2020年11月14日

Oh Mon Johnny…! 門外漢から見たジョニー・アリディの「謎」

初めてジョニー・アリディと接したのは、主演俳優として出演していた香港ノワール、ジョニー・トーの『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』でだった。シルヴィ・ヴァルタンの元夫で、フランスのエルヴィスと呼ばれているらしい。まず目を奪われたのはその風貌だ。手を入れすぎた果てとでも言おうか。洒脱でスムースなフランス美男とはほど遠い。が、この映画にはしっくりきた。言葉の通じない異国で右往左往しつつ復讐を遂げる、記憶障害を患う初老の元殺し屋のフラジャイルな不器用さを体現し、映画に深みを与えていた。トー監督はアラン・ドロンを念頭に映画を企画したらしいが、アリディをキャスティングして大正解だった。いい役者だという印象を胸に映画館を出た後、特に接点はなかった。



が、昇天してからこのかたの大騒ぎである。一体どうなっているのか。遅ればせながらニュースで知ったジョニー・アリディはこういう人だった。1943年生まれの歌手で俳優。本名ジャン−フィリップ・スメット。肺ガンにより74才で死亡。57年にも及ぶ芸能生活の間人気は衰えず、なんのかんのと4世代ものフランス人に愛された唯一のポップスター。スタジアム級の会場を常に満杯にするライブパフォーマーで、187回ものツアー、3,000回を超えるコンサートをこなし、レコード売り上げ総数は1億枚以上!。5度結婚するなど私生活も華やかで、パリマッチ誌の表紙を最も多く飾ったセレブ。その死を伝えるため妻が深夜2時にマクロン大統領に電話をしても許される特別な存在。

なるほど、確かにビッグな人だったのだ。しかしなぜこれほどまでにフランスが身も世もなく嘆き悲しむのかわからない。外国メディアも困惑しているようで、この驚くべき状況を何とか説明しようとしているのでまとめてみた。

どうしてジョニー・アリディはこんなにフランス人に愛されているのか?それは…

(1) 60年代に登場した、アメリカ文化を素直に享受する若い世代を代表するアイコンだったから。
エルヴィス・プレスリーに衝撃を受け、アメリカ風の名前ジョニー・アリディ(いとこの夫のアメリカ人の名前Hallidayを間違えて拝借した)を名乗ってデビューした1960年代。それは高度経済成長で暮らしが上向き続ける中、第二次世界大戦も戦前のフランスすらも知らずアメリカ文化を浴びて成長した若者たち、「黄金の30年間」の世代が台頭してきた時期だった。15才で「ELLE」誌のカバーを飾ったブリジット・バルドーしかり、17才でいきなり国際ベストセラー作家となったフランソワーズ・サガンしかり。メイド・イン・アメリカを抵抗なく楽しみ伝統を顧みないこうした軽佻浮薄な若者たちとそんな若者たちを苦々しく思う古い世代の大人達との軋轢の狭間に、金髪のリーゼントヘアでアメリカ丸出しの歌を腰振って歌うジョニーはいた。旧世代最大のアイコンであるド・ゴールからは目の敵にされ、大人達の偏見のせいでたくさん理不尽な目にあった(フランス全土のナイトクラブはジョニーを出入り禁止にした)。

でも、ジョニーはめげるどころかスターダムにとどまり続け、最後まで「やんちゃなレベル」の空気を漂わせ続けた。あの頃を体現する「我らのジョニー」として、アリディは同世代のフランス人の側にいた。

(2) アメリカ・イギリスのポップ・ミュージックを持ち込み、フランス化させた「功労者」だったから。
1960年代のどの国の若者もしていたように、ジョニーもどしどしアメリカ、イギリスのポップ・ミュージックを持ち込んだ―それもかなり身も蓋もないやりかたで。当時の日本のカバーソングが多少なりともオリジナルに敬意を払い、苦心して歌詞を日本語に落とし込んでみせたりしていたのに、ジョニーの場合はアレンジも含め丸々コピー。フランス語の歌詞すらオリジナルと無関係なんてことも少なくなかった。アメリカやイギリスのヒットチャートにいい曲が登場すれば、数週間でジョニー版をフランスでリリース、ヒットさせるという状況がしばらく続いた。オリジナルの存在を知っていた人は少数派に過ぎず、多くはそれらをジョニーの歌として受け止めた。

そっくり直輸入した新鮮なサウンドに俺流のホットなフィーリングをこめてフランス語で歌いあげるジョニーを通じて、フランスの若者たちは自分たちにとってしっくりする音楽を選択し、シャンソンとはまた違うフランス独自の大衆音楽を育てていった。

カバーソング量産を卒業しオリジナルソングを歌うようになってからもアメリカ・イギリスの音の動向を意識し続けたが、フランスの作詞家、コンポーザーの手による楽曲はフランスの聴衆に向き合ったものとなり、ジョニーはフランスの歌手としてゆるぎない地位を築いてゆく。

(3) 真のワーキングクラス・ヒーローだったから。
飲んだくれの軽業師であるベルギー人の父と、ランバンなどの高級ドレスメーカーでのモデル仕事にかまけてばかりの母に赤ん坊のころ「捨てられた」ジョニーは、父の姉である叔母に育てられた。キャバレーの舞台に立ってパンをを稼いでいた叔母の一家とともに、フランス国内外を転々とする。叔母はジョニーを学校に行かせたがらなかった。夫が対独協力者だったことが知れたらジョニーが報復されると信じていたからだ。

親もおカネもコネもなくまともに勉強もしていないジョニーは、芸能界に飛び込むことで成功し、エリート中のエリートの証であるレジオン・ドヌール勲章も手にした。お友達だったシラク大統領の力によるところもあるのかもしれないが、何のかんのいって階級社会であるフランスでは、大変なことだ。

成功の影にはジョニーの強いショーマンシップとファンへの献身があった。

「今日のコンサートはよかった」と言われるのが最高の褒め言葉と言い切るジョニーは、ファンを楽しませるために何でもやった。視覚効果満載のコンサートの演出はその最たるものだろう。上空高くホバリングするヘリコプターからステージへ降りてくるなんてスタントまがいのこともやってのけた。

何でそこまでやる?ジョニー本人が自分のスターとしての魅力をわかっていなかったからではないかという意見がある。お手本であるプレスリーはファンへアピールする方法をよく知っていて、自分の見せ方も心得ていたと。何がよくてファンが自分をこんなに求めてくれているのかわからない―だからとにかく常にベストを尽くすしかない。こうした気構えがパフォーマンスの熱量を上げ続け、ファンを喜ばせ続けたのかもしれない。

(4) 昔からずーっと変わらない「いい奴」だったから。
60年近くスターであり続けたにも関わらず、一貫して飾らない、素直な人であったようだ。若い頃ろくすっぽ税金を払っていなかったせいで、25年間、57才になるまでフランス政府への「借金」返済に追いまくられた、という信じ難い逸話の持ち主だ。計算高さとは無縁だったらしい。

フランスを代表するアイコンであるにも関わらず、晩年の自宅はアメリカ、ハリウッドにあった(お隣はトム・ハンクス)。顔さすことなくエルヴィス好きなおじさんとしてハーレー・ダヴィッドソンを自由に乗り回すことができ、快適な日々だったらしい。

音楽的に全く認知されていないイギリスで、あのロイヤル・アルバートホールでコンサートを開くという無謀なことも、やりたいからやってしまう(ドーバーを超えて詰めかけたファンのおかげでソールドアウトだったが。)

「エルヴィスのことは大好きだけど、晩年のあんなにでっぷりした姿を見るとやっぱり運動しなきゃなと思うよ、食べものにも気をつけて…。」なんてぽろっとこぼしてしまう。これがロックの人の発言だろうか!それがジョニーなのだ。

(5) 自分の弱さを隠さない人だったから。
ジョニーは一度自殺未遂騒ぎを起こしている。シルヴィ・ヴァルタンとの間に初めての子供が生まれたころだ。両親から捨てられたという事実は彼につきまとい、影を落とし続けた。ひどい気分の落ち込みを振り払うために酒やコカインにたよらざるをえないときもあった。そうしたカッコよくない自分も世間にさらし、時にはル・モンド紙のインタビューでオープンに語ったのがジョニーだった。

以上、書き連ねてみたが、フランスが寄せるジョニーへの想いはどれも説明できていないように思う。こうした要素が渾然一体となり、一人一人の持つ思い入れがさらに重なって、あの現象は起こったのかもしれない。謎は謎のままにしておいたほうがよさそうだ。

個人的には、バラード歌いとしてのジョニーにフランスを強く感じる。ロック風味ではあるものの、フランスのオーソドックスな歌手が表現してきた泣かせどころ、せつなさがたっぷりある。ここがフランス人の琴線に触れたのではないだろうか。フィガロ紙がジョニーの歌をプルーストのマドレーヌに喩えていた。果たしてそうなのかはわかりようがないが、少なくとも彼の歌はフランスの人々が安心して戻って来れる場所になっていたのかもしれない。


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2020年11月08日

20年後のLove letter 〜アレクサンドル・タローのバルバラへのトリビュート盤

トリビュートと銘打ったアルバムが苦手だ。敬意をこめてとうたっているが参加者のためのにわか仕立てのお祭り的にぎやかさが漂い、「彼の人」の作品は派手な衣装とメイクで別物に変身。素顔の方がよかったのに。が、クラシックピアニストのアレクサンドル・タロー(Alexandre Tharaud)がこの秋リリースしたトリビュート盤は、そんな偏見をあっさり突き崩してくれた。なにせ20年の歳月を経て、とうとう形になったアルバムなのだ。



1997年の晩秋。孤高の自作自演の歌手バルバラの死から3日後。墓の前につどったたくさんのファンのなかに、コンサート・レコーディングピアニストとしてキャリアをスタートさせていたタローはいた。どこかで誰かがバルバラの歌を口ずさみ、声が重なり、自然発生的な合唱になった。雑多な声が入り交じり、時に音程があやしくなったりする歌声は、途切れなかった。みんなやめたくなかったのだ。そして彼は思ったのだそうだ。バルバラは生きている、彼女の歌を歌う私たちの声の中に。いつかきっと、バルバラのためのアルバムを作ろう。

時間がかかったのは無理もないこと。そもそも、お固いクラシック部門のレコード会社の人間が、所属する若手アーティストからの「ジャンル違いのアーティストに捧げるアルバムを作りたい」というリクエストにすんなり耳を傾けるだろうか?今でこそジャズやポップスとの本気なクロスオーバーが賞賛されるようになったけれども、20年前なら全く相手にしてもらえなかったのではないか。また、バルバラがあの声、あのテンションで残したレコーディングの完成度が高すぎて、一部の大ヒット曲を除いてはカバー曲を録音することすらおいそれとしにくい状況があった。しかしあれからもう20年。違った視点で歌いなおし、新たな色を加えることが必要だ―メジャーレーベルで何枚ものアルバムを発表し、コンサートピアニストとして世界を旅する立場となったタローは、夢の実現に乗り出した。

レコーディングにあたり、タローは曲によってアプローチを変えている。シンガーを招き、新たに歌いなおす。役者に歌詞を朗読してもらう。そして、歌詞抜き、音楽のみで表現する。ほとんど全曲を自らが手がけた編曲は、びっくりするほど地味だ。電気系の楽器は極力はずし、ほぼアコースティックな楽器のみの編成。バルバラと一緒に長く仕事をした「身内」のミュージシャンにも参加してもらい、バルバラが気に入っていた音空間をつくることをまず目指した。スコア的にも冒険はしない。音数を押さえ、とにかく歌が際立つようにしている。

新しい視点と色を加えることを任されたのは、慎重にセレクトされたと思われるシンガー達だ。特に印象的なのが、20年の時が経つうちに登場した、様々なバックグラウンドを持つユニークな声。マリ出身のロキア・トラオレ、ベルベル人のインディ・ザーラ、アルジェリア系のカメリア・ジョルダナ(タレント発掘番組ヌーヴェル・スター出身)、インディ・ロックトリオのレディオ・エルヴィス(オリジナルが秘めていたビートを強調し疾走感溢れるバルバラを実現)。最年少の参加者、若干22才のティム・ダップには思い切ってバルバラの代表曲を歌わせている。どれもバルバラから離れがたく結びついているように思われた歌達が、シンガーの個性と歌心によってふわりと浮かび上がり、思いがけないきらめきを見せる。肩肘はらずリラックスして聴けてしまうのはこの試みが上手くいった証拠だろう。

20年前はまだ歌わせてもらいにくかった人たちも参加している。ロリータというあだ名がまだくっついていたジェーン・バーキン。ジョニー・デップだけのベイビーであることに忙しかったヴァネッサ・パラディ。二人とも気負うことなく自然体で歌に取り組み、オリジナルとはまた違う景色を見せてくれる。

朗読の試みも上手くいった。歌詞の素晴らしさでも知られているバルバラだが、タローは多くの人のフェイバリット・ソングである「ウィーン」を敢えてジュリエット・ビノシュに朗読させた。ウィーンから恋人へ綴る手紙の形式をとる詞だけに、演じられる言葉の息づかいがとてもリアルで迫るものがある。メロディに支えられなくとも成立するバルバラの世界をタローは見せたかったのかもしれない。

そして、インストゥルメンタル。バルバラといえばあれ、と名前があがる歌をあえてノー・ヴォーカルとする選択をしたタローは、ピアニストとしてできる全てを使ってバルバラの作った音楽を奏でている。多くがクラリネットやアコーディオンに主旋律を任せたアンサンブルで彼の参加は歌伴的なものになるのだけれど、一音一音がとても美しい。これしかないという気迫で自在に鳴らされる迷いのない音色を聞くと、ピアニストとして歩んできた彼自身の20年の重みを思わずにはいられない。奥底にずっと沈めていた想いを解き放ったかのように、彼はピアノで歌っている。待った甲斐があったのではないか。このアルバムは、20年の時を経てようやく書き上げることができたLove Letterなのかもしれない。

収録曲のうちYoutubeで聴けるもので、とりわけ印象深い2曲を選んでみた。一つはバルバラが亡くなったときはまだ子供だった世代のシンガー、カメリア・ジョルダナの歌うお別れの歌、「9月」。ジャズっぽい歌にぴったりはまるビロードのハスキーヴォイスが耳元で囁く甘い吐息のように歌うこの曲は、びっくりするほどかわいらしくてセクシーだ。音数を絞ったタローのピアノとしっくりと絡み合い、インティメイトな温もりが心地よい。こういうバルバラは想像できなかった。



ヴァネッサ・パラディがバルバラを歌えるのか、あの声はチャーミングだけれどミスマッチではないのかと正直不安だったのだけれど、彼女の自然にロックする感性が歌のほこりを払い、蘇らせてくれた。こんなに鮮やかに展開するメロディでしたが、と、どきどきしてしまう。もっといろいろな人に歌われるべき。シャンソンの中に閉じ込めておいてはもったいない。メロディメイカー、バルバラを改めて意識した。




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2016年03月03日

En Chantant 新星ルアンヌ・エメラの「歌い直し」

夢見るルアンヌフランスで旋風を巻き起こしている歌手がいます。ルアンヌ・エメラ。18才、天涯孤独の身の上。笑顔がチャーミングな、健康的な Girl Next Door。テレビの勝ち抜きオーディション番組でセミファイナリストになった時に見いだされ、演技経験はゼロながら映画 ”La Famille Bélier” に出演。耳の不自由な家族の中ただ一人健常者である歌手志望の娘を熱演し、映画は大ヒット、彼女自身もセザール賞の新人賞を獲得。満を持して発表したファースト・アルバムもフランス国内チャートで1位を獲得、と、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いのニュー・スターなのです。

Chambre 12 強い、のびやかな声の持ち主で、タワレコのフランス・コーナーに並んでいる作品群の歌声とは一線を画しています。ファースト・アルバムに納められている曲も、アメリカやUKのチャート上位にいるガール・ポップと「違い」を感じません。コトバがフランス語なだけで、こだわりの洋楽派でなければ抵抗なく受け入れてしまいそう。「Made in France」というラベルなしでも、世界のあちこちでエアプレイされる可能性を持つ歌声が、国内からひょっこりでてきたということもウケている理由かもしれません。

しかしここまでの熱狂をルアンヌ嬢が引き起こしたのは、ホコリにまみれていた往年のフランス産ポップスをカバーしたことにあるようです。出演した映画では70年代フランスで一世を風靡した歌手、ミシェル・サルドゥのヒット曲がいくつも使われていて、ルアンヌもピアノ伴奏のみといった簡素なセットで歌っています。歌詞が映画のストーリーと呼応して感動を呼ぶところもあるのだけれど、この「歌い直し」がとても新鮮だったのです。

例えば、映画の主題歌ともいえる”Je Vole”。センチなメロディーがあの当時の男性歌手にありがちな堂々とした調子で歌われ、「語り」が半分ぐらいを占めるという、いかにもフランスなドラマチックな仕立てなのがオリジナル。

ルアンヌはオリジナルの大げさなな部分を削ぎ落とし、大スターへのリスペクトうんぬんもどこかに置いて、自分の声いっぽんだけで向き合いました。曇りのない声質を最大限に活かし自分らしく素直に歌って、説得力のある歌に生まれ変わらせたのです。ルアンヌの歌のおかげで、フランスは、サルドゥに代表される良くも悪くもこの国らしいポップ・ミュージックを様々な形で楽しんでいるようです。華やかなりし頃をリアルタイムで経験した人々は今の歌い手の解釈の違いや、蘇った歌そのものにときめいている。懐メロとしてしかサルドゥをしらない世代は、今まで経験したことのないフランス産のメロディーとの出会いを楽しんでいる…。

個人的には、ルアンヌの歌い方が今のフランスを写しているようで興味深い。小さい頃からR&B主体のアメリカのヒットチャートの音楽があってビヨンセがアイドル、な普通のフレンチ・ユースのリアルな姿が見えるのです。湿り気を嫌うヒップホップを浴びて育った世代から、甘さはあっても泣き濡れていたりしない新しいフランスのポップ・ミュージックが生まれてくるように思います―好き嫌いは別にして。
 日本のフレンチ党のみなさんはどんな印象をもつのでしょう?サルドゥ氏、歌の題材のチョイスでしばしば物議をかもし左岸派びいきからは眉をしかめられる存在だそうですが。

聴いてみたい方はこちらからどうぞ。
https://youtu.be/McF-ZsJi9Qo

ミシェル・サルドゥ―のオリジナルはこちら。
https://youtu.be/y9vrFrtbzLs

映画で使われているサルドゥの曲をもうひとつ。アメリカの人気ドラマ『glee』ではありませんが、オリジナルが放っている時代や背景といった臭気をとっぱらって素直な歌声で歌を蘇らせるという試みが、上手くいっていると思います。ルアンヌのフランス語の息づかいがリアル。
https://youtu.be/-er9ZsnXYkk

オリジナルはこちら。むむむ…
https://youtu.be/2Bv1S2wKxlE

サルドゥの代表曲 ”La Maladie d’amour” は若い頃の沢田研二が全く違う内容の日本語詞を付けてカバーしてます(『愛の出帆』)。こちらは、本家よりおすすめ。

ちなみに映画 ”La Famille Bélier” は、『エール!』という邦題で全国の映画館で封切られるようです。(先月開催されたフランス映画祭2015のオープニングを飾り、観客賞を受賞しました!)


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2014年04月05日

バルバラ 『一台の黒いピアノ…』

成功した歌手のメモワールに読者が期待するものは何だろう?あのヒット曲の製作裏話?スターへの階段を駆け上がる、高揚感に満ちたサクセス・ストーリー、それとも華麗なる交遊秘話?自作自演の孤高のシャンソン歌手として知られるバルバラが残した未完のメモワールに、そんな楽しげなトーンはない。代表曲にまつわる挿話、恋人との甘い記憶、スタッフと旅をして暮らす歌手としての生活など興味深い話はあるけれども、本の印象を左右するほどの強さはない。

一台の黒いピアノ…じゃあこの本が退屈なのかというと、違うのだ。ようやく成功の扉に手をかけようとしたころまでの、バルバラの半生が実におもしろい。舞台で弾き語る時の静謐さとパッションが同居するスタイルそのままに、歌うように囁くように彼女が語るのは、さまざまななものを抱え、あてもなくさまよう痩せっぽちの若い娘についての物語−。 

ロシアの血を引くユダヤ人としてナチスから逃れるためドイツ占領下のフランスを転々とし、両親、特に父との関係に苦しみ複雑な少女時代を送ったバルバラは、15歳で学校に通うのを止め、「歌う女」になる道を選ぶ。歌が上手と言われて育ったわけでもなく、歌手になるためのつてもない。支え励ましてくれるはずの家族はとうに壊れている。せめて、いつかきっと舞台で喝采を浴びるのだという自信でもあればいいのだが、それすらおぼつかない―しかし彼女は歌うことをやめなかった。どうすればまともな歌手として食べて行けるのか、もがく日々が続く。

歌う場所を求めてベルギーへ行くも、歌の仕事はおろか宿すらなくて、冬のブリュッセルの街路に立ちつくしたこともある(レンズが壊れた眼鏡をかけ、夜の街の女達にからかわれながら)。キャバレーの厨房で歌う機会が巡ってくるのを待ちながら、客のグラスをひたすら洗ったこともある。大都会の片隅で夢を追うぶざまな若者の物語ともいえる。しかし、そうしたよくある若者の青春譚と、バルバラの物語は違っている。これといった甘酸っぱい思い出話が出てこないのだ。ベルギー時代には志を持つ仲間と活動を共にしたり、短い結婚生活もあったりと、けして一匹狼だったわけでないのに。それは彼女の抱える覚悟の重さのせいだろうか。不安定な状況に振り回されても、いちいち傷ついているゆとりなんてない。私には歌しかない。自身の深奥にある闇とともにがむしゃらに歩く若きバルバラの姿に彼女の歌が重なり、揺さぶられる。

ベルギーでの生活をあきらめ、フランスへ戻ろうと歩いて国境を目指した時のエピソードはとりわけ心に胸をうつ。身分証明書は置いてきてしまった。財産と言えば履いているぶかぶかのブーツぐらいで、文字通りの文無し。ヒッチハイクする気もなく、ひたすら歩くバルバラ。緑豊かな田舎道をひとりぼっちで行く彼女はクライスラーに乗ったある人と出会い、フランスへの道中を共にする。後年「ムッシュ・ヴィクトール」という歌になったこの邂逅を読むためだけでも、本を手に取る価値があると思う。(この頃彼女の身に起きた出来事は、やがて歌に結実し、歌手バルバラを彩る大事なレパートリーになった。)

苦難の日々の回想に突然挟み込まれる晩年のパルバラの日常も、このメモワールをより魅力的なものにしている。ずっとふくよかになり、郊外の家で一人花を育て、あらゆる糸を使って編み物をし、スパイスの効いた煮込み料理を作る、静かな日々。ぎりぎりの毎日を生きてきたバルバラが辿りついたおだやかさ、豊かさに、思わず口元がほころぶ。

父より性的虐待を受けていたことがほのめかされていることもあり、翻訳者のあとがきもその点からこの本を読み解く試みがなされている。けれど、それだけで括ってしまうのはどうだろう。ここにあるのは、サバイバーのメモワールではなく、歌う事を運命づけられた一人の女性の彷徨の記録だ。、

この本を元に映画が作られないものかと夢想してしまう。デリケートな問題を孕むこととなりとても難しいだろうけれど、いわゆるバイオピクチャーでなく、バルバラの人生をモデルとした架空の物語としたって十分映画は成り立つはず。歌手として独り立ちして、自分の言葉で歌を作り始める頃までだけでいい。映画のスクリーンで見たいのである。ある晴れた日に、フランス国境を目指して歩くぶかぶかのブーツをはいた若い娘の姿を。フランス映画ならではの素晴らしいシーンになると思うのだが。



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2013年09月15日

RECTO VERSO / ZAZザーズ

ザーズの2枚目のオリジナルアルバム。やっと出ましたね。タイトルの Recto Verso (レクト・ヴェルソ)は一枚の紙の表と裏の意。「見せかけの私と本当の私」というところか。

爆発的に売れたデビューアルバムから3年。制作に当たっては相当なプレッシャーがあったはずだ。方向性について悩むところも大きかったのではないかと思う。

Recto Verso(世界展開などをにらみ)前作よりはもっと普通のポップス寄りの作品になるのではないかと予想していた(また、そうなったらイヤだなーと個人的には思っていた)のだが、聞いてみると「マヌーシュ・ジャズ+シャンソン」に重心を置いた相変わらずの音楽性である。予想が外れてよかった。この人の元気でハスキーな声にはやはりこの手の音楽が一番よく似合う。この系統の曲では2曲目の Comme ci,comme ça が一番いい。"Je suis comme ci / Et ça me va / Vous ne me changerez pas"(わたしはこんなふう/これがお似合い/私を変えようったってダメ)というルフランが印象的な「自分宣言」の歌である。また、シャルル・アズナヴール Charles Aznavourの Oublie Loulou のカバーもすばらしい。心から楽しんでやっていることがよく分かるし、恐ろしいほどの歌唱力にも舌を巻く。

マヌーシュ・ジャズ方面以外ではジャン=ジャック・ゴールドマン Jean-JacquesGoldman 作の Si が傑作だ(ゴールドマンはこの曲のプロデュースも担当。ちなみにこの曲、彼自身の昔の名作 Nos mains に歌詞や音楽のコンセプトがちょっと似ている。使い回し? それともセルフアンサーソング?)。ピアノを中心とした最小限の伴奏をバックに、ザーズの絶唱が冴え渡る。前作の Éblouie Par La Nuit が好きな人ならきっと気に入るだろう。というか、この新旧の2曲を並べて聞けば、この3年間の彼女の歌手としての成長も如実に分かる。また、ウルス Ours 作の Nous debout、ミカエル・フュルノン Mickaël Furnon 作の Gamine の2曲は、前作には見られなかったギターポップ風の軽快な曲で、比較的重い雰囲気の曲が続くアルバムのなかでとても楽しいアクセントになっている。

いいアルバムだと思う。

2010年、デビューアルバムが大ヒットし、瞬く間にトップスターになったザーズ。だが成功について回る苦労は相当なものだったようだ。世界中を回るコンサートツアー。信じられないほどの過密スケジュール(ベッドからどうしても起き上がれず公演をキャンセルしたこともあったらしい)。ひっきりなしに浴びせられるさまざまな批判(「お金じゃ幸せは得られない」と歌うデビュー曲 Je veux にひっかけての商業的成功への揶揄、あるいは音楽とは無関係の服装や髪型に関する中傷など)...。当時を振り返り本人は「どん底」の「burn-out(燃え尽き症候群)」状態だったと告白している。
(参照したインタビュー: http://www.chartsinfrance.net/ZAZ/news-85364.html

そんな彼女が何とか苦しい時期を乗り越え、本来の自分を取り戻し(je suis comme ci,et ça me va!)、新しい音楽を聴かせてくれることは本当に喜ばしいことだと思う。

◆フランス盤は2種類あるが、限定盤の方が3曲多く、レコーディング風景やインタビューが収録されたDVD(PAL)が付いている。どうせならこちらをどうぞ。

On ira(ファーストシングルのPV)

Si (ライブ)

Love Songs: Limited Bonus Track Edition◆ついでにひとこと。Zaz のアルバムと同日に発売されたヴァネッサ・パラディ Vanessa Paradis の Love Songs (制作はバンジャマン・ビオレBenjamin Biolay が担当)も聞いてみたが、こちらはどうもさえない印象。なかにはいい曲もあるのだが、全体的には80点くらいの変わりばえのしない曲が延々と並んでいるといった感じ。2枚組にした意味が分からないし、正直いって最後まで聴くのはつらかった。ウェルメイドではあるがありきたりのヴァリエテ・アルバム。レニー・クラヴィッツや -M-(Matthieu Chedid)が手がけた作品群に比べるとどうしても見劣りがする。ちょっと残念。


MANCHOT AUBERGINE(初出2013年5月21日)

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2013年07月10日

燃えるレッド ―― Rouge ardent / Axelle Red

アクセル・レッド Axelle Red はフランス語で歌うベルギー人歌手。1968年ハッセルト(オランダ語圏)生まれ。両親の母語はフランス語だが、彼女はまずオランダ語を身につけ(両親が家でフランス語を話すのはケンカの時だけだったそうだ)、のちにテレビ放映された映画(『アンジェリク』シリーズなど)を見てフランス語を習得したという。1993年に出たファーストアルバムがベルギー国内はもとよりフランス、スイスでも大ヒットし、仏語圏ヨーロッパで広く知られる人気歌手となる。その後も少女時代より親しんできたソウルを基調とした音楽性を一貫して追求し、数年に一度のペースでアルバムを発表し続けている。また、ユニセフ親善大使として活動したり、ライヴ8フランスのスポークスパーソンを務めたり、様々な社会問題(麻薬、ドメスティックバイオレンス...)を自作曲で取り上げるなど、chanteuse engagée (社会派歌手)の側面も持つ。2003年のルノー Renaud とのデュエット Manhattan-Kaboul (マンハッタン・カブール。9.11同時多発テロを題材にした反戦ソング)の大ヒットも記憶に新しい。

Rouge Ardent彼女の最初の2枚のアルバム(Sans plus attendre(1993), À Tâtons(1996))は、ほんとうによかった。60年代モータウン/スタックスの匂いのぷんぷんする、好きな音楽をやることの喜びにあふれた素敵なソウルアルバムだった。だが、最初にいいものを作ってしまうとあとが大変だ。ファンの期待も限りなく大きくなる。その後の作品群も決して悪くはないのだが(名曲も数多くある)、とくに今世紀に入ってからは――取り上げるテーマのきまじめさも手伝ってか――少々地味で、内省的で、迷いの感じられるアルバムが続くことになる。前作の Un coeur comme le mien(2011) も、それまでの音楽性を一新し、ギター中心のロックサウンドに乗せて女性が直面する様々な問題を語る野心作だったが、残念ながら音楽の水準はまあ平均点という程度だった。

前置きが長くなった。そんな彼女の最新作 Rouge Ardent (燃えるような赤)が2013年3月に出た。フランスでのチャートアクションは地味だが、ベルギーでは1位を獲得、すでに大ヒットを記録している。あまり期待をしないようにしておそるおそる聴いたのだが、これがとってもいいのである。1曲目の Amour profond (深い愛)の軽快なイントロを耳にした瞬間、ああ、アクセル・レッドはやっぱりこれでなくちゃ、と思った。昔からのファンの積年のもやもや感を一掃するに足る、サザンソウル風の名曲だ。この一曲を聴けただけでも本作には十分価値がある。また、深い悲しみを抑制した調子で歌い流した Sur la route sablée, アルバート・ハモンド Albert Hammond との久しぶりの共作 Ce cœur en or も良い感じ。軽快なギターポップ De Mieux en mieux (前作でも組んだ Stéphan Eicher ステファン・エシェールおよび Christophe Miossec クリストフ・ミオセックとの共作曲)のほとんど破れかぶれの明るさも捨てがたい。歌詞の社会性はうんと後退したが、音楽的には90年代の若々しいアクセル・レッドが帰ってきてくれた感じでじつに喜ばしい。長く聴き続けるアルバムになりそうだ。

◆Amour profondのスタジオライブ(アルバムの演奏の方が歌もアレンジも数段良いですが) http://youtu.be/RJsrmQbtp5I

◆ 初期の名曲をふたつ紹介。
Kennedy Boulevard(1990) http://youtu.be/U06Nb93Y7ro
Sensualité(1993) http://youtu.be/A6xVVXoR9j4


MANCHOT AUBERGINE

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2013年06月07日

ブルターニュの歌姫、ノルウェン・ルロワ Nolwenn Leroy

France2(ニュース番組)に特別ゲストとしてブルターニュ出身の歌手、ノルウェン・ルロワ Nolwenn Leroy が出演していた。最新アルバム ”O Filles de l'Eau” (水の娘たち)のシングル ‘Juste pour me souvenir’ (sortie le 26 Novembre 2012)のプロモーションのためだが、この歌が描き出す光景は、ブルターニュと同じように北の海に面する日本の東北地方と重なる。



彼女は最近「フランス人に愛されるフランス人」ランキングで24位に初登場した(前後を見ると、21位ジョニー・アリデー、25位アラン・ドロンがいる)。やはり彼女のブルターニュ色が受けているようで、幅広い全世代に人気がある。男たちは荒れ狂う海に漕ぎ出し、女たちはその帰りを待ち続ける。独特の哀愁が漂い、こぶしがきいていて、まるで演歌のようだ。ブルターニュの政治的、文化的な復興のために闘う音楽家、アラン・スティヴェル Alan Stivell とも共演していることも注目すべきだろう。文化人類学者の赤坂憲雄さんが新聞の対談で「三陸の村々で津波から数か月後に民族芸能が復興し、祭りや芸能を媒介に生き直そうという人々が増えている」と言っていたが、そういう音楽の力を思い出さずにはいられない。国民的アイドルなのに、税金対策のために縁もゆかりもない国に行くジェラール・ドパルデューと対極的ではないか。もっともグローバル化は反動的なベクトルとして地方文化の再発見や回帰を促すとしても、それらは多くの場合、イメージや趣味の問題にとどまるのではあるけれど。

O Filles De L'eauBretonneCrises

彼女はフランスのルーツの一部を担う一方で、ロータリーで米国留学の経験もあり、英語もペラペラ。歌手として失敗した場合も考えて、国連やNGOで働けるように英米の法律を学んだハイスペックぶりだ。彼女は3月に米国ツアーを行い、グローバルなマーケットにも打って出るようだ。

これまでの最大のヒットアルバムは2010年に出た4枚目の ”Bretonne” (ブルトンヌ)。100万枚売れた。彼女はブルトン語やゲール語でも歌い、バグパイプなど、ケルト系の楽器も音色を添える。1983年にヨーロッパで大ヒットしたマイク・オールドフィールドのヒット曲「ムーンライト・シャドウ Moonlight Shadow」(1983年)もカバーしていて、80年代世代やプログレファンの心もわしづかみにする。。


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2013年02月08日

'Démons et Melveilles' Cora Vaucaire

朝開いた新聞にコラ・ヴォケールの名前があった。シャンソンの世界の往年の名花。享年83才。誰もが知っているわけではないけれど、その歌声を一度でも聞いたことのある人には、忘れられない存在でした。ピアフ的と呼ばれる歌手はこれからもでてくるだろうけれど、コラ・ヴォケールのようと讃えられる歌い手は現れるでしょうか。

ピアフの歌がフランスのアーシーなソウル・ミュージックだとするならば、コラの歌はカーメン・マクレエといった一流どころのジャズシンガーが歌うトーチソングを思わせます。声を張り上げない、繊細で完璧なヴォーカル・コントロール。磨き上げられた言葉の表現。かといって、居ずまいを正さなきゃ、という堅苦しさはない。シンプルな伴奏とともに彼女が一曲ごとに作り出す小さな世界には、静かに耳を傾けたくなる魅力がありました。こちらから歩み寄って、息をひそめて向き合いたい音楽もあるのです。

YouTubeでひさかた振りに彼女の歌を聞いて発見したのは、ある種のきびしさでした。感情に溺れず、メロディにもたれかからず、歌手としての「私」より彼女が感じ入った歌の魅力を前に出そうとする姿は、禁欲的ですらあります。(レコードジャケットで見る彼女は、やわらかい不思議なコケットの持ち主なのですが。)

今やシャンソンであったことすら忘れられている感のある『枯葉』(彼女が世に送り出した歌だ)を聞いてみると、よくわかります。あの強いメロディのおかげで誰が歌ってもそれなりのムードに持っていけるのだけれど、彼女の歌には聞き手をセンチにするようなところはみじんもありません。あるのは、コラ・ヴォケールという個性が、プレヴェール=コスマの作った歌に出会って生まれたもの。それだけなのです。

訃報の後は関連動画のカウンターが跳ね上がり書き込みも増えるものだけれど、数もコメントもさしたる変化はなく寂しい限り。フランス本国でもold-fashionな存在として忘れられようとしているのでしょうか。まっさらな耳にこそ聞いて欲しい。

マルセル・カルネの映画『悪魔が夜来る』の主題歌として知られているこの曲を選んでみました。聴いてみたい方はこちらでどうぞ。

http://youtu.be/TD-wH04uA5w

プレヴェールの詩を、コラが朗読しています。フランス語の響きがこれほどきれいなものとは!日本語の対訳をみながら聞くといっそう胸にせまります。



GOYAAKOD(初出2010年10月2日)

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2013年01月18日

Iggy Pop “La Javanais”

OPRES9月になると個人的に聴きたくなるのが、この曲。暑さが和らいだ屋外で、サンドレス姿の妙齢の女と男が踊っているイメージが浮かんでしようがないのです。

誰にでも歌える曲ではない(女子はダメ、甘い顔の坊やがクルーナー気取りで歌うのは論外)のでいつもオリジナルに手が伸びてましたが、今回は意外なおひとがカヴァーしてくれたので、そちらをご紹介したく。

そのひととはイギー・ポップ(おお)。全身これロック、生きるロック・アイコンとして知られる彼ですが、ここ数年フランスのポピュラー音楽にはまっているらしく、最新アルバムでは前作に続きシャンソン・クラシックスをどうどうフランス語で歌ってます。所属レーベル、ヴァージン EMI はリリースを拒否、自主制作盤として世に出ることとなったものの、音楽としては「イギー=ハードなロック」のバイアスをはずして聴けばしごくまっとうな出来。「ハイティーンの頃にはラヴェルやドビュッシーをよく聴いてたんだ。」というイギー。もともとフランスの音楽に関心があったということだけれど、60歳を超えて挑戦してしまうとは!

しかし、意外にも、イギー・ポップ meets フレンチポップスの試みは成功しています。本人に気負いがないのもいいし、いろいろあった歳月がにじみでた声の渋さがメロディーの甘さと絡まって、ビタースウィートな仕上がり。ギターが小気味良いアレンジもさることながら、惚れ込んだ曲を歌うイギーの喜びが伝わってきて、聞き慣れた曲なのに新鮮な気持になれます。

試してみたい方はこちらでどうそ。
http:/youtu.be/_QxCyJIpgec

同じアルバムでは Joe Dassin のこれぞフレンチポップス!な曲 'Et si tu n'existais pas' もカバー。オリジナルと違いロリータ声も加わってこちらもなかなかイけます。


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2012年01月19日

Nouvelle Vague = New Wave + Bossa Nova

Youtube で音楽サーフィンをやっていると、ときどき思いがけないものに出会う。Nouvelle Vague もそのひとつだ。とりわけ、Joy Division / Love Will Tear Us Apart やエコバニの The killing Moon のボサノバ・カバーの新鮮さに絶句した。目下のお気に入りは、The Lords Of The New Church / Dance With Me のカバー。原曲は80年代初めの、今聴くと微笑ましいくらいベタなニューウェーブだが、メラニー・パン Mélanie Pain のキュートなボーカルがメロディの良さを引き立たせる。同時に ’Show me secret sins ♪ Love can be like bondage ♪ ’ なんて80年代独特の歌詞のトンガリ具合とのミスマッチも面白い。

Bande A PartNouvelle Vague

「ヌヴェル・ヴァーグ」はフランスのマルチな楽器奏者でありプロデューサーの、マーク・コリンズ Marc Collin とオリビエ・リボー Olivier Libaux が率いるフレンチ・エレクトロニカのプロジェクト。その名は英語で「ニューウェーブ New Wave 」、ポルトガル語では「ボサノヴァ bossa nova 」になる。ジャンリュック・ゴダールに象徴される60年代の「ヌヴェル・ヴァーグ」のフランスらしさと芸術性、そして彼らがカバーしている70年代半ばから80年代の初めにかけてのパンクやポストパンク、あるいは「ニューウェーブ」のイギリス的陰鬱さと美意識、そして曲に施されている60年代ブラジルの「ボサノバ」スタイルの軽やかなアレンジ。これらの相反する3つの軸が見事に共振している。

このプロジェクトには多くのフランスのアーティストたちが参加している。その一部は"Renouveau de la chanson Française"(フランスのシャンソンの復活)と呼ばれているらしい。例えば2010年に出たアルバムには、マレーヴァ・ガランテール Mareva Galanter、カミーユ・ダルメ Camille Dalmais、先のメラニー・パンなどが参加している。

「ヌヴェル・ヴァーグ」は2004年から始動しているが、すでに関連アルバムは10枚近く出ている。これまでアルバムが世界で8万枚売れ、コンサートの多くはソールドアウト。バリバリの80年世代ならアルバムの曲のリストを見ているだけでも楽しめるだろう。オシャレかつ洗練された深みを持つ曲ばかりが揃う。ヨーロッパでCMや映画やドラマの挿入曲としてひっぱりだこなのもうなづける。中でもニューウェーブの金字塔とも言える Bauhaus / Bela Lugosi's Dead のカバー(この曲に関してはゴシック色が残っている)が2007年の映画『エルビスとアナベル』の始まりに使われた。

★聞き比べ
■Dance with me http://youtu.be/vH7jMgRt6CU
□Dance with me http://youtu.be/06CYw1isT2Y
■The Killing Moon http://youtu.be/5ywiPKmheec
□The Killing Moon http://youtu.be/aX1PwkgwsG0
■Love Will Tear Us Apart http://www.youtu.be/8oWO7Om17v0
□Love Will Tear Us Apart http://www.youtu.be/qHYOXyy1ToI



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2010年09月17日

「ジャジーなハスキーヴォイス求む」――ZAZ(ザーズ)

Zaz CDジャケットだけを見て、てっきり「お子様ラップ」か「お子様R&B」のどちらかだろうと思って無視していたが、聴いてみると思っていた音楽とはまったくちがっていた。たまたまyoutubeでJe veux(「ほしい」)のヴィデオクリップを見たのだが、「シャンソン + マヌーシュ・ジャズ」といった感じの名曲で、ハスキーな声の魅力と、スウィング感あふれる圧倒的な歌唱力に快い驚きを感じた。

 今年(2010年)5月に出たファーストアルバムが発売一ヶ月ほどでフランス国内チャートのトップに上りつめ、一躍時の人となったザーズZAZ(本名イザベル・ジェフロワIsabelle Geffroy)。ジャケットの写真はずいぶん子どもっぽく見えるが、1980年生まれの30歳(トゥール出身)。20歳の頃から音楽活動をしていたというから、芽が出るまでにはけっこう時間がかかっている。この間、歌う機会さえあれば世界中のどこへでも出かけていって、歌っていたらしい(カナダ、モロッコ、コロンビア、エジプト、シベリア、はたまた日本まで)。パワフルな人である。2006年以降は本拠をパリに置き、おもにキャバレーやモンマルトルの路上(!)で活動を続けていた。2007年、音楽プロデューサ&ソングライターのKerredine Soltani(ケルディヌ・ソルタニ?)が出した「ジャジーでハスキーな声の新人女性アーティスト求む」という広告に応募したことがきっかけで、彼が主催するPlay Onレーベルからファーストアルバムを出すことになる。

 このファーストアルバム、とてもいいですよ。元気だし、とにかくうまいし、でもそのうまさがイヤミに感じられるところまでは行かず、ほどよい具合に雑だし。いろんなタイプの曲が入っているが、一番良いのはやはりマヌーシュ(ジプシー)・ジャズ風の何曲か(Les passants, Je veux, Prends garde à ta langue, Ni oui Ni non...)。あと、エディット・ピアフの名曲のカヴァーDans ma rueも出色の出来(個人的にはピアフよりいいと思う)。フォーク調の曲とか、ロックンロールとか他にもいろんなタイプの曲が入っているが、あまりいろんな方向に色目を使わず、ジャズ一本でど〜んと構えて活動した方が良いように思う。あと、彼女の歌を聴く人のほとんどはピアフを思い出すだろうし、本人も意識していないはずはないが、いずれひとりのアーティストとしてピアフの呪縛から自らを解き放たなければならない日が来るだろう。それがうまくいくかどうかが少々心配だ。



◆ZAZのプロフィルについては
http://fr.wikipedia.org/wiki/ZAZ_(chanteuse)
http://www.idolesmag.com/interview-34-Zaz.html
を参考にした。




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2010年07月21日

「無重力状態」――EN APESANTEUR(2002) / Calogero

Calogero 90年代に三人組のバンド、レ・チャーツLes Chartsを率いて活動していたカロジェロCalogero(本名Calogero Maurici、1971年生、グルノーブル近郊の出身)は、1998年のバンド解散後、ソロ活動を開始。セカンドアルバム(CALOGERO,2002)とサードアルバム(calog3ro,2004)のビッグヒットがきっかけとなり、ロック系ヴァリエテ歌手として不動の地位を築く。


 EN APESANTEUR([アナプザントゥール]。「無重力状態」の意)は、セカンドアルバムからシングルカットされてヒットした曲。メロディも声もサウンドもいいが、むしろ特筆したいのはヴィデオクリップのバカバカしいおもしろさ。閉じかけたエレベーターの扉から滑り込む怪しげな目つきの男。先客は妙齢の女性ひとり(女優メラニ・ドゥテーMélanie Doutey)。彼女に一目惚れした男の妄想は限りなく暴走し...という、ほんとうにどうでもいい内容の歌詞、映像だが、カロジェロのマヌケな表情がなかなかいいし、エレベーター内のあちらこちらの装飾もよく見ると???という感じで、全体的にいかがわしさにあふれた怪作クリップとなっている。何度見ても吹き出してしまう。このオバカクリップでの迷演技が功を奏したのかどうかはわからないが、セカンドアルバムは超ロングセラーを記録、彼は大スターへの道を歩んでいく。


calogero1.jpg だが、セカンドアルバム以降の彼の音楽を、私はじつはあまり評価していない。個々の曲の出来の問題ももちろんあるのだが、どのアルバムも全体を通して聴くと、似たようなマイナー調で重厚なタイプの曲ばかりがならび、どうも単調で重苦しい感じがして退屈してしまうのだ。彼の作品のなかでは、むしろあまり売れなかったファーストアルバムAU MILIEU DES AUTRES (1999)が一番好きである。人気・実力の両面で当時ひとつのピークを迎えていたパスカル・オビスポPascal Obispoをプロデューサーに迎えて制作されたこのアルバムは、幅広い曲調の名曲の数々――DE CENDRES ET DE TERRE, UN MONDE EN EQUILIBRE, LE SECRETなど――、ストリングスをはじめとするアレンジの切れのよい美しさ、カロジェロのヴォーカリストとしての卓越した力量が相乗効果を上げ、ヴァラエティに富んだスケールの大きい傑作になっていると思う。どうしてこの路線を続けなかったのかな。まあ結果的には売れたわけだから、セカンド以降の短調&重厚路線の強化策は間違っていなかったということだろうが。


Hannibal レ・チャーツ時代にも名曲は数多くある。HANNIBAL(1994)というアルバムに入っているTOUT EST POUR TOIとかLES MOUSTIQUESなんかを一度聴いてもらいたい。彼のメロディメーカーとしてのずば抜けた――そして残念ながら最近はちょっと影を潜めている――才能がわかるはずだ。



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2010年05月18日

“Dis quand reviandras-tu?”(いつ帰ってくるの)

Dis Quand Reviandras-Tu?フランスの自作自演の歌手、バルバラの曲を選んでみました。シャンソンというジャンルに分類される歌手ですが、時に甘く遊蕩の雰囲気すら漂わせる楽曲がシャンソンの陽の面とすれば、バルバラは影の面を代表する人。かのゲンズブールも初期の作品はシンプルな音で硬質な感じを漂わせていましたが、バルバラの作品もああいう感じと思って頂ければわかりやすいかもしれません。しかし、彼女のほうがよりストイックであり、クラシカルな訓練を積んだ静謐でよく伝わる声とほどよく乾いた叙情性をたたえたメロディの組み合わせは、ちょっと古楽を思わせるところもあります。春を待つ季節を過ぎ秋になっても戻ってこない不在の相手に向かって、一心によびかけるバルバラの歌は、祈りにもにた感じがします。

さて、この曲がまだ公開中のフランス映画『ずっとあなたを愛してる』(“Il y a longtemps que je t’aime”)のエンドロールに使われています。ただしオリジナルではなく、カバーヴァージョン。フランスのベテランロッカー、Jean-Louis Aubertの弾き語りです。本人も認める通り「歌の人」ではなく、とつとつと歌っているのですが、オリジナルの張りつめた感じとは違い、薄ぼんやりとした日差しのような暖かさがあります。

映画は、ある事件をきっかけに生きなが自らを葬ることにした中年女性が、長い刑期の後、少しづつ「生」の世界へ戻ってゆく様を描いていますが、カバーヴァージョンのぎこちない暖かさが主人公と彼女を囲む人々との手探りの人間関係と妙に響き合って、しっくりときます。できれば映画館で、ぜひ聞き比べてみてください。

Dis quand reviendras tu ?
Dis au moins le sais tu ?
que tout le temps qui passe
ne se rattrappe guère
que tout le temps perdu

バルバラの歌を聴きたい方はこちらをどうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=nUE80DTNxK4

歌詞を知りたい方は、英語の字幕があるバージョンを。
http://www.youtube.com/watch?v=6Llpdzx4dSU

映画で使われていた、Jean-Louis Aubertの歌はこちらで聴けます。
http://www.youtube.com/watch?v=wwcZrdwQvcw





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2010年05月11日

「アコースティックパワーポップ」LP――Le premier clair de l'aube /

Le Premier Clair De Laube待望久しいテテTétéのニューアルバムLe premier clair de l'aube(タイトルは「夜明けの最初の明るみ」の意。4枚目のオリジナルアルバム)。

一聴してすぐに気づくのは、ギターの音色と歌声の変化。ギターは以前よりもずいぶん硬質に響き、声も、意識して音域を下げた感じで、これまでのアルバムに特徴的だったふわふわしたファルセットがほぼ姿を消している。前作(Le sacre des Lemmings(2006))で目立ったストリングスや管楽器も影をひそめ、全体的にシンプルでタイトなサウンドになっている。フォークやブルースを基調にした音楽性自体はあいかわらず。ただ、マイナー調のメロディに乗せてしっとりと歌い上げる、これまでのお得意パターンの曲は今回見あたらない。

リーフレット(私が入手したのは限定版仏盤)にはテテ自身による長文の自作解説(英文)が載っている。それによると彼は、これまでの3枚のアルバムは「オーバープロデュース」気味で「クリーン」過ぎたと考えており、今回は従来の「フォークレコード」とは違う、分厚くてしかもシャープなギターを伴った「アコースティックパワーポップLP」を目指した、とのことである。また、punchy / earthy / dirty / energy and emotionといった言葉を本作のキーワードとして示している。何となくこのアルバムの雰囲気がわかってもらえるだろうか。さらに、本作制作に際し参考にした他人の曲をずらりとリストアップしている――ライトニン・ホプキンスからグリーン・デイ、ウィーザー、はたまたエミリー・ロワゾーまで多種多様――が、これも「ふ〜ん、なるほど」という感じでなかなかおもしろい。音楽家なら御託など並べず音だけで勝負したらいいという意見もあるだろうが、私はこういう説明好きなひとって好きだな。きっとまじめで律儀なヤツなんだと思う。

この変化をどう評価するか、聴くひとによって意見はさまざまだろうが、私は本アルバムを非常に気に入った。これまでの3枚はどれも好きだが、上で引用したテテ本人の不満と同じような不満を(とくに2枚目と3枚目にたいして)ときに感じてもいたので。個人的にはこれまでの最高傑作だと思う。アーティスティック・テテ、メランコリック・テテのファンの感想はまた違ったものになるかもしれぬが...。


■収録曲L'envie et le dédainのヴィデオクリップ。きりっとした名曲。

■日本盤もまもなく出るもよう。詳しくは発売元のブログを参照のこと。輸入盤を入手するのならジャケットがブック形式で、収録曲のデモ・ヴァージョンが5曲追加された「限定盤」のほうがいいと思う。アマゾン・ジャパンのカタログには輸入盤(仏盤?)が2種載っているが、どちらが限定盤かは不明。





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2010年02月05日

ミレーヌ・ファルメール Mylene Farmer - C'est dans l'air !

フレンチ・ポップス界の人気歌姫、ミレーヌ・ファルメール Mylene Farmer の最新ライヴ・アルバムがリリースされた(09年11月)。2009年6月にフランスで行なった壮大なスケールのステージの模様を収めたCD2枚組作品で、タイトルは‘No. 5 on Tour’。彼女はどのくらい人気があるのか。会場を埋め尽くす観客の熱狂を見ればそれを実感できるだろう。

MYLENE FARMER - C'EST DANS L'AIR

ミレーヌ・ファルメールの名前はときどき耳にしていた。80年代に似たような名前の歌手がいたなあと思っていたら、同一人物だと最近知ったのだった。ゴシックな要素が入っていたり、フランスのマドンナって感じのビデオクリップを見ても、80年代のときの印象とはかけ離れていたし、そんな昔から活躍していたような年齢には見えなかったから。1961年生まれというから、すでに熟女の域だ(マドンナだってそんな歳か)。もちろん、年齢なんて問題ではない。最近の方がアクが抜けて何だかラブリーな印象すら受ける。

Mylène Farmer 2009 06 14 Interview dans JT de France 2

ミレーヌ・ファルメールはカナダのケベック生まれ。フランス語圏だけでなく、ロシアや東欧でも人気が高く、売れたアルバムの総数は2500万枚を超えている。しかし、名誉な賞の授賞式にも出なかったりと、メディアの露出度は少なく、主としてコンサートとビデオクリップによって彼女の音楽の世界を作り上げている。1991年に狂信的なファンが彼女に会おうとして、レコード会社の受付係を銃殺した事件が起こり、それが彼女をメディアから遠ざけることになったようだ。それでもライブアルバムの音源となったコンサートの直後に France 2(6月14日)にインタビュー出演しており、彼女の魅力的な仕草を垣間見ることができる。



曲のタイトルが、 ’Dessine-moi un mouton’ や ’Beyond my control’などと文学作品を暗示していたり、ビデオクリップもどれも凝っていてクオリティが高い。VCはセクシャリティを強調したものも多いが、アルバム「Avant que l'ombre...」(影が迫り来る前に)からの5本目のビデオクリップ、「Peut-etre toi」(あなたかも、上の動画↑)は日本の「プロダクションI.G.」とのコラボによるアニメ作品だ。その制作には監督の楠美直子や作画監督の黄瀬和哉など『イノセンス』(押井守監督『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』の続編)のスタッフが集結することになった。


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2010年01月09日

ブリジット・フォンテーヌ 「私は再び攻撃に転じる!」

France Yahoo!のトップにいきなり、ブリジット・フォンテーヌ Brigitte Fontaine の姿が。すっかりおばあちゃんになっているが(今年で何と70歳!)、ラディカルな左翼魂は健在だ。ヤフーのタイトルにも“Je repasse à l'attaque”(私は再び攻撃に転じる)とあって、ちょっと目を疑った。インタビューで、反乱 rebellion とか言って拳を振り上げている。とにかく息が詰まりそうな現状で、今起こっていること、禁止されていることに反抗するのだと。かっこいい。こういう一貫した態度には勇気付けられますね。彼女も68年の申し子なのだと改めて実感。



アルバムのタイトルは Prohibition 禁止。不法滞在 sans papier もいけないし、アルコールも飲めないし、タバコを吸える場所もなしい、デモもやりにくくなっている。そのうち空気も吸えなくなるわ。呼吸をすることは地球温暖化に寄与してしまうから(笑)。とにかく、何でもかんでも禁止しやがって、という歌のようだ。

Prohibitionブリジット・フォンテーヌといえば1969年の傑作「ラジオのように comme à la radio 」(⇒試聴)が知られているが、アート・アンサンブル・オブ・シカゴとコラボした(もちろんアレスキも)アルバムは「ブリジットIII」とともにレコードが擦り切れるくらい聴いた。80年代の後半に来日したときも見に行った。名古屋のライブハウス Electric Lady Land だったと思う。歌いながら客席に降りてきたブリジッドと握手をした。あの手の冷たい感触は今でも覚えている。ツアーのメンバーにゴング Gong のディディエ・マレルブも参加していて、彼のサックスを生で聴けたのも嬉しかった。

その後、パリでも見る機会があったが、大学の講義室のようなホールで、モンチッチ頭でボンデージのボディスーツを着て歌っていた。彼女の女性性は普通とズレていて、関節を外すような独特のユーモアのセンスがある。昔から男の私からしてもストレートに感情移入させてくれない。インタビューの映像を見ても、少女のような格好をしたおばあちゃんが拳を振り上げている姿は何だか妙にかわいらしい。とはいえ、赤を基調にしたアルバムのヴィジュアルは鮮烈だし、声がしわがれつつ凄みを増していく感じが晩年の Nico を思わせる。


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2009年07月23日

「西」への視線――1800 désirs / Martin Rappeneau

1800 Desirs 当ブログで以前に紹介したマルタン・ラプノーMartin Rappeneauの3年ぶりの新作が出た。タイトルは1800désirs(1800の欲望)、彼にとっては3枚目のアルバムである。もともととてもいい曲を書く人だったが、今回のアルバムでも、タイトルチューンの"1800désirs"やシングルカットされた"Sans Armure"(よろいをぬいで)をはじめとして魅力的なメロディを持った名曲が並んでいる。サウンド面では、前作に比べファンキーでダンサブルな感じは弱まり、代わりにアコースティックギターが前面に出たフォーク色の強い作品になった。アルバム全体の雰囲気は以前よりうんと地味だが、そのぶん、ひとつひとつの音、一拍一拍のリズムにまで神経の行き届いた、落ち着いた雰囲気の作品に仕上がっている。

 プロデュースはラプノーとレジス・セカレリRégis Céccarelliが共同で担当。セカレリはもともとジャズ畑のドラマーだが,ヴァリエテ系のアーティストのアルバムにも多数参加、最近ではアブダル・マリックABD AL MALIK(進境いちじるしいフレンチ・ラッパー/スラマー)の近作GIBRALTAR(2006)、DANTE(2008)のドラマー兼プロデューサーとして優れた仕事を残している。ラプノーはGIBRALTARでのセカレリのプロデューサーとしての手腕を非常に高く評価しており、そのことが今回、共同作業を依頼するきっかけになったらしい。アブダル・マリックの上記二作ほど切れ味鋭いジャズ感覚はないものの、本作の随所で感じられる絶妙のグルーヴ感は、セカレリ(ドラムも担当)の存在に負うところが大きいと思う。

 アルバムの最後には"A l'Ouest"(西へ)という曲が置かれている。イーグルスのバラードを思わせる甘く切ないワルツで、歌詞は「パリで日々を生きてるぼくだけど、カリフォルニアの和音をひとつ聞くだけで、いつだってすぐに「西」にいけるよ」といった内容。聞いているほうが少々気恥ずかしくなるような、だが真摯で率直なアメリカのポピュラーミュージックへのオマージュソングである。この曲だけではなく、あるインタビューでの本人の発言によれば「70年代のフォーク、たとえばジェームス・テーラーやキャロル・キングなどのソングライター」をお手本にして制作されたというこのアルバム全体が、まっすぐに「西」を向いている。

 いわゆる「フレンチっぽさ」はあいかわらずほとんどないが、「ポップの職人」が作り上げた心にしみる名作。フランス音楽のマニアだけではなく、もっと幅広い音楽ファンに聞いてもらいたいアルバムだ。


■以前書いたラプノー関連のエントリー
「マルタン・ラプノー――「シャンソン」でも「フレンチ」でもない「グッドミュージック」」

■ラプノーのmyspaceのページ
上記"Sans Armure"を初めとする彼の曲がいくつか聴ける。



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2009年07月09日

アラン・バシュングの死を悼む

bleu petrole.jpg 2009年3月14日、アラン・バシュングAlain Bashungが、肺ガンのためパリの病院で亡くなった。享年61歳。

 彼は2007年秋ごろから化学療法を受けるなどして闘病生活を送っていたが、そのかたわら、2008年3月にはアルバム Bleu Pétrole を発表、ライヴ活動もコンスタントにこなしてきた。この1月にはレジオン・ドヌール勲章(シュヴァリエ)を授与され、また2009年ヴィクトワール・ドゥ・ラ・ミュージック(日本のレコード大賞の如きもの)において、ノミネートされた4部門中3部門で受賞。2月28日のセレモニーには病をおして出席し、挨拶とパフォーマンスを行い万雷の拍手を浴びた....。だがそのたった二週間後、彼は家族に見守られ、静かに旅立った。

 プレスリー以降ニューウェイヴに至るまでの英米ロックのエッセンスを幅広く吸収し、才能あるふたりの作詞家、ボリス・ベルグマン Boris Bergman とジャン・フォーク Jean Fauque の助けを借り、まことに独自な音楽世界を築いてきたアラン・バシュング。彼をフランスロック界の最重要人物と呼ぶことに異議を唱える人はおそらくおるまい。40年以上のキャリアにおいて彼は多くの――そして、ヴァラエティに富んだ――傑作をものしてきたが、その中でもとびきりのアルバムを3枚紹介しておこう。セルジュ・ゲンスブール Serge Gainsbourg が詞を担当した Play Blessures (1982)。ブリクサ・バーゲルト(アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン)、コリン・ニューマン(ワイヤー)等が参加したニューウェイヴの大傑作 Novice (1989)。ピアノとストリングスと低音のヴォーカル(というよりほとんど「つぶやき」)が絶妙の調和を見せる L'Imprudence (2002)。いずれも冷たく、暗く、重く、強度に満ちたマスターピースである。

 セルジュ・ゲンスブールの死後、彼が占めていた場所を20年近くにわたって埋めてきたバシュングの死。この穴を今度はいったい誰が埋めることになるのか。少なくとも私には思いつかない。


play blessures.jpgnovice.jpgl'imprudence.jpg



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2009年06月01日

「夢見るシャンソン人形」 フランス・ギャル

グレイテスト・ヒッツ誰でもメロディーを知っている「夢見るシャンソン人形」という有名なフレンチポップがある。フランス・ギャルという60年代に活躍したアイドルが歌っている。最近ではブラピをフィーチャーしたソフトバンクのCMで使われていた。

原題のpopée de cire, poupée de son は「蝋人形、オガクズ人形(=オガクズを詰めて作った人形)」という意味で、文字通り「歌う人形」と解釈できる。一方で、son を音と訳して、「蝋人形、音人形」とも読める。その場合、レコード盤を人形に見立てていると解釈できる。柔らかい塩化ビニールは蝋になぞらえられることもあるからだ。歌詞全体を見た場合、こちらの方が説得力がある。レコードを少女に見立て、彼女の思いを歌わせている、一ひねりしたレコード盤への偏愛、レコード・フェチの歌だ。

言葉や詩に二重の意味(両義性、多義性)を持たせるのはフランスの詩や歌の得意技だが、この詞を書いているのはセルジュ・ゲーンズブール。91年にモンパルナス墓地での深い眠りにつくまで、数多くのアイドルや女優たちをプロデュースして世に送り出した曲者のオッサンだ(今のつんく♂とか小室哲哉とか小林武史なんかの走りと言えるだろう)。作詞においてはとりわけ性的なメタファーを駆使した。フランス・ギャルに提供した他の曲に「アニーとボンボン」というのがあるが、人前で何度も歌ったあとで裏の意味を知った彼女がショックで引きこもってしまったというエピソードがある。今じゃオッサンの悪趣味なセクハラでしかないだろう。

レコードはフェチの対象になるが、CD はなりにくい。ネット配信なんて問題外だ(全く別のテクノロジー・フェチみたいなものがありそうだ)。レコードのサイズが手ごろなせいもあるが、レコードは聴くたびに磨り減り、紙製のジャケットも色あせていくということが大きい。フェチは劣化し、失われていくものに向かう。さらに、それがモノでしかないゆえに、その愛は満たされることがない。二重に不毛な愛なのだ。

「夢見るシャンソン人形」はそういうことを歌っている。

夢見るフランス・ギャル 〜アンソロジー '63 / '68私は大学生の頃、レコード盤からCDの移行期に居合わせた。両者の大きな違いは、レコード盤には身体の介在が大きいことだ。例えば、レコード盤は注意深く針を載せ、20分余りで裏返さなければならないし、聴き終わったらスプレーをかけ、丁寧に埃をふき取るという手入れも必要だ。だから再生装置の前でじっと聴いていなければならない。そう、まるで愛しい人形のようなのだ。

またレコード盤は一回聴くごとに磨耗し、音質が劣化する。レコード盤は音楽を再生するが、むしろ一回性の体験に近い。身体の介在と音質の劣化が、その都度、異なった体験をもたらすからだ。もちろん、レコード盤が磨り減るまで聴かないにせよ、再生できる時間が限られていることは、音楽体験を規定するだろう。アナログ盤は、空気を一瞬震わせては消えていく音楽のはかなさとパラレルな関係にある。

一方、ipod などは指先しか動かさない操作性のスムーズさと、半永久的な音質の保障が、音楽体験を均質にしてしまう。またそれはイヤホーンやヘッドホーンで聴かれ、他者と共有されない。直接脳に音楽が供給されるので、レコードのように媒介物として意識されにくい。ゆえに音楽を媒介とした物語が生まれにくい。音楽の趣味の細分化に加え、音楽は本人にしか聞えないものになってしまった。

音楽の共有ということに関して言えば、クラブとかならともかく、日常的に誰かと一緒に音楽を聴くという体験は確実に減っているだろう。かつてレコードは高価だった。大卒の初任給が3万円だったとき、レコードはすでに2000円していた。大卒の初任給が6倍になった今もレコードの値段はあまり変わっていない。高価だからジャズ喫茶やロック喫茶に行ってマスターに聴かせてもらっていた。高価だったから、そういう場で音楽は共有されていたのだ。

ところで、フランス・ギャルのベスト盤は「夢見るフランス・ギャル 〜アンソロジー '63 / '68」や「グレイテスト・ヒッツ」などいくつか出ているが、「アンソロジー」には「夢見るシャンソン人形」の日本語バージョンが入っている。私としては「娘たちにかまわないで Laisse tomber les filles 」が収められている「グレイテスト・ヒッツ」に軍配を上げたい。どちらもツボを押えているが、微妙な選曲の違いがあって、私は両方持っている。

下に時代を感じさせる「夢見るシャンソン人形」の PV にリンクを張った。いきなり最初の音を外している。

フランス・ギャルの中では「娘たちにかまわないで」がいちばん好きな曲。思わず両手を振り上げてモンキーダンスを踊りたくなる。独特のベースラインが印象的。いわゆるズンドコ節だ。80年代にはハネムーン・キラーズというベルギーのバンドがカバーし、最近はエイプリル・マーチがカバー。さらに今年、マレーバ・ギャランテール(Mareva Galanter)がカバー。特にマレーバのカバーのPVには目を見張った。

Laisse Tomber Les Filles / Mareva Galanter(PV)

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2009年05月10日

AUTOUR DE LUCIE

フランス語とロックの相性はイマイチ良くない。フレンチ・パンクのコンピレーションを一枚持っているが、本人たちがマジメにシャウトすればするほど失笑を禁じえない。フランスの若者に人気のある Téléphone というロックバンドがいて、パリのディスコなんかでしょっちゅうかかり、みんなが一緒に歌い始めるのだが、そのノリが恥ずかしくて、いつもその場から逃げ出したくなったものだ。

音楽と言語の関係はいつも重大なテーマだ。日本でも、ロックは英語で歌うべきか、日本語で歌うべきかという論争がかつてあった。強いアクセントを持つ英語をベースに生まれたロックは果たして日本語に合うのか。英語派は内田裕也(本木雅弘の義父)、日本語派ははっぴいえんど(細野晴臣、大滝詠一、松本隆らが在籍⇒視聴「夏なんです」)。その折り合いをつけたのがサザン・オールスターズだと言われている。つまり英語のように日本語で歌うというやり方だ。

フレンチ・ウィスパーと言われるように、怒鳴ったり、叫んだりするよりも、フランス語は淡々と囁くように歌うのがいいようだ。AUTOUR DE LUCIE はフランス語で歌っていることにあまり違和感がない。それは歌い方のせいなのだろう。

Autour De Lucie Immobile

AUTOUR DE LUCIEは、女性ボーカルのヴァレリー・ルリヨが唯一の固定メンバー。彼女が曲も書いている。AUTOURは意外にもアメリカで受けが良く、1994年に出たファースト・アルバム L’ECHAPEE BELLE はフランスのグループとしては例外的に1年間で15000枚を売った。このアルバムは1995年に日本でも発売され、フランスよりむしろ外国で支持された。アメリカでのツアーは最初のうちフランス語のボーカルが障害になったようだが、コンサートをこなすうちにそれが評価へと変わっていた。アメリカでの成功に気を良くして、彼らはしばらくアメリカに留まって活動するようになる。2枚目 IMMOBILE が出たのは1997年。1枚目以上にポップでメロディアスな作品。これも40000枚のヒット。3枚目のアルバム、FAUX MOUVEMENT は2000年の春に発表。これまでのアコースティック路線から大きく変化し、初めてエレクトロニクスを使い、ループやサンプリングによって新たな世界を切り開いた。

いつも授業でかけているのは、アルバム L'ECHAPPEE BELLE から、L'ACCORD PARFAIT。「完全な調和」という意味だが、男女の関係を音楽になぞらえている。初めの頃、AUTOUR をフランスのカーディガンズと紹介してたのだが、カーディガンズがパッとしなくなったので、「フランスのブリリアント・グリーン」に変更。でも、そちらも最近音沙汰なし。トミー・フェブラリー(最近はヘンブンリーというロック・プロジェクトもあるようだ)の80年代ピコピコサウンドにはやられてしまったが、「ブリリアント・グリーン」とは、女性ボーカル、ギター、ベースという構成も同じだし、ギターの感じがよく似ている。90年代の前半によく聴いていた、ブリティッシュ系のギターバンドの音。系統としては80年代のネオアコにまでさかのぼる。

この手の音を出すフランスのバンドが他にいないわけではないのだが、何せみんな英語で歌っている。国境を越えて成功しているフランスのバンドの多くはやはり英語志向が強い。AUTOUR DE LUCIE のようにフランス語で歌い、かつ良質なロックというのはなかなか見つからないのだ。

アルバム全体として完成度が高く、しかも聴きやすいのは2枚目のIMMOBILE (写真右)かな。個人的にもアルバムを通して聴いていたのはこの作品だ。3枚目はダーク&ダビーで一般受けはしないかもしれない。



ネットが使えるクラスでは「Personne n'est comme toi」(=あなたのような人はいない)のビデオクリップを見ている。4枚目のアルバムからの曲。抑制の効いたギターとタイトなドラム、そしてハモンドオルガンの響きがカッコいい!


□AUTOUR DE LUCIE 公式サイト


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2009年04月29日

イザベル・アンテナ「南の海の魚」

夏に向けてボサノバ。

愛にエスポワール ABC・・・〜アンテナ・ベスト

ボサノバはカフェで流れるオシャレ音楽の代名詞のようになっているが、サンバをベースにして生まれたブラジルの音楽。ジョアン・ジルベルトアントニオ・カルロス・ジョビンといった巨匠がまず思い浮かぶが、本来ポルトガル語で歌われ、その独特の柔らかい発音がボサノバの魅力になっている。

ポルトガル語にはフランス語と同じく、鼻母音(鼻にかかった柔らかい母音)がある。本場のボサノバからは、アゥン[綴り表記はão]というポルトガル語の二重鼻母音がよく聞こえてくるが、ボサノバは鼻母音の特性を生かした歌。だからボサノバはフランス語とも相性がいい。

今日授業で聴いたのは、イザベル・アンテナの「南の海の魚」。

poivre(胡椒)、vanille(ヴァニラ)、jasmin(ジャスミン)、safran(サフラン) など、歌詞にはトロピカルなイメージがちりばめられ、バックの演奏も心地よくもミニマムな音作り。ボーカルにバックの音が被らないので、ヒアリングの教材にも最適な数少ない歌モノだ。フランス語の発音もクリアに聴き取れ、単語の響きをひとつひとつ堪能できる。この曲はアルバム「愛にエスポワール」に収録。原題は Hoping For Love で、英語でわかりやすいのに、フレンチな感じを出したいためか、邦題ではわざわざ「エスポーワール espoir (=hope 英)」という語を使っている。

アンテナのボサノバは、もちろんでフェイクで、ボサノバのニューウェーブ的解釈なわけだが、それゆえ、ボサノバ以上にポップで洗練されている。アンテナ自身はパリ生まれのようだが、彼女はベルギーのレーベル、「クレプスキュール」(クレピュスキュールが正しい表記)の代表的なアーティストだった。80年代当時はこのレーベル名のエキゾチックな響きにやられてしまったものだが、坂本龍一もイギリスの「チェリーレッド」とともに大推奨していたっけ。Crépuscule は黄昏と訳されるが、昼と夜の境界を意味する。ヨーロッパでは一種の「魔の時間帯」とみなされ、とりわけ昼の長い(北ほど長くなる)夏のたそがれ時は独特の雰囲気がある(関連エントリー「ヨーロッパの長い一日」参照)。

1980年代の始めにイザベルは、仲間と「アンテナ」というバンドを組み(最初はバンドの名前だったようだ)、クラフトワーク(ドイツの元祖テクノ・ポップ)に触発された曲をやっていたというから、いろんな方向性の試行錯誤があったのだろう。いくつかデモテープを作り、「クレプスキュール」と契約。1982年、アントニオ・カルロス・ジョビンの名作をカバーした「The Boy from Ipanema」(原曲は「Garota de Ipanema(イパネマの娘)」)を含んだ最初のアルバム「Camino del sol」を発表。ボサノバ&ジャズ・ポップ路線が確立された。


MY SPACEで「南の海の魚」を含むアンテナの曲を聴けます。

イザベル・アンテナ公式サイト

□ALBUM INFO:
愛にエスポワール
ABC…〜アンテナ・ベスト」(お薦めベスト盤)
Toujours du Soleil」(今も現役、2006年に出たクラブ系サウンド)
*実はアンテナのCDは FRENCH BLOOM NET での売り上げベスト1(とはいっても合計数十枚程度だが)。

関連エントリー「COOL BOSSA IN MY POD」でブラジルのボサノバを紹介しています!




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2009年04月10日

ORWELL

geniehumain.jpgCDショップで何の気なしに買ってみたファーストアルバムが予想以上によかったフランスのバンド、オーウェル Orwell。2枚目のアルバムも聴いてみたところこれが前作を上回る秀作でした。ファースト・アルバムでギルバート・オサリバンの "Clair" をカヴァーするなど、ノスタルジックなポップスへの嗜好を示していた彼ら、今作もその路線を変えることなく、さらにソングライティングのセンスに磨きがかかっています。ほとんどの曲はフランス語(アルバム中の1曲Elémentaireをお聴きください)で歌われていますが、実にしっくりと曲にはまっていてフランス語ロックの名作のひとつともいえるでしょう。

ところで、ベスト・オブ・ギルバート・オサリバン子供の頃、テレビのCMでやたら流れている曲があってそれがギルバート・オサリバンの「アローン・アゲイン Alone Again (Naturally)」であったことを知ったのは相当後になってからのことです。ゆっくりとしたリズムと、一度聴いたらすぐに口ずさんでしまえるような親しみやすいメロディのこの曲は、年月を経ても色褪せることのない名曲中の名曲です。品のある優しい声は、どこか乾いていて寂しげ(「アローン・アゲイン」はひとりぼっちになってしまった男の悲しい歌でもあるのです)に聞こえます。彼のナンバーは、この曲のほかにも "Clair" や "What's in a Kiss" など、CM や映画で多用され、どこかで一度は耳にしたことのある名曲ばかりなので、まずはベスト・アルバムをお聴きすることをおすすめします。ところでその昔、ポール・マッカートニーが彼を自分の後継者として認めたという話ですが、そのポールはいまだ現役…




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2009年02月14日

Shelby「1+1」(1999)

4.jpg ケレン・アンKeren Ann(本名Keren Ann Zeidel)は、1974年イスラエルに生まれ、オランダで育ち、11歳でパリに移住。19歳の頃から自作曲をたずさえレコード会社回りをしていたらしいが、結果ははかばかしいものではなかった。その後彼女はバンジャマン・ビオレーBenjamin Biolay(1973年生)と出会い、共同で曲を作り始める(私生活でも彼は彼女のパートナーとなる)。ビオレーの発案で彼女はシェルビーShelbyという3人組のユニット(ビオレーはメンバーに入っていない)を結成、1999年1月、シングル「1+1」でデビューする。

 ストリングスとギターをフィーチュアし、フランス語と英語半々で歌われるこの曲は小ヒットを記録する。ケレン・アンとビオレー(およびほか2名(詳細不明))の共作曲だが、発表の時期からいってふたりのコラボレーションの最初期に位置する作品だろう。名曲である。ケレン・アンといえば、張りつめた冬の空気を思わせる、低音で歌われるクールなフォークといったイメージが強い。だがこの曲は、どちらかというとアンチームな感じのスローなギターポップ。翌年に出る彼女のファーストアルバム中の「Décrocher les étoiles」や「Aéroplane」などと若干タッチが似ているが、その後の彼女の音楽にはあまりみられなくなる雰囲気の曲である。この曲はとても歌いづらかったと彼女はのちに述懐している――「ロック調」の曲が自分の声に合っていないと思っていたらしい――が、そういう感じはまったく与えない。浮遊感のあるヴォーカルはむしろとても魅力的だ。冬の夜に望遠鏡で天体観測をするメンバーたちがでてくるヴィデオクリップもなかなかいい(私は発表当時MCMで放映していたのを録画して持っていて、折に触れて見ている)。画面に映っているケレン・アン以外のメンバーは、グザヴィエ・ドゥリュオーXavier Druaut(ギターの男性)とカレン・ブリュノンKaren Brunon(ヴァイオリンの女性)。カレンはビオレーの音楽学校(リヨンのコンセルバトワール)時代の友人。のちにKaren Aprilの名で歌手としてシングル盤を出す。またヴァイオリニストとしてビオレーやケレン・アンを初めとする多くのアーティストのアルバムに参加している。グザヴィエのその後はよくわからない。

La Biographie de Luka Philipsen シェルビーでの活動についてケレン・アンは、あまりいい思い出を持っていないようである。彼女自身の言葉を引用しておく。「私たちはこの曲を、チャレンジのつもりで、また、仲間うちの楽しみのために世に出してみたいという気持ちは持っていた。(…)でも、レコード会社のグループの売り出し方には腹が立った。知らないあいだに写真や記事が勝手に出て、自分たちで管理することがまったく出来ず、耐えられない気持ちになった。あの連中は音楽のことなんか全然わかってなかった。私たちが出したのはシングル一枚っきり。でも、それだけの契約しかしなくてよかった。発売日の前日にはもうやめたいって思ってたし、みんなは私の決心を尊重してくれた。もちろんビオレーとの曲作りはそのあとも続けたけど」。

 だがこの曲は、ほどなく彼女とビオレーの未来に大きな影響を与えることになる。この曲を耳にしたことがきっかけでケレン・アンに関心を持ったラジオ・フランスの社員コリーヌ・ジュバールが、翌2000年に出た彼女のファーストアルバム「La biographie de Luka Philipsen」(大部分の曲がビオレーとの共作、またプロデュースもビオレー)を半ば引退状態にあった旧知の大御所歌手アンリ・サルヴァドールに送ったのだ。ケレン・アンの音楽にすっかり魅了されたサルヴァドールは彼女とビオレーに自分の新作への協力を申し込んだ。彼らの作品5曲を含むサルヴァドールのアルバム「Chambre avec vue」(2000)はミリオンセラーを記録し、ふたりは一躍スポットライトを浴びる存在になる....。

 彼らの公私両面にわたるパートナーシップは、ビオレーのファーストアルバム「Rose Kennedy」(2002)、ケレン・アンのセカンドアルバム「La disparition」(2002)まで続いたあと途切れるが、別れたあともふたりはそれぞれ、アーティストとしての(またビオレーはあわせて音楽プロデューサとしての)キャリアを着実に積み重ねている。


Nolita■「1+1」のCDは、現在入手不可。歌詞はここ(ただこの歌詞、ちょっと間違いあり)。ヴィデオクリップはここ。youtube のコメント欄では、このクリップの監督を名乗るRégis Fourrerという人が撮影時の思い出を語っている。

■Shelbyのデビューの詳細およびケレンアンの発言はLudvic Perlin, Une nouvelle chanson française : Vincent, Carla, M et les autres, ÉDITIONS HORS COLLECTION, Paris,2005.に依る。この本、昨今のフレンチミュージックシーンを知るには好適な書物。

■ケレン・アンのアルバムは間単に手にはいる。オススメしたいのはファーストアルバム「La Biographie de Luka Philipsen」と「Nolita」(2004)。

■バンジャマン・ビオレーについてはいずれ詳しい紹介をしたいが、とりあえず一枚オススメするなら、ファーストアルバム「Rose Kennedy」。

■アンリ・サルヴァドールの「Chambre avec vue」は国内盤(邦題「サルヴァドールからの手紙」)があるが、出来たらフランス盤を聴いてみてほしい。というのも国内盤ではケレン・アン=バンジャマン・ビオレーによる冒頭の2つの名曲Jardin d'hiverとChambre avec vueが、それぞれBRAZILIAN VERSION、ENGLISH VERSIONに差し替えられているため。やはりオリジナルの仏語ヴァージョンで聴きたいところだ。





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2008年08月27日

ジョニー・アリデーあるいはギターの弾けない(?)ロックンロールスター

jeanphilippe02.jpg ジョニー・アリデーはフランスで最も人気のある歌手のひとりである。「ロックンロールの帝王」である。還暦をとうに越えてはいるが、現在でもアルバムを出せば必ずチャート初登場一位だし、コンサートも老若男女でつねに満杯だ。しかも、60年代前半以降ほぼ半世紀に渡ってトップスターの座を守りつづけているという、とてつもない存在である。だが一方で、彼を嫌うフランス人もたくさんいる。その理由は、ロックアーティストというよりは芸能人的な音楽にたいするスタンス、マッチョな外見や態度、政治的な立場(サルコジスト)、税金逃れのための国外移住などの行為...とさまざまだ。それでもとにかく彼は、フランス最高のセレブリティのひとりであることに間違いはない。ただ、フランスおよびフランス語圏の国以外ではまったくといっていいほど無名であるが...。

 彼は少なくない本数の映画に役者として出演もしてきた。古いところでは「アイドルを探せ」(1963/ミシェル・ボワロンMichel Boisrond)などが思い出されようし、「ゴダールの探偵」(1985)にも出ている。最近では「列車に乗った男」(2002/パトリス・ルコントPatrice Leconte)が話題になった。「ジャン=フィリップ」Jean-Philippe(2006/ロラン・テュエールLaurent Tuel)は彼の最近の主演作(日本未公開)である。

 このコメディ映画で彼は「ジョニー・アリデーになれなかった男」(!)を演じている。以下、あらすじを少し紹介してみよう。ジョニー・アリデーの熱狂的なファンである中間管理職の男ファブリス(ファブリス・ルキーニFabrice Luccini)が、ある晩殴られて意識を失う。気がついてみるとそこはパラレルワールドだった。その世界は元の世界とほとんど同じだが、最大の違いは彼の生きがいであるジョニー・アリデーがいないということ。ジョニーの不在に耐えられないファブリスは、ジャン=フィリップ・スメットJean-Phillippe Smetという本名を手がかりに彼を探し回る。ついに見つかったジャン=フィリップ(演じるのは当然ジョニー自身)は、人生のある時点まではもうひとつの世界のジョニー・アリデーとまったく同じ道を歩みながら、ある運命のいたずら(詳細は言わないでおく)のせいでスター歌手になることはなく、ボーリング場経営者になっていた。その彼をジョニー・アリデーに変身させるべく、ファブリスは奮闘を始める...。

100% Johnny Live a La Tour Eiffel バカみたいな話だと思われる向きも多いだろうが、じつはこの映画、娯楽作品としてはけっこうよくできている。ファブリス・ルキーニのいつもながらの芸達者ぶりは言わずもがなだが、人生に疲れた初老の男を演じるアリデーの演技だって悪くない。アリデーにかんする伝記的事実(多くのフランス人にとっては常識に属する)をうまく織り交ぜたシナリオもよく練られたものだし、細部のギャグも秀逸、最後のオチも楽しい。欠点といえば、ジョニー・アリデーが――またファブリス・ルキーニが――フランスにおいてどういう存在であるのかを知らない人間からすれば、この映画のおもしろさの多くが理解しにくいと言うことだろう。

 ただこの映画を、スーパースターが気軽に出演したコメディとだけ見てしまうと、どうも大事なポイントを見落としてしまうように思える。というのも、注意深く見るとこの映画は、ジャン=フィリップのジョニー・アリデー化を物語ることを通じて、現実のジョニー・アリデーの理想化、神話化を企てているようにも思われるからだ(それがアリデー自身の意向によるものなのかどうかはよくわからないが)。

 アリデーには、ロック歌手にとっては明らかにマイナスイメージとなりうるふたつの弱点がある。まず彼が基本的に「他人が提供した曲を歌う歌手」であり、アーティストとしての個性が希薄であるということ。自作の曲もあるにはあるが、代表作はほぼ他人の手によるものである。(彼のアイドルであるプレスリーも作詞作曲はしなかったし、自作曲を歌うのでなければロック歌手としてはダメだ、というつもりはさらさらない。あくまでもビートルズ以降のロック界のスタンダードの話ということでご了解願いたい)。もうひとつは、彼は「ギターが全く弾けないか、弾けるにしてもさほどうまくないに違いない」こと。彼の弾き語り映像のどれを見ても、指使い(とくに左手)と曲調が合っているようには見えない。頭のてっぺんからつま先まで自信に満ちあふれているように見えるアリデーだが、なぜかギターを弾くときの両手の指だけは、自信なげな空虚感を漂わせている。私は長年彼のギター演奏能力について疑念を持ってきたが、フランスでも気になる人はたくさんいるようで、この点を問題にしている掲示板やブログをネット上でよく目にする(たとえばこれ)。

ゴダールの探偵 このふたつのマイナスイメージを、映画は巧妙に修正しているように見える。まず前者について。アリデーのレパートリーには、娘の誕生を題材にした「Laura」(1986)という曲があるが、この曲はじつはジャン=ジャック・ゴールドマンの作品である。ところが映画の中では、その事実は伏せられたまま、現実の世界で「Laura」が作られた頃、パラレルワールドのほうでもジャン=フィリップが息子の誕生に際し「Laurent」(!)という全く同じ内容の詩を書いていた、というエピソードが示される。要するにさりげなく、アリデーが自作派の歌手であるかのようなアピールがされているわけである(これは一種の「歴史修正主義」ではないか?)。また後者に関しては、まず、アリデーが若いころギターを習っていたという経歴がファブリスによってわざわざ語られる。さらにファブリスから「Quelque chose de Tennessee」(アリデーファンに最も愛されている曲のひとつ)のギターコード付きの歌詞を示されたジャン=フィリップが、初見で、ギターを弾きながらその歌を完璧に歌い上げるシーンがある。このときの彼の左手は、不思議なことにきちんと曲のコードに対応した動きをしている! ここでも「ギターが弾けないかもしれないロックンロールスター」というマイナスイメージが巧妙に修正されている(この場面は彼とこの曲の作者ミシェル・ベルジェの間にあった実話を元にしたものだという話もあるが)。

 映画のクライマックスで、ジャン・フィリップはギターを抱えてステージに現れる。そして自分にブーイングを浴びせかけるスタジアムを埋め尽くした観客たち(彼らのお目当てはほかにいる)を、その歌声であっという間に魅了する。ここにいたって彼はついに「ジョニー・アリデー」になるわけだが、その「ジョニー・アリデー」は、現実のジョニー・アリデーを越え、むしろ現実の彼がなりたいと考える――また、彼を嫌う人たちにも愛されるような――完全無欠のロックンロールスターに変身を遂げている...。さらにひとこと付け加えておくと、歌声ひとつで自分を知らない大観衆を征服する「ジャン=フィリップ―ジョニー・アリデー」の姿に、彼が熱望したにもかかわらず実現できなかった「アメリカ征服」という夢の残像を見るのも、あながち的はずれなことではないと思われる。

ジョニー・アリデーは昨年末、2009年に予定されているツアーをもってライブ活動から引退すると発表した。ステージ上の彼の姿が見られるのもあとわずかのあいだである。


■「ジャン=フィリップ」のDVDは仏盤/PAL方式のみ存在する。字幕は付いていない。

■ジョニー・アリデーのディスコグラフィは膨大すぎて、ベスト盤を紹介することさえ困難である。彼に興味を持たれた方には、まず最近のライブ盤DVDを視聴することをおすすめする。ゲストの多彩さ、選曲の良さ、野外コンサートの開放感を味わえる点などからいって「100% Johnny Live à la Tour Eiffel(2000)」(仏盤/PAL方式)が一押しである。アマゾンジャパンのカタログではリージョン1となっているがこれはたぶん2の間違いだと思う(確証はないが)。

■誤解のないように申し添えておくが、私はジョニー・アリデーが好きである。




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2008年07月17日

マルタン・ラプノー――「シャンソン」でも「フレンチ」でもない「グッドミュージック」

La Moitie Des Choses 日本にはフランスのポピュラーミュージックについていくつかの固定的なイメージが存在する。まず昔ながらの「シャンソン」のイメージ、ついで60年代から70年代前半にかけてよく聞かれたいわゆる「フレンチポップス」のイメージ、さらにはジャズ趣味やボサノバ趣味などと結びついた「おしゃれ」で「ハイセンス」な音楽のイメージなどである。「フレンチ」という語が音楽を形容するために使われるとき、それはたんに「フランス産」ということを示すにとどまらず、上記イメージと結びついた音楽的意匠を指す場合が多い。だが、これらのイメージはフランスの現実の音楽状況とはあまり関係がない。フランスではもっともっと多種多様な音楽が生み出され、また聴かれている。その中にはきわめて良質なものもある。だが、日本で紹介されるフランスの音楽は、上記のイメージに沿ったものにかたよる傾向があり、いくら良質でもこのイメージのフィルターに引っかからない音楽はなかなか日本に入ってこない。これは本当にオシイ。そういうオシイ音楽の一例が、今からお話しするマルタン・ラプノー。

 ビートルズとスティーヴィー・ワンダーにとりわけ大きな影響を受けたというマルタン・ラプノー(Martin Rappeneau 1976年生。ちなみに父親は映画監督ジャン=ポール・ラプノー)は、大学を出たあとひとりで音楽活動をしていたが、ある日偶然カフェのテラス席でサンクレール(Sinclair)を見かけ、声をかける。この、フレンチファンクの若きスターは、興奮状態で話しかけてきた見知らぬ若者に優しく接し、昼食に誘う。そのとき渡されたデモテープを聴いた彼はすぐにそれを気に入る。翌日彼はラプノーに電話をかけ、ふたりは親交を結ぶことになる...。この出会いがラプノーにとってミュージシャンとしての転機であったことはいうまでもない。2003年、彼はサンクレールとの共同プロデュースによるファーストアルバム La moitié des choses を発表する。初々しさと洗練、躍動感と静謐が絶妙に共存した、名曲揃いの佳作である。

 彼はまず自己表現ありき、といったタイプのアーチストではない。むしろ幅広い音楽体験を出発点に自らの音楽を知的かつ批評的に形成していくタイプの人だと思う(そのへんはサンクレールとも共通している)。一聴してわかることだが、彼はミシェル・ベルジェ(Michel Berger)とエルトン・ジョンに非常に多くのものを負っている。ゴリッとした感じの力強いピアノの響き、軽快に動き回るストリングス、甘いけれど芯のある高めの歌声はふたりの偉大な先達の若い頃の作品を思わせるし、メロディセンスも彼らとどこか似かよっている。もちろん彼が影響を受けたのはこのふたりだけではない。彼の曲のひとつひとつには、ほかにもいろんなアーティストの音楽の残響が聞き取れる。彼が影響を受けたと名指すミュージシャンやグループの名をいくつか挙げておこう。プリンス、ホール&オーツ、スティーリー・ダン、ジャクソン・ブラウン、アンドリュー・ゴールド、ジェームス・テイラー、クリストファー・クロス、マイケル・マクドナルド...。アメリカ人ばかりずらりと並んだが、私の感じたところではこのほかにザ・スタイル・カウンシルを初めとする80年代イギリスのブルー・アイド・ソウルにもかなり影響を受けていそうである。

 このアルバムの発表後、彼はルイ・シェディド(Louis Chédid あのMくん[Mathieu Chédid]のお父さん)、ガッド・エルマレ(Gad Elmaleh)などのステージのオープニング・アクトをつとめると同時に、自身のライブ活動も精力的にこなす。2006年にはセカンドアルバム L'âge d'or を発表。エルヴィス・コステロやマッドネスなどのプロデュースで知られるクライヴ・ランガー&アラン・ウィンスタンレーをプロデューサーに迎えイギリスで制作されたこのアルバムは、曲によってはブラス・セクションや女性コーラスをフィーチャーするなど音に厚みが増し、ゴージャスな造りになった。だが、アルバム全体の雰囲気に変化はさほど見られず、またソングライティング能力の高さは相変わらずで、前作と同様、珠玉の名曲がならんだチャーミングな傑作に仕上がっている。

 公式ホームページの質問コーナーで、ベルジェとの類似を指摘するファンのコメントに対しラプノーは次のように答えている[長い話を適当に再構成してある。ご了承願いたい]。「ぼくはベルジェの足跡を一歩一歩追いかけるつもりはない。ベルジェと同じスタジオを使ったのはそれがパリにある最良のスタジオだったからだし、ベルジェと同じアレンジャー、ベルンホルクも起用したけど、ぼくが最初に彼に注目したのはジュリアン・クレールのアレンジの仕事だったんだ。レコーディングの間、ぼくたちがベルジェを意識することはほとんどなかった...。ベルジェと比べられるのは仕方ないし、うんざりするってこともないよ。彼のことは大好きだからね」。いや、彼はおそらくかなりうんざりしているはずだ。近い将来彼は、ベルジェやほかの先人の名前を引き合いに出さなくてもすむような、オンリーワンの個性を持った偉大なアーティストになれるのだろうか。それは、今後いい曲をどれだけたくさん書き続けられるかにかかっていると思う。次のアルバムが楽しみである。



■ラプノーの2枚のアルバムは今のところ国内盤はない。ヴィデオクリップはファーストアルバムの限定盤(残念ながら現在品切)に付属したDVDで2曲見ることができる。彼のほほえましい大根役者ぶりが楽しめる"Encore"のクリップがとくにおもしろい。これはYou Tubeで探せば見つかる。

■ラプノーの経歴や発言はすべて公式ホームページの記述に依拠している。
http://www.martinrappeneau.net

■ミシェル・ベルジェ(この人についてはいつか詳しく書きます)を聞いたことがない人には2枚組のベスト盤Pour Me Comprendre(仏盤)をとりあえずオススメしておく。この夭逝した才人――フランス・ギャルの夫であり音楽上のパートナーでもあった――の代表作がおおむね網羅されている。同じタイトルで一枚物および3枚組のベスト盤、さらに12枚組のコンプリートボックスがあるので購入に際してはご注意を。




MANCHOT AUBERGINE

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posted by cyberbloom at 22:04 | パリ ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | フレンチポップ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする