2020年11月08日

Dig Deeper―『枯葉』を聴きなおす

フランスの歌、といえば誰もがその名前をあげるだろう『枯葉』。シャンソンの代名詞であるばかりでなく、国境もジャンルも軽く超え様々な言語の衣装をまとって歌われ、無数のアレンジで演奏されている。特にジャズの世界では、カッコいいフレーズが湧き出てくるインプロビゼーションの泉としてスタンダードナンバーとなり、フランスを脱ぎ捨てた旋律は幾世代ものジェネレーションに引継がれ今も美しい変容を続けている。 あまりにも身近で、あまりにも使い倒されていて…だからこそ、その素顔を知りたくなる。ほんとうはどんな歌だった?



そもそも、歌うために作られたものではない。踊るためのものだった。作曲家ジョゼフ・コスマがコリオグラファーのローラン・プティのためにつくったバレエ音楽『ランデヴー』に組み込まれた旋律にすぎなかった(ルグリとゲランが踊ったパ・ド・ドゥの中で流れていたのを耳にとめられた方も多いかと思う)。

歌としてお披露目されたのは、第2次世界大戦後の人間模様を描いたマルセル・カルネ監督の映画『夜の門』。(この曲をヒットさせたイヴ・モンタンの主演作であるものの、映画の中で歌ったのは女性歌手。)脚本に携わった詩人ジャック・プレヴェールが後づけした詞はどんなものだったのか。最近岩波文庫の一冊に加わった『ジャック・プレヴェール詩集』に特別待遇で収録されているので読んでみる。

まず、季節についてことさらふれていないのに驚く。(アメリカの名作詞家ジョニー・マーサーによる英語詞や日本語詞を彩っていた感傷的な晩秋の印象や移り変わる季節の情景への言及は、タイトルやあの旋律から喚起された詩的創作だ。)プレヴェールの詞にあるのは、飾りを排したビタースウィートな嘆息。あれだけ幸せな豊かな時間を共にした二人だったのに、それでも別れてしまったというなんとも言えなさをまだ抱えている。時が経っても私の中につもっている「あの頃」の残滓の象徴として登場するのが、掃き捨てられる枯葉の山(ひらひら舞い落ちはしない)。この歌が使われた映画自体ハッピーとはとてもいえない作品であったことも影響はしているのだろうが、想像していた以上に噛み締める詞があった。

が、いざ歌われると、歌は顔つきを変える。多くの歌い手たちはのあの強い旋律に引きずられうっとりし、いかに美しく歌うかに腐心するところで止まってしまう。旋律への思い入れのおかげで、詞までなんだかこってり化粧されてしまったようだ。素顔の歌を感じさせてくれるものはないかとyoutubeに相談してみたら、見つけたのがこの2曲。

フランソワーズ・アルディ



この歌と相容れない個性の人であると思う。歌った時はまだお若かったご本人もそれを意識しているのか、あっさり、そっけなく歌っている。その思いの薄さ加減が、歌の持つ微妙なニュアンスが息をする場を作ってくれているような気がする。ラテンの香りのする音にシフトするアレンジもお洒落。

アンネ・ソフィ・フォン・オッター
https://youtu.be/b5RlYr2ejHM

スウェーデンの名メゾソプラノの、フランスの歌を集めた2枚組アルバムより。母語ではない言葉で歌う緊張感と、声楽家ならではの音や言葉への繊細で精緻な目配り、楽曲を読み解く感受性、そして徹底したヴォーカル・コントロールでもってこの歌を洗いにかけ、見事に蘇らせてしまった。メロディの美しさはそのままに、詞が孕んでいたいわく言いがたいほろ苦さがすみずみににじんでいる。

また、この曲が多くのジャズの名演により歌の枠を超えて愛されてきたことをさりげなくしのばせる作りにもなってる。一カ所だけ、オッターはメロディを崩してみせるのだが、原曲から離れふっと身軽に浮かんでみせる身のこなしに、歌手とは違うアプローチでこの歌を愛した数知れないジャズミュージシャンへのオマージュを感じる。


GOYYAKOD




posted by cyberbloom at 15:21 | パリ | Comment(0) | JAZZ+ROCK+CLASSIC | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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