2008年05月28日

懐かしの70年代の名優たち(2) マイケル・ケイン

前回、マイケル・ケインの話が出たのでその続きをしてみよう。

eagle01.jpgかつて、ケイン主演の映画に『鷲は舞いおりた』(1976年)という作品があった。原作はジャック・ヒギンズの同名小説(邦題は『鷲は舞い降りた』、ハヤカワ文庫NV)。監督はジョン・スタージェス(『荒野の七人』(1960年)、『大脱走』(1963年))。舞台は第二次大戦下のヨーロッパ。ケインは危機打開のために「チャーチル首相暗殺」という特殊任務を任されるドイツ軍の中佐を演じている。これに、アイルランド独立運動のためにケインに協力する活動家の役にドナルド・サザーランド、作戦全体を指揮するドイツ軍将校役にロバート・デュバルという布陣だから面白くないわけがない。戦争映画といえばナチスを愚劣な狂者の集団として描く傾向が強かったなかで、この映画では例外的にドイツの兵士たちを人間味溢れた者たちとして描いている(もっともドイツ兵がみな英語をしゃべるという時点で、既にリアリスムがないのだが)。夜明けのイギリスの海岸にポーランド軍の軍服を着たドイツ空挺部隊の精鋭と共に中佐はパラシュート降下を敢行する。イギリスの田舎町に静養に来たチャーチルを護衛を装って密かに消し去るという作戦・・・。だが、完璧なる計画を立てたにも拘らず、思わぬ不手際の為に正体が露見し、舞台は全滅に近い打撃を被ることになる。それでも一人生き残った中佐はチャーチルの別荘に侵入し、庭に現れたイギリス首相に向かって夜陰に紛れて拳銃の弾丸を発射する・・・。

ケインはこうした映画で抜群の魅力を発揮していた。こういう無謀な作戦の指揮官役をやってなお説得力がある俳優といったらマイケル・ケインをおいて他に見当たらないであろう。今は亡き淀川長治が「イギリス一の美男俳優」とケインを褒めちぎっていたことが懐かしく思い出される。また、共演のドナルド・サザーランドもこの頃は乗りに乗っていた。ベルトルッチの『1900年』(1976年)での狂気のファシスト党員役やフェリーニの『カサノバ』(1979年)でのタイトル・ロールといった具合に、大作への出演が矢継ぎ早に続く中で、こういう渋い映画の助演を嬉々として演じているときのサザーランドは本当に輝いていた。他方、ロバート・デュバルもこの頃が全盛期であろう。もともとジョージ・ルーカスの劇場用映画第一作『 THX-1138』(1970年)に主演した縁で、コッポラ・ファミリーに絶大なる信頼を得ていたデュバルはその後『ゴッドファーザー』正続編のコルレオーネ家の番頭役、『地獄の黙示録』(1979年)では狂気のヘリコプター攻撃を指揮するキルゴア中佐役など重要な役を次々と任されるようになる。

ところで、私が『鷲は舞いおりた』という映画を思い出したのも、トム・クルーズが新作でシュタウフェンベルク大佐を演じるという情報を入手したからかもしれない。この名前をご存知の方はかなり第二次世界大戦の歴史に詳しい向きかもしれない。シュタウフェンベルク大佐とはナチス政権下において「ヒトラー暗殺」という作戦を実行に移したドイツ軍人である。ナチス内部にも反ヒトラー勢力というものが隠然と存在しており、元帥から下士官に至るまで一つの別の軍隊のようなものを見えない形で組織していた。そのグループが「ヒトラーに任せていたらドイツは間違いなく滅ぶ」ということを危惧し、暗殺作戦を実際に計画したのだ。シュタウフェンベルクは書類鞄に爆弾を潜ませてヒトラーの出席する会議に臨むことによって、暗殺作戦を遂行しようとしたのである。残念ながら作戦は失敗し、シュタウフェンベルクら反乱グループは粛清されることになるが、彼はいまでもドイツの英雄的人物の一人と看做されている(詳しくはロジャー・ムーアハウス著『ヒトラー暗殺』、白水社、2007年を参照)。

今にして思えば『鷲は舞いおりた』という映画が語る物語はこの作戦の「陰画」だったような気がする。ケインが演じた役名はシュタイナー中佐という、シュタウフェンベルクと似たような名前であったし(ありふれた名前ではあるが)、何よりも主人公以下のドイツ軍人がみな高潔な人格に描かれていたのが特徴的であった。しかし、あの当時はまだ「ヒトラー暗殺」作戦などいうことを決行する英雄的ドイツ軍人などというものを小説や映画が描き出すということは倫理的に許されない時代であったような気がする。あくまでドイツは「悪」であり、彼らはそうした振る舞いしか小説でも映画でもすることが出来なかった。それゆえに彼らの暗殺対象が「ヒトラー」から「チャーチル」にすり替えられたのではないのだろうか。とはいえ原作者も監督もそうした傾向に疑問を持っていたに違いない。「ドイツにもまともな人間が(当然ながら)いたはずだ。」『鷲は舞いおりた』の主人公たちがみな高潔な人間であることに作り手のそのような意図を感じずにはいられない。それを考えるとこの映画の意味がさらに増してくるように思える。未見の方は是非ご覧いただきたいものである。

さて、問題はクルーズが演じるシュタウフェンベルク大佐だ。私はこの映画が『ミッション・インポッシブル』(1997年)のような映画になってしまうことを深く危惧する(もっとも『 MI:III 』(2006年)が近年稀なる傑作であることを否定するつもりはないが)。果たして、クルーズにこの救国の英雄を演じることが出来るのだろうか。



不知火検校

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posted by cyberbloom at 07:47 | パリ ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日本と世界の映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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