2006年04月19日

若者差別−フランスのCPEをめぐるデモ(2)

最近の話題の1冊、『国家の品格』を書いた御茶ノ水女子大の藤原先生が、朝日新聞(06年4月3日付)で、アメリカ流の経済至上主義や市場原理主義が拝金主義者を産み、日本を堕落させた。経済的な豊かさを犠牲にしてでも「品格ある国家」をめざすべきだとおしゃっていた。そこで必要なのは、新渡戸稲造の提唱する武士道精神、ときたもんだ。武士道精神が成立しえた社会的な条件が今も存在するとマジで思っているのだろうか。日本の戦後の民主主義を否定するとき、戦前回帰に物足りない人たちは、江戸時代にまでさかのぼりたがる。それは古き良き支配階級へのノスタルジーに過ぎない。当時の大半の人間は農民で、武士道は農民に対する徹底的な搾取の上に成り立っていたものじゃないのか。それにサムライ社会は女性をこき使うマッチョ社会でもある。武士道なんて結局は暇人のスノビズムじゃないの。それに藤原先生が感じているのは、日本の危機ではなくて、藤原先生ご自身の危機なんでしょう。どうやら一連のライブドア騒動が『国家の品格』の念頭にあったらしく、品格のないアメリカ流の象徴がホリエモンらしい。自分たちのツケを若い世代に回して、社会を不安定にしておきながら、その社会不安を若い世代のせいにして、バッシングする。ニート議論にも見られる、いつものパターンだ。自分たちは既得権をがっちり守っておいて、市場の流動性を利用してのし上がるしかない若いやつらを非難できる立場かっつーの。このインチキ侍がーっ(笑)!「経済的な豊かさ」よりも大事な価値があるという考え方には大賛成だが、私たちに必要なのは、むしろ、痛みを感じている人が、痛いと声を上げ、対話や議論に参加できるシステムじゃないのか。

先週の日曜日、NHK-BS1で放送されていた「地球特派員2006」を見た。「朝まで生テレビ」の論客としても有名な姜尚中氏が、フランスに渡り、ビール瓶を投げつけられながらも、移民系(非ヨーロッパ)の若者たちに取材を試みていた。フランスの24歳以下の失業率は22%に達しているが、移民系の失業率はさらに悪く、あからさまな就職差別があるという。姜氏は「フランスは自由・平等・友愛の国なのに」というフレーズを連発していたが、移民系の若者にも、移民排斥を主張する極右政党の党首にも、鼻で笑われていた。「フランスは自由・平等・友愛の国なのに、ひどい人種差別をしている」とわかりやすい構図を演出したいNHKの思惑なのかもしれないが、フランスにヨーロッパの理想的な政治理念が手放しで実現されていると考えるほうがナイーブすぎる。それこそ日本人の盲目的なフランス信仰だ。明治維新以降、日本はフランスを文化的先進国として仰ぎ見てきたが、むしろグローバル化した現在においては、同じ日常を共有し、同じ問題を抱えた国と考えたほうがいい。それに18世紀に掲げられた理念が、21世紀の複雑な格差や利害関係をフォローできるわけがない。一体、誰にとっての自由や平等なのか。番組の司会の森永卓郎氏も言っていたが、日本とフランスを結びつける新しいキーワードが「若者差別」だ。様々な問題をひた隠しにしようとする日本と違って、フランスの場合、今回のデモのように表面に噴出してくるので注目を集めるし、わかりやすい。

私自身、戦争を知らない世代どころか、デモもストライキも知らない世代だ。世の中のことがわかり始めたときにはすでに80年代に入っていた。もちろん地道に抗議行動を続けている人々もいるが、大半の日本人とっては、デモは暴力的なものだし、ストライキは一般人を巻き込む迷惑行為にすぎない。しかし、デモは国民に与えられた暴力ギリギリの権利であるから政府にプレッシャーをかけられる。ストライキも第3者に迷惑がかかるからアピールになる。それを受け入れるか否かは社会の許容度の問題で、フランスはそれを受け入れている。デモの巻きぞいを食ってお店を壊された人は怒ってはいるだろうが、半分あきらめている。それはデモをやっている人間の権利を認め、同時にそれは自分の権利でもあり、自分も同じような迷惑をかけるかもしれないと思っているからだ。日本だと「オレも我慢しているんだから、オマエも我慢しろ」という論理になる。互いに権利を放棄しあうのだ。まさに権力サイドの思う壺だ。日本のように、痛みを感じている人間を孤立させ、口を封じ、自殺に追い込むような社会は、もっと暴力的ではないのか。デモは暴力的だと言う前に、そういう暴力にも想像力を働かせる必要があると思う。(続く)

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posted by cyberbloom at 22:52 | パリ ☀ | Comment(8) | TrackBack(3) | 時事+トレンド特集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
『フランス語系人のBO-YA-KI』raidaisukiです。
TBどうもありがとうございました。 (^_^)y

『地球特派員2006』は、「若者は移民と同じように差別されている」ということが言いたかったんだろうけど、その前提である「移民は差別されている」を分かりやすい対立図式にしてし強調したために、その部分の方がインパクトが強くて変な構造になってしまったんだと思います。

おっしゃるとおり日本とフランスが同じ土俵にあるんだ、という意識が希薄なのが問題です。おかげでフランスが、美しい理想をオモテに掲げながらウラで卑劣なことをやる偽善者の大集団みたいにみなされてしまうのかなあ・・・ (^_^;)
Posted by raidaisuki at 2006年04月20日 17:33
どーも。猫屋さんから飛んできました。

>日本だと「オレも我慢しているんだから、オマエも我慢しろ」という論理になる。互いに権利を放棄しあうのだ。まさに権力サイドの思う壺だ。

droit=recht=権利=法=正義。

 権利を主張することが、すなわち法を実現すること。そして、法を実現している社会、これが正義が実現している、富者にも貧者にも、強者にも弱者にも、公正な社会です。でも、富者や強者には法は不要かも。そうではない。だって、人生有為転変、いつ今日の強者が明日の弱者になるかわからないからです。ここに、ご指摘の想像力の重要性があります。何事か夢想することが想像力じゃない。自己の内に潜む、傷つきやすさ vulnerability を自覚し、その体験を通じて、他者の痛みの傍らにそっと寄り添うこと。これが真の想像力です。

 藤原某の与太話とは全く逆に、現代日本人に最も欠けているのは、傷ついた他者に涙する「情緒」です。
Posted by renqing at 2006年05月13日 13:15
猫屋も飛んできました(笑)
どんどん管理化が進んでいるフランスですが、それでも『個人の自由』や少なくとも紙プレスの自由がまだまだ守られていると思います。日本は消費文化=管理文化としての再先進国なんだと思います。
また、世界に足りないのは冗談抜きで『愛情』であると思ってます。人・自然・仕事・歴史に対する愛です。
Posted by 猫屋 at 2006年05月13日 15:14
renqingさん、猫屋さん、コメントとTBありがとうございました。
つまりは、個人が個人消費文化によって個人的な快楽の中に囲い込まれ、閉じ込められているんですよね。これが裏返せば個人に対する巧妙な管理になっている。日本ではこのシステムが先鋭的な形で実現されてしまっている。こんな状況でいかに横のコミュニケーションを取るかです。藤原某さんが言ってるのは、金持ちの余裕の憐憫みたいな話ですよね。いてもいなくても痛くも痒くもないような他者。
Posted by cyberbloom at 2006年05月13日 22:13
renqingさん、猫屋さん、はじめまして。

藤原某のさらなるたわごとが炸裂していることが、そのタイトルから十分読み取れる「祖国とは国語」の吊広告発見!

他者への「情緒」「愛」とは、全く異なるバックグランドを背負った他者への「想像力」と言い換えてもよろしいかと。同質な「他者」(って自分自身じゃん)しか前提してない議論なんて、単なるオナニスム、自己憐憫、ナルシスム、だと思います。じーさんたちは相当アイデンティティの危機を感じているようですが、いー気なもんだよなーとしか思えません。明日を生き抜けるかどうかを心配している「他者」のことも想像してみろっつーの。
Posted by noisette at 2006年05月18日 12:57
わたしは藤原先生の著作を擁護します。
現在発売中の「SAPIO」という雑誌に、フランスのマスコミが日本の歴史問題をどのように報道してきたかの詳細な記事が掲載されています。

これを見るかぎりでは、フランス語をマスターした学習者あるいは専門家の人たちは、これまで受身の仏文解釈に終始して、日本の立場から情報発信するということを怠ってきたように思われます。仏和辞書はぼろぼろになるまで使い込んでも、和仏辞書はきれいなままで放置してきたことでしょう。

東京大学のフランス語教員が作った市販テキストを見たことがありますが、日本の歴史問題に対するフランスの報道をありがたがって、一言一句厳密に解釈しようとしていて、あきれ果てた覚えがあります。骨の髄から染み付いた受身の体質を持っているのに、そのことを自覚していないようです。それでフランス語教育そのものが時代から見放され、一般国民からも見放されつつあるのではありませんか。そのことに気づいていないようですが。

フランス語を侮辱する石原知事の発言には抗議するのに、日本を侮辱する発言に対してフランス語関係者は無頓着のようですね。わたしには理解できませんが。

Posted by 日本知識人へ at 2006年05月20日 07:41
旧ソ連圏・中国に住む大陸型民族は長年月の間、民族紛争でもまれてきました。その結果、攻撃的な体質が身についたといえます。例えば、机上にあった花瓶を落として壊した場合でも、「そんな所に置いとくほうが悪いじゃないか」と平然と言います。

彼らは自己反省などめったにやりません。相手に反省させるのです。相手に反省させるように持って行くことが外交であると、そういうふうに考えます。受身ではないでしょう。一言で言うと、紛争慣れしているとでも言ったらいいのでしょうか。

日本人の多くは民族紛争を経験したことがありません。本で読むかテレビで見ているだけです。そして机上にあった花瓶を落として壊した場合、相手の気持ちを優しく思いやって素直に謝って反省します。反省するのはいいことだと心の底から信じているようです。

この相手を思いやる優しさが日本人の長所です。たしかに長所なのですが、紛争慣れした大陸型民族の目から見ると、どのように見えるのかが大問題です。「受身でナイーヴ」ですね。謝りさえすれば許してもらえると思い込んでいるわけですから。
Posted by 日本知識人へ at 2006年05月20日 07:55
「日本知識人へ」さん、コメントありがとうございます。確かに耳の痛いご意見です。日本の近代化の過程で、フランス語教師が文化先進国フランスの威を借り、フランスの代弁をしていればそれで事足りると思ってきたことは事実なのでしょう。おっしゃる通り、近年のフランスの地位の相対的な低下によって、大学でのフランス語履修者は減少の一途をたどっています。それに反して学生の中国語やハングルの人気が高まっています。これは中国脅威論や政治的な対立にもかかわらず学生が近隣国に関心を持っていることの現われだと思うので、それはそれでいいことだと思ってます。それでフランス語はどうしたらいいのか、ということですが、フランス語教師という同一カテゴリーに括られるとはいえ、個人的にも、世代的にも、立場は様々です。この局面をどう乗り切るか真剣に考えている人たちもいます。例の石原発言に対する裁判も続いていて、それを支援している人たちもいます。そういう動きは目立たないので、何もしていないように見えるのかもしれませんが。他の有名なブログで「首都大学の問題の発信の仕方も、議論も内輪にしか向いていない。外部に対して何の説得力もない」と書かれているのを読んだことがあります。私は業界を代弁するような立場でもないので、そういうのはもっと偉い先生にまかせるしかないのですが、個人的には、教養としてのフランス語、フランス文化に限界を感じ(これは基本的に西洋優位の上下関係の産物です)、グローバル化の中でフランスと日本の関係を捉えなおしていこうという立場からブログをやってます。日本もフランスも、同じ日常、同じ問題を抱えているという視点から情報を発信していこうと。少なくともフランスを盲信するなんて若い世代にとっては不可能です(笑)。ただし、フランスは民主主義的な手続きにおいては依然として学ぶことが多い国だと思ってます。加えて、ヨーロッパの若い世代にも注目すべき動きが多々あります。微力ながら、直接発信、直接交流できるように、フランス語のブログをそのうち立ち上げようと思ってます。

SAPIOの記事ですが、貴重な情報ありがとうございます。ぜひ読んでみたいし、こんなこと言われてんだぞ、と周囲にも情報を流したいと思います。SAPIOは時々立ち読みするくらいですが、「誰が、どのような立場で、誰に向かって語っているのか」という基本的な批判精神を発揮させて読まないといけない雑誌と認識してます。

最後に藤原さんの話ですが、「国家の品格」は藤原さんと同じ世代、同じ立場の人たちからは受け入れられやすい本なんだと思います。あの本で持ち出されている「武士道精神」ですが、江戸時代の人口比から言って、大半の日本人が持っているのは「サムライ魂」ではなく「百姓根性」になってしいます。そもそも最初に女性が排除されます。藤原さんは特権階級に自己同一化し、そういう立場から「思いやり」とか言っているのが見え見えです。「思いやり」に価値がない(思いやりは重要な美徳だと思います)と言っているのではなく、彼のスタンスが問題なのです。そういうのが今の世代間格差に二重写しになって、若い世代としてはシラけるだけなのです。ああいうタイプの本は昔からあって(文学者がよく書く本なのですが)、特権階級の人間が、自分たちの価値観が脅かされているのは、品位のないあいつらのせいだという論理で構成されていて、品位のないやつらというのが、新興ブルジョワだったり、労働者階級だったり、若いやつらだったりするわけです。理解できない他者が増殖して、自分を脅かしてくると、そうやってバッシングして、内輪で自分たちの価値観を確認しあうわけです。それに「経済的な恩恵を犠牲にしてでも精神的な価値を」っていうけれど、ライブドア騒動のときに露呈したのが「人生、金だけじゃない」と豪語してたのは、みんな勝ち組の人たちです。そう言いながら、自分は資本主義社会の恩恵を最大限に受け、ネオリベラリズムの嵐の中でも絶対に揺らがない安全圏にいる。藤原さんは若者をアメリカ流に染まった品位のないやつらと切り捨ててますが、思いやりと言うなら、まず彼らのことをきちんと理解すべきだと思います。何よりも藤原さんの世代のツケ回されて困っている人たちなんですから。
Posted by cyberbloom at 2006年05月21日 00:38
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