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フランスで旋風を巻き起こしている歌手がいます。ルアンヌ・エメラ。18才、天涯孤独の身の上。笑顔がチャーミングな、健康的な Girl Next Door。テレビの勝ち抜きオーディション番組でセミファイナリストになった時に見いだされ、演技経験はゼロながら映画 ”La Famille Bélier” に出演。耳の不自由な家族の中ただ一人健常者である歌手志望の娘を熱演し、映画は大ヒット、彼女自身もセザール賞の新人賞を獲得。満を持して発表したファースト・アルバムもフランス国内チャートで1位を獲得、と、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いのニュー・スターなのです。
Chambre 12 強い、のびやかな声の持ち主で、タワレコのフランス・コーナーに並んでいる作品群の歌声とは一線を画しています。ファースト・アルバムに納められている曲も、アメリカやUKのチャート上位にいるガール・ポップと「違い」を感じません。コトバがフランス語なだけで、こだわりの洋楽派でなければ抵抗なく受け入れてしまいそう。「Made in France」というラベルなしでも、世界のあちこちでエアプレイされる可能性を持つ歌声が、国内からひょっこりでてきたということもウケている理由かもしれません。
(世界展開などをにらみ)前作よりはもっと普通のポップス寄りの作品になるのではないかと予想していた(また、そうなったらイヤだなーと個人的には思っていた)のだが、聞いてみると「マヌーシュ・ジャズ+シャンソン」に重心を置いた相変わらずの音楽性である。予想が外れてよかった。この人の元気でハスキーな声にはやはりこの手の音楽が一番よく似合う。この系統の曲では2曲目の Comme ci,comme ça が一番いい。"Je suis comme ci / Et ça me va / Vous ne me changerez pas"(わたしはこんなふう/これがお似合い/私を変えようったってダメ)というルフランが印象的な「自分宣言」の歌である。また、シャルル・アズナヴール Charles Aznavourの Oublie Loulou のカバーもすばらしい。心から楽しんでやっていることがよく分かるし、恐ろしいほどの歌唱力にも舌を巻く。
マヌーシュ・ジャズ方面以外ではジャン=ジャック・ゴールドマン Jean-JacquesGoldman 作の Si が傑作だ(ゴールドマンはこの曲のプロデュースも担当。ちなみにこの曲、彼自身の昔の名作 Nos mains に歌詞や音楽のコンセプトがちょっと似ている。使い回し? それともセルフアンサーソング?)。ピアノを中心とした最小限の伴奏をバックに、ザーズの絶唱が冴え渡る。前作の Éblouie Par La Nuit が好きな人ならきっと気に入るだろう。というか、この新旧の2曲を並べて聞けば、この3年間の彼女の歌手としての成長も如実に分かる。また、ウルス Ours 作の Nous debout、ミカエル・フュルノン Mickaël Furnon 作の Gamine の2曲は、前作には見られなかったギターポップ風の軽快な曲で、比較的重い雰囲気の曲が続くアルバムのなかでとても楽しいアクセントになっている。
いいアルバムだと思う。
2010年、デビューアルバムが大ヒットし、瞬く間にトップスターになったザーズ。だが成功について回る苦労は相当なものだったようだ。世界中を回るコンサートツアー。信じられないほどの過密スケジュール(ベッドからどうしても起き上がれず公演をキャンセルしたこともあったらしい)。ひっきりなしに浴びせられるさまざまな批判(「お金じゃ幸せは得られない」と歌うデビュー曲 Je veux にひっかけての商業的成功への揶揄、あるいは音楽とは無関係の服装や髪型に関する中傷など)...。当時を振り返り本人は「どん底」の「burn-out(燃え尽き症候群)」状態だったと告白している。 (参照したインタビュー: http://www.chartsinfrance.net/ZAZ/news-85364.html )
そんな彼女が何とか苦しい時期を乗り越え、本来の自分を取り戻し(je suis comme ci,et ça me va!)、新しい音楽を聴かせてくれることは本当に喜ばしいことだと思う。
アクセル・レッド Axelle Red はフランス語で歌うベルギー人歌手。1968年ハッセルト(オランダ語圏)生まれ。両親の母語はフランス語だが、彼女はまずオランダ語を身につけ(両親が家でフランス語を話すのはケンカの時だけだったそうだ)、のちにテレビ放映された映画(『アンジェリク』シリーズなど)を見てフランス語を習得したという。1993年に出たファーストアルバムがベルギー国内はもとよりフランス、スイスでも大ヒットし、仏語圏ヨーロッパで広く知られる人気歌手となる。その後も少女時代より親しんできたソウルを基調とした音楽性を一貫して追求し、数年に一度のペースでアルバムを発表し続けている。また、ユニセフ親善大使として活動したり、ライヴ8フランスのスポークスパーソンを務めたり、様々な社会問題(麻薬、ドメスティックバイオレンス...)を自作曲で取り上げるなど、chanteuse engagée (社会派歌手)の側面も持つ。2003年のルノー Renaud とのデュエット Manhattan-Kaboul (マンハッタン・カブール。9.11同時多発テロを題材にした反戦ソング)の大ヒットも記憶に新しい。
彼女の最初の2枚のアルバム(Sans plus attendre(1993), À Tâtons(1996))は、ほんとうによかった。60年代モータウン/スタックスの匂いのぷんぷんする、好きな音楽をやることの喜びにあふれた素敵なソウルアルバムだった。だが、最初にいいものを作ってしまうとあとが大変だ。ファンの期待も限りなく大きくなる。その後の作品群も決して悪くはないのだが(名曲も数多くある)、とくに今世紀に入ってからは――取り上げるテーマのきまじめさも手伝ってか――少々地味で、内省的で、迷いの感じられるアルバムが続くことになる。前作の Un coeur comme le mien(2011) も、それまでの音楽性を一新し、ギター中心のロックサウンドに乗せて女性が直面する様々な問題を語る野心作だったが、残念ながら音楽の水準はまあ平均点という程度だった。
前置きが長くなった。そんな彼女の最新作 Rouge Ardent (燃えるような赤)が2013年3月に出た。フランスでのチャートアクションは地味だが、ベルギーでは1位を獲得、すでに大ヒットを記録している。あまり期待をしないようにしておそるおそる聴いたのだが、これがとってもいいのである。1曲目の Amour profond (深い愛)の軽快なイントロを耳にした瞬間、ああ、アクセル・レッドはやっぱりこれでなくちゃ、と思った。昔からのファンの積年のもやもや感を一掃するに足る、サザンソウル風の名曲だ。この一曲を聴けただけでも本作には十分価値がある。また、深い悲しみを抑制した調子で歌い流した Sur la route sablée, アルバート・ハモンド Albert Hammond との久しぶりの共作 Ce cœur en or も良い感じ。軽快なギターポップ De Mieux en mieux (前作でも組んだ Stéphan Eicher ステファン・エシェールおよび Christophe Miossec クリストフ・ミオセックとの共作曲)のほとんど破れかぶれの明るさも捨てがたい。歌詞の社会性はうんと後退したが、音楽的には90年代の若々しいアクセル・レッドが帰ってきてくれた感じでじつに喜ばしい。長く聴き続けるアルバムになりそうだ。
France2(ニュース番組)に特別ゲストとしてブルターニュ出身の歌手、ノルウェン・ルロワ Nolwenn Leroy が出演していた。最新アルバム ”O Filles de l'Eau” (水の娘たち)のシングル ‘Juste pour me souvenir’ (sortie le 26 Novembre 2012)のプロモーションのためだが、この歌が描き出す光景は、ブルターニュと同じように北の海に面する日本の東北地方と重なる。
彼女は最近「フランス人に愛されるフランス人」ランキングで24位に初登場した(前後を見ると、21位ジョニー・アリデー、25位アラン・ドロンがいる)。やはり彼女のブルターニュ色が受けているようで、幅広い全世代に人気がある。男たちは荒れ狂う海に漕ぎ出し、女たちはその帰りを待ち続ける。独特の哀愁が漂い、こぶしがきいていて、まるで演歌のようだ。ブルターニュの政治的、文化的な復興のために闘う音楽家、アラン・スティヴェル Alan Stivell とも共演していることも注目すべきだろう。文化人類学者の赤坂憲雄さんが新聞の対談で「三陸の村々で津波から数か月後に民族芸能が復興し、祭りや芸能を媒介に生き直そうという人々が増えている」と言っていたが、そういう音楽の力を思い出さずにはいられない。国民的アイドルなのに、税金対策のために縁もゆかりもない国に行くジェラール・ドパルデューと対極的ではないか。もっともグローバル化は反動的なベクトルとして地方文化の再発見や回帰を促すとしても、それらは多くの場合、イメージや趣味の問題にとどまるのではあるけれど。
Youtube で音楽サーフィンをやっていると、ときどき思いがけないものに出会う。Nouvelle Vague もそのひとつだ。とりわけ、Joy Division / Love Will Tear Us Apart やエコバニの The killing Moon のボサノバ・カバーの新鮮さに絶句した。目下のお気に入りは、The Lords Of The New Church / Dance With Me のカバー。原曲は80年代初めの、今聴くと微笑ましいくらいベタなニューウェーブだが、メラニー・パン Mélanie Pain のキュートなボーカルがメロディの良さを引き立たせる。同時に ’Show me secret sins ♪ Love can be like bondage ♪ ’ なんて80年代独特の歌詞のトンガリ具合とのミスマッチも面白い。
「ヌヴェル・ヴァーグ」はフランスのマルチな楽器奏者でありプロデューサーの、マーク・コリンズ Marc Collin とオリビエ・リボー Olivier Libaux が率いるフレンチ・エレクトロニカのプロジェクト。その名は英語で「ニューウェーブ New Wave 」、ポルトガル語では「ボサノヴァ bossa nova 」になる。ジャンリュック・ゴダールに象徴される60年代の「ヌヴェル・ヴァーグ」のフランスらしさと芸術性、そして彼らがカバーしている70年代半ばから80年代の初めにかけてのパンクやポストパンク、あるいは「ニューウェーブ」のイギリス的陰鬱さと美意識、そして曲に施されている60年代ブラジルの「ボサノバ」スタイルの軽やかなアレンジ。これらの相反する3つの軸が見事に共振している。
このプロジェクトには多くのフランスのアーティストたちが参加している。その一部は"Renouveau de la chanson Française"(フランスのシャンソンの復活)と呼ばれているらしい。例えば2010年に出たアルバムには、マレーヴァ・ガランテール Mareva Galanter、カミーユ・ダルメ Camille Dalmais、先のメラニー・パンなどが参加している。
「ヌヴェル・ヴァーグ」は2004年から始動しているが、すでに関連アルバムは10枚近く出ている。これまでアルバムが世界で8万枚売れ、コンサートの多くはソールドアウト。バリバリの80年世代ならアルバムの曲のリストを見ているだけでも楽しめるだろう。オシャレかつ洗練された深みを持つ曲ばかりが揃う。ヨーロッパでCMや映画やドラマの挿入曲としてひっぱりだこなのもうなづける。中でもニューウェーブの金字塔とも言える Bauhaus / Bela Lugosi's Dead のカバー(この曲に関してはゴシック色が残っている)が2007年の映画『エルビスとアナベル』の始まりに使われた。
このファーストアルバム、とてもいいですよ。元気だし、とにかくうまいし、でもそのうまさがイヤミに感じられるところまでは行かず、ほどよい具合に雑だし。いろんなタイプの曲が入っているが、一番良いのはやはりマヌーシュ(ジプシー)・ジャズ風の何曲か(Les passants, Je veux, Prends garde à ta langue, Ni oui Ni non...)。あと、エディット・ピアフの名曲のカヴァーDans ma rueも出色の出来(個人的にはピアフよりいいと思う)。フォーク調の曲とか、ロックンロールとか他にもいろんなタイプの曲が入っているが、あまりいろんな方向に色目を使わず、ジャズ一本でど〜んと構えて活動した方が良いように思う。あと、彼女の歌を聴く人のほとんどはピアフを思い出すだろうし、本人も意識していないはずはないが、いずれひとりのアーティストとしてピアフの呪縛から自らを解き放たなければならない日が来るだろう。それがうまくいくかどうかが少々心配だ。
EN APESANTEUR([アナプザントゥール]。「無重力状態」の意)は、セカンドアルバムからシングルカットされてヒットした曲。メロディも声もサウンドもいいが、むしろ特筆したいのはヴィデオクリップのバカバカしいおもしろさ。閉じかけたエレベーターの扉から滑り込む怪しげな目つきの男。先客は妙齢の女性ひとり(女優メラニ・ドゥテーMélanie Doutey)。彼女に一目惚れした男の妄想は限りなく暴走し...という、ほんとうにどうでもいい内容の歌詞、映像だが、カロジェロのマヌケな表情がなかなかいいし、エレベーター内のあちらこちらの装飾もよく見ると???という感じで、全体的にいかがわしさにあふれた怪作クリップとなっている。何度見ても吹き出してしまう。このオバカクリップでの迷演技が功を奏したのかどうかはわからないが、セカンドアルバムは超ロングセラーを記録、彼は大スターへの道を歩んでいく。
だが、セカンドアルバム以降の彼の音楽を、私はじつはあまり評価していない。個々の曲の出来の問題ももちろんあるのだが、どのアルバムも全体を通して聴くと、似たようなマイナー調で重厚なタイプの曲ばかりがならび、どうも単調で重苦しい感じがして退屈してしまうのだ。彼の作品のなかでは、むしろあまり売れなかったファーストアルバムAU MILIEU DES AUTRES (1999)が一番好きである。人気・実力の両面で当時ひとつのピークを迎えていたパスカル・オビスポPascal Obispoをプロデューサーに迎えて制作されたこのアルバムは、幅広い曲調の名曲の数々――DE CENDRES ET DE TERRE, UN MONDE EN EQUILIBRE, LE SECRETなど――、ストリングスをはじめとするアレンジの切れのよい美しさ、カロジェロのヴォーカリストとしての卓越した力量が相乗効果を上げ、ヴァラエティに富んだスケールの大きい傑作になっていると思う。どうしてこの路線を続けなかったのかな。まあ結果的には売れたわけだから、セカンド以降の短調&重厚路線の強化策は間違っていなかったということだろうが。
レ・チャーツ時代にも名曲は数多くある。HANNIBAL(1994)というアルバムに入っているTOUT EST POUR TOIとかLES MOUSTIQUESなんかを一度聴いてもらいたい。彼のメロディメーカーとしてのずば抜けた――そして残念ながら最近はちょっと影を潜めている――才能がわかるはずだ。
さて、この曲がまだ公開中のフランス映画『ずっとあなたを愛してる』(“Il y a longtemps que je t’aime”)のエンドロールに使われています。ただしオリジナルではなく、カバーヴァージョン。フランスのベテランロッカー、Jean-Louis Aubertの弾き語りです。本人も認める通り「歌の人」ではなく、とつとつと歌っているのですが、オリジナルの張りつめた感じとは違い、薄ぼんやりとした日差しのような暖かさがあります。
一聴してすぐに気づくのは、ギターの音色と歌声の変化。ギターは以前よりもずいぶん硬質に響き、声も、意識して音域を下げた感じで、これまでのアルバムに特徴的だったふわふわしたファルセットがほぼ姿を消している。前作(Le sacre des Lemmings(2006))で目立ったストリングスや管楽器も影をひそめ、全体的にシンプルでタイトなサウンドになっている。フォークやブルースを基調にした音楽性自体はあいかわらず。ただ、マイナー調のメロディに乗せてしっとりと歌い上げる、これまでのお得意パターンの曲は今回見あたらない。
リーフレット(私が入手したのは限定版仏盤)にはテテ自身による長文の自作解説(英文)が載っている。それによると彼は、これまでの3枚のアルバムは「オーバープロデュース」気味で「クリーン」過ぎたと考えており、今回は従来の「フォークレコード」とは違う、分厚くてしかもシャープなギターを伴った「アコースティックパワーポップLP」を目指した、とのことである。また、punchy / earthy / dirty / energy and emotionといった言葉を本作のキーワードとして示している。何となくこのアルバムの雰囲気がわかってもらえるだろうか。さらに、本作制作に際し参考にした他人の曲をずらりとリストアップしている――ライトニン・ホプキンスからグリーン・デイ、ウィーザー、はたまたエミリー・ロワゾーまで多種多様――が、これも「ふ〜ん、なるほど」という感じでなかなかおもしろい。音楽家なら御託など並べず音だけで勝負したらいいという意見もあるだろうが、私はこういう説明好きなひとって好きだな。きっとまじめで律儀なヤツなんだと思う。
ミレーヌ・ファルメールはカナダのケベック生まれ。フランス語圏だけでなく、ロシアや東欧でも人気が高く、売れたアルバムの総数は2500万枚を超えている。しかし、名誉な賞の授賞式にも出なかったりと、メディアの露出度は少なく、主としてコンサートとビデオクリップによって彼女の音楽の世界を作り上げている。1991年に狂信的なファンが彼女に会おうとして、レコード会社の受付係を銃殺した事件が起こり、それが彼女をメディアから遠ざけることになったようだ。それでもライブアルバムの音源となったコンサートの直後に France 2(6月14日)にインタビュー出演しており、彼女の魅力的な仕草を垣間見ることができる。
曲のタイトルが、 ’Dessine-moi un mouton’ や ’Beyond my control’などと文学作品を暗示していたり、ビデオクリップもどれも凝っていてクオリティが高い。VCはセクシャリティを強調したものも多いが、アルバム「Avant que l'ombre...」(影が迫り来る前に)からの5本目のビデオクリップ、「Peut-etre toi」(あなたかも、上の動画↑)は日本の「プロダクションI.G.」とのコラボによるアニメ作品だ。その制作には監督の楠美直子や作画監督の黄瀬和哉など『イノセンス』(押井守監督『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』の続編)のスタッフが集結することになった。
France Yahoo!のトップにいきなり、ブリジット・フォンテーヌ Brigitte Fontaine の姿が。すっかりおばあちゃんになっているが(今年で何と70歳!)、ラディカルな左翼魂は健在だ。ヤフーのタイトルにも“Je repasse à l'attaque”(私は再び攻撃に転じる)とあって、ちょっと目を疑った。インタビューで、反乱 rebellion とか言って拳を振り上げている。とにかく息が詰まりそうな現状で、今起こっていること、禁止されていることに反抗するのだと。かっこいい。こういう一貫した態度には勇気付けられますね。彼女も68年の申し子なのだと改めて実感。
アルバムのタイトルは Prohibition 禁止。不法滞在 sans papier もいけないし、アルコールも飲めないし、タバコを吸える場所もなしい、デモもやりにくくなっている。そのうち空気も吸えなくなるわ。呼吸をすることは地球温暖化に寄与してしまうから(笑)。とにかく、何でもかんでも禁止しやがって、という歌のようだ。
ブリジット・フォンテーヌといえば1969年の傑作「ラジオのように comme à la radio 」(⇒試聴)が知られているが、アート・アンサンブル・オブ・シカゴとコラボした(もちろんアレスキも)アルバムは「ブリジットIII」とともにレコードが擦り切れるくらい聴いた。80年代の後半に来日したときも見に行った。名古屋のライブハウス Electric Lady Land だったと思う。歌いながら客席に降りてきたブリジッドと握手をした。あの手の冷たい感触は今でも覚えている。ツアーのメンバーにゴング Gong のディディエ・マレルブも参加していて、彼のサックスを生で聴けたのも嬉しかった。
プロデュースはラプノーとレジス・セカレリRégis Céccarelliが共同で担当。セカレリはもともとジャズ畑のドラマーだが,ヴァリエテ系のアーティストのアルバムにも多数参加、最近ではアブダル・マリックABD AL MALIK(進境いちじるしいフレンチ・ラッパー/スラマー)の近作GIBRALTAR(2006)、DANTE(2008)のドラマー兼プロデューサーとして優れた仕事を残している。ラプノーはGIBRALTARでのセカレリのプロデューサーとしての手腕を非常に高く評価しており、そのことが今回、共同作業を依頼するきっかけになったらしい。アブダル・マリックの上記二作ほど切れ味鋭いジャズ感覚はないものの、本作の随所で感じられる絶妙のグルーヴ感は、セカレリ(ドラムも担当)の存在に負うところが大きいと思う。
原題のpopée de cire, poupée de son は「蝋人形、オガクズ人形(=オガクズを詰めて作った人形)」という意味で、文字通り「歌う人形」と解釈できる。一方で、son を音と訳して、「蝋人形、音人形」とも読める。その場合、レコード盤を人形に見立てていると解釈できる。柔らかい塩化ビニールは蝋になぞらえられることもあるからだ。歌詞全体を見た場合、こちらの方が説得力がある。レコードを少女に見立て、彼女の思いを歌わせている、一ひねりしたレコード盤への偏愛、レコード・フェチの歌だ。
フレンチ・ウィスパーと言われるように、怒鳴ったり、叫んだりするよりも、フランス語は淡々と囁くように歌うのがいいようだ。AUTOUR DE LUCIE はフランス語で歌っていることにあまり違和感がない。それは歌い方のせいなのだろう。
AUTOUR DE LUCIEは、女性ボーカルのヴァレリー・ルリヨが唯一の固定メンバー。彼女が曲も書いている。AUTOURは意外にもアメリカで受けが良く、1994年に出たファースト・アルバム L’ECHAPEE BELLE はフランスのグループとしては例外的に1年間で15000枚を売った。このアルバムは1995年に日本でも発売され、フランスよりむしろ外国で支持された。アメリカでのツアーは最初のうちフランス語のボーカルが障害になったようだが、コンサートをこなすうちにそれが評価へと変わっていた。アメリカでの成功に気を良くして、彼らはしばらくアメリカに留まって活動するようになる。2枚目 IMMOBILE が出たのは1997年。1枚目以上にポップでメロディアスな作品。これも40000枚のヒット。3枚目のアルバム、FAUX MOUVEMENT は2000年の春に発表。これまでのアコースティック路線から大きく変化し、初めてエレクトロニクスを使い、ループやサンプリングによって新たな世界を切り開いた。
いつも授業でかけているのは、アルバム L'ECHAPPEE BELLE から、L'ACCORD PARFAIT。「完全な調和」という意味だが、男女の関係を音楽になぞらえている。初めの頃、AUTOUR をフランスのカーディガンズと紹介してたのだが、カーディガンズがパッとしなくなったので、「フランスのブリリアント・グリーン」に変更。でも、そちらも最近音沙汰なし。トミー・フェブラリー(最近はヘンブンリーというロック・プロジェクトもあるようだ)の80年代ピコピコサウンドにはやられてしまったが、「ブリリアント・グリーン」とは、女性ボーカル、ギター、ベースという構成も同じだし、ギターの感じがよく似ている。90年代の前半によく聴いていた、ブリティッシュ系のギターバンドの音。系統としては80年代のネオアコにまでさかのぼる。
この手の音を出すフランスのバンドが他にいないわけではないのだが、何せみんな英語で歌っている。国境を越えて成功しているフランスのバンドの多くはやはり英語志向が強い。AUTOUR DE LUCIE のようにフランス語で歌い、かつ良質なロックというのはなかなか見つからないのだ。
poivre(胡椒)、vanille(ヴァニラ)、jasmin(ジャスミン)、safran(サフラン) など、歌詞にはトロピカルなイメージがちりばめられ、バックの演奏も心地よくもミニマムな音作り。ボーカルにバックの音が被らないので、ヒアリングの教材にも最適な数少ない歌モノだ。フランス語の発音もクリアに聴き取れ、単語の響きをひとつひとつ堪能できる。この曲はアルバム「愛にエスポワール」に収録。原題は Hoping For Love で、英語でわかりやすいのに、フレンチな感じを出したいためか、邦題ではわざわざ「エスポーワール espoir (=hope 英)」という語を使っている。
1980年代の始めにイザベルは、仲間と「アンテナ」というバンドを組み(最初はバンドの名前だったようだ)、クラフトワーク(ドイツの元祖テクノ・ポップ)に触発された曲をやっていたというから、いろんな方向性の試行錯誤があったのだろう。いくつかデモテープを作り、「クレプスキュール」と契約。1982年、アントニオ・カルロス・ジョビンの名作をカバーした「The Boy from Ipanema」(原曲は「Garota de Ipanema(イパネマの娘)」)を含んだ最初のアルバム「Camino del sol」を発表。ボサノバ&ジャズ・ポップ路線が確立された。
ところで、子供の頃、テレビのCMでやたら流れている曲があってそれがギルバート・オサリバンの「アローン・アゲイン Alone Again (Naturally)」であったことを知ったのは相当後になってからのことです。ゆっくりとしたリズムと、一度聴いたらすぐに口ずさんでしまえるような親しみやすいメロディのこの曲は、年月を経ても色褪せることのない名曲中の名曲です。品のある優しい声は、どこか乾いていて寂しげ(「アローン・アゲイン」はひとりぼっちになってしまった男の悲しい歌でもあるのです)に聞こえます。彼のナンバーは、この曲のほかにも "Clair" や "What's in a Kiss" など、CM や映画で多用され、どこかで一度は耳にしたことのある名曲ばかりなので、まずはベスト・アルバムをお聴きすることをおすすめします。ところでその昔、ポール・マッカートニーが彼を自分の後継者として認めたという話ですが、そのポールはいまだ現役…
ケレン・アンKeren Ann(本名Keren Ann Zeidel)は、1974年イスラエルに生まれ、オランダで育ち、11歳でパリに移住。19歳の頃から自作曲をたずさえレコード会社回りをしていたらしいが、結果ははかばかしいものではなかった。その後彼女はバンジャマン・ビオレーBenjamin Biolay(1973年生)と出会い、共同で曲を作り始める(私生活でも彼は彼女のパートナーとなる)。ビオレーの発案で彼女はシェルビーShelbyという3人組のユニット(ビオレーはメンバーに入っていない)を結成、1999年1月、シングル「1+1」でデビューする。
ストリングスとギターをフィーチュアし、フランス語と英語半々で歌われるこの曲は小ヒットを記録する。ケレン・アンとビオレー(およびほか2名(詳細不明))の共作曲だが、発表の時期からいってふたりのコラボレーションの最初期に位置する作品だろう。名曲である。ケレン・アンといえば、張りつめた冬の空気を思わせる、低音で歌われるクールなフォークといったイメージが強い。だがこの曲は、どちらかというとアンチームな感じのスローなギターポップ。翌年に出る彼女のファーストアルバム中の「Décrocher les étoiles」や「Aéroplane」などと若干タッチが似ているが、その後の彼女の音楽にはあまりみられなくなる雰囲気の曲である。この曲はとても歌いづらかったと彼女はのちに述懐している――「ロック調」の曲が自分の声に合っていないと思っていたらしい――が、そういう感じはまったく与えない。浮遊感のあるヴォーカルはむしろとても魅力的だ。冬の夜に望遠鏡で天体観測をするメンバーたちがでてくるヴィデオクリップもなかなかいい(私は発表当時MCMで放映していたのを録画して持っていて、折に触れて見ている)。画面に映っているケレン・アン以外のメンバーは、グザヴィエ・ドゥリュオーXavier Druaut(ギターの男性)とカレン・ブリュノンKaren Brunon(ヴァイオリンの女性)。カレンはビオレーの音楽学校(リヨンのコンセルバトワール)時代の友人。のちにKaren Aprilの名で歌手としてシングル盤を出す。またヴァイオリニストとしてビオレーやケレン・アンを初めとする多くのアーティストのアルバムに参加している。グザヴィエのその後はよくわからない。
だがこの曲は、ほどなく彼女とビオレーの未来に大きな影響を与えることになる。この曲を耳にしたことがきっかけでケレン・アンに関心を持ったラジオ・フランスの社員コリーヌ・ジュバールが、翌2000年に出た彼女のファーストアルバム「La biographie de Luka Philipsen」(大部分の曲がビオレーとの共作、またプロデュースもビオレー)を半ば引退状態にあった旧知の大御所歌手アンリ・サルヴァドールに送ったのだ。ケレン・アンの音楽にすっかり魅了されたサルヴァドールは彼女とビオレーに自分の新作への協力を申し込んだ。彼らの作品5曲を含むサルヴァドールのアルバム「Chambre avec vue」(2000)はミリオンセラーを記録し、ふたりは一躍スポットライトを浴びる存在になる....。
■アンリ・サルヴァドールの「Chambre avec vue」は国内盤(邦題「サルヴァドールからの手紙」)があるが、出来たらフランス盤を聴いてみてほしい。というのも国内盤ではケレン・アン=バンジャマン・ビオレーによる冒頭の2つの名曲Jardin d'hiverとChambre avec vueが、それぞれBRAZILIAN VERSION、ENGLISH VERSIONに差し替えられているため。やはりオリジナルの仏語ヴァージョンで聴きたいところだ。
このふたつのマイナスイメージを、映画は巧妙に修正しているように見える。まず前者について。アリデーのレパートリーには、娘の誕生を題材にした「Laura」(1986)という曲があるが、この曲はじつはジャン=ジャック・ゴールドマンの作品である。ところが映画の中では、その事実は伏せられたまま、現実の世界で「Laura」が作られた頃、パラレルワールドのほうでもジャン=フィリップが息子の誕生に際し「Laurent」(!)という全く同じ内容の詩を書いていた、というエピソードが示される。要するにさりげなく、アリデーが自作派の歌手であるかのようなアピールがされているわけである(これは一種の「歴史修正主義」ではないか?)。また後者に関しては、まず、アリデーが若いころギターを習っていたという経歴がファブリスによってわざわざ語られる。さらにファブリスから「Quelque chose de Tennessee」(アリデーファンに最も愛されている曲のひとつ)のギターコード付きの歌詞を示されたジャン=フィリップが、初見で、ギターを弾きながらその歌を完璧に歌い上げるシーンがある。このときの彼の左手は、不思議なことにきちんと曲のコードに対応した動きをしている! ここでも「ギターが弾けないかもしれないロックンロールスター」というマイナスイメージが巧妙に修正されている(この場面は彼とこの曲の作者ミシェル・ベルジェの間にあった実話を元にしたものだという話もあるが)。
■ジョニー・アリデーのディスコグラフィは膨大すぎて、ベスト盤を紹介することさえ困難である。彼に興味を持たれた方には、まず最近のライブ盤DVDを視聴することをおすすめする。ゲストの多彩さ、選曲の良さ、野外コンサートの開放感を味わえる点などからいって「100% Johnny Live à la Tour Eiffel(2000)」(仏盤/PAL方式)が一押しである。アマゾンジャパンのカタログではリージョン1となっているがこれはたぶん2の間違いだと思う(確証はないが)。
ビートルズとスティーヴィー・ワンダーにとりわけ大きな影響を受けたというマルタン・ラプノー(Martin Rappeneau 1976年生。ちなみに父親は映画監督ジャン=ポール・ラプノー)は、大学を出たあとひとりで音楽活動をしていたが、ある日偶然カフェのテラス席でサンクレール(Sinclair)を見かけ、声をかける。この、フレンチファンクの若きスターは、興奮状態で話しかけてきた見知らぬ若者に優しく接し、昼食に誘う。そのとき渡されたデモテープを聴いた彼はすぐにそれを気に入る。翌日彼はラプノーに電話をかけ、ふたりは親交を結ぶことになる...。この出会いがラプノーにとってミュージシャンとしての転機であったことはいうまでもない。2003年、彼はサンクレールとの共同プロデュースによるファーストアルバム La moitié des choses を発表する。初々しさと洗練、躍動感と静謐が絶妙に共存した、名曲揃いの佳作である。
■ミシェル・ベルジェ(この人についてはいつか詳しく書きます)を聞いたことがない人には2枚組のベスト盤Pour Me Comprendre(仏盤)をとりあえずオススメしておく。この夭逝した才人――フランス・ギャルの夫であり音楽上のパートナーでもあった――の代表作がおおむね網羅されている。同じタイトルで一枚物および3枚組のベスト盤、さらに12枚組のコンプリートボックスがあるので購入に際してはご注意を。
■定年退職前の厳しくも優しいロペス先生のもとで、勉強したり遊んだりする13人の子供たちの姿を追った、心温まるドキュメンタリー映画。Etre et Avoir―タイトルにもなっているこの二つの動詞から見ても、フランス人にとってのフランス語の始まりも、日本人がフランス語を始めるときと全く同じなんだな、と分かります。フランス語をやっている人なら、まるで自分も小学生になったような気分になり、子供たちと一緒に「うぃぃ〜!」「ぼんじゅ〜る、むっしゅ〜」と言ってしまいそう。