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管理人:cyberbloom
★FRENCH BLOOM NET は「フランス」の情報化のプロジェクトです。具体的には、フランス語を学ぶ人やフランスに関心のある人のために、フランス関連情報を記事にして、カテゴリー別に蓄積しています。週末には「週刊フランス情報」と題して1週間のフランス関連ニュースをピックアップしています。この他にもサイトを運営しています。
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FRENCH BLOOM STORE ★当方、大学でフランス語を教えているメンバーを中心としたグループです。詳細やお問い合わせに関しては「ABOUT & PROFILE」をご覧ください。
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RECOMMENDED CD
■ザーズの2枚目のオリジナルアルバム。タイトルの Recto Verso (レクト・ヴェルソ)は一枚の紙の表と裏の意。「マヌーシュ・ジャズ+シャンソン」に重心を置いた相変わらずの音楽性。
■世界中を踊らせるフランスの二人組、ダフト・パンクの新曲。おやおや、ディスコ・ミュージックではありませんか!しかもディスコ風味とか「もどき」ではなくて、直球勝負。なんせナイル・ロジャースを引っ張り出してきたんですから。
■マレーヴァ・ギャランテール。タヒチ生まれ。彼女の名前は「流れ星」を意味するらしい。1998年、ミス・タヒチ。1999年、ミス・フランス。1m78の長身とエキゾチックな美貌で、14歳からモデルとして仕事を始め、テレビのバラエティー番組の司会者なども努める。2006年に発表された彼女のデビュー・アルバム「ukuyéyé」はイエイエのリバイヴァル。フランス・ギャル「娘たちにかまわないで」、ジャクリーヌ・タイエブ「朝の7時」などをカバー。
■スーパーモデルにして女優が、2002年、本アルバムで歌手デビュー。ヨーロッパで100万枚を売り上げるヒットとなった。このアルバムはプロデューサーのお膳立によるものではない。自分で詞を書き、曲を作り、ギターまで弾く。さらにはハスキーで落ち着いた魅惑的な声の持ち主ときている。「ポンヌフの恋人」のカラックス監督のクリップ付。
■思い出したようにCMで使われ、プチブームが来る。最近では「シェリーに口づけ」がホンダのゼストのCMに使われていた。今の学生は「ウォーターボーイズ」を思い出すらしい。このベスト盤は「愛の願い」「愛の休日」「愛のシンフォニー」「渚の思い出」「哀しみの終わるとき」など、ポルナレフの名曲をほぼ網羅。私も買い直そうかな。
■アコースティックなフレンチ・ロック。女性ボーカル、ギター&ベースの構成。フランス語は淡々と囁くように歌うのがいい。90年代の前半によく聴いていたブリティッシュ系のギターバンドの音。系統としては80年代のネオアコにまでさかのぼる。最近はいろいろ試行錯誤してます。
■フレンチボサノバの名盤。かなりジャズも入ってます。ベルギー発。名曲「南の海の魚」のフランス語がとても心地良い。夏が近づくと聴きたくなる。
■ダフト・パンクのベスト・アルバム。今年のサマーソニックで来日していましたね。日本絡みで話題の多いダフト。2nd、Discovery では日本の伝説的なアニメーター、松本零士とコラボレーション。クリップ集は映画化されカンヌで上映。ダフトの2人は松本零士の「宇宙海賊キャプテンハーロック」を見て育ち、「日本は第2の故郷だ」とまで断言する。
■日本でも人気が出てきたフランスのバンド。日本のCMにも曲が使用。ヒップホップとロックのミクスチャーだが、この3rdアルバムはロック色が全面に。初回限定盤は秘蔵ライブ映像付(マーケットプレイスでget!)。メンバーはライブで客にナウシカを歌わせるほどの日本アニメおたく。
■2000年にアルバム「パズル」で衝撃的なデビューを飾ったフランスの男性4人組バンド、タヒチ・エイティの2nd。前作のポップセンスを維持したまま、ストリングス&ホーンを導入。懐かしい感じのするメロディが抜群にいい。英語で歌っています。
■exquiseさんもイチオシ。フレンチ・エレクトロの代表格、AIR(エール)による「ヴァージン・スーサイズ」のサウンド・トラック。レトロさと未来っぽさが同居しているるのがエールの味わい。独特のトリップ感覚に浸れるが、私にはどうしてもピンク・フロイドにしか聞えない。
■コートをまとったポール・ウェラーとミック・タルボット。カッコ良すぎる。二人のファッション、イギリス人が意識したフレンチ・カジュアルなのかもしれないが、パンツはくるぶしの上5センチでカットされており実にイギリス的。録音も当然ロンドン。写真をパリに、アルバム・タイトルをフランス語にしてもイギリス人がパリなんかでロックのレコードを録音できるはずがない。80年代の名盤。ジャケ買いOK。
■DJ CAM−フランスで最高のDJ。オシャレ&クールなジャズ・ヒップホップ。soulshine というだけあって、ソウルフルな女性ボーカルをフィーチャー。洗練されつつ、遊び心もふんだんに盛り込まれた1枚。大推薦!
■Mad Blunted Jazzなんて、タイトルがすでにカッコいい。内容は「Underground Vibes」と同時期のライブ(1995年レンヌ)のカップリング。タイトルの示す通り、地下室の闇を置く深くまで振るわせるようなヴァイブラフォンの響き。DJ CAMはMJQの現代版か。クール&タイトなインスト・ヒップホップ。10年経っても全く色あせず。
■フレンチロリータにしてコギャル系。今はJ・デップの奥さんだが、このアルバムは元カレのL・クラヴィッツのプロデュース。クラヴィッツのポップセンスがキラキラ輝く。BE MY BABYのクリップを改めて見たが、ファッションが著しくイマ風。ギャル系の学生も見入っていた。
■シャルロット・ゲーンズブールの久しぶりの新アルバム。映画とのタイアップではないオリジナルアルバム。バックにフランスの2人組エールが、さらにプロデュースにレディオヘッドも手がけるナイジェル・ゴドリッチ。
■ブランシェなパリを演出するコスト兄弟がプロデュースしたホテル・コスト。このホテルのラウンジ&レストランをイメージしたコンピレーションCD。今や9集目を数えるラウンジ系の人気シリーズだが、これは記念すべき第1弾。ベスト盤もあり。
■フランスで最も有名なラッパーの1st。フレンチラップの金字塔的な作品。音もジャズっぽく、スタイルもクール。MCソラーは移民の置かれた現実の告発よりも、純粋に言葉による表現を志向している。ことわざやクリシェで遊び、シラブルと韻を自在にあやつる。
■セーヌ河のジャズ。青い頃のバルネ・ウィラン。初っぱなの"SWING 39"がいい。口につけるリードがこなれず、青臭く乾いたところ、パーカッションの勢いにまかせて、伸びる伸びるテナーの音粒…
■ペトルチーアーニは繊細な演奏をするフランス生まれのピアニスト。なかでもオープニングチューン"THE PRAYER"と2曲目"OUR TUNE"は、たまに無性に聴きたくなるんよね。
■泣く子も黙る、モダン・ジャズ・カルテット。パリを舞台にしたジャズの名盤のひとつ。ヴァイブラフォンの響きが何ともクール。「Django」と併せて聴きたい。
■フランスといえばダバダバダバ。ダバダバ・スキャットの名盤。Swingle SingersがMJQと華麗なバロック・ジャズをやっている。「G線上のアリア」など。バロックもジャズもフランス発じゃないが、2つが組み合わされるとそれっぽく聞こえるのが不思議。MJQがコンコルド広場で、こちらはヴァンドーム広場。
■「枯葉」「マイ・ウエイ」(=コム・ダビチュード)、「男と女」など、誰もが知っているシャンソンの名曲をボサノバ・アレンジで歌う。ジュリエット・グレコはダメでも、このアレンジだったら今の学生も聴けるみたい。イントロに本場のボサノバのサビを忍びこませている。
■フランスのプログレといえば外せないのがこれ。不思議な響きを放つマグマの歌は、彼らが考案したコバイア語によって歌われている。彼らはコバイア星からやってきたコバイア星人で、このバンドによってコバイア神話を語り継ぐ。これも70年代のサイケカルチャーの産物だが、ここまで変さを徹底できるのはフランスならではか。リーダーのドラマー、クリスチャン・ヴァンデールはコルトレーンの影響下にあると言っているが、プッチーニのオリエンタル・オペラ(「トゥーラン・ドット」とか)にも似ている。
■フランス語圏のベルギーのグループ。室内楽風の構成なのでチェンバー・ロックと呼ばれる。バスーン(ファゴット)のこもった低音や、地の底から響いてくるようなハーモニュームの音が特徴的。夏の肝試しにも使えそうな、呪術的でフリーキーな音作りだが、リーダー、ダニエル・ドゥニのドラムに導かれるアンサンブルも凄い。このLP盤を手に入れるのにどんなに苦労したことか。今やアマゾンで簡単に買える。
■ライ(アルジェリア起源のポピュラー音楽)で注目すべき傾向のひとつは、フランスにおけるライとr'n'b の融合。2004年に Kore & Skalp というコンビが多くのアーチストを集めて製作したRai'n'b Fever 。このコンピレーションは大セールスを記録し、フランス全体のチャートでも2位に。なかでも収録曲のひとつで 113, Magic System, Mohamed LamineによるGaou a Oranはその年の「フランスのクラブで最も頻繁にかけられた曲」となった。
■パトリシア・プティボンは、近年、ヨーロッパ各地の大劇場のオペラ公演に重要な役どころで出演し、高い評価を得ているフランス人ソプラノ歌手。このプティボン、たんに歌や演技がうまいオペラ歌手というのとはわけが違い、チャーミングなキャラを生かした、かなり規格外のパフォーマー。最大の魅力は、天上の聖性と地上の下世話さのあいだを一瞬にして往還する表現の自在さであろう。
■エレーヌ・グリモーはいまや飛ぶ鳥を落とす勢いのピアニスト。エクサン・プロヴァンス生まれのフランス人であるが、ドイツ音楽を好み、ベートーヴェンやブラームスの協奏曲をプログラムに選ぶことが多い。グリモーは幼い頃から周囲と溶け込めず、自閉症に近い性格を持っていた。彼女を変えたのが狼との出会い。20歳からアメリカに移り住んで動物生態学を学び始めた彼女は、狼との交流を通して世界に向かって心を開き始める。と同時に、彼女の音楽家としての魂は目覚しく成長を遂げた。
RECOMMENDED BOOKS
■映画やミュージカルもいいが、レミゼを原文で親しむ入門書にうってつけ!19世紀の挿絵をふんだんに収録し、付属のCDを聞き、ユゴーの専門の第1人者の解説に導かれて原文を味読すれば、『レ・ミゼラブル』の世界がまったく違った相貌でよみがえる。
■なぜジャン・ヴァルジャンは、パリのその街区に身を隠したのか?里親から虐待を受けるコゼットが、夜店で見ていた人形はどこ製か?19世紀の美麗な木版画230葉を106シーンに分け、骨太なストーリーラインと、微に入り細を穿った解説で、“みじめな人々”の物語をあざやかに甦らす。長大な傑作の全貌がこれ一冊でわかる。
■NHKのドキュメンタリー「世界わが心の旅・宮崎駿 ― サン=テグジュペリ紀行 〜南仏からサハラ」で、宮崎駿はサン=テグジュペリが通った郵便航路、トゥールーズ〜ブエノスアイレス間のうち、モロッコのキャップジュビー飛行場までの行程をたどっている。宮崎駿はこの取材旅行にひどく感銘を受け、帰ってからスケッチをかき、それがサン=テグジュペリの『人間の土地』『夜間飛行』(新潮文庫)のカバーに使われている。『人間の土地』には取材旅行のあいだに記した文章「空のいけにえ」があとがきとして収載されている。
■デパートの黎明期を活写したエミール・ゾラの『ボヌール・デ・ダム百貨店』。物語の主軸は、パリのデパート「ボヌール・デ・ダム百貨店」の貧しい女店員である主人公ドゥニーズ・ボーデュと、このデパートの経営者、青年実業家オクターヴ・ムーレとの身分違いの恋愛。しかし読み進めるにしたがって、ドゥニーズのシンデレラ・ストーリーよりも、消費社会の権化とも呼ぶべきデパートの実態に興味がひきつけられる。
■モノが氾濫するなかで育った日本の少女たちは世界の消費文化の中でも特異な存在である。彼女たちは階層的なアイテムだったヴィトンやエルメスを日常的に使いまわす。ブランド世代の母親たちが「上がり」として手に入れたブランドと、その過程で獲得した鑑識眼は彼女たちにとっては出発点に過ぎない。もはや憧れではなく、彼女たちはモノとしての機能性やデザイン、イメージに徹底的にこだわる。そういう新しいコンテクストにエルメスも捉えなおされる。
■ユベール・マンガレリ『おわりの雪』:フランスの「今」を感じる現代小説のひとつ。原文はフランス語文法を一通り終えた人ならじゅうぶん読める平易なことばで書かれている。オリジナルの文章を味わってみるのも楽しい。
■2002年,東京でミュージシャンとして活躍していた著者はパリに移住する.そして,このお洒落の代名詞ともいえるフランスの首都にて予期せぬ事態に次々と遭遇することになる.念願のプジョー・ヴォーグ(ペダルのついたスクーター)に乗ればガス欠となり,ガソリンスタンドを求め街を彷徨う.アパートでは何の予兆なく唐突に天井が落下する.当たり前といえば当たり前だが,花の都での生活は,バラ色ばかりというわけではない.著者の記述が数ある著名人/芸能人のパリ滞在記と異なるのは,そのユーモラスな筆致にある.
■祐天寺りえ『フランスだったら産めると思った』:日本の少子化が問題になっているが、フランスは積極的な政策で少子化に歯止めをかけている。本書はフランスに住むことになった日本人の女性の視点から、フランスの子育て事情について書いている。これからはどんな家族のあり方が望ましいのか、具体的にイメージできる本。
■これまでの「西洋音楽史」と銘打った本の多くは例外なく、各時代の専門家による分担執筆だった。これらは専門家に対して正しい専門的な知識を万遍なく提供するだろう。しかし、様々な関心やつながりからクラシックについて知りたいと思っている普通の人、例えば、「のだめカンタービレ」を読んでクラシックに興味を持った人が、それを理解できるだろうか。理解できる、できない以前の問題として、そういう「使えない」音楽史に意味があるのだろうか。ある種の正しさはあるかもしれないが、ナンセンスな専門知識ではないのか。そういう問いが著者をしてこの本を書かせたようだ。
■本書はコロンブスのアメリカ大陸発見から現在に至るフランスとアメリカの関係を綿密に検証している労作だが、とりわけ第2次世界大戦後の米仏関係を描いた箇所が興味深い。フランスの知識人たちのあいだで「フランス精神はアメリカに占領され、植民地化されつつある」という危機意識が生まれたのは、フランスが経済的に衰退し、外交の舞台でも脇役に追いやられ、自らのアイデンティティーの最後の砦を自国の文化に求めるしかなかったからである。そして、津波のように押し寄せたアメリカの大衆文化をフランスの知識人の理解を超えていた。ブルジョワ的な教養という枠組みしか知らなかった彼らは、それが俗悪なサーカスか、あるいは帝国主義的なプロパガンダにしか見えなかったのである。
■『中村屋のボース』:インド独立運動家にしてアジア主義者、ボースの波乱万丈の生涯。急進的な反英抵抗運動の過程で、日本に逃亡し、そのまま日本に帰化する。潜伏先の相馬家の人々に本場インドのカレーを伝授し、それがレトルト化までされている「中村屋のカリー」に結実する。
2006年04月19日
最近の話題の1冊、『国家の品格』を書いた御茶ノ水女子大の藤原先生が、朝日新聞(06年4月3日付)で、アメリカ流の経済至上主義や市場原理主義が拝金主義者を産み、日本を堕落させた。経済的な豊かさを犠牲にしてでも「品格ある国家」をめざすべきだとおしゃっていた。そこで必要なのは、新渡戸稲造の提唱する武士道精神、ときたもんだ。武士道精神が成立しえた社会的な条件が今も存在するとマジで思っているのだろうか。日本の戦後の民主主義を否定するとき、戦前回帰に物足りない人たちは、江戸時代にまでさかのぼりたがる。それは古き良き支配階級へのノスタルジーに過ぎない。当時の大半の人間は農民で、武士道は農民に対する徹底的な搾取の上に成り立っていたものじゃないのか。それにサムライ社会は女性をこき使うマッチョ社会でもある。武士道なんて結局は暇人のスノビズムじゃないの。それに藤原先生が感じているのは、日本の危機ではなくて、藤原先生ご自身の危機なんでしょう。どうやら一連のライブドア騒動が『国家の品格』の念頭にあったらしく、品格のないアメリカ流の象徴がホリエモンらしい。自分たちのツケを若い世代に回して、社会を不安定にしておきながら、その社会不安を若い世代のせいにして、バッシングする。ニート議論にも見られる、いつものパターンだ。自分たちは既得権をがっちり守っておいて、市場の流動性を利用してのし上がるしかない若いやつらを非難できる立場かっつーの。このインチキ侍がーっ(笑)!「経済的な豊かさ」よりも大事な価値があるという考え方には大賛成だが、私たちに必要なのは、むしろ、痛みを感じている人が、痛いと声を上げ、対話や議論に参加できるシステムじゃないのか。
先週の日曜日、NHK-BS1で放送されていた「地球特派員2006」を見た。「朝まで生テレビ」の論客としても有名な姜尚中氏が、フランスに渡り、ビール瓶を投げつけられながらも、移民系(非ヨーロッパ)の若者たちに取材を試みていた。フランスの24歳以下の失業率は22%に達しているが、移民系の失業率はさらに悪く、あからさまな就職差別があるという。姜氏は「フランスは自由・平等・友愛の国なのに」というフレーズを連発していたが、移民系の若者にも、移民排斥を主張する極右政党の党首にも、鼻で笑われていた。「フランスは自由・平等・友愛の国なのに、ひどい人種差別をしている」とわかりやすい構図を演出したいNHKの思惑なのかもしれないが、フランスにヨーロッパの理想的な政治理念が手放しで実現されていると考えるほうがナイーブすぎる。それこそ日本人の盲目的なフランス信仰だ。明治維新以降、日本はフランスを文化的先進国として仰ぎ見てきたが、むしろグローバル化した現在においては、同じ日常を共有し、同じ問題を抱えた国と考えたほうがいい。それに18世紀に掲げられた理念が、21世紀の複雑な格差や利害関係をフォローできるわけがない。一体、誰にとっての自由や平等なのか。番組の司会の森永卓郎氏も言っていたが、日本とフランスを結びつける新しいキーワードが「若者差別」だ。様々な問題をひた隠しにしようとする日本と違って、フランスの場合、今回のデモのように表面に噴出してくるので注目を集めるし、わかりやすい。
私自身、戦争を知らない世代どころか、デモもストライキも知らない世代だ。世の中のことがわかり始めたときにはすでに80年代に入っていた。もちろん地道に抗議行動を続けている人々もいるが、大半の日本人とっては、デモは暴力的なものだし、ストライキは一般人を巻き込む迷惑行為にすぎない。しかし、デモは国民に与えられた暴力ギリギリの権利であるから政府にプレッシャーをかけられる。ストライキも第3者に迷惑がかかるからアピールになる。それを受け入れるか否かは社会の許容度の問題で、フランスはそれを受け入れている。デモの巻きぞいを食ってお店を壊された人は怒ってはいるだろうが、半分あきらめている。それはデモをやっている人間の権利を認め、同時にそれは自分の権利でもあり、自分も同じような迷惑をかけるかもしれないと思っているからだ。日本だと「オレも我慢しているんだから、オマエも我慢しろ」という論理になる。互いに権利を放棄しあうのだ。まさに権力サイドの思う壺だ。日本のように、痛みを感じている人間を孤立させ、口を封じ、自殺に追い込むような社会は、もっと暴力的ではないのか。デモは暴力的だと言う前に、そういう暴力にも想像力を働かせる必要があると思う。(続く)
cyberbloom
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藤原正彦 『国家の品格』 新潮新書 2005年(9/最終回)
Excerpt: 藤原氏は、人間は二種類いる*、と信じているらしい。引いてみよう。 pp.83*
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いよいよ全国紙が藤原正彦氏『国家の品格』批判を開始
Excerpt: 今日の日本経済新聞朝刊5面「核心」で、日本経済新聞社のコラムニストが藤原正彦氏『国家の品格』を強烈に批判していた。そろそろ日経新聞のようなマスメディアも、藤原正彦氏を正面から批判する気になってきたとい..
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RECOMMENDED DVD
■「レ・ミゼラブル」…数ある同名作品の中でも最高傑作と称される2000年フランス製作超大作TVシリーズ、ついにノーカット完全版(DVD-BOX)で登場。ジャン・ヴァルジャンにジェラール・ドパルデュー、ジャヴェール警部にジョン・マルコヴィッチ、ファンティーヌにシャルロット・ゲンスブールという豪華キャスト。買うべし!
■アカデミー賞3部門受賞 !&2012年興行収入No.1!世界中で上演されているヴィクトル・ユゴー原作の傑作ミュージカルを、ヒュー・ジャックマン、ラッセル・クロウ、アン・ハサウェイほか共演で完全映画化。貧しさからパンを盗んだ罪で19年間投獄されたジャン・バルジャンの波乱に満ちた生涯を描く。
■2012年の最強の映画だった『最強のふたり』。それまで『アメリ』が保持していた2310万人というフランス語で撮られた映画の世界観客動員数をも抜いてしまった。最強のひとりはスラム街出身で無職の黒人青年ドリス。もうひとりはパリの邸に住む大富豪フィリップ。ふたりが事故で首から下が麻痺したフィリップの介護者選びの面接で出会う…。
■「汚れた血」を見たときの衝撃は未だに忘れられない。ハレー彗星が接近し、気温が異常に高い近未来のパリ。STBO という愛のないセックスで感染するウィルスが蔓延している。夜の底にまどろむようなアンナの重さに対する、リーズの信じられない軽やかさ。髪をなびかせ、スカートの裾を翻して夜のパリを軽やかに駆け、アレックスに「バイクの天使」と呼ばれるリーズ…
■パリ、ジュテーム。18人の気鋭の監督たちによる、パリを舞台にした持ち時間5分の「愛」の物語。「愛」は恋愛に限らず、親子の愛であったり、さらには街そのものへの愛であったり、いろいろな「愛」のかたちが描かれる。登場する人々もそこに暮らす人々だけでなく、旅行者、移民、留学生などさまざま。日本からは諏訪敦彦監督が参加。
■未だに根強い「アメリ」人気。もう見た人も、これから見る人も。ジュネ監督は「エイリアン4」を撮っているが、「アメリ」で彼のSFXの技術は現実の異化にいかんなく発揮。美しくもグロい。
■ジャン・レノと広末涼子が東京を舞台に共演。リュック・ベッソン制作のB級映画だが、あからさまな日本幻想が炸裂。先端(アキバ)と伝統の対比など、見所(ツッコミ所)も満載。広末のフランス語に勇気付けられる学生も多い。
■移民のゲットー、バンリュー(郊外)を舞台にし、従来のフランス映画のイメージを覆した衝撃的な作品。ここは本当にフランスなのか。最近パリ郊外で起こった暴動の背景や、移民の若者たちの鬱屈した心情をを知るためにも。
■今日、最も有名なフランス映画と言えばこれ。今やパリ以上に注目されているマルセイユを舞台にしたカーアクション映画。4作目まで出ています。ヒップホップやライを取り入れた音楽にも注目。
■ジャームッシュによる5つの都市を舞台にしたオムニバス作品。笑いを誘いつつも、差別問題がさりげなく扱われいてるパリ編が秀逸。ウィノナのLA編、ベニーニのローマ編、ヘルムートさんに癒されるNY編。トム・ウエイツの音楽も印象的。
■ソフィア・コッポラ監督の「ヴァージン・スーサイズ」。ソフィア・コッポラはアメリカの巨匠フランシス・コッポラの娘で、これは初監督作品にして、衝撃的なgirly映画。サントラを担当しているのは、彼女自ら依頼したというフランスの2人組Air(エール)。
■ベトナム出身のトラン・アン・ユン監督の「夏至」。少年時に家族と共にフランスへ移住し、フランスで映画について学ぶ。濡れれたような深みのあるその色彩は、官能的とも言えるほど。ウォン・カーウァイ監督の「花様年華」を撮影したリー・ピンビンを迎え、さらにその繊細さに磨きをかける。他に「青いパパイヤの香り」「シクロ」。現在、松山ケンイチを起用した村上春樹の「ノルウェイの森」を撮影中。
■「ぼくが街でアントワーヌ・ドワネル(=主人公)風の若者を見つけるたびにいつも思い出すのは『大人は判ってくれない』の中で通りを駆け抜ける、あの飢えたようなアントワーヌの最初の姿である。彼は世界と折り合いを付けることが出来ずに終始スクリーンをうろつき、楽しもうとしてみたはいいが大きすぎる代償を払い続ける。それは全く持って人生そのもののようで、アントワーヌ・ドワネルはやはり生まれたときから人生の本質の中にいたのである」(曾我部恵一)
■定年退職前の厳しくも優しいロペス先生のもとで、勉強したり遊んだりする13人の子供たちの姿を追った、心温まるドキュメンタリー映画。Etre et Avoir―タイトルにもなっているこの二つの動詞から見ても、フランス人にとってのフランス語の始まりも、日本人がフランス語を始めるときと全く同じなんだな、と分かります。フランス語をやっている人なら、まるで自分も小学生になったような気分になり、子供たちと一緒に「うぃぃ〜!」「ぼんじゅ〜る、むっしゅ〜」と言ってしまいそう。
■原題は L’auberge espagnol−訳すと「スペインの宿」。これは今のヨーロッパを象徴するような文化的な混沌状態を指し、そんな中でどんなアイデンティティが可能なのかを問うている。主人公はパリ大の学生だが、ヨーロッパの交換留学システム「エラスムス計画」を使って、バルセロナへ留学し、ヨーロッパ各国から集まった学生たちと共同生活を始める。それぞれの国のタイプが典型的に描かれいているのが面白い。映画の公開後、エラスムスの利用者が倍増したという、留学したくなる映画。ラストシーンも清々しく、続編「ロシアン・ドールズ」へと続く。
■ゴダールとストーンズの奇跡的な出会い。ジャケットのデザインがすでに買いだ。ミック・ジャガーのまさに悪魔的な、シャープなシルエットを見よ。オヤジバンドには用はない。このDVDによって自らとどめを刺されるがよい。「悪魔を哀れむ歌」が完成していく過程がスリリング。
■ヌベル・ヴァーグ期の未だに色褪せないオシャレ映画。犯罪に手を染めるスタイリッシュな若者とジャズの組み合わせ。シーンにカッコよく色を添えると思えば、唐突にシーンを切り裂くジャズのフレーズ。主人公のミシェルは、ジーン・セバーグ扮するヤンキー娘、パトリシアをひたすら口説く。主人公たちが頻繁に口にする当時の流行り言葉、dégueulasse(最低)!がキーワードになっている。
■フランソワ・オゾン監督、「8人の女たち」。ドヌーブ、ベアール、ユペール、アルダン、ルドワイヤン、フランスの大御所女優たちが勢揃い。優雅なミュージカル映画かと思いきやけっこうえげつない毒のある幕切れ。
■「ベルリン・天使の詩」。ロックな映画監督、ヴェンダースならではの映画。そしてエトランゼ(流れ者)の映画。流れ者の天使、ピーター・フォークの演技が渋く、流れのシンガー、ニック・ケイブのライブシーンがカッコよすぎる。タキシード・ムーンを始めとする、サントラもパーフェクト。流れの空中ブランコ乗りのお姉さんがフランス語を話している。
■パララパララ…とアンニュイな感じで聴こえてくるトランペットの音。マイルスのクールなトランペットが映画を先導する(彼は画面を見ながら即興で音楽をつけた)。完全犯罪の計画を立てるが、一つのミスがもとで事態が急変し、会社のエレベーターに閉じ込められてしまう…ルイ・マル監督による上質のサスペンス映画。
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TBどうもありがとうございました。 (^_^)y
『地球特派員2006』は、「若者は移民と同じように差別されている」ということが言いたかったんだろうけど、その前提である「移民は差別されている」を分かりやすい対立図式にしてし強調したために、その部分の方がインパクトが強くて変な構造になってしまったんだと思います。
おっしゃるとおり日本とフランスが同じ土俵にあるんだ、という意識が希薄なのが問題です。おかげでフランスが、美しい理想をオモテに掲げながらウラで卑劣なことをやる偽善者の大集団みたいにみなされてしまうのかなあ・・・ (^_^;)
>日本だと「オレも我慢しているんだから、オマエも我慢しろ」という論理になる。互いに権利を放棄しあうのだ。まさに権力サイドの思う壺だ。
droit=recht=権利=法=正義。
権利を主張することが、すなわち法を実現すること。そして、法を実現している社会、これが正義が実現している、富者にも貧者にも、強者にも弱者にも、公正な社会です。でも、富者や強者には法は不要かも。そうではない。だって、人生有為転変、いつ今日の強者が明日の弱者になるかわからないからです。ここに、ご指摘の想像力の重要性があります。何事か夢想することが想像力じゃない。自己の内に潜む、傷つきやすさ vulnerability を自覚し、その体験を通じて、他者の痛みの傍らにそっと寄り添うこと。これが真の想像力です。
藤原某の与太話とは全く逆に、現代日本人に最も欠けているのは、傷ついた他者に涙する「情緒」です。
どんどん管理化が進んでいるフランスですが、それでも『個人の自由』や少なくとも紙プレスの自由がまだまだ守られていると思います。日本は消費文化=管理文化としての再先進国なんだと思います。
また、世界に足りないのは冗談抜きで『愛情』であると思ってます。人・自然・仕事・歴史に対する愛です。
つまりは、個人が個人消費文化によって個人的な快楽の中に囲い込まれ、閉じ込められているんですよね。これが裏返せば個人に対する巧妙な管理になっている。日本ではこのシステムが先鋭的な形で実現されてしまっている。こんな状況でいかに横のコミュニケーションを取るかです。藤原某さんが言ってるのは、金持ちの余裕の憐憫みたいな話ですよね。いてもいなくても痛くも痒くもないような他者。
藤原某のさらなるたわごとが炸裂していることが、そのタイトルから十分読み取れる「祖国とは国語」の吊広告発見!
他者への「情緒」「愛」とは、全く異なるバックグランドを背負った他者への「想像力」と言い換えてもよろしいかと。同質な「他者」(って自分自身じゃん)しか前提してない議論なんて、単なるオナニスム、自己憐憫、ナルシスム、だと思います。じーさんたちは相当アイデンティティの危機を感じているようですが、いー気なもんだよなーとしか思えません。明日を生き抜けるかどうかを心配している「他者」のことも想像してみろっつーの。
現在発売中の「SAPIO」という雑誌に、フランスのマスコミが日本の歴史問題をどのように報道してきたかの詳細な記事が掲載されています。
これを見るかぎりでは、フランス語をマスターした学習者あるいは専門家の人たちは、これまで受身の仏文解釈に終始して、日本の立場から情報発信するということを怠ってきたように思われます。仏和辞書はぼろぼろになるまで使い込んでも、和仏辞書はきれいなままで放置してきたことでしょう。
東京大学のフランス語教員が作った市販テキストを見たことがありますが、日本の歴史問題に対するフランスの報道をありがたがって、一言一句厳密に解釈しようとしていて、あきれ果てた覚えがあります。骨の髄から染み付いた受身の体質を持っているのに、そのことを自覚していないようです。それでフランス語教育そのものが時代から見放され、一般国民からも見放されつつあるのではありませんか。そのことに気づいていないようですが。
フランス語を侮辱する石原知事の発言には抗議するのに、日本を侮辱する発言に対してフランス語関係者は無頓着のようですね。わたしには理解できませんが。
彼らは自己反省などめったにやりません。相手に反省させるのです。相手に反省させるように持って行くことが外交であると、そういうふうに考えます。受身ではないでしょう。一言で言うと、紛争慣れしているとでも言ったらいいのでしょうか。
日本人の多くは民族紛争を経験したことがありません。本で読むかテレビで見ているだけです。そして机上にあった花瓶を落として壊した場合、相手の気持ちを優しく思いやって素直に謝って反省します。反省するのはいいことだと心の底から信じているようです。
この相手を思いやる優しさが日本人の長所です。たしかに長所なのですが、紛争慣れした大陸型民族の目から見ると、どのように見えるのかが大問題です。「受身でナイーヴ」ですね。謝りさえすれば許してもらえると思い込んでいるわけですから。
SAPIOの記事ですが、貴重な情報ありがとうございます。ぜひ読んでみたいし、こんなこと言われてんだぞ、と周囲にも情報を流したいと思います。SAPIOは時々立ち読みするくらいですが、「誰が、どのような立場で、誰に向かって語っているのか」という基本的な批判精神を発揮させて読まないといけない雑誌と認識してます。
最後に藤原さんの話ですが、「国家の品格」は藤原さんと同じ世代、同じ立場の人たちからは受け入れられやすい本なんだと思います。あの本で持ち出されている「武士道精神」ですが、江戸時代の人口比から言って、大半の日本人が持っているのは「サムライ魂」ではなく「百姓根性」になってしいます。そもそも最初に女性が排除されます。藤原さんは特権階級に自己同一化し、そういう立場から「思いやり」とか言っているのが見え見えです。「思いやり」に価値がない(思いやりは重要な美徳だと思います)と言っているのではなく、彼のスタンスが問題なのです。そういうのが今の世代間格差に二重写しになって、若い世代としてはシラけるだけなのです。ああいうタイプの本は昔からあって(文学者がよく書く本なのですが)、特権階級の人間が、自分たちの価値観が脅かされているのは、品位のないあいつらのせいだという論理で構成されていて、品位のないやつらというのが、新興ブルジョワだったり、労働者階級だったり、若いやつらだったりするわけです。理解できない他者が増殖して、自分を脅かしてくると、そうやってバッシングして、内輪で自分たちの価値観を確認しあうわけです。それに「経済的な恩恵を犠牲にしてでも精神的な価値を」っていうけれど、ライブドア騒動のときに露呈したのが「人生、金だけじゃない」と豪語してたのは、みんな勝ち組の人たちです。そう言いながら、自分は資本主義社会の恩恵を最大限に受け、ネオリベラリズムの嵐の中でも絶対に揺らがない安全圏にいる。藤原さんは若者をアメリカ流に染まった品位のないやつらと切り捨ててますが、思いやりと言うなら、まず彼らのことをきちんと理解すべきだと思います。何よりも藤原さんの世代のツケ回されて困っている人たちなんですから。