2007年03月04日

「幻想水族館」

和田ゆりえさんの『幻想水族館』を読みました。

suizokukan01.jpgエッセイ・短編など27の作品が収められた素敵な本です。それぞれの作品には魚の名前がタイトルとして付けられていて、それがアルファベット順に並んでいます。「イワシの軍隊」「ウツボ」とはじまり、「ギギ ― 歌う魚」「人面魚」「人魚」などを眺め、「マンタ」「マンボウ」まで、時の経つのも忘れて楽しく鑑賞することができます。ページを繰るぼくらの手を、しばしば、彼らの愛嬌のある、しかしときにありふれた写真(ぼくたちが水族館でまさに目にする彼らの姿)がしばし止めさせ、まなざしをひきつけ、たとえば「ああ、ニシキテグリってのはこんな魚なんだな」とか、「ゴマフアザラシはやっぱりかわいいな」などとずいぶん現実的な、たわいもない感慨に心地よく浸って、水族館のあの独特な光の具合に思いをはせたりもしてしまいます。

けれども、きわめて整然と分類され、提示されているかのような外観、現実の彼らの写真にもかかわらず、和田さんの紡ぐ言葉、そしてイメージが、ぼくらをさまざまな「幻想」へと、それこそ知らぬ間に連れ去ってしまっているのです。ふと気づくと、きちんと並んでいたはずのアルファベットは順番を変え、夢と現の境はじわっと交じり合い、周りの乗客はみななんらかの魚のよう。『幻想水族館』は幻想の水族館の物語ではありません。摩訶不思議な、この世のものともわからない水族たちの姿を描き出すのではなく、幻想へと滑り込むちょっとしたきっかけ、水族館の大小さまざまな水槽を覗き込むぼくたちのまなざしがふいっと夢へと逃れてしまう入り口としてあるのでしょう。もちろんそこに潜む魚たち、「キメラ化」し、ぼくたちの分類法など軽々ととしなやかに超えていく彼らが重要な導き手となっていることはいうまでもありません。彼らの存在こそが「夢の結節点」として、さまざまな幻想を結びつけることができ、その美しき身体においてのみ現から夢への、夢から現への跳躍・往還を可能にしているのです。

彼らの夢のような存在、現実にありながら夢へと開かれた身体。

『幻想水族館』を脇に抱えて、水族館に出かけよう。淡い光が反射するあの青い空間で、ぼくたちを待っている彼らを、その幻想をぼくたちはぼくたち自身のうちに持ち帰ることになるかもしれません。

■和田ゆりえ 『幻想水族館』 1400円 萌(きざす)書房


PST

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posted by cyberbloom at 09:35 | パリ | Comment(0) | TrackBack(0) | 書評−その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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