2011年03月03日

レストランとは何か

初級フランス語を教えるときに、誰でも知っているフランス語の好例として、僕はよく「レストランrestaurant」を引き合いに出す。この単語がいいのは、フランス語の発音に欠かせない規則が三つも含まれていることだ。
1)r は、英語のように舌を巻くのではなく、喉をうがいするときのように鳴らしてください。
2)an は「鼻母音」です。口を閉じてしまわずに鼻から音を抜いてください。
3)語末の子音字tは発音しません。
さあ、これでみなさんもフランスのレストランに入れますね。というような口上をつけて、学生の興味を惹こうと努力するわけである。

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というわけで、誰でも知っていて、かつ発音も決して簡単ではない「レストラン」だが、この言葉の意味も、よく考えてみると、なかなか興味深い。これは restaurer という動詞の現在分詞形で、本義は「元の状態に戻すこと」。たとえば、明治維新は Restauration du Meiji と訳されるのが普通だ。これは「維新」という言葉にはそぐわないように思われるかもしれないが、「大政奉還」、すなわち「まつりごとをおおもと(天皇)に還す」という意味をうまく訳している。ちなみに19世紀前半のブルボン王朝の王政復古も Restauration と言う。一方、小文字で始まる普通名詞の restauration は「修復」という意味で日常的に用いられるが、restauration rapide といえば、「早い修復作業」ではなく、「ファストフード」のことである。

つまり、レストランには、空腹で活力を失った身体にエネルギーを補填して元の状態に戻す、というニュアンスがあるわけだ。逆に言えば、ガソリンのように「満タン」の状態が「基本状態」と見なされている、とも言える。フランス料理辞典によると、「1765年頃、パリのブーランジェという料理人が、自分の店のスープを『元気を回復させる』という意味でレストランと名づけ、『素敵なレストランを売ります』と看板に書いたこと」が、レストランの語源だという。ホッチキスやキャタピラーみたいに、商標名が一般化したものだったのだ。

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ミシュランの旅行ガイドには、où se restaurer ? という項目がある。「お薦めレストラン」ということだが、直訳すれば「どこで自分自身を立て直すか」という風になるだろう。これをあえて拡大解釈すれば、フランス人は空腹で倒れそうになるまで食事をしない、ということかもしれない。大量のサラダやスープの後に、肉とポテトを平らげ、チーズでワインの残りを流し込み、クリームのたっぷり詰まったデザートを食べる人たちを見ていると、レストランというのは、美食のためではなく、まずは空腹を徹底的に駆逐する場なのだ、と思わずにはいられない。空腹が満たされるという前提があったうえで、それをいかに愉しく満たすか、という付加価値が成立する。

これを日本の誇る懐石料理、つまり「懐に温かい石を入れた程度に空腹を和らげる料理」と比較したとき、そのコンセプトの違いの対称性に、思わずため息が出てしまう。禅宗を背景にもつ禁欲的な茶席の食事は、そもそも自分自身を立て直すためではなく、自分を忘れるためにある。自分を取り戻すどころか、「自我の放下」が問題であり、茶席という「場」における一期一会の流れに身を委ねるのが、茶の道である。満たされるべき自分を忘れたとき、わずかな舌先の味が場全体と呼応し、自己の輪郭が場の全体へ溶け出すような境地が訪れる。そこには、デカルト的な個人を規定する自意識と、日本の武道にも通じる無我の境地が鮮やかに対比されている…。

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などというのは、大袈裟な文明論のパロディーでしかない。なぜこんなことを思いついたかというと、フランスに仕事で1ヶ月ほど滞在して、3キロ近く肥ってしまったからだ。「元の状態に戻る」どころか、過剰を抱えて帰国した。その理由は、明らかにレストランにある。自炊設備の貧弱なレジデンスにいたものだから、結局は外食に頼らざるを得なかった。フランス料理ばかり食べていたわけではないが、と言い訳しても仕方ない。この秋はせいぜい運動に励むことにしよう。と決意したところに、フランスから郵送したジャムや菓子類の箱が届いた。レストランから離れても、煩悩の秋は去りそうにない。

□写真は上から「鴨の砂肝のサラダ」「鴨のコンフィのチーズ漬け・フォアグラ添え」「プロフィットロール」



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posted by cyberbloom at 08:10 | パリ | Comment(0) | TrackBack(0) | フランス語講座 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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