2019年03月20日

『ルージュの手紙』カトリーヌ・ドヌーヴ&フロ主演

原題の Sage femme は「助産婦」の意味だが、邦題は『ルージュの手紙』である。ダブル・カトリーヌ主演なのに「助産婦」なんてあまりに地味なタイトルだからだろうか。確かに「ルージュの手紙」が登場するのだが、ユーミンの「ルージュの伝言」に似せて潜在意識に訴えようという作戦なのだろうか。



カトリーヌ・フロが演じる助産婦のクレールは49歳という設定だ。自分と同じ世代なので、とても身につまされる話でもある。アラフィフと言えば、これまでの人生を振り返り、人生の決算にとりかかりつつ、まだしばらくのあいだ残された人生を、しかしいつ中断されてもおかしくない人生を見つめざるをえない時期である。

助産婦のクレールは、確実に経験と実績を積み上げてきた。それが自分の仕事に対する自信と誇りにもなっている。20年以上も前に取り上げた赤ん坊が大きくなり、自分の出産のときに再び同じ病院に来るエピソードがある。あなたは命の恩人だと感謝されるが、それは母親が危険な状態になったとき、血液型が一致したクレールが自分の血液を提供したからだ。クレールには息子もひとりいて、やがて孫が生まれる。使命感を持って仕事をして、愚直に生きた。悪くない人生だ。しかしひとつだけ心にひっかかっていることがあった。その当人、継母のベアトリスが突然彼女の前に現れる。

再会したベアトリスは自由奔放に生きてきたツケを払っている。ベアトリスはカトリーヌ・ドヌーヴが演じているのだが、あまりにエレガントで重病人には見えない。役柄においても自分のスタイルを決して崩さないドヌーヴならではの演技は、醜態をさらすくらいなら死を選ぶんだろうなと自然に思わせる。クレールが「キスだけで人を幸せにできる」とその点については評価するように、ベアトリスの華やかな魅力は天性のもので、地道な努力によって人生を積み上げてきたクレールとは対照的だ。しかしクレールはベアトリスに少しづつ影響され、人生を楽しむことを学ぼうとする。

この映画が時代を反映しているとすれば、新しい生命の誕生を通して、経験と先端技術を対比させているところだろうか。クレールは最終的に「赤ん坊工場」で働くことではなく、自分が蓄積した経験を伝えることを選ぶ。映画で「赤ん坊工場」と揶揄される新しい病院のマネージャーは、「ここでは sage femme という言葉は使わず、新しく maïeuticienne (助産師の女性形)という言葉を使う」と宣言している。つまり経験に基づく昔ながらの「助産婦」と、最先端のテクノロジーによって高度に管理された医療システㇺで働く「助産師」が対比されている。前者の経験を支えるのが助産婦たちの手だ。

私自身、助産所で子供の出産に立ち会い、自分の手でへその緒を切った経験があるが、陣痛の波がやってくるたび、どこからともなく伸びてくる千手観音のような助産婦さんたちの手が印象的だった。出産の苦痛と孤独を癒すのは機械ではなく、「手厚い」ケアなのだ。かつての助産婦さんたちが介在する出産は、男尊女卑の伝統がベースにあり、女性によって囲い込まれたものだったが、近年は、カップルの関係性と選択において男が出産に関わるようになっている。クレールも出産に立ち会う際には積極的に男に出産に関わらせている。さらに外科医を目指して医学部に在籍しているクレールのひとり息子、シモンは助産師になりたいとさえ言い出す。クレールは女の仕事だと反対はするものの、シモンの意志は固い。こうやって医療側の意識も環境も変わっていくのだ。

時代の反映と言えば、複合家族的な関係もそうだ。クレールとベアトリスは、1970年代にオリンピックの水泳選手だったクレールの父親(=ベアトリスの夫)に生き写しのシモンを通して、共有する男の記憶を鮮明に蘇らせる。ベアトリスはシモンと別れるとき、死んだ夫を思い出すように彼の唇にキスをする。血がつながっていないからこそ、ある種人工的で倒錯的な絆を作る必要があるのだ。さらに彼らの関係を「水」が媒介する。それはパリを横切り、蛇行しながらクレールの住む郊外のイヴリーヌ県を巡るセーヌ川だ。水泳選手の祖父から水との親和性を受け継いだシモンがセーヌ川で泳ぐ姿を遠景で撮ったシーンが印象的だ。1923年に遊泳禁止になったセーヌ川も今や水質が改善し、泳げるようになっている。まさに2024年開催のパリ五輪ではセーヌ川で水泳競技が行われる予定だ。失踪したベアトリスは、シモンと水の中で出会えたのだろうか。


cyberbloom


posted by cyberbloom at 21:36 | パリ ☁ | Comment(0) | フランス映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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