2012年04月05日

小室直樹著 『数学嫌いな人のための数学―数学原論』

とある時期から、「思想」や「社会システム」論といった類の本をほとんど読まなくなりました。その理由はさまざまですが、端的にいっていつまでもこんなこと(抽象的な議論)をしていてもいいのだろうか、と疑問をもったからでしょうか。これらの学問にたいしてこういう疑問をもってしまえば最期。数ページでさえも読みすすめることが苦痛になります。議論のための議論をしているとしか思えなくなってしまったのです。そんななかにあって、友人からずっと薦められてきたのが小室直樹さんでした。法律を専門にしている友人いわく、「とてもためになる」。さらには「経済学に慣れ親しんでいる人にも役に立つと思う」などなど。ところが、どうせまた、いくつかの概念で現実社会を切り分けて悦に入るような著作家ではないかと高を括っていました。

数学嫌いな人のための数学―数学原論ところがどっこい。先日、古本屋で本漁りをしていたときのこと。たまたま小室直樹さんの書物が目に入りました。それが今回紹介する『数学嫌いな人のための数学―数学原論』です。もしかすると、このタイトルだから買ってしまったのかもしれません。まぁ数学が話題であれば1冊くらい読んでみてもかまわないかと判断したのです。そして、さっそく読んでみたのですが、ぐいぐい引き込まれて300ページ強をほぼ一日で読みきってしまうほど刺激的な内容で、もうびっくりしてしまいました…。

まず、ぼくがこの本にたいして抱いた魅力の一つは、まるでパソコンのOSをそっくり交換してしまうかのように、自分の脳味噌が刷新されてしまったこと。具体的には、この1冊で数学の問題がどれもこれもすぱすぱ解けるようになるわけではありません。ところが、この本を読む前と後では、たとえば数式にたいする認識力には明らかに違いが出るようになりました。

そしてこの本のもう一つの特徴といえば、その数学(=論理学)が近代社会の成立といかに密接な関係にあるかを紹介している点です。すこし長くなりますが、著書から引用してみます。

「長い鎖国の末に欧米資本主義国(主として、ドイツとフランス)の法典を真似て基礎的法典(憲法、民法、商法、刑法、民事訴訟法、刑事訴訟法)を作って近代国家として発足した日本は、近代資本主義国家の法律の論理の緻密さに驚いた。近代資本主義国の法律は、論理としてアリストテレスの形式論理学を用いているのである。西洋諸国における法律も、はじめから形式論理学を用いていたわけではなかったが、近代資本主義に至って、法律の論理に、形式論理学(formal logic)に進化していったのである。
 形式論理学に依れば、判決(判断の一種である)は、勝つか負けるか(刑事判決ならば、検事が勝つ[有罪]か負ける[無罪]か)のいずれしかない。勝つと同時に負けるということもなければ(矛盾律)、勝つと負けるの中間もなければ、勝つ、負ける以外の判決もない(排中律)のである。
 最後に繰り返しておこう。形式論理学とは、以下の三つが極意である。

同一律 AはAである。
矛盾律 AはBである。AはBではない。
これら二つの命題が成立することはできない。ともに成立しないこともできない。
排中律 矛盾の中間はない。」(本書pp99~100より引用)

ここではおもに、数学(=論理学)と法律の関係が指摘されていますが、引用後半にある「形式論理学の三つの極意」が経済(=資本主義)とも密接な関係があることにも触れています。

「近代資本主義における所有権は、その存在や内容が、観念的、論理的に決定されるということである。それは所有(possession)と占有(occupation)の分離ともいう。資本制社会における所有(権)は、権利であるから、そのものを実際に占有しているかどうかとは関係ない。
観念的・論理的であるとは、換言すれば、抽象的(abstract)であるということである。抽象的であればこそ、資本主義における所有は数学化されうるのである。抽象的であればこそ、資本主義における所有は、同一律、矛盾律、排中律を具有することが容易に検証され、数学的に処理されてゆくことになるのです(p146)」

ぼくはこのくだりを読んだときに、「ははあ〜」と膝を打ちたい気分になりました。本書以外でも小室さんは、資本主義国には、これになりたいからといってそうそう簡単になれるわけではないと、再三指摘されているようですが、そのいわんとすることがこれでよくわかります。たとえば、共産主義とかかわりのある(あった)中国やロシアでは政治体制自体が、そもそも国民間ならびに国民と国家との間での「所有権」に明確な線引きがないため、資本主義体制に移行したところでいびつなかたちになってしまうのだと思います(たしかに所有権がしっかり保護されないのならば、ヒト、モノ、カネが円滑に循環しづらくなります)。

また、このほかにも(ちょっと専門的な話になりますが)、ケインズ理論の有効需要の原理は方程式で表され、古典派のセイの法則は恒等式で表せるというのは、目から鱗でした。恒等式というのは本書にもあるように、X+1=1+Xのように解いても意味がない式です。なぜ意味がないかといえば、Xにどの数字を放りこんでもつねに成立するからです。市場にたいしてこのような見方をするのがいわゆる古典派であり(それこそ laisser-faire…)、これにたいして程度はともかく市場に介入する(市場に介入→方程式を解く)のがケインズ理論であることを、こういった観点から指摘されてむむむと唸ってしまいました。

以上、引用も交えて長々と紹介しましたが、『数学嫌いな人のための数学―数学原論』というのはそのとおりで、数学嫌いの人でもこの本を読めばその大切さが理解できるようになると思います。さらには、おまけとして経済や法律の基礎的部分についての知識もより深まると思います。わかりやすく解説をされているとはいえ、内容が内容だけに読んですぐ理解できるようになるかは疑問ですが、ぜひチャレンジしていただきたいと思います。

しかし、小室直樹さんの知識量は半端じゃない…。一度でも偏見の目で見てしまったことを草葉の陰におられる故人にお詫びいたします…。



superlight

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posted by cyberbloom at 00:00 | パリ | Comment(0) | TrackBack(0) | 書評−その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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