2006年12月09日

「パリのカフェ」的コミュニケーション

郵便的不安たち#東浩紀が「「マトリックス」と人間不在の荒野」(「郵便的不安たち」に収載)というエッセイの中で、東京とパリの人間の占める位置の違いについて語っている。彼は映画「マトリックス」をサンジェルマン・デ・プレの名画座で見たあと、パリの街に出ると、映画の余韻が一瞬で砕け散るような断絶を感じたと言う。パリの街では何をするにしても人間同士のコミュニケーションが不可欠で、単にカフェに入るとしてもギャルソンに微笑み、何か一声かけることを要求される。

逆に日本にはそういう「パリのカフェ」的なコミュニケーションを意識せずに済むシステムが張り巡らされている。人間の介在を可能な限り排除し、消費者の欲望を即物的に満たそうとするシステムである。レンタルショップ、コンビニ、ファミレス。様々な自動販売機。広い駐車場を備えた郊外型の店舗。それらには人間が介在するにしても、店員は極端に儀礼化された言葉使いと態度で客と接し、私たちも彼らの人格を無視するようにふるまっている。現代の利便性は、人間を介さない自動的かつ儀礼的なシステムに媒介されることを意味し、私たちはそれらに身をゆだねている。

東浩紀は、そのような日本の現実と「マトリックス」の様式化された世界に同じものを感じ取る。もう一度同じ映画を日本の郊外型のシネコンで見たときは、そういう断絶感はない。マトリックスの世界と日本のシステムには連続性があるからだ。

マトリックス 特別版「マトリックス」は人間不在の映画だ。確かに人間は登場するが、かつての文学作品のように人間像や人間関係を深く掘り下げて描いているのではない。人間の類型や行動パターンを組み合わせているすぎない。東浩紀によれば、これはアニメの「キャラ萌え」に通じ、今の若い消費者は人間不在のままに、類型やパターンに対して感情移入したり、感動できるのだという(この話は「動物化するポストモダン」に詳しい」)。よく使われる「泣ける」というのも同じような表層的な感動なのだろう。表層的と言っても、悪い意味で言っているわけではない。感動の形式が違うということだ。ときどき映画やアニメ作品を「文学的に」に解説することがあるが、学生にそんなふうに映画は見ないと言われ、愕然とすることがある。「文学」は人間の排除=消費至上主義とともに終わったか、別の物になってしまったのだ。

bonjourと「こんにちは」は違う。bonjourは「こんにちは」よりもはるかに使用頻度が高く、見知らぬ他者とのコミュニケーションを開く呼びかけとしても機能している。つまりフランスでは言葉を介して他者と関係を作ろうとするのに対し、日本ではできるだけ他者と向き合わないようなシステムを作ろうとする。しかし、19世紀半ばのパリ改造以来、同じ佇まいを見せているように思われるパリでも、近年はファーストフードの店やセルフサービスのカフェの進出に押されて、老舗のカフェ、街角のカフェがひとつひとつ姿を消している。「ギャルソンに微笑み、何か一声かける」という習慣が失われつつあるのだ。近所に住む人々がたむろし、労働者が仕事前にカウンターでワインをひっかけていく、あるいは政治、文学、芸術の議論の場を提供するという、カフェ文化の象徴的な光景は消えていく一方だ。

言葉を介する世界は大人の世界でもある。リセの学生(高校生)がカフェに入るとき、大人を真似て背伸びをする機会であり、やがて大人の世界に迎え入れられる。そういうイニシエーションの場が失われるとき、大人と子供の境界もなし崩しになる。まさに日本的な状況だ。フランスでアニメが流行ったのは、アニメが「なし崩し」の部分にうまく入り込んだからだろう。「キャラ萌え」の話が出たが、フランスでの日本アニメの流行もまた「人間の不在化」と関係している。



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posted by cyberbloom at 10:24 | パリ ☔ | Comment(4) | TrackBack(0) | グローバリゼーションを考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
たいへん深い内容ですね、うなずきながら読んでいます。
Posted by vegi3 at 2006年12月09日 12:55
老舗のカフェにはがんばってもらいたいです。きびきびと動くギャルソン、好きです

Posted by 男・岩鬼 at 2006年12月10日 08:32
<vegi3さん、コメントありがとうございます。vegi3さんのベジメニューも毎日拝見させていただいてます。肉がなくても工夫しだいでレパートリーは広がりますね。私もいろいろ試しているところです。

<男・岩鬼さん、コメントありがとうございます。私もずっと老舗のカフェ派で、コーヒー1杯で3時間くらい平気で粘りますが、ここまでコーヒー1杯の値段に差がつくと、安い方になびいてしまいます。貧乏なもので。ときどきパリでも目にする粋な女性ギャルソンもいいですね。
Posted by cyberbloom at 2006年12月11日 00:24
レスありがとうございます。
カフェでゆったり粘るの私も好きです。
何時間粘っても、ギャルソンは文句一つ
言いませんし、帰りには「メルシー、オールボワー」の一言。
こういったシャレたコミュニケーションってパリならではですね。フランス人の立ち居振る舞いってやっぱり独特な感じしますね。言語の特徴って人の行動に繁栄されますよね。余計なものを省いていて、垢抜けている。
昨年、フランスを旅行した時シックな言動に何より感激しました。
グローバル化にこういった文化は対抗できると私は信じたいですね笑
Posted by 男・岩鬼 at 2006年12月11日 20:37
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