2011年12月23日

『エル・ブリの秘密 世界一予約のとれないレストラン』

7月末にフェラン・アドリア Ferran Adria 率いるスペインのレストラン、エル・ブリ El Bulli が閉店したことがニュースになっていた。アドリアは1987年以降、エル・ブリの料理長として毎晩独創的な数十皿のコース料理を準備し、これまで数万件の予約をさばいてきた。そのために新しい料理の創作のための時間を十分に確保できなかったという。

EL Bulliしかし嘆くことなかれ、「エル・ブリ」の裏舞台にカメラが密着したドキュメンタリー映画が関西でも公開される。レストランでは食事の合間に厨房を見学させてもらえたようだが、映画ではメニュー開発の白熱した過程と、創発=ひらめきの瞬間を目の当たりにできるようだ。エル・ブリは閉店したが、料理の研究機関として存続し、2014年にはレストランの隣に新築する建物にエル・ブリ・ファウンデーションをオープンさせる。そこに毎年20人から25人のシェフを招いて、エル・ブリのスタッフたちと新たな料理を共同研究することになる。その成果はオンラインでも公表されるという。

映画公開の前に少し予習をしておこうと、エル・ブリを経験済みと聞いていた友人のソムリエの店を訪ね、インタビューを試みた。@wineNadja の米沢伸介氏である。

―エル・ブリに行かれたのはいつですか。
■2000年です。「45席に年間200万件の予約」と言われていますが、2000年は予約が殺到し始める直前の、ギリギリの年でした。ランチの予約が取れました。2000年はまだランチをやっていましたが、しばらくしてやめてしまいました。労働条件が過酷だからでしょう。ふつうは多くでも10皿くらいの構成ですが、その3倍ですからね。皿数が多いと、それを作ったり、運んだり、洗ったり、一回の営業で3倍の仕事量になるわけで。
■ロサスという小さなビーチから車で一本道を20分走ると、古いスペイン様式のレストランがありました。こんな人里離れたレストランに予約を入れてわざわざやってくることが当たり前のヨーロッパのレストラン文化の懐の大きさにも感銘を受けました。「なぜ先端のレストランがこんな建物なのか」と尋ねたら、「すべてが最先端だと建物くらい古くないと落ち着かないでしょう」と言われました。何を食べさせるかわからない、緊張感を和らげるためにも落ち着く雰囲気が必要ということでした。対照的に厨房はシンプルでモダンなものでした。
■私のときは最初に一本のローズマリーが出てきて、その香りを嗅ぐことから始まりました。エル・ブリの料理ですが、例えば、オマールの料理だったら、見てオマールだとわかるし、オマールの味がする。そういう食材としてのとっかかりがないのです。何が飛び出してくるのだろうというワクワクする期待と緊張感に常にとらわれる感じです。1時から始まって終わったのが5時。厨房を見せてもらって最後はテラスに出てデザートをいただきました。

―ワインはどうでしたか?
■私がソムリエだと知ると、いろんなワインを出してきてくれました。それらは私の知っているワインばかりでした。「全部知っている」と言ったら驚いていました。つまりスペインの先端のレストランで出すようなワインが、日本にすでに輸入されていたんですね。そのとき日本のインポーターの凄さを知りました。

―スペインと言えば小皿料理のタパスですよね。スペインはアンダルシアとマヨルカしか知らないのですが、毎日、バルに入り浸っていました。あれほど魅力的な食文化は他にはありません。
■エル・ブリはタパスに象徴されるバル文化をレストラン形式に昇華したものと言えます。それまでスペイン料理の認知度は全然高くありませんでした。それがエル・ブリによって突然垢抜け始めた。モダン・スパニッシュはエル・ブリに始まり、エル・ブリが牽引しました。やはりそれはスペインだったからでしょう。古びた文化しか残っていないスペインだから可能になったわけです。フランス料理は伝統の重みがありすぎます。イタリア料理もそうです。伝統に足をひっぱられることがないからこそ、できたことだと思います。

―スペインの無敵艦隊が破れたのは15世紀ですからね。確かに日本でもある時期から急にスペイン料理のレストランが注目され始め、意外に思った記憶があります。
■エル・ブリは世界の「レストランベスト50」で2006年からずっと1位だったのが、最近ノルウェーの Noma に1位の座を譲りました。Noma のシェフもエル・ブリで修行をした人です。2011年の「ミシュラン京都・大阪・神戸・奈良」で3つ星を獲得した大阪の Fujiya 1935 もエル・ブジと間接的につながっています。Fujiya 1935 のシェフが修行した「L'Esguard(レスグアルド)」のシェフは現役の脳神経外科医で有名ですが、彼はフェラン・アドリアと親交のあった人物です。弱冠22歳のフェラン・アドリアに才能と将来性を見出したエル・ブリのオーナーのジュリ・ソレールは元音楽プロデューサーです。異業種の人間が関わっていることも興味深い。7月で閉店したのは残念ですが、セビーリャの郊外にはエル・ブリのホテルがあって、レストランではエル・ブリで過去に出された人気メニューを味わえます。また Fast Good というファーストフードチェーンも展開していますよ。そしてエル・ブリは今や世界中から料理人を集める研究機関であり、教育機関でもあります。

以上がインタビューの内容である。

ところで、映画の公式サイト http://www.elbulli-movie.jp/ に書かれているように、フェラン・アドリアとスタッフのあいだのやりとりや、新しいメニューを一緒に作り上げていくときの苦悩や焦燥、そして達成感は映画の時間軸を作る重要な要素なのだろう。しかしアドリアの料理のプレゼンスそのものがすでに映画的なのだ。米沢氏はエル・ブリの皿を前にして、一体これは何だ、食べられるのかと言う、不安と期待が入り混じった感情にとらわれたことを強調していた。料理が出てきて口に入れるまでの揺れ動く感情は、どんな食材で出来ているのか判別不能で、しかもこの世のものとは思えない料理の映像を見ているだけでも共有できるものだ。

人間は動物と同様、食べるものに警戒する。毒に警戒し、見慣れない食べ物を前にすると不安になる。米沢氏によるとエル・ブリでニコチンのデザートが出されたことがあるというが、美食の名の下に毒を食らうのも人間の営みである。しかしその根源的な不安は動物から人間に分岐する以前から遺伝子に深く刻み込まれているものだ。私たちは、食材が示され、何を食べているかわからないと安心できない。アドリアは食材を泡状にしたり、分子構造に還元しながら、料理を抽象的な造形美にまで磨き上げるが、同時にそのような本能的な不安に訴えかけているのかもしれない。それを食する者は、その不安の中からおそるおそる未知なる感覚の旅へ足を踏み出すのだ。

佐々木俊尚氏がフェラン・アドリアの仕事に関して「徹底的に技術を駆使し、構築的に実験を積み重ね、その向こう側に初めてきらめきのような感性が立ち現れてくる。まるで故スティーブ・ジョブズとアップルの技術チームが皆で新しい iPad や iPhone を設計し、デザインする過程を見ているようだ」と言っていた。さらに本質的な問題がある。ジョブズが Think Different ならば、アドリアは Cook Different だ。これから地球上で新たな食材が発見されることは滅多にないが、「組み合わせは無限」なのだ。外にもはやフロンティアはない。私たちは組み替えることによって新しい価値(アドリアの言葉で言えば意外性)を作るしかない、飽和状態の世界に生きているのだから。また料理の本質はありあわせのもので作ること。つまりブリコラージュだということを忘れてはいけない。アドリアはジョブズと並んでそういう世界のクリエイティビティを担う象徴的な存在のひとりだ。

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posted by cyberbloom at 21:36 | パリ ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | CAFE+WINE+GOURMET | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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