2006年07月26日

セレブと戯れるマンガの話

貴婦人は頷かないこの文を綴っている者(木魚と申します)はコッテコテの庶民ですけど、そのじつ心だけは貴族でありたいともあんまり思っていない。かといって「陋巷に在り」を気取るのもしんどいからあっためてないレトルトカレーのようにぬるく生きている。梅雨ってじめじめするね、洗濯乾かんし。

お上のやることはようわからへんっていうのは庶民のクリシェ。日々のてづら口銭稼がな落ち着くところもままならない我らにとって、生きるとはあくせくすることかも知んない。ほんでご褒美に時たま遊ぶ。ささやかささやか。

殿上人はなーんもせんでもごっそ食べれる境遇とすれば、こん方たちの生きるはあくせくするを引き算すればいいわけで、残りは遊ぶになる。「生きる? そんなん召使にやらしとったらええやん」とはリラダンっちゅうフランス人のお言葉やけど、殿上人の遊びは地下人の「おもろかったらええやん、われ」の逃避まじりの鬱屈感とは別の時空にある気がする。

というのも、ぶっとびが優雅でスケールがちゃうんで、はたからは伊達や酔狂と映り、お上のやることはようわからへんでーと、止まり木で安酒あおるおいちゃんの言葉が繰られるのだろう。そして、一合頼んだのにこの徳利8勺しか入れへんがな、どないなってんねんガメやがってアホんだらぁとクダ巻き巻きが展開されていく。やめときおいちゃん、酒が過ぎるで。

ダンゴ理屈をこねれば、「究極の貴族」(って実は存在しないけど)にとって、よいわるいは善悪とちゃいま。善はしていいことで人から褒められる、悪はしたらあかんことで人からどやされる。そのモノサシは誰が決めたんか知らんけど、煎じ詰めればどうも庶民感覚がにおうな。善悪のモノサシがないと庶民は生きていかれへんのでね、おまんまのためにはルールが必要。それを否定する気はさらさらない。

対して、ルールに脅迫されることない「究極の貴族」(って現存しないけどね)のよいは気持いいこと、わるいは気色わるいことで、唯一のカタキは退屈、してええんかなとか、褒めてくれはるやろかとか、どやされるんちゃうかとかに引きずられることはない。要はわがまま、天然なんやね。庶民がこれやるとドえらい目にあってきたけど、最近はそうでもなくきな臭い世の中かもしんない。

現実には存在しない(と思う)そんな貴族。でもマンガなら描くこともでき、おまけに大笑いさせてくれるから、ささやかに遊ばしてくれはる。フランスが舞台ですよ!cyberbloomはん、フランスが舞台ですよ! 木魚は頑張ってますよ! フランスが舞台ですよ! みなさん! フランスが…といえば、『ベルサイユのばら』『ラ・セーヌの星』『岩窟王』と二次元もので名作がありますけど、どれも設定は昔で大時代。

秘密はバラしてもいいけど、名香智子がさばくこの「シャルトル公爵シリーズ」は、70年代の名作『花の美女姫』のキャラのひとり、アンリ・ド・シャルトルを中心に現代の貴族・セレブたちの企みや恋のはっちゃかめっちゃかがいっそすがすがしくとことん行く。フランスねたのため再読したけどやっぱ強力で、ことに木魚の愛するキャラ、アンリの御母堂ヴィスタリアやハプスブルク家のレオポルディーネの「究極の貴族」ぶりにくらくら振りまわされちゃいました。

木魚の手持ちは小学館プチフラワーコミックスで各巻気の効いたタイトル。でもそこがネックで「シャルトル公爵」で検索かけても引っ掛かりません。老婆心ながら読む順で紹介しておくと、

純愛はジゴロの愉しみ』『アポローンは嫉妬する』『貴婦人は頷かない』『向日葵が恋したのは誰?』『黒の皇太子』『少年は贔屓される』『悪趣味な美学』『籠の中のお姫様』『秘密はバラしてもいい』『エメラルドは気取り屋』『縦横無尽の風』『薄情が薄氷を踏む』

の計12冊。文庫落ちは『シャルトル公爵の愉しみ』の統一タイトルでわかりやすい。

最近は追っかけてないけど、名香智子作品はハマった時期があったな。SHALL WE DANCEの数年先行く社交ダンスもの『パートナー』、えがったな。今日は『グリーン・ボーイ』(あすかコミックス)でも手にしよか、はたまた釣りに行くべきか…、うーん、釣りやね、ささやかささやか。

木魚@無縁仏

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posted by cyberbloom at 00:28 | パリ | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ+アニメ+BD | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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