして何が愛か、と悠然と構える、内発性&信頼ベースのフランス流。どちらが良いか」と別の文章で問いかけている。

中絶の問題に結び付けて言えば、1971年当時のフランスでは中絶は非合法で、当事者と幇助者は堕胎罪で罰せられた。中絶は男女の乱れた関係の結果であり、「あばすれ」という偏見的なイメージで見られた。しかし中絶や避妊の問題は宗教的倫理や社会的偏見から切り離されて、関係を築こうとする当事者の側から捉え直されなければならなかった。343人の彼女たちの訴えは、社会的な合意形成に至り、男女についての意識を根本的に変えたのだった。

今のフランスでは中絶どころか、「複合家族 famille recomposée 」が当たり前になってきている。結婚にせよ、PACS にせよ、くっついたり、別れたりしているうちに、子供もできて、家族関係が複雑になっていくが、それをありのままに受け入れる。子供のために別れた相手と苦々しい思いで一緒にバカンスを過ごすこともあるようだ。日本では相手の連れ子を虐待するニュースが頻繁に流れるが、精神的なタフさがないとこんな状況に耐えられないだろう。見た目には乱れた関係のように見えるが、その時点でのベターな関係を彼らなりに模索しているのだ。

ジャックはまたフランス人の食文化があまりに「むき出し」なことに耐えられない。ウサギを頭まで食べることが信じられないし、市場で生きたままの姿の豚や子羊がさばかれているのを見て気分が悪くなる。アメリカ人は本当にそういうのが嫌いなのかもしれない。「ザ・コーブ」の血に染まった海のシーンが日本バッシングを誘発したのもむべなるかな。結局は同じ残酷なことをやっていても、ハンバーガーのように本来の姿や製造過程を隠し、「見た目」を整えろってことなのだろう。それでもジャックは「ブッシュ・キャンペーン」のTシャツを着て、キリスト原理主義的な関心によって「ダビンチ・コード」ツアーをしているロボットみたいなアメリカ人観光客たちに対して、「あいつらは愚鈍な政治や文化の象徴だ」と吐き捨てる。

「街は臭くて、人々はいいかげんで、男は女を口説くことしか考えていない」とマリオンは言う。ある意味、見た目を気にしない、なりふりかまわない健全な世界だ。生身の人間どうしがぶつかりあい、とりとめなく紡ぎだされる言葉。それはとことん甘いか、激しい口論かのいずれかだ。フランス映画はこの古典的なパターンを永遠に反復すればいい。クールジャパンなんか気にもとめない、愛の国を地で行くようなフランスが温存されていい気がする。

『恋人たちの二日間』には「何でこれがアートなわけ?」というアイロニーも感じられる。フランスはアートに理解があるというより、アートを補助金で底上げして、アートの物語を回している国だ。それは重要な観光資源でもある。マリオンの父親の書く絵は下品だし、友人のアーティストにとってアートは女性を口説く口実に過ぎないように見えるが、すべてアートの名のもとに許されてしまうのだ。

また言葉がわからなくて状況を把握できていないのはジャックだけではない。映画に登場するタクシー運転手はこぞって差別主義者だ。昔はパリでは英語が通じないとうのが定説だったが、今はむしろ英語がまかり通る状況だ。外国人を頻繁に相手にするタクシー運転手が英語を話せないとすれば、反動的になっていくのもわかる。





cyberbloom


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2011年09月16日

『パリ、恋人たちの2日間』(1) ボボとは誰か

ジュリー・デルピー監督&主演の『パリ、恋人たちの2日間』を見た。ゴダールに見出され、レオス・カラックスの『汚れた血』で夜のパリを軽やかにかけていた少女も、いい感じで歳を重ねるマダムになった。デルピーは1990年からアメリカに移り住み、ニューヨーク大学で映画作りを学んでいる。この主演&監督作品は、アメリカ人とフランス人が戯画化されて描かれるラブコメディ。男女の信頼関係といった古典的なテーマの反復だが、68年とかグローバル化とか独特の味付けがある。



デルピーによると主人公のふたりは典型的なボボ(ブルジョワ・ボヘミアン)」だという。ところでボボとはどのような人々なのか。デイヴィド・ブルックスの『アメリカ新上流階級 ボボズ―ニューリッチたちの優雅な生き方』が参考になるだろう。

ブルックスによれば、アメリカのボボたちのライフスタイルは「脂肪分ゼロのトールサイズのラテをすすりながら、携帯電話でおしゃべりをする。きちんと整備されたSUVに乗って、ポッタリー・バーン(インテリア・雑貨店 http://www.potterybarn.com/ )へ48ドルのチタン製フライ返しを買いに行く。彼らはブランド店が並ぶ豪華な通りを、最高品質のハイキングブーツで闊歩し、オリーブとウィートグラスのマフィンのために5ドルも払うことをいとわない」ことに象徴されている。これまでのブルジョワはSUVなんて乗らないし、チタン製のフライ返しなどに興味を持たない。ブランド街にハイキングブーツは本来馴染まないはずだ。しかし彼らは成金趣味やブルジョワ的な退屈さやベタさの代わりに、洗練されたモノやスタイルへのこだわり、ダイエット志向やエコロジーをライフスタイルに組み込むのだ。つまり彼らは本来相容れないはずの文化の同居とせめぎあいの中に生きている。

ベースとなるのは1960年代以前のブルジョワ文化と60年代の対抗文化である。これがブルジョワ+ボヘミアン、ボボ ( Bourgeois+Bohemian = Bobo )という言葉の由来である。ボヘミアンは19世紀フランスのロマン主義に端を発しているのだが、60年代の対抗文化を生きた急進派学生は「セックス、ドラッグ、ロックンロール」に象徴されるボヘミアンな自己表現を好んだ。やがて彼らの運動や文化は国家によって抑圧されたように見えたが、その中でも1969年に行われ、多くの若者を動員したロックフェスティバル、ウッドストックの両義性に注目する必要がある。両義性とは反資本主義や反商業主義の主張や身振りが巨大産業になりうることを証明したことである。相反するふたつの力が折り合い、互いを取り込んだのである。ブルックスはボボの典型としてオリバー・ストーンやルー・リードの名前を挙げている。

ボボたちの本質はつまるところ世俗的な成功と内なる美学の両立にある。彼らは成功を求めるが、野心によって魂を枯渇させてはいけないし、物質の奴隷になってはいけないと思っている。彼らは資産を蓄積するが、それはやりたいことに使うためであって、資産に縛られ、意味のない習慣に陥るためではない。経済的な成功を楽しみながらも自由な精神を持った反逆者でありたいし、クリエイティブな自己表現と一緒に大金が入ってくるのが最も理想的な仕事なのだ。新製品のプレゼンの際にはスーツを着ずに、自由な雰囲気でユーザーたちに語りかけるアップルのスティーブ・ジョブズもこのジャンルに入るタイプである。彼は実際60年代にインドを放浪したヒッピーだった。

ジョブズだけでなく、シリコンバレーの新しい技術者たちもボボたちの二面性を共有している。認知科学者、エンジニア、コンピュータ科学者、ビデオゲーム開発者など、彼らの多くはコンピュータやインターネットにかかわる高いスキルを持ち、新しくて独特な「ヴァーチャル階級」を形成している。社長たちは期限付きの契約でこれらのテクノ・インテリゲンチアを雇い、組織する。彼らは良い給料をもらうだけでなく、仕事のペースと仕事の場所に対してかなりの自立性を持っている。この新しい働き方が、ヒッピーと組織人の文化的な区別を曖昧にし、労働のイメージを一変させた。また彼らの仕事のアイデアは遊びの中にこそあり、彼らの生み出す製品やサービスを利用する者たちと同じ目線からのフィードバックが必要なのだ。これもグーグルの社内を思い出してみるといい。

『パリ、恋人たちの2日間』のカップルはインテリアデザイナーとカメラマン。コンピュータとは直接関係ないが、情報化時代の自由な職業であり、イメージや高付加価値を売り物にしていることには変わりはない。マリオンが過去に付き合った男たちも小説家やアーティストで、仕事をしているのか遊んでいるのかわからない、ある意味胡散臭い連中だ。この映画は2007年に公開で、ユーロバブルの絶頂期に撮られていることになるが、芸術という物語の中で戯れ、理想のパートナー探し=自分探しにうつつを抜かせるのも経済的余裕があってこそである。

「パリ、恋人たちの二日間」(2)フランス的誠実さとは



cyberbloom


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2010年11月21日

ヒッチコックの正統なる継承者―シャブロルを追悼する―

ヌーヴェル・ヴァーグを代表する映画監督クロード・シャブロルが亡くなった。享年80歳。今年は春にエリック・ロメールも亡くなっており、ヌーヴェル・ヴァーグの「5人の騎士たち」(ゴダール、トリュフォー、ロメール、シャブロル、リヴェット)のうち、1984年に夭折したトリュフォーを含め、これで3人が鬼籍に入ったことになる。

ボヴァリー夫人 [DVD]シャブロル逝去の記事を日本の複数の新聞で読んでみると、代表作はデビュー当時の作品と『主婦マリーがしたこと』(Une affaire de femmes, 1989)、『ボヴァリー夫人』(Madame Bovary, 1991)の2作品であるかのように書かれている。しかし、これではシャブロルについて何も説明したことにならない。日本の大手新聞がフランス文化について関心を払わなくなったことの証しが、これらの記事には如実に表れている。そこで、ここでは日本の新聞記事を訂正し、シャブロルを正しく追悼したい。

「今夜はシャブロルだ」という一言は、フランスの家庭では「今夜はミステリー映画だ」と同じ意味を持つ。それほど、シャブロルは「ミステリーの巨匠」としてフランスでは絶大なる信頼と尊敬を集める存在だったのだ。実際、シャブロルのフィルモグラフィーは膨大なミステリー・犯罪もので埋め尽くされている。

ヌーヴェル・ヴァーグの根幹にあるのは「ホークス=ヒッチコック主義」と言われる理論であった。彼らはハワード・ホークスの「明晰さ」とアルフレッド・ヒッチコックの「サスペンス」という映画技法を自らの作品の根幹に据えたのである。実際、映画批評家時代の彼らはホークスやヒッチコックに直接インタビューを敢行し、彼らとの対話によってその技術を習得しようとやっきになったものである。この点に関しては、トリュフォーが行った50時間に亘るインタビュー『ヒッチコック=トリュフォー 映画術』(山田宏一・蓮実重彦訳、晶文社)、ゴダールらによるインタビュー集成『作家主義―映画の父たちに聞く―』(奥村昭夫訳、リブロポート)を紐解けば詳しい。

定本 映画術 ヒッチコック・トリュフォーその中でヒッチコックを最も敬愛してやまなかったのがシャブロルであった。他の多くの映画監督がそれぞれの作風を確立して行く中、犯罪、探偵、ミステリーだけを一途に撮り続け、その分野の頂点を極めたのがシャブロルである。その彼の最高傑作が『沈黙の女/ロウフィールド館の惨劇』(La Cérémonie, 1995)であった。荒んだブルジョワ家庭とその使用人、そしてそこに絡んでくる郵便局員の心理が巧みに描かれる。女主人はジャクリーヌ・ビセット、使用人はサンドリーヌ・ボネール、郵便局員はイザベル・ユペールである。抑圧されていた使用人の心が、最後になって爆発し、殺人事件へとなだれ込んでいく過程の描写は凄まじい。

実際、ミステリーというジャンルはフランス文化の中でも中枢に位置するほどのものであるが、そこに君臨するシャブロルは単なる映画監督でなく、現代フランス文化の精髄を牽引した存在なのだと言っても過言ではないのだ。そうした面が日本の報道では全く無視されてしまうのは残念という他ない。

『ジャガーの眼』(Marie-Chantal contre le docteur Kha, 1965)を始めとする映画を撮っていた時期、シャブロルは商業主義に傾斜したのではないか、と批判されたこともある。実際、ヌーヴェル・ヴァーグの監督たちの多くはその実験精神に翳りが見えた時期を経験したが、シャブロルの「ヒッチコック主義」は停滞するということを知らなかった。批判に対して、「それでも私は映画を撮る」Et pourtant je tourne (1976)という著書まで出したシャブロルに迷いは全くなかったようだ。

石の微笑 [DVD]『愛の地獄』(L’enfer, 1995)、『嘘の心』(Au coeur du mensonge, 1999)、『石の微笑』(La demoiselle d’honneur, 2004)など、90年代から晩年に至る彼の作品群は、その「ヒッチコック主義」がもっとも洗練された形で開花したものと言っても間違いないであろう。彼はヒッチコックの精神を受け継ぎながら、紛れもなく彼でなければ撮ることのできないミステリー映画の世界を完成させたのである。

映画監督を離れた実際のシャブロルは、しかし陽気な人間であったようだ。フランスのテレビ番組に出て来て滑稽なパフォーマンスを披露し聴衆の爆笑を誘う姿は、日本の映画監督でいうと鈴木清順のあり方に近い。そういえば、清順も日本よりも国外での評価の方が圧倒的に高い存在であった。その作風からも、シャブロルと清順には似た部分があるかもしれない。

シャブロルの本当の評価はこれから始まるだろう。ヌーヴァル・ヴァーグの貴重な一員としての評価もさることながら、「ミステリーの巨匠」として彼が映画史に残したものは決して侮ることの出来ないほど重要なものなのである。





不知火検校

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2010年08月19日

ジャン=リュック・ゴダール、Film Socialisme インタビュー

挑発的で親密なインタビューのためにゴダールは私たちをスイスの自宅に招いてくれた。ロール Rolle にようこそ。ロールは世界の中心という場所ではない。ジュネーブから40キロ離れ、レマン湖に面した少々陰鬱な街に過ぎない。しかし税金逃れをしたい億万長者にとっての楽園でもある。私たちをジュネーブ駅で拾ってくれた愛想のいいタクシー運転手は、ほとんど税金を払っていない人々の地理を知り尽くしている。「あの丘のふもとの家はミヒャエル・シュマッハー(レーサー)の家です。そこにはピーター・ユスティノフ(作家)が住んでいて、向こうにはフィル・コリンズ(ミュージシャン)…」

「じゃ、ゴダールは?」と尋ねると運転手は答えた。「あるとき一人の日本人が私の車に乗り込んできました。そしてわたしにゴダールさんはどこに住んでいるのかと尋ねました。私は知っていると言い、彼をそこへ連れていきました。彼はちょっと待っていてくださいと言って、ゴダールの家の写真を3枚撮りました。そして駅に戻りました。ゴダールさんは日本にまで知れ渡っているんですよ」。

フランスに住民票があるので、ゴダールはそこで税金を払っている。彼はスイスで生活しているが、彼はそこで生まれたからだ。そこにあるいくつかの風景なしではいられないと言っている。いつも彼とのインタビューではそうなのだが、背景がパノラミックなのだ。4時間のあいだ、6つのスクリーンと彼が引用するVHSやDVDが詰まった棚のある仕事場のすぐ隣の、ちょっと雑然としているが、とても機能的なオフィスでインタビューは行われた。そこで私たちは歴史や、政治や、ギリシャや、知的所有権や、もちろん映画について話した。さらにはもっとプライベートな事柄、例えば健康とか死について。



インタビュア:なぜ、’Film Socialisme’ というタイトルなんですか。
ゴダール:私は前もってタイトルを決めます。タイトルが私が撮る映画の指標になります。映画のどんなアイデアにも先んじてまずタイトルがあります。それは音楽のラ(A)のようなものです。わたしはタイトル(titre)のリストをまるごと持っています。ちょうど貴族の称号(titres de noblesse)や有価証券(titres de banque)のように。今はむしろ有価証券ですね。私は「Socialisme」というタイトルで撮り始めました。撮影が進むに連れてそれは満足できるものではないように思えてきました。映画はコミュニスムやキャピタリスムと呼ばれてよいものでした。ところがある面白い偶然が起こりました。私がプレゼン用の小冊子を哲学者のジャン=ポール・キュルニエに送り、彼がそれを読んだときのことでした。それには制作会社の Vega Film の名前がついていて(※つまり Vega Film Socialisme と書かれてた) 、彼は映画のタイトルを Film Socialisme と勘違いしたのでした。彼は10枚以上もある長い手紙で、それがどれだけ彼の気に入ったかを書いてよこしました。私は彼が正しいに違いないと思い、映画のタイトルをそれに決めました。

インタビュア:地中海やホメロスのクルージングのアイデアはどこから来たのですか?
ゴダール:最初私はセルビアで起こるような別の歴史のことを考えていました。しかしうまくいきませんでした。そのとき私にガレージの中の家族というアイデアが浮かびました。マルタン一家です。しかしそれはロングショットでは持ちませんでした。ロングショットで撮れていたら、人々は登場人物になっていただろうし、そこで起こっていることも物語になったことでしょうから。対話や心理によって作られるフランス映画のような、ひとりの母親と彼女の子供たちの物語です。

インタビュア:その家族のメンバーは、普通のフィクションの人物たちとほとんど同じで、あなたの映画らしくありませんでした。
ゴダール:おそらくそうでしょう。しかしながら全くそうというわけではありません。彼らは登場人物になる前にシーンが中断します。彼らはむしろ彫像です。話す彫像です。人が彫像について話すときに、それは昔のものだと言います。そして人が昔というとき、旅に出かけ、地中海に船で乗り出します。クルージングのアイデアはそこから来ています。私は今世紀始めの論客レオン・ドーデの、『シェークスピアの旅』という本を読みました。彼はその本の中で若いシェークスピアの地中海の船旅の行程を追っています。シェークスピア自身はそれについて何も書いていませんが。

インタビュア:例えばアドピ法(La loi Hadopi)、つまりは違法ダウンロードの問題、イメージの所有権についてはどうですか。
ゴダール:私はもちろんアドピ法に反対です。知的所有権など存在しません。私は相続にも反対です。つまりアーティストの子供が彼らの親の作品の著作権の恩恵をうけることです。子供が成人するまではいいと思いますが、ラヴェルの子供たちが「ボレロ」の権利にタッチするのは当然のことではないと思います。

インタビュア:あなたの映画からイメージを拝借するアーティストに見返りを要求しないのですか。
ゴダール:もちろんしません。さらにそうしたあげくにネット上で公開する人々もいるでしょうが、一般的には良くないことです。しかし私は彼らが私から何かを取っているという感情は持ちません。私はインターネットを使っていませんが、連れのアンヌ=マリーは使っています。しかし二匹の猫のイメージ(※予告編にも一瞬出てくる)のように、私の映画にもインターネットから取ったものがあります。

インタビュア:あなたの映画は FilmoTV を介してネット上で見れます。映画館での上映と同時に。
ゴダール:それは私のアイデアではありません。予告編を作ったとき、私はそれを Youtube に流すことを提案しました。ネット配信は配給会社のアイデアです。彼らは映画にお金を出しているので、わたしは彼らの要求どおりにしました。もしそれが私の決定だったら、そんな形で劇場公開しなかったでしょう。映画を撮るのに4年かかりました。製作に関しては異例です。私はそれを Battaggia、Arragno、Grivas と一緒に4人で撮りました。それぞれが独自に始めてイメージを集めました。グリヴァスはひとりでエジプトに出かけ、何時間分ものフィルムを持ち帰りました。私たちは多くの時間を費やしました。私は映画の配給に関しては映画を作るのにかかった時間と同じ分だけ収益を得たいと思っています。

インタビュア:映画の最後から2番目の引用に、「法が不当なものであれば、正義は法に先立つ」というのがありました。
ゴダール:これは著作権に関することです。すべてのDVDは違法コピーを禁じるFBIの警告から始まります。しかしそのフレーズから別のことを知ることもできます。例えばローマン・ポランスキー Roman Polanski の逮捕を思い出すでしょう。

インタビュア:ポランスキーの逮捕があなたの国スイスで起こったという事実があなたには重要なのですか。
ゴダール:私はスイス人でも通るし、フランスに住民登録していて、税金も払っています。スイスには私が好きな、私にはなくてはならないいくつかの風景があります。私のルーツもここにあります。しかし政治的には多くのことにショックを受けています。ポランスキーに関して言えば、スイスはアメリカに従う必要はありませんでした。もっと議論すべきで、受け入れるべきではありませんでした。カンヌに行くすべての映画関係者はポランスキーのために動くべきす。スイスの裁判所は間違っていると主張して欲しかった。ジャファール・パナヒ Jafar Panahi を支持するためにそうしたように。イラン政府は悪い政府と言うようにスイスの政府もよくないと。

インタビュア:ギリシャの危機もあなたの映画に強く反響してますね。
ゴダール:私たちはギリシャに感謝しなければならないでしょう。ギリシャに対して借りがあるのは西洋です。哲学、民主制、悲劇。私たちは悲劇と民主制の関係を忘れがちです。ソフォクレスがなければ、ペリクレスもありません。私たちが生きているテクノロジーの世界はすべてをギリシャに負っています。論理学を考えたのは誰でしょう。アリストテレスです。これがこうで、それがそうなら、こうだ。これが論理というものです。これは強国がとりわけ矛盾を生じないように、ひとつの論理の中にとどまれるように、一日中使っている手です。ハンナ・アーレントがまさに言ったようにロジックが全体主義を生むのです。ギリシャのおかげで今みんながお金を稼げているのですから、ギリシャは巨額の著作権料を現代の世界に要求することができるでしょう。ギリシャにお金を払うことはロジックになかうでしょう。すぐに払うことです。

インタビュア:ギリシャは嘘つきと非難されています。
ゴダール:小学校で習った古い3段論法を思い出します。エパミノンダスは嘘つきだ。ところでギリシャ人はすべて嘘つきだ。したがってエパミノンダスはギリシャ人だ。人はあまり進歩していないですね。

☆Les InRocks.com に掲載されたジャン=リュック・ゴダールのインタビュー "Le droit d’auteur ? Un auteur n’a que des devoirs"(著作権だって?作家には義務しかない)を部分的に訳出してみました。ロメールに言及した箇所もあったのですが、残りは時間があったら。

"Le droit d’auteur ? Un auteur n’a que des devoirs"
Un entretien avec Jean-Luc Godard
Les InRocks.com
18 mai 2010



☆”Film socialisme”は今年のカンヌ映画祭の「ある視点 Un Certain Regard」部門に出品されたが、5月17日と18日の2日間、映画館での封切りに先駆けて、そしてカンヌ映画祭と同じ日にVOD(=Video On Demand)で配信された。
http://www.filmotv.fr/



cyberbloom
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2010年06月30日

ずっとあなたを愛してる Il y a longtemps que je t'aime

本来一刻も早く全国の飲食店が全面禁煙になるのを待ち望んでいる身なのだが、カフェでタバコをくゆらすクリスティン・スコット=トーマスを見ると、うわ、カッコいいーと思ってしまうのも事実だ。煙が出ないタバコをJTが開発したらしいけど、それでは紫煙をくゆらせるーという表現は使えない。人生に疲れた大人の女の格好良さはやはりタバコの吸い方一つにも現れるものだ。

longtemps-aime02.jpgイギリス人女優クリスティン・スコット=トーマスが全編フランス語で通すのだが、やや英語っぽいフランス語が聞き取りやすい。フランス語専攻のみなさんにはどう聞こえるのかわからないが。
 
あまり日本人には受けない骨美人と思っていたが、のっけからしわの目立つ疲れたすっぴんにたるんだ腹回り。サイズの合わない服。イングリッシュ・ペイシェントから過ぎた年月の重さをリアルに感じさせる気合の入った演技だ。

重い罪を犯して釈放されたばかり、人待ち顔で空港に座る彼女ジュリエットをやや若い女性―妹レアが迎えに現れる。二人の間に漂う緊張感。
 
話の展開は単純だ。無表情で人を寄せ付けないジュリエットがレアの家族―夫と夫の父(口がきけないというがミソ)、二人のベトナム人の養女たち―やその友人達と過ごすうちに次第に人間らしさを取り戻し、かつては医師だった彼女がなぜ息子を殺すという大罪を犯したのかーが最後にわかるようになっている。
 
しかし別に彼女の罪云々はどうでもよい。ジュリエットが再生していく過程が丁寧に、繊細に描かれている上質な映画造りと演技とを堪能すればいいのだ。

カフェで声をかけてきた知らない男と寝てーしかも「全然ダメ」なんて相手に言ってしまったり、妹の養女に本を読み聞かせてやったり、次第に女の部分と母親の部分―彼女が長年凍りつかせてきたものが溶け始める。

化粧をし、似合う色合いの服を身につけ、自分を長年待っていてくれた人に重い秘密を打ち明けた時、一人暮らしを始める彼女のアパートに差し込む光が印象的だ。

別に映画に3Dなんていらないよね。いい脚本と演出と確かな演技があればいい。そう思わせる静かな佳作。
 

□公式サイト http://www.zutto-movie.jp/


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2010年06月23日

『未来の食卓』または未来に食卓はあるのかという話

僕は日本で献血ができない。それは「1980年から2004年までの間に通算6ヶ月以上フランスに滞在歴がある」(日本赤十字社による定義)からだ。つまり、変異型クロイツフェルト・ヤコブ病(狂牛病との関連が疑われる病気)の原因物質を血液が含んでいるかもしれない危険人物ということである。

未来の食卓 [DVD]このような予防措置は当然必要だし、僕の血液が危険ではないと、僕自身も言い切れない。しかし、僕はそのような危険を賭して、フランスに留学したのではなかった。そこに問題がある。いつの間にか、巻き込まれてしまった。だからといって、僕が無辜の被害者だというわけでもない。というのは、狂牛病の場合で言えば、肉骨粉を飼料にして安くあげようとする社会のシステムの恩恵を十分に蒙って、貧乏学生の身分でもたまには肉を買って食べていたからである。

環境汚染もまた同様である。映画『未来の食卓』を観て、その思いを強くした。このドキュメンタリー映画の原題は”Nos enfants nous accuseront”、直訳すれば「私たちの子供たちはいずれ私たちを告発するだろう」。南フランスの農村地帯では、小児がん患者が増加の一方をたどっている。それは明らかに農薬と化学肥料の直接・間接摂取の影響だ、とモンペリエ大学の医学博士は証言する。除草剤と殺虫剤を散布すれば、少人数で大規模な農地の管理が可能になり、それだけ収穫と収入を増やすことができる。だが、土壌は汚染され、やがては不毛の地となるだろう。

http://www.uplink.co.jp/shokutaku/
http://www.nosenfantsnousaccuseront-lefilm.com/

恐ろしい映像を見た。30年間、有機栽培(フランス語では有機栽培の農作物や製品をひっくるめてビオbioと呼ぶ)を続けてきた葡萄畑と、農薬散布を続けてきた葡萄畑が、ちょうど隣り合わせている。春先、ビオの畑は畝の間に雑草がびっしり生えているが、農薬散布の畑は、まるで墓標のように葡萄の苗木が並んでいるだけで、草一本生えていない。土を掘り返すと、ビオの畑の方は、土塊は湿気をたっぷり含みながらもばらけず、中にはミミズが数匹這い回っている。農薬散布の方は、煉瓦を重ねたように粘土質の階層状に分離してしまう。もちろん生物は皆無だ。どちらがまともか、一目瞭然である。だが、僕たちが口にするフランスワインの大半は、この煉瓦状の土から育った葡萄で作られていると思ってよい(ちなみに、「AB (agriculture bio)」というビオの認定マークを受けるには最低3年間の無農薬栽培が必要)。

こうした現状に危機感を抱き、南仏のバルジャック村では、村長のイニシアティブで学校給食の完全ビオ化を実行した。農薬を使い続ける家庭もあるなか、その意義をめぐって村では議論が巻き起こる。健康が大事なのは分かるが、ビオは作るのに手間がかかり、買う側としても値段が高い。しかし、村の映画館で開催された討論会で、村長は言い放つ。「すぐに金の心配をするな、まずは自分の良心に問いかけろ」。実際、ビオ給食は赤字予算なのだ。それでも、これは必要なことなのだから、他の予算を削ってでもやらなければならない、と村長は確信している。

良心の問題は、労働現場にも影響する。給食をビオにしてから、調理人の意識が変わった。かつては殺虫剤まみれの缶詰を使っていたが、今では自分が責任をもてる食材を子供たちに提供している。そのことが、調理人にとっても誇りとなる。学校の片隅には畑が作られ、子供たちはビオを食べるだけでなく、野菜の栽培と収穫を通して、ビオのサイクルに自ら関わることを教えられる。教師も、子供たちの前で、消費社会の矛盾をはっきりと口にすることができる。

僕はと言えば、まさに殺虫剤まみれの缶詰を3年間もフランスの大学の学生食堂で食べた人間であり、今さらながらぞっとした。しかも、それが自分の子供に間接汚染を惹き起こすかもしれないということになれば、まさに僕は次世代への犯罪に加担したことになる。知らなかった、では済まされない。と言うよりも、まさにそんなことも知らずに、生産と消費のからくりも知ろうとせずに、汚染された食品を摂取し続けたことが罪状となるのだ。それは逃れようのない罪と言うべきだろう。僕は子供たちに告発されるのを待つしかない。

映画の冒頭、ユネスコの会議でアメリカの科学者が警告する。「近代が始まって以来、子供の健康が初めて親のそれに劣るであろう」と。医療技術の発達が乳幼児の死亡率や疾病率を下げてきたとすれば、環境汚染が今度は子供たちをゆっくりと殺していくことになる。「そんなことがあってはならない(That should not be.)」と科学者は付け加えた。本当にそうだ。野菜が虫に食われる方が、人間が薬品に蝕まれるより、どれだけ平和な光景かわからない。『未来の食卓』とは、一見希望に満ちた邦題だが、この映画の原題が伝えているのは、むしろ「未来に食卓と呼べるものがあるのか」という危機感である。これからどんなものが食べられるのか、というよりも、安全に食べられるものが何かあるのか、という問いに、僕たちは直面しているのである。




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2010年05月25日

ロシアン・ドールズ Les Poupées russes

「スパニッシュアパートメント」の続編「ロシアンドールズ」をようやく見た。「スパニッシュアパートメント」は授業で教材に使い、何度も繰り返し見ているので、登場人物たちと何だか顔見知りのような気がしてしまう。実際、この作品は前作の同窓会的なノリだ。



タイトルになっているロシアン・ドールズはいわゆるマトリョーシカってやつで、入れ子になっている人形のこと。ロシアン・ドールズは、これが最後の相手と思っても、その向こうに理想の相手が待っているのでは、と疑ってしまうことの象徴になっている。ひとりの相手を決めることができない。あらゆる可能性を試さずにはいられない。カバは一生、ひとり(一頭?)の相手と添い遂げるというのに(笑)。

モード雑誌の表紙を飾るスーパーモデルとも関係ができたりして、グザビエ君、ありえない。「スパアパ」でも美しい人妻と不倫していたし。とはいえ、グザビエだけでなく、マルティーヌもウェンディも恋愛に関して至って真剣なのだが、傍から見ていてもあまり同情する気になれない。欲望にはきりがない。きりがないのが欲望だ。それって何だが覚えのあるバブリーなテーマだ。日本では80年代後半くらいに「トレンディードラマ」(笑)でよく見かけたパターンだ。バブルになると自分の可能性まで広がったと勘違いする。可能性のバブルと際限のない差異の戯れの中で溺れてしまうのだ。

この映画の公開は2005年。時期的にもリーマンショック以前の映画なのだが、さらにはユーロ・バブルの産物と言えるかもしれない。ユーロはリーマンショックの直前に1ユーロ=170円(=1・6ドル)をつけるが、2005年はそれに向けてまっしぐらな時期だった。セシルはグザビエと同じ経済学部出身だが、テレビのメロドラマを書いたり、モデルのゴーストライターをやったり、不本意な作家生活を送っているグザビエとは対照的に、金融資本主義の波にうまく乗り、レズビアンの友だちを集めて羽振りの良い生活をしている。とどめには金融情報メディア、ブルームバーグ Bloomberg にも出演している姿が映し出される。ウェンディは父親がロンドンに買っておいてくれたフラットに住んでいて、「今じゃ高くて買えないわ」と、不動産バブルをほのめかしている。当時パリでも不動産価格の高騰や家賃の上昇がよくニュースになっていた。ユーロはリーマンショック後110円台にまで下落し、現在、ギリシャ危機の影響で120円台で低迷している。

経済的な余裕があるから恋愛にこだわっていられる。理想の相手を求め続けることは普遍的な問題ではあるものの、今は恋愛すら難しい状況にある。実際、リーマンショックの予感の中で撮られたクラピッシュの最新作「PARIS」の登場人物たちはパリのすさんだ空気の中で萎縮し、臆病になり、人を愛することさえためらっている。

「スパニッシュアパートメント」で混沌としているが可能性に満ちたEUの未来を信じ、「ロシアン・ドールズ」でユーロ・バブルなメンタリティーを描き出したクラピッシュは「PARIS」で明らかに方向転換し、堅実なメッセージを発している。

「みんな不満だらけで、文句ばかり言っている。これがパリだ。」グザビエと同じくロマン・デュリスが演じるピエールのセリフが毎日続くデモの話題と重ね合わせて発せられる。「みんな自分が幸せだということをわかっていない」。パリあるいはフランスという枠の中で不満を言い、分け前をよこせと言っているわけだが、「PARIS」の中で、密航によってパリを目指すアフリカの若者が平行して描かれているように、パリもフランスもすでにグローバリゼーションの波の中にある。そういう自分たちの狭い特権的な枠の中で考えられなくなっている、とクラピッシュは言いたいのだろう。もはや分け前をとるだけとって、逃げ切る場所なんてどこにもない。身も蓋もない言い方をすれば、幸せになるためには幸せのレベルを下げろ、幸せの質を変えろということなのだ。

関連エントリー「PARIS」
関連エントリー「スパニッシュ・アパートメント」


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タグ:ユーロ
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2010年05月13日

新旧フランス女優列伝(3)ヴァレリア・ブルー二=テデスキの巻

嘘の心 [DVD]ヴァレリア・ブルー二=テデスキという女優が気になりだしたのは、クロード・シャブロル監督の『嘘の心』(1999)という作品を観た辺りからだ。物語は例によってフランスの片田舎で起きた殺人事件。犯人は一体誰なのか。たまたま通りかかっただけの女性に疑いがかけられるのだが、真相は分らない。この映画でヴァレリアは冷静沈着な刑事を演じており、次第に真犯人を追い詰めていく。

ポーカーフェイスの表情と洗練された立ち居振る舞い。そして、抑制が効いた低いハスキーな声。無機質なようで鋭いまなざし。一目見ただけでは悪玉なのか善玉なのか、全く見当がつかない。しかし、圧倒的な存在感でそこに佇む女…。そんな役をやらせたらこの人の右に出る者はいないだろう。彼女の出現は、確かにフランス映画に新しい風をもたらしたといっても過言ではない。いま、彼女のような実力派女優を抜きにしてはまともなフランス映画を作るのは難しいのではないだろうか。

彼女はある意味で、フランスで最も有名な女性の姉でもある。妹はサルコジ大統領夫人のカーラ・ブルー二だが、彼女の演技力に魅せられてしまった者はそんなことを気にすることはまずないだろう。妹が大統領夫人であろうがスーパーモデルであろうが、そんなこととは無関係に、ヴァレリアは間違いなく映画史に名を残す名女優であるからだ。

ぼくを葬る [DVD]そんな彼女の才能を世界の映画作家が放っておくはずがなく、誰もが好んで自分の映画に彼女を使おうとする。『愛する者よ、列車に乗れ』(1998)のパトリス・シェロー(もっとも、彼女はシェローの演劇学校で学んだ経緯があり、この起用は当然なのだが)。『二人の五つの分かれ道』(2004)、『僕を葬る』(2005)のフランソワ・オゾン。『ミュンヘン』(2005)のスティーヴン・スピルバーグなどがそれだ。『プロヴァンスの贈り物』(2006)のリドリー・スコットの名を加えても良いかもしれない。日本人では諏訪敦彦が『不完全なふたり』(2005)で彼女を主演に据えたことが記憶に新しい。この映画はロカルノ映画祭で高い評価を受けたことで知られている。

余りにもフランス映画で活躍しているので、彼女がイアリア人とフランス人の混血であるということを忘れてしまいそうになるが、ある映画がそのことを思い出させてくれた。日本で『明日へのチケット』(2005)という題で公開されたその映画は、ケン・ローチ、アッバス・キアロスタミ、エルマンノ・オルミという三人の名匠が撮った短編によって構成されるオムニバス映画である。三本の短編はどれも、ある特急列車に乗った人物を主人公にしている。

明日へのチケット [DVD]エルマンノ・オルミが監督した作品の中で、ローマに帰る大学教授を駅まで見送る企業秘書の役をヴァレリアは演じている。教授は列車の中でも秘書の面影が忘れられず、回想に浸る…。この映画でヴァレリアは当然ながら終止イタリア語を話すのだが、これまでフランス語を話す彼女ばかりを見ていた観客に、これはいささかの驚きをもたらしたと思う。フランス語を話すときは冷徹な雰囲気を醸し出すヴァレリアの声が、イタリア語では何とも艶めかしい響きになるのである。彼女は間違いなくイタリア女優―ステファニア・サンドレッリやモニカ・ヴィッティのような―の官能的な血を受け継いでいるだということを改めて思い知らされた。と同時に、この作品は短編ながら、彼女の演技の幅の広さを強く印象付ける作品ともなっている。

最近、彼女はActrice『女優』(2007)という映画で、監督・主演を果たしている。映画監督としては二本目であり、女優としてはコメディエンヌとしての側面もこの映画ではクローズアップされている。いまではソフィー・マルソーまで監督をやるような時代だから、誰でも監督をやれると言えばその通りなのだが、ヴァレリアにかかる期待はソフィーにかかるそれとは同じものではないだろう。ヴァレリアの次の作品を期待しているのは私だけではないはずだ。







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2010年04月01日

TAXi 2

先日、授業中に映画鑑賞をしていたときのこと。ちょっと古い映画であるものの毎年学生さんの評判がいいので『TAXi 2』をよくとりあげているのですが、観劇中ふとあることに気がついてカルチャーショックじみたものを感じました。この映画では案外エゲツない描写がちりばめられてるんだなぁ、と。



まずその一つ目ですが、冒頭付近で主人公のダニエルが恋人のリリーの実家を初訪問する場面からはじまります。リリーの父親というのがフランス軍の幹部で、公私混同もはなはだしく普段から話す口調がやたらと軍人っぽくて、とっつきにくいところがある。ところが、飄々とした&物怖じしない性格のダニエルはエスプリの利いたやりとりで対応し、この父親と意気投合することに成功します。

そして、ぼくが気になったのはその直後で、リリーの父親がアルジェリア戦争での武勲を誇らしげに語る場面。この自慢話をリリーと母親はさんざっぱら聞かされているらしく、気もそぞろに聞き流している一方で、恋人の父親に配慮をしているのか、ダニエルはふんふんとそれなりに真剣に聞いている。ここで、「あ」と気がついたことがありました。

というのも、ダニエルはフランス旧植民地国の移民という設定であり、で、この(アルジェリアからの?)移民であるダニエルに対し、フランス軍の幹部がアルジェリア戦争の武勲を語るというのは、ある種のブラックジョークになるなぁ、と…。

このことに気がついてみると、さらにほかのところでもおなじようなブラックジョークではないかと思われるエピソードがみつかります。それは物語終盤で、ダニエルたちが日本のテロリストヤクザ集団を追いかけてマルセイユからパリに移動するときのエピソード。時間に余裕のないダニエルたちは、リリーの父親の操縦する軍用機をつかい、愛車もろともパラシュートをつかってパリに到着します。これって、アルジェリア戦争時、アルジェリア独立に反対する現地の進駐軍がクーデターを起こしてパリにパラシュート部隊をぶちこもうとし、フランス国民を恐怖のどん底に陥れたことを踏まえているんじゃないのかなぁ…。

このように外国映画ってのは、その国のことを知識としてある程度知っていたとしても、やはりその国民でないとすぐには気がつかないエピソードがかなりあると思います。みなさんのなかにも、ぼくとおなじように、外国映画で何気ないエピソードだと思っていたのが、あとになってそれになんらかの意味やメッセイジが含まれていると気がついたケースはありますか?



superlight


posted by cyberbloom at 15:58 | パリ ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | フランス映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2010年03月30日

エリック・ロメールを偲んで

ヌーヴェルヴァーグの巨匠でフランスを代表する映画監督エリック・ロメールがこのほど亡くなった。享年89歳。大往生である。フランス映画を観ることに多くの歳月を費やした者ならば、ロメールを偲ばない訳にはいかないであろう。



あれは2002年の5月頃だっただろうか。私はパリ第8大学哲学科の事務所の前に立っていた。隣には、背の低い、品のよさそうな老人がいた。私は尋ねた。「ルネ・シェレール教授をご存知ですか?」老人は微笑して答える。「もちろん、知っていますよ。私がルネ・シェレールです」私はいささか驚き、つまらないことを口走ってしまった。「あなたが、あのエリック・ロメールの弟なのですか?」しかし、シェレール教授は少しも嫌な顔をせず、満足そうな笑みを浮かべ、頷いてくれたのである。彼にとってもロメールは自慢の兄なのだ。私はシェレール教授のゼミ生になったが、その後、ロメールの話はしなかったように思う。

ルネ・シェレールは故ジル・ドゥルーズやジャック・ランシエールらと並ぶパリ第8大学哲学科の名物教授であり、その著書も何冊か翻訳されている哲学者だ。だが、彼がロメールと兄弟であり、なぜ、苗字が違うのかということは余り知られていないかもしれない。映画監督ロメールの本名はモーリス・シェレールであり、エリック・ロメールというのは全くの芸名(偽名?)なのである。何故、彼が名前を隠したのかといえば、映画を作り始めた学生時代、両親には「自分は医学を学んでいる」と告げていたためだ。その後も、親には医者になったと偽り続けたのだが、エリック・ロメールという名前はどんどん有名になっていく。その有名な映画監督が自分の息子と同一人物であるとは親はいつまで経っても気がつかなかったのだという。

実際、ロメールは医者にはならなかったが、高校(リセ)の教師になり、定年まで働き続けた(途中からは大学教授として)。その点では親を安心させたのかもしれない。世界的に知られるようになっても兼業を続けていたのは親に対する配慮からか。その職業ゆえ、在職中の彼の作品は当然ながら学校がヴァカンスになる夏休みと春休みにしか撮影されなかった。しかし、そのおかげでフランスの最も美しい季節がフィルムに収められることになったのであり、そしてそれらが1970年以降のフランス映画を代表する傑作の数々となっていったのである。われわれはロメールの「兼業」に感謝しなければいけないだろう。



ロメール映画は日本にはかなり遅めに入ってきた。あくまで前衛を突き進むゴダールや、フランス映画の「伝統」に回帰し、良質の映画を提供するトリュフォーと比べて、ロメールの映画は長いあいだ分類するのが難しい類いの映画だったのだろう。彼の新作がリアルタイムで日本に輸入されたのは、『海辺のポーリーヌ』(1983)辺りからではないだろうか。このような瑞々しい感性の映画を撮る人間がフランスにはまだいたのか、ということで、俄かにロメール・ブームが日本のシネフィル達の間で巻き起こった。実際、この頃のロメールは最良の作品を生み出していたように思う。『満月の夜』(1984)、『緑の光線』(1986)、『友達の恋人』(1987)、『レネットとミラベル/四つの冒険』(1987)…。いずれもテーマなどはあってなきがごとしであり、男と女、女同士のたわいのない日常が描かれるばかりだ。しかし、その何も起きない中でのささいな出来事が、信じられないほどの驚きと悲しみと喜びを生み出すことがあるという展開。そういう映画をロメールは撮り続けたのだった。

二年ほど前、大阪の女子大学でのフランス語の授業で、久しぶりにロメールを観た。それは、『レネットとミラベル〜』の中の1エピソード「青い時間」だったのだが、久々に体験するロメール的世界に授業であるということを忘れ、酔い痴れてしまった。田舎で偶然出会った二人の女子学生が、「冒険」とはとても言えないような他愛もないことを経験するだけの物語なのだが、途中から虚構と現実の境界がなくなってくるところが面白い。例えば、散歩の途中に偶然出会った農家のおじさんが農業の話を延々と始めるのを、二人は黙って聞いている場面。あれは、現実にその場にいた農家の人をそのまま登場させたとしか思えない。そうでなければ信じがたい名演である。そして、ふいに吹き始める風、降り始める雨。自然のあらゆる偶然的要素がロメール映画には奇跡的に入り込んでくるのだ。



ロメールが最も成熟した作品を撮っていたのは80年代後半から90年代後半までの10年間、「四季」をテーマにした作品群を撮っていた時期であろう。実際、『春のソナタ』(1989)にはロメール映画のすべての要素が凝縮されているように感じる。いまでも人気が高い『パリのランデブー』(1995)もこの頃に制作された作品だ。しかし、私がもしも一本だけロメールの作品を挙げるとしたら、『モード家の一夜』(1969)ということになろう。初期の作品ではあるが(と言ってもこの時すでにロメールは49歳なのだが)、およそ映画的緊張感というものをここまで漂わせる「恋愛映画」は滅多にない。ある謎の女との「近付きがたく、また離れがたい関係」をジャン=ルイ・トランティニャンが見事に演じている。この映画はアメリカでも高く評価されたようだ。

それにしても、2000年台になってもロメールが三本も映画を撮ったということは奇跡的なことではないだろうか。『グレースと公爵』(2001)、『三重スパイ』(2004)、『至上の愛』(2006)。それも、旧態依然たるやり方ではなく、一作ごとに新しい作風によって。この衰えを知らぬ創造のパワーには恐れ入るしかない。ロメールの両親も、ここまでやれば、医者にならなかった息子を咎める気にはならないであろう。ロメールは失われても、彼の映画は失われない。「ロメール映画を観る」という喜びは常にそこにあるのだ。


不知火検校


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2010年03月25日

クラピッシュの「PARIS」

街ですれ違う他人の人生に感情移入する。それは19世紀の詩人、シャルル・ボードレール以来のテーマだが、このセドリック・クラピッシュの新作にはそのボードレールがしばしば引用される。ボードレールは何よりも都市の遊歩者であり、群集の中の詩人だった。彼は散文詩「群集」の中で次のように書いている。



「孤独で沈思する散歩者は、この万人との合体から特異な陶酔を味わう。群集とたやすく結婚する者は、箱のように心を閉ざしたエゴイストや軟体動物のように監禁された怠け者には永遠に与えられないであろう、熱狂的な快楽を知っている。彼はその時々の状況が提供するあらゆる職業、あらゆる喜び、あらゆる悲惨をわがものにする」

「万人との合体」とはこの散文詩の前半に書かれているように、「思うままに自分自身であり、また他者でありうる」こと、「好きなときに個々の人格に入り込む」ことである。重い心臓病を抱え、家から出られないピエール(ロマン・デュリス)は窓の外を眺めながら、同じことを試みている。私たちもこの映画の中で同時進行する複数の物語に対して、感情移入したり、距離をとって批判的に見たりする。

ファブリス・ルッキーニが扮する歴史学の教授が、お金のために一般向けのテレビ番組でパリの歴史案内を務めることになる。その第1回目もボードレールの引用から始まる。自分に目をかけてくれている老教授に対して、「歴史の細部にこだわり、どうでもいいことをクドクドいいやがって」と悪態をつく。「マニアックで、偏執的で、哀れなやつだ、ああいうケチな野郎にはなりたくない」と批判するが、自分のスタンスにも自信がなくて鬱状態になっている。もちろん時代の変化に目と耳を閉ざす大学人よりも、危機感の中でもがき続ける彼の方がはるかに好感が持てる。いつも軽妙洒脱って感じのルッキーニだが(以前、ホテル・リッツのバーで映画の中と同じ身振りで女性を口説いているのを目撃したことがある)、この映画ではひたすら弱気である。自分から相談に行きながら、精神科医に食ってかかるも、その前で泣き出す始末だ。

おまけに美しい女子学生レティシアに一目惚れして、ケータイでストーカーのようにボードレールの詩を引用したメールを送りつけ、ドン引きされる。フランスでも詩はすでに世代間ディスコミュニケーションの媒体にすぎなくなったようだ。レティシア役は「イングロリアス・バスターズ」でタランティーノに見出されたメラニー・ロラン。確かに魅力的だ。

時代遅れの詩を引用する一方で、こういうメールも送る。

suis a la fac avec toi t es bel j te kif tro grav

つまり、Je suis à la fac avec toi. Tu es belle. Je te kiffe trop gravement ということなのだが(kiffer=aimerの若者言葉)、オジさんが若作りして痛いメール(=texto)を書いているわけだ。このように若い女性にウケようと涙ぐましい努力を重ねるが、若くてカッコいい恋人を見せつけられたり、サディスティックにふりまわされる姿が悲しい。レティシアにしても、私のことが好きなら、ちゃんと私の置かれている立場(フランスの若い世代が置かれている状況)も理解してよ、という思いもあるのだろう。やはり地位とお金に恵まれたオジさんと普通の女子学生のあいだには越えがたい溝があるのだ。

男と女のあいだがうまくいかない。女性に対する偏見が壁になり、過去に受けた傷がトラウマになっている。恋愛の街、パリにも時代の変化が大きく影を落としている。このパリはすでにボードレールのパリでも、「アメリ」のパリでもない。まさにリーマンショックに見舞われたグローバル経済の時代のパリなのだ。映画の中で雇用状況にも言及される。「若者がつねに犠牲になり、社会運動は死んでしまい、パリは金持ちのための街になりつつある」と。みんな萎縮して、臆病になっている。その中でかすかな希望の光を手探りで探している。

ボードレールは19世紀のパリの貧しい人々を描きはしたが、それは特権者の一方的な表象にすぎなかった。私たちもまたボードレールの高踏的な態度に共感していたにすぎない。彼によって描かれた者たちはうめき声のような言葉を発するだけで、決して表現者となることはなかった。しかしクラピッシュが描く「パリ」を這いつくばるようにして生きる登場人物たちは、手ごたえのある確かな言葉で語り、日本にいる私たちですらそれに共感し、同じ感情を共有できるのだ。

エリック・サティの「グノシェンヌ」がメランコリックな「パリ」を演出しているが、Wax Trailer の'Seize the day'も映画の印象を決定付ける忘れられない曲である。メランコリックな女性ボーカルをフィーチャーしたエレクトロ・ヒップホップで、ラストシーンにも流れる。Wax Tailor こと Jean-Christophe Le Saoût はフランスのみならずヨーロッパ各国で絶大な人気とカリスマ性を誇るヒップホップ・DJ&プロデューサー。

Seize the day
I don't mind whatever happens
I don't care whatever happens

Wax Tailor feat. Charlotte Savary - Seize the day
Paris by Cedric Klapisch - trailer


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2010年02月03日

「皇帝ペンギン」

今年の正月の目玉映画のひとつとしてジャック・ペランの「オーシャンズ」が公開されている。「WATARIDORI」で様々な渡り鳥の生態を記録したペラン監督が、世界中の海とそこに暮らす生命体を革新的な映像美で描いた海洋ドキュメンタリーだ。ハンドウイルカの大群、ザドウクジラの捕食、5万匹に及ぶクモガニの交尾、ウミガメの孵化など、自然界で起きる奇跡的なシーンの数々。日本版ナレーションを宮沢りえが担当したことも話題になっている。



フランスは自然界を舞台にしたドキュメンタリーの秀作を多く生み出しているが、リュック・ジャケ監督の「皇帝ペンギン La Marche de l'empereur 」もそのひとつに数えられるだろう。こちらは南極に住む皇帝ペンギンの産卵と育児を追った作品であるが、それは自然界で最も過酷な子育てとも言われる。

しかしそういう過酷な自然の中にあってもペンギンは何をすべきか知っている。やるべきことがプログラミングされているからだ。ペンギンたちは気の遠くなるような距離を歩き続け、極寒の吹雪の中で何日も立ち尽くし、その営みを何代にもわたって続けるのである。

分化し、専門化した本能は、それぞれの状況において何をすべきか、絶対的な確かさをもって指令を下す。分化した動物は生存目的と関係のない対象を知ることはない。人間のように対象を対象として捉えずに、行動系列の一部として把握する。動物にとって生態的に限定された環境で生きることは当然のことで、それに完全に対応した器質と本能を持っているので、不確実さや迷いが生じることもない。知覚は何らかの行動に結びつき、根拠のない行動、つまり知覚からの指令のない行動は存在しない。知覚と行動が完全に調和した円環の中を生きている。

ペンギンの生の営みに驚異と畏怖を感じるのは、ペンギンが自然の中に完全に組み込まれているからだ。またそのように人間が自然=ペンギンを対象化し、さらに表象しようとするのは、人間が自然と乖離し、自然から疎外されているからでもある。私たちの弱さの本質はそこにあるのだ。宇宙の果てについて思い巡らすのも、将来のことを考えて不安になるのも、人間だけなのだ。

ペンギンにはひとつの決まった仕事が待っている。しかし私たちは何をすべきか知らないし、自分の任務は何ひとつ決まっていない。これから仕事を探そうとしている若い人には羨ましいことだろう。ペンギンの姿を見ていると意外にも人間の労働について考えさせられる。人間は良くも悪くも可能性の生き物なのだ。動物はすべてがプログラムされているから可能性がない。

近代以前、生まれてから死ぬまで自分の生まれた村から出ることなく一生を終えた時代の人間は、ペンギンに近い存在だったのかもしれない。近代化とは人間をそういう反復と習慣に塗りこめられた動物的な環境から解放することだったが、人間を絡めとっていた(一方では安心と安定を与えていた)あらゆる文化的な網の目は次々とほどけ、よりどころのない世界に放り出されてしまった。私たちの周囲で渦巻く知覚=情報は、私たちの人生をますます不確実で、迷いに満ちたものにしている。

それでも歩くペンギンのコケティッシュな姿を見ると頬がゆるむし、柔かい毛に覆われたペンギンの赤ちゃんの愛らしさには癒される思いがする。不況の時代には動物や赤ちゃんのCMがうけるという話を聞いたことがある。過酷な状況に置かれたとき、人間は盲目的で絶対的な、本能のような感情に身を任せたくなるのだろう。それは現実逃避ではなく、過酷な状況を過酷だと思わないプログラミングへの志向性なのだ。個人的には、両足の上に卵を載せて温めていたお父さんペンギンが、卵を落として割ってしまったときの表情に言いようのない切なさを感じてしまったが、これも人間の勝手な感情移入に過ぎないのだろう。

LA MARCHE DE L'EMPEREUR - trailer
□フランスのエレクトロな歌姫、エミリー・シモンがサントラを担当


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2010年02月02日

オリヴィエ・アサイヤス、話題の3本

NOISE [DVD]去年の夏、全国で上映されたオリヴィエ・アサイヤス Olivier Assayas の『NOISE』がDVD化される。この作品は、2005年6月にフランスのサン=ブリュー Saint-Brieucで開催されたアート・ロック・フェスティバルのライブドキュメント映像である。とりわけ、アメリカのソニック・ユース Sonic Youth のメンバー4人が、MIRROR/DASH(サーストン・ムーア&キム・ゴードン)、TEXT OF LIGHT(リー・ラナルド&スティーヴ・シェリー)という、2人ずつ2組のユニットに分かれて参加したことが話題になった。その2組のユニットは、ソニック・ユース以上にアヴァンギャルドでフリーキーなプレイを披露。また、新作を発表したばかりのジム・オルークがエンディングで音楽と映像を提供した。アサイヤス監督は実験的なモンタージュによって、不均質だが、ロック感にあふれる映像を演出している。

アサイヤスといえば、離婚したばかりのマギー・チャンと『クリーン』(2003年)を撮ったが、それが日本で去年公開されたばかりである。ドラッグに溺れていた女性シンガーが、失ったものの大切さに気付き、母としての自覚を取りもどしてゆく。主人公エミリーを熱演したマギー・チャンは、この作品で第57回カンヌ映画祭主演女優賞を受賞している。アサイヤスはタイトルに「ドラッグから足を洗ってクリーンになる」という意味だけでなく、「現代社会の混沌の中に自分を見失ってしまった状態から抜け出す」という意味も込めたという。

http://www.clean-movie.net/

夏時間の庭 [DVD]一方、印象派の画家たちが魅せられたイル・ド・フランスの美しい庭を舞台にした『夏時間の庭』では『ノイズ』とは対極的な美を描いている。年末企画「2009年のベスト映画」で不知火検校さんがこの作品をベスト映画に挙げていた。「久しぶりにフランスの田舎の緩やかな時間を感じさせてくれたことと、安易な解決を放棄した映画作りの姿勢に敬意を表しました。この映画ではジュリエット・ビノシュの恋人役をイーストウッドの息子カイルが演じています。『センチメンタル・アドベンチャー』(1982年)の少年もすっかり渋い男に成長しましたので、ご覧ください」とのことだ。

http://natsujikan.net/

個人的には5分×18本のオムニバス映画『パリ、ジュテーム』の中の "Quartier Des Enfants Rouges" のスタイリッシュな映像に魅せられた。アメリカから撮影のためにパリにやってきた女優を演じるマギー・ギレンホールが素敵すぎる。

http://www.youtube.com/watch?v=00jJ6IHRflg

『NOISE』のように、アサイヤスは通常の映画の枠にとどまらない活躍をしている。2008年にはモダン・ダンスの振付師、アンジェリン・プレリョチャイ Angelin Preljocaj のバレエ「エルドラドEldorado 」を撮影したが、この作品は2007年に亡くなった現代音楽家、シュトックハウゼンとの出会いによって生まれた。




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2009年12月10日

名も無き役者たちの美しさと恐ろしさ―『木靴の樹』と『かつて、ノルマンディーで』―〜懐かしの70年代の名優たち(9)

かつて、『木靴の樹』(1978年)という印象的なイタリア映画があった。切り倒してはいけないことになっている樹から子供のために木靴を作ってしまったために村を出て行かざるを得ない男とその家族のエピソードが表題の元になっているのだが、それはこの映画の中で起こる多くの出来事の一つに過ぎない。エルマンノ・オルミ監督によって作られたこの『木靴の樹』という映画は、北部イタリアのベルガモ地方のある村の中で起こった様々な物語を殆どドキュメンタリー的な手法でカメラに収めることに成功した稀有な作品である。オルミはこの映画で監督、脚本、撮影を一人でこなすという離れ業を演じている。

arbreauxsabots01.jpg何よりも特徴的なことは、この映画には職業俳優が一切登場しないことだ。すべての俳優が演技経験の無い素人であるため、そこに劇的な表現などはありようも無い。不思議な事件も奇怪な人物によってもたらされる騒動も何も起こらない。あたかも、どこにでもある村のごく普通の日常的な風景を捉えたかのようにすべての物語が進行していく。村人の食料となる家畜を殺す場面と、それを恐々と見つめる子供たち。長い並木道を歩く村人を遠景から捉える場面。そして、緩やかに進行して行く若い男女の婚礼の場面。こうした場面に一切の劇的処理は施されていない。

このような映画はハリウッド映画に慣れた観客には最初は苦痛に感じるであろう。しかし、そのゆったりとした時間の流れに浸り続けていると、我々がこれまで観ていた映画が何と騒がしく、何と仰々しいものであったかが痛感されてくる。この映画を観ていると、日常とはこれほど何もないものだったのかと思わされる。そして、だからこそ何もない日常こそがかけがえのないものなのだと思わされてくる。それゆえ我々はこの何もない日常の場面を、いささか恐怖を心に感じながら見つめ続けることになる。本当にこの幸福な日常は続くのだろうかと怯えながら…。

そうした点からこの映画と微妙な位置で近接しているのが『私、ピエール・リヴィエールは母と妹と弟を殺害した』(ルネ・アリオ監督、1976年)という映画だ。この映画も全員が素人俳優によって演じられるが、ただしこちらは日常の中に非日常が起こったという設定である。19世紀フランスのノルマンディー地方の寒村で起こった尊属殺人事件を取材した哲学者ミッシェル・フーコーの著書『ピエール・リヴィエールの犯罪』(岸田秀、久米博訳、河出書房新社)を元に映画化されたこの作品も、すべての役がその村の住人によって演じられている。残念ながら私はこの映画をこれまで観ることが出来なかったが、昨年、ニコラ・フィリベール監督の『かつて、ノルマンディーで』(2007年)というドキュメンタリー映画でその全貌を知ることが出来た。

かつて、ノルマンディーで [DVD]『かつて、ノルマンディーで』は30年前にこの映画(『私、ピエール・リヴィエールは…』)に助監督として参加したフィリベールが当時の出演者を訪ね歩くというドキュメンタリーである。『私、ピエール・リヴィエールは…』はパスカル・ボニツェール(多くのジャック・リヴェット作品の脚本家で本人も映画監督)、ジャン・ジュルドゥイユ(現パリ第10大学教授の演劇研究者)、セルジュ・トゥヴィアナ(元『カイエ・デュ・シネマ』編集長で現シネマテーク・フランセーズ館長)といういまから見れば豪華なメンバーによって脚本が書かれたが、当時としては徹頭徹尾マイナーな企画であった。この映画がいかに資金難で苦労したか、そして素人俳優たちがどのような気持ちでこの物語を演じたのか、などの率直な証言がフィリベールのインタビューの中で淡々と綴られていく。

この映画『かつて、ノルマンディーで』は観ていて不思議な気分にさせられる作品である。現在の村人たちのインタビュー場面と、30年前に彼らが演じた『私、ピエール・リヴィエールは…』の場面が交互に映るのだが、現在の場面に比べて30年前の場面があまりにも嘘くさく見えるのである。それは彼らの演技が下手だからではない。それは『私、ピエール・リヴィエール…』が所詮は脚本に基づいて演じられたフィクションであるために(例えその脚本が事実に基づいているとはいえ)、現在の彼らを捉えたドキュメンタリー場面の持つ強度には到底太刀打ちできないからだ。その為、この映画は不思議な構造を持つ事になる。100年以上前にあった現実の殺人事件の記録。それをもとに30年前に書かれた脚本と素人俳優によって演じられた映画。それを振り返る現在の村人たちの映像。この三つ、あるいは四つの時間が入り組み、観ているものは迷路のような空間に迷い込んだ気にさせられるのである。

こういう映画を観ていると「演じる」ということが一体何なのか分からなくなってくる。演技経験の全く無い素人によって100年前に「現実に起こった出来事」を「出来る限り真実に近く」演じようとしたとき、そこに表現されているものは一体何なのだろうか。演技が示そうとしているのは「虚構」なのか「真実」なのか。そして、どこまでが演技でどこまでが演技ではないのか。彼らにとってその場面を演じるということにいかなる意味があるのだろうか。徹頭徹尾、演技ということについて考えさせる不思議な映画がいま作られることの意味は何なのだろうか。

albero degli zoccoli(film completo bergamasco)
Retour en Normandie - bande annonce





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2009年12月02日

新旧フランス女優列伝(2)エマニュエル・ベアールの巻

愛と宿命の泉 PartII 泉のマノン [DVD]エマニュエル・ベアールが一躍その名を知られるようになったのは、クロード・ベリ監督の文芸大作『愛と宿命の泉』の第二部『泉のマノン』(1986年)によってである。南フランスのある土地の権利を巡って壮絶な争いを繰り広げる人間たちを描くこの映画(原作はマルセル・パニョル)の中で、ベアールは主人公の愛娘を演じていた。彼女の出現は『シェルブールの雨傘』でのカトリーヌ・ドヌーヴ、『アデルの恋の物語』でのイザベル・アジャーニの登場に比肩される出来事だったと言える。マスコミは「久々の大スターの出現か」と色めき立ったものである。それほど彼女のフランス映画界への出現は鮮烈なものだった。

ところで、私はベアールの演技を直に見たことがある。あれは15年前(1994年)の春。南フランスの地中海沿いを一人旅した際、モンペリエの帰りにふと立ち寄ったセート(詩人ヴァレリー生誕の地として知られる)という港町でのことだった。ベアールはその街の古い劇場で僅か一晩だけ上演された劇作品に出演していた。作品は19世紀ロマン主義の作家アルフレッド・ド・ミュッセの傑作『戯れに恋はすまじ』。演出は中堅のジャン=ピエール・ヴァンサン。前年にパリ郊外のナンテール・アマンディエ劇場で上演された演目の地方巡業の一環であるが、土地の人はパリの人気女優を一目見ようと大勢詰め掛けていた。

ベアールは当時28歳。すでに『泉のマノン』の好演で映画女優として知られてはいたが、舞台は恐らく初めてだったのではあるまいか。もちろん、声は確かに劇場に響いてはいるものの、舞台女優としての存在感は感じられなかった。どうしても違和感があり、何か大切なものが欠けていると思わされる。この辺が同じ映画女優でもコメディ・フランセーズ出身であるイザベル・アジャーニやジャンヌ・バリバール、国立演劇学校出身であるイザベル・ユペールなどの女優たちとベアールとの違いなのかもしれない。格の違いだろうか。彼女はその後、舞台では余り活躍していないと思う。

美しき諍い女 無修正版 [DVD]やはりベアールは映画女優なのであり、彼女の魅力はスクリーンの中でこそ全開する。彼女がフランスでも日本でも一番注目されたのはジャック・リヴェット監督の『美しき諍い女』(1991年)に出演したときであろう。四時間に亙る映画の中で、殆ど最初から最後まで全裸のままスクリーンに登場する女優などといえば、マスコミ的には好奇のまなざしで見られてもおかしくはない。だが、現実にこの映画を観たものならば誰でも分かることだが、リヴェットはまさしく裸体の奥底にあるものを抉り出しており、映画の中でベアール演じる女と同様、この映画はむしろ「おぞましいもの」を観てしまったという感覚を観客に与えることになる。その意味ではエロス的な快感を与える映画では全くなかったことだけは確かだ。その後、ベアールは『Mの物語』(2003年)でリヴェットと再び組むことになる。

ベアールが出た映画の中で私が最高の出来だと思うのはクロード・シャブロル監督の『愛の地獄』(1994年)という映画だ。余りにも魅力的なために実は浮気をしているのではないかと夫に疑われる妻の役をベアールは演じているのだが、夫の妄想の中でのベアールの悪女ぶりが堂に行っていて、観客も「間違いなくこの女は悪女に違いない」と思ってしまうほどなのだ。ベアールの持つ暗い、悪魔的な面が見事に炙り出されていて、リヴェットとは別の意味でシャブロルはこの女優の仮面を剥いだと言えるだろう。未見の向きには是非、お勧めの一本である。シャブロルの演出も冴え渡っている。

それ以降、リヴェットやシャブロルほどベアールの魅力を引き出すことの出来た監督は残念ながらいないのではないだろうか。現在、彼女は型にはまった美女役でしか映画に登場していないような気がする(『とまどい』(1995年)、『恍惚』(2003年)など)。このままではアジャーニの二の舞になりかねないと気がかりなのだが、アジャーニほどのカリスマ性もないのもまた問題である。

とはいえ、ベアールの持つ華やかな美しさというものがいまの映画界で貴重なことは確かだ。ブライアン・デ・パルマが往年の人気テレビ・ドラマをスクリーンに蘇らせた『ミッション・インポッシブル』(1997年)があれだけ鮮烈な印象を観客に与えたのは、トム・クルーズやジャン・レノの演技のおかげというより、ベアールの持つ他に類を見ぬ艶やかな存在感にあったのではあるまいか。確かにベアールは儚さと典雅さを兼ね備えた稀有な女優であって、その意味では彼女の代わりを務めることのできる女優は存在しないと言えるだろう。

ベアールも今年で43歳。容色に衰えは全く見られないけれども、この辺りで一作でもいいから彼女のもう一つの代表作を観てみたいと思うのは私だけだろうか。





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2009年11月28日

新旧フランス女優列伝(1)イザベル・ユペールの巻

huppert01.jpg「イザベル」とくれば「アジャーニ」と答えるのが普通のフランス映画ファン。そこでもしも「ユペール」と答えてくれると、「お、この人は映画をよく観ている」ということになり、映画好き同士の話も弾むというもの。実際のところ、アジャーニと比べればユペールは地味で前者のような華々しさはない。だが役者としての実力は段違いであろう。もちろん、ユペールのほうが遥かに上。彼女は本当に様々な役を演じていて、その演技の幅は計り知れない。まさに「職人」と呼ぶに相応しい女優の一人である。

ユペールが一躍有名になったのはやはりゴダールの『勝手に逃げろ/人生』(1980)、『パッション』(1981)に出演した辺りからではないだろうか。特に後者で演じた口数の少ない工場労働者の役では共演したドイツの名女優ハンナ・シグラに勝るとも劣らぬ存在感を示し、観客に強い印象を残した。その後、彼女の演技をもっとも開化させた監督は同じヌーベル・ヴァーグ出身でありながらゴダールとは全く別の道を歩んだクロード・シャブロルである。『主婦マリーがしたこと』(1988)、『ボヴァリー夫人』(1991)などで見せた達意の演技によってユペールは一躍フランス映画界の中心人物の一人となる。その後の活躍は誰もが知るとおりである。同じシャブロルとは『沈黙の女 ロウフィールド館の惨劇』(1996)でも組み、ブルジョワ家庭を破壊する野卑な郵便局員役を演じきっている。

彼女の作品は枚挙に暇がないが、一つ日本未公開の作品を紹介しよう。L’Inondation(「洪水」)というタイトルで1995年にフランスで公開されたこの作品はロシアの作家ザミャーチンが原作。物語は夫の浮気のために妄想に取り付かれた主人公が最期に夫殺しを敢行してしまうというまさにユペールならではのもの。だが何よりも特徴的なのはユペール以外のこの映画のスタッフ、キャストがすべてロシア人であるということだ。そしてユペール自身も当然ロシア語をしゃべっている。彼女は演劇の勉強をコンセルヴァトワール(国立演劇学校)で始める前にソルボンヌでロシア文学を学んだという経歴の持ち主で、この作品ではプロデュースまで務めており、パリでの公開時には舞台挨拶までするほどの入れ込みようであった。さすがは「職人」、中途半端なことはしない。

夫殺しや狂気に憑かれた役などが今となってはユペールの十八番だが、彼女にはもともと喜劇も演じられる要素があった。いまのように注目される以前、二十歳代の駆け出しの頃は、彼女もB級映画でドタバタ喜劇を演じていたこともあるのだ。そんな彼女の一面が窺える作品がハル・ハートーリー監督『愛・アマテュア』(1994年)だろう。元尼僧で現在はポルノ小説作家の女性が、記憶喪失の男と共に訳の分からぬ犯罪に巻き込まれ、最終的には元居た修道院にかくまってもらうというハリウッド映画によくあるストーリー。こんな役を嬉々として演じられるユペールはやはり天性の役者なのだ。

ピアニストユペールはまた、映画のみならず舞台女優としても高い評価を受けている。1995年のパリの演劇界最大の話題はユペール主演、ヴァージニア・ウルフ原作、ロバート・ウイルソン演出の『オーランドー』(オデオン=ヨーロッパ劇場)であった。世紀を超え、性別をも超える人物を主人公とする「奇書」として名高い小説をウイルソン流にアレンジしたこの作品は上演当時頗る評判となった。そこで舞台女優としての自信を得たユペールは、続いて2001年にはエウリピデスの『メデイア』でもタイトル・ロールを演じ、2002年にはサラ・ケイン作『4時48分 サイコシス』(ブッフ・デュ・ノール劇場)でも大いに話題をさらった。偶々パリに住んでいた時期であったために、幸運にも私はこの舞台を観ることが出来たが、最初から最期まで舞台に立ち尽くして狂気に陥っていく主人公を演じるユペールの鬼気迫る姿には文字通り戦慄させられた。私はこのとき「職人」ユペールの真骨頂を見た思いがする。

そんなユペールの円熟した演技を観ることが出来たのはカンヌ映画祭のグランプリを受賞したミヒャエル・ハネケ監督『ピアニスト』(2001年)とオリヴィエ・アダン監督『いつか、きっと』(2002年)であった。特に後者で演じた娼婦役は彼女の演技の最高峰であろう。前者は若く才能溢れるピアニスト(ブノワ・マジメル)に恋に落ちた中年ピアニスト(ユペール)が乏しい恋愛経験のために彼に対して奇怪な行為を繰り返した挙句、殺意まで抱いてしまうという物語。この映画、その過激な描写のために好き嫌いはかなり分かれると思うが、ユペールの演技の質だけはやはり評価せずにはいられない。一方、後者は娼婦として生きる女がある男(パスカル・グレゴリー)との出会いをきっかけに自分の過去を振り返る旅に出る物語で、味わい深い印象を残すドラマであった。実際、この二つは対極的な作品であるけれども、これほど求められる表現が異なる役を同時期に演じ切ることの出来る女優は世界的に見てもあまりいないのではないかと思われる。

ただ、そんなユペールにもしも弱点があるとしたら「限界」を知らない、というかやり過ぎてしまうことだ。数年前、ジョルジュ・バタイユ原作の『我が母』の映画化作品(クリストフ・オノレ監督『ママン』、2004年)に出演したそうだが、観た友人の意見ではかなり酷い出来であったそうだ。自分で観ていないので評価は控えるべきなのだが、ユペールとバタイユではちょっと毒があり過ぎるのかもしれない…。だがそれでもユペールは、「彼女が出演しているならば観てみようか」と思わせてくれる、今日では数少ない女優の一人であることには変わりはない。





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2009年11月07日

『ノルウェイの森』のロケを見学!(2) パリの13区

パリの13区にはヨーロッパ最大規模の中華街がある。中華街と言っても、実際には東南アジア街であり、13区に限っては、中国系よりも圧倒的に東南アジア系の移民が多い。1992年の統計では、13区のアジア系移民のうちカンボジア系が50%、ベトナム系が20%を占め、中国系は10%にも満たない。1970年代、パリの13区には都市開発によって多くのマンションが建てられたが、石油危機などの不景気もあって、当て込んでいたパリ市民には人気がなかったところに、東南アジア系の人々が代わりに住み着くようになった。トラン監督の生い立ちに関する情報はあまりないが、サイゴンが陥落したベトナム戦争の終結時にフランスに逃れてきたようだ(1975年、12歳のとき)。



13区に林立する高層マンション群は大きなショッピングセンター(中国資本の陳氏兄弟 Tang Frères が有名)や商店街とつながっていて、ひとつの迷宮のような世界を作り上げている。パリで最もミステリアスで、最もご飯が美味しいスポットのひとつだ。コンクリート製の箱庭のような外観とは裏腹に、その内部には商店街が地下茎のようにはびこっていて、それを伝ってどこまでも入っていける。この地区の通奏低音といえば、チープなアジアン・ポップと、強烈なドリアンの匂いだ。ベトナム系ギャルたちが集う、ココナッツミルクベースのデザートが美味しいフルーツ・パーラー(死語?)にもよく通った。めぐりめぐった果ての行き止まりに小さな寺院があったり、ガラスで隔てられた向こうにボーリング場が見えたりする。旧正月を祝う春節祭に一度足を運んだことがある。カラフルな祭壇の前に集まっているお爺さんたちに話しかけてみると、中国語(らしき言葉)で返され、「同胞よ」って感じでハグされた。移り住んで以来パリの奥深い場所で外界と接触なく生活してきたのだろう。この生活感の全面化と、現れるイメージのとりとめのなさはアジア的猥雑さと言ってもいいかもしれないが、そこは紛れもなくパリなのだ。

一体自分がいつの時代にいるのか、どこの国にいるか、わからなくなってくる。同時に何だか懐かしい感じがする場所でもある。生活臭がしみつき、そして時間の止まったような学生寮の中に現れた68年のサイケな光景は、この13区に迷い込んだときのキッチュな眩暈を思い出させたのだった。

「ノルウェイの森」の映画化は単にヨーロッパから日本を見るという問題ではない。トラン監督の中にすでにアジアが折りたたまれているし、今私たちが生きているのは歴史性が希薄で、60年代も、70年代も、80年代も同一平面状に浮遊している時代だ。グローバリゼーションとはこういう時代感覚の、無時間的な共有でもある。私たちは音楽や映画やマンガを通して時代を共有する。村上春樹が小説の中でうまく音楽を使うように、トラン監督の音楽の使い方もうまいし、私たちもその音楽を知っていて、それをちゃんと評価できる。また世界は同時的につながっているが、未曾有の金融危機を経て世界がどこに向かうのかわからない(高度成長だのバブルだの同じことを繰り返すのか、新しい価値を見出せるのか)という方向感の無さも同時に共有している。

パリ、ジュテーム プレミアム・エディション [DVD]上に動画を貼り付けた「ショワジー門 Porte de Choisy 」はオムニバス映画『パリ、ジュテーム』の中に収録されている。クリストファー・ドイル監督が13区を舞台に撮ったもので、その独特の雰囲気をうまく伝えている。イメージのとりとめのなさに比べて、この短編のテーマはすっきりしている。つまりは白人男性のアジア女性への幻想である。アジア女性の髪の問題を解決するヘアケア製品を美容室に売り込みに来た Henny氏(名前をフランス語式に読むと、Je t’aime の中国語「アイニー」と音が似ている)に向かって、マダム・リーが「アジア女性の髪の問題って何なのよ?」と聞き、すかさず「問題があるのはアンタの方よ」とつっこむ。白人のオッサンはやはり黒髪が好きなのだ。

動画のタイトルにあるように、この映画には中国と日本の狭間で生きた女優&歌手、李香蘭の「梅花」が挿入歌として流れる。戦後、中国語圏で李香蘭の名を復活させた山口淑子が、香港の百代唱片公司で10数曲の主演映画の主題歌を録音したが、それらは今もスタンダード・ナンバーとして歌い継がれ、「梅花」もそのひとつである。


「ノルウェイの森」のロケを見学!(1)




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2009年10月29日

「ノルウェイの森」のロケを見学!(1) 学生寮のサイケな光景

先日、某大学の学生寮で「ノルウェイの森」のロケを見学してきた(※09年7月11日)。トラン・アン・ユン監督、松山ケンイチ、玉山鉄二を至近距離で目撃。永沢役の玉鉄は当日初めて名前を知った。ネットでロケの情報を得て見学に来たという女性と知り合い、玉鉄がいかにカッコいいかを教えてもらった(彼女は実物を見て「脚が長い!」と感動していた)。彼女が『ノルウェイの森』の文庫本を持っていたので、それを借りて、お昼休みでスタッフが弁当を食べているあいだ(現場に着いたときはお昼だった)、すっかり忘れていた『ノルウェイの森』の学生寮のシーンを読みふけってしまった。将来地図を作ることを夢見ている突撃隊や、主人公とフィッツジェラルドを通して結びつく永沢が登場する、あのシーンだ。

SA3D0001.jpgロケの準備が始まり、周囲があわただしくなってきた。ロケ現場と思われる棟の裏側に回ると、エキストラで出演している教え子のK君に会うことができた。K君は役得で、トラン監督(トラン・アン・ユンのトランが姓)の息子さんにも会ったようで、フランス語で、Quel âge? って聞いたら、Huit ans と答えてくれたと嬉しそうだった(写真はK君が写メで送ってくれた監督直筆のサイン)。

やがてリハーサルが始まったが、それはちょっと小説のイメージとはかけ離れたシーンだった。○○が立ち込める中、ギュワーンとファズギターが鳴り響き、○○がサイケなロックを○○している中で、寮生が○○をしているという、何とも形容しがたい、それこそ「サイケな」シーンで、それを背景にワタナベや永沢が語り合っているというもの(詳細は書けないのでご勘弁を)。

時代をスタイリッシュに彩って、象徴的に描き出す。トラン監督は少々過剰気味に、実際の68年以上にベタでトンガった68年を演出しているように見えた。主人公やエキストラのファッションも時代の先鋭的な部分を映しているようだった。小説は時代性をあまり感じさせないが、68年と言えば、パリから世界へと広がった五月革命の年であり、ベトナム戦争の真っ最中でもあり、翌年には伝説的なロックフェス、ウッドストックが行われた。

それでも「おいキスギ、ここはひどい世界だよ(…)こういう奴らがきちんと大学の単位をとって社会に出て、せっせと下劣な社会を作るんだ」とワタナベに言わせて、全共闘の学生の変わり身の早さを批判している。またミドリが女性に飯炊きをさせる全共闘のマッチョなノリに憤慨しているが、いずれも本質的なツッコミである。

また小説中の文学の議論によっても時代の流行を垣間見ることができる。寮生の大多数が読んでいたのは、大江、三島、高橋和巳、フランスの現代作家(ヌーボーロマンのことだろうか)で、自分(=主人公)みたいにフィッツジェラルド、アップダイク、チャンドラー、カポーティなどのアメリカの作家を読んでいたのは極めて少数派だったと書かれている。

村上春樹もある意味スタイリッシュだが、それは趣味の良い上品さであって、決して時代の先端を追うようなものではない。消費主義的な洗練、あるいはモノとライフスタイルの細部に徹底的にこだわる一種のスノビズムだ。新興国の若い読者に人気があるのも、そういうものに憧れがあるせいだろう。『ノルウェイの森』では、見栄えも良く、お金にも困っていない、生の条件に恵まれた登場人物が次々に死んでいく。貧困や飢餓で死ぬわけではない。成り上がろうと無茶をして死ぬわけでもない。そういう理由のない死は、消費主義的な洗練の究極的な身振りだということなのだろうか。その部分をトラン監督がどのように描くのか非常に気になるところだ。1968年から20年後に『ノルウェイの森』が発表されたわけだが、それからさらに20年後の現在、日本は貧困によって多くの若者が命を絶つような『蟹工船』の時代に逆戻りしてしまった。果たしてそういう身振りは未だに説得力を持っているのだろうか(結局、バブル前夜の「1Q84」年に回帰するしかなかったということなのだろうか)。

蒸し暑い学生寮の中は1968年だった、というより、むしろみんながベトナムの若者に見えた。季節柄エキストラの寮生たちも日焼けしていたし、特に7対3で固めた黒々とした髪が額に張りつくレトロな感じがベトナムだった。何でトラン監督が『ノルウェイの森』なのかとずっと思っていたが、ベトナムを舞台に映画を撮ってきたトラン監督からすれば、私たちにとっての遠いノスタルジーが近くてリアルなものなのかもしれない。

ベトナムは現在、高度成長の真っ只中にある。今回の世界的な金融危機の影響も少なく、2009年においても5.5%の成長が見込まれている。また2025年までのスパンでは年平均8%の成長率が予想されていて、世界で最も成長率の高い国になると言われている。成長が止まるどころか、これから人口がどんどん減り、経済規模が縮小していく日本とは極めて対照的である。つまりトラン監督が「ノルウェイの森」を撮っている現在は、頂点を目指して昇っていく国と、頂点を極めたあとに落ちていく国の交差する地点=時点ということになる。そこが非常に興味深いのだ。村上春樹のスタイリッシュさは経済成長の頂点において醸成された上澄みのようなものだから。

私は舞台となる学生寮に関してこじんまりとした牧歌的なものを勝手に想像していた。しかし実際に行ってみると、それは古い鉄筋造りで、それもちょっとした総合病院くらいの規模だった。もちろん内部は病院のようにこぎれいではなく、雑然としていて、むさ苦しいほどの生活感にあふれていた。階段の踊り場にロープを張って洗濯物が干してあったのが印象的で、こんな場所が今もあるのかとちょっとびっくりした。そんな学生寮と見学したシーンの組み合わせは意外なものを想起させた。それはパリの13区である。トラン監督にとってもおそらく馴染みのある場所だろう。(続く)

★このエントリーは09年7月25日に main blog に掲載


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2009年08月26日

「大人は判ってくれない」

「人のセックスを笑うな」を60年代のフランス映画みたいだったよと言ったのは、数年ぶりに出会った友人だったが、その60年代のフランス映画って具体的にはどの作品?




自分自身にそう問いかけてみると、最初に頭に浮かんだのはフランソワ・トリュフォーの「大人は判ってくれない」(59年の映画だが...)。
「大人は判ってくれない」という題名なのだから、主人公は当然大人ではない。

この映画で主役を務め、後にヌーヴェルヴァーグを代表する俳優となるジャン=ピエール・レオは当時13歳だったそうだが、もしも松山ケンイチが13歳で映画に出演していたなら、このような演技をしたのではないかとふと思ったわけである。

ただインパクトは充分だがいささか感傷的に訳された感があることも否めない邦題に反し、この映画の中心は大人/少年という2項対立にあるわけではない。

「街を歩けばアントワーヌ・ドワネル風の若者たちを見つけることができる。ある者は洒落た洋服を着て、いかした恋人の肩を抱き歩く。ある者は何も語らず恋人とふたり並んで歩く。またある者は不格好に煙草を吸い、さみしげな瞳で信号が変わるのをそわそわと待っている。そしてぼくが街でアントワーヌ・ドワネル風の若者を見つけるたびにいつも思い出すのは『大人は判ってくれない』の中で通りを駆け抜ける、あの飢えたようなアントワーヌの最初の姿である。彼は世界と折り合いを付けることが出来ずに終始スクリーンをうろつき、楽しもうとしてみたはいいが大きすぎる代償を払い続ける。それは全く持って人生そのもののようで、アントワーヌ・ドワネルはやはり生まれたときから人生の本質の中にいたのである」。

偶然読んでいた本(「昨日・今日・明日」曽我部恵一著)に「大人は判ってくれない」について書かれていたので長く引用したが、著者が述べている通り、結局のところ世界と折り合いを付けることが不得手な一人の人物が描かれているというだけの映画である。

言うまでもなく世界と折り合いを付けることが不得手であることに年齢は選ばない。

ある者は年を重ねれば重ねるほど世界と折り合いを付けることに困難を覚えるかもしれない。

ある者は年を重ねることで世界と折り合いを付ける術を学んでいくかもしれない。

そう考えてみると、この映画のタイトルはどこか本質的な部分を取り逃がしているような気もしてくる。

とはいえ13歳の少年が世界と折り合いをつけることが出来ないとき、それは20歳の青年や30歳の男が直面する困難と決して同じものではないだろう。

トリュフォーは「大人は判ってくれない」をシリーズ化し「アントワーヌとコレット/二十歳の恋」、「夜霧の恋人たち」、「家庭」、「逃げ去る恋」と計5作品撮っているが、果たしてアントワーヌ・ドワネルは世界と折り合いをつけることを学んだのだろうか。
「大人は判ってくれない」の重々しいトーンから一転し、次作の「二十歳の恋」では陽気な雰囲気が主調音となることから判断すると、アントワーヌ・ドワネルは年を経て処世術を学ぶタイプの人物だといえるかもしれない。

ただ後の「家庭」や「逃げ去る恋」では浮気や離婚といった俗っぽい題材が扱われ「夜霧の恋人たち」までにあった新鮮さが失われていくのも確かである。
そういう意味でアントワーヌ・ドワネルは人生の本質から少しずつ逸脱していったのかもしれない。

いずれにせよ少年であるアントワーヌ・ドワネルが駆け抜け、そして時に立ち止まるのは1959年のパリの街だ。
その街並みは少年にとって世界がそうであるようにモノトーンの色彩を欠いた街並みであるわけだが、その色彩を欠いた街並みが50年後の今日でも新鮮に映ってしまうことは全く驚くべきことではないだろうか。


キャベツ頭の男


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2009年07月22日

エリック・ロメール 『我が至上の愛〜アストレとセラドン〜』

エリック・ロメールEric Rohmer(1920- )という映画監督について私たちは異なったふたつのイメージを持つ。ひとつは「ヴァカンスと恋愛の作家」(海辺のポーリーヌ』『緑の光線』『夏物語』...)。もうひとつは「へんてこなコスチュームプレイ(時代劇)の作家」(『O侯爵夫人』『聖杯伝説』『グレースと公爵』)。彼の作品のふたつの系統ははっきりと区別されており、これまで両者が混じり合うことはなかった。一方には現代に生きる普通の人間の普通の生活と、とりとめのない(ように見える)会話と、恩寵のような自然がある。もう一方には過去を舞台にした原作と、すべてを統御する厳格な演出と、きわめて人工的な空間がある。



彼の最新作『我が至上の愛〜アストレとセラドン〜』Les amours d'Astrée et de Céladon(2007)は、初めてこのふたつの系統の境界を飛び越えた作品である。原作は17世紀に書かれたバロック小説『アストレ』(オノレ・デュルフェ作)。舞台は5世紀のガリア。若い羊飼いの恋人同士の、誤解と別離と和解の物語である。これまでの彼の映画作りの原則から行けば、当然ふたつめの系統の映画になってもよさそうなものである(そして、それはそれでおもしろいものになったろう)。だが彼はこの映画を、『聖杯伝説』のようにではなく、むしろ『海辺のポーリーヌ』のように撮った。そして出来上がった作品は、初々しさと、生々しい感情と、またその感情とシンクロするかのように豊かな表情を湛える自然の美にあふれるものになった。さらには軽妙な艶笑譚的趣もある(とくに後半)。なぜ彼がここにいたって「原作もの」の演出ポリシーを変更するに至ったのかはよくわからぬが、この新機軸から生まれた結果は非常に好ましく、ロメールが齢九十近くにして新たなる境地に達したことをはっきりと示している。聞くところによると彼はもう長編を撮らないつもりらしいが、こんな若々しい傑作をまだ撮れるのになんともったいないことか、と思ってしまう。
 
ロメールの映画は総じてシネフィル的な記憶をあまり喚起しないのだが、本作はその自然描写――川、森、陽光!――と生の(そして官能の)喜びの横溢によって、ある映画作家の一本の作品を私たちに想起させる。ジャン・ルノワールJean Renoirの『草の上の昼食』Le Déjeuner sur l'herbe(1959)である。若いころから一貫してルノワールの熱烈な信奉者であったロメール――彼は1959年に『草の上の昼食』を称揚する「ルノワールの若さ」なる文章を発表している――が、老境にいたり、改めて自作によってルノワールへの大いなる共感を表明しているように私には思える。溺れたセラドンが救助されて運ばれたニンフの居城に掛かる絵のなかに、エドゥアール・マネÉdouard Manetの有名なタブロー「草上の昼食」Le Déjeuner sur l'herbeと同様のポーズをとる群像があったことを指摘しておこう。ルノワールの映画と同じ名を持つマネの絵の引用。これが偶然のはずはなかろう。半世紀前に作られた名画にたいするロメールのまわりくどいオマージュに違いあるまい。


■上記の城に掛かっていた「絵」自体は、マネが「草上の昼食」を制作するときに参照したライモンディの「パリスの審判」(ないしはそれの模写)だったようにも思うが、なにぶん一瞬見ただけなので記憶が曖昧である。いずれDVDなどで確認したいと思うが、詳しいことをご存じの方がおられたらご教示願いたい。

■私はロメールの前作『三重スパイ』をまだ見ていない。この文章は当作品をふまえたものでないことをお断りしておく。


MANCHOT AUBERGINE

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2008年10月20日

宮廷料理人ヴァテール

宮廷料理人ヴァテール映画の中には料理が主題になっているもの、料理をするシーンや食事風景がキーになっているものが案外あります。今まで観た映画の中で、私の記憶に残る「料理のある映画」を紹介したいと思います。まずは<宮廷料理人 ヴァテール>。題名がそのまま“ど真ん中”の映画です。

料理やお菓子の名前には由来のあるものが少なくありません。例えば、生クリームに砂糖を加えて泡立てたホイップクリームは「クレーム・シャンティイ」と呼ばれていますが、「シャンティイ城」からその名前が付けられたと言われています。シャンティイ城を舞台にした映画、<宮廷料理人 ヴァテール>はそんなことからついつい観てしまった映画です。

「キリング・フィールド」や「ミッション」のローランド・ジョフィ監督がフランス映画史上空前の40億円を投じ、フランスを代表する俳優ジェラール・ドパルデューを主役に配し、絢爛豪華シャンティイ城で繰り広げられた3日間の大饗宴を描いた史劇ですが、公開当時、日本ではおりしもグルメブーム、豪華美食映画を期待した人たちの多くは歴史的背景の勉強不足(私も含めて)もあってその描き方にちょっと期待はずれを感じてしまったかもしれません。

…ルイ14世(ジュリアン・サンズ)の治世下の1671年、フランス宮廷で起こった内乱=フロンドの乱で国王を裏切った形となり、重職から遠のいていたコンデ大公(ジュリアン・グラヴァー)は国王の信頼を取り戻すべく、チャンスを覗っていたそんな時、国王の臣下ローザン公爵(ティム・ロス)から、大公の居城シャンティイ城に国王が3日間滞在すると聞いた。大公は莫大な借金をし、5万エキュ(当時の貨幣価値を今の日本に置き換えるとなんと3兆円以上!)をかけて、国王と500人以上の廷臣を3日間の饗宴でもてなすことにする。そこでコンデ大公は名料理人フランソワ・ヴァテール(ジェラール・ドパルデュー)にヴェルサイユ以上のもてなしをするよう依頼する。ヴァテールは料理のプランを立てるだけでなく、3日間にそれぞれのテーマを設け、国王が当時凝っていたといわれるバレエ・オペラ・芝居を取り入れた演出を試み、準備期間が短かったにもかかわらず、饗宴の総合プロデュースをやってのける…自らの命を懸けて。

完璧を追求するあまり絶望し、主人への忠誠そして自らの誇りのために絶望したヴァテールは死をもって決し、その料理ではなく、彼の生き方そのものが伝説になりました。事実、約100年後に登場する本当の宮廷料理人アントナン・カレームや19世紀に登場する現代フランス料理の父とされるオーギュスト・エスコフィエのように、彼のレシピはほとんど残っていません。現代のフランスで、彼の名はもちろん偉人として知られていますが、料理人としてのそれではなく、信念を貫いた潔いその責任の取り方に美学を感じる偉人としてなのです。

映画の中で私の期待通りのエピソード(宴の最中、カスタードクリームを作る為の卵が腐ってしまい、機転を利かせたヴァテールは、手元にあったクリームに砂糖を加えて泡立て「クレーム・シャンティイ」を作ります。)はありましたが、このこと自体もあくまで伝説に過ぎないらしいのです。しかし映画で描かれているヴァテールのめざましい活躍はそんな機転の数々ばかりでなく、料理の材料の手配から始まり、支払いを含めた金策にまで追われ、私の想像していた宮廷料理人とは思えない働きぶりなのでした。そして彼は料理ばかりでなく、国王を喜ばせる為の舞台演出までをこなし、3日間の饗宴を総合芸術にまで高めていきます。彼にとって料理とは自分の持っているすべてを傾ける情熱の表現であり、美味しいものを作って客を喜ばせること、驚かせることにとどまらないもの、そして唯一彼の生き方に共感する女官アンヌ(ユマ・サーマン)への愛を伝える手段であることが伺えます。宮廷内のどろどろした権力闘争や思惑、さまざまな人々の愛憎劇などとは違うステージで生きる、懸命な彼の生き方が浮かび上がってきます。

というわけで私が勝手に想像していた「宮廷料理人像」や「豪華宮廷料理」は描かれていませんでした。映画としてはその当時の風俗・衣装、美術が素晴しく再現されていることはもちろん感動に値しますが、それぞれの人物の描き方が単純であることやストーリー展開が意外と単調でした。そのため、ティム・ロスやユマ・サーマンといった個性的な俳優たちの印象があまり残らない映画になってしまっているのも残念です。「眺めのいい部屋」のジュリアン・サンズ(私にとっては懐かしい〜)が上品なルイ14世を演じていたのが救いでしたが…

世界史の授業を受けるよりはもちろん?勉強になりそうですし、単純にルイ14世になった気分で3日間の大宴会を楽しんでみてはいかがでしょう…(現実には手元に豪華フランス料理が出てこないのが何より悲しいですけれど。)それにしても当時最高峰の料理が作られていた厨房の、お世辞にも清潔とはいえない環境には驚かされますが、そんな中から世界に誇るガストロノミー(美食)は生み出されたのですね。


宮廷料理人ヴァテール
アミューズ・ビデオ (2001-06-22)
売り上げランキング: 14770
おすすめ度の平均: 3.0
3 我々には想像も付かない
フランス絶対王政最盛期の宴
3 むむむ!
2 セットや衣装は豪華。おののき。
5 明暗、表裏。
1 料理人の話に強引に持ち込まれた陰謀



mandoline

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2008年09月23日

懐かしの70年代の名優たち(6) ジャン=ルイ・トランティニャン

1970年代を代表するフランスの男優はだれか?いまだ健在振りを見せていたジャン・ギャバンは50年代の俳優だし、ジャン=クロード・ブリアリはむしろ60年代のイメージが強い。人気という点だけから言えばギャンク映画で一世を風靡するアラン・ドロンが代表かもしれない。だが、私は別の俳優の名前を挙げたい。それがジャン=ルイ・トランティニャンだ。

男と女 特別版 [DVD]トランティニャンといえば、確かに1970年代を代表するフランスの俳優の一人だった。クロード・ルルーシュ監督の『男と女』(1966年)の驚異的な成功のために、主演のトランティニャンとアヌーク・エーメの名前はフランシス・レイのテーマ曲と共に世界中に知れ渡った。いま観直してみれば全ての場面が甘すぎて、殆ど出来のいいビデオクリップにしか見えないこの映画も、70年代には世界観を変えるほどのインパクトを観客に与えたようだ。主演の二人はこの映画でのイメージをいまだに引きずっているようにも見える。いまだに「フランス映画」といえば『男と女』とつぶやく人がいるくらいだから、一つの映画がもつイメージの大きさとは不思議なものである。

しかし、トランティニャンといえば忘れられないのはベルトルッチの『暗殺の森』(1970)であろう。原作はアルベルト・モラヴィアの『順応主義者』。舞台は第二次大戦前のパリ。少年時代の不幸な経験が引き金となってイタリアのファシストの手先となったある男が主人公。反ファシストとして活動するかつての大学時代の恩師を暗殺するために彼は新婚旅行を装い、妻とパリにやってくる。教授夫妻と親しくなった男は暗殺の機会を伺うが、その機会はいつになっても訪れない。ついに、別の組織が暗殺を決行することになったため、それを妨害するために彼らを追跡に森へと向かうが、暗殺の場面で教授夫妻を見殺しにする。その数年後、イタリアのファシスト政権は瓦解。ついに彼は何もなすことが出来ず、何者も助けることも出来ず、何者も信じることが出来ず、ただ「順応主義者」でしかなかった自分自身の姿を知ることになる。

モード家の一夜/パスカルについての対談 (エリック・ロメール・コレクション) [DVD]自らのなすことに決して自信を持ちえず、ただ与えられた使命に従って彷徨い歩くにすぎない病的な主人公。この複雑な役を演じられるのはトランティニャンを措いて他には考えられなかっただろう。それほど彼はこの役の中に同化していた。この映画はベルトルッチの演出、ストラーロの撮影が完璧と言ってもいいほどの高度な出来栄えを見せた映画だったが、それ以上にトランティニャンという俳優の存在は大きかった。彼を主役に得て、この映画は初めて実現可能になったと思える。これ以外では、エリック・ロメールの『モード家の一夜』(1969年)、フランソワ・トリュフォーの遺作『日曜日が待ち遠しい!』(1983年)なども彼ならではの作品となっている。

近年、我々が久しぶりにトランティニャンの姿を見ることが出来たのは、クシシュトフ・キエシロフスキ監督の『トリコロール』の中の一作「赤の愛」(1994年)であったから、それももう10年以上前のことになる。主人公の女性(イレーヌ・ジャコブ)に絡む、謎の老人の役をトランティニャンが演じていた。もう相当に顔に皺が増え、顔つきも幾分変わってしまったように思えたが、トランティニャンはやはりトランティニャンであった。

一見、とっつきにくそうな気難しい老人のようでありながら、様々なことに思いをめぐらし、深い人間性を湛えている男。しかし、その男の真の姿はやはり謎に包まれている…。こういう人物はやはりトランティニャンでなければ演じきることが出来ないだろう。トランティニャンが画面の中に現れるだけで、作品内の空間自体が奥行きを増して行き、物語は観客のあずかり知らぬ遥かかなたへと向かっていくように思われる。そこにいるだけで映画自体を変えてしまう男。それがジャン=ルイ・トランティニャンなのだ。「赤の愛」が『トリコロール』三部作の中で最も不可思議な魅力を持つ作品になったのは言うまでもない。

近年のフランス映画がつまらないのは彼のような俳優がいないからではないか?ドパルデューはもちろんのこと、ダニエル・オートゥイユらの演技は余りにも分かり易すぎるのだ。ヴァンサン・ペレーズやブノワ・マジメルにトランティニャンの境地を目指せというのは酷かも知れないけれども…。


不知火検校

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2008年08月29日

「ぼくの好きな先生」 Etre et avoir

Etre et avoir ぼくの好きな先生いきなり牛が吹雪の中にいるという、この季節には寒々しいシーンから始まります。
スクールバスに乗っていく生徒たち、年齢はさまざま。
カメ2匹がのんびりと歩く、あったかい教室。
ここは小さな村の小学校、超少人数。
みんなが兄弟のように過ごしています。
同じく小学生の子供が出てくる「エコール」とは、また違ったほのぼのとした雰囲気。
(一般ウケするのは確実に「ぼくの好きな先生」の方。)

おおよそ13人の子供たちが、ただひたすら勉強したり、遊んだり。
定年退職前の厳しくも優しいロペス先生に、
幼稚園から小学6年までに習うことを、一貫して教えてもらっています。

子供はそれぞれ個性があり、中には日系(?)の子もいます。

この映画の見どころは、ドキュメンタリー映画として良い点である、
「自分もその場所にいるような感じがする」ところです。

特に、フランス語習い始めで、しかもどうやってフランス語を覚えたらいいのかさっぱり、
現地の人はどうやって覚えているのだろう…という疑問は、
この映画を見るとスッキリ解決するかもしれません。

何のことはなく、日本と同じような教え方をしているのです。

「あん、どぅー、とろわ…」と、数字を覚えたり、
文字を書いて覚えたり、お絵かきしたり、先生の言うことを書き取ったり。

宿題が出れば家で家族みんなで大奮闘。
お母さんに「そこ違うでしょ!」と叱られながら、ああでもない、こうでもない…

ケンカもするし、「あの子わたしの消しゴムとった!!」と文句もたれます。

ほとんど、日本の小学校の風景と同じなのです。
むしろ、家で算数の宿題をしていて親に「違うでしょ!!」と言われて、
最後は親まで宿題にまいってしまうシーンは、懐かしささえありました(笑)

(算数のシーンでは、数字もたくさん出てくるので要チェック!)

そして、Etre と Avoir、タイトルにもなっているこの二つの動詞から見ても、
フランス人にとってのフランス語の始まりも、
日本人がフランス語を始めるときと全くと言っていいほど同じなんだな、と分かります。

子供たちは可愛いし、風景もとてもきれい。
子供を一生懸命思いやる先生と、リアリティあふれる小学校の毎日。

のんびり見てもいい映画ですが、フランス語をしている人には、
まるで自分も小学校に入学したかのような気分になり、
子供たちと一緒に「うぃぃ〜!」「ぼんじゅ〜る、むっしゅ〜」と言ってしまいそうになります。

フランス語を習いながら、「こんな難しいの、どうやって覚えるんだ!?」となってる人が、希望を持てそうな、おススメ映画です。


Etre et avoir ぼくの好きな先生
バップ (2004-04-07)
売り上げランキング: 34772
おすすめ度の平均: 4.5
5 素朴な人は素朴さを伝えられない
5 日本人が忘れてしまったもの
5 教育関係者のかた! ぜひ観てください。
5 本当は毎日こんなもの
4 ただ淡々と毎日を




Kaz

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posted by cyberbloom at 11:33 | パリ ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | フランス映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2008年08月13日

「ニキータ」

Nikita.jpg先日久しぶりにリュック・ベッソンの「ニキータ」(1990)を観る機会がありました。以前にご紹介した「汚れた血」のレオス・カラックス、そして「ディーバ」、「ベティ・ブルー」のジャン=ジャック・ベネックスとともに、リュック・ベッソンは80年代後半から90年代にかけてフランス映画界に新風を吹き込んだシネアストです。アクション映画という娯楽性の強い内容や派手な映像、エリック・セラの個性的な音楽で、ほかの2監督の作品と比べると、いわゆる「フランス映画好き」からの評価は高くないかもしれませんが、わかりやすく観ていて単純に楽しめるこの作品は、逆にフランス映画を苦手としていた人たちの多くを振り向かせたはずです。


ドラッグ漬けだった野生児のような娘ニキータ(アンヌ・パリロー)が、その素質を見いだされて政府の工作員として養成される、という言ってみれば裏版「マイ・フェア・レディ」的なストーリーや、美しいレストランでのドンパチ(ダストシュートへ飛び込むシーンは見もの)、恋人との幸福な場面が一転して任務遂行の舞台と化すといったメリハリのあるスピーディーな展開はいかにもハリウッド好みで、実際アメリカでは「アサシン」というタイトルでリメイクされ、さらには連続テレビドラマにもなりました。


nikita3.jpgアクションシーンなどの暴力的な部分だけではなく、繊細な面が同時に見られるのもこの映画の魅力のひとつ。ニキータはクレイジーで男性顔負けの強さをもつ一方で、任務の恐ろしさにおびえる弱さや、好きな男に思いっきり甘える可愛らしさも持っています。それは彼女の着こなす両極端なファッションーーハードな革ジャンやパンツといったボーイッシュなスタイルと体にぴったりとしたミニのワンピースやエレガントな帽子、キュートなプリントの下着といった女らしいスタイルーーにも表れています。


また彼女を取り巻く2人の男性も対照的で、方や常に冷静な上司ボブはときに厳しくときに穏やかにニキータを調教し、方や恋人マルコは彼女の過去を問いただすこともせず、ただひたすらに優しく無償の愛を捧げる。この映画は2人の男から全く異なった「愛し方」をされる女性の物語でもあるのです。マルコを演じたジャン=ユーグ・アングラードは当時「様」づけされるくらい日本の女子を魅了した美青年で、そんな人にとことん尽くされるのだから、初めて映画を観た頃は断然マルコのほうがいいよ〜って思っていました。


nikita2.jpgしかし、今回あらためて観たところ、ボブがいいんですよ! ニキータと最初に会話をするシーンで、彼女の名を尋ねて「いい名前だ・・」ともの静かに話すボブに漂う色気・・ あの頃はおじさんに思えたチェッキー・カリョのほうが今ではセクシーなシブい男性として俄然存在感がありました。時を経ると作品の見方もずいぶん変わるものです。


映画はそれまでの派手さとは打って変わってしんみりした雰囲気のなか、ニキータではなく、残された2人の男たちの対話で終わりますが、そのあたりがアメリカではなくやはりフランス映画的で、監督の冴えを感じます。この後ついにハリウッドに進出したリュック・ベッソンは「レオン」「フィフス・エレメント」を発表して知名度をさらに上げましたが、その後はプロデュース業を多く手がけるようになり、近年監督業ではあまりぱっとせず、引退宣言も飛び出す始末。おそらく監督としてやりたいことは、「ニキータ」あたりでほとんどやってしまったのでしょう。


二キータ
二キータ
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パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン
売り上げランキング: 1930
おすすめ度の平均: 4.0
2 普通
4 根底はラブストーリー
5 『レオン』の前菜に『ニキータ』を!
5 レオンよりいい!
3 比較の問題で




exquise

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