2006年10月19日

ミッシェル・ポルナレフ(2)

愛と青春のトルバドゥールポルナレフが発表した最初の曲は「ノンノン人形」。1966年のことだった。驚くべきことは、レッド・ツェッペリンを結成する前(さらにはヤードバーズに参加する前)、セッションギタリスト時代のジミー・ペイジが、このレコーディングに参加していることだ。

1970年のオランピア劇場でのライブのあたりで、ポルナレフ定番のスタイル、つまり白いフレームのサングラスに、金髪のカーリーヘアが確立されたという。デビュー当時は、右側のジャケットのように髪もストレートで、メガネもかけていない。メガネをかけたのは目が弱く、極度の近眼だったせいらしいが、彼に得体の知れないミステリアスな雰囲気をまとわせることになった。あのハイトーンの声といい、確かにあらゆる面でエキセントリックで、それこそ宇宙人的なイメージがある。それゆえに、彼の風貌と行動は常にメディアの攻撃の対象になり、とりわけゲイだと噂されたりした。

極めつけは「お尻丸出し事件」。1972年に「ポルナレフ革命 Polnarévolution」と題したライブコンサートが再びオランピア劇場を舞台に行われた。その際、パリ中にコンサートを知らせるポスターが貼られたが、それはポルナレフがお尻を丸出しにしているセンセーショナルなものだった。ポルナレフは裁判所に呼び出され、「強制ワイセツ罪attentat à la pudeur」としてポスター1枚につき10フランの罰金を科せられた。

私はこの事件をアルバムのライナーノーツで読んだ。そういうポスターが街中の至るところに貼られてしまうフランスって一体どんな国なんだろうと、考えただけで頭がくらくらしたものだった。日本の片田舎に住む中学1年生の想像力をはるかに超えた、難解すぎるキャラだった。ポルナレフのおかげで私のフランスのイメージは初っ端から思い切り偏ったものになってしまった。問題のポスターは雑誌か何かで見た記憶があるが、今やコレクターズ・アイテムとなっている。私の記憶が正しければ、それは女装をして、スカートの裾をめくりあげてお尻を出していたような…ともかく、フランス中の顰蹙をかいながらも、コンサートは行われ、翌月の11月には日本に飛んでいる。

ついにポルナレフの来日が実現する。まずは日本武道館で開催された「第3回世界歌謡祭」にゲスト出演し、そのあと、郵便貯金ホール、新宿厚生年金ホールにて初の来日コンサートを行った。以後、1979年まで計4回の来日コンサート・ツアーが行われた。何度目の来日のときか定かではないが、NHKの歌番組、「レッツゴーヤング」(今のポップジャムに当たるのかな。思えば恥ずかしい番組タイトル)に出て、「シェリーに口づけ」を歌っているのを見た覚えがある。また当時のNHKのテレビのフランス語講座ではいつもポルナレフのビデオが流れていた。

去年、ポルナレフは若い愛人と裸で抱き合っているところをスクープされ、その写真が「パリマッチ」の表紙になった。これもお尻丸出しだったが、それがポルナレフのものだったか、愛人のものだったか、記憶が曖昧だ(タイムリーにその号を入手できたが、うっかり捨ててしまった)。あんな写真を表紙にするセンスも疑うけど、久々のポルナレフとの、それもあんまりな再会だった。もう50歳を過ぎているはずだが、定番のメガネと髪は健在だった。

下は比較的最近出たベスト盤だが、「愛の願い」「愛の休日」(映像アリ)「愛のシンフォニー」「渚の思い出」「哀しみの終わるとき」など、名曲をほぼ網羅している。私も買い直そうかな。

ポルナレフ氏は未だ健在で、その容貌はさらに怪しさを増している。最新の話題と言えば、フレンチ・ディスコの先鋭、ボブ・サンクラール Bob Sinclar とコラボ。映像はコチラ

ポルナレフ・ベスト
ポルナレフ・ベスト
posted with amazlet on 06.07.23
ミッシェル・ポルナレフ
ユニバーサルインターナショナル (2006/01/25)

cyberbloom


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posted by cyberbloom at 22:58| パリ ????| Comment(0) | TrackBack(0) | フレンチポップ
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