2007年07月24日

セザンヌのエクス=アン=プロヴァンス

19世紀後半から20世紀初頭にかけフランスが芸術の首都であったことは疑いのない事実である。
レアリスム、アンプレッショニスム、フォービスム、キュビスム、シュールレアリスム。
フランスから発信された芸術運動を思いつくままに挙げてみても、この時期がフランスがのみならず世界の美術史においても特権的な時間であったことを確認するに充分だ。
今日、オルセー美術館やポンピドゥー・センターを訪れると、この輝かしい歴史を膨大なコレクションと共に追体験することができる。

もちろんこの美術史の足跡は、美術館の中だけに記されているわけではない。
パリ郊外オーベル・シュー・ワーズでは、ゴッホが自ら命を絶ったホテルの一室がほぼそのままの姿で保存され、またそこから遠くないジベルニーにはモネが日本庭園をイメージして作った庭が、今日においてもその姿をとどめている。

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そして、このように美術史の周縁を確認できる場所はパリ近郊に限られるわけではない。
マルセイユの北に位置する街エクス=アン=プロヴァンスもセザンヌの絵画と共に確実に美術史にその名を残すことになる。

セザンヌが1901年に建て死ぬまで6年間用いたアトリエ(写真↑)はエクス=アン=プロヴァンスを見下ろす丘の上にある。
そしてこのアトリエで最後に完成させた作品は、セザンヌが80点以上の作品で描いたサント=ヴィクトワール山を対象としたものだった。

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アトリエの付近からもこの山を見ることができるが、観光案内所で貰った地図を片手に山の方へ向かって歩いてみた。
日曜日でバスもなかったのだ。
夏の南仏の強い日差しの下をずっと歩く。
なかなか山は見えてこない。

それでも何人か観光客らしい人とすれ違った。
ドイツ人、オランダ人、アメリカ人。
皆、一様にこれ以上先に行っても何もないと言う。
だがそう言われても、もう1時間も炎天下の下歩いて来たのにここで引き返すのもくやしい。
さらにすすむと脇道があった。
そこを入って行くと、なだらかな斜面の向こうにようやくはっきりと山塊は見えた。
当たり前かもしれないが、それは101年前にセザンヌが描いたものと同じものだった。



キャベツ頭の男

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posted by cyberbloom at 23:11 | パリ ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | バーチャル・バカンス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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