2015年11月01日

黒沢清、あるいは撮り続ける意思―2015年カンヌ映画祭「ある視点」部門で監督賞―

いまや日本を代表する映画監督のひとり、黒沢清(1955-)が2015年のカンヌ映画祭「ある視点」部門において、最新作『岸辺の旅』により監督賞を受賞した。黒沢はフランスの観客との相性が非常によく、映画ファンの間では日本以上に彼の名声は高い。カンヌでは『回路』(2000)がすでに2001年にコンペティション部門で国際批評家連盟賞を受賞しているし、『アカルイミライ』(2003)もコンペティション部門に正式出品され、2008年には『トウキョウソナタ』が「ある視点」部門の審査員賞を受賞するなど、もはや常連といってもいいほどの存在感を示している。また、日本ではテレビドラマとして製作された『贖罪』がフランスでは2013年に2部作の映画として劇場公開され、話題を集めていた。

神戸市に生まれた黒沢は、灘区にあるカトリック系の名門高校、六甲学院に進学(大森一樹もこの高校の出身)、その後、立教大学へと進む。ここで、黒沢は自主映画サークル「パロディアス・ユニティ」に属する一方、ひとりの教師と決定的な出会いをする。映画論の講義を担当していた蓮實重彦である(蓮實は1968年4月から1970年3月まで立教大学一般教育部の専任教員を務め、同年4月に東大に転出した後も立教で映画論講義を続行する)。「映画を観る」という体験を根底から覆すことになった蓮實の授業がもたらす強烈なインパクトについて、黒沢は自らの著書でたびたび語っている。この蓮實ゼミナールからは他に、塩田明彦(1961-)や青山真治(1964-)のような世界的に活躍する映画監督が多数誕生したことはいまやよく知られた事実であろう。

その後、長谷川和彦ら当時の若手映画監督たちが発起人となった映画製作会社ディレクターズ・カンパニーの立ち上げに最年少メンバーとして参加。しかし、ここで『ドレミファ娘の血は騒ぐ』(1985)、『スウィートホーム』(1989)の2作を撮っていたころは、黒沢にとっては試練の時代であった。「自分の思い通りに作品を撮らせてもらえない」という監督の悩みはいつの時代にもあるものだが、『スウィートホーム』ではそれが決定的な所にまで行ってしまう。この作品の実質的なプロデューサーであった伊丹十三(1933-1997)との確執は当時話題になった。裁判沙汰にまで行くこのトラブルを乗り越えたあたりから、黒沢は独自の世界を切り開き、真の才能を開花させることになる。

1997年製作のホラー映画『Cure』はカルト的な人気を呼び起こし、主演の役所広司の演技にも高い評価が集まった。役所の信頼を得た黒沢は、奇妙な男とその周りの人間との葛藤を描いた『ニンゲン合格』(1999)においても西島秀俊と共に役所を主演に据える。その後も、不思議な一本の木を巡る哲学的な物語『カリスマ』(2000)、「もうひとりの自分」に苦しめられる人間を描く『ドッペルゲンガー』(2003)、『叫』(2006)と三作に亘って役所を主演に起用。独自のサイコ・サスペンスを続々と世に送り届ける。この「黒沢=役所コンビ」作品と平行しつつ、『アカルイミライ』(2003)などの話題作を製作していく。この、休む間もなく自らの本能のおもむくままに作品を撮り続ける黒沢の姿には、かつて、個性的なB級映画を職人的に撮り続けて来た何人かのアメリカ映画作家たちの姿が重なってくる(ロバート・オルドリッチ、サム・ペキンパー、etc….)。


いわゆる「恐怖映画」に深く影響された黒沢であるが、その作品は、巷にあふれるホラー映画やスプラッタ系の作品とは一線を画している。彼の映画の画面が血しぶきや切り落とされた肉体などの具体的なイメージに満たされることはまずない。彼は事物によって人を恐怖に陥れるのではない。黒沢が描こうとするのは、人間が恐怖という体験に直面する際の「緊張感」と「寄る辺なさ」、「逃れがたさ」であり、また、そのような恐怖に直面する前の状態がはらむ「切迫感」である。「何かが起こるのかもしれない」、「何かが起こっているのかもしれない」という予感と感覚に登場人物たちは常に苛まれ、苦悩する。そのような底知れぬ恐怖の状態を抜け出たのかどうか分からぬまま、映画はいつの間にか終わる、という展開が彼の映画のひとつのパターンである。

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そのような作風を堅持していた黒沢に変化の兆しがはっきりと現れたのは、2013年公開の『完全なる首長竜の日』であった。綾瀬はるかと佐藤健という当代きっての人気俳優を主演に据えたこの映画をひとことでまとめれば、SF・サイコ・アクションということになろう。自殺未遂を起こして昏睡状態に陥った恋人(綾瀬)の意識下に潜入した主人公(佐藤)が、その世界の中で恋人の意識を何とかして正常な状態に戻して救い出そうと苦闘する…という物語はクリストファー・ノーランの『インセプション』(2010)に似ており、また、CGを使って首長竜を映像化する辺りは近年ますます流行しているハリウッド映画の規定路線を踏襲しているようにも見える。だが、そのような物語・映像の変化は大きな問題ではない。

この映画での大きな変化は、黒沢が「愛の物語」というテーマを前面に押し出してきた点である。蓮實重彦も「黒沢清はラブシーンを絶対撮ることが出来ないと思っていたが、この映画で見事に覆された」と雑誌で語っており、黒沢自身もフランスのラジオ局 France Culture のインタビューにおいて、「愛そのものよりも、愛することの苦しさに魅かれる」と率直に語り、自分自身でも新境地に達したことを認めていたようだった。今回、カンヌで受賞した『岸辺の旅』は、湯本香樹実の小説の映画化であり、死んだはずの夫(浅野忠信)と旅を続ける妻(深津絵里)との心の交流を描く作品だという。ということは、恐らく、この新たな路線が進められているのだと思う。黒沢がどのように夫婦の姿を映像化しているのか、10月の日本公開が待ち望まれてならない。


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posted by cyberbloom at 14:50 | パリ 🌁 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日本と世界の映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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