2012年12月05日

有名美術館の分館ラッシュ(1) ルーブルもポンピドゥーも

有名な美術館が地方都市に分館を建てる動きが世界的に活発になっている。フランスではポンピドゥーセンターのメッス分館に続き、今週オランド大統領を迎えてルーブル美術館のランス館がオープンした(一般公開は2012年12月12日)。



ルーブル美術館が分館を開いたのはフランス北部の都市ランス Lens。シャンパーニュ地方の中心都市 Reims ではない(カタカナ表記では同じになる)。ランスは炭鉱の町として知られていたが、90年に最後の炭鉱が閉じてからは売りになるような産業もなく、町は慢性的な高失業状態にあった。それだけに、2004年11月にルーブル美術館の分館の誘致が決まると市民は熱狂状態になったという。ルーブルの分館の目的は本館の豊富な所蔵品の一部、つまり本館の余り物をいただいて展示するだけではない。パリの本館ではジャンル、地域、時代によって8つの部門に分かれているが、ランスではそのような展示形態とは違った、横断的で斬新な切り口で作品を見せる実験的なアンテナ美術館を目指す。

http://www.louvrelens.fr/

一方、リールやボルドーを押しのけてポンピドゥーの分館を誘致したメッスは、ドイツとの国境に近い人口12万人の都市。このフランス東部の地域には工場が林立する殺風景なイメージしかなかった。しかし、2008年に国鉄(SNCF)の駅の東に広がる寂れた操車場跡にエキゾチックなデザインの美術館が完成した。パリのポンピドゥーセンター内の現代美術館はピカソ、マティス、シャガールなど20世紀の芸術作品5万6千点を所蔵するが、スペースの制約があり、その中で展示できるのはわずか1500点にすぎない。ルーブルと同じく、眠っている宝の山をいかに有効活用するかが長年の課題だった。メッスの分館ではパリの本館の作品を定期的に入れ替えて展示し、また独自で企画した展覧会を開催する。

http://www.centrepompidou-metz.fr/

有名美術館の分館ブームはフランスだけにはとどまらない。イギリスのテートギャラリーはリバプールなどの国内3ヶ所に分館を開き、ロシアのエルミタージュ美術館は国境を越え、アメリカのラスベガスとオランダのアムステルダムに進出した。分館の成功例として象徴的なのは97年にスペインのバスク地方に誕生したアメリカのグッゲンハイム美術館のビルバオ分館(写真)である。人口35万人の都市に年間100万人が美術館目当てに訪れ、その60%が外国人観光客だという。ビルバオ分館は停滞した鉄鋼都市、バスク紛争の暗いイメージを一掃し、芸術が地域再生の切り札になることを証明してみせた。チタニウムの板で作られ、平らな面が一切ない、うねるような奇抜な外観も話題になっている(設計者は神戸のメリケンパークの巨大な魚を作ったフランク・ゲーリー)。

http://www.guggenheim-bilbao.es/

グッゲンハイム美術館は現在アラブ首長国連邦にも分館を計画している。他にもアジア進出を狙っている有名美術館もあるようで、そのうち日本の地方都市にも館誘致のチャンスがめぐってくるかもしれない。分館の誘致には美術館側の利点も大きい。分館の敷地や建物は経済効果を当てにする地方自治体が用意してくれる。有名美術館は今や厳しい国際競争にさらされ、政府の補助金も削減されたりして、財政的に厳しい状態に置かれている。独自のアイデアで財源を確保しなければならい時代になったのだ。何よりも増して数多くの所蔵品が展示されずに眠っているのがもったいない。

フランスは中央主権国家であり、フランス革命以来、地方の経済的、文化的な衰退が著しかった(例えば、革命のときには地方文化を支える地方語や方言が弾圧された)。アヤゴン元文化相・ヴェルサイユ宮殿前館長は「文化の脱-中央集権化」の柱としてルーブルとポンピドゥーの分館計画を位置づけているが、一方でいくつか疑問も生じる。有名美術館を誘致することは、既成文化の移植であり、地方文化と有機的なつながりはない。確かにブランド美術館の威を借りるのが手っ取り早いのだろうが、それでは本当の地方文化の再生にならないのではないのか。

例えば、地元の人々の手による演劇祭や音楽祭などが地域文化の復興や再発見につながるケースがある。フランス の地方都市でも実際そういう動きがあった。しかし、昔ながらの共同体も、それが支えてきた伝統文化も衰退してしまい、単に何もない町(それこそ日本で言うなら、コンビニとファミレスとショッピングモールしかない町)になっている場合は、行政や企業が工夫を凝らして、人々が集う核となるようなプラットフォームを打ち込み、新たな伝統を作っていくしかない。ランスやメッスはそういうケースだったのだろう。

一方で、美術鑑賞のあり方も、美術そのもののあり方も変わりつつある。作品−鑑賞者という固定的な関係を切り崩す新しいコミュニケーションが模索されている。分館にはそういうラディカルな試みも可能だ。美術館は近代社会の公共性をはぐくむ場でもあったが、昔のままにハコモノを建て、外からコンテンツを持ってくるだけでは地域のコミュニケーションをバックアップすることは難しいだろう。観光客だけでなく、地元の人々を巻き込みながらアートの新しいあり方や体験を提示していく工夫も必要だろう。これは日本の地方再生にとっても重要なヒントになるはずだ。



cyberbloom

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posted by cyberbloom at 22:52 | パリ ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | フランスの美術館 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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