どうも日本男児は腰が引けているのではないか−映画館に入った瞬間にそう思ってしまった。確かにそれはレディースディだった。確かにゲイのカウボーイ映画という評判が先行したからかもしれない。ついでに言うなら主演の二人も若いイケメンだった。それでも日本男児よ、そんなことでいいのか。見かけた男性観客と言えば初老の夫婦者らしきひとりだけ。あとは全員女、女、女。しかしゲイ、ヘテロそんなことに関係なく、久しぶりにラブ・ストーリーの佳作だったというのに。そう、愛とは痛いものなのだと認識させられる映画である。
筋はきわめてシンプルだ。20歳のイニスとジャックの二人はひと夏を山で家畜の番をする仕事につく。過酷だが美しい自然の中、邪魔するものは何もない山中に二人だけ。ごく自然に二人の距離は縮まりふとしたことから身体を求め合う。山の静けさに裸でじゃれあう二人を望遠鏡で見つめる雇い主。二人は予定より早く任を解かれ山を降りる。
それまでは単なる何の娯楽もない山の上での慰みと思っていた関係。それがポンコツ車でジャックが去った後、突然襲ってくる激しい痛みと吐き気にイニスは身体を二つ折りに苦しむ。
それから数年、イニスはいいなづけと結婚、二人の娘をもうけ苦しい家計ながらなんとか平安に暮らしているが、ジャックからの会いに行くという葉書が。待ちきれずにビールをたてつづけにあおるイニス。現れたジャックを引き寄せて交わした激しいキスを妻アルマに見られてしまう。
妻との不和、離婚を経て出会いから20年間、二人はつかの間の逢瀬を何度か重ねるが、牧場を買って一緒に暮らしたいと望むジャックにイニスはかつてひどいリンチを受け、殺されたゲイカップルの話を持ち出して拒否する。隠れて会う以外にないーと。喧嘩別れしてしばらくたったある日、思わぬ葉書がイニスのもとに・・・
生い立ちも相まって昔かたぎのイニスはジャックに惹かれる自分を受け入れられずに苦悩する。自分の性的嗜好を認めて拘らないジャックとは対照的だ。そのために家庭も男としての誇りも傷つけられ、「俺たちにはブロークバックマウンテンでの思い出しかない」と責めるジャックに「お前のせいで俺はこんな負け犬になってしまった」と叫ぶ。
ジャックを演じたジェイク・ギレンホールの青い目の演技には男も女もぞくぞくさせられる。この人はいつもひたむきな役が良く似合う。男に夫を奪われる妻の苦悩を、生活に疲れた顔ににじませたミシェル・ウィリアムズのアカデミー助演女優賞ノミネートというのもよくわかる。何より今まで息子役(パトリオットでメル・ギブソンの、チョコレートではビリー・ボブ・ソーントンの)を演じてきたヒース・レジャーの、初めての父親としての、大人の男としての身体の演技が素晴らしい。さびれたダイナーでパイをつつく丸めた肩のなんともいえないわびしさ。娘の忘れていった服を丁寧にたたんで残り香を嗅ぐしぐさからにじみ出る娘への愛情。ジャックと別れて思わず地面に崩れ落ちるその身体。屈強だからこそもろい、もろいから敢えてタフに振舞う。どうしても器用に生きられない不器用な男の悲劇。
ラストシーンが印象深い。ジャックが実家で彼のシャツに密かに重ねて隠していた自分のシャツを貰い受けたイニスが、今度は自分の衣装入れにブロークバックマウンテンの葉書を貼り、その下にかけた二枚のシャツにそっと呟く。
「誓うよ、ジャック・・・」
そう。真実の愛とはひどく痛いものなのだ。突然奪われると頭よりも身体の方が先に反応するものなのだ。そしてその思い出があれば一生生きていけるものなのだ。別れただの、会えなくて寂しいだのと泣き言をいえるくらいなら、そんなものは愛じゃないのだーなんてそんなことを言ってしまうほど、二人の愛が切ない。そしてそれを認めず、抹殺しようとする社会の狭量さ。カウボーイというアメリカの男の代表にゲイというタブーを持ってきたアン・リー監督の挑戦と、二人の愛を永遠にした美しい山の自然に敬意を表したい。もしこれがもっと成熟した社会でなら、ことは違ってくるのだろうか・・・? 同性結婚もOKな国も出てきたことだし。
□アメリカ映画 アン・リー監督作品 「ブロークバック・マウンテン」(DVDは9・25発売、予約受付中) 2005年度アカデミー監督賞受賞作
BY 黒カナリア






































