2006年05月06日

『うるさい日本の私』中島義道

日本はとにかくうるさい。

大きな声は暴力的で、権力的である。私たちは自分で交渉し、調停する能力が乏しいので、代わりに権力に怒鳴ってもらっているのである。電車に乗ると、ケイタイでしゃべるな、電源を切れ、お年寄りに席を譲れ、駆け込み乗車はするな、頭上のスピーカーががなりたてる。特にJRがうるさい。元国鉄だから、権力意識が強いのか。

常識のある大人ならば、そんなことは自分で判断すればいい。ケータイでしゃべっているやつがいれば、注意すればいい。個人の責任で閉まりかけたドアに突進すればいい。アナウンスや周囲の視線の強制ではなく、席を譲りたいと思えば譲ればいい。あんなに駅の名前を連呼する必要はない。乗り過ごすのも本人の責任だ。

うるさいアナウンスと無責任社会は共犯関係にある。中島先生は鋭く指摘する。

ヨーロッパの電車の中は静かだ。たまにアナウンスはあるが、聴き取れないほど音量が小さい。ケータイで話しているやつがいても、気軽に注意する。他人と言葉で交渉する回路ができている。日本人は黙って、我慢して、我慢して、最後にブチ切れる。これが日本人のコミュニケーションだ。というより、これはコミュニケーションの失敗である。言葉がちゃんと機能していない。「対話のない社会」だ。他人に話しかけることに、こんなに抵抗を感じる国はない。率直に意見を言えないし、議論もできない。

横の人間関係が希薄で、対話力や交渉力が貧弱で、絶えず上から「あーしろ、こーしろ」と怒鳴られている光景は、まるで全体主義国家ではないか。

これまで日本人は同じだと信じられてきた。同じだから、言葉がなくても分かり合える。以心伝心が理想とされた。しかし、そんなことはもはやありえない。それは逆に気持ち悪いことだ。価値観がバラバラで、個人がそれぞれ、普遍化できない個別的な条件に置かれている現在、言葉を尽くしてコミュニケーションをとる以外、道はない。中島先生もそう固く信じ、今日も「言葉の戦い」を挑むのだ。それがドンキホーテのようにしか見えないとしても。

パリの地下鉄では、駆け込み乗車をしてドアに挟まれた人を、みんなでドアをこじあけて助けている光景をよく目にする。もちろん「駆け込み乗車はするな」というアナウンスはない。みな個人の責任において駆け込む。私も1度挟まれて助けてもらったことがある。そのときの周囲の人々の咄嗟のチームプレイはいつも見事だ。

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うるさい日本の私
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中島 義道
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