2008年01月16日

宮下規久朗 『食べる西洋美術史―「最後の晩餐」から読む』

食べる西洋美術史  「最後の晩餐」から読む (光文社新書)この新書を手にとり、最初に思い浮かべたイメージはギュスターヴ・ドレ描く「ガルガンチュワの食事」だった。フランス・ルネサンス期の巨人フランソワ・ラブレーがその知力と想像力を爆発させて創造した『ガルガンチュワ』『パンタグリュエル』という小説に附された19世紀の挿絵のひとつである。

美術館に足を運び、展示室を、回廊をのんびり歩きながら、絵を観てまわっていると、楽しそうに飲み食いする人々に出逢い、腹時計が不意になってしまうような食材を見つけたりする。
 
そう。西欧の絵画にはなんと食事の風景が多いことか。なんと美味しそうな食べ物が画布のうえに並べられていることか。
 
絵画表現の誕生から、アンディ・ウォーホルの有名な「キャンベル・スープ缶」を経て、現代アートそして未来の美術の主要なモチーフとして、「食」は絵の描き手たちを刺激してきたし、これからも刺激しつづけるにちがいない。

とはいえ、なぜ西洋美術には「食」をテーマとした作品がそれほどたくさん描かれてきたのか。そもそも、食事風景というのはあまりにも日常的な光景なので、それが絵の題材になる特別な理由や意味を考えることはないのではないか。少なくとも、ぼくは、宮下規久朗氏のこの本を読むまではあまり気にしてはいなかった。
 
美術の歴史を「食べる」というテーマから照らし出してみせたこの小さな美術展を訪れるなら、とても愉しいひと時を過ごすことができる。すばらしい話術の宮下ガイドの解説を聴きながら、本の扉を閉じたあとは、冷蔵庫のドアを開けて、なにか食べるもの・飲むものを探し、ぼくらもまた『食べる西洋美術史』の饗宴のご相伴にあずかりたいと思うことでしょう。

しかし独り食事をするだけではやはり寂しいかもしれません。『食べる西洋美術史』の副題が示すように、画布のうえに描かれる食事風景、食材はキリスト教(その世俗化、あるいは脱宗教化)というもうひとつの光源からも照らされることで、より一層、食欲をそそるものになっているのですから。「最後の晩餐」、ダ・ヴィンチが描いたキリスト教的主題のなかにすでに、ポップ・アートの巨匠ウォーホルの「最後の晩餐」に至るなにものかが描き込まれていることを本書はぼくたちに教えてくれています。

皆で食べること、それがコミュニケーションの最もすばらしい手段であるならば、事実そのとおりであるのだから、ぼくたちもまた、『食べる西洋美術史』を肴に、皆で飲み、食べ,お喋りをしにいこうではありませんか。


食べる西洋美術史  「最後の晩餐」から読む
宮下 規久朗
光文社 (2007/01/17)
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posted by cyberbloom at 23:13 | パリ ☁ | Comment(0) | TrackBack(1) | 書評−文学・芸術・思想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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