2007年06月06日

「海辺のカフカ」の音楽(2)

シューベルトのピアノソナタ。「のだめ」もコンクールの課題として弾いていた気がする。小説の中でも言われていたが、シューベルトのピアノ曲は長大で、単調すぎると評判が悪かった。シューマンは「天国的に冗長」と言ったらしい。特に録音時間が短い戦前のSP盤(片面4分)では扱いきれず、その評価はLP盤(片面30分)という長時間録音媒体の登場を待たなければならなかった。CDの時代になるとピアニストにとってシューベルトをレパートリーに入れるのが常識になり、その長さと単調さ(反復の多い、漂うような構築性の不在)が逆に現代では評価されるようになった。媒体=メディアが作品の評価を規定する格好の例と言える。現代においては、聴く側に緊張と心の準備を要求するベートーベンの重さと激しさよりも、シューベルトの癒しと慰めに向かうという一面もあるようだ。カフカ少年は大島さんと隠れ家に向かう車の中でこの曲を聴く。この曲が長時間ドライブに合うというのもちゃんと理由があることなのだ。

村上春樹によると、

「ピアニストたちが仕掛けをしたり、メリハリをつけなければ間が持たない曲」

「運転をしながらシューベルトを聴くのは、何らかの意味で不完全な演奏だからだ。質の良い稠密な不完全さは人の意識を刺激し、注意力を喚起してくれる」

曲は二短調と言っているから第17番。小説の中では誰の演奏なのか言及がないが、他の著書で、アンスネス(ノルウェー)とカーゾン(イギリス)の名前を挙げているようだ。ピアノソナタの定番としてはドイツの巨匠ケンプが晩年に全集を完成し、広く知らしめることになったが、内田光子の新しい取り組みも評価が高い。


ベートーヴェン : ピアノ三重奏曲第7番 「大公」&シューベルト : ピアノ三重奏曲第1番 ベートーヴェン:チェロ作品全集


ところで、ホシノ青年がぶらりと入った喫茶店でかかっていたのがベートーベンのピアノトリオ「大公」。「百万ドルトリオ」と呼ばれた、ルービンシュタイン(p)、ハイフェッツ(vn)、フォイアマン(vc)による演奏(1941年)。ルービンシュタインはその下品な呼び方をひどく嫌っていたというが、確かにミーハー心を刺激する組み合わせ。「大公トリオ」もいいが、「百万ドルトリオ」で個人的によく聴くのは、哀愁を帯びたメロディーが美しいチャイコフスキーの「ある芸術家の思い出」。こちらは急死したフォイアマンに代わってピアティゴルスキーが参加している。当時、ルービンシュタインとハイフェッツの二人はベートーベンのクロイツェル・ソナタ(第9番)も演奏したらしいが、残念ながら録音は残っていない。

フランス関係では、フランスのチェロ奏者、ピエール・フルニエが出てきて、喫茶店のマスターはフルニエ先生と呼んでいる。小説ではハイドンのチェロ協奏曲(このアルバムに収録)が取り上げられている。フルニエ先生に関しては、先ほどのケンプと組んだベートーベンの「チェロソナタ」が外せない。

ホシノ青年はマスターにクラシックの手ほどきを受け、とりわけベートーベンにはまる。音楽だけでなく、その人生にも。今にしてみれば「のだめ」以降のクラシックのフラット化の先取りだったのか。


cyberbloom

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posted by cyberbloom at 22:10 | パリ ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 書評−その他の小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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