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私が何よりも驚かされたのは、映画館Reflet Médicis(シャンポリオン街3番地)でのジャック・リヴェット回顧上映である。リヴェット作品のうち特に上映されることが少ない初期の3作品、Duelle(『デュエル』、1976)、Noroît(『ノロワ(北風)』、1976)、Merry-go-round(『メリー・ゴー・ラウンド』、1981)の3本が特集上映され、それ以外にもLe Pont du Nord(『北の橋』、1981)も通常上映されていた為、『セリーヌとジュリーは舟で行く』(1974)と『地に堕ちた愛』(1984)の間に挟まれた最も謎めいた10年間に作られた作品群が一気に上映されるという趣向になった。
笑ってしまったのは、誰かが「ゴダールの場合は…」と発言しそうになると、すかさず、≪ Ne parlons pas de Godard ! ≫「ゴダールについて話すのはやめよう!」という合いの手が入ったことだ。まさにここにいるのはリヴェットと共に映画を発見し、映画を愛した集団であり、ヌーヴェルヴァーグの党派性とはまた異なるセクトであるということが痛感された一瞬であった。それにしても、こういう人たちと混じってリヴェットを見るというのは何という幸福だろう。彼ら、彼女らはゲラゲラ笑いながらリヴェットを見るのだ。そこにあるのは日本での神格化、神秘家されたリヴェットのイメージとはほど遠いものであり、彼らにとって、リヴェットはもっとも自分たちに近い「映画狂いのお兄さん」だったのだろう。
その他、シネマテーク・フランセーズでは「ルイ・マル回顧上映」、「溝口健二回顧上映」の他、「古典作品の見直し」としてデ・シーカやフリッツ・ラングの作品が上映されていた。また、日本ではまずありえない企画だが、文学、音楽、映画の三つの分野を自在に行き来するマルチ・クリエーターF. J. Ossangの回顧上映も行われていた。ちょうど2017年のロカルノ映画祭に出品された6年ぶりの新作 ≪ 9 doigts ≫がグランプリを受賞し、そのパリでの劇場公開に合わせた企画のようである。こういう映画が日本にまったく入ってこないのは不思議である。
フランス人とアメリカ人の恋愛観の違いについて、フランス人は恋人と別れたあとも友人として関係を継続するけれど、アメリカ人は別れたらそれで終わりになる、とよく言われる。アメリカ人の男女関係は基本的に They lived happily ever after (ふたりは末永く幸せに暮らしましたとさ)で、もし別れてしまったらそこでリセットされる。彼らにとっては形が大事なのだ。アメリカ人男性とフランス人女性のカップルの物語、『パリ 恋人たちの二日間』(ジュリー・デルピー監督)でも、この違いがコミカルに描かれていた。ちなみに、「ふたりは末永く幸せに暮らしましたとさ」はフランス語で Ils vécurent heureux pour toujours. (vécurent は vivre の単純過去形)
『スパニッシュ・アパートメント』(青春3部作の1作目)で別れたフランス人のカップルが、『ロシアン・ドールズ』(2作目)では良き相談相手になり、『ニューヨークの巴里夫』(3作目)では最後にはお互いの子供を連れて合流という話になる。今のフランスでは、そうやってできた「複合家族 famille recomposée 」が当たり前になってきている。あるフランスの社会学者が「家族を作るのは結婚ではなく、子供になりつつある」と言っているが、子供ができると、子供を中心に生活を組み立てざるを得ない。そして子供の方も両親のあいだを行き来して生活することになる。2006年の時点で、フランスでは120万人の子供が複合家族のもとで暮らしているようだ。
大晦日、友達の家で開かれたパーティで飲んで踊って昏倒したカミーユは、病院のベットで目を覚ます。新しい年はもう来たらしい。様子を見に来たナースが真顔でとんでもないことを言う。「ご両親が迎えにくる」って、どういうこと!!そして15才の頃の New Year’s Day にタイムスリップしてしまったことに気がつくのだ。
80年代の学生生活が映画の大半を占めるだけあって、部屋の壁に貼られた切り抜きから流れる音楽までそのころのアイテムが満載だが、特に印象に残ったのが当時世界中でヒットした、Katrina & The Waves の “Walking on Sunshine”。恋に夢中なキラキラした女の子の気持をストレートに歌ったアッパーなポップ・ソング。21世紀の大晦日では元気なあの頃を思い出させ、オバ達を踊り狂わせる懐かしのダンスチューンとしてパーティでかかっていた。タイムスリップ先では、今のアタシ達の気分を代弁してくれる、流行の曲として流れていた。
映画の終盤、New Year’s Day の朝に友人の家を出たカミーユを捉えた映像が挟み込まれる。降り注ぐ朝の光を浴びて誰もいない雪の積もった街路をひとりゆく彼女の後ろ姿を見ていると、この曲が頭の中で流れてしようがなかった。何もいいことなんかないんだけれど、「ね、いい気分じゃない!」と自分を奮い立たせ口角上げて前を向ける大人の底力を感じたのかもしれない。
激しいアクト・アップの活動と隣り合わせに日常があり、メンバー達もそれぞれの毎日を生きていることも映画はしっかり描いている。フツーの若者としてアメリカ発の最新の音楽をチェックし、お気に入りの曲を集めたテープを交換したり、みんなでクラブにも踊りにいく。この映画でたくさん流れるのは、踊りの場でかかっている当時のハウス・ミュージックだ。映画の原題“120 battements par minuite”も、ハウス・ミュージックの典型的なテンポだったりする。まさに時代の音だ。
最近、ハリウッド版が公開された「Ghost in the shell」のように、一方でスピリチュアルな世界はインターネットによってさほど違和感のない、むしろ親和性のあるものになってきている。死んだルイスは遍在している。インターネットのように、中東にもついてきて、モウリーンにサインを送り続ける。彼女もまたパーソナル・ショッパーという仮初めの仕事をこなしながら、都市を転々とする根無し草だ。またパリで英語を話す外国人でもあった。彼女を中東に呼び寄せたボーイフレンドもフリーランスのプログラマーのようだ。定職に就いて定住するよりも、インターネットを供給源にして、彷徨う霊魂のように生きる。
二人の出会いが新鮮に感じられたのは、セレブと法曹の世界という、対照的な世界の二人が出会ったからだ。セレブの世界は祝祭的で、性的にも放縦だ。ジョルジオは、自分のことを「ろくでなしの王様 roi des connards 」と呼び、交友関係が派手だが、人を喜ばせ、楽しませる術を知り尽くしている。しかしその分だけ女性関係も込み入っている。ジョルジオはトニーと付き合いながら、モデルの元カノ、アニエスと関係を断つことがことができない。アニエスとの関係を強引に認めさせられ、トニーはそれを納得しようとするが、棘のように喉元に突き刺さっている。
On quitte les gens pour la même raison. 男と女が別れるのは同じ理由だ。 Exactement ! その通りね。 Pour la même chose pour laquelle ils nous ont attiré en premier lieu. 初めは魅力的に見えていたことが、あとで別れの原因になる。(※1)
恋愛をテーマにすることは突飛なバリエーションを描くことではない。むしろわかりやすい同じテーマを反復して、人間の真実を思い出させることなのだ。辻さんは単線的な物語に収斂させるのではなく、感情の襞を多面的に見せ、イメージを積み重ねていく。見る者の内側にも様々な感覚や感情を喚起しながら。それがある瞬間に弾けるようにカタルシスをもたらす。そのひとつが、私の場合、七海が振り返って「どうする?」(純哉がフランス語で言う ‘A quoi joues-tu?に対応する’ )と問いかけるシーンで、ふいに涙腺が刺激された。関係が不安定なときには絶望的に響く言葉であるが、お互いにその問いを投げ返しながらふたりの未来をさぐる言葉でもある。
「その後のふたり」のフランス語タイトルは ” Paris Tokyo Paysage” である。これは「東京とパリを撮った映画で、主役は街なんだ」と辻さんが強調していた。街は変わらないが、人は移ろいゆく。確固とした変わらないまなざしを持つのは街の方だ。特にパリは19世紀半ばのパリ改造以来変わらない、歴史の重力の中に深く沈み込む石造りの街だ。それに比べれば人の営みなんてもろく、危うい。そしてアートと呼ばれるかりそめの約束事。母親くらいの歳のアーティストの手で純哉の肌の上に書かれた詩は、タトゥーのように皮膚に刻み込まれたものではない。その文字も意味も、息を吹きかけただけで剥がれて散って行きそうだ。
それゆえ、仕事によって得ている破格な報酬も「当然の取り分=’ma part du gateau’」(ステファンが実際そういう台詞を吐く)と思い込めるし、他者に対して非情にもなれる。監督のクラピッシュはインタビューで、「今、人類は大きな分岐点に立っていると感じて、それを表現すべきだと思った」。「この作品の脚本を書いている時、金持ちと貧乏の対比ではなく、むしろバーチャルとリアルの対比を描こうとしたんだ」と語っている。格差の恐ろしさは所得の差と言うより、思考がバーチャル化してリアルな他者に対する想像力が働かなくなることなのだろうか。それは他者に不幸をもたらすだけでなく、自分の幸福感をも奪っているのである。一方でフランスも中国の経済成長とフランスの片田舎にいる自分の悲惨な現実が結びつかない。今や個人は国境を越えたグローバルな力に巻き込まれざるをえないが、それは個人の日常のサイズを超え、リアルな相手が見えないだけに、国境が取り払われたグローバルな競争と言われても実感が湧かない。これも一種のバーチャルなのだろうか。
そのような中、2012年はクロード・ミレール Claude Miller という優れた映画作家が世を去った。1942年生まれのミレールは、ブレッソンやゴダールの助監督を務めた後、長くトリュフォーの作品の制作主任を務め、ほとんど彼の後継者のような形で作品を撮り始めたといっても過言ではない。1976年、長編第一作『いちばんうまい歩き方』で監督としては遅いスタートを切ったミレールではあったが、デビューしたばかりのシャルロット・ゲンズブールを主演に据えた『なまいきシャルロット』(1985)、そして、まさにトリュフォーの遺稿を基に、再びシャルロットを使い、第二次世界大戦下のフランス社会をたくましく生きる少女を描いた『小さな泥棒』(1988)などを立て続けに撮ることによって、一躍人気監督の仲間入りを果たす。これらの作品を観れば、ミレールの瑞々しいばかりの映像感覚が堪能できるだろう。
2012年のオスカーレースは、蓋を開けてみればフランス映画 “The Artist” の独り勝ち。戦前の黄金期のハリウッドを舞台にしながらヒーロー、ヒロインを演じたのはフランスの俳優、しかも映画の作りは基本的にサイレント映画。“音”として英語のダイアローグが聞かれるのは最後のワンシーンだけ、という異色作なだけに、正直ここまで賞を取るとは思いませんでした。特に驚かされたのは、主演男優賞に輝いたのが、この映画で主役を演じたジャン・デュジャルダンであったこと。まだオスカー像を手にしていない今のハリウッドを代表する男優達が、いい仕事をしてノミネートされていたのに、です。
彼がフランス国内で広く知られるようになったのは、7分ほどの短いコメディ番組、”Un Gars, Une Fille” で主役を演じてから。平均的な若いカップルのありふれた日常生活に起こるおもろい瞬間を切り取った、各回完結のシットコムです。後に実生活でも奥方となるアレクサンドラ・ラミーとのセキララな丁々発止が笑いを誘いますが、おかしなシチュエーションを更におかしくしているのはデュジャルダンの変化に富んだ表情と身ぶり手振り。元気なパートナーに押され気味の「彼」の無言のニュアンスを雄弁に伝えて、笑いをとっています。
これは映画のサウンドトラックを担当したレディオヘッドのジョニー・グリーンウッドの発言だが、さすがに映画の情動的な部分を担う音楽担当者だけあって、この映画の気分を的確に言い当てている。全盛期にあった学生運動や、サイケな音楽( Can の曲も使用!)やファションなど、この映画は時代性や特定の文化を色濃く反映しているようでありながら、一方で生物としての人間の普遍的な条件を際立たせている。キーワードはジョニーの発言の中にある、「ためらい、不確実、未決定、終わりがない、確定しない」である。「思春期と大人との狭間に」いるからそうなのではなく、人間の生物としての特質なのだ。
たまたま一緒にDVDを借りた「ハリー・ポッター―死の秘宝 Part 2 」もまた喪をテーマにしていた。ボルデモート(仏語の vol de mort )のとの戦いにおいて、ハリーの多くの仲間たちが死んでいく。ハリーもまた自分の運命的な死と向き合わなければならない。死者とどう折り合いをつけるかについて語る、魔法学校の元校長であるダンブルドアの最後の台詞が絶妙にシンクロした。
■定年退職前の厳しくも優しいロペス先生のもとで、勉強したり遊んだりする13人の子供たちの姿を追った、心温まるドキュメンタリー映画。Etre et Avoir―タイトルにもなっているこの二つの動詞から見ても、フランス人にとってのフランス語の始まりも、日本人がフランス語を始めるときと全く同じなんだな、と分かります。フランス語をやっている人なら、まるで自分も小学生になったような気分になり、子供たちと一緒に「うぃぃ〜!」「ぼんじゅ〜る、むっしゅ〜」と言ってしまいそう。