2012年11月29日

After a fuss….ディオールを巡るあれこれについての雑感

電話帳のような Vogue の September Issue が店頭に並び、新しいシーズンに向けてファッション業界が飛び立ってゆく今、去年春から今年にかけてクリスチャン・ディオールに起こったことについて思ったことをぼそぼそつぶやいてみたい。

Dior Coutureジョン・ガリアーノが放逐され、ラフ・シモンズが新しいアーティスティック・ディレクターに就任。業界を震撼させたスキャンダルは、思いがけない、しかしこれ以上ない選択へ道を開いた。

しかし、ラフ・シモンズがディオールの伝統を引継ぐことになるとは!ジル・サンダーでの仕事は鮮やかな印象を与え、映画の衣装やレッドカーペット用のドレスで旬の女優を輝かせるなどその名はとどろいていたものの、「フェミニンな女性の美しさ」を第一に考えてきたブランドの華やかなイメージと、シモンズの作品のミニマルなイメージとには距離が感じられたからだ。そもそもシモンズは、ジル・サンダーのアーティスティック・ディレクターになるまで女性のためにデザインをしたことがなかった。ディオールをコントロールする LVMH にとって、シモンズの起用は「賭け」だったと思われる。

しかし、この大胆な起用は、ディオールのブランドイメージを一新するために不可欠だったのではないか?ハリウッド・スターや上流階級のエレガントな女性達に好まれるあこがれのドレスメーカーとして、化粧品や香水、高価な日常の品々についたロゴでおなじみのブランドとして、ディオールは長きに渡りゆるぎなく存在してきた。しかし、ファッションの歴史において、ディオールについての記述は思いのほか少ないのではないだろうか。同じビッグメゾンであるシャネルは、創始者ココ・シャネルを神聖なアイコンとしてあの手この手で引っ張り出し、時代を超えた憧れの女性、モードの革新者と讃えることでブランドイメージを新鮮に保つことができた。ディオールが勝負できる手札といえば、「ニュー・ルック」のころの懐かしいモノクロ写真と若きサンローランがブランドを引継いだときのセンセーションをかき立てる記事ぐらいだろうか(しかもサンローランは短期間でブランドを追われた)。柔和でぽっちゃりした美食家だったムッシュ・ディオールはビジュアル的に魅力的なアイコンとは言い難い。サンローラン後から80年代にアルノー氏がブランドを掌握するまでの数十年間ディオールのデザインを任されていたデザイナー、マルク・ボアンのことを覚えている人がどれだけいるだろう? 

そんなディオールにとって、ジョン・ガリアーノのクリエイティヴ・ディレクター就任は大きな転機となった。例の “J’adore Dior” T シャツに代表されるようなカジュアルな側面は上品だけど保守的なブランドのイメージを変え、カワイイもの好きの Chick 達も今風なディオールのロゴをあしらったグッズを財布をはたいて買いもとめててくれるようになった。しかし、ガリアーノがあのような形で去ってしまったことは、ディオールというブランドのアイデンティティに疑問符を投げかけることになった。スター・デザイナーが不在でもコレクションは発表され、ブランドビジネスはこれまで通り上手く回った。ならば、各ブランドがその才能を喧伝するアーティスティック・デザイナーの存在とはいったいなんなのだろう?「(ブランドの基礎である)ファッションの魅力」を全面に掲げなくとも商品は売れるのなら、前に進まず過去のイメージだけに頼ってもブランドは存続できてしまう・・・?そんなしらけた見方を打ち消し、「ディオールらしさ」が変わらぬ美であることを証明するためにも、大胆な決断が必要だったのだと思う。だからこそ経営陣は、ダークホースである44歳のベルギー人の可能性に賭けたのだ。

ラフ・シモンズは、様々な個性が集うファッション業界でもひときわユニークな存在だ。まず、彼のバックグラウンドには将来を暗示、予感させるような要素が全くない。本人曰く「文化も何も全く何もない場所」のワーキングクラスの家に生まれ、森と農場と家畜に囲まれて育った。音楽だけが、唯一手に入る刺激だったという。大学で学んだのは工業デザイン。教育を受けられなかった両親の「学校で学んだことを活かして身を建ててほしい」という希望を受けてのことで、エッグスタンドなどモードとは縁のないものをデザインしていた。



ファッションと遭遇したのは20をとうに超えてから。ベルギー発の異才デザイナー集団アントワープ・シックスの一人で、悪目立ちする外見の持ち主、ウォルター・ヴァン・ベイレンドンクのアトリエにインターンとしてもぐりこんでからだ。(ベイレンドングのショーや、彼に連れられてパリで見たマルタン・マルジェラのコレクションを見て、ファッションデザインの道に進むことを決めたそうだ。)

シモンズは学校でファッションデザインを学んでいない。ベルギーには有名デザイナーを排出したアントワープ王立芸術学院があるが、ここで学ぶ機会をついぞ持たなかった。デザイナーとしての彼を造ったのは、この学校で学ぶ同年代の若者達とその周辺だった。クラブにたむろし世間とは違う美意識、物差しで自分なりのクールネスを無意識に体現するストリートの仲間達の姿に、遅れてやってきた素朴な若者は魅了される。自分を惹き付けてやまないこの何ものかに声を与えたい―ファッションデザインという方法でそれを試みたとき、ファッション・デザイナー ラフ・シモンズが誕生した。まさにゼロからのスタートだった。

また、シモンズは、他のデザイナーが創作の原点と公言する「女性の美への賞賛とあこがれ」とは距離を置いている。おしゃれに装う母や洋裁を仕事とする家族、人形遊び、ファッション雑誌といったありがちな要素が子供の頃になく、そうした感情が育まれなかったということもあるが、彼にとってファッションとは、人を飾りより美しく、カッコ良く見せることというより、もっとピュアで抽象的な美の探求のように思われる。独特なシェイプやスタイルは、自分が心惹かれる抽象的なイメージ、現象を形にした結果にすぎない―そんなストイックな挑戦が、はっとするほど新鮮な作品を生んできた。

人並みはずれてシャイで、繊細で、カメラが苦手。業界人との表面的なおつきあいはできるだけ避けるけれども、親しくなればとことん付き合う熱血ロマンチスト・・シモンズを知る人による彼の人物評だ。今でもストリートで知り合った仲間を大切にし、才能を見抜き、一緒に仕事をする(彼のマネージャーは、出会った頃はタトゥーまみれの普通の兄ちゃんでしかなかった)。そんな彼がアーティスティック・ディレクターとして素晴らしい仕事ができるように、彼を雇い入れたLVMHのトップ達にお願いしたい。どうぞ良い意味で気にかけ、守ってほしい。ガリアーノの悲劇は、回りに真剣に彼に向き合う人が回りにいなかったことにあると思う。あの場の彼はどう控えめに見ても、己をコントロールする術を完全に失っていた。本来はとてもタフな人物で、ディオール時代には、父親の葬儀からとんぼ返りしてコレクションを無事終わらせることができたぐらいだ。そんな彼があられもない状態を曝したのは、アルコールやドラッグにすっかり呑み込まれていたからだと思う。(彼のしでかしたことについてはいろいろな見方はあると思うが、彼への裁きと並行して存在する事柄について触れておきたい。まず一つ。嫌ユダヤをはっきり口にする老リーダーを戴く極右政党「国民戦線」は、フランスで意外なほどの支持を得ている。そしてもう一つ。ユダヤ人の娘達が黄色い星をつけてパリの街を歩いていたあの頃に素面のココがしていたことについては、誰も何も言わないし、真相はこれからも闇の中に置かれたままだろう。)

7月にシモンズが発表したクチュールのコレクションは、過剰な飾りを排しピュアな女性の美しさを体現していて素晴らしかった。ディオールはまさに息を吹き返したと思う。カメレオンのように変わることをおそれていない、とシモンズは述べているそうだが、ムッシュ・ディオールの遺産であるデザインアーカイヴと柔らかなシモンズの感性が結びついて生み出される美の世界に期待したい。


上の動画は新生ディオールのクチュールのショーです。何人の有名人を見つけられました?最後の最後に本の一瞬登場したのがシモンズです。




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posted by cyberbloom at 23:32 | パリ 🌁 | Comment(0) | TrackBack(0) | ファッション+モード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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