2020年10月09日

ジャック・リヴェットは死なず!―不知火検校のパリ探訪2018

2018年3月中旬から下旬にかけて、久しぶりに仕事でフランスを訪れた。2月下旬にヨーロッパを襲った大寒波は既に勢力が衰えていたようだが、パリは思いのほか寒く、雪がちらつくリュクサンブール公園を歩くことになるとは思わなかった。そんな中、カルティエ・ラタンの映画館は相変わらずの活況を呈し、熱気に包まれていたように思う。

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今回はこの初春のパリの映画館の状況をリポートしてみよう。

私が何よりも驚かされたのは、映画館Reflet Médicis(シャンポリオン街3番地)でのジャック・リヴェット回顧上映である。リヴェット作品のうち特に上映されることが少ない初期の3作品、Duelle(『デュエル』、1976)、Noroît(『ノロワ(北風)』、1976)、Merry-go-round(『メリー・ゴー・ラウンド』、1981)の3本が特集上映され、それ以外にもLe Pont du Nord(『北の橋』、1981)も通常上映されていた為、『セリーヌとジュリーは舟で行く』(1974)と『地に堕ちた愛』(1984)の間に挟まれた最も謎めいた10年間に作られた作品群が一気に上映されるという趣向になった。

特集上映初日の『デュエル』の上映終了後には、出演した女優エルミーヌ・カラグーズと、多くのリヴェット作品のプロデューサーであったステファヌ・チャルガディエフが舞台挨拶に参加するとの告知があり、それを見届けようと、パリ中のリヴェット信者が映画館に集結した。その数は30名ほどで、若い学生も数名は混じっていたが、多くは60歳代から70歳代だろう。だが、年齢というものを全く感じさせない筋金入りの映画狂(シネフィル)という雰囲気を醸し出していた。舞台挨拶では、リヴェットがいかに自由に映画を撮る人間であったかということをプロデューサーは強調し、集まった人もそれであるが故にリヴェットを敬愛するという感じであった。

笑ってしまったのは、誰かが「ゴダールの場合は…」と発言しそうになると、すかさず、≪ Ne parlons pas de Godard ! ≫「ゴダールについて話すのはやめよう!」という合いの手が入ったことだ。まさにここにいるのはリヴェットと共に映画を発見し、映画を愛した集団であり、ヌーヴェルヴァーグの党派性とはまた異なるセクトであるということが痛感された一瞬であった。それにしても、こういう人たちと混じってリヴェットを見るというのは何という幸福だろう。彼ら、彼女らはゲラゲラ笑いながらリヴェットを見るのだ。そこにあるのは日本での神格化、神秘家されたリヴェットのイメージとはほど遠いものであり、彼らにとって、リヴェットはもっとも自分たちに近い「映画狂いのお兄さん」だったのだろう。

その他、シネマテーク・フランセーズでは「ルイ・マル回顧上映」、「溝口健二回顧上映」の他、「古典作品の見直し」としてデ・シーカやフリッツ・ラングの作品が上映されていた。また、日本ではまずありえない企画だが、文学、音楽、映画の三つの分野を自在に行き来するマルチ・クリエーターF. J. Ossangの回顧上映も行われていた。ちょうど2017年のロカルノ映画祭に出品された6年ぶりの新作 ≪ 9 doigts ≫がグランプリを受賞し、そのパリでの劇場公開に合わせた企画のようである。こういう映画が日本にまったく入ってこないのは不思議である。

さて、明日、パリを離れるという日に何を見ようか迷った末、私が向かった映画館はChampo(エコール街51番地)だった。常に最高のプログラムを組むことで知られるこの映画館で上映中なのは「ヴィム・ヴェンダース初期作品回顧上映」。夕食も済んだ火曜の午後9時20分に上映されたのは『アメリカの友人』(1977)。行ってみればこんな時間でも7割くらいの客の入りである。まことにパリの映画ファンとは時と場所を選ばずにやってくるものだ。ふと思い出してみれば、『アメリカの友人』を初めて見たのは26年前に滞在したニース。なぜかフランスに居ると見てしまう不思議な映画だが、40年前の作品なのに全く古びていないことにも驚かされた。1970年代のヴェンダースは本当に素晴らしいと痛感した一夜だった。

もちろん、フランスでも日本と同じように『トゥームレイダー』等のハリウッド大作が上映されており、それなりの収益を上げている。しかし、フランスではそのような上映形態とは全く異なる上映形態とそれを支える客層(その多くは極めて頻繁に劇場にやって来る)が確実に存在し、それがフランス文化の重要な一翼を担っているということを、今回改めて実感することが出来た。まさに、パリは今日もなお「映画の都」であった。

□TOP PHOTO:Rivette during filming of The Duchess of Langeais in 2006
By Raphael Van Sitteren - Own work, CC BY-SA 4.0,



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2020年09月16日

『ニューヨークの巴里夫』セドリック・クラピッシュ〜複雑な関係をタフに生きる

フランス人とアメリカ人の恋愛観の違いについて、フランス人は恋人と別れたあとも友人として関係を継続するけれど、アメリカ人は別れたらそれで終わりになる、とよく言われる。アメリカ人の男女関係は基本的に They lived happily ever after (ふたりは末永く幸せに暮らしましたとさ)で、もし別れてしまったらそこでリセットされる。彼らにとっては形が大事なのだ。アメリカ人男性とフランス人女性のカップルの物語、『パリ 恋人たちの二日間』(ジュリー・デルピー監督)でも、この違いがコミカルに描かれていた。ちなみに、「ふたりは末永く幸せに暮らしましたとさ」はフランス語で Ils vécurent heureux pour toujours. (vécurent は vivre の単純過去形)



『スパニッシュ・アパートメント』(青春3部作の1作目)で別れたフランス人のカップルが、『ロシアン・ドールズ』(2作目)では良き相談相手になり、『ニューヨークの巴里夫』(3作目)では最後にはお互いの子供を連れて合流という話になる。今のフランスでは、そうやってできた「複合家族 famille recomposée 」が当たり前になってきている。あるフランスの社会学者が「家族を作るのは結婚ではなく、子供になりつつある」と言っているが、子供ができると、子供を中心に生活を組み立てざるを得ない。そして子供の方も両親のあいだを行き来して生活することになる。2006年の時点で、フランスでは120万人の子供が複合家族のもとで暮らしているようだ。

フランスでは、離婚したあとも子供のために、苦々しい思いをしながら、バカンスなどで別れた相手や相手の新しい家族と一緒に過ごさなければならない。複合家族や変形家族を営むためには、親の方も精神的にタフでなくてはならない。再婚相手の子供を虐待するという事件が日本でよく起きているが、相手の元夫や元カレと比較されることに、ヘタレ男は耐えられないのだ。『ニューヨークの巴里夫』でグザヴィエは子供の問題を話し合うために、ウェンディの新しいアメリカ人の夫に会いに行くが、英語が下手なゆえに子供扱いされる。フランス人もこういう目に合うのかと思うと可笑しい。「お金持ちだから彼と結婚した訳じゃないのよ」とウェンディは言っているが、彼女の再婚相手はさらにお金持ちなのだ!

この屈辱感は想像に難くないが、それでもグザヴィエはへこたれない。ニューヨークで子供と過ごす時間を作るために偽装結婚まで企てる。今の時代において本当の幸せをつかむ鍵は、男のプライドを捨てることあるのだろう。それは伝統的な家族像が有効だった過去の遺物にすぎないのだから。今はなりふりかまわずに、中身を取りにいく時代だ。グザヴィエは子供を公園で遊ばせているうちに、同じような境遇の父親と親しくなる。俺たちは元妻と子供と一緒の時間を奪い合う戦士だ!と彼は言っている。一方で、そういう複雑な関係を生きることで人に共感でき、本当の寛容さが身につく。

もちろん複合家族なんて回避できた方が良いに決まっている。しかしそうなってしまった以上、見栄や世間体よりも、「こうなっちゃったんだからしょうがない」と開き直り、その局面において合理性を追求するしかない。たとえその選択が正しいかどうかわからなかったとしても。そういう複雑な関係に適応できないのは大概男の方で、それを打開するコミュニケーション力や人間力も低かったりする。日本では中高年の男性の孤独死が問題になっている。まさに人間関係を作る力がないからだ。会社をリストラされたり、病気になったりして、お金を稼げなくなったとたんに妻にも子供にも見捨てられる。会社人間で家族を顧みず、家族のあいだの愛情や信頼を育んでこなかったせいだ。生活はすべて妻に依存し、ひとりで生活する力がない。それゆえひとりで寂しく死ぬことになる。日本では結婚することも難しくなっているが、愛と信頼のある関係を維持することはさらに難しい。

フランスはこのような傾向を制度的にもフォローしている。社会学者の宮台真司氏がよく言っているが、ヨーロッパ全体を見ても、80年代くらいから、家族でなくても、「家族のようなもの」であれば支援しようという政策を始めている。具体的には、婚外子、シングルマザー、同性婚の支援などだ。伝統的な家族の形を維持できないとすれば、見かけは違っても、同じような機能を果たすものなら、それを肯定しよう、さらにはそのような集団を積極的にデザインしようという考え方だ。もはやいろんな家族の形を認めざるをえず、個人は与えられた条件の中でそれなりの幸せを実現するしかない。『ニューヨークの巴里夫』の原題 Casse-tête chinois は「はめ絵遊び」のことだ。最初から理想のモデルがあるのではなく、与えられた条件の中でそれぞれが最適な「幸福のピース」を見つけていくことが肝要なのだろう。

映画の中にはレズビアンのカップルも出てくる。イザベルとジューだ。そしてグザヴィエは彼女たちが子供を作るために精子を提供する。『ニューヨークの巴里夫』には、こういう時代の先端を行く家族形態も盛り込まれている。アメリカでは若者が金銭的な動機でドナーになることもあるが、そういうドナーでも自分の精子から生まれる子供に興味を持ち、子供の将来を心配する。子供もまた自分に父親がいないことに関心を持ち、生物学上の父について知りたがるのだという。映画の中でもグザヴィエの息子が、グザヴィエが精子を提供して生まれたイザベルの娘を「妹」として認識し、ささやかな愛情が芽生えている。

現代社会では、個人は人生を自分の判断によって主体的に選び取り、その結果を自分で引き受けなければならない。私たちは判断をめぐって右往左往し、これまでありあえなかった後悔を生むことにもなるだろう。これまで職業が人生の最も重要な選択であり、自己実現とも結びついていた。現在はそれだけにとどまらない、様々な選択の機会に直面することになる。「結婚する・しない」「子供を産む・産まない」(不妊治療を受ける・受けない、あるいは養子をとる)から、自身のセクシャリティー(LGBT)、自身の死期(安楽死、ガン治療、葬儀)にまでそれは広がっている。もし子供がいるならば、どのような教育を受けさせるかは頭の痛い問題だ(実際に自分も経験したが、日本だと「子供に中学受験させる・させない」が大きな分岐点になる)。そういえばウェンディとグザヴィエも子供の学校のことで激しく口論していた。リベラルなグザヴィエにとって制服のある学校なんて問題外なのだ。そして現代社会は個人の人生の選択のための法や制度の整備を粛々と推し進めていく。伝統や偏見のプレッシャーは軽減されるかもしれないが、私たちは伝統や社会的な通念というレールがない状態で、それらを逐一選択していかなければならない。

cyberbloom


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2020年09月01日

『マチルド 翼を広げ』Demain et Tous Les Autres Jours

飛行機の中、というのも思いがけない映画との出会いがある場所だ。あてがいぶちのラインナップから選び小さな画面で見た作品が当たり!だったりすることもある。期待していた本命の新作映画が見当たらず、肩透かしな気分のまま機内でピックアップした本作について書いてみたい。



9歳の女の子、マチルドはママンと2人パリのアパルトマンに住んでいる。別居しているパパとはときどきスカイプでおしゃべりする。周りの人からは変わっている子と言われ先生からも心配されるけれど、独りでいることが嫌いじゃない。勉強だってちゃんとする。カラフルなユニークちゃん、というより、自分がちゃんとあって、自分の感性と美意識を大事にしている女の子なだけだ(きれいに飾ったマチルドの部屋を一目見ればわかる)。かしこくて一生懸命な、まさにおとぎ話の主人公をリュス・ロドリゲスが好演している(小鼻がちょっと膨らむ風なのがかわいらしい)。

マチルドが素敵な私の部屋を持つ女の子になったのは、感性豊かなママンのおかげだ。ママンはマチルドよりもっとずっと変わっている。例えば、ある日突然ウェディングドレスをデパートで買いもとめ(そうする理由はちゃんとあるのだ)、試着したまま家に帰ってくる。白い裾を雨に濡れた街路で汚しながら。他の子のママンと違って、マチルドの面倒を見るよりマチルドに世話を焼いてもらうこともそれなりにある。だからマチルドは自分で夜ご飯を食べて自分で起きて学校に行くことができる子になった。それでも、ママンの事がマチルドはとにかく大好きだ。

唐突にママンがプレゼントしてくれた小さいフクロウがマチルドとだけおしゃべりできることがわかり(かわいい外見に似合わず陽気なおっさんキャラだったりする)、マチルドの感じ方や考え方をわかってくれる友達になってくれたおかげで、マチルドの世界はぐんと彩りを増してゆく。その一方で、ただでさえ不安定なママンの心の調子はゼツボー的に悪くなってゆく。マチルドが一生懸命準備したことも全く悪気のないママンのお陰でおじゃんになり、マチルド自身も危険な目にあう。ママンとマチルドの静かで豊かな世界は崩れてゆく。

ここまでくると、なぜしゃべるフクロウも登場するおとぎ話仕立てなのかがわかる。そのままを映画にすればこぼれ落ちてしまうものがあるからだ。世間さまから見れば、迷惑ばかりかける母と耐える娘である。リアルを追求しながら「社会の中の2人」を描けば、マチルドの将来とか生活費とかママンの病の理由の詮索とか、いろいろとついてきて大事なことががぼやけてしまう。現実を締め出してこそ初めて見えてくるものもある。

一つはママンの存在感。どうしてマチルドがママンのことを好きなのか。この問いに映画はきちんと答えている。親だから、だけではなく魅力的な人だからだ。他人の目にはトラブルでしかなくても。事実、本作の監督でもあるノエミ・ルヴォヴスキが演じた、静かな微笑を絶やさないママンの心ここにあらずな表情やたたずまいはなんともいえない透明感があって美しい(前作での「元気なカミーユ」が演技だったこともよくわかる)。

そして、ママンが苦悩する人でもあることもしっかりと捉えている。自分を置き去りにしてどんどん飛び去る思考に振り回され、追い詰められてゆく苦しみ。やらかしてしまったことを知った後の絶望感。大事な人たちと思うように接することのできないもどかしさといったものをを常に抱えていることを。ママンのような存在は大抵の場合「主人公を脅かすやっかいな問題」として平面的に描かれがちだが、この映画は違う。これまで見てきた「メンタルを病んだ人の演技」にはないものを感じた 。観察映画『精神』に登場した人たちに見たものー自分の内面で沸き立つものと戦う人の静けさーにより近いものとでも言おうか。

もう一つは、マチルドとママンの関係だ。社会が掲げるあるべき母娘の姿とはかけ離れているかもしれない。しかしマチルドとママンはそうやって一緒に1日1日を積み上げ、次の日を迎えてきた。他人には問題行動とその結果の繰り返しのように見えても、2人にしかわからない世界があるのだ。

マチルドは、ママンの心が絶えずどこかにさまよっておりいつか自分から離れていってしまうのではないかと勘付いている。だから一生懸命ママンによりそう。ママンはママンで自分を求める大事なマチルドの声に応えたいと思っていて、がんばろうとする。でもうまくいかずに、変なことになってしまう。まるで悪い魔法にかけられてしまったみたいに。こんなにもそばにいるのに繋がらない、二人のなんとも言えない微妙でせつない関係が交わし合う視線、触れ合う体からきちんと描かれている。観ている側にはたまらないのだけれども。

そしてママンはある決断を下す。ママンにかけられた「魔法」が解け、ママンとマチルドが再び母と娘として巡り会うことができるのか、何も考えずに互いをしっかり抱きしめることができるのか。それはぜひ映画をご覧になって確かめていただきたい。

話し相手のフクロウ(映画『愛と哀しみの果て』でメリル・ストリープがペットにしていたのと同じ種類だろうか)も脇役としていい味を出していた。 愛嬌なしのデッドパンなタイプの動物ゆえ、好き勝手なおしゃべりもすっとはまる 。父親役のマチュー・アマルリックの静かな存在感も印象に残った。

by GOYAAKOD

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2020年08月29日

『カミーユ、恋はふたたび』(2012年)

テレビで映画を見る楽しみは、予期せぬいい出会いがあること。たまたま出くわしたそんなフランス映画を1本をご紹介したい(ある程度ストーリーに言及するのでご注意ください)。



主人公カミーユはパリに住む女優、40才(本編の監督で脚本も手がけたノエミ・ルヴォウスキーが演じている)。美魔女とはほど遠く、Z級スリラーの殺され役などして暮らしを立てている。25年連れ添った夫との間に二十歳を超え独り立ちした娘が一人。外に女がいる夫から離婚を切り出されている。ブルーな毎日を乗り越えるのにお酒が手放せない。

大晦日、友達の家で開かれたパーティで飲んで踊って昏倒したカミーユは、病院のベットで目を覚ます。新しい年はもう来たらしい。様子を見に来たナースが真顔でとんでもないことを言う。「ご両親が迎えにくる」って、どういうこと!!そして15才の頃の New Year’s Day にタイムスリップしてしまったことに気がつくのだ。

鏡に映る自分の姿は相変わらすくたびれた中年オンナ、おつむも気持も目覚める前と変わりはない。病衣からマドンナ風の重ね着ファッションに着替えた自分ははっきりいって悪い冗談にしか見えない。けれど、他人から見れば15才の女の子でしかないらしい。

あの頃の元気な両親と再会して感激するカミーユだが、間もなく16才を迎える自分に起こることを思うと現状を手放しでは喜べない。彼女の波乱の人生は16才の年にスタートしたのだ。夫となる同級生の彼と出会い妊娠、出産。演劇とも出会い、舞台に立つ喜びも知った。そして、突然の病で母を失った(妊娠発覚が死の引き金をひいたと今も思っている)。またあの怒濤の日々を経験するのだろうか。

はからずも40才にしてもう一度生きなおすことになった15才のガールズライフは身にしみることばかり。コスプレでないリアルタイムの80年代ファッションを着こなすクラスメート達はまるでオコちゃまで、一生懸命で、かわいい。

共働きで堅実に暮らす両親が、アーパーな一人娘である自分に注ぐ愛情がひしひしと伝わる。バカだったからちっともわからなかった。ふくよかできれいでやさしいママン!何気ない一言がどれも愛おしい。(夜、仕事帰りの母と娘が語り合うシーンはこの映画の白眉でもある。)

彼(お肌がすべすべ)が自分に寄せる、記憶していた以上に直球な思いも胸に迫る。そして芝居のおもしろいこと!学校行事の一つとして参加したゴルドーニの古典喜劇の台詞がこんなに新鮮に響くなんて。全てを知る40才の自分を意識しつつも、時にティーンエイジャーに戻ってじゃれあううちに、カミーユの顔つきが変わってゆくのがおもしろい。酒浸りのくたびれた顔に、いきおいと表情が戻ってくるのだ。シワもたるみもそのままなのだけれど。若いコに混じった若いカッコの40才がサイトギャグから違和感ない存在に見えてくるからたいしたものだ。

しかし、日々をエンジョイしているわけにもいかない。ことが起こってしまう前に未来をもう少しましなものにできないか。カミーユはじたばたしてみるのだが、人生の筋書きを大きく変えることができないことに早くも気付いてしまう。彼の求愛を受け入れここで妊娠しなければ、未来にいる娘が消滅してしまう!。少し違いを生じさせてはみたものの、カミーユは結局16才だったときと同じことをもう一度経験するはめになる。

そして再び昏倒したカミーユは、21世紀の新年の朝、友人の家のベットで目を覚ます。タイムスリップを経験しても、結局世界は何も変わっていない。過去にいる間にかすめとった一つ二つのちょっとしたいいことをのぞいては。

変化があったとすれば、それはカミーユ本人の胸のうちだろう。リフレッシュした、アップデートしたという意味の変化とは違う。むしろ「私、年を取った」というのが正直なところではないか。何が何だかわからないまま過ぎたあの日々を自分の意志で生きたことで、彼女は覚悟を決めたのだ。16才から積み重なったいろいろなこと―ままならなかったことも今直面していることもひっくるめ全部抱きとめて生きてゆく、私を全うする覚悟を。

そしてカミーユはある決断をする。それがどんなものかは、ぜひ映画をご覧になって確かめて頂きたい。それを語る彼女の言葉も含め、フランスでしか作れない映画だと思った。「タイムスリップもの」を作っても、一味違うのだ。

80年代の学生生活が映画の大半を占めるだけあって、部屋の壁に貼られた切り抜きから流れる音楽までそのころのアイテムが満載だが、特に印象に残ったのが当時世界中でヒットした、Katrina & The Waves の “Walking on Sunshine”。恋に夢中なキラキラした女の子の気持をストレートに歌ったアッパーなポップ・ソング。21世紀の大晦日では元気なあの頃を思い出させ、オバ達を踊り狂わせる懐かしのダンスチューンとしてパーティでかかっていた。タイムスリップ先では、今のアタシ達の気分を代弁してくれる、流行の曲として流れていた。

映画の終盤、New Year’s Day の朝に友人の家を出たカミーユを捉えた映像が挟み込まれる。降り注ぐ朝の光を浴びて誰もいない雪の積もった街路をひとりゆく彼女の後ろ姿を見ていると、この曲が頭の中で流れてしようがなかった。何もいいことなんかないんだけれど、「ね、いい気分じゃない!」と自分を奮い立たせ口角上げて前を向ける大人の底力を感じたのかもしれない。

“Walking on Sunshine” とはこういう曲です。80年代当時の映像でどうぞ。
https://youtu.be/iPUmE-tne5U

映画の中でタイムレスな音楽としてバルバラの曲が2曲さりげなく使われていたのも印象的だった。歌詞の内容から、二人が歌う場面でセレクトされたのがこちら。

by GOYAAKOD

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2020年02月16日

『BPM ビート・パー・ミニット』

『BPM ビート・パー・ミニット』を見た。2017年のカンヌ映画祭グランプリ受賞作。1990年代初頭のフランスでエイズ患者の権利拡大やエイズを巡る諸問題の解決を目指し行動するグループ、「アクト・アップ・パリ」に参加した人々とその戦いを描いた映画だ。 グループには、HIVポジティブと判定された当事者やその家族もいる。そしてゲイ、レズビアンであるとカミングアウトしている人々も多数関わっていた。



その活動はけたたましく、過激だ。啓発ポスターを貼る、会議で発言する、デモをしビラを配布するといった世の理解が得られやすいこともする。が、そこで終わらない。きれいごとばかりの公的シンポジウムや患者への配慮のない製薬会社に殴り込みをかけ、ホイッスルを吹き手製の血糊をまき散らす。授業中のリセのクラスに乱入、生徒にコンドームを配り超実用的なエイズ予防のゲリラレクチャーをする。祭りの屋台の水ヨーヨーが顔にダイレクトヒットしたような、そんな衝撃を受けた。

なぜそこまでやるのか?それは、黙っていては誰も何もしてくれないことがはっきりしているからだ。当時、エイズのことを「社会の鼻つまみ―宗教的なタブーを犯しているペデやら売春婦、ジャンキー(注射器の使い回しで罹患していた)やら−を一掃してくれる恩寵」とのたまう輩も決して少数派ではなかった。「悪癖」のない自分達には関係ない、というスタンスを社会が取り続ければ、エイズは病気の知識のない人々を巻き込み、蔓延する。

またHIVポジティブの告知から一足飛びに死に向かうわけではない。感染後も人生は続く。だからこそ社会に対し感染者の存在を主張しなければいけない。今現在も続くあからさまなヘイトを恐れ性的志向を隠してきた人も、「エイズ患者であり同性愛者でもある私」の存在を世間に認めさせなければならなかった。普通、私は病気ですと外に向かって大声でアナウンスすることなんかしない。しかし声をあげなければ、戦わなければ、いないも同然に扱われ、日陰の身として生きてゆかなければならない。どうしてそんな目にあわなければならない?確実な治療法もない状況で、グループの若いメンバーや身近な友人がT細胞の数を減らし、発症し一人また一人と命を落としてゆく。やるしかないのだ。

当時、グループのメンバーだった監督ロバン・カンピヨが、かつて自分がいた場所についての映像作品を撮るにあたりドキュメンタリーではなくフィクションを選択したのはとても自然なことだったのだなと思う。過激な活動を記録した当時のニュース映像やインタビューをつないでも、仲間達の「熱」は伝わらない。感情の暴発と取られかねない行動の一つ一つが、メンバー間の激論の末採択され実行されたものだったのであれば尚更だろう。

この映画の見せ場の一つはミーティングの再現場面だ。政府や製薬会社に対する要求といった活動方針の決定からポスターに使うキャッチコピー選びまで、手話も交え全てをみんなで話し合って決める。ディスカッションはルールに乗っ取って進行する。例えば、賛意を示すときは拍手ではなく指を鳴らす(やかましくならないようにという配慮らしい)。大学の大教室とおぼしき会場いっぱいの人々が一斉に指を鳴らす場面は壮観だ。


議題はシリアスだが、しかめっつらした人の集いとはほど遠く、軽口や陽気なやりとりも飛び出す。ミーティングは「出会い」の場でもあった。ただ、参加者は遠慮なく意見をぶつけあう(これは俳優達が演じるお芝居なのだというお約束を忘れそうになる程だ)。言葉とその裏にある思いの応酬に煮詰まり、みんなが疲弊しどんよりすることもある。でも会場の外で一服ふかして、また戻ってくる。逃げるわけにはいかないことをわかっているから。

みんな知っているのだ。この病気は普通に暮らしてきたす誰の身にも起きることを。ティーンエイジャーの頃初恋の人と思いを遂げた結果感染し、青春時代を「未来のエイズ患者」として生きなければならない人もいる。彼に非があるとするなら、それは病気のことを知らなかった、それだけだ。検査をクリアできた人も、それまでたまたまラッキーだっただけ。

しかも、エイズは愛をひどく複雑にする。相手に対しどれだけ誠実でいられるのか。感染の事実を伏せておくのか、それともきちんと伝えるのか。感染していることも「込み」で相手を愛せるのか、踏み込まずにおくのか。そして互いにあきらめるのか。人を好きになれば、自分が相手とどう関係していくのかをいやでも考えなければならない。でも、恋に落ちてしまうものなのだ。

激しいアクト・アップの活動と隣り合わせに日常があり、メンバー達もそれぞれの毎日を生きていることも映画はしっかり描いている。フツーの若者としてアメリカ発の最新の音楽をチェックし、お気に入りの曲を集めたテープを交換したり、みんなでクラブにも踊りにいく。この映画でたくさん流れるのは、踊りの場でかかっている当時のハウス・ミュージックだ。映画の原題“120 battements par minuite”も、ハウス・ミュージックの典型的なテンポだったりする。まさに時代の音だ。

照明を落としたクラブで規則正しいビートに身体をゆらして、私を消して踊る姿を見ていると、いろいろと考えてしまった。「踊るならファンク」派で、刺激的でどうにもたまらん音に踊らされ巻き込まれる楽しさが気持いいと思う人間だ。だから、ハウス・ミュージックは詰めが甘く単調に感じられて積極的に聞いてはこなかった。しかし、この淡々としたパッシブな感じこそがこの音楽のキーなのかと思う。他人の視線を意識しなくていい、踊る人本位のダンス・ミュージックなのだと。踊りながら私の中にもどんどん沈み込んでゆけるし、互いの心音を聞くように相手の中へも入ってゆける。それはある意味とても自由で、踊る人を開放してくれる音楽だったのだなと。踊る「アクト・アップ・パリ」のメンバーの背景で流れていた、当時のハウス・ミュージックを代表するこのトラックは、映画を見てしまった今まったく違った顔で耳に届く。

聞いてみたい方はこちらでどうそ。
https://youtu.be/ZUsE5Rx-emk


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2019年04月02日

『新世紀 パリ・オペラ座』

パリ・国立オペラ座。17世紀に設立されてから世界中の才能を招き寄せ、延々とオペラとバレエの公演を続けてきた。ロッシーニやヴェルディの名作、バレエの古典『ジゼル』や『ラ・シルフィード』を初演している。1875年開場の豪華絢爛なネオ・バロック形式の劇場、ガルニエ宮と1989年に建てられたオペラを主に上演するモダンな第2劇場オペラ・バスティーユで年間400回近く公演の幕を開け、のべ約8万人もの観客が押し寄せる。擁するバレエ団は世界でも屈指のバレエ団として有名。



以上がネットでさっくり調べた情報。が、取りこぼしているもののほうがずっと大きいのではないか。フランスの威信がかかった芸術の発信地であり、シーズン初日には大統領もやってくる内外国の要人が集う社交の場であり、300年もの歴史を背負いながらも新演出、新作を舞台にかけて攻める姿勢も失わない、数知れぬ人を巻き込んで生き続ける巨大な生きもののような組織。個人的にそんなイメージがあるが、それでもまだつかみどころがない。音楽・バレエに関心のある方には特別な存在、誰も名前ぐらいは知っている、けれど本当のことはよく知らない―そんなオペラ座を、ノーナレーションで追っかけたのがこの映画だ。

カメラが入り込んだ時期は、何事にも動じないように見えるオペラ座にとってもタフな時期だった。フランスの歴史にも、文化史にも名を刻んだシャルリー・エブド事件とパリ同時多発テロ事件が起こった。オペラ座の内部も大荒れだった。新たな一章の始まりと期待されたバレエ団の新芸術監督バンジャマン・ミルピエが一年半であっさり退任してしまったのだ(奇しくも就任時の華やぎと退団時の冷ややかな空気をカメラは捉えることになった)。職員のストライキ、開演間近の出演アーティストに絡むごたごた(実はどの大劇場も経験する災難)はまだ小さなトラブルのレベルだ。

身震いするオペラ座を内側から眺めるにあたり、視点を提供してくれる二人の人物が選ばれた。一人はオペラ座総裁ステファン・リスナー。一番偉い人である。どんなハイソでシックな人物かと思いきや、親しみやすい笑顔を振りまく恰幅のよいビジネスマン然としたおじさん。10代で小劇場を立ち上げたのを振り出しに裏方仕事から舞台監督まで幅広く経験を積み、パリ管弦楽団のマネジメントやシャトレ座などの有名劇場の運営、国際音楽フェスティバルの総監督と音楽・舞台の仕事にずっと携わってきた業界の大ベテランだ。2014年にオペラ座のポストを引き受ける前は、イタリアのミラノ・スカラ座を取り仕切っていたというというから、その手腕の程がうかがえる。

が、そんな辣腕をもってしてもさばききれないほど、やるべきことは押し寄せる。上演演目についての議論といった「本来の」お仕事から1000人を超える職員の処遇の問題、コアなファン以外の人々も呼び込めるようなチケットの値段設定といった今後の展望、おカネに絡む問題にも取り組まなければならない。観劇に来た大統領のお相手だって務める。大統領のボックス席のどこに座ればその夜の業務をこなす上でベストなのか、なんてことまで自分で考え、決めなければならない。

ここまで公にしてしまっていいいのかとびっくりするような言動もカメラは収めている。特にミルピエ退任までのやりとりはスリリングだ。(噂される退任の原因が見えてくるようなミルピエ本人のショットがちらりと出てきたのも興味深い。)将来を預けたアーティストの意向を最大限尊重したくもあるが、とにかく舞台の幕を開けなければならない。アーティストと一緒に立ち止まるわけにはいかない。難題を前にしたときのリスナーのしたたかさと行動力は見物だ。8階にある総裁の部屋の壁面はガラス張りになっていて、オペラ座前の風景が一望できる。まさに下界を睥睨する部屋なのだが、その場所に陣取る男の立場で眺めるオペラ座は人間くさくておもしろい。

もう一人は駆け出しのバリトン歌手、ミハイル・ティモシェンコ。ロシアはウラル地方の片隅から声を頼りにドイツへ留学(事実耳に残るいい声なんである)。将来のスターを育てる人材育成プログラムのオーディションに受かって、オペラ座へやってきた。ドイツ語はまあまあ、英語はナントカ、フランス語は大丈夫?というレベルの純朴そのものの黒髪の青年は、新参者としてオペラ上演の現場を歩き回る。カメラが捉える彼の視点から見た世界はわくわくすることばかり。(有名オペラ歌手の素顔だけでなく、オペラ上演の裏側もたっぷり見せてくれ、オペラファンにはお楽しみが多い。)尊敬するあの歌手が僕に声をかけてくれた、ファンではなく歌手の一人として!まだ20才そこそこ、舞い上がったり落ち込んだりと忙しいミーシャ君が成長してゆく姿もカメラは追う。借りものの上着を着ているようだった彼のフランス語の歌がどうなってゆくかは注目だ。

そしてこの映画は、さらにもう一つ視点からオペラ座を眺めている。オペラ座を支える裏方仕事への眼差しだ。細かいショットを積み重ねて紹介されるのは、併設のレストランの調理場のスタッフから舞台裏の人々のためのアナウンス係まで実に様々。衣装を洗う、アイロン掛けするといった数えきれないほどの細かい仕事があり、それだけをこなす人がいて、なんとか回っているのである。奇抜なオペラ演出のために特別に投入した「あるもの」を世話する人も登場する(何であるかは見てのお楽しみ)。どんな職場でもある対個人レベルでの細かい気配りやフォローが公演を支えているのがよくわかる。スマートフォンがスタッフの仕事を増大させているのも興味深い。時代とともに内容に多少の変化はあってもなくなりはしない舞台裏の細かな雑用を、人対人の細やかなやりとりでこなし続けてきたからこそ、オペラ座は生きながらえてきたのだ。

立場が違い、職場が違い、歩む道が違う。直接顔を合わせることすらないかもしれない。しかし、巨大な劇場のあちこちで働く人々が最終的に目指しているのはただ一つ。舞台の幕を開け、高揚した観客を送り出すこと。このベクトルが「巨体」を動かし続けてきたのだと実感する。2017年9月に今シーズンの幕は開いた。オペラ座はまた一年を生きながらえる。


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2019年03月24日

『ロダン カミーユと永遠のアトリエ』

実在の人物を描いた劇映画は、大なり小なりヒーロー、ヒロインの映画になる。映画のおもしろさは、ヒーロー、ヒロインの側へ観客をひきこめるかにかかっている。だからこそ、映画の作り手は前へ進むヒーロー、ヒロインの傍らにいて、その人生のアップダウンに半ば巻き込まれてもいる。



芸術家として名を為した後のロダンの人生についての映画を作るにあたり、ドワイヨン監督は逆にヒーローであるロダンから距離を置いた―画家とイーゼルの向うがわにいるモデルのような位置関係に。

映画そのものはバイオピクチャーの王道から外れてはいない。写真で目にした数々の代表作が完成してゆくプロセスが見られるなど興味をそそるエピソードがたくさん盛り込まれ、歴史に名を残したあの人この人がちりばめられてもいる。しかし、ロダンの人生をよりおもしろく見せ観客を高揚させるような積極的なしかけはない。ロダンのことを世間がどう思っているかすらも伝え聞き程度にしか明かされない(ロダンの作品を見た当時の人々の生なリアクションはほぼ排除されている)。演出を支えるオーダーメイドの映画音楽も控えめだ。耳につくのは窓の外から漏れ聞こえる鳥の声や生活音。映画全体が、ある種の静謐さに包まれている。

そして、観客に自然の光の存在をおおいに意識させるような画面作りが随所に見られる。同時代の印象派の画家達がおもわず筆を取りたくなるような光線の濃淡の中で、ロダンの人生は展開してゆく。スクリーンのこちら側にいる者は、のめり込むどころかそれこそ「ロダンの一生」という絵本を眺めているかのような気にさせられる。

しかしこの距離感こそが、とっちらかったロダンの人生を語るのに必要だったといえる。40才過ぎまで世間から顧みられなかったことから生じたコンプレックスと屈折、彫刻家としてともに美しいものを目指す理想的な若い恋人カミーユ・クローデルにめろめろになる一方、苦しい日々を支えてくれた内妻ローズがもたらす平穏を捨てきれず、優柔不断で非力な立場につい甘んじてしまう。いい女達には手を出さずにおられないし、こんこんと湧き出るエネルギーに身をゆだね、ひたすら描いて作って―なんともぐちゃぐちゃ。が、ぐっと引いた視点から眺めると、「芸術家だからしかたがないか」と見ない事にしていた「裏」ロダンとも向き合える。ヴァンサン・ランドンが演じる権威を感じさせないロダンを見ていると、この人なりにせいいっぱいやってきたのだななどと思ってしまう。とても肯定できないけれど。

ウィキペディアに列記される類の大きな出来事とおなじぐらいの熱意をもってロダンの日常がていねいに描かれていることも、ロダンへの眼差しを変えてくれた。倉庫のような粗末な空間に粘土と石膏の大バケツ、作りかけの作品、手足のパーツがあちこちごろごろしているアトリエ。そこらへんで奇抜なポーズを取る、きれいなはだかの娘たち。華やかな場所とは縁遠い、汚れた仕事着姿。天才と呼ばれた芸術家も、私たちと変わらず何の飾り気もない日々を積み重ねている。遠いのだけれど、私とは違わない人がそこにいる。

静かなトーンの映画の中に強い色を持ち込んでいるのが、カミーユ・クローデルとの物語だ。『サンバ』で勝ち気なボランティア嬢を好演したイジア・イジュラン(元々はシンガーで兄はアルチュール・H、女優のキャリアは浅く本格的な映画出演はまだ数作目というからはびっくり)がスクリーンに登場させたクローデルは、伝説の麗しきアーティストではなく今のおっさんも惚れてしまうような活力と内面からの魅力に溢れた娘(こんな感じではななかったのかしらんと想像していた通りのクローデル像で、個人的に大いに納得)。ロダンが恋に落ちるのは当たり前―。

だから、彫刻家同士という特殊な立場ではあるものの、今も世のあちこちにいるだろう、同じ理想を目指して歩む惚れた同士の男と女としてロダンとクローデルは描かれている。甘いささやきから身を切るような言葉の応酬まで、二人の間の愛憎は実在の有名人という断り書きをはずしてもLoversの物語として見応えがある。

この映画の中で最も密度の濃い瞬間も、二人の物語の中にある。ピュアな蜜月から少しづつ醒めてゆく前のロダンとクローデルが、クローデルの新しい作品、男女の踊る姿をモチーフにした「ワルツ」を前にしてぎこちなく踊る。踊れないくせにとからかわれつつも手を取り腰を抱くロダンと、相手に身を委ねおぼつかなくメロディを口ずさむクローデル。数分もない短い場面だが、あからさまな「愛する二人」のショットをどんなに重ねても作り得ない、言葉にできない万感の想いが凝縮されている。こういう瞬間に会えるからこそ、映画はやめられない。

細部の美しさにもふれておきたい。室内の調度やろうそくの灯り、風になびくカーテン、といった何気ないものにも目がいく作りになっている。時代物映画にありがちな、今とは違う世界だったのねと認識させるだけの時代風俗のリアルな再現とは趣向を異にする。ロダンの生きた時代に今の観客を自然に溶け込ませる配慮のようにも感じる。

映画は最後の最後に観客を思わぬ所へ連れて行く。びっくりされる方も多いかと思う。そしてこうも思われるかもしれない。これまで劇場の暗闇でひとときをともにした、100年前にこの世を去った男と私とはつながっているのだと。

映画館に行く前に、ちらりとウィキペディアなぞ眺めておかれることをおすすめします。よりすんなり映画が入ってきて、深く楽しめるかと。


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2019年03月20日

『ルージュの手紙』カトリーヌ・ドヌーヴ&フロ主演

原題の Sage femme は「助産婦」の意味だが、邦題は『ルージュの手紙』である。ダブル・カトリーヌ主演なのに「助産婦」なんてあまりに地味なタイトルだからだろうか。確かに「ルージュの手紙」が登場するのだが、ユーミンの「ルージュの伝言」に似せて潜在意識に訴えようという作戦なのだろうか。



カトリーヌ・フロが演じる助産婦のクレールは49歳という設定だ。自分と同じ世代なので、とても身につまされる話でもある。アラフィフと言えば、これまでの人生を振り返り、人生の決算にとりかかりつつ、まだしばらくのあいだ残された人生を、しかしいつ中断されてもおかしくない人生を見つめざるをえない時期である。

助産婦のクレールは、確実に経験と実績を積み上げてきた。それが自分の仕事に対する自信と誇りにもなっている。20年以上も前に取り上げた赤ん坊が大きくなり、自分の出産のときに再び同じ病院に来るエピソードがある。あなたは命の恩人だと感謝されるが、それは母親が危険な状態になったとき、血液型が一致したクレールが自分の血液を提供したからだ。クレールには息子もひとりいて、やがて孫が生まれる。使命感を持って仕事をして、愚直に生きた。悪くない人生だ。しかしひとつだけ心にひっかかっていることがあった。その当人、継母のベアトリスが突然彼女の前に現れる。

再会したベアトリスは自由奔放に生きてきたツケを払っている。ベアトリスはカトリーヌ・ドヌーヴが演じているのだが、あまりにエレガントで重病人には見えない。役柄においても自分のスタイルを決して崩さないドヌーヴならではの演技は、醜態をさらすくらいなら死を選ぶんだろうなと自然に思わせる。クレールが「キスだけで人を幸せにできる」とその点については評価するように、ベアトリスの華やかな魅力は天性のもので、地道な努力によって人生を積み上げてきたクレールとは対照的だ。しかしクレールはベアトリスに少しづつ影響され、人生を楽しむことを学ぼうとする。

この映画が時代を反映しているとすれば、新しい生命の誕生を通して、経験と先端技術を対比させているところだろうか。クレールは最終的に「赤ん坊工場」で働くことではなく、自分が蓄積した経験を伝えることを選ぶ。映画で「赤ん坊工場」と揶揄される新しい病院のマネージャーは、「ここでは sage femme という言葉は使わず、新しく maïeuticienne (助産師の女性形)という言葉を使う」と宣言している。つまり経験に基づく昔ながらの「助産婦」と、最先端のテクノロジーによって高度に管理された医療システㇺで働く「助産師」が対比されている。前者の経験を支えるのが助産婦たちの手だ。

私自身、助産所で子供の出産に立ち会い、自分の手でへその緒を切った経験があるが、陣痛の波がやってくるたび、どこからともなく伸びてくる千手観音のような助産婦さんたちの手が印象的だった。出産の苦痛と孤独を癒すのは機械ではなく、「手厚い」ケアなのだ。かつての助産婦さんたちが介在する出産は、男尊女卑の伝統がベースにあり、女性によって囲い込まれたものだったが、近年は、カップルの関係性と選択において男が出産に関わるようになっている。クレールも出産に立ち会う際には積極的に男に出産に関わらせている。さらに外科医を目指して医学部に在籍しているクレールのひとり息子、シモンは助産師になりたいとさえ言い出す。クレールは女の仕事だと反対はするものの、シモンの意志は固い。こうやって医療側の意識も環境も変わっていくのだ。

時代の反映と言えば、複合家族的な関係もそうだ。クレールとベアトリスは、1970年代にオリンピックの水泳選手だったクレールの父親(=ベアトリスの夫)に生き写しのシモンを通して、共有する男の記憶を鮮明に蘇らせる。ベアトリスはシモンと別れるとき、死んだ夫を思い出すように彼の唇にキスをする。血がつながっていないからこそ、ある種人工的で倒錯的な絆を作る必要があるのだ。さらに彼らの関係を「水」が媒介する。それはパリを横切り、蛇行しながらクレールの住む郊外のイヴリーヌ県を巡るセーヌ川だ。水泳選手の祖父から水との親和性を受け継いだシモンがセーヌ川で泳ぐ姿を遠景で撮ったシーンが印象的だ。1923年に遊泳禁止になったセーヌ川も今や水質が改善し、泳げるようになっている。まさに2024年開催のパリ五輪ではセーヌ川で水泳競技が行われる予定だ。失踪したベアトリスは、シモンと水の中で出会えたのだろうか。


cyberbloom


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2019年03月16日

『ブレードランナー2049』ードゥニ・ヴィルヌーヴは電気羊の夢を見たか?

近年、映画業界ではフランス系カナダ人が熱い。その筆頭とも言うべきドゥニ・ヴィルヌーヴが、SF映画の金字塔として名高い『ブレードランナー』の続編を監督するというニュースが流れたとき、いかに今を時めくヴィルヌーヴとはいえ、そんなことが可能なのかと誰もが思ったに違いない。 だが、『ブレードランナー2049』は大方の予想を裏切り、一定程度の水準を維持したとは言えよう。



1982年にリドリー・スコットが監督した『ブレードランナー』の原作はフィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(朝倉久志訳、ハヤカワ文庫、1977年)。ディックの原作はSFの設定を借りたセリ・ノワール(探偵小説)であり、彼の多くの作品がそうであるように、すべての展開が迅速に進む為、読者が深い感情を寄せるような暇もないまま終わってしまう淡々とした小説だった。その「軽快なノワール」の部分に大幅に加味された叙情性(リックとレイチェルの恋)、そして、シド・ミードの美術とヴァンゲリスの音楽が相俟って、何度観ても魅力の尽きぬ傑作が完成する(この作品に関しては、加藤幹朗『「ブレードランナー」論序説 映画学特別講義』筑摩書房、2004年の詳細な解説が役に立つ)。

2019年を舞台にした前作に対し、今回はその30年後の2049年が舞台。作品そのものは35年後の映画化となる。リックを演じたハリソン・フォードは前作では40歳だったが、本作では75歳。まず、ハリソンが出ているだけで前作ファンが泣いてしまうのは当然かもしれない(それにしても、1970年代でも2010年代でも現役バリバリのハリソン・フォードとは、一体何という俳優なのだ!)。しかし、彼が現れるのは後半の1時間ほどであり、そこには確かに前作との繫がりを窺わせる興味深いシーンが多々あるのだが、メインとなるのはむしろ今回の主人公Kが活躍する前半部分であろう。

主人公のK(ライアン・ゴスリング)がブレードランナーであり、彼がネクサス型のレプリカントを始末するという設定は前作と同様だが、何よりも違うのは彼自身もレプリカントであるということだ。観客は「レプリカントがレプリカントを倒す」、つまりは「ロボット同士の戦い」を見るということになる為、そこに感情移入するのはどうしても難しい。さらにまた、Kと相思相愛の関係にある恋人ジョイ(アナ・デ・アルマス)はホログラムの「商品」であり、実体としては存在していない。主要登場人物がこのように実体を欠いた存在であるという設定は珍しく、その意味では「希薄」な作品である。

しかし、この「希薄」さが今回の『ブレードランナー2049』の特徴であろう。ここには前作のようなリックとレイチェルの情熱的な愛もなければ、名優ルトガー・ハウアーが圧倒的な強度で演じ切った「レプリカントの最後」のような強烈な場面は全くない。前作が闇の中で蠢く未来の人類・非人類の「生命力」を沸々と感じさせる作品だとしたら、今作ではそのような「ややこしいもの」はきれいさっぱり洗い流されているように見える。

ヴィルヌーヴ自身は「前作が「黒のブレードランナー」だとしたら、これは「白のブレードランナー」だ」と語っていたが、それは単に色彩の点のみならず、映画の本質的な部分に関わる発言だと言って良いだろう。つまり、様々な部分が多くの意味作用を生み出し、多層化・重層化された作品であったの前作に対し、今作は「レプリカントの謎(物語中では「奇跡」と呼ばれる)」の解明に一直線に進んでいくため、極めてシンプルな構造になっている。

その為、ハリソン・フォードが登場して「謎」が一気に解決する後半部分は、物語のテンポは良く、映画としては確かに楽しめるかもしれないが、あの『ブレードランナー』の続編としてはいささか楽観的過ぎる展開だったかもしれない。レイチェル(ショーン・ヤング)の登場には前作のファンならば間違いなく狂喜してしまうけれども、ややサーヴィス過剰と言えなくもない。

しかし、最大の驚きは、にもかかわらず、163分というこの映画の上映時間が、全く長く感じられなかったことだった。それは、ヴィルヌーヴがこの『ブレードランナー2049』という作品の世界を完全に統御し、自家薬籠中のものにした結果、すべての出来事をごく「自然なもの」として提示していたからではないだろうか。「驚くべき世界」であるにも拘らず「当たり前の世界」のように2049年の未来を作り上げてみせたヴィルヌーヴには、やはり一定の評価をしてみて良いと思う。凡人にはこれは出来ない。

そもそも『ブレードランナー』のような傑作の続編を作ること自体が無理な話なのだ。そのようなどう考えても不利な状況で、一定の整合性を構築し、前作が持っていた雰囲気を壊すことなく、映画としての「味」を確かに感じさせる作品を生み出したことは、むしろ驚嘆すべきことかもしれない。大傑作ではないが、興味深い作品であるとは言えると思う。


不知火検校




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2019年03月15日

ティエリー・フレモー 『リュミエール!』

映画が誕生してすでに120年。映画技術はますます発達する一方、上映技術も3D、4D、IMAXなどますます多種多様化している。そのような中、始原の映画の姿を映し出す一本の映画が公開されている。『リュミエール!』と題されたその作品は、「映画の父」とも呼んでも良いリュミエール兄弟が発明したシネマトグラフで撮影された作品108本で構成されている。



我々はリュミエール兄弟によって作られた作品をほぼ無意識的に見て来たと言って良い。『工場の出口』や『ラ・シオタ駅への列車の到着』などについては映画史を語るドキュメンタリーではほぼ間違いなく紹介されるし、『水をかけられた散水夫』などは何度そのパロディーを見せられたかというぐらいであろう(有名なところでは、若きトリュフォーが長篇デビュー前に撮った短篇『あこがれ』の中で、その忠実な再現シーンが映画に対するオマージュであるかのように現れる)。

だが、これだけの作品を一挙に見られる機会は、筆者の知る限り、近年では聞いたことはない。20年、30年以上前ならば、無声映画の上映会などはかなり頻繁に都内でも開かれていたけれども、最近では国立近代美術館フィルムセンターの特集上映にでも行かない限り、このような作品を見ることはほぼ不可能であろう。その意味では、『リュミエール!』を見ることは、映画史の重要な部分を知る貴重な機会であることは間違いない。映画ファンにとっては垂涎の企画と言って良いだろう。

非常に驚いたのは、リュミエールとそのカメラマンたちが撮った作品の撮影場所が、フランスのみならず世界各地であったことだ。近隣のイギリスはもちろんのこと、トルコやエジプト、日本までがこの初期映画の舞台になっているという事実に、今回、この映画を見ることで初めて気づかされた。これらの映像を見た当時の人たちの驚きは相当なものだったのではないか。映画というものを見ること自体が初めての人たちが、自分が行ったこともなく、写真ですら見たこともないような国の人々の姿を動く映像で見せられるのであるから。

1400本以上はあるという作品の中から選ばれた108本だけあって、どれも興味深いものばかりだ。もちろん、撮影技術などないに等しい時代の作品だから、クロースアップもなければ、パンフォーカスもない。ほとんどの作品が固定カメラで遠方にいる人物を写し出すという映像であるから、映像そのものに興奮させられるということはなかなか難しいだろう。しかし、そのような画面にわずかにトラヴェリングらしきものが現れるとき、映像が一挙に映画的な色彩を帯びる瞬間を我々はまさしく感じることになる。

つまり、ここに集められた映像は、まさに産まれたばかりの映画が最初の一歩を踏み出そうとしている瞬間なのだ(それは、この映画の中で映し出された幼い子供たちのよちよち歩きの映像と瓜二つのように思える)。映画はまだ自分が何者なのかを知らない。自分がまだどこへ向かっているのかもしれない。ただ、自分の可能性だけを探し求めようとしながら、フィルムが回っているだけなのだ。映画のその後の歩みを知る者には、この萌芽状態の初々しさは眩しく感じられてならない。

そして、驚くべきことは、ここにはその後の映画を予見させるものが詰まっているように感じられる点だ。それは、キートンやチャップリンのドタバタ喜劇の先駆けというだけではない。ロッセリーニの荒々しい映像も、ブレッソンの静謐な映像も、ゴダールの過激な映像もあり、また、ムルナウやウェルズの暗闇のみならず、溝口健二やタルコフスキーの光までもがその片鱗のようなものを覗かせているのだ。「始まりには全てがある」というが、まさにリュミエールの作品には映画のあらゆる要素の原石が含まれているということを見るものは感じるだろう。

派手な映画に飽き飽きしている人は、『リュミエール!』を見て、映画の過去と現在、そして未来に思いを馳せてみてはいかがだろうか。



不知火検校


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2018年05月28日

オリヴィエ・アサイヤス 『パーソナル・ショッパー』

パーソナル・ショッパーは公に認知された仕事ではない。服を買う暇がないほど忙しいセレブの代わりに服を買い付けるプライベートな仕事だ。パトロンには自分のセンスを買われたわけだが、公に評価されるわけではない。その服を自分で身に着け、注目を浴びるわけでもない。華やかな世界だけに不満も鬱積しそうなのは想像に難くない。その陰のある女性、モウリーンをアメリカの女優、クリステン・ステュアートが魅力的に演じている。



「この物語の舞台に、ファッション業界を選んだのは、この業界以上に物質主義的な世界はない…そこで私は、そこに取り込まれながら、そこから逃げ出そうとする人物に惹かれていきました。そして見えないものの中に、救いを何とか探し出す人間を描きたいと思いました。見えないものの中に…」

オリビエ・アサイヤス監督本人がこのように言っているが、主人公のモウリーンはその「見えないもの」との未知のコミュニケーションを模索する。死んだ双子の兄のルイスは生前、死んだ後にサインを送るとモウリーンに約束したが、それは内容よりも、どのような形で伝えるかという問題だった。モウリーンは兄からのサインを待ち続けているがゆえに、まんまとなりすまされる。ルイスは文字などという安易な形でサインを送るはずがないと気づくべきだった。スマートフォンの快楽とは何だろうか。それはすぐに情報が引き出せること、すぐに返事が返ってくることである。つまり欲望が満たされるスピードだ。モウリーンはいつ来るかもどんな形で来るかもわからないサインを待ち続けているがゆえに、なりすまし男の「即答性」の餌食になる。

「私たちはこのようなコミュニケーション方法の人質になっています。時にはコミュニケーション・ツールが私たちをコントロールさえする」とアヤイヤスは言い、「中間者こそが力を持つ。媒介作用こそがメッセージの性質を決定づけ、関係性が存在よりも優位に立つ」とメディオロジストのレジス・ドブレは言う。重要な指摘であり、忠告だ。

私たちは同時に、なりすまされてもわからない、どこからか届いたのかもわからないメッセージを真に受けてしまうような、寒々しい人間関係を生きていることを思い出す。また、どんな人間かほとんど知らない人間が、どんな意図で押しているかわからない「いいね!」によって幸福感を得ていることも。なりすましだらけの薄っぺらな舞台装置の化けの皮がはがれると、廃墟の中で亡霊に話しかけていることが暴かれてしまうような。私たちはむしろ、モウリーンとルイスの人間の限界を超えた運命的な絆=コミュニケーションに思いを馳せるべきなのだ。

あまり触れているレビューがないが、映画の中でヴィクトル・ユゴーの降霊術が引用されていることを軽視してはいけない。ユゴーは肉体が滅びても、魂は生き続けると信じ、亡命先のジャージー島(あの『レ・ミゼラブル』を完成させたのもこの島だ)の邸宅で当時流行っていた降霊術を使って、死んだ愛娘レオポルディーヌとの交信を試みた。いわゆるコックリさん方式で、テーブルの上にみんなで手を置き、机がカタカタなる回数を数えて、アルファベットに置き直した。降霊術が流行した背景には、19世紀に生まれた新しい技術、電信技術の普及が背景にあったと言われる。「情報が瞬時に遠方に伝わる」という衝撃的体験は、当時の人々にとっては本当に魔術のように思えたのだろう。

ユゴーの前に現れた霊は文字で交信することを拒否し、まさに死者との交信はモールス信号のような「音」で行われた。文字を操るしかない文学者たちも当時、電信技術に脅威を感じていたようで、ユゴーですら文字はあまりに日常的で安易な方法に思えたのだろう。アルファベットに置き換える必要があったとはいえ、音という直感的なものを媒介とすることに魅了されたのだ。一方、ケータイやスマートフォンの登場で、私たちは以前にもまして、文字を読み、文字を書くようになった。文字に回帰し、依存するようになった。そして毎日せっせと短くて深みのないメッセージを消費し続けている。

19世紀のフランスの交霊術の研究者、アラン・カルデックによると、現世において前世の記憶は凍結されているが、霊的な世界に行くと、これまで転世してきたすべての記憶を思い出す。つまり、霊は記憶情報のようなもので、ちょうど私たちがインターネットに接続して、情報の膨大なストックを呼び出すようなものだ。そのうち、前世の記憶と交流するように、他人の人生を経験できるガジェットが開発されるかもしれないが、今のところはせいぜい文字や画像や動画のやり取りができるだけだ。

それに一個人がインターネットで実際に活用できる情報はほんのわずかで、逆に失っているものの方が圧倒的に多いのかもしれない。常にスマートフォンのメッセージをのぞき込むモウリーンの姿は、彼女が邸宅の暗闇のなかでルイスのサインを待っている姿と重なる。それは一方的に見られる非対称な関係だ。死者は私たちを見ているが、私たちは死者が見えない。かすかな気配のようなものしかわからない。ちょうど、インターネットの向こう側で悪霊のような様々な悪意が私たちをハッキングしようと待ち構えているように。国家さえもこの回路を通して私たちを盗聴し、監視しようとしているのだから(共謀罪!)。

刑事に尋問されるモウリーンの姿は、監視社会では挙動不審者である自由もないことを教えてくれる。つねに言いがかりをつけられるので、一貫性のある行動をとりながら、アリバイ作りにいそしまなければならない。人に説明できるように交換価値に基づいて合理的に行動しなければならない。監視社会の真の恐ろしさは、人生が退屈なゼロサムゲームに貶められることだ。痴情のもつれによる殺人事件に巻き込まれたモーリンが刑事の前で話すことは、ことごとく胡散臭くなる。モウリーンにとって一貫性のある行動が、客観的に説明のつかない、極めて不可解な行動になる。霊感があって、死んだ双子の兄のサインを待っているという状況は、合理的に説明できるどころではなく、気狂い扱いされるだけだ。

最近、ハリウッド版が公開された「Ghost in the shell」のように、一方でスピリチュアルな世界はインターネットによってさほど違和感のない、むしろ親和性のあるものになってきている。死んだルイスは遍在している。インターネットのように、中東にもついてきて、モウリーンにサインを送り続ける。彼女もまたパーソナル・ショッパーという仮初めの仕事をこなしながら、都市を転々とする根無し草だ。またパリで英語を話す外国人でもあった。彼女を中東に呼び寄せたボーイフレンドもフリーランスのプログラマーのようだ。定職に就いて定住するよりも、インターネットを供給源にして、彷徨う霊魂のように生きる。

そして、私たちは最後に、モウリーンがルイスのサインを確認しながら、中東のしたたかな光に包まれる、希望に満ちた光景を目撃する。映像は何も説明せず、私たちに想像させるだけだが(なりすまし男からモウリーンを救ったのはルイスであることが示唆される)、ある最終な場所にたどりついた予感を確実に与えてくれる。それでも死を乗り越える交信は不可能だと誰が否定できるだろうか。ユングが言うように、神秘体験は神秘現象の存在を意味しないのだから。


cyberbloom

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2018年04月24日

「モン・ロワ〜愛を巡るそれぞれの理由」

スキーでスピードを出し過ぎて転倒し、負傷した女性弁護士トニー(エマニュエル・ベルコ)が、リハビリに励みながら、愛したジョルジオ(ヴァンサン・カッセル)との過去について振り返る。トニーは治療の最初にカウンセリングも受け、見透かされるように、けがをしたときの心理状態について尋ねられる。ひざにまつわる言葉遊び。genou(ひざ) = je(私) + nous(私たち)…(私たちとは、私とあの男のことだ!)。またカウンセラーはひざについて暗示的な文章を読み上げる。



「ひざは諦めや譲歩と密接な関係にある。後ろにのみ屈折する関節だからである。ひざの痛みは現状を否定する心理と連動する。治療においても同じ心理的道筋をたどる」

実際、リハビリで傷が回復していく過程は、トニーがジョルジオとの過去を反芻しながら、心の整理をし、そうすることで心の傷が癒されていく過程でもある。

二人の出会いが新鮮に感じられたのは、セレブと法曹の世界という、対照的な世界の二人が出会ったからだ。セレブの世界は祝祭的で、性的にも放縦だ。ジョルジオは、自分のことを「ろくでなしの王様 roi des connards 」と呼び、交友関係が派手だが、人を喜ばせ、楽しませる術を知り尽くしている。しかしその分だけ女性関係も込み入っている。ジョルジオはトニーと付き合いながら、モデルの元カノ、アニエスと関係を断つことがことができない。アニエスとの関係を強引に認めさせられ、トニーはそれを納得しようとするが、棘のように喉元に突き刺さっている。

一方トニーは弁護士で、近代の社会制度の担い手にふさわしく、一対一の恋愛と、愛のある結婚と出産に価値を置いている。独占欲も強い。近代以前、恋愛はコントロールできない感情として社会制度の外側にあった。恋愛は既婚者同士の婚外関係にあった。つまり愛人関係にしか恋愛はなかった。フランスは現代においてもそういう恋愛のあり方を引き継いでいるのだろう。セレブの乱痴気騒ぎはそれ以前の乱交的な世界ですらある。ジョルジオはそういう世界の住人で、ジョルジオもトニーに激しく惹かれるが、以前の生活習慣が染みついている。

以前、ジュリー・デルピー監督の『恋人たちの2日間』のレビューで「フランス的性愛の外見的な緩さは、非倫理性を表さない。流動的な関係の中で、にもかかわらず揺らぐことのない「代替不可能なもの」「取替え不可能なもの」を倫理的に模索していると見られるからである」という社会学者の宮台真司の一節を引用したが、そうだとすれば、ジョルジオがフランス的性愛の求道者に見え、むしろトニーはそれに耐性がない。ジョルジオをダメ男と評するレビューが多いが、彼がそうなら、トニーはダメ女である。DV男の餌食になるような腐れ縁を断ち切れない女である。

いずれにせよ、二人の関係は、笑い転げるか、泣き叫ぶかのどちらかだ。まるで「心電図」のように浮き沈みが激しい。トニーは「平坦な関係」が欲しいと言っているが、ジョルジオが言うように、心電図が平坦になったら、それは死を意味する。そもそも、一か八かで憧れのジョルジョにちょっかいを出したのはトニーの方だ。男女関係の本質はふたりの次のやりとりの中の逆説に集約されている。

On quitte les gens pour la même raison. 男と女が別れるのは同じ理由だ。
Exactement ! その通りね。
Pour la même chose pour laquelle ils nous ont attiré en premier lieu. 初めは魅力的に見えていたことが、あとで別れの原因になる。(※1)

恋愛初期の全開のワクワク感は、それを独占できなくなったときの絶望と裏腹で、それを担保に与えられているかのようだ。人間の感情は不自由で、特に嫉妬という感情は致命的だ。そのような感情にどう対処し、未来に向かうのか。トニーは生真面目な人間なので、時間が解決してくれるのを待つしかない。ケガのリハビリに時間と忍耐が必要なように。チンパンジーは目の前の性行為にのみ嫉妬するが、人間は不在のものにも反応できる。嫉妬は人間に特徴的な感情で、人間は粘着質で、恨みがましいのだ。同時に人間は不在のものを表象する力がある。まさにこの作品はトニーの回想力によってできている。(※2)

最後のシーンがポイントだ(ネタバレ注意!)。息子のシンドバッドの通う学校で、親の務めを果たすために彼らは出会う。リハビリ後、初めての再会だ。ジョルジョの髪には白髪が混じり、しわも増えている。それをカメラは執拗に映し出す。出会って10年という設定なので、少なくともアラフォーに達している頃だろう。ジョルジオはバイクで学校にやってきて、最低限の務めを果たすとそそくさと帰ってしまう。学校は学歴のない人間には居心地が悪い。子育てする際には弁護士のような社会的地位が高い方が信用されるのだ。

ここで完全に逆転が起こっている。「私の王様」は急に貧相に見え始め、普通のおじさんになってしまった。ジョルジオとの関係は上手くいかなかったが、そのあいだに有名な事件を担当したり、トニーは弁護士として着実に地位を固めた。すでにジョルジオは嫉妬する側に回り、ほとんどストーカー状態だ。弁護士の立場を利用したのか、美しい息子の親権もしっかり手に入れている。だからと言って、ジョルジオを軽蔑したわけではない。彼女はいとおしげに彼を見つめている。これも恋愛のひとつの境地だ。

心電図のように振れの大きい恋愛を経て、彼女は成長し、以前の彼女ではもうない。美しさも深みを増している。海辺のリハビリ施設で、いろんな出自の若い男たちと楽しくやれるのも、気が若く、人間の幅が広がった証である。いわばジョルジオの世界を取り込んだのだ。

ところで、この映画の監督、マイウェンはリュック・ベッソンの『フィフス・エレメント』で異星人のオペラ歌手、ディーヴァ役を演じたことでも知られている。彼女は17歳でベッソンの子供を出産しているが、彼の方は『フィフス・エレメント』の発表の直後に、その主役であったミラ・ジョボヴィッチのとりこになってしまった。ベッソンに捨てられたマイウェインはうつ状態に陥った。過食症で25キロも太り、アルコールやドラッグにおぼれそうになったという。まさにトニーと似た状況に置かれていたわけだ。

フライヤーでこの作品を「『ベティブルー』から30年!」という強引な紹介の仕方をしていたが、プッツン女とそれに振り回されることに快感を覚える男の映画とは、似ても似つかないことを付け加えておく必要があるだろう。

※1『ふらんす』2017年4月号、対訳シナリオ(中条志穂)参照。 ※2 宮台真司『正義から享楽へ』、「LOVE【3D】」の章を参照。

ふらんす 2017年 04 月正義から享楽へ-映画は近代の幻を暴く-

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2016年06月13日

ジャック・リヴェット追悼

ヌーヴェル・ヴァーグの映画作家ジャック・リヴェットが87歳で亡くなったというニュースは、ごくわずかのフランス映画マニアしか驚かせない類の話かもしれない。リヴェットの映画には、確かにゴダールのような強烈なインパクトもなければ、トリュフォーのような親しみ易さもない。ロメールのような分かり易さもなければ、シャブロルにおける「サスペンス」のように特定のジャンルに括られることもない。しかし、彼が失われたことはフランス映画の「最良の部分」が消え去ったことを意味する。その点では、リヴェットの死は「ひとつの時代の終焉」と言っても良いほどの出来事であろう。

とかく、リヴェット作品は「難解」との烙印を押されることが多かった。『カイエ・デュ・シネマ』誌の元編集長。鋭利な批評家として名を馳せていた彼自身が熱狂的映画ファンであり、「毎日のように映画を観続けていた」という伝説から察するに、「普通の映画」などは何があっても撮ることは出来なかったのであろう。トリュフォー、ゴダール、シャブロル、ロメールが映画作家として快調な滑り出しを見せ、やがて映画界の巨匠への道を進む中、リヴェットだけは12時間以上も上映時間がかかる難解な映画(『アウトワン』)を平然と撮る「呪われた作家」として、孤高の獅子のように映画界に屹立し続けていた。自分の作品が普通に読まれるまで「100年以上かかるだろう」と言ったニーチェと同様に、受け入れられるまでに一体どれくらいの歳月がかかるのかとリヴェット本人も思っていたに違いない。

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リヴェットはそのキャリアの最初から「演劇」と「陰謀」というテーマに憑りつかれた作家だった。長編デビュー作『パリはわれらのもの』では劇団員の活動とその背後に蠢く陰謀がテーマとなるが、1970年代から80年代の作品群―『アウトワン』(1971)、『セリーヌとジュリーは船で行く』(1974)、『北の橋』(1981)、『地に堕ちた愛』(1984)―においても、そのテーマが陰に陽に現れては繰り返され、その中で、ビュル・オジエ、ジェーン・バーキン、ジェラルディン・チャップリンといったお気に入りの女優たちが不可思議な冒険を展開する。それが最も洗練された形で結実するのは『彼女たちの舞台』(1989)であり、日本においてもこれ以降、彼の作品がコンスタントに公開されるようになっていく。

1990年代以降のリヴェットは、1970年代の「カルト作家」扱いがまるで嘘であったかのように、次々に話題作を撮る映画作家へと変貌する。エマニュエル・ベアールを主演に据えた『美しき諍い女』(1991)ではカンヌ映画祭審査員特別グランプリを受賞。続く『ジャンヌ・ダルク』二部作(1994)では、ドライヤーやブレッソンによる映画史上の名作に挑みかかるように独自の救世主像を提示。さらに『パリでかくれんぼ』(1995)ではミュージカルに挑戦、ゴダールの妻だったアンナ・カリーナまでスクリーンに呼び戻し、自由で溌剌とした作品を産み出す。その勢いは2000年代になっても止まらず、『恋ごころ』(2001)や『ランジェ公爵夫人』(2007)でも多くの観客を唸らせた。

このように、時代によってその扱いがガラリと変わったリヴェットだったが、彼自身は基本的には何も変わっていなかったように思われる。フランスのドキュメンタリー番組『現代の映画作家』シリーズのリヴェット編(クレール・ド二監督)では、夭折した批評家セルジュ・ダネイを相手に滔々と語るリヴェットの姿が鮮やかに映し出されているが、自分の人生や撮影技法、創造の秘密について語る彼の様子はひたすら陽気で驚かされるほどだ。それは、韜晦なことを語って相手を煙に巻くタイプの芸術家とは対極的な姿勢であり、笑みを絶やさない彼の顔からは純朴な人柄が窺われ、多くの役者を惹きつける魅力が彼に間違いなく備わっていたことがはっきりと分かる。

リヴェットの死に際し、女優アンナ・カリーナは「フランス映画はもっとも自由で創造的な映画作家の一人を失った」と追悼の言葉を述べたが、まさにその通りであろう――カリーナ主演で撮影されたディドロ原作の『修道女』(1966)はカトリックを批判した作品であるが、リヴェットは宗教界から敵視され、この作品は上映禁止処分を受けたことがある――。実際、リヴェットはいかなるイデオロギーにも党派にも思想にも縛られることはなく、只々、自分自身にだけ忠実な映画作家だったと言えよう。ここまでやりたいことをやり切った映画作家というのは、映画史を見渡してもそうはいないのではないだろうか。しかし、いまそのような映画作家が世界に何人いるだろう。その意味で、彼の死は作家の自由な想像力=創造力がどこまでも許された「ひとつの時代の終焉」なのであろう。


不知火検校


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2015年04月02日

トリュフォー没後30年特集A―J=P・レオー、あるいは引き裂かれた人生―

トリュフォー映画と言えば、俳優ジャン=ピエール・レオーのことがすぐに思い出される。自伝的シリーズでトリュフォーの分身ともいえる主人公アントワーヌ・ドワネルを演じたこの俳優を見たことがないフランス映画ファンはいないはずだ。しかし、彼に対する反応は様々であろう。強烈にドワネルの人生に肩入れしてレオーを愛する人もいれば、ドワネルの優柔不断さをレオーのそれと同一視して、どうしても好きになれないという感想を抱く人もいる。確かにレオー自身の生の在り方も複雑で、苦労の連続であったことが様々な証言から明らかになりつつある。



しかし、さまざまな考えがあっても、「ドワネルもの」がトリュフォー映画の中心部であったことに異論を唱える者はいないであろう。両親の愛に恵まれず、少年鑑別所に入れられるもののそこを脱走する、という話はトリュフォー自身が経験したものであり、デビュー作『大人は判ってくれない』(1959)で鮮やかに再現されている。それ以降、『逃げ去る恋』(1979)までの5作品で、実に20年間にわたり、トリュフォーは自己の少年時代・青年自身をこのドワネルという人物に仮託しながら、もう一度、自分自身の生を「フィルムの中で生き直そう」としたのである。そこには、彼自身の「在り得たかもしれないもう一つの生」が描き出されていたといっても過言ではない。

レオーはドワネルを演じることで映画界にその名を刻んだが、しかし、多くの点で困ることがあった。実際の彼がドワネルのような問題児ではないかと思い、映画会社が彼を別の作品に使うのを拒んだというのだ。だが、現実はむしろその逆で、レオーはドワネル以上にエキセントリックな性格であった為、様々な場面で問題を起こしたらしい。保護者同然であったトリュフォーはしばしばレオーの私生活上の問題の後始末をしなければならなかったようである。とはいえ、彼にとってレオーはまさに息子も同然であり、かつて恩師アンドレ・バザンが自分に与えてくれた愛情をレオーに返す、というような気持ちもトリュフォーにはあったのではないだろうか。

しかし、レオーの人生が複雑になるのは、ゴダールとの関係があったからである。レオーはトリュフォーの作品のみならず、当時はトリュフォーの「盟友」であったゴダールの作品にも出演していた。『男性・女性』(1966)、『メイド・イン・USA』(1967)、『中国女』(1967)などの作品で、ゴダール作品の常連でもあったレオーだが、1968年の「5月革命」を契機にその運命は大きく変わる。映画の在り方をめぐって、トリュフォーとゴダールが決裂したのである。あくまで過激路線を突き進もうとするゴダールに対し、自分が信じる精度の高い映画を撮ろうとするトリュフォーとの間に、もはや妥協点が見いだせなくなっていた。

映画製作の内幕を見事の描き、世界的に高く評価されたトリュフォーの作品『アメリカの夜』(1973)にこんなシーンがあった。恋人に捨てられて落ち込む中途半端な役者アルフォンス(レオー)に対して、フェラン監督(トリュフォー)は以下のように語りかける。「君や私のような者は映画のなかにしか生きられない。私達は映画という夜行列車に乗っているようなものだ。」『アメリカの夜』の中では終盤を飾る感動的な会話のひとつなのだが、このシーンにゴダールは激怒する。彼にはこんな甘ったるい台詞は許せないし、こんな映画は何一つ映画の真実を捉えていないというのだ。以下、ゴダールの手紙。

「昨日、きみの新作『アメリカの夜』を見たよ。きみは嘘つきだ。しかし、誰もそうは言わないだろうから。わたしははっきり、きみは嘘つきだと言ってやろう。これは「ファシスト」よばわりするような単なる悪口ではない。批評だ。批評精神の欠如への批評だ。(…)「映画は夜行列車に乗っているようなものだ」って?いったい誰がどんな列車の何等室に乗っているというんだ。運転しているのは誰なんだ。」(山田宏一『トリュフォーの手紙』、平凡社、2012年、324頁)

この部分はまだましな方で、この後、延々と罵詈雑言の数々が続く。挙句の果てに、自分の映画に金を出せと言って手紙を締めくくるのである。このゴダールの悪意丸出しの手紙に対して、トリュフォーは真摯に、しかしゴダール以上に長大で過激な批判の手紙をゴダールに対して送りつける。その手紙は、いかにかつてのトリュフォーが鋭利な批評家であったのかを彷彿とさせるほど見事に書かれており、有無を言わせぬ内容である。しかし、これを契機に二人は完全に決裂する。それと同時に、レオーもまた二人のあいだで引き裂かれるような形になってしまう。実際、レオーは二人のあいだを右往左往する立場を強いられたようである(実は上記の絶交書簡はレオーの手を通して行きかったのだという!)。

この引き裂かれたレオーの在り方がハイライトになっているドキュメンタリー映画が、『二人のヌーヴェルヴァーグ―ゴダールとトリュフォー―』(2010)という作品である。浩瀚なトリュフォーの伝記(邦訳『フランソワ・トリュフォー』、原書房、2006)をセルジュ・トゥヴィアナと共同執筆した映画学者アントワーヌ・ド・ベックによる実証的な脚本であり、フランス映画史に関心がある者は見逃してはならない一本である。その映画のなかでも印象的に捉えられているトリュフォーとゴダールの冷却関係は、結局、1984年のトリュフォーの急逝の為、解決せぬまま突然終止符を打たれることになる。ゴダールは葬儀にも姿を見せることはなく、そこにはやつれはてたレオーの姿があるばかりだった…。

しかしながら、レオーの人生はそれだけでは済まない。彼はまた『出発』(J・スコリモフスキー、1967)、『ラストタンゴ・イン・パリ』(B・ベルトルッチ、1972)、『ママと娼婦』(J・ユスターシュ、1973)、『コントラクト・キラー』(A・カウリスマキ、1990)、『イルマ・ヴェップ』(O・アサイヤス、1996)など、映画史を彩る名だたる巨匠たちの数々の作品に出演し続けて来た俳優なのだ。これらの作品に触れることなく、ヨーロッパ映画の歴史を語ることは不可能だろう。人生を引き裂かれながらも、あるいはそれ故に、他の人間には表現できないほど強烈な姿をレオーはフィルムに刻み続けて来たのではないだろうか。そして、レオーは70歳になる今もまた(1944年生まれ)、映画に出続けているのだ。


不知火検校


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2015年03月27日

トリュフォー没後30年特集@―トリュフォー映画の女優たち―

1984年10月21日。ヌーヴェル・ヴァーグを牽引した映画監督フランソワ・トリュフォーが急逝した。享年52歳。そして、あれから30年の月日が流れた。その間、フランス映画の地勢図は大きく変わった。L・ベッソン、L・カラックス、J=P・ジュネ、A・デプレシャン、F・オゾンら気鋭の新人監督が次々に頭角を現す一方、ドゥミ(1990)、ルイ・マル(1995)、ブレッソン(1999)、ロメール(2010)、シャブロル(2010)、ミレール(2012)、シェロー(2013)、そしてレネなど(2014)、「作家」たちが相次いでこの世を去った。いまや「ヌーヴェル・ヴァーグなど知らない」という世代まで現れている。それでは、トリュフォーは私たちに何を残してくれたのだろう。今回は、彼の映画を彩った女優たちを振り返ってみよう。



トリュフォー映画の女優たちは、恐らく自分たちのキャリアの中で最高の演技をしたのではないだろうか。例えばカトリーヌ・ドヌーヴ(1943-)。『シェルブールの雨傘』(1964)で彗星のごとく現れたこの女優が、本当にフランス映画を代表する女優の地位を掴むことができたのは紛れもなくトリュフォーの映画に出たからではないか。もちろん、『暗くなるまでこの恋を』(1969)は「ご愛嬌」としか言えない。しかし、『終電車』(1980)はトリュフォーにとっても最大のヒット作であると同時に、ドヌーブにとっても最高の一作ではないだろうか。占領下のパリで劇団を運営しながら、地下に隠れたユダヤ人の夫と共に戦火を乗り切る気丈な女優マリオン。彼女の他のすべての映画が忘れ去られたとしても、『終電車』が忘れられることはあるまい。この映画は、元恋人のドヌーブにトリュフォーが渡した最後のプレゼントだったのだ。

続いて、イザベル・アジャーニ(1955-)。彼女も当初はコメディ・フランセーズ所属の新人舞台女優に過ぎず、才能の萌芽が見られるとはいえ、演劇の世界でのみその名が知られる程度の存在だった。そんな彼女を映画の世界に導き入れ、そして最高の役を与えて、類まれなる演技をさせて産み出された作品が『アデルの恋の物語』(1975)である。演じるのはヴィクトル・ユーゴーの娘アデル。それも狂気の果てに死ぬという難役。しかし、彼女は見事に演じ切る。実際、この作品がなかったらアジャーニは映画女優を続けることが出来なかったであろう。この作品と共に、彼女は女優として開眼した。トリュフォーは間違いなく、アジャーニを映画女優へと作り変えた張本人なのである。



そして、いまやフランス映画界の重鎮ともいえるナタリー・バイ(1948-)。『アメリカの夜』(1973)でスクリプターを演じていた頃は、映画の世界に足を踏み入れたばかりのほんの駆け出しの女優に過ぎなかった。しかし、トリュフォーは彼女の持つ魅力を決して見逃すことはなかった。ヘンリー・ジェイムスの小説『死者の祭壇』に霊感を受けて作られた異色の作品『緑色の部屋』(1978)でトリュフォーと共に主演を務めたバイは、本格的な女優としての道を歩み始める。私にとって、『緑色の部屋』はトリュフォーの最高傑作である。亡き妻を忘れることが出来ず、部屋のなかに閉じ籠るジュリアン(トリュフォー)と同じような境遇のセシリア(バイ)の物語。これは何度でも見たくなるような作品ではない。しかし、見たことを決して忘れたくない、そういう類の作品である。蝋燭に火を点すナタリー・バイの仕草と最後の台詞(「ジュリアン・ダヴェンヌ…」)は至上の場面だろう。

鬼籍に入った女優も忘れてはいけないだろう。トリュフォーが映画監督として初めて本格的に取り組んだ短編映画『あこがれ』(1958)のヒロイン、ベルナデット・ラフォン(1938-2013)は少年たちの羨望の対象を見事に演じ切り、トリュフォーに長編デビュー作(『大人は判ってくれない』)への道をひらく。彼が『私のように美しい娘』(1972)で再度彼女を主演に起用するのは『あこがれ』へのお返しだろう。『二十歳の恋(フランス篇)』(1962)でアントワーヌの初恋の相手コレットを演じたマリ=フランス・ピジエ(1944-2011)は『夜霧の恋人たち』(1968)にも出演。トリュフォーの絶大なる信頼を得て、続く『逃げ去る恋』(1979)では脚本にも加わるなど、トリュフォー組の常連だった。『夜霧〜』と『逃げ去る〜』で愛くるしい笑顔を見せたクロード・ジャド(1948-2006)も、残念ながらもはやこの世にはいない。




もちろん、「フランス映画の顔」とも言うべきジャンヌ・モロー(1928-)(『突然炎のごとく』(1962)、『黒衣の花嫁』(1968)に出演)や、トリュフォー最後のパートナーで彼の死後に娘を生んだファニー・アルダン(1949-)(『隣の女』(1981)、『日曜日が待ち遠しい!』(1983)に出演)も決してその名を逸することが出来ない女優たちである。しかし、私は特に『夜霧〜』に出演したデルフィーヌ・セイリグ(1932-1990)の名を最後に挙げたい。アントワーヌを夢中にさせる蠱惑的なマダムを演じられるのは、他の誰とも異なる得も言われぬ魅力を放つ彼女以外には考えられないだろう。セイリグはもちろんレネ(『去年マリエンバートで』)やブニュエル(『ブルジョワジーの密かな愉しみ』)の女優という印象が強いが、トリュフォー作品でも大きな足跡を残していることを忘れてはなるまい。

私は最初に、「トリュフォー映画の女優たちは、恐らく自分たちのキャリアの中で最高の演技をしたのではないだろうか」と書いた。しかし、こうして振り返って見てみれば、これらトリュフォー作品において、フランス映画のまさに最良の瞬間がフィルムの中で形作られたことに気づかざるを得ない。「映画は現実を生々しく映し出す」というのはトリュフォーの師であるネオ・レアリズモの巨匠ロッセリーニと批評家アンドレ・バザンの揺るぎのない考えだった。まさにトリュフォーは師の教えに忠実に、女優たちの「現実」を最高の形でフィルムに刻み付けたのである。月並みな言い方だが、それらは決して色褪せることがないのだ。


不知火検校


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2013年11月20日

I went to Paris ― 80’sアメリカン・スウィートハートの回想

モリー・リングウォルド。その名を聞くと胸がきゅんとなる中年が少なからず、います。80年代に幾つものアメリカ製ティーン・ムービー・クラシックでヒロインを演じた彼女。わかりやすいカワイこちゃんキャラではないけれど、人をひきつけるユニークでニュアンスある演技で当時の少年少女の心をわしづかみにしたのでした。あの頃、誰もが漠然と感じていました―「大人の役を演じるモリーはまたどんなに素敵だろう」と。しかし、レディとなったモリーをスクリーンで見ることはできませんでした。なぜって、モリーはハリウッドを去り、パリにいたのです。US版ヴォーグ誌で、彼女自らがその時の体験を綴っています(2013年6月号、”An Education”)。



2歳から子役として芸能界入りし走り続けてきた彼女にとって、20代を過ぎた頃から、演じるということががさほど魅力的でなくなっていました。オファーされる役にも興味が持てないし、手にした名声も楽しめない。成功の証であるLAのマルホランド・ドライブの自宅も、おしゃれなホテルの部屋みたいでしっくりこない。ブルーなモリーに追い打ちをかけるように、悪い事がおこります。泥棒にあったのです(留守中の出来事であったのがせめてもの救いでした)。怖さのあまりその日から防弾扉(!)がはめ込まれた特注のクローゼットの中で、服と一緒に眠るはめに・・・。芸能界を離れ大学へ行く事を決断するのに、さほど時間はかかりませんでした。同級生はちょうど大学を卒業した頃。一周遅れだけれど、今の私には新しい生き方が必要だと。ただキャンパスへ直行することはできませんでした。大学は新年度が始まる前の夏休み中で、彼女自身も映画の撮影でフランスに行かなければならかったのです。最後の映画出演を終えたら、帰国して秋にはカリフォルニアで大学生になる―新しい生活への期待を胸に、モリーは家を売り払い、6つのスーツケースとともにパリへ旅立ちます。

夏のがらんとしたパリ。ホテルではなく1区のアパルトマンに落ち着いて、最後となるはずの映画撮影に入ったモリーを、予想外の展開が待っていました。まず、スタッフの一人として撮影に参加していたフランス人、作家志望のアンリと恋に落ちてしまったのです。個性的な顔立ちに深いグリーンの瞳、集団から離れエルムの木陰でフランスの古典文学に読みふけっている彼を見かけて、モリーの方から近づきました。そして―パリの街そのもの、にも恋してしまったのです。撮影が終了しアメリカへ戻る日が迫った夜、アンリと一緒に乗ったテュイルリー公園の大観覧車からみた夜景−パリ中の灯りという灯りが「モリー、行かないで!」とばかりにキラキラとまたたく光景を見て、彼女は心に決めます。アメリカには戻らない。パリに居よう、と。

小さい頃からいつも冷静に、無責任なふるまいをしないように生きてきた彼女にとって、それは大きな決断でした。でも、私はまだ20そこそこ。仕事にも家庭にもしばられていない自由な今でしかできないことじゃない?

マレー地区のシルク・ディヴェールの小屋の向かいにあるアパルトマンを借り、大学には入学延期を伝え、アメリカにいる家族やエージェントに電話をかけました。「帰国しない。」と。冗談ばっかり、と誰もが笑って受け流したけれど、ママは大泣きしました。家でも撮影現場でいつも彼女を見守ってきた彼女にはわかったのです。あの子は本気なのだと。

ただパリで無為に過ごすだけではつまらない。モリーは取りあえず「目標」を決めることにします。演じることが嫌いになった訳ではないから、フランスで、フランス語で演じる役をオファーされるようになるまで、フランス語をマスターしよう。期限は2年間。高校はフランス系の学校だったし、フランス語の素養がないわけではない。がんばればきっとできるはず!週3日フランス語のクラスに通い、猛勉強する日々が始まりました。

オフの日は、究極のツアーガイドであるアンリがパリのあちこちに連れていってくれます。観光客が行かないようなパリの穴場を巡り、発音できそうにない名前の美味しい料理を頂く。ロマンチック美術館の庭でのティータイム、アラブ人街の喧噪・・何もかもが物珍しく、楽しい。何でも知っているアンリは、モリーの目を開かせようと、文学、歴史、政治から食とありとあらゆることを教えてくれました。

教わる内容もさることながら、モリーにとって新鮮だったのは、受け身でいることの開放感でした。子供みたいに全てアンリにおまかせしていればいい。小さい頃から現場の大人達に迷惑をかけないよう自分の判断で動いてきたモリーにとって、それはぞくぞくするほどエキゾチックな体験だったのです。フランス語で話す時も、アンリが側にいてくれれば安心でした。まだフランス語での会話に自信がもてず、ハイトーンで子供っぽい自分の声も嫌いだったモリーにとって、アンリは頼れる通訳でした。インテリばかりのアンリの友達(「とっても知的」なアンリの元カノは、モリーのことを影で「デブのヤンキー」呼んでいました)とも、スムーズに付き合えます。だまってニコニコしていい「生徒」でいればいい、アンリが支えてくれる。そして、アンリなしには回らないライフスタイルにモリーは落ち込んでいったのです。

一緒に過ごすうちに、アンリが難しいパートナーであることに、モリーは気付かされてゆきます。気分屋さんで、嫉妬深くて、頑固で、気に入らないことは頑としてうけつけない。「通訳」をするときも、モリーの言いたい事が意に添わないとだまってしまう。特に困ったのが、モリーの過去の栄光に対する激しい嫉妬でした。モリーにも変えようがない事実を前にいらだつアンリに戸惑いつつも、仕方がないことなのかとあまり考えないようにして、パリでの日々が過ぎてゆきます。

フランス語会話のレベルが「流暢」と呼んでもいいぐらいになり、デリダを読みふけるアンリの側で『プチ・ニコラ』をめくる生活に退屈しはじめたころ、モリーのもとについにフランス映画への出演オファーが舞い込みます。目標達成まであと一歩のところにきたのです。初日はのっけから、疎遠となった父と向き合いエモーショナルに演じる難しいシーン。フランス語のセリフ回しは完璧で、カットの声がかかった途端、スタッフ全員が思わず拍手するほどの出来映えでした。久しぶりの現場ではりきるモリーに、思わぬ難題が降りかかります。

シャワーに入っているモリーをシャワーブースの外から撮影するシーンで、着用するはずだったスキンカラーのボディースーツが役に立たない事が判明したのです。ボディスーツの色のせいで、ブースの曇りガラス越しでもフェイクを着ているのが丸ばれなのでした。シーンを成立させるには、脱ぐしかない。曇りガラス越しだとヌードであることはほとんどわからないと説得されたものの、撮影で裸にあることはこれまで一度もなかったのです。ママは、どんなにいい映画でも裸のシーンがあればオファーを断ってきました。モリーを守ろうと努力してきたママの顔がちらつき、頭の中が真っ白になります。

混乱を前にまず動いたのが、監督でした。50代半ばの彼女は、男ばかりのクルーに、「ほらみんな後ろむいて!」と叫ぶと、服を脱ぎ捨て自らシャワーブースに入ったのです。「どう、モリー、問題ないでしょ?」その瞬間、モリーの役者魂にスイッチが入ります。モリーは笑顔で服を脱ぎ捨て、シャワーシーンの撮影が始まりました。

控え室に戻ると、怒り狂ったアンリが待っていました。「お前の裸見たさに人はよろこんで金を払うのに、お前ときたらただでそれをやった!」ありとあらゆるののしり言葉(しかも意味がわからなかったら困るので、ご丁寧に後で英語で言い直して)をノンストップで浴び、バスローブ姿で震えながら、モリーは、ひとつの終わりを噛み締めます。女優として、一人の女性として、私らしくいるために、アンリと別れよう。子供のようにアンリに依存しコントロールされて生きることはもうできない、と。それは、パリでの自由時間の終わりを決めた瞬間でした。

その晩、アンリに、いつもよりずっと低い声で申し渡しました。「撮影現場には二度と足を踏み入れないで」。そして撮影終了後、マレー地区のアパルトマンを引き払い、ニューヨークへ去りました。パリへ来たときと同じ、6つのスーツケースと一緒に…。

あれから十数年。アメリカで結婚し母となり、俳優業以外にジャズシンガーとしても歩み始めたモリーにとって、今でもパリは特別な場所。食事の作法から、物の見方から、パリで吸収した事の一つ一つがが彼女を形作るものになっています。サラダ一つとってもそう。メインディッシュの前に頂く食べものにすることができなくなってしまいました。学位のようなわかりやすい成果はないけれど、今輝くモリーは、パリでの日々なしにはないのです。10数年を経て、家族旅行で訪れたマレー地区で、モリーは娘にこう言ったそうです。「ママはここで大人になったのよ」と。

ハリウッド時代のモリーを見てみたい方はこちらでどうぞ。
http:/youtu.be/fvhTCUDHbvs

言わずと知れた映画『勝手にしやがれ』のワンシーン。フランスのインテリは、アメリカの女の子にこのジーン・セバーグのセリフをしゃべらせる誘惑にかられるようで、モリーも散々言わされたそうです。正確なニュアンスを知りようのない女の子が、外国のアクセントであの汚い言葉を口にすると、たまらんそうで。趣味悪いですね…。
http://youtu.be/Bfr-qUXjl80



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2013年06月28日

映画評論家、梅本洋一は風のように逝った

「人生なんて瞬きするぐらいの長さしかない」と呟いたことのある映画評論家が、その言葉どおり、突然、この世を去った。彼の名は梅本洋一。享年60歳。横浜国立大学教授。元『カイエ・デュ・シネマ・ジャポン』編集長。現在、NHKラジオ番組『まいにちフランス語』の応用編で渋い声を聴かせてくれているあの人だ。情報によると番組の打ち上げの席で突然倒れ、そのまま病院に搬送されて帰らぬ人になったのだという。

映画が生まれる瞬間―シネマをめぐる12人へのインタヴュー映画旅日記 パリ‐東京nobody 25

1980年代から90年代にかけ、フランス映画を中心とする批評活動の中心にいた人物である。私は大学時代に彼の講義を3年ほど続けて受け、映画を観るということの基本的な姿勢を学んだような気がする。「この映画を観なかったら一体何のために生まれてきたのか」などという挑発的な言辞を吐くのが常であった彼の講義は、映画に対する果てしない情熱に溢れていたように思える。80年代後半にドゥルーズの『シネマ』を精緻に読むなどという高度な講義をやることが出来たのは彼ぐらいではなかっただろうか。それ自体が映画の一場面であるかのような講義を休むことなく彼は続けていた。

それにしても、彼の世代の映画評論家はみなレベルが高かった。蓮実重彦の薫陶を少なからず受けた松浦寿輝、四方田犬彦、兼子正勝、千葉文夫、丹生谷貴士そして梅本さんら新進気鋭の映画評論家たちが競うようにして映画批評を書き、我々はそれに導かれるようにして映画館に駆けつけたものである。その中でも最も学生を相手にした講義に情熱を燃やしていたのが梅本さんだったのではあるまいか。所属する横浜国大は言うまでもなく、学習院、早稲田などの近隣の大学に加え、東京日仏学院で繰り広げられた映画ゼミナールは15年以上も続いていたようだ。ゴダール、リヴェット、イーストウッド、カサヴェテス、北野武…彼らの映画は梅本さんの言葉と共にそこに在った。

彼はまた批評を書くのみならず、多くの映画人との交流を実現した稀有な社交家でもあった。初期のヴィム・ヴェンダースを日本に紹介し、長大なインタビュー本(『天使のまなざし―ヴィム・ヴェンダース、映画を語る』、共編、フィルムアート社、1988年)を刊行したのも彼であったし、トリュフォーのインタビューで言及されるだけで日本では全く知られていなかった映画監督ジャック・ドワイヨンを日本に招き、アテネ・フランセで特集上映を実現したのも彼である(恐らく1989年ごろ)。90年代後半にパスカル・フェランを招いたのも彼だ。そればかりではない。『カイエ・デュ・シネマ』などというフランスを代表する映画批評誌と契約を結び、その日本版を10年近くに亘って刊行し(出版社はフィルムアート社、途中から勁草書房)、執筆者の中から青山真治や篠崎誠など、世界の映画祭を席巻する映画監督を輩出するということまで成し遂げたのも彼だ。

あまりにも才能に溢れた彼は奇抜なことを思いつく人でもあった。彼自身も演劇研究者であった梅本さん(パリ第8大学ではフランス演劇の研究で博士号を取得)は、同僚であった美学者の室井尚と「共謀」し、横浜国大に唐十郎を教授として招へいするという当時としては大胆な人事を実現する。結果として、「唐ゼミ」はアマチュア演劇の枠を超えた劇団へと成長し、いまも活動を続けている(この辺りは室井尚『教室を路地に!横浜国大vs唐十郎2739日』、岩波書店、2005年を参照されたい)。そればかりではない。無類のラグビー好きというのはともかく、料理を作らせてはプロ級の腕前を持つ梅本さんは料理本を出版したほか、最近では建築関係にも本格的に足を踏み入れ、著書を上梓している(『建築を読む―アーバン・ランドスケープTokyo‐Yokohama』、青土社、2006年)。大学院では「都市イノベーション研究院」なる新しい学科の学科長を務めている最中での急逝であった。

彼の本は数多いが、もしも一冊挙げるとしたら私は『映画=日誌―ロードムーヴィーのように』(青土社、2000年)を迷わず選ぶ。現在出ているのは再版されたものだが、原著は1980年代の後半に刊行され、私はその頃にこれを読んでいる。この批評的エッセイでは、まさに都市から都市を旅するように映画を観続ける彼の足跡をたどることが出来る。アラン・タネール論や成瀬巳喜男論、ヴェネチア映画祭のリポートなどは彼でなければ書けない類のものであろう。「感傷的すぎる」という批判も一部にはあったが、深い知識に裏付けられているからこそ書ける一流のエッセイと言えるのではないか。

2012年の10月、NHKラジオの『まいにちフランス語』の応用編(木、金曜日)を彼が担当すると知った時は驚いた。彼が語学の教育にそれほど興味があるとは思わなかったからだ。しかし、ためしに聴いてみたら彼の映画狂ぶりがまるだしの番組で、「映画批評家梅本洋一は健在なり」ということを改めて印象付けた。30年前のトリュフォーへのインタビューをはじめ、映画批評家や女優など、様々なフランスの映画人との対話録音を通してフランス語の会話表現を学ぶという構成で、彼の面目躍如となる内容である。恐らくあと3週間分は録音されていると思うので、是非彼の流暢なフランス語を聴いていただきたい(NHKの番組サイトでは前の週の内容を聴くことが出来る)。

『カイエ・デュ・シネマ・ジャポン』の休刊後、梅本さんは今度は『nobody』というネット販売が主体の映画批評誌を起ち上げ(2001年創刊、既に37号まで刊行)、同時に同じ名前のサイトで映画、ラグビー、建築を自由に論じるようになった。これを覗くと、梅本さんの最後の記事は2月6日に掲載されたものになる。アラン・レネの新作を論じたものと、大島渚の追悼文の二つだ。最後の記事が日仏のヌーヴェルヴァーグの作家であったというのも偶然とはいえ、梅本さんらしいとしか言いようがない。今はただ冥福を祈るのみだ。



不知火検校(メインブログ2013年3月14日掲載)

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2013年06月13日

『その後のふたり』 辻仁成監督

先日、大阪・十三のシアターセブンで辻仁成監督の「その後のふたり」を見た。その日は監督ご自身が舞台挨拶に来られ、そのあと控室で直接お話をうかがった。

その後のふたり「その後のふたり」はフランスで日本映画を紹介するパリ・キノタヨ映画祭で、観客の投票によって選ばれる最優秀映像賞を受賞した。つまりフランス人の観客から好評を得たということだ。この作品にはフランス側からの入り口もちゃんと用意されている。フランス人が好む「悟り」とか「禅」という日本語が最初から出てくるが、それらは今や全くのオリエンタリズムではなく、フランス人の中でもそれなりに消化され、理解されている言葉だ。純哉の肌の上に書き込まれるフランス語の詩も「書」のようだ。フランス人の芸術への関心、日本的な美への関心は驚くほど高い。

芸術の制作上の葛藤とか、母親くらいの年齢の女性を好きになるという展開に少々戸惑いながら先に進んでいくが、次第に映画のテンポにのせられていく。七海役の坂井真紀さんは歳を重ね、味のある女優さんになった(個人的には望月峯太郎原作のTVドラマ『お茶の間』のプー役を真っ先に想起する)。昔から表情の豊かな女優さんだなと思っていたが、この映画での「切れキャラ」も凄味があって、素敵である。感覚的に先に突っ走る七海に対して、周囲への配慮と協調性を求める純哉。撮影の現場でブチ切れる七海に対し、純哉が「だから嫌われるんだよ」と吐き捨てるシーンに、自分自身同じような現実の場面に何度か遭遇した覚えがある。男女の普遍的な衝突である。

恋愛をテーマにすることは突飛なバリエーションを描くことではない。むしろわかりやすい同じテーマを反復して、人間の真実を思い出させることなのだ。辻さんは単線的な物語に収斂させるのではなく、感情の襞を多面的に見せ、イメージを積み重ねていく。見る者の内側にも様々な感覚や感情を喚起しながら。それがある瞬間に弾けるようにカタルシスをもたらす。そのひとつが、私の場合、七海が振り返って「どうする?」(純哉がフランス語で言う ‘A quoi joues-tu?に対応する’ )と問いかけるシーンで、ふいに涙腺が刺激された。関係が不安定なときには絶望的に響く言葉であるが、お互いにその問いを投げ返しながらふたりの未来をさぐる言葉でもある。

一方、純哉はフランス人の母娘のあいだに入り込むことで一種の触媒になる。滞っていた彼女たちの関係に動きと流れを作る。そこに失踪したシャンタルの夫、つまりアンナの父親が偶然現れる。そして息を吹き返しつつある家族から押し出され、自分の役目を終えたように、純哉は東京に帰っていく。フランス人はそこに東洋的、日本的な関係性を見出すかもしれない。

「緊張と弛緩。それが舞踏のすべて。人生と同じように」と映画にも小竹役で出演している伊藤キムさんが言っているが、舞踏は淀んでいた関係が動き出すことを暗示しているようだ。小竹が七海にダンスを教えるシーンがある。それは実際に伊藤さんが坂井さんに舞踏を教えているのをそのままドキュメンタリーのように撮ったものだという。砂のような何かを受け取る動き。束縛からすり抜ける動き。それらの動きが、彼女の心の動きや純哉との関係と重なり合う。そうやって自分を客観的に見つめる。イニシエーションのように変わっていく自分をとらえ直す。そして映画の楽しみ、映画と小説の大きな違いを舞踏のシーンが的確に教えてくれる。

「その後のふたり」のフランス語タイトルは ” Paris Tokyo Paysage” である。これは「東京とパリを撮った映画で、主役は街なんだ」と辻さんが強調していた。街は変わらないが、人は移ろいゆく。確固とした変わらないまなざしを持つのは街の方だ。特にパリは19世紀半ばのパリ改造以来変わらない、歴史の重力の中に深く沈み込む石造りの街だ。それに比べれば人の営みなんてもろく、危うい。そしてアートと呼ばれるかりそめの約束事。母親くらいの歳のアーティストの手で純哉の肌の上に書かれた詩は、タトゥーのように皮膚に刻み込まれたものではない。その文字も意味も、息を吹きかけただけで剥がれて散って行きそうだ。

またこの映画には、映画の撮影とは別に収集されたパリと東京の風景が織り込まれている。パリの風景は辻さんが、東京の風景は中村夏葉さんというカメラマンが時間をかけて拾い集めたものだ。どれもが心を洗うように美しく、感覚的に、構図的に心地よい。また純哉と七海のビデオレターが東京とパリを行き来する。時間のズレが、感情のズレを生み、他の誰かの視線にさらされるという偶然をともないながら。

大資本による映画が大手をふるう中で、小さな手作りの映画が排除されていく。一方で技術の進歩、特に小型のデジタルカメラによって映画を撮るコストが格段に下がったと辻さんは言う。高性能デジタルカメラの革新性について熱く語る姿が印象的だったが、「その後のふたり」を撮った目的のひとつは、低予算で映画を作る技術的なシステムを確立することだった。それは同時に共感と人間力をベースにした実験でもある。ボランティアのスタッフの自発性に賭けるしかないからだ。ボランティアによるスタッフの撮影現場の話は、映画の中の撮影シーンと否応なしに重なる。ボランティアだから束縛できない。実際理由も告げず来なくなるスタッフがときどきいて、それが2、3日後にひょっこり戻ってきたり、そういうエピソードを聞くのも楽しかった。

これまでは、権威主義的なマネージメント、つまり報酬によって人を拘束し、人をアメとムチで駆り立てて動かすやり方が主流だった。しかし一方で人間にとって仕事は遊びと同じように自然な行為で、人は仕事を通して何かを実現しようとする。新しいマネージメントはその意志を束ねるのだ。共同で何かを成し遂げようとする場合は、組織をよりよく動かすための知恵や工夫も発揮される。もちろんそのためにはそれが夢中になれる対象であることは当然だが、プロジェクトの全体を牽引し、みんなのモチベーションを支えるのは、揺るがない情熱だ。生の辻さんを前にして感じたのはカリスマティックな存在感と、何よりも溢れ出る情熱なのだった。311後、先を見通す人たちは口々に「行動しながら考える」と言うが、辻さんもそのひとりだ。現在の日本の閉塞状況において(円が安くなり株は上がっているが本質的には何も変わってはいない)、突破口の在り処を身をもって示してくれている。

自主製作映画は大きな広告やキャンペーンが打てないので、口コミやSNSの力にも大きく頼ることになる。辻さん自身精力的に舞台挨拶で各地を飛び回り、ファンとの交流も惜しまない。ツィッターの媒介力も大きいようで、上映を待つために並んでいたとき、隣にいた女性たちはツィッターで声を掛け合い、映画館で初めて互いに会ったようだった。そして辻さんからの最新情報によれば(6月11日)、パリ五区にある映画館リュセルネール Cinéma Lucernaire で今年10月、「その後のふたり」短期公開が決まったそうだ。

トップの写真は小説版『その後のふたり』である。小説はその後ふたりが3年ぶりに再会したところから始まる。そこには映画の中では描かれていないもうひとつの世界が展開する。「映画を先に観た人が小説を読むと驚く仕掛けが施されており、小説を先に読んだ人が映画を観ると、角度の違いでこれほどまでに異なる世界が生じる不思議を体験する」と解説されている。


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2013年04月16日

『フランス、幸せのメソッド』 セドリック・クラピッシュ監督

この映画には『フランス、幸せのメソッド』という邦題がつけられ、『プリティ・ウーマン』的なオシャレな玉の輿映画をイメージさせたいようだが、そういう類の映画では全くない。原題は的確に映画の内容を表している。”Ma part du gâteau” (私のパイの分け前)である。



リスク社会論のウリッヒ・ベックが「ブーメラン効果」について論じている。自分には関係がないと思っていたところから思わぬ危害がはねかえってくることだ。経営者は、労働者が不満を言い、騒ぎを起こしたら解雇すればいいと安易に考えてはいけない。格差を放置すると治安の悪化が起り、若者は子供を作らなくなり、税収が落ちる。分厚い中間層が存在しないと経営者たちが生産するものを消費してもらえない。経済学者のスティグリッツも「独占的な私利の追求によって経済全体が傷つく」と警鐘を鳴らす。第三世界の貧困など他人事と思っていたら、テロリストが飛行機をハイジャックして高層ビルに突っ込んでくる。地方のことは関係がないと思っていたら、原発が爆発し、放射能がまき散らされる。それでも見たくないものを強引に遮断し、高い塀を巡らせた「ゲーテッド・コミュニティ」に住むという選択もある。実際、そういう場所が世界には存在する。それでも誰かしら身の回りの世話をしてくれる人間を雇う必要があり、外の世界と接触せざるをえない。介護士や家政婦や運転手が刺客として家に入りこむかもしれないのだ。

『フランス、幸せのメソッド』のテーマのひとつは、このブーメラン効果と言えるかもしれない。まさに外界とは別世界の豪奢なマンションに住む敏腕トレーダーのステファンは、ロンドンの金融街シティとパリ郊外のデファンス地区を行き来しながら仕事をしている。シティは金融立国イギリスの顔であり、イギリスの富裕層の上位1%の3分の2が金融関係者だという。ステファンは何人目かの家政婦を雇うことになるが、それが主人公のフランス(国名ではなく女性の名前)だった。フランスは長年勤務していたダンケルク(仏北部)の工場の倒産で仕事を失い、自殺を試みるというショッキングな出来事で物語は始まる。そして彼女の家政婦としての新しい仕事先がステファンのマンションだった。彼女が工場労働者のままだったらステファンには会うことはなかっただろう。

先進国では製造業が凋落し、情報産業やIT技術をもとにグローバルに投資する金融業が盛んになった。金融機関のトレーダーのような中核エリートの生活を支えるのに、単純事務作業員やビル清掃員、コンビニや外食産業の店員などの周辺労働者が必要になる。介護士や家政婦や運転手もこれに加わるだろう。このような対面的なサービス業はアウトソーシング出来ない。先進国の都市でも多数派は周辺労働者となり、格差の拡大が職種として顕在化する。したがって「ウォール街を占拠せよ」のスローガンにもなった「1%と99%」が接触するとすればこの関係である。今年、日本でも大ヒットした『最強のふたり』では介護士が全身麻痺の金持ちと出会い、『フランス、幸せのメソッド』では家政婦が金融エリートと出会うのである。

株や債券の指数はめまぐるしく動き、トレーダーはその一瞬のチャンスを狙う。ターゲットにする企業の弱みを調べ上げ、カラ売りを仕掛ける。金を生む動きや弱みがあればそこに食いつく。それが原因で会社が潰れようが、多くの労働者が仕事を失おうが関係がない。要は儲かれば良いのだ。グローバルな相場は24時間動いているので、いつもそのことが気にかかる。女性と過ごすプライベートな時間でさえ上の空で落ち着きがなく、人間関係をきちんと結べない。ステファンは自分のことを「悪い人間」と自虐的に言うが、金融資本主義の世界はそういうバカバカしい、常識と日常感覚と全くかけ離れた原理で動いている。彼はその虚構に振り回され、人格にまで深く影響を受けざるを得ない。

実際、ステファンが仕掛けた相場によって、フランスが働いていた工場が中国に移転を余儀なくされ、労働者1200人が解雇される。ステファンはそれを笑いながら冗談のようにフランスにうちあける。彼にとってそれはひとつのゲームの結果に過ぎないが、トレーダーのクリックひとつで遂行される投機のゲームは、何千人もの労働者が虫けらのように踏みつぶされる状況を引き起こす。人は組織の専門的に細分化された場所で仕事をしていると、自分の行為の結果が他者にどう及ぶとか想像力が働かなくなる。そのように行動する客観的な自分の姿も見えなくなる。

それゆえ、仕事によって得ている破格な報酬も「当然の取り分=’ma part du gateau’」(ステファンが実際そういう台詞を吐く)と思い込めるし、他者に対して非情にもなれる。監督のクラピッシュはインタビューで、「今、人類は大きな分岐点に立っていると感じて、それを表現すべきだと思った」。「この作品の脚本を書いている時、金持ちと貧乏の対比ではなく、むしろバーチャルとリアルの対比を描こうとしたんだ」と語っている。格差の恐ろしさは所得の差と言うより、思考がバーチャル化してリアルな他者に対する想像力が働かなくなることなのだろうか。それは他者に不幸をもたらすだけでなく、自分の幸福感をも奪っているのである。一方でフランスも中国の経済成長とフランスの片田舎にいる自分の悲惨な現実が結びつかない。今や個人は国境を越えたグローバルな力に巻き込まれざるをえないが、それは個人の日常のサイズを超え、リアルな相手が見えないだけに、国境が取り払われたグローバルな競争と言われても実感が湧かない。これも一種のバーチャルなのだろうか。

クラピッシュはラストシーンですべてをひっくり返す。フランスは咄嗟にステファンの子供を連れだし、それに対する彼の「人間的な行動」に期待する。ステファンにダンケルクまで来て、ステファンのトレードの結果起こったことを実際に見てもらおう、彼女の仲間たちに誠意を持って謝罪してもらおうと思ったのだ。ステファンはさすがに自分の子供に激しい執着を見せるが、それは全くエゴイスティックなものだ。子供を「かすがい」にした「金持ちも貧乏人も同じ子を持つ親」という図式は成り立たない。それが唯一の希望だったのに、結局彼らのあいだに共有されるものは何もないことを絶望的に思い知る。ステファンは警察を呼ぶという最悪の選択をする。そしてフランスは単なる誘拐犯に貶められるのだ。

その騒動の中でステファンと妻のメロディは和解する。彼らの和解が最後の重要なシーンになると思われたが、見ている者は二人の関係修復に感情移入できなくなり、警察を呼んだ彼らを「所詮はこういうやつらだ」と思うしかない。さらにステファンは思わぬ形で自分が危機に陥れた労働者たちと対峙することになる。「俺一人でやったわけじゃない」とステファンは叫ぶ。自分はシステムの一部にすぎない、自分もシステムの被害者だとでも言いたいのだろうか。ステファンには、2008年1月に起きたソシエテ・ジェネラルの不正トレード事件で、7600億円の損失を出し、逮捕されたジェローム・ケルヴィエルが重ね合わせられているのだろう。

『フランス、幸せのメソッド』 セドリック・クラピッシュ監督 インタビュー(excite.women)


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2012年11月09日

クロード・ミレールを再発見しよう

2010年はフランス映画界の重鎮エリック・ロメール、クロード・シャブロルの二人が鬼籍に入り、1984年に早逝したフランソワ・トリュフォーを含めて、ヌーヴェルヴァーグの主力メンバーのうち3人がこの世を去ってしまった。ヌーヴェルヴァーグが世に認知されてから50年以上の歳月が過ぎ、御年82歳のゴダールだけが奇蹟的に映画を撮り続けているものの、これらの映画作家たちが起こした運動は歴史の一部と化していることはもはや誰の目にも明らかであろう。

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そのような中、2012年はクロード・ミレール Claude Miller という優れた映画作家が世を去った。1942年生まれのミレールは、ブレッソンやゴダールの助監督を務めた後、長くトリュフォーの作品の制作主任を務め、ほとんど彼の後継者のような形で作品を撮り始めたといっても過言ではない。1976年、長編第一作『いちばんうまい歩き方』で監督としては遅いスタートを切ったミレールではあったが、デビューしたばかりのシャルロット・ゲンズブールを主演に据えた『なまいきシャルロット』(1985)、そして、まさにトリュフォーの遺稿を基に、再びシャルロットを使い、第二次世界大戦下のフランス社会をたくましく生きる少女を描いた『小さな泥棒』(1988)などを立て続けに撮ることによって、一躍人気監督の仲間入りを果たす。これらの作品を観れば、ミレールの瑞々しいばかりの映像感覚が堪能できるだろう。

だが、これらの作品を観ただけではミレールという映画作家の半分しか理解していないことになる。ミレールの映画世界は、実は人間の心の奥底に潜む暗闇に焦点を当てようとしていたように感じられる。例えば、次々と殺人を犯す謎の美女(イザベル・アジャーニ)を追跡しながら、彼女の犯罪を覆い隠そうとする男をミシェル・セローが演じる『死への逃避行』(1983)。そして、偶然出会った若い謎の美女(エマニュエル・セニエ)との情交を夢見続ける初老の男性(ジャン=ピエール・マリエル)の姿を描く『オディールの夏』(1994)。いずれも人間の裏面に迫ろうとする作品だが、この類のミレール作品の頂点に位置すると思われるのが、『厳重監視』(1981)という彼の長編第三作であろう(日本では劇場未公開)。

この作品ではミシェル・セローが町の名士を演じる。何の変哲もない平和なこの町で少女が暴行され殺されるという事件が発生する。セローに嫌疑がかかるが、誰がどう見ても彼が犯人とは思えない。しかしながら、リノ・ヴァンチェラ扮する刑事だけはセローの有罪を信じて疑わず、彼に対する尋問が延々と続けられる。次第に他の誰もが知ることのなかった、名士のもう一つの顔が明らかになる…。物語だけをなぞれば、これは単なるミステリーである。しかし、ここには人間の持つ不可思議さ、不可解さ、二重性に可能な限り迫ろうとするミレールという映画作家の真骨頂がある。たった一人の人間の尋問という主題だけで、これだけ緊張感のある作品を撮ることが出来るのは並大抵の才能とは思えない。

そのようなミレールであったが、残念ながら『オディールの夏』が商業的に惨敗したために、1990年代後半以降はかつてのような勢いがなくなってしまったように思われる。その後の作品は余り大きな話題になることもなかったが、2007年にセシル・ド・フランスを主演にした『秘密』ではモントリオール映画祭でグランプリを受賞し、久々の存在感を示した。再びミレールの時代が来るかと思われたが、それが最後の輝きとなってしまったのが実に残念である。ミレールの真価を見出すことが出来なかったのは批評家の責任でもあろう。彼はロマン・ポランスキーと同じぐらいの才能は間違いなく持っていたはずなのだが、批評がそれを支え切ることが出来なかった点が惜しまれる。

ミレールの最後の作品は今年のカンヌ映画祭のクロージングとして上映された『テレーズ・デスケルー』ということになる(フランス公開は2012年11月の予定)。フランソワ・モーリアックの有名な小説が原作だが、これもまた人間の不可解な内面に迫る作品であった(テレーズを演じるのがオドレイ・トトゥなので、日本でも公開されるかもしれない)。果たして、ミレールはそれをどのように映像化しているのだろうか。この作品も含めて、もういちどミレールの作品を見直してみよう。我々が見逃していたものがきっと何か発見されるに違いない。



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2012年08月29日

Jaw-dropping! − “The Artist” 以前のジャン・デュジャルダン−

2012年のオスカーレースは、蓋を開けてみればフランス映画 “The Artist” の独り勝ち。戦前の黄金期のハリウッドを舞台にしながらヒーロー、ヒロインを演じたのはフランスの俳優、しかも映画の作りは基本的にサイレント映画。“音”として英語のダイアローグが聞かれるのは最後のワンシーンだけ、という異色作なだけに、正直ここまで賞を取るとは思いませんでした。特に驚かされたのは、主演男優賞に輝いたのが、この映画で主役を演じたジャン・デュジャルダンであったこと。まだオスカー像を手にしていない今のハリウッドを代表する男優達が、いい仕事をしてノミネートされていたのに、です。

公開された映画を見て、票を投じたアカデミー会員の気持がよくわかりました。ジャン・デュジャルダンなしにはこの映画はなりたたなかったし、映画が放つ何とも言えない多幸感−あの頃のハリウッドスターがみなぎらせていた、その姿を見るだけで心躍るような軽やかな雰囲気−をデュジャルダンが見事に体現していたからです。また、感心させられたのは、主人公の心模様がよく伝わることです。今の映画では観客の読み取り方でいかようにも取れる「自然な」演技が当たり前ですが、デュジャルダンの演技には、ふた昔前の映画の演技がそうだったように、曖昧さがありません。サイレンスという特殊な条件のもとでとはいえ、今のハリウッドを探しても、そんな雰囲気と芸を兼ね備えた俳優はいないのではないでしょうか。

ジャン・デュジャルダンがどうしてそんな「奇跡」をやってのけたのか?これは彼が、身ぶりや立ち姿、表情を意識的に使うことが出来る人であるからだと思います。この映画は俳優から、演じる際の大事なツールである「声」を取り上げてしまいました。カメラが捉えるのはあくまでビジュアルのみ。俳優の個性や魅力が封じられかねない状況です。しかし、デュジャルダンは「見た目」を繊細に操って、難しい状況をなんなくクリアしています。

アザナヴィシウス監督は、デュジャルダンの演技についてこう語っています。「彼の表情やボディランゲージは、クローズアップだけでなく、ワイドショットにもぴったりはまるんだ。」役になりきる一歩手前で、自分の動きや表情に意識を飛ばしごく自然にみせられる。それは彼の“本来”のキャリアの賜物なのかもしれません。

そもそも、フランス本国でのデュジャルダンの肩書きは、かなりロウブロウな笑いもこなす「お笑い畑の人」。近年ではセザール賞を受賞するなどシリアスな俳優としての仕事も増えてきつつありますが、根っから笑いが好きな人なのです。人を笑わせ楽しませたい…そんなシンプルな望みが、彼のキャリアを作ってきました。

パリ郊外のミドルクラスの家に4人兄弟の末っ子として誕生したデュジャルダンは、子供の頃からおちゃらけをするのが大好き。手の込んだ悪ふざけをしかけては家族をはじめ回りの人を笑わせていたそうです。20代半ばから鍵屋さんで働きながら、バーやキャバレーで自作のコントやパロディを演じ始めます。

彼がフランス国内で広く知られるようになったのは、7分ほどの短いコメディ番組、”Un Gars, Une Fille” で主役を演じてから。平均的な若いカップルのありふれた日常生活に起こるおもろい瞬間を切り取った、各回完結のシットコムです。後に実生活でも奥方となるアレクサンドラ・ラミーとのセキララな丁々発止が笑いを誘いますが、おかしなシチュエーションを更におかしくしているのはデュジャルダンの変化に富んだ表情と身ぶり手振り。元気なパートナーに押され気味の「彼」の無言のニュアンスを雄弁に伝えて、笑いをとっています。

常識破りのおバカキャラを演じる時には、この表現のスタイルがさらに顕著となります。例えば、「超」のつくアメリカ西海岸かぶれで、乗る波がないのにサーファーをきどる世間知らずのあほボンキャラ、Brice。フランス国内で大評判となり、彼を主人公にした映画は400万人を動員する大ヒット作となった、デュジャルダンの当たり役です。レッチリのアンソニー風の金髪をなびかせて(!)薄ら笑いを浮かべつつサーフボードを持って街をうろつく Brice は、やることなすことむちゃくちゃ。それだけでも十分おかしいのですが、愛すべきおバカさんとでも言いたくなるようなものも持ち合わせています。

このイノセントなおバカさを表すのに一役買っているのは、デュジャルダンの表情と身振り、手振りです。例えば、映画版での、勤め先の高級レストランでグルメを気取った客をついからかってしまう場面。繊細に変化する顔の表情だけで食通気取りのアホらしさを皮肉って笑いにつなげるだけでなく、そういうことをしてしまう Brice のあっけらかんとした無邪気さを伝えてくれます。

デュジャルダンが創り出したこの Brice というキャラクターが持つ、カリフォルニアの青い空的な軽薄な明るさは、“The Artist” のジョージ・ヴァレンタインの、この上ない軽さにどこかつながっているように感じます。喜劇俳優の仕事は、笑いを生み出す状況を明快に演じること。心理内面うんぬんは忘れて、あるシチュエーションにおかれたキャラクターを明確な輪郭線で演じる技が求められるわけですが、喜劇俳優として人物の表層を重くならずに的確に演じ分ける訓練を積んできたことは、生活感のない、マンガチックでもある軽い人物を演じるのに、少なからず役立っているのではないでしょうか。

既にフランスでは “The Artist” 後の作品が公開されているデュジャルダン。「トーキー」映画でも本格俳優として世界を唸らせるのでしょうか。見守りたいと思います。

お笑い集団 Nous C Nous の一員として活躍していた時のデュジャルダン。
ボーイズグループの大げさなプロモクリップのパロディ。
http://youtu.be/1_qDDK6wOVE

“Un Gars, Une Fille” はこんな番組です。
http://youtu.be/XlMOdKwRtKg

映画 Brice de Nice より。強盗に入ったはずの銀行で、ディスコの名曲にのって踊り狂ってます。デュジャルダンの身のこなしが楽しい。
http://youtu.be/kxlChd6ri0Y

レストランでの一場面。客をからかう Brice
http://youtu.be/vv7FKARqNcA

テレビで Brice を演じるデュジャルダン。いかれポンチです。
http://youtu.be/z6-6mVfIZMo



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2012年06月17日

「ノルウェイの森」 トラン・アン・ユン監督映画版

「ノルウェイの森」 トラン・アン・ユン監督映画版「ノルウェイの森」をやっと見た。2009年の夏、映画のロケを見学する機会があって、その時点で妄想を膨らませて記事も書いた。しかし、実際の作品は想像したものとは全くかけ離れていた。私が見たのは、ある大学寮で行われたロケで、「スモークが焚かれている中でサイケバンドが大音量で演奏し、そばで学生たちがバスケットボールに興じる」というシーンだった。なかなかカッコよいシーンだったが、残念なことにほとんどカットされていた。

ノルウェイの森 [DVD]猪瀬副都知事がある雑誌の対談で、映画「ノルウェイの森」のテンポが遅すぎて何度も時計を見てしまうほど退屈だったと言っていた。確かに「ノルウェイの森」は、移り変わりが速い時代のテンポに合わないし、効率性が優先される社会の中では切り捨てられがちなテーマを扱っている。登場人物は60年代末の暇な学生と精神を病んだ療養者である。

ついつい後回しになり、「ノルウェイの森」を見たのがちょうど大震災から1年目にあたる時期に重なった。日本が大きな喪の中にある一方で、「がんばろう」をうたい文句に復興が進められている。身近な人の死に対して心の整理のつかない人も多いだろう。死者と対話しながら、踏ん切りをつける喪の作業には時間がかかる。生き残った人々が不条理な感情にとらわれつつ、十分に納得することが重要だから。しかも必ずしもそれはうまくいくとはかぎらないし、今の時代は喪のための十分な時間の余裕を与えてくれない。

ストーリーの展開が映画のテンポを作るとすれば、「ノルウェイの森」の展開は唐突で、ストーリーよりもひとつのシーンの共時的な広がりや深化によって構成されているように見える。ストーリーの展開とは直接関係のない、何をしているわけでもない、ただ登場人物たちの実存的なものを浮かび上がらせるだけのシーンに強く印象付けられる。

「思春期と大人との狭間にいて、どこか不完全な状態のままでいるっていう印象が強いから。だから、音もやっぱりそういうところを形にしたかったんだよね。ためらいとか、不確実な気分を表しつつも、決して惨めだったり、悲しいものではないんだ。むしろ明るさがあるし、すごくロマンティックなもので、たくさんロマンスもあるっていう。ただ、なにひとつとして決して解決されることはないし、終わりもしなければ、確定もしないという」

これは映画のサウンドトラックを担当したレディオヘッドのジョニー・グリーンウッドの発言だが、さすがに映画の情動的な部分を担う音楽担当者だけあって、この映画の気分を的確に言い当てている。全盛期にあった学生運動や、サイケな音楽( Can の曲も使用!)やファションなど、この映画は時代性や特定の文化を色濃く反映しているようでありながら、一方で生物としての人間の普遍的な条件を際立たせている。キーワードはジョニーの発言の中にある、「ためらい、不確実、未決定、終わりがない、確定しない」である。「思春期と大人との狭間に」いるからそうなのではなく、人間の生物としての特質なのだ。

社会的、文化的な存在である前に、人間は未分化で、方向の定まらない、衝動に突き動かされる、ドロドロした肉の厚みである。自分の欲望をコントロールし、日常という反復的なプログラミングの中に馴化できることの方がむしろ奇跡なのだ。そのことを確認するだけでも十分だろう。考えてみれば、死は「キスギの死」のように理由もなく唐突に訪れる(まるで津波のように)。死とは本質的にそういうものだ。また、「愛して欲しい相手に愛されない」という不条理もありふれてはいるが、人間にとっての本質的な絶望だ。その理由を問い続けても永遠にわからないし、努力してどうにかなるものではない。ハツミのように、そういう自分を不幸にするだけの相手に激しく執着することもしばしばある。タイミングが悪いと、命取りになる。直子は自分の性衝動と身体に起こる生理的な現象が理解できない。わからないまま振り回される。そのような混乱の中で、表に出てくる感情に必死に名前をつけ、行動として現れるものを辛うじて線で結びながら、指の隙間からボロボロこぼれていくような自分を掬い上げるしかない。

村上春樹独特のスノッブな言葉使いは映画の中でも生きていて、その空疎な響きは沈み込んだ重苦しい空気に弾かれるように上滑りしていく。「あまりに事情が込み入っていて説明できない」とワタナベはそういう言葉では後者を説明できないと思っている。「ノルウェイの森」の仏語訳のタイトルは「不可能なもののバラード」だ。このバラードには言葉がなく、真ん中にぽっかり穴が開いている。トラン監督は登場人物がとらわれる感情を言葉ではなく、全く別のものの「質感」によって表現しようとする。シーンのあちこちでカットインされる「植物の映像」もそうだが、トラン監督が官能的と評した、高原の美しさは、美しさと同じだけ不安をかきたてる。それを美しいと感じること自体が不安の根源なのだから。美しいと感じるのは人間が自然の外に放り出され、自然の中に一体化するような居場所がないからだ。強い本能によって自然のプログラムの中に組み込まれている動物や植物は、そういう美的な経験とは完全に無縁だ。過酷な状況に置かれたとき、人間が自然に向かうのは、現実逃避ではなく、過酷な状況を過酷だと思わないプログラミングへの憧れなのかもしれない。

だから人間には特別に、死に対する恐怖や喪失感を癒すための「喪の作業」が必要になる。ワタナベは緑に「待って」としか言えないし、緑は待つしなかない。喪はいつ明けるのかわからない。芯から引き裂かれた身体を抱えて、じっと息を潜めて待つしかない。一方で緑は日常への戻るための指標となる嵐の中の灯台だ。そのあいだ、死者はいつもすぐそばにいて、私たちをじっと見ていて、向こう側はそんなに遠い場所には思えない。ワタナベは海岸でよだれと鼻を垂らしながら、なりふりかまわず、深手を負った獣のように、肉体が裏返るほどに大声で泣き叫び、すべてを吐き出すことで、ようやく踏ん切りがつく。

たまたま一緒にDVDを借りた「ハリー・ポッター―死の秘宝 Part 2 」もまた喪をテーマにしていた。ボルデモート(仏語の vol de mort )のとの戦いにおいて、ハリーの多くの仲間たちが死んでいく。ハリーもまた自分の運命的な死と向き合わなければならない。死者とどう折り合いをつけるかについて語る、魔法学校の元校長であるダンブルドアの最後の台詞が絶妙にシンクロした。

「死者を哀れんではいけない。哀れむべきは生きている人間だ。何よりも、愛なしに生きている人間だ」


cyberbloom

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2012年04月09日

フランス製サスペンス・スリラーの秀作 ”Tell No One” 4月4日DVD発売

「主人公が動き回る映画」を好むものにとって、その手のジャンルという触れこみで封切られた今のフランス映画にはどうも関心しませんでした(ベッソンとその傘下の映画が肌に合わないこともありますが)。キビキビとしてスカッと腑に落ちて、フランスでしかお目にかかれない渋い男とイイ女が絡み合う映画がみたいのに、どうも巡り会わない。60年代、70年代に作られたフランス製フィルム・ノワールは、ハリウッドでは決して作れない粋な映画として今なお新鮮なのに―もはや無いものねだりなのだろうか?そんな嘆きを解消してくれたのが、”Tell No One”(邦題は『唇を閉ざせ』。ちょっと違うのでは…)。海外で偶然見る機会があったのですが、これはとても面白かった。

唇を閉ざせ [DVD]暑い夏の夜、思い出の湖で泳ぎ戯れる夫婦。まどろむ夫を目覚めさせたのは、対岸で暴漢に教われている妻の悲鳴。助けようと立ち上がったところ頭を強打され、 意識を失う。目覚めた彼を待っていたのは妻の死という非情な現実だった。それから8年。愛する妻を救えなかったことにとらわれ、医師として仕事だけに打ち込んできた彼のもとに、謎のメールが届く。それは死んだはずの妻の生存をほのめかすものだった…さわりの部分をまとめるとこんな感じ。

謎が謎を呼び思いがけないところへ連れていかれるストーリーのおもしろさに加え、サスペンスとしても一級の出来映え。なで肩で、“フランス流に洗練されたダスティン・ホフマン”をといった感じの主演俳優、フランソワ・クリューゼが体を張って、ここまでさせるの!というぐらいの運動量をこなしています。大柄でないことを逆手に取って街を走り回るシーンは、見ている方も横っ腹が痛くなりそうなほど。悪役も、ハリウッド映画ではお目にかからないタイプが登場。相手を制圧する方法も意表をついていて、実にコワい(どうコワいかはぜひご自身の目で見て頂きたい。ああいう目には合いたくないもの)。

謎が解けてゆくにつれて浮かび上がるのが、登場する人々の様々な「愛」の姿。奪われた妻を求めて嵐の中に身を投じる男の「愛」。妻の親の、娘に対する「愛」。そして闇に潜むもう一つの「愛」。複雑に絡み合った色合いの異なる「愛」が、映画をより深く、官能的なものにしています。この野心的な試みが成功したのは、フランス映画だからこそ実現できた個性あるキャストのおかげかもしれません。とりわけ女達の魅力的なこと!主人公の妻を演じるマリー=ジョセ・クローズのみずみずしいサマードレス姿も印象的ですが、クリスティン・スコット・トーマスが最近の傾向とは違う、ちょっとハジけた女性を演じているのもおもしろい。  

音楽の使い方にもご注目を。上質のヨーロッパ映画に共通して言えることですが、アメリカのポップスの取り込み方は、ハリウッド映画より数段すぐれているのではないでしょうか。歌詞や演奏するアーティストのイメージに捕われすぎないで、音そのもののもつセンシュアルな面も計算に入れて使っているように思います。この作品の通奏低音となっているロマンティックな感情を支えているのは、アメリカ製の音楽なのです。 

また、雑誌やセレクトショップのディスプレイで見慣れた「お洒落フランス」の枠外にある、リアルなフランスが垣間見れるのも興味深い。フランス人もU2が好きだし、インターネットカフェに行くし、みんながみんなこじゃれた格好をしているわけではないんです。(このへんの「普通」さが、日本でまともな劇場公開が見送られた理由のひとつかも。)

レコ屋の店主の殺し文句「あるうち買うときヤ!」ではありませんが、「見れるうちに見ときヤ!」と今回ばかりは声を大にしていいたい。これはフランス映画として作られたからこそ上手くいった、大人のための映画です。くれぐれもお見逃しなく。

トレイラーはこちらで。海外向けの方を選んでみました。その気になったら、こちらをチェックせずにおくことをオススメします。

http://youtu.be/ryMVzQsTmZY



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2012年03月23日

フランス映画の現在の傾向

第2次大戦後、ヨーロッパの多くの国々は、ハリウッド映画の猛威を受けて自国の映画産業に壊滅的打撃を被りました。そんな中、早くから国産映画の保護に力を入れたフランスだけは、アメリカ映画に対抗して生き残り続けることができたのです。2000年代に入ってもフランスで制作される映画数は増加傾向にあり、観客数も好調を維持。「映画大国」の名を今も保っていると言えるのですが、果たしてその実情はどうなのでしょう?

フランス映画どこへ行く―ヌーヴェル・ヴァーグから遠く離れて30年代の「詩的リアリズム」、60年代の「ヌーヴェル・ヴァーグ」、80年代にはBBC(ベッソン、ベネックス、カラックス)に代表される新世代の活躍と、華々しい過去を持つフランス映画ですが、90年代からこちら、最近の動向についてはどうもよく分からない。フランスに、あるいは映画に関心のある方の中にはそんな印象を持たれている方もおられるのではないでしょうか。「ひょっとして今のフランス映画は駄目なのかも」という印象を、薄々と、あるいははっきりと感じておられる方も、実は少なくないかもしれません。

林瑞絵、『フランス映画どこへ行く ヌーヴェル・ヴァーグから遠く離れて』、花伝社、2011年は、「古く寂れた豪華客船」にも喩えるべき、このフランス映画の現在の(見かけとは裏腹の)凋落ぶりを憂い、その理由を分析して示すものです。著者によれば、現在のフランス映画の抱える課題は次の5点に集約されます。
1 テレビと映画のお見合い結婚の破綻
2 シネコンが後押しする数の論理
3 自己チュ〜な作家主義の蔓延
4 真のプロデューサーの不在
5 批評性の消滅

「ムッシュ・シネマ」と「マドモアゼル・テレビ」との力関係の推移など、語り口も親しみや浮く、論旨は明快ながら、話を単純化しすぎることはなく、映画制作の現場の苦労が具体的・多面的に理解できる構成になっています。

あえて一言で要約してしまえば「商業主義の蔓延」が、テレビ受けのする「プチ・ハリウッド映画」の量産を生む一方、作家性の強い作品は資金難に喘いでいる、ということになるでしょうか。それに加えてヌーヴェル・ヴァーグ時代の悪しき影響として、「自己表現」こそが映画だといわんばかりのナルシズムの肯定が若い監督の間に見られ、結果として、作品の描く世界の小ささや社会との乖離を生んでいるのではないか、という著者の指摘には、個人的に強く納得させられるものがありました。

もっとも、著者はフランス映画の現状を厳しく批判するだけではありません。近年、映画人自身が改革の声を上げるに至っている事情を取り上げ、フランス映画の復活に期待を寄せています。

著者はフランス在住12年。プロデューサーや映画監督といった関係者へのインタビューを交えた、大変丁寧で良心的な仕事である点も高く評価したい好著です。「今のフランス映画」に少しでも興味のある方なら、「なるほど、こういうことになっていたのか」と納得されることが多いでしょう。

今の日本では「フランス映画は儲からない」と映画館からも敬遠される状況のようですが、今一度、フランス映画が栄光を取り戻すことを願いつつ、この本を多くの方にお勧めしたいと思います。



えとるた

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2011年09月24日

『パリ、恋人たちの2日間』(2) フランス的誠実さとは

ジャックはパリに来て街のいたるところでマリオンの元カレに出会い、マリオンが今も彼らと友人関係にあることが信じられない。元カレと親しげに振る舞う彼女の姿を見て嫉妬心と猜疑心にさいなまれ、ふたりの関係がギクシャクし始める。奔放なのは彼女だけではない。マリオンの母親もドアーズのジム・モリソンと関係を持った過去があり、343人のあばずれ(343 salopes)のひとりだったと告白する(中絶を経験した343人の女性たちが1971年4月5日付の『ヌヴェル・オプセルヴァトゥール』に中絶の自由を訴える嘆願書を掲載)。彼女たちは本当に「あばずれ」なのだろうか。

SEX:EL [DVD]フランス父親事情

宮台真司がジャン=マルク・バール監督の『SEX:EL』でアメリカ的性愛とフランス的性愛を対比させているが、この図式が『パリ、恋人たちの2日間』にもそっくり当てはまる。

浅野素女『フランス家族事情』が描くように、フランス的性愛の外見的な緩さは、非倫理性を表さない。流動的な関係の中で、にもかかわらず揺らぐことのない「代替不可能なもの」「取替え不可能なもの」を倫理的に模索していると見られるからである。自堕落どころかむしろ求道的に見えるブシェーズの佇まいは、こうしたモチーフを具現しよう。対照的に、映画に描かれた「米国人たち」は、米国人たちがフランス人たちに馬鹿にされがちな点なのだが、関係の流動性という外形を、短絡的に非倫理性の兆候と見なそうとする。

ジャックは百戦錬磨のフランス人からはあまりにナイーブに見え、常にからかわれる。いたって真面目なジャックは混乱する分だけ見る者の笑いを誘う。マリオンの小さな嘘はすべて裏目に出て、嘘の上塗りになり、さらなるドツボにはまる。マリオンは相手を傷つけないための小さな嘘は許されると思っている。その嘘は見かけであって、真実や本当の気持ちはその奥にあるとわかって欲しいのだ。

しかし外見的な形にこだわるアメリカ人にとって、それはとんでもないことで、付き合っている以上は「外見的に誠実」であることを要求する。彼らにとって男女が別れたら、それで終わりだ。昔の彼女とは会わないし、もう一度ゼロからやり直すのが基本だ。しかし形や外見にこだわるのは、相手に浮気され、捨てられるのではないか、という不安がつねに心の奥底にあるからだ。

二人がすれ違っていくのはそれぞれの倫理が宿る場所が決定的に違うからだということがわかる。フランス人は「恋愛の中身をもとめる誠実さ」ゆえに、よりよい相手に巡り会うために多くの相手と付き合って経験を積むのだ。先ほど引用した宮台氏は「別の異性と比較してくれ。それで揺らがぬ愛でなくして何が愛か、と悠然と構える、内発性&信頼ベースのフランス流。どちらが良いか」と別の文章で問いかけている。

中絶の問題に結び付けて言えば、1971年当時のフランスでは中絶は非合法で、当事者と幇助者は堕胎罪で罰せられた。中絶は男女の乱れた関係の結果であり、「あばすれ」という偏見的なイメージで見られた。しかし中絶や避妊の問題は宗教的倫理や社会的偏見から切り離されて、関係を築こうとする当事者の側から捉え直されなければならなかった。343人の彼女たちの訴えは、社会的な合意形成に至り、男女についての意識を根本的に変えたのだった。

今のフランスでは中絶どころか、「複合家族 famille recomposée 」が当たり前になってきている。結婚にせよ、PACS にせよ、くっついたり、別れたりしているうちに、子供もできて、家族関係が複雑になっていくが、それをありのままに受け入れる。子供のために別れた相手と苦々しい思いで一緒にバカンスを過ごすこともあるようだ。日本では相手の連れ子を虐待するニュースが頻繁に流れるが、精神的なタフさがないとこんな状況に耐えられないだろう。見た目には乱れた関係のように見えるが、その時点でのベターな関係を彼らなりに模索しているのだ。

ジャックはまたフランス人の食文化があまりに「むき出し」なことに耐えられない。ウサギを頭まで食べることが信じられないし、市場で生きたままの姿の豚や子羊がさばかれているのを見て気分が悪くなる。アメリカ人は本当にそういうのが嫌いなのかもしれない。「ザ・コーブ」の血に染まった海のシーンが日本バッシングを誘発したのもむべなるかな。結局は同じ残酷なことをやっていても、ハンバーガーのように本来の姿や製造過程を隠し、「見た目」を整えろってことなのだろう。それでもジャックは「ブッシュ・キャンペーン」のTシャツを着て、キリスト原理主義的な関心によって「ダビンチ・コード」ツアーをしているロボットみたいなアメリカ人観光客たちに対して、「あいつらは愚鈍な政治や文化の象徴だ」と吐き捨てる。

「街は臭くて、人々はいいかげんで、男は女を口説くことしか考えていない」とマリオンは言う。ある意味、見た目を気にしない、なりふりかまわない健全な世界だ。生身の人間どうしがぶつかりあい、とりとめなく紡ぎだされる言葉。それはとことん甘いか、激しい口論かのいずれかだ。フランス映画はこの古典的なパターンを永遠に反復すればいい。クールジャパンなんか気にもとめない、愛の国を地で行くようなフランスが温存されていい気がする。

『恋人たちの二日間』には「何でこれがアートなわけ?」というアイロニーも感じられる。フランスはアートに理解があるというより、アートを補助金で底上げして、アートの物語を回している国だ。それは重要な観光資源でもある。マリオンの父親の書く絵は下品だし、友人のアーティストにとってアートは女性を口説く口実に過ぎないように見えるが、すべてアートの名のもとに許されてしまうのだ。

また言葉がわからなくて状況を把握できていないのはジャックだけではない。映画に登場するタクシー運転手はこぞって差別主義者だ。昔はパリでは英語が通じないとうのが定説だったが、今はむしろ英語がまかり通る状況だ。外国人を頻繁に相手にするタクシー運転手が英語を話せないとすれば、反動的になっていくのもわかる。





cyberbloom


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