2023年07月02日

「憎しみ」 LA HAINE (1995)

Jusqu'ici tout va bien... Jusqu'ici tout va bien...
L’important, c’est pas la chute, c’est l’attérrissage.



50階の建物の屋上から落ちている男が自分を安心させるために自分に語りかけている。「ここまでは大丈夫。重要なのは落ちていることではない、どう着地するかだ」。50階の高さから落ちているのだから、どう着地しようと助かりようがない。映画の冒頭でこの一節がライムのように語られる。これがパリの郊外に住む移民の若者の現実だとでも言うのだろうか。

何千台もの車が焼かれた2005年の秋の暴動はまだ記憶に新しい。警官に追いかけられた郊外の少年が変電所に逃げ込み、感電死した事件をきっかけにフランス全土に広がった。1992年に、パリの交番で18歳のザイール出身の若者が殴り殺されるという、同じような事件があり、マチュー・カソヴィッツが「憎しみ」を撮る強い動機になった。カソヴィッツは同じ1992年に起こったアメリカのロス暴動を念頭に置いていて、アメリカでは激しい抗議が起こったが、フランスでは何も起こらなかった。その埋め合わせを映画でやったのだと言っている。皮肉にも彼が「憎しみ」でカンヌ映画祭の最優秀監督賞を受賞して10年目にそれが起こった。そのあいだも、バンリュー(=郊外)の若者は、高失業率のままに放置され、ホスト国からよそ者として蔑視され、常に犯罪予備軍として警察の監視下に置かれ続けた。そういう状況下で、方向性のない憎しみを鬱積させる若者をヴァンサン・カッセルは見事に演じた。

しかし、五月革命(1968年)のデモがユートピア的なヴィジョンに基づいた反乱であったとすれば、2年前の暴動は何ら建設的な未来を主張することがなかった。暴動に加わった移民の若者たちにマイクを向けても、サルコジ(現大統領)の「くず racailles」発言が許せないと言うだけだった。組織化や連帯どころか、言語化すらままならない漠然としたルサンチマンに突き動かされて、彼らは自分たちの存在の承認を求めていた。また世界を驚かせたのは、そのような差別的事態が、労働者の権利が手厚く保護されていることで名高い国で起こったことだった。

破壊はむしろ彼ら自身に向けられていた。燃やされた車や学校は裕福な地域のものではなく彼ら自身が属する階層が苦労して手に入れたものだった。また、彼らは宗教的、民族的なコミュニティとしての特別な立場を主張したわけではない。フランス市民でありながら、そのように扱われていないことに対して、「俺たちを無視し続けることはできない」と知らせること。暴力が必要だったのはこの点においてのみだった。

印象的なシーンがある(動画)。主人公のヴィンツが鏡に映る自分に向かってガンをとばし、「オレに言ってんのか?」と自分に言いがかりをつける。攻撃性は明らかに自分自身に向けられている。自分の鏡像に拳銃を真似た指をつきつけ、トリガーをひく。消してしまいたいのは自分自身だ。つまり、自分たちを無視し、蔑む人間たちと同じ欲望を共有しているのだ。ヴィンツの攻撃性は彼の傲慢さを示すどころか、ヴィンツの情けなさ、惨めさ、無力さの裏返しだ。本来ヴィンツは小心な男で、でかいことをやるのは、いつも彼の想像の中だ。映画はそれをうまく見せている。

ヴィンツは結局、拾った拳銃をユベールに託したあと、私服警官の拳銃で撃たれて死ぬ。「憎しみの果てに」というよりは、思いがけない人間から偶発的な事故のような形で命を落とす。明快な憎しみと復讐のドラマを夢見ていたヴィンツは最後までそれに見放される。手に負えない憎しみの強度と、それに翻弄される人生の救いようのない軽さ。そのコントラストを強烈に印象付けてこの映画は終わる。



郊外というとイギリスなどでは一般的に中流階級のための快適な居住空間というイメージらしいが、フランスで郊外(=バンリュー banlieue )といった場合、移民のゲットーと化した高層の住宅団地を想起させる。フランスは移民を分離するのではなく、諸権利の獲得を通してホスト社会での平等を実現することを目指してきたが、バンリューの問題は移民を階級の問題として際立たせ、固定化しまった政策的な失敗と言えるだろう。

パリという国際的な観光都市が、凱旋門やルーブル美術館、エッフェル塔などのように歴史と密接に結びついたモニュメントに彩られているのは対照的に、バンリューには超ポストモダンというべき、つぎはぎの光景が広がる。「憎しみ」に次のようなシーンがある。団地のコンクリートの壁に、19世紀の詩人、ボードレールの肖像がグラフィック調に描かれている。それを背景にアラブ人のサイードがアメリカのコミック・ヒーロー、バットマンの話をしている。この組み合わせは、「解剖台の上のミシンとこうもり傘の出会い」どころではない。

移民の若者たちの現実は世界の大都市にどこにでもあるようなスラム化した高層住宅団地だ。そして娯楽情報としてアクセスしやすいのは、バットマンが象徴するグローバルなポップカルチャーなのだろう。彼らのルーツ(イスラムやアフリカ)から来るものでもない、彼らのホスト国、フランスの伝統でもない、彼らの第3の文化的な選択だ。彼らの文化的なアイデンティティーの構成にも興味が惹かれる。彼らが支持するフランスのヒップホップのあり方もその一面を見せてくれるだろう。

憎しみをめぐってはいくつかの論争があった。その中で興味深いものに、「パリ原色図鑑」を撮ったジャンルイ・リシェによるカソヴィッツ批判がある。「カソヴィッツは自分が経験していない世界を利用している。バンリューの映画はそこに住んでいる人々によって作られるべきだ」と主張し、「憎しみ」はサイエンス・フィクションだと言い放った。リシェ自身はバンリューの出身だという理由で、自分の映画こそが真のバンリュー映画だと主張している。

それに対してカソヴィッツは「3ヶ月前からロケ地に入って地元の人々と交流した」と反論している。エドワード・サイードはこのような直接的な経験を「経験の所有」という言い方をしている。抑圧され、差別される立場を特権化し、優位性を主張するという価値の転倒である。ヒップホップがその典型的な例で、荒廃と暴力のレベルが高いほど、憧憬の的になるということが起こる(少なくともヒップホップの初期においては)。映画の評価やその後の反響において「憎しみ」はリシェの作品をはるかに凌いでいるのに、カソヴィッツが苦しい言い訳をしなければならないのは、よそ者であるという引け目の意識から逃れられないからだ。

ところで、リシェの主張する正当性とは何だろうか。バンリューという客観的な現実があり、バンリューの住人でなければ、その現実がわからないということだろうか。しかし、リシェは結局ある実体論的な固定物としてバンリューを捉え、自己言及的に自分と自分の作品を権威付けているだけである。それは何も変えないだろうし、それどころか共同体をマイナーなものとして固定し、維持させる力として働くだろう。バンリュー映画が存在するとすれば、誰もが関心を持てるように外に開かれるべきではないのか。カソヴィッツについて言えば、他者としてバンリューにどう向き合い、そこに何を読み取っているか。そしてそれをどのような形で見せているかが問題なのだ。

バンリューという現実があるとしても、それは個々の経験によって不断に設定され、積み上げられていくものだ。またバンリューの暴力をひとつの抵抗として美化すべきではないし、暴力が告発や顕揚としてのみ表現されるべきではない。

一昨年の秋の暴動が明らかにしたように、バンリューは共同体的な一枚岩ではないし、そこで起こった暴力も抵抗と連帯の結果では必ずしもなかった。しかし、そこにある問題は私たちが決して理解できないものではなく、私たちが抱えている問題と共通するものさえ見出せる。

3回目のエントリーを書いている途中で、またもや移民系の若者の暴動のニュースが舞い込んできた(※この記事は2007年11月に書いたもの)。暴動の発端は、少年2人の乗ったミニオートバイとパトカーが激突し、少年2人が死亡した事故をめぐる警察の対応だった。パリ郊外、ビリエルベルでは2晩続けて暴動が起こり、警察官120人が負傷し、看護学校など5つの建物と自動車63台が放火され、15人が逮捕されている。

2005年秋の内相時代に起こった暴動では、クズ racaille やゴロツキ voyou 発言をするなど、強硬姿勢をとったサルコジ大統領だが、今回は少年2人の遺族をエリゼ宮に招いて弔意を伝える予定と声明を出し、鎮静化に懸命のようだ。2005年秋の暴動も、窃盗容疑で警官に追われていた移民の若者2人が禁止標識のある変電所に逃げ込み、感電死したのがきっかけだったが、そのときは非常事態宣言にまで発展した。そしてカソヴィッツが「憎しみ」を撮ったきっかけになったのが、1992年にパリの交番で18歳のザイール出身の若者が殴り殺されるという事件だった。

つまりはバンリューの若者たちを社会参加させるための政策が後手に回り、彼らはもっぱら警察の監視の対象、つまりは犯罪予備軍としてクローズアップされる。そして時にはこうした警察の「やりすぎ」が起こる。



現代の憎しみはメディアコミュニケーションという回路を抜きにして語ることはできない。「憎しみ」はとりわけメディア報道のコラージュが効果的に使われている。ニュースは複数の出来事のあいだに関連性を作り出し、整合的で一貫性のある物語に纏め上げようとする。そしてディスクールの向こう側に真実があるかのように偽装する。バンリューのイメージもそうやって作られている。

パリ=中心−バンリュー=郊外という対立によってすべての価値が再配置され、またバンリューの真実がバンリューに関する各ニュースの背後に作り出される。実際はそれぞれ異質な出来事が存在しているだけで、それらの起源も相互の関連性も様々で、それぞれの出来事のあいだには断絶と矛盾があるはずである。しかし、ニュースはそういう側面にほとんど注意を払わない。

ニュースはテレビを通してバンリューに関する知を行き渡らせるが、バンリューの住人たちは言葉を奪われたままである。彼らには語りとしての生、経験としての生があるにもかかわらず、それを表現する手段が与えられていない。

メディアと関わるヴィンツの行動を分析してみよう。ヴィンツは警官の拳銃を拾い、それを隠し持っている。TVは警官に暴行を受けたアブデルの危篤状態とともに、暴動の際に警官が拳銃を一丁紛失したことを報じている。彼の住んでいる一帯でもそのうわさで持ちきりである。

ヴィンツはその拳銃を所有していることに興奮している。ヴィンツを復讐へと駆り立てているのは、自分だけがこの秘密を知っているという使命的な感情である。あたかも自分が主人公のスペクタクルが用意されているかのように思っている。しかし、復讐の動機は極めて曖昧である。警察の暴力で瀕死の重傷を負った仲間、アブデルのためだと言っているが、その男とは会ったこともない。その仲間意識の由来は同じバンリューの住人ということだけである。それが高じて、まさに憎しみの共同体が、メンバー全員が仲間のために武器をとって蜂起するような共同体が夢想される。それは警察への憎悪や敵対によって反照的に生まれ、強化されるものである。しかし、それが生まれえたとしても、その偶発的な連帯は脆弱で、組織としてコントロールされることは難しいだろう。そして現実はヴィンツが思っているほどドラマティックではない。

それでもヴィンツは拳銃を拾ったのだ。拳銃のフォルムが弾丸をひとつの方向に撃ち出すように、ヴィンツの憎しみに方向と表現を与える。拳銃はすでにひとつのメディアである。ヴィンツは拳銃を持って初めて憎しみを自覚した。依然として対象は曖昧であるが、胸のうちで混沌としていたもの、埋め合わせをしたいと思っていたものを自覚することができた。しかし、「昨夜の暴動は警察との戦争だった」とか「警察に復習してやる」と言っても、サイードとユベールはヴィンツの言うことを端から相手にしていない。戦争などという共同体の衝突ではなく、よくある小競り合いだと思っている。外からバンリューとしていっしょくたにされているが、バンリュー内部の利害関係も単純ではなく、外の世界との関わり方も様々である。

レ・アールのモザイク状のTVスクリーンに突如として、アブデルの顔が映り、彼の死亡が伝えられる。映画の中で最も衝撃的なシーンであり、ヴィンツの感情が最も高揚する瞬間である。しかし、彼の想像の共同体を可能にしているのは、TVというメディアである。彼はメディアを通して自分の状況を知るのであり、自分自身で情報を収集し、客観的に分析しているわけではない。自分がうわさの拳銃の持ち主であることや、アブデルの死を知ったのもTVを通してである。それは単純で受動的な回路である。

ヴィンツは例えばハッカーのようにメディアを撹乱したり、操作したりしない。武器は最初から奪われている。そこにも搾取がある。ヴィンツは拳銃を拾ったが、それは偶然に拾っただけなのだ。暴力は彼らの専売特許のように見えながら、実は彼らを取り囲み、監視している者たち、つまり装甲車を伴い、完全武装している者たちに独占されている。

またヴィンツはいつも偶然にTVを目にしている。彼はいつもTVの前にいて恒常的にその影響下にあるわけではない。断片的にしか見ていない。知人の家でTVに映った暴動のシーンを見て、無邪気に喜んだり、自分が映らなかったことを悔やんだりしている。しかし、おそらく普段からTVのニュースなど見ていないし、ホスト社会のニュースの言うことなど、端から信用していないはずである。普段は全く無関心だったニュースが激しい情動に駆り立てる装置に転じ、彼の行動に決定的な動機を与える。

ヴィンツのTVの見方は、一方的なTVの側からの意味づけやコンテクストの押し付けを無視して、自分の憎しみのストーリーためにそれらを組み替え、再構成している。メディアを信用しつつ、信用しないというアンビヴァレントな態度がベースにある。メディアに乗りながら、メディアの意図をずらし、自分のために流用する。

このようなメディアを通した想像力は差別される側にも差別する側にも同様に働く。TVを通して(例えば、サルコジのクズ発言に共鳴して)バンリューの若者に対して差別意識を燃やす人間もいるだろう。1回目のエントリーで、ヴィンツの攻撃性は自分自身に向けられ、自分を無視し、蔑む人間たちと同じ欲望を共有していると書いたが、これもメディアを通して可能になる回路だ。

もちろん私たちもこのようなメディアを介した憎しみの燃え上がらせ方を知っている。また私たちはニュースを通して、会ったこともない、全く知らない人間に対して、怒りや憎しみを燃やす。それは断片的な情報やニュースが造ったコンテクストに基づいたものにすぎないにもかかわらずである。それが世論や社会的正義として大きな影響力を持つことがよくある。


cyberbloom





posted by cyberbloom at 21:09 | パリ ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | フランス映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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