2007年08月18日

週刊フランス情報 13 - 19 AOUT 前編

ゲド戦記■先月「ゲド戦記」のDVDが発売された。通常版(2枚組み)特別収録版(4枚組み)の2種類ある。

2006年の最大のヒットとなった「ゲド戦記」は、衝撃的な父親殺しで始まる。何も不自由しない境遇に生きながら、得体の知れない暴力と否定の衝動に駆られる王子アレン。何か宮崎吾朗の置かれた立場を暗示していて興味深い。一方で、そのような人物造形は、人の心の暗部は単純な動機や悪意によっては理解できないし、もはや単純な理想主義では観客を引っ張れないという同時代的な認識が根底にあるのだろう。クライマックスには、「生きることを怖れてはいけない!」という生命に対する畏敬の念に目覚める。

CUT」(2007年7月号)に、フランスで「ゲド戦記」の配給を手掛けたフランソワ・カミエル氏のインタビューが掲載されていた。

ゲド戦記 特別収録版カミエル氏は、初監督で宮崎駿の息子というプレッシャーを撥ね退け、複雑な物語をうまく纏め上げたと評価。ルグィンの原作は世界中で有名だが、フランスでは余り知られていないようだ。もちろん出版はされているがそれほど読者は多くない。宮崎吾朗の作品を、やはり日本と同じようにフランスでも父親と比較して語る人たちは多かったが、吾朗の処女作として評価していたひとも多かった。ゲド戦記は日本では610万人、77億円という興行収入。一方で、フランスでは30万人の動員と一桁違うが、フランスの人口は日本の半分だし、アニメに親しむことがすべての世代に浸透しているわけではない。30万人という数字は「風の谷のナウシカ」と同じくらい。「千と千尋の神隠し」や「ハウルの動く城」には及ばないが、日本人の初監督作品としては素晴らしい記録なんだそうだ。「彼の独特のタッチが生かされるのであれば、題材は何でもありうると思う」、と次の作品にも期待を寄せている

関連エントリー
宮崎吾朗インタビュー-CAHIER DU CINEMA(1)
宮崎吾朗インタビュー-CAHIER DU CINEMA(2)

ジブリ美術館館長に直撃!『アズールとアスマール』のヒットの秘密とは?
この夏、渋谷・シネマアンジェリカなどで上映中の長編アニメーション作品『アズールとアスマール』が、映画ファンの間で話題を呼び、大ヒットを記録している。同作を配給する三鷹の森ジブリ美術館の中島清文館長に作品の持つ魅力や、“三鷹の森ジブリ美術館ライブラリー”について話を聞いた。『アズールとアスマール』は、2人の少年が不思議な世界を冒険しながら、成長を遂げるファンタジー。物語の面白さはもちろん、フランスアニメーション界をリードするミッシェル・オスロ監督が作り出す圧倒的な映像美も見どころだ。しかし本当の意味で、この作品が観る人の心をつかむ理由は別にあると中島館長は語る。「作品の裏に、異文化間の偏見がいかに作られるものなのか、また“常識を疑え”っていうメッセージが描かれています。
(8月10日、シネマトゥデイ)

公式サイト−AZUR ET ASMAR

幼き少年の夢と奇跡を描く『チャーリーとパパの飛行機』
大好きだったパパからの最後のプレゼント、真っ白な飛行機に乗ってもう一度パパに会いたい!カンヌ、ヴェネチア、ベルリンと世界の映画祭をまたぎ、フランス映画界を牽引する監督、セドリック・カーンが子供のひたむきに夢を信じる姿を描く『チャーリーとパパの飛行機』。9月1日(土)に公開。
(8月10日、cinemacafe.net)
Photo Galery

蜷川渾身、全裸だけじゃない舞台「エレンディラ」見所
エレンディラ (ちくま文庫)「脱がせます。捕まらないギリギリのところまでやります」…演出家、蜷川幸雄氏がこう息巻くのは、モデルで女優の美波(みなみ)がヒロインを務め、あす9日開幕の舞台「エレンディラ」(彩の国さいたま芸術劇場、9月2日まで)。受けて立つ美波は、フランス人の父、日本人の母を持つハーフ美女。「抵抗はありません。脱ぐことよりも、役のことを考えて、頭の中は“挑む”の文字でいっぱい」と、制作発表では謙虚だった。ノーベル賞作家、ガルシア・マルケス原作の同舞台は、5年前から蜷川氏が案を練った大作。少女エレンディラを砂漠で行列ができる街娼に仕立て上げる祖母、エレンディラと恋に落ちるウリセスを描く物語。
(8月8日、夕刊フジ)
★「脱がせる」に惹かれて、あるいは女優がフランス人のハーフいう理由で取り上げたわけはない。魔術的リアリズムと評されたガルシア・マルケス(コロンビア)の小説版がお薦め(「百年の孤独」も忘れてはいけない)。「エレンディラ」は本人の脚色によって映画化されていて、それをぜひ見て欲しいのだが、DVDはおろか、VHSでも見つからず残念。蜷川解釈の演劇か、文庫本で楽しむしかないようだ。南米を旅した友人にいろいろ話を聞くのだが、人里離れた場所にいきなり出現するウルトラ・バロック様式の教会建築が凄いらしい。一度見てみたいものだ。ガルシア・マルケスって、今はバッグのブランドで知られているんだね。


★先週の週刊情報で紹介したピエール&ジル、彼らの経歴が動画で手っ取り早く紹介されています。


■今週の iPod
"In Limbo"
Radiohead
in Kid A (2000)
KID A『海辺のカフカ』のカフカ少年は暗闇の中、一人きりでレディオヘッドを聴いていたけれど、私が彼らの音を最も体感するのは地下鉄の構内みたいな、人が大勢いるのに孤独を覚える場所にいるときだ。この浮遊しながら漂うギターの音色を聴くと、その周りの雑踏ともども冷たい海の底に沈められたような感覚に陥る(実際、"I'm lost at sea" と歌われている)。それにしても、トム・ヨークの声はどうしてこうも悲しく響くのか。どんなエフェクトをかけられても、彼の声は見捨てられた子供の叫びのように、いつも痛切だ。
(by exquise)

村上春樹は、小説のなかの道具として音楽を使っている。小説家は雨や雪、風などといった自然をその登場人物の心情やその小説の先を暗示するものとして使うことがよくある。それと同じように村上春樹は音楽を使っている。

『海辺のカフカ』では、カフカ少年がRadioheadの「kid A」を聞きながら一人で運動するシーンがある。この「kid A」という問題作は音だけ聞いていても暗く、別世界にいるような心地さえする。歌詞は隠喩が多用されていて理解しづらいが、現実世界への絶望、孤独、疎外感といったような負の側面を歌っていることは間違いない。カフカ少年が周りの少年にとって劣悪だった環境から逃げ出して一人で生活していくという小説の世界にあてはまる。

また「kid A」という曲の歌詞の中に「Standing in the shadows at the end of my bed」という一節がある。これは少女のころの佐伯さんが僕の寝室に現れるシーンとよく似ている。この一節をもとに村上春樹はあのシーンを書いたのかもしれない。このような暗示的な音楽を使うことで読者に様々な読み方、考え方を提示している。
(by lemon)

lemon
PROFILE:福岡出身です。趣味は読書、ギター、音楽・映画鑑賞、写真、サッカー・野球観戦です。


rankingbanner_03.gif
↑クリックお願いします

FBN22.png
posted by cyberbloom at 15:16| パリ | Comment(0) | TrackBack(0) | 週刊フランス情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/51816111
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック