2006年11月21日

フランス語を話せれば

「何年くらい勉強したら、フランス語がペラペラになりますか」という質問をよく受ける。「ペラペラ」という漫画の擬態語みたいな表現がおかしくて、僕はいつも笑い出しそうになるが、相手はいたって真剣だ。ただ流暢に暗誦するだけなら、数ヶ月あれば十分だ。言いたいことをすぐに言える能力となると、話は違ってくる。外国語で話す際に必要なのは、むしろ手持ちの語彙でやりくりする力だと思う。最低限の表現を覚えた後は、どれだけそれを使いこなすかだ。その場合、何年という期間が問題なのではなく、フランス語とどれだけ頻繁に接するかが大事なんだと思うよ、と答えることにしている。

さらに留学中の日本人からは、「フランスに何年いたらペラペラになりますか」と訊かれることがある。それで思い出したのが、最近読んだ新聞記事。サルコジ内相は移民政策の一環として、不法滞在者でも就学児童のいる家庭については、6万人程度の正規化(régularisation)の措置を考えている、という情報が、先月パリ市内に流れた。これがなぜか「先着6万人に滞在許可証が与えられる」というデマに変わり、大量の不法滞在者が警察署に押し寄せた。
 
押し掛けた移民は、ほとんどが中華系だった。これには理由がある。サルコジの新しい移民法には、「フランス語会話能力をもたない移民」を狙い撃ちにしている。フランス語を話せない外国人はフランス社会に参画する気がない者と看做し排除する、というのだが、これに反応したのが華僑だった。イベリア半島出身者や北アフリカの旧植民地出身者は、訛りはきつくても、それなりにフランス語を操ることができる(ペラペラ喋ると言ってもいい)。だが、中国人には難しい。母語との隔たりが絶望的に大きいことに加えて、彼らは中国人コミュニティの中で暮らす傾向がある。だから、何十年フランスにいても、フランス語がまったく話せないというケースは稀ではないのだ。

もちろん、年齢によって学習能力は異なる。中華系でも、フランス育ちの子供たちは、ネイティブとしてフランス語を使いこなす。そこに目をつけて、バイリンガル教育というものが登場する。母語もろくに確立していない頃から外国語(おもに英語)を教えて、将来「ペラペラ」と話せるように育てるのだ。父親がラテン語で話しかけてきたモンテーニュや、家族が四カ国語で会話していたチャールズ・ベルリッツのような極端な例を引くまでもなく、家庭が多言後環境であれば、子供が複数言語の使用者(polyglotte)になる可能性は高い。

パリの学生寮で、隣りの部屋にアルメニア人の女の子が住んでいた。ソ連領だった小学校では、ロシア語が必修だった。11歳のときに彼女の家族はドイツに移住し、ドイツの学校では英語が必修になった。それからギムナジウムでフランス語を勉強したので、今は五カ国語が話せるという。また別のアルゼンチン人の友人は、中学時代をオランダのアメリカンスクールで過ごしたため、スペイン語と英語とオランダ語に堪能なうえ、フランス語も流暢で、ルーヴル美術館で学芸員の研修を受けていた。

こういう人たちに会うと、ようやくフランス語で話が通じるようになった程度の自分が情けなく思えてくるときがある。しかし、何も恥じることはないのだ。それこそ育ちが違うのである。僕たちは、日本にいるのが当然だという前提で生きている。だが、母国で一生を全う出来るというのは、じつはそんなに自明のことではないのだ。

そのことを、先日『アルメニアへの旅』という映画を見て、あらためて思い知らされた。アルメニア出身でマルセイユに住む老人が、癌の告知を受ける直前に祖国へ逃亡する。フランス育ちで主治医でもある彼の娘アンナは、治療を受けさせるため、父を捜しにアルメニアの首都エレヴァンへ飛ぶ。そこで彼女は、共産主義崩壊後のアナーキーな拝金社会を目の当たりにする。医薬品の密売で財産を築くヤクザがいるかと思えば、たまたま入った美容院の少女までが、たどたどしいフランス語でアンナに国外脱出の便宜を図るよう持ちかける。この少女はナイトクラブで裸踊りをしてバイト代を稼いでいたが、麻薬取引の手伝いをしたことからマフィアに誘拐されそうになり、偶然居合わせたアンナまでがトラブルに巻き込まれてしまう。その後は、善玉マフィアと悪玉マフィアの間で手打ちがあり、少女も古い教会やアララト山の威容を眺めているうちに改悛し、最後はアルメニアにとどまる決意をする。一方、アンナの父親は、故郷で死ぬことを選ぶ。アルメニア人の心に触れた娘は、父の選択を尊重し、故郷の村に父のかつての盟友を集めてパーティーを開く。
 
以上が、映画の粗筋である。アルメニアは、隣国トルコによる1915年の大虐殺以来、世界中に亡命者が散らばっている。アメリカの作家ウィリアム・サローヤンや、フランスの歌手シャルル・アズナブールなどは、そうした移民の子として生まれ育ったのである。短編集『わが名はアラム』や、アズナブールの『彼らは倒れたIls sont tombés』といった歌は、彼らが出自を忘れていなかったことを証して余りあるだろう。現在のアルメニア人は、そうしたディアスポラの同郷人を頼って、荒廃した祖国を捨てて新天地を求めようとする。そのためには、たどたどしくても外国語ができるに越したことはない。アルファベットさえ異なるアルメニア語だけでは、世界のどこにも行けない。
 
国を捨てるとは、どういうことか。1940年代のアメリカによる空爆下においても、日本国民は田舎に疎開するだけで、列島を捨てて大陸に逃げようとはしなかった。単純に、海を越えるのは難しい。それに大陸も戦火に包まれていて、逃げ場所として意味をなさなかっただろう。とまれ、日本人は常に日本に留まってきた。国を捨てるということは、言葉を捨てることでもある。どこに逃げるにせよ、日本語は通じない。しかし、日本語の通じない場所に逃げなければ、生命の保証はない。そんな境遇に未だかつて日本人がほとんど陥ったことがないということ自体が、奇跡的な幸運であると言うべきなのかもしれない。

だが、国を捨て、言葉を捨てることは、世界で現に起こっている。イスラエルによる無差別爆撃を受けて、ベイルート市民のなかには、国を捨ててフランスに亡命することを真剣に考えている人がいる。レバノンは、第一次大戦後、フランスの委任統治を受けた(その際にシリアと分断されたことが悲劇の始まりでもあるのだが)歴史があるため、フランス語を解するレバノン人は今でも少なくない。祖国にとどまって生存の危機にさらされるよりは、国外脱出したほうがよい。しかし、一度捨てた祖国に戻って再び生活の基盤を築くのは難しいだろう。国を去るということは、国を捨てることに限りなく近くなる。
 
外国語を話せるのは素晴らしい。それは言葉の分だけ、生きていける場所を広げることができるからだ。どんな外国語学習も、潜在的には生存空間の拡大なのだということを、ときどきは心に留めておいてもいいのではないだろうか。フランス語がペラペラ話せれば、旅行に困らないだけでなく、いつか必要が迫れば(そんなことがなければよいが)、亡命だってできるかもしれないのだ。




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posted by cyberbloom at 07:42 | パリ ☔ | Comment(2) | TrackBack(0) | 外国語を学ぶということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はじめまして。
ちょくちょく見させていただいてます。
今日の締めの一分の中の「言語学習は生存空間の拡大である」、素晴らしい表現ですね。感動しました。
Posted by gans at 2006年11月22日 05:26
ganさん、コメントありがとうございます。BLOGの管理人です。これからもよろしくお願い致します。
日本人はこれまで外国語が不得意だったのは切羽詰ってやる必要がなかったからですが、何だか政治的にも(○○改正)、経済的にも(格差社会の進行)、日本は転機を迎えているようで、「言語学習が生存空間拡大になる」という言葉が現実味を増している気がします。私はマジで子供を連れて国外脱出を考えています(笑)。
Posted by cyberbloom at 2006年11月22日 16:49
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