2006年09月07日

コカコーラ・レッスン

coca01.jpgフランス人はコカコーラが大好きだ。スーパーに買い物に行くと、1.5リットルの「コカ」(とフランス語では略す)6本セットを買っている人をよく見かける。駅の自動販売機にペリエはないが、コーラは必ずある。あるいはコーラしかない。夏になると、アルコール類を飲まない人は、カフェのテラスでコーラを注文する。バドワやシュウェップスよりも、圧倒的な人気だ。これもグローバリゼーションの成果なのだろうか。
 
ついでに言うと、ヨーロッパで最もマクドナルドの店舗数および収益が多いのもフランスである。イラク戦争以来、アメリカに対するアンチテーゼとしてのヨーロッパを体現しているようなイメージが定着しつつあるが、じつはこれほどアメリカと縁の深い国も少ない。イラク戦争を批判され、一部のアメリカ人がヒステリックにフランス産のワインボトルを割っていた頃も、フランス人は黙々とビッグマックを頬張っていた。

アメリカとフランスの関係は、アメリカの独立にまで遡る。イギリスとの植民地競争を背景に、フランスの啓蒙思想の後押しを得て、フランクリンは独立宣言の草稿をパリのカフェ「プロコープ」で起草した。自由の女神も独立百周年を記念してフランスから贈られた。

やがて文化的優位(ヘゲモニー)は、20世紀に入ってアメリカの手に渡る。コカコーラやジーンズの普及については、僕は一つの仮説をもっている。それは映画によって、これらの製品に対する憧れが植えつけられたのではないかということだ。1946年にフランスはアメリカとの間にBlum-Byrnes協定を結び、莫大な借金を帳消しにしてもらう代わりに、ハリウッド映画の全面的受け入れを認めた。そのため、戦後のフランス人は浴びるように黄金期のハリウッド映画を見た。ブルジョワ的教養によるのではない、即物的な豊かさが、当時はかっこよかった。カウボーイが履いているジーンズは機能的だし、ボトルからラッパ飲みするコーラは、カフェテラスのエスプレッソよりも軽快な飲み物だった。

ジーンズは履き心地のよいものではない。コカコーラは味わい深いものではない。そんなことは誰でも知っている。にもかかわらず、ジーンズを履き、コーラを飲み続ける理由は何か。それはもっぱらスタイルに対する愛着である。若々しく、活動的なスタイル。そのスタイルは、映画というやわらかいファシズムによって、ほとんど気づかれないうちに、そっと押しつけられたものである。ポール・ヴィリリオも指摘するように、映画とは戦争を遂行する強力な武器の一つなのだ。

もちろん、事態はフランスだけにとどまらない。ベルリンでもバルセロナでも上海でも東京でも、ジーンズを履いてコーラを飲むことは、最も日常的な仕草である。コカコーラは、スタイルとともに、安さと早さで他を圧倒する。メニューを眺め、ソフトドリンクを選ぶときにも、コーラは一番上に、一番安く載っている。そのうち、面倒くさくなって、とくにコーラが飲みたいわけでもないのに、なんとなくコーラを注文するようになる。マクドナルドのみならず、中華料理店でさえコーラを飲む。うまくはないが、どこで頼んでも同じ味というのは、便利なものなのだ。

コカコーラは多国籍企業の代表である。しかし、そのグローバリゼーションは、さまざまなメディア戦略を通して、永年の間に培われてきた。だから強い。ちょっとやそっとでは、コーラから抜け出すことはできない。ちょうどサンタクロースが赤と白の衣装から衣替えできないように。あの色合わせが、1930年代のコカコーラのポスターに由来することを、知らない人もいるかもしれない。いつか19世紀のドイツにいたような青や緑の服を着たサンタに出会える日まで、僕たちはコカコーラを飲み続けることだろう。


bird dog

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posted by cyberbloom at 18:22 | パリ | Comment(0) | TrackBack(0) | グローバリゼーションを考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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